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日本資本主義と地方中小私鉄:三重県下における郡是的鉄道の成立 -- 三重県下における郡是的鉄道の成立 --

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(1)Vol. 36 No. 1 (通巻97号). September. 近畿大学「商経学叢」. 1989. 日本資本主義と地方中小私鉄 —三重県下における郡是的鉄道の成立―-. 1. はじめに 2. 伊賀鉄道の建設と地域社会 3. 志摩電気鉄道の生誕と初期の株主 4. おわりに. 京. 知. 武. ンスを欠く嫌いはあるが,一般化のためには何 よりもデ ー タ集積が望まれるところである。 2.. 1.. はじめに. 伊賀鉄道の建設と地域社会. 日清戦後の第2 次鉄道プ ー ム期には県下でも. わが国における地方鉄道網形成過程の特徴の. いくつかの地方鉄道の計画がみられたが. 第1. 1 つとして,地域社会との関わりが非常に深い. 次鉄道プ ー ム期に誕生した関西鉄道に続いて参. ことは改めて指摘するまでもなかろう。第2 次. 宮鉄道の開業をみるにとどまった。その他は幻. 鉄道プ ー ム期ならびに 軽便鉄道興隆政策期に建. の鉄道に終わっている。 伊賀地方においても,. 設された鉄道の場合, とくにその傾向が強いと. 「明治二十六年九月 大阪市平川靖等ノ発起二係. いえよう. (1 ). リ関西鉄道線上野ヨリ古山,名張 ヲ経テ榛原二. 。. われわれは,地域社会の側からみた鉄道建設. 達ス)レニ十四哩問二軌間二吹六吋ノ軽便鉄道ヲ. ス・ス. 敷設」しようという 計画がおこった。資本金5 0. タデイを続けており,本稿もその1 つとして書. 万円, 伊賀鉄道 (雨宮鉄道) と称したこの鉄道. かれるものである。三重県下の2 つの中小私鉄. はその後社名, 資本金および路 線などをめまぐ. をとりあげるが, 1 つは大正初期に開業した 伊. るしく変更し, 具体化させようとするが, 19 00. の諸過程に関心をもち, ささやかなケ. 賀鉄道(現近鉄 伊賀線),. ー. もう 1つは昭和初期. 年 (明治33) 11月ついに解散となった (3) 。明治. に開業した志摩電気鉄道(現近鉄志摩線) であ. 末期にかけても, 伊賀地方において鉄道建設計. り,いずれも生誕事情からすれば, 郡是的鉄道. 画は 続出したが,. の性格が強いことが注目されよう。前者につい. (第1表)。. ては, とくに延長線建設過程における地域社会 の動向に焦点を合わせることにし, 後者につい. いずれも幻に 終わっている. まず郡是的鉄道の1 つといわれる伊賀鉄道の 建設過程を瞥見するが.. その発端は, 19 13 年. でかなり詳しく述べているから,. (大正2) 1 0月 阿山郡府中村の 菅野原造ほか 9. その後確認できた資料によって,若干の補足を. 名による伊賀軌道の申請に求められる。 上野町. とは, 別稿. <2). するにとどめよう。このため本稿は, ややバラ (1). この点については, 拙著「都市近郊鉄道の史的 展開J C日本経済評論社,1986年)第1章第1 . 第 2 節, 第 2章第 3 節でかなり詳しく扱ってい る。 (2) 拙稿「鉄道建設と地域社会_三重県下の 一事 例ー一」(日本交通学会「交通学研究」1988年研 究年報,1989年)を参照されたい。 -2 7. 丸之内と関西線上野駅を結ぶ短区間で. この申 請に対し. 同年 11月三重県知事は.. つ. ぎのよう. に副申している叫 (3) 鉄道省編「日本鉄道史」中篇(1921年) 668一 671頁。 (4) 「軌道敷設認可申請書」「意見書」(鉄道省文書 「元大阪電気軌道, 参宮急行電鉄<元伊賀電気鉄 道〉」)。 C 2 7)-.

(2) 第 1 表 伊賀地方におけ る幻の鉄道 会 社 名. 区 間. 哩 数 哩鎖. 伊 賀鉄 道 榛原一三田 伊和鉄 道 上野ー名張. 25.40 13.68. 上野ー名張. 14.02. 一. 14.02 13.30. 上名鉄 道. 伊 賀鉄 道 三田 名張 伊賀電気軌道 三田 一名張. 資本金. 考. 備. 失効又ハ却下. 免許年月. 円 120万 明治29. 4.30 明治33.11.14失効 解散二因ル 41.10.25失効 同 39. 2.19 45 期限内二工事施行認可 45. 7.25失効 30 44. 7.18 申請ヲ為ササル為メ 大正元. 7. 1却下 起業ノ誠意ナキモノト被認 30 20 明治44. 9.12却下 敷設ノ必要ナシト被認. 注)鉄道省文書「元大阪電気軌道, 参官急行電鉄(元伊賀電気鉄道)」より作成。 意見書. を陳情している (9) 。. 一本線 ノ目的地タル県下阿山郡上野町 ハ伊賀 地方 二於ケル商工業ノ中心ニシテ人ノ往来. 陳情書 拙者共顔二認可 申請仕候伊賀国阿山郡上野町. 及貨物ノ集散共二頻繁ナルヲ以テ, 本計画. ヨリ同国名賀郡名張町 二至ル軽便鉄道敷設ノ. ハ適切ニシテ成業ノ見込有ルモノト認ム. 義,会社ノ設立二就テハ目下経済界ノ状態良. 一既設国有鉄道ニハ格別影響ヲ及ホサヽ)レモ ノト認ム. 好ニシテ株式募集二最モ好時機卜考ラ レ候二 付, 特別ノ御詮議ヲ以テ,至急御認可被成下. 一願人ハ何レ モ相当ノ信用及資産ヲ有 ス. 度, 此段事情ヲ具シ懇願候也. 一願書及関係書類二押捺セル印影ハ何レモ確. 大正五年九月二十日. 実ナリ. 伊賀鉄道株式会 社 創立発起人惣代. 一 軌道ヲ敷設スヘキ道路ハ県費支弁ノ分ノミ ニシテ, 右ハ県参事会二於テ支障ナキ旨ヲ. 菅野. 原造印. 鉄道院監督局長. 決議セリ 伊賀軌道の申請は,1914年(大正 3) 3月特. 大国栄三郎殴. 許された。 一部線路を変更のうえ,1916年(大 正5) 8 月院線伊賀上野駅辿絡所と上野町 間を 開通させた CS) 。 そして, 翌年9月には新居村住 民の要望を受け,同村内に停留所を新設して上. 野町 への連絡の便をはかっている (6) 0. 他方,上野と名張を結ぽうとする計画は, 前 掲第1表に示すように, 明治後期 以来何度かみ られたが, 1914年12月には既設の伊賀軌道のメ ンバーである菅野原造ほか1 3名の発起で伊賀軌 道の延長線 ともいうべき伊賀鉄道(阿山郡小 田村・名張町間)敷設の願 書が提出されてい る (7) 。 この 軽便鉄道計画は, 「到底成業不能ナ ルモノト認ム」と却下されたが (B) ' 1916年9月 には経済界の好況を背景に至急認可されんこと (5) 「運輸開始許可報告」(同上)。 (6) 「停留所設置認可申請書」(同上)。 (7) 「伊賀鉄道敷設ノ件御許可願」(同上)。 (8) 「伊賀鉄道敷設願却下ノ件」(同上)。. 鉄道の発起人(1916年) 第2表 伊賀 住 所. 氏. 名. 備. 考. 府中村 菅 野 原 造 直接国税納付額230円, 農 415. 上野町 田 中 善 助 商 同 86, 商 同 同 吉 岡 健三郎 57, 武兵衛 商 同 同 星 409, 商 同 同 渡 辺 嘉兵衛 66, 無職 同 同 辻 本 喜男蔵 194, 商 同 同 林 治兵衛 48. 商 同 同 田 中 鹿之助 64, 商 同 同 中村 伊左衛門 52. 商 同 同 村 治 円次郎 152, 商 同 同 窪 田 義太郎 49, 無蹴 同 同 松 生 安兵衛 28, 無職 同 同 古 川 専 一 18, 庶 同 同 菊 輪 良 三 注)同前。直接国税納付額は円以下 4 捨 5 入。 (9) 「陳情杏」(同上)。. -28. ( 28 ) -.

(3) 伊賀鉄道の発起人は, 地主・商人層が中心で. あった(第2表) 。 同社は, 1917年(大正6). 大正六•. 1月阿山郡小田村と名張町間の軽便鉄道敷設権. 一. ・ーニ 小田名張間(-二哩二O. 建設費. 五0万円. 工事施行期限原期 同上 延期. を得たが, 同年 7月には伊賀軌道に伊賀鉄道敷 設権を譲渡する 申請をしている (IQ) 。 翌月許可. 六· 八. ・. 住民の希望を入れ, また同社の経営上の見地か. 七• 七. ・. ることを目論むことになるが, この間郡是とし. 八•一・八. を受け, さらに軽便鉄道への指定変更を意図す ることになる。同年12月社名を伊賀鉄道と改称. ニ八. し, 翌 年3月には菅野原造社長が辞任し, 取締. 役の田中善助が社長に就任した。かくて上野町. らも, 上野町駅から延長して上野市街を横断す. て上野名張間鉄道の敷設を決議していた名賀郡. ニ九. 達成に対応した。社名変更前の1917年12月伊賀. 八•三•一五. 9項目にわたる覚書を交わしている。建設. とおりである. 部を示すと,. つ ぎの. 上野町名張間(-三哩六. 九鎖)二線路変更. 上野町阿保間(七哩二分). 工事施行認可申請 四0万円. 未払込株金二十八万五千. ラレタキコト , 但シ阿山郡内二於テ三千株. 一延長線ハ大正八年中二名張町迄必ズ開通ス ルコトニ努ムルコト. 万円二増資. 現在資本金五十五万円. 一新株ハ名賀郡内二於テ五千株卜定メ募集セ. 一延長線二対ス)レ土エハ両極端ヨリ着手ス)レ コト. 資本金十五万円ヲ五十五. 建設費. (11) 0. 二充チ難キ場合ハ増加募集ノ依頼ヲナスコ トアルヘシ. 道(資本金十五万円•六 ・ーニ ・ ニ五伊賀鉄道ト. キ旨通牒ス. 軌道社長菅野原造と名張上野間鉄道速成同盟会 一. 上区間ノ敷設権ヲ伊賀軌. 線路変更ノ許可二際シ資 本ヲ約百万円二増資スへ. 化するに際して鉄道期成同盟会を組織し, 悲願. 費調達の問題もあるが,. 七• 七·-­ 八• 七·--. 改称)へ譲渡. 有志は, 伊賀鉄道の上野名張間延長計画が具体. は,. 鎖)ヲ伊賀鉄道二免許. 三百七十円. 伊賀鉄道の上野名張間の建設決定までにも随. 分と曲折をへたことがわかる。1919年中にその 全通を約されていたが, 資金不足からいっそう 紛糾する。同年3月名賀郡各町村長は, 鉄道院. 総裁宛にこれまでの経緯を明らかにしながら,. 目下申請中の伊賀鉄道の一 部工事施行の願書は. 一延長線全部開通スルニ至)レ迄, 名賀郡内ニ. 却下, そして必要とあらば増資して上野名張間. 二出席シテ建設上ノ意見ヲ発表セラ)レヽ コ. うに陳情したのである。長文ではあるが, 郡是. 於テ五名ノ相談役ヲ設ク, 相談役ハ重役会. トヲ承諾ス. ところが, 1919年(大正8) 3月伊賀鉄道は. 資金不足のため上野阿保間の一部工事施行認可. の申請をするところとなり, 伊賀地方住民との. 間に葛藤が生じたのである。ここで予め伊賀鉄 道の年譜を示しておくと, こうである (12) 。. UOl 「伊賀鉄道敷設権譲渡許可申請」(同上)。 皿 「覚書」(同上)。 u� 「伊賀鉄道一部工事施行二関スル陳情嘗供屁ノ 件」(同上)。 -29. 全線工事に着手し, 工事は両端から施行するよ. 的鉄道としての伊賀鉄道の特徴がよくわかるの. で, つぎに陳情書を示そう (13) 。. 伊賀鉄道株式会社工事施行二関スル陳情. 吾力伊賀国ノ交通機関タル鉄道ノ利便ハ元ノ 関西線タル拓植島ケ原間ノ院線卜三田上野間. ノ軽便鉄道アルノミニテ貨物ハ凡テ人肩若ク ハ車馬ノ便ヲ主トス)レノミ, 故二運賃ノ高価. ナルハ他府県二多ク其例ヲ見サル所ナリ, 為 (13) 同上。 C 29)-.

(4) メニ産業ノ発達遅々トシテ振ハズ. 諸般ノ施. 町村長タル委員長ハ責任ヲ以テ大正八年中二. 設社会ノ進歩二順応セズ, 殊二名賀郡ヲ以テ. 上野名張間全通ヲ約シ辛フシテ応募シタリ,. 其最ナルモノトス. 地方民ノ交通機関完備ヲ. 是レ上野名張ノ両端ヨリ工事着手スベキ旨ノ. 切望ス)レ亦故ナキニ非ラズ. 醗年伊賀鉄道株. 覚書二依リ会社ノ宣言ヲ確信シタルニ因ル,. 式会社ヲ設立スルニ当リ地方有志競テ其募株. 若シ資本金不足ノ為メ全線路ノ工事施行許可. 二応シ. 條チ募集額二達スルノ盛況ヲ観)レニ. ヲ得難キモノナリトセハ会社ハ更二増資ヲナ. 至リ窟チニ起工セシモ. 中途ニシテ事情ノ為. ス等適当ノ方法ヲ講シ全線貫通ヲ期スルハ方. メ磋鉄シ徒ラニ其痕跡ヲ存シテ解散ス)レノ止. 二会社ノ義務ナリトス, 然Jレニ其義務ヲ尽サ. ムナキニ至レリ, 爾来二, 三ノ起業計画者ア. スシテ斯ノ如キ重大事項ヲ重役会ノ決議ヲモ 経ズ一 部重役等ノ専断的行為ヲ以テ 出願ス)レ. リタルモ是レガ株式募集ハ前轍ヲ履ムノ虞ア ルヲ以テ応ス)レモノナク自然今日二及ベリ, 一. 然ルニ大正六年 月名賀郡有志大会ヲ催シ郡. ガ如キハ横暴ノ行為卜言フベク, 且郡是ノ主 旨ヲ無視シ遂二本郡開発ノ為メ企テタル事業. 是トシテ上野名張間鉄道敷設ノ議ヲ決定ス)レ ト共二, 一 面名賀郡会二於テハ地方開発ノ急. ヲシテ憫ムベキ悲境二陥ラシム)レモノナリ,. 先鋒トシテ交通機関完備ノ要ヲ認メ郡是トシ. ルニ非ラズシテー ニ地方公益ヲ謀Jレノ見地ヨ. テ鉄道敷設期成ノ議ヲ郡長二建淑セリ, 時恰. リ出資シ殆ンド郡内有力者ナルヲ以テ此レニ. 抑モ今回応募株主タルヤ株ノ利益ヲ目的トス. モ伊賀軌道株式会社ハ軽便鉄道二変更シ上野. ヨリ株主間二悪感惰ヲ懐カシムル時ハ延テ郡. 名張間延長ノ議アリ, 妥二於テ乎名賀郡ハ鉄. 治上二及ホス影響モ蓋シ鮮少ナラザ)レベシ,. 道期成同盟会ヲ組織シ名賀郡長ヲ会長二推附. 故二資本金二不足ヲ生セハ宜シク此際相当ノ. シ各町村長ヲ委員長トシ之レガ敷設ヲ期セン. 増資ヲナシ最初約 シタル如ク 上野 名張ノ両. ガ為メ極力尽痒ノ結果, 会社予定ノ株式ヲ募. 端ヨリ工事施行ヲ切望シテ止マザルノミナラ. 集シ以テ其計画遂行ヲ容易ナラシム)レニ努ム. ズ, 若シ 一 部工事ノ着手ヲ許可セラル)レモノ. )レト共二伊賀軌道株式会社ハ伊賀鉄道株式会. トセハ忽チ民心二動揺ヲ来シ地方自治二至大. 社卜改称ジ上野名張間ノ全通ヲ期シ. 工事ハ. ノ悪影響ヲ及ボスハ火ヲ視Jレヨリモ明ナリト. 上野及名張町ノ両端ヨリ着手スベキ覚書ヲ期. 信ス, 何卒上野阿保間 一 部工事ノ施行許可願. 成同盟会二提供シ其実行ヲ約シ而カモ線路ハ. ハ却下セラルヽト共二資本金ヲ増加シ尚会社. 予メ決定セザ)レモ上野名張間ヲ約拾壱哩半卜. ノ宣言セシ如ク全線工事二着手シ其工事ハ両. 会社ノ宣言ヲ信シタルニ, 第二回払込後二至. 端ヨリ施行セシム)レ様御詮議相成度, 別紙覚. リ当初ノ出願線路ヲ変更ジ上野町ヲ起点トシ 名賀郡長田川ノ以東ヲ迂回スル線路二変更ス. 書写相添, 町村長連署此段陳情仕候也 大正八年 月. ルヲ聞キ, 当初ノ宣言二対シ約弐哩半ノ延長. 日. 三重県名賀郡. ヲ見ルニ至リタルヲ以テ本郡南部ハ異議ヲ唱. 名張町長. 安倍多計志印. 蔵持村 長. 川島. ヘタルモ. 遂二 会社ハ 之レニ 応セズシテ其. 同. 迂廻線二決定シ線路変更ノ出願ヲナスニ至レ. 同. 錦生村 長. 宮崎時之助印. リ, 斯ク線路変更ノ為メ哩数延長ノ不利益ヲ. 同. 箕曲村 長. 稲垣. 見)レノミナラズ. 頃日仄二聞ク所二依レハ上. 同. 比奈知村長. 松本 莱祐印. 野名張間全通スルニハ資本金二大ナル不足ヲ. 同. 国津村 長. 木平由太郎印 井上千代之助印. 貞介印 粂蔽印. 生ス)レヲ以テ工事着手許可ヲ受ク)レコト難キ. 同. 滝川村長欠員 助役. ヲ廊リ上野阿保間ノ一 部工事着手許可出願セ. 同. 薦原村長臨時代理者 福地岩太郎印. リト, 果シテ事実ナリトセハ甚ダ憂慮二堪ヘ. 鉄道院総裁. ザ)レナリ. 何トナレハ展キニ株式募集二当リ. 床次竹二郎殿. 1919年4月には, 名張地方の住民感情をふま. -30 C 30)-.

(5) えて. 旧 名 張藩藤堂男 爵, 多久郡長, 安倍名 張 町長, 伊賀鉄道社長田中善助 立会のもとに増資. 情状ナ ル ヲ以 テ , 特二地方民ヨリ停車場新設ノ. 切望 ア ル」 <15) とその理 由が上 申されていた。. に関する協定を な し, 翌月会社 は 名 張上野 間鉄. 1923 年(大正 12) 4月に は , 「当会社遊覧旅. 道速成同盟会名張町委員長安 倍 多 計志と つ ぎの. 客 ノ便 宜 ヲ計リ, 名張駅 及 同附近赤目四十八滝. よう な 契約書を交わした (14) 0. 瀑井二香落峡二旅客接待 ノ家屋 ヲ建築, 貸付又 ハ土地 ノ貸 借 等 兼営仕度候」と兼営事業の認可. 契約書 大正六年拾弐月四 日 附 ヲ以 テ. 当会社 卜 名 張. 申請をしている。 その実態はよくわか ら ない面. 上野 間鉄道速成同盟会長 卜 授受セ ル覚書第四. もあるが, 興業費 4万円,. 項所定事 項 ノ実行 ヲ確保 ジ , 併セテ増資二関. し,. シ 左 ノ契約 ヲ締結ス 第壱条 当会社 ハ上野 名 張間鉄道線路全部二. 借入 金 を 以て充当. 追て 増資で 振替えよう と いう ものであっ. t- (1 6) ゜. 1925年 (大正 14). 3月に は , 「運輸状態 ヲ改. 対スル工事施行 ノ認可 ヲ管轄官庁二申請 ス. 善シ 円滑ナ)レ 輸送 ヲ 遂行セ ン ガ為 メ 」, 電気動. ル モノトス. カ の併用を 申請した. <17). 。. 翌年12月社名を伊賀. 第弐条 当会社 ハ前条 ノ認可 ヲ得タル場合 ハ. 電気鉄道と改称し, 同年5月全線を電化した 。. 遅滞ナ ク 上野町名 張町 ノ各両端 ヨリ同時ニ. 電力 は 三重合 同電気か ら 供給を受 けた。 なお同. 一. 工事 ヲ起シ , 且 ツ 両端共略 ボ 同 程度ニエ. 社 は , 1922 年11月および1925年11 月(関東大震. 事 ヲ進 ム ベ キ モノトス. 災により焼失のため再提出) に上野町の茅町停. 第参条. 会社 ハ大正 九年七月中二 金 四拾万円. 車場から津市の省線阿漕 停車場への延長線敷設. 以上 ノ増資ヲナシ増加株式 ノ募集 ヲ結了ス. の免許 申請を している (18) 。. ル モノトス. 業の効用を 「本起業二依リ テ伊勢 中部 卜 伊賀 卜. 第四条. 万ーニ モ前条 ヲ履行セザルトキ ハ会. 社 重役 連 帯シ テ 其 ノ責二任 ズ. ノ交通上 一 生 面 ヲ開 キ , 関係地方 ノ関係上極テ 有益 ノ事 業 卜 認ム」 とし, また 「競願線ナシ,. 右重役会議 ノ決議ヲ経テ契 約 ヲ締結シ , 別紙 鉄道院へ提出セシ請書 ノ騰本添付候也 大正 八年五月十六日. 又本願免許セ ラ ル ヽ モ省 線二対シ格別ノ影響ナ. シ ト認ム」と副 申したが (19) , 「本出願 線 ハ目下 ノ交通 状態二於 テ敷設ノ必 要 ナ キ モノト認ム」. 伊賀鉄道株式会社 取締役社 長. 三重県知事 は , 事. と却下され, 延長線敷設は 実現をみずに終わっ 田中. 善助 印. 名張上野間鉄道速成同盟会. t- (20) ゜. 残念ながら, 目下のと こ ろ伊賀鉄道(伊賀 電. 名 張委員長安 倍 多 計志殿. 気鉄道) の株主名簿を確認できないため, 同社. 1919年8 月に工事に着手し, 竣工期限 は か な. の株主構成等について 具体的に言 及する機会を. 7月上野町. 得 ないが, とくに上野名 張間鉄道が郡是的鉄道. • 西名張間を開業した 。 こ れに先 だ ち , 同年4. である こ と は , すでに述べた こ とからも明 ら か. り遅れたものの, 1922 年 (大正 1 1). 月同区間に 西原 停車場を 増 設 する こ とを 申請 し,. 開業に間に合わせている。 「本停車場 ハ美. 旗, 蔵持両停車場 ノ中央二位シ, 上野町名 張間 大和 街道 卜 阿保町 ヲ経テ伊勢松坂二通 ズ )レ郡道 ノ分岐点二接ス)レ交通上重要 ノ三角 地点ニシ テ 駅勢圏内二属ス)レ人口 約五千 ヲ包容シ , 木材, 薪炭, 肥料ヲ主トス)レ産出貨物モ亦之二準ス)レ U4l 「契約 書 」(同上)。 -31. U5l 「停車場増設認可申請響」 「理由書」 (同上)。 U6) 「兼業認可申請」 同 ( 上) 。 この 計画は , 1927年 12月 赤 目 遊園株式会社 (資本金 5 万 円) と して実 現 し, 旅客の 誘致に努めた ら しい (大阪電 気 軌道 株式会社 「大阪電 気 軌道株式会社三十年 史」 〈194 0年〉 参宮急行電鉄編143頁)。 閻 「電 気 動力併用 認可申請 書」( 同上) 。 (18) 「延長線敷設免許申請書」( 同上)。 U9l 「茅町. 阿漕間伊賀鉄道 線路延長申請二 関 ス )レ 件」( 同上) 。 (20) 「伊賀鉄道延長線敷設願却下 ノ 件」(同上)。 ( 31 ) -.

(6) 第3表 伊 賀 電 気 鉄 道 の 営 業 成 績 年. 次. 1926下 27上 27下 28上 28下. 収 客車収入 126 , 719 Pl 1 1 4 , 479 127 , 146 121 ,242 124, 490. i. 貨車収入 5 1 , 820 円 51 , 458 5 1 , 644 56 , 492 58 , 701. i. 入. 又 -I--. 兼営収入 959 円 1 5 , 664. 営 業 費 I 借入金利子 61 , 795 円 63 , 772 65, 973 64, 215 65, 956. 当 期利益金. 21 , 215 円 22 , 755 1 4 . 939 1 7 , 290 1 5 , 202. 83 , 931 円 79 , 393 ? 82 , 054 ? 84 , 1 60 ? 83 , 677 I 注) 「伊賀電気鉄道株式会社各期営業報告書」 よ り 作成。 運輸雑収, 雑収入等は省略 し た。 であろう。 すなわ ち .. 上述の とおり, 1917年. 12月伊賀軌道社長と名張上野間鉄道速成同盟会 の 覚書で 新株 募集は 名賀郡 5 , 000株.. 阿山郡. 3 , 000株と 決めていることからも 察せられるよ うに,. 一. 方で少数大株主が存在する反面, 他方. 両郡を中心に多数の 1 株.. 2 株といった 零細株. 主が存在したことと思われる。 1919年12月の株. 主総会で資本金を 55万円から 100万円に増資す. ることを 決議 しているが.. 当 時の 株主総数は. ア リ テ 尚 相 当 ノ成績ヲ賓 セ リ. (25). 株主配当 金 69 , 500 円 7 1 , 750 74 . 000 76 , 250 76 , 500. 」 とある。 同. 社は, 電 化後地方中小私鉄としては一定 の業績 であ ったとい え よう。 貨物収入 の 割合が多 い こ. とも 特徴 の 一 つであり, 駅別では 名張駅が旅 客 ・貨物とも群を抜 い て多かった 。. 3.. 志摩電気鉄道 の 生誕 と 初 期 の 株主. 志摩電気鉄道の計画が具体 化した のは, 1923. 2 ,899名を数 える (21) 。 さらに伊賀電気鉄道と改. 年8月のことである。 省線鳥羽 駅と鵜方村を結. と, 当 時資本金は200万円. 株主総数は3 , 538名. なり, 志摩郡の 各町村長に働 き かけ. 各町村長. 称した 1926年 (大正15) 12月の デ ー タによる. にもの ぽっている (22) 。 なお同社は. 「上野町名. 張間建設当 時伊賀上野上野町間ノ営業利益 ヲ 以 テ 配 当 」 していたという (23) 。. 伊賀電気鉄道 の1926年下期から1928年下期に. ぼうとして, 鵜方村の資産家森本確也が中 心と. は個人 的資格で賛成し, 発 起人となった 。 社名. は志州電気鉄道と称し, 資本金は135万円, 「各. 町村長ハ該株式割当 標準二拠リ株式ノ募集 二 着. 手」 (26) することに なったようである。 ところ. 至る営業成績は, 第3表 のようである。 1926年. が, この計画は他方で鳥 羽町の 作 田 久治 (の ち. の 増加は前期に比し 2 割3 分強 の 伸 びを示した. あり, 競願状態と なった 。 当 局 の 勧奨があっ. 5月の全線電化によって. 同年下期 の旅客人員. という(24) 。 1927年上期には, 兼営の 赤目遊 園. 株式会社の収入も1万5 ,600円余となってい る。. 同年下期 の 営業概況は, 「前期 ヨ リ 引 続 ク 経 済. 界ハ依然不況ノ為 メ 地方的貨物及旅客ノ移 動率 ハ頓二鈍 リ タル情勢ノ感セ シ モ , 他面赤目. 香. 落ノ遊覧客 ハ著 シ ク 其数ヲ増 シ財界不況ノ裡二. (2U 「伊賀鉄道 株式会社 株主総会 決議録抄本」 (同 上)。 (22) 「伊賀鉄道株式会社 第弐拾五回 定時株主総会決 議録」(同上)。 (23) 同上。 ⑳ 「伊賀電気鉄道株式会社 大正十五年度下半期 営 業報告書」。 -32. 志摩 自 動車社長) ほかによる志摩鉄道の発 起が て, 志州 電気鉄道の計画を速成する た め, こ の 2 社は覚書を交わし, いわ ば鳥 羽町代表発 起人. の 作田側は志州電気鉄道の計画に新 た に加 わ る. ことになった 。 かくて. 再申請し た 結果, 1924. 年(大正13) 6月発 起人森本確也 ほか73名に対. し, 鳥羽町 ・ 鵜方村間 の免許状が下付された 。. しかし,. 同年11月 森本側,. 作 田 側 の もつれか. ら, 森本確也は病気を理 由 に創立委員長を辞任. してしまう。 後任の鵜方村代表発 起人には, 大. 凶 「伊賀電気鉄道株式会社 昭和二年度下半期 営業 報告書」。 凶 志摩郡長か ら 三重県知事への書簡 (「大正十五 年志摩電気鉄道関係書類」 県庁蔵)。 ( 32 ) -.

(7) 矢円三郎 (鵜方村長等) が就任する (27) 。 森本. を 有する者にして, 拙者此疑議の了解を得る. 創立委員長辞任後, 鳥 羽町長赤坂治郎吉を創立. 迄は全 々 株式 引 受の申込も相成難 < ' 殊に責. 副委員長として陣容の建て直しをはかったが,. 任を負は ざる事を附記して 引受証に調 印の義. 意 見がまとま らず, 1925 年5 月町村長会議を開. も亦翠に御断 申上候 大正 拾五年参 月 拾五日. いて発起人総代として, 鳥 羽町の石原円吉 (海. 志摩郡磯部村大字恵利原. 産物商, 県会議員) を選んだ。 だが, 創立総会. 作田. を開催するまでに 発起人の異動 (追加, 脱退) が激しかったのである。 1925, 26の両 年にわた. 久治. 志州 電気鉄道株式会社. る発起人脱退 申請者数は 31名 に 達したが (28) ,. 創立副委員長赤坂治郎吉毀. と く にいったん合意したものの, 作 田 久治をは. 西村源之助返信の文面も, ほ ほ 作 田 久治の場. じ めとする同派の脱退が目立っている。 感情的. 合と同様である。 この鉄道の計画に関し, 郡内. なもつれも絡んでいた よ う であるが, 予 約 引 受. 28 カ 町村長会は同時に 発起人会を兼ねていたこ. 株式に応 じ なかったものが 多 く , 推進派は内容. とが注目される。 曲折をへたが, 社 長には 伊藤. 証明郵 便で督促している。 つ ぎに推進派, 反対. 伝七 (1 1世, 四 日 市財界の 有 力 者, 東 洋紡績役. 派の動きを示す書簡を紹介して おこ う. 員) を迎えることになり,. (29) 0. 総株式2 万7 , 000株. 拝啓. の募集にあたっては, 郡内の分は各町村長で決. 志州 電気鉄道株式会社 発起人 ト シテ, 貴殿御 引受相成候 (畠骨閤凰+は) 二対ス)レ 別 紙 引 受証. め, 郡外の分は地元出身で中央政財界で活躍す. (彗) 二御調 印ノ上, 来 )レ拾五日午 後参時迄 二当会社創立事 務 所 へ 御持参相成度候, 若 シ. 力 供給者の三重合同電気の大 口 引受をは じめ,. 其 日 時 ヲ経過 シ , 尚ホ御持参無之場合 ハ当 方. たのである。. ニ 於テ適宜ノ所 置取計 ラ ヒ 可 申上候, 随テ 之. る人たちの後援を 得たとい う. (30) 。. か く て, 電. 全株が決定し, 1926 年5 月会社 創立にこ ぎ つ け 創立総会において,. 社 名 を 志摩 電気鉄道,. ヨリ 生ス)レ責任 ハ貴殿 二 有 之候モノ ト 御承知. 事 務 所を 鵜方村か ら 鳥 羽町への 変更を 議決し. 相成度候, 此段特 二御通知 申上候也. た (31) 。 会社 創立までの 葛 藤に加えて, 東京方. 大正 十五年三 月十一 日. 作田. 面の経験者に よ る実地調査の結果, 志摩電気鉄. 志摩電気鉄道株式会社. 道の終点賢 島 説がにわかに浮上してきた。 その. 創立副委員長. 理 由は, 単に 一地方鉄道として甘ん じ るのでは. 久治. 赤坂治郎吉. 宛. な < ' 参宮客の吸収, さ ら に湾内を開発して観. 西村源之助 拝啓. 光客を誘致することの方が得策であるという 。. 本月拾壱 日 附 書留郵 便正に収受仕候,. このためには, 鵜方浜 より賢 島 の方が 有利とし. 却説拙者に志州 電気鉄道株式会社 発起人とし. たわけである。 元創立委員長の森本確也は, 電. て同会社の株式壱百株の引受証封入調 印方御. 鉄の 将来を 熟慮の末,. この説に 傾いたのであ. 請求相成侯も, 拙者これ迄度 々 異議申出置き. る。 後述のよ う に, 終点変更の動きに対し, 鵜. 候通り, 該鉄道株式 募集に関 しては相当異議. 方村住民は再三住民総会を開き, 反対決議をす. 岡 この人物は, の ち に 「志摩電鉄秘史附鵜方村の 紛議J C稿本, 1931年) を著わしてい る 。 さ ら に 会社創立までの 葛藤 や そ の 後の終点変更をめ ぐ る 確執な どについては, 正木孝明 「志摩電鉄終点紛 擾ーー 終点をめ ぐ る 鵜方村の紛議—」 (「郷土志 摩」 第39号, 1969年) も あ る 。 (28) 大矢円三郎, 前掲書, 10-11頁。 (29) 作田 久治, 西村源之助 と 創立副委員長赤坂治郎 吉間の書簡(前掲県庁文書)。. るとともに, 計両 路線にあたる村 有地を売却し. -33. ないことも決議するなど, 同村は志摩電鉄問題 で大揺れとなった 。 村政も マ ヒ 状態となったの である。 (30) 大矢円三郎, 前掲書, 16-17頁。 (31) 「地方鉄道会社商号並事務所変更届」 (鉄道省文 書 「志摩電気鉄道」)。 C 33 ) -.

(8) 第 4 表 志摩電気鉄道終点地の比較表 比. 景. 較. 項. 目. 色. 細. 目. 山上 ヨ リ 見 夕 ル景色. 眼界広 ク 雄大 ナ リ. 眼界狭 ク 箱庭的 ナ リ. 海岸 ヨ リ 見 夕 ル景色. 海水清 ク 静 カ ニ シ テ 小琵琶湖 ノ 称 アリ. 賞 ス ル ニ足 ラ ズ. 樹木豊富老松所々 散在. 全然無 シ. 理想 二近 シ. 海底ハ泥土又ハ牡蛎付着セ ル岩石 ニ シ テ 不適. 景観 ヲ 添 フ ベ キ樹木 海水浴場 ト シ テ ノ 価値. 別荘地 ト シ テ ノ 価値. 港湾 ト シ テ ノ 価値. 横山 ヲ 背景 ト セ ル タ メ 風 ナ ク 温暖. 季. 夏. 季. 涼風 夕 ヘ ズ避暑地 二 絶好. 孤 島 ニ シ テ 樹木 ナ キ タ メ 日 射強 シ. 水. 深. 深シ. 浅シ. 暗. 礁. 無シ. 到ル処二点在 ス. ニ シ テ避寒二好適. 港 ト シ テ 施設 ヲ ナ ス ニ ア ラ ザ レ バ. 入港 ノ 難易. 大型船 ニ テ モ 出入 自 由. 風. 四囲山二饒 ラ レ如何ナ ル方向 ノ 風 向 ニ テ モ波浪静 カ ニ シ テ 入港碇泊 共 二理想的. 土. 波. 工. 現 設. 備. 入港碇泊不可能 ナ リ. 孤島内 二局限セ ラ ル. 費. 土質軟弱 ニ シ テ工事容易. 土質堅固 ニ シ テ工事困難. 状. 相 当開発セ ラ レ ッ ツ ア リ. 無人 ノ 離島. 費. 増資 ノ 必要 ナ シ. 数十万 ノ 増資 ヲ 要 ス. 村有地ハ無償提供其他モ買収容易. 費. 会社ガ最初 ノ 予算 ノ 範囲 ニ テ建設 シ得 ラ ル. 崎島方面 ヨ リ ノ 距離. 現在 ノ 巡航船 ニ テ 約三四分間 ノ 差 アルノ ミ 郡内景勝地 ト. 志摩郡 ノ 発展 卜 電鉄他 交通機関. 防風 ノ 自 然物 ナ ク 波浪高 ク 入港碇 泊共二困難. 無制限. 用地買収 ノ 難易 工. 寒風駿烈衛生的 ト ハ言 ヒ 難 シ. 冬. 発展 ノ 余地 終点設備. 神明村 カ シ コ 島. 鵜方浜終点. ノ 関係. 遊覧客 ヲ 各方面 二紹介 ス ル ヲ 得, 郡是的電鉄 ノ 趣 旨 二 合致ス 波切, 淡島方面 ヘ ノ 延長共二 合理. 将来 ノ 電鉄網. 的 ナ リ , 他交通機関 ト ノ 円滑 ヲ 欠 ク 恐 レ少 シ (東京調査済). 鵜方地内ハ買収不可能 一. 哩余延長 セ ラ ルル ヲ 以 テ 約十数. 万円 ノ 増加 航路短縮 セ ラ ルル モ電車 二要ス ル 時間 卜 相殺 ス レ バ結局同 一 ニ シ テ. 反 ッ テ賃銭高価 各村 ノ 景勝地 ヲ 疎外 ス ル ノ 恨 ア リ 地勢 ノ 関係上将来 ノ 延長 ヲ 不合理 ナ ラ シ ム , 自 動 車 ト ノ 激烈 ナ ル 競 争ハ免 レ ザルベ シ (東京調査済). 注) 「比較表」 (鉄道省文書 「志摩電気鉄道」)。 一方, 神 明 村 は 賢 島 終点説を 知 り , わ き 立 っ た が , 森本確也か ら こ の 話 を 聞 い た と き は や や. 村 一 致 し て 賢 島 誘致運動 を 展 開 す る こ と に な る (32) 。 郡 内 は ,. 志摩電鉄問 題 で 鵜方村 を 中 心. 唖然 と し , 賛成 と い う よ り は 森本へ懇請す る 雰 囲 気 だ っ た と い う 。 鵜方村 の 賛成派 と と も に 挙. -34. 図. ( 34 ) -. 阿児町役場 「 阿児町史」 (1977年) 134-135 頁。.

(9) に賛否両論の大騒 ぎとなったが, 192 7年(昭和. 之, 会社 創立当時 ハ恰 モ震災直後ニテ財界ノ. 2 ) 6 月 鵜方村住民総代代理森 □ 広吉は, 土地. 不況其極二達シ株式ノ募集甚 ダ 困 難ニシ テ 所. 不 売決議などの住民総会決議書を添付 し, 鉄道. 定ノ期間内二満株二至 ラ ズ, 創立総会モ流会. 大臣宛に既定の方針どおり, 速かに着工された. トナ リ , 殊二創立委員長タ リ シ 故森本確也氏. い 旨の陳情書を提出している。 やや長文の引用. ハ 自 己 引受株ノ 責任 ヲ 果シ得ザ)レ 不 徳 ヲ 謝. となるが, これまでの経緯がよくわかるので,. シ, 且 ツ 将来ノ交通機関 ハ寧 口 自 動車 タルヘ. つ ぎに引用してお こ う (33) 。 ま た同陳情書には,. キ コ トヲ 附言 宣明シ テ 其暇 ヲ 辞任致シ候為. 鵜方浜と賢 島との詳細な比較表が添付されてお. メ , 忽 チ ー頓挫 ヲ 来シ腹 々 成 立 不能ノ嘆 ヲ 具. り, 終点は鵜方浜の方が優れていることを強調. 発 セ ラ レ又シ テ モ郡 民 ハ高イ 自 動車 不 安 ナ)レ. している(第4表)。. 海 路ニ ョ ラ ザ)レ ベ カ ラ ズ ヤ ト将二失望致シ 申 候. 陳情書 謹啓仕 リ 候. 本村見)レトコ ロ ア リ , 夙二村長ヲ 実行委員 卜. 大正十五 年五月 廿 日 創立, 昭和二 年五月 十三. シ テ会社二送 リ シ ガ, 更二多大ノ経費 ヲ 捻出. 日 附工事施行御認可 相成候志摩電気鉄道株式 会社ハ, … … 鳥 羽 町 ヲ 起点トシ英虞湾 ロ 夕 Jレ. シ テ 志摩電鉄 促進同盟会 ヲ 組織シ. 当村海岸二終点 ヲ 檻キ, 以 テ志岸郡 ヲ 縦貫シ. 地二猛運動 ヲ 開始スルト共二, 村内二於テハ. 鳥羽,. 的 矢,. 英虞ノ 三大湾 ヲ 連結スルト共. ー. 村挙 ツ. ッ , 或ハ株式ノ募集二或 ハ反対者ノ抑圧 等 各 ー. 株二株トイ フ 零砕 ナル株式 ヲ 集 メ , 青 年団. 二, 一方遠 ク 紀州 航 路ノ短縮 ヲ 計 リ 省線鳥羽. 処女会二至)レ迄, 或ハ夜警ニヨ リ 或ハ藁細 工. 駅二 連接セシ メ ン トノ計画二基キ創立セ ラ レ. 等 ニヨ リ 応募 ジ タルガ如キハヨ ク 此間ノ苦心. 候モノニ 有之, 既二四分ノーノ払込ヲ 了シ測. 実情 ヲ 物語)レ モノニ御座候. 昂 モ完結致シ, 将二着工ノ迎 ビニ至 ラ ン トス. 当時当村主催ノ会社成立祝賀会席上ニ テ郡長. Jレ折柄, 常二 何事 力 画策 中 タ リ シ 一部重役等. 神鳥徳男 氏並二創立副 委 員 長赤坂治郎吉氏等. ハ突如終点地 ヲ 隣村神明村「カシ コ 島」 テ フ. ヨ リ , 本会社ハ実二鵜方村ノ熱誠ナル努カニ. 無人ノ離島二変更セ ント提唱スルヤ , 早 ク モ. ヨ リ 成立セシ メ 得 タルモノナ リ 云 々 トロ ヲ 極. 大イナル野心ア リ ト探知 セシ郡 町村長会並ニ. メ テ 感謝ノ辞 ヲ 述ベ ラ レタルハ村民尚記憶二. 株主 ハ郡内各景勝地 ヲ 普遍的二紹介シ, 且 ツ. 新ナルト コ ロ ニ 御座候. 将来ノ延長発展上ヨ リ 考察シ テ郡是的事業ト. コ レ全 ク 終点地トシ テノ恩恵二浴ス)レ コ トア. シ テノ趣 旨 約束 ヲ 無視忘却セルモノナ リ トテ. ルニ 外ナ ラ ズ, 若シ ー 朝終点地ノ他二変更セ. ー大反対ノ気勢 ヲ 示シ候為 メ , 数回ノ重役会. ラ レン カ 十数 年来計画実施シ ツ 、 アル当村ノ. モ甲 論 乙 駁意見区 々 ニシ テ容易二 決 定スルニ. 事 業ハ或ハ頓挫シ 或ハ画餅二終 リ , 殊二海岸. 至 ラ ザ リ シ ガ, 最近津市松阪屋ニテ 開 カレタ. 通 リ ハ廃滅ノ運命 ヲ 免レズ, 且 ツ ー村 ガ 唯一. Jレ重役会ニ テ ハ変更セ ントスル終点地. 一. 帯ノ. ノ財源 ヲ 失 フ ト共二, 村民又糊 口 二窮ス)レ モ. 土地約三十万坪 ヲ 三万円ニテ 買収シ, 土地会. ノ続出スルニ至ルベキト存 ジ候. 社 ヲ 設立シ テ四, 五十万円ノ投資 ヲ ナシ, 以. 加 フ ルニ, 凹 耕地並二村落斜断ニヨル水害又. テ遊覧設備 ヲ 施スト云 フ コ トニヨ リ 大体意見. 計 リ 知 )レ ベ カ ラ ズ候, 本村槌二郡内外多数株. 一. ノ. 主ヨ リ ノ既定 計画遂行促進陳情書 ヲ 会社二提. 致 ヲ 見 タル模 様二御座候. 元来本鉄道ハ郡是的事業トシ テ 時ノ郡長並ニ. 出シ テ, 自 己ノ欲望 ヲ 充スニ 吸 々 タル重役諸. 郡内各町村長発起トナ リ テ 計画セルモノニ 有. 氏ノ反省 ヲ 促サント努カシ タルモ, 何 等 顧 ミ ラ レザル為 メ , 乍 遺憾 去 月 六日 緊 急住民総会. 図 「陳情書」 「鵜方村住民総会二於ケ ル土地不売決 議文及其理 由書」 ( 前掲鉄道省 文書)。. -35. ヲ 開キ, 別紙ノ通 リ 土地ノ 不 売 ヲ 決議シ, 更 二会社ノ反省 ヲ 求 メ 候次第二御座候. ( 35 ) -.

(10) 何卒本村ノ微衷御賢察賜リ御許 可相成候, 既. 傷者が出る大混乱 と なり, 議会は成立 しなかっ. 定ノ計画通リ , 速二着工致ス 可キ様御取計被. た という。 当時の新聞には,. 「火鉢は飛ぶ. 椅. 下 候ハ ゞ , 酋二本村ノ ミ ナ ラ ズ 普 ク 郡民歓喜. 子は舞う, 乱暴狼籍 を極めた流血鵜方村会の会. 何物 力 之二過グルモノ無之 卜 存 ジ , 左記関係. 議場」. 書類相添, 此段偏二奉懇願候. 路線変更問 題については' 1 月末に事態を重視. 昭和 二年六月廿 日. と 報ぜられた (35) 。 また志摩電気鉄道の. し た 監督 局から総務課長が実地調査に訪れ, っ ぎのよう に 語っていた (36) 。. 三重県志摩郡鵜方村住民総代代理 森口. 広吉印. 問 題が面倒 と なって来て困っている, 鵜方村. 鵜方村住民総会二於ケル土地 不 売決議文 及其. に とっては同村が折角 骨を 折って出来上った. 理 由書. 同 線 を村の真 中 を突貫いて神明村の.. 賢 島 といふ 無人島 へ 引 込み, 同 所に土地会社. 決議文 一既定ノ終点地 ヲ神明村 カ シ コ 島 二変更シタ )レ場合ハ鵜方村地内二於ケル志摩電鉄用地 並二必 要地ニ アタル村 有地ハ同会社 又ハ他 人ニ. 一. しかも. を起さう といふので 自 分等 の利益を あまり無 視されている と 憤 慨 し ているのだが. なるほ どこれは 同情できる主 張なので あ る,. しか し. 果 し て大局から見て そ の何れが便宜が多いか. 切売却セザルモノトス. 二既定ノ終点地ヲ神明村 カ シ コ 島二変更 シ タ. といふこ と の問 題はまた 自 ら別で, な ほ調査. ル場合ハ鵜方村地内二於ケル志摩電鉄用地. の必 要が あらう と 思っている, 従って会社の. 並二必 要地ニ ア タル私 有地 ヲ同会社 又ハ他. 路 線変更に対する許 可 不 許 可 に ついてはまだ. 人二売却セザルコ トヲ要望ス. 全 然 白 紙の状態であ る. 土地 不 売等決議の理由 と し ては, (1)株式 募集. 結局志磨電気鉄道変更願は, まもなく認 可さ. 当 時ノ約束二違背セルコ ト, (2)明確且 ツ 重大ナ. れた。村 当 局は会社 に補償 金 を 要求 して村民感. ル理 由 アルニ ア ラ ザレバ終点ハ猥リ ニ変更サル. 情の融和 をはかるこ と で' 4年間にわたる志摩. ベキ モノニ ア ラ ズ , (3)終点ノ変更ハ鵜方村ノ致. 電鉄問 題は漸く終結を迎えたので あ る。. 命傷ナ リ , (4) 自 治ノ円 滑 ヲ欠キ其運行 ヲ阻害セ. 志摩電気鉄道は郡是的鉄道 といわれるが. こ. ラ ル ヽ ニ至)レベ シ の4点を あ げ, それぞれ詳細. の点は同電鉄の株主 層の性格をみればより 一 層. な コ メ ントを付 し ている。 そ の内容は, 主 と し. 明らか と な る。第5 · 6表は, 192 7年5月末 と. て陳情書およ び比較表 を 簡条書 に 列 挙 し た形 に. 193 6年5月末の同電鉄株主の地域分布を示 し た. なっている。. ものであ る。第5表 による と , 圧倒的に三重県. しかるに, 会社 側は192 7年11月賢 島 開 発絡み の線路変更願 を提出 し , 翌年 2月認 可 を 得 た の. 下在住者の ウ エ イ トが高く, 192 7年の場合は株 主数では 9 7. 0彩,. 持株数では86.6%, 193 6年. であった (34) 。 この間 , 志摩電気鉄道の 終点変. (昭和 11) の場合は株主数では96.4%, 持株数. 更に関 し ては, 1928 年(昭和 3) 1 月やはり そ. では8 7.1 %が 県下在住者 によって 占められてい. の賛否につき地元から鉄道大臣宛に陳情書が提. るこ と がわかる。 と く に会社 設立の経緯から し. 出されている。終点賢島変更に 賛成 し , そ の速. て志摩郡在住者の ウ エ イ トが高く, 192 7年の場. 成 を 陳 情 し たのは, 立神村長など13カ 村にわた. 合は89 . 7%, 193 6年の場合は86.9% を 占めてい. っている。鵜方村の反対陳情は, 鵜方村代理西. る。但 し 持株数 と なる と , 192 7年の場合で57.6. 崎亮二郎の名前で提出されたが, ほ ほ前年6月. %であり, 193 6年にはさらに低下 し50 .8 % と な. のもの と同 じ内容である。この年 1 月20 日の鵜. っており, 志摩郡以外の三重県下在住者およ び. 方村の村 議会は傍聴者多 数が議場 に 乱入 し , 負. 他府県在住者の占める ウ エ イ トが高くなってい. 伽 「地方鉄道法 施行規則 第十七条二依ル線路其他 変更認可 申請」 同 ( 上) 。. (3.5) 前掲 「 阿児町史」135頁。 閲 大阪朝 日 新聞, 1928年 2 月 2 日 付。. - 36 ( 36 ) -.

(11) 第5表 志摩電気鉄道株主の 地 域分布 1927年 5 月 末. 1936年 5 月 末. 所 株 主 数 持 株 数 株主比率 持株比率. 住. 人 株 3,609 86. 1 人当 た り 1 人当 た り 株 主 数 持 株 数 株主比率 持株比率 平均持株数 平均持株数. % 2.9. % 13.4. 株 42. 7,835. 7.3. 29. 0. 36. 2,634. 15 ,556. 89. 7. 57.6. 6. 2,935. 27,000. ,. 他 府 県 三 重 県 (志摩郡を除 く ) 志 摩 郡. 215. 計. 100.0. 株 3, 492. % 3.6. % 12.9. 株 39. 239. 9,797. 9.5. 36.3. 41. 2 , 179. 13,711. 86. 9. 50.8. 6. 2,507. 27, 000. 100. 0. 100.0. 11. 人 89. 注) 「志摩電気鉄道株式会社第2 回, 第20回営業報告書 」 より作成。 第6表 志摩電気鉄道株主の 主要町村別分布 1936年 5 月 末. 1927年 5 月 末 住. 所. 鳥 羽 町 磯 部 村 浜 島 町 鵜 方 村. 株 主 数. 持 株 数. 人 124 460 101 250. 2,515 2,296 1 , 402 1 ,742. 1 人当 た り 平均持株数. 株. 株 20 5 14 7. 株 主 数 人 98 419. 84. 119. 持 株 数. 1 人当 た り 平均持株数. 株 3,265 2, 176 1,364 1,167. 株 33 5 16 10. 注)同前。 る。 192 7年の1 人 当 たり平垣持株数をみると,. (77名 ) ,和 具村95名 (7 6名) ,越賀村1 46名 (1 22. 他府県在住者は42株,志摩郡 以外の三重県在住. 名 ), 御座村28名 (25名 ) , 浜 島村1 01 名 (84名). 者は3 6株であ るのに対 し ,志摩郡在住者はわず. とな っ ている (37) 。 持株数1 , 000株 以上の 4 カ町. か6株にしかすぎない。 町村別 に 割り 当 てられ. 村 に ついて の デ ー タ に よると(第 6 表), 両 年. 2 株とい っ た 零細株主が多数存在 し て. 度と も 約30彩は, 鳥 羽町,磯部村, 浜 島町,鵜. た 1 株.. 方村の 4 カ 町村で引受けられて い ることがわか. い た ので あ る。 表 にはな いが,192 7年の志靡郡在住株主総数. る。 株主数では, 192 7 年の場合が31 .9%, 193 6. 26 , 34名 の町村別内訳は, 鳥 羽町1 24 名 (98名 ー. 年の場合は28. 7%が 4 カ町村在住者であ る。 鳥. 193 6年, 以下 同 じ). 桃 取村6名 (5 名 ),答志. 羽町と鵜方村を比較すれば. 鵜方村の1 人 当 た. 村2 0名 (16名). 神 島村 9 名 (6名 ), 菅島村 8. り平均持株数は鳥 羽町の約. 3 分の 1 で あ る。 と. 名 (5 名), 坂手村 7 名 ( 3 名 ), 加茂村222名. く に終点問 題で揺れ た 鵜方村は 1 株'. (193名 ),鏡浦村24名 (1 7名) ,長岡村1 00名 (11 3. り 当 てられ た 零 細株主が 多 く ,192 7年の場合,. 名), 的 矢村54名 5 ( 2 名 ). 安乗村53名 (48名) .. 株主総数 25 0名 の う ち , 1 株株主 7 0名 , 2 株株. 国府村138名 (1 23名). 磯部村460名 (419名 ).. 主6 7 名 であり (3B) ' 58. 4%を 占めて い る。 郡是. 2 株と割. 鵜方村25 0名 (119名). 神明村93名 ( 68名 ), 立. 的鉄道といわれるのが首肯 さ れ よ う 。 1936年段. 神村1 2 7名 (115名 ), 甲 賀村38名 (34 名 ) . 志 島. 階 になると. 鵜方村の株主数. 持株数と も 大幅. 村 9 名 (9 名 ),畔名 村28名 (25名). 名 田 村46 名 (45名 ), 波切村1 04名 (11 7名).. 船越村155. 名 (99名 ). 片 田 村93名 6 ( 6名 ), 布施田 村96名 -37. 罰 「志摩電気鉄道 株式会社第二回, 第二0回営業 報告書」 ( 1927年 上期, 1936年 上期)。 (38) 同 上 (1927年 上期)。 C 37 )-.

(12) に減少しており, 他方鳥 羽町は株主数こそ減少. 192 7年段階 の 同社主 要株主は, 第 7 表 の と お. したが, 持株数は逆 に 増 加し, 1 人当たり平均. りである。 三重合同電気をは じ め, 大阪電気軌. 持株数は33株となっている。. 道な ど の 法人株主が目立つ 一方. 同社 取締役社. 第7表 志摩電 気 鉄適の 主要株主 (1927年 5 月 末) 株 数 住 所 2 , 600株 1 , 100. 名. 氏. 備. 考. 三重合同電気取締役社長 大 田 光 熙. 津. 長伊藤伝七の 1 , 000株, 元創 立委員長森本確也 の5 00株も注目 さ れよう。 大軌の3 00株所有は. 志摩電鉄が大軌. ・. 参 急の延長線的性格をもつ に. 至ったからである。 193 6年段階 には,故森本確 也 の 二男 徹 也が42 0株を 所 有し (39) , 上位 に名を. 三 重 郡. 伊. 藤 伝 七. 500. 大. 岡. や. 500. 島 羽 町. 御木本 隆 三. 500. 鵜方村. 森 本 確 也. 310. 東. 京. 奥 野 治 助. 300. 大. 阪. 対坂電気軌道取締役社長 金 森 又一郎. 276. 波 切 村. 松 井 丈 夫. 230. 多 気 郡. 元 坂 新 作. 221. 磯 部 村. 西 岡 敏 助. 取 締 役. テハ ー 日 平均乗車人員千百十四人, 客車収入. 215. 島 羽 町. 加 藤 卯之助. 監 査 役. 参百八拾参円 八銭三厘ニシ テ 前期二比シ 人 員. 200. 東. 門. 阪. 京. 野. す. 同. 藤 田 国 馨. 200. 津. 野 村 正 幸. 200. 三 重 郡. 福島富子親権者 福 島 い と. 200. 飯 南 郡. 安 保 庸 三. 200. 宇治山田. 勢南銀行頭取 奥 井 周太郎. 200. 磯 部 村. 迫向区人民総代 西 岡 松太郎. 175. 甲 賀 村. ともあれ, 1929 年(昭和 4) 7 月鳥 羽 取 締 役. 監 査 役. 専務取締役. 監 査 役. 150. 宇治山田. 河 村 善兵衛. 取 締 役. 150. 秋. 大 高 庄右衛門. 取 締 役. 井. 上 善 代. 100. 宇治山田. 村 田. 100. 河 芸 郡. 下 津 利兵衛. 注)同前。. ニ比シ 発送三. ・. 九起, 収入参 円 九拾五銭即 チ. タルモ. 幸二三月十 日 ヨリ 五月十五 日 二亘リ. 顧. 浜 島 町. • 七逃. 貨物 収入拾五円 八拾九銭ニシ テ 前期. ノ成績 ヲ挙 ク ルコ ト困難ナルベ ク 予想セ ラ レ. 赤 坂 治郎吉. 110. 蚊賢 島 視察客 多 数 乗車シ タルニ 因 Jレ モノナ. 本期ハ 一 般財界不況沈滞ノ際ニシ テ到底所期. 同. 口. ハ開業ノ当時二於テ乗車賃 金 割 引ノ為 試乗客. 三割三分ヲ増 加シ漸増ノ趨勢ニ アリ. 165. 浜. 営業状況は , つ ぎ のよう に 報ぜられている (41) 0. リ , 又貨物方面二於テハ ー 日平均発送述数八. 監 査 役. 鵜方村. 車2 両(迎 数各1 0両) であった (40) 。 同時 期 の. 九銭三厘 即 チ ー 割三分ヲ増加セリ , 右ハ 前期. 石 原 円 吉. 115. 港間25キ ロ 余を開通 さ せた。 193 0年(昭和5) 上期末の同 社の 車両数は,電動客車6両(定員. ニ於テ百六十人 ヲ減シ 収入二於テ ハ四拾参 円. 島 羽 町. 石 倉 己 吉. 真珠. 本期間二於ケル営業成績ハ … … 旅客輸送二於. 井 長治郎. 140 名 古 屋. ・. 各60名),有蓋 貨車2 両(逃 数各1 0逃). 無蓋貨. 165. 田. 連 ね ているが, 彼は当時志摩電鉄の 取締役の 1 人 である。. 駿. 200. 向. 取締役社長. 問. 宇治山 田 市二於テ開催セ ラ レ タル御遷宮奉祝 神都博覧会観覧客相当多 数乗車シ タル為比較 的良 好ノ成績ヲ収 ムルコ トヲ得 タリ 当 期 の 純益 金 は1 , 41 7円 余である (42) 。 駅別の 営業実績は,第8表のようであり. 鳥羽. 資 島 両駅が多く,いずれも駅別収入で2 0%を超 えて. 松四郎 仙右衛門. 取 締 役 取 締 役 取 締 役. (39) 同上 (1936年上期)。 (40) 「志摩 電気 鉄道株式 会社 第八回 営業報告書」 (1930年 上期) 。 (41) 同 上。 四 同 上。. -38 C 38 ) -.

(13) 第 8 表 志摩電気鉄道の駅別営業実績. 旅. 駅. 名. 島 中. 羽 郷. 10,754 5,327. 津 茂 尾. 765 523. ノ. 船. 加 松 白. 知. 沓. 掛. 3 , 127 2,420. 口. 1 , 060. 鵜 方 志摩神 明. 7 , 997 767 13,383. 鵜. 方. 賢 真. 珠. 島 港. 計 鉄. 道. 省. 他. 会. 社. 貨 円. 物 315. 合. 運輸雑収 円. 55. 円. 計. ※ 12 , 427. 比 円. 5,335 771 526. 8 6 3 4. 1,513 30. 29 3. 1. 2 222. 74. 44. 154 382. 1 , 076 4. 13. 率 20.3. %. 8.7 1.3 0.9 2.5. 705. 1.1. 381. 0.6. 277. 0.5. 6,879. 11.2. 3 , 325 3,878. 5.4. 1 , 064. 320 25. 6.3 1.7. 8, 680 815 13,982 799. 14. 1 1.3 22.8. 797. 17 1 23 2. 100.0. 346 22. 576. 55, 500. 2 , 425. 2 , 120. 112. 6 1 , 357. 9 , 934. 648. 657. 3. 1 1 , 242. 16. 116. 3 , 089. 2,893. 65, 434. 計. A ロ. 103. 6,570. Jil. 占. 円. 378 275. 志摩磯部 迫 間 ノ\. 手小荷物. 1 , 509 645. 木. 五. 客. 1.3. 132 1 15. 72, 731. 注) 「志摩電気鉄道株式会社第 2 回営業報告書」 よ り 作成。 島羽駅 に は別に郵便物収入1 , 200 円 あ り 。 志摩磯部駅の. 細株主が存在す る こ と は 珍 し く な い 。 こ の よ う. 1 1 . 2形が続い て い る 。 な お 別 稿 (43) で み た よ う. な 傾 向 は . 軽 便 鉄 道 に 典 型 的 に み ら れ る が (44) ,. いる。. 次 い で 鵜方駅の 1 4 . 1形,. に , 同 社 の 業 績 は 振 る わ ず , 政府補 助 金 を得て い る 。 1940年 (昭 和15). 6 月 に は , 創業以来の. 伊藤伝七 に 代 わ り , 参急専務取締 役 の 井 内 彦 四 郎が志磨電鉄取締役社長に 就任す る 。 同年1 1 月 末には,. 株主総数 も 188名 に 激減 し ,. しかも上. 位株主 に は 大軌, 参 急 関 係者が顔を 揃 え る こ と に な る 。 役員 陣 の 刷新 と と も に , 志摩電気鉄道 は 改 め て 大軌, 参 急 の 延長線的使命 を 明確 化 さ れたので あ る 。. 4.. お わ り に. 一般 に . 局地鉄道の 場合. 地域別 に 割 り 当 て ら れ た 沿線在住の 1 株. (侶. 2 株 と い っ た 多数の零. こ の点 に つ い て は , 前掲拙稿を参照 さ れた い。 -39. (44) 軽便鉄道 の 出 資類型に つ い て, 青木栄一 ・ 老川 疫喜の両氏は, ( 1)沿線地域社会の地主. (2)沿線地 域社会の 地方産業資本家, (3)沿線地域社会の 出 身 者で, 中央の政財界で活躍す る 人物, (4)沿線の地 域社会の 出 身 で な いが, 沿線地域社会 と の 間に何 ら か の取引 · 利害関係の あ る 人び と , (5)東京 な い し 大阪在住の企業家で. 利潤を 目 的 と し て軽便鉄 道に投資 し た 人び と . (6)鉄道企業に は それ ほ ど 関 心 を も っ て い な い企業家の場合で も . 著名 な寺社 や観光地を め ぐ る 軽便鉄道に梢極的な投資活動を 行 う 場合が あ る , と 6 つ の タ イ プ に 分 け ら れて い る 。 と く に第 1 の タ イ プの投資は, 配当収入を 目 的 と す る の で は な く , 明治期を通 じ て殷地を兼併 し , 資本蓄桔を進め て き た 自 己の利益の地域社会 への 還元行為 と し か考 え ら れな い と い う ( 野 田 正 穂 • 原 田 勝正 • 青木栄一 ・ 老川 疫喜編 「 日 本の鉄 道 成 立 と 展開ー一」 日 本経済 評論社, 1986 年, 154-155頁) 。 い わ ゆ る 地方名 望家層を発起 人 と し , 彼 ら の 呼 びか け で応募 し た 多数 の 零細株 主の 出 資は, い わば地域社会 に お け る 一種の分担 金的性格 を も つ も の で あ っ た と いえ よ う 。 C 39 ) -.

(14) 本稿 で と り あ げ た 伊賀鉄道 も そ の 1 つ で あ り ,. こ の 大和鉄道の 敷設権 を 参急発起人が譲 り 受 け. ま た 地方鉄道法で 免許を得 た 志摩電気鉄道 も 同. る こ と を 申 請.. ジ タ イ プ と い え よ う 。 郡是 的 鉄道 と い わ れ る ゆ. 1929 年 か ら 1930年 に か け て桜 井 • 山 田 間 を 開 通 さ せ た の で あ る 。 参急 は . 資本金 3 , 000万 円 で 1927 年 9 月 に 誕生 を み た が . 引 き 続 き 建設工事 を 行 い , 1931 年 (昭 和 6 ) 3 月 に は 終点が宇治. え んが そ こ に み ら れ る 。 志摩 電気鉄道 は ,. 戦時 交通統合 に よ っ て ,. 1944年 (昭 和 19) 2 月 神都 交 通 を 母体 と す る 統. 合会社の 一 翼 に 組 み 込 ま れ, 結局三重交通株式 会 社 と な る (45) 。 伊賀電気鉄道 の 方 は ,. 曲折を. 認可を 受 け る や ,. 参急の手で. 山 田 ま で延長さ れ た 。 な お,. 1927年 4 月 伊賀電気 鉄 道 は 大和鉄道の. へ て大 阪電気軌 道 に 合併 さ れて し ま う 。 す な わ. 名 張 • 宇治 山 田 間 延長 に つ い て , 特 別 の 配慮 を. ち , 奈良盆地 か ら 伊勢 神 宮 へ の 参 宮 ) レ ー ト を 鉄. 願 い た い と 陳情 し て お り , 大和鉄道 の 同 敷設権. 道 に よ っ て 結 ぽ う と す る 計画 は何度か試み ら れ. に は 一 定 の 条件が付 さ れ た よ う で あ る 。 当 時の. た が , 大軌 と そ の 姉妹会社参宮急行電鉄 に よ っ. 鉄道省文書 に は ,. 「大和鉄道 延長線免許 ズ ミ .. て そ の 夢 は 実現 す る 。 初 期 の 経営難か ら 立 ち 直. 1921 年 (大正 10) 以 降西大寺 ・ 1924年 か ら は 布施 • 桜井間 の建設を進. っ た 大軌 で は , 八木間,. め て , 天理軽便鉄道を合併す る な ど 奈良盆地 一 帯 を 勢力下 に 置 く よ う に な り , さ ら に伊 勢方面 へ の 進 出 を 計 画 す る が, そ の 橋渡 し を し た の は 大和鉄道で あ っ た 。 同 社 は , 奈良県下 の 一 地方 鉄 道で あ っ た が, 許 を得, が,. 1922 年 6 月 桜井 • 名 張間 の 免. さ ら に 宇治 山 田 へ の 延長を 出 願 し た. 1925 年 に 同 鉄 道 の 株. こ こ に お いて大軌は,. 式 の 大部 分 を 取得 し て,. こ れを 系列 下 に入れ た. の で あ る (46) 。 大和 鉄道 は , • 神戸村, 続 い て 1927 年. 1926 年 2 月 榛原 町. 4 月 に 名 張 · 宇治山 田. 間 の 免許 も 下付 さ れ る と こ ろ と な っ た 。 別 会 社 参急 (47) の創設を 目 論ん で い た 大軌 は , 翌 5 月 (451 三重県下に お け る 戦時交通統合の過程 に つ いて は, 三重交通株式会社 「20年の あ ゆ み」 (1964 年) が詳 し い ほか, 拙稿 「 日 本 資本主義 と 地方中小 私鉄の 展開—ー _ 松 阪 電気鉄道の 興亡を 中 心 と し て 一ー」 ( 大阪郵政考古学会 「郵政考古紀要J 13, 藪内吉彦退官記念論孜, 1988年) で も 一定の展望 を し てい る。 (46) こ の辺の事情に つ いて は, 拙稿 「紀勢鉄道 ( 紀 勢線) の建設 と 三重県」 ( 「三重県史 研究」 第 2 号, 1986 年) で も若干ふれて い る 。 (仰 参宮急行電鉄の 計画 に 関連 し て, 一志郡各町村 長は, す で に 決定済みの名 松線敷設は絶対変更な き こ と な ど を 中央 へ 具申 し て い る (鉄道省文書 「関西急行鉄道 <元参宮急行電鉄>」) 。 意 見 響 小生等 (仄) 頃 日 灰聞 ス ル 所ニ ョ レ ハ大阪電気軌道株式会社二 於 テ ハ 既設線 ヲ 延長 シ 大和方面 ヨ リ 県下名 張町二 至. リ , 夫 レ ヨ リ 初瀬街道二 沿 ヒ 阿保町 ヲ 経テ 伊賀伊勢 地村 ヨ リ 墜道 ヲ 以 テ 郡内 倭村地内 二 出 テ 雲出 川 二 渡 河 シ , 名 松 線 ノ 予定線路 ヲ 数次交錯 シ タ )レ上松坂町 二 若 ジ . 更 二 宇治山 田市二達ス )レ参宮究鉄 ヲ 布設 ス )レ ノ 計画 ヲ 以テ 已 二 其筋 二 出 顎中 ナ )レ コ ト ヲ 承知致 候, 小生等之 ヲ 郡内 全般 ノ 交通 ヨ リ 観察 ス ル ニ , 倭 村 ヨ リ 雲出 川 右岸二 出 テ 、 松坂二至)レ部分ハ 全 ク 名 松線 卜 井行ス ルモ ノ ニ シ テ , 交通上利益鮮少 ナ ル ノ ミ ナ ラ ス 折 角 政府二於テ 布設方確定 ノ 名 松線ニ ー ノ 暗影 ヲ 投 ス )レ ヤ ニ モ思惟セ ラ レ , 斯)レ風聞二 接 ス )レ ヲ 最モ 追憾 ト ス )レ モ ノ 有之候. 就テ ハ左二郡内 ノ 交 通 二 関 ジ 公平無私 ナ リ ト 考 フ )レ吾人 ノ 要求 ヲ 開陳仕 候 ー 、 已二 決定 セ ル名 松線 ノ 布設ハ絶対 二 変更 ナ キ ヲ 望ム 二、 雲 出 川 右岸 ノ 地域ハ名 松線 ノ 布設ニ ヨ リ 其開発 ヲ 期 ス )レ ト 同時二, 雲 出 川 左岸 ノ 交通 ヲ 完備 セ サ ルヘカ ラ ス 三、 省線参宮線以西ハ名松線ニ ョ 1) 交通 ヲ 充足セ ラ ル ヘ キ ヲ 以テ , 省線以東ハ 努 メ テ海岸二 近 ク 交通 機 関 ノ 設備必要ナ ル コ ト 上記要求ニ ヨ リ , 大軌計画 ノ 参宮電鉄ハ将来名 古屋 ヨ リ 山 田 二 至 )レ電車線 ヲ 顧慮 ジ , 別紙図面 ノ 如 ク 布 設 セ ラ ) レ ヽ ヲ 至 当 ナ リ ト 思慮仕候間, 将来充分御配 意相煩ハ シ度, 此段及意見具申候也 大正十四年十二月 五 日 高茶屋村長 服部米次郎 桃 園 村 長 山本 潔 矢野村長代理 助役 米川安次郎 本 村 長 上野 三郎 雲 出 村 長 和 田 駒次郎 戸 木 村 長 平林喜久三 小野江村長 田 中英 一郎 七栗村助役 中川 栄吉 鵠 村長 黒類 脩二 大 三 村 長 上 田 一 郎 天 白 村 長 松岡 寅次郎 倭 村 長 岩脇 伴蔵 松 ケ 崎村長 森 水哉 久 居 町 長 前川 捨次郎 米 ノ 庄村長 米本平左衛門 貴族院議員 宮 田 光 雄 殿 貨族院議員 小 林 嘉平治 殿 中防鉄道会社長 衆謡院綾員 小 屋 光 雄 殿. -40 ( 40 )-.

(15) 右 卜 同時二 伊賀鉄道トノ 関係条件 通 牒 ズ ミ 」. 適当な条件で参 急に 賃貸することを目論んだわ. とあるが.. けである (50) 。 賃貸料は,. 陳情の 内 容は.. つ ぎの と おりであ. る (48) 。. 1 カ 年16万8 , 000円と. された が. これは 「大軌ノ出資総額百四拾 万 円 ニ対シ 大軌 現 行ノ 配当率(年ー 割二分). 昭 和弐年 四 月 十五日 伊賀電気鉄道株式会社 社長. ヲ乗. ジ タ ル金額二相当シ , 大軌ハ 此合 併 ニ ヨ リ 何等. 田 中 善助 印. 鉄道大臣. 損失 ヲ蒙 ラ サルト共二別段利 益 ヲモ得サル計葬 二 有之候,. 一. 方参宮二於テ ハ此際直二伊賀鉄道. ヲ合併スル ニ ハ現二建設利 息ノ配当ヲナス外種. 子爵 井上匡四郎殿 近頃仄 間スル処 ニ ヨレバ, 大和 鉄道延長線名. 々 ノ支 障 ア ルノミ ナ ラ ス伊賀鉄道ハ九朱ノ配当. 張山田 間鉄道敷設ノ義, 近 ク 御認 可 ア ラ ン ト. ヲナシ タ ル堅実ノ会社ニシテ参宮線工事進捗 卜. ヵ . 果シテ 然リトセバ之レ ガ影響スル処 , 最. 共二工事用諸材料並工事関係人ノ輸送逐次増加. モ甚大ナル弊社線二対シ 特別ノ御考慮 ヲ願度. シ , 且ハ免許二附 帯 セ ル条件 モア リ 此際 多 少ノ. ー. 同出願 線 卜 弊社線トハ名張阿保間二於テ 約. 犠牲ハ忍ハサル ヘ カ ラ サル場合二付. 前記賃貸. 七哩併行スル コ ト. 料 ヲ相当卜 認 メ , 此契 約条項ヲ欣諾シ タ ル 儀 ニ. 二並行線敷設ノ場合二於ケ ル将来営業上ノ競 争二依 Jレ損害大ナル コ ト. 有之候」とい うことである (51) 。 か く て , 1929 年 1 月 大軌は伊賀電鉄との 合併 認可 の う え , 伊賀. 一. 帯ノ. 鉄道 線全部を参急へ賃貸する 旨 の 許 可 申請を提. 旅客貨物ハ ー ニ弊社線二因リ テ 逓搬シ タ ル. 出するところとな る (52) 。 こ の 申請は 認可され,. モノナル ガ. 出願 線敷設ノ場 合 ハ 商 取 引ノ. 同 年 3 月 31 日 大軌は 伊賀電鉄を合併, 翌4月 1. 関係尤 モ深キ大阪方面 及 伊勢参宮関係ノ貨. 日 同路 線を参急に賃貸 し た (53) 。. 三従来名張 ヲ中心トシ タ ル地方ノ附近. 客ハ 全部同社線二 因 Jレモノト 変更スルニ 付. 弊社線ノ打眠非常二大ナル コ ト 以上.. 事情 御賢 察ノ上,. 何 分ノ 御詮議ヲ願. 参急は,賃偕後線路, 建物に改善を加 え , 大 阪 ・ 宇治山田間全通後 の 1931 年9 月 伊賀線を21 6万4 ,3 00余 円 で譲り受けた 。 さらに, 前述 の 赤. 度. 此段奉咽願候. 目遊 園株式会社も合併することになり, 1932 年. 1928 年12月 の大軌臨 時株主総会で , 大軌と伊. 以降施設の 拡充に 努めたという (54) 。 なお参急. 賀電鉄の合併, そ し て同路線を参 急へ賃貸する. が. 青山隊道を掘 削 し て直線的に名張 • 松阪間. ことを決議 し ている。 そ の 間 の経緯について ,. を結んだため. 名張 から松阪に至る鉄道と し て. 大軌取締役社長金森又一 郎は, 同路線を 「将来. 着工された 旧 国鉄名松線は, 1929 年8 月 松阪 ・. 参宮線卜大軌線トニ 連 絡スル関係 ニ ア リ 」と位. 権 現 前間を 開通させた のを 皮切りに,. 骰 づけるとともに, 「参宮線ノ免許ノ際二 此鉄 道ノ一部分ヲ参宮電鉄 へ 買収又ハ補償セ ヨ トノ 条件 カ ア リ 」,. 伊賀電鉄の方からも 大軌へ合併. の 申 し 出があったと語っている。 当時大軌の株 主配当は 年 1 割 2 分, 参 急は建設中 で 年5 分, 伊賀電鉄は 年9 分であった (49) 。 本来参 急が合 併すべきであったといえ ようが , 建設途上とい うことで, いったん大軌が 伊賀電鉄を合 併 し , (48) 伊賀電鉄か ら 鉄道大 臣宛の陳情書 同 ( 上)。 (49) 「大 阪電気軌道株式会社 臨時株主総会 議事及決 議 ノ要領書」 (鉄道省 文書 「関西急行鉄道 <元大 軌〉 」)。 -41. 1935 年. (昭 和1 0) 12月伊勢奥津に達 し たもの の. それ 以 西は そ の 意義を失い打ち切りとなった。 く付記〉 本稿作成に あ たり, 三重県史編さん室およ び鳥羽市史編さん室の 各位には多大 の ご高配を 賜わった。 記 し て心か ら 謝 意を表させていただ き たいと思 う。 団 「参宮急行電 鉄株式会社 臨時株主総会議事及決 議録」 同 ( 上)。 (51) 「陳情書」 「大 阪電気 軌道, 参宮急行電鉄, 伊 賀 鉄道線 ヲ 賃貸借ノ件」 同 ( 上)。 (52) 「会社合併認可申請書」 同上)。 ( (53) 「会社合併実施屈」 同上)。 ( (54) 前掲 「大 阪電気軌道株式会社三十年史」 参宮急 行電鉄編30, 143-144頁。 C 41 ) -.

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