<公開講座講演録 開設記念シンポジウム「関西学
院大学の心理科学実践」話題提供2:福祉分野>高
齢者と大学生が共に学ぶ実践コミュニティの構築
著者
日下 菜穂子
雑誌名
関西学院大学心理科学実践
巻
1
ページ
9-11
発行年
2020-03-31
URL
http://hdl.handle.net/10236/00029529
は じ め に 老いの変化を自然なこととして,あるがままに受け入 れる大切さが見直され始めている。健康長寿や生涯現役 は理想とはいえ,いつまでも元気で見た目も変わらずに いるのは難しいのが現実だろう。その現実を前に,加齢 への画一的な価値が浸透する社会からのアンチエイジン グを推奨するプレッシャーが,長く生きることへの不安 を高めている。老いや病といった答えが出にくい事態に 直面し,多くの人が不安を抱えて無力感に陥る高齢社会 の 現 状 は,Bandura A. が そ の 著 書“Self-efficacy in Changing Societies”(バンデューラ,2009)の中で指摘 する,社会の激動により集団の効力感の発達が妨げられ ていく状況と重ねることができる。 これまでに,学業成績や生産性等の社会的価値を追求 する効力感と個人の well-being との関連を示す研究成果 は多い。しかし,複雑化し多様化する社会の様々な問題 に対するときに,画一的な社会的価値に基づく個人の well-being だけでは持続的な問題解決につながらないと いう限界が見え始めている。 現代社会において大切になってくるのは,個人の利益 を超えた大きな目的を見い出し,人々がその目的を共有 し,社会全体や次の世代のために自分たちに何ができる のかにコミットしていく共同性である。この共同性は, 社会の価値基準を個人の獲得から,社会の中で与えあう ことへと大きく変える視点の転換の上に成り立つと考え られる。 心理社会的発達段階理論の提唱者の一人である Erik-son E. H. は,Generativity(継承性)という言葉を用い て,世代間の連鎖や社会とのつながりへの意識が,自己 の限界を超えた世代間の関わりあいを促し,社会全体の 発達を導くとしている。そ し て Generativity の 力 と し て,自分を取り巻く(to care of)人・もの・観念など を,慎み深く(be care-ful)思いやる(to care for),ケア (Care)の力をあげた。そして,意識を自己から環境に 向けるケアにより,次世代に新しい価値が創出されてい
くとした(Erikson 1982)。
関西学院大学のスクールモットー“Mastery for Serv-ice”においても,学びの目的を他者に向ける精神の尊 さが示唆されている。これからの大学教育には,改め て,新しい未来を創り出し,その価値を発信していく知 の創出拠点としての役割が期待されている。 本稿では,多世代の共同で高齢社会の価値転換をめざ す実践研究を紹介し,これからの高等教育のあり方を考 える一助としたい。 多世代で学ぶ実践コミュニティ ①ワンダフルエイジング 加齢は一般にはネガティブなことに捉えられがちだ が,内的な側面に目を向ければ,高齢期に幸福感が高い 人が多いというエイジングパラドクス(Aging Paradox) の現象が発達心理学の領域で確認されている。高齢期の 発達のポジティブな側面に注目し,他者とのかかわり合 いを通してその発達を促すワンダフル・エイジング(日 下,2012)の実践を大学と地域をフィールドに展開して いる。 プロジェクトの目的は,これからの社会の中で共同性 の中で新しい方向性を創り出していけるようなコミュニ ティをつくることである。そして,どのようにすればそ の実践が生き生きと喜びあふれたものになるのかを研究 対象としている。このワンダフル・エイジングのプロジ ェクトには,個の自立,社会の中での共生,多世代の共 創を実践する 3 つのコミュニティがある。1 つ目の生き がい創造教室では自己の探求を通して生き方を考える。 2 つ目の生き方を他の人に伝える語りから生きる意味を 見出す場としてのワンダフル大学院、3 つ目は食を共に するシェアダイニングである(図 1)。 2010 年にスタートしたワンダフル・エイジングのプ ロジェクトには,これまで京田辺市や京都市を中心に, 65 歳以上の地域住民の方が参加されてきた。今では, 毎週月曜日に地域の方々が大学に通われて,キャンパス で大学生とともに学び教え合っている。 ∼開設記念シンポジウム「関西学院大学の心理科学実践」∼ 話題提供 2:福祉分野
高齢者と大学生が共に学ぶ実践コミュニティの構築
日 下 菜穂子
* キーワード:多世代,高齢社会,自己効力 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― * 同志社女子大学現代社会学部 関西学院大学心理科学実践 Vol. 1 2020. 3 9②人生後半のライフデザイニング 生きがい創造教室は,高齢期のうつ予防を目的とす る,認知行動療法の手法を応用したポジティブ心理学の アプローチを用いている。少人数のグループで 10 回の セッションに参加して個別の生き方を考える。この教室 では,高齢者の創造性を刺激する仕組みとして,キュー ブ型の教材(ワンダフル・キューブ)を用いて気づきを 可視化したり,写真のワークショップで自己イメージを 修正するなど,五感への働きかけを重視している(日下 他,2016,日下,2019)。この教室の修了者が同窓会を されるようになったのが,2 つ目のコミュニティとして あげるワンダフル大学院の始まりである。 ③高齢者が講師になる大学院 自分自身の学びにより能動的に参加することを目的 に,高齢者が自分の生きがいを他の人に伝え,生き方を 学び合う機会を「ワンダフル大学院」として設けてい る。「65 歳になればプロフェッサーになろう」をスロー ガンに,高齢者が講師となる講座が現在 10 種類あり, 大学生と高齢者がチームになって講座を運営している。 その中のプログラミング講座は,大阪市内の小学校にプ ログラミングを教えに出かけたり,京田辺市の教育委員 会と連携して子どもたちにプログラミングで学ぶ楽しさ を伝えるワークショップを開催したりしている。このプ ログラミングの地域連携事業は,大学の授業科目と連動 しており,大学生の創造性を高める教育の場にもなって いる。これらの事業参加の効果は,小学生と高齢者の自 己効力感の向上において確認した(日下他,2019)。 テクノロジーを媒介に,高齢者と大学生とが協同する 効果については,ロボットプログラミングを検討する半 年間の取り組みの会話分析から把握した。初期には,高 齢者と大学生が,支えられる人と支える人という立場に 分断された関係性であったのが,回を重ねるごとに多世 代の関わりが対等になり,意見を交わし合うまでになる 過程が把握された(Kusaka et al, 2019)。 新しい価値を創出する実践コミュニティ 今年度からは高齢者の孤立防止を目的に,食品販売店 の中に購入した食材を調理して食べるスペースを設置 し,食を通じた多世代の関わりあいを心理学と工学,精 神医学などの領域横断の研究者と,企業,団体との連携 で促す開発研究が始まった。食の共同体験を通して高ま る集団の効力感を基盤に,新しい価値を創出する場の構 築をめざしている。 シェアダイニングとよんでいるこのプロジェクトで は,孤立しがちな高齢者が食の歓びによって再び社会参 加する意欲を高め,そこに集まる人のシェア行動を誘発 する環境(空間,道具,ファシリテーション)の設計に 取り組んでいる(資料,日下他,2019)。 ま と め 多世代が目的を共有していきいきと関わる中で,人が 図 1 ワンダフル・エイジング プロジェクトの概要 資料:小学校でのプログラミング・ワークショップの 動画 資料:シェアダイニングのツールと実践の動画 関西学院大学心理科学実践 10
長く生きる意味を見出せる場を創造できればと実践研究 を続けている。そこに参加する人たちが自ら経験を創り 出していくプロセスは,先が見えないゴールに向かう試 行錯誤の連続で,このプロジェクトの組織そのものも参 加者の成長とともに軌道修正を繰り返している。そのよ うな変化の中で,高齢者も大学生もあきらめずに参加し 続ける場となっているのは,「一緒にやればきっと大丈 夫」と信じられる自己を含むコミュニティに対する集団 の効力感であるように思う。 精神分析家の Storr A. (ストー,1999)は,個の尊厳 はひとりでは成り立たない,個の実現と成熟は,他者と の関係性の成熟とともに進んでいくと述べた。教育,研 究での学び考える個人の孤独な営みの方向性を,自分を 取り巻く他者の歓びに向けることで,社会に資する意味 ある学びが成立すると考えられる。そのためにも多様な 人と共同し,与える歓びを創造する学習環境を大学教育 において実現していくことができればと考えている。 引用文献 アルバート・バンデューラ編,(2009)激動社会の中 の自己効力,金子書房.
Erikson, E. H.,(1982)The life cycle completed : A re-view, W. W. Norton & Company, N. Y.
アンソニー・ストー著 吉野 要監修 三上晋之助翻 訳,(1999),孤独−新訳,創元社. 日下菜穂子,(2011)ワンダフル・エイジング:人生 後半を豊かに生きるポジティブ心理学,ナカニシ ヤ出版. 日下菜穂子・三宅えり子・才藤千津子,(2016)人生 の意匠:心理・社会・超越性からのアプローチ, ナカニシヤ出版. 日下菜穂子,上田信行,末宗佳倫,中辻孝典,下村篤 子,(2019)ロボットを媒介とした多世代プログ ラミング学習の場の構築,日本教育工学会全国大 会,名古屋国際会議場.
Kusaka N., Ueda N. & Kondo K.,(2019)Multigenera-tional Collaboration to Create a Community of Prac-tice through Robot Application Development, Robot-ics in Education, Springer, 125-136.
日下菜穂子,(2019)エイジングと認知行動療法:超 高齢化社会の価値転換,認知療法研究,12(1),3 -9. 日下菜穂子,上田信行,佐野睦夫他,(2019)食を介 した安心のコミュニティ形成のサービスモデル: シェアダイニングの提案,ヒューマンインターフ ェイスシンポジウム,京都. 11 高齢者と大学生が共に学ぶ実践コミュニティの構築