中國近代文学のなかの舊文学(上) : 魯迅の観点
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(2) . 第 4巷 第2号. 北 海道 学 塾 大 学 紀要 (第一部). 8年12月 昭和2. 中園近代文学のなかの奮文学 (上) -- 魯 迅 の 観 点-- 杉. 森. 正. 綱. 札幌分校国語図文学研究室. ハ.asaya sUG1n toRI:. The C 1 i 1 Trad i i t tera tere ture a s s ca . I Chinese Li o Iin D生oderl. i ly TI in’ 一一一‐BSPee tat i al s 1nter rough 丁パトs ) re o I ・一一一 1 . I. 1 . 女挙革命は旧女学に訣別 したか? 第一次世界大戦が纏る頃、 中園にお ・ては、 いわゆる 文学革命の大きな叫び声が湧きおこり、 従来の文学とは 異質なる作品が誕生し、 文学論戦が華やかに展開 した。 革命とい うことばは、 古くから、 王朝 がいれかわると. いうことに使われ て来た。 すなわち、 古いものはすべて 打壊され、 そのあとへ新 らしいものがすわる、 ことであ る。. そこで文学革命 も、 旧中国女学をすべて否定し去り、 新らしいものがいれかわった、 したがって、 新中国女学. は、 過去の文学から、 きっぱりと断絶 した別ものである ということになりそうである。. (1). なりし林斜が、 湖適らが教鞭をと っている北京大学学長 票元培に公開状を選り、 「古典全部を否定して、 ひなび た言葉を用い て文学を作る」 なんて、 けしからんではな いか!といきまくのである。. さらに胡 適は、 その著 「五十年来 の中園文学」 の中で. 当時の自分らの活躍を回想 して、 「古い文学は死せる文 学である。 死せる文学からは、 活ける女学を生 み出せぬ と宣言 したことが、 文学革命の特徴であった」 と述べて い る。. 魯迅も一九二五年、 北京の新聞社の附録のアソ ヶート 「青年必読の書」 に悪じて、 書名を挙げず 「中国の書 、, 物は人の世に出ることを勧める言葉はあっても やはり ・ 多くは死骸の楽観 だ。 …‐ ‐私は中園の書は少く-- 或は. 絶対に一一見 ないことに して、 多く の外国の書を読むが. 2 . 訣 別 の 宣 言 こういうことは、 文学革命の立役者 たちも、 自ら云っ. て い る。. たとえば胡適は、 一九一七年一月にアメリ カから中園 へむけて、 「文学改良談議」 なる一文を選り、 文学革命 の第一声をあげたが、 そのスローガンたる 「八ず主義」. 八ヵ像 のうち、 二ヵ憐を しめる 「古人のまねをせず」 「使い古された表現をせず 。 . たとえば陳独秀は、 その翌月これに呼癒して、 「文学 革命論」 を発表 したが、 その旗轍と してかかげた 「三大. 主義」 のうちの一つ、 i陳腐に して誇張にみちたる古典 文学を打倒 して……」 という表現。 ‘. たと れば銭玄同の 「古 きを除いて、 新らし き を の べ. よい と 思 う・…-」 と 註 してい る。D れ. このような、 旧文学と断絶 しての新出発という 立役 、 者たち の自らの宣言のほかに、 実際に発表された作品を. みると、 その外国化はめざましい。 たとえば、 四角ばつた漢詩から、気のきいた口語詩へ 、 駄酒藩の頻用とテムポ緩漫なる旧長篇口語小説から 繋 、 って深刻な短篇小説へ、 その新ら しい中園女学は 中園 、 の旧い文学とは全然関係なしに、 外国文学の移植によっ てのみ発生したも ののように見える。. じっさい、 滝末以来、 彩しい数の外国文学が流れこ み、 手あたり 次第孫訳出版され ていた。 自分では欧女は 読めないが、 助手の読解を聴きながら筆をたらせて 百 、. 数十の欧米文馨作品を孫訳出版 した澱訳玉もいたく らい. る」 という語句。. である。. つい 印象を興える。 されば、 女学革命の反対者側の領袖. かくて、 中国交学史では、 中国の新文学は海外文学と の接触によって、 世界的共通性へ合流していった、 文学. これ らは、 古 きものを全面的に否定し去る、 というき. 一 40 「.
(3) . 中園 近代女学のなかの旧女学 (上) -魯迅の観点 - の風格が漂っている。 蘇雪林氏が魯迅の作品 「風波」 や 「阿Q正博」 から多くの例をあげ術. 革命は外国化であった、 ことを強調するのである。 3 . 偉統から断絶 してい ない ひるがえって思うに、 凡そすぐれた女 学作品は、 過去 の文学の樽統と全く断絶したものであり得るかどうか? 表面は全く新らしいように見えるも のの中に、 古いもの が積極的にとりいれ られ、 叉は意識すると否 と に 拘 ら ず、 深く潜んでいないか? この問題については、 魯迅を中心に しらべることが最 も適当である。 というのは、 女学革命の鍵基者と呼ばれ、 毛沢東を し て 「文学革命の王将」 であり、 「文化職線に於て全中国 民族 の多数を代表し、」「その方向がとりもなおさず、 中 3 ), と顕揚せしめて居り、 園民族の新交化 の方向である」 であるから。 学の全史を生きた最大の作家 中国近代女. 結論を先に云うなら、 彼も他の作家のように、 あきら かに外園文学を橋駁している。 同時にまた積極的に旧中 園文学の悌統を継承している。 この両輪にのせてこそ、 中国文学を劃時代的に発展せしめる任務を果たし得たの であった。. 魯迅は好んで旧小説の筆法を用い、 ……事件の進展 に完全に旧小説の筆法を用いるのみでなく、 普通の叙 ) 事にも、 旧小説の筆法を十中八九は用いてい る……6 と説明 し、 巴人氏は、. 魯迅先生が枝編した唐来時代短篇集と、 魯迅先生の. 創作小説とを読みくらべてみると、 その風 格に一服の 7 ) 相通じるところのあることを感じる。. 8 」 で、許詩 と云っている。 叉、郭沫若氏は 「群子と魯迅」 s i で、蛙子や屈原が、言葉や語法の 裳氏は 「屈原と魯迅i 8 上でも多く ,の影響を輿えていることを例説 している。J 次に難文は、 彼の創作のうち最も多い部分を占めるも. のであるが、 理論の形象化であるとたたえられているよ うに、 理論女と文聾作品との中間にあるような散文形式 橡を使い、 謙刺 である。 生き生きと具体的で、 豊富な讐1. に富み、 敵を恐れさせた職斗的雑感女である。 ところが、 これも亦、 旧文学における散女をみがき上 げたものである。 魯迅自らも 「新らしい しろものではな 9 ’と云ってい く、 古えよりすでにこれ有るものである。」 る。. 4 , 外国丈墨の撮阪の しかた とりいれたか?漏雪 さて魯迅は外国女学の何を、 どう, 峰にしたがえば、・ 意識的に、 積極的にとりいれたのは、 第一に、 外国 女学のリアリズムの、 進歩的なるものである。 そして その戦斗性と進歩思想とを借り束って、 反帝、 反封 ト図の進 建、 反旧交学のたたかいを進めた。 第二に、 タ 歩的なる、 職斗性にみちたリ アリ ズム女学の経験と方. 法を吸収したのである。 外因といっても、 特に中園の 革命の具体的要求に願じて、 革命に成功したロシヤの リアリズムと、 圧迫されつつある東北欧諸国のリアリ 4 ) ズムを吸収したのである。 この詳細には触れない。 ここでは旧文学の影響と橋板と の方面を論 じるわけである。 5 , 魯 迅 の 筆 法. 古来、 中国におい ては、 ある主張を発表するに、 直接 に理性的認識をかきたてて納得せしめる方法をとるより も、 感情的雰囲気をかも し出し、 その中におのずから、 ある思想や理論を博達し説得を試みるやり方をとること が多い, 抽象的思惟の言語よりも、 女聾 的な形象 言語、 女章をもってくる。 その著しい例を荘子か ら抜こう。 …すでに日月は 出た。 しかも矩 火をたきつづける。. …夕立がさっと降る。 しかも田に水を入れる。 …… くに巣をつくるが技一本を占めるだ …みそさざいは深獣舛 け、 どぶねずみは大川から飲むが、 腹一杯 に す ぎ な. し、。 … …. …はるかなる姑射山に仙人が住む。 白き肌は雪をあざ むき、 乙女のようにしなやかで、 ……顎を吸い、 露を. ‐四海の外に遊ぶ。 ……天に のみ、 ……風に乗って…‐ J いたる大洪水にも溺れず 金石もこげつく大早ばつに も熱がらない-….. ……紹輿の地は、 昔から、 多く の有名な女学者や璽 術家を生み出した。 なかでも王議之の書と、 陸放翁の. その他、 生 き生きした形象を使ったものに左像、 史記、 それから後 人の女集の中の簿記女、 遊記などもこれにつ. 迅がある。 ; 魯迅は元来、 清朝学者の影響のなかか ら生れた人で. がき上げて、 強い戦斗性を発揮する難女という形式に結 晶せしめたわけである。. 詩は、 万代不易の作品である。 最近の時期では、 旧 文 学の殿軍と して李慈銘があり、 新女学の開山と して魯. づく。 このように・して中国においては、 思想と女学とは 厳密な区 別のない ままつづいて来たが、 魯迅に到り、 み. あ る。 … …め. とまで察元培はみる。 彼の作品のあ らゆる個所に旧文学 一 41 一. 6 ,,魯迅の観点 (1).
(4) . 杉. 森. 以上のように、 魯迅の作品は、 小説に於 ても難文に於 ても、 極めて多くの影響を中園 の旧文学から受けている が、 魯迅は旧文学をどう考えていたのであろうか? . 思うに、 「新文学」 と ”日女学」 との間には、 きっ かりと した区別はない。 脱皮があり、 多少 のずれはあ l o ) る け れ ど。. 正. りを摘み上 げて結論を出すのは禁物であるも そうするこ とは、 「自分の絵 具を坂出して、 古人の顔に、 勝手な隈. 取りを描 きこむJ ことになるからである。. たとえば、 その作 「帰去来の辞, と 「桃花源の記」 を. 常に教科書に採用せられ、. 批評家先生によって 「菊ヲ東鱗ノモトニ トリ、 悠然 トシテ南山ヲ見ル」 を賞讃され ている陶淵明先生は、. なんとなれば、 新 らしい階級とその文化は、 決 して. 突然に室から降って来たものではなく、 大抵、 旧支配. われわれ後人の心象の中では、 徹底的に慰霊として生. 者とその女化に対する反抗の中から、 すなわち、 旧き. きている。 ……… しかし批評家先生に感服されている 「悠然トシテ南山ラミル」 詩の外に陶淵明先生には 、 「島トナリテ ゾ、 小木ヲ衡ヮェ来 タリ、 槍海ヲ填 メッ クサナソ。首ハトブトモ弓矢ラハナスマジ。猛キ志 ゾ常 1 6 ) ニアラナム。 」 などの 「怒れ る靴をつりあげている」. ものとの対立の中 から発達し来つたものである。 だか ら新文化は継承す べく、 旧文化もまたとる べ き で あ ID る。. そして 「古き瓶に新 らしき酒を盛る」 式の旧きものの利 ,用でなく、 「古き中にこそ新 らしきものはあれ」 式のと. 詩もあって、 彼が毎日毎夜は瓢然とは していなかった 証明にな っている。 この 「猛志固常在」 と 「悠然見南. り方をす べきである。. 旧形式をとるには必らず捨 てる べきところがある。. 山」 とに は一個 人である。 もし一方を取り一方を捨てる な,ら、 完全な人間でなくなり、 極言すれば贋実を離れ る。 たとえば、 勇士は職斗もし、 休息もし、 飲食も. すてる べきところがある以上、 必ず増すと こ ろ が あ 2 る。 その結果が新形式の出現であり、 変革である1 ). し、 無論性交もする。 もし最後の一点だけ取って像を 描 き、 女郎屋の内にかけて、 性交大先生として尊信す るなら、 それは根も葉もないこととは言い得ないが、. と み る の で あ る。. とる べき一例としては水密樽の. (ある個所の、 人物のもようを描写しなくても、 そ の対話だけで、 話す人々を眼前に紡悌たらしめるバル ザックの巧 みな手法のように) 読者を して、 話 してい る言葉だけで、 その人物をありありと見せることがで 3 ) き る1. ようなところである。 そ して、 えらびとったものは、 必らず新作品の中に血肉として溶かしこむべきこと は云うまでもない。 ちょうど牛羊を食 べるときには、 蹄や毛は捨て、 その最上のところを留めて、 人の身体 を養い育 てる起). しかし、 豊宛柱ならざらんや?だ。 私は近代の人が、 , 陶淵明先生を称g1するのを見るごとに、 古人の篤に椀 1 7 ’ 惜を禁じ得ないのだ。. つまり、 帰りナソイ ザ!で故郷に帰り、 畑や丘を散歩 し、 桃の花咲くュートピアを幻想し、 菊をい じって南山 を見るという、.消極的ロマンチシズム の方面 か ら ば か. り、 彼を讃美するのは、 痴 人の夢のような歪んだ 観点で・ ある。 かくて、 文学を論 じようと思えば、 全篇を見通し、 作者の全 人間を見通し、 彼 の住んでい た社会状態に及ぼ してこ そ、 割合に確実にうがち得たと云える。 そうしないな 8 」 らば、 夢のよ5にあてにならない1. ように。 そしてかか るす ぐれたものを、 えらびとるため には、 障石 器となるものを除去しなければならない。 たと. えば中園歴代の湛大な歴史書についていえば、. 中園の霊魂を描いており、 将来の運命をも暗示して いるが、 言葉の粧おいが過ぎて、 無駄話が多く、 虞底 まで見趣すことは容易ではない。 あたかも繁り重なっ. た葉をすかして苔の上にさす月光が・ 点々とくだけて. 6 ) 見える1. のである。 そして、 それらを見通すときには、 どういう 立場に立つか?明末の張岱の言 えるように純客観的に、 IDをば止水、 明鏡の如くにし、 絶対に目からは意見 を立てず、 ……物について形を あらわす だけにすることができるであろうか ?. と同じく、 歴代の影しい文学に対してもまた、 月光を遮 る密薬を坂除い て、 きれいな光を充分に浴びせるように. 心は何としても鏡であることはできず、 からっぽに することもできない。 だから、 「虚心平気」 を作詩の 最高の境地とし、 「絶対に目からは意見を立てず」 を 歴史を書く最高の境地とするこ とは、 「静かでのんび. せねばならないのである。. 7 . 魯迅の観点 (2) そのためには、 全資料を見渡 して、 客観的に分析を加 えること。 ある作家の一つ二つの作品なり、 短い語句な. 爾、 .. り」 を詩の最高の境地と考えるのと同じで、 事実上は 9 」 あり得ないのである1. この社会に生きて、 ただひとり独立孤高といったような. 一 42 岬.
(5) . 中園近代文学のなかの旧文学 (上) -魯迅の観点一 ひ とむま、. 心の中に描かれた幻影であって、 現実の世界にはな. いものである. このような人になろうとするのは、 自 分の手で髪をひっつかんで、 地球を離れようとするよ 0 2 」 うなものである。. かく、 魯迅は純第三者的立場はあり得ないと云う。 では いかなる立場と 観点から、 旧交学を橋販せんとするので あろうか。 ,. .. ’. 8 . 旧文学から人民性をとりいれたこと 「大雪紛飛」 よりは、 水餅像の中で使われて居り、 恐らく人民のロ調をうつしたであろうところの. 「那雲正下得緊」 の方が、 ……標瀞たる極におい て 2 ) はるかにすぐれ ている2 のに、. 古文や古詩の中から見てくれのいい、 難解な文章を. 3 i 拾い出 して、 手品のハンカチにして、 作品をかざ2. るうとするは無意味である。. 旧長篇小説の中 から悪ふざけを去り、 随筆からその 散漫さを去り、 ひろく民衆の口語をとり、 比較的人人 4 ) によくわかる字句をとって、2. 新文学を作り上 げてゆかねばな らないと魯迅は云う。 こ れは、 .. 人民生活の中にこそもともと女璽の鉱脈が存在 して , いる。 これは自然形態のもの、 粗雑なものであるが 、 最も生き生きとし、 最も基本的なものである。 これこ そすべての加工形態の女聾をして顔色なからしめるも. のであり、 一切の加工形態の女蔓が、 とって語 きず 、 用いて個れざる唯一 の源泉である。 という毛沢東氏の女聾講話と同一の路線に立つものであ る。 魯迅に言 わせれば r字を識らぬ作家は、 文人の繊細 さには劣るかも知れないが、 剛健と新鮮さと に お い て は、・ひげをとらない」 のであり、 その例をさかのぼって 古典の中にもとめると、 、 . ・ 詩経の圃風の中の多くのものは、 字も知らぬ無名氏 の作品であって、 すぐれ ているものなので、 人 人が口. 口に相博えたのである。 それを役人たちが行政の参考 にしらべて記録したのであるが、 この外、 消えて了っ. たものがどれほどあったことか。 ……東晋から膏、 陳 にいたる子夜歌や諦曲歌の類、 唐の竹枝詞や柳枝詞の 額は、 もとは無名氏の創作で、 女人の採録と潤色を経 て惇えのこされた。 この潤色は保存のためになされた. , が、 必然的に本来の面目を失わしめた。 ……しかし、 記録されない作品は、 すぐ消え失せ、 流布の範囲も広. くなれず、 知る 人も少い。 たまたまその一部を女人が. 見て驚嘆し、 自己の作品の中に吸収し、 新らしい養分 とする。 旧文学の衰えゆくとき、 民間文学……を儒駁 して、 一つの新変化をもたらすことは文学史上、 常に. 6 2 ) 見 ら れ る こ と で あ る。. 叉、 ほかに、 すぐれた 歌、 詩、 詞、 曲なども民間のものと思われ るが、 女. 人がとりあげてしまうと、つくるにつれて難 しくなり、 6 ) 石のように固定されてしまい、 ……次第にくびり殺2. されてしまったのである。 かく、 すぐれた人民的内容を. 持つ作品が歴代の統治者によって巧みに陰険に抹殺され た一つの例として魯迅は四庫全書をひきあいに出す。 乾隆期の四庫全書の纂修は、 多くの人人が一代の盛. 業として額えている。 だが彼らはかえって古書 の格式 をかき乱し、 さらに古人の文章を改ざんしさえした。. そして内廷に保存し、 さらに女風の盛んなところに額 布して、 天 下のインテリに閲読させ、 旧い中園の作者. の中にも▲ 省ては大いに気骨のある人がいたことを、 7 ’ 永久に覚えることのできないようにした2 のである。 そこで魯迅は、 過去の作品はすべ てその本来. の面目に復元し、 .作品中の積極的に人民性の表現せられ ているところを汲みとる べきだと 考える。 彼が古小説鈎 沈、 唐来停奇集を校編した のはこ の考にもとづく。. 魯迅の読書の範囲は広いが、 人民性があらわに出てい るものとして野史難説のたぐいを喜んで読んだ。 周作八. の 「魯迅について」 によれば、 魯迅が自分で最初に買っ た本は 「唐代叢書」 で、 粗雑な、 悪い版ではあったが唐 人の短篇小説類を多くのせて居り、 非常によろこんで読 み耽ったという。 それは・ 野史や雑説には、 おのずか ら誼惇もあろうし、 恩怨 の情が挟っているのを免れぬ。 だが、 往事を見るには. かえってはっきりしている。 というのは、 つまり正史 のように、 もったいぶったようすをしていな いから…. 8 2 ) ”・”,. であり、 難問をつとめた女人たちの虚飾が加えられてい ず、 人民性が豊富に留まっているからである。 そして、 これを読むことによって、 暗黒の中国を改革するしごと の一日も忽 せにす べきでないという、 いたたまれない気. にならせられる。 それが人民性を豊富に含む旧交学であ る。. ところが不可解なことには、 人民性に背をむけ、 逃避. し、 旧い歴史上の賞美を見つめるのを恐れる 女 人 が 多 い。 かれらは、 「きれいな心情」 の文学とか、 「こざっ ぱりした小品」 の文学とかいう小さな親野に た て こ も り野史や雑説に記載されてあるようなことは、 まさか人の世にほんとうにあるとは思え ぬ よ う な. - 43 一.
(6) . 杉. 森. (残酷な) 事な ので、 背筋はぞうっとし、 心は傷つき、 9 ) 永久に癒 らなくなってしま2 .. っては困るのである。 そして叉、 野史、 雑説に記載され ているような 残酷な事実はなくなるようなことはなかろぅから、. 聞かないようにするのが一番よい。 かくてこそ 「きれ 9 2 ’ ・庖厨ヲ遠ザカル」 いな心情」 を保ち、 「君子ノ. な風に生きてゆけると考える。 こ のような退嬰的な よう, 文士は、 「図の亡 びゆく のをよそに」 人民の苦悩なども 問題にせず、 明窓浄机の上で書かれた、 昔の 「瀬酒な小 品女」 を かつぎ出す。. 魯迅はこのように人民を忘れ、 したがって結局は人民 を暗黒につきおとす役目をつとめる文士を徹 底 的 に 憎 む。 峰胃閑」 のために、 乃至は 「梢間」 の新らしい別名 であるところの 「整備のための墓衛」 のために小説を作 るのではない。 「小説 の材料の大部分を病態不幸 な」 人 民の中からとり、 人民の 「病苦を摘発し’て、 療救 の注意 はの するために、 魯迅は小説を作りはじめたので を惹起」 ある。 9 . 旧交墨から認刺性をとりいれたこと さて、 人民性を作品の中にもりこむには、 どんな方法 をとるか?暗黒勢力の統治下において、 言論の自由を持. 正. 綱. 2 ) て 「諏刺」 という3 のでありる。 そし て. 認刺の生命は質 実だ。 曾ってあった事実である必要 はないが、 必ずあり得る実情でなければならぬけり のである。 要するに典型的な情勢における典型的人物を 描くのである, そして、 その表現は 「腕曲」 をたつと. ふも. 稗史に議蝉を寓するものは、 すでに晋、 唐にあった が明になって盛んとなり、 殊に人情小説の 中 に あ っ た。 ……然し文意は浅薄で、 己に漫 罵に等しく、 所謂 3 3 ノ 「腕曲」 ということを知 らないのである。 外史に ならう瞳鰯奇聞や二十年 その後清末に下って儒林 ・ 目階軽 現歌がつくられたが、 その創作の意図は、 世を救 うことにあったにせよ・ ことばの調子が露骨で、 筆が鋭く、 その辞を過激に することによって、 時人の好みに投じるのを意識し3み ているから、 その態度と手段において儒林外史とは、 遠 いものであると して、 魯迅は区別づけるのである。. そして諏刺は善意と熱精をともなう。 ただ人の心を狙 喪せしめる単なる冷噺であってはならず、 好奇心に投 じ る単なる暴露であってもな らないのである。 lo . 故事新編について 魯迅の作品にあらわれる旧文学を論じるとき、 「事件. たず、 「手で書くよりも、 足で逃げるに忙しい」 魯迅に とって、 もっとも適当な手法は、 調刺であった。 ト史 か ら 学 ん そしてその辛株な諏束=の風格をば儒林タ. ”」 と を叙 べるにあたっては、 古い書物を根拠にした…‘ その序交でうたい、 描かれている人物はす べて博説、 歴. だ。 中国小説史略の中 で、 儒林外史の項を叙述するくだ りになると、 魯迅の筆調は著しく熱をおぴ、 r課刺の妙. 力・な いo i. を極め」 また 「狙撃の妙を議している」 点において、 「小説史中にはじめて調刺の書と称するに足る」 ものと して生み出され、 「二度ともう生み出されなかった」 珍. 異であり、 心をたのしませ、 人をして割目さ せ て く れ る」 本であると激賞する。 中園小説史略は、 中園の長い歴史の所産である多様多 態の小説を系統づけ、 諸家の説をあまねく集めた 上で、 独自の見 地から厳正な 論断を下して仮借しない祝」. 学問的労作であるが、 同時に、 言行の間に鋭い批評が内観さしてまた f作家 魯迅」 の 面源をうかがうに足りる損} ものであるo さて、 認刺の定義としては、. 私は思う、 ある作者が、 精錬された、 あるいは、 あ からさまに誇 張した筆で--だが無論やはり整備的で. なければならぬ--或る一群の人の、 或る一面 の贋実 を描くと、.こ の描かれた一群の人は、 この作品を称し. 史上の実在人物である、 故事新編に触れないわけにはゆ 竹内好氏によれば 各篇の内容を説明することは難しい。・不可解の作品 が多いのだ。 何が書かれているか、 何を書こうとした 6 ) のか、 見当さえつかないものがある3. 問題の多い作品であるが、 ここでは旧女学 の処理という 立場からしらべて見よう。. 収められた短篇小説は八篇。 神話、 樽説、 史実に取材. し、 いわゆる歴史ものである。 しかし、 す べてこれらは 旧文学から 「ただ一寸ばかり種をとり、 漫然とあちこち ひろい上げて」 -篇にまとめたものでないと 魯 迅 は 云. う。 そこで、 雪葦氏にしたがえば、 故事新編は、 魯迅が史. 実に忠実な解釈を施したものである。 そのためには、 旧 作 品の細部を想像で翻 って、 読者の前にもち来たした。. そして細部を補う場合に現代的事実を使った。 つまり歴 .現実 史を主体にした。 神話や樽説や史実を工具として、 J. 1 . 3 6 ) を投射したものではないとするのである。. - 44 『.
(7) . 中園近代女学のなかの旧女学 (上)・ 魯迅の観点- これを駁して、 作中にとり入れられている現代の事実 は古い樽説や史実の補充ではなくてむしろ作品の本質的 けり 構成部分をなすものであるというのが伊凡氏である。 むろん、 歴史生活を女国として表現する場合には、 必 要に懸 じて、 材料を集中し組織することは許され、 細部. においては想像や誇張が許されてはいるが、 わざわざ現 代の史実をもってする必要はない。 その上史実を説明せ んとするには、 その史実が発生した時の係件をもってし なければ、 歴史を歪曲することになるではないか。 神話や嫁説は、 当時の人民の生活の斗争における烈. 火の愛憎と生活願望とをあらわす。 , 今、 神話、 億説を処理せんとするには、 その整備的 加工を進めるために、 必要な増添、 変更、 補充するこ とは許されるが、 その原作のもつ自然さ、 素朴さを保. と 「それはほとんど文献に従って行動していながら、 そ れでいて拘束を臆している」 のである。 こう考えると、 魯迅自身が序言でのべている・. 古代と現代から題材をとって、 短篇小説を書くつも. りで……. が生きてくる。 この立場から八篇を鳥願す● ると、 〔補天〕:列子から。 女鯛が石を練って、 天のやぶれを. 補修 した神話。 創造精神と労働との権化として女鯛を称 . . 〔奔月〕:? ′ 佳南子から。 仙薬を盗んで月に奔つた婿繊と その夫の弊との神話。 日を射た古代英雄の奔の形象と、 魯迅がアモイを逃げ出す寂真なる心情の流露。 〔速水〕:史記から。 黄河治水簿説の主人公、 古皇帝鴇. と彼をめぐる人人。 他の作品を遥かにぬいた 秀 作 で あ. たねばならない。 だから、 その中に現代的事実を押込 むことは、 神話、 博識中のリアリズムの成分を破壊せ. る。 はじめのところを少し按牽する。 それは 「湯湯として洪水、 大いに害ない、 浩浩とし. ものである。 だから、 珍重すべき優秀な遺産を、 魯迅と もあろうものが、 粗末にする筈はないと、 伊凡氏は主張. の……或ものは木の梢に取り纏っていたり、 或ものは 筏の上に坐っていたり、 或はまた筏の上に小屋掛けを “していた。 搭えていたり…ノ ……人人は豚大人がまるまる九年、 治水にあたった. んとするものであり、 旭先の女整創作を故韻して、 え 8 ノ たいの知れぬものにしてしまう3. するのである。 かくて、 伊凡氏にしたがえば、故事新編のモチーフは、. 魯迅の問題意識なり観念なりが先行して、 その材料とし て旧文学が利用されたということになる。 たとえば、 「非攻」 を二人に説明させてみれば、 次の ようになるであろう。 誓葦氏: 墨子の公輪般篇の記載にしたがって、 原始社. 会主義革命家墨子の相貌を描いて、 興味津津。 「故事i を新らしく競べているものである。. .公鍬 伊凡氏: 墨子が楚王に宋の攻撃を思い止まらせ、. 般には、攻撃武器発明 の無猛を悟らせてかえってくると、 「都の近くになって、 叉しても義損募集の救園隊につか. まって、 ぼる風呂敷を寄附」 させられたこと .を、 わざわ ざ書いているのは、 読者をしてこの 「非攻」 は歴史の故 事を描いているのではなくて、. 墨子が思想的に奈愛主義者で平和主義者でありなが. ら、 やはり理想は畢寛理想であって、 緊迫した現実当. 面の問題としては、 単に気概を見せるという如き墓話 を排して、 実際的 防桶を充分やるという- -一すべて人. 間の美言や理想に惑わされないで、 実功実用のために 9 ) と3 努力す べきこ● したくて、 魯迅はこ.れを書いたものだ。 を主張. ところが仔細に読んでみると、 両方の立場が作品の中 で止揚せられて、 極めて自然な、 完整された形象となっ. て読者の心に流れこんで来る。 竹内好氏の言葉を借りる. て山をつつみ陵に上る」 という時代である。 ……人民. が何の効もないので、 天子が怒って彼を……配流し、. その後任は彼の息子 で……鴇……であるらしいことを ・知った。 災害は久しくつづいて、 大学はもうとくに解散し、 幼稚園さえも開いているところはない。 だから人民た ちはみんな注然と暮していた。 ただ文化山には数多の 学者が集会 した。 彼等の食糧は、 みな奇肱図から飛車. を以て運んで来る。 それ故に欠乏の心配はなく、 また それ故によく学問を研究す .ることが出来た。 けれども. 彼等のうち、 .大ていの者 (=訳註=人民の治水に日夜 奔走する) は鴇に反対し、 或者はまるで世の中に鴇と. いうものがいることを信じないものもあ .つた。. 毎月一度、 例によって塞中にスウスウと書がし、 そ の音が大きくなると共に、 飛車ははっきり姿をあらわ. ‐地上から五尺になると、 幾つかの寵を吊り下げ し…‐ る。 ほかの人にはその中に何が入れられているかは分. ただ上と下とでこんな話をする のが聞かれる らない。 だけだ。. 「グ ツ、 モ. ニ ソ グ!」. 「ハウ、 ドウ、 ユ ー、 ドウ !」 「ク ル チ ユ ー ル。 …”・」 「○. K !」 … … … … … …. これは当時国民党統治下にあって1瑞ぐ人民の苦しみをよ そに、 どこか らか特別に庇護せられて、 飢えた人民が食. - 45 一.
(8) . .. 杉. 森. ・. う水苔の ビタミンを分析するなどの塞 しい研究に没頭す る学者 の一群に対する痛烈な認刺であることは明白 であ る。 その他無用な水害観察に時間と物資を浪 費 す る 官 僚、 人民代表のおろかな卑屈さなど。. 〔釆薮〕: 史記から。 人口に階茨している伯 夷、 叔費は 偉人であるが、 魯迅は反対に、 われこそは正統 思想なり と誤信する腰味な思想を抱きつつふらふら生きつづける 人を議刺しているo 〔鏡剣〕: 列異博 (眉間尺う。 宝剣と生命を捧げた少年. の執念ぷかい復仇的精神。 少年の首と国王の首とさ・らに 助太刀の首が水中で格闘する描写はすさま じい。. 綱. 正. 4 ) 女警報: 一九五二年一四号~二十号、 「中園文 学従古典現実主義到~的発展的一個輪郭」 5) 魯迅 (竹内好) p .9 6) 7 ) 魯迅輿中園女学 (王瑞) か ら孫引 )8 9 ) 且介亭雑文: 序言 10 ) 准風月談: 「感旧」 以後 11 ) 集タト集拾遺: 「浮士徳輿城」 後記 2) 且介亨難文: 論 「旧形式的利用」 1 、 13 ) 花辺文学: 看書潰記 14) 且介亭難文: 論 「旧形式的利用」 15) 華蓋集: 忽然想到 16 ) 精術街徴木. 将以填槍海. 刑天無矛威 (一本: 形夫無千戚) 猛志固常在 誌、 精衛:山海縦に、 頭部はあや、 くちばしは 白、 あ しは赤…… 「も と少女、 今は鳥に生れ かわった。 常に木片をくわえ来て、 東海をぅ. 〔出関〕: 史議から。 孔子が老子から学問を吸収し露く. して去る。 老子は函谷関に来る。 関守にたのまれて講義 をしてから、 牛に乗って消えてゆく。 あとで関守たちは 噺笑する。 〔非攻〕: 墨子、.公轍股から。 墨子とその弟子、 民衆、. 公轍股、 楚王などが登場。 魯迅の好んだ、 墨子的実践期 行主義、 勤労主義、 職斗的非戦論がはっきり出ている。 〔超死〕: 荘子、 至架から。 五百年前に死んで今贈 らさ. れたはだかの男と菓子と巡査との問答する一幕 劇の形で. 書かれている。 思想的には 「荘子の毒には深くあてられ た」 と述懐し、 「老子の 『無鴬にして篇さざるな し』 と. いうようなことは、 人を愚にするも のだと魯迅は或時奮 然として私 (増田) に語った」⑨ とあるように、 老幕の. 空言は実社会に積極的効用をもたらすものでない故に排 しながら、 しかも、 ここにあらわれた問 答法など兼子の 原女の味を防悌たらしめる。 かくて、 短篇集故事新編を書くにも、 魯迅は旧交学の 人民性と譲刺性の豊富なものをとりいれて、 人民性と諏 刺性とをこめて仕上げたという結論が出る。 残された問題として、 魯迅における旧文学の縞版には. 反逆性、 民族性それから雛晋の女章、 雑女などたくさん あるがこれらは続稿したい。. 註ノ1 ) この主張を、 これだ けと して切り離せば、 以下 の主張と大いに矛盾する。 しか し魯迅自 らもあ ≧風月談;答 「粂示」) ように、 とで解説 した (“ 新世代を背負うべき青年たちが、 旧時代の文人 たちの樋智に染まって、 風雅にあこがれ、 闘う 責任も忘れ、 「少 しは新詩に趣味をもつほかに , は、 全く光緒初年の風雅人と同じようになって. づめ 壷 さ ん」 と鳴 く。. 刑天: 山海経に、 ……上帯その首をきる。 乳を目と し、 膳を口と し、 千戚 (武器) をふ りまわ u常に舞う。 17) 且介亭織女二集 「題未定」 草 8) 同 上 i 19 ・同 上 ) 20 ) 南腔北調集: 第三種人 22 ) 花辺文学: 「大雪紛飛」 23 ) 墳; 後記 24 ) 二心集: 関千翻訳的通信 25 ) 且介亭難文: 門タト女談七、 十 26 ) 魯迅書簡: 致嫌克第十七信 27 )耳 .介亭難文: 病後雑談余 28 ) 華蓋集: 這個 輿郡個 29 ) 旦介亭難女: 病後雑談 ) 南 膝北調集:我綜駿倣起小説来 . 30 31) 大魯迅 全集: 第六巻、 中園小説史略解題(増田) 32) 旦介亭難文二集: 什腹是 「諏刺」 ? 33 ) ,中園小説史略: 悌二三篇 34 ) 同上:悌二八篇 35) 魯迅 (竹内好) p .222 36 ) 女整報: 一九五三年、 ー四号、 魯迅先生的故事 新編 (伊凡) 37) 同. 上. 40) 同. 上. 38 )同 上 39) 大魯迅全集: 第二巻、 故事新編解題 (増田渉) との小論は、次の著書から負うところ多大 である。 魯迅奥中国女学 王 珠 平明出版蔵 : 1952年版 迅 竹内好 世界評論蔵 1948年版 魯. しまv・、 違 う と こ ろ と い え ば、 べ ん髪 が なく な. ったことと、 時々、 洋服を着ることだけになっ て しまう」(班風月談:重三感旧) のを慮って、 ・う、 時代と環境 かかるきつい表現を用いたとv とにおいて考えねばならないと思う。 2 ) 華蓋集: 青年必読書 3) 絹「民主主義論. (拙論を急避まとめ上げ得たのは、 安保編輯委員長 ) の勇気づけによること多大である。 10156に関連 -- 一一女部省昭28助成研究No .. 一 46 -.
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