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教材としてのビジュアル版の可能性-『考古1 港川人と旧石器時代の沖縄』を事例にして-: 沖縄地域学リポジトリ

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Title

教材としてのビジュアル版の可能性−『考古1 港川人と

旧石器時代の沖縄』を事例にして−

Author(s)

里井, 洋一

Citation

史料編集室紀要(33): 39-60

Issue Date

2008-03-31

URL

http://hdl.handle.net/20.500.12001/7881

Rights

沖縄県教育委員会

(2)

史料 編 集 室紀 要 第 33号 (2008)

教材 としての ビジュアル版 の可能性

- 『考古

1

港用人 と旧石器時代の沖縄』 を事例 に して一

里井

洋-1

は じめに

本 論 で は 、教 材 と して の ビジ ュ アル 版 の 可 能 性 につ い て考 え る。 学校 教 育 に沖 縄 県 史 ビ ジ ュ アル 版 は 意 味 あ る教 材 を提 供 しえて い るの か とい うこ とを、 『考 古 1 港 用 人 と旧石 暑即寺代 の 沖 縄 』 を事 例 に考 察 して い く. 2006年 10月 、琉 球 大 学 附 属 中学 校 内 山直美 先 生 が担 当す る1年 の社 会 科 で 、 「港 用 人 の 謎 にせ ま る」とい うテ ー マ で 学 習 が始 ま って い た 。 「港 用 人 の謎 にせ ま る」とい うテ ー マ に した理 由 を 内 山先 生 は 2006年 11月 2日に行 われ た琉 球 大 学 教 育 学 部 附 属 中学 校 の研 究集 会 の 中で 次 の よ うに語 っ た。 地質学や人類学 においては、 この琉球列島に人類が住み着いたのは今か ら3万年前 か ら2万 年 も前の時代 だ といわれ てい る。それが山下洞人や港用人である。帝国書院の社会科歴史教科 書 において も、 「人類 の登場 か ら文明の発生へ 」 とい う節 において、港用人や 山下洞 人の紹介 がな されてお り、 また、小学校 において も6年生歴史の授業で地域史の中で学習 してい る。お のず と生徒 に とっては耳に してい る 「港用人」 をあ らためて取 り上 げることで、 「港用人」 と 「沖縄 の旧石器 時代」の新たな発見ができるのではないか と考 えた。 港川人が発見 され た場所 は、八重瀬町具志頭港州雄樋川 の河 口にかけ られた橋のた もとで、 高 さ20メー トル 、幅 1メー トル ほ どの垂直な割れ 目(フィッシャー)である。 この付近 はア ワ石 を採 る鉱 山があった ところで、現在 は石切場の跡 だけ残 されてい る。 ア ワ石は、 コンク リー ト や ブ ロックの普及 がなかった ころ、沖縄 では屋敷の囲いや建物の壁面によく利用 され た。 この鉱 山か ら 「港用人」が発掘 されたのは、化石の収集等 を行 っていた大 山盛保 とい う那覇 市で石油会社 を経 営 していた-市民であった ことも興味をそそ られ る。彼 はたまたま庭石 とし て買い取 った岩石 の 中にシカの化石が付着 してい るのを発見 した。 もしこの発見がなかったな らば大 山さんが化石 に興味 を抱 くこともなかった。 その後、大 山さんの鋭 い観察力 と洞察力の おかげで 「港用人」の発見に至ったのである。歴史 を学ぶ意味を考 えると、 これ ほ どまでにお 手本 となる人物 はいないのではないか と考 える。 や がて大 山 さん と東大人類学のグループによ り発掘が行 われ るが、割れ 目内か ら大量の動物 化石 とともに化石人骨 も発掘 され る。 また、動物 の化石 にはイ ノシシ、 コウモ リ、ネ ズ ミ、ハ ブ、 トカゲ、ヤ ンバル クイナ、カラス、カメ、カニな ど発見 されたが、その多 くは現在絶滅種 になってい る動物 である。 その よ うな中か ら教材化 を図 り、子 どもたち 自らが、歴史の謎 にせ ま る課題 を設定 し、社会

SATOIYoichi:A ReportonClassroom ActivtiesUtilizingtheVisualHistory OfOkinawaG)ubl.bythe

HistoriographicalInstitute)

(3)

9-史 料 編 集 室 紀 要 第 33号 (2008) との接点を持 ちながら、真相究明に取 り組ませたい。また、発据調査から35年余が経過 してい (1) るが、「港用人」の周囲には謎が多く定説 も定かではない。そこには解決できない内容 も多い であろ うが、歴史を学ぶ とい うことはそ うい うことではないかと、大山氏の偉業から考えさせ たい。 以上 の こ とか ら内山先生が 「港用人 の謎 にせ ま る」とい うテーマ を設定 した理 由を次の よ うに 4点 にま とめ るこ とがで きる。 (∋教科書 に登場す る。 ② 「港用人」は小学校 で学 んだ 「既習」知 で ある。 ③歴 史 を学ぶ意 味 とは真相究明に取 り組 む 中で観 察力 と洞察力 を獲得す るこ とで あ り、 「港用人 」 を発 見 した大 山 さんは、鋭 い観 察力 と洞察力 の持 ち主であ り、 これ ほ どま で にお手本 とな る人物 はいない。 (参真相 究 明 に取 り組 むテーマ は 「港用 人」 の よ うに定説 がいまだない ものの方 が、社会 との接 点 を もて る。 内 山先 生 が指 摘 し、附属 中学校 で使 用 され てい る 「帝 国書院 社会科 中学生 の歴 史 最 新版 」では、次 の よ うに叙述 されてい る。 大陸 と地つづきだった氷期の 日本列島には、ナウマン象などの大型動物も移動 し、動物を迫 って人類 もやってきました。岩手県の金取遺跡では、約9万年前 と考えられる地層から石器が 発見 され、沖縄県では港川のほかに山下洞窟で約3万年前と考えられる人骨の化石も見つかっ ています。 このことから、 日本列島でも旧石器時代の人類が生活 していたことがわかっていま す。 岩 手県 の石器 と沖縄 県の人骨 が合体 され て 日本列 島で も旧石暑即寺代 の人類 が生活 してい た と教科書 は語 ってい る。 小 学校6年生 で学ぶ歴 史学習では、 日本 の 「歴 史上 の主 な事象 について、人物 の働 きや 代 表 的 な文化遺 産 を中心 に

「農耕 の始 ま り」か ら学ぶ こ ととい うよ うに学 習指導要領 では 規 定 され てい る。 学習指導要領 では同時 に 「遺跡や文化財 、資料 な どを活用 して調べ」とあ る。 しか し、沖縄 は1000年近 く「農耕 の始 ま り」が異 なるので ある。沖縄 で は もちろんの こ と、全 国の学校 で単一 の線 上で歴 史 を作 って きた とい う像 は描 けない し、描 くべ きで もな いで あろ う。 学習指導要領 通 り実践 され たな らば、「港用 人」は 「既習」知 とはな らない。 しか し、内山 先 生 は 「小学校 において も6年生歴史の授業で地域史の中で学習 してい る」とい う。地域史 (1) これ らの発掘に日夜たずさわった大山さんはフィッシャーから多量の化石がみつかったこと、 道具が発見 されていないこと、これ らの事実から他の場所から流されてフィッシャーに落ち込 んだのではないかとい う仮説 (洪水説)を提示 された。 -401

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史 料 編 集 室紀 要 第 33号 (2008) とは何 で あ ろ うか ? 東京書籍や大阪書籍 の6年歴 史教科書 では、冒頭 に2- 3時間で 「地域 の歴史」が位置づ け られてい る。 しか し、沖縄県の公立小学校全てで使用 されてい る 教育出版 の教科書では1時間の地域 の博物館 ・資料館 の見学が位置づ け られてい るだけで あ る。 そ うい うこ とも反映 して、内山先生が行 ったアンケー ト「港用人 について聞いた こ とが あ ります か?」とい う問いに対 して 「ある」と答 えたのは 6割程度 に とどまってい る。 子 どもたちが、なん とな く聞いた ことがあるよ うな無い よ うな 「港用人」。その 「港用人」 を発見 したのが、子 どもたち と同 じ素人の大 山 さん。定説の無い 「港用人」。子 どもたちも 大 山 さんの よ うに観察力 と洞察力 を働 かせ て考 えれ ば、大 山さんの よ うな発見 を し、社会 に貢献で きるか も しれ ない とい う期待 を抱かせ ることができるテーマだ と内山先生は言い たか ったのだ と私 は考 える。

2

活 字 か らは疑 問 を 出す が 、 ビジ ュアル か らは疑 問 を 出 さな い子 ども 大 山 さんは、港川 の採石場-出かけ、観察力 と洞察力で 「港用人」を発見す る。 内山先生 が担 当す るクラスの子 どもたちに とって港川 の採石場 にあたる場 は何 であろ うか。毎週私 は附属 中の社会科 にお邪魔 し、いっ しょに社会科 の教育の最新研究状況や授業づ くりにつ いて 「- ンタク (雑談)」している。 この時 も内山 さんの提起 に対 して、私 は沖縄 県史 ビジ ュアル版 『考古1 港用人 と旧石器 時代 の沖縄』 (以下 ビジュアル版 と表記) を 「港川 の採 石場 にあた る場」に しては ど うか と提案 した。 ビジュアル版 は港用人 に関す る写真 ・図 ・ 表 ・絵 か ら構成 され、子 どもが写真 ・図 ・表 ・絵 に対 して観察力 と洞察力 を鍛 える素材 と してぴ った りではないか と考 えたか らである。 ところが、附属 中には ビジュアル版 は10部 しか沖縄 県か らは配布 されていなかったのである。 10部では一人一人 に ビジュアル版 は行 き渡 らない。高校40部 、小 中10部 の配布 が県の方針 であったか らである。子 どもの観察力 と洞察力 を鍛 えるためには一人一人 に ビジュアル版 が行 き渡 らなけれ ばな らない。そ こで、 県教育委員会文化課 に上記の趣 旨でお願 い した ところ40部 を特別 に配布 していただいた。 感謝す る次第である。 内山先生 は、子 ども一人一人 に ビジュアル版 を配布 し

、「8-1

5

頁 を読 んで、疑 問に思 った ことを10書 き出 し、港用人のなぞベ ス ト3をつ くろ う。」とい う課題 を出 した。

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5

頁 は港用人 につ いて記 された部分である。私 は、 ビジュアル版 であるが ゆえに写 真 ・図 ・表 ・絵 をもとに疑問が提 出 され るもの と期待 していた。 ところが、疑問は本文、 写真 ・図 ・表 。絵 か らで はな くキャプシ ョンを も とに提 出 され たのである。 写真 ・図 ・

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-41-史 料 編 集 室 紀 要 第33号 (2008) 表 ・絵 を観察 ・洞察す ることによって提 出 された疑問は一点 もなかった。 なぜ、 ビジュア ル版 の最大の特徴 である写真 ・図 ・表 ・絵 を子 どもは観察 ・洞察 しないのか。 もしくは観 察 ・洞察 しえないのか。 8-15頁のなかで、写真 ・図 ・表 ・絵 で全ペー ジが構成 され、そ のため疑問が一点 も出なかった13頁 を中心 に考察 してみたい。

3

意 味 あ る素 材 「出土層 位 模 式 図

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13頁は出土層位模式図 と港川遺跡 出土動物骨の写真 7枚 (○数字は筆者 が付 した)によ って構成 されてい る。 13頁は12頁の本文 を受 けてい る。本文 は次の通 りである。 ①港川人は石灰岩の裂け目 (フィッシャー)のなかに埋もれて化石になっていました。②その フィッシャーからは同時に当時の動物の化石骨が見つかっています。③今では絶滅 しているリ ュウキュウジカ、 リュウキュウムカシキョン (鹿)のほか、現代まで生息しているイノシシ、 ケナガネズミ、カエル、ハブなどが港用人と同じ時代に存在 していたことがわか りました。④ フィッシャーでは、下の層にシカ類の化石が多く、上の層ではイノシシの化石がたくさん見つ かっています。⑤港川人は、はじめ主にシカを狩 り、後に絶滅 したシカにかわって増えてきた イノシシを獲るようになったのかもしれません。⑥港用人が使っていたであろう石器や、その 他の生活の遺跡は発見されていないので、実際のところその文化のようすはまだよくわかって いません。 (丑の叙述 に対 して、子 どもは次の よ うな疑問をなげかけてい る (疑問を書いた子 ども数 38人)。 フィッシャーのなかに埋 もれていたのは どうしてか (6人)、フィ ッシャー とは何 か (2人)、石灰岩 の中に埋 もれた ら化石 になるのか (2人)、石灰岩 か らみつかった とい うことは襲棺みたいに埋 めた りしなかったのか [す なわち墓 はなかった とい うことか。] (2人)、 フィ ッシャー にではな く他 の洞 穴に住 んでいたのか、 フィッシ ャーで発見 され たのに石器 がみつか らないのはおか しい。 上記 の子 どもの問いの主要な論点は港用人の埋 もれ方な どの出土状況が明瞭になってい れ ば、 よ り具体的に考察できるはずである。 そのために出土層位模式図は準備 された と思 われ る。 まず は出土層位模式図を読み解いてみ よ う。 出土層位模式図 (図 1) をみていただきたい。 出土層位模式図は三つで構成 されてい る。 地層 、出土資料 、主な動物化石である。 出土層位模式図一つ 目の構成、地層 は三つの部分でな りたってい る。一つ 目は表土層、 二つ 目は石灰岩 (栗石)部分、三つ 目はフィッシャー堆積層である。一つ 目の崖の上にあ る表 土層 は客土 された もので土質 は クチ ャであ り、深 さは1.3mあった とい う (新里 ・岸 本2002、p.21)。 この崖 の上 の表 土は段丘 を覆 ってい る。言い方 を変 えるな らば崖 の後背

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-42-史料 編 集 室紀 要 第33号 (2008) 調 査 グ リ ッ ド 範 囲 図 1 地層 出土資料 主な動物化石

DeposけS Hominids(コndMcけerids Mclmm(コ暮S

表土層

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川人、n(14000コIogclw年前 ?)O.

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、、、※ ! i iちち \ 部 には平地が続 いてい るので ある。 二つ 目の石灰岩 は港川 産 出の良質 の栗石 と して戦前か ら建築資材 と して使用 され、石材 産 出地 として人 々が集 ま り、長毛 とい う名 の集落 をも生み 出 してい る。 したが って、 この 模 式図で示 され てい る石灰岩 は、石材 として切 り出 され る予定であった。 -4

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3-史 料 編集 室紀 要 第33号 (2008) 三つ 目はフィ ッシャー堆積物 である。 港川 フィッシ ャーは、海 の中で古い珊瑚礁 に形成 されたマチナ ト石灰岩層が隆起す るプ ロセスの中で、ひずみができて割れた竪穴である。幅は50cm∼ 1m、深 さは20m以上ある。 長 さは150mを確認 できてい るが、それ以上の長 さがあるとい う (大城2002、p.9)。 また、 港川 フィ ッシャー遺跡 のす ぐそばの川 、雄樋川 を越 えて、ず っ と遠 くまで続いてい るとも 言 う (長谷川2002、p.27)0 長 さ150m以上 に も及ぶ港川 フィッシャー 内に徐 々に堆積 したのが、 フィッシャー堆積 物 である。 ビジュアル版 には、 フィッシャー堆積物 の上部は 「やや黒色 Blackish」、下部 は 「茶褐色 Brownish」 と記 され、その境 目の色 はグラデー シ ョンで表示 されてい る。長 谷川 の調査か ら 「やや黒色 Blackish」のフィッシャー堆積物 は淡黒色弱粘性粘土、 「茶褐 色 Brownish」 の フィ ッシャー堆積物 は褐色残留粘 土の ことを さす (長谷川2002、p.28中 の図2、港川 フィ ッシャー発掘地点の崖面 とグ リッ ドの関係 図 よ り) と想 定できる。 出土層位模式 図の左 下には 「調査 グ リッ ド範囲」 とい うメモ リが0- 7mの範 囲で刻 ま れてい る。 出土層位模 式図二つ 目の構成 は出土資料 である。 出土資料 は三点が記 されている。 一番上には、 「上部港用人 (お よそ14,000年前 ?)UpperMinatogawa,14,000yrB.P.」 とい う記載がある。上部港用人 は大 山 さんが1967-68年 にかけて発見 した人骨で、フィッ シャーの採石作業面 よ り上層部か ら出土 したので、後 に採石作業面 よ りさらに下層部か ら 出土 した港用人 (骨) と区別す るために、上部港用人 と名付 け られた とい う (馬場2002A、 p.122)。そ うい う経緯 を反映 してか、出土層位模式図には上部港用人の発見場所 を明示す る矢印はつけ られ ていない。 グ リッ ド3- 4mの位置 に矢印が印 され、 「港用人 MinatogawaRemains」 と記載 されて い る。港用人 は地層 でい うと、 「茶褐色」一色 にな る地層 か ら発見 された と読み取れ る。 そ して、港用人 とい う記載 の下、 グ リッ ド4mよ りち ょっ と下の位 置 に矢印が印 され、 「炭化物 (年代測定) (約18,000年前)charcoal,datedabout18,000yrB.

P.

」 と記載 され てい る。 この炭化物 は人骨が出土 した レベル で高宮虞衛 さんが採取 した木炭で、放射性炭 素分析法 によって推定 された年代だ とい う (馬場2002B、p.ll)。 出土層位模 式 図三つ 目の構成 は主 な動物化石 であ る。 主 な動物化石 とは 「イ ノシシ wildBoar」 と 「リュ ウキュ ウジカ Deer」である。イ ノシシがグ リッ ド6m∼ 3mの範囲 で黄緑が着色 され、 3mよ り上部ではグラデー シ ョンで次第に うす くなるよ う表現 されて い る。 リュウキュ ウジカはグ リッ ド1.5m∼ 7mの範 囲で水色 に表現 され、 5m付近 よ り も下部ではイ ノシシの出土量 よ りも リュウキュウジカの出土量が上回 ると読めるよ うに表 -4

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4-史料編 集 室紀 要 第33号 (2008)

現 され てい る。

この出土層位模 式図 を検討す るために、港用人の発掘調査報告書 ともいえる『THE MI -NATOGAWA MAN』 に基づいて考 えてみ る。 出土層位模式図は 『THEMINATOGAWA MAN』 6章、松浦秀治 「RelativeDatingoftheMinatogawaManbyFluorineAnalysis」 に示

された図2 (原文 ではFig.6.1.) に対応 してい る (ShujiMATSU.URA 1982)。図2は、港 川 フィ ッシャー堆積物 か ら出土 した化石骨のフ ッ素含量 を示す図である。 206 Boar Deer Man cf. Chibana 1-4

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Fig.6.1. Fluorinecontentoffossilbonesfrom theMinatogawasite.

図2 港川から出土 した化石骨のフッ素含量 この図 にはLevel1-4、Leve15-8とい うよ うにLevelが登場す る。 Levelとは出土 レベ ル を現 し、Level1-4が上位層 で、Leve15-8が下位層 を現 してい る とい う (松浦 ・近藤 2000、p.146)。 出土 レベル1-8は、出土層位模 式図 グ リッ ドと対応 してい る。 では、港 川 フィッシャーの発掘 では どのよ うなグ リッ ドが設定 され たのであろ うか。 写真1は港用人 の発 見者大 山盛保 さんの弟大 山盛義 さんが港川 フィ ッシャーの発掘時に 撮影 した グ リッ ドであ る。 グ リッ ド番号、B2、C2、C3、C4、D4、C5、E5が この 写真か ら読み取れ る。

グ リッ ドの設定 については、報告書 にあた る 『THE MINATOGAWA MAN』序文で記 されてい る次の記述 がすべてである (HisashiSUZUKI・GiichiTANABE 1982)0

Theexcavationwascarriedoutbythecoordinatesystem,Settingthedatum linessothattheabscissa (Ⅹ)wasparalleltothehorizontaldirectionalongtheexposedsu血 ceofthefissuredepositsandthe

ordinate (y)pelpendiculartoit.Theexcavationareawasdemarcatedbyxlines (2-meterunits designatedA,B,C,D,andEfrom easttowest)andylines(1-meterumitsdesignated1to6going &omtoptobottom)intoblocks2squaremeterseach,designatedasA5,B6,etc.

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5-史料 編集 室 紀 要 第33号 (2008) 発 掘 は座標 軸 (グ リッ ド) に よって行 われ 、横座標 (Ⅹ) が フィ ッシャー の堆積物 に触 れ る表 面 と水 平方 向に平行 に基準線 が設 定 され 、それ に対 して垂直 に縦座 標 (y) も基準 線 と して決 め られ 、発掘範 囲 は、X線 (東 か ら西- と 2m単位 引かれ たA,B,C,Dそ して E)、y線(1mの単位 で、上か ら下の順 に1- 6つ のユニ ッ ト)に よって定 め られ 、それぞれ 2平方mを 1ブ ロ ック とし、ブ ロック単位 にA5、B6、 とい うふ うに分 け られ た とある。 写真1をみ る と、 グ リッ ドの単位番 号 は先 に述べた よ うに石灰岩 の壁 に記 され ていた こ 写真1 大 山盛 義 さん 撮影のグリッ ド (グリッド線は写真上不鮮 明なので、便宜的に分か りやすい よ うに示 した) A B

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Fig.1.3. TheschematicburialstatesoftheMinatogawamanI-ⅠVwithrespect tobonefragments.A,BandCindicatetheexcavationlocationsof mandiblesA,BandC.

図3 港川人骨のグリッ ド別分布状況

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6-史料 編 集 室紀 要 第33号 (2008)

とがわか る。 この発掘作業に参加 した長谷川 に よると2平方mのブ ロックの中の堆積物 を 掘 り出 し、水洗いによって化石 を採集 した とい う (長谷川2002、pp.28-29)0

そ の結果発 掘 され た港川 人骨 は図 3(原 文Fig.1.3.)の よ うな分布 で発掘 され た とい う

(HisashiSUZU

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・GiichiTANABE 1982)0

そ こで、 も う一度化石骨 のフ ッ素含料 の分布 出土 レベル 1-8とグ リッ ドの関係 を考 え てみたい。 『THE MINATOGAWA MAN』 6章にはその関係 を明示す る記述 はないが、添 付 され てい る次 の表1には 「Grid-Level」 と記 され、Grid-Level欄 には 「A-1」 とい うよ

うに記 され、 レベル が グ リッ ドと対応 してい ると読み取れ る。

表1 (原文Table6.1.) よ り作成 した図2 (原文Fig.6.1.) を用いて松浦秀治 は下記 の よ うに分析 した。

AsFig.6.lshows,theboarbonesfrom theupperdeposit(Leveli-4)aregroupedaroun d o.8% F,whereasthosefrom thelowerdeposit(Level5-8)appeartobeintwoseparate groups・Itisworthnotingthatthesixboarspecimenswithhighfluorinecontentfrom the lowerdepositarefわundtohavealightcoloronthesu血 ce,andtheotherboarspecimens aredarkgreyorbrown・Thisfindingtogetherwiththefluorineanalysisresultsmayindicate thatthreeoftheninefわssilswhichwerefわundatthelowerdepositareprobablyintmders from anupperhorizon・

表 1 港川 ・知花素材のフッ素テス ト結果

Table6.1. Resultsofthe且uorinetestontheMinatogawaandChibana materials. Specimen Grid-Level Minatogawa,WildBoar humerus Z-3 metacarpus Z-3 tibia Z-3 cranlum Z-4 tibia Z-4 tibia Z-4 mandible A-1 m礼ndible A-2 humerus A-2 radius A-2 femur A-2 femuI・ A-2 humerus ち-3 tibia B-3 mandible B-6 humerus C-6 ulna C-6 mandible D-6 ulna D-7 tibia D-7 metacarpus D-7 humerus E-6 femur E-7 F(%) l Specimen Grid-Level F(%) 2 3 ′0 0 ′0 00 ′b l ′b 3 5 1 ノb 3 8 4 7 4 2 5 2 7 7 8 0 8 7 0 7 q ′ 9 7 9 7 7 00 ノb 2 3 /0 7 5 2 2 0 5 0 1 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 1 0 0 1 1 イ1 1 0 Minatogawa,Deer antler C_5 antler C_6 femur C_6 humerus D_7 pelvis D-7 pelvis D-7 metacarpus D-8 antler ? metacarpus ? metacarpus I Minatogawa,Man cranium I C_5'6 cranium II C_4-5 Cranium IV A・B'C mandibleA Dー6 vertebra D_6 rib D_6 phalange D-6 metatarsus D_6 Chibana,Man Cramlum femurI ほ ほ M lI-9 1 ・-6 諾 o ・-8 1 ・ 42 1 ・ -2 諾 ー ・。。 認 諾 は M o

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史料 編 集 室紀 要 第33号 (2008) 表1は次の ことを示 しているとい う。 ①上位 の堆積物 (レベル1-4)出土のイ ノシシの骨はフッ素含量0.8%前後である。 ②下位 の堆積物 (レベル5-8) は 2つの別々のグループに分け られ る。 ③下位 の堆積物か ら出土 した高いフッ素含有量を伴 う6イ ノシシ標本 は表面上淡い色 を持つ堆積物か ら発見 された。 ④下位 の堆積物か ら出土 した低いフッ素含有量を伴 う3イ ノシシ標本 はすなわち上位 の堆積物 (レベル 1-4)出土のイ ノシシ標本 と同様、黒色味が強い、 もしくは褐色 の堆積物 か ら発見 された。 ⑤(彰か ら類推す ると、下位 の堆積物で見つかった低いフッ素含有量を伴 う3イ ノシシ 標本 は上位 レベルか らの流入混入であろ うと解釈 され る。 ⑤の解釈 の決 め手は堆積物の色である。上位 の色が、黒色味が強い、も しくは褐色。下 位 の色が淡い色 と認識 されている。化石が どうい う色の堆積物か ら発見 されたのかが推論 の根拠になってい る。 上記の ことか ら、堆積物の色は、内山先生が子 どもに獲得 させたい能力、観察力 と洞察 力 を獲得す るた めにはな くてはな らない本教材 の素材 の一つ といえよ う。 ビジュアル版 出土層位模式図では堆積物の色が 「黒色味が強い、 もしくは褐色」が 「や や黒色」、 「淡い色」が 「茶褐色」 と境 目があいまいなグラデーシ ョンで表現 されている。 グラデーシ ョン表現は上位 レベルか らの流入混入 を表す苦心の策である。 それに対応 して出土物イノシシとリュウキュウジカの出土状況 も、両者 の範囲の幅を変 えて図示す ることによって、読者がイ ノシシとリュウキュウジカが どうい う状況で、 どう い う色の地層か らでてきたのかを解釈できるよ うにとい う思いをこめて工夫 して表現 され た と私は考 える。 どのよ うな層か らどのよ うな形で遣物が出てきたのかが記 され ることは、考古学にとっ て もっ とも大切 なことである。考古学か ら子 どもたちに学ばせたい ことは、ま さしく出土 状況 を明 らかに したものを教材 に して得 られ る観察力 と洞察力 なのである。教材 としての ビジュアル版 『考古1 港用人 と旧石器時代の沖縄』に とって、生命 といえる部分が出土 層位模式図なのである。 フィッシャー内堆積物の常 として、層序 をとらえることが難点で ある (松浦 ・近藤2000、p.146)と言われ る中、出土層位模式図をビジュアル版 に入れた ことを多 としたい。

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-48-史 料 編 集 室 紀 要 第33号 (2008)

4

ビジ ュ アル 版 改 善 の提 言 そ うは言 って も、残念 なが ら、冒頭 に述べたよ うに子 どもは この出土層位模 式図に疑問 を持 ち得 なかった。前述 した よ うに教材 としての ビジュアル版考古学 は出土状況 の教材化 こそが命 である。 そ こで、教材 としての ビジュアル版 を どのよ うに作成 していけば、子 ど もが疑 問をもち思考 をは じめるのか、考 えてみたい。 1) フィ ッシャーの堆積物 写真2は1968年3

月2

7

日、

大 山 さんが上部港用人大腿骨 を発 見 した時の もので ある。 写真 に写 ってい るフィ

シャ

ー に登 ってい る少女 は大 山 さんの二女大 山美智子 さん、少年 は三男大 山盛 正 さん

であ

る。

美智子 さんが立 ってい る位 置 か ら上部港用人大腿骨 が発 見 さ れ ている。 二人の上部に展 開す るフィッシャー には堆積 物 が堆積 している様子 を読み取 る こ とがで きる 。 大 山 さん は 日曜日ご

に化 石 を 探 しに港川 フ ィッシ ャ

に来 てい た 。 そ の理 由を次男 大

盛 稔 さん

(

2

)

は次 の よ うに話された

父、大 山盛保は、港川 フィッ シャーか ら出土する化石が、栗 石採掘の過程 で爆破 によって破 壊 され ることを常に心配 してい ま した 。それ で、採 掘の無い休 日には子 どもたちも連れ て港川 フィ ッシャーに来て化石 を捜 し ま した 。それだけで は

十分 と 考 えて、平 目にも来 て、採掘の 休み時間に港川フィ

シャーに 入 らせて もらって、

石 を捜す 作業 を しました。そ

い う休み 時間には、採掘の

ため

に働いて い る方 々に茶菓子を準備 しま し た。休み時間を長 くとってもら えれ ば、損失 してしまう化石の 量 を少 しでも減らせると考えた 写真 2上部溝川人大腿骨発掘場所 (矢印は史料編集室で入れた) (2)2007年12月3日OK運輸合資会社事務所で話を聞かせていただいた。

(13)

-49-史料編集室紀要 第33号 (2008) (3) からです。 大 山 さんは、 ビジュアル版 でみ るよ うに、多 くの場合 「化石調査 を趣 味 とす る」人 とし て紹介 され る。 しか し、上記 の大 山盛稔 さんのお話 を聞 くと、港川 フィ ッシャーが破壊 さ れ る前 にで きるだ け多 くの化石 を発見 してお こ うと個人 の力 でで きるか ぎ りの努力 を され (、1) た こ とがわか る。 大 山 さんが港川 に来 るまでにす でに大量 の栗石 が掘 り出 され ていた。写 真3をみていただ きたい。写真 2のフィッシャーの上か ら大 山さんが写 した写真である。 栗石 が トラ ックに よって運び 出 されてい る。正面には岩 山が残 され てい る。岩 山にはフ ィ ッシャーがあ る。栗石 が切 り出 され る前 は、写真2の フィ ッシャー と写真3のフィッシ ャー は同 じ高 さでつ ながっていた と想像 できる。 写真3の フィ ッシャー か らは化石 が出て きた と大 山盛稔 さん は話 してお られ た。す なわち、栗石 が爆破 され切 り出 され ることによ って、 フィ ッシャー の間の堆積物 は無 くなって しまった。 しか し、 1967年 大 山 さんが農 園 に使用す る池 をつ くるために港川 の石切場 か ら購入 した栗石 の石材 にイ ノシシの化石 が こ び りつ いてい るの を発 見 してい る。 この よ うに、沖縄各地 にある栗石構 築物の 中には人骨 写真3 港川石切場 (矢印はフィッシャー、史料編集室で入れた) (3)2007年12月20日、三男の大山盛正さんからも次のような思い出の書かれたお手紙をいただいた。 「港川発掘の帰 りの際にはかならず、採石場の方にダイナマイ トを掛ける日を聞いたものです。 その翌 日す ぐに現地-行き、また違った地形を発掘するのも楽 しみの1つでした。」 (4)港川の石切場は1887年から始まり、沖縄各地の家屋の柱材、屋敷の石垣、畜舎や墓の建築用材、 橋梁や護岸の建材 となった (『具志頭村史』第5巻 2005、p.718)0

(14)

-50-史 料 編 集 室 紀 要 第33号 (2008) や動物 の化石 がま じっているもの もあるか も しれ ない。 沖縄各地 に残 る建材 としての栗石 は、港川遺跡 と沖縄 の子 どもたち とを結びつ ける魅力 ある素材 となるであろ う。 内山先生が期待 した第2第3の大山を作 るきっかけにはなる。 そ して、破壊 され た フ ィッシャーは栗石が採掘 された部分だけであることにも気づ くこと にもなる。 フィ ッシャーの堆積物 が長 く続いているとい うことを意識 して、作成 してみたのが、図 4である。 白い色 の部分が石灰岩 (栗石) の部分である。そ して灰色で表 わ した部分 がフィッシャ ーである。 フィッシャー が崖 の上、そ して浅いが崖の下にも続 いてい くイメー ジが湧いて くる。子 どもは このフ ィ ッシャーの部分 をさらに発掘 した ら、新たに人骨や動物 の骨、ひ ょっとした ら石器 な どの生活痕 な どが出て くるか も しれ ない と言い出すか も しれ ない。 図 4 出土層位模 式図改訂版 ー 5 1

(15)

-史 料 編 集 室 紀 要 第33号 (2008) 実際に、 フィ ッシャーの崖上部分、崖下部分 に トレンチが設定 され、1998年か ら2001年 にかけて具志頭村教育委員会が主体 とな り、文化庁 と沖縄県の補助 を受 けて 「港川 フィッ シャー遺跡」重要遺跡確認調査が行われてい る。子 どもは 自分が発想 した提起の通 り実際 に発掘 されてい ることを知 ると、 さらに 「港川 フィッシャー遺跡」重要遺跡確認調査の結 果 を知 りた くな るであろ う。 「港川 フィ ッシャー遺跡」重要遺跡確認調査 では数多 くの動 物化石 は発見 され たが、化石人骨や石器 な どの道具類 は一点 も発見 され なかった。ただ一 点だけイ ノシシの右肩押骨 に石器 によってつ け られたか もしれ ない打撃痕 による損傷が認 め られ た とい う (鵜揮2002、pp.137-140)0 2)上部港川人 図 4において、上部港用人が発 見 された場所 は、フィッシャーの堆積物 はすでに爆破 さ れ 、栗石 が採取 された後 に港用人 を発掘す るためにグ リッ ドが作 られた とい うイメー ジを もって も らうよ うに作図 してみた。上部港用人が発見 された場所 は一番高い表土層のある (5) 地点か ら、約 12m下の位置 にあた るとい う。 上部港用人 は前記 の大腿骨以外 に上腕骨、尺骨 、寛骨 、頭骨 な ど少 な くとも成人三体 に わた る九個 の体幹 体肢骨 になってい る とい う (松浦 ・近藤2000、pp.148-149)。松浦 ・近 藤 に よる と上部港用人の 「フ ッ素含量は0.78-1.32% (平均1.32%)で、港川人骨 (0.87 -1.65%、平均 1.28%)とのあいだに統計的な有意 (危険率5%)が認 め られた。」 とい う (松浦 ・近藤2000、p.149)。松浦秀治は、図 2にみ るよ うに港川遺跡 か ら出て くる化石 骨 の フ ッ素含量 に よって レベル 1-4はイ ノシシ しか出て こない フェーズB、 レベル5-8 よ り出土す るシカやイ ノシシはフェーズAと区分 し、港用人 はフェーズAに、上部港用人 は、 フェー ズB後 半 に属す る とした。 さらに骨 中のア ミノ酸化学反応 の程度 か ら年代 を推 定 し、 ラセ ミ化年代 として12,000年前 とい う数値 を提示 してい る。但 し、 この年代値 は予 察的な ものだ と断 ってい る。 松 浦 はフェー ズAをフ ッ素含量 が0.98- 1.68、 フェー ズBをフ ッ素含 量が0.57-1.03の 範 囲 と想定 してい ると考 えざるを得 ない。そ こで、図2お よび表1、そ して松浦が提示 し た上部港用人 のフ ッ素含量 を元 に図5を作成 してみた。 図5は港用人 と上部港用人のフ ッ素含量の比較表である。 子 どもは比較す るとい う作業 によって、以下①∼④ の よ うな認識 をもち、同時に新たな 疑 問が湧 いて くるであろ う。認識 の上に疑 問う仮説 をもっ ことができる素材 が よい教材 の (5)大山盛正さんに手紙でお教えいただいた (2007年12月19日付)0 - 52

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-史料 編 集 室 紀 要 第 33号 (2008) 条件 である。 ①上部港用人の内フ ッ素含量の高い4点 と港用人頭骨 はほぼ同 じ含量分布 である。 それ ゆ えにフ ッ素含 量の高い上部港用人 4点 と港用人頭骨 とは同 じ年代 といえるのではないか。 ②港川 2号の頭骨 のフ ッ素含量 (0.87)はフェーズ Bに分 け られ る。港川 2号の頭骨 は レベ ル4と5か ら出土 している。頭骨 は少 な くとも二箇所以上か ら出土 した ことになる。他 の港用人 の化石骨 よ りも上位 レベルで発 見 されてい る。以上の ことか ら、港川 2号の頭 骨 は上部港川人骨 と同 じ時代 の ものではないだ ろ うか。 ③港川 4号の頭骨 のフ ッ素含量 (1.00)はフェーズAそ して Bにも分 け られ る境界地 に属 し てい る上部港用人 に近いのではないか。 しか も、出土地点が A ・B ・Cとあるだけで レベル が記 され ていない。頭骨 は少 な くとも三箇所以上か ら出土 した ことになる。 これ ら三つ は同 じフ ッ素含 量だったのだろ うか。 ④上部港用人 の内フッ素含量の低い 4点はフェーズ

B

に属す ることになる。一方 フッ素含 量の高い 2点はフェー ズAに属す ることになる。上部港用人は二つに分 けるこ とができ るのであろ うか。上部港用人は どの よ うな順 で どのよ うな形で発見 され たのか。 また、 形態 の違 いはないので あろ うか ? 上部港用 人人骨化石 の形態 については、馬場 (1984、p.112)は1984年段階では、 9個 の人骨化石 の内、具体的 な レベルで時期 を意識 して言及 した ものは、右大腿骨上半が三 ヶ 日人大腿骨 と似 た 中央断面形だ と述べ、三 ケ 日人や浜北人 と同様 に縄文時代 と類似 の傾 向 を示す とい う。 また、松 浦論文 (1984、p.112)に よって上部港用人人骨化石 はフ ッ素含 05 1.0 フッ素含量 (鶴) 図5 溝川人および上部溝川人のフッ素含量 - 53-溝川 人 上部溝川人

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史 料 編 集 室 紀 要 第33号 (2008) 有量が港用人 よ りやや少 な く、形態特徴 の傾 向、す なわち縄文時代人 に近い とい う傾 向も 矛 盾 しない と述べ てい る。 さらに、2002年段階 (馬場2002A、p.122)で も同様 の結論 で あるが、新 たに次 のよ うなことが指摘 されてい る。 ①右大腿骨上半の中央横断面 (断面形)は尖った滴形であること。 ②右腔骨 中央部 の破片 は中央部横 断面が菱形であ り、縄文時代 の腔骨 に特有 の状態であ ること。 ③7個の人骨 は縄文時代人特有 の形態 は見 られ ないが、縄文時代人 の形態 と矛盾す る点 は見 あた らない。 ④大 き さは縄文 時代 中後晩期 の人骨 に匹敵す る。 馬場 は上部港用人人骨化石9個 中2個 の特有 な状態か ら縄文時代人 との類似 を指摘 して い る。馬場 は1984年 の段階で上部港用人人骨化石 を個体別 に分析 してお り、その分析 と同 じ 『人類学雑誌』 に松浦の報告 も出 されてい る。 この ことか ら考 えて、同時にフッ素含量 分析 が行 われていた ことになる。 しか し、個体別 のフ ッ素含量については報告 されていな い。 図5の中の どれが右大腿骨上半で右腰骨 中央部の破片なのかわかれ ば もっ と子 どもの 認識 を深 めるこ とができるであろ う。誠 に残念である。 3)グ リッ ドを読む 図4の発掘 グ リッ ド部分だけを拡大 したのが図 6である。

D

(18)

史 料 編 集 室 紀 要 第33号 (2008)

図 6の各 グ リッ ドの出土物は1982年

THEMI

NATOGAWA MAN』F

i

g

.

1.3.(本論文 図

3)、Ta

bl

e6

.

1

.

(本論文 表 1) を もとに筆者 が再構成 した。 したがって図 6は、イ ノ シシ とシカの化石 の グ リッ ド内の位 置 を示す ものではない

。Ta

b

l

e6

.

1

.

(本論文 表 1) に示 されれ るよ うに、 グ リッ ドの中か ら出土 した ことを示す ものである。 その点 を留意 し なが ら、グ リッ ドが示す世界 を ビジュアル版 と関連 させ て読み取ってみた。 図 6か らは、港用人 1号∼ 4号化石骨片お よび下顎骨A ・B ・Cの出土位置 を読み取 る ことがで きる。港用人 1号 (男性 ・153cm)は低い位置であるC 5- C 6にほぼ固まって 出土 してい る。そ して、 ち ょ うどその港用人 1号の上の層 、 C4∼ C 6か ら、港用人 2号 (女性 ・150cm)が これ また ほぼ固ま って 出土 してい る。成人 女性 人骨 で あ る港川 3号 (女性 ・156cm)は さらに高い層 であるB 3を中心に出土 してい る。 港用人 1号∼ 3号までは、ほぼ固まって出土 してい るといえそ うだが、 4号 (女性)は 様相 が異なる。 図 6で示 されてい る4号の骨 の個数 は全部 で34個である。その うち出土人 骨 中最 も高い位置であるA 2- 3で出土 した骨 の化石 は14個 (41%)である。一方 3号の 上部 にあた るC 3- 4で も14個 (41%)が出土 してい る。その他 にC 4で 4個 (12%)、 B 3で 2個 (6%)が出土 してい る。 4号はバ ラバ ラに広い範 囲で出土 してい る といえる。 4号 については、 ビジュアル版 11頁に 「港川 4号熟年女性 の腕 の骨」 とい う題 で、 4号の 上腕骨 と尺骨が写真付 き (写真 4) で紹介 されてい る。 キャプシ ョンには 「上腕骨の下の端 が二本 とも同 じ位置で欠 け、尺骨 の肘 の部分 も同 じ よ うに欠 けた ところがあ ります。人が傷っ けた ものか も知れ ませ ん。」 とある。 内山先生の授業では、 「なぜ 、同 じ位 置で欠 けてい るのか、差別 があったのか、大昔に も殺 し合 いがあった とい うことか、争い を していたのか、仲間割れ したのか、 どんな武器 があったのか、人が傷っ けたのか も しれ ないが肉食 による弊害か も しれ ない。」 とい う疑 問を子 どもが持つに至 ってい る。 この疑 問は、前述 した例 にもれず、キャプシ ョンか ら発 した疑 問であ り、写真 を読み解 いて生み出 した疑問ではない。 も し写真 を観察す る中で生 み 出 した疑 問な らば、 「上腕骨 の下の端 が二本 とも同 じ位置で欠 けてい る」 とビジュアル 版 は書いているが、同 じ位置で同 じよ うには欠 けていない とい う疑問が一人 ぐらい出 され そ うな ものであるが一人 も出 され ていない。 どこが同 じ位置で欠 けてい るのか ? 写真 4に矢印で示 した。写真 4の左右 の上腕骨 は、 (6) 矢印で示 した部分が切断 されて同 じよ うに欠 けてい ると沖縄県立博物館 の藤 田さんは言 う。 しか し、矢印の方角か ら観察 しないか ぎ りそのよ うな判断は難 しい。 (6)沖縄県立博物館の藤田祐樹さんから2007年11月6日にお話を伺った。 一5

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5-史 料 編 集 室 紀 要 第33号 (2008) 写真4 溝川4号の腕の骨 写真5 港川 1号の上腕骨と尺骨部分 写真 5は ビジュアル版 11頁に写真 4と並んで掲載 され てい る 「港川 1号熟年男性全身骨 格」の上腕骨 と尺骨部分である。左側 が通常の上腕骨である。写真4と比較 してみれば、 間節 にあたる一番太い部分が欠 けてい ることが読み とれ る。藤 田さんは この太い部分は本 来骨 が頑丈であま り壊れ る部位 ではない と話 された。 また、尺骨部分 も写真4と5を比較 してみ ると、矢印の部分が欠 けてい ることがわか る。 キャプシ ョンに 「隣の写真港用人1 号の上腕骨 ・尺骨 と比較 してみ よ う。」 と一文 を入れ る と、教材 としての写真 が真価 を発 揮 できるのではないか。 どの よ うに子 どもは思考す るのか想定 してみ よ う。 ビジュアル版 では、 この上腕骨 ・尺骨 の傷 を 「人が傷っ けた ものか も しれませ ん」 とい う。子 どもはこの記述か ら、差別、争い、殺 し合いを連想 してい る。 さらに写真4と5を 比較観察す ることによって、写真4では両手の関節部分が左右 同様 に破損 してい ることを 発見 し、両手切断 とい う罰 ではないか とい う推論 をす る子 どもが出て くるか も しれない。 一方、両手切断 されたにもかかわ らず、切断 された骨 も一緒 に出土す ることか ら、死後切 断 されたのではないか とい う仮説 も出て くるであろ う。 さらに、図6において 4号がバ ラ ー 56

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-史料 編 集 室紀 要 第33号 (2008) バ ラに出土す るこ とと併せ考 えてみた時、両手切断説 はまた復活 し、両手が先 に捨て られ たのでバ ラバ ラだ とい う仮説 も提示 され るか も しれ ない。議論 が ここまで煮詰 まって くる と、 4号の上腕骨 と手首の骨 は どのグ リッ ドか ら出土 したのか とい う疑問に到達す るであ ろ う。 こ うい う議論 を経 た上 で、た とえば専門家である馬場悠男 の議論 (馬場2002B、p.17)、 す なわち上腕骨 と尺骨 の損傷 は、傷が治 っている痕跡 がない ことか ら、 4号が亡 くなった 後で死者 に対す る何 らかの儀礼 として傷っ けた と言 う見解 を子 どもたちに投げか けてみた い。傷が治 ってい る痕跡 がない ことか ら、死後傷つ けた とい う見解 に納得す るとともに、 損傷死後説 の子 どもを励 ます ことになるだろ う。 また、馬場説 を鵜呑み にす るのではな く、 葬送儀礼 な らば1号か ら4号で も同様 の損傷があるべ きではないか とい う議論 もお こるで あろ う。 そ してそ うい う目で1号の右手の上腕骨 を観察 した子 どもは4号上腕骨 と同 じよ うに欠 けてい るこ と、 しか し右手尺骨上部 には損傷 が無い ことに気づ くであろ う。 こ うい う議論 の積み重 ねか ら、 1号右手の上腕骨 の切 り口や、死者 の骨 を折 る とい う死 者 に対す る何 らかの儀礼事例の調査 を した くなるとい う好奇心に満 ちた科学す る子 どもが 生 まれ ることが期待 され る。

5

ま とめ に か え て 内山先生 は ビジュアル版 を使 って、大 山さんの よ うに観察力 と洞察力 をもった子 どもを 育てたい と授業 を構想 した。 しか し、 ビジュアル版 か ら得 られた子 どもの疑問はすべて活 字部分か ら発想 された もので、 ビジュアル の特性 である写真や 図か ら生まれた ものでは無 かった。 そ こで、 ビジュアル版 中、子 どもはまった く触れ なかったが考古学 を学ぶ上で中核 とな る出土層位模式 図が示す意味 を分析 してみた。分析す る中で出土層位模式図に隠 されてい る意味内容 が明 らかにな ってきた。 出土層位模式図は、 どのよ うな層 か らどの よ うな形で 遺物が出て きたのかをモデル化 した ものである。 ビジュアル版考古学に とって もっ とも大 切 な部分 であ る。 ところが、 この出土層位模式図 とビジュアル版 に散 りばめ られてい る図 や写真 とが うま くリンク してない よ うに思われ る。そ こで、新たに出土層位模式図にかわ るビジュアル版教材 として構想 した ものが、図4 「出土層位模式図改訂版」 と図6 「グ リ ッ ドと出土物」である。 図4ではフィ ッシャー堆積物 が発掘場所 だけではな く、少 な くと も長 さ150m以上 も続 くこ とでなお も人骨化石や動物化石 の発見の可能性 を示 した。 また、

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-57-史料 編 集 室 紀 要 第33号 (2008) 上部港用人の発見場所が栗石の採掘のため破壊 された ことも表現 した。 図6ではグ リッ ド 毎 に、出土 した人骨 とフ ッ素含量 を測定 したイ ノシシや シカの化石骨 の分布状況 を示 した。 出土物 の事例 として、港用人4号 を取 り上げ、 4号の上腕骨 と尺骨の破損 の正確 な位置 を 港用人1号 と比較す ることによ り読み取 るこ とがで き、 さらに子 どもの認識 を鍛 え深 め広 げる可能性 について言及 した。 ただ し、図 4では、出土層位模式図で取 り扱 われていた堆積物 の色 についてはデー タを 捜す こ とができず 明確 に示す ことができなかった。 また、炭化物 の位置 をも示す ことがで きなかった。馬場悠男 は木炭の出土位置 をフィ ッシャー堆積物 中の人骨 が出土 した レベル だ とい う (馬場2002A、p.122)。 これ はグ リッ ドレベル 2-7とい うこ とにな る。一方松 浦秀治 はフィッシャー内堆積 の下位 レベルの出土だ とい う (松浦2000、p.147)。 これ はグ リッ ドレベル5-8とい うことになる。大 山盛稔 さんの話 では、木炭は港用人の発見の後、 鈴木 尚 さんが年代確定のためには炭化物 を見つ けよ うとい うことで、掘 り進む 中で発見 さ れた ものである とい う。黒い木炭の破片が分布 してお り、 とりわけ大 きい破片 (写真6) が年代測定 に使 われた。 この時点 で は グ リッ ドはまだ設 定 され てお らず 、港用 人等 の化石 もフ ィ ッシ ャー の一番 高 い場 所 か ら何 mの位 置 とい うよ うに記録 さ れ て い た とい う。 した が って 、図6グ リッ ド の 中に木炭 を組 み込 む ことは難 しかった。 また 、松 浦 は木 炭 と 写真 6 炭化物 化石 骨 の 同時代 性 につ いては必ず しも保証 され てい るわけではな く、木炭片 に よる放射性炭素年代測定18250± 650BP (TK99)、 16600±300BP (TK142)は暫定的な年代 だ としてい る。 また ウラン系列 測定19200±1800年 前 とい う数値 も報告 されてい るが信頼性 の評価 が難 しい と述べている。 現在 、暫定的な年代 にもかかわ らず、港用人 -1万8000年前 とい う固定観念 が一人歩 き し、 子 どもは結論 を覚 えることを強い られてい る。人骨その ものではな く、人骨 と同 じフィッ シャー の堆積物 か らでた木炭が1万8000年前の ものであった とい う認識 こそが、第 2第 3 -58

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-史料編集 室紀 要 第 33号 (2008) の大 山 さん を生 み 出す 出発 点 で あ る。 2007年11月1日、沖縄 県 立博 物館 の新館 がオー プ ン した。 1階 のふれ あい展 示 室 に は、 港用 人 1号 の レン トゲ ン写真 と現代 人 の レン トゲ ン写真 を手 に とってみ る こ とが で き る よ うに 工 夫 され て い る。 この 写真 を見 る こ とに よっ て 、 ビジ ュアル 版10頁 で語 られ て い る 「頭 骨 は現 代 人 よ りもわず か に大 き めです が 、骨 の壁 が厚 い」 とい うこ とを観 察 す る こ と が で き る。 ま た 、続 けて ビジ ュアル が語 る 「脳 の容 量 は現 代 日本 人 の8- 9割 と、や や 小 さめ です。」 とい う言 説 を子 ども 自身 が レン トゲ ン写真 を よ く見 る こ とに よっ て検 証 す る チ ャ ンス が 与 え られ て い る。 学校 教材 と して の ビジ ュアル版 が求 め られ るの は、活 字 か ら抽 象 的 に子 どもが疑 問 を持 つ の で は な く、 ビジ ュアル版 特 有 の写真 や 図 か ら具 体 的 に疑 問 を持 て る よ うに工 夫す る こ とで あ ろ う。 今 回 は港州 遺跡 の 出土層 位 や 動 物 化 石 、港用 人 な どに限 って考 察 した が 、例 示 した よ うに ビジ ュアル 版 を素材 と して さま ざま な創 意 工夫 を加 え る こ とは可能 で あ る。 沖縄 県 史 ビジ ュアル 版 は教材 と して興 味 あ る素材 を提 供 して くれ る大 い な る可 能 性 を秘 め て い る とい え よ う。 参考文献 と引用 鵜滞和宏 (2002)「特論 2 港川 フィッシャー遺跡 出土動物化石 を対象 とした人為的な骨損傷の探 索」具志頭村文化財調査報告書第5集 『港川 フィッシャー遺跡-重要遺跡確認調査報告』具 志頭村教育委員会 具志頭村 (2005)『具志頭村史』第5巻 新里尚美 ・岸本義彦 (2002)「第5章 調査区と層序」前掲 『港川 フィッシャー遺跡一重要遺跡確認 調査報告』 大城逸朗 (2002)「第 2章 港川 フィッシャー遺跡 の地質環境」前掲 『港川 フィッシャー遺跡一重要 遺跡確認調査報告』 長谷川善和 (2002)沖縄県立博物館 『沖縄県立博物館復帰30周年記念特別展 港用人展∼元祖 ウチ ナー ンチュ∼』 馬場悠男 (1984)「上部港州人骨の形態」 (『人類学雑誌』第92巻第 2号) 馬場悠男 (2002)A、「特論1 港用人の位置づけ」前掲 『港川 フィッシャー遺跡一重要遺跡確認調 査報告』 馬場悠男 (2002)B、「第1章 港用人は どのよ うな人々か」沖縄県立博物館 『沖縄県立博物館復帰 30周年記念特別展 港用人展∼元祖 ウチナーンチュ∼』 松浦秀治 (1984)「上部港川人骨のフッ素年代判定」 (『人類学雑誌』第92巻第 2号) 松浦秀治 ・近藤恵 (2000)「日本列島の旧石器時代人骨は どこまで さかのぼるか-化石骨の年代判定 法」 (馬淵久夫 ・富永健編 『考古学 と化学 をむすぶ』 U P選書 東京大学出版会 2000年 7 月)

(23)

-59-史 料 編 集 室 紀 要 第 33号 (2008)

ShujiMATSUIURA(1982)"Relative Dating ofthe Minatogawa Man by Fluorine Analysis",THE MINATOGAWAMAN,Chapter6,(TheUniversityMuseum,TheUniversityofTokyo,Bulletin

No.19)

Hisashi SUzUKI・Giichi TANABE(1982)"Introduction",THE MINATOGAWA MAN,Chapter1,

(TheUniversityMuseum,TheUniversityofTokyo,BulletinNo.19)

写真 ・図版一覧 写真 1- 3、 6 大 山盛正氏提供 写真4 ・5 沖縄 県史 ビジュアル版 『考古1 港用 人 と旧石器 時代 の沖縄』 (沖縄 県教育委員会 1998年) よ り 図1 沖縄 県 史 ビジ ュアル 版 『考 古 1 港用 人 と旧石器 時代 の沖縄 』 (沖縄 県教 育委 員会 1998 年) よ り

図2 ShujiMATSU-URA "Relative Dating ofthe Minatogawa Man by Fluorine Analysts",THE

MINATOGAWAMAN,Chapter6,(TheUniversityMuseum,TheUniversityofTokyo,Bulletin

No.19,1982)よ り

図 3 HisashiSUzUKl・GiichiTANABE"Introduction

"

,THEMINATOGAWA MAN,Chapter1,(The UniversityMuseum,TheUniversityofTokyo,BulletinNo.19,1982)よ り

図4- 6 執筆者 作成

表 1 ShujiMATSUrURA"Relative Dating ofthe Minatogawa Man by Fluorine Analysis",THE

MINATOGAWAMAN,Chapter6,(TheUniversity Museum,TheUniversity ofTokyo,Bulletin

No.19,1982)よ り

図 2 港川から出土 した化石骨のフッ素含量 この図 には Le ve l1‑4、Le ve 15‑8 とい うよ うに Le ve l が登場す る 。 Le ve l とは出土 レベ ル を現 し 、Le ve l1‑4 が上位層 で 、Le ve 15‑8 が下位層 を現 してい る とい う ( 松浦 ・近藤 2000、p.1 46) 。 出土 レベル 1‑8 は、出土層位模 式図 グ リッ ドと対応 してい る。 では、港 川 フィッシャーの発掘 では どのよ うなグ リッ ドが設定 され たので
図 3 港川人骨のグ リッ ド別分布状況
表 1 ( 原文 Ta bl e6.1. ) よ り作成 した図 2 ( 原文 Fi g.6. 1 . ) を用いて松浦秀治 は下記 の よ うに分析 した。

参照

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