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伊勢神宮地域の都市構造をめぐって ―中近世移行期の信仰・流通の実態解明を主軸として―

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Academic year: 2021

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例会報告(千枝) 7 第469回例会報告(2020 年 2 月 1 日)

伊勢神宮地域の都市構造をめぐって

―中近世移行期の信仰・流通の実態解明を主軸として― 千枝 大志 本報告の目的は、伊勢神宮周辺部(伊勢神宮地域)の都市史的研究の蓄積が浅い現状を鑑み、 外宮門前町山田を事例に中近世移行期の信仰・流通の具体像を示し、議論の活性化の呼び水にす るものである。 まず、著名な中世山田における自治組織山田三方の支配領域を火災史料から窺うと、『外宮子 良館日記』文明 18 年(1486)12 月 20 日条にみえる「山田悉く焼亡」の表記が、『宮司引付』 同日条では「山田三方悉滅却」と表現される等、中世都市としての山田全体(山田十二郷)に及 ぶ大火は、山田三方の滅亡として捉えられている。延徳 2 年(1490)の山田大火関連記事に は、「三方村穢」なる山田三方の支配が及ぶ領域、すなわち山田全体の触穢表現がある(『外宮子 良館旧記』等)。このように火災史料から山田と山田三方の関係をみると、1480 年代頃より、 山田三方が山田の支配機構として君臨し始めたといえる。 ところで山田は、上之郷・中之郷・下之郷と大きく 3 区画され、下之郷以外は 16 世紀末まで の文献で散見される。中之郷は 15 世紀末期に上中之郷と下中之郷に分化し、下中之郷は 16 世 紀初頭までは中之郷の別称であった(『橋村家文書』)。16 世紀以降、上之郷は、中嶋・辻久留・ 二俣・浦口という山田の 4 地域全体を示し、中嶋以外は上三郷と記されるが、15 世紀代の上之 郷は範囲が異なる。文明 5 年に確認できる「山田上之郷老分八人」(『氏経卿引付』)の本拠地を 16 世紀代の区画等を参考に考えると、福島姓は八日市場、橋村・広田・広田・吉・榎倉の 4 姓 は中之郷(上中之郷・下中之郷)、中野姓は上之郷内の中野地区を本拠地とした。よって、15 世 紀後半の上之郷は、16 世紀以降の上之郷・上中之郷・下中之郷・八日市場を含んだ広範囲を示 すといえる。以上から、15 世紀までと 16 世紀以降の山田十二郷の範囲には差異があり、特に 上之郷と中之郷の領域にそれが顕著にみられた。 中世都市山田には、次に述べるような山田産土社が複数鎮座した。各社では結衆が組織され、 毎年正月 15 日頃には悪霊払いの御頭神事が斎行された。この神事には、外宮の斎館兼神楽殿で あり神事物資納入セクションの外宮子良館の関係者、特に子良と物忌父が儀礼・芸能面で関与し た。17 世紀後半には、同神事は同館が関与する形で外宮の祭祀体系に連なる神事になってい た。だが、儀礼面では、各社への対応には若干の差がみられ、4 社(茜社・大社・藤社・坂社) よりも今社(下中之郷鎮座)は薄礼、牛頭社(辻久留郷鎮座)と箕曲社は今社よりも薄礼であ り、館側からすれば社格的な格差が設定されたことになるが、中世都市山田の成り立ちから生じ た時期的痕跡と評価できる。その評価が妥当であるか、『外宮子良館祭奠式』で、儀礼的に特異 的な今社を事例に山田産土社結衆の具体的構成を示し検証すると、16 世紀段階の今社結衆中の 実像を検討する基本史料が『輯古帖』所収の慶長 4 年(1599)正月 9 日付の「毎年御しゝの御 番之事」なる古文書写である。そこには結衆 8 名が確認できるが、有姓表記者は皆無である。 よって、17 世紀以降の有姓表記のある同衆中関係史料を検討し(『外宮子良館日記』等)、さら に 16 世紀代の有姓表記の関連史料(『文禄検地沙汰文』等)を駆使し、同年時点での同結衆中

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8 比較都市史研究 第39巻(2020) を 6 名(堤長熊大夫・榎倉二郎大夫・中山源三兵衛・西村八郎兵衛・林半衛門尉・高田忠衛門 尉)復元したが、彼らの居住地から 16 世紀末期の今社祭祀圏は中之郷を軸に展開したと判断で きる。 次にその比較として、隣接の牛頭社結衆中を検討すると、慶長 11 年までは 10 名であるが、 その後構成人数は減少傾向を辿った。注目すべきは天文 8 年(1539)にみえる「亀石大夫」だ が、この人物は「山田上之郷老分八人」に連なる榎木蔵亀石大夫の後胤である。榎倉家は、上之 郷地域内で 15 世紀末期から 16 世紀後半まで不動産の所有や取引面等で盛んに経済活動を行っ ている。それ故、牛頭社結衆中に名を連ねるに相応しい当該地域を代表する名家だが、17 世紀 初頭を境に同衆中から姿を消す。しかし、16 世紀末期から上中之郷内に多くの一族が居住する 等、その頃には上之郷内における榎倉家の優位性は低下する一方、上中之郷では一族が集住し今 社結衆中といった特権身分を得る等の名家としての地盤を強化した。このように、山田西部での 領域変容と地域の有力者の拠点変容、さらに祭祀圏の再設定は相互に密接な関係性を有していた。 最後に拙著等を踏まえ、中近世移行期の山田の流通構造について、外宮子良館との関連でその 実像を検討した。同館は、組織の運営や神事斎行等のために必要な物資の納入・差配を行なった が、中世末期段階では土地由来の収益基盤は脆弱であった。それ故、物資納入面で山田の都市機 能に結びつき自律的経営を行った。16 世紀代に同館をめぐり取引された主な金品を概観する と、〔穀物〕・〔貨幣〕・〔木製品〕・〔陶器〕・〔繊維品〕・〔金属品〕・〔醸造品〕・〔海産物〕等と分類 できる。全て贈与品とはいえぬものの、大半は館外からの流入品とみてよく、特に鏡や鈴は、聖 女子良の養育機関という意味合いでもたらされた特殊品であろう(『外宮子良館日記』)。 ところで、山田では 15 世紀末期以降、天正 15 年(1587)の秀吉政権による破座令までに計 25 の商業座が確認できるが、16 世紀代に外宮子良館関連の物資名との関連を彷彿できる座も含 まれる。山田三方は、軍資金捻出(『架蔵三方定文写』)のため等、様々な用途の資金確保を短期 間で行うための一手段に商業座への加入認証業務を行い、加入時は、希望者本人はもとより、関 係の親族、さらに関係者が居住する地域の自治組織への周知も必要であった(『松阪市郷土資料 室所蔵文書』)。 このように外宮子良館をめぐり、小袖等の衣料品が頻繁に贈与という回路で同館に流入し、そ れらは直ちに市場価格が参照された上で売却される状況が中近世移行期には常態化するのであ り、その取引には山田の商人等が介在した。衣料品はポピュラーな贈与品ではあるが、夥しく同 館への贈与品として選択される背景には聖女養育機関であるという特殊性も考慮されよう。そし て恐らく、同館から売却を通じ流出した小袖等は衣料品関係の商業座が多数存在する山田の町に 環流、再度売買の場に登場したといえよう。 主要参考文献 飯田良一「山田・宇治の都市空間と触穢」(『三重県史 別編民俗』三重県 2012 年) 千枝大志『中近世伊勢神宮地域の貨幣と商業組織』(岩田書院 2011 年) 千枝大志「中世後期の貨幣と流通」(『岩波講座日本歴史 中世 3』岩波書店 2014 年) 千枝大志「宇治・山田の近世都市化」『三重県史 通史編 近世 1』(三重県 2017 年) 西山克『道者と地下人―中世末期の伊勢―』(吉川弘文館 1987 年)

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