初期大乗佛教と中国的変容(大要) : 支謙訳経考
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(2) . 人文科学 ・社会科学編)第五十二巻 第 一号 平成十三年九月 北海道教育大学紀要 (. 初期大乗悌教と中国的変容 ( 大要) ー支謙訳経考ー. 山 幸 彦. 北海道教育大学岩見沢校倫理学研究室. 朝. 単 な る言葉 の移 し変え ではなく、高度な文 明文化 の衝突 な いし平行移転と捉. え る のが適合す るかも知 れな い。中国的変容 があ るかどう か の問 題 では、中. 村 元博士 の先 駆的実 証的研究を はじめ、佐藤 一郎先生等先 学 の成 果 があ る。. したが って究明す べき は、ど のよう に変容 し、ど のよう な意味 関連 があり 、. そ の実在 根拠 は何 かあ るかと いう 問題 に移 るであ ろう 。. 本稿 では、西暦 三世紀前半、中国生ま れ の月支人 で、主 に呉国 で活 躍した. 支謙 の訳業を 通じ て、各経 の中 国的変容を析 出し、 そ の相 互連 関 や変容傾向. そし てそ の意 図を検 討し、真意を探 る。 そ こから逆 に、印 度系 原本と考えう. る原典 の真意も変容を手 がかり に考察 し てみた い。 そ の方法 は、 両者をまず. 原本とは独自 の真意を持 つも のと し て捉え る。 そ の真意把握 には 、山 田龍城. 比較対照す ることから始ま るが、例え翻訳経典 にすぎな いにし ても 、印度系. 一、問題 の所在と視座 ・方法. 先生 の提起 された 「 意 図と様 式 や形態と の関係 によ る究 明」 は有効 と 思われ る。 それらと連動す る訳語訳文 の変容補削 な いし他経と の引用影響 関係 、特. ( 内容次第) 二、般若系 の変容と支謙 の空 思想 理解 三、単経群 の変容傾向と相 互関係. 解読作業 の中 で、訳出時 や場 ・訳出順等 の具体的な事実 や支謙伝 や爽注 ・後. に中国固有 の文献群と の関係 の考察も、真意 解読 の手 がかりと な ろう。 こ の. 四、浄 土系 の変容と意 図的構成 五、初期大乗 思想 の真意と そ の変容 の意味. 序 ・添付文と の関連も考え ると 、更 に多様 な関係も たど れる様だ 。 訳者支謙. は 、 訳 経 に お い て、 明 ら か に 意 図 を 新 た に 付 加 し 、. 選 経 も し て い る と いえ. 時 の桔抗 や融合 の事 情、当時 の中国社会 の政治事情 や支配知識層 の信仰、そ. 一、問題 の所在と視座 ・方法 本論 のテー マが問題と し て成立す る発端 は、支謙訳も しく は、旧訳当時 の. れ にそ の地域 の習俗儀礼 ・自然風土等 の 一部 の反応 や対応 が こめら れ て いる. る。 訳風を含め て、それら の内容傾向 に ついては、中国文 化圏 への悌教伝播 経典群 の解読が、余 り進 ん で いな い事 にも由 る。それらは 一般 に難解な訳語. と思われ、 それら の変容 の考察 は決 し て無意味 な こととは言えま い。 次 に初 期大 乗悌 教と いう 本 稿 論 題 の範 囲 ・特 質 に ついては、 平 川 彰 ・2. 0長け・国ho g の博 士を はじ め多 く の先学 の諸説 があ ろう が、当 面 は、支 謙. や音訳も多く、訳し方 の傾向も捉え がた い。それ以上 に、原本 の問題や訳経 の理解ま でも 目指すとす ると 、訳経者達 の様 々な生活経験 や社会的思想的文. 達 が訳出したと される十 四経 の大 乗系経典 の範囲内と な ろう 。本 稿 では、そ. 者 の問題等解読をすす めるには、未決な事 も多 々あ る。 しかも そ の経典 の真 化的状況と の関連等を考慮す ること により 、解け る事もありう る。 それらは.
(3) . . 彦 山 幸 朝. 太 子瑞応 本起 経』 は悌 俸 ではあ るが、校 量 規準 こと にした い。 そ の中 で、 『. 取 意 )」と いう 事 に対 応 し て いる と 云 え よ う 。 棲 の前 に 、 五 戒 を 練 った (. 五倫 や 四端 の 一部 で根 拠 づ けら れ て いる。 こ の五悪 段 は、 五戒 関 説 の中 で 晩年 の隠 は、最も 世俗 的道徳 的 に複雑構成され訳出 された。支謙伝 の いう 「. の中 でも支謙が校量規準 の文 言を 配置付加し て いる代表 的 四経を中心 に扱う が配置 され、大 乗化 し ており、あ る いは支謙 は、初期大乗 に属す ると考え た. 上 の様 な関連を辿 ると 、支謙 の訳経 の考察とそ の中国的変容 の傾向 の検 討と. 『 出三蔵記集』支謙伝 には、 二十 七経訳出と され、拳名 経典 の中 に般若系. 以. かも知 れな い。 これら大乗系 四経 は、小乗系と目され る経典か ら の引 用や影. いう 両面 で視点が確立 でき、 そ の視座 での変容 の意味を究明す ること は容認. を考察す ることを めざ す。と ころで、訳経 の変容 傾向と支謙 の訳業とは、無. 大 明度経』が挙げられ、訳 巻 二) では 『 では 『 維摩詰経』 が見 られ、亦同 (. 二、般若系の変容と支謙の空思想理解. でき る の で な いだ ろう か 。. 響 があ る ので、小乗系 でも考察 圏内 に入る場合もあ ろう 。 以 上 の形式 的 関係 の外 に、初 期 大乗 思想 の内容 的 作 業 仮 説 と し て、便宜 上、 四点を特質と し てまと め てみよう 。イ、般若 ・空観 の関説と展開。 ロ、 自 利 ・利他両具 の菩薩行 六波羅蜜 の性格 や般若と の関係。 ハ、各境位 や無 生. 関係 ではな い様 に思われ る。訳業初期 は、師支識 の直 訳音訳的影響 関係が強. 大明度経』巻 二 のみ添書 に涼州 で 者と し て異義 は少 くな い様 であ る。 こ の 『. 法 忍 の位置づけ。 二、無 上正等 菩提 の把握度 の四点 に ついて、支謙訳各経典. 大 明度経』 の 一部が涼州時代 に訳出 されたが、師 にも く、般若 ・空 思想系 『. 念を示すも のかも知れな い。支謙 の生涯末期 には、 それま で の訳経を引用か. が多 くを占 め る。更 に阿爾陀信仰 に言及す る のは七経 はあり、支謙自身 の信. 関説す る のは十 二経はあり、女性 ・家族 ・男性 ・童 子 ・師等 の斉家的なも の. し い 一群 の経典 が訳された のではな いか。大小乗 に関係なく、在家 の五戒 に. われ る。 そし てあ る時期 から統治的改変 ‐変容 が著 も行われ変容も したと 田心. や当時 の人 々の直 面した生死 ・死 の問題 や受容時 の問題等 々に対応 した選経. 加と の関係も 生 じた のではな いかと想定 でき る。 訳経群中 に、菩薩 思想 関係. 年 に至 った。他方 、東宮孫亮等 の教育も担当した。薮 に支謙と治世的意 図付. 中心 に活躍し、弟 子達と安定 した状況 の中 で、訳経 ・注解等 を続け、 三十数. 変容 訳を支持す る。 こ の頃、支謙 は呉主孫権等 に庇護 され、呉 の首都建業を. 経』も般若 ・空系 統 であり、 四依 の訳出 では文雅派的 に変意 訳出 した事 は、. 維摩詰 法句 経』訳出 にたず さわり 、文雅派 に転じた。 『 から武昌 へ移動し、 『. 如) の章 あ る の に、十 五神 々 の章 が、本 経第 十 三分 別 品 に、亦 十 六真 相 ( 道 行般若経』も 本経と 同 じ な の で、支 が、本 経第 十 四本無 品 に改変 され、 『. 八千頒』と の 一致は 一つでも あ った。本経 の章句 品名 の構 成 では、前後 が 『. 維 摩詰経本業経』中 にも 見受けられ る ので、支謙 訳業 の目的 の 経』経名 や 『. 大阿爾陀 人)を表意化 した。度 人は 『 た。智恵 の完成 より は大 明 によ る度 (. 1智恵 ・般 若) によ って度 た す ( =完 成?)経」 と 訳 し は 「 大 いな る明 ( 1. を 説く)経」 とな ろう が、支謙 八千 の頒 により智恵 の完成 ( 一博士 の適訳 「. 中 国的変容 要素 を 除けば 同系 類と考え う る。 『八千頒』 の正式 名 は、梶 山 雄. ろう 。現存楚本と の原本関係 の点 で問題は残 るが、思想類型 や思惟内 容 は、. あ る点 からも、亦、訳し方 の共通点から でも支謙 は参 照した 可能性 は大 であ. の 『 道行般若経』も 、先 に訳出 され ており、両経 が涼州 で訳出 されはじめ で. 八千頒』と略記)系 の漢訳である。先師支識訳 八千頒般若』( 以下 『 薙本 『. 大 明度 経』 が、印 度 では般若系 の原初 形態 を有 す ると さ れ て いる、 イ、 『. 南且こ のみ であ る。 訳出 された事 が記され、他巻 は 「. つ採用し て、大 阿爾陀経を再構成 ・訳出した のではな いか。特 に五悪段 は防. 謙 は踏襲 した のであ ろう 。 これら三経とも 思想内容 の全体的趣旨 は、変容要. 『 道行般若経』 があり、踏襲面もあ る。後 漢王朝 や社会 の乱難を さけ、河南. 十善)は 五戒を道 徳化 したも のと いえ、 悪 のため であり、悪 の対極 の五善 (.
(4) . 初期大乗悌教と中国的変容. な い特色 で、本無 の場合は、更 に還元 の本源性を付与 し、老荘系 の復帰説と. の高度化 ゆえ に、空性を本無 に包摂 し て複義 的 両義 的 に訳出す る のは師 にも. な がら品名 は不訳 で、師は守空 品と し て いる。支謙は、空を無と解し、本無. も 真相 本無 と共 通性 を見 て、 『八千頒』十 八章空 性 の思想 内 容は訳出 し て い. 人)化 な いし現実遊離 の問題性を生ず る様 であ る。支謙 は、空性 の理解 に (. 的否定 の論法は、作用とし て具体性 ・個 別性 ・人間性を捨象 し、抽象 、非個. だ せ、各 訳経 にも 付加配置し て いた。 こ の超越実在化を 目指 す双否、弁証法. 論語』 里仁 の 「 子』 に由 来す るば かり でなく、 『 無 適莫 か ら合義」 にも 見 い. と いう 術 語 は 『 荘 子』 至楽 の理解 から 造 語 され、直前 の双 否 の論 法 は 『 荘. 顕著な、 二項対 立 の否定変形 によ る弁証法的論法 によ って推進された。本無. 越実在性を強調 し て いる。更 にこの超越実在化 は、本無官mを 中心 に経全般 に. わず」と改変増補し、師より本無を究極化 ・根本化し、した が って、より超. 虚空 にし て、本無不言なり、本無是所有 なり、本無は本 の如 く、亦、非と言. 覚地 の如く、悌 地 の如く、本無 の如く終 に不動なり。悌は本無を 説く。 :・ 非. それと連動し て、鷲本 に全く な い 「 本紐ご を詳 説す る。即ち本経 では 「:・ 独. 取意) ( Lに対 し て、前後 の文意 は 一致す る のに、師も支謙も 品名を改変 し、. では真 相 に つ いて、 「 す べ ては真 相 と 不 二 であ り、 二 つには 分 け ら れ な い. いては、師 よりも 更 に展開 さ せ、中 国的 変容 の度 合 いも著 し い。 『 八千 頒』. 素を 除けば、殆ど 一致す る。 しかし、支謙 は、本無 に関す る思索 ・表 現 に つ. 謀 明慧 品第 五 に合 併 し改 変 した が、訳文 中 にも 変謀 明 慧を 挿 入 配 置 し て い 維 摩詰経般 泥恒経』等 も そ の傾向 があ るが、 これ らは分 別 知 重 視 の主 る。 『. の不訳 ・不 了解を補完 し て いる。 『八千頒』 五 ・六章 の福 徳 ・回向 を 本 経 変. え よう 。例えば 「 悉知」を付加多 用 し、 『 八千頒』 で重視 し て いる舞… 分 別智. の改変 に ついては、個 々の訳文 の 「 知」を重視す る改変 に連動 し て いると い. 支謙達 の生活経験 ・社会観察 に由来す る のでな いかと思われ る。 本 経分 別品. 空 と し て、 「 舞… 依 的 」 な 意 味 でも 解 し た 様 で 、 「 無こ に連 な る 面 も あ ろう が 、. 通思想と支謙 は見 て いたと思われる。更 にこ の否定 的意 味合 いをも 、 やはり. 明らか であ る。 そし て、 こ の双否 の論法 こそ、空 思想と し て、初期大乗 の共. の用例 でも 明らかな様 に空 に対応 し、支謙が空を 双否 の論法とも解 した のは. の成 立 に必須 の双否 の論法 が、より広 く変容 配置 され て いる。 『 維 摩 詰 経』. に採 用され論じ続けら れた事 は確 か であ る。 しかし、支謙訳経内 では、本無. 三義 の中 の本無義 に連 なり ゆく のであ ろう。少なくとも爽注 の支謙 の弟 子達. ら れ、 『 道 行般若 経』等 の支謙 以外 の訳経 の中 にも 散見 され る。 そ れが空 の. 「 に復す るため ( 取意) 本舞… 」と挿 入付加し て いる。そ の他 二、三経 に見うけ. こと にな ろう。 そこ で 『 賛摩 論経』 では、具体的 五戒を実 践す る基盤と し て. 的空と し ては、無 的面舞… 依と解した様だ。す ると 現実 問題 の手が かりを失う. て超 越実在化 し、具体 性、個別な いし人間生命 的現実性を捨象す るが、現実. 『八千頒』 の有 した具体的個 や個人 のそれ には至 って いな い。空 を本無と し. 存在 現象 の意義も容認 され、真相と の関わり でも確 立され て いる。 しかし、. 亦復舞… 本舞ご と 二項対立否定 の双 否 に整え 、 「 等. 個 の真 相 に如 来 ・一切存在 の真 相 が 関わ って いる ( 取意 ) 」と 把握 しう る の. 爽注 に至 って、還 元性 は明 確 化す るが、鎌 田茂 雄 博 士 は本舞台叩か ら直 解す 人)が、真 相 にお いて区 別な く、 る。『八千頒』 で 「 如 来 ・一切存 在 ・個 (. れな い作 用は、可能と な ろう か。無上正真道 へ連な る無 分別知展 開 の可能性. め ると 、とど める役割 も担 い、真相 の 一切知を根 源的 に直観 しう る局 限化 さ. の実践を 工夫す る作 用をなす のであ ろう が、支謙訳 の如く 、分別知内 にとど. では、菩薩行 六波羅蜜 の根底 に流 れ、常 に自 利 ・利他 の配慮 な いし、現場 で. 同じにな る。おそらく、本無と 現実 の結合補完作 用 の意 味 にも な ろう。行品. 紐巽 於真法 中本無… 諸法本無」 と続 訳したが、此 の文言 に還 元性を読む こと. はどう か。本 経 の六度無極 は、 『 論 語』 に由 因す る山 沢行 の補完 併 行 が表 現. 知 的 傾向 と 同じ であ ろう 。それ故 、般若波 羅蜜 に当 た る明度 は、 『八千頒』. も 可であ る。前半 は復帰説 であり、後半と合わせ て読むと 、前半 の止揚 され. され、他訳 三、 四経 にも見 られ る のは、佐藤義博 氏 や中村元博士も 指摘 し て. を、支謙 は 「一切皆 本無. た次 元が後半 で真と され、そ の真法 中 の本無 が存在 一般 の本無と等 し いと、.
(5) . . 彦 山 幸 朝. いる。即ち実践行 でも 二重構造 であ ること ば、本無 や明慧 の事 例と 同じ で、. 品 の原意を 諸法 言品 に改変 ・拡大 した のは、戯曲 の本筋を 逸脱 し つつも、不. 三異 訳と異 なり 、次品 の四半分 にま で、諸法 言品を拡大 し て いる。 こ の間疾. 表 現 に類す るとも 云え よう か。羅什訳を 訳注 した高 崎直道博士 によれば、ヴ. した。金倉 圃照先生的捉え 方 で言え ば 、印度 思想 の 一潮流、ヴ ユー ハ的発想. 近な 四苦 の 一つ病 のお見舞 いの設定 によ って、不 二入空 の奥義を伝え ようと. 不 二入空 を沈黙を以 て指す のであ る。 日常市井 の生活 の中 で、概念 ・論 理 ・ 一 言語が尽き て具体的逆 理 によ って真相を表 現しようと された。 一長者 が、卑. 悌 よりも主体と し て示す事 にも独自 性 があ るとされ、超越的実在 ではなく、. とも共通 かも知 れな い。確 か に原本は 「 智と方便」 を戯曲 の形 で、維摩 が、. と は別 の空般若を意 図す るから でもあ ろう 。 こ の点 は、印 度般若 思想 の潮流. 大 明度 経』 的 思考 と同類 であ ろう 。本経 に明度 はあ るが本無 がな いのは、 『. 大明度 経』 の主知 的ミ分 別知 内 て いな い。支謙 によ る意 図的改 変 であり 、 『. 分別智的な いし根 源的深遠広大な思議を絶す る真 理 ・真相を示す のを訳出し. 沈黙」 の部分が欠け、不 二入空 の無 通 に訳出 し ている在家菩薩維 摩 の示す 「. 蔵訳も含む)が共 で至 る。本経 の根本主張 、不 二入品第九 では、他三異訳 (. や思想改変的 にも広がり 、分別知重視 や言行 一致 の儒学的 エート ス採用 にま. 無為 子』 天道から の校量規準 「. 寂莫 虚 静」 の定型的文 言 の挿 入付加等 々. 荘 訳語、意 識的弁証法 への改変、無依 的空 の強調、治世 への関心、そし て 『. 大 明度経』と 共通す る点 は多 い。明度 、六度無極、専著等 の ると、本経 が 『. の手 がかりと し て、宇井 伯寿博士が先鞭を つけ た方法 の訳語用語 の関連 で見. 大 阿爾陀経』 は崇敬 的と 、中 国 では印 大 明度経』 は塔 に不敬的、 『 を多 用、 『. 維 摩詰 経』 は 詞 刑罰 社会 の重視を 想定 でき る のは、三毒 五悪 段と 同じか。 『. 取意 ) 此 の五罰 世 で、民利 は彼 土 の百千倍 ( 」は 現世 の利と 沢行も併 行 し、 「. 阿爾陀経』第 五願 の悪 人救済願 に共 通す る変容 傾向を 示す 。菩薩行と し て山. 大 捨離 し、定 は乱意を 知 念 へと展 開させ、か つ悔 過 や積 徳等 を加 増 し て、 『. 的徳 目 で補 強根拠づけ られ、道 徳性を帯び てき た。布施目損 ・忍辱仁愛 .柔. 言』と何らか の関わりを 予想 せしめ るが、後 述す る。菩薩行 六波 羅蜜 が中国. 法 更 に爽注 等 でも 意 識 され て いる。お そらく 後 漢 の儒学 の大 学者 揚 雄 の 『. 法 句 経般 泥恒経』 ら の教訓 化を 主張 し て いると知 りう る。 こ の法 言化 は、 『. ・警職 ・方便 そし てヴ ユー ハ性 より、直接 言語 によ る表 現と 言行 一致、上か. を加増付加 し て訳出し て いるが、それは連動 した変容 であ る。支謙 は、戯曲. 空 の沈黙 の設定 と は、不斉合 であり、不要な事 にすぎな い。 さ てこ の法 言品 自省 の法、法 利法 流」 等 の用語 名 の改変 によ って、支謙 は、他 三訳 よりも 「. 本 が無分別知 に連な る非言 語化 、思議 不可能を少 なくとも 指す根源 的不 二入. 分別知内 不 二入空を究極的な法言と し て、主張す る のであ るから、印度系 原. が高 く、 原本 上 の問題 による のではなく 、思想次 元 の問題 であ ろう 。支謙 は. 維摩 の 一黙」 で不 二入空を指す のは、略 された可能性 印度 原典 では共 通 の 「. す るため の配慮 であ った。究極 の法 言を語 る適任者 は、戯曲主役 の維摩詰 で はなく、出家菩薩 の知者文殊 で、般若 思想 の旗手象徴 でも あ った。 それ故 、. 二入品第九 のクライ マック スで、知者文殊 に、分別知内空 を究極的 に言語化. 支謙訳出 の特色 であ る。 維 摩詰経』 が訳出 された こと は、支謙 が在家を通 した事 に ロ、般若系 の 『. 維 摩 経』 の性格と し て注 目す ユー ハに還焚 でき る用例 が 八例も考え ら れ、 『. 度と は違う 具体 信奉 の事 例を暗 示 し て いるかも知れな い。農利 や汚 田、 田家. 結び つくかも しれな いが、 やはり支謙 の空 思想重視を 示すと考えう る。解読. べき であ ろう。 しか し、支謙 は、先づ支 配層知識層 の対機を意 識し て文書主. 和己 下等 が付加 され、逆 に不徳 の対治 でも 、施 は所有欲を 服し、戒 は無 礼を. 義 、言語文献重視 の中国文化思想 の潮流 に合わせ て、分別知内 にとど め てし. の付加 変容 がな され、稲作的実在背 景もあ る のかも知 れな い。空 思想 に関し て、双否 の論法 の理解 が、支謙訳経 には 一貫 し て いること は注 目す べきだ。 ま った。 しかも文殊 が最後 に語 る不 二入空 は、無 的道家的表現 で、儒教的言 行 一致 の思想を加味 し て いる。 問疾品第 五が、支謙 のみ諸法言品 に改変し、.
(6) . 初期大乗悌教と中国的変容. 地 は菩 薩思想展 開 の 一面 であ り、 裏 口 薩 道樹 経、同生地経 、月 明童 子 経』 に. て いるが、伝 が第 一と十 三章 が傷頒 な のに、本経 は散 文形 で、 「 如 来 降化」. り 、輝尊伝 ではあ るが大乗化 し て いる。内容は、馬鳴作 の 「 悌行伝」 に即し. た 「 何行 によ って聖者 になりう るか」 への応答」 の面も あ 悌と は何か」 や 「. 問題 に対応 的な面が想定 でき る。 『 理惑論』 に問われ 太子瑞応 本起 経』 は、 『. 宇 井、丘山 ( 新)説 によれば、支謙訳 は 二十 二経と され、大小乗混在 であ るが、分類化も 可能なまとまりも伺 われ、おそらく選経 され、か つ変容 が諸. 連 句 を 作 った」事 と 軌 を 一にす る。 『 太 子 瑞 応 本 起 経』も 「 讃 菩 薩」 を い. 道」 は 『 大明度経』を想定し て いるか。 これらは、支謙伝 で 「 菩薩 礼賛 し、. を 云う のは、 『 大阿爾陀経』と 共通 であ る。 『 生地経』 の 「 愛楽 明経. 支謙 自身 の知重視 と いえ よう。 『 道樹経』 は阿 爾陀悌を知り 、如来 滅後 の事. 分別知重視 は 『 大 明度経』 に共通 で、特 に 「 慧 が知」 でもあ るとす る のは、. 子 の無 私利他 の犠 牲 的菩薩 行を 語 る。 『 菩薩道 樹 経』 の六度 ・明度無 極等 や. ニ、単経群 の変容傾向と相 互関係 ー. の最初部は伝 にはなく、話 の筋と し ては非伝記的 で、特 に大乗化と中国的変. う。更 に当時 の問題 に対応 の訳経 は、直前 の 「 悌伝」 や 『 般泥恒経 ( 泥垣 へ. も 連なり、爽注 の弟 子達 にも 詳解 された。更 に 『 本業経』 は 『 了本 生 死経』. 容 が著 し い。校量規準も 配置 され、大乗菩薩行 六波羅蜜も心的内実 は、中 国. 、了本生死経、義足経生死品』等 の死生観や長者県官 の世俗的願行 かえる). の 『四願経』及び後付加文等、中島隆蔵博士も指 摘され て いる当 時 の中 国 の. 好菩薩. を知 って いたかも 知 れな い。 『 月明童 子経』 は原本 の三昧 的傾向 よ り は、王. 断求念. 不起 不滅」と か 「 恩 四空浄. 無所適莫」 とあ り、双否 の論法 が空と され て いる。 『 大 明 度 経』と 同 じ. 的 エート スであ る。空観も 「 捨欲守空 空. 経』 の他心知通願と同じ 「 心 中 の所念」 は 『 洪範』 五事 の思 に当た るが、先. を 認 め、六安 般を詳 説す るなど、安 世高と の関係も 示 し て いる。 『 大阿 爾陀. に思想差 か時間 差を意 識 させら れ る。本無 を 語 ら な いのも十 三経 も あ り 、. 弟 子達 の注解 には 三例も 関説 され、 『 大 明度経』 行品 にはな いのは 、師 弟 間. 本紙歯心 想 では、前 二章 の二経 の他 に 『 率抄経義 足経』等 に配 され 、爽注 の. 思想 問題 に対応 した訳経 や変容も な され て いると 見う る。. 駆的 用例を 示し、浄土荘厳 や五悪段 の 一部 に類似 し て いる。更 に、道家的述. 亦、阿爾陀信心を語 るも の七経、 五戒 ( 十善 )を語 る のは十 二経 、 それ に女. く分 別重視 で、空無所有 や山沢行併行も共 通 であ るが、山沢行 には寂 黙 一心. 道士等む し. 処も 知り、第十位 に配置す る のは、独自説と され て いる。 これら十地は、空. 『 菩薩本業経』 は、菩薩 の根 本行 ( 業) 関係 二品と十地品 の抄訳 で 一生補. や受容時 の問題 への対応 に応 じ て、選経 ・変容 ・変形 ・思索 が加え ら れた の. 度人 の目的が 一つにはあり、それが空思想と の関係 で、具体的な社 会 や人間. 聴譲言」と訳出し、本無 が詩と の関係 で語られ て いる。支謙 の訳業 には、. 悔過. 性救済 関説七経等と重複す るが、 一応 グループ化が でき る。そ こで、支謙 は. 三昧 や行空 ・意空 ・一切空 の認識 に由 る。度 人 や大道体解 ・慧度無極 は 『 大. ではな いだ ろう か。空 思想中心 で云え ば 、本無 では、具体的問題 に対応 でき. 活淡. 太平経』 に親 し い。 マスペ ロの指摘されたと の様 に訳経時 の思想状況を ろ 『. 語 によ る訳語が多 用され、守玄精思 守 一 精気. 反映 し て いる のであ ろう 。無 上正真道 や無 生法忍 の配置も あり、大乗経化は. 何かを契 機 に、本 無 的空 観 から、訳経 種 を変え た 可能性 があ る の では な い か。 『 字抄経』 で、本無 に関説 し て 「 難 知和 解善 不如 本無 詳也 善 不能 賞 反. 明度 経』と 同じ訳語 であり、悔過 や奉法律等 『 維摩詰経』と共通 であ る。在. な いと された のではな いか。大乗 の要素 の 「 無上 正真道」 が音訳 の場合も含. 確実 であ る。. 家菩薩 の行と し て五戒 が中心 に云わ れ、百 三十 五願偶中 に散見 され るが、そ. 本無 や明度もな いのも 注 目され るが、 『 大 阿踊陀経』 であ り ながら 三耶 三悌. め て、通経 的 であ るが、『 大 阿爾陀経』 には 正真 道 はあ っても無 上 は な い。. の末 偶 の原形 は散文 であ り 、末 傷 は兼愛 博 施 の墨 子的 用 語 が挿 入さ れ て い 般泥恒経』等 にもあ る。利他的法鏡菩薩 や 一生補処 の第十 る。兼愛博施は 『. にJ.
(7) . . 彦 山 幸 朝. 体的相互関係は今後 の課題 でもあ る。支謙 の訳経そし て変容 の傾向 に、治国. 原文 が頒 であ る のを散文化 し ており 、そ の 一部文言 は五悪 段 に採用され て い 義 足経』 に知ら れ たり等 々、訳 経 の全 私阿昧 経』もあ るが、 『 る。 こ の外 『. 容と し ており、支謙訳経 の 一意 図と 関わり注 目す べき であ ろう。特 にパーリ. 羅托和 羅経』も 一例 であ るが、治 国を 内 名 詞音 訳な のが、 三〜四経あ り、『. 法 言』と 関係があ るよう だ。更 に、経 名 が、 固有 五事 の採 用 に関 し ても 、 『. 洪 範』 て いる と さ れ る 。 中 国 で は 、 法 言 と いえ ば 儒 ・道 両 教 で重 視 さ れ 、 『. を想起 させ、 『 荘 子』内 篇人 間世 にも 見ら れ、安 世高 訳 の二経 にも 引 用 され. 日品 への改 変 維 摩詰 経』 の諸法 当 わ れ るか。 これらを更 に確 証 しう る のは、 『. 了本 生死経』と の関わ りも 伺 之事」と法 言 が、生 死縁を解本す るとと れ、 『. 奥 深妙 法 言 解 本 生 死縁 般泥恒経』 でも 「 『 大 明度 経』 でも 同様 であ る。 『. 法句 は法 言」 と 繰 り 返 し、 序」 で 「 す るであ ろう か。支謙 の言と し ても 、「. 法 言』孝至巻十 三と 序 に対応 三十 九品 は パー リ に欠 く が、問 題内容 上 は、 『. 法句 経』 最後部 三十 六〜 法言』明巻 に当た るか。 『 更 に両者は、明哲 品が、 『. 扱 わ れる問題と極 め て共 通 であ ること は、付加を暗 示し て いると思われ る。. 法言』前 八巻 に取り 比較対照す ると、 パーリになく、最初 の八品は、揚雄 『. 句 経』序 で、文 雅的 に立ち経構成 の纂 冊を いう が、現存 パーリと支謙 訳とを. 法 法 句 経』 に特徴 的 にあ らわ れ て いる。 『 に ついては、小乗経 ではあ るが 『. いる のは同じと いえ よう。支謙 訳経内 で意 図 の付加と構成 形態 の連動 の事 例. 讃悌傷 や重誓 偶 に於 け る訳出 では、 一切主などはなく、王権 への配慮 を し て. が )、 無 上 で な く 、 一切 の主 で な く 、 悌 の主 と 限 定 さ れ て い る 。 鏡 訳 で も 、. 継 尊 も 三耶 三 悌 ま では 同 じ だ 薩 棋 悌 檀、 即 ち 正 等 覚 一切 悌 の主 と さ れ (. 阿 踊陀経』 の意 図と構成 に関す る考察 に適 し い視点 は、願文 と成就文と の関. 大 向 で双否的弁 証法 の思考 や度 人意 図など内 容 上も 同じ 傾向 と いえ よう。 『. と いえ よう。 そ の変容傾向 は、前章 の支謙訳経群 に類似 し、訳し方も同じ傾. 徳化を意 図し、 四十 八願性 が伺え る。 ヴ ユー ハや三昧 の暖昧単 純化 ・中 国思. 四十 八願的残 跡が散 見され、本願文と成就文と の関係 で精査す ると、王体制. や他漢訳を対 照、考察 し てみると 、構成付加 にお いては治 世的意 図を伺え 、. 大阿 踊陀経』を基本 にし て、徳 蔵本 詳 細な 分析 が必 要と な ってき て いる。 『. 明確 ではな いのみならず 、支謙は 四十 八願系 の大経を 知 って いた様 であり 、. 明示 され て いる。 こ の印度系 原本 が 二十 四願系 であ ると いう こと は必ずしも. 弥陀 正等覚 で 一切悌 の主が、人 ( 々)を過度す る道 の経」 と、度 人 の意 図が. 阿 大 阿爾 陀経』は 正式 名 ( 和 訳) は 「 見受 け られな いのと 対照的 であ る。 『. 覚経』と は違 い全く 陀と いう記号化 や阿爾陀 三耶 三悌と 音構され、意 訳 は 『. 大 阿踊陀経』 で確立し、弼 す るに、支謙訳内 にお いては阿獅陀悌 の名糖 は 『. 微密持 経』 の異 訳 は、無 量光 悌と し、蔵 訳も 同 じ で意 訳 ではあ る。要 う。 『. ると 、支謙 は光寿 二無 量 を知 り つ つ音 訳 の 一悌 にし た こと とも な る であ ろ. 悌 の極楽と極楽 国無量寿 勝者と の二種あ る。若 し菟本 が この蔵訳 に近 いとす. 陀化 は支謙 が先駆 であ る。 『 老女 人経』 では、音 訳 一回 で、蔵 訳 では無 量 光. と訳 し、蔵 訳を含む他 三訳は、普通名 詞な のを支謙は阿爾陀悌と解 し、阿爾. 悌)安 養 国 維 摩 詰 経』 では、無 量 ( 訳 し、王 の字を 加え 、無 極 は 不定 形。 『. 寿無極法 王 の安 穏国」 と 菩薩道樹経』 には 「 ろう か。平 川博士 が挙名す る 『. 説)も、阿弥陀言 及経典を 訳出 した ことも、支謙 の信仰傾向を 示すも のであ. 平川七経 薩を讃え て、連句を作 ったと伝え ら れ、藤 田宏達先 生説 では 六経 (. ( 十善 )化 され て作善得福 に則 し、浄土往 生行 の中 にも 組 み入れた。 五善化. 悪 段 は、 五戒 が十 二訳経 中 で関説、思索 し、次 第 に道 徳 的 に深 化 し、 五善. 加 であ る。 それ に応 じ て道徳的 傾向 の三毒 五悪段 が訳出付加 された。 三毒 五. 係 に ついてであ る。 二十 四願文 中 に作善 の願文 が 三願あり、内 二願は変容付. 大 阿爾 陀経』を 再構 成、訳出 変容 し た 想 ‐既訳経等 の文言 の採 用を し て、 『. ・斉家 ・修身 ・太平 の孔孟的枠組 みが志向 され て いること は間違 いな い。 四、浄 土系 の変容と意図的構成 大 阿爾陀経』等 によ って菩 般舟 三昧経』 に引き続き 、支謙も 『 先師訳 の 『.
(8) . 初期大乗悌教と中国的変容. 福作悪 得禍等 のモチー フは、往勤偶楚蔵本 四十 四章 の第 一〜三陽と 同じ であ. う 問題性 は同じ であ るが、 そ の意義 は逆 に高く評価され て いる。更 に作善 得. 欠く点 で、 そ の意義 はな いと され て いるが、 五悪段 では、王県官 の牢 獄と い. 刑罰 は、焚 蔵本 の王権 力 の牢 獄 の否 定的 取 り扱 いと は逆 であ る。焚蔵 本 で は、警瞭 ではあ るが、例えど んな に富裕豪著な王 の牢 獄 であ るうと 、自由を. 表現 で受身 と いう 。荘厳資 具も 同じく 双否後 『 中庸』的実在 に化す る。阿爾. 虚無 .無極 の身体を受く ( 取意 ) 」と双否 が 二重 になされ、究極的 には道家的. われ る。空観的 には、浄 土人を 「 非世 間非 天上 にし て ( 対応楚文 三十 三願). 改変 し て、道徳経的変容 の上 で、支謙 訳 であれば晩年 に再構成訳出 したと思. 阿爾陀悌も双否 の弁証法 で超越実在化 し、王位 配慮 の下 で作善を往 生行 に. したり縮訳し て、乱世を治 め王体制 によ る統治を意 図し て、修身 ・斉家 ・天. り、 五悪段 はそれらを 具体化、そし て中国社会 の当時 の状況を 反映採 用し、. 陀僻も、光 の量性否定、寿 の量性否定 の上、支謙 はそれを 理解 の上 に音訳 に. した五戒と は、 四端 や五倫等 の中国的徳目 で基礎づけ補強 され、 それ に反す. 敷宿 した のではな いだ ろう か。山 田龍城先 生は、往勤傷を原初形態と考え ら. 確定 し て いること は注 目す べき であ ろう 。そし て、 『 般泥恒経』 の様 に入滅. 下大 平 の孔 孟的枠 の中 に変容改変も 当 てはめた のではな いか ( これら諸点を. れたが、文章化 はしな か った。 五悪段 の主 な対機 は、親 不孝 の阿閣世王が 二. を挿 入す るが言語矛盾 であり、 したが って超越実在 の無的霊性 の観念 と でも. ると罰禍 がも たらされ るとす る。 五善 に反す る五悪 の得果と し て、王県官 の. 十 四願 で救 われ、阿爾陀悌と同等とな る第 五願 の対機よりは、より 一層民衆. 解 した のか。浄 土資 具は、双否後、 『 中庸』 術 語 で表象 され るが、浄 土 は無. は、悌道併 行 の地域 に分け て表現 され、『 大 明度経』 の表 現傾向 と 同 じ であ 大 阿爾 陀経』 の散 文 部分 が焚蔵 や他 漢訳 の傷 頒 に対応 でき たり 、四十 る。 『. 会は、悌所行 処 の都市的行 政地域 では、悌儒併行 の地域 であり、辺地的過疎. 社会と は違 い、空思想と し ては後 退 であ る。 三毒 五悪段 の描く理想 的現土社. や往生 三輩化 など積徳 による上 下階層化 し て いる のは、菟蔵 三、 四願 の平等. 河南 的背 景 を 伺わ せ、風土等 は楚 蔵本 と は違う。 又 そ の社会 も、支 謙 訳 で は、 五事 完備 の賢者 達が、和合的儒教道徳的階層社会を反映 し て、所居舎宅. 沙地的な いし乱風的自然 風土を詳説変容 し、樹水 の多豊性 ではなく 、北涼 的. 変容 し て いる。浄土荘厳も双否 の論 理 で浄化 し、実在 化 した。辺地的衆生 や. 差別あり、 そ の最上は浄 土往生者と段階化 し、王位 の宿作因 によ る正当化 に. 根欠 願 ( 対応鷲文 四十願)的乞食 ( 王 の出目 と共 に対応死文 四十 二願)と は. であ ろう。 それを支謙 は世俗文 に改変 し、 面目端 正 の ( 対応九願)王は、諸. 菟蔵本 二十章成就文 は焚本第 四願 に対応す るが、無差別空を表 現したも の. と部分空と いう思想を編 み出し、地域 の諸問題 に対応 でき た のではな いか。. に変容がなされ て いたと いえ よう か。空 思想と し ては、 一貫 した双否 の論法. も、そ こに乱世 の社会 の安定 や生 死運命 の当時 の人 々の問 題 に対応 す るため. 出目 ・貧困等 々の苦悩 の解決 のため に、本願思想 ・浄土設定 がな さ れ、 しか. の応 答と解 しう る。そし て、具体 的問題 への対応 、例えば 民族差 別 ・女 性 ・. 変容 の考察と いう視点 で の問題設定 が前述 の如く成り立 つこと で、 それなり. り、意識的あり方 より実 践的道徳的 に展開し て いる。以上、支謙 訳 で中 国的. る。境位 的 には、 一生補 処 や無生法 忍は欠くが、不退転 黛凡 文 四十 六願)は. す る のは、専 著 突 破 の空 思 想 であ り、 『 大 明 度 経、維 摩 詰 経』 にも 伺 わ れ. か つ苦悩 的 であ り、それ故 に 「 度」 が 必然 化 され て いる。菩 薩 行 に 関 し て は、出家 への配置と され て いるが、 「 浄土 で百善 より現土 で の 一善」 を 評価. 漢訳は実在化を 明言 し て いる。更 に衆生は無依的 であ ること にお いて空 的 で. 有 一異と された。菟蔵讃悌偶 の如き存在空化 は明示 され て いな いが、翻訳他. 。 『 慧印 三昧経』 は集約 し て いるよう だ). 的 な のか も し れ な い。. 八願文 が本経 の成就文 に 一部対応 できたりす るが、本経が 四十八願系 の原本. 羽 田野伯猷先生 の説く如く、社会風土背 景と の関連を考慮 ・深化 し つつ解読. 四向 四果と共 に繰り返され、空思想的ばかり でなく大乗と し ても 後 退的 であ. 背景も想定 でき る。 それ故 、本経 は、三昧 の深 さ、ヴ ユー ハ関連 の内容は略.
(9) . . 彦 山 幸 朝. は進 めう る。 五、初期大乗思想 の真意と中国的変容 の意味. の弁証法 の論 理を経過し て いると した のは既 に見た。訳経 の碩学とも 云 いう. 八千領』 の根本 思想 を、真相と空性 の究明 であ ると解し、根源 的 る両人が 『. 一切智を全体直観直 証す るため、空 に貫かれた真相展開を体 得し てゆく般若. したと いえ よう か。 いず れ にし ても、 『八千頒』 は、菩薩 が六波羅 蜜 行 に裏. 慧を知中心 に大明度と訳し、行 中心 に道行般若と 中国的 に部分変容 し て理解 支謙 の意 図付 加 による訳 し方と 中国的変容 の傾向 の視座 で、各 訳経 が何ら. 付けられた般若波羅蜜 の体得を真剣に思索実践し、確信直証した主意 であ. 『 維摩経』 では、在家菩薩 の説 いた経と題名 にも な って いるが、そ の核心. か の事態 に対処 し て展 開訳出され ており、そ の見方 で解読を進 める のが、真. 間」をも 配慮 し 悌教的 いとな み」 の差な いし 「 度 ・中央 アジ ア ・中国」 の 「. は不 二入空 を戯曲 と いう 形式 で展開 し て いる処 に、『八千頒』とは異 な る具. り、心を尽くし、論法を尽く し、表 現 の限りを 尽く し て、空 ・般若 の根 源的. つつ解読す ると いう 捉え方 は、初期漢訳 の実情を 反映 し て いると いえ よう。. 体性 が伺われ、しかも 、 一般在家 の求道者 が、知者文殊菩薩 よりも より奥義. 意把握 に有効 であ るとも 思われ る。さら に、そ の変容 に由因す る影響 は解読. 大 阿 爾陀 若 し初期 大 乗 思 想 を印 度 的 思想 構成 要素 で枠 付 す ると、前掲 の 『. の不 二入空を示す と ころに、空性 の具体 性、生活性な いし実践性を感 じう る. 一切智 の全体直観を 追求 した経 でもあ る。 しか し、多 様な対機と し ての衆生. 太 子瑞応 本起 経』 は大 乗 に属す る こと にな る のでな い 経』 は小乗 に近 く、 『. 維 摩 が説く 経」 と 題し つつも 、言葉 では 説 か な い のではな いか。 しかも 、 「. しようとす る現代 の我 々にも 及び、それを自覚 し ておく ことが真意把握 には. 中央 アジ アでも)初期大 乗と いえ だ ろう か。とす れば 、印 度 でも 中国 でも (. と こ ろに、固定的期待性を打破す る設定性を見 ることが でき よう 。 不 二入空. と の関連 や具体的 な問題 に則 し てど の様 に理解す る のがよ いか、そし て言語. る共通 の概念 は成 り立 つのかと いう 設問も 可能とな る。印度 では、大乗経典. は 、 維 摩 が 「一黙 」 によ って究 明 し よ う と 張 り つめ る 中 で、 黙 し て語 ら な い. 必要条件 であ る様だ。支謙 訳経内 で十 四経と され る初期大 乗 では、初期大乗. 大 明度経』と の初期 の成立 は やはり 『八千頒』と され るが、支謙訳内 にも 『. こと によ って深 い思惟 へと動か し てゆく。言語 では規定 でき な い、無 分別智. の限界 はな いのかと いう 問題 に対応 し て経 の形態 や構成な いし方法 が配慮 さ. し て訳出され て いる。亦 、同じく般若系 の 『 維摩経』を 、支謙は訳出し、浄. 般若 の働く、真 理真 相を指 し示す のではな いか。 こ の不 二入空 は、決 し て弁. 悌教全般を見渡 した知 見は得られな い。本論 は、訳経と の関連 及び印度系 原. 土系 の大経も 訳出し て いるが、 これら に通底す る初期大 乗 の基本 的要素 は何. 証法 的 思惟 ではなく 、関係的思惟と いえ よう 。弁 証法的思惟 では、対立的把. 維摩経』 が創作 され、特 に対句 内包 の逆 理を介 れ る のには、同じ般若系 で 『. であ ろう か。 それは、支 謙訳 では、度人と 双否 の弁証法 的空観 であ った。長. 握 ・上方志向 ・下方排斥 の問題性が生起す る のではな いか。 不 二入空 の叡 智. 本と の変容関係 から、中 国と印度と の初期大 乗思想 の 一端 の真意 を考 察し て. 尾雅人博士 によ ると、般若 ・空 が大乗 で多 様な形 で展開したと云われ る。 こ. た る無 分別智 の自在 な展開 には達せな いのではな いか。般若 空を多様 にでは. し ての真相把握、 問題対応化 が必要と された のであ る。. れら 三経 ではど んな形態 で展 開したかと いう点 でも考察す ること は可能 であ. なく、 「二にし て不 二」を 通 し て深化把 握 へと 展開 した。し かし人間苦 の桂. 印 みよう とす るも のであ る。杉 本卓 洲博 士 の主張 を敷 衛 し て いう ならば 、 「. ろう。 『八千頒』 の真意 が何 であ り、ど の様 な立場 で理解 さ れた か は、今 な. 格 や世代苦あ る いは社会苦 の根 強さ、複雑 さ に具体的 に対応 でき 、解決 が得. られ る設定 が必要と され る。 それを 、方便 にとどまらず、設定思想ヴ ユー ハ. お究 明 され続 け、私 には 及びも つかな い。 『八千頒』を 支謙も師支識も 訳出 し、 そ の中心 思想とし て、真相と空性 の奥 義を 「 本怨じ と造語訳出し、双否.
(10) . 初期大乗悌教と中国的変容. と無 分別智 へと連なり ながら、設定 に対応 した善分別三昧と空観 に基づ いた 六根楽から法楽 へ展開す る楽 思想 の三要素を、阿爾陀悌 の本願思想 で綜合化 し て、有効 な作 用を めざ し て いるのが極楽 浄土経典 であ ろう 。 しかも 、意 識 の転換を通じ て、実 現をはか るが、 これらヴ ユー ハを はじめ全構成 は、空 思 想 に基礎づ けら れ て いると いえ よう か。 こ の様 に見う ると、印 度初期大乗思 想 にお いても、 そ の時代そ の人 々の問題 に対応 した展開が伺われ る。 しかし そ の問題は対象療法 的 ではなく、より根本的根源的 であ ったと いえ よう 。そ れと 同時 に 一貫 し て流れ て いる空思想と 、それ による叡智体得を含 めた無 上 菩提をどう 理解す るかは、 やはり考え させられるまま であ る。矢島 羊吉先 生 は、空は 「 個 が確立す ること で関係が成り立ち、関係なし に個は成立しな い のであり、 一切 の実体 の否定 にお いて、否定 が空化 し て肯定とな る運動」 と 解 し て いるとも とれ る。 そし て荒牧典俊博士 は、菩提を 「 文化 の根 源 の共 同 体真 理 の現成」 と考え て いるよう であ るが、深 い示唆を与え てく れるととも に、今後 の課題 でもあ る。 尚、本 稿 は東 北大 学 へ学 位 請 求 のた め の 「 本訟 資 料 篇」 の要 旨 であ 趣 「 り 、 二〇〇 一年 一月 一五日東 北大学文学部教授会 にて受 理ず み のも のであ る が 、 公 表 は 本 学 紀 要 に よ って さ せ て いた だ く べく 、 お 願 いす る こと に し た 。. 長年 にわた って、お支え いただき 、か つ御理解 下さ った岩見沢校 及び北海道 教育 大学 の皆様 に深謝申 し上げます。 ワープ ロ化は故 郷 の 一婦人 によ ってお 世 話 いただ き 、全 般 の校 正 ・整 文 化 は 長 男 に協 力 し て貰 った。 な お、 「 本 論」等 は故郷 の町 の印 刷所 の皆 さん にお願 いした。. 、岩見沢校倫理学研究室 誤脱字も多 いけれど) 最後 に 「 本論」だけは ( ( 分)館 に学位請求と 同じ類を 一冊 名)を所属機 関と し て、岩見沢枝 図書 ( 受 け 取 って いた だ け る こと にな った こと を 喜 び と す るも の であ る 。. ( 平成 一三年 一月 二二日 記). .
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