ヨーロッパ通貨協力制度「スネイク」の誕生(1968-73年) : 戦後国際通貨体制の危機とフランスの選択
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(2) 40. 戦後経済史の分水嶺ともいうべき特別な時期に あたる.この時期に,資本主義世界の戦後復興. ゆる調整可能な固定平価と,基軸通貨ドルの金 との交換1生を特徴とするブレトンウッズ体制を. と成長を通貨の側面から支えてきたブレトンウ. つくりあげた.しかし1970年代初頭には,こ. ッズ体制が崩壊し,世界の通貨の大半は固定平. の同じアメリカが,金/ドル交換性を停止した. 価を離れて変動相場へ移行する.時を同じくし. のみならず,ドルの防衛責任をも放棄するにい. て,先進資本主義諸国の経済・通貨政策にも大. たった.戦後の国際協調路線を離れて「ビナイ. きな変化が生じる.それまでのケインズ主義に. ン・ネグレクト」を決め込んだ(もしくは決め. 代わって新たに新自由主義やマネタリズムが国. 込むことを余儀なくされた)のである.縮小為. 内政策に強い影響を及ぼすようになる.またそ. れにともない,1930年代から40年代にかけて 構築された,多かれ少なかれ組織化された経済. 替変動幅同盟としてのスネイクの創設は,こう ユニラテラリズム. したアメリカの「単独行動主義」へのヨーロッ. パ諸国の対応であっただけでなく,それにたい. および信用システムに厳しい批判の目が向けら. するアンチテーゼでもあったといえる.ヨーロ. れるようになる.やがて政策路線も,国によっ. ッパによるこの政策選択は,どのような歴史的. て時期のずれや曲折はあるものの,それまでの. 諸条件のもとで,どのような選択肢のなかから,. 成長優先から物価と通貨の安定に配慮したもの. どのような経緯で選びとられたのか.この課題. へと転換が図られる.今日の資本主義世界を特. に取り組むことは,とりもなおさず,今日の国. 徴づける制度や政策,それに政策理念の多くは,. 際通貨制度の歴史的性格をヨーロッパの側から. この時期に起源を発しているといっても過言で. 問い直すことを意味する.. はない.. 第三は第一の問題と部分的に重なっている.. このようなスネイクをとりまく時代状況との. ヨーロッパ統合は域内諸国間のたゆまぬ意見調. かかわりで,本稿ではとくに3つの問題を念頭. 整と妥協を通じた合意形成の過程であったし,. において課題に取り組むことにする.. 現在もそうであることはよく知られている.し. 第一は,共同体の域内諸国間における「通貨. かし世界史上類例のない,国家間におけるこの. 協力」 さらにはその深化の形態としての. 新しい合意形成の仕組みとその実態については. 「通貨同盟」 と国内政策とのかかわりであ. ほとんど知られていない.日本語で発表された. る.通貨協力を前進させようとすれば,遅かれ. 研究文献のなかに,「バール・プラン」として. 早かれ各国間での経済政策,なかでも物価およ. 知られるヨーロッパ共同体委員会案をフランス. び賃金にかかわる政策の協調が必要となる.フ. 案もしくは事実上のフランス案として紹介する. ランスのようにいわば通貨の犠牲のうえに成 長=投資優先政策をつづけてきた国にとって は}経済政策の協調は従来の政策および政策諸 手段の制限や放棄を意味する.より一般化して. ものがあるのは,共同体に特有の提案と合意形. 成のあり方が現実の研究の場では必ずしも重要 視されていなかったことを物語っているといえ よう.スネイクの創設にあたって域内諸国聞の. いえば,それは共同体による国家主権の制限や. 合意形成はどのようにして進められたのか,こ. 共同体への国家主権の委譲を意味する.このよ. れはまさしく歴史研究にあたえられた課題であ. うな地域通貨協力に随伴する諸問題は,スネイ. る.. クが創設される過程で域内諸国間および域内諸. 以上のような諸問題に取り組むには,いうま. 国内にどのような問題を生じ,またどのような. でもなく第一次史料を利用する必要がある.幸. かたちでの(暫定的)解決をみたか.. い,ドイツとともに統合ヨーロッパを支柱とな. 第二は,ヨーロッパ通貨問題とアメリカ合衆. って支えてきたフランスでは,近年,.通貨統合. 国の国際通貨・為替政策とのかかわりである.. に関連する歴史文書,なかでも財務省文書,中. 周知のように超大国アメリカは,戦後に,いわ. 央銀行文書および大統領府文書の整理と公開が.
(3) 4一τ. 急速に進んだ.また,通貨統合にかかわった当 局者たち(経済・財務官僚,中央銀行総裁・副 総裁)の証言記録も増えている.筆者がフラン. スの側からスネイク誕生の歴史にいどもうとす るのも,こうした歴史文書の利用をめぐる諸条 件の整備に負うところが大きい2).. と定めている.また第108条と第109条には, 加盟国が国際収支危機に陥った場合における 「相互支援」と「セーフガード措置」が定めら れている.しかしいずれの条項も,通貨領域に おける各国間の協調の具体的内容には立ち入っ ていない3).. ラキュヌ. 1.前史 ヨーロッパ地域通貨統合問題の浮上. (1957−68年). こうしたローマ条約の「不備」が何によるの かについては確証がないが,何人かの政策当局 者たちの証言によれば4),2つの事情がかかわ っていたようである.一つは,通貨政策におけ. 1.ローマ条約の「不備」とヨーロッパ経済共同体の. る協調のように国家主権に抵触する恐れのある. 機構改革. 事項については,各国聞の合意形成が進んでい. ヨーロッパ経済共同体を根拠づける1957年. なかったという事情である.いま一つはドイツ. のローマ条約は,通貨については,若干の一般. に関係している.すなわち,1920年代に超ハ. 的な目標とそれを実現するための手続きを規定. イパー・インフレを経験し,第2次大戦後は. していたにすぎなかった.経済および通貨に関. 「社会的市場経済」(Soziale Marktwirtschaft)の. する基本条項ともいえる第104条には,「各加. 名のもとで新自由主義的政策を遂行していたこ. 盟国は総合収支の均衡を保障し通貨の信認を維. とから‘),ドイツが通貨にかかわる国際的合意. 持するとともに,高い水準の雇用と物価水準の. にきわめて慎重であったという事情である.. 安定を保障するために,必要とされる経済政策 を実施する」と規定されている.より立ち入っ. た規定としては,第105条が「通貨に関する加. 盟諸国の政策調整を進めるために通貨委員会 (Comit6 mon6taire)を設置する」と定め,第. 107条が「加盟各国は為替相場に関する自国の 政策を共同の利益にかかわる問題として扱う」. 2)スネイクを扱った歴史研究は緒についたば かりである.既存の文献はいずれも研究集会に向 けて実施された研究の成果であり,第一次史料の 組織的な利用にもとづいたものではない.代表的 な文献としては次の2点をあげることができる.. 3)ローマ条約の通貨面からの解釈については, Comit6 mon6taire, P7θ纏677αρρ07’4’αo’ゴ”磁, Bruxelles,28 f6vrier l959.に拠っている. Cf 7勿α砂 S6’伽9勿焼θE螂0カθ碗EoOη0〃Zゴ。 CO〃Z〃Z%〃吻,1∼0〃3θ. 25腕ル毎κ乃,1957,London,1967.. 4)たとえば,フランス財務省の元国庫局長ピ エールニプロソレットやルクセンブルグの首相兼 財務大臣ウェルナーの証言.それにドゴール派g) 元閣僚で,1968年11月のフラン危機の際にフラン 切下げ回避のために動いたジャンネー(Jean−No61 Jeanneney)が,2004年12月1日に筆者とのインタ. ヴューのなかで行った証言.Claude Pierre− Brossolette,1£s donn6s relatives a la construction europ6enne aprさs l’61ection de Georges Pompidou, in五θ名6」θ4θ∫〃Z勿づS’〃θ∫4θ∫F勿αη6θSθ’4θ1EoO%0〃Zづ6. Robert Frank, Pompido11, le franc et l’Europe,1969−. 4απ∫1α60η∫’7z40’づ。フ¢θz670ρ6θ1z%θ r1957L1978ク,. 1974,in Oθo㎎6s」Po〃z1》づ40πθ’ZEz470ρθ, colloque des. Journ6es pr6paratoires tenues a Bercy le 14. 25et 26 novembre 1993, Paris,1995;Eric Bussiさre,. novembre 1997 et le 29 janvier 1998, t2, Paris,2002,. Georges Pompidou et la crise du systさme. p.100−101;Pierre Werner,五θ∫ρθ柳θo蜘θ∫4θ」α. interna廿ona1:int6r合t national, solidalit6 euroP6enne. ρ01ゴ勿%θ伽α履魏θ’〃zO纏α〃66獅0%θ〃ηθ, janvier. et enjeUX internatiOnaUX, in(⊇θ0㎎θS動〃Zρ∫40Zり勉66δ. 1968;Jean−Ren6 Bernard, T6moignage, in Oθo㎎6s. 」α〃zz6’σあ。π460%o〃z疹(1z紹4θ1’Oo6げ4θ%’,1969−1975,. PO彫ρゴ40%勉0θδ1α吻%翅づ0%,0ρ.0鉱. Actes du colloque du l 5 et 16 novembre 2001, Paris,. 5)新自由主義の厳密な定義,および新自由主 義と社会的市場経済との関係については,権上康 男「新自由主義と戦後フランス資本主義Q938−. 2003.いずれの文献とも,主に大統領府の経済金融 顧問ベルナールσean−Ren6 Bernard)の個人文書に 依拠している点に特徴がある.. 73年)」『歴史と経済』’2003年ll月,を参照..
(4) 42. とはいえ,1958年12月27日に共同体加盟6. 案を行なっている.(1)政策調整のための実務機『. ヶ国が通貨の交換性回復を決め,つづいて各国. 関として,既存の通貨委員会と景気政策委員会. による貿易と為替の自由化が段階的に進み,さ. ・)(Comit6 de politique conjoncturelle)に加えて,. らに経済諸部門で共通政策の導入が始まるよう. 「中央銀行総裁委員会」(Comit6 de gouverneurs. になると,域内における通貨問題が浮上してく. des banques centrales),「予算政策委員会」. る.早くも1961年3月;ドイツ,オランダと域. (Comit6 de politique budg6taire),「中期経済政策. 外諸国の間に国際収支の不均衡が生じ,マルク. 委員会」(Comit6 de politique 6conomique a moyen. とギルダーがいずれも5パーセント切り上げら. terme)の3つの専門委員会を設置する.(2)対外. れた.域外から両国に加わった圧力は当然のこ. 通貨関係に関する域内諸国間の事前協議を制度. とながら域内全域に緊張をもたらしたが,共同. 化する.(3)通貨面での相互支援機構を整備する.. 体としての対応がとられることなく,両国は単. (4)過渡期の終了時には域内諸国間の為替相場は. 独での通貨調整を行ったのである.. 固定されるものとする8).. こうしたマルクとギルダーの切上げをめぐる. これらの提案のうちの(1)と(2)は1964年にな. 経過はローマ条約の「不備」を強く印象づける. 通貨委員会が域内通貨問題の検討に入る.そし. って実現する.ヨーロッパ諸国では1963年か ら64年にかけて景気が加熱し,インフレ圧力 が強まった.なかでもイタリアでは国際収支が 悪化し,ドイツに向けて大量の投機資金が流出. てその成果は,ヨ旧劇ヅパ委員会の手になる. した.この通貨危機はリラの切下げで決着をみ. 1962年10月24日付の覚書「共同市場の第2段. るが,その原因は1961年と違って,共同体の. 階における共同体の行動計画」6>のなかに盛り. 内部に生じた不均衡にあった.1964年4月13日,. 込まれる.ちなみに,共同体は1958年から69 年までを共同市場形成の過渡期と位置づけ,過. 事態を深刻にうけとめた閣僚理事会(Conseil). 渡期を各4年ずつの3つの段階に分けていたが,. (Robert Ma巾lin)の提案にもとづいて次の3項. 「第2段階における行動計画」とはこの過渡期. 目を決めた.(1)中央銀行総裁委員会,中期経済. の第2段階,すなわち1962年1月から65年12月. 政策委員会,予算政策委員会の3つの専門委員. までの行動計画を指している.. 会を創設する9).(2)加盟各国が対外通貨関係に. この覚書によれば,第2段階の目標は,共同. かかわる重要な政策選択や政策変更を行なう場. 体を「関税同盟」(union douaniさre)から「経. 合には通貨委員会で事前協議を行なう.(3)各国. 済・通貨同盟」(union 6conomique et mon6taire). が為替平価を変更する場合には政府間で事前協. へと発展させることにおかれる.ここでいう経. 議を行うものとし,その具体的方法については. 済・通貨同盟とは経済と通貨の2つの領域にお ける域内諸国間の政策協調の前進を意味してお. 通貨委員会で検討する10).. ものとなった.これを契機に,ヨーロッパ共同 体委員会(以下,ヨーロッパ委員会と略記)と. り,また2つの領域における政策協調は相互規 定的な関係にあるものとされている.覚書はこ のように目標を設定したうえで,次のような提. は,ヨーロッパ委員会の副委員長マルジョラン. 7)この委員会は共同体発足直後の1960年に設 置されていた. 8)Jacques van Ypersele,五θεys’δ〃zθ〃zo%窃α〃θ θ%70ρ6θ%.07歪9勿θs,カ%漉。槻θ〃zθ窺θ’ρθゆθo’勿6s,. Bruxelles−Luxembourg,1984, p.37.. 9)厳密にいえば,3つの委員会のうち中期経済 政策委員会は設立の検討が1964年に行われ,設置 6)Programme d’action de la Communaut6. されたのは1965年であった.. pendant la.deuxiさme 6tape du March6 commun,24. 10)以上のうち(1)と(2)は決議として,(3)は声明. 0ctobre 1962.. のかたちでそれぞれ発表された..
(5) 43. この1964年4月13日の決議は,共同体が経. 員会副委員長マルジョランは回想録にこう記し. 済と通貨の領域における域内協調を前進させる. ている 「ヨーロッパ委員会はいわば提案を. うえで決定的ともいえる重要な制度もしくは手. 独占しており,同委員会が行った提案の変更は. 段を手にしたことを意味する.とくに専門委員. 閣僚理事会が満場一致でみとめた場合にしか行. 会の増設は,共同体が加盟諸国に足場をおく. えなかった.…ヨーロッパ委員会はゲームの支. 「政府に似た機構」11)を備えるにいたったとい. 配者であり,それなしには何もなし得なかった. う意味できわめて重要である.そこで,当時の. のである」13)(傍点は引用者).ヨーロッパ委員. 共同体における政策形成・決定の仕組みについ. 会による提案は,当然のことながら共同体全体. て簡単にみでおくことにしよう.. の観点からなされるものであり,そこにはロー. 共同体を運営していたのは閣僚理事会,ヨー. マ条約の精神に則ったヨーロッパ建設の推進と. ロッパ委員会,専門委員会(Comit6s)の3種類. いう動機が常に働いていたことは注意しておく. の常設機関である.このうち第一の閣僚理事会. 必要がある.. は,加盟各国の大臣 一般に経済・財務担当. 最後の専門委員会は閣僚理事会とヨーロッパ. 大臣および外務大臣 から構成される共同体. 委員会の双方の諮問機関である.それは,専門. の意思決定機関である.それは,とくに政治的. 技術的な観点から案件を検討し,閣僚理事会に. 性格の決定を行う点で特別の存在であった.こ. 提案することを任務としており,会議は秘密会. れにたいしてヨーロッパ委員会は,加盟各国か. とされた.専門委員会は,中央銀行総裁からな. ら選出された14名の専任の委員によって運営 される機関であり,その性格は2重であった. 一つは,共同体全体の事務局ともいうべき性格. る中央銀行総裁委員会を別にして,経済・財務 担当省庁の局長級の代表および中央銀行の副総. である.ヨーロッパ委員会は閣僚理事会と専門. 員会構成を反映して,本稿の後段において明ら. 委員会の事務局を引き受けており,共同体全体. かになるように,専門委員会の議論には各国の. の連絡調整を行っていたからである.いま一つ. ときどきの政策や政治・社会状況が強く反映す. は,閣僚理事会にたいして提案を行う,いわば. る傾向があった.専門委員会の開催頻度は委員. 「提案機関」ともいうべき性格である.提案は. 会ごとに異なるが,通貨委員会と中央銀行総裁. ヨーロッパ委員会自身が自らの判断で行うだけ. 委員会は,創設の当初から毎月1回,それぞれ. でなく,専門委員会による閣僚理事会にたいす. ブリュッセルとバーゼルで開かれていた.なお,. る提案もこの委員会を介して行われた12).した. これら2つの委員会には,経済・財務担当省庁. がって,ヨーロッパ委員会はきわめて大きな権. の副局長級の代表および中央銀行の局長級の代. 限を現実に行使することができた.前出の同委. 表からなる常設の代理人会議が補佐機i関として. 裁級の代表から構成されていた.このような委. 配置されており,専門委員会で討議すべき(な いしは討議された)案件について各国間の事前 11)2003年12月9日,フランス学士院で開催さ れた「ロベール・マルジョラン・シンポジウム」 で元ヨーロッパ委員会経済構造・開発局長アルベ. (ないしは事後)の意見調整を行うと同時に, 討議資料の原案作成にあたっていた.. かくて,1964年に3つの専門委員会が増設さ. ールが行った証言.Michel Albert, Robert Ma巾lin et la coordination des politiques 6conomiques dans la CEE, Co〃。(1%θ1∼06〃’Mα」ヴ。〃%, a l’Institut de. France,9d6cembre 2003.. 12)ただし,専門委員会が閣僚理事会から付託 された事案に関する報告は,専門委員会の委員長 によって理事会で直接,文書にもとつくか口頭で. 13)Robert Marjolin, Lθ五二〃4’辮θ漉.. 行われた.. 身の代表を送っていた.. M6〃zo魏8,1911一エ986, Paris,1986, p.300.なお,ヨー. ロッパ委員会は閣僚理事会にも専門委員会にも自.
(6) 44. れたことによって,共同体は各国の経済・財務当. (compromis de Luxembourg)によってひとまず. 局および通貨当局の実務責任者たちの中枢を自. 終息するものの,翌1967年5月から域内諸国間. らの機構内に結集することになったのである14).. の関係は再び冷え込むことになる.1963年に. とくに通貨の領域に関しては,中央銀行総裁委. つついて再度,大統領シャルル・ドゴールがイ. 員会の創設によって,各国の中央銀行が直接的. ギリスから出された共同体加盟申請を拒否した. なかたちで共同体の運営に参加するようになっ. からである.. たことは特筆に値する.. 第二に,通貨にかかわるフランス政府の関心. とはいえ,通貨の領域で前進がみられたのは 現実の政策面における協調に特段の前進はなか. は,1959年からの安定した黒字基調の国際収 支を背景に,金本位制の復活を軸に据えた国際 通貨制度の改革に向けられており,ヨーロッパ. った15).フランスの側からみれば,それはフラ. 通貨は基本的に同政府の関心の外にあった.そ. ンスに責任の大半がある次の2つの事情による. うしたフランスの姿勢は,1965年2月4日のド. ものであった.. ゴールの有名な記者会見で頂点にたっする.ド. 第一に,1960年代の半ば以降,フランスと. ゴールはこの会見で,ドルを基軸とする金為替. 他の域内諸国の問に深刻な亀裂が生じていた.. 本位制一すなわち,ブレトンウッズ体制. 共同体の「超国家性」を徹底して拒否するフラ. の現状を厳しく批判する.彼によれば,この国. ンス・のドゴール政権は,1965年3月から翌66年. 際通貨制度はアメリカによる金の独占的保有と. 1月にかけて,ヨーロッパ議会の権限および共 通農業政策の金融方式をめぐって,他の域内諸. いう戦後状況を前提に生まれたものであるが, そうした前提はすでに消滅している.それにも. 国なかでもオランダおよびイタリアと激しく対. かかわらず多くの国がアメリカの国際収支赤字・. 立し,一時ブリュッセルの共同体本部から自国. を通じて流出するドルを金と同様に受け入れて. 代表団を引き揚げるにまでいたった.この危機. いるために,アメリカは「外国から無償で借入. は1966年1月の「ルクセンブルグの妥協」ユ6). れを行う」ようになっている.ドゴールは,こ. あくまでも一般的な制度や機構面にかぎられ,. のような「アメリカにたいする一方的な便宜供 与」のおかげでさまざまな「不都合」や「混乱」. が生じているとし,「金為替本位制の安楽死, 14)ただし1974年に,景気政策委員会,中期経 済政策委員会,予算政策委員会の3つの専門委員会 が統合され,新たに「経済政策委員会」(Comit6 de politique 6conomique)が生れる.しかし,ほぼ時を. 同じくして,それぞれの専門委員会には常設の各 種作業委員会が付置され,加盟諸国の代表がそれ らに参加しているから,共同体が「政府に似た機. 金本位の再興」の必要を説く.そして「フラン スには,全世界の利益のために必要とされる壮 大な改革に,積極的に参加する用意がある」17). と宣言する.ちなみに,こうしたドル支配にた. いするフランス大統領の異議申立てを理論面で. 構」を備えているという実態に変化はなかった. 15)フランスの国庫局長ラールも,「通貨協力の 強化」について,「1968年の年末まで具体的成果は. ないに等しいままであった」と記している.AEF (Archives 6conomiques et financiさres),B12544. note. 17)以上,ドゴールの記者会見に関する引用は,. pour le ministre:Possibilit6s et limites d’un. Conf6rence de presse du g6n6ral de Gaulle(4 f6vrier. renforcement de la coop6ration mon6taire entre les. 1965),in/1%π4θρo〃’∫(1z6θ, Pans,1965, p.425−430.から. pays du March6 commun,200ctobre 1969, par Ren6. 行っている.なお,ドゴール政権の国際通貨政策. Larre.. については,Henri Bourguinat, Le g6n6ral de Gaulle et la r6forme du Systさme mon6taire internationa1. La contestation manqu6e de. 16)1966年1月28−29日の閣僚理事会で,6力国 はフランスの主張を入れ,閣僚理事会における決 議は全会一致によること,すなわち加盟諸国に拒. l’h696monie du dollar, in 1)θ0α%1Zθθπso〃s∫∂01θ, t3:. 否権を認めることで合意し,和解が成立した.. ルZo4θ7%∫∫θ〃α.翫伽。θ, paris,1gg2, p.110−125.を参照..
(7) 4∫. 支えていたのは,フランスを代表する経済理論. 為替関係をめぐる「事前協議」が何度も行われ. 家で新自由主義の創始者としても知られるリュ. ている.かくてポンド危機は,ヨーロッパ建設. エフ(Jacques Ruef[)であった’8).. にとっての通貨問題の重みを再認識させる重要. 1966年からは,フランス政府は「特別引出. な契機となった.それを裏書するように,ポン. 権」(SDR)の創設をめぐる国際交渉を通じて,. ド危機のあとまもなく,通貨統合の立役者とし. この新たな準備資産にドゴール/リュエフ構想. てその名を知られることになるルクセンブルグ. を反映させるべく積極的に動く.SDRは1967 年9月のIMF総会でその大綱が承認されるが, フランスは共同体域内諸国の力を借りてSDR. の首相兼財務大臣ウェルナー(Pierre Werner). コンディショネル. とヨーロッパ委員会の副委員長で,経済・通貨 担当のバール(Raymond Barre)が,相次いで. を条件付で,かつ金によって定義づけられるも. 行動を起こす.ウェルナーは1968年1月,自身. のに変えようとした.そして,この新たな流動. のヨーロッパ域内通貨統合構想を論文のかたち. 性の普及を図ることによって,国民通貨として. で公にする20).バールの方は翌2月に,ローマ. のドルを準備通貨から排除しようと目論んだの. で開かれた非公式の閣僚理事会で,域内通貨統. である19).もっとも,その後の歴史が示すよう. 合に関する秘密報告を行う.ちなみに,バール. に,フランス政府の長期にわたる粘り強い努力. はドゴールの肝入りで1967年7月にブリュッセ. にもかかわらずドゴール/リュエフ構想が実現. ルに送り込まれた人物で,前職はパリ大学教授. することはなかった.. (経済学)である.彼はハイエクとレプケによ. ともあれ以上のような事情から,域内におけ. る通貨協力は1960年代末にいたるまでほとん. って1947年掛創設されたモンペルラン協会の 会員であり,自他ともにみとめる新自由主義者. どみるべきものがなかった.域内通貨協力を真. であった21).このバールによる報告はヨーロッ. に実質あるものにするための動きが現れるの は,1967年末のポンド危機iと1968年5−6月に. パ委員会の名で行われただけに,ウェルナー論. フランスを襲ったフラン危機をまたねばならな. バールは秘密報告のなかで,まず,(1)通貨領. い.. 域における協力関係を前進させないかぎり共同. 文以上に大きな重みをもつものであった.. 体内部の緊張は高まる,(2)現状を放置すれば統 2,ポンド危機とフラン危機. 合の継続が難しくなるだけでなく農業共通政策. 1967年は国際収支の不均衡が世界レヴェル. に代表される統合の成果も損なわれる恐れがあ. で深刻化した年として知られる.ドルとポンド. る,という共同体のおかれた厳しい状況を説明. の2つの基軸通貨は繰返し国際投機の標的とな. する22).そのうえで彼は,閣僚理事会にたいし. り,ポンドは11月18日にいたって14.3パーセ. て次の4項目を検討するよう提案している.. ント切り下げられた.. 一 加盟国による為替平価の変更は他の加. ポンド危機が共同体にもたらした衝撃は大き かった.この危機の間中,通貨委員会では域内 20)P.Werner, Les perspectives, o汐.6甑. 21)Henri Amouroux,,Moπ∫∫6%7 Bα77θ, Paris,. 18)リュエフの国際通貨理論については,. 1986;Raymond Barre,1∼αッ勉。%4 Bσ〃a翫〃θあθ%. Jacques Rueff,五θ1α%o勿απρ70∂1∂〃zθ4%4吻70露4θs. 伽θ6∫θα%一」M励θ1ρガαπ,ぐ《M6moire vivante>〉, Paris,. わαZα%oθs4θs加伽zθ鋭s, Paris,1964.を参照.. 2001.. 19)乃鼠ノRobert Solomon,7物1窺θ7%媚。%α1. 22)ーバールの官房長パーユによる証言.Jean−. 1吻〃θ’αη51ソs≠θ〃z,エ9451981,p.128−150 (ロノ§一ト ・. Claude Paye, Vers le plan Werner. Le r61e de la. ソロモン著/山中豊国監訳『国際通貨制度研究. Commission des Cornmunaut6s,1967−1973, in五θ名δ」6. 1945−1987』千倉書房,1990年,179−210頁).. 4θs〃z勿ゑ∫’〃θs4θ∫F勿α1z66∫, t2, Paris,2002, p.115..
(8) 46. 一 加盟諸国通貨間における為替変動をな. 幅な賃上げ(時間あたり最低賃金については 35パーセント,その他の賃金については10パ ーセントの引上げ)が行われたものの,生産活. くし,域外諸国にたいしては同一の変動. 動は2ヶ月間にわたって停止した.フランは国. 幅を採用する.. 際投機の標的となり,フランスは15億ドル相. 一 ローマ条約にもとつく相互協力機構の. 当の公的準備を失った.これにたいして政府は,. 設置(たとえば「相互信用開設網」の創. 「緊急措置」として為替管理,各種の輸入制限,. 設).. 国内企業にたいする金融支援:を実施する一方. 一 ヨーロジパ計算単位を定める23).. で,財政においては拡張政策,金融においては. これらの提案の基本部分は1962年の「共同 体の行動計画」に盛り込まれており,それ自体. 緩和政策をそれぞれ実施した.それゆえ「5月 危機」が共同体にもたらした緊張は前年のポン. としては目新しいものではない.バール報告の. ド危機の比ではなかった.フランスが採用した. 意義は,大規模な国際通貨投機と,後段で触れ. 政策をめぐっては,その反自由主義的でインフ. るドル危機や国際通貨制度改革論議の活発化を. レ的な性格のゆえに,ヨーロッパ委員会におい. 背景に,かつての提案を通貨協力に重点をおい. ても通貨委員会おいても,フランスにたいして. て実施に移すよう求めている点にあった.. 各国の委員から厳しい意見が浴びせられた26>.. しかし,バール報告にたいする閣僚たちの反 応は「控えめ」24)であったという.バールをブ. 当時ブリュッセルでこうした緊迫した場面に立. リュ,ッセルに送っていたフランスでさえも,こ. Claude Paye)によれば,「5月危機」に随伴した. の時点では,主要な関心は依然として国際通貨. 一連の経過はヨーロッパ委員会にとって,ヨー. 制度改革の方にあったからである25).. ロッパ建設の「脆さ」と「可逆性」27)を強く印. とはいえ通貨協力問題がこれで立ち消えにな. 象づけるものであったという.. ることはなかった.その3カ月後にフランスで. ヨーロッパ建設の将来に不安を抱いたヨーロ. 「5月危機」が発生したからである.この年の5. ッパ委員会は,7月掛通貨委員会に「ヨーロッ. 月から6月にかけて,フランスでは労働者によ. パ相互信用網」と題する覚書を提出し,通貨投. る大規模なストライキ運動が国土全体を覆っ. 機から域内諸国通貨を防衛するための信用機構. た.5月26日の労使協議一いわゆる「グルネ. の整備を提案する28).秋に入ると,9月4日の. ル協定」(Accords de Grenelle) によって大. 通貨委員会で,フランス代表の国庫局長ラール. 盟諸国による事前承認を経たあとでしか 実施し得ないものとする.. ち会っていたバールの官房長パーユ(Jean−. (Ren6 Larre)とフランス銀行副総裁クラピェ (Bernard Clappier)が,共同体として「通貨協. 力の発展」に積極的に取り組む必要がある旨の 23)このバール報告の内容は,「第一次バール・. プラン」と通称されるヨーロッパ委員の覚書 <<Memorandum de la Commission au Conseil sur la. coordination des politiques 6conomiques et la cooP6ration mon6taire au sein de la Communaut6, 12f6vrier 1969・〉のなかで公けにされた.. 26)ABF(Archives de la Banque de France),. 24)J.一C.Paye, oコリ. o鉱, p.116.. juillet−novembre 1968.. 25)たとえば,同じ2月に国庫局長ラールが行っ. 27)J,C. Paye, oφ. o鉱, p.116.. ているウェルナー論文にたいする評価は,IMF改 革に些して足乖みの乱れがちなヨーロッパ諸国を 結束させるためには有用である,というものであ. 28)ABF, DDPE−43−1397. Compte rendu du. DDPE. COmit6 mOn6taire,110さme a 113さme SeSSiOnS,. Comit6 mon6taire, r6union des 10 et l l juillet 1968,. par le sous−gouverneur de la Banque de France,. った.Note du 200ctobre 1969, par Ren6 Larre, doc.. Bernard Clappier, au ministre des Finances,. cit6.. Frangois Ortoli..
(9) 47. 発言をする.2人によれば,投機的資本移動か ら域内諸国通貨を防衛するための適切な信用手. 経済・財務および通貨当局の最高位の実務当局. 段が存在しない.IMFの引出権は利用可能な信 用額が不十分なだけでなく,手続きが複雑すぎ. は経済財政総局の総局長と局長が参加してい た.1968年10月時点における通貨委員会の構i. て現実の必要に応えられない.中央銀行間には. 成は表1のとおりである.まさに「並外れて重. スワップ協定があるが,利用できる信用がごく. 要な」29)委員会だったことがうかがえよう.. 短期に限定されているたゆに,これも役に立た. 通貨委員会はlo月から通貨問題の検討作業. ない.フランスの経済・財務当局と通貨当局の. に入ったものの,その経過ははかばかしいもの. 代表たちは,通貨支援のための信用機構を共同 体の内部に設置するよう求めたのである.. ではなかった.10月22−23日の会合では,ヨ. かくて「5月危機」を契機に,それまで国際 通貨にのみ向けられていたフランスの関心が域. Mosca)が用意した通貨委員会事務局提案にも とづいて,一般的な意見交換が行われた.事務. 内通貨にも向けられることになった.とはいえ,. 局提案は以下の12項目からなっていた.. 通貨委員会がこの問題を正面から取り上げるに. (1)通貨政策手段の改良と開発.. は閣僚理事会による「政治」判断が必要であっ. (2)加盟各国の介入方法の改善.. た.. (3)情報手段とくに統計情報の改善と調和. ll.通貨委員会における通貨協力問題審議. (1968−69年). 者が参加しており,またヨーロッパ委員会から. ーロッパ委員会経済財政総局総局長モスカ(U.. (4)資本輸出入の領域における協調政策に関 する検討.. (5)ヨーロッパ資本市場の発展.. 1.ロッテルダム閣僚理事会決議と「通貨支援」問題. (6)事前協議一般の方法の改善と強化.. 1968年9月9−10日,ロッテルダムで閣僚理 事会が開かれた.閣僚理事会はこの会合で,通. (7)とくに国際通貨関係の領域における加盟. 貨委員会にたいして,「通貨関係の新たな前進」. (8)EEC枠内における通貨支i援(相互協力). について検:討し1969年1月までに結果を報告す. の組織化.. るよう求めることを決めた.いうまでもなく,. (9)共通準備基金の設置.. この決議はヨーロッパ委員会の提案にもとつく. ㈲ 加盟諸国通貨問における為替相場(直物,. ものである.こうして共同体の歴史上はじめて,. 先物)変動の廃止.. 6力国が通貨協力問題に取り組むことで合意し た.以後,通貨委員会を主要な舞台としてこの. ㈲ ヨーロッパ計算単位の定義づけと利用.. 問題をめぐる論議が繰り広げられるが,それを. モスカは,上記12項目のうち(3)の情報手段,. 常に先導したのは,ヨーロッパ委員会副委員長. (6)の事前協議,(8)の通貨支i援,(10)の為替相. バールと彼が統括する同委員会経済財政総局で. 場変動の廃止,の4項目を優先的に検討するよ. ある.. う提案した.しかし,,これを支持したのはフラ. 通貨委員会は5つある専門委員会のなかでも. ンス代表とルクセンブルグ代表だけにとどまつ. 諸国聞の協調促進.. ⑫ EEC域内における為替平価の固定30).. 要ともいうべき特別な位置を占めていた.それ は,通貨委員会がローマ条約に設置が謳われて. いた委員会であり,その管轄領域が経済と通貨 の双方にまたがっていたからである.しかし理 由は委員の顔ぶれにもあった.前述したように. 29)Andr6 de Lattre, S〃zノ〃αz薦F勿απoθs, Paris,. 1999,pユ77.. 30)ABF,1397199802/15. Compte rendu de la l126me SeSsion dU COmit6 mon6taire, par le direCteur. 通貨委員会には各国の経済・財務担当省庁の局. du Tr6sor et le sous−gouverIIeur de la Banque de. 長級の代表と中央銀行の副総裁級の代表という. France..
(10) 48. 表1通貨委員会の構成 氏名. 1968年10月 出身機関・役職・出身国. 委員長 レネップ(E.van Lennep). 財務省総財務官(オランダ). 副議長 クラピエ(B.Clappier). フランス銀行副総裁(フランス). エミンガー(0.Emminger). ドイツ連邦銀行理事(ドイツ). 委員. ラール(R.Larre). 経済財務省国庫局長(フランス). ハネマン(W.Hanemann). 連邦経済省局長(ドイツ). デーズ(M.D’Haeze). 財務省国庫・公債局総局長(ベルギー). ドゥ・ヴォーゲル(F.De Voghel). ベルギー国立銀行副総裁(ベルギー). バステイアン(P.Bastian). 政府管理官(ルクセンブルグ). ヴェーバー(R.Weber). 国立貯蓄金庫管理委員(ルクセンブルグ). マッケイ(A.W. R. baron Mackay). オランダ銀行局長(オランダ). スタッマティG.Stammati). 国庫省主計局長(イタリア). オッソラ(R.Ossola). イタリア銀行経済顧問、(イタリア). モスカ(U.Mosca). ヨーロッパ委員会経済財政総局総局長. ボワイエ=ドゥ=ラ=ジロデ (M.F. Boyer de la Giroday). ヨーロッパ委員会経済財政総局局長. 代理人会議議長. メルタンス=ドゥ=ヴィルマルス (J.Mertens de Wilmars). ベルギー国立銀行経済顧問(ベルギー). 代理人. ドウグアン(D.Deguen). 経済財務省国庫局副局長(フランス). コッシュ(H.Koch). フランス銀行研究総局長(フランズ). ヴィルマン(G.Willmann). 連邦財務省(ドイツ). 、イェンネマン(GJennemann). ドイツ連邦銀行銀行局長(ドイツ). ムルマンス(M.Meulemans). 財務省(ベルギー). シュミット(M.Schmit). 予算課長(ルクセンブルグ). ロールマン(N.Rollmann). 国立貯蓄金庫理事(ルクセンブルグ). ルディング(H.0.Chr R Ruding). 財務省(オランダ). サース(A.Szasz). オランダ銀行国際局長(オランダ). ガグリアルディ(D.Gagliardi). 対外通商省監察官(イタリア). フロンゾー二(LFronzoni). ベネルクス駐在イタリア銀行代表(イタリア). モリトール(B.Molitor). ヨーロッパ委員会経済財政総局局長. ウィッセル(G.Wissels). ヨーロッパ委員会経済財政総局局長. 出所:0%g‘2〃zθ吻ρoκ面漉ρ磁4%Co煽’6〃zo〃6’α〃θ, Bruxelles,15 mai 1969, p.17−19..
(11) 4夕. た.その他の代表はいずれも慎重で,とくに(8). 理するだけにとどまった.(1)「すでに研究に付. とG◎にたいしては「重大な留保」(trさs s6neuses. されている事項」,(2)「通貨委員会が閣僚理事. r6serves)を表明した.ベルギー代表とイタリ. 会から付託されて検討を始めたばかりの事項」,. ア代表はローマ条約に関係する規定がないこと. (3)「研究 ただし,困難な研究 がなされ. を根拠にあげる.イタリア代表のオッソラと通. るべき重要事項」,(4)「当面は研究に着手でき. 貨委員会の議長でオランダ代表のレネップは,. ない重要事項」,の4つである.そして通貨支. そうした方向に踏み出せば「共同体の拡大をい. 援:,共同準備基金,為替変動幅の廃止の3項目. っそう難しくする可能性がある」31)という.フ. は第3グループに,また為替平価の固定は第4 グループに,それぞれ整理された.いずれも早 期に結論の出せないグループに括られたのであ. ランスがイギリスの共同体加盟を拒否していた ことが,両国による問題への取組みを鈍らせて いたのである.こうした一般的な討議ののち,. る.. 通貨委員会は専門技術的な検討を代理人会議に. 同じ11月にはフラン危機が再燃した.フラ. 委ねた.. ンの切下げはフランス銀行とドイツ連邦銀行の. 代理人会議は11月8日に開かれた.しかし,. 市場介入によって回避されたものの,これによ. 親委員会の多数派が事務局面にたいして慎重. って問題の緊急性はいっそう高まる.それと同. で,部分的には否定的ですらあっただけに,こ. 時に,フラン問題にたいする各国の姿勢の違い. の会議で前進がみられるはずはなかった.代理. もいっそう鮮明になる.すぐあとで触れるよう. 人の一人でフランス銀行経済研究総局長のコッ. に,国内政策の基本を物価の安定におくドイツ. シュが作成した会議記録32)によれば,12項目. とオランダは,フラン危機の原因はフランスの. のうち,フランスとヨーロッパ委員会が重要と. 「緩い」経済政策にあるとし,域内諸国間にお. みる通貨支援,共同準備基金の創設,為替相場. ける経済政策の協調を通じてしか域内に生じた. 変動の廃止の3項目については,いずれの代表 も検討に入ることにすら抵抗した.ルクセンブ. 緊張を解くことはできないと主張するようにな. ルグ代表は親委員会でフランスと共同歩調をと. ネタリスト派」(mon6t頗stes)と「エコノミスト. ったにもかかわらず,代理人会議ではまったく. 派」(6conomistes)の名で知られる,通貨連合に. 発言しなかった.イタリアは「棄権」を決め込. 向けた2つの対抗的なアプローチが問題として. み,正規の代理人の代わりにオブザーバーを出. 浮上してくる33).. 席させた.ベルギーとオランダは,問題の上記. 12月18日の通貨委員会では,閣僚会議にた. 3項目について発言しようとしなかった.コッ. いする中間報告のなかで扱う項目を,情報手段,. シュによれば,それは「技術的というよりは明. 事前協議,通貨支援,為替変動の廃止の4つと. リベラル. る.そしてヨーロッパ委員会の内部では,「マ. らかに政治的な理由」によるものであった.結. 局,代理人会議は個別の項目について実質的検. 討を行うことなく,全体を4つのグループに整. 31)躍θ〃2.. 32)以下,11月8日の代理人会議に関する引用は,. とくに断りのないかぎりすべて下記の文書から行. 33)たとえば,ブリュッセルで作成された1968 年10月15日付覚書には次のように記されている. 「通貨同盟の前進をめぐって対立する2つの主要な 考え方がある.一方は,通貨統合は経済同盟のす べての領域で進歩が達成されたあとについてくる もので,いわば進歩の達成を示すものであるとみ る.他方は,反対に,通貨・金融の協調政策は他. du Comit6 mon6taire,8et 12 novembre 1968, par. の諸領域における進歩を促す諸要素の一つであり, またそれらの進歩を実現するための前提である, と主張する.」(ABF, DDPE−43−1397. note,. H.K.. Bruxelles,150c七〇bre l 968.). う.ABF,1397199802/15. Am61ioration des relations mon6taires dans la C.E.E. R6union des Supp16ants.
(12) ∫0. することで合意が成立した.しかし問題は各項. 目の扱い方である.翌1969年1月8日の通貨委 員会では,事務局が用意した中間報告素案をめ. 公的なものとしては1962年10月25日にドイツ 連邦銀行理事会において示されたのが最初であ り35),1967年11月.22−24日には連邦経済省科. ぐってこの点が大きな問題となった.素案には. 学審議会の答申によって再確認され,以後ドイ. 「経済政策の協調に関する一般的考察」と題す. ツの基本政策として定着したものである36).. る長大な前文が付されていたが,ドイツ代表と. しかしこれには,国内政策の自立性確保を望. オランダ代表はこの前文に以下の4項目を盛り. むフランス代表が強く反発した.当時のフラン. 込むよう主張した.. スは,シャルル・ドゴールが大統領職にとどま. 一 共同体内における為替の安定および自. っていたことに加えて,前述したような「5月. 由貿易の維持と,共同体の統合に向けた. 竜機」後の社会的・経済的状況のゆえに,成長. 前進は,経済政策の大いなる調整強化を. 政策37)を継続せざるを得なかったからである.. 含意している.. このため,中間報告の最終稿づくりでは前文が. 一 とくに11月の〔フラン〕危機は,現 時点におけるこの調整の到達度がきわめ. 大幅に簡略化され,経済政策に最終目標を設定. て不十分で,深刻な緊張の発生はもとよ. 送られた.. り基礎的不均衡の発生すら抑止できない. することや目標間に優先順位をつけることは見 次に,事前協議については,協議を「組織的. ことを証明した.. で恒常的」に行うことに各国代表の多数が懸念. 一 通貨部門だけを先行させてもこの種の. を表明した.このため「経済政策の変化を共同. 困難は回避できない.通貨部門の先行は,. 体の諸機関が定期的に扱える方法を研究する」. 経済政策の全領域にわたる,より広い枠. という娩曲な表現に改められた.また為替変動. 組みのなかに位置づけられないかぎり意. 幅については,検討が十分に進んでいないこと. 味をなさないであろう.. を理由に,技術面についてのみ言及することに. 一 それゆえ通貨調整の強化は,経済政策. とどめられた.通貨支援機構iにいたっては,慎. の一般的調整の一要素とみなされるべき. 重意見が多いという理由から項目自体が削除さ. である.それは,第一に,事前協議およ. れた.結局,事務局案がそのまま生かされたの. び相互情報〔交換〕の方式の改善に関係. は情報交換手段の改善に関する記述だけであっ. するものでなければならない.加盟諸国. た.なおイタリアは,通貨’協調の前進は「他の. 間の相互協力や独自の通貨関係機構を整. 諸国の共同体加盟が妨げられることのないよう. 回したところで,少なくとも各国間で経. な範囲でしか考えられないであろう」という一. 済目標の協調が大きく前進しないかぎ り,共同市場の基本目標の実現を容易に. 文を挿入するよう主張した.この主張は採択さ. するどころか,既存の硬直性を増幅する. 通貨協力問題に深く影を落としていたことがう. れなかったが,共同体の拡大という政治問題が. ことにしかならないであろう.34). 以上の4項目は,経済政策における協調の前 進こそが統合の唯一で,最終の目標であるとす るエコノミスト派の主張である.この主張は,. 35)Peter Bernholz, The Bundesbank and the Process of European Monetary Integration, in Deutsche Bundesbank, F吻y診α7sげ魏θD6%’s碗θ ルZα娩.Cθ鋭7α1 B一々侃4飾θC%77θ%oツ勿0θ7〃z碗y sカ¢oθ1948,0xford,1999, P.744.. 34)ABF,1397199802/16. Compte rendu de la. 36)Hans Tietmeyer, Eoo%o煽θsoo刎848勉α劣6雇. l17合me SeSSiOn dU COmit6 mOn6taire, par le direteur. θ’s’αわゴ」露4吻。雇’α〃ε,traduit de l’allemend, Paris,. du Tr6sor et le sous−gouverneur de la Banque de. 1999,p.197−198,. France.. 37)こうした政策は1974年まで継続された..
(13) ∫■. かがえる.. いたからである(「近年の諸事件からの教訓」).. かくて,中間報告は1969年1月15日付で閣. プランの狙いはこのように緊急性を高めつつあ. 僚理事会に提出されたものの,その内容は具体. る2つの課題を実現することにあった.. 性にも積極性にも欠けるものとなった.また,. バール・プランの特徴は,統合を進めるため. 閣僚理事会から付託された課題は「通貨関係の. の方法としてまず「経済政策の協調」をあげ,. 新たな前進」であったにもかかわらず,経済政. 次いでその不可欠な補完物として「通貨協力」. 策における協調の重要性を強調する「前文」が. をあげることによって,両者を事実上同等に位. 挿入されたことによって,通貨協力の重みはそ. 置づけているところ いわゆる「パラレリズ. の分弱められることになった. 2,第1次バール・プラン審議 孤立するフランス. ム」一にある.したがって,「通貨協力」を 軸にした前年の秘密報告とは大きく異なってい る.このような提案内容の変化は,通貨委員会. 通貨委員会の中問報告が作成されて1ヵ月後. で明らかとなった通貨協力にたいする多数派の. の1969年2月12日,ヨーロッパ委員会は「経. 強い抵抗と,経済協力を優先すべきだとするド. 済政策の協調および通貨協力に関するヨーロッ. イツとオランダの強い姿勢を反映したものと考. パ委員会の覚書」38)を閣僚理事会に提出した.. えられる.. この覚書は,副委員長バールの責任でまとめら. まず第一の「経済政策の協調」であるが,そ. れたことから「バール・プラン」(plan Barre). れは短期政策と中期政策に区分される.そして. もしくは1970年3月4日に作成される同種. 短期政策については,各国間における政策協調. の覚書と区別して「第1次バール・プラン」. を図るために,通貨にならって事前協議制度を. (Premier plan Barre) と呼ばれる.バールは. 導入することが提案されている.また中期政策. その2ヶ月前の1968年12月12日に閣僚理事会. については,加盟各国が相互に協調しつつ,成. で報告を行い,そのなかで,「経済政策の収敏. 長率,雇用,物価,国際収支について目標を設. の向上」と「通貨協力の強化について検討する. こと」という2つの課題の重要性を説き,同理. 定することが提案されている.次に,第二の 「通貨協力」についても,提案は短期と中期に. 事会の了承を得ていた.バールによれば,2つ. 分けて行われている.すなわち,通貨投機に対. の課題には「特別の重要性」39)があった.なぜ. 処するための短期の通貨支援と,国際収支の一. なら,一方で,統合の進展にともなって域内諸. 時的不均衡に対処するための中期の金融協力に. 国間の相互依存関係が深まりを増しているから. 区分され,それぞれについて特別の機構の創設. であり40)(すなわち,プラン本文の表現を借り. が提案され,制度の枠組みについての一般的な. れば「共同体の機能の論理」),また他方で,ポ. 考え方が示されている.. ンド危機やフラン危機にみられるように大規模. 通貨委員会は2月から5月にかけて,都合4. な為替投機を通じて共同体内の緊張が高まって. 回の会合をバール・プランの審議に充てた41).. 第一の「経済政策の協調」に関しては,相互に 調和のとれた共通の中期目標を設定する必要が 38)M6morandum de la Commission sur la coordination des politiques 6conomiques et la coop6ration mon6taire,12 f6vrier l 969.. 39)躍動.. 40)バール・プランによれば,域内諸国の輸出 に占める域内の割合は,1957年時点では3分の1で あったが,プラン作成当時は2分の1にたつしてい た.Z46吻.. 41)以下,2月から5月にいたる通貨委員会審議 からの引用は,とくに断りのないかぎり,国庫局. 長から財務大臣に宛てた会議報告(ABF, 1397199802/16.COmpte rendU deS−119さme a l21壱me sessions.)からそテう..
(14) ∫2. あるという点で,各国代表たちの認識は一致し. をいっそう困難にする」として,問題にするこ. ていた.しかしその実行可能性については,代. と自体に否定的であった.6力点のなかで唯一,. 表たちは一様に懐疑的であった.とくに問題に. 通貨協力機構の設置を支持したのはフランスで. なったのは,物価安定にたいする姿勢が各国間. ある.フランス代表のクラピエは,通貨協力は. とくにドイツとその他の諸国の間 で大. 「経済政策の調整を強化するうえに不可欠」で. きく違っている点である.統合前進の軸を経済. ある,また,通貨協力の仕組みとしてはニュー. 政策の収敏におくべきだとするドイツ代表のエ. ヨーク連邦準備銀行の周囲にめぐらされている. ミンガーですら,中期政策を収敏させられると. 現行のスワップ取引網と同様のものを考えれば. は考えていなかったようである.彼は域内諸国. よく,「技術的問題は解決不能とは思われない」. 間の物価の乖離が1966−68年の3年間で8.5パ. と発言している.. ーセントにもたっしている事実をあげて,実施. 結局,短期通貨支援に関する通貨委員会内部. の難しさを口にしている.フランス代表も,政. の意見分布は,バール・プランをめぐる審議で. 府の基本政策が成長の維持にあっただけに,中. も変わらなかった.フランスの国庫局長ラール. 期政策の収敏には「留保」を表明した.一・方,. も確認していたように,フランスにとっては. 短期経済政策に関しては,事前協議の「法的義. 「通貨協力機構は最良の協調を論理的に補完す. 務化」を受け入れるか否かが問題になった.し. るもの」であるのにたいして,フランス以外の. かしここでもまた,現状では義務化は非現実的. 諸国にとっては「経済政策の調整を改善するこ. であるというのが各国代表に共通した意見であ. とそれ自体が目的なのであり,それを新たな通. った.とくにフランス代表は,1969年1月13−. 貨機構の設置と関連づける必要はまったくな. 14日の閣僚理事会で決まった「任意で非公式. い」43>からであった.. の協議」で十分であると発言している.. 中期金融協力については,短期通貨支援にも. 第二の「通貨協力」をめぐっては,各国問の. まして消極的な発言が目立った.すなわち,こ. 足並みが大きく乱れた.まず短期通貨支援二で問. 題になったのは,為替投機に即応し得る「自動. の種の協力はローマ条約第108条に該当し,各 国議会の承認が必要となる.それゆえ,各国に. 的スタンバイ機構i」(un systさme de stand−by. 応じられる信用額は,それほど大きなものには. automatique)を創設するか否かである.オラン. なり得ない.また制度を立ち上げたとしても,. ダ代表1ホ,そのような機構の出現によって「国. 参加国が6力国にとどまるかぎり対称的な制度. 内規律」が弛緩することを懸念する.ドイツ代. にはならず,それゆえ債権国にとっては魅力が. 表は,「通貨支援は経済調整が実際に進んだあ. ない,等々.. とでしか考えられないし,また経済調整が実現. 以上のような討議ののち,通貨委員会の見解. すれば〔通貨〕機構はほとんど利用されないで. は報告書44)にまとめられ,5月10日付で閣僚理. あろう」という.要するに,通貨協力機構を設. 事会に提出された.通貨委員会はこのなかで,. 置する必要はないとするエコノミスト派の原則. 経済政策の協調についても通貨協力機構につい. 論を主張する42).ベルギーもこの機構には懐疑. ても,原則のレヴェルではバール・プランをそ. 的であった.イタリアは「共同体の今後の拡大. っくり受け入れている.しかし,個別の事項に. 43)COmpte rendu de la 121さme SeSSiOn dU Comit6. 42)ドイツ代表は,こうした主張を補強すべく, 自身が席をおいている中央銀行総裁会議でも通貨 支援機構を「危険」とみる見方が支配的であると. mon6taire, doc. cit6.. 述べている.. Conseil du 12 f6vrier 1969,10 mai l969.. 44)ABF,1397199802/18. Avis du Comit6 mon6taire sur le m6morandum de la Commission au.
(15) ∫3. ついて自らの見解を示すことはしなかった.中. に拡大されるなら,共同体の域内為替変動幅は. 期経済政策については中期経済政策委員会によ. 3パーセント以上に広がることになる.共同体. る検討を,また短期通貨支援:については中央銀. を維持し,さらにその統合を前進させようとす. 行総裁委員会による検討をそれぞれ待つ必要が. るのであれば,域内変動幅を世界変動幅以下に. ある.中期金融協力については各国の国会決議. 狭めるべきではないか,あるいはそもそも域内. を必要と.する「政治的性格」の問題であり専門. では変動幅は廃止にもって行くべきではないか. 委員会の権限をこえている,というのがその理. 共同体にとっての為替変動幅問題の核心は. 由であった.つまり,通貨委員会は総論に賛成. ここにあった.. し,各論には態度を保留するという立場をとっ. 共同体加盟6悪声のなかでは,投機的資本の. たのである.. 流入に悩むドイツと流出に苦しむイタリアが変. 3,為替変動幅問題. 動幅拡大容認論に傾きつつあったのにたいし て,国民経済の対外開放度が大きく,国内経済. 為替相場の変動幅をめぐる問題は,早い段階. が為替変動の影響をうけやすいベルギーとルク. から,共同体に独自な為替制度の導入問題とし. センブルグの2つの小国が固定平価維持に執着. て,ヨーロッパ委員会で取り上げられていた.. していた46).唯一,旗色が不鮮明だったのはフ. 1962年の「行動計画」には最終段階での「為 替平価の固定」が謳われていたし,1968年10 月の通貨委員会に提出された12項目の事務局. ランスであるが,このフランスも1969年の年. 1969年1月20日と22日の両日,国庫局長ラ. 提案にも「変動幅の廃止」が盛り込まれていた.. ールの執務室に国庫局とフランス銀行の実務責. とはいえ,すでに述べたように通貨委員会の中. 任者たちが集まり,変動幅問題への対応を協議. 間報告でもバール・プランでも,検討の遅れを. している.両日の会議記録47)によれば,問題は. 理由にこの問題は扱われなかった.. しかし1968年の年末になると,問題を放置. 「一般」と「共同体」の2つのレヴェルで検討 され,それぞれ次のような結論が導かれた.ま. しつづけることが難しくなる.国際通貨制度の. ず,一般的にいえば,変動幅の拡大は不況期に. 将来にたいする不安が広がり,その改革をめぐ. おける貿易収支の調整を容易にしてくれるもの. る論議が活発化するなかで,世界レヴェルの変. の構造的な危機を解決するものではない.当該. 動幅の拡大を容認する議論が急速に勢いを増し. 国が構造的危機に陥っている場合には,むしろ. たからである45).ブレトンウッズ体制のもとで. 投機を誘発して危機をいっそう深刻化させる恐. は,各国通貨のドル(すなわち,いわゆる「対. れがある.そうした可能性は,対ドル変動幅が. ドル中心相場」)からの乖離は上下1パーセン. トまで一ただし,共同体加盟諸国のような先. 2パーセント以上になった場合に大きくなる. またそれは,当該国の国際貿易への開放度(す. 進国の場合には上下0.75パーセントまで み. なわち,GDPにたいする輸入額の比率)が高. とめられていた.このことは,共同体の域内諸. いほど大きくなる.次に,共同体のレヴェルで. 初に態度を固めることになる.. 国間では為替相場が最大で3パーセントまで開. くことを意味する.かりにIMFの規約が改正 されてドルからの各国通貨の乖離幅が従来以上 46)ん1θ〃諺.. 47)以下,とくに断りのないかぎり,国庫局と フランス銀行の間の協議に関する引用はすべてこ の会議記録(ABF,1489200205/280. note: 45) ABF, 1397199801/41. Note sur. Elargissement des marges de fluctuation des taux de. l’61argissement des marges de fluctuation des parit6s. change. R6union dans le bureau de M. Larre le 20. mon6taires, par Georges Plescof島11 d6cembre l 968.. janvier 1969,22 janvier l 969.)から行なう..
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