教材及び教材研究について : 体験的教材論
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(2) 北海道教育大学紀要(教育科学編)第57巻 第1号 JournalofHokkaidoUniversityofEducation(Education)Vol.57,No.1. 平成18年8月 August,2006. 教材及び教材研究について 一体験的教材論−. 今 泉. 博. 北海道教育大学釧路枚数青学研究室. ATeachingMaterialsandaTheoryoftheirConstruction −AnExperientialConsideration−. IMAIZUMI Hiroshi. DepartmentofScienceofEducation,KushiroCampusHokkaidoUniversityofEducation. 概 要 現場の教師であれば,誰もが日常的に行っているのが教材研究である.授業をするためには授業のねらい や目的と関わって,まず教材を発掘・選択することになる.その教材を分析・解釈し,子どもの実態を踏ま えながら授業を構想する.当日の授業の流れもイメージして授業に臨むことになる.. 今回は教材研究の中でも,とくに教材発掘・選択のルートについて,現場での体験をもとに考えてみた. 授業のねらいから教材を発掘・選択するルート授業してみたい教材に出合い,授業化していく二つ目のルー ト さらには子どもの問いが教材になっていく三つ目のルートが想定される.それぞれのルートについて検 討し,教師が子どもと共に豊かな実践を創っていくためには,今どのような教材発掘・選択のルートが重視 される必要があるのか.筆者なりに検討してみた.. 1,はじめに. 実際の授業は,授業を構成するためのさまざま な変素が関連し合って展開していく.なかでも教. 教師がある素材を教材として発掘・選択するに は,大きく分けると3つぐらいのルートがあるよ うに思われる. 一つ目は,授業のねらいや目的から,教材を発. 材(=学習材の意味で使用する)は授業を構想す. 掘・選択していく場合である.多くの授業の教材. る上でも,実際の授業の展開においても,とりわ. は,このようなルートで決定されていく.. け重要な役割を担う.授業は教材を媒介にして行. 二つ目は,直接授業のために教材を探していた. われる.したがって教材の内容や質が問われるこ. わけではないのに,教師がある事実や事物に驚い. とになる.教育現場では,昔から教材研究の大切. たり,ある作品に感動し,授業してみたい気持ち. さが強調されてきたのは,そのためである.. に駆られる場合である.一つ目とは逆に,教材か. 45.
(3) 今 泉. 博. ら授業のねらいや授業の流れを考え授業する場合. にがしかの新たな発見や新たな解釈がなければ,. である.一つ目の場合以上に,教材への思いが強. 授業がうまくいかないことも起こりがちだ.マン. くなるのが,この二つ目の教材発掘・教材選択の. ネリに陥ると,いい意味での子どもとの緊張関係. 場合である.教師が心をふるわせた教材は,豊か. が失われるからかも知れない.教材との新たな出. な授業を創る可能性を含んでいる.. 合いが,授業を創る原動力となる.. 三つ目は,教師ではなく,子どもたちの疑問や. 一筋縄ではいかない子どもたちとの出会いは,. 問いから授業が創られていく場合である.子ども. マンネリになりがちな傾向を排除することにつな. の疑問や問いは,具体的な現象や事実との関係か. がる.. ら生まれてくる.したがって子どもから出された. 「荒れ」ていた六年生を一年間担任したときの. 疑問や問いは,授業でとりあげれば,教材になる.. ことだ.「いじめ」あり,「暴力」あり,「授業妨害」. 本来,素材が教材になるには,問いまで高められ. ありという大変な状況の子どもたちであった.勝. る必要がある.子どもたちの疑問や問いは,この. 手に立ち歩く.大声を発したり,机を叩いたりす. 意味でも重要な教材と考えることができる.. る.当初は授業が成立しなくなることも何度か. 教材発掘・教材選択までのルートを,あらため. あった.. て考えてみることは,教材研究のあり方を見つめ. そんな子どもたちも数ヶ月の取り組みで変わっ. 直し,より豊かな授業を創造していくために重要. ていった.子どもたちは,「いじめ」がなくなった.. であると思われる.. 小鳥のさえずりが聞こえるほど静かに学習できて. 以下それぞれのルートについて,実践の体験を もとに検討していくことにしたい.. うれしいと感想を綴る.ある母親からは「まるで 夢のようだ」という感想が寄せられる.. 確かに静かにしているものの,なかには漫画を 2,困難な子どもの出会いが教材の工夫に. 机の下から取り出してにやにやしながら見ている 子もいる.机の上に落書きをしている子もいるの. 教師であれば誰もが行っているのが,すでに触. だ.この子たちを,注意や決まりではなく,子ど. れた教材発掘・選択における一つ臼のルートであ. もたち自らの力で,授業に集中できるようにでき. る.授業のねらいや目的から考えて,どのような. ないものか.. そんな思いから私は,カマンベールチーズの容. 教材がよいか,検討する.まずは教科書の教材を. 見てみることが多いものと思われる.教科書の教. 器,新聞で包んだワイングラス,筋肉などを鍛え. 材が,適切なものであれば,それを使って授業す. るアレー,それに花瓶を紙袋に入れて授業に臨ん. ることになる.ねらいや目的から考えて不十分な. だ.. ものであれば,それを補うような教材も必要にな る.場合によっては,教科書以外の教材を使って 授業を構想することもある.. 教師としてさまざまな学年さまざまな教科につ. 3,集中して授業に取り組む 紙袋からカマンベールの容器を出し,「これは. いて授業していれば,この授業のときには,あの. 何だろう?」と質問すると,子どもたちの目は容. 教材を使い,こんなふうな流れで授業を構成して. 器に注がれる.植木鉢の1此じゃないか,プリンの. いけばよいということが,だんだんイメージでき. 容器じゃないかというような意見が出される.. るようになる.. チーズをよく食べる子もいて,すぐにカマンベー. しかしこのことが,授業を創る上では,マイナ. スに作用する場合もある.たとえ何度も扱ったこ とのある教材であっても,教材研究の段階で,な. 46. ルの入っていた容器であることに気づく.. もうこのあたりまでくると,漫画を読んでいる 子も,落書きをしている子もひとりもいない.文.
(4) 教材及び教材研究について. 字通り全員の子が授業に参加しているのである.. の量に着目しているところがいい」と声をかける.. しかし子どもたちは,この授業が算数などとは. 授業が進むと,これまでの授業では,斜に構えて. まったく思ってもいないようだった.. いることが多かったSくんが手を挙げ,「どれも. 次に新聞紙に包んだものを見せる.子どもたち. くっつく」と発言したのだ.私は,「すごい」と言っ. からは,それ「湯呑茶碗かな」という声.「近い. て,即座にほめた.「ノリはくっつくということは,. けどちがう」と言うと,「コップでしょ」という. すぐわかるよね.ホツキスも,紙を二枚くっつけ. 答えが返ってくる.みんなのお家の人の中には,. ることができるでしょ.でもSくんの偉いところ. あるものが好きで,よくこれを使うお父さんやお. は,サインペンをくっつくと考えたところです.. 母さんもいらっしゃるんじゃないかなと話すと,. もし砂粒のようなものなら,たとえ紙に書いたと. 何人かの子が気づく.「ワイングラスでしょ」と. しても,ぱらばら落ちてしまうよね.こんなふう. いう声が返ってくる. に考えられるSくんはきっと,将来創造的な仕事. 次に紙袋に手を突っ込んだまま,「これ重いも のなんだけど…」と語ると,「先生,それ漬け物. の重しでしょ」という答えが出される.重いと言. をするんじゃない」という意味のことを語った. 彼は私の話をうれしそうに聞いていた.. 共通なものとは何かを語り合った上で,再度黒. うことから「鉄でできている物なの?」という質. 板の3つの図に共通しているものは何かを考え. 問が出る.そうだよと領くと,手に何かを持った. 合った.するとNさんが黒板の前に出てきて,ひ. 格好をしながら,腕を上下させている子がいる.. とつひとつの図に一本の直線(縦線)を引き出し. その子が手を挙げたので指名すると,筋肉を鍛え. た.私が確認のために,「何が共通なの?」と訊. るために使うアレーだという答えが返ってきた.. いてみると,この直線で形がちょうど半分になる. 子どもたちが,それぞれの物がなんであるか分. というのである.カマンベールの略図である円に. かった段階で,そのものの形を黒板にチョークで. ついて,次々手が上がり,いくつも線を子どもた. 書いていった.. ちは書き出した.私が円(カマンベールチーズの. 最後に花瓶を出し,花瓶の形を黒板に書いてか. 容器)を半分にする線は何本引くことができるか. ら,いま書いたものに共通するものは何だろう?. 質問すると,子どもたちからは「中心を通る線は. と訊いてみた.ところが,子どもたちには「共通. 無限にある」という答えが返ってくる.. するもの」と言っても,よくわからなかったよう である.. そこで共通とは,どういうことかをつかんでも らうことが必要になった.ここはスムーズにいく と思っていたので,とくに何かを準備していたわ けではない.そこで私の机にあった合成ノリとサ. 私はこの時間の最後に,直線によって形が半分 になるような形を線対称な図形といい,直線を線 対称の軸ということを確認して授業を終えた.. 子どもたちは文字通り,50分間(1校時)真剣 に学習したのであった.. 線対称の授業をこのようにしたのは,はじめて. インペンとホツキスを急遽取りあげ,この三つの. だった.これも普通に授業をしていては,みんな. ものに,同じ所や似ているところはないだろうか. が集中して学習するような授業はつくれないとい. と,問いかけた.. うことから,少し工夫した結果である.否定的な. すると子どもたちからは,「どれもプラスチッ クみたいなものでできている」という答えが返っ. 状況が授業を創造していく重要なきっかけになり うるということである.. てくる.「すごいじゃない.どんな材料でできて いるか,ものごとの質に着目したところがすごい」. とコメントする.次の子が「どれも使っていると 減る」と発言.「あなたもすごいじゃない.物事. 4,鎖の体積をいかに求めるか 地域が異なれば,子どもたちの傾向もかなりち. 47.
(5) 今 泉. 博. がってくる場合がある.今度紹介するのは,高層. もたちは気づいたのである.透き通った直方体の. マンションに囲まれた学校で,高学年を担当した. 容れ物がないかというのである.もちろん私は,. ときのことである.かなりの子どもたちが,進学. 事前に直方体の容れ物を用意しておいた.その容. 塾に通っているような地域である.. 器に水を入れてくれというのである.そこで水を. そんな子どもたちだけに,教科書に出ているよ. 一定程度入れる.子どもたちは,その水位に沿っ. うな教材であれば,かなり工夫しないと,生き生. て,線を引くようにという.そこへ鎖を入れてほ. き参加する状況はつくれない.とっくに習ってい. しいというのだ.実際に鎖を入れてみると,当然. ることなので,新鮮に感じられないから,意欲的. ながら,鎖の体積の分だけ水が増えることになる.. になれないのだろう.. そして再びさっきと同じように,高くなった水位. もちろんすでに習ったとは言え,深く理解して. に合わせて線を引いてほしいと,子どもたちは要. いるわけではない.一応計算ができて,答えを出. 求する.結局鎖の体積は,増えた分の水の体積と. せる程度のことである.したがって,算数や数学. 同じであることを,子どもたちは見つけていった. の面白さを体験しているわけではない.. のである.1cnfにきちんと収まらないようなもの. そんな子どもたちに,算数や数学の面白さを伝. でも,水に置き換えれば,容易に体積を求めるこ. えたい.そんな気持ちで体積の授業に取り組んで. とができることを発見していったのである.実際. みた.. は,容器の厚さの体積を引かなくてはいけないが,. ブロックを少し複雑に積んだような立方体で. 子どももとくには指摘しなかったので,そこは問. あっても,彼らは容易に求めてしまう.したがっ. 題にしなかった.鎖を入れて,増えた分の水の体. てただ答えを求めるような学習では,算数・数学. 積を求めると約40cnf程であった.. の面白さ楽しさを実感させることは難しい. そこで,よくある猫や犬など,瀬戸物でできた. 置物の体積を求めさせようと考えた.まずその置 物を手に入れようと,ホームセンターのような店 に出かけてみた.. 確かに,そこには授業でも使えるような猫や犬. 5,求められる深く学べる教材・教具 次に移動できる机の脚などによくついている キャスターを見せ,このキャスターの体積を出す にはどうしたらよいか訊いてみた.. などの置物があった.店内を回って見ているうち. キャスターは,車輪とその上に金属がついてい. に,猫や犬の瀬戸物よりすごいものを見つけたの. るなかなか複雑な形をしている.それだけに水の. だ.体積の授業をする上で,まさに典型的な教具. ようなものに置き換えればよいことを分からない. ではないかと思った.子どもたちの顔が浮かんで. 場合には,戸惑ってしまうはずだ.鎖の体積を解. きた.この体積は何立方メートルかと問うたとき,. き明かした子どもたちは,鎖と同じ要領で直方体. 子どおたちがどう反応するか,想像しただけでも. に水を入れ,そこにキャスターを沈め,増えた分. わくわくしてきた.. の水の体積を求めればよいことを,簡単に見ぬい. 実際授業で,「これはなんcnfありますか?」「ど. うしたらこの鎖の体積を求めることができあす. ていった.バナナやレモンやジャガイモやリンゴ などの体積を次々に求めた.. か」と訊いてみると,子どもたちからは,底面積. 私はさらに,「いま直方体の容器で体積を求め. も分からないし,高さもぐにゃぐにゃ,しかもと. ていったけど,円在の容器ならもとめられないだ. ころどころに穴まで空いている.そんなぐにゃぐ. ろうか」と質問してみた.子どもたちは,「増え. にゃしたもの体積なんて,出せるはずがないとい. た分の水の体積を求めればよいのだから,底面積. う感想が返ってきた.. を求め,それに増えた分の水の高さをかければ,. ところが話し合っていくうちに,何人かの子ど. 48. 体積はすぐ求めることができる」ということを容.
(6) 教材及び教材研究について. 易に理解できた.実際にやってみると,もちろん. ある.そんな状況のなかでは,どうしても授業の. 直方体のときと同じ体積になる.直方体の容器だ. ねらいや目的毎に使えるように作成されている既. けでなく,円柱の容器を使うことで,学習の幅が. 製の教材なども利用しがちになる.もちろん市販. 拡がり学びが発展していく.. のものとは言え,よくできているものも少なくな. 塾などですでに習い,そんなの簡単だよといっ. い.子どもたちの実態を踏まえた上で,使えるも. た態度をとっていた子たちも,まるで人が変わっ. のを上手に使っていけば,一定の効果が得られる. たとうに真剣に学習しだす.やはり,教材・教具. ことは確かである.. が重要であることを,子どもの姿から教えられる.. しかしそれらに頼り過ぎていては,教師として. 子どもたちがほんとうに学びたいのは,単に計. の力量も高まっていかない.料理であれば,半加. 算の仕方だけではないのである.算数・数学の魅. 工品を使えば,生の素材から作るよりも,時間的. 力なのだ.算数・数学はどんな学問なのか.どの. にも労力的にもずいぶん楽になる.しかし調理人. ようにして生まれてきたものなのか.人間の生活. がもしこのようなものばかりを使用していれば,. にとってどのように役だっているのか.ほんとう. 料理の腕は上がっていかない.魚であれば,それ. はそういうことを知りたいのである.なによりも,. を裁くことから始めてこそ,調理人としての感覚. 人間が生きていくうえで,算数・数学がどんな意. も研ぎ澄まされていく.すぐれた調理人になるに. 味をもっているのかを学びたいのである.その間. は,自ら市場に足を運び,魚や野菜など自分の目. いになんらかの形で応えていくような教材や授業. で確かめ仕入れるという体験は欠かせない筈だ.. が求められているのである.. もちろん一回の授業で,そのすべてを体験する. 授業づくりも,料理づくりと似たようなところ がある.やはり生の素材から授業を創ることで,. ことなど不可能である.小学校や中学校の授業を. 教師としての力量も育っていく.最近ではさまざ. 通して,このようなことを学び体験できるように. まな本や教材が出版されていて,どの教科のどの. していくことである.. 単元かがわかれば,教材をそれほど苦労せず見つ. 体積の授業で子どもたちが感動したのは,体積. けることは可能になってきている.それでもなお,. は基本的に1cnf,あるいは1Ⅰポ,…といった立方. 実際の自然や社会の生の素材から教材化する作業. 体の容れ物に隙間なく詰め込まなければならない. は欠かせない.教師の力量形成にも,教材になり. のに,水に置き換えさえすればグニヤグニヤした. うるすぐれた素材を選び抜く力や,それを教材化. 鉄や石のようなものでも,いとも簡単に体積を求. する力が求められる.. めることができるということである.困難の解決 の仕方が見事なのに驚いたのだった.しかもその 発想を自分たちで見つけていったことも,子ども たちにとっては,強く印象に残ったようだ.. 6,心がふるえる教材との出合い 二つ目の教材の発掘・選択のルートは,すでに. この授業を行うまでは私自身,体積の授業で鎖. 触れたように,一つ目の教材の発掘・選択とは逆. が典型的な教具になりうるなどと,一度も考えた. のルートである.授業のねらいや目的から教材を. ことはなかった.教材に対する教師のあらたな問. 探すのではなく,子どもたちと授業してみたい教. いや気づきが,授業を創造していく上でとりわけ. 材と出合い,授業を行うためのねらいや目的を,. 重要であることを実感させられた.. 教材に合うような形で設定する場合である.. 今述べてきた一つ目の教材発掘・選択のルート. 教師も日常生活のなかで,さまざまな物事や事. は,場合によってはマニュアルに頼りがちになる.. 物に触れる.そのなかには,驚いたり,不思議だ. なぜなら,教育現場では,勤務時間内に教材研究. と思うことも少なくない.そんなとき,教師はそ. する時間など,ほとんど保障されていないからで. の素材を教材化して授業してみたいという気持ち. 49.
(7) 今 泉. 博. になる.発見による感動や新しい世界との出合い. 何度も取り組んでいると,授業化すまで時間は,. は,すぐれた教材になる可能性を含んでいること. だんだん短縮されていく.教材化のコツをつかめ. が多い.そんな教材が手に入れば,授業の構想が. るようになるからでもある.. ふくらんでいく.その意味でも,教材発掘におけ. 教材の発掘と言っても,人によって異なる.自. る二つ目のルートは,授業づくりの力量を向上さ. 分が興味関心を持っている分野が当然多くなる.. せていくには,欠かせないものである.このルー. 自然科学が専門だったり,自然科学に興味をもっ. トでの教材を蓄積していくことは,子どもたちと. ていれば,新聞でも雑誌でも自然科学分野の記事. 共に豊かな学びを創っていくための貴重な財産と. や文章に注意が注がれることになる.その結果,. なる.. 自然科学分野の素材や資料が多く手に入ることに. ただ,このルートで得られた教材は,一つ目の. ルートによって発掘・選択された教材とちがっ て,授業をするまでに時間がかかることが多い.. 例えば5年生を担任しているときに,三内丸山. なる.. 私もある時期には,日常的に理科などの授業で 使えそうな自然科学関係の記事を切っては保存し ていた.ところが,大量に収拾したそれらの資料. の遺跡についての新聞記事や資料が手に入ったと. のほとんどは,教材として使われることはなっか. しても,縄文時代の学習の教材としては,すぐに. た.それは一つの事実や資料が,どんなにか授業. は授業化できない.六年生になるまで,その授業. を創るのに役立つものなのかという体験がなっか. を待つことになる.. たからである.もっと率直に言うと,新聞記事を. したがって,教師はこの教材は何年生の,なん. どう使うかがわからなかったのである.ただ印刷. の教科でいつごろ学習可能か,位置づけておく必. して子どもたちに渡したとしてもあまり意味がな. 要がある.紙に書き留めておくか,頭に描いてお. い.その記事を子どもたちとどのように出合わせ. くかは別にしても,教材マップというようなもの. たら,授業が深まるかが見えなかったのである.. を作成していくことになる.確かに授業で扱うま. 本格的に新聞記事や雑誌などの記事を資料とし. でに時間はかかるものの,その間に教師はさらに. て授業で使えるようになったのは,「教え」から「学. 実際に遺跡を見学したり,資料を集めたりする機. び」への学習の転換ができるようになった噴から. 会を持つことができる.. である.. このルートで発掘された素材・教材のほとんど は,その教師自らの手で授業化していかなくては ならない.教師はクラスの子どもたちをイメージ しながら,授業の構想を練っていく.これは教師. 7,ひとつの新聞記事が生きた教材に あるとき下田沖の記事が新聞に載っていた.記. にとって楽しみな時間でもある.まさに教材研究. 事の内容はこうだった.浅瀬に海草が移動してい. と呼べるに催するものとなる.このような積み重. るというものである.大変興味深く読んだ.この. ねを続けることで,教材に対する見方が深まる.. 記事をただ印刷して渡すのであれば,単なる紹介. 徐々に自分なりの教材観が確立していくことにな. に終わり,深い学習など期待できない.そこで子. る.. どもたち(六年)になぜ海草が浅瀬に移動してい. 誰かが一度授業した教材で,しかも授業記録な. るのか,その理由を解明させることにしたのだ.. どが残っているような場合は,少しの工夫で授業. 黒板に陸から徐々に深くなっていくことがわかる. 可能かも知れない.そうではなく,授業のねらい. ような海の断面図を書く.さらに一本の線を加え,. や目的,指導計画,毎時間の授業の流れをすべて. 水面だとわかるようにした.そして深い所にある. 自分で考えることは,授業化するまでにかなりの. 海草はなぜ浅瀬に移動するのか,議論したので. 時間が必要になる.でもこのルートでの授業化を. あった.. 50.
(8) 教材及び教材研究について. もちろんこの学習をする前に,すでに子どもた. の新聞記事が,教室での学びをこんなにも豊かに. ちは植物の光合成について学習していた.植物た. していくものであることを実感させられた.それ. ちは生きるために光をめぐって激烈な聞いをくり. 以来,いま起こっている現実を知るのに欠かせな. 広げていることも理解していた.日光とり競争に. い新聞記事を,度々授業のなかで利用するように. 敗北した植物は枯れてしまう.薮の中を覗くと,. なった.新聞記事のなかでも,子どもたちが推理・. 死に絶えた植物たちの姿をとらえることも,実際. 想像しながら読み取っていけるような記事と,一. に確認していた.植物は,陸上だけでなく海の中. 見よさそうな記事であっても授業で扱うには無理. にも存在する.海草も陸上の植物と同じように光. なものがある.それを区別できるようになること. 合成を行い,仲間を増やし生命を維持しているこ. で,教材集めも効果的に行えるようになってくる.. とも子どもたちはすでに学んでいた.. まず最初に海の植物である海草は,どの深さま で生育できるかを話し合った.子どもたちは,海. 草も陸上の植物と同じように光がなくては,光合. 8,なんのために学ぶのか 次の詩は,小学校2年生が書いたものである.. 成ができない.だから光が届く深さまででないと,. 海草は生育できない.だから光が届かないような. ぼく. 深い海では海草は生きられないことは,容易に把 握していった.. ここまで理解した子どもたちが,なぜ海草が浅. 田倉信夫(仮名). ぼくは 生きている.. 瀬に移動しているかをつかむことは,そう大変な. 生きていなかったら. ことではなかった.以前は深いところまで光が届. しんでいる.. いていたが,生活排水や工場排水によって,水が. 生きるいみが. 汚れそこまで日光が届かなくなってしまった.植. わからない.. 物たちは生きるために,光を求め移動することに. なぜ. なることを見ぬいていった.. 生きる.. 次に,実際に比較的深い海に生息していた植物 が浅瀬に移動したとき,新たな問題が起こらない. 小学校2年生が書いたなどとは思えないもの. かを話し合った.子どもたちは,陸上の植物の姿. だ.ずうっと以前なら,青年期の段階で書くよう. から推理し,浅瀬で暮らしていた海草と移動して. な種類の詩である.小学校低学年でさえ,このよ. きた海草との間で日光とり競争が激化すること,. うな問いを発せずにはいられないような状況があ. 日光とり競争で負けた海草は死滅していくことを. るからである.. とらえていった. 海草が浅瀬に移動しているという記事のタイト. これは決して一部の特定の子たちではない.現 代の子どもたちのかなりの部分は,なんのために. ルだけを板書し話し合うことで,子どもたちは新. めに生きるのか,なんのために学ぶのかというと. 聞記事の内容を,読まずに読み取ってしまったの. いう問いを抱いている.. だった.最後にその新聞記事を印刷しておいたも. 普通サッカーの大好きな子が,俺ははなんのた. のを渡し,読んであげた.子どもたちは,自分た. めにサッカーをするのかという問いをもつことは. ちの力で,なぜ海草は浅瀬に移動しているかを解. ほとんどないと思われる.映画の好きな人が,私. 明し満足した表情をしていた.私にとっても印象. はなんのために映画を観るのだろうか,と疑問を. に残る授業となった.. 感じることはほとんどないだろう.. 海の中で現実に起こっていることを伝えた一つ. なんのために生きるのか,なんのために学ぶの. 51.
(9) 今 泉. 博. かという問いを抱いているということは,今の生. 置いてあるということです.ところがもうひとつ. 活に,学校で行われている授業に満足していない. 木の箱が置いてあったんです.その中には何が. ことを端的に示している.. 入っているんだろう?」. この間いに応えていくような学校教育が求めら. どの子も,その箱というのは,いったいなんだ. れている.もちろんそうだからといって,生きる. ろう?と,わくわくした表情で考えている.知的. ということはどういうことか,学ぶとはどういう. な興味が集中を生みだす.. ことかを,言葉で定式化することではない.小学. 「肥料」. 校や中学校の授業や学校生括全体を通して,なん. 「ハチ」. らかの形で応えていくような,日々の授業や生活. 「そうあなたが言ったようにその箱にはミツパ. が望まれているということである.. そのような視点で新聞や雑誌,本などを見てい ると,授業で使える資料が結構手に入る.やはり. 教材を発掘するには,問題意識や視点が必要にな る.. テが入っていたのです.どうしてビニールハウス にミツパテが必要なんだろう?」. 「ビニールハウスのなかでは風がないから,花 粉が,飛ばない」 「ハチが蜜を探しているうちに,からだにおし. あるとき雑誌『アエラ』(朝日新聞社 2000年 4月24日号)が届いたので,それをばらばらめくっ. べの花粉がつき,それがめしべにつくようにする ため」. ていたら,興味を引かれる記事が載っていた.読. 「そうです.それで実ができるのです.ただイ. んでいくうちに,初めて知ることも多い.今朝自. チゴには蜜はないそうです.ハチは餌にする花粉. 分が食べた野菜のなかにも,こんな風に育てられ. を求めて動き回っているうちにめしべに花粉がつ. た野菜があったにちがいないと感じた.現代農業. くということです」. の一端が,実によく見えてくる内容だった.学校. で学んでいることが,どう生産現場で使われてい. 子どもたちは一瞬にして,教材の質を嗅ぎとっ. るかを知るにも,すぐれた教材になりうるもの. てしまう.現実の農業の姿が見えることは,子ど. だった.そこで植物学習(4年)の最後に,この. もたちにとってもうれしいことなのだ.イチゴだ. 記事の内容を使って授業をした.. けでなく,ダイコン,ニンジン,キャベツ,タマ ネギ,メロン,ウメ,リンゴ,ナシ,モモ,カキ,. 9,現実の農業生産と学びがつながる. …がミツパテによって栽培されていることに子ど もたちは驚く.. 「この『アエラ』という雑誌の記者が,実際の. なんのために学ぶのかという問いを抱く子ども. 農業について記事を書こうとして,ある農家を訪. たちが増えてきているだけに,生産や労働と,今. れた.記者がイチゴを育てているビニールハウス. 自分たちが学校で学んでい. の中に入っていって,驚いたことがある.ストー. かるような教材・学習は,ますます重要になって. ブを置いてあったのだ.なぜだろう?」. きている.. ることのつながりが分. 「温かくして早くイチゴができるようにするため」. 「たしかにそういうこともあるけど,それだけ ではないんです」 「先生,二酸化炭素を出すため?」. 「まえ学習したことをよく思いだだしたね.植. 10,教材研究の時間が保障されてこそ 2のルートでの教材を発掘・選択する授業が増 えるにしたがって,教師の力量は着実に高まって. 物が栄養をつくり生長するためには,光や水のほ. いく.それは,その教師のこれまでの実践や研究,. かに二酸化炭素が必要だったでしょ.そのために. 感性や発想などを動員して行われる創造的な活動. 52.
(10) 教材及び教材研究について. だからである. しかし教育現場では,管理統制が強化され,創. 差づけたりしても,現在の教育の困難を克服する ことはむずかしい.教育という仕事は,教師が意. 造的な研究や実践が困難になってきている.東京. 欲を喪失していくようなやり方では,失敗するこ. などでは,校長が教室を回ってきては,週案と違. とは目に見えている.. うようなことをやっていると,問題にするような. フィンランドが,これからの時代に求められる. ことさえある.こんな状況では,創造的な実践や. 学力の面で成果をあげている背景には,教師たち. 研究は生まれにくい.. が教材研究においても,力を注ぐことができる条. 「低学力」問題と関わって,OECDのPISA(生 徒の学習到達度調査)の結果が注目されている.. 件が,勤務時間内にも保障されているということ があるからだと思われる.. これからの時代に必要とされる学力を想定しての 調査だけに,フィンランドが上位を占めたことが, 世界的に反響を呼んでいる.日本は読解力など,. 順位を下げたこと,とりわけできる子とできない 子の格差が広がっていることが指摘されている.. 教材論のところで,どうしてわざわざフィンラ ンドのことを取りあげたかと言えば,日本の教師 たちが置かれている状況と大きくことなっている. 11,子どもの問いは重要な教材 三つ目の教材の発掘・選択のルートは,子ども たちの発する問いである.それらの問いは,直接. 授業には関係ないものと,授業との関わりのなか で生まれてきたものに大別することができる.. 授業と結びつきのないような問いは,その子が. からである.教科書検定制皮はすでに廃止されて. さらに問いを深めることができるように教師がア. いる.しかも教科書を使おうが使うまいが,子ど. ドバイスしたり,本などを紹介したりすることが. もの教育の専門家としての教師が,子どもたちに. 多いのではないかと思われる.教師によっては,. とって,もっともよいと思われるものを教材にし. 問い抱いたことを評価し,学級の子どもたちに紹. て取り組めるようになっているということであ. 介することもあるかも知れない.もちろん,いま. る.ひとことで言えば,教師の研究の自由と創造. 子どもたちが学習していることと直接つながりが. 的実践が保障されているということだ.しかもそ. ない問いであっても,みんなで話し合う価値のあ. れが時間的にも確保できるようになっている.授. る問いであれば,教師の判断で取りあげる場合も. 業が終わった放課後は,明日の授業のための教材. あり得る.いずれにしても授業で取りあげられた. 研究や大学へ行って学んだりすることができるの. 問いは教材となる.. である.. 日本の教育現場には,そんなゆとりも保障もほ とんどない.勤務時間を終えてから,遅くまで残っ. 授業中の問いや,授業に密接に結びついている ような問いは,教材として取りあげられる可能性 は大きくなる.. て授業の準備をしている姿はめずらしいことでは. 問いが授業で取りあげられることで,子どもは. ないのである.授業においてもっとも重要な教材. 授業を創っている重要なメンバーの一員であるこ. 研究,教育という仕事の中心的な授業づくりが勤. を実感する.このような体験を積み重ねることで,. 務時間の中でできないということは,他の職種で. 子どもたちは一層意欲的に授業へ参加するように. はありうることなのだろうか?研究の自由や創造. なる.問いがみんなの知恵を集めて解き明かされ. 的実践を行う条件が与えられていない現代の教師. たときは,感動が生まれる.. たちが,授業力がない指導力がないなどと,どう して言えるだろうか.. これらの自由や条件を保障することがなくて は,いくら免許更新制などを導入したり給与で格. 12,大仏の身長を解き明かす 筆者にもこんな体験がある.六年の歴史で奈良. 53.
(11) 今 泉. 博. の大仏について授業したときのことだった.私が. 「たして,人数でわればいい」. 「奈良の大仏の身長は14.86メートルです」と語っ. 「みんなは四月に体重や身長や座高などを測っ. たときのことである.子どもたちから「先生,そ. たでしょ.そのときの結果を保健の先生に教えて. れ身長じゃなくて,座高でしょ」という声があがっ. いただきました.これから黒板に書く数字をもと. た.それと同時に,「奈良の大仏がもし立ったと. に,まず身長と座高,それぞれの平均を出してく. したら,どれくらいの身長になるか知りたい」と. ださい.ところで,大仏は女性の感じ?男性の感. いう問いが子どもから出された.そこで,「もう. じ?」. 少しすれば,その間いを解き明かすことができる. すると,ほとんどの子たちから「男性」という. と思うので,そのときに奈良の大仏の身長を求め. 声が返ってきたので,クラスの男子の測定結果を. る」ことを子どもたちと約束した.「もう少しす. もとにして計算していくことにした.. れば」というのは,算数で「比」を学習する段階 のことである. 約束した通り,比の授業の最後に,子どもたち. から出されていた問いを教材にして授業を行っ. 計算の苦手な子も,大仏の身長が知りたくて, 熱心に計算している.. 計算の結果,座高の平均は約77cm,身長の平均 は約144cmだった.. た.子どもたちは,自分たちが抱いた問いだけに. 奈良の大仏が立ったときには,身長がどのくらい. 「いま知りたいのは大仏のなんですか?」. か早く知りたくて興味津々なのだ.表情にも一段. 「もし立ったとしたらどれくらいの高さか」. と意欲が感じられる.奈良の大仏の座高を,約15. 「身長」. メートルとして計算することを確認して授業を始. 「どうすれば,身長を求めることができますか?」. めた.授業は,子どもたちと対話しながら,以下. 「比で求める」. のように進んでいった.. 「大仏の座高:大仏の身長=ぼくたちの座高: ぼくたちの身長」. 「ところで大仏の身長を出すには,何を手がか りにして考えたらいいのだろう?」. 「そうだね,大仏の身長をⅩとすると,どうな りますか?」. 「大仏の足の長さ」. 「15cm:Ⅹ=77cm:144cm」. 「でも,大仏の足の長さはすぐにはわからないよ」. 「メートルをセンチに直す」. 「普通の人間をもとにする」. 「15mをセンチに直すと何cmですか?_・. 「そうだね,普通の人間をもとにすればわかり. 「1500cm」. そうだね.普通の人間の何を手がかりにすればい いの?」. 計算の結果,大仏の身長は2736cm(27.36m) にもなった.. 「普通の人間の身長と座高と足の長さ」 「身長と座高の関係」 「普通の人間をもとにするということだけど,. 具体的には誰の身長と座高の関係をもとにする. 13,深い学びで人間観・学習観が変わる 授業の後,子どもたちは次のような感想を書い ている.. の?」. 「友だち」 「みんな」 「みんなの身長や座高の平均を出す」 「そう,みんなの平均を糾せばいいんだね,‥…・ 平均を出すにはどうするの?_・. 54. 「大仏の身長がこんなにも大きいなんて,予想. もつかなかったです.大きい大仏ということはわ かっていたけれど,実際,身長を計算で糾してみ たら,本当に大きいということが,とてもよくわ.
(12) 教材及び教材研究について. かったです.大仏計算をしてみて,算数の勉強の. 子どもたちが意欲的に学習に向かうとき,ただ. 復習になって,とてもよかったです.大仏が清瀬. 単に計算ができるようになるだけでなく,教師が. 五小を三つ,つみあげたぐらいなんて,すごい高. 想像する以上のことを学びとっていく.深い学び. さだと思いました.大仏さんの,その肩にのって. は,人間観や学問観をも豊かにしてくれる.. みたら,清瀬市一面見わたせられるようで,のっ. てみたい気分になってしまいます.そんな大きな 大仏さんを奈良時代の人は作っていたと思うと,. 大仏を作るときは,とても大変だったということ が,とてもよくわかります.・・・. (中略)・・・. 14,おわりに 子どもから出された問いを教材にすることで, こんなにも豊かな学習が可能となるのである.. 生活の中で大仏計算で使った計算が使えると聞き. 問いを生みだす学習,問いを共同で解き明かし. ました.そのことにも驚きました.これからの生. ていくような学習が求められる.総合的な学習で. 活で使えるといいです」. は,子どもの問いは不可欠である.問いによって,. 「先生が奈良の大仏をもとにして勉強したので チヨット驚きました.今日の勉強は,算数と社会. 学習が発展していく.. 授業のなかで問いが生まれ,それが教材となっ. を合わせたような勉強だったからです.この奈良. たとき,子どもたちが主体的に参加する学習が可. の大仏が,この学校の3倍ほどの高さもあったこ. 能になる.. とには,少しビックリした.プールと同じくらい の長さだということです.私は,プールのことな. んて思いつかなかったけど,英樹くんがこのこと. 今回は,教材の発掘・選択の過程の違いから, 三つのルートに分類して考えてみた. 教師であれば,その深さは別として,誰もが日々. を言ったので,英樹くんはすごいな−と思います.. 行っているのが,ねらいや目的に沿って教材を発. 計算とかの速さもだいじだけれど,こういう誰も. 掘・選択するというルートである.. 思いつかないものを言うことの方が価値あると思. しかしすでに触れたように,教師として子ども と豊かな授業を創っていくには,自ら教材を発掘. います」 「算数の力で大仏の身長を出せるというのは, すごいことだと思う.算数という学問は,こうい うことをするために生まれてきたのだと知った.. し授業化していくという,二つ臼のルートでの体 験を増やしていくことである.. また,問いを教材化していくという三つ目の教. ただ頭をよくすることや計算ができるようにする. 材発掘・教材選択のルートは,総合的な学習の時. ということだけのためではなく,奈良の大仏の身. 間などでは意識されているものの,他の教科の学. 長をはかったりするのに使う学問だと思う.地球. 習では,あまり重視されていないように思われる.. から月までの距離や太陽までの距離を出したり,. 子どもたちが目を輝かせて学ぶような実践を創. 建物の構造をつくったりするのは,すべて算数の. 造していくためには,問いを教材にした授業を意. 力で出されているんだと思う.奈良の大仏の身長. 図的に取り組むことが求められる.. は,比を使って出したから,比はすごい役に立つ. 教材の発掘・選択,教材の分析・解釈,教材を. ものだなあと思った.大仏はただ言葉ではあまり. もとにした授業の構想力などは,授業力の重安な. 大きいとは思わないし,数字で□mと言っても,. 構成部分である.. よくわからないけど,物にたとえると,とても大. きな物だなあと思った.・・・. (中略)・・・座. これらの力は,2や3の教材発掘・選択のルー トで,一層磨かれていくように感じられる.教師. 高から身長がわかるのだから,学問はすごいと思. が自分の教材発掘・選択のルートをふり返ってみ. う.一つか二つのものがわかると.全体や全部が. ることは,授業力を高めていくためにも,一定の. はっきりわかるのだと知った」. 意義があると考えている.. 55.
(13) 今 泉. 参考・引用文献. AERA 2000・4・24 NO.18 朝日新聞社 今泉 博1998 崩壊クラスの再建 学陽書房 今泉 博 2005 指名しなくてもどの子も発言したくな る授業 学陽書房. (釧路校助教授). 56. 博.
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