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代理権の機能の法的評価 一一新総合共同行為説の特徴一

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(1)

論 17一一「奈良法学会雑誌』第1巻3号(1988年12月〉 説

V

代理権の機能の法的評価

││新総合共同行為説の特徴││

目 次 一 は し が き 二 代 理 権 授 与 に 関 す る 解 釈 の 現 状 三 プ l フエンドルフの見解 四 ラ l パントの見解 五 代 理 権 の 解 釈 を め ぐ る そ の 後 の 概 要 六 ミ ュ 1 ラ 1 ・フライエンフェルスの見解

ω

代理権の本質の基礎づけ

ω

ω

権 能 と し て の 代 理 権 川 判 例 代 理 人 の 利 益 の た め の 代 理 権 帥 例 代 理 人 の 地 位 制 納 代 理 権 の 機 能 の 正 当 な 評 価 制 、工邑 ;ta主 代理権は本来違反され得ない 不動産売買と代理権 権利の譲渡と代理権 一般代理権と特定代理権 二次的処分権能としての代理権

(2)

第1巻3号一一18 七 む ︹ 一 ︺︹一一一︺ ︹ 五 ] 法 的 に 評 価 さ れ る 代 理 権 の 機 能 と 処 分 権 性 権 利 の 譲 渡 と 代 理 権 そ の 他 す び 権 能 と し て の 代 理 権 の 無 因 性 ・ 不 可 制 限 性 一 般 代 理 権 と 管 理 権 説 他 の 学 説 に よ る そ の 他 の 批 判 点 ︹ 一 一 ︺︹四︺ ︹ 六 ︺

I

i き

わが国では 一般に﹁代理権﹂というものについて余り細かく詮索していない。わが民法の条文においても﹁代理人カ其権限内ニ 於テ:::﹂(民九九条一項)とか、﹁権限ノ定ナキ代理人ハ左ノ行為ノミヲ為ス権限ヲ有ス・:﹂(民一

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三 条 ) と か 、 ﹁復代理人ハ其権限内ノ行為-一付キ本人ヲ代表ス﹂(民一

O

七条一項)とか、或は﹁代理人カ其権限外ノ行為ヲ為シタ ル場合ニ於テ第三者カ其権限アリト信スヘキ正当ノ理由ヲ有セシトキハ前条ノ規定ヲ準用ス﹂(民二

O

条)と表現さ れているように、代理人の有する権限を代理権とし、代理権と言えば権限であると考えられている程度である。 実務家の実用法学の観点からすれば、代理と言えば表見代理をめぐる諸問題やそれとの関連での代理権の濫用論等 に関心がある程度であり、代理の法構造論や代理権の機能論には殆んど関心がないのが実情である。アカデミックな 一九世紀から二

O

世紀にかけての概念法学の華やかなりし頃の先験的(アプリオリl)な 代理という制度が民法・商法等に存在する限り、代理権というものは当然存在するものと考えるのか、 解釈法学の傾向としても、 論理構成は、第二次大戦後、現実に﹁生ける法﹂としての規範を考える法社会学や英米法の目的論的立場からの影響 もあり、次第に好まれなくなってきたことは否定できない。代理の法理論にしても、従来支配的であった、又、今尚 か げ その傾向があるものの、代表説又は代理人行為説はそのドグマに陰りが出ていることも事実である。しかし、それで

(3)

いて、ここ三

O

年来、提案されてきた西ドイツの新総合共同行為説がわが国に未だ十分定着しないのはどういう理由 からであろうか。其処には、明治以来のわが民法の宿命的な自己矛盾的体質が根強く残っており、未来への判例・学 説の発展を阻んでいるのではなかろうか。すなわち、 わが民法は周知のようにフランス民法の影響を受けた旧民法を 基盤とし、更に其の後ドイツ民法の影響を強く受け折衷的に構成された規範であり、必要最少限度の概念構成を整理 しようとしてもドイツ法学説のように理論的に割り切れないもどかしさがある。そのことが、従来の代理人行為説・ 代表説においても於保学説以外には十分論理が展開せず、新総合共同行為説になれば一層、代理の法構造論及び代理 権の機能論等において、相互に関連する有機的な解明は行われてこなかったように思われる。代理権授与行為をフラ ンス民法に近い委任類似の代理権授与契約と解し、それにドイツ法学説の代理人行為説乃至は代表説を接合させよう としても、代理権授与行為を契約説で構成するラ l バントやゼ l ラ l 或はジ l ベルト等の若干の理論がわが民法の解 釈に親近感を与える程度で、代理権授与行為を単独行為とする(独民一六七条、一七一条、二七条)立場での大部分のド イツの代理人行為説は違和感を与えるものがあるのか従来の日本では殆んど解明されないままに終っていた。 い わ ん ゃ、戦後の西ドイツの新総合共同行為説が、代理権授与行為と共に本人と代理人が共に効果意思を持ち代理行為に共 19一一代理権の機能の法的評価 同するとする総合的な代理の法構造論の中で、代理権授与行為を単独行為とし、代理権の機能を本人・代理人間の基 礎的(委任・一一雇傭等の)契約関係に基づく義務関係、及び代理権授与の内部的(許容)関係に拘束されない三次的で はあるが独自の不可拘束的・不可制限的権能または権限であり処分権であると構成しても、 日本民法の体質や従来殆 んど解明されてこなかった漠然としたわが国の代理人行為説又は代表説のフィルターを通して見る限り、違和感があ り理解しにくいのではないかと思われる。 H 代理法理論の研究 μ ( 昭 和 五 九 年 五 月 、 初 版 一 刷 、 六

O

年 六 月 初 版 二 刷 、 有 斐 閣 ﹀ で は 、 拙著 西ドイツの解釈論、 特

(4)

第1巻 3号一一20 に ミ ュ 1 ラ l ・フライエンフェルス教授の新総合共同行為説(又は総合要件説或は統一要件説とも称される)に至る状 況 と ミ ュ 1 ラ I ・フライエンフェルス教授の学説の基本的見解は一応理解した積りで、従ってその中間的結論として、 右のような代理権の機能の法的評価を理解した積りである。そしてそれを前提として、新総合共同行為説の現象学的 法構造前

γ

解明し、その論理的根拠づけのもとに、ドイツ民法第一草案以来の立法者の意思を生かす解釈法学への有 日 ・ 独 と も に 共 通 す る 代 理 行 為 の 璃 庇 ⋮ 町 ( 独 民 一 六 六 条 一 項 、 二 項 、 日 民 一

O

一 条 一 項 、 二 項 ﹀ に お い 意 義 な 適 用 と し て 、 て、従来の概念法学の産物である代表説(代理人行為説)のドグマの弊害が打破されるべきことを、従ってその意味 で は ミ ュ l ラ l ・フライエンフェルス教授の学説の結論は承認されるべきことを不十分ながら一応まとめた積りであ る。現在ではコ l イ ン グ 、 シュペレンベルクをはじめ、。ハウロスキ l 、テイレ等の諸学説によって部分的 フ ル l メ 、 な批判論はあっても、代理行為の暇庇論の結論についてはほぼ全面的に承認されている。 しかし、右の論述の前提であり中間的結論とも言える代理権の第二次的な権能または権限としての不可制限性、処 分権的ピついては、その中間的結論に至る論旨がわが国では十分に理解されていない現状にある。ミュ I ラ l ・ フ ラ イエンフェルス教授の新総合共同行為説におけるその論旨の展開は、ドイツ民法第一草案の立法趣旨を忠実に生かし た観点からの独特の批判論であり、後述のように多くの学説を取り上げ比較検討の対象にするため、問題の提起にと どまっている点も多いが、その観点から見る限り代表説(代理人行為説)に至る従来の学説については、従来の状況 を知る手がかりにはなるが、解釈論としては新しい立場から見て有用な生産性や実益性に乏しく、魅力がないようで あ る 。 そ れ 故 、 一般に紹介するまでもないように思っていたが、 しかし、色々な条件の制約下に圧縮した拙著をまと めてみて、若干は補足した方が今後の研究の展開の上でよいと考え、独立のテ l マ l は他にも考えられるが、取り敢 えず不十分ながらこの小論を執筆する次第である。諸賢の御批判を頂ければ幸甚である。

(5)

ハ 1 ) ( 2 ) ( 3 ) 遠 回 ・ 代 理 法 理 論 の 研 究 ( 昭 和 六

O

年 ﹀ 八 一 一 良 入 コ 一 一 良 ( 以 下 知 著 と 略 記 ) 拙 著 、 二 二 九 頁 │ 一 五 一 一 具 、 一 五 七 頁 、 一 五 八 頁 。 拙 著 、 三 頁 、 四 頁 、 五 頁 、 一 八 頁 、 三 二 頁 、 三 三 頁 、 一 二 四 頁 、 一 九 七 頁 。 一 九 三 一 具 、 代 理 権 授 与 に 関 す る 解 釈 の 現 状 山代理の基本的構成要素の一つである代理権の機能をわが民法において考える契機として、代理権の発生原因を考え ハ 4 ) れば、梅謙次郎教授の委任契約説に始まり、そのあとを受け委任類似の無名契約説が有力に主張されて来た(この説は 周 知 の よ う に 民 法 典 の 債 権 編 第 二 章 契 約 、 第 二 一 節 贈 与 以 下 第 一 四 節 和 解 ま で の 一 三 種 の 典 型 的 な 契 約 類 型 に あ て は ま ら な い た め 、 そ の い づ れ か の 契 約 類 型 の 名 前 の 付 け よ う が な い と い う 意 味 で 無 名 契 約 と 言 わ れ て い る だ け で あ り 、 委 任 類 似 の 代 理 権 授 与 契 約 の ことである)。さらにわが民法においては、委任と代理を一体的に理解する方が素直であるとする有力説の影響も強く、 ( 7 ) このような傾向から委任と代理の融合契約説を主張する学説も現われた。わが国の学説の右のような状況から見る限 り、代理権の機能を分析する学問的土壌は殆んど育ってこなかったと言える。 四他方西ドイツにおいては、緩慢な中にも新しい学説の推移発展が見られる。それは BGB 一七一条一項(第三者に対 21一一代理権の機能の法的評価 す る 特 別 の 通 知 又 は 公 告 に よ り て 或 人 に 代 理 権 を 与 え た 旨 を 表 示 し た と き は 、 こ の 者 は 第 一 の 場 合 に 於 て は 其 第 三 者 に 対 し 、 又 第 二 の 場 合 に お い て は す べ て の 第 三 者 に 対 し 代 理 権 を 行 う こ と を 得 ) 及 、 ひ BGB 一七二条一項(授権者が代理人に委任状を交付し 代理人が之を第三者に呈示したときは授権者が為した代理権授与の特別の通知と同一に着倣す)の解釈に関してである。ドイツ 民法では代理権授与行為を単独行為とし、 とから、右 BGB 一七一条一項の﹁代理権授与の通知又は公告﹂ 任状の呈示﹂の場合、意思表示を準用し、代理権授与行為があるものと解釈上構成する若干の学説があった。それを BGB 一六七条では代理人又は相手方に対する代理権授与を認めているこ 及 び BGB 一七二条一項の﹁第三者への委 の 場 合 、

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第1巻3号一一22 支持する現在の学説は比較的少数であるが、古くはへルダ l 、レオンハルト、 ( 8 ﹀ メ、パウロスキ l 、ドリス、メデイキユウス等である。日本でも右フル 1 メの説を無条件に支持する若干の学説があ ( 9 ) っ た ( 高 橋 三 知 雄 説 ・ 木 村 常 信 説 ) 。 ミ ュ I ラ l ・フライエンフェルス説も、 BGB 一六七条によるほか、 BGB 一七一条 レ 1 7 ン、ランゲ等、最近ではフル l の公告によっても代理権授与行為が可能であることを認めているが、右の諸説と違う処は、新総合共同行為説の立場 であり代理権授与行為と代理行為との関係の共同を求めていることである。しかし多数説は、右二ケ条を外部的又は 内部的代理権授与規定と解釈すれば、本人は錯誤 ( B G B 二九条﹀を理由として取消すことができるため、また暇庇 ある真意のため心裡留保 ( B G B 一一入条﹀として無効とすることができるため、本人からの取消や無効の主張を排除 ー し 項 ( 相 日 手 民 方 一 保

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護 九 を 条 優 に 先 近 さ い せ ) る 』土 Tこ 代 め 理 に 権 、

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み G る B と 一 代 七 理 二 権 条 の機能については余りこだわらず、後述のプ l フエンドルフの言うように権能(又は権限)でよいのかもしれないが、 前述のようにミュ l ラ l ・フライエンフェルスの学説は、 BGB 一七一条について公告による代理権授与を認める立 場 で !lBGB 一七一条(日民一

O

九条に近い)をフル l メと同様、代理権の表示による表見代理の問題として認め ないミュ l ラ l ・フライエンフェルスの見解は現在の多数説の解釈から見て又、比較法的にも多数説と類似の傾向が ある点から見ても疑問であるがミユlラl・フライエンフエルスは││この場合も代理権授与行為と代理行為との共 同による効果論、すなわち、新総合共同行為説を意図している。その学説を検討する意味でも、又より発展的に当事 者聞の信義衡平及び代理取引の相手方保護の法理を検討する上でも、代理権の権能について一応理解しておく方がよ いと考えられる。 その前に現在のドイツの学説に影響を与えている代理権に関する若干の見解にふれておきたい。

(7)

l

フエンドルフの見解

代理権が権能又は権限であることを最も早くから言い出したのは、グロチュウスのあとを受けた一七世紀のプlフ エンドルフである。プ i フエンドルフの代理論を紹介すれば次の通りである。すなわち、 ﹁人が債務を負担する場合、 直接相手方に対し口頭で承諾すべきことを知っておりそのように行っている。しかし、それだけでなく、彼のために 処理する権能(又は権限)を与えた(吉宮司

25

他人に対し、相手方に対して承諾するのと同様に承諾をすることが できる。このような場合の代理人官官三)による行為は有効な訴訟事由。ロえ

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の一種とみなされる。 すなわち、この場合代理人は本人の権限に基づいてすべてを行うことができるだけであり、代理人自身何ら財産上の 権利を獲得しない。同様に又、代理人自身に債務も発生しない。これらはすべてその処理を頼んだ本人に帰属する。 しかし、代理人は彼を雇った本人のために権利のみを取得することもできる。確かに代理人には正直さと誠実さを以 て本人の関心事を処理する債務がある。:::しかし(代理人が)相手方第三者と約束する前に、 何らかの効果や目的について取り決めをすることができる。すなわち、当事者本人は代理人を本人の意思の通訳者 (本人は)代理人と 23一一代理権の機能の法的評価 (山口件巾円宮おるに選びそのように任命すること、及び代理人が行ったことを本人自身が行ったこととみなしうるという ことを、代理人に保証することができる﹂と。 つづいて一般的な委任の範囲で、或は対象と処理方法を明示に制限し た形式により、当事者の名における捺印証書契約の代理を委任した場合について述べ、特に一般的委任代理人が委任 された事務処理を正直に又善意で信頼して行う場合、本人は義務づけられるとする。同様のことは、白紙の下の方に 当事者本人の名前だけを書いて代理人に渡し補充させると、 に変わってしまう場合も本人は義務づけられることになる、としている。このことはプIフエンドルフの頃から一般 い つ の 間 に か そ れ が 債 務 証 書 ( 古 田 仲

258

件 。 内 申 立 釘 注 目 。 ロ ﹀

(8)

第1巻3号一一

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代理と特定代理の区別があり、 かっ一般代理の場合でも、本人が白紙に署名し代理人に交付したものを、代理人が債 務負担証書にしてしまった場合、代理人の処分行為について本人が義務づけられることを述べている。この点はグロ チュウスでも若干述べられているが後述のミュ I ラ l ・フライエンフェルスの学説をはじめ、西ドイツの代理権の不 可制限説に今もなお生きつづけている点であり、その他前述のように代理権を権能又は権限とする考え方や、後述の 表示代理責任の思考は、現在の西ドイツの代理理論の基礎に影響を与えていることを認めざるを得ない。しかし、代 理権の不可制限性に関して無制限ではなく、適当な範囲に制限している。すなわち﹁委任された事柄の性質上好まし くなく、或は当事者(本人)が承諾したとは推定することもできないような場合、何らかの事柄がそれ(白紙委任 状)に添入てきれいても当事者(本人)を全く拘束することはない﹂と、さらに、﹁公表されている委任事項と秘密 の内部的に留保された委任事項の差﹂について述べ、前者の場合本人はその公表された委任事項の範囲内で代理人の 行為に束拘される。そして、 ﹁後者の場合、秘密の(内部的に留保された)委任事項について、代理人の管理が失当 の場合、代理人は本人に対し責任を負わなければならない。しかし、相手方第三者に対しては、本人の名において行 なわれることが認められていた範囲で、代理人の行為について本人は相手方に責任を負わなければならない﹂と。こ のようにプ l フエンドルフの自然法学説は、代理権を権能又は権限と解する考え方をはじめ、 一般代理の場合でも代 理権の不可制限性を認め代理人の処分行為を有効としている。 その他表示代理・無権代理等について基礎的な手がかりを与えている。ヴィアッカーによればグロチュウスの自然法 学説はドイツのパシデクテン法学には勿論、それを越えて現在の法律行為論の中にも有効に存続しているとするが、 錯誤論等ではサヴィニーを通じドイツ法との関係が深いように思われる。しかし、代理権授与行為を委任契約に基づ くとする思考や、所有権移転時期を合意の時とする意思主義の思考は、むしろフランス民法を通じ日本民法(日民一

O

(9)

四 条 、 一 一 一 条 二 項 、 一七六条﹀に影響を与えている。しかし、グロチュウスと共にむしろそれよりも﹁民法総則の父﹂ と言われるプ I フエンドルフの方が、ドイツ民法の総則の原型を形成する上で大きな影響を与えており、特に代理制 度に関しては、右にみたように、権能(又は権限)としての代理権・代理権の不可制限性・表示代理責任等において 代理権に関する現在のドイツの学説に影響を与え、深い痕跡を残している。いわば、代理の基本的な部分の法的思考 に関する限り、民法草案段階で付加された技術的倫理的或は取引上の保護利益の問題は別として日本民法はグロ l チ ュウスの委任契約説の立場を承継しており、 ドイツ民法はプ I フエンドルフの立場(権能︽又は権限︾としての代理 権の不可制限性、表示責任性)を承継していると言える。 由 ラ

i

パントの見解

25一一代理権の機能の法的評価 一 八 四

O

年にサヴィニーが本人行為説を主張している段階では、代理人を中間人又は本 人の法律上の機関とする程度で、代理権についてははっきりしたものが現れていない。 一八六六年にラ I パントは、代理権を代理人の権能宙開﹃

2

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巴と解しているが、権能の代りに資格(円高

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己が、さらには資格の代りに権限宙開

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ミ ュ 1 ラ 1 ・フライエンフェルスはラーメントの回

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さて代理の法理論として、 を bggnF 丘 町 三 回 開 問 。

52

︹旬。当相吋︺(権限)と読みかえているので、切開同ロ宮町はここでは資格ではなく権限の意味 ︹ 路 ﹀ に使われていると考えられる l l h がとって代るべきであるとしている。以下ラ I バントの見解を見ることとする。 ラ 1 バ ン ト の 論 文 句

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・ ) に よ れ ば ) i l i l i a -1 A ( ﹁代理権は委任とは別個の代理権授与契約にもと守ついて発生し、その諾成契約において当事者はお互いに

(10)

第l巻3号一一26 義務づけられることになるよ しかし﹁委任と代理権との分離により、代理資格

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印 宮 内 ロ 宮 山 由 ) は 独自の取引資格の可能性宮山巾冨

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与を与えられる。:::兎に角、 代理人は本人の利益になっても不利益になっても同様に相手方との法律関係により本人に生ずる権利を有効とする ( 向 。

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また、﹁代理人が代理権を臆越した場合、本人に対し損害賠 償責任はあるが、相手方に対し権限蹴越

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の責任を負担することにはならず、本人が相手方に対し 代理責任を負う﹂とする。同 ラ l パントが一示す有名な事例によれば、 ﹁ 本 人 A が商業代理人Bに白い馬を一

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ラ イヒスタ 1 レル以下で買う代理権を与えたのに代理人が相手方Cから黒い馬を二

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ライヒスタ I レルで買った場合、 その行為は本人 A と相手方 C との間で有効である:::﹂としている。この見解についてミュ l ラ I ・フライエンフェ ルスは﹁ B が代理権のある代理人であったということを、ラ I パントは B が 田 町 宮 宮 町 円 虫 色 守 目 立 円 丘 町 円 ( 資 格 又 は 権 限 のある代理人)として行為したということで基礎づけた、このような方法でラ l パントは代理人の∞包括三回(資格又 は権限)に基づく行為の有効性を取り出し、代理権の性質について﹁資格﹂とする所を用語法に反しそれを﹁権限﹂ ( 色 白 血 同 町 内 町 昨 日 目 n F 問 問 。 ロ ロ 叩 ロ ) ( ラ l パ ン ト は ∞ え ロ 同 一 ロ 目 的 を 使 っ て い る が : : : 筆 者 ・ 注 ) に の み 転 用 し て い る 。 そ し て 、 一方では追加的に(庄司吉田尚門庄司自)このように基礎 9 つけたが、他方では第三者Cの誠実さ又は不誠実さの問題を全 く放棄してしまった﹂と批判している。 ︹ な お 、 、ュlラl・フライエンフェルスの右の文章の註側 ( 己 目 巾 JN 巾 同

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仏 切 え ロ 官 目 的 ) を 繰 返 し 混 同 し て い る 、 と の こ と で あ る 。 ︺ ところで、ミュ l ラ 1 ・フライエンフェルスは﹁右のように代理権をラ l パントによって変えられた﹃純粋な﹃機 ( 沼 ﹀ 能 ( 又 は 能 力 ) ﹄ ( 仏 国 印 J 巾 一 号 問 。 ロ ロ

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の視野に限定することは自然科学的思考方法に一致する﹂とする(ここでは

(11)

﹁自然科学的思考方法に一致する﹂とするため、己

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山 口 四 問 。

52

を純粋な機能又は能力と訳したが、問。

53

は 普通﹁可能﹂とか﹁権能﹂という意味であり、後述の法的評価の処では、ミュ 1 ラ I ・フライエンフェルスは﹁権 この見解に対しフル l メ は ミ ュ l ラ l ・フライエンフェルスのこの見解に 限﹂の意味にも用いているようである)。 ( 哨 品 ) は従えないとしている。︽フル i メは後述のように問。

52

を﹁権能﹂の意味にしか理解していないようである V 。 フルlメは、ラ I パントが代理権を代理人の義務から解放したことは、ミュlラ 1 ・フライエンフェルスと (川此﹀ 共に認めており﹁この代理権の遊離

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也化は、代理権の普辺的統一的法形象の形成を可能にしただけでなく ( お ) 代理権の濫用問題を解明するのに非常に意義がある﹂としている。 し か し 、 五

代理権の解釈をめぐるその後の概要

27一一代理権の機能の法的評価 一九世紀後半以降の代理人行為説の時代になると、代理権の本質は許容色皆同

g )

で あ る ( お ) ることの許容︺とする説つアルンブルヒ、代理を有効にする力の許容説はフプカ)、権力説︹法律上の力官庁足早

2

・ ( 幻 ) 門町巾沼恒円宮)とする説︺(ヴィントシャイト、プリンッ、レ 1 ゲルスペルガ I 、フプカ)さらには能力

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であるとする説(ピュ l ロ l 、チンメルマン、ブライト、アミラ、ヘルダ l 、シュロスマン、テェ l ル 、 ラ I レ ン ツ ( お ) 等)が現われた。わが国では中島説がこの説をとり、又、富井説は権能としていた。さらに代理権授与について有効 ( 却 ﹀ ( 引 品 ) 要 件 説 ( 君 主 向 田 向

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1

( ︹本人の事務に干渉す 主張されるようになった。 共同行為説では、ミツタイスは代理権は本人に効果を及ぼす力であり法律によって基礎づけられるとし、前述の代 理人行為説の中の権力説と変わらない。 ν l ネルはミツタイスに同調していたが代理権授与は一方的法的行為である

(12)

第1巻3号一一28: としていた。しかし代理権授与行為は第三者が受領しなければならないとした点に矛盾があるとされ否定されること と な っ た 。 代表説は一九世紀末から二

O

世紀にかけて法律行為の構成要件とその前提及び法律効果の原因とを区別する概念の 確立、並びに意思表示と法律行為の区別と並行して、法定代理と任意代理との構成要件の共通部分(代表行為・代理 行為)を法定代理の観点の下に統一することによって生じた。そして代理権の授与については法律効果発生の﹁有効 ( お ﹀ ( 川 崎 ) 条件﹂(フプカ)と考えたり、﹁効果要件﹂ハエルツバッハ)と考えた。さらに代理権授与行為を手形の発行と同様 の創造説の立場から抽象化・独立化すると共に、単独行為(ブライト)とし、それを受けて代理権授与行為・追認・ 申込等は法定の﹁前効果﹂すなわち、法律行為の構成要件の﹁中間効﹂ ( ジ I ベル)と考えるようになった。この点 は ミ ュ 1 ラ l ・フライエンフエルスの見解では必しも明らかでないが、 ( も っ と も ミ ュ 1 ラ 1 ・フライエンフェルス は後述のように

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からヒントを得たのかもしれないが)右のジ l ベルの中間効の見解は、前述のエルツバ γ ハの見解にブライ トの見解を折衷した感がある。そして代理権授与行為を中間効とするジ 1 ベルの見解は、ミュIラ l ・フライエンフ エルスの新総合共同行為説の中に生かされている感がある(拙著七七頁、七九頁﹀。右のような学説の分析的な展開の中 エルトマンは法定条件の問題を詳 で、民法総則の諸概念(成立要件・有効要件・条件・期間・期限等)が整理され、 ( 幻 ﹀ 細に検討し、代理権授与行為は有効要件であることを確立し代理権をそのための法律上の力とした。その他現在の学 ( お ) 説ではティレも代理権授与行為を﹁有効要件﹂としている。このように、代表説では、代理行為の効果を本人に帰属 させるための﹁代理権﹂を、法律上の力とか能力とか権能とし、さらに﹁代理権授与行為﹂を﹁有効条件﹂、﹁有効要 件﹂、﹁前効果﹂、﹁中間効﹂の諸説に発展的に分化させ最終的には﹁有効要件﹂にほ

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確 定 さ せ て い る 。

(13)

新総合共同行為説のミュ 1 ラ l ・フライエンフエルスの見解になると、後述のように、代理効果帰属の問題につい ては代理人の本人への効果意思と並んで本人の私的自治の効果意思を重視するため、代理権についてはその授与によ る﹁中間効﹂の発生は認めても、代理効果は代理人の効果意思のみによるものとして代理権の授与を﹁有効要件﹂と は考えていない。むしろ、代理人は本人に次ぐ二次的立場にあるものの本人との基礎的契約関係、内部関係に拘束さ れないものとして代理権の独自性・不可拘束性・不可制限性を強調している感があり、代理効果の本人への帰属は私 的自治の責任主体である本人の効果意思と代理人の効果意思との共同であるとしている。 (2) 代理権に関するわが国の学説は少いが、若干注目すべきものを見れば次の通りである。 大西耕三説(代理の研究)は、シュロスマンの言うように代理権は﹁空虚なる幻影﹂.であるとの見解を支持し (間三五頁)としている。そして、法律が代理行為の変態的効力転帰を認 ① (同二五頁)代理権は客観的実在を有しない める真の理由は任意代理に在っては、本人の之を欲する意思表示、法定代理に在つては本人・代理人聞の法律関係そ のものであるとする(向三六頁)。さらに、授権行為と無権代理の追認とを同一視し、授権行為を本人の代理行為を容 29-一ー代理権の機能の法的評価 認する行為と解している(同四

O

頁)。この代理認容行為の存在は代理行為の効力発生に対し一の状態を構成するもの とし﹁代理適状﹂と称している(向四一頁)。それは代理権の如く、一個の独立した存在を有する観念ではない。代理 容認行為、表見的事実、又は(法定代理の場合に於て)法律関係の存在そのものを以て代理行為の効力発生の要件と し、これらの要件の存在を包括的に代理適状と呼んでいる(同四二頁)。 ②川島武宜説も右大西説を支持され、﹁代理権はその実質的原因

25

曲たる当事者の債権債務関係とは性質を異 にするところの代理適状であり、これらの契約から生ずる債権債務の発生という効果から区別され、また、これらの 契約から債権債務は必ず発生するのと異り、代理適状は必ずしもこれらの契約から発生するとはかぎらない。したが

(14)

第1巻 3号一一.3U' って、代理権を、これらの契約の効果、和ら分離して構成(記号操作)するほうが、より能率的である﹂と、また代理 適状の実質的基礎に於保学説をとり入れ﹁代理権ということばを:::実体化する誤りにおちいらぬかぎり、論理的思 考の便宜のために承認される余地があり、代理権ということばはそのような効用を持ったことを否定できない:::﹂ と さ れ る 。 ③ 中島玉吉説が能力説、富井政章説が権能説であったことは前述の通りである。 ④ 柚木馨説は、代理権はむしろ可能権の性格を有する一種の権利であると解するを穏当とするとされる。 於保不二雄説は、代理権の法律的性質についての資格説や代理適状説を批判し、 ⑤ ﹁効果転帰という変則的法律 現象を可能ならしめる或ものを、代理人の主観に求めて代理人の資格と考えるのと、表見代理の場合を含めて、客観 的な法律状態と解するのと(代理適状説)の違はあるが、いずれも聞を以て聞に答えたものであって、法律上の地位 の本体を明かにしていない。法律もすでに代理権又は権限といっているのであるから、代理権についても権利として その本質を明らかにしなければならない。:::代理制度によって法律行為をする者と法律効果をうける者とが分離し、 これに誘発されて所有権の帰属と行使との間にも明確に分化を生じてきた。:::従来は行為能力についても代理権に ついても、あまりに人間中心的に人と人との関係において本体を捉えようとしすぎていた。現実の資本主義経済社会 においては、財産関係は人と財産とを二焦点として回転している。この回転の原動力はどこにあるのか。財産の帰属 と管理、法律行為と法律効果の帰属とが普辺的に分化したとすれば、財産関係回転の原動力は財産の管理権と法律行 為とにあると解さねばならない。ここに、人と財産との聞の直接的関係、即ち、財産管理権に ζ れを求めねばならな い 0 ・::・代理権も代理人が本人の財産に対して有する財産管理権を代理現象、即ち効果転帰の面から眺めたものにほ かならないことになる。代理権の本体は、:::代理人と本人の財産との関係から、財産活動の原動力として捉えださ

(15)

ねばなら↓ない。代理権をこのように理解すれば、消極代理又は受動代理の場合に代理人が積極的な行為をしないとし ても、財産管理権者に対して第三者がなした行為の効力が権限内において当然に発生する場合と同じく、代理権が管 理権として、権利として観念されることについて妨げとなることはない。このような意味で、独乙の学界では普通代 理権は権利として理解されている。だい A : : : 授権と:::代理権との聞の区別にいぜんとしてこだわっている。﹂ (日目﹀ れ る 。 と さ ⑥ 広渡清吾説は、代理権概念については、 フプカ・ブフカ及びシュロスマンの見解、大西耕三説等を紹介し、﹁財 産管理権としての代理権﹂において於保学説を紹介する。代理権と授権については、 ﹁本人の名において行為をなす 権限﹂としての代理権と﹁自己の名において行為をなす権限﹂としての授権は、本人への効果転帰の本質的要件とし (HH ﹀ ての財産管理権として統一的に把握されうる、と。 代理権については、管理者の有する財産管理権が﹁本人の名における行為﹂の方式で行使される場合の管理権に賦 与される名称であると解している。なお、広渡説によれば、財産関係としての私法秩序は、帰属の秩序と管理の秩序 31一一代理権の機能の法的評価 (ないしは変動に関する秩序﹀の構造をもつものとして構成され、前者は静的側面、後者は動的側面である。前者に おける権限(タイトル)がいわゆる所有者に代表される実体的権利であり、後者における権原(タイトル﹀が、財産 管理権である。この二つのタイトルは原則として同一人格に帰属しており(私的自治原則)、 したがって﹁常態﹂を 問題とするかぎりでは二重的構造は意識されない。帰属と管理の主体的分裂の一般的法現象こそが、秩序構造の二重 性を自覚させたわけである。この二重性が、権利能力と行為能力の概念に相関している、権利能力とは、実体的権利 のタイトルを保有しうる法律上の資格である。

ll

わが民法上、行為能力とは、財産管理権というタイトルの保有を 意味内容とすることになるとされる。

(16)

第1巻3号一一32 ⑦四宮和夫説は、代理権は、管理権の一種であって、代理人の法律行為の効果が本人に帰属するための要件(効 (日明 V 果帰属要件)である、とされる。 ( 4 ) ( 5 ﹀ 梅 謙 次 郎 ・ 民 法 要 義 一 巻 二 二 七 頁 。 嘩道文芸・日本民法要論一巻ハ一九二

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)

四六三頁、穂積重遠・改訂民法総論(一九三

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﹀三五六頁、三瀦信三・民法総 則提要ハ一九三一)三五九頁、我妻栄・新訂民法総則(一九六五)三三四頁、なお、委任類似の事務処理契約に基づくと する説がある(四宮和夫・民法総則合九二七)二四三頁﹀。 於保不二雄・注釈民法

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頁 。 森島昭夫﹁委任と代理﹂契約法大系 N 一 一 一 一 一 一 頁 、 幾 代 通 ・ 民 法 総 則 ( 一 九 六 九 ) 三 二 七 頁 。 同 ︾ ・ 。 巾

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∞ -高橋三知雄・代理理論の研究(一九八一)二四七真、二五

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頁、二七一頁、二九五頁、高橋説によれば日本民法一

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九 条 は表見代理の規定ではなく外部的授権の規定ということになるハ同右一九七頁、ニ

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五 頁 ) そ の こ と は 拙 著 ・ 一 六 人 頁 註

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頁註剛一六八頁、註

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でも指摘している。古くからの外部的授権説として木村常信﹁表見 代理の法的構成﹂加藤 H 米倉編﹁民法の争点﹂ハジュリスト増刊)五二頁、五三頁、木村・民法異説の研究︿一九七二﹀ 二

O

頁、木村﹁表見代理と契約締結における過失﹂(黙示の授権)京都産大法学一六巻二号六頁、平野義太郎・日本資本 主 義 社 会 と 法 律 ( 一 九 五 五 ﹀ 一 六 五 頁 。 拙 著 ・ 八 四 頁 、 八 五 頁 。 呂 田 口

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では通説的多数説に従い右のゆきすぎはみられない。 ( 6 ) ( 7 ) ( 8 ) ( 9 ﹀ ︿ 叩 )

(17)

W. v. Seeler , Vollmacht und Scheinvollmacht. Arch. Burg. R. 28 Bd , (1906) S. 79 , S. 87. H. Meyer , Das Publizitatsprinzip in BGB (1909). S.91 , S.95 , S.97 , H. Mayer , Vom Rechtsschein des Todes , Festgabe , f. S. Brio (1 912) , S. 76. P. Oertmann. Allg. Teil (1 927) , S. 635. Enneccerus-Nipperdey , Allg. Tei l. II. Halb. Bd. (1 955) S.796. H. Coing , Staudinger's Komm. (1 956). SS. 1022 , 1023 , C. W. Canaris , Die Vertuauenshaftung in deutschen Privatrecht. (1 971) SS. 32 , 33. P. ]. Gotthardt , Der Vertra 田 nsschutz bei der Anscheinsvollmacht im deutschen und im franzosischen Recht (1970) , S. 35 , S. 37 , S. 39 , S. 5 1. G. Frotz , Verkehrschutz im Vertre-tungsrecht. (1972) SS. 306 , 307 , S. 308. A. V. Grausharr , Die Bedeutung der Rechtsgeschaftslehre fur Problematik der Scheinvollmacht. AcP. 174 Bd. S. 14 , S. 16 , K. Larenz , Allg. Teil (1975) , S. 569 , U. Spellenberg , Geschaftsstatut und Vollmacht im in-ternationalen Privatrecht. (1979) S. 138. 諜判事, <同 )m(' 制霊'兵 O~ 頃t.世重, 11 gr 阿,.1hti~ Samu 陀凶 eli ぬ s PU 妊 en 凶 dorf. 圃 .Ba 剖 s 討 sil口 1 Kennett し, Of the Law of Nature and Nations (jure nature et gen 凶 tiu 町仏 P. 242. S. PU 仔 endorf.C. H.

&

W. A. Oldfather , De jure noture et gentium lifri octo (The Translation of the Edition of 1688) (The Classics of International Law , edited by ]. B. Scott) vol II (Reprinted 1964) p. 450 ,草 ~1 'I\(n' ¥司 1 1 町同 11 1m(。 F. Wieachker , Privatrechtsgeschichte der Neuzeit (1 967) Neubearbeitete Auf l. S. 233. 諜判事国兵 1町 ítti~ 。

弘、,

0 白磁 I1 叫鰍 (Die Mot. S. 233) イミ心副 ν ゼ剛健~濯-R (Fahigkeit) .\l~必心必ム定 (Oertmann. S. 597)' ".l.)入""" -,..IJ乱 -';V λY 士、~級事起(þ<~鍵 E塁) (Berechtigung) ,..IJ...) ¥--'ムテ(l,..IJ...)' f1えムト入,..IJ ...)ν~~ 三岡 -<(0 主要余 lど燃は::E-r t(l-J!lc 1尽岡担金,..IJ~t(l対王様..L1 0 -R (eine Rechtsmacht) ,..IJ験...)¥--'ムテ(l (Oertmann , S. 599) 。 苦悩飽, ~くりパー lト-Ì'\ Jトャ H 入I'¥ f1え K0 民連会~盟主。 Savigny , System des heutigen romischen Rechts. (1840) , Ba II. S. 235 丘 Bd III. SS. 90 , 98. 雲榊

4

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叫。 Laband , Die Stellvertretung bei dem Abschlus von Rechtsgeschaften nach dem allgem. Deutsch. Handelsge-setzbuch. Zeitschrift fur das gesammte Handelsrecht. 10 Bd. (1866) S. 208

S. 240

S. 24 1. 零 1'I¥(n' 1 吠平岡 (口) (~) (公〉 (式〉 (~)

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田恒肱名山叫(町四恒出掛 Q灘間ど ll 間的

(18)

iI;t.l(告〉。 Laband , S. 208. Laband , S. 208. 諜榊, 1 ~-\]1m( o Laband , S. 221 , S. 222 , S. 229 , 零榊

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1 千ミト司 i叫 ítti~O Laband , S. 230 , Muller.Freienfels , Die Vertretung beim Rechtsgeschaft. (1955) , S. 76. 謀判事

1

~111 jill( o Muller.Freienfels , Die Vertretung , S.76 , Muller.Freienfels , Stellvertretungsregelungen in Einheit und Vielfalt. (1982)

S. 102. ~思榊 1~ 平岡。 Muller.Freienfels

Die Vertretung

S. 77. Flume

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(1 964) S. 787. Flume

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S. 787. -H--mll!附制・出様線料紙, (-1く同長叶)

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回。 P. Oertmann , S. 599 , Muller.Freieufels , S. 36. Muller.Freienfels

S. 41

Die Zustimmungen in der Lehre vom Rechtsgeschaft (1966) S. 260. L. Mitteis , Die Lehre von der Stellvertretung , (1885) , S. 182 , O. Lenel , Stellvertretung und Vollmacht , Iherings J. 36 Bd , (1896) , S. 15 , S. 25 , f. ふ一時え:t!::l:三割艇長 J Legitimation (韓民総) AJ-#' や('"~\-' ;二時"-6'れは AJ ,足 時 (S. 26 , S. 27) 。 Hupka , Die Vollmacht , (1960) S. 39. Muller.Freienfels , S. 213. 崇判事{くl1

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町 P. Erzbacher , Die Handlungsfahigkeit , (1903) , S. 121 , S. 122 , S. 123 , SS. 173 , 176. 認制平1( f?J1m( o (じ) (~) (含〉 (お〉 (;:j)

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(19)

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頁 、 四 一 頁 、 四 二 真 、 辻 ・ 四 五 九 頁 。 川 島 武 宜 ・ 民 法 総 則 ( 昭 和 四

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年 ) 一 一 一 一 六 頁 、 三 一 七 頁 、 辻 ・ 四 六 一 頁 。 柚 木 整 ・ 判 例 民 法 総 論 下 巻 ハ 昭 和 三 七 ﹀ 二

O

ニ 頁 。 於 保 不 二 雄 ・ 民 法 総 則 講 義 ( 昭 和 二 六 年 ) 二 二 三 頁 、 二 二 四 頁 。 広 渡 清 吾 ・ ﹁ 代 理 権 と は な に か ﹂ ( 奥 田 ・ 玉 田 ・ 米 倉 ・ 中 井 ・ 川 井 ・ 西 原 ・ 有 地 編 ・ 民 法 学 I ( 和 五 一 年 ﹀ 一 二 三 百 円 、 二 一 五 頁 、 二 一 六 頁 、 二 一 九 頁 。 広 渡 ・ 二 二

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頁 、 一 一 一 一 一 頁 。 四 官 和 夫 ・ 民 法 総 則 ハ 第 四 板 ﹀ ハ 詔 ) ( m 抑 ) ( M 叩 ) ( 引 ﹀ ︿州出﹀ (円相﹀ ( 川 相 ) ( 何 回 ) ( 必 ) ハ 昭 和 六 一 年 ) 一 一 一 一 一 一 頁 。 _._ J

権 能 又 は 権 限 と し て の 代 理 権 の 不 可 制 限 性 に つ い て の ミ ュ

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ラ l ・フライエンフエルスの見解 代理権の本質の基礎づけ

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丘 町 O 口)を考えるということは代表説が考え出したものである。これらの考えは代理 権の特別の法律行為としての基礎的事実を等閑視してきたことから生じたものであり、又法定代理から任意代理を理 ハ 2 ) 曲付けようとした努力と一致する﹂﹁:::代理人が代理権を行使するのは、特に代理権を認められている要件によって (

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(20)

第1巻3号ー-36 強要されるのではない。この場合強要されるとすれば回目ロ号

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行為の当為)によるのであり、出血互巳長官日ロ (行為の権能)によるのではない。何とならば代理権の授与は、そのようなものとして代理行為の締結を禁止するこ ともなく、指定することもない。 代理人は代理権の授与によって代理権にもとづき当然責任を負わされること(全

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になるという状態 におかれていない。代理人はむしろ代理権を無視して本人のために代理権を与えられた代理人として行為しない自由 がある。従ってその場合その行為の有効性は本人の追認にか与っている。勿論それと共に代理人と本人との聞に適法 に存在する委任関係や雇傭関係の観点からのみ、さけることのできない義務について語られるべきであるが、 そのことは全く別の問題である。﹂と。しかしミュ l 一 プ l フライエンフェルスは次のようにも考えている。 司 L し か し 、 代理権は本来違反され得ない 1 1 -﹁代理人が代理権を蹄越した場合、代理人の違反は、再び内部的な事務処理契 約(叶主

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何も生じない。同様に、第三者も又代理権に違反できない。 第三者が代理人の代理行為の実行を妨害する場合、第三者は代理人の行為の自由の侵害ためのに BGB 八 二 一 二 条 一 項 (不法行為責任)の規定によって責任を負わなければならない。﹂(この場合クロームが考えたように代理権の侵害で は な い ) 0 ︽ こ 与 で は ミ ュ l ラ 1 フライエンフエルスは前述川や後述助仰の処で述べているように基礎関係から離れた 代理権の不可拘束性・不可制限性の観点からは一見矛盾することを述べているようであるが、両者を区別する標識は ラ l バントの言う代理権の明示性又はフル l メの言う代理権の明白性、或はそれに対応する善意の相手方の信頼性に

(21)

あるのではないかと考えられる。(これは代理権濫用論における一標識とも考えられるじ。ハしかしそのあと代理権の ﹁代理人が契約を締結する場合、そのことにより本人が権 長時間の不行使等の場合についてのベ、さらに次に続く﹀ 利を有し義務を負うかどうかの問題は、基本的には代理人の決定

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の見出しは便宜上筆者が区別したものである﹀。 (3) 権能としての代理権

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筆者注﹀を形成する行為に直面しており、論理的関係において形成的実体的

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である。それ(代理権授与の行為﹀は論理的に条件付きである実体的行為に条件づけられたものである。 論理的に考察すればそれ(代理権授与の行為 V は、目的のための手段に代わる ︿ 窓 口 旬 開

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白)は必然的なものであるが、組織的 権利を存在させなければならない。倫理的に見れば、物的権利が第一次の権利であり次いで形式的な権利を正当と認 めることになり、決してその反対ではない。代理権授与の定義をこのように考えることは、法律学が実体法に指示で きる諸関係の認識に関し(解決の﹀手掛りを与えるものである。このような観点からみれば、代理権授与を権能秩序 の構成部分宙

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(22)

第1巻3号一一38 取 り 入 れ る こ と を 個 人 に 授 権 し て い る 守 口 出 陣 与 同 一

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ことを意味する。それ故それ(代理権の授与)は法的には、実 体的法規範(言え

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を設定する一つの権能を意味することになる︹冨室内円匂

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・ 註 刷 、 そ れ 故 、 そ の 権 能 を 保 持 す べ き 者 ( 代 理 人 ) へ の 要 求 に 関 す る 適 切 な 決 定 は 、 実 体 的 ︿ 自 己

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ロ ) 行 為 の 特 色 へ の 顧 慮 な し に 行 わ れ る こ と は な い 。 白 ら の 締 結 す る 権 能 ( 丘 町

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は 、 様 々 で あ り 、 売 買 契 約 の 締 結 な の か 、 遺 言 の 作 成 が 問 題 な の か に 応 じ て 代 理 権 能 が 割 り 当 て ら れ る 。 又 代 理 の 適 用 可 能 性 は 留 保 さ れ る べ き 決 定 に 関 しその人が問題なのか、又は、非人格的一般的な物が問題であるのかにかかっている︺。こういうことと関連して代理権の授 与は始めて全体を、すなわちそれは最後に到来する全規範を形成することになる。なんとなれば沼恒三

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が定義 したように、すべての訓示規定(関

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可 は 窓 口 ) は 、 ﹁それ故本来規範の部分的要素は部分そのものである。せい ぜ い 部 分 規 範 、 す な わ ち 、 部 分 的 法 規 範 ( 、 吋 冊 目 可

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とみなすことができるにすぎない﹄ということを合ん ( 7 ) で い る 。 ﹂ と

﹁代理権の授与がある場合、代理人は本人が自己のために自ら権利能力及び行為能力のある人間として出来るのと 同じ効果を以て、本人のために行う権能がある

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ということである。それ故、代理人が代理行為を行 うことを妨げた者は責任を負わなければならない。それはクロームが考えたように代理権という権利の侵害のためで ( 8 ) はなく、代理人の行為の自由を侵害したからである。﹂﹁代理権に基づく代理人の組織的﹃権限﹄に宮巾

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己が対応する。し かしそのことはこの際又代理権(︿

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の特色を示そうとするものではなく、その権能

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釘 同 日 目 。 の特徴を示している。 ﹃ 権 能 あ る 者 の 権 限 ﹄

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叫 唱 え J と責に帰すべき主体者(本人﹀の責 怪宮町冊。

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島 市 喜 幸 宏 明

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羽田口旦岳宮田﹀はその法秩序技術の必然的構成部分である。それ故、本人の責任

(23)

は代理人の権限の結果(巴ロ

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乙であるのか、又は反対に代理人の権限宮山市富田円吉﹀ は本人の責任の結果であるのかを問題にすることは全く無意味 ( g c E 巴であり決定的ではない ( ロ ロ 巾 ロ 仲 田 口 町 市 町 内 凶 σ 山 門 一 ) 。 本人と代理人の両者を拘束すること

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巳とは法的には維持不可能

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を 意 味 す る 。 本人は代理人の権能(問。

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﹀の実現によってもたらされる法律効果をその権利圏から遠ざける力を持っていない。 本人は、受動的な関係実体として、それと反対の代理人の権能(問。

58

﹀によって外へ置かれている。﹂ な意味で USA の分析法学は、代理権授与後の本人のどうすることもできない(無力な﹀従属についてのべている。 ﹁ こ の よ う す な わ ち 、 ﹃本人はもはや代理人が代理行為にか L わることも邪魔をすることもできず、又、代理行為をするように しむけることもできない﹄と。しかし、代理権授与行為は本人に関し義務状態又は権利状態に実質的な変更をもたら すことはない。代理権の授与行為のように単に全法律行為の構成部分となる前効果は、 BGB 二四二条による不作為 義務のように完成するものとして(完結的に﹀締結される法律行為の前効果と全く異なる。代理権の不可撤回性の場 合も、中間状態としての代理権の効果を全事実の効果と同一のものとしないということにほかならない﹂と。 (4) 不動産売買と代理権 39一一ー代理権の機能の法的評価 ﹁ドイツ大審院の見解とは反対に、 BGB 一 二 一 一 一 一 条 ( 当 事 者 の 一 方 が 土 地 所 有 権 を 護 渡 す る 義 務 を 負 う べ き 契 約 は 裁 判 上 又 は 公 証 上 の 証 書 の 作 成 を 必 要 と す る 。 右 の 形 式 を 践 む こ と な く し て 締 結 し た る 契 約 は 所 有 権 移 転 の 意 思 表 示 及 び 土 地 登 記 簿 へ の 登 記 が 為 さ れ た と き は 其 全 部 に 付 き 有 効 と す る ) の意味において不動産譲渡のために義務づけられる売買契約により、本人 と代理人との聞に基礎づけられるのと同じ拘束的効果(目

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哲三品

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巴 は、本質的には本人と代理人との関係に おいて代理権を基礎づけない。:::撤回可能な代理人も撤回禁止又は自己契約禁止をまぬがれた代理人も(代理権授 与には形式を必要とせず BGB 一六七条二項﹀同様に木人の土地を譲渡することができる。しかし本人が自らその契

(24)

第1巻3号一一40 約締結に必要なこと(右 BGB ゴ二三条の要式手続、筆者)を完了しない場合は(その筋が通らない)不可解な ( 己

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ことになる。それ故、このような特徴からみて要式を必要としない自由な場合と要式を必要とする場 合との代理権授与の相違は成り立たない﹂:::﹁多数の連邦最高裁判決は本人が不動産売買における義務を外部的に 装う場合を述べる。すなわち、代理権授与が土地所有権譲渡を隠蔽する場合、又、その背後に代理人と本人との聞の 売買行為がかくされている場合も代理権授与は形式を必要とするという命題を繰り返し述べている。又古い大審院判 決も代理権の形式の必要性について格言として BGB 一一二三条を根拠にするだけである。しかし、これらの命題は、 代理権は代理権と代理行為からなる法律行為の構成部分であるということを考慮していない。:::代理人と締結され る基礎的行為のための代理権については一一二三条の拡張が代理権に認められれば十分である。それ故形式的規定を回 避する構成を必要とすることなく、直接 BGB 一二一一一一条(不動産移転の合意及び登記)又は九二九条(動産所有権移 転の合意及び引渡)によって規定されればよい﹂とする。

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代理人の利益のための代理権(自己の権利の譲渡と代理権) ﹁権利の同格に関する定義は代理権に適用されないとは言えない。この問題はむしろ場合・場合により、その法理 と利益状態によって決定されるべきである。申込受領者のために撤回できない申込継続中の利益の内容は既得の債務 的権利の場合と同格でありうるのと同様、代理人の利益のために与えられている代理権(不可撤回的代理権)は、十 分な権利にふさわしい利益効果に至るまで(その有する請求権を担保価値や差押対象等として::・筆者注)価値評価 することができる。自己の権利の譲渡とは、今まで自己の目的に役立っている権利の内容をその用から免除し、他人 の目的に役立てるために、同じ権利内容を他人に与えることを意味する。それ故、権利の譲渡に関する場合と同様に、 代理人の利益のために与えられる代理権の場合もそれを援用することによって、実際広汎に同様の効果を得ることが

(25)

できる。それ故、代理権の認容宏一冊目白門官

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は権利の認容に有効な原則に従って取り扱うことができるよ(続 いて未成年者が自己の利益になる撤回できない不動産購入の代理権を保持している場合について述べ、損失を被るお それがある場合は法定代理人の同意により利用できるとし、この場合 BGB 一六五条は未成年者に単独行為の可能性 を与えていない。同条は未成年者に権能を与えることを認めるだけである)とする。 (6) 権利の譲渡と代理権 ﹁ 代 理 権 の 授 与 は し か し 実 質 的 な 権 利 の 譲 渡 の よ う に 広 く 行 わ れ な い 。 ぐ ・ 、 吋 口 町 吋 が 譲 与 ( わ 町 田 曲 目 。 ロ ) 及 び 担 保 権 の 譲 渡のようにそれを権利の本質的譲渡として特徴づける場合、それを以て代理権の解決策として答えているとすれば、 問題の意味をとり違えていることになる。代理権は代理人として常に本人のために第三者との関係において有効な態 度をとらせることができるという状態に置くだけである。何とならば、代理の場合権利の譲渡のように、権利を所有 しかっ権利を行使し、権利主体であり意思主体であるということは一個の代理人においては一致すべきではない。組 織的権能授与の一種である代理権授与の意味は確固として存在する。例えば、後見裁判所が後見人による契約を承認 するのは後見人(代理人)の権能の要求を満たすにすぎない。それは被後見人が彼の将来の財産に用益権の負担を与 41一一代理権の機能の法的評価 える契約を有効に行うためにあるのではない。何とならば裁判所の同意は BGB 一 一 一 一

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条(当事者の一方が将来の財 産の全部又は一部を譲渡し又は之に用益権を設定する義務を負うべき契約は無効とす﹀の無効理由を除去することを まさしく目的としていない。その承認は生産能力のある他人の利益のために与えられるのではなく、この場合、単に 代理人(後見人)を権能がある

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釘)とすることに役立っためだけである。代理権授与の効果として、本人の 義 務 ( の

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含ロFZCと代理人の権能

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とは代理行為に一種の条件的作用を苧えるものであ(予 本人から見れば、代理人の行為は代理効果発生のための条件の成就

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三井口円吉ロ巴として現われる。勿論その

参照

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