Author(s)
小西, 吉呂; 外間, 淳也
Citation
沖縄大学法経学部紀要 = Okinawa University JOURNAL
OF LAW & ECONOMICS(22): 15-25
Issue Date
2014-11-30
URL
http://hdl.handle.net/20.500.12001/18225
−15−
【論文】
医療観察法施行を巡る現状と課題
―法施行10年を迎えるにあたって―
Medical Treatment and Supervision Act -The Present Conditions and
Problems-小 西 吉 呂(Yoshiro KONISHI) * 外 間 淳 也(Jyunya HOKAMA) ** 専 門 分 野:刑法、刑事政策 キーワード:①医療観察法 ②責任能力 ③触法精神障害者 ④社会復帰 1.はじめに 本稿は、心神喪失等の状態で重大な他害行為を行った者に対する医療及び観察等に関する法律 (以下、「医療観察法」あるいは「本法」)について考察するものである。 近年、わが国の刑事司法を触法精神障害者との関連で把握しようとするとき、次の点が注目に 値するものと思われる(1)。すなわち、「裁判員の参加する刑事裁判に関する法律(以下、「裁判員 法」とする)」がその施行から今年(2014)で5年目を迎えた点と、医療観察法が来年(2015)を もってその施行から10年目を迎えるという点である。 周知の通り、裁判員裁判の対象となる事件には、触法精神障害者の刑事責任能力を判断するも のも含まれており、その施行から今日までに一定数の審理が行われている。裁判員裁判に対して は、主に審理期間の長期化や裁判員の心理的負担といった問題点が指摘されており、それぞれ個 別の興味深い論点であることは疑う余地もなく、また、上の論点をも含めた総合的な検討を行っ た論考も最近では盛んに見られる。このうち、今回の論考では、医療観察法に重点を置いて考察 する。 医療観察法は、周知の通り2001年の大阪教育大学付属池田小学校児童殺傷事件を契機にして 2003年7月に成立し、2年後の2005年7月から施行された法律である。本法成立の背景には、暴 力性の高い触法精神障害者によって一般の精神障害者及び病院スタッフに危害を加えるといった 暴力事件や、詐病による刑の回避など、以前から指摘されてきたわが国の司法精神医療の遅れに 起因する問題が存在していた(2)。 ここで、医療観察法における運用状況の概要(3)を見てみると、2005年7月15日から2012年12月 31日までの終局処理人員総数は2,724人に上り、指定入院医療機関は全国に32か所(4)、病床数も 791床を数える。指定通院医療機関も3030か所(病院4 2 6か所、診療所34か所、薬局2,424か所、
−16− 訪問看護146か所)となっている。以上の数字から、未だに根強い批判があるものの、既に制度と しては一応の定着を見ていることが窺われる。 2.医療観察法の意義 まず、医療観察法の持つ性質や機能に関する筆者らの見解を改めて明確にし、整理しておく。 医療は観察法の施行当時あるいはそれ以前において、本法に対する関係者の批判あるいは危機 感として、本法を「不明確」な要件のもとで行われる保安処分であるとするものが非常に多かっ た(5)。 では、医療観察法を保安処分と位置付けることが適当なのであろうか。医療観察法の第一義的 な目的は本法1条にもうたわれているように、対象者の「社会復帰」の促進であり、保安処分と は実質的に性質ないし目的を異にするものといえる。なぜならば、医療観察法の処遇内容から対 象者に対する制裁的な要素を見出すことは困難であるし、対象者の自由を制限する措置であった としても、それは対象者の病状改善や社会復帰の促進という目的から導かれる必要性の観点から 理解することができるからである。このように両者を対比させてみると、少年に対する保護処分 の存在が想起される。保護処分は、専ら刑事政策的要請としてなされる保安処分に対して、「同時 に少年自身の健全育成や少年を悪環境から守るという社会福祉的見地も加わるところから、教育 的に構成された保安処分であるところに特色があると解すべき」( 6 )であるとの見解が興味深い が、医療観察法を精神科医療的あるいは精神保健福祉的に構成された保安処分であるとするのに は抵抗を感じざるをえない。要するに本法は、犯罪の予防的観点から構成される保安処分とは、 実質的にその性質及び目的を異にしていると解することができるということである(7)(8)。 しかし、精神保健福祉法との関係においては、「精神保健福祉法による医療で足りることをもっ て医療観察法による医療を受けさせる必要が否定されるわけではない」(9)ことを示した最高裁判 例が存在し、本法を保安処分であると批判する立場の拠り所となったことをここに付言しておか なければならない。というのも、同最高裁判例は、医療観察法の目的や本法成立の背景等に照ら せば、本法の処遇要件に該当する対象者を精神保健福祉法による措置入院等で対応することは許 されないことを明示しているからである。確かに、医療観察法は、触法精神障害者を精神保健福 祉法の枠内で処遇することの限界が認識されて成立したという経緯を持っている。この判例から は、触法精神障害者への特別の医療を提供できる本法が成立したのであるから、触法精神障害者 の処遇という点において、いくつもの不備を指摘されてきた精神保健福祉法による措置入院で対 応する理由はないという意図を読み取ることが可能である。 もっとも、医療観察法を保安処分とは一線を画する医療や福祉の法と認識する本稿の立場から は、対象者への医療の必要性や医療観察法の指定入院医療機関及び指定通院医療機関の整備状況 等を考慮すれば、処遇要件を満たすからといって、一概に精神保健福祉法による措置入院等の可 否を判断する必要がないと結論付けることには慎重であるべきだと考える。よって、「法42条1 項にいうこの法律による医療の必要性の有無については、対象者について、その再犯を防止し、 社会復帰を促進するためにはどのような医療を施すことが適切かという観点から検討すべきであ り、以上に述べたように、場合によっては、精神保健福祉法による医療の方が適切である」(10)と
−17− する主張は、医療観察法の適切な運用という観点から、本法の保安処分的な運用に対する予防線 ないし防波堤として重要な意義をもつものである。また、同様の観点から、付添人活動を通した 弁護士の厳しい監視も本法を適切な運用へと導くために必要不可欠の要素であるというべきでは ないであろうか(11)。 かつて、筆者らは、医療観察法が保安処分とは異なり、対象者の社会復帰を促進するものとし てその適切な運用及び整備を期待する旨の論考を提出した(12)。現在までのところ、この点につ いて、大きな異議が出されている状況にはなく、むしろ関係諸機関の努力によって着実な歩みを 示しているといえよう(13)。 3.申立て及び審判手続き 以下では、医療観察法による審判手続きの現状と課題について、検察官による申立てをも射程 に入れつつ論じる。 まず、捜査段階及び検察官による処遇の申立てについては、「検察官は簡易鑑定に基づいて安易 に不起訴処分にして医療観察法の方に回しているのではないか、問題を精神医療に丸投げしてい るのではないか」(14)という批判が主に精神科医を中心になされているといわれている。このよう な指摘への対策について、法務省・厚生労働省共同の医療観察法に対する検討結果の取りまとめ によると、最高検察庁における統一的な精神鑑定書のサンプルの作成や、精神科医らを招いての 研修及び研究会の開催等の取組みを挙げることができる(15)。また、上記報告書からは、鑑定人の 選定や連携及び鑑定資料の提供等、具体的事件における検察官の鑑定に対する取組みが法施行以 前にも増して充実したものであることを窺うこともできよう。「医療観察法がスタートして検事 など一部の法律家しか目にしなかった精神鑑定が、弁護士や裁判官、様々な立場の医療関係者に 検討されるようになった」(16)とのコメントが見られるように、医療観察法のみならず、被告人の 責任能力が争点となる事件における精神鑑定の重要性を思えば、本法に向けられた精神鑑定に関 する上のような批判が捜査機関の精神鑑定に対する取組みやその質の向上に資することは、好ま しい状況といえるのではないであろうか(17)。 次に、医療観察法における審判手続きについて、医療観察法による医療を行わない旨の決定に 対する抗告の許否が争点のひとつになった最高裁判例は、本法の意義や在り方を考える上で注目 に値すると思われる(18)。事案の概要は、本法に基づく入院等の申立て事件において、原々審が殺 人未遂という対象行為の存在を認めかつ対象者の心神喪失を認めながら、医療観察法による医療 を行う必要性を否定したところ、対象者から抗告が申立てられたというものであり、医療を行う 旨の決定に対する抗告は認めるものの、医療を行わない旨の決定に対しては抗告を認めないとす る判断の妥当性が争点となった事案である。なお、この点についての原決定は、「医療不実施決定 は、対象者に義務や負担を課す等の法律上の不利益を与えるものではなく、これに対し、対象者 においてその取消を求めて上訴をすることは上訴の利益を欠くというべきであるから、本件抗告 の申立ては不適法である」としている。最高裁も、原決定の正当性を認め、抗告を棄却した。 本件原決定に対する対象者の主張は、「医療観察法64条2項を縮小解釈し、対象者の抗告の機会 を限定した原決定は、対象者の不利益に対する適正手続き、対象者の審判を受ける機会を奪うも
−18− のであるから、同条項の解釈適用を誤り、ひいては憲法31条、33条に違反」しているという趣旨 のものである。本法による医療の必要性を認めないとする決定が対象者の「不利益」としている 点は興味深いところである。 医療観察法の処遇を行わない旨の決定が対象者の不利益であるという主張が対象者の側から行 われた点であるが、この主張は、わが国の精神科医療全体の持つふたつの側面を暗に示唆してい るように思われる。 すなわち、ひとつには医療観察法の高い医療水準(例えば、自由の拘束期間の減少等)、ふたつ には、社会的入院等の問題が示すように前者による処遇と比べたときの一般精神科医療の脆弱性 である。医療観察法のこれらの側面が引き起こす問題は、次に検討する通院及び地域内処遇でそ の重大性をさらに強調されることとなるが、本法の成立及び施行当時、保安処分であるとして対 象者の人権の侵害が叫ばれていた処遇が、精神保健福祉法の入院制度と比較してもなお、対象者 の利益、少なくとも不利益ではないと認識され始めていることを上の事案は示しているように思 われる。それは、医療観察法の医療水準の向上として肯定的に評価される一方で、一般の精神科 医療との均衡をどのようにして保つのかという課題を提起しているのではないであろうか。 両者の医療水準の著しいギャップがもたらす事態として、精神障害者及び触法精神障害者に対 する地域の誤解や偏見の助長が想定される。例えば、医療観察法の対象行為を行った者が精神保 健福祉法の措置入院を回避するために、(それが可能か否かを別にして)医療観察法による処遇を 受けられるよう故意に働きかけるなどといった状況が想像に難くない。20歳未満の少年及び刑事 責任年齢に満たない少年を手厚く保護する少年法の存在が、いわゆる厳罰化を望む者にとっての 目の敵となるように、医療観察法もそのような危うさを十分に孕んでいる法律であるように思わ れる。言うまでもなく、そのようなあり方は不適切である。また、以上の事実を知った社会が精 神障害者全体に対してこれまで以上の誤解や偏見を持つことも容易に想像できる。いずれにせ よ、今後の動向を注視したい。 4.入院処遇 ここでは、上で述べた医療観察法における入院処遇に対する各関係者の評価がどのようなもの かを概観する。当初、入院医療機関については病床数の不足や運用の未確立による混乱を指摘さ れる見解も多く見られた(19)。しかし、冒頭で紹介したように、現在では指定入院医療機関は全国 に32か所存在し、病床数も791床を数えるまでになっている。また、「医療機関内では、これまで 医師中心、薬物療法中心から多職種中心の治療が行われており、また、機関外との関係において も様々な機関、職種が対象者の社会復帰を促進することを共通の目標とし、連携して一人の対象 者に関わるため、手厚いサポートがなされるようになり、新しい多職種チームによる精神科医 療」(20)が提供されるようになったといわれており、指定入院医療機関の従事者を対象とした研修 や入院医療機関相互間での情報提供、医療観察診療報酬改定による加算などの措置も講じられて いる(21)。 しかし、依然として指定入院医療機関が設置されていない地域もあり、例えば、北海道から沖 縄の指定入院医療機関へと入院する対象者が存在するという問題を生じさせている。対象者がい
−19− ずれもとの地域に帰り、その地で社会復帰を目指すということを想定すると、あまりに遠方の指 定入院医療機関での処遇は、対象者にとっては不利益といえよう。また、「一般に、医療観察法の 医療は、統合失調症の対象者が主なターゲットであり、治療反応性に乏しい人格障害者、知的障 害者、発達障害に罹患している者などについては、この法律の対象とすべきではない」とする考 え方が、精神科医の側から主張されている(22)。 人格障害者を医療観察法においてどのように扱うべきなのか、すなわち治療反応性の乏しい対 象者の取扱いを考える上では、平成18(200 6)年に出された東京高等裁判所の判例(23)が示唆に 富む。事案は、人格障害を有する対象者に対して、治療反応性が存在しないことを理由とする医 療観察法による医療の終了を求める退院手続きについて、地方裁判所がこれを却下する決定をし たところ、指定入院医療機関の管理者及び付添人が抗告をしたというものである。この抗告に対 し、東京高等裁判所は、医療機関管理者側の意見を採用して原決定の取消し、差戻しを決定した。 また、本事案の差戻審決定においても、指定入院医療機関において治療できなかった対象者を指 定通院医療機関が治療することができないと判断され、医療観察法による医療の終了がなされた のであった。 東京高等裁判所及び差戻審の判断に対する肯定的な見解がある一方で(注23参照)、「率直なと ころ、“手に余る患者の厄介払い”と思わざるをえない」(24)との批判もある。医療観察法を特別 な質の医療、すなわち高度な専門医療と理解する立場からは、「目に見える治療効果が上がらない 場合、治療反応性がないとして処遇を終了し、結果的に患者を一般医療に背負わせることになる とすれば、何のための専門医療であろうか」(25)との指摘も正鵠を射ていると思われる。 以前、筆者らが行った社会復帰調整官への聞き取り(26)では、「人格障害の場合、統合失調症や 薬物障害との合併というようなかたちで入ってきている。治療すれば治ると言われた場合、何を 基準として治ったといえるのかなどという議論をする必要性がある」という意見や「合併症の人 たちの中に、人格障害もあるが統合失調症を治療していくとかなり良くなったという人もいる。 逆に統合失調症の部分には薬を投与していけたけど、人格障害の部分が大きく、この部分は薬で は良くならない。関わりづらかったり人を寄せ付けなかったり、人格障害の難しさで、なかなか 改善していかないという人もいる。統合失調症といってもタイプがあり、そのあたりの難しさが ある」との意見を聴いている(27)。この聴き取りとりから数年後の現状においても、医療による根 本的な改善が困難な対象者についてのコンセンサスの形成が不完全であると指摘されている以 上(28)、医療観察法の枠内に拘ることのない早急の対策を講じる必要があると思われる(29)。 さらに、指定入院医療機関の抱える課題としては、ある研究報告よれば、施行4年目の入院平 均日数は620日であったが、7年目では平均値が748日とやや長期化していること、今後は対象者 の5%が5年以上入院する可能性があることなどが指摘されている。これらの指摘に対応する形 で、対象者の態様に応じた入院医療機関の機能分化が提案されており(30)、病床数の不足という従 来の指摘を超え、指定入院医療機関の課題は、新しい段階へと至っているといえるのかもしれな い。ただし、一般の精神科においては10年以上の長期入院の場合も珍しくないことと比較すれ ば、指定入院医療機関並びに関係各機関の努力が着実に成果を示しているとする筆者らの見解 は、ここにきてまだ揺るぎのないものであるといえよう。
−20− 5.通院及び地域内処遇 「医療観察法自体は、一般精神科医療に支えられて運用される部分が多いために、その運用を円 滑に行なおうとする事により、結果として、一般精神科医療(精神保健福祉法)のもつ問題点が 浮き彫りとなってきた」(31)といわれるように、また、医療観察法の趣旨が先にも触れたように、 対象者の「社会復帰」の促進である以上、本法の真価は、対象者の通院及び地域内処遇の段階に おける運用にかかっているともいえよう。従来、医療観察法における通院及び地域内処遇に対す る批判の多くは、人的資源及び財政的資源、さらには社会的資源の不足という問題に対して集中 していた。そこで、本節においては、比較的新しい研究を参考にしつつ、現在の地域内処遇が抱 えている課題の検討を試みていきたい。 先にも触れたとおり、現在の医療観察法指定通院医療機関の数は延べ3030か所存在しており、 その内訳は、病院426か所、診療所34か所、薬局2,424か所、訪問看護146か所となっている。指定 通院医療機関は、徐々にその数を増加させており(32)、全体数としては充足しているように思う が、見ての通り薬局がその大半を占めているため、依然として地域間の指定通院医療機関の偏在 が指摘されている(33)。この問題に関しては、筆者らも、対象者居住地付近に精神科病院があるに もかかわらず、遠方の指定通院医療機関への通院を余儀なくされているケースの存在及び移送費 の自己負担の問題、指定通院医療機関が法対象者を受入れるメリットのないこと等を指摘してい る(34)。また、通院処遇を含めた地域内処遇以前の問題として、入院処遇の終了及び当初審判で通 院処遇となった対象者の受入れ先の問題、いわば入院処遇と通院及び地域内処遇との中間に位置 する問題にも並行して触れておく必要がある。一般の精神障害者の社会的資源不足及びその資源 不足がもたらす社会的入院の問題は深刻であるが、医療観察法対象者にも同様の問題が重く圧し 掛かっていることをここで強調しておかなければならない。 この重大に課題に関して、前述の社会復帰調整官に対する聴き取り調査では、「治療が済んだら 早く家に帰ってきてほしいという人もいるし。いや、もうとんでもない。家に来たら近所の人が 騒ぎだすから、頼むから帰ってこないでくれ、もう関わりたくないから、電話もしないでくれと いう人もいる。そういった人は、グループホームも施設もみつけられない、何軒も断られてとい うのはありますよ。病状は治療で良くなったけど、大体、並行して(受入れ先を)探しているけ ど、退院の目処を立てて。再他害の可能性はほとんどないですよとお願いしても、何軒も断られ る。」との経験談を得た。 それでは、以前より指摘されているこれらの厄介な問題について、どのような対策が講じられ ているのであろうか。この点につき、厚生労働省においては、「①指定通院医療機関の体制強化を 図るため、人員配置にかかる中期及び後期通院対象者の通院対象者社会復帰体制強化加算の評価 の引上げ、②医療機関からの通院決定前の情報収集にかかる通院医学管理情報提供加算の評価の 引上げ等の改正」といった各種加算措置を講じている(35)。また、「グループホーム等において、 対象者を受け入れて地域で生活するために必要な相談援助や個別支援を行った場合の報酬上の加 算措置を設けるなど、対象者の受入の促進を図っている」(36)、さらには保護観察所においても、 協議会や研修を通じて、支援の担い手の開拓・確保を図っているとされている(37)。 この点については早急な決断は避けるべきであるが、医療観察法対象者の社会復帰の現状を調
−21− 査した研究(38)からは、明るい要素が提供されている。本研究は、2005年7月から2011年6月まで の6年間に医療観察法処遇を受けた全事例を調査対象として、全国の保健所にアンケート調査を 実施し、その結果を報告している。調査項目などの詳細については当該論文を参照されたいが、 処遇終了者の社会復帰状況については、法施行から5年が経過した2010年当時において、地域社 会における処遇を終了した人員が279人となっており、同研究はこのうちの262人を把握し調査を 行っている。結果としては、「男女とも約8割の対象者が社会復帰できていた。入院の比率は男 性のほうが高かったが、これは男性に問題行動としての暴力行為の発生率が高いことが関係して いる可能性がある。年齢に関しても、おおむねどの年代でも約8割は社会復帰できていた。70歳 以上の症例で施設入所が多かったのは、高齢者入居施設が受け入れ先となっていることが推定さ れる。」等の報告がなされている。ちなみに、本調査研究においては、社会復帰の定義を「精神障 害がある程度改善した上で、対象者本人またはその周囲の者の自立的意思により、継続的かつ適 切な医療が対象者に提供される状態」(39)としている。 ただし、社会復帰の定義については、ここで注意を促しておきたいと思う。例えば、医療観察 法による医療を終了した対象者が、その後、生活保護を受給する場合には、医療扶助による無償 での医療や障害者総合支援法(旧障害者自立支援法)上のサービス等(40)を受給することができ、 このような環境にある者をして社会復帰を達成した者と捉えるのか、あるいは未だにその過程に あるものなのか、議論する余地が大いに残されているように思われる。やはり、今後の動向を注 視する必要性が失われていないということだけは断言できそうである。 6.おわりに 筆者らが居住する沖縄県は、広い海域に多くの有人離島を抱え、交通の便その他医療観察制度 の理念を実現していく上で様々な課題が見られる。その一方で、本県には33床(定床30+予備3 症)の指定入院医療機関を始めとした医療観察制度の凝縮したエッセンスがあり、その意味にお いて、医療観察法制度の現状と課題を把握するには、とりわけ好都合である。このような認識か ら、今後も沖縄県に軸足を置きつつ考察を加えていきたい(41)。 医療観察法対象者の社会復帰に関する問題の重要性については言を俟たないが、同様に、刑事 司法と医療・福祉との狭間に置かれた精神障害者、すなわち前述の治療反応性の乏しい精神障害 者、とりわけ人格障害者や知的障害者等の更生保護の現状にも注意を向けなければならない。 彼らの社会復帰について考える際に、病気や障害の継続的な治療及び適切な福祉サービスへの コミットと同様に、安定した生活の条件、稼働年齢層に関してはとりわけ就労という要素が重要 であると思われるが、その動向は必ずしも明らかではない。これを裏付けるように、更生保護が 抱える課題として、刑務所出所者の生活環境の調整や高齢又は障害者の再犯防止と社会復帰支援 が指摘されている(42)。従って、今後、どのようなアプローチが可能なのかを模索する必要があ る。 この点で、精神障害者の就労に関する個別就労支援(IPS)の論考(43)は一定の示唆を与えてく れる。それは、主に重度精神障害者に対する諸外国の個別就労支援とその支援による成果を紹介 したものであって、それらの実践を踏まえつつ、「個別就労支援に対しては、費用がかかる、実行
−22− が困難、すべてのクライアントに適応できるものではなく、仕事が長続きせず、仕事に就けない クライアントへの効果は小さいなどとの指摘もあるが、4年以上の長期にわたる追跡調査から も、重度精神障害者であっても IPS による個人の希望や能力に応じたきめ細やかな支援は、当事 者の就労を長期的に維持しうることが、多くの客観的なデータにより示されている」(44)との考察 を展開しており、今後、筆者らにとって、ある程度の拠り所となろう。また、平成25年12月に成 立した「生活困窮者自立支援法」も、その趣旨を「生活困窮者の自立の促進を図る」こととして おり、最低限度の生活を維持できなくなるおそれのある者を「生活困窮者」と定義しているため、 決して看過することのできない制度となることが予想される。この生活困窮者自立支援法は平成 27年4月からの施行を予定されているが、本制度と既存の地域生活定着支援等の制度、及び基礎 自治体等の連携がうまくいくのか否かにも注視していかなければならない。ちなみに、筆者らが 居住する沖縄は、全国と比較しても就労が困難な都道府県のひとつである。そのような困難な状 況における就労支援の実際を追跡することが、触法精神障害者の社会復帰について考えていくう えでも有益な試みになるであろう。 以上に見てきたように、筆者らが刑事責任論、特に触法精神障害者の刑事責任能力の問題や医 療観察法の問題から出発して、その関心を更生保護全般に対しても広げつつあるのは、ある意味 においては時勢の必然的結果ともいえるであろう。罪を犯す人たちの最後の拠り所が刑務所とい う現実を改め、彼らの社会における居場所づくりを積極的に推し進めるには、福祉や医療と連携 した刑事政策が不可欠であり、更生保護の役割も大きい。医療観察制度の今後も、かつての対象 者がどのように社会に溶け込んでいるか、どのような生活を営んでいるか、という具体的実際的 問題と深く関連するものであり、今後はこの方面へさらに関心を広げたいと考える。 *小西吉呂(Yoshiro KONISHI)沖縄大学法経学部法経学科教授 **外間淳也(Jyunya HOKAMA)沖縄大学地域研究所特別研究員 (1) ちなみに、責任能力に関する近時の傾向としては、統合失調症の場合にも心神喪失を否定し たり、事理の弁識能力及び行動制御能力が減退している場合でも、著しいとはいえないとし て心神耗弱を否定したりする裁判例が目立つことが指摘されている。この点につき、松宮孝 明ほか「刑法」法律時報6月臨時増刊判例回顧と展望(2014)5 6頁。なお、筆者らが責任能 力の判断基準について論じたものとして、小西吉呂・外間淳也「責任能力基準についての一 考察−裁判員制度下における責任能力判断−」沖縄大学法経学部紀要14号(2010)49-67頁が ある。 (2) 池原毅和・岩井宣子・長尾卓夫・前田雅英・松下正明・山上晧・町野朔「〔座談会〕心神喪 失者等医療観察法の成立―その背景・問題点・課題、精神医療と法の現場から」ジュリスト 1256号(2003)6−2 6頁。 (3) 厚生労働省 HP(http://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/hukushi_kaigo /shougaishahukushi/sinsin/kettei.html) (4) 同上。
−23− (5) というのも、本法による処遇を受けるための要件として、対象者が①疾病性、②治療可能性、 ③社会復帰要因を具備していなければならないところ、特に③については、本法による医療 を受けさせなければその精神障害のために社会復帰の妨げとなる同様の行為を行う具体的・ 現実的な可能性があることを意味するため、そのような判断の不可能性を根拠に批判が集 まったのであった。ちなみに、保安処分とは、端的には特定の個人が行った犯罪行為の存在 を契機として、その者の将来の危険性に対する予防の措置である 。すなわち、「将来におい て犯罪に出る危険性があることを要件とし、危険性を根拠として犯罪予防(特別予防)のた めに科される刑事制裁」(藤本哲也『刑事政策概論〔全訂第六版〕』青林書院(2008)192頁。) ということになる。 (6) 前掲注(5)藤本哲也204頁。 (7) 岩井宣子「『心神喪失等の状態で重大な他害行為を行った者の医療及び観察等に関する法律』 の概要」老年精神医学雑誌18巻5号(2007)473−478頁。「不定期の収容を認めることが人権 の侵害につながるとする懸念があるが、十分な社会復帰を目指した医療を実施する施設環 境、人員配置が確保され、6か月ごとの審査によって公正な評価がなされるならば、ある程 度杞憂に終わることが期待されうる」とした岩井宜子教授の予想は、少なくとも大筋では的 中されているといえるのではないであろうか。 (8) 柑本美和「医療観察法の法的側面―検察官の裁量権・『医療の必要性』―」精神科10巻3号 (2007)193−199頁。本稿では、医療観察法と保安処分の相違について、「医療観察法におい て『再犯の危険性』は、『医療の必要性』を判断する要件の一つに過ぎない。この点が、おそ らく『公衆の保護』を主目的とする諸外国の保安処分との違いであろう」との見解も参考に している。 (9) 最決平成19年7月25日刑集61巻5号5 63頁。 (10) 山本輝之ほか「心神喪失者等医療観察法における法的課題の検討」犯罪と非行174号(2012) 17頁。 (11) 山下幸夫「精神障害者の弁護活動について―医療観察法事件を中心に―」東京弁護士会期成 会明るい刑事弁護研究会編『責任能力を争う刑事弁護』(2013)135頁。 (12) 小西吉呂・外間淳也「医療観察法に関する一考察―沖縄県の事例にも触れて―」沖縄大学法 経学部紀要15号(2010)19−34頁、同「医療観察法における通院医療について」沖縄大学法 経学部紀要17号(2012)25−33頁。 (13) なお、医療観察法による処遇を行うべきか否かの決定に際して、「比例原則」の議論が有益 であると思われる。すなわち、医療観察法による医療を行うことにより得られる利益と不利 益とを比較するのである。この意味からすれば、医療観察法の医療を実施することによる不 利益が利益に勝る場合、精神保健福祉法の措置入院等の他法を検討すべきであろう。 (14) 山本輝之ほか「心神喪失者等医療観察法における法的課題の検討」犯罪と非行174号(2012) 11頁。 (15) 法務省・厚生労働省「心神喪失等の状態で重大な他害行為を行った者の医療及び観察等に 関する法律の施行状況についての検討結果」(2012)3頁。(http://www.mhlw.go.jp/stf/ houdou/2r9852000002gk0i.html)
−24− (16) 村上優「医療観察法の存続は可能か―指定入院機関より―」精神経誌113巻5号(2011)468 −476頁。 (17) 川本哲郎「医療観察法の現状と課題」町野朔他編『刑法・刑事政策と福祉―岩井紀子先生古 稀祝賀論文集』(2011)53−67頁。川本教授によれば、医療観察法のもたらした効果として、① 一般医療への応用、②チーム医療の効果、③隔離・拘束の減少、④法と精神科医療の接近と いう点が挙げられる。 (18) 「『心神喪失等の状態で重大な他害行為を行った者の医療及び観察等に関する法律』42条1項 3号の同法による医療を行わない旨の決定に対する同法64条2項の抗告の拒否」判例時報平 成26年4月1日号(2014)128−130頁。 (19) 例えば、中島直「医療観察法は即座に廃止されるべき」精神経誌113巻5号(2011)477−487 頁の批判が最も痛烈なものと思われる。 (20) 前掲注(16)474頁。 (21) 前掲注(15)7頁。 (22) 前掲注(14)12頁。 (23) 横内豪「医療観察法の退院不許可決定が取り消された事例」上智法学論集53巻3号(2010) 239−248頁。本判例研究は、東京高等裁判所平成18年8月4日決定(平成18年(医ほ)第14 号、退院許可申立棄却決定に対する抗告事件)を素材としたものである。 (24) 中谷陽二『刑事司法と精神医学―マクノートンから医療観察法へ―』弘文堂(2013)253頁。 医療観察法意外にも諸外国との比較やわが国の司法精神科医療の史的変遷等、著者の深い知 識の一端が窺われる書となっている。 (25) 同上272頁。 (26) 2011年8月13日に那覇保護観察所社会復帰調整官に対して実施。また、内容に変更を加えな い程度に修正等を行っている。 (27) 疾患別の対象者の数は、平成26年3月の時点で、統合失調症の619人が最も多い。また、人格 障害7人、知的障害10人と少数ながら本法の軌道に乗っている。 (28) 河野稔明ほか「医療観察法施行から8年間の研究の概要」精神保健研究60号(2014)82頁。 (29) この点につき、小西吉呂「医療観察法・指定入院に医療機関の現状と課題」前田忠弘他編 『前野育三先生古稀祝賀論文集刑事政策学の体系』法律文化社(2008)383−399頁参照。 (30) 前掲注(28)83頁。 (31) 松原三郎「医療観察法が一般精神科医療に与えた影響について」司法精神医学6巻1号 (2011) 81頁。 (32) 2011年6月30日当時の指定通院医療機関は、全国で2,822件であったが、同様に、その大多数 が薬局2,353件となっている。 (33) 前掲注(28)83頁。指定通院医療機関が増加しない理由として、住民の理解を得られない、 公立病院が指定を受けていない等が挙げられている。 (34) 前掲注(12)「医療観察法における通院医療について」沖縄大学法経学部紀要17号(2012) 26−27頁。 (35) 前掲注(15)11頁。それら加算措置に加えて、事務作業を軽減する見直しを実施し業務の軽
−25− 減を図ったとされている。 (36) 前掲注(15)10頁。 (37) 同上。 (38) 辻本哲士ほか「医療観察法で処遇された者の社会復帰の現状―保険所のアンケート調査か ら―」公衆衛生77巻11号(2013)59−62頁。 (39) 前掲注(38)60頁。 (40) この法律は、平成25年4月1日に施行されるとともに、平25年4月1日から、「障害者自立支 援法」を「障害者総合支援法」としている。ちなみに、同法三条は、われわれ国民の責務と して「その障害の有無にかかわらず、障害者等が自立した日常生活又は社会生活を営めるよ うな地域社会の実現に協力するよう努めなければならない」と定めている。 (41) 前掲注(12)小西吉呂・外間淳也「医療観察法に関する一考察―沖縄県の事例にも触れて―」 沖縄大学法経学部紀要15号(2010)19−34頁、同「医療観察法における通院医療について」 沖縄大学法経学部紀要17号(2012)25−33頁。前掲注(29)小西吉呂「医療観察法・指定入院 医療機関の現状と課題」前田忠弘他編『前野育三先生古稀祝賀論文集刑事政策学の体系』法 律文化社(2008)383−399頁。 (42) 藤本哲也「更生保護の課題と展望―更生保護法施行5年を経過して―」法律のひろば66巻6 号(2013)5頁。
(43) 種田綾乃ほか「重度精神障害者に対する就労支援∼ Individual Placement and Support を中
心に∼」精神保健研究60巻(2014)73−79頁。副題にも挙げられている Individual Placement and Support(IPS)とは、「個別就労支援」と訳される援助付雇用の一つのモデルである。 現在、わが国における就労移行支援事業、障害者就業・生活支援センターの事業、ジョブ コーチ事業も、援助付雇用に類する実践と言われている(73−74頁)。