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〈東北地方の民俗〉みちのく甍紀行--宮城・福島県の被災地を歩いて

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Academic year: 2021

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(1)み ちの く彊紀 行. みち のく. 1 宮 城 ・福 島 県 の被 災 地 を 歩 い てー. み ち のく葺 紀 行. はじめ に みち のお く. 大. 脇. 潔. ﹁み ち の く ﹂ を 漢 字 で あ ら わ す と 陸 奥 。 これ を は じ め は ﹁道 奥 ﹂ と書 いた 。 つま り都 から 陸 奥 ・出 羽が 属 す 東 山. つ. だ いじ. 道 、 あ る いは 常 陸 ま で の東 海 道 を 経 て辿 り ついた 道 の奥 に存 在 す る領 域 と いう 意 味 が 語 源 とな った。 む. 平 安 時 代 以 降 、 陸 奥 と いう 呼 び 方 も 始 ま る 。 こ の変 化 に つ い ては 、 陸 が 六 の大 字 と し て使 わ れ た こ と か ら ﹁陸 ﹂. で. わ. い で は. を ﹁六 ﹂ と 書 き 、 そ れ を 訓 読 み し て ﹁む つ﹂ と 呼 ぶ よう にな った とす る説 が 有 力 であ る。. 出 羽 も 古 く は ﹁出 端 ﹂ と 書 いた 。 畿 内 政 権 が 支 配 す る テ リト リー の端 から 出 た 地 域 と いう 認 識 が あ った の であ ろ う。. カ ワ ラ 前 線 北 上 スレ ド モ. ﹂ を 書 いた 。. 陸 奥 ・出 羽 両 国 は、 そ の後 の変 遷 を 経 て現 在 の東 北 六 県 とな った 。 こ のう ち 、 平 成 一七 年 (二〇 〇 五) の夏 に青 森 県 を 歩 き 、 ﹁み ち のく 葺 紀 行. 江 戸 や 明 治 の初 め に、 何 回か 無 理 を し て瓦 を 葺 いた こと が あ った 。 し か し、 ほ と んど 根 づ かな か った と いう 話 で. あ る。 こ の時 と り あ げ た 弘 前 城 でそ の典 型 を みた よ う に、 瓦 は みち のく の 風土 に適 し て いな い。 こ こ で は縄 紋 時 代. 以 降 、 土 葺 き ・草 葺 き ・樹 皮 葺 き ・板 葺 き ・金 属 板 葺 き が 、 時 代 と社 会 の変 化 に応 じた 最 適 の素 材 と し て選 ば れ た の であ る。. 1.

(2) こ の体 験 にも と づ き 、 そ の後 、 毎 年 一回 の民 俗 学 研 究 所 の調 査 に加 わ り 、 北 海 道 、 対 馬 、 種 子島 ・屋 久 島 、 八重 山 、 壱 岐 ・出 雲 、 山 口を め ぐ り 、 小 さ な 発 見 を 葺 紀 行 シ リー ズ と称 し書 き 続 け てき た。. 今 回は 、 そ の ひと つの締 め く く り と し て再 度 みち のく を 歩 く こ と に した 。 そ の契 機 とな った の は、 いう ま でも な. く平成 二一 二年 (二〇 一 一) 三月 十 一日 に起 き た 東 北 地 方 太 平 洋 沖 地 震 であ る。 被 害 は広 範 囲 に お よび 、 と ても そ の. 全 容 を 明 ら か にす る こと は でき な いが 、 萱 文 化 と いう 視 点 か ら 、 さ さ や か で はあ るが 、 みち のく の特 質 を 明 ら か に でき れ ぼ と 思 う 。. 今 回は 、 ま ず カ ワ ラ前 線 は何 を 契 機 に何 回北 上 し、 ど こま で広 が り 、 ま た な ぜ 後 退 した の かを 、 ご く お おま か で. は あ るが 調 べ る こと に した 。 後 半 は、 宮 城 ・福 島 両 県 の被 災 地 を 歩 き 見 聞 した 話 が 中 心 にな る。 な か でも 、 事 前 の. 調 査 で つか め た 仙 台 の芭 蕉 の辻 にあ った と いう 棟 飾 り 龍 の実 像 を 探 る こ と、 最 近 葺 き 替 えら れ た会 津 若 松 城 の赤 瓦. を め ぐ る話 、 石 巻 市 雄 勝 産 の東 京 駅 の ス レー ト な ど が 主 な テー マとな った 。 仙 台 から 歩 き 始 め た の は、 秋 も 深 ま っ た 一 一月 の下 旬 であ る。 以 下 、 そ の 日程 を 記 し てお く 。. 一 一月 二〇 日 ( 火)大阪空港←仙台空港←仙台駅←仙台城本丸跡←青葉城資料展示館←仙台城見聞館←本丸西北. 石 垣 復 旧 工事 現 場 ← 仙 台 市 博 物 館 ← 大 手 門 脇 櫓 ← 大 手 門 北 東 多 聞 塀 復 旧 工事 現 場 ← 片 倉 小 十 郎 邸 跡 発 掘 現 場 ← 晩 翠 草 堂 ← 芭 蕉 の辻 ← 仙 台 泊. 一 一月 二 一日 ( 水 ) 芭 蕉 の辻 ← 仙 台 駅 ← 松 山 町 駅 ← 松 山 公 民 館 ← 角 田家 ← 松 山 ふ る さ と歴 史 館 ← 松 山 町駅 ← 東 北 歴史博物館←今野家住宅←塩釜泊. 一 一月 二 二 日 ( 木 ) 華 足 寺 ← 登 米 市 宮 城 明 治 村 ← 玄 昌 石 の館 ← 熊 谷 産 業 ← 大 川小 学 校 跡 ← 雄 勝 ← 塩 釜 泊. 一 一月 二 一 二日 ( 金 ) 多 賀 城 跡 ← 石 巻 市 ← 四倉 製 瓦 工業 所 ← 鳥 屋 神 社 ← 石 巻 港 ← 石 巻 ハリ ス ト ス教 会 ← 松 島 観 月楼 ←塩釜駅←白石駅←白石泊. 2.

(3) み ちの く彊紀 行. 泊. 一月 二 六 日. 一月 二 五 日. ( 火 )福島県立博物館←若松駅←仙台駅←仙台空港←大阪空港. ( 月 )飯盛山←さざ え堂←会津武家屋敷←若松城←阿弥陀寺←七 日町通 り←会津若松泊. (日 ) 二本松市歴史資料館← 二本松市立図書館←深作瓦 工場←会津若松市←会津若松泊. 一月 二 四 日 ( 土 ) 白 石 城 跡 ← 城 下 町 を 歩 く ← 白 石 駅 ← 二本 松 駅 ← 二本 松 城 跡 ← 復 興 な み え 町十 日市 祭 ← 二本 松. 一月 二 七 日. カ ワ ラ前 線 北 上 ス レド モ ー. みち のく には 七 世 紀 後 半 か ら 八 世 紀 初 め にか け て の第 一波 を は じめ 、 何 度 か カ ワ ラ前 線 が 北 上 し、 そ の生 産 も た. び た び 試 みら れ た 。 し か し、 や はり 日本 海 側 の豪 雪 と 太 平 洋 側 の冷 涼 な 風 土 に は適 さ ず 、 営 々 と積 み重 ね ら れ た瓦 作 り の歴 史 も こ の大 震 災 によ って つい に終 焉 を 迎 えた 。. で は カ ワ ラ 前 線 は 何 を 契 機 に 何 回 北 上 し 、 ど こま で広 が り 、 なぜ 後 退 し た の で あ ろ う か 。 す で に ふ れ た よ う に 、. 瓦 は みち のく に適 し て いな い。 しか し、 な ぜ 瓦 を 必 要 と した のか ?そ し てそ の瓦 はど こ で誰 に よ って作 ら れ た の か をまずとりあげよう。. みち のく には 、 ま だ 資 料 が 少 な い中 世 の波 を 除 く と 、 大 き く 分 け て 四 回 ほど カ ワ ラ前 線 が 北 上 し た。. 第 一波 は 、 六 四 五年 の大 化 の改 新 後 の畿 内 政 権 の北 進 と と も に しだ い に打 ち 寄 せ 、 律 令 国家 が 衰 退 し武 士 が 台 頭. し 始 め る 一〇 世 紀 半 ぼ ま で存 続 し た 。 エミ シ の支 配 を めざ す 律 令 国 家 に よ って 、 東 北 各 地 に 設 け ら れ た 城 柵 官 衙. や 、 評 衙 11郡 衙 11評 家 11郡 家 な ど と 呼 ぼ れ る役 所 と そ の付 属 寺 院 に瓦 葺 き が 試 みら れ た 時 代 であ り、 出 土 し た軒 瓦. の瓦 当 紋 様 を 中 心 に分 析 す ると 、 いく つか の時 期 に細 分 す る こ とが でき る ( 福 島 県 立 博 物 館 一九 八 八)。. 3.

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(5) み ちの く葺紀 行. は 慎 重 にな ら ざ るを え な い。. 信 夫 郡 の付 属 寺 院 説 が あ る福 島 市 腰 浜 廃 寺 出 土 の素 弁 八 弁 蓮 華 紋 も 古 い要 素 を も つ (図 2)。 す で に 備 後 寺 町 廃. 寺 例 と の類 似 が 指 摘 さ れ て い るが 、 比 較 資 料 の増 加 を 踏 ま え ると 、 近 江 の琵 琶 湖 西 岸 に位 置 す る大 供 廃 寺 にも 似 た. 例 が あ る。 そ の製 作 技 法 は、 萢 の上 にま ず 作 った ぼ か り の丸 瓦 を 置 き 、 つい で瓦 当 用 の粘 土 を 詰 め て軒 丸 瓦 を 作 る. S R技 法 と いう 特 殊 な 接 合 技 法 で、 か つて検 討 した よ う に百 済 か ら わ が 国 に伝 来 した も の であ る ( 大 脇 二〇 〇 七 )。. 一方 、 腰 浜 廃 寺 例 の接 合 技 法 は いわ ゆ る ﹁嵌 め 込 み技 法 ﹂ と 呼ぼ れ る、 こ れ ま た 特 殊 な も の で (辻 一九 八 四 )、 こ. 蓼. ノ. メ. ヘ. 努. =. 、. 二 \. ㌧緊 .. マ. ㌃1. 疑. れ も そ の ルー ツを た ど ると 百 済 にた ど り つく 。 そ の実 年 代 は、 な か な か 決 め が た いが 、 これ も 黒 木 田遺 跡 例 と おな. 宮 城 県 南 部 に カ ワラ 前 線 到 達. V. .、 騒. 5就、、望. /. ノ. ご 避. じ よ う に、 大 化 改 新 後 の北 への進 出 に伴 う 早 い段 階 で の瓦 の使 用 を 証 す る資 料 にな る かも しれ な い。. 第 11期. 第 H期 の候 補 に は さ まざ ま な 瓦 当 紋 様 が あ る。 そ の う ち 確 実 に 七 世 紀 末 か ら 八世 紀 初 め に 遡 る のは 、 後 述 す る仙 台 市 郡 山 第 二 期 の官 衙 の 付 属 寺 院 で あ る 郡 山 廃 寺 か ら 出 土 し、 多 賀 城 式 軒 瓦 の 祖 型 と な る セ ッ ト (郡 山 廃 寺 式 軒 瓦 ) で あ る (図 3 )。 そ し て、 これ と 相 前 後 す る 時 期 の所 産 と 思 わ れ る 軒 瓦 の 組 み 合 わ せ が 、 こ の 他 に 少 な く と も 四 グ ルー プ 存 在 す る。 今 、 これ を 一∼ 四群 と 仮 称 す る。 外 縁 に線 鋸 歯 紋 、 あ る いは そ の変 形 と み ら れ る X 状 の鋸 歯 紋. 郵. 山廃寺 の軒 丸瓦. ▲ 図3郡. 一群. 単 弁 八 弁 蓮 華 紋 軒 丸 瓦 と 三 ・四 重 弧 紋 軒 平 瓦 の組 み 合 わ せ 。. を め ぐ ら す 複 弁 六 弁 蓮 華 紋 軒 丸 瓦 と 三重 弧 紋 軒 平 瓦 の組 み合 わ せ 。 二群. `. 5.

(6) 三群. 外縁 に雷紋縁 風の紋様をめぐ らす複弁 四弁蓮 華紋軒丸瓦 と. 複 弁八弁蓮華紋 軒丸瓦ζ 二・四重 弧 紋 軒 平 瓦 の組 み 合 わ せ 。. 三重弧紋軒平瓦 の組 み合わせ。 四群 外縁は原則無紋。. 一群 の複 弁 六 弁 蓮 華 紋 軒 丸 瓦 は、 さ ら に 複 弁 の中 央 を 縦 に区 画 す る 凸線 を は っき り あ ら わ す A類 と、 これ を 省 略 す る B 類 に わ け ら れ る。. 角 田 郡 山 遺 跡 例 (宮 城 県 角 田 市 、 伊 具 郡 家 の正 倉 院 )。 中 房. か く だ. 一A類 には 、 以 下 の 三例 が あ る。 1. 清水台遺跡例 ( 福 島 県 郡 山 市 鶴 見 坦 1 丁目 、 安 積 郡 家 )。 中 房 の蓮 子 配 置 (一+ 五 + 一〇 )。 X状 鋸 歯 紋 。. \. 2. 開成山窯跡例 ( 郡 山 市 、 安 積 郡 家 への供 給 窯 )。 清 水 台 遺 跡 例 と 同 萢 。. の蓮 子 配 置 (一十六 十 一 一)。 線 鋸 歯 紋 。. 3. 3. 2. 1. 夏井廃寺例 ( 福 島 県 いわ き 市 、 磐 城 郡 家 付 属 寺 院 )。 中 房 の蓮 子 配 置 (一+ 六 )。 X状 鋸 歯 紋 (図 4)。. 借宿廃寺例 ( 白 河 市 、 白 河 郡 家 付 属 寺 院 )。 中 房 の蓮 子 配 置 (一+ 六 )。 X状 鋸 歯 紋 。. 関和久上町遺跡例 ( 白 河 市 、 白 河 郡 家 正 倉 院 )。 中 房 の蓮 子 配 置 (一+ 六 )。 X状 鋸 歯 紋 。. 関和久遺跡例 ( 福 島 県 白 河 市 、 白 河 郡 家 )。 中 房 の蓮 子 配 置 (一+ 六 )。 X状 鋸 歯 紋 。. 一B類 には 、 以 下 の 四例 が あ る。. 4. 型 式 学 的 には 、 一A類 が 一B類 よ り わ ず か に古 く 遡 る要 素 を も つが 、 そ れ が 実 年 代 を ど れ だ け 示す か は不 明 。. 井廃 寺 の軒丸 瓦. ▲ 図4夏. 6.

(7) み ちの く彊紀 行. 名生館遺跡例 ( 宮 城 県 大 崎 市 、 丹 取 郡 か 玉 造 郡 家 )( 図 5)。. 単 弁 八 弁 蓮 華 紋 軒 丸 瓦 と 三 ・四 重 弧 紋 軒 平 瓦 の組 み 合 わ せ 。 以 下 の三 例 が あ る 。. 1 伏見廃寺例 ( 大 崎 市 、 丹 取 郡 か 玉 造 郡 家 付 属 寺 院 )。. 二群. 2 麓山窯跡例 ( 郡 山 市 、 安 積 郡 家 への供 給 窯 )。. 一の関 遺 跡 例 ( 大 崎 市 、 丹 取 郡 か 玉 造 郡 家 付 属 寺 院 )。 中 房 の 蓮 子 配 置 (一+ 六 )。. 外 縁 に雷 紋 縁 風 の紋 様 を め ぐ ら す 複 弁 四弁 蓮 華 紋 軒 丸 瓦 と 三重 弧 紋 軒 平 瓦 の組 み合 わ せ 。 以下 の三例があ. 3 三群. 1. 菜切谷廃寺例 ( 大 崎 市 、 加 美 郡 家 付 属 寺 院 )。 中 房 の蓮 子 配 置 (一+ 六 )。. る。. 2. 山 口瓦 窯 例 ( 会 津 若 松 市 )。 中 房 の蓮 子 配 置 (一+ 六 )。 複 弁 八弁 蓮 華 紋 軒 丸 瓦 と 三 ・四重 弧 紋 軒 平 瓦 の組 み合 わ せ。. 3 四群. 1. 夏 井 廃 寺 例 (いわ き 市 、 磐 城 郡 家 付 属 寺 院 )。. 黒 木 田遺 跡 例 ( 相 馬 市 、 宇 多 評 家 、 あ る い は付 属 寺 院 か )。. 外 縁 は 原 則 無 紋 。 以 下 の 二例 が あ る。. 2. 郡 山 遺 跡 第 ■期 官 衙 大 化 の改 新 の直 後 、 畿 内 政 権 は 本 格 的 な 東 北進 出 を 試 み た 。 日 本 海 側 では 六 四七 年 の沼 垂 柵 、 六 四八 年 の磐 舟 柵 が あ る。 太 平 洋 側 で は 仙 台 市 郡 山 遺 跡 第 一期 官 衙 が そ れ に 当 た る (長 島 二〇 〇 四)。 残 念 な が ら 沼 垂 柵 や 磐 舟 柵 の よ う に そ の名 や 創 建 年 代. 生 館遺 跡 の軒丸 瓦. ▲ 図5名. 7.

(8) が 史 料 に残 さ れ て いな いが 、 こ の 二柵 に倣 えぼ 名 取 柵 ( 名 取 評 衙 ) と呼 ぼ れ た 可 能 性 が 高 く 、 そ の年 代 も 大 化 の改. 新 直 後 に遡 る可 能 性 が あ る。 発 掘 調 査 が 進 展 し、 七 世 紀 後 半 の地 域 支 配 の拠 点 であ る役 所 の実 態 が かな り解 明 さ れ. てき た が 、 確 実 に瓦 葺 き と 思 わ れ る施 設 は未 発 見 であ り 、 板 葺 き や カ ヤ葺 き ・桧 皮 葺 な ど 、 植 物 性 の素 材 で葺 いた 建 物 で構 成 さ れ て いた と 思 わ れ る。. 郡 山 遺 跡 第 ■■ 期官衙に付属する郡山廃寺. 郡 山 遺 跡 の第 二期 官 衙 は、 七 世 紀 末 ∼ 八 世 紀 初 頭 、 つま り 藤 原 京 に都 が あ った 時 代 ( 六 九 四∼ 七 一〇 年 ) に 一期. の役 所 を 全 面 的 に建 てな お した も の であ る。 そ し て こ の時 期 に は役 所 の西 南 に塔 ・金 堂 ・講 堂 から な る付 属 寺 院 が 建立された。. 付 属 寺 院 に使 わ れ た 瓦 当 紋 様 は重 弁 八 弁 蓮 華 紋 であ り 、 中 房 に通 常 の蓮 子 (ハス の種 子) で はな く 、 小 さな 四弁. の蓮 華 紋 を あ ら わ し、 ま た 重 弁 八 弁 蓮 華 紋 の外 にや や 太 い圏 線 を 巡 ら す と いう 特 徴 を も つ (図 3)。 前 者 の特 徴 は 、 新 羅 の軒 丸 瓦 に通 じ るも の で、 わ が 国 で は能 登 国 分 寺 前 身 寺 院 な ど に類 例 が あ る。. こ の瓦 当 紋 様 は、 郡 山 遺 跡 第 H期 官 衙 と 付 属 寺 院 の調 査 が 進 み、 そ の年 代 が 七 世 紀 末 に遡 る こ とが 明 ら か にな る. ま で は 、 実 は 多 賀 城 式 軒 丸 瓦 の ﹁退 化 形 式 で 奈 良 時 代 も 終 り の こ ろ で あ ろ う ﹂ と 見 な さ れ て い た (奈 良 博 一九 七 九 )。. 考 古 学 の方 法 論 の ひと つに型 式 論 が あ る。 似 た 者 同士 を 集 め 、 そ れ を 一定 の原 則 に基 づ いて並 べ る と、 いわ ゆ る. 型 式 組 列 が でき あ が る。 しか し、 そ の並 べ方 の順 序 ・方 向 が 逆 転 す る こ とが よく あ る。 気 を つけ て いても 陥 り やす. い落 と し 穴 であ り 、 か つて唱 え ら れ た 多 賀 城 ← 郡 山 廃 寺 と いう 型 式 組 列 も 、 古 いも のを 新 しく 見 た り、 逆 に新 し い. も のを 古 く 見 た り す る様 式 論 ・型 式 論 の難 しさ を 証 明 す る例 の ひ と つと し て確 認 し て お かね ば な ら な い。. 8.

(9) み ちの く葺紀 行. こ の郡 山 廃 寺 式 の瓦 当 紋 様 は、 続 く 多 賀 城 に受 け 継 が れ る。 綿 密 な 発 掘 調 査 の積 み重 ね に よ って多 賀 城 の遺 構 ・. 遺 物 の編 年 は 緻 密 にな って い る。 そ の成 果 に導 か れ 、 変 化 に注 意 しな が ら 郡山 廃 寺 式 の重 弁 八弁 蓮 華 紋 の そ の後 の. 郡山廃寺 ( 図 3、 蓮 弁 ・子弁 と も に薄 手 ) ← 多 賀 城 一期 ( 図 6、 蓮 弁 大 型 化 ・子弁 肥 大 化 ・稜 線. 特 色 を 観 察 す ると 次 のよ う にな る。. 蓮 華 紋 の変 化. 郡 山 廃 寺 (四弁 蓮 華 紋 ) ← 多 賀 城 一期 ( 中 房 小 型 化 ・四弁 蓮 華 紋 ) ← 多 賀 城 二期 ( 中 房 小 型 化 ・蓮. 明 瞭 化 ) ← 多 賀 城 二期 ( 図 7、 一期 と 同 じ) 中 房 の変 化 子 一十 四). 遵. 甑. 郡山廃寺 ( 圏 線 あ り).     ﹃.      . 覧. 圏 線 の変 化 ← 多 賀 城 一期 (圏 線 消 失 ) ← 多 賀 城 二期 ( 圏線なし) 軒 平瓦も 郡山廃寺 では回転台 を利 用 し て施 紋 した 三重 弧 紋 であ るが、 多 賀 城 で は 桶 巻 技 法 で作 った 粘 土 円 筒 を 分 割 し て か ら 工 且ハで 沈 線 を 施 す と いう 施 紋 法 に変 わ る。 紋 様 そ の も の は 基 本 的 に 継 承 す る も の の、 技 法 には 断 絶 が みら れ る の であ る。 こ う し た 特 色 を 確 認 し た 上 で、 郡. 賀城 第二 期 の軒 丸 瓦. ▲ 図7多. 賀 城第 一期 の軒 瓦. ▲ 図6多. 9.

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(11) み ちの く彊紀 行. 側 面 形 の蓮 華 紋 が 当 時 の絵 画 ・彫 刻 に多 用 さ れ た こと は疑 いな いが 、 瓦 に用 いら れ た 例 と し て は近 江 の南 滋 賀 廃 寺. や 穴 太 廃 寺 の方 形 瓦 当 と 、 河 内 西 琳 寺 出 土 鴫 尾 の背 面 装 飾 が あ るく ら い。 な お 、 B の左 下 隅 に は ﹁小 田建 麻 呂 ( 小. 田丸 子 部 建 麻 呂 )﹂ の文 字 が あ って 、 陸 奥 国 小 田 郡 出 身 の作 殖 、 な いし は 造 瓦 を 担 当 し た 人 物 の名 が わ か る 。. さ て A の よ う な 複 数 の蓮 華 紋 を 飾 る 鬼 瓦 のル ー ツ は、 ﹁対 馬 葺 紀 行 - 石 屋 根 と ﹁南 北 に市 耀﹂ し た 瓦 1 ﹂ で紹 介. し た よ う に、 後 漢 代 の石 閾 に浮 彫 であ ら わ さ れ た 大 棟 端 の納 め 方 ま で遡 る。 そ し て、 こう し て始 ま った棟 端 の組 み. 方 が 、 旦ハ 体 的 な 経 路 はな お 不 明 であ るも の の、 中 国 南 朝 の蔓 を 経 て朝 鮮 三国 時 代 の百 済 に伝 えら れ、 さら に 飛鳥 時. 代 のわ が 国 に伝 来 し た と いう 見 通 し に つい て は、 す で に述 べた とお り であ る ( 大 脇 二〇 〇 八)。. A のよ う に複 数 の蓮 華 紋 を 飾 る鬼 瓦 は、 百 済 の古 都 、 扶 余 の扶 蘇 山 廃 寺 出 土 の石 製 例 ( 素弁六弁蓮華紋を千鳥 に. 三列 四 段 に配 置 )。 斑 鳩 寺 (若 草 伽 藍 ) 出 土 例 ( 素 弁 八 弁 蓮 華 紋 を 三 列 三 段 に配 置 )。 近 江 の安 土 廃 寺 (下 豊 浦 廃. 寺)例 ( 素 弁 八 弁 蓮 華 紋 を 千 鳥 に 三 列 三 段 に配 置 )。 山 背 の樫 原 廃 寺 例 (簡 略 化 さ れ た 八弁 蓮 華 紋 を 二列 二段 に配. 置 )、 同 宝 菩 提 院 廃 寺 例 ( 重 弁七弁蓮華紋 を二列二段に配置)などが ある。年代幅があ るものの、七世紀初頭から 前 半 にか け ても のが 多 い。. 後 漢 代 の石 閾 例 か ら 推 定 す ると 、 B のよ う に蓮 華 紋 を 中 央 に大 き く 一つ飾 るも の は、 や や遅 れ て登 場 し た と思 わ. れ る。 飛 鳥 の平 吉 遺 跡 (豊 浦 寺 のも の か )、 同奥 山 廃 寺 A例 、 同 山 田寺 例 、 同 奥 山 廃 寺 B例 、 奈 良 市 山 村 廃 寺 例 、. 備 中 箭 田廃 寺 ( 吉 備 寺 廃 寺 ) 例 、 近 江 ・湖 北 の八 島 廃 寺 例 、 同 南 滋 賀 廃 寺 例 、 山 背 大 鳳寺 廃 寺 例 ・醍 醐 廃 寺 例 な ど. があ る ( 京 都 市 二〇 一〇 )。 八 世 紀 後 半 の南 滋 賀 廃 寺 例 を 除 く と 、 そ の他 は いず れ も 七 世 紀 代 初 頭 か ら 後 半 にか け て のも の であ る。. な お 、 こ の中 で、 近 江 八 島 廃 寺 例 はそ の重 弁 八 弁 蓮 華 紋 が 多 賀 城 のも の に よく 似 て お り、 ま た 四隅 に鬼 面 を 飾 る. 点 も き わ め て特 異 であ り 、 か つ多 賀 城 廃 寺 の鬼 瓦 Bと 類 似 す る点 が 注 目さ れ る。 た だ し、 こ の鬼 瓦 は瓦 当 裏 面 に南. 11.

(12) 滋 賀 廃 寺 な ど と お な じ方 形 の覆 瓦 が 取 り 付 いた 痕 跡 が あ り 、 本 来 は軒 瓦 と し て作 ら れ た も の の下 辺 に弧 を 描 く 打 ち 欠 き を 加 え 、 鬼 瓦 用 に転 用 した も のら し い。. 以 上 、 蓮 華 紋 を 飾 る 二形 式 の鬼 瓦 を 概 観 し、 多 賀 城 と 多 賀 城 廃 寺 例 は復 古 的 色 彩 が き わめ て強 いこ と、 ま た近 江. 地 域 に分 布 す る瓦 と の間 に何 ら か の関 連 が あ った こと を 確 認 した 。 エミ シ の反 乱 のあ と、 多 賀 城 の造 営 が 急 ピ ッチ. で進 め ら れ た 七 二〇 年 か ら 七 二 四年 と いえ ば 、 平 城 宮 が 完 成 した 時 代 であ り 、 都 の宮 殿 や寺 に は いわ ゆ る鬼 面 紋 鬼. 瓦 が 多 数 使 わ れ て いた 。 都 で の流 行 を 取 り 入 れ よ う と 思 えぼ 可 能 であ った 多 賀 城 で、 な ぜ 復 古 調 の蓮 華 紋 鬼 瓦 が 用. いら れ た のか を 考 え な け れ ば な ら な い。 こう し て、 多 賀 城 と 多 賀 城 廃 寺 の造 営 に関 わ った 造 瓦 技 術 者 の中 に、 近 江 に多 い渡 来 系 氏 族 の出 身 者 が いた 可 能 性 が 浮 上 す る の であ る。. 大 宰 府 の瓦 と の比 較 検 討. 多 賀 城 と 似 た 機 能 を も つ役 所 と し て、 よ く 比 較 さ れ る のが 大 宰 府 であ る。 大 宰 府 は西 海 道 と呼 ぼ れ た九 州 お よび. 壱 岐 ・対 馬 の 二島 を 管 轄 し、 兼 ね て外 冠 を 防 ぎ 外 交 を 司 った 。 多 賀 城 より や や古 い八世 紀 初 め の そ の屋 根 に は、 畿. 内 の藤 原 宮 式 や 興 福 寺 式 と よ く 似 た 軒 瓦 が 用 いら れ た 。 鬼 瓦 も 新 羅 の流 行 を 取 り 入 れ た鬼 面 紋 であ り、 復 古 調 が 強 い多 賀 城 の軒 瓦 や 鬼 瓦 と はま った く 異 質 のよ う に み え る。. し か し 、 七 世 紀 の後 半 に始 ま り 、 一〇 世 紀 半 ぼ ま で継 続 す る大 宰 府 の瓦 を 通 観 す る と、 実 は 八世 紀 初 頭 のご く 一. 時 期 を 除 く と 、 一貫 し て半 島 の 影 響 が 濃 い瓦 当 紋 様 が 続 く の であ る (栗 原 二 〇 〇 一)。 作 り方 も 共 通 点 が 多 く 、 そ の多 く は 半 島 か ら の渡 来 系 氏 族 出 身 者 によ って作 ら れ た の であ ろう 。. 大 宰 府 の瓦 生 産 は、 基 本 的 に は渡 来 系 の 工人 集 団 に よ って担 わ れ 、 八 世 紀 初 め の 一時 期 だ け そ の瓦 当 紋 様 や製 作. 技 法 に藤 原 宮 や 平 城 宮 の官 営 造 瓦 工房 の強 い影 響 が 及 んだ と み る べき であ る。 一方 、 多 賀 城 の瓦 生 産 は、 お そら く. 12.

(13) み ちの く彊紀 行. 大 津 宮 遷 都 前 後 に近 江 で活 躍 した 、 これ ま た 半 島 に つな が る 工人 集 団 の系 譜 を 継 承 した 人 々 に よ って担 わ れ、 そ の 後 も そ の伝 統 が 続 いた の で はな いだ ろう か 。. な お 、 多 賀 城 や 多 賀 城 廃 寺 でも 第 一期 後 半 の天 平 = 一 年 ( 七 四〇 ) 前 後 に は、 平 城 宮 の軒 丸 瓦 六 二 八 二型 式 と軒. 平 瓦 六 七 二 一型 式 に属 す セ ット が も た ら さ れ て い る。 軒 丸 瓦 の紋 様 こそ 、 そ の割 り 付 け が 若 干 崩 れ て いる も の の、. 軒 平 瓦 は 原 型 に忠 実 であ り 、 萢 と と も に こ の時 期 にお け る都 から の 工人 の派 遣 が 想 定 でき る。. 多 賀 城 の瓦 編 年 多 賀 城 出 土 の瓦 は、 政 庁 の変 遷 を 軸 に 四期 に分 け ら れ て い る。. あ さか り. 第 一期 政 庁 11七 二〇 ∼ 七 二 四年 こ ろ完 成 ∼ 七 六 二年 ま で。. ろ. 第 二期 政 庁 11七 六 二∼ 七 八 〇 年 。 陸 奥 国 守 藤 原 朝 猫 に よ る 八 世 紀 中 ご ろ の 修 造 か ら 、 宝 亀 一 一年 (七 八 〇 ) の いじ の き み あ さ ま. 伊 治 公 此口麻 呂 の反 乱 で焼 失 す るま で。 第 二期 に は礎 石 建 物 を 採 用 し、 政 庁 周 囲を め ぐ る築 地 は寄 柱 礎 石 式 の瓦 葺 き. と な り 、 ま た 南 門 の東 西 に翼 廊 が 取 り 付 く よ う にな る。 要 す る に、 政 庁 内 に礎 石 建 て瓦 葺 き の建 物 が 増 え、 外 観 が 飾 ら れ た も のと な る。. ま た 、 第 二期 の瓦 は、 仙 台 市 の台 の原 と 小 田原 丘 陵 で生 産 さ れ た 。 そ の中 の蟹 沢 瓦 窯 に は、 いわ ゆ る ロス ト ル付. き の平 窯 が 導 入 さ れ た 。 こう した 窯 の構 造 は、 天 平 宝 字 二年 ( 七 五八 ) に平 城 京 の法 華 寺 阿 弥 陀 浄 土 院 の瓦 を 生 産. し た 音 如 ヶ谷 瓦 窯 が 今 のと こ ろ最 古 の例 と さ れ るも の であ るが 、 そ れ が 短 期 間 のう ち に多 賀 城 再 建 の ため に伝 えら れ た 点 が 注 目 さ れ る。. 第 三期 政 庁 11七 八 〇 ∼ 八 六 九 年 。 伊 治 公 此口麻 呂 の反 乱 の再 興 か ら 、 貞 観 一 一年 (八六 九 ) の陸 奥 国大 震 災 ま で。. 第 四期 政 庁 11 八六 九 ∼ 一〇 世 紀 中 ご ろ。 陸 奥 国 修 理府 に よ る 地 震 復 興 か ら 律 令 政 府 の役 所 と し て の機 能 停 止 ま. 13.

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(15) み ちの く彊紀 行. 庁 築 地 塀 と 外 郭 の門 ・築 地 塀 を 中 心 に出 土 し、 城 外 か ら の視 線 を 強 く 意 識 した も の と思 われ る。. 太 平 洋 側 で は 、 延 暦 二 一年 (八〇 二 )、 陸 奥 鎮 定 の た め に 坂 上 田村 麻 呂 が 築 いた 岩 手 県 水 沢 市 の胆 沢 城 (のち 鎮. 守 府 ) ま で で、 翌 年 、 さ ら に北 に設 置 さ れ た 志 波 城 ( 盛 岡 市 ) と徳 丹 城 ( 紫 波 郡矢 巾 町徳 田) に瓦 は使 わ れな か っ た。. そ れ は な ぜ か ? ひと つはよ り 寒 冷 な 気 候 が 瓦 葺 き を 拒 んだ 可 能 性 が あ る。 さ ら に、 城 柵 官 衙 の建 物 ・施 設 を 瓦 葺. き に す る 費 用 対 効 果 を 検 討 し た 結 果 、 多 く の労 力 を 費 や し て瓦 葺 き に し て も、 冬 の凍 害 に よ って割 れ た 分 を 更 新. 平 泉 の ■■■ 世 紀 の瓦. し 、 毎 年 のよ う に修 理 しな け れ ば な ら な いと いう 事 情 が あ った の で はな いだ ろう か。. 第 ■■ 波. 泰 衡 (∼ 一 一八 九 年 ) の 四 代 の間 、 大 い に繁 栄 し た 。 清 衡 が 同氏 の中 で の覇 権 を 確 立 し 、 奥 州 押. 奥 州 藤 原 氏 (も と 亘 理 氏 、 清 原 氏 と も ) は、 清 衡 (一〇 五六 ∼ 一 一二八 年 ) 1 基 衡 ( 生 没年 不 詳 )1 秀 衡 ( ∼ 一 一八七 年 ). 領 使 か ら 鎮 守 府 将 軍 と な り 、 律 令 国 家 衰 退 後 の東 北 の支 配 権 を 獲 得 し中 尊 寺 を 建 立 し た。 基 衡 の代 に毛 越 寺 、 出 羽. 押 領 使 ・鎮 守 府 将 軍 ・陸 奥 守 を 兼 ね た 秀 衡 の代 に最 盛 期 を 迎 え、 無 量 光 院 を 建 造 。 源 義 経 (一 一五九 ∼ 一 一八 九. 年 ) は 秀 衡 の庇 護 を 受 け るも 、 そ の死 後 、 泰 衡 に急 襲 さ れ 衣 川 の館 で自 殺 に追 い込 ま れ た 。. 平成 二一 二年 (二〇 一 一) 六 月 、 岩 手 県 の平 泉 は、 ﹁平 泉- 仏 国 土 (浄 土 ) を 表 す 建 築 ・庭 園 及 び 考 古 学 的 遺 跡 群 ﹂. と し て、 中 尊 寺 を は じ め 、 毛 越 寺 (= 一 世 紀 中 頃 、 藤 原 基 衡 が 建 立 )、 観 自 在 王 院 跡 、 無 量光 院 跡 、 金 鶏 山 の 五件. が 世 界 遺 産 に登 録 さ れ た 。 こ の他 、 周 辺 にあ る奥 州 藤 原 氏 の政 庁 跡 であ る柳 之 御 所 、 伽 羅 之 御 所 、 花 館 廃 寺 ( 花立. -遺 跡 )、 花 立 H遺 跡 な ど の邸 宅 ・寺 院 の調 査 が 進 め ら れ て い る。 こ のう ち 、 花 立 H遺 跡 と柳 之 御 所 、 中 尊 寺 な ど. 15.

(16) で瓦 が 出 土 し て い る。. 花 立 11遺 跡. 掘 立 柱 建 物 や 池 の跡 を 検 出 。 一二世 紀 前 半 、 初 代 清 衡 の時 代 に遡 る可 能 性 が あ る瓦 が 少 数 確 認 さ れ て いる。 いず. れ も 小 片 で、 素 弁 蓮 華 紋 、 あ る い は複 弁 蓮 華 紋 軒 丸 瓦 、 偏 行 唐 草 紋 、 あ る い は宝 相 華 紋 軒 平 瓦 に復 元 さ れ て いる。 柳之御所遺跡. 平 安 時 代 末 期 の藤 原 氏 の邸 宅 と 考 え ら れ て い る遺 跡 であ る。 瓦 の出 土 量 は少 な く 、 持 仏 堂 一宇 が あ った と推 定 さ. れ て い る。 剣 頭 三 巴紋 軒 丸 瓦 と 軒 平 瓦 、 剣 頭 連 珠 三 巴紋 軒 丸 瓦 と連 珠 を 有 す る剣 頭 紋 軒 平 瓦 、 三 巴紋 、 あ る いは連 珠 三 巴紋 軒 丸 瓦 と 剣 頭 紋 軒 平 瓦 な ど の セ ット が あ る ( 上 原 二〇 〇 一)。. 瓦 当 紋 様 は いず れ も 平 安 時 代 末 の京 都 に 類 例 が あ り 、 軒 平 瓦 の製 作 技 法 も 京 都 と お な じ ﹁折 り 曲 げ 技 法 ﹂ であ. る。 た だ し 、 紋 様 の細 部 や そ の組 み合 わ せ は微 妙 に異 な り 、 京 都 か ら 工人 を 招 き 、 平 泉 で生 産 さ れ た と推 定 さ れ て. い る。 そ の生 産 地 と し て は、 平 泉 町 の鈴 沢 瓦 窯 が 知 ら れ てお り 、 剣 頭 連 珠 三 巴紋 軒 丸 瓦 が 出 土 し て いる。 中尊寺. 中 尊 寺 は 天 治 元 年 (一 一二 四) に建 立 さ れ た 。 瓦 が 出 土 す る建 物 はき わ め て少 な いが 、 古 経 蔵 跡 から は かな り出. 土 し てお り 瓦 葺 き と 考 え ら れ て い る。 古 経 蔵 跡 は ﹁中 尊 寺 建 立 供 養 願 文 ﹂ に み え る ﹁二階 瓦 葺 経 蔵 一宇 ﹂ の跡 とす る説 が 有 力 であ る。 そ の他 の堂 塔 は ほと んど が 桧 皮 葺 か カ ヤ葺 き と推 定 。. な お 、 有 名 な 金 色 堂 の屋 根 は、 いわ ゆ る木 瓦 葺 き と 称 す るも の で、 材 木 を 丁寧 に加 工 し て本 瓦 葺 き の形 を 模 し た. も の であ る。 昭 和 大 修 理 の際 の調 査 で は、 こ の木 瓦 葺 き の表 面 に金 箔 を 施 した 痕 跡 が 発 見 さ れな か った の で、 今 は. 白 木 のま ま で復 元 さ れ て い る。 しか し、 修 理 時 に はす で に失 わ れ て いた 露 盤 と宝 珠 は推 定 復 元 と いう こ と で金 箔 が. 16.

(17) み ちの く彊紀 行. 押 さ れ て い る。. 木 瓦 葺 き の類 例 と し て は、 大 和 当 麻 寺 本 堂 の関 伽 棚 を は じめ 、 解 体 修 理 や 史 料 の検 討 に よ って七 例 ほど が 知 ら れ. ている ( 鈴 木 二〇 〇 七 )。 そ の多 く は、 平 瓦 の 役 目 を 果 た す ﹁厚 板 ﹂ の継 ぎ 目 を 、 丸 瓦 の役 目 を 果 た す ﹁瓦 棒 ﹂ で. 覆 った だ け のも の が 多 い。 し か し、 こ の金 色 堂 例 は、 ﹁種 子 島 ・屋 久 島 葺 紀 行 ー カ ワ ラ 前 線 南 下 ス レ ド モー ﹂ の. ﹁真 に 贅 沢 な 木 瓦 葺 き﹂ の項 で紹 介 し た よ う に 、 厚 板 や 瓦 棒 に加 え て 唐 草 瓦 型 ・隅 棟 ・鬼 瓦 な ど を 作 り 、 細 部 ま で 忠 実 に本 瓦 葺 き を 模 した 例 と し て注 目 でき る ( 大 脇 二〇 〇 九 )。. 以 上 、 平 泉 の瓦 を 垣 間 見 た 。 律 令 国 家 の衰 退 と と も に、 第 一波 で瓦 葺 き とな った 城 柵 官 衙 ・付 属 寺 院 の維 持 は 困. 難 と な り 、 一〇 世 紀 半 ぼ を 境 に し て多 賀 城 と 多 賀 城 廃 寺 、 陸 奥 国 分 寺 な ど 、 みち のく の瓦 葺 き 建 築 は ほ と んど そ の. 姿 を 消 し た も のと 思 わ れ る。 そ う した 趨 勢 の中 にあ って、 いく つか の戦 乱 を 勝 ち 抜 き 成 長 し た奥 州 藤 原 氏 が みち の. く を 支 配 す るよ う にな り 、 そ の権 力 の所 在 地 が 平 泉 であ った 。 こ こを 拠 点 に清 衡 ・基 衡 ・秀 衡 の いわ ゆ る藤 原 氏 三. 代 によ って多 く の邸 宅 ・寺 院 が 建 てら れ 、 そ の中 に は遠 く 京 都 か ら 招 いた 瓦 工人 に よ って作 ら れ た都 風 の彊 文 化 の 花 が 、 そ の豊 か な 財 力 の象 徴 と し て北 の都 を 飾 った の であ る。. 中 世 の瓦. 中 世 の みち のく で瓦 を 葺 いた 建 物 は少 な い。 今 のと こ ろ知 ら れ て い る の は、 仙 台 市 宮 城 野 区 岩 切 の東 光 寺 と、 松 島 瑞 巌 寺 境 内 遺 跡 か ら 出 土 した 瓦 く ら い であ る。. 仙台市宮城野区岩切.東光寺 の瓦. 東光寺は磨崖仏や横穴墓群 ・板碑など で知られ る中世寺院 であ る。 三巴紋軒丸瓦 と中心 に側面形 の蓮華紋を置く. 17.

(18) 均 整 唐 草 紋 軒 平 瓦 、 三本 角 を も つ鬼 瓦 、 丸 ・平 瓦 な ど が 知 ら れ て い る。 瓦 当 紋 様 や製 作 技 法 から み て、 一三世 紀 末 ∼ 一四世 紀 後 半 頃 の瓦 と 思 わ れ る。 松 島 瑞 巌 寺 境 内 遺 跡 の瓦. 有 名 な 瑞 巌 寺 境 内 に は 円福 寺 と いう 中 世 に遡 る寺 院 跡 が あ った 。 円福 寺 は コ 遍 上 人 絵 伝 ﹂ にも 描 か れ た瑞 巌 寺. の前 身 寺 院 で、 寺 伝 によ れ ば 、 九 世 紀 に慈 覚 大 師 が 創 建 した 天台 宗 延 福 寺 を 北 条 時 頼 が 廃 し、 臨 済 宗 の寺 院 と し た. のが 円福 寺 だ と いう 。 調 査 で は 一四世 紀 後 半 の 三 巴紋 軒 丸 瓦 と 均 整 唐 草 紋 軒 平 瓦 が 出 土 し て いる。 軒 平 瓦 の瓦 当 紋. 様 は 、 中 心 に側 面 形 の蓮 華 紋 を 置 き 、 左 右 にや や 複 雑 な 唐 草 紋 が 反 転 す るも の であ り、 そ の製 作 技 法 は瓦 当 貼 り付. け 技 法 であ る。 東 光 寺 と 同 萢 の瓦 も あ る。 円福 寺 は 一六 世 紀 に焼 失 後 、 伊 達 政 宗 が 再 建 し瑞 巌 寺 と名 を 改 め た と い. 織豊政権から江戸初期 の瓦. う 歴 史 を も つ。. 第 三波. 織 豊 政 権 か ら 江 戸 初 期 にか け て、 全 国 に近 世 城 郭 が あ い つい で建 設 さ れ た 。 みち のく にも 伊 達 氏 の仙 台 城 を は じ め 、 蒲 生 氏 の若 松 城 、 最 上 氏 の山 形 城 、 南 部 氏 の盛 岡 城 な ど が 築 か れ た 。. 安 土 城 が 出 現 し てか ら 、 瓦 葺 き でな い城 は城 と し て認 め ら れ な く な った 。 みち のく でも いぶ し瓦 と とも に、 こ の. 時 代 に流 行 し た 金 箔 瓦 、 滴 水 系 軒 平 瓦 が 取 り 入 れ ら れ 、 そ の豪 華 さ を 互 い に競 った 。 金 箔 瓦 、 滴 水 系 軒 平 瓦 とも に そ の分 布 の北 限 を な す 。. 18.

(19) み ちの く彊紀 行. 城郭を飾る金箔瓦. 漆 を 接 着 剤 にし た 金 箔 瓦 は、 天 正 四年 (一五七 ⊥ハ) に築 か れ た 織 田信 長 の安 土 城 に始 ま る と され る ( 注 1)。. これ ま で に東 北 か ら 九 州 ま で の 四〇 近 く の城 跡 か ら の出 土 が 知 ら れ てお り 、 ま た 三井 記 念 美 術 館 蔵 の ﹁聚 楽 第 図. 屏 風 ﹂ や上 越 市 立 総 合 博 物 館 寄 託 の ﹁聚 楽 第 行 幸 図 屏 風﹂(狩 野 二〇 一〇 )、 佐 渡 妙 法 寺 蔵 の ﹁ 洛 中 洛 外 図 屏 風 ﹂( 京. 都 国 立 博 物 館 一九 九 四)、 国 立 歴 史 民 俗 博 物 館 蔵 の ﹁江 戸 図 屏 風 ﹂( 鈴 木 進 他 一九 七 一) に も金 箔 瓦 を 描 いた 大 名 屋 敷 な ど が みら れ る。. 三井 記 念 美 術 館 蔵 の ﹁聚 楽 第 図 屏 風 ﹂ を み ると 、 門 ・塀 ・櫓 、 桧 皮 葺 の御 殿 に多 数 の金 箔 瓦 が 用 い ら れ て いる 。. 門 や 櫓 は 、 そ の軒 先 瓦 はも ち ろん 、 大 棟 と 蝦 羽 にも 使 用 さ れ てお り 、 あ た かも 額 縁 の よう に屋 根 の 四周 を 飾 る。 ま. 19. た 桧 皮 葺 の御 殿 の場 合 は、 そ の 大 棟 の鬼 瓦 と側 面 の棟 込 み瓦 と し て 金 箔 瓦 が 使 用 さ れ た 状 態 で描 か れ て お り 、 棟 の側 面 に は 左 右 に連 続 す る 青 海 波 ・菱 形 ・桐 紋 な ど が み ら れ る。 一方 、 国立 歴 史 民 俗 博 物 館 蔵 の ﹁江 戸 図 屏 風﹂ を み る と 、 松 平 陸 奥 守 を 名 乗 った伊 達 政 宗 の上 屋 敷 に み ら れ る よ う に、 櫓 門 と そ の両 脇 の 塀 ・隅 櫓 の軒 先 と大 棟 や 蟻 羽 に金 箔 瓦 が 描 か れ て い る が 、 屋 敷 の正 面 だ け に 限 ら れ る と い う 特 徴 が あ る (図 11 )。 要 す る に、 道 を 行 き 交 う 人 々 の目 に みえ る部 分 だ け を 飾 った の であ る。 な お 同 屏 風 に は 、 鍋 嶋 信 濃 守 (佐 賀 藩 主 鍋 島 勝 茂 ) の. 平陸 奥守 の上屋 敷. ▲ 図11松.

(20) 屋敷と松平伊予守 ( 越 前 福 井 藩 主 松 平 忠 昌 ) の屋 敷 な ど にも 金 箔 瓦 を 飾 る門 な ど が みら れ るが 、 伊 達 家 の上 屋 敷 が. も っと も華 美 に 描 か れ て お り (図 11 )、 将 軍 を迎 え る た め の特 別 の 門 で あ る 御 成 門 の前 に は、 そ の豪 華 さ に みと れ る女 性 た ち も 描 か れ て い る ( 小 澤 ・丸 山 一九 九 三)。. み ち のく の金 箔 瓦. 山 形 城 は出 羽 山 形 藩 の最 上 義 光 の居 城 で、 義 光 は伊 達 政 宗 の叔 父 にあ た る 。 ﹁山 ﹂ 字 紋 軒 丸 瓦 と 唐 草 紋 軒 平. と思われ る ( 山 崎 二〇 〇 八 )。. 平 瓦 に金 箔 が 押 さ れ て い る。 あ と で紹 介 す る よう に、 播 磨 か ら や ってき た 瓦 工人 の製 品 に金 箔 を 押 し たも の. チ 、 四か 所 に釘 穴 あ り ) と 連 珠 三 巴紋 軒 丸 瓦 、 葉 脈 を あ ら わ す 三葉 紋 を 中 心 飾 り にす る 三 回 反転 の唐 草 紋 軒. わ ゆ る ﹁奥 羽 仕 置 ﹂ によ り 入 部 後 築 城 した も の であ る。 三 巴紋 を 飾 る方 形 の棟 込 み瓦 (三 八 ×三九 ・五 セ ン. 会 津 若 松 城 は、 織 田信 長 の女 婿 であ る蒲 生 氏 郷 が 天 正 一八年 (一五九 〇 ) の秀 吉 の奥 州 征 討 と、 そ の後 の い. る。 そ の邸 内 か ら 、 伊 達 家 の家 紋 入 り の金 箔 瓦 が 出 土 。. 太 白 区 大 野 田 の元 袋 遺 跡 は、 二重 の濠 で囲 ま れ た 伊 達 家 に関 係 が 深 い家 臣 の屋 敷 跡 で はな いか と みら れ て い. 屋 敷 跡 の墓 穴 か ら 金 箔 を 貼 った 三 巴紋 軒 丸 瓦 が 出 土 し て い る。. 南 小 泉 遺 跡 は、 伊 達 政 宗 晩 年 の居 城 であ った 若 林 城 の造 営 に伴 い区 画 さ れ た 城 下 町 の遺 跡 であ る。 そ の武 家. か ら 左 に曲 が り 、 本 丸 に至 る道 の正 面 に建 つ中 門 の屋 根 は金 色 に輝 い て いた 。. 慶 長 五年 (一六 〇 〇 ) に建 設 が 開 始 さ れ た 仙 台 城 第 一期 の中 門 跡 から 約 百 点 の破 片 が 出 土 。 大 手 門 を 入 って. みち のく では 以 下 の六 遺 跡 か ら 金 箔 瓦 が 出 土 し て い る ( 仙 台 市 教 育 委 員 会 二〇 〇 五)。 1. 2. 3. 4. 5. 瓦 に金 箔 が 残 る。. 20.

(21) み ちの く彊紀 行. 6. 小 高 城 は福 島 県 相 馬 市 小 高 区 に残 る相 馬 氏 の居 城 跡 で、 伊 達 氏 と抗 争 を く り返 した こ と で知 ら れ て いる。慶. 長 一六 年 (一六 一 一) に中 村 城 に移 転 した 。 金 箔 を 施 した 鮭 の破 片 が 出 土 し て いる。. 瑞 巌 寺 本 堂 の滴 水 系 軒 平 瓦. 伊 達 政 宗 が 建 てた 瑞 巌 寺 本 堂 に は、 三 巴紋 軒 丸 瓦 と 組 み合 う 均 整 唐 草 紋 を 飾 る滴 水 系 軒 平 瓦 が 葺 か れ た。 軒 平 瓦. の瓦 当 面 両 脇 に刻 印 が あ り 、 太 田市 兵 衛 が 慶 安 三年 (一六 五〇 ) に作 った こ とが わ か る基 準 資 料 であ り、 秀 吉 の朝. 鮮 侵 略 のあ と 、 帰 国 した 諸 大 名 の築 城 に際 し て流 行 を みた 滴 水 系 軒 平 瓦 の最 北 に分 布 す る例 でも あ る。 な お、 この. 瓦 の生 産 地 は 宮 城 郡 利 府 町 春 日字 大 沢 で発 見 さ れ た 刻 印 ﹁太 田市 兵 衛 ﹂ と ヘラ書 き ﹁慶 安 三年 ﹂ を も つ瓦 から 、 こ の近 く に存 在 し た こと が 判 明 し て い る。. な お 、 こ の滴 水 系 軒 平 瓦 は、 こ の他 に仙 台 城 と 松 島 の雄 島 にあ る頼 賢 の碑 ( 国 指 定 重 要 文 化 財 ) の六 角 形 の鞘 堂. 民家 への普及. 屋 根 にも 使 用 さ れ た こと が 判 明 し て い る。. 第 四波. 第 四波 は 、 城 郭 を 中 心 に瓦 葺 き が 定 着 した 第 三波 の後 、 城 下 町 を 中 心 に瓦 葺 き の禁 制 が しだ いに解 か れ、 防 火 の. た め に富 裕 な 民 家 か ら 瓦 葺 き が 少 しず つで はあ るが 普 及 し て い った 時 代 であ る。 みち のく に おけ る、 そ の歩 み はど. のよ う に進 ん だ の であ ろう か 。 今 回 は、 仙 台 城 下 の龍 を 飾 った 芭 蕉 の辻 の特 異 な 屋 根 景 観 に焦 点 を しぼ り、 そ の歩 みを た ど る こと に しよ う 。. 21.

(22) 無 鰯. 舗. 台城の大手嬰. 広瀬川を竃. へのびる大町筋ζ. 城 下 を 南 北 に 抜 け る 奥 州 街 道 が 交 差 す る 四 辻 の 名 称 であ る 。 交 差 点 の 西 側 、 す な わ ち 城 に 向 か う 側 の 道 の中 央 に高 札 が 設 け ら れ て いた の で、 正 式. 震 伊驚 〆 〆. ∠.  ま. 効. ダ. ら クノ. 触 窺. "磁ー. '. ぞ. 川. む. ロ  . ト. 卸. 仏鄭. ノ. ・ 凋嫡 鳴夢 畿 p . " , ま譜 簿. ド ヒ. 鮒 舞 ∵  . 一 〆. 解. 訟 諺. そ の功 によ って辻 の四方 の建物 を授か った虚無僧 の名に. に 灘雛 雛 鉢 に 鰐 鹸 趣樋扉堕 達政宗 の間馨. 響 辮驚 霧蝶 御 疑 蕪蕪. や が て こ の辻 の 四隅 に、 藩 が 本 瓦 葺 き 塗 込 造 り の城 郭 風 の建 物 を 建 て て. 商 人 に貸 し 、 焼 失 し た 際 も 藩 が 資 材 を 支 給 す る制 度 が でき た 。 そ の屋 根 に龍 が 飾 ら れ て いる の であ る。 そ れが い つ. 頃 の こと か は 伝 え ら れ て いな い。 しか し、 今 回 の検 討 によ って、 そ の モデ ル にな った 江 戸 、 日本 橋 な ど の 三階 建 て. 櫓 造 り 建 物 の存 続 期 間 か ら 、 江 戸 時 代 初 期 にさ か のぼ る可 能 性 が 高 い こ とが 判 明 した 。 以下 、 三階 建 て、 本 瓦 葺 き. 塗 込 造 り 、 櫓 造 り の城 郭 風 の建 物 を 三階 櫓 、 二階 建 て のも のを 二階 櫓 と呼 び 、 こ の芭 蕉 の辻 の屋 根 景 観 に つ いて紹 介 す る。. 江一 戸日 本 橋 の 三階 櫓. こ の芭 蕉 の辻 の モデ ル は、 五街 道 の起 点 であ った 日本 橋 のた も と に建 てら れ た 、 ひ とき わ 目立 つ三階 櫓 と考 えら. 22. 蕉 の辻 の 復元 模 型(東 北歴 史 博 物館 蔵). 図12芭.

(23) み ちの く彊紀 行. れ る。 要 す る に、 日本 橋 と いう 江 戸 の 一等 地 に みら れ た 当 時 最 先 端 の都 市 景 観 を 仙 台 藩 が 模 倣 し、 奥 州 街 道 を 往 来 す る人 々 に誇 示 し た のが 芭 蕉 の辻 であ った の であ る。. 慶 長 八 年 (一六 〇 三)、 徳 川 家 康 は 征 夷 大 将 軍 に 任 じ ら れ 、 江 戸 に 幕 府 を 開 く と と も に 市 街 地 の建 設 を 開 始 し た 。. 日本 橋 も こ の年 に架 け ら れ てお り 、 や が て出 光 美 術 館 蔵 の ﹁江 戸 名 所 図 屏 風 ﹂ や 国 立 歴 史 民 俗 学 博 物 館 蔵 の ﹁江 戸. 図 屏 風 ﹂ に み ら れ る よ う な 三 階 櫓 が (図 13)、 伊 勢 や 近 江 ・京 都 出 身 の豪 商 達 に よ って建 て ら れ る よ う に な った (出 光 美 術 館 一九 八 七 、 鈴 木 他 一九 七 一)。. 前 者 は 、 そ の景 観 年 代 や 表 現 内 容 か ら み て、 寛 永 年 間 (一六 二 四∼ 一六 四 四年 ) 前 半 から 半 ぼ に かけ て のも の と. さ れ 、 後 者 は 慶 安 四年 (一六 五 一) か ら 明 暦 三年 (一六 五七 ) の問 に土 佐 系 の絵 師 に よ って描 かれ た と さ れ、 江 戸 の城 下 で は そ の初 期 か ら こ う し た 豪 壮 な 建 築 が 四辻 に存 在 し た こと が わ か る。 屋 根 の表 現 を み る と、 出 光 美 術 館 の ﹁江 戸 名 所 図 屏 風 ﹂ の ほう が や や 古 い景 観 を 描 い て い る と い う 印 象 を 受 け る。 四辻 の建 物 は 、 国 立 歴 史 民俗 学 博 物 館 蔵 の ﹁江 戸 図 屏 風 ﹂ の中 橋 や新 橋 のた も と に も み ら れ 、 この う ち 最 も 豪 華 に描. 23.

(24) か れ て いる のは 新 橋 のた も と の 三 階 櫓 で、 大 棟 に號 を 飾 る (図 14)。 そ の総 数 は 江 戸 市 中 で 一四 棟 を 数 え ると いう (小 澤 ・丸 山 一九 九 三 )。 ま た 大 名 屋 敷 の 四隅 にも 二階 建 て櫓 造 り の建 物 が 眼 に つく 。. し か し 、 こう した 三階 櫓 の雄 姿 が 長 く 続 く こと はな か った 。 慶 安 二年 (一六 四九 ) に 三階 建 の建 物 は奢 修 に過 ぎ. ると いう こと で禁 止 さ れ ( 大 澤 二 〇 〇 八 )、 明 暦 の大 火 (一六 五七 年 ) で そ の姿 を 完 全 に消 し た 。 そ の後 も 建 てら. れ る こと は な く 、 瓦 葺 き 二階 建 て の 黒 塗 土 蔵 造 り の商 家 が 軒 を 連 ね る よう に な った こと が 、 文 化 二年 (一八 〇 五 ). 頃 の 日 本 橋 周 辺 の 景 観 を 活 写 し た ﹃熈 代 勝 覧 ﹄ な ど の 絵 巻 や 浮 世 絵 によ って う か が う こと が で き る (小 澤 ・小 林 二〇 〇 ⊥ハ)。. す で にふ れ た よ う に、 い つ頃 か ら 芭 蕉 の辻 に本 瓦 葺 き 塗 込 造 り の城 郭 風 の建 物 が 建 てら れ る よう にな った の か は. 不 明 であ る。 し か し、 半 世 紀 前 後 と いう ご く 短 期 間 で姿 を 消 した 江 戸 の 三階 櫓 の歴 史 から す る と、 仙 台 に そ の 風が 伝 え ら れ た のは 一七 世 紀 前 半 の こと であ った 可 能 性 が 高 い。. 洛 中 洛 外 図 に み る 屋 根 景 観 の変 遷. 江 戸 の重 要 な 橋 のた も と や 四辻 に、 こう した ﹁特 権 商 人 の優 越 性 を 示 す 三階 櫓 ﹂( 小 澤 ・丸 山 一九 九 三) や 二階 櫓. が 建 て ら れ る よ う に な った の は な ぜ だ ろ う か 。 そ の 目 的 の ひと つに は ﹁有 力 町 人 が 武 士 の出 であ る こ と を 誇 示 し. た ﹂ 可 能 性 も あ る (小 澤 ・丸 山 一九 九 三 )。 し か し 、 いず れ も 最 上 階 に物 見 用 と 思 わ れ る櫓 が 設 け ら れ て い る こ と. を 重 視 す ると 、 いざ 戦 と いう 時 に、 町 の要 所 に設 け た 物 見 櫓 を 拠 点 に、 城 下 に防 衛 線 を 築 こう と し た 目的 も 考 えら れ る の では な いだ ろう か 。. そ う し た実 情 を 探 るた め に、 一六 世 紀 か ら 一七 世 紀 に か け て の町 家 の発 展 過 程 を 調 べ る こと に し よ う 。 そ の際 、. 最 も 有 力 な 材 料 と な る の は ﹁洛 中 洛 外 図 ﹂ な ど 、 こ の 時 代 の 都 市 を 描 い た 絵 画 史 料 であ る ( 京 都 国立 博 物館. 24.

(25) み ちの く彊紀 行. 一九 六 六 ・川 嶋 他 一九 八 三 ・林 屋他 一九 八 三 )。 完 成 当 初 の江 戸 城 下 の都 市 景 観 は 、 京 ・大 坂 に お け る そ の変 化 と. 発 展 を 受 け 継 いだ も の であ る はず だ か ら であ る。 も ち ろ ん、 絵 画 表 現 に特 有 の省 略 と誇 張 、 単 調 さを 避 け 変 化 を つ. け る た め の色 や形 の 工夫 な ど に よ る限 界 を 踏 ま え て の 話 であ り 、 あ ま り 時 期 を 細 か く 限 定 す る こ と は無 意 味 であ る。 し か し 、 そ のお お ま か な 変 遷 はた ど る こと が でき る の で はな いだ ろう か。. 以 下 、 数 多 い ﹁洛 中 洛 外 図 ﹂ と そ の類 例 を 通 し て、 京 都 の町 家 の屋 根 景 観 の変 遷 を 、 屋 根 を 葺 く 材 料 の変 化 、 平. 屋 か ら 二階 家 への変 遷 、 瓦 葺 き の土 蔵 ・櫓 の登 場 な ど を キ ー ワー ド に し てた ど る と、 お お むね 以下 の よう な 変 化 を 指 摘 す る こと が でき る。. 初 期 洛 中 洛 外 図 に み え る 屋根 景 観 現 存 最 古 の洛 中 洛 外 図 であ る 国 立 歴 史 民俗 博 物 館 蔵 の 甲本 (町 田 本 、 以下 歴 博 甲 本 と 略 ) に描 か れ た 町 家 の 屋 根 は 、 す べ て割 り竹 と 石 で押 さ え た 石 置 き 板 葺 き で、 瓦 葺 き は ま だ 認 め ら れ な い。 ま た 、 そ の ほ と ん ど が 平 屋 であ るが 、 上 京 の立 売 通 り 近 く な ど に総 二階 造 り が 二棟 、 そ の他 に厨 子 二階 風 の. 25.

(26) 家 が 二棟 、 計 四棟 の 二階 家 が 描 か れ て い る ( 図 15)。. こう し た 町 家 の大 棟 は、 断 面 か ま ぼ こ状 の棟 を 割 竹 で包 み、 蔓 や 縄 な ど で縛 った 表 現 のも のが 圧倒 的 に多 い。 カ. ヤ 葺 き の 民家 建 築 で いう ﹁竹 篭 巻 き ﹂ に 近 い葺 き 方 で あ る (川 島 一九 九 二)。 し か し、 一部 に 瓦 で 大 棟 を 押 さ え た. と みら れ る表 現 が す で に み ら れ る 。 瓦 は 灰 色 の彩 色 を 施 し て いる の で識 別 で き る (図 16右 端 )。 細 部 の表 現 が 曖 昧. な も のが 多 いが 、 こう し た 大 棟 の表 現 は し だ い に数 が 増 え 、 表 現 も 明 ら か に 瓦 を あ ら わ し た も の に変 化 す る の で、. お そ ら く 平 瓦 を 伏 せ た 大 棟 が こ の時 期 ま で遡 る可 能 性 は高 い。 こう した 観 点 から の考 古 資 料 の探 索 が 今 後 必 要 であ ろう。. ま た 屋 根 の妻 側 に は屋 根 板 が 強 風 で飛 ぼ な いよ う に、 壁 を 妻 の上 端 ま で延 ぼ した 視 を 設 け た例 が あ る。 さら に屋. 根 の斜 面 に 小 さ な 屋 根 を 突 き出 し 、 ﹁煙 出 し﹂ と し た 例 も み つけ る こと が でき る。 し か し、 まだ 櫓 と 呼 べ る構 造 を も つ例 は み いだ せ な い。. 歴 博 甲本 の景 観 年 代 の上 限 は大 永 五 年 (一五 二 五) で、 下 限 は 天 文 五年 (一五 三 六 )。 こ れ に 後 続 す る 東 京 国 立. 博 物 館 蔵 の ﹁洛 中 洛 外 図 ﹂ 模 本 ( 東 博 模 本 ) や 、 国 立 歴 史 民 俗 博 物 館 蔵 の 乙本 (歴 博 乙 本 ・高 橋 本 )、 狩 野 永 徳 が. 永 禄 八 年 (一五六 五) に描 いた こと が 確 認 さ れ た 米 沢 市 上 杉 博 物 館 蔵 の上 杉 本 ﹁洛 中 洛 外 図﹂ に みら れ る屋 根 景 観. も ほぼ 同様 で あ る (小 澤 ・川嶋 一九 九 四 )。 ま た 近 年 に な って世 に出 た、 上 杉 本 よ り や や先 行 す る と 考 え ら れ る狩. 野 永 徳 筆 の ﹁洛 外 名 所 遊 楽 図﹂ も (狩 野 二 〇 〇 七 )、 洛 外 を 描 いた も の で あ る か ら よ り 農 村 の 景 観 が 多 い も の の、. 大 棟 の 一部 に瓦 を 載 せ た 例 が みら れ るな ど ほぼ 同様 の景 観 が 示 さ れ て い る。 した が って、 一六 世 紀 前 半 から 中 ご ろ. にか け て の京 都 と そ の周 辺 の屋 根 景 観 は、 以上 に述 べた 歴 博 甲 本 に よ って代 表 さ れ る と い って よ いであ ろう 。. 26.

(27) み ちの く葺紀 行. ふ た つ の ﹁聚 楽 第 図 ﹂. 三井 記 念 美 術 館 蔵 の ﹁聚 楽 第 図 ﹂ と 、 上 越 市 立 総 合 博 物 館 寄 託 の ﹁聚 楽 第 行 幸 図 屏 風 ﹂ に は (狩 野 二 〇 一〇 )、 長 者 町 の通 り に軒 高 を 揃 え た 本 格 的 な 二階 家 が 登 場 す る。. す で に述 べた よ う に、 歴 博 甲 本 に続 く 一六 世 紀 前 半 か ら 中 頃 にか け て の景 観 年 代 を 示 す 東 博 模 本 、 歴 博 乙本 、 上. 杉 本 の ﹁洛 中 洛 外 図 ﹂ にも 二階 家 は 一∼ 四棟 ほど 描 か れ て い る。 し か しま だ 圧倒 的 に平 屋 が 多 く 、 豊 臣 秀 吉 が 天 正. 一四年 (一五八 六 ) に開 始 した 聚 楽 第 の建 設 と 洛 中 の再 開 発 に際 し て、 大 手 筋 な ど の大 通 りを 中 心 に こう し た本 格. 的 な 二階 建 てを 奨 励 し た こと によ って普 及 した も のと みら れ る ( 谷 一九 八 三 ・小 和 田 一九 九 六 )。. 三井 記 念 美 術 館 蔵 の ﹁聚 楽 第 図 ﹂ を み ると 、 そ の屋 根 はま だ 割 り 竹 で屋 根 板 を 縦 横 に押 さ え、 さら に石 を 置 いて 飛 ぼ な いよ う に し た 板 葺 き で あ る (図 17 )。 一方 、 建 ち 並 ぶ 町家 の背 後 に は 二棟 の本 瓦 葺 き塗 込造 り の建 物 が み え る。 懸 魚 を 飾 るな ど や や立 派 すぎ る 感 が あ る も の の こ れ を 付 属 す る 土 蔵 と す れば 、 ﹁洛 中 洛 外 図 ﹂ の な か で は本 瓦 葺 き 塗 込 造 り の土 蔵 を描 いた 最 古 の例 と な る。 本 図 の景 観 年 代 の上 限 は 聚 楽 第 が 建 設 さ れ た 天 正 一五 年 (一五 八 七 )、 下 限 は 破 却 さ れ た 文 禄 三 年 (一五 九 四 ) で あ る 。 一方 、 上 越 市 立 総 合 博 物 館 寄 託 の ﹁聚 楽 第 行 幸 図 屏 風﹂ に は、 本 瓦葺 き の 二階 建 て の町 家 が か な り描 かれ て いる 。 ﹁聚 楽 第 行幸 図 屏 風﹂ は、 天 正 一六年 (一五 八 八) の後 陽 成 天 皇 行 幸 の情 景 を 描 いた も の であ るが 、 そ の制 作 年 代 は 慶 長 年 間 (一五九 六 ∼ 一六 一五 年 ) と さ れ、 三井 記 念 美 術 館 蔵 の ﹁聚楽 第 図 ﹂ よ り や や新 し い景 観 を 反映 し て いる可 能 性 も検 討 しな け れば なら な い。. 27.

(28) 一■ 条 城 を 描 く ﹁洛 中 洛 外 図 ﹂ 京 都 国 立 博 物 館 蔵 の 二 条 城 を 描 く ﹁洛 中 洛 外 図 (以 下 京 博 本 )﹂ は 左 隻 の み であ るが 、 図 中 に商 人 層 に お け る 富 の蓄 積 を 物 語 る 五棟 ほ ど の本 瓦 葺 き塗 込 造 り 二階 建 て の土 蔵 と 思 わ れ る 建 物 が あ ら わ れ る (図 18)。 う ち 一棟 は木 戸 が 設 け ら れ た 四辻 に面 し て いる 。 ま た 堀 川 通 り や丸 太 町 通 り に面 し た 町家 は 、 軒 の高 さ を 揃 え た 二階 家 が 圧 倒 的 に 多 く な り、 さ ら に 割 り 竹 と 石 を 描 か な い柿 葺 き と 思 わ れ る板 葺 き 屋 根 が 多 数 を 占 め る よ う に な る 。 図 の中 央 下方 を 中 心 に 剥 落 な ど が 激 しく 、 正確 に 数 え る こと は 困難 で あ る が 、 約 = 二五棟 の町 家 の う ち 、 五 五 棟 (四〇 ・七 %) が 石 置 板 葺 き で あ る 。 大 棟 の表 現 も 瓦 を 載 せ た例 が 圧 倒 的 に多 く な る も の の、 本 瓦 葺 き の 二階 建 ては ま だ 登 場 し て お ら ず 、 こ のあ た り が 先 述 し た ﹁聚 楽 第 行 幸 図 屏 風﹂ に み え る 屋 根 景 観 と齪. 齪 を き た す と こ ろ であ る。 京 博 本 の景 観 年 代 の上 限 は慶 長 = 一 年 (一六 〇 七 ) とさ れ る の で、 ﹁聚 楽 第 行 幸 図 屏 風 ﹂ の制 作 年 代 も お のず と そ れ 以 降 と いう こと にな ろう 。. 三階 櫓 の登 場. 京 博 本 と 構 図 が 似 てお り 、 お な じ 粉 本 を 用 いた と推 定 さ れ る富 山 ・勝 興 寺 蔵 の ﹁洛 中 洛 外 図 (以 下 勝 興 寺 本 )﹂. にも 瓦 葺 き 二階 建 て の土 蔵 が 一五棟 ほど 描 か れ 、 ま た 板 葺 き 屋 根 を も つ厨 子 二階 家 の大 棟 上 に本 瓦 葺 き 塗 込 め の櫓. が 一棟 だ け で は あ るが あ ら わ れ る (図 19)。 簡 素 な が ら も 三階 櫓 の初 め て の例 であ る。 ま た土 蔵 の大 棟 端 には 鳥 袋. ら し き 表 現 が 増 加 す る。 二階 家 が 多 数 を 占 め る こと 、 町 家 の大 棟 の ほ と んど す べ てが 瓦 で覆 わ れ る こ とも 京 博 本 に.

(29) み ちの く彊紀 行. 似 る。. 京 博 本 と お な じ 左 隻 で石 置 板 葺 き の占 め る割 合 を 調 べ ると 、 一三 二棟 のう ち ⊥ハ九 棟 (五 二 ・二 %) と いう 数 値 が. え ら れ る。 右 隻 では 一六 一棟 の う ち 六 二棟 (三八 ・五 %)、 両 隻 を 合 わ せ る と 二九 三棟 の う ち = 二 一棟 (四 四 ・七. %) と な り 、 右 隻 に描 か れ た 下 京 の方 が よ り 新 し い屋 根 景 観 を 示 し て い る可 能 性 が 考 えら れ る。 京 博 本 と比 較 す る. と 、 勝 興 寺 本 の ほう が 、 わ ず か に古 い屋 根 景 観 を 反 映 し て い る の であ ろう 。 勝 興 寺 本 の景 観 年 代 の上 限 は慶 長 一二. 年 (一六 〇 七 ) 頃 、 下 限 は慶 長 一七年 (= ハ = 一 ) と さ れ て お り 、 制 作 年 代 を 慶 長 末 年 か ら 元 和 初 年 (= ハ 一五 ). と す る説 も 最 近 提 示 さ れ て い る。 した が って、 京 博 本 と 合 わ せ 考 え る と、 一六 世 紀 後 半 から 一七 世 紀 初 期 に かけ て 石 置 板 葺 き の比 率 が 下 が り 、 柿 葺 き が 急 速 に増 加 した こと が わ か る。. 29.

(30) 四階 櫓 も あ る 堺 市 博 物 館 蔵 の ﹁洛 中 洛 外 図 (以 下 堺 市 博 本 )﹂ に は本 瓦 葺 き の厨 子 二階 家 の大 棟 上 に 、 二層 の 本 瓦 葺 き の 櫓 を あ げ. 限 は慶 長 一二年 (= ハ〇 七 ) 頃 、 下 限 は 慶 長 一七 年 (一六. .. 鮫る. 一二)。 大 阪 市 立 美 術 館 蔵 の ﹁洛 中 洛 外 図 ﹂ に も 板 葺 き 厨 子 二 階 家 の上 に 瓦 葺 き 塗 り 込 め の櫓 を 描 いた 例 が あ る 。. 三階 櫓 が 木 一 戸脇 に 集 中. 萬 野 美 術 館 蔵 と 神 戸 市 立 美 術 館 蔵 の ﹁洛 中 洛 外 図 ﹂ に は、 瓦 葺 き 、 あ る い は板 葺 き の厨 子 二階 家 の上 に櫓 を あ げ. た 三階 櫓 が か な り め だ つよ う にな る。 さ ら に注 目 しな け れ ば いけ な い の は、 こう した 三階 櫓 が 木 戸 の脇 に集 中 す る. 傾 向 であ る。 江 戸 と お な じよ う に、 京 都 でも 四辻 に面 した 富 裕 な 商 家 のな か に、 そ の権 勢 を 視 覚 的 に わ か り やす い 三階 櫓 と し て みせ つけ る風 潮 が あ った こと を 示 し て い る。. 神 戸 市 博 物 館 蔵 の ﹁洛 中 洛 外 図﹂ に は 、 木 戸 の 四辻 に櫓 を あげ た 建 物 が あ ら わ れ る (図 21)。 町 家 の造 り は 二階. 30.

(31) み ちの く彊紀 行. 屋 が 一般 的 にな り 、 ま た 塗 込 め の土 蔵 も 増 加 す る。 元 和 年 間 (一六 一五∼ 一六 二 四年 ) 頃 の作 品 と さ れ る。. 林 原 美 術 館 蔵 の ﹁洛 中 洛 外 図 ﹂ に は、 三階 建 の土 蔵 と 櫓 が かな り 目立 つよう にな る。 元 和 年 間 初 頭 の景 観 を 描 い た も のと さ れ 、 制 作 時 期 も そ れ ほど 隔 た ら な いと 考 えら れ て い る。. 洛 中 洛 外 図 に み る 屋 根 景 観 の変 遷. 以 上 を ま と め ると 、 戦 国 時 代 の終 わ り か ら 、織豊政権 の時代を経 て、江戸時代初期 に至 る屋根景観 のおおま かな 変 遷 を た ど る こと が でき る。. 平 屋 か ら ■■ 階家 へ. 一六 世 紀 前 半 か ら 中 頃 にか け て は ほと ん ど 平 屋 だ った も のが 、 秀 吉 が 天正 一四年 (一五 八六 ) 以後 、 本 格 的 な 二. 階 建 てを 奨 励 し た こと によ って普 及 した 。 これ 以後 の景 観 年 代 を も つ ﹁洛 中 洛 外 図﹂ にも 急 速 に 二階 家 が 増 え る。 石置き板葺きから柿葺き へ. 16世 紀 初 頭 の京 都 国 立 博 物 館 蔵 の 二条 城 を 描 く ﹁洛 中 洛 外 図 ﹂ に は竹 を 描 かな い柿 葺 き と思 わ れ る屋 根 も 登 場 す る。 瓦 葺 き 建 物 の始 ま り. 瓦 葺 き の建 物 は、 一六 世 紀 後 半 にな って富 裕 な 商 家 の土 蔵 か ら 始 ま る。 防 火 のた め 白 壁 の塗 込 造 り。 本 瓦 葺 き 塗. 込 造 り の土 蔵 は当 初 二階 建 て が 多 いが 、 や が て狭 い敷 地 を よ り 有 効 に 利 用 す る た め に 三階 建 て のも の も あ ら わ れ る。 限 ら れ た 都 市 空 間 を よ り 有 効 に活 用 す るた め の 工夫 の結 果 であ ろう 。. 31.

(32) 視 ( 卯 建 ) の変 遷 一⊥ハ世 紀 前 半 か ら 、 板 葺 き 屋 根 の板 が 横 風 に よ って 飛 ば さ れ な い よ う に 建 物 の 側 面 に 設 け ら れ た小 屋 根 を 掛 け た椀 は 少 数 存 在 す る 。 これ が 増 加 す る のは 一七 世 紀 初 め 頃 であ る。 ま た 二 階 家 の 一般 化 に と も な って袖 壁 を も つ本 格 的 な 卯 建 が あ ら わ れ る。 物 見 ・櫓 の始 ま り ﹁洛 中 洛 外 図 ﹂ や ﹁京 名 所 図 扇 面 ﹂ に は、 石 置 き 板 葺 き 屋 根 の 上 に 小 規 模 な 物 見 ・櫓 が 描 か れ て い る 。 これ を 仮 に初 期 櫓 と 呼 ぼ う 。 こ の初 期 櫓 は、 そ の 一つの 展 開 の方 向 と し て総 二 階 家 に発 展 す る 一方 、 そ の 二階 家 の上 に櫓 を も つ建 物 を 生 みだ し た 。 ま た 本 瓦 葺 き 塗 込 造 り の土 蔵 の最 上 階 に格 子 窓 を 設 け、 物 見 や 遊 興 の た め の空 間 と し た例 も 描 か れ る よう に な る 。 な お煙 出 し と 櫓 の識 別 が む つか し い. 例 も あ るが 、 大 棟 上 にま た が る形 、 あ る い は庭 側 の屋 根 の斜 面 にも ち 上 げ た 形 の煙 出 しを 明 確 に描 く 例 も 多 い。 そ のな か には 塗 込 造 り と した 例 も あ る。. 芭 蕉 の辻 の ■■ 階櫓. 芭 蕉 の辻 の瓦 葺 き 塗 込 め の城 郭 風 二階 櫓 の写 真 が 残 る (図 22、 仙 台 市 一九 五九 ・仙 台 市 博 物 館 一九 八六 )。 文 政. 一〇 年 (一八 二七 年 ) 正 月 二 五 日 の肴 町 の大 火 で焼 け た あ と に再 建 さ れ た 建 物 の写 真 だ と いう 。 こ の 二階 櫓 は、 明. 治 二一 二年 (一八 九 〇 ) 正 月 の火 事 で東 南 角 の建 物 が 焼 失 す るま で、 四棟 す べ てが 揃 って いた。 そ の立 派 な 入 母屋 造.

(33) み ちの く彊紀 行. り 屋 根 の大 棟 の両 端 に は、 瓦 製 の 棟 飾 り 龍 が 飾 ら れ て い る。. `. 匹. こ の他 に、 正 確 な 年 代 は不 明 で あ るが 、 文 化 年 間 (一八 〇 四∼ 一八 一 七 年 ) か ら幕 末 ま で の間 に描 か れ た 四枚 続 き の錦 絵 が あ る。 こ の錦 絵 に. 魚. よ って、 東 南 角 大 町 側 の建 物 が 大 黒. 33. 屋 惣 兵 衛 (図 26 、 呉 服 太 物 商 )、 西. 野. b. 北 角の 恵比寿 屋 ▲ 図24東 龍尾 の剣. 南 角 大 町側 の建 物 が 、 壺 屋 新 七 (図 25、 呉 服 太 物 商 )、 西 北 角 国 分 町 側 ノ. べ 叩娼9. の建 物 が 、 松 岡 屋 富 右 衛 門 (図 23、 呉 服 太 物 商 )、 東 北 角 国 分 町 側 の 建 物 が 、 恵 比 寿 屋 甚 三郎 (図 24、 呉 服 商 ) の店 であ った こと が 知 ら れ る。 また、屏 風絵や錦絵など にも、芭 蕉 の辻 の 四 方 に 立 つ建 物 の大 棟 を 飾 る棟 飾 り 龍 が 描 か れ て い る。 ﹁慶 応 元 年 (一八 六 五 ) 仙 台 城 下 図 屏 風 ﹂ や 、 ﹁芭 蕉 辻 錦 絵 ﹂ に よ る と 、 太 物. 、 f臓. 北 角 の松 岡屋 ▲ 図23西. 雛 、∠ 昏.

(34) 類 (綿 織 物 ・麻 織 物 ) を 物) を 売 る恵 比 寿 屋 、 太 省が わ か る。 な お 、 ﹁奥 一 表現 が や や 現 実 性 を 欠 い 苅の棟 飾 り 龍 も 中 央 を向 か、 これ は実 物 を 見 な い.

(35) み ちの く彊紀 行. 大 藩 であ る仙 台 藩 六 二 万石 の城 下 に つい て の彼 の記 述 は 以下 の通 り 、 かな り手 厳 し い。. ﹁夜 四 ツ時 ( 十 時 ) に よ う や く 仙 台 城 下 に着 き ぬ 。 人 び と は 労 れ て そ のま ま 休 息 せ し に、 予 は 人 足 の男 を 頼 み 忍. び て立 ち 出 で仙 台 城 下 諸 士 の 屋 敷 屋 敷 を 見 巡 り し に、 所 ど こ ろ に番 人 あ り て 答 む る ゆ え、 く わ し く 見 る こと 能 わ. ず 、 詮 方 な く 案 内 者 に聞 き しば か り な り 。 城 下 は定 め て宜 しき 構 えな る べ し と思 いの外 、 草 葺 き の小 家 多 く て、 甚. だ 倥 し き 市 中 な り 。 町 の長 さ 五十 余 町 、 道 筋 小 石 数 多 あ り て河 原 のご と し。 (中 略 ) 六 、七 年 以前 、 寅 卯 凶 年 に逢 い. て、 下 民 数 多 餓 死 せ し か ぼ 、 そ れ よ り 困 窮 人 多 く 出 で 来 て、 今 は 昔 の 形 は な し と いえ り 。 芭 蕉 の 辻 と いう 町 、 一、二 丁 ほ ど よ く 見 え し な り ﹂。. 寅 卯 凶 年 と は 、 天 明 二年 (一七 八 二) か ら 翌 年 にか け て続 いた 天明 の飢 饅 を 指 し、 仙 台 藩 で は 二〇 ∼ 三〇 万人 が. 餓 死 し た と 伝 え ら れ て い る。 ﹃東 遊 雑 記 ﹄ の 記 述 に は 、 城 下 で は芭 蕉 の辻 の近 く だ け ﹁よく 見 え し な り ﹂ と あ る の. で、 こ の周 辺 だ け 瓦 葺 き の 町家 が あ った こと が わ か る 。 た だ し 、 残 念 な が ら 棟 飾 り 龍 の存 在 に つ い て の 記 述 は な い。. 仙 台 市 内 に か つ て存 在 し た 棟 飾 り 龍. 今 回、 仙 台 市 立 博 物 館 で みた 写 真 な ど か ら 、 す で に失 わ れ た 棟 飾 り 龍 の存 在 が いく つか判 明 し た。. 芭 蕉 の辻 のあ る大 町 通 り か ら 一本 北 の東 西 の通 り に面 した 肴 町 近 江 屋 の魚 問 屋 。 塗 り壁 、 海 鼠 壁 の防 火 建 築. で広 壮 な 構 え 。 戦 災 で焼 失 した が 写 真 が 残 る。 肴 町 は城 下 町 創 設 以来 の伝 統 を 誇 る六 つの御 譜 代 町 の ひ と つ で、 市 が 立 つな ど し て栄 え た 。. 明 治 二七 年 (一八 九 四) に旧 小 田原 遊 郭 か ら 移 転 した 新 常 磐 町 の妓 楼 の 二軒 四体 。 小 さな 写真 が 残 るだ け で あ るが 、 明 治 中 期 と いう 時 期 のわ か る例 と し て貴 重 。. 35.

(36) 以 下 は イ ンタ ー ネ ット や 写 真 か ら 得 た 情 報 に基 づ く. q3. 角 田市 角 田 の長 泉 寺 境 内 の経 蔵 。 入 母 屋 造 り の 屋 根 の大 棟 に は號 、 隅 棟 に龍 が 現 存 す る。 イ ン タ ー ネ ット で情 報 を 入 手 。 角 田市 清 水 家 土 蔵 の棟 飾 り 龍. ▲. '. =. 馳. £. '; =  コ. ﹁吾 家 世 世 瓦 □為 仰. 佐 野 氏 者 三河 国 某 郡高 取 村 之 人. 該 業 実 去 今 百 二十 有 余 年 前. 為 其 主 君 曰佐 野 宗 兵 衛 是 吾 家 祖 先 也. ;. ∼ ∼♂ 2. こ こ、 ノニゴ. '二 ヴ. ノ. 二. ! ヂ. p'. イ '. 薫 ツUw!∼ マ. ' ^、三 し 三 ' 三. ﹂.. [ 二. で ) リ, ソ .シ. 邸 三. , '頓. 歯. 一 .訴. 、 嚢    魂 蔵. ・ _. 棟飾り龍。 三. 四 愛 知 県 高 浜 市 のや き も の の里 か わ ら 美 術 館 で開 催 さ. 東 北 と 三州 を つな ぐ も の﹂ の館 内 にお け るパ ネ ル. ▲. を 写 し た 写 真 の背 景 に同 家 の桟 瓦 葺 き の土 蔵 が 写 ってお り 、 そ の大 棟 に 二頭 の龍 が 載 って いる (図 29)。. 仙 台 藩 内 に移 住 し 、 瓦 製 造 を 始 め た こと が 知 ら れ る。 三河 国 碧 海 郡 高 取 村 は現 在 の高 浜 市 内 にな る。 こ の瓦 製 燈 籠. (一八 九 二) を 遡 る こと お よ そ 百 二十 年 前 の 明 和 年 間 (一七 六 四∼ 一七 七 二年 ) 頃 に、 高 取村 出 身 の佐 野 宗 兵 衛 が. こ の 銘 文 は、 三 河 の 瓦 師 が 各 地 に 技 術 を 伝 え た こ と を 証 す る 貴 重 な 史 料 の ひ と つ で あ り 、 明 治 二 五 年. 生 而 頴 敏 漂 午 十 年 北 有 八 帰 化 震 創 此 家 始 瓦 業 (以下 略 )﹂. の龍. 水 家土. ▲ 図29清. 才 子 ∫ ≧'一 、 ノ'・. れ た 特 別 展 ﹁1 東 日 本 大 震 災 復 興 祈 念 1 み ち の く の 瓦. 展 示 によ って知 った 例 ( 高 浜 市 二〇 = 二)。 角 田市 の清水 家 には家譜 を記 した 明治 二五年.    コノ ア サ リ ハ ヘ ヨ サ ノ ,,.■,,職 ∼ 〆2ジ 「、 ノ ご聖三 ノ    ノ ヒ. 瓢. べ 、 一 r、"一 一く. 」 しF. '写. 、' 軌. (一八 九 二 ) 作 の 瓦 製 燈 籠 が あ り 、 そ の基 部 に 次 のよ う な 銘 文 が 刻 ま れ て いる 。. じ.

(37) み ちの く葺紀 行. 五. 松 島 の瑞 巌 寺 参 道 入 り 口 の観 月 楼 。 屋 根 の隅 棟 に龍 が 載 る (図 30)。 これ は 最 近 の復 古 作 で あ る が 、 こ う し. た 新 し い作 品 が あ ると いう こと は、 県 下 にお け る棟 飾 り 龍 の 一定 の普 及 を 物 語 るも の と いえ よう 。. 震 災 で壊 れ た 松 山 の棟 飾 り 龍. 以 下 は 今 回 の旅 で実 際 に みた 棟 飾 り 龍 の話 。 最 初 に取 り 上 げ る大 崎 市 松 山 の龍 は、 小 さ な 写 真 で最 初 に み つけ た 時 は 、 あ のネ ッシー が 屋 根 に載 って い る の で はな いか と 思 った 。. 大 崎 市 松 山 は 、 伊 達 家 の重 臣 茂 庭 家 の城 下 であ る。 慶 長 八 年 (一六 〇 三) に千 石 城 に茂 庭 氏 が 入 るも 、 一国 一城 令 によ って取 り 壊 さ れ てか ら は上 野 館 が 中 心 と な った 。 町 の 中 心 に、 松 山 酒 ミ ュー ジ ア ム 、 歌 手 フラ ン ク 永 井 の 記 念 館 を 兼 ね た 松 山 ふ る さ と 歴 史 館 、 大 崎 市 教 育 委 員 会 松 山 支 部 (松 山 公 民 館 ) が か た ま って い るが 、 そ の近 く に棟 飾 り 龍 が 今 も 大 棟 を 飾 る角 田家 が あ る。 角 田 家 は 永 禄 年 間 (一五 五 八 ∼ 一五 七 〇 年 ) に 丹 波 国春 日 部 郷 か ら 移 り 住 み 、 代 々 庄 屋 を 務 め た と いう 家 柄 で、 麹 屋 と し て も 繁 昌 し た 。 そ の 角 田 家 の 作 業 蔵 と 座 敷 蔵 に棟 飾 り 龍 が あ った 。 し か し、 座 敷 蔵 の龍 は 、 東 日 本 大 震 災 に よ って 南 の龍 が 落 下 し て 粉 々 に 壊 れ 、 も う 一つの 北 の龍 も 傷 つき 、 座 敷 蔵 本 体 も 破 損 著 し く 、 保 存 の道 を 探 るも つ い に 取 り 壊 し と な り 、 北 の龍 は 分 解 し て近 く の松 山 公 民 館 に保 存 さ れ て い る ( 図 31)。 作 業 蔵 大 棟 の 東 西 一対 の龍 は 、 いま も 屋 根 の 上 でが ん ぼ って い る (図 32 ・33)。 た だ し蔵 の壁 に は 亀 裂 が 入 り 、 いず れ 本 格 的 な修 理 を 必 要 と し. 37.

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