集団はどこまで集団か:
学童保育運営のフィールドワークを通じて
How can you say that it is a group?: An ethnographic study on management of an
after school day-care facility
尾 見 康 博
Yasuhiro OMI
問 題 人が何人も集まると、一人でいるときとは異なる様相を見せることがある。“三人寄れば文殊の知 恵”もあれば、“船頭多くして船山に登る”もあろうから、その様相は多様である。いうまでもな く、こうした現象は社会心理学の黎明期から中心的なテーマとなっており (Le Bon,1895 桜井訳,1993; McDougall,1920)、“群衆”や“集団”といった概念を用いて数多くの知見がもたらされてきた。とりわ け“集団”は、Levin,K. が創始したグループダイナミクス研究の展開もあって、現在に至るまで社会 心理学の中核概念の一つとなっている。 しかしながら、“集団”それ自体を対象化した研究は少なく、ほとんどの研究は架空の集団を設定し ているか、あるいは集団をアプリオリに措定しているといえる。例えば、内集団に関する研究であれ ば、シミュレーションゲームで架空集団を用いたり(垂澤・広瀬,2006 など)、日本人かそうでないか を基準としたり (Yuki,2003 etc.) することが多い。前者の場合は、その場(実験時)限りのものであり、 後者の場合はたいていの人にとって、当該集団に属しているか否かについて迷いの少ない、そして安定 したカテゴリーを用いているといえる。こうした傾向は、歴史的に集団研究の大半が実験研究であるこ との宿命なのかもしれない。 一方、集団ということばの一般的イメージからも、また、「二人以上の人々によって形成される集合 体で、(1) その人々の間で持続的に相互作用が行われ、(2) 規範の形成がみられ、(3) 成員に共通の目 標とその目標達成のための協力関係が存在し、(4) 地位や役割の分化とともに全体が統合されており、 (5) 外部との境界が意識され、(6) われわれ感情や集団への愛着が存在する、といった諸特性を有する 時に集団と見なされる。これらすべての特性を完全に備えている必要はなく、それぞれの特性を保有す る程度には集団によって差がみられる。」(心理学辞典 ,1999)という辞書的定義に立ち返って考えてみ ても、日常生活にはより多様な形態の集団が存在することも確かである。 村本 (1995) は、現実社会には、集団と集合状態の中間に位置するような集合体が、さまざまなレベ ルで存在し得るはずだと指摘し、とある公園でラジオ体操をする人たちを対象にフィールドワークを実 施し、集団と集合状態の中間的存在を具体的に描き出した。 このように、実験場面という制約を取り払うことにより、集団概念やその類似概念の相対化ができ、 集団研究の新たな展開がもたらされるといえよう。 また、集団に関わる研究領域において、概念的検討を実証的に明らかにしている研究もある。村本・ 山口 (2003) は、従来の内集団研究が内集団概念を明確にしていないことを批判的に捉え、内集団を形 作る関係性のありようとそれらに応じた社会行動の違いに着目した。村本・山口 (2003) は、質問紙法 を用いた実験的研究であり、内集団を家族集団の場合と社会集団の場合とを区別することによる違いを 検討している。実験的研究という制約の中で、単純明瞭な分類基準を用いた結果、内集団他者をどのよ うに想定するかによって、自らの成功体験を自己卑下的に表出したり自己奉仕的に表出したりすること を実証したことは、日本人は自己卑下傾向が強いといった(実証に基づく)言説に一石を投じただけでなく、内集団概念の広がりや奥行きを示唆したといえる。 しかしながら、一方で、実験的な統制がかかっているために見えにくくなっている点もあるように思 われる。村本・山口 (2003) は、たしかに、内集団を形づくる関係性のあり方で多様な行動が生じうる ことを実証してはいるが、現実の(内)集団は、メンバー間の関係性のあり方そのものが時と共に変容 しうるはずである。 集団の時系列的変化については、集団発達 (group development) 研究の分野で展開されており、その 中にはメンバー間の関係性の観点を取り入れたものも含まれている。 集団発達研究は、当初、集団療法や集団訓練の場で展開した。そして、集団療法や集団訓練の背景 となっている伝統的な集団発達モデルは、線形モデルであり、スムーズで少しずつ変化し成熟してい くものとして集団発達を捉えていた (Akrivou, Boyatzis, & McLeod,2006: Arrow, Henry, Poole, Wheelan, & Moreland,2005)。その後、Gersick(1988) が、それまでの集団発達理論が、明確な期限を持った作業集団 などには適用できないと批判し、独自に決められた目標に向かって断続的にかつ急速に変化しうるもの として集団発達を捉える断続平衡モデル (punctuated equilibriun model) を提唱した。
近年、集団発達理論を代表するこの二つのモデルを包含する三次元モデルが提唱され (Chang, Duck, & Bordia, 2006)、それまでも議論されてきた「経路依存性」(集団が経路に従って成熟していくか、経 路に従わず断続的に変化するか)という次元以外に、「内容」と「母集団」の次元を用意し、集団発達 研究の新しい見方が示された。「内容」とは、集団の特定の側面の変化に限定しているか、全体的な変 化を捉えようとしているかという次元であり、「母集団」とは、特定の集団に限定して一般化するかあ らゆる集団に一般化するかという次元である。そして、断続平衡モデルは、非経路依存的で、特定の側 面に限定し、特定の集団に一般化するモデルであるとし、それ以前からの多くの伝統的モデルは、経路 依存的であることでのみ、断続モデルと共通であるとしている。 そこで本研究では、実在する非営利集団を対象にして、その変容過程を記述し、三次元モデルをはじ めとする既存の集団発達モデルにどの程度適合するか検討することをつうじて、集団概念の再検討を行 うことを目的とする。 方 法 手続き X学童保育所の運営を舞台としたフィールドワークを実施した。2005 年度に筆者もX学童保 育所の運営委員会のメンバーであった。この時期のメンバー間のやりとりがインターネットのメーリン グリストに記録されており、主として、この記録を素材として考察する。メーリングリストのトラフィッ ク数をFigure 1 に示す。ML_1は,3月 12 日に開設されたメーリングリストで,運営委員会の他, 指導員も事務室から読み書きできるようになっていた。ML_2は,4月4日に開設されたメーリング リストで,こちらは運営委員のみがメンバーであった。 X学童保育所の概要 首都圏の都市部にある学童保育所。近隣のS小学校1に通う1年生から3年生の Figure 1 メーリングリストでのトラフィック数
うち、放課後に保育を必要とする家庭の子どもたちが在籍していた。おやつ代を含めた保育料は一ヶ月 7,000 円。定員は 44 名だが、2004 年度までは 50 名を超える子どもを受け入れていた。これは 2004 年 12 月まで主任指導員をしていたKの判断によるところが大きいが、Kの退職により、残された指導員 たちはKの方針の修正を考え始めていた。Kは、保護者や子どもたちの都合を相当程度優先させて指導 にあたっていたが、見方によっては、業務負担の面や安全管理の面からは問題をはらんだ運営・管理を していたということもできる (Figure 2 参照 )。なお、Figure 2 以降における「中心的-周辺的」の軸は、 X学童保育所の運営という点からどれくらい中心的に関与していたかどうかを示している。 学童保育所の運営形態は一般に多様だが、X学童保育所の場合は、2005 年4月時点では、市から補 助金を受け、父母会メンバーや父母会OB等で構成される運営委員会が運営していた2しかし、それま での数年間は、会計業務など一部を除き、事実上、運営の大半を指導員のKに丸投げしている状態であ り、運営委員会が機能しているとはいえなかった。会計業務に携わっているTへの長年の加重負担の問 Figure 2 新運営委員会が立ち上がる直前の状態 (二重丸は古株メンバー:二重四角は常勤) 1 当時、X学童保育所が設置されているE市は、一つの小学校区に一つの学童保育所の設置を目標にしていたので、 基本的に各学童保育所には同じ小学校に在籍する児童しか在籍していなかった。 2 父母会は文字通り、学童保育所に通所する児童の保護者の会。運営を市が地域住民・保護者に委託している場合は、 父母会と運営委員会が一部あるいは完全に重複することがある。
題もあり、また、自治体が運営主体の指定管理者への移行(指定管理者制度の利用。いわゆる公設民営 化)を政策として打ち出していたこともあり、2006 年度からの運営主体の移行を目指し、移行前の最 後の一年を迎えるにあたって運営委員会を立て直し、運営委員会の機能を強化する方針が 2004 年度後 半の父母会で決められた。 運営委員会 会長1名、副会長2名、事務局長1名、書記2名、会計2名の計8名により構成されてい た。2005 年度4月末以降は相談役が臨時に設置された。相談役のうちの一人は当時S小学校のPTA 会長であり、もう一人はX学童保育所に子どもを以前預けていた元保護者であり、この二人はPTAの 本部役員として互いに面識があった。 以下、登場人物を同定するために、運営委員及び指導員を次のようにアルファベットによる略称で表 記する (Table 1)。 TとSは、正式には運営委員ではないが、運営委員会が実質的には機能していない時期にずっと会計 業務に携わっていたため、新しい運営委員会のメンバーよりもX学童保育所の実態をよく知っているだ けでなく、とくにSは同様の運営形態の学童保育所でも会計業務を担当していたこともあって市役所の 担当部署とのやりとりのノウハウも持っていた。そうした事情から、二人は至極当然のごとくメーリン グリストのメンバーにもなっていた。 X学童保育所運営チームの集団発達 以下では、2004 年度末から 2005 年度に運営委員会メンバーと指導員たちとの間で起こったさまざま な出来事を集団発達の観点を交えながら記述することを試みる。記述は、時系列に沿いながら、集団の 人間関係の変化に注目して5つの局面に分けた。 (局面1)新運営委員会発足前夜 新しい運営委員会の正式な発足は 2005 年4月であるが、2月までに は、当時父母会の会長をしていたPが、後に運営委員になる保護者たちに委員就任の内諾を得ていた。 そして、3月上旬、Eをのぞく次年度委員全員および、前年度まで運営に携わっていた二人(T、S) で会合がもたれた。この会合は、K退職後に残った指導員たちの意向を反映し、受け入れ児童定員を守 ることを前提とし、入所児童を選抜するためのものであった。 Table 1
3 この箇所に限らず、メーリングリストからの引用文は、プライバシーの観点から、内容を損なわない程度に適宜 修正している。 3月 12 日付で選抜結果が各入所希望者宅に送付されたが、運営委員のうち、P、E、Cfの3名の 子どもたちが入所待機児となってしまった。その結果、会長であるPは運営委員会にとどまったが、E とCfは外れることになった。 このとき、X学童保育所開設史上初の待機児童が生まれたわけだが、初めてのケースだっただけで なく、その数が 20 名を超す大人数であったことや、その決定過程に不透明な側面もあったこともあり、 地域を巻き込んだ大きな動きになっていった。なお、待機児童の決定からしばらく、運営委員会は待機 児童のための分室として機能できる場所がないか探していた。 以下では、X学童保育所の実質的な運営チームである、運営委員会と指導員を合わせたメンバーを集 団メンバーとして考えることとする。少なくともこの段階では、運営委員と指導員は「われわれ意識」 を共有しようとしていたし、一定程度共有していたといえるためである。 (局面2)待機児童解消を巡る対立 S小学校のPTA会長(Gu)は、自らの子どもも待機に回され たという個人的事情を超えて、この降ってわいたような事態を、地域の問題として捉え、元運営委員の Gsの協力を得ながら解決に向けて動き始めた。そして、3月 25 日の段階で、保育場所の確保を条件 に、X学童保育所の分室の開設、および非常勤指導員等の人件費等の予算の支給が認められた。このこ とにより、分室開設の見通しができ、待機児童を出すことなく新年度に突入するものと思われた。 一方、指導員たちは、Guのこれらの動きを強引なものとして警戒し、さらには、分室開設が保育の 質を損なうものとし、運営委員会に対してGuに与しないよう働きかけた。 また、古くから会計業務と市との連絡役として運営委員のメンバーであったSは、指導員と同期する ように、Guの提案に疑義を唱えた。 「仮に人件費等の予算がつくとしても、中途半端な分室案には反対です。・・・(中略)・・・指導員の 数が増えればいいという問題ではありません。・・・(中略)・・・いま働いている指導員の労働条件を 守るのも運営委員会の責務です。また、18 年度(筆者注:2006 年度)の公設移行を考えると、リスク が大きすぎます。」(「今夜の話し合いに向けて」2005 年3月 27 日 ( 日 ) 午後1時 03 分 S)3 この発言は、それがE市の学童保育所に古くから関わっている人物によるものであったこともあり、 その夜の会議を大きく方向付けることとなった。そして、その夜の運営委員会では予算確保に動いた市 議に対して丁重に断る、という結論を出し、Pは、Guを通さずに翌朝市議に直接断った。Guにとっ ては理解できない事態が自らの頭越しになされたことから、この時点ではまだ運営委員ではなかったG uと運営委員会の関係は非常に険悪なものとなった。 指導員たちとGuたちの対立 (Figure 3 参照 ) は、4月3日に行われた運営委員会とPTA会長(Gu) たちとの間での会議で、運営委員会が分室運営には関わらないことを条件に、Guたちが分室開設に向 けて動くということでとりあえず収まった。Guは、4月7日には待機児童の保護者に呼びかけ、分室 開設に向けて、週明けからボランティアによる保育を自ら始めると宣言した。 筆者(E)もGuの熱意に打たれ、この時点から積極的に分室の運営に協力することになった。
(局面3)運営委員会 vs. 指導員 4月4日に、それまで利用してきたメーリングリストとは別に、運 営委員だけが参加するメーリングリストが立ち上がり、それまでの、指導員と運営委員とで全ての情報 を共有するというスタンスが変わることになった。そのことと関係してか、収まったかに見えた対立 は、翌日に入所式を控えた4月5日に3人の指導員(Q1、Q2、Q3)が一斉に辞意を伝え、かつ、 Pの辞任を求めたことによって、再び表面化した。しかし、今回の対立は、前回と異なり、運営委員が 指導員と全面的に対立する図式であった (Figure 4 参照 )。辞意の申し出はPに対する抗議の意味が強 く込められていて、おそらくは慰留されることを想定してのものだった。4 しかし、数日前に指導員たちの意向を尊重しGuの申し出を断る結論を出した運営委員もこの「無責 任な対応」(下記引用コメント参照)には業を煮やし、Pは4月6日付での退職を承認する通知を3人 に郵送した。さらに、4月 11 日には、主任を務めていたYが、それから5月6日にはK,5月 10 日に は以後指導員の核となってもらおうと思っていたHが次々と5月末日付での退職希望を申し出たため、 一気に大量の指導員を雇用しなければならない事態となった。5 「入所式の前日に彼らのとった行動(①口頭での辞任申し出 ②Pへの退陣要求等)は、社会人とし Figure 3 分室開設をめぐる当初の対立図式 (二重丸は古株メンバー:二重四角は常勤) 4 その後、Q1が電話やファックスでいかに分室を開設することに問題があるかを伝えてきたことに加え、最後は、 5日の会議に欠席したCkに対して、退職を認める通知が運営委員会の総意であるかと確認してきたことからも妥 当な推論であろう。 5 実は新たに雇用した指導員の中には、運営委員と対立し辞職した指導員から、運営委員に対する否定情報を伝え られていた者もおり、中にはそのことにより退職することになった者もいた。
ては余りにも稚拙でとても許せない行動だと思いました。」(「Re: 退職者への文書について」4月7日 (木)午前1時 18 分 Vk) この事態の収拾の際には、分室開設に積極的に動いたGu、Gs、それからEも関与したが、辞職を 申し出た指導員たちと運営委員会との最後の話し合いは、ギスギスしたものとなり、後味のいいものと はいえなかった。Eの次のコメントからも、運営委員会と指導員との間で修復不能な亀裂が生じてし まったことがわかる(下記コメントおよびFigure 4 参照)。 「何のために時間をとって、私たちが呼びつけられて(結果的にそんな感じでした)あそこに行く必 要があったのか、謎です。三人が、非常に狭い視野でしか「保育の質」というものを考えていないこと を再認識させていただきました。分室になって、実際トラブルが起きてる、とかゴチャゴチャ言うんで すよ、「ほら見ろ」と言わんばかりに。分室運営はGuさんたちのおかげできわめて迅速に、的確に進 んでいると思いますが、それでも「遅すぎた」という意見だってないわけでもないのです。他の施設や 塾に預けるということになってしまった方たちもいらっしゃるわけですからね。そういうことに対する 認識があまりに希薄。44 人の保育だけ考えればそりゃ「保育の質」が保たれるのでしょうが、その影 で 20 人以上の家の「保育の質」が低下を余儀なくさせられる事態だったわけです。・・・(中略)・・・ P さんやGuさんやみなさんがいったいどれだけの犠牲をはらって学童を立て直しつつあるのか、わか らないでしょうね、・・・(後略)」(「無意味な会合」 5月9日(月)午後6時 00 分 E) Figure 4 旧指導員が次々と退職したときの図式 (二重丸は古株メンバー:二重四角は常勤)
(局面4)運営委員会メンバー同士の亀裂 分室が市から正式に認められる見込みが出てきたので、運 営委員会は、改めて分室での受け入れ児童を募集することとした。しかし、すでに年度が明けていたた め、待機になった家庭の中には、学童保育に頼らずにすむ方法(塾に通わせる、近隣との協力関係を構 築するなど)を考え、生活スタイルを変え始めている家庭もあった。そのため、 20 名を超えていた待 機児童家庭の分室入所希望者は少なく、10 名を多少超える程度となった。 また、分室での保育が始まってからも、分室が学校から多少離れていることや、週に一度程度別の場 所で保育せざるを得ないことなどから、本室への移籍を希望する保護者の声も聞こえてきた。そこで、 本室と分室との間の移籍希望を募ることにした。 希望を募ってみると、分室から本室への移籍希望ばかりで、その逆はほとんどなかった。本室は本来 の定員ギリギリまで子どもが在籍していたが、先述したように前年度までは大幅に定員オーバーの状態 で保育してきた実績もあったので、希望者全員を移籍させるかどうか、判断の分かれるところであった。 Eは市役所から市の入所基準(10 ポイントを満点とするポイント制)を取り寄せ、それに従って優 先順位を付けようと試みた。ところが、実際に移籍希望者のポイントを算出すると、多くの希望者が満 点に近いことが判明した。これは、3月の段階でこの公的な入所基準を用いれば、待機になる家庭とな らない家庭とが少なからず入れ変わっていたことを意味する。このことを率直に伝え、全希望者の移籍 を認めてもらおうと考えたEは、希望者全員の移籍を提案したが、これが思わぬ騒動につながった。 「・・・Eさんの提示してくれた、基準に照らし合わせると、私などは確実に待機組です。なんだか 拍子抜けですね、何の為に、ここまで苦労して運営をやってきたのか、最初から待機であれば、こんな 苦労しなくてすんだのに。本来であれば、無条件に本室に入所できた人こそ運営委員をやるべきですよ ね。今から変わってもらえないでしょうか?・・・」(「Amです」5月 23 日(月)午後 11 時 23 分 Am) 「・・・待機になる要件のない 10 点満点の方にはぜひ入所が必要と思います。市の基準で見ると、う ちは7点で待機組になっていたかもしれません。最初はX学童の基準で入所ができて、待機児童問題を 考えるためにも運営に加わりましたが、今はそれもどうかと思ってしまいました。市の基準で入所を決 めるのであれば、Amさんのおっしゃるとおり、満点に近い要件で入所になった親御さんこそ運営にふ さわしいです。・・・中略・・・「運営の中でも待機が逆転していた可能性があります」と書かれてしま うと、本来待機の親になったであろう私が運営に所属しているのもどうかと感じてしまいました。・・・ 中略・・・うちの子が退所すれば少しは楽になると思いますので、私もこれを機に運営を抜けようと思 います。」(「Ahです」5月 24 日(火)午前0時 09 分 Ah) Amの辞意表明の段階では、できれば辞めないでほしいとコメントしていたEも、Ahも辞意を表明 するに及び、ことの重大さに気づき、E自身が退任(表明)することで、二人が翻意してくれること、 そしてこれ以上の辞意表明が連鎖しないことを望んだ。 「運営が一気に複数いなくなるような事態を招いた責任を私がとるべきです。ですから、Amさんと Ahさんには考え直していただき、今後も運営を続けていただきたいと思います。その代わり私がおり ます。」(「Re: Ahです」5月 24 日(火)午前0時 21 分 E) さらに、24 日から出張を控え、焦りもあったEは、先に辞意表明していた二人が翻意するための手 段としては強いインパクトのある辞表を電子空間上に提出した。
「私は新参者で、運営のみなさんがどのような就労状況にあるのか、まったくわかっていませんでし たし、あのようなリアクションを受けるとも予想していませんでした(当然ですが)。しつこくて恐縮 ですが、心よりお詫び申し上げます。これまでお世話になりありがとうございました。辞表をブリーフ ケースにアップします。これをもって、このメーリングリストのメンバーから外してください。」(「Re: Gsです」5月 24 日(火)午前9時 16 分 E) 三人以外からは悲しみの表明がなされたり、何とか解決するための糸口を対面会議に求め、緊急招集 を提案するなど、運営委員の間には動揺が走った。そのようななか、Ckの次のコメントは両者の立場 を理解し事態を収束に向かわせる大きな力となったように思われる。 「今日はもう仕事が手につきません。まず、Eさんが市から引き出した入所基準はあくまでも公設学 童のためのものです。3月に開示情報になっているこの情報を求めたにも関わらず入手できなかったの は不可解ですが、「自主ですから運営の判断で・・」という市の担当課の指示が、当時の入所者選考の 判断のベースだということは今も変わりないことです。・・・中略・・・市はこの基準にのっとって自 主学童の入所者を選考しろとは言っていないのですから、3月の判断に今になって迷う必要はないので す。まして、入所したから運営になるのか?運営委員だから入所にするのか?も鶏と卵の論理ですよ ね。・・・中略・・・待機の親から訴えられるようなことがあっても、ボランティアで活動している運 営委員に適切な情報も提供せずに、このような重要な業務を丸投げしている市に責任があると言わざる を得ません。私たちは与えられたすべての事実に対して、最善を尽くしてきたと言い切れます。未熟さ 故のミスはあったかもしれないけど、後から加わった委員に ( 言い方悪いけどあえて言います)ガタガ タ言われてたじろぐようなことはしてきていません。3月にいたメンバーは新生X学童の産みの苦しみ を味わった貴重なメンバーです。そして図らずもGuさんやEさんが待機になったおかげで、分室がで き結果的に枠を広げることができました。よかったと思えることは全部みんなが精一杯やったご褒美で す。運営委員をするのはその人の志と熱意で、学童の必要性が高いことと運営をやろうという熱意は必 ずしも比例しません。運営をするかどうかに入所基準を当てはめるなんてナンセンスです。」(「Ckで す」5月 24 日(火)午前 11 時 58 分 Ck) 結局、出張中のEは出席しなかったものの、26 日の緊急対面会議でAmとAhは辞意を撤回し、28 日の小学校の運動会の際に、Am、Ah、Eの三人は直接顔を合わせいずれも辞任しないことを確認し 合うことでことは収まった。(Figure 5 参照 )
(局面5)指導員の解雇、雇用 その後も指導員の退職が相次ぎ、結局、前年度から勤務していた指導 員はゼロになった。また、2005 年度に入ってから雇用した指導員の中に解雇せざるを得ない者が出て きた。 学童保育所の場合、夏休みは午前中から開所しなければならないため通常時以上に忙しいし、指導員 たちの子どもたちへの目配りも、より神経を使うことになる。八時間勤務を前提にした場合、丸一日働 ける指導員はいなくなるので、一日あたりに必要となる指導員数も 1.5 倍程度になる。それでなくと も、退職や解雇のために指導員数が少なくなってきていたので、運営委員会では、指導員の雇用に関す る問題がひっきりなしに議論されるようになった。 また、Pが任期途中で会長としての仕事をすることが困難となり、Eが急遽会長代行となり、会長の 仕事を引き継いだ。 夏休みの指導員の配置に関しては、GsとEとの間で激しい議論が行われもした。 夏休みが明けても新しい指導員の確保に動いたり、受け入れ児童の怪我の対処におわれたりして、運 営委員会もフル稼働であった。新しい指導員たちも、運営委員会との関係についてとまどうこともあっ たけれども、どうにかこうにか、3月末をもって運営委員会は解散し、運営を指定管理者に引き継ぐこ とになった。 Figure 5 運営委員内部での亀裂 (二重丸は古株メンバー:二重四角は常勤)
結果のまとめと考察 1 5つの局面を通じた集団の発達 運営委員会、指導員の動き、および、この間重要なテーマであった待機児童問題についての全体的な 動きをまとめて示すと、Table 2 のようになる。 局面1では、運営委員会にとっての短期的課題には、待機児解消、中期的課題には、年度末の指定管 理者へのスムーズな移行というものがあった。しかし、待機児解消に指導員たちが消極的であったこと から、指導員との関係で運営委員会は大きく揺れた。はじめは指導員の考えを尊重しようと動いたが (局面2)、指導員たちが、運営委員会外でのPTA会長らによる待機児解消に向けた急ピッチな動き、 そしてその動きを間接に支援しようとする運営委員会に対して辞表を出すに至り、指導員たちと決別す ることとなった(局面3)。 その後、運営委員会内部での対立(局面4)や指導員の解雇と雇用を繰り返し(局面5)、運営とし てはかなり綱渡りであったが、なんとか指定管理者への引き継ぎにこぎつけた。 では、この間の一連の流れをChang et al.(2006) の集団発達モデルとの関連で考えてみよう。ま ず、人間関係の側面で見てみると、数度にわたり、集団が危機的な状況に陥っており、およそスムー ズな進展というにはほど遠い。このことから、X学童保育所の集団発達は、非経路依存的 (non-path dependent) であったといえよう。しかしながら、例えば、運営委員とはあまり付き合いのない一般保護 者から見た場合、指導員の交代はあったものの、指定管理者への移行という重要な課題、そして日々の 運営という点では、集団がスムーズに少しずつ進展していたとも見えるかもしれず、そうだとすると経 路依存的だということになる。一般保護者から見た場合でなくとも、運営の実作業という観点に限定し てこの集団を捉えれば、順調に目標に向かって進展していったとみなしてよいかもしれない。 このことから、集団のどの側面(「内容」)に注目するかによって、滑らかに少しずつ進展しているの か、その逆なのか、は変わってくる可能性があると考えられる。ただし、本研究から得られる知見は、 Gersick(1988) が指摘するのとは逆で、人間関係の側面では、非経路依存的、作業の側面では経路依存 的となる。これには、X学童保育所が非営利組織であったこと、研究対象となった時期が運営上の転換 期にあたったことなど、さまざまな要因が考えられる。何よりも、自分たちの子どもの保育を任せてい ると同時に、その保育を管理運営しているという状態は、通常の作業集団ではあまり考えられない。運 営委員会メンバーの多くは、子どもを預けている組織集団を運営するという、集団としては独特の状況 下で、作業面は着実に進めなければならない、という一種の使命感のようなものを持っていたように思 われる。いずれにせよ、注目する側面だけではなく、集団の特徴、あるいは集団の置かれた状態によっ て、経路依存か非依存かは変わってくるのかもしれない。 また、上述の通り、ここで対象とした「集団」は集団としてはかなり独特であり、本研究の結果を集 団発達のプロセスを集団一般の議論へと一般化するのは無理があろう。その意味で、本研究の集団発達 Table 2
は、「母集団」の観点からは、一般化の対象が限定的ということになる。 2 曖昧な「集団」 X学童保育所を「集団と集合状態との曖昧な境界」(村本,1996)の観点でとらえてみるとどうだろう。 まず、X学童保育所の運営チームは、所属成員であるか否かがはっきりしており、逸脱メンバーは罰 せられる可能性があり、原則として部外者を排斥するし、一時的に結成されているわけではない。ま た、目標を持った組織体、役割分化、一定の規範があるという意味で、集団であるといえる。 しかしながら、集団の特徴を有しているとはいえ、形成過程にある「集団」であるためか、共有され ていない規範がことあるたびに顕在化する。例えば、局面4では、「通所児童の保護者が運営委員をや るべきである」という運営委員のメンバーシップに関する潜在的な規範がAmにより提示され、その規 範が広がり始めることにより、そして、そのカウンターとなる「混乱を招く引き金となった人間が結果 責任をとり運営委員を辞めるべきである」というEの代替規範の提示によって、運営委員会が危機的状 態に陥ることになった。そして、こうしたことは、何が「逸脱行為」だか不明瞭であることをも意味す る。X学童保育所の運営チームは、「集団の前の集団」と呼べるかもしれない。6 また、X学童保育所の運営チームの一連の経過を見ると、集団メンバー個人個人にとっての内集団 は、とても不安定なものとして捉えられていたように思われる。 つまり、個々人が規定する内集団におけるメンバー間の関係性によって行動パターンが異なる(村本・ 山口,2003)だけでなく、メンバー間の関係性自体が変化し、同一個人内で自分の内集団における位置 づけや思いが変化しうるので、同一内集団であっても行動パターンがときに急激に変化するということ である。「われわれ意識」が内集団の基準だとすると、一人一人にとっては、当該集団が突如として内 集団ではなくなったり、内集団の範囲が狭まったり広がったりするともいえよう。局面3で,運営委員 のみのメーリングリストが開設され,指導員がそのメンバーから排除されたことは,その典型例であろ う。 もちろん、局面4でCkやAmが運営委員会内のトラブルの原因をE市の問題とし、つまり、外部に 敵対者を設けることで内集団の規範を取り戻そうとしたように、大きな視野に立てば、内集団あるい は集団の境界は揺らいでいないと見なせる場面もあった。この場面は、あたかもSherif, Harvey, White, Hood,& Sherif(1961) のフィールド実験でみられた外集団との関係修復プロセスを内集団内で再現した かのようである。このことは、内集団内の関係性が、「内集団」対「外集団」の関係性と近似的に捉え うることも示しており、これまでの内集団研究の知見の多くが、想定した内集団の安定性を前提にされ なければならないことを示しているともいえよう。 また、出身国や性を基準に内集団を考えれば、その基準は基本的に変動しないし、また、準拠集団な どは変動するとしてもその速度はゆっくりしていることが多いかもしれないが、X学童保育所での一連 の出来事はあまりに変動が大きかったと考えられるかもしれない。 しかし逆に言えば、小規模の集団、非営利集団、あるいは集団としての基盤が未成熟といった条件を 備えた集団であるなら、X学童保育所と同様の内集団としての不安定さがみられる可能性は十分にある と思われる。 さらに言うなら、本研究のように集団を発達的に詳細に追跡すると、現実社会における「集団」には、 そもそも安定的カテゴリーの傘下に置かれないような、曖昧な形態の「集団」が少なくないだろう。 冒頭で引用した心理学辞典による「・・・それぞれの特性を保有する程度には集団によって差がみら れる」という集団の定義は、集団が安定していることを前提とした記述であるが、現実には、集団に 6「ことばの前のことば」(やまだ,1987)からヒントを得た呼称である。
よって差がみられるだけでなく、同一集団であっても、特性を保有する程度は集団の置かれている状況 により時系列的に変化しうるのである。それと同時に、個人は内集団の範囲を変動させたり、ときには 内集団から離脱したりするのである。 個人を取り巻く関係性を、心理的一体感の程度に応じて同心円的に重層化した構造(井上,1977)、あ るいは多層的な構造(村本・山口,2003)と捉えることは、集団研究に深みをもたらしたであろうが、 反面、マクロな観点、そして時間を止めて断面を取り出すにとどまっているともいえよう。個人を取り 巻く関係性は時とともに変動し、時にはドラスティックに変化するのであり、こうした見方はマイクロ な観点、発達的な観点を捨象している。 集団研究の知見を生きた集団に適用するのであるなら、マクロな観点だけでなく、マイクロな観点、 発達的な観点を取り込むことが不可欠であろう。 3 研究者の生活に根ざしたフィールドワーク 1990 年代以降、日本の心理学においてフィールドワーク研究が徐々に普及してきた。その一連の流 れに本研究を位置づけてみると、本研究がその方法においていくぶん独特であることがわかる。 心理学におけるフィールドワーク研究のスタンダードは、箕浦 (1999) にあるように、フィールドエ ントリーに始まる。ある程度の問題意識を持って、フィールドを探し、協力を依頼することからフィー ルドワークは始まる。 一方、本研究は、フィールドでの活動が先にあり、問題意識は後から生まれてきている。本研究の特 徴の第一は、フィールドエントリーがないことである。 フィールドエントリーが事実上ないものの代表としては、学校教員や医療従事者・看護者による フィールドワークが挙げられる。ただし、これらのフィールドワークは、職業上の実践を研究対象にし ており,研究の視点をもちながら実践活動をしている。それに対して、本研究では、プライベートな生 活実践を研究対象としている。これが特徴の2つめである。 フィールドエントリーがなくプライベートな生活実践を研究対象としているものには、やまだ (1987) や麻生 (1990) が自らの子どもの発達を対象とした研究、山田 (2001) のロックバンドファンの研究な どがあるが、前者は形式上エントリーがなかっただけで、観察する前から一定の問題意識をもった研 究スタイルではある。それに対して、後者は、私的な当事者が研究者の目を持つことによって相対化 した研究ということができよう。また、自己エスノグラフィーという領域も開拓されつつある (Ellis,& Bochner, 2000) が、山田 (2001) はその領域に位置づけられるといえよう。 本研究はその意味で、山田 (2001) や自己エスノグラフィーの諸研究に近いといえるが、例えば山田 (2001) はファンにインタビューをしたりするときには、対象者に対して研究者としても関わっていた。 一方、本研究では、研究者として実践活動に関わってはいない。これが特徴の3つめである。 つまり、今回のフィールドワークは、研究者として特別な準備は何一つしていないということである が、これらの特徴は、さまざまな論点をもたらすことになる。 一言で言えば、生活者としての心理学研究はあり得るのか、ということである。換言するなら、研究 者自身の非研究活動を研究として対象化することは可能か、ということにもなる。 心理学におけるフィールドワークの目的の一つは、生活当事者の視点に立って、その視点から心理学 的事実を見出すことであるはずである。はじめから生活当事者であるなら、フィールドエントリーやラ ポールはいらないし、研究者として必要な情報も質量ともに十分である。ただし、その時点でもしも研 究者の視点を持っていたなら、である。 昨今、反省(的思考)あるいは省察 (reflexivity) がフィールドワーク研究のキーワードの一つになっ ている。フィールドワーカーがフィールドの中でどのような位置にいたのか、どういう振る舞いをし、
どういう思いを抱いてきたのか、等々を自身で振り返り、それを研究成果としての著作物(エスノグラ フィー)に反映させたり、フィールドワーカー自身をも積極的に対象化したりする。 本研究の方法は、フィールドエントリーから始まる一般的なフィールドワーク研究で重視されつつ ある反省的思考を逆の立場から追いつめていくことにつながるように思われる。すなわち、一般的な フィールドワークであれば、参与観察のうちの「参与」を深めていきながら相対化する作業になるのに 対し、本研究のような方法は、「参与」の度合いを薄めていきながら相対化する作業になるということ である。また、自身を相対化することは難しいことでもあるし、ときとしてつらいことでもあるが、自 らから立ち上がるボトムアップ型の研究として、その意義を見出すべきだと考える。 引用文献
Akrivou,K., Boyatzis,R.E., & McLeod,P.L. (2006). The evolving group: Towards a prescriptive theory of intentional group development. Journal of Management Development, 25, 689-706.
Arrow,H., Henry,K.B., Poole,M.S., Wheelan,S. & Moreland,R. (2005). Traces, trajectories and timing: The temporal perspectives on groups. in M.S.Poole, & A.B.Hollingshead (eds.), Theories of small groups, Sage, Thousand Oaks:CA, pp. 313-369.
麻生 武 (1990).「“口”概念の獲得過程:乳児の食べさせる行動の研究」発達心理学研究,1,20-29.
Chang,A., Duck,J., & Bordia,P. (2006). Understanding the multidimensionality of group development. Small Group Research, 37, 327-350.
Ellis, C. and Bochner, A. (2000). “Autoethnography, Personal Narrative, Reflexivity: Researcher as Subject,” In N. Denzin and Y. Lincoln (Eds.) The handbook of qualitative research (2nd edition) (pp. 733-768). Thousand Oaks, CA: Sage. Gersick,C.J. (1988). Time and transition in work teams: Toward a new model of group development. Academy of Management
Journal, 31, 1-41.
Le Bon, G. (1895). Psychologie des foules. F. Alcan: Paris. 桜井成夫(訳)(1993).『群衆心理』講談社学術文庫
McDougall,W. (1920). The group mind : A sketch of the principles of collective psychology with some attempt to apply them to
the interpretation of national life and character. New York : G. P. Putnam’s Sons.
村本由紀子 (1996). 集団と集合状態との曖昧な境界:早朝の公園で見出される多様なアイデンティティ 社会心理 学研究,12,113-124.
村本由紀子・山口勤 (2003).“自己卑下”が消えるとき:内集団の関係性に応じた個人と集団の成功の語り方 心 理学研究,74,253-262.
箕浦康子 (1999). フィールドワークの技法と実際―マイクロ・エスノグラフィー入門 ミネルヴァ書房
Sherif, M., Harvey, O.J., White, B.J., Hood, W.R., & Sherif, C.W. (1961). Intergroup conflict and cooperation: The Robbers’
Cave experiment. Institute of Group Relations, University of Oklahoma.
心理学辞典 (1999). 集団 有斐閣 垂澤由美子・広瀬幸雄 (2006). 集団成員の流動性が劣位集団における内集団共同行為と成員のアイデンティティに 及ぼす影響 社会心理学研究,22,12-18. 山田 希 (2001). ロックバンド「聖飢魔Ⅱ」のファン 尾見康博・伊藤哲司 (編) 心理学におけるフィールド研 究の現場 北大路書房 pp.166-175. やまだようこ (1987). ことばの前のことば-ことばが生まれるすじみち1- 新曜社
Yuki,M. (2003). Intergroup comparison versus intragroup relationships: A cross-cultural examination of social identity theory in north American and east Asian cultural contexts. Social Psychology Quarterly, 66, 166-183.