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機械を通じて“自然”を感じる-一九三〇年代の日本のラジオ放送における「生態放送」-

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機械を通じて“自然”を感じる−一九三〇年代の日

本のラジオ放送における「生態放送」−

著者

広瀬 正浩

雑誌名

言語と表現−研究論集−

16

ページ

5-19

発行年

2019-03-15

URL

http://id.nii.ac.jp/1454/00002651/

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論文

 

機械を通じて〝自然〟を感じる

 

おける「生態放送」──

 

 

 

 

1、問題提起   私たちは、私たちの日常的な経験の中で、様々な発信源に基づい た様々な種類の音を聴く。それは人間の話し声であったり、鳥の鳴 き声であったり、 風が窓を叩く音であったり、 自動車の走る音であっ たりする。それらの音を聴取することで、私たちは〝空間〟を感じ ることができる。音がどちらの方角から聞こえてくるのか、どのく らいの大きさで聞こえてくるのか、どんな響き方で聞こえてくるの かを感じる。私たちはその感じ方をもとに、もし仮に目を閉じてい たとしても、今自分がいる場所がどのような空間として形成されて いるのかを感じることができる。また、その音と結びついた発信源 を想像することで、その空間の固有性を認識することもできる。学 校にいる、病院にいる、駅にいる、森の中にいる、など。私たちは 意識的にであれ無意識的にであれ、様々な音の質を検証するような 態度でそれらの音を聴取し、一つの音だけでなく複数の音の重なり を捉え、空間をイメージする。いや、イメージさせられる、と言う べきか。音が私たちの想像力を規定していくのだ。   このような私たちの想像力を、自然環境に対して構成することを 意図した放送コンテンツが、かつては存在していた。一九三〇年代 にラジオ放送において人気を集めていた 「生態放送」 がそれである。 一九二〇年代後半から三〇年代にかけてラジオ放送においてスポー ツなどの実況中継放送の技術が高められていく中で、自然環境にマ イクを向けて拾った音声を放送しようとする試みが行われた。生態 放送の聴取者は、ラジオ受信機のスピーカーを通して聞こえてくる 「自然音」を聴取して楽しんだのである。   はたして、この生態放送を聴くという経験とはどのようなもので あるのだろうか。機械をわざわざ介さずとも生で自然音を聴取する こともできるはずの聴取者が、機械を通して自然音を聴きたいとい うのは、聴取者のどのような欲望によるものなのだろうか。そして 聴取者は、その欲望の主体、聴取の主体となることで、どんな世界 を生きることになるのだろうか。これらの問題について、本稿では 考察する。   生 態 放 送 に つ い て は そ れ ほ ど 研 究 が 進 ん で い る わ け で は な い が、 日本のラジオ放送の歴史をまとめた日本放送協会放送史編修室 (編) 『日本放送史』上巻・下巻・別巻(一九六五年、日本放送出版協会) が生態放送についても幾つか言及を行っているし、番組制作者側の 実 践 に 着 目 す る と い う 立 場 か ら の 小 林 利 行 に よ る 報 告 ( 1 ) も あ る。 ま た、生態放送が積極的に放送されていた一九三〇年代の同時代資料 から、生態放送をめぐる人々の欲望を知ることもできる。これらの

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資料を適宜参照しながら、生態放送をめぐる聴取者の想像力の働か せ方を分析することにする。 2、 「実況」の想像力   本節では、生態放送が登場するよりも前に行われていた、ラジオ による「実況中継放送」の成立の経緯について確認する。先に書い たように、生態放送は自然環境にマイクを向けて行われた放送であ るが、それは日本の放送業界における実況中継放送の試行錯誤の上 に成り立つものであった。そこでまず、当時のラジオ放送関係者や 聴取者が「実況」というものをどのように捉えていたのかを振り返 り、生態放送を成立させる土壌がいかにして形成されてきたかを確 認する。   日本におけるラジオの本放送が開始されたのは、一九二五年七月 一二日である。当時はまだ録音技術が発達しておらず、放送される 音声は放送局のスタジオ内のマイクロフォンに向かって、生で発せ られたものだった。マイクロフォンを屋外に持ち出して放送しよう という実況中継放送は、本放送開始当初から東京・大阪・名古屋の 三つの放送局で目論まれていたが、三局の中で最も早く実況中継放 送を開拓したのが名古屋放送局であった。一九二五年一〇月三一日 に名古屋市で行われた天長節祝賀会の様子を、現場から実況放送し たのである。東練兵場の祝賀式場で高さ約二メートルの壇上にマイ クロフォンを設け、放送局までの一千五〇〇メートルを電話線で繋 ぎ、 祝 賀 式 の 様 子 を 中 継 し た の だ っ た。 「 現 場 の マ イ ク ロ ホ ン を 通 し、 師 団 長・ 知 事・ 市 長・ 商 業 会 議 所 の 祝 辞 と 万 歳 三 唱 を 放 送 す るという簡単なものであったが、この間、飛行機の爆音・ラッパの 音・拍手などが背音としてはいったので、数万の参加軍隊・学生生 徒・一般観覧者の面前でおこなわれた祝賀式の盛況をしのぶ放送と し て、 聴 取 者 に な ま な ま し い 臨 場 感 を 与 え た ( 2 ) 」 と い う。 「 東 京・ 大 阪の両放送局が娯楽番組において豊富な放送材料を持ち合わせてい たのに比べ、放送材料に恵まれなかった名古屋放送局が、この弱点 を補強しようと、開局早々案出したも の ( 3 ) 」であった。これをきっか けに名古屋放送局は劇場から音楽や演芸を中継放送することを考案 し、 一九二六年八月二日には御園座からの中継放送に成功している。 しかし、その後は実況中継放送は盛んには行われず、一九二七年二 月七日の大正天皇御大葬の行列通過の中継放送まで空白期を迎える こととなった。   そ ん な 中、 ス ポ ー ツ 実 況 と い う 放 送 コ ン テ ン ツ が 登 場 す る。 一九二七年八月一三日に甲子園球場で開催された第一三回全国中等 学 校 優 勝 野 球 大 会( 大 阪 朝 日 新 聞 社 主 催、 現 在 の 高 校 野 球 の 前 身 ) の 第 一 日 の 試 合 が、 大 阪 中 央 放 送 局 に よ っ て 実 況 放 送 さ れ た の だ ( 4 ) 。 このとき、 有線と無線の両方が使用された。 甲子園球場に五〇〇ワッ トの放送機を置き、そこから十五キロ離れた大阪市天王寺境内に受 信所を設け、甲子園と天王寺の間を無線で、天王寺から大阪中央放 送局の放送所までを有線で連絡するという方法で中継がなされた。   この実況中継放送の実現には、制度面での条件をクリアする必要 があった。というのも、当時は放送内容の全てが逓信省の事前検閲 を受けることになっており、許可を得ないままにアナウンサーが見

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た ま ま の も の を 報 じ る こ と は 不 可 能 と さ れ て い た か ら だ。 し か し、 甲子園球場の野球の実況中継放送を行うにあたり、大阪逓信局が条 件付きでこれを認めたため(逓信局からの監督官を帯同させ、不穏 当 な 表 現 が あ っ た 場 合 は 放 送 を 中 断 さ せ る と い う も の )、 放 送 は 可 能となったのだっ た ( 5 ) 。   大阪での放送の直後、一九二七年八月二四日に、東京中央放送局 が神宮外苑球場で開催された一高対三高の野球実況を放送した。こ のときは無線中継であった。野球好きで知られていた作家の久米正 雄が松内則三アナウンサーの横で試合状況を文章化し、それを松内 が読み上げるという形で行われた。しかし、試合のスピードに即応 できず、この試みは以後中止されることとなる。   だが、 ラジオ放送の音声と文字との関係は、 別の仕方で発展する。 アナウンサーによる実況の言葉が速記され、 それが『オール読物号』 『週刊朝日』 『新青年』などの雑誌に掲載されて、活字の読み物とし て流通したのだ。 そしてこのような活字化を通じて、 各アナウンサー の語り方に注目が集まるようになり、物語的な面白さを追求してい た松内則三アナウンサーの語りと、データを重視して写実的に描写 しようとしていた河西三省アナウンサーの語りとの〝対立〟が顕在 化することになった。メディア史研究の竹山昭子はこの両者の対立 に 注 目 し、 次 の よ う に 解 釈 し て い る。 「 日 本 で は ス ポ ー ツ 放 送 の 普 及につれて「面白く」よりも「正確に」が好まれるようになり、松 内型から河西型へ歩み寄っていくのだが、そこにはラジオ聴取者層 を構成する日本社会の変質が反映されているといっていい。松内の ス タ イ ル が 江 戸 期 以 来 庶 民 に 親 し ま れ て き た 演 芸 路 線 を 継 承 し て、 「 話 芸 」 の 巧 み さ に よ っ て 人 び と の 興 趣 を 得 る も の で あ っ た の に 対 し、河西の「データ中心の写実的情報伝達」のスタイルには、昭和 初期以来の都市一般大衆が体現したモダニズムのにおいが感じられ る ( 6 ) 」。   このスポーツ実況については、日本文学研究の日比嘉高も言及し ている。日比は竹山と同様に、松内則三の実況の言葉に着目し、竹 山の「実況放送が、 スタジアムで行われている現実の野球とは別の、 〝 ラ ジ オ の 作 り 出 す 独 自 の ゲ ー ム 空 間 〟 を 創 造 し た ( 7 ) 」 と い う 記 述 に 触れるのだが、日比はラジオと活字メディアが相補的な関係にあっ たことを重視し、その「ラジオの作り出す独自のゲーム空間」の創 造に関わるものとしての活字の側を分析対象とした。そしてラジオ と 活 字 メ デ ィ ア の そ の 相 補 性 を、 次 の よ う に 説 明 す る。 「 声 は ス タ ンドで熱狂するファンを描き出し、そのファンをスピーカーを通し て聴取する数十万、数百万のファンと直結してみせる。熱狂は電波 に乗り、興奮は活字にとどめられ、声の複製技術時代の司祭がオー デ ィ エ ン ス た ち を よ り 強 固 な フ ァ ン へ と 主 体 化 し て い く ( 8 ) 」。 ス ポ ー ツの実況中継放送に熱狂する聴取者たちが自らのその熱狂に没入す る上でも、活字は欠くことのできないピースの一つであったという ことだ。   竹山や日比の指摘は、 「実況」というものが持つ恣意性や主観性、 芸術性や虚構性を暴き出している。音声としてのあるいは活字化さ れたものとしてのアナウンサーの語りは、現実の世界において生起 した客観的な出来事を対象とすることで成立してはいる。だが、そ の語りが構成するのは、様々な主体に端を発する欲望が錯綜した複

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合的で虚構性の高い出来事であって、それは語りが対象としていた 元々の出来事とは異質なものだ。現実に起こった出来事を核としつ つも、それとは異質である虚構的な出来事を出来させること、言い 換 え れ ば、 出 来 事 や そ れ を 成 立 さ せ て い る 空 間 を 分 節 化 す る こ と、 現 実 と そ の よ う に は 呼 び 難 い も の と を 分 節 化 す る こ と が、 「 実 況 」 の政治なのである。そして竹山が指摘するように、 「松内型」と「河 西型」とが聴取者の支持をめぐって対立していたとするならば、少 なくとも当時の聴取者は出来事の分節化というこの事態に対して自 覚的であった──ある出来事に対して何種類かの恣意的な語りがあ り得ることを知っていた──ということになる。   次節以降で取り上げる生態放送もおそらくは、この「実況」の政 治性を内包するものであるだろう。だがしかし、 生態放送の「実況」 が構成する(虚構的であるはずの)自然環境は、現実の自然環境と は異なっているはずではあるものの、この異なる二つの自然環境は 同等である(べきだ)という想像力が、当時の一部の聴取者の裡に 働いていたように思われる。このことについて、順を追って確認し ていきたい。 3、 「生態放送」の登場   屋外で行われるスポーツや行事などの様々な社会的イベントにマ イクロフォンを向けて行われる実況中継放送は、自然界の動物にも 向けられた。 「生態放送」である。   とは言え、最初の生態放送は室内で行われた。一九二六年の元旦 に、大阪放送局でウグイスの初音が、そして名古屋放送局でニワト リの鳴き声がそれぞれのスタジオ内から放送された。生きた鳥を抱 えた人間が大きなマイクロフォンの前に立ち、鳥を鳴かせたのであ る。スタジオの外での生態放送は、一九三〇年六月一日に大阪天王 寺動物園から鳥獣の声を放送したのが最初であった。当初は野生動 物を扱ったわけではなかった。   その後、自然の山野からの中継が行われるようになる。一九三三 年六月五日と六日に長野放送局が長野県戸隠山からヤマドリやウグ イスなどの野鳥の鳴き声を放送するのに成功する。これ以降、様々 な 地 方 の 放 送 局 が 生 態 放 送 を 積 極 的 に 行 う よ う に な り、 「 聴 取 者 の 評判もよく、 地方の放送局の重要なコンテンツに成 長 ( 9 ) 」していった。   自然情景の実況放送では、一九三三年一〇月四日に「中秋名月の 夕」として、石山(京都) ・ 銀座(東京) ・ 大沼(函館) ・ 宮城野(仙 台 )・ 姥 捨 山 田 毎( 長 野 )・ 七 尾 城 趾( 金 沢 )・ 太 宰 府( 福 岡 ) の 月 景色が「リレー放送」された。リレー放送は、大晦日に全国各地の 寺の除夜の鐘の音を中継放送するなど、盛んに行われるようになっ てい く )(( ( 。こうした展開には〝地方発信〟であることの意義が認めら れていた。メディア研究の小林利行は、 「「中央→地方」という流れ が 基 本 だ っ た 当 時 の 体 制 の 中 で、 「 地 方 → 中 央 」 と い う 流 れ に 資 す る貴重なコンテンツの一つが 「生態放送」 だったのであろ う )(( ( 」 と語っ ている。   そんな中、極めて多くの人々に注目された生態放送があった。幻 の「霊鳥」である「仏法僧」の鳴き声の実況放送である。   最初に 「仏法僧」 の実況を試みたのは、 群馬県の前橋放送局であっ

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た。一九三四年六月二六日と二七日に群馬県北部の迦葉山から「仏 法僧」 の鳴き声の全国中継を試みたが、 天候に恵まれず失敗に終わっ た。しかし翌年の一九三五年、今度は名古屋放送局が「仏法僧」の 生息地として知られていた愛知県の鳳来寺山で実地調査を行い、名 古屋局が全国で最初に作製したパラボラ型の指向性集音機を使用し て、同年六月七日と八日の夜に「仏法僧」の鳴き声の実況放送に成 功 し た の で あ る。 「 聴 取 者 か ら は 仏 法 僧 の 鳴 き 声 を き き、 夢 幻 の 境 地に引き入れられた思いであった、という類の感謝の当初が数多く 寄 せ ら れ た )(( ( 」 と い う。 た だ、 「 仏 法 僧 」 の 鳴 き 声 を 中 継 す る 際 に 俳 人たちによる座談会が挿入されていたのだが、そのときの人間の声 が 聴 取 者 に と っ て は 煩 か っ た よ う で、 「 あ れ は 鳥 の 声 を 妨 げ る と い ふ一般の 評 )(( ( 」や「悪 罵 )(( ( 」が多く寄せられることとなった。   こ の よ う な 自 然 環 境 を 対 象 と し た 様 々 な 生 態 放 送 の 蓄 積 は、 「 今 度はこんな自然音を聴いてみたい」という聴取者の更なる欲望を喚 起した。 日本放送協会の放送研究誌 『放送』 の第六巻第六号 (一九三六 年六月)で「放送させたい生 態 )(( ( 」という特集が組まれ、ハガキで寄 せられた回答が紹介されている。回答したのは、白鳥省吾、小寺融 吉、古賀忠道、飯塚友一郞、田中茂穂、加藤玄智、黒田長礼、石榑 千亦、 川路柳虹、 麻生豊、 小幡重一、 佐藤寛次、 石原修、 龍胆寺雄、 百 瀬 文 雄、 川 村 花 菱、 井 伏 鱒 二、 笹 川 臨 風、 金 子 薫 園、 今 井 一 郎、 大熊信行、堀内敬三、市川三禄、兼常清佐、紀平正美、岡田朝太郎 などといった作家や学者らであった。生態放送に刺激を受けた回答 者の多くは、日常的にはそれほど容易に聴取することができなさそ うな、自然環境における音声をそれぞれ挙げている。例えば、物理 学 者 の 小 幡 重 一 は、 「 テ ツ ペ ン カ ケ タ カ と 鳴 く 本 物 の ホ ト ト ギ ス と カツコーと鳴く似せのホトトギス、季節は違うが妻恋ふ鹿の 声 )(( ( 」を 挙 げ た。 作 家 の 井 伏 鱒 二 は、 「 土 佐 の 龍 河 洞 ─ 一 キ ロ 半 に わ た る 洞 窟内のカニ、エビ、コオロギ、コオモリ等の棲息実況、地獄の絵さ な が ら 也 )(( ( 」 と し て い る。 魚 類 学 者 の 田 中 茂 穂 か ら は、 「 放 送 は 眼 よ りも耳を主眼とするもの故目と違つて遠方の地方でも聴かれると云 ふ便利はあるが、吾々の楽みは目の方が主眼で耳は副である場合が 多 い。 ( 略 ) そ れ 故 動 物 の 生 態 放 送 と 言 つ て も 目 に は 容 易 に 見 え な いものか、 目で見なくも差支へないものに限る。/斯様に考へると、 仏法僧、河鹿、鶯目白の競演と云ふようなもの、秋の虫の声などで なくてはならぬ。鯛網、鮎釣などは放送としての価は無いものゝや うに思はれ る )(( ( 」といった評価が出された。一方、新興芸術派の作家 で あ る 龍 胆 寺 雄 は、 「 議 会 に 於 け る 議 員 の 生 態 描 写 は ま か り な ら ぬ に や。 動 物 園 の そ れ の ご と く 面 白 か ら ん と 愚 考 す 」「 代 表 的 大 工 場 の 描 写 も 意 義 あ る べ し )(( ( 」 な ど と い っ た ユ ニ ー ク な 回 答 を し て い る。 ま た、 音 楽 学 者 の 兼 常 清 佐 は、 「 ち よ つ と で い ゝ か ら 月 の 光 や 星 の 光を聞きたいので す )(( ( 」などと述べている。   他にもこのラジオの生態放送は、学術的な功績も残した。音響工 学 の 田 口 泖 三 郎 は、 「 三 河 の 国 鳳 来 寺 の 山 奥 に 秘 め ら れ た 鳥 の 声 は 昭和の音響学の発達に貢献するところ大なるものがあり、これが出 来るのもラヂオのお蔭だと言へ る )(( ( 」と述べているが、これは名古屋 局の一九三五年の「仏法僧」の生態放送を契機に、 「ブッポーソー」 と鳴いているのは仏法僧として知られている鳥ではなく、コノハズ クであることが判明したことを指してい る )(( ( 。

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  いずれにせよ、この生態放送によって、自然環境に存在する音声 つまり自然音を、ラジオで聴くべき価値を有する対象として捉える 思考のフレームが形成され、それが多くの聴取者に共有されること となった。自然音は人々の日常生活の背景に置かれているだけの音 ではなく、ましてや雑音でもなく、美的なものとして聴かれるべき 音 声 と し て、 人 々 に 受 け 入 れ ら れ て い っ た の だ。 こ う し た 事 態 は、 いわゆる「環境美学」と呼ばれる学問領域においても問題になるだ ろうが、 この点について掘り下げて考察する余裕を本稿は持たない。 4、 「擬音」と異なる自然音   生 態 放 送 が 積 極 的 に 放 送 さ れ て い た 一 九 三 〇 年 代 当 時、 「 ラ ジ オ ドラマ」もまた放送されていた。   ラジオドラマは、音声のみで構成される物語表現で、テレビ放送 が普及する一九六〇年代より前の時代におけるドラマの形態の主要 なものの一つである。ドラマを構成する音声には主に三つの種類が あ る。 登 場 人 物 の 台 詞 を 担 う 人 間( 出 演 者 ) の「 声 」、 出 来 事 を 印 象づけたり場面と場面との橋渡しを効果的に演出するために用いら れ る「 音 楽 」、 そ し て、 登 場 人 物 た ち が 引 き 起 こ す 出 来 事 が ど の よ う な 空 間 に お い て 生 じ た も の で あ る か を 示 す 働 き を す る「 効 果 音 」 である。本稿で取り上げている野鳥の鳴き声のような自然環境を想 像させるような音は、 右の三つの区分のうちの 「効果音」 に括られる。   生態放送では、現実の自然環境において実際に聴くことのできる 生の音声がマイクロフォンに拾われて、放送されていた。それに対 してラジオドラマでは、そういったものとは異なる音声が多用され ていた。 「擬音」である。   まだ録音技術が発達していなかった当時のラジオドラマは、放送 スタジオ内で役者らによって生で演じられ発せられた音声が放送さ れ て い た。 ス タ ジ オ 内 で あ る 以 上、 そ こ で 雨 が 降 る こ と は な い し、 波が打ち寄せることもない。ましてや、 銃が発砲されることもない。 雨が降るシーンや海辺で語り合うシーン、銃撃シーンなどをドラマ の中で再現しようとしても、生の音を使うことは不可能だった。そ のため、生の音に代わって擬音が利用されたのである。擬音という 現実の音に似せた偽の音を利用することで、聴取者に、物語世界を 生々しく想像させたのだっ た )(( ( 。   一九三四年、群馬県の迦葉山の「仏法僧」の鳴き声の実況中継放 送 が 失 敗 し た の と 同 じ 年 に ラ ジ オ ド ラ マ に つ い て の 著 書 を 出 し た 佐々健治は、擬音について次のように説明していた。 舞台で戸を叩く、扉が開く、人物が現はれる。戸の音、扉のき しる音、足音、これらは何らの不思議もなく、我々の耳に伝は つて実感を起させる。たとへ我々が目をつぶつてゐても、ああ ノツクしてゐるな、扉が開いたな、足音がしたなと、すぐ聞き 分けられる。これがマイクロフオンを通す場合、舞台そのまま に 演 ぜ ら れ る の で は 不 充 分 で あ る。 舞 台 を 忠 実 に 再 現 し た ら、 かなりちがつた音響が我々の耳に達することがある。原音と再 生音とは明かに違つてゐる場合がある。擬音の研究は、要する にいかにして原音を生ぜしめるか、いかにして原音に近い音を

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出すかといふ努力に外ならない。再生音と原音の区別がつかな く な れ ば 擬 音 の 研 究 は 大 き な 役 目 を 果 た し た と も 言 へ る だ ら う。 /( 略 ) / 擬 音 は、 ラ ヂ オ 芸 術 の 総 て に 利 用 さ れ て ゐ る。 即ち、 ラヂオドラマ、 ラヂオ風景、 舞台劇、 映画劇、 脚本朗読、 漫談、落語、講談、人情噺、掛合噺等総て放送には欠くべから ざる要素である。音楽放送には、楽器又は声帯よりの人声を主 と す る が 故 に、 自 然 音 又 は 生 物 の 啼 き 声 を 模 写 す る こ と に は、 重きををいてゐない。/擬音は、森羅万象総ての音響を模倣す るものであるが、 自然音から言へば、 風の音、 波の音、 水の音、 雨の音、雪、雷鳴、小物としては、格子、障子、扉、半鐘、汽 車。生物としては、虫、鳥、犬、猫、蛙、馬、さては乳呑子ま でも擬音扱ひにされてゐ る )(( ( 。   「 原 音 と 再 生 音 と は 明 か に 違 つ て ゐ る 場 合 が あ る 」 と い う 状 況 下 で、 「 擬 音 は、 ラ ヂ オ 芸 術 の 総 て に 利 用 さ れ て 」 い た。 擬 音 は「 森 羅万象総ての音響を模倣するもの」であり、 その模倣の対象は、 「自 然音又は生物の啼き声」であった。生態放送においては、生きた鳥 の 生 の 鳴 き 声 を 何 と か し て 放 送 し よ う と 試 み ら れ て い た わ け だ が、 同時代に放送されていたラジオドラマでは、聴取者に「これは鳥の 鳴 き 声 だ 」 と 認 識 さ せ る た め に、 「 自 然 音 又 は 生 物 の 啼 き 声 」 の 模 倣が行われていたということになる。この取り組みによって、現実 の自然環境においては鳴くことのない鳥も、ラジオドラマにおいて は鳴いたのである。自然音に対する扱い方の違いが、ラジオドラマ と生態放送との違いでもあったのだ。   佐々の文章にもあったように、当時の機械の技術の性能からして も、 マイクロフォンを通してスピーカーから聞こえることになる 「再 生 音 」 は、 「 現 実 の 自 然 環 境 に お い て 実 際 に 聴 く こ と の で き る 生 の 音」=「原音」とは明確に「区別」されるものであった。両者の音 質 (聴感上の性質) は大きく乖離していたのである。そこで、 「原音」 とは異なる仕方で発せられている音を、機械を介して「再生音」と して聴取者に聴取させることで、あたかも聴取者の聴いている音声 が「原音」であるかのように感じさせようとしたのだ。   で は、 「 自 然 音 又 は 生 物 の 啼 き 声 」 を 聴 取 者 に 感 じ さ せ る 擬 音 と い う も の は、 ど の よ う に し て 生 み 出 さ れ た の だ ろ う か。 「 原 音 」 の 発生とは異なる仕方とはどのようなものか。佐々健治は、以下の引 用のようにその方法を述べている。 蛙の鳴き声 /赤貝の殻二個あれば、充分である。赤貝の背を摺 り 合 せ る と、 実 に 巧 妙 な 蛙 の 鳴 き 声 が 聞 え る。 / 虫、 鳥、 犬、 赤坊 /雀の鳴き声は算盤、雲雀や梟は楽器を用ひ、鶏鳴は、人 間が口でやる。赤坊は本物ならば、これに越したことはない訳 け だ が、 惜 し い か な、 き つ か け が う ま く 行 か な い。 此 頃 で は、 玩具の赤坊で、巧妙な声を出す物が出来てゐる。/犬はよく馴 れた本物で、ワン〳〵吠えさせることも出来る。井上正夫氏の 飼犬なども、 主人の命令をよくきいて、 マイクロフォン前でも、 よく吠えるが、多くは人間が代つて吠え る )(( ( 。   こ の 時 代 の 聴 取 者 は、 生 態 放 送 を 通 じ て 鳥 や 虫 の 鳴 き 声 を 聴 き、

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また、ラジオドラマを通じて鳥や虫の鳴き声を聴いた。それぞれの 音声の発信源は同じではない。一方の音声は現実の自然環境におい て本当の鳥や虫が発したものであるかもしれないが、もう一方の音 声は右の引用のような手法で何かの道具(赤貝の殻や算盤など)を 使って発せられたり、人間の口から発せられたものである。しかし い ず れ の 音 声 も、 「 鳥 や 虫 が 鳴 い て い る 」 と い う こ と を 聴 取 者 に 感 じさせている。ところが当時の聴取者が、生態放送を聴きながらそ の音声を擬音ではないのかと疑うことはなかったようなのだ。   先に引用したように、佐々健治は「擬音は、ラヂオ芸術の総てに 利用されてゐる」と言っていた。そしてその「ラヂオ芸術」の例と して、 「ラヂオドラマ、 ラヂオ風景、 舞台劇、 映画劇、 脚本朗読、 漫談、 落語、講談、人情噺、掛合噺等」を具体的に挙げていた。そこには 生態放送は含まれていない。これはあくまで放送者側による見立て で は あ る が、 実 況 中 継 放 送 の 一 環 と し て 登 場 し た 生 態 放 送 は、 「 ラ ヂオ芸術」とは異なるものとして認識されていたということだ。こ こでは「芸術」と「実況」との対立が前提されている。あるいは作 為と無作為との対立と言い換えるべきであろうか。   しかし、直ちに思い出されるべきこととして、竹山昭子や日比嘉 高が指摘していたように、スポーツの実況中継放送はアナウンサー の独特な語りによって構成されるものであった。スポーツの試合と いう客観的な出来事を対象化する実況の語りそれ自体は恣意的で主 観的なものであり、その主観的な語りが、スポーツファンやラジオ 聴取者の欲望を取り込みながら、虚構的な物語世界を構成していた のだった。客観的な出来事を実況するアナウンサーの語りにも、作 為性や「芸術」性を認めることはできる。実況の「実」という語が 客観的な現実に対する忠実性を含意していたとしても、語りが介在 している以上、実況中継放送は「芸術」性を捨象しきれないのであ る。生態放送において再生される自然音を擬音ではないのかと疑う こ と が な い の は、 「 実 況 」 の 政 治 に 抗 う 聴 取 者 の 倫 理 に 支 え ら れ た ものだと言えるかもしれない。   「実況」の語りの「芸術」性は、 「ラヂオの演劇化」という言葉で も説明されるものであった。日本野鳥の会の設立者であった中西悟 堂 は、 一 九 三 〇 年 代 の 中 期 に 生 態 放 送 に つ い て 語 っ た 文 章 の 中 で、 次のように述べている。 この客観としての「実況」をば、生きた実況として吾々が受け 取るには、アナウンサー氏の多分な主観的立体化が要求される の で あ る。 ( 略 ) 対 象 の 時 間 的 要 素 と 空 間 的 要 素 と が 如 何 に 総 合され、如何に立体化され、如何に渾然たる対象として報道さ れるかが問題であつて、客観をして鮮やかな客観たらしめるた めに、主観の高度の燃焼が動員されるのである。ラヂオの演劇 化が問題とされつつあるのもこのためであら う )(( ( 。   野鳥の鳴き声に対して研究家としての立場をとる中西悟堂は、野 鳥の鳴き声の「客観」性をこそ追求したいのではないのか、と私た ちは考えがちである。無論中西はその「客観」性を追求してはいる の だ が、 そ の 過 程 で の「 主 観 」 を 排 除 し な い の だ。 中 西 は「 実 況 」 は「 客 観 」 で あ る と 明 言 し て い る。 し か し そ う 明 言 し つ つ も、 「 客

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観をして鮮やかな客観たらしめる」ような「客観としての「実況」 」 の成立は、アナウンサーの語りによる「多分な主観的立体化」つま り「ラヂオの演劇化」によって達成されるのだとしている。 「客観」 に奉仕するものとしての「主観」を、 中西は要求しているのである。   た だ し、 「 客 観 を し て 鮮 や か な 客 観 た ら し め る 」 と い う こ の 中 西 の言い方には、 改めて注意を払っておく必要はある。 「客観」が「鮮 やかな」ものであるかどうかは、その音声を聴取することによって 評価することができるはずだ。つまり、この「鮮やかな客観」とは 聴取者の主観混じりの感受性によって規定されるものである。そし て、 放送され聴かれることによって成立する「鮮やかな客観」とは、 野鳥が鳴いているという現実的な出来事自体の客観性とは異なるも のだ。その意味において、中西の右の発言は、アナウンサーの「主 観」と聴取者の主観との協働性が、実況中継放送としての生態放送 の成否を規定する、ということを述べているのである。そう考える と、生態放送の聴取者の想像力と、ラジオドラマの聴取者の想像力 は、それほど大差がないように思われる。   「 ラ ジ オ ド ラ マ の 銃 声 は 発 射 さ れ た か ら 鳴 る の で は 無 く、 鳴 つ た から発射されたことを知るのであ る )(( ( 」という当時のラジオドラマ評 がある。ここで言われている事態はおそらく、生態放送においても 同じなのだ。スピーカから聞こえてくる音声が現実の野鳥から発せ られたものであるのか、それとも擬音の発生装置から出力されたも のであるのかは、生態放送においても根本的な問題ではない。もち ろん、現実の自然環境で拾われた音であるはずだという聴取者の信 頼が生態放送を支えているというのは間違いない。しかし、重要な のはそこではない。現実の自然環境における野鳥の鳴き声を生でマ イクロフォンで拾っても、スピーカーから発せられる「再生音」が 音 質 的 に「 原 音 」 を 再 現 す る こ と は、 お そ ら く な か ろ う。 「 放 送 の 際マイクロフオンを通すと、真音よりも擬音の方が聴取者に一層真 音そのものゝ感じを与へる事が多々あ る )(( ( 」という意見も当時あった のだ。重要なのは、野鳥の鳴き声として「再生音」を聴取して聴取 者が想起した出来事が、客観的に実在する現実の自然環境に他なら ないと当の聴取者によって実感されていたということなのである。   したがって、私たちが向き合うべき問いは、ラジオドラマを聴く ときも生態放送を聴くときも、ラジオ聴取者は自分が聴取した音声 から、 その音声の発信を必然とする出来事というものを想起するが、 生態放送を聴いた際に想起するその出来事の客観性を信憑する聴取 者の想像力は、どのように成立しているものであるのか、というも のになる。 5、聴取者の自然観賞の技術   本稿第3節でも言及したように、生態放送には室内から放送され るものと野外から放送されるものの二つがあった。このことについ て、中西悟堂は「室内から放送されるものは一般の人々がその実際 に接し易いものであるに反して、野外のものは種々な意味に於て大 衆が接する機会の少いものであ る )(( ( 」と述べている。鷹狩りの実況や 「 仏 法 僧 」 の 鳴 き 声 を 扱 う よ う な 生 態 放 送 は、 確 か に 当 時 の ラ ジ オ 聴取者の日常から隔たった出来事を対象としていた。聴取者の日常

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からの隔絶が、放送内容としての音声の〝聴くべき価値〟を規定し ていたのである。生態放送は、全国の様々な風物や自然環境を対象 としていた。その意味で、 生態放送が扱っていたのは、 音による「地 方」イメージだったと言えよう。そしてその「地方」には、 「都市」 にはない(既に失われた) 「野生」の自然環境があり、その「野生」 を感じさせてくれる音声というものを生態放送を通じて聴取したい と、聴取者は考えていた。屋外での生態放送というものにラジオ聴 取者が求めていたものは、エキゾチシズムに満ちた自身の自然観を 追認し補完してくれる何物かであったのだ。   作家の吉田絃二郎は、一九三六年の随筆「仏法僧・田植・ 茶 )(( ( 」の 中 で、 「 仏 法 僧 」 の 鳴 き 声 を ラ ジ オ で 聴 い た そ の 感 激 を 振 り 返 り つ つも、次のように注文をつけていた。 たゞ仏法僧にしても、河鹿にしても放送の場合には鳴き過ぎる やうな感じがする。仏法僧は山で聴いたことはないから何とも いへぬが、河鹿にしてもたいていは山の渓などで聴くをりはも つと間遠うである。忘れたころにほそほそと遠音を聴くのはま ことに風情がある。味がある。二十分三十分ラヂオの前に坐つ てゐて、 たゞ一声か二声だけ聴いたゞけでもありがたいと思ふ。 たとひ二十分三十分坐つたまゝで声を聴かなかつたにしても面 白い。芭蕉の句に/霧時雨不二を見ぬ日ぞおもしろき/といふ が あ る が、 富 士 は 眺 め て も 秀 麗 無 比 で あ る が 見 え ぬ 日 も 尊 く、 ありがたい。/仏法僧にしろ、河鹿にしろ鳴くを聴くばかりが 尊いとは限らない。朝早くラヂオの前に坐つて水鶏の声を聴く べく、待ちわびつゝ、つひに水鶏を聴かずしまひになるやうな ことがあつてもありがたいと思 ふ )(( ( 。   やはり興味深いのは、現実の自然環境において野鳥が鳴いている その様子を拾って放送したはずの生態放送に対し、吉田が「鳴き過 ぎるやうな感じ」を抱いてしまっている点だ。いくら「実況」とい う実践が現実をそのまま聴取者に伝えるものではないという点で編 集 的 な も の だ と し て も、 生 態 放 送 は ラ ジ オ ド ラ マ と は 異 な り、 発 声のタイミングを意図的に操作することは不可能である。その点に 限 っ て 言 え ば、 生 態 放 送 は 現 実 の あ り の ま ま を 再 現 し て い る の だ。 しかし、放送に対して「鳴き過ぎるやう」だと批評する吉田は、あ た か も ラ ジ オ ド ラ マ に 対 し て「 反 写 実 的 だ 」「 非 現 実 的 だ 」 と 論 じ る か の よ う な 態 度 を 取 っ て し ま っ て い る。 吉 田 は 生 態 放 送 に、 「 鳴 き過ぎるやうな」 ことのないものを期待していたのだ。それこそが、 「 自 然 と は こ の よ う な も の で あ る 」 と い う 自 ら の 自 然 観 に 適 っ た も のであるからだ。しかし、吉田が聴いた生態放送は、吉田の自然観 を 追 認 す る も の で は な か っ た。 吉 田 の 期 待 は 裏 切 ら れ た の で あ る。 野 鳥 の 発 声 の タ イ ミ ン グ に 関 し て は 自 然 状 態 で あ る は ず の そ れ を、 吉田は「自然とはこのようなものである」という定義から逸脱する ものとして否定するのである。 自然を自然じゃないと否定するのだ。 やや屈折した態度というものが、そこにはある。   ま た、 吉 田 の 自 然 観 に 基 づ く と、 「 ま こ と に 風 情 が あ る 」 自 然 観 賞 と い う も の は、 「 忘 れ た こ ろ に ほ そ ほ そ と 遠 音 を 聴 く 」 も の で あ る。この「忘れたころに」という〝 間 ま 〟というものへの期待は、鑑

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賞者の意図を超えた不確定性というものを現実の自然環境のうちに 認めることで成立する。だが、 「鳴き過ぎる」というのも鑑賞者(こ の場合はラジオの聴取者)の意図を超えた不確定的なものではない のか。自然というものの持つ不確定性のある一面を認め、別の面を 認めないというのは、単なる自然の私物化に過ぎない。   一つ注目しておきたいのは、自然環境に対して「風情」を感じ取 る 吉 田 絃 二 郎 の そ の 感 性 を 保 証 し て い る の が、 「 芭 蕉 の 句 」 で あ る という点だ。俳人である松尾芭蕉とその一門が確立した俳諧の概念 は「蕉風俳諧(正風俳諧) 」などと呼ばれているが、 「わび」 「軽み」 などの鍵語で表されるその美意識に基づく自然への構えは、いわば 文学的な想像力のフレームによって自然環境を把捉しようとする態 度に他ならない。そのフレームには、自然環境を把捉する主体自身 が自然に対して抱いている願望が反映しているし、そもそもその願 望自体がフレームによって形成されているとも言えるよう。   生態放送を批判する吉田は、放送の聴取に先立って獲得している 自然観に基づき、放送を批判している。野鳥の鳴き方というのはそ ういうものではない、 と。ただその吉田の自然観自体は、 「芭蕉の句」 を参照する彼自身の態度からもわかるように、無媒介的に自然に接 し た と い う 体 験 に よ っ て 形 成 さ れ た も の で は な い の だ。 「 こ の よ う に自然を捉えるとよい」という命令を自己に課すような美意識(エ キゾチシズムを含む) が規定する、 自然環境を把捉するためのフレー ムこそが、吉田にとっての自然観そのものだったのだ。   ラジオの生態放送を聴いて「鳴き過ぎるやう」だとする吉田絃二 郎は、現実に起きていたであろう自然環境での出来事とラジオの放 送が再現する出来事との間のズレを、不本意なものだと理解してい る。ズレをズレとして楽しむ余裕が吉田には無いことをひとまず措 くとしても、このことは、吉田がラジオの生態放送をあたかも現実 の自然環境に耳を澄ますかのように聴こうとしてしまっていること を意味していよう。 それは、 「二十分三十分ラヂオの前に坐つてゐて、 たゞ一声か二声だけ聴いたゞけでもありがたいと思ふ。たとひ二十 分三十分坐つたまゝで声を聴かなかつたにしても面白い」と語って いることからも言える。放送コンテンツの商品価値をめぐる今日的 な見方からすれば、二十分以上も「声を聴かなかつた」ということ は「 放 送 事 故 」 に 匹 敵 す る あ っ て は な ら な い こ と だ と 言 え よ う が、 生態放送に録音技術が導入されていなかった時代においては、その ような放送も聴取者として許容できたのかもしれない(もちろんこ の吉田の感性を当時の聴取者の感性として一般化すべきではない) 。 だがこの吉田の態度、自然環境をメディアを通じて経験することと 無媒介的に自然環境を経験することを混同しているかのような吉田 の態度には、十分な注意を払う必要がある。これは、ラジオ放送と いうものが成熟し、発信源から隔たった場所にいる不特定多数の聴 取者に向けて音声を届けるラジオというものが不透明な存在ではな くなったことを示す、ラジオ聴取者の聴取のありようであるのかも しれない。   生態放送におけるラジオの透明化には、人為性を排除しようとす る放送者も貢献していた。名古屋放送局の「仏法僧」の実況中継放 送について報告する上野千秋は、次のように述べている。

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「 自 然 実 況 で 教 へ ら れ た 事 」 先 づ 第 一 は、 マ イ ク ロ フ オ ン を 現 場 へ 持 ち 出 し た 事 そ れ だ け で、 「 ザ ツ オ ー ケ ー」 で あ る。 何 を 好んで蛇足を加へんやである。親切な解説アナウンスの名調子 も森羅万象ことごとくが息吹き交はす、あの「たゝずまひ」に は 及 ば ぬ と い ふ 事 で あ る。 / 自 然 の も つ 空 気 を 吸 収 せ し め ば、 マイクロフオンは、更に人為的な技巧的なものを挟雑する必要 はない。思ふに、机上で考へた演出技巧は、現場へ到つて何等 の権威をなさゞる事だ。中継係も、アナウンサーも、自然と同 化さへすれば、構成も、原稿も指揮も要らぬ、努力すれば水墨 の南画に賦彩するの愚を重ねるであろ う )(( ( 。   「森羅万象ことごとくが息吹き交はす、あの「たゝずまひ」 」ある い は「 自 然 の も つ 空 気 」 と い っ た も の は、 「 現 場 」 マ イ ク ロ フ ォ ン を設ける以外の「人為的な技巧的なもの」を排することで、放送さ れた再生音が構成する出来事にトレースすることが可能である── そ う し た 認 識 が、 「 現 場 」 を よ く 知 る と い う 特 権 的 な 立 場 か ら 肯 定 されるのだ。   しかし、名古屋放送局の上野のように生態放送における人為性の 排除を唱える立場に対し、野鳥研究家の中西悟堂の「鳥の声のやう な微妙なものは心を澄まして聴くべきものであるから人間的雑音は あまり入らぬ方がよい。が併し、多種の小鳥の声が一度に放送され る 場 合 は、 鳥 声 を 妨 げ ぬ 程 度 の 註 が 必 要 で あ ら う )(( ( 。」 と い っ た 発 言 のような、人為性の程度を問題にする立場もあったことは追記して おきたい。 6、まとめと今後の課題   本稿では、一九三〇年代に登場したラジオ放送における「生態放 送」に注目し、そこにどのような想像力が働いてきたのかを見てき た。スポーツや行事など社会的なイベントの実況中継放送の技術の 延 長 線 上 に 登 場 し て き た 生 態 放 送 で あ っ た が、 「 実 況 」 と い う も の が持つ主観性や恣意性、芸術性や虚構性は、生態放送においても当 然 認 め ら れ る も の で は あ っ た。 し か し、 生 態 放 送 の 聴 取 者 た ち は、 放送された音声が構成する自然環境というものを客観的なものとし て受けとめる傾向にあった。このことは、同時代に存在していたラ ジオドラマと比しても言えることである。聴取者たちはそれぞれの 自然観に則ってラジオの生態放送を捉えていたが、その態度は、ラ ジオというメディアを透明化してしまう想像力と結びつくものだっ た。しかし、ラジオを透明なものとしえたとしても、実際には彼ら が 無 媒 介 的 に 現 実 の 自 然 環 境 に ア ク セ ス し て い た わ け で は な か っ た。 彼 ら は「 都 市 / 地 方 」 と い う 二 項 対 立( 「 自 然 」 を 遠 く に あ る ものとする図式) の上で、 文学や芸術などによって規定されるフレー ムを媒介して自然環境にアクセスするより他になかったのである。   ラジオ放送の再生音が構成する自然環境と現実の自然環境とを同 一のものと見なした当時のラジオ聴取者の態度は、生態放送に録音 技術が導入されていなかったことと無関係ではありえない。マイク ロフォンの前の出来事と聴取者が聴くことのできる出来事とが共に 「 い ま 」 起 こ っ て い る こ と だ と い う こ の 同 時 性 は、 二 つ の 自 然 環 境 を同じものだと捉えたい聴取者の欲望を十分に支えている。その意

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味で、後に生態放送において録音技術が活用されたことは、ラジオ 聴取者にとっても大きな意味があったはずだ。   日本における放送で初めて録音が使われたのが、一九三二年一一 月二二日のジュネーブから映画会社の協力を得て行った国際放送で あった。 日本放送協会には一九三六年まで放送用の録音設備はなく、 レコード会社に依頼しながら録音放送を行ってい た )(( ( 。録音放送が本 格的に行われたのは、一九三六年八月のベルリン・オリンピックで の実況中継で、日本とドイツとの間の時差の関係で同時中継が適当 でない競技の様子をドイツ側で録音し、それを適当な時間に再生し て無線中継するというものだった。その後、場所や時間の制約を受 ける生中継に代わるものとして導入され、生態放送にも録音が活用 されるようになっていく。   野鳥などの鳴き声を録音した音声が、それが鳴いたのとは別の時 間に再生され、聴取者がそれを聴取したとしても、野鳥が鳴いたと いうその自然環境での出来事にリアルタイムで参加したという意識 を 聴 取 者 が 持 つ こ と は、 難 し か っ た の で は な い か。 い や あ る い は、 現実の自然環境の時間に同期できなくても、その時間とは異なる水 準の、再生音によって構成される虚構的な自然環境の時間に同期す ることで、聴取者は参加意識を持ちえていたのだろうか。それにし ても、録音技術導入以前の生態放送においては、現実の自然環境の 時間と聴取者として参加できる時間とが同一のものであると聴取者 自身も信じることができたから、二つの自然環境を同じものだとす る聴取者の認識は成立したのかもしれない。しかし録音技術導入以 後は、二つの自然環境を同じだとする認識は、聴取者自身の参加意 識の持ち方のみにかかっていよう。   しかしながら、録音物としての自然音は、そもそもどのようなも のであるのだろうか。現実の自然環境の「いま」と強く結びついて いる音と、録音されたことで「いま」を超えて再生可能な音とのズ レ は、 ( 現 実 的 で あ れ 虚 構 的 で あ れ ) 自 然 環 境 に ア ク セ ス す る 鑑 賞 者=聴取者の身体性に影響を与えるだろう。発信源から切り離され た 録 音 物 と し て の 自 然 音 は、 脱 コ ン テ ク ス ト 化 可 能 な も の と さ れ、 記 号 化 さ れ カ タ ロ グ 化 さ れ る。 そ の よ う な 自 然 音 は、 「 自 然 」 を 遠 く に あ る も の だ と 考 え る 聴 取 者 の、 「 地 方 」 に 対 す る エ キ ゾ チ シ ズ ムをより満たすものに純化されるだろう。   そ の 一 方 で、 録 音 技 術 は 自 然 音 を 素 材 化( サ ン プ リ ン グ ) す る。 そしてこのような素材としての自然音を扱った音楽ジャンルとして 「環境音楽」 「アンビエントミュージック」というものがある。こう した音楽は、 私たちの自然観賞とどのような関係を結ぶのだろうか。   ここでの議論は、まだまだ本稿では論じ尽くせない数多くの問題 を抱えている。これらについては、 稿を改めて論じることとしたい。 ( 1)   小 林 利 行「 野 鳥 の 鳴 き 声 を 生 放 送 で 全 国 へ   戦 前 の ラ ジ オ「 生 態 放 送 」 へ の 取 り 組 み 」( 『 放 送 研 究 と 調 査 』 六 六 四 号、 二 〇 一 六 年 四 月、 N H K 放 送文化研究所、七四〜八三頁) 。 (2)   日本放送協会放送史編修室(編) 『日本放送史』上巻(一九六五年、 日本 放送出版協会) 、一〇三頁。 (3)   同前、一〇三頁。 ( 4)   こ の と き の ア ナ ウ ン サ ー は 魚 谷 忠 で あ っ た。 な お、 竹 山 昭 子『 ラ ジ オ の 時代   ラジオは茶の間の主役だった』 (二〇〇二年、 世界思想社)には、 こ

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の 野 球 の 実 況 放 送 に つ い て の 次 の よ う な 記 述 が あ る。 「 こ の 放 送 の 可 否 を め ぐ っ て は、 主 催 者 側 の 大 阪 朝 日 新 聞 社 と、 球 場 を 所 有 す る 阪 神 電 鉄 に、 ラ ジ オ 放 送 を す る と 球 場 入 場 者 が 減 る の で は な い か と 懸 念 す る 意 見 と、 ス ポ ー ツ の 大 衆 化 の た め に 放 送 す べ き だ と す る 賛 否 両 論 が あ っ た が、 結 局、 朝 日 新 聞 の 重 役 で B K の 常 務 理 事 を 兼 ね て い た 岡 野 陽 之 助 が あ っ せ ん し、 野球中継が実現することになった」 (一六七頁) 。 (5)   竹山前掲書、一六七〜一六八頁。 (6)   同前、一八六〜一八七頁。 (7)   同前、一八六頁。 (8)   日比嘉高 「声の複製技術時代   〈スポーツ空間〉 と複合メディア状況」 (疋 田 雅 昭・ 日 高 佳 紀・ 日 比 嘉 高( 編 )『 ス ポ ー ツ す る 文 学   一 九 二 〇 ─ 三 〇 年 代 の 文 化 詩 学 』 二 〇 〇 九 年、 青 弓 社 )、 一 二 八 頁。 日 比 の 考 え に 拠 れ ば、 録 音 が 不 可 能 で あ っ た 当 時 の ラ ジ オ 放 送 に お い て は、 ア ナ ウ ン サ ー の 発 言 の速記=文字化は広い意味での「録音」であった。なお、 このアイデアは、 坪井秀人 『声の祝祭   日本近代詩と戦争』 (一九九七年、 名古屋大学出版会) に基づいている。 ( 9)   N H K 放 送 文 化 研 究 所・ 文 研 ブ ロ グ「 放 送 ヒ ス ト リ ー #22 「 生 態 放 送 」 っ て 聞 い た こ と あ り ま す か?」 ( https://www.nhk.or.jp/bunken-blog/400/242451.html 、 投 稿 日: 二 〇 一 六 年 四 月 一 五 日 ) 最 終 ア ク セ ス 二〇一八年一二月三〇日。 ( 10)   日本放送協会放送史編修室(編)前掲書、二三七頁。 ( 11)   小林前掲論文、八二頁。 ( 12)   日本放送協会放送史編修室(編)前掲書、三九六頁。 ( 13)   中西悟堂 「生態放送論   主として野鳥に関して」 (『放送』 第六巻第 六号、 一九三六年六月、日本放送協会) 、一四頁。 ( 14)   「「生態放送」 に何を学んだか?」 (『放送』 第六巻第 六号、 一九三六年六月、 日 本 放 送 協 会、 五 四 〜 六 三 頁 ) に お け る 上 野 千 秋「 ぶ つ ぱ う そ う   名 古 屋 中央放送局」 、六〇頁。 ( 15)   「放送させたい生態」 (『放送』第六巻第 六号、 一九三六年六月、 日本放送 協会、四四〜四七頁) 。 ( 16)   同前、四五頁。 ( 17)   同前、四六頁。 ( 18)   同前、四四頁。 ( 19)   同前、四六頁。 ( 20)   同前、四七頁。 ( 21)   田口泖三郎「仏法僧の鳴く音」 (『放送』第六巻第 六号、 一九三六年六月、 日本放送協会) 、四九頁。 ( 22)   前出の上野千秋に拠れば(注 14参照) 、 この学界での決定を受けて放送局 では、 「かうした問題の鳥を 「仏法僧」 と銘打つて放送してもいゝのか、 或は、 か う し た 学 界 の 談 義 を 全 然 無 視 し て マ イ ク に 乗 せ て も い ゝ の か、 こ の 点 尋 常 一 様 の 困 惑 で は な か つ た 」( 五 九 頁 ) も の の、 「 マ イ ク に 完 全 に キ ヤ ツ チ さ れ る 鳴 声 を そ の ま ゝ、 こ れ こ そ 紛 ふ か た な き 仏 法 僧 で あ る と 断 じ て 差 支 ないと云ふのが局内の一致した意見だつた」 (五九頁)という。 ( 23)   「擬音」については、広瀬正浩『戦後日本の聴覚文化   音楽 ・ 物語 ・ 身体』 (二〇一三年、 青弓社)の第八章「 「擬音」のリアリティ」を参照されたい。 ( 24)   佐 々 健 治『 ラ ヂ オ 演 劇   鑑 賞 と 作 方 』( 一 九 三 四 年、 同 文 館 )、 三 五 〜 三七頁。 ( 25)   同前、四七〜四八頁。 ( 26)   中西前掲論文、一三頁。 ( 27)   「 あ ち ら の 擬 音   ウ ヰ ン 局 の お 道 具 拝 見 」( 『 放 送 』 第 六 巻 第 六 号、 一九三六年六月、日本放送協会) 、四五頁。 ( 28)   中西前掲論文、一三頁。 ( 29)   渡 邊 俊 平「 真 音・ 擬 音・ マ イ ク 」( 『 放 送 』 第 六 巻 第 一 二 号、 一 九 三 六 年 一 二 月、 日 本 放 送 協 会 )、 一 九 頁。 渡 邊 は、 「 先 頃 自 分 達 の 室 で、 戦 争 の 場 面 の あ る ト ー キ ー を 手 伝 つ た 事 が あ つ た。 こ の 時、 大 砲、 小 銃、 機 関 銃 の 音 を 録 音 せ ね ば な ら な か つ た が、 之 に 対 し て、 は じ め は 実 弾 を 発 射 し て も ら ふ つ も り で あ つ た が、 我 々 一 般 人 に は 実 弾 を 発 射 し た 時 の 音 よ り、 空 砲 の 音 の 方 が よ り 以 上 の 実 感 を 与 へ る と い ふ 話 で、 実 弾 発 射 は と り や め と な つた事があつた」 (一九頁)とも語っている。 ( 30)   吉田絃二郎「仏法僧 ・ 田植 ・ 茶」 (『放送』第六巻第 七号、 一九三六年七月、 日本放送協会、二六〜二七頁) 。 ( 31)   同前、二六頁。

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( 32)   上田前掲報告、六〇頁。 ( 33)   中西前掲論文、一四頁。 ( 34)   主 な 放 送 局 内 に は、 ア メ リ カ 製 の「 デ ィ ク タ ホ ン 」 と 呼 ば れ る 録 音 機 が 一 九 二 九 年 頃 か ら 備 え ら れ て い た よ う だ が、 放 送 済 み の 番 組 内 容 を 事 後 に 調査 ・ 査閲するための録音に用いられたものであり、 再生放送用ではなかっ た と い う( 日 本 放 送 協 会 放 送 史 編 修 室( 編 ) 前 掲 書、 四 六 〇 頁 参 照 )。 「 当 時 の 録 音 機 は ど れ も 音 質 が 悪 く、 雑 音 が 多 い の で、 放 送 そ の も の に 使 え る ものではなかった」 (同頁) 。 付記   本 稿 は、 J S P S 科 研 費 の 助 成 に よ る 共 同 研 究「 21世 紀 の メ デ ィ ア 環 境 に お け る「 ラ ジ オ ド ラ マ 」 の 意 義 に 関 す る 総 合 的 研 究 」( 課 題 番 号: 18K00243 、 基 盤 研 究 C、 研 究 代 表 者: 広 瀬 正 浩 ) の 成 果 の 一 部 で あ る。 ま た、 資 料 の 引 用 に 際し、旧字を新字に改めた。

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