88 学術の動向 2021.1 特集
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ネットワーク型の国際ガバナンスの展望と課題
新型コロナを巡ってはWHO
(世界保健機関) を舞台として米中の対立が激化している。アメ リカのトランプ大統領は2020
年4
月、WHO
が 「基本的な義務を果たさなかった」、「中国寄り である」として拠出を停止すると発表、5
月末に はトランプ政権が要求した改革が実行されてい ないとして「WHO
との関係を終わらせる」と宣 言、7
月初旬、正式に脱退を通告した。対する 中国の王毅外相は「コロナを懸命な努力により 制御した」、「コロナ問題を政治化し、WHO
を 中傷するものがいる」と暗にアメリカを指しつ つ反論、グローバルな連帯とは全く逆の方向へ と事態は推移している。 グローバル・ヘルスガバナンスとは国家のみ ならず、非国家アクターも含み、人間の健康に 関するグローバルな課題に、公式・非公式様々 な方法を用いて取り組む協力体系のことを指 す。もともとこの分野の協力体系は、国家間の 公式の手続きに依拠していたので、「国際保健 (international health
)」という呼称が一般的で あったが、多様なアクターによって構成される 複雑なアリーナと化すにつれ、「グローバル・ヘ ルス(global health
)」という呼称にとって代わ られてきた。多くのグローバルな課題が存在す るなか、ヘルスガバナンスを際立たせる特徴がはじめに
あるとすれば、それはどの国も比較的協力しや すいことである。どこでどのような感染症が起 きているのか、その危険が自国にどれほど迫っ ているのかを知ろうとする際、一国の努力には 限界があり、国際協力に依拠する方がより効率 的に「感染症から国を守る」という国益に資する こととなる。こうしたインセンティブにより、 主に大国が積極的に当該分野のガバナンス構築 に関与してきた。 他方、グローバル化の進展に伴い、感染症が 公衆衛生一課題からグローバルな脅威へと性格 を変えるにつれて、ガバナンスは複雑化し、政 治と深く関わり合うようになった。新型コロナ を巡っても、国家間対立や自国優先の動きによっ て協力が阻まれている現状である。本稿では、 グローバル・ヘルスガバナンスの昨今の動向を 俯瞰し、今後のガバナンスのあり方やその課題 について論じていきたい。 グローバル化時代の感染症は公衆衛生上の危 機ではなく、経済や防衛など他分野に影響を及 ぼしうるグローバルな危機へと性格を変化させ てきた。大量の航空機が世界を飛び回る時代に おいては、瞬く間に世界に感染が広がりうるし、グローバル化時代の感染症と
ヘルスガバナンスの変容
詫摩佳代
新型コロナ対応で見えた
グローバル・ヘルスガバナンスの課題
89 学術の動向 2021.1 たとえ感染を免れたとしても経済や日常生活等 において様々な支障を余儀なくされる。このよ うな状況の中で感染症は、公衆衛生という閉じ られた領域の一課題から、安全保障をも含む広 義の文脈の中で位置づけ直されてきたのである。 実際、その世界的なインパクトゆえに、感染 症への対応は先進国首脳会議(サミット)などハ イレベルでも議題となってきた。
2000
年の沖縄 サミットには初めてWHO
が参加、首脳らと共 にエイズ、マラリア、結核に関する特別基金の 設立に合意した。2006
年のサンクトペテルブル ク・サミットでは初のG8
保健相会合が開催さ れ、2008
年の洞爺湖サミットでは、途上国にお ける保健システムの強化に合意がなされた。ま た国連安全保障理事会でも、2000
年以降、数回 にわたり、エイズやエボラ出血熱に関する決議 が採択されてきた。グローバルな脅威だからこ そ、政治的な対応が必要だという認識が、具体 的な行動を伴って浸透してきたのである。 国家の関与に加え、グローバル・ヘルスガバ ナンスへの非国家アクターの関与も増えている。 新薬・ワクチンの開発、治療へのアクセス拡大 などにはNGO
、市民社会組織、民間セクター などの非国家アクターと国家によるパートナー シップ(public-private partnership; PPPs
)が大き く貢献してきた。とりわけ、非国家アクターの 関与は、ガバナンスにおける資金確保に加え、 各イシューへの国際的関心を高め、患者への差 別や偏見の排除、またワクチンや治療法の開発 を促したり、医療へのアクセスギャップを改善 することにも大きく貢献してきた。 多様なアクターの関与により、ガバナンス 構造が複雑化する中で起きたのが、新型コロナ ウイルスの流行であった。新型コロナを巡って は、既存の体制や国際社会の様々な問題点が露 呈されてきた。その第一の問題点とは、感染症 対応に必要なグローバルな連帯の弱まりである。 近年の感染症は上述の通り、グローバルな脅威 として認識されてきたため、その対処には政治 的リーダーシップと国際連帯が見られてきた。2014
年の西アフリカでのエボラ出血熱の流行に 際しては当時のオバマ米大統領のイニシアティ ブのもと、国連でサミットが開催され、世界規 模の危機に対応するための話し合いが行われた。 その後、国連エボラ緊急対応ミッションが設立 され、リベリアで展開されていた国連平和維持 活動と協力しながら対応にあたった。未曾有の 危機といわれ、多くの人命が失われ、経済的損 失を伴った危機であったが、アメリカのリーダー シップ、WHO
と国連、国連平和維持活動、世 界銀行など多様なアクターの連携が終息に大き く貢献した。 他方、新型コロナを巡っては、アメリカのリー ダーシップはおろか、米中の対立が対応をめぐ る協力そのものを困難にしている現状である。 グローバルな脅威にはエイズやエボラのように 国連安保理決議を通して連帯の基盤を形成する ことが望ましいが、その安保理も現在では米中、 米露の対立により、機能不全に陥っている。新型コロナを巡って浮上した
ガバナンスの問題点
PROFILE詫摩佳代
(たくま かよ) ▪東京都立大学大学院法学政治学研究科教授 専門 国際政治、国際機構論90 学術の動向 2021.1 特集
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ネットワーク型の国際ガバナンスの展望と課題
新型コロナを巡って浮上した第二の問題点は、 国際保健規則の問題点である。国際保健規則は1903
年に成立した国際衛生協定に起源を持ち、 領域内のサーベイランスや水際対策、WHO
へ の一定時間内の報告義務など、感染症対応のた めの各種義務が定められている。しかし、規則 で定められた義務を加盟国が適切に果たしてい るわけではない。新型コロナへの対応に関して は、中国の初動対応の遅れは明らかであり、あ と3
週間中国の対応が早ければ、世界的な感染 者の数を95%
削減できていただろうという報告 も出ている。規則に定められた各国の対応能力 の向上に加え、WHO
の権限見直しという課題 もある。WHO
は加盟国に対し、国際保健規則 に記されている義務を果たすよう、働きかける 強制力をもたない。だからこそ、グローバルな レベルでの状況の評価や勧告と、各国の対応に はギャップが生じるのである。 新型コロナを巡って明らかとなった第三の問 題点は、グローバルな脅威に対応するための包 括的な枠組みが十分に整っていない現状である。 様々な批判を浴びるWHO
であるが、恒常的な 財政不足に悩まされ、強制力を伴わない組織で あり、グローバルな脅威に単独で立ち向かうの は重荷すぎる部分もある。そのため上述の通り、2014
年のエボラ出血熱に関しては、国連エボラ 緊急対応ミッションという暫定組織が設立され、PKO
や世界銀行、国境なき医師団など多様なア クターとの連携のもと対応がなされた。また、 エイズやマラリアに関しては、国家以外のアク ターを含む新たな資金枠組みや世界銀行などと 連携する局面が増えてきている。WHO
という 機軸を残しつつも、世界規模の脅威に立ち向か うべく、国連の各アクターが効率的に協力でき るような調整メカニズムの確立も必要となるだ ろう。 グローバルな連帯の欠如、国際保健規則の問 題点、グローバルな対応調整メカニズムの未整 備という三つの問題点はいずれも、国際社会の 構成員の積極的な関与がなければ改善されるは ずもない。改革のための具体的なロードマップ を作成し、実行に移していくのは加盟国である。 また、改定に必要な賛成票を集めるべく外交を 展開するのも加盟国である。WHO
の権限強化 も、各国の合意がなければ実現し得ない。 ガバナンスの揺らぎは中国台頭の余地を与え うる。中国は従来より、この分野における勢力 拡大を狙ってきた。新型コロナに関して中国は 積極的にワクチン外交を展開しており、今後、 中国産ワクチンの有効性と安全性が確認されれ ば、台頭の余地はさらに大きくなる。他方、中 国は従来の保健協力で重視されてきた人権の尊 重や透明性の確保、法の支配といった規範を必 ずしも重視するとは限らない。ガバナンスの根 幹となる規範を維持・強化する上でも、自由民 主主義国の積極的な関与が必要なのである。 その意味で、ヨーロッパやオセアニア諸国な どミドルパワー諸国がWHO
改革に向けた中国グローバル・ヘルスガバナンス
の行方
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学術の動向 2021.1
参考文献
Kelley Lee, The World Health Organization (WHO) (Routledge 2009)
Sara Davies, Global Politics of Health (Polity 2010)
Colin McInnes and Kelley Lee, Global Health and International
Relations (Polity 2013)
Sara E. Davies, Adam Kamradt-Scott and Simon Rushton,
Disease diplomacy: international norms and global health security (Johns Hopkins University Press 2015)
David Miliband and Jonas Gahr Store, ʻGlobal Health Security Needs New Thinkingʼ, Newsweek (28 July 2020)
Hinnerk Feldwisch-Drentrup, ʻHow WHO became Chinaʼs coronavirus accompliceʼ, Foreign Policy (2 April 2020) Sara Davies and Clare Wenham, ʻWhy the COVID-19
Response Needs International Relationsʼ, International
Affairs, 96-5 (2020) 秋山信将「新型コロナウィルス対応から見る世界保健機関 (WHO)の危機対応体制の課題」日本国際問題研究所コラム、 2020年5月17日、https://www.jiia.or.jp/column/challenges-for-WHO.html.html 詫摩佳代『人類と病──国際政治から見る感染症と健康格差』 (中公新書、2020) への発生源調査に向けた動きを主導してきたこ と、そしてアメリカがジョー・バイデン次期政 権の下、一協力者としてガバナンスに復帰する ことは、明るい兆しである。他方、今後アメリ カは、国内の感染収束や経済回復にそのエネル ギーを費やすものと思われ、グローバル・ヘル スに注げるエネルギーは限られてくる。