等の名医によって治することが可能であるとして詳論さ れないが、﹁心の病﹂については﹁難治﹂という規準に 立って詳しく説かれている。すなわち﹁心の病﹂は、正 像末の三時における仏法の乱れの問題として論じられ、 特に今、末法における仏法の乱れから、この度の疫病流 行が起こっているのであり、法華経に依る以外には治し 難いと主張されている。 この二通の消息では、病の諸相が総括的に提示され、 その中から﹁難治﹂という規準にもとづいて﹁心の病﹂ の問題に集約され、末法においては特に仏法の乱れにそ の問題点が絞り込まれている。そこで、この﹁難治﹂と いう視点から改めて聖人遺文をみるとき、壼理坐全景塵 等のいくつかの遺文において﹁末法為正﹂の文拠の一つ とされる浬藥経梵行品の説示︵﹃大正新脩大蔵経﹄一二 巻四八一頁︶が注目される。﹁七子の醤﹂とも称される この説示は、まさに浬桑に臨んだ釈尊が阿闇世王を罪か ら救った理由を善えたもので、父母は不平等ではないが 七人の子どものうち特に病子に心をかけるというもので ある。﹁難治﹂こそ問題とされる、また﹁病子﹂にこそ 心がおかれるという論理に、共通点が見いだされるので ある。 玉澤妙法華寺に格護されている日蓮聖人の霊注塞褒建 の筆跡は、最も早いものでも文永九年以前には遡りがた く、最も遅いものは弘安初年に属し、大半は文永十一 年から建治三年にわたって注記されたと考えられてい る。︵山中喜八編著﹃定本注法華経﹄解説を参照︶その 一方で、文永九年に佐渡塚原で執筆された﹃開目抄﹄に は﹃注法華経﹄と共通する引用文が数多く見いだせるの 以上のように二通の消息においては、病全体を提示し ながらも﹁難治﹂という規準のもとに末法における仏 法の乱れに問題が集約されていた。ここから、日蓮聖 人は﹁末法為正﹂という釈尊の御意を継承する法華経の 弘通者としての立場に立ち、仏法の乱れをただす、すな わち﹁誇法の病﹂を治すという意味での法華経による治 病を明示されたものと推察されるのである。
日蓮聖人遺文と
﹃注法華経﹄の関連
関戸堯海
(182)であって、この点で﹃開目抄﹄執筆の時点に現存の﹃注 法華経﹄の異本あるいは、それに類するものが存在し たのではないかという意見も提示されている。︵執行 海秀﹁日蓮聖人の﹃注法華経﹄について﹂﹃日本仏教﹄ 二号所収を参照︶ このような点を踏まえて考えてみると、日蓮聖人には ﹁要文﹂と称される執筆のための準備作業ともいうべき 諸経論疏からの抜き書きがあり、はじめ﹁要文﹂を基礎 として著作が執筆され、やがては﹁要文﹂が次第に整束 されていく課程において、最終的に﹃注法華経﹄の形態 となったと考えられはしないだろうか。 そこで﹁要文﹂を年代順に配列し、真蹟現存・曽存な どの信懇性の高い遺文と比較してみると、佐前期の遺文 には﹁要文﹂と密接な関わりのあるものが多く存在して いることが再確認できた。無量義経の﹁四十余年未顕真 実﹂が重要な課題として検討されている星熱畜畠姦塑、 災難対治の経証として浬桑経などの引用に重点を置く ﹃災難興起由来﹄﹃災難対治妙﹄および﹃立正安国論﹄ は﹁要文﹂が反映している遺文といえる。また﹃爾前二 乗菩薩不作仏事﹄﹃顕誇法紗﹄﹃恒河七種衆生事﹄は正 嘉から文永にかけてさかんに筆写されている.乗要決 要文﹂と直接かかわり、このほか﹃一代聖教大意﹄﹃十 法界明因果妙﹄﹃薬王品得意抄﹄﹃法華題目紗﹄﹃善無 畏抄﹄なども﹁要文﹂との密接な関係を指摘できる。 次に佐渡流罪の直前と流罪中の遺文をみてみると、 ﹃行敏訴状御会通﹄﹃開目抄﹄は﹃注法華経﹄との顕 著な共通項がみとめられ、﹃寺泊御書﹄﹃観心本尊抄﹄ ﹃波木井三郎殿御返事﹄にも﹃注法華経﹄との共通項が いくつか確認できる。この頃の遺文には﹁要文﹂との 関連はもちろんであるが、﹃注法華経﹄との類似点も あり、﹁要文﹂から﹃注法華経﹄への過渡的な段階とも いうべき印象をうける。 最後に身延期の遺文をみると、﹃浄蓮房御書﹄﹃断簡 八﹄﹃秀句十勝妙﹄などの遺文に顕著な共通項が確認で きる点については、すでにこれまで述べてきたところで ある。 ﹁要文﹂と﹃注法華経﹄そして﹃立正安国論﹄﹃開目 抄﹄などの著作との諸経論疏の引用とその目的を検討す ることによって、日蓮聖人の遺文執筆の経緯の一端が明 らかになるのではないかと考え、検討をすすめていきた い。 (I")