平成
28年
度
学位論文
理論 と実践の融合 をめざした教員養成カ リキュラムに関す る 日中比較研究
―教育実習の位置づけを中心に一
兵庫教育大学大学院
学校教育研 究科
人 間発達教育専攻
教育 コミュニケー シ ョンコース
M15010B
杜
楊
目次
序章研究の 目的 第一節 問題 の所在 .… ……… …・・……・・・・
""…
…・・¨“¨・・……・・"… …………・・・・1 第二節 先行研 究の検討...."・―・・¨・・“………・・¨"・・¨¨¨“……… …¨¨・・・・… 1 第二節 論文構成 。¨""."""・
“・・"""・
・・・………・・・・“………・・… ………・…・3 第一章日中における教員養成 の現状...“.・“………・・………・・………・・5 第一節 教員養成カ リキュラムにおける教育実習の位置づけ。...… …..“¨¨¨¨・…・5 第二節 理論 と実践の乖離.… …………・・"・・・・………・・……… …・7 第二節 理論 と実践 の融合 とい う課題...¨………。・10 第二章
シ ョー ンの省察的実践の理論 にお ける理論 と実践の融合..“…………・・…・・
-16
第一節 技術的合理性 の概念 と限界 ."¨..・・"・・¨………¨―"… …………・・…・16 第二節 行為の中の省察 に基づ く理論 と実践の融合...…………・・・・¨"… …¨・・… 18 第二章日中の教員養成 カ リキュラムの比較検討 .… ………・・¨¨・・―…………・・………
25
第一節 教員養成 カ リキュラムの概観 .… ………・・¨“""・・¨¨"・・““・・………・。25
第二節 教育実習の位置づけの考察....“・・・“¨"・"¨ 。中"●……●・…… ………・・¨"・・42
終章理論 と実践 を融合 させ た教員養成 カ リキュラム と教育実習の可能性 .…
.."48
参考文献 謝 辞序 章 研 究 の 目的 第一節 問題の所在 本研究の 目的は、シ ョーン(Schёn,D.A.,1931‐ 1997)の 省察的実践の理論に依拠 しつつ、 理論 と実践の融合 をめざした教員養成カ リキュラムの可能性 を探究することである。その ために本研究は、日中両国の教員養成大学におけるカ リキュラムの現状 と課題を、教育実習 の意義 と役割 を中心に比較検討す る。その主要な論点は、教員志望学生の実践的指導力を養 成す るために、教育実習を教員養成カ リキュラム全体の中にどのように位置づけ、理論 と実 践をどのように融合 させ るべきかを問 うことである。 理論 と実践を融合 させた教員養成カ リキュラムにより、豊かな実践力 を身につけた教員 を養成することは 日中両国において共通の課題 となつている。しか しなが ら現状では、教員 養成大学を卒業 した教員の実践的指導力は十分 とは言えず、実践的指導力や コミュニケー シ ョンカなどの基礎的な力を十分に身に付 けていない と指摘 されている1。 近年の学校現場 の期待にも十分に応えられていない と言われている。実際に 日本では、教育実習の現場から 見て、実習生は教職科 日と教科科 目の知識 をある程度に身につけているにもかかわ らず、知 識の学校現場への活用が十分ではない と言われ る2。 その一方で中国でも、教員養成カ リキ ュラムにおける理論 と実践の融合が重視 され始めているが、大学の授業 と教育実習の内容 が切 り離 されているため、実習生がいざ教育現場に身を置 くとなると、大学で伝達 された知 識や技術が学校現場に直面 している状況に対応 しきれていない と言われ る。そのため、教育 実習の意義 と役割が様々に議論 されている。例えば、教育実習の期間の延長や内容の充実、 学校ボランティアな どの体験活動の充実、多様な教育実習の確保、教科指導。生徒指導など の科 日と教育実習 との内容の連続性、大学 と実習校 との連携な どが提唱 されている。 このよ うな実践的指導力の形成の経緯については、シ ョーンの提唱 した「省察的実践」の 理論によつて明 らかにされている。すなわち、実践の中か ら様々な知を生成 し、この知を活 か し、課題の解決に向けて工夫す ることが教員に求められ るとい うのである。教員志望学生 を学校現場へ と導 く教育実習は理論 と知識の活用による実践的指導力の向上 とい う役割 を 担つている。それゆえ本研究では、教員養成カ リキュラム全体における教育実習の位置づけ を考察す るにあた り、ショーンの省察的実践の理論 を手がか りとす る。 第二節 先行研究の検討
1 土屋基規「教師教育をめぐる現状と課題」、日本教師教育学会編『教師教育学会年報』
第18号
、2009年
、 8‐16頁。2
寺 島 清 一 「教 育 実 習 指 導 の 現 状 と課 題 」、 日本 教 師 教 育 学 会 編『 教 師 教 育 学 会 年 報 』 第18号
、2009年
、 61‐67頁
。教育実習 の役割 については、別惣他
(2010)が
教職志望学生 と初任教員 を対象 とす るア ンケー ト調査 を実施 し、養成段階 における教育実習 の有効性 を肯定的に認識 してい る者 の 割合 が高い ことを明 らかに した1。 その一方で、科 目の連携や科 目の配置、大学の現行 のカ リキ ュラム構成 に満足 していない とい う実態 も明 らかになつた。教育実習への期待 は高い ものの、教育実習 と他 の科 日との連携 には検討 の余地が残 され てい るのである。教育実習の 重要性 が学生側 に認識 され る一方 で、教 員養成 カ リキ ュラムの問題 点 も明 らか にな ってい る。 それ ゆえ、教育実習経験 は、本来重要なもの として位置づ ける必要がある。 秋 田他(1991)は
熟練教師 と初任教師 を対象 と し、授 業 に関す る実践的知識 の成長 に関 して比較検討 した2。 その結果 、熟練教師 は教育実践の場で、生徒 との交流 を通 じて、初任 教師 よ り多 くの手がか りを とらえ、授 業 の流れ を考慮 しなが ら、その場 の状況 に応 じた対応 しているこ とが明 らかになった。それ に対 して、初任者 は授業の事実を表層的 に捉 えるのみ で、子供の理解状態 を推論 し、発言 を授業の場の関連性 の中で とらえることがほ とん どでき なか った と考 え られ る。さらに、秋 田他 (1991)はこの結果 に関 しては、次のよ うに述べて い る。初任者 は教育活動、生徒、教材 に関す る知識 な どの実践知 はまだ十分 に形成 されてい ない。ここで、初任教師の授業 に関す る実践的知識の特徴 はほぼ教育実習生の もの と同 じだ と考 え られ る。僅 かな教育実習経験 で生 じた実践知 は授業 の場 の関連性 の中でほ とん ど機 能 していない。秋 田の比較研 究か ら教育 実習生 の実践知 の質 は熟練教師 の実践知 と異 な る こ とが明 らかである。 また、別惣他 (2010)は「大学の授業科 目を担 当す る教員 は、その科 目が小学校教員 とし て必要な資質能力の形成 とどの よ うに関わつてお り、 どの よ うな影響 を及 ぼす のかを意識 しなが ら授業改善に努 める必要がある」 と指摘 した3。 今 の大学 の教員 は 自分 の専門分野の 知識 だけを学生に伝達す るとい う傾 向がある。しか し、学生が実践力 を身に付 けるためには、 講義 のなかで も実践力 を育成 で きる よ うな環境 をつ くるこ とが重要で ある。 幅広 い知識 を 一方的に伝達 して学生に教養 を身 に付 け させ る とい うや り方 が従来の教員養成 の一般的な 方法であつた。しか し、これ か らは理論知 を活用 できるよ うな実践知 を習得す ることも将来 の教職生活のために必要である。それ ゆえ、大学教員 の担 当す る科 日と学校現場 の実践 とを どの よ うに結びつ けるかが課題 で ある。特 に、教育実習 カ リキュラムの改革動 向に関 して、 米沢(2008)は
次の ことを指摘 した。(1)観
察参加教育実習実施 の増加 (2)四年次 の選択 教育実習 の新設(3)主
免教育実習 の早期化(4)多
様 な体験 的授業科 日の新設(5)教
育実 習期 間の長期化4。 同様 に、 日本 だけではな く、近年 中国 に もこ うい うよ うな教 育実習改革1
別惣淳二・岩田康之編 「小学校教員養成のカ リキュラム評価 に関する考察一学部生 と教 員初任者の意識調査を中心に一」、『 東京学芸大学紀要』第61谷
、2010年
、203頁
。2秋
田喜代美 「教師の授業に関す る実践的知識の成長―熟練教師 と初任教師の比較検討 ―」、『発達心理学研究』第2巷
、1991年
。3
別惣淳二・岩田康之編 「小学校教員養成のカ リキュラム評価 に関する考察一学部生 と教 員初任者の意識調査を中心に一」、『東京学芸大学紀要』第61谷
、2010年
、204頁
。4
米沢崇 「我が国における教育実習研究の課題 と展望」、『 広島大学大学院教育学研究紀の動向を見出す ことができる。 上記 の内容か ら見て、教育実習の役割 の大き さは認識 され る一方で、教育実習 と大学での 授業科 目の連携 の方面 にはまだ課題 が残 され てい る こ とが分 か つた。 教育実習 の役割 を充 分 に果たす ために、「省察的実践家」の教員像 が新 しい教員養成 カ リキュラムの方 向性 を示 しつつ あ る。もつ とも、大学だけで省察力 を高めることは難 しい。実習生が 自己の実践 を振 り返 りなが ら、自己の課題 を発見 し、更な る上 を 目指 して課題 に向かつて学ぶ とい う学び方 を提供す る場の設定が大切 になつて くる。この理念 に基づいて、湯 日は「正統的周辺参加論」 「認知的徒弟制度」 を援用 しなが ら、主にシ ョー ンの 「行為の中の知」「行為の中の省察」 「状況 との対話」を中心 とす る参加型教育実習カ リキュラムの可能性 について討論 した1。 一方、中国において も、シ ョー ンの思想 を参考 しつつ、「省察型教師」の教師像が 日本 と同 じよ うに注 目されてきた。例 えば、劉は現職教員 がいままでの教育経験 を踏 まえて省察 を行 う方法 に対 して、実習生が 自身 の学習経験や教育理論 を土台 と して 自分 の実習 を省 察す る こ とを指摘 した2。 現職 教員 と異な つて、実習生 の省 察の土台 を固めるた めには、それぞれ の実習生た ちが身 に付 けた学習経験 と教育理論 の構成 内容 を重視 しなけれ ばな らない。 さ らに、劉 は実習生の省 察の内容 について、以下の三点 を論 じた。第一 に、実習生 自身の役割 の省察。第二に、 自分の知識 と授業内容 の省察。第二に、教育方法や技術の省察3。 以上の よ うに、教員養成 カ リキ ュラムにお ける教育実習 の重 要性 を指摘 した先行研 究 の 知見か ら、省察実践力 の育成 を 目標 とした教員養成 カ リキュラムの探究が重視 され ること が分 かつた。 しか しなが ら、中国の教員養成 カ リキュラムに関す る研 究は 「省察型教師」の 養成 を提唱 してい るに もかかわ らず 、実際 には この理念 を教員養成 カ リキュラムに ど う反 映 させ るかが具体的 に検討 され ていないのである。 それ ゆえ、本研究は次の点で特色 を持つ もの となる。 一 、今 までの中国における教員養成 カ リキュラムの研究は、シ ョー ンの理論 を手がか りに して、理論 と実践の融合 を 目指す教員養成 カ リキュラムの可能性 を探究す るものではない。 本研 究はシ ョー ンの視 点 に立 ち、理論 と実践 の融合 した教育実習 の在 り方 を明 らかにす る ものである。 二、具体的な事例大学 (海南師範 大学 、兵庫教育大学
)に
お け る教員養成カ リキュラムの 実態 と問題 点 を明 らか にす る。 それ は 日中両国の教員養成 大学 の実態 を観 察す るこ とがで きる。 第二節 論文構成 要』第57号
、2008年
、52-53頁
。1
湯口雅史 「反省的実践を内容にもつ教育実習の提案―参加型教育実習カリキュラムの可 能性―」、『 鳴門教育大学研究紀要』第30巷
、2015年
、375頁
。2
劉正偉 「培赤反思型教用 :炊教育実コ牙始」、『高等師範教育研究』第15巷、第3号
、2003年
、49-50頁
。3
同 上。以 下は本研 究の構成 を述べ てい く。 第一章 において教員養成 の現状 を概観 す る。まず 、教育実習 にお ける理論 と実践 の乖離の 現状 を検討す ることで、教育実習 の実態 を明 らかにす る。続 けて、理論 と実践 の融合 の必要 性 を歴 史的、社会的な文脈 か ら論 じてい く。 第 二章では、 シ ョー ンの 「省察的実践」の理論 を考察す る。 まず 、「省 察的実践」が提唱 され た経緯 については、「技術的合理性」の概念 と限界 を検討す る。特 に、第
1節
では、「技 術 的合理性」が登場 した社会背景 も考察す る。 さらに、「技術 的合理性 」の限界へ の検討す るこ とで、「省察的実践」の必要性 を指摘す る。第2節
では、シ ョー ンの 「省察的実践」の 三つ の核 心な概念 を考察す る。それぞれ の概念 を丁寧 に読み角早くことで、行為の中の省察に 基 づ く理論 と実践の融合 のあ り方 を明 らかにす る。 第二章 においては、シ ョー ンの 「省察的実践」の概念 を比較研 究の視点 に し、日中の教員 養成 カ リキュラムの実態 を明 らかにす る。まず、日中の事例 大学 の教員養成 カ リキュラムの 実態 を比較研 究 し、それぞれ の教員養成 カ リキュラムの課題 を取 り上が る。次 に、シ ョー ン の理論 を用い、二つの事例大学の教育実習の現状 を比較す る。最後 に、日中の教育実習の位 置づ けを明 らかにす る。 最後 に終章において、理論 と実践の融合 の理想像 を提示す る。また、理論 と実践 の融合 を 目指 した教員養成カ リキュラムの可能性 を示 したい。最後 に、本研究の課題 を述べ る。第 一 章 日中 にお け る教 員 養 成 の 現 状 本 章で は、日中にお ける教員養成 の現状 と問題 点 をま とめ る。第一節 は教員養成 カ リキュ ラムにお ける教 育実習の課題 を明 らかにす る。第二節 は教育実習 にお ける理論 と実践 の乖 離 の現状 を述べ る。第二節 において理論 と実践 の融合 の必要性 を考察す る。 第一節 教員養成 カ リキュラムにお け る教育実習 の位 置づ け 理論 と実践 の融合 を 目指 した教員養成 カ リキュラムを研 究す るために、理論知 と実践知 の概念 を明 らかに しなけれ ばな らない。現在 の中国社会では、理論 と実践の融合 を実現す る た めに、教員志望者 が幅広い理論知 を身 につ けるとともに、実践力 を育成 し向上 させ ること も期待 されてい る。さらに、陳 は教師 の質 の向上のため、実践知 と理論知の概念 を明 らかに した。理論知 とは、授業や研修 に参加 して身 につ けた知識や 、独学で文献 を読む ことによつ て身に付 けた知識 な どを指 している1。 教員養成 カ リキュラムか ら見れ ば、教育学、教育心 理学、教授法な どが理論知 のカテ ゴ リーに入 るのである。理論知 が顕在的な知であるのに対 して、実践知は教員が実際の教育活動 の中で使 ってい る潜在的な知だ と考 え られ る。それ は 個 々の教員が生徒 た ち と接 しつつ発 見す る知、す なわ ち状況 の 中に埋 め込 まれ た知識や技 術 である。それだ けではな くて、実践知 は教員 が とる行動 に よって 目に見えるよ うにな り、 またその成立は教員が理論知 を どの程度理解 してい るかに左右 され るのである。理論知 も 実践知 も教員 の能力 の向上 に欠 かせ ない もので ある。 この よ うに理論知の中に実践知が存 在す る うえに、実践知 も常に理論知 と緊密 に関わつてい るのである。理論知 と実践知の どち らか を優先 して発展 させ た り、重視 した りす るわけにはいかない。理論知 と実践知 は両方 と もバ ランス良 く考慮 され なけれ ばな らない。それ によつて、理論 と実践の融合 の重要性 が見 えて くる。ところが陳によれ ば、従来の中国の教育界では教育者 の実践知があま り重視 され てお らず、実際の教育活動 に有効 に活用 されていない現状がある とい う。おそ らく教師 自身 の実践知 はそれぞれ の経験や性格 な どか ら影響 を受 けるため、普遍 的で正確 な知識 とは思 われ ていないだろ う。しか しなが ら、教員が行 う教育活動 はそれぞれの状況や文脈 のなかで 成 立す る ものである。つま り、社会的状況や学習者 が常に変化す るか らこそ、それ に臨機応 変 に対応 できる実践知が教師 には求 め られ る。 いま、中国 と日本 にお ける教員養成大学の通常の教員養成 カ リキュラムの構成 は、まず大 学 で理論知 を学び、理論知 をある程度身 に付 けた後 、教育実習 に参加 し、持 っていた理論知 を頼 りに して、教育現場での課題 を解決 し、最後 に実践力 を身 につける、とい う内容 になっ てい る。この構成 内容か ら見れば、教師が知識 を獲得す る方法は二つあることが分かる。一 つ 日は大学の授業で理論知 を習得 し、試験 によつて、その理解状況を確認す ることである。
1
陳 向明 「実践性 知識 :教師 専 門発 展 的 知識 基礎 」、『 北京 大 学 教育評論 』 第1容
、第 1 号 、 2003イ 手、105頁
。二つ 日は、実習校で授業を見学 し、観察す ることである。しか しなが ら、両国の教員養成カ リキュラムの現状では、理論知 と実践知の習得は二つの独立 した段階で行われ ることにな つている。理論学習の段階では理論知だけに集 中す るため、実践知への関心が薄 くなる。そ の結果、大学で習得 した理論知は多 くの場合、教育現場に適用できないのである。特に、現 在 中国の社会においては教員養成に対す る要請が強 くなるとともに、教員養成段階では、理 論 と実践を融合できる教員養成カ リキュラムの在 り方への検討が盛んになっている。また、 従来の教員養成大学の教育実習は講義で学んだ理論 を実践 と融合 させ る場 とみなされてき た。しか し、先に述べたよ うに、大学では理論知 と実践知の習得が乖離 しているため、教育 実習が理論 と実践を融合 させ る役割 を充分に果た しているとは言 えない。充実 した教育実 習にするためには、大学で学ぶ理論知 と教育実習で習得す る実践知 とが一体化 され、融合で きるようなカ リキュラムを検討 しなけれ ばならない。 日本の教員養成カ リキュラムの課題 について、岩 田他は以下の三点を挙げている。第一に、カ リキュラムの構成についての全体 的な 目標に乏 しいことである。多種多様 の教育理念 に基づいて規定 された教員養成カ リキ ュラムはすべて理論 と実践の融合を目指 しているわけではない。第二に、各科 目の履修によ って最終的に「何を身に付 けさせ るか」とい う到達 目標が乏 しいことが挙げ られ る。これは 実践知を習得できるか どうかに関わつている。実践知 を身に付 けるために、大学側がこの到 達 目標 を意識 しなければな らない。第二に、児童生徒 と教育状況が変化す るに伴い、教員に 求められる資質能力の基準は どのように設定 されるのか1。 つま り、理論 と実践を融合でき る資質能力はどのよ うな社会状況のもとで求め られ るのか、あるいはなぜ理論 と実践を融 合 しなければな らないのかが十分に問われていない。 現在の 日本では、教員養成カ リキュラムに関す る様々な提案がなされている。湯 口は「参 加型教育実習」カ リキュラムの可能性について、反省的実践を内容に持つ教育実習を提案 し た。彼は教育実習の経験を省察的に捉 えるように関連付けることで、理論知 と実践知 との往 還が図れるように計画 されていると指摘 した。さらに、「学び続 ける教員」「反省的実践家」 な どの教員像の確立につれて、教員養成 とりわけ教育実習に質的充実が期待 されているこ とを明 らかにした。 この提案の中で、教育実践の省察力の育成 を中核に置き、「経験か らの 学び」を重視 しなが ら、教育実習の場において実習生の経験を振 り返 りなが ら、学び方 と自 己の実践知を知 る場 を設定す ることを目指すのが見えて くる。 これは教員養成カ リキュラ ムの現状や課題 を踏まえて、理論 と実践 を融合できる教育実習のあ り方 を提言するもので ある。 日本に対 して、中国においての教員養成カ リキュラムの現状 と課題 を概観 していく。教員 養成カ リキュラムの構成 と内容は教育活動の基礎 とな り、教員養成の 目標や求める人材観 などを反映 している。従来、幅広い教養 と教育活動に支障なく実践力を持っている教員を育 成するのは教師教育の 目標である。この 目標 を実現す るには、教員養成カ リキュラムの構成
1
岩田康之・別惣淳二編 「小学校教員養成のカ リキュラム評価に関する考察一学部生と教 員初任者の意識調査を中心に―」、『東京学芸大学紀要』第61巷
、2010年
、197頁 。と内容に関わつている。つま り、教員の質は教員養成カ リキュラムの質によって決められる とは言えよう。二十一世紀に入つて以来、素質教育の普及及び市場経済の発展 に伴 つて、教 師教育の領域にも大きな変化が見 られた。さらに、教員養成カ リキュラムの改革が教師教育 の柱 として注 目され るようになつた。特に、先進国 との教員養成カ リキュラムに関す る比較 研究が徐 々に重視 されている。この中には、実践力の向上に役に立つ教育実習を目指す比較 研究 も数多 く行われた。教育実習は教員養成カ リキュラムの重要な内容 として位置づけら れている。教育実習の目標は大学で学んだ専門知識 と技術 を実際の教育現場に応用 し、活用 し、理論 と実践を融合す ることである。日本の教員養成における教育実習は期間が長 く、実 習内容が豊富であ り、分散 と集 中二つの方法で行われている。王の比較研究によれば、日本 の教育実習では学級経営の技術、授業指導の技術を習得す る内容が含まれて、実習生 も実際 の授業活動の中に溶 け込み、実践力の育成 と向上に役に立つ実習内容が設置 されている1。 実践力の向上に関わつている教育実習に関す る研究だけではな く、理論知に関す る課程内 容への研究 も行われた。教師教育の課程内容は教員志望者 に幅広い教養 を身 に付 ける同時 に、将来の仕事現場にす ぐ役に立つ ような知識を身に付けさせ る役割 も期待 されている。中 国の教師教育において教育理論課程が系統性 と学術性 をあま りにも強調 されて、今の社会 現状や教育課題に結びつかなく、実用性のある授業が少ない とい う課題があると指摘 した2. 教育教授方法に関す る授業が少ないため、すでに設置 された授業は教育の実際状況に触れ ないままで、教育実習生も初任教師 も教育活動を順調 に行 える自信や能力を持っていない。 上記の 日中両国の研究か ら、教員養成カ リキュラムの現状では理論 と実践の乖離 をいか に克服す るかが問題である。具体的に言 えば、大学で教授す る理論知は学術的ではあるが、 実用性がなく、実際の教育現場の課題か らかけ離れている。その一方で、教育実習を含む教 育実践課程はあま り重視 されていない、実践活動の内容は丁寧 に工夫 されていない、形だけ の活動が行われ、大学での知識 と関連づけられていないことも明らかである。理論 と実践の 融合 とい う目標は実現 してお らず、教員の質の向上にも支障が出ている。 第二節 理論 と実践の乖離 教員養成カ リキュラムにおける理論 と実践の乖離の実態の一つ 目は教育実習前の大学の 授業 と教育実習の活動内容が緊密 に関連 していないことである。現在の中国の教員養成カ リキュラムの課題は理論知の授業が全体的に暗記す る内容が多い、暗記だけで試験に合格 できるような授業が設置 されている。それに、暗記 した内容は学校現場の実際にあつた課題
1
王嘉里 「炊美 日高等師範課程設置看我国師範課程体系改革」、『 牡丹江教育学院学報』第2号
、2009年
、81-82頁
。2
朱永新・楊樹兵 「部分発達国家師範教育課程設置分析」
、
『万州大学学報』第
3号
、
2001年
、127-131頁
。に対応 できない とい う現状 が指摘 されてい る1。 この状況 か ら見れ ば、実習生 に とつて、教 育実習 を経験す る過程 の中で、大学 で教授 され た知識 に満足度 が高い とは言 えないだろ う。 なぜ こ うい う事態 になったのか。まず教 師教育の課程 の内容 か ら見 てい く。ここで例 として あげ られ るのは 中国の海南師範大学 にお ける英語 コー スの教師教育課程 である。 主に英語 課程 と教育論 、英語教育技能訓練 、発達教育心理学、教育学基礎 、学級管理や現代教育技術 な どに分 け られ てい る。これ らの教師教育課程 の設置 は決 して乏 しい とは言 えないが、問題 となってい るのは大学 の教員 が どの よ うに知識 を学生に伝達す るか、また学生が どの よ う な手段 を使 つて、知識 を理解 し得 るのか とい うことである。例 えば、教育学基礎 とい うよ う な教師教育課程 では、 も とも との 目標 は教員志望者 が実際 の教育課題 と理論知 を関連 づ け るための思考力 と実践力 を育成す るこ ととされ てい る。しか しなが ら、数 多 くの学生 を対象 と して一斉 に授業す るため、設定 された 目標 を達成す ることは難 しい。限 られた時間で、大 学教員 と受講生 との コ ミュニケー シ ョンが充分 に行 えず 、受講生 の考 えや疑 間 に思 った こ とな どがその場で指導 して もらえず 、授業が終わ つた ら、問題 を解決 しない まま、最終的に 未解決 の問題 を教育実習 の現場 に持 ってい くことにな る。教育基礎学 だけではな くて、ほか の教師教育課程 も同 じ課題 に直面 してい る。特 に、学級管理や現代教育技術 な どの実践の性 格 を持 つてい る授 業 は単な る実践的 な知識 を伝達す るだ けで、受講 生が これ らの知識 を演 習す る機 会が少 な くて、あ る と して も数 多 くの受講生 の演習 を一 々詳 しく、丁寧 に指導す る 時 間 も保証 され ていない。結果 と しては、実践 に関す る授業 も結局理論知 の よ うに伝 達 され るよ うになった。 理論 と実践の乖離の実態の二つ 目は教育実習中に現れ ている。例 えば、実際に教師の身に なつて教育活動 を行 う機会 は多 くない こ と、教 育実習 の内容 は主 に授業観 察す るこ とと生 徒 の宿題 を見 るの を手伝 こ と、また教育 実習 についての フ ィー ドバ ックを指導す る教員 も 充分 に配置 され ていない こ とであ る。 上記 の三つの課題 をそれぞれ具体的に説明 してい く。 中国 にお ける海南師範 大学 の教育実習 の事情 を知 るた めに、かつ て教育実習 を経験 した こ とのある卒業生へのイ ンタビュー を行 つた。卒業生の感想 によつて、教育実習の現場で正 式 に担任の先生の よ うに授業 を行 う機会が極 めて少 な く、見学で も実習で も、ほ とん ど授業 を聞 く側 として観 察す ることが多か つた。授 業へ の関与だ けではな く、学級経営 に関 して も クラスの生徒 に触れ合 う機会が少 なかつた。これ によつて、大学で学んだ知識 を適用す る場 が失われ、生徒 に触れ合 う機会 も少ないため、子 ども理解 についての知識や経験 を生み出せ なかつた。この結果 、理論 と実践 の融合 を 目指す教育実習の意味 もな くなったのだろ う。ま た、教育実習を実行す る場合 には、授業 を展開す るために実用性のある理論 が非常に乏 しい こ とに悩む実習生が少 な くない。理論 と実践 を融合す るどころか、かえつて実践 を指導す る 理論 まで も足 りない とい う現状が出てきた。さらに、前に述べたよ うに、大学の教師教育科 1王嘉工 「炊美 日高等師範課程設置看我 国師範課程体系改革」、『 牡丹江教育学院学報』第 2 号、
2009年
、81-82頁
。目の教授 は一方的 に伝達 して、授業参加 者 の人数や教材 の編成 な どの原 因で、実践的 な知識 を教 えて も、受講者 に とつて この知識 を演習できないため、教壇 に立つ時、現場での出来事 に対応できないのである。最後は、実習生が一 日教育実習 を終 えて、この 日に発生 した課題 や 困惑な どの問題 が決 して少 な くない。しか し、これ を指導 して くれ る指導教員が配置 され ていない。実習校 の担 当教員の指導は実際に個人差があるため、熱心に細か く指導す る先生 がい るのに対 し、適 当に行 つている先生 も多少存在 してい る。つ ま り、 実習現場 で大学側 で も実習校側 で も実習生 を支 えて、指導す る力が充分ではない。実習生が前の 日に犯 した ミ スや 出会 った課題 な どを解決できないまま、次の 日も同 じこ とを繰 り返 し、また新 しい ミス や課題 が出て きて、この悪循環 の流れ で、実習生が最後本 当に求 め られ る資質能力 を身 に付 けるのか と思わず に疑われてい る。 以上述べ た よ うに、理論 と実践の乖離 が教育実習 中に も発 生 してい る。これ は知識上の乖 離 のみな らず、教育制度や教育方法 も教育現場 の実践 か ら乖離 してい る。大学 は一方的 に教 育実習の ことを実習校 に任せ て、実習校 も実習生へ の指導 に配慮 していない。教育実習 は実 習生 に とつて、完全 に個人的 な行為 の よ うに、学校 か らの支援 な どが充分 ではないままで、 実習校 に行 つて しま う。さらに、実習 中に 自分の教育活動 を支援す る理論 も少 ない うえに、 実習 中の出来事 をフ ィー ドバ ックす る機 会 も少 ないため、理論 と実践 を融合す る可能性 が 決 して高い とは言 えない。 教育実習が終 わ つた後 に理論 と実践 の乖離 も発 生 してい る。 二週 間 ぐらいの実習 が終わ って、大学に戻 つてきて、実習生たちは教育実習記録 な どの ノー トを大学側 に提出す る。し か し、大学に提 出 した教育実習 に関す る記録 は出 したき りで、実習資料 を訂正す る先生がい ないため、結局大学 に戻 つて も、実習生の感想や困惑 を聞いて くれ る場所や機会がない。そ の うえ、教育実習 に関す る反省や省察 もないまま終わつて しま う。それ だけではな く、教育 実習の実施時間か ら見れば、中国の場合 はほ とん ど大学四年生で教育実習が行われ てい る。 教 育実習 に参加す る前 に、大学 で実習 をめ ぐってた くさん用意す る ことがあるため、実際 に 教 育実習 に行 く時期 はほ とん ど四年生前期 の後 にす ることが多い。教育実習が終わ つた後 、 前期 の授業が大体終 了す るこ とになってい る。また、四年生後期 が開始 され る と、実習生た ちは卒業論文に取 り掛か らなけれ ばな らないため、時間的 には迫 つて くる とい う現状 もあ る。 この よ うに、教育実習前、教育実習 中、教育実習後の三つの段階で理論 と実践 は乖離 して い る。学校教育の課題 に対応 できる指導力 を備 えた教員 を育成す るために、講義では実践的 な内容や指導方法 を学ばせ、学校現場の理論 と実践の融合 を図 り、省察 を重視 し、実践か ら 知 を創造できるよ うなカ リキュラムが期待 され てい る。
第二節 理論 と実践 の融合 とい う課題 教員養成 にお ける理論 と実践 の融合 の必要性 を論 じるた めに、まず改革 開放1からお よそ
30年
歩 んできた中国に どの よ うな変化 が生 じたのか、また この変化 が教師教育 の世界 に ど の よ うな影響 を及 ぼす のかを説明 しなければな らない。最後 に、中国の社会状況 を踏 まえて、 求 め られ る教師像 を探究 し、理論 と実践 を融合す る教員養成 の必然性 を明 らに してい く。 中国では、改革開放路線 が推進 され た九十年代以降、社会 主義市場経 済2が本格的 に導入 され る。中国に特有の社会主義市場経済 とは経済の活性化 を図 るため、政治的 には社会主義 を標榜 しつつ、経済的には市場経済の体制 を 目指す ことである。この経済体制 は中国社会の あ らゆ る領域 に大 きな変化 を引き起 こ した。 当時の指導者郡小平は社会主義社会の生産力 の発展かつ社会主義の総合的国力 の増力日を 目指 し、積極的に改革 を実施 していた。これ をき つか け とし、中国の一部分 の地域 は建国以来の貧困か ら立 ち直った。 まず 、実施 された改革開放 と市場経済政策が中国の社会 にもた らした変化 を見てい く。有 効 な改革 を実施 して以来、 中国は高速な経済成長 を遂 げ、国民の意識 も変化 し続 ける3。 改 革 開放 を行 う前 に、絶対平等 主義 を象徴 してい る社会 主義 の原 因で、国民が長期 にわた つて、 閉鎖的 な政治環境 と生活環境 の中で暮 ら して きた。改革 開放 の契機 で、先 に一部分 の地域 を 豊 にす るために、東南 沿海 の ところに経 済特 区、経済開発 区が設置 され て、資本 、技術や人 材 な どの交流 を実現で きる一方、中国の資源や労働者 の移転 も推奨 され るな ど、経済改革が 進 んだ。これ によつて、中国は 自国の内部か ら目を移 し、世界に 目を向けるよ うになった。 先進 国に経済状況 が二十年 、三十年 ぐらい遅れて、周辺 のア ジア諸国 に も遅れ てい る状況 を 認識 し、さらに大胆かつ積極的改革 を実施 した。改革 につれ て、経済発展 の不均等、農村 と 都 市の格差や失業者 な どの課題 を否認 で きない ものの、わず か何十年 で何億 人 を豊 か に し た ことは改革開放 と市場経済の効果 を証 明 してい る。 経済 に大 きな変化 を もた らす一方 で、国民の生活、仕事や思想意識 に もこ うい う変化 が表 れ てい る。絶対平等主義の社会主義体制 の影響で、国民に とつて、職場 とい うのは結婚 、出 産 か ら進学及び福祉 な どすべ て を保 障 して くれ るよ うな存在 で あった。 昔か らこの よ うな 職 場 を中国語 では 「単位」 と呼ばれ てきた。最初 か らこの 「単位」に所属 して さえいれ ば、 死 ぬまで も困 るこ とな く豊 に生活 で きる と言 つて も過言 ではない。 当時 は社会 主義 の本質 へ の理解に歪みがあるため、「平等」、「平均」だけで、社会主義を実現できると思い込んで いた。 しか しなが ら、市場経済の導入 につれて、これ までの管理 と保護 がな くな り、競争 に よつて給料や職位 を決 め られ るよ うになった。「甘い時代が戻 つて こない」 とい う現状 を認 識 し、 自己の実力 を養 わなけれ ばな らない。1
中国政府 は 1978年経済体制 の改革 を決定す る と同時 に、対外開放政策 も計画 した。1980年
か ら順次、沿海都市 を開放 した。2
経済は 自由化3
黒沢惟 昭・ 張梅著『 現代 中国 と教師教育』明石書店、2000年
、105-108頁
。この よ うな経済の発展 は当時の国民の意識変化 に大 きな影響 を及 ぼ していた。 変化 の激 しい時代 を生 き残 るために、将来 を支 える力 を身 につ けない と、新 しい時代 に遅れ る人 にな るか も しれ ない。改革 の波 に うま く乗れ るよ うに、自分 自身 の競争 力 を向上す るために、国 民が教育 のほ うに注 目していた。 中国の教育 の発展 は決 して順調 とは言 えない。教育方針 が政治 の変化 に よって常 に変 わ つて きた。改革開放 の前に、教育思想 は多変であった。建国初期の教育思想 は、毛沢東の提 唱 した政治政策 と密接 に関わつてい る。つま り、教育 とい うものは階級革命 のた めに位 置づ け られ ていた。 しか しなが ら、長年 にわたつて、こ うい う政治のために、行われてきた教育 は中国の教育基盤 となる一方で、完全 に政治 に附属 し、最後 に 「文化大革命」の政治 目標 に 従 つて、「教 育革命理論」が誕生 した。 この理念 の核 心 は大体 「文化大革命」 の よ うに、客 観事 実を無視 し、主観 的な意思 に よつて、生産力 を求 める発展 とい うもので あつた。 この 教育革命 理論 が 当時 の経済力 の向上 に一時的 に効果 が あるに もかかわ らず、何年後 に客観 事実 を無視す ることによつて、失敗す る しかなかった。また、経済 の不況 が さらに教育 に大 きなダメー ジを与 えた。 二十世紀八十年代頃、郭小平の指導体制の下で、国家 を「文化大革命」のダメー ジか ら立 て直すために、経済政策だけではな く、積極的に教育改革 も行 われた。黒沢は中国の改革開 放以後 の教 育思想 の変遷 を三つ の段階 に分 けて考察 した。 教育思想 の解放 と教育理論 の探 究段階、教育改革 を全面的 に展 開 し教育思想 の転換 と是正段階、更 なる角翠放 と加速段階 とい う三つの段階で あった1。 要す るに、改革 開放以来、中国 にお ける教育思想 の開放 と転換 は 社会 の発展 に影響 を与 える一方で、教 師教育の発展 と深化 にも可能 となった。 市場経済 の発展 は 中国にお ける高等師範教育 に も大 きな変化 を与 えていた。 この中には、 プ ラス とマイナスの両面が出て くる。社会主義市場経済の発展 を促すために、市場経済に応 じた教師教育の教育課程、人材 の養成 、教育活動が設置 されている。競争 とい う原則 の もと で、従来の平均主義 を廃棄 し、新 しい教育観 を導入す ることによつて社会が一新 した。これ はプ ラス面だ とい えよ う。 しか し、競争 を一方的 に強調 し、行動 のすべてが利 益獲得 に方向 づ け られているため、教育の 日標 もその よ うな方向で設定 され ることになった。学生がよい 就職 先 に入 るた めに、企業 の要求 に向 けて、能力形成 だけに力 を入れ が ち となった。これ は マイナス面 とも言 えよ う。就職機会 の競争、社会経済の発展 に伴い教師教育の質 向上が盛ん になってい る。しか し、従来の師範教育体制、教育方式で養成 した教員が能力不十分 である ため、社会主義市場経済の発展 に応 じる教員養成のあ り方が要請 されている。この流れで、 多様 な教育方法 も求 め られ てい る。 この よ うに、中国では改革開放、社会 主義市場経済改革が社会全般お よび国民の意識 に大 きな変化 を及 ぼ した こ とが明 らかで あ る。 これ らの変化 は教師教 育 の改革 に直接的 また間 接的 に関わ つてい る。具体的 に言 えば、まず、国民が経済的な裕福 を求める一方 で、自分 あ るいは 自分 の子 どもに精神 の豊か さを満 た させ るために、学校教育の質 に 目を向けて きた。
l 黒沢惟昭・張梅著『現代中国と教師教育』明石書店、
2000年
、
110頁。
それ と同時に、市場経済の影響で、公 立学校だけではな く、私立学校 も競争 の激 しい市場の 中で 自分 の学校 の質 を向上す るた めに、優秀 な教師 を招聘 しなけれ ばな らない ので ある。最 後 に、中国政府 も二一世紀 を迎 えるにつれ て、国家 の国際総合競争力 を高めるために、教育 の改革に重点 を置いて、学校教育 に も学校教育の質 を背負 う教師教育に も様 々な改革 を実 施 した。 こ うい う流れ で、保護者 、学校 、国家か らの要請や期待 に応 えるために、教員志望 者 の質の向上 と深化 は もはや必然化 したのであ る1。 以下の内容 は家庭状況 の変容 と保護者 か らの期待、学校 の要請 、国家 の政策制度 の三つの 方 面か ら教員養成 における理論 と実践の融合 の必要性 を論 じてお こ う。 経済発展 が 中国社会 に急変 を もた らす と同時 に、家庭 内の状況 に も大 きな変容 が起 きて い る。一番問題 となっているのは家庭 間の経済格差である。この経済的な格差が子 どもの受 ける教育の質 に関わつてい る。例 えば、経済力の原 因で授業後塾 に通 つてい る生徒 と通 つて い ない生徒 がい るので、 これ に よつて クラス内に生 じた学力の差 を どの よ うに対処すべ き なのかを認識す る必要がある。これ だけではな く、親 の子 どもの教育へ の関心度 も貢献度 も 経済的な原 因でそれ ぞれ の家庭状況 にお いて も異 なってい る。必ず しも経済力 が高い保護 者 が 自分 の子 どもの教育 にきちん と責任 を持つ とは限 らないが、 ある程度 で この経 済力の 原 因で各家庭 の子 どもの受 ける影響 が異 な る とは言 えるだ ろ う。 いまの学校 で は同 じクラ スで こ ういつた よ うな状況 は決 して珍 しくないのである。 市場経済の発展で全国的 には都 市部 と農村部 において経済格差 が あるの は否 定で きない こ とで あ り、 さらに この格差 が学 校 において も影 響 を もた らす のは教員 と して真剣 に意識す るべ きであ る。本 来 の教 育 の姿 は平等かつ公平 とい うふ うに教 え られたが、実際の現場では教 え られた通 りではないか も しれ ない。教員 はこのずれ を認識す るのみな らず、この状況 に対応す るために、学級内で こ の差 に どの よ うに対処す るのか、出来 るだ け教育の平等の本質 を考慮 して各生徒 に対応 し なけれ ばな らない。この状況下で、教員 に求め られ る教師像 は公平な心 を持 って、一人一人 の生徒 に接す る姿であ りなが ら、この差 を自分の力お よび同僚 との連携 を通 して、できる限 りに悪影響 を最小限にす るよ うに努力 しなけれ ばな らない。これ を実現す るためには、ただ 教 え られ た知識 だけでは足 りず 、重要 なのは同僚 との連携 の能力 を育てない とい けない。連 携力 も実践力の大事 な一環 として役割 をはた してい る。教 育実習 では実習生 同士が相 互 に 連携・協力 し合 う活動が必要である。 また、経済の発展が もた らした影響は上述の内容だけではない。高い離婚率や企業改革 に よる高い失業率な どが原因で、子 どもの生活環境 は大き く変化 してきた。特に、いま中国で 話題 にな るのは過去 の一人子政策 を廃止 し、すべての夫婦 に第
2子
の出産が認 め られ るよ うになつた ことがある。つ ま り、い まの子 どもを と りま く家庭状況 は昔 と比較 できないほ ど 複雑 で多様 である。教員 を 目指す大学生が学校 内での知識 の中に閉 じ込 もつて、学校外 の発 生 した様 々な変容 に関心 を持たないままでは、想像 よ り困難 な状況 に直面す る と、手 を打て1
岡田大爾 「中国の近年の教育改革の動向と教師の資質向上の課題」、『広島国際学院大学 研究報告』第44容
、2011年
、60-61頁
。な くなって しま う。何 よ りも、高学歴社 会 の進行 に伴 つて、保護者 た ちが 自分 の子 どもに激 しい競争 を生 き抜いて もらうために、子 どもへの教育 を重視す るため、教師の質 に も多様な 期待 をか けてい る。保護者 か らの期待 に応 えるために、教員 としてふ さわ しい力量 が強 く求 め られ てい る。以上述べた深刻 な教育問題 に鑑みれ ば、教員 に求 め られ る資質能力 は多少明 らか にな るので はないか。教員 は様 々な家庭環境 を背景 とす る子 どもたちを平等 に扱 いな が ら、自分 な りに子 どもの長所 を見つけて、子 ども一人一人の個性 に合 う教育方法 を使 って、 子 どもの才能 を伸 ば さなけれ ばな らない。そ して、そのために教員 は道徳や豊 かな人間性 を 持 ち、生徒理解 、発達理論 な どの知識 も習得 しない といけないのである。また、子 どもの育 て環境が近年か ら変化 しつつ あ り、教員 を 目指す大学生が国の行 つた政策 をいまの学校現 状 に どの よ うに繋 がってい くのか を常 に意識 しなけれ ばな らない。それ に、いまの社会 の動 きが学校 現場 に一体 ど うい う影響 が あ るのかを予測 で きる能力が必要 とされ てい る。 つ ま り、課題 を発見 し、判断す る能力 も理想 な教師像 の一部分 となつてい る。最後 に、保護者か らの期待 に応 えるために、教員 としての基礎 となる知識や能力 を身 に付 ける一方で、調整的 かつ協力的な人 間関係 を作 るよ うな能力 が必要である。 こ うした事態 に対応す る教員 とし ての指導力 と幅広い資質が期待 され るよ うになったのは当然であろ う。 家庭 内の状況 の変容 が教師教 育 の領域 に多様 な期待 を寄せ て くる と同時 に、学校側 か ら の要請 も近年か ら徐 々に増 えてきた。まず、中国において も 日本 において も情報化社会が進 む につれ て、学校現場 においては、コン ピュー タ、イ ンターネ ッ トな どの情報機器 が整備 さ れ 、これ を使用 し、子 どもの学習 を支援 す るこ とも多 くなってい る。周知 の よ うに、教員の み な らず、現代 の社会人 としての基本的 な能力 の一つ は情報技術 を活用す るこ とで ある。い ま学校での学習が豊富になった り、多様 になつた りす るに ともなつて、この よ うな学習 を支 援す るた めの教育手段 もかな り応用 され てい る。この原 因で、教員志望者 が就職す る前 に、 今後 の教職 生活 に支障 な く支 える情報活用能力 を身 に付 いてお くこ とが不可欠 で あろ う。 つ ま り、 コンピュー タに関す る理論知識 だけでは多様 な学習指導 をす ることがで きな くな り、学校か らの要望 に応 じるため、現代 的な状況 に対応できるよ うな情報機器 を使用できる 実践力が期待 されてい る と言 えよ う。情報機器 を使用 できるよ うな具体的、顕在的 な能力が ほかにも数々挙 げ られてい る。例 えば、板書の書き方や教案 と教材の作 り方な どが挙げ られ てい る。そ こで理論 と実践の融合 が直接 に学校側 か ら要求 されてい ることが見 えて くる。 また、学校か らの要請が技術 面のほかに、子 どもを守 るためにふ さわ しい力量を持 ってい る教師が強 く求 め られてい る。なぜ子 どもを守 ることに言及す るのか と言 うと、現在 の学校 において 「い じめ」「不登校 」「校 内暴力 」な どの深亥1な問題 が生 じているか らであ る。普通 は、「校 内非行」 と言 えば、 日本のほ うにはかな り深刻 な状況があるとい うイ メー ジが強い が、実際に中国 において もこ うい う事態 を否定できな くなってい る。前に述べ た経済の急速 な発展 に よつて、中国社会 に様 々な変化 を もた らした。この変化 が学校現場 に入 り込んで、 上記 の 「校 内非行」な どの よ うな深刻 な事態が生 じた。では、経済発展 と「校 内非行」の間 に一体 ど うい う関連 があるのか、ここで述べたい と思 う。経済の発展 は国民生活 にプ ラスの
影 響 を及 ぼす のに対 して、マイナ スのほ うも決 して少 な くない。市場経済の実施 と改革開放 政策 の展開に ともなつて、地域 間の格差 が拡大 しつつ ある。内陸農村部 よ り沿海都 市部 のほ うが経 済 レベルが高いため、農村部 の人たちが大都市 に出稼 ぎに行 つて、自分 の子 どもを地 元 の学校 に就学 させ て しまって、家族 を離れ ざるをえない。こ うした 自分 の意思 ではな く親 の都合 で親 と離ればなれ になつた子 どもたちを「留守児童」と呼ぶ。これ らの「留守児童」 は苦 しい生活に耐 えなが ら、それ に主に一人子 なので、孤独 な思いを続 けてい る。それ によ つて、「留守児童」は学校生活 に不適応 になつた り、い じめに関わつた りす ることが学校現 場 で頻繁 に起 こって しま う。また、農村部 だ けではな くて、大都 市で も心 に病 を抱 える子 ど もも少 な くない。親 か らの厳 しい要望 でス トレスがたまつた子 どももあれ ば、パ ソコンや電 子 ゲー ムに没頭 した子 どももある。家庭 か ら持 ち込 んだス トレスを発散す るた めに、「校内 非行」に関わ る事態 が起 きる可能性 が ある。また、中国のニ ュー スに よる と、電子 ゲームに 没頭す る子 どもが現実 とゲー ムを混清 し、悲惨 な事件 を起 こす。その結果、社会 の変革 につ れ て学校現場 に もた らされ たマイナ スの影響 が重視 され な けれ ばな らないので あ る。 上記 述 べた心身状態 が決 して良い とは言 えない子 どもた ちが学校 内の人 間関係 作 り、学習活動 の展開において予想で きない事態 が起き る可能性 が あるた め、かつての教師の資質能力 と 比べ られ ないほ ど複雑 かつ専 門的高度的 な知識能力 を強 く求 め られ てい る。 ここで求 め ら れ る知識能力 は単に実践力 のみな らず 、子 どもを取 り巻 く状況 の複雑性 を認識 しなが ら、こ れ らの学校教育の課題 に対応 で きるカ ウンセ リング、心理、法律 に関 しての専 門理論 が不可 欠 となつてい る。つ ま り、一方的 に実践力 を求 め るのではな く、学校現場 の課題 に対処 でき るよ うな複雑 かつ専門知識 も必要 である。教員養成段階 の役割 を最大限 に果 たす よ うに、学 校教育課題 に即 して教 育課程 の設 置 と教 育実習 内容 の充実 を図 るべ きである。学校側が学 校課題 に支障な く対応 で きる教員志望者 を求 め るこ とが大学 にお ける教員養成 の在 り方 の 改革 を促 してい る。 最後 に、国家 の教育政策 と制度 の方面か ら教員養成 にお いて理論 と実践 の融合 の重要性 を論 じてい く。 国が あ る政策 あるいは制度 を実行す る前 に、 これ に関す る現状や課題 を把握 しな けれ ば な らない。教育現状や教育課題 に関 しては、日本 と中国においては社会文脈 が異 なつている に もかかわ らず、教員 の質 の向上への要望 は同 じで ある。まず、中国社会 にお いて、教師の 質 の向上 の必要性 が強 く提唱 され るのはいまの教師教育 に深亥Jな危機 があるか らで あ る。 一人子政策を廃止 した とは言 え、教育費用の増加 、生活 の不安定な どの原 因で、子 どもを産 まない こ とを決 めた夫婦がた くさんい る。さらに、張梅 の研 究 による と、中国の人 口出生率 は減 りつつあ り、小学校 の在校 生がかな り減少 してい る。ちなみ に、子 どもの減 少 につれ て、 小学校 の数 も減少 してい る1。 しか しなが ら、九年義務教育 の普及 と大学 の拡招 の原 因で、 教員養成 大学 に在籍 してい る教員志望者 が一方的 に増 えて続 ける。
2000年
まで小学校 の教 師が学生 との比率 は一対 二十 にな る と張梅 は推測 していた。さらに、あれ か らいままでの十1 黒沢惟昭・張梅『現代中国と教師教育』明石書店、
2000年
、120-121頁 。
六年 間の間にこの状況はおそ らくもつ と深亥1化 してい るのではないか。したがつて、現段階 にお いて行 われ る教師教育 の改革 は主 に教員 の数 と質 を中心 と して、ただ数量 の増 大 と高 学歴 の取得だ けではな く、多様 な状況 に対応 できる質 の高い教員 を養成すべ きである。一方、 日本 の教 師教育 の課題 の一つ と して教師 の質 も指摘 され るよ うにな った。佐藤 学 は 日本 の 教 師 の質 を支 えてきた条件 について二つ がある と述べ てい る。一つは「教員採用 にお ける競 争 率 の高 さ」で ある。 も う一つ は 「相対 的 に高い給与」であ る1。 しか しなが ら、 この二つ の条件が近年 か ら衰退 してい ると指摘 されてい る。佐藤学によると、この状況 のままでは教 員 の質 を向上 させ るのは不可能 だ と予測 してい る。 この点 か ら日本 において も教員 の質 の 危機 が深刻 な状況 にあることは明 らかで ある。 それ ゆえに、教員 の質 の向上 をめ ぐって、時代 の変化 にふ さわ しい質の育成 に役 に立つ政 策決 定が必要 で ある。 この流れ で、教員像 の変化 に関 して、す なわち、「技術 的熟達者」か ら 「反省的実践家」への転換 は一番注 目され るよ うになった。「反省的実践家」に求 め られ る知識能力 を身 に付 け るこ とを通 して、上記の多様 かつ複雑 な学校教育課題 に対応 で きる よ うに期待 され てい る。「反省的実践家」 に求め られ る知識 と見識 について、 日本 において も中国において も様 々な討論 を展開 していた。「反省 的 な実践」 とい う概念 を提唱 したシ ョ ー ンは『 省察的実践 とは何か』とい う著書の中で、建築家、都 市計画者 、カ ウンセ ラーな ど の専門家の事例 を考察 し、結論 を導いた。シ ョー ンは現代の社会では専門家が過去の「技術 的合理」 ではな く、「省 察的実践」 を用 いて、 日常 の予測 で きない仕 事 に向か つて ほ しい、 日の前の状況 と会話 しなが ら、「反省 的 な思考」 を活用 して、困難 な課題 を解決すべ きだ と 提唱 してい る。この過程 の中で、教員 と しての質が向上で きる と同時 に、理論へ の理解 の深 さも重要 とされ てい る。なぜ か と言 うと、教員 が直面 してい る問題 としては、不確 実 な状況 が多いため、ここで課題 を明確 に し、自分な りの仮説 を立てなが ら、課題 を解決す るための 理論知識 が不可欠である。教員 の 「質」 を向上 させ るためには、「技術的熟達者」か ら 「反 省的実践家」へ の転換 が必要である。この ことが 日中両国 に認識 され 、教員養成 カ リキュラ ムにおける理論 と実践の融合 が図 られ なければな らない。
1 佐藤学『専門家として教師を育てる』岩波書店、
2016年
、
17頁。
第 二 章 シ ョー ン の省 察 的 実 践 の 理 論 に お け る理 論 と実 践 の 融 合 本 章では、シ ョー ンの提唱 した 「省 察的実践」の理論 の概念 と特徴 を明 らかにす る。まず 第一節 では 「技術的合理性」の概念 と限界 について述べ る。次 に第二節 ではシ ョー ンの 「省 察的実践」 に基 づ く理論 と実践 の融合 について検討す る。 第一節 技術的合理性 の概念 と限界 シ ョー ンは 「技術的合理」モデル を批判 し、「省察的実践」モデル を提唱 した。従来のプ ロフェッシ ョナル教育の内容 は 「技術的合理性」に基づいて行われてきた。それ は、基礎科 学 が教育カ リキ ュラムの最初 に始 ま り、それ に続 いて応用科学 が置かれ、最後 に実習 あるい は臨床作業が実施 され るとい うプ ロセ スをた どるものである。 このモデル の中核 の理念 は すべ ての 目的 を達成す るた めに、す でに創 り出 され 、科学的 に検証 された知識 を運用 して解 決 しなけれ ばな らない ことである。 しか しなが ら、シ ョー ンは これ らの検証 された、体系的 な知識 が あ らゆ る問題 を解決 できる とは限 らない と指摘 し、信頼 され た科学的な知識 を超 える知が必要 とされ る と主張 した。 これ は行為の中か ら知 を創造 し、「省察的実践」か ら育 んだ知 を重視す ることである。シ ョー ンはなぜ この「省察的実践」の理念 を提唱 したのか、 この理念 を提唱す る経緯 は何 なのか といつた問題 に答 えるためには、「技術的合理性」の概 念 の限界 を論 じなけれ ばな らない。 「技術的合理性」は実証主義の実践的認識論である。実証主義は 目的を達成す るため、知 識 と技術 を問題 解決 の手段 として機 能す るこ とを認 めてい る。 プ ロフェ ッシ ョナル は これ らの知識 と技術 を用 いて 目的 を達成す るこ とを意味す る。さらに、達成す る 目的 は社会 の進 歩 に関わつてい る。例 えば、シ ョー ンは次の趣 旨を述べてい る。エ ンジニアの技術的実践 は 産業技術 の発展 に結びつ き、ほかのプ ロフェ ッシ ョナル の実践 に とつてモデル となった。ま た、医学のプ ロフェ ッシ ョナル は健康維持 を 目的 とす る技術 を身 に付 け、実践 を行 う。つま り、プ ロフェ ッシ ョナル の実践活動 は社会福祉 にかかわ りなが ら、日常の仕事 を行 うことで ある1。 人間の利益や社会 の福祉 に関わ る実践活動 のため、実践 を指導す る知識 と技術 は必 ず体系的 に検証 され た科学知識 を使用 しない といけない。さらに、実証主義の認識論 による と、事柄 についての説明はただひ とつ、た とえ不一致が生 じた として も、確定 した理論 を参 照す ることのみ に よつて説 明できる とされ た。 「技術的合理性」の考えでは、厳密かつ科学的な理論 と技術 を運用 し、問題解決や 目的達 成 がプ ロフェッシ ョナルの実践モデル とされ てい る2。 実践的 な知 を認 めない、 さらに、権 1 ドナル ド・ 年 、
32頁
。2
大桃 伸 一-80頁
。 ショーン編、柳沢昌一 。三輪建二訳『省察的実践 とは何か』鳳書房、2007 「教職の専門職性 と反省的実践家」、『人間生活学研究』第3号
、2012年
、79威 を象徴す る知識 はプ ロフェ ッシ ョナル教育の中に支配す る地位 を占めてい る。 シ ョー ンは当時、アメ リカで主流理論 となってい る実証主義の認識論 を批半Jし、知識 と技 術 は権威 を象徴す るもの と して扱 われ るべ きでない と主張 した。 この知識 と技術 は誰で も、 どんな方法で も手 に入れ られ る と指摘 し、さらに、「技術的合理性」の限界 も強 く批判 した。 シ ョー ンは「技術的合理性」に基づいて 「技術的熟達者」の行動の問題点 を指摘 し、専門家 の実践 を見直す ことを通 じて、「技術的熟達者」か ら「反省的実践家」へ と専門家の概念 を 転換 させ る理論 を示 した。 一体 、「技術的合理性」 の限界 とは何 なのか、 この限界 と新 たに 提唱 され た 「省 察的実践」 とどの よ うな関係 が あるのか を考察 してい く。 シ ョー ンは「技術的合理性」が盛んになる社会背景 には、第二次世界大戦後、アメ リカ政 府 が研 究機 関にかける予算 の増加 がある と述べてい る。さらに、シ ョー ンは こ う述べ てい る。 「それ らの機関では、新 しい科学的知識の生産 を利用 して富を生み出 し、国家 目標 を達成 し、 人 々の生活 を向上 させ 、社会問題 を解決す る とい う命題 が土台 になっていた。」l当時 アメ リ カ社会では、人類の福祉 のため科学知識が重視 され、科学知識 を運用す ることで人々の抱 く 悩み を解決す る専門家 が信 頼 され る。 しか しなが ら、社会 の発展 につれ て、専門家が直面 し てい る社会問題 がます ます複雑 にな り、す でに生産 された知識 が本 当に専門家 の実践 を指 導で きるのか と疑われていた。さらに、医療 ミスや教師の体罰 な どの原因で、専門家 が社会 か らの非難 を浴び る事例が続 々起 きてい る。それ によつて、シ ョー ンは専門家 の中で、技術 的合理性 が持つ 限界 に気付 き、専 門家 の抱 える知 がす でに問題解決 に困難 が あ る と判 断 し てい る。 シ ョー ンは このよ うに述べてい る。「技術的合理性 の視点か ら見 ると、プ ロフェッ シ ョナル の実践 は問題 の解決 のプ ロセスである。選択 をめ ぐる問題や決 定をめ ぐる問題 を 解決す るのは、い くつかの手段 の中か ら、定 め られ た 目的 に一番ふ さわ しい手段 を選 び取 る ことによ り行われ る。しか し、問題 の解決 ばか り強調す ると、問題 の設定 を無視す ることに なる」2。 この言葉 には、専門家たちが 目的に応 じて、定め られた手段や方法 のみ を使用 し て問題 を解決す ることが表 されてい る。つま り、問題 を解決す る方法は模範 となったモデル を用 いて実践のカテ ゴ リー に当てはめるこ とである。しか しなが ら、シ ョー ンが指摘 した よ うに、「問題 の角早決 ばか り強調す る と、問題 の設定 を無視す ることになる」3。 それ は解決で きる問題 は必ず しもそ こにある とは限 らないか らである。これ に関 しては、シ ョー ンは建築 の専門家 の実践 の例 を説明す る。それ は専門家が道路 を建設す る場合、彼 らはたいてい地理 的、経済的、幾何学的な専門知識 と技術 を適用すれ ば解決 で きることにな る。 しか し、よ り よい道路 を建設す る以外の問題 の設定 も必要 となつてい る。例 えば、近隣の破壊 をもた らす か ど うか といつた予期 できない問題 の設 定は大事である。予期で きない ことがつね に専門 家 の実践 を不確 定な状況 に置 くこ とにな る。さらに、シ ョー ンは次の よ うに述べ てい る。「私 1、 ドナル ド・ シ ョー ン編 、柳沢 昌一・ 三輪建二訳『 省察的実践 とは何か』鳳書房 、2007 年、
38頁
。2同
上、40頁
。3同
上、40頁
。た ちはます ます、複雑性 、不確定性 、不安感 、独 自性 、価値観 の衝突 とい う諸現象 が現実の 実践 に とつて もつ重要性 に気 づ くよ うになった。これ らの現象 は、技術的合理性 のモデル に は当てはま らない もので ある」1。 この記述 には複雑 な文脈 において専門家たちが実践 を行 うために、問題 の中に入 り込み、 問題 に関わ るあ らゆ る事柄 を意識 し、新 しい枠組 み を設 定 しな けれ ばな らない こ とが示 さ れ てい る。シ ョー ンによれ ば、新 しい枠組みを設定す るには、事柄 と向き合いなが ら、この 場 で判断す るこ とが必要であ る。この判 断す る力 は複雑 な状況 下 において形成 され る。つま り、定め られた知識 と技術 は不確定で不安定で独 自的な状況 において機能 しな くな るため、 その代わ りに役割 を果たす新 しい知が求 め られ る。これ は、シ ョー ンの 「省察的実践」が登 場 し、省 察す る こ とを通 じて あ らゆ る場 面 に対応 で きるよ うな知 が提唱 され る原 因 となっ てい る。 「技術的熟達者」か ら「反省的実践家」への転換は教師教育において重要な示唆 をもた ら してい る。現在 、「反省的実践家」 を理想 の教師像 とす る教員養成カ リキュラムの再構築の 議論 は盛 んに行 われ 、複雑 かつ多様 な教 育現場 に対応 で きる力 を もつ教員が求 め られ る。し か し、従来の教師教育は技術的合理性モデル に基づいて行 われた。このモデル によれば、教 師が授業 を教 えるのは定 め られ た知識 と技術 を使用 し、生徒 に伝 達す るためで ある とす る。 この教授方法は教師の主体的役割 を排除 し、ただ技術 を操 る人 として扱 う。さらに、仕事内 容 が簡 単 な事柄 に対処 し、固定 され た方法 と手段 を参照 しなが ら教育任務 を果 たす こ とに 限定 され てい る。い つたん教 育現場が変化 した ら、す ぐに対応 で きな くなる とい う課題 が出 て くる。第一章で述べた よ うに、日本 において も中国において も社会が激 しく変化す るに と もなって、学校 現場 の課題 は もはや模範 となったモデル を参 考 にす るだけでは解決 で きな い。そ こで、す でに整理 された知識 を運用す るだけではな く、教師 自身の経験や見地 を利用 し、実践の文脈 で新 たな知 を産むために、「反省的実践家」 として課題 を解決す る方策 を探 究す る姿が求 め られ る。この経緯 でシ ョー ンの 「省 察的実践」の理念 が登場 し、教師教 育の 関係者 に認識 され るよ うになった。 第二節 行為 の中の省 察 に基づ く理論 と実践の融合 この よ うに「技術的合理」には限界が あるため、権威 を持つ科学的知識 によつて実践 を方 向づ ける こ とはで きない こ とを理解 した。 理論 が実践 を方 向づ け られ ない こ とは理論 と実 践 の乖離 とい う事態 を示 してい るので ある。理論 と実践 の融合 を 目指す ためには、シ ョー ン の 「省察的実践」の理論 を検討す ることが必要である。シ ョー ンは、理論 と実践の乖離 とい う課題 を乗 り越 えるため、「省察的実践論」の理念 を主張 し、専 門家が「反省的実践家」 と して実践の中か ら有効な知 を獲得す るべ き と提唱す る。