幼児の音楽教育 と幼児教育者 の関わ り
― 子 ど も の 歌 を め ぐ っ て ―
高
橋
正
道
は じ め に 好む と好 まざるとにかかわらず,幼児の 日常生活は多様な音 (楽)で満た されている。そ の量だけでな く音刺激の種類は,彼 らが教育を受ける場所である幼維園や保育所で接す る音 (楽)をはるかに凌 く小ものとなっている。そ うした中で今 日,幼児の音楽教育は,他の分野 と同じように 「敏感期」
「臨界期」
「刻印づけ」
「初期経験」 等の発達観にもとづ く考え方に 3FIE よって,早期に計画的な学習環境を設定す ることの重要性を強調 している。 発達の諸段階で,その時期を逃す と後で取 り戻せない ような人間の諸機能や情緒そ して学 習の内容があるとす るならば,音楽において3才児には何を どのように計画すべ きであろ う か。 しか して4才児, 5才児のそれは。その場合,幼児教育者はそのつ ど音楽を的確に とら え対応 しなければならないo Lかし,われわれが対象 とす る音楽 とい うものは,文化的,社 会的要因 との関連において常に変化 している。事実変化 して来た。そ うした可変的音楽文化 を含めた社会全体の激 しい動 きの中で教育者は,具体的な教材を中立ちとして音楽の本質を 幼児に伝えて行かねばならない。 さらに,教育の場では,制度や法令等がか らん で 来 る の で,その実践にはなお困難な要因もある。 ともあれそのような中にあって,幼児の音楽教育 を方向づける基礎を見つけるとすれば,第一に,乳幼児 (更にそれ以前の胎児,新生児)の (2) 成長する能力 とエネルギーを科学的に,そ して人間 として理解すること。第二に,音楽 とは 何か とい う根本的な問いかけから導かれた教材研究 とい うことになろ う。本論は,第二 の点 に重点を置いた子 どもの歌をめ ぐる基礎的研究である。 幼児の音楽体験,音楽活動を代表す る歌 の教材 として何を選択す るか, とい う現実的な問 題 の前に立た された時のために,われわれは子 どもの歌に関する基礎的問題を整理 して視点 を見定めて置かねばならない。そのために本研究を次のようにすすめる。 第1章 歴史的な子 どもの歌の概観Ⅰ
子 どもの歌の領域Ⅱ
唱歌の概観 と問題点Ⅲ
童謡の概観 と意義 Ⅳ 「子 どもの歌」の概観 と問題点 第2章 幼児教育者への課題 Ⅰ 課題の所在(1) 第1章からの課題 (まとめ として) (2) 子 どもの歌 のあ り方 Ⅱ 考察 ・子 どもの歌 の現状 と課題
第
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章
歴史的 な子 どもの歌 の概観
Ⅰ 子 どもの歌の領域 われわれが普通に言 う 「子 どもの歌」 とい う用語は,領域的に一方においてほ, あいまい でばか された広範な内容をつつみ こむ意味を持 ち,他方 においてほ特定 の具体的な楽曲をあ げ られ るほ どの狭い意味を合わせ持 っている。つ ま り, 広範 な意味では,
「子 どもの歌 った 歌」そ して教材 として 「子 どもが歌い うる歌」 としてその レパー トリーを調べ ると歴 史的な 流れの中で,わ らべ唄,唱歌,
「子 どもの歌」とい うジャンルが浮かび上 り,それ ら全てを含 む用語 として子 どもの歌が考えられ る。他方,狭 い意味での 「子 どもの歌」は,昭和3
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年 に 結成 された 「ろばの会」のメンバー五人の作品, ないしは 「ろばの会」の主 旨に合致す るも の として精選 されたア ンソロジーを さしている。 ここでは時代を追 って唱歌, 童謡,
「子 ど もの歌」を概観 し,それぞれの意義や問題点をあげ第2章のわれわれに とっての課題を さくや る材料 としたい。 Ⅱ 唱 歌 唱歌は 「唱歌教育」 とか 「文部省唱歌」
「唱歌科」 と言われ るように, 教育の場 と密接な 結びつ きで とらえられ るものである。 日本の音楽教育史の中で唱歌は 「明治前期においてほ (3) 正に<音楽教育>そのものを意味す るもの といって よい」 とい うばか りでな く,大正期を経 て昭和初期はもちろんの こと,今 日にさえ深 く板をおろしているよ うに思われ る。 唱歌 の歴史は,1
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年小学校 の教材 として位置づけられたのが始 ま りである。 しか し,現 実 には 「唱歌 当分之を欠 く」 となって,具体的な唱歌はその時点では示 されなか った。伊沢 修二(
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)
は文部省に唱歌の重要性を進言 し, アメ リカ留学か ら帰 って後1
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年 に 音楽取調掛の御用掛 (責任者) となるが, ここか ら唱歌の具体的な姿が少 しづっ提示 され る (4) と同時 に指導者養成をも始めた。「唱歌 とい う集団歌唱」が初めて実施 されたのは1
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年 の (5) ことである。唱歌集は,1
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年 「小学唱歌集」初編を皮切 りに,中編(
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年),後編(
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(6) 午)が出版 され全国の小,中,師範学校 の唱歌科の中で広が って行 く。1
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年 には幼児用 と して 「幼稚園唱歌集」(
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曲)が出る。そ して1
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年 「小学校教則大綱」が発布 され唱歌の 指導 目標 として 「徳性の滴養」が強調 され る頃か ら唱歌は定着 し全盛時代 となる。折から社 会は, 日清 ・日露戦争,資本主義,近代産業,欧米文化の輸入期 とな り,唱歌にも直接的な 影響があった。唱歌集の出版 も公的機関だけでな く個人や民間 と巾広 くな り,多様化の時代 を迎 える。1
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年には唱歌 も他の教科に準 じて国定教科書化 され 「国定小学 ・読本唱歌」が 使用 された。 さらに これは1
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11年から1
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年 までの問に手を加えられ学年別 のシ リーズ とし高橋 :幼児の音楽教育と幼児教育者の関わ り 59 て 「尋常小学唱歌」 となった。 これが,いわゆ る文部省唱歌 と言われ るものである。1932年 (7) 改定 されて後 も教育の場で位置を占め1941年 国民学校発足 まで存続 した。70年間以上学校教 育 の場で教材 として使用 された ことになる。 唱歌の意義 と問題点 わが国の音楽教育史上,言わば国家的事業で さえある唱歌教育を伊沢修二個人に帰せ しめ ることは出来ないが,彼の歩みの要所から唱歌を評価す る材料があげ られ るので,流れにそ って重要 な点を述べ る。 (8) ① わ らべ唄を採集す る姿勢があった。 1874年 に愛知師範学校長に就任,同校付属幼稚園で 「唱歌遊戯」を教 えるが,同校 の野村
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) 秋足 とい う国学者 に命 じて 「本邦固有の童謡
」「面白い童謡」を蒐集 させてい
る。 ② 歌は心を楽 し くす るもの (10) 彼が文部省に報告 した 「将来学術進歩 二付須要 ノ件」で 「幼年教育上欠 くべか らざること」 として示 した唱歌 の 目的は,第一に・・-・知覚神経 (原文では知覚心経)を活発 にして精神を 快 楽にす る。第二 に---感動を よび起す。第三に--発音を正 し くして呼吸を ととのえる。 となってお り, この時点では徳性の滴義 とい うような ことは うかがえない。 ③ 唱歌は東洋 と西洋の音楽を折表 した新作 音楽取調掛の任を受け三週間後に 「音楽取調 二付見込書」を提 出し 「東西二洋の音楽を折 表 して新 曲を作 る」「将来国楽を興すべ き人物を養成す る」「諸学校 に普及 させ る」の三点を 方針 として打ち出 した。 (参 初等科は五音以下の単音唱歌を与 えよ これは伊沢の方針ではな く1881年の 「小学校教則綱領」でのべ られていることである。何 故 これを伊沢 と関連づけるか とい うと,逆説的ないい方 であるが彼の唱歌は五音以下ではな いか らである。つ ま り,唱歌が次第に国策 としての動 きを見せ始めているのである。同綱領 の後半には 「心情を感動 させながら美徳を滴養せん ことを要す」 と成 って来 る。 ⑤ 唱歌は徳性の滴義に役立つ 1881年 「小学唱歌集 初編」が刊行 された。編集責任の伊沢が書 いた緒言は 「教育の大要 は徳脊,智育,体育の三つであるが,小学校では特に徳育を滴養す ることが重要であ り音楽 はそれに役す る」 と書 き出されている。全33曲は必ず しも綱領 の とお り 「五音以下」ではな く六音以上 のものが多いo Lか し 「美徳 の滴養」 と 「徳育 の滴養」は ピタ 1)と一 致 し て い る。 ⑥ 唱歌は健康上 に良い 伊沢は1882年音楽取調掛で学事諮問会会員を前に講演を行なった。そ こで唱歌 の効用 の第 \11、、 一 として健康上に有効 であることを強調 している。唱歌普及の方便 として最 も分か りやすい 説 明を要 したのだろ う。 ⑦ 唱歌普及のために音楽学校設立唱歌を普及 し音楽を通 して 「一般 の趣味を優美ならしめ るため」に1886年伊沢他 7名が音 楽学校設立要請書を提出,そ して1887年東京音楽学校が創立 され伊沢は校長 となった。 ⑧ 教育は国家が掌握すべ きもの 唱歌 とは関係あ りそ うもない大 きな問題 のように見えるが,伊沢の方針である。1890年東 京音楽学校が予算節減のために廃止 され ることになった。 これ に対 して教育界,各方面から の反論があった。大 き くは二つ,一つは,美的教育の必要性 と現にある唱歌科 の意義 として 徳育,忠君,愛国心の養成を強調。二つは,教育は国家の盛衰に関わ る重要 な 事 業 で あっ (12) て,音楽 の影響力は国の将来 に関わ ることを力説す るものであった。伊沢は国家主義にもと づいた国家教育社を組織 して音楽学校を国家が掌握すべ きものであることを示唆 した。1891 年 の議会で存続が決議 されたが,音楽学校の必然性は,唱歌が徳育の一環で,愛国心を育て るものであるが故に,それを教える教員養成校 として明確 なものになった。 以上,伊沢修二を と りま く状況の中か ら要点をあげたが,唱歌発足か ら序 々にその 目標が 変化 していることが分 る。彼 の置かれた状況が,或は彼を と りま く社会がそ うさせた と言 っ た方が良いのか も知れ ない。最終的に唱歌 の主 目的は,愛 国心 の養成 となった。 しか も,そ の ことを ヨー ロッパやアメ リカの音楽文化を受け入れ ることに積極的であった人 々自らの口 で言わ ざるを得 なか った ところに唱歌教育政策の根本問題があ る。 もう一つ,音楽そのもの の総合的 な問題がある。それは③でのべた 「東西二洋 の音楽を折衷」 した ことか ら生 じた音 階 の問題,旋律法の問題,そ して リズムの問題である。 これ らは今 日の音楽教育の場 におい て, 日本における本来 の伝統音楽であるわ らべ唄や民謡に関係 して常に議論 の的 になってい るものである。既 に 「尋常小学唱歌」や 「小学唱歌」を分析 した報告があるので,それ らか (13) ら唱歌 の音楽上 の問題点を まとめてお く。 ・わ らべ唄の音階構造を変形 させて無理に西洋音階に当てはめ ようとしている。 (14) ・四七抜 き長音階は確かに東西二洋 の音階 の折衷 と考えることがで きる。 ・西洋 の長音階を偏重 しす ぎて, 日本の伝統音階を軽視 している。 ・2拍子系が多 く,旋律的には変化に乏 しい。
Ⅲ
童 謡 国家主義が侵透す る一方で 自由主義思想, いわゆる大正デモ クラシーが胎頭 し教育におい (15) ては,
「新教育」の旗印のもとで多 くの教育運動や各分野の研究が活発化す る。子 どもの歌 も (16) この頃,唱歌に対す る批判か ら芸術教育運動 として具体的な, い くつかの動 きがあった。い ずれ も,明治唱歌 の教訓的, 自然美礼賛,忠君愛国を文語,韻文で歌詞にした ものか ら離脱 して,子 どもらしい内容 と言文一致 の方 向が とられている。 「赤い鳥」童謡は, そ うい う動 きの中で1918年に誕生 した。主幹者,鈴木三重苦の意図した童謡は,用語的には童話に対置 す る童謡であるが, 内容的には唱歌批判が こめ られている。 「私たちはもっと芸術味 の豊か な,即 ち子供等 の美 しい空想や純な情緒を傷つけないで これを優 し くは ぐくむ よ うな歌 と曲 (17) をかれ らに与 えてや りたい」 とその熱意を印 している。 しか し不思議 な ことに唱歌成立の場高橋 :幼児の音楽教育と幼児教育者の関わ り 61 合 と同じ く,用語が公に された時点では,曲は存在 しなか った。童謡は歌詞だけで出発 した (18) のである。 これは,ただ単に 「準備が整わなか っただけの こと」 とも言えるが,創刊当初は 童謡担当の北原白秋が曲をつけ ることに積極的ではな く,かえって 「童謡は作曲 し な い 方 (
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) が良い」 とさえ言 っているOそれな りの理 由があると思われ るので,
「赤い鳥」誌の経過か ら 白秋 の童謡観を さく中ることにす るO 創作童謡は,雑誌が発行 され る前に募集 され57篇集 まった ことを第一号で白秋が報告 して い る。巻末に各地 の童謡募集 の知 らせがある。第二号では 「童謡は昔か ら子供が しぜ ん と歌 い出した もの--思いき り子供になって簡単に歌ふ こと・・--す っか り子供 に還 って歌 って下 さい。」と,子 どもが 自然に歌 い出した ものが童謡だ としている。 これは, あとで 引 用 す る 「在来 の 日本 の童謡」わ らべ唄の考え方である。 この号には曲をつけた らど うか, とい う読 者か らの注文がある。第三号では,地方童謡 の集 ま り具合が悪 い ことを白秋は 嘆 き な が ら 「手 ま り唄,数 え唄,お盆 の唄,天気,動植物,遊戯唄等何で もか まいませんか ら, お国の (20) 童謡を知 らせて下 さい」 と記 している。伝承 のわ らべ唄蒐集の意図が明確である。 この場合 読者か らの投稿は,楽譜はな く創作童謡 と同 じ く歌詞だけであることは言 うまで もない。集 まった ものか ら白秋の童謡観に もとづいて掲載す る手筈 である。 この号では,読者か らの曲 づけ希望に対 して主幹者 の鈴木三重吉が答えて,
「いづれ遠か らず試み るつ も りです。 それ にはまず,歌 の よいのを得たい と思い--募集童謡 の外に,幼稚園 ぐらいの子供 の歌 う唱歌 を募集す る」 としている。「歌 のよい もの」 とか 「唱歌」 とい うのは ど うい うことなの だ ろ う。地方にあるわ らべ唄には メロデ ィーがついているはずだが, 白秋が蒐集す るのは歌詞だ 汁,三重苦 の方は,
「子供 の歌 う唱歌」を募集 したい とい うのである。 唱歌批判か ら出発 し たはずの童謡は,曲 と結びつけ よ うとす る時に, 白秋 と微妙 なずれがあるよ うに 感 じら れ る。当の白秋は,その後 も曲譜について直接答えることはない。 ともか くこの号では社告 と して 「幼稚園以下 の子供 の使 うだけの言葉で,それ らの子供たちが容易に謡 い得 るや さしい 謡を募集」す ることになった。三重苦は作曲 (家)を もくろんでいるよ うであ り, 白秋はそ れ よ りも 「お国の童謡」を知 りたい,知 らせたい,そ こか ら新 しい童謡が生 まれ る, とい う 考 え方がある。 さて,
「幼稚園以下 の謡」 も 「在来の童謡」 もなかなか集 まらないが, 白秋担当の童謡 の 方は投稿が多 くなって来た。 第二巻第四号では彼 の童謡観がは っき りのべ られてい る。 「童 謡は子供 の感情か ら自然に生 まれ出た言葉 な り謡 な りです--無論童謡は歌 う謡でなければ な りませんO謡 うと言 って も唱歌 のよ うに作曲された上 で謡 うとい うのでな く,子供心 の自 然 な発露からと りど りに 自由に謡い出す---私 もみ っち りと古い雅味の失せない・--新 日本 の童謡を大成 させたい」 と。そ して, この号には初めて募集中であった地方童謡が7つ発表 され, また三木露風 の 「おやすみ」に読者が曲づけ した数字譜 も掲載 された。五線譜 に直す と次 のよ うになる。おや す み ア ー ヲ イ ひ ゅ う ー る ツ キ ヨ ニ ナ キ ー ワ タ ル ひ ゅ う ー る か ぜ - が ふ く 残念ながら唱歌調そのものである。 第二巻第五号,ついに 「赤い鳥曲譜その-」 として 「かな りや」が巻頭に発表 された。以 級,曲譜を担当す る成田為三の作曲である。それは西条八十の童謡で,童謡担当の白秋のも のではなかった。 もちろん白秋は曲譜のことには一言 も触れていない。白秋 ・成田の最初の 童謡は第二巻第六号で発表 された 「雨」である。 この号にはまた,入選曲として 「あわて床 屋」(白秋)がある。 語例 :2
高橋 :幼児の音楽教育 と幼児教育者 の関わ り
あわ て床 屋 (入選曲譜) 北 原 白秋 童話 石川 菱拙 作曲 こ し ル し ン し ン か サ る ル く ア と ゴ て ス か ノ を こ わ 。 如 へ ん ク あ H は ハ ば h L IY n LIY カ い ォ か 臼 か ラ つ カ -ハ し カ ふ キ せ -る ア サ か -こ ハ ふ り き オ お ハ に へ 如 ナ M ,+ ル か コ さ マ さ I l ) I l I ハ コ ソ -空 っ ル す レ し ス る る サ ら ク む -け け コ な オ こ オ に に テ を テ め り と と ソ , ヤ み か っ キ へ へ コ さ ミ e -な な -は カ 霊 あ あ シ て デ と テ -タ ん イ く テ な な セ ま ソ や 7 -じ イ は ア な な ガ ぢ ゾ く テ た た こ や オ や コ か か 1 ) [ l I E I カ お ド は ソ L L EB ン ん ン ん ン ん ん キ き キ き キ き き ツ つ ツ つ ツ つ つ ヨ Lよ TTl LA ヨ ーふ し▲ チ ち チ ち チ ち ち ツ つ ツ つ ツ つ つ ヨ Lよ ヨ よ ヨ よ ト▲ チ ち チ ち チ ち ち
.
ン ん ン ん ン ん ん キ き キ き キ き き ツ つ ツ つ ツ つ つ●
ヨ ト← ヨ よ ヨ し▲ よ チ ち チ ち チ ち ち キン ナ きん な キン ナ きん な キン ナ きん なy: きん な (出典「赤い鳥」復刻版より) この年6月22日,帝国劇場で 「赤い鳥」第 1回音楽会が行われた。 プログラムの最初で塞 謡が発表 された。それは次の3曲であった。 「かな りや」 西条八十 ・成田為三 「あわて床屋」北原白秋 ・石川養拙 (入選者) 「夏の鴛」 三木露風 ・成 田為三 鳴 り響 く音楽会における白秋の童謡は,読者の入選曲であった。一方,成 田の曲づけした も のは,白秋ではな く八十 と露風 のものであった。第三巻第二号には,音楽会の成功 と評価に っいて感想が多 く,八十 も露風 も書いているが,白秋は何 も触れていない。たんたんと募集 童謡の感想を書いているだけである。 ところが,第三巻第三号で,ついに 「あの曲の作者石 川氏に申しあげたいことですがあわて床尾は,私の気拝 とは可成 り相違 している-- どうし て も童謡は作曲しないで子供達の自然な歌い方にまかせた方が- -」 と不満だけ で な く, 自分 の童謡観を明確にしている。大人が作曲するものに対する彼の不信感を 「曲としては近 (21) 代沢の山田耕作以外の才能を認めない時期が続いた」 と言 う人がいても合点が行 く。白秋の 明確な主張にもかかわらず毎号,成 田為三 と入選曲が発表 され, しか も着実に普及,流行 し (22) て行 くのである。当然白秋の童謡 も曲づけされて愛唱される。愛唱 されて悪い気はしないだ ろ うが,白秋はその後 も曲のことには触れない。彼の童謡観を よそに,彼 が 創 作 す る童謡高橋 :幼児の音楽教育と幼児教育者の関わ り 65 は,次 々に作曲され るべ き素材 となった。 曲がついて社会 の中で一人歩 きを始めた。歌 う童 謡 としての形態が定着 し,童謡運動 となって社会的な影響を及ぼす頃から白秋 の童謡観は, 実は大 きな視野を持 った もの として変容 して来 るOそ こで, も う一歩進めて彼 の童謡観を知 るために,良 く引用 され る 「童謡私砂」 と 「童謡私観」か ら重要 な点をあげてまとめたい と 思 う。 ① 「新 しい 日本の童謡は,根本を在来 の 日本の童謡に置 く」 これは彼 の根本姿勢である。既に触れた 「在来 の童謡募集」からも分か るのだが,広 く知 られたわらべ唄を通 して 日本語 の持つ味わい
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「日本 の風土,伝統, 童心」を得 よ うとして いた ものであろ う。そ こを中軸 として,それを原動力 として新 しい童謡を展開す るとい う方 向であった。 ② 「単に芸術的唱歌 とい う見地のみ よ り新童謡 の語義を定め よ うとす る 人 々に, 私は伍 みせぬ」 そ もそ も 「赤 い鳥」創刊 の意図に唱歌批判 も含 まれていたが,そ うか とい って単に芸術的 に豊かな高い レベルの文学性,大人 の童謡を追求す る西条八十 の方向 とは違 っていた。 ③ 「西洋 の詩,若 くは童謡をそのまま日本に将来 しよ うとす るのは謬 りである」 これ も当時 の唱歌 と教育界への警告である。 白秋は よほ ど鋭 い感覚を持 っていた と思われ るOだか ら,彼のとぎす まされた感性か ら生 まれた童謡に曲がつけられた時 「私 の気拝 とは 可成 り相違 している」 よ うな ことが多か ったに違 いない。西洋の童謡に必然 な ものは西洋 の 音階である。唱歌において 日本 の音階 との融合において四七抜 き音階が出来た として も,機 能和声 としての伴奏がつけば,西洋の童謡 と同じになる。 ④ 「童謡は童心童語の歌謡 である。--・・歌ふべ きもの とす る制作上 の規約がある」 童謡に曲をつけることは止むを得ない状況であったが,当時 の作曲界には, 白秋 と同 じ レ ベルで童謡を見つめ得 る人が存在 しなか った といえるだろ う。少 しづつ改善 された として も 「新 日本の童謡を大成す る」には 「歌 うべ きもの」 として創作すれば 「規約がある」 としか 言いよ うがなか った。彼が理想 とす る 「自然 に子 ども心から謡 い出す」 とい うのは実際には 非現実的なことであった。そ こで 「規約」を受けない自由な童謡 とい う大 きな可能性を兄い 出す方 向が開けて来 る。 ⑤ 「か うした歌ふべ き童謡以外に静かに読 ませ, または黙 して 味はすべ き詩一童詩- ち 児童に与ふべ きであら う」 私は これを 「白秋童謡 の変容」 と言 いたいのである。 ここにおいて,彼 の童謡は,他人に よって曲がついた ものは歌謡 として歩み, も う一方 の 「新風」 としては, 白秋 自身の心 の糸 に響 く自由な音 と結びついた童謡であるところの自由律 の童詩, 自由詩- と変容 して行 くの (23) である。 この自由詩から 「ほん とうの意味 の童謡が生み出 され るようになった」のである。 以上,
「赤 い鳥」童謡 の中心人物,北原 白秋 の童謡観, 主 としてその広が りを見て来た。 童謡運動は もちろん白秋一人 の ものではないが,彼 の洞察は鋭 い。現代におけ る子 どもの歌 の状況を も予見 していたかの ようである。ここで,白秋童謡の意義をまとめてお く。 ・伝承童謡の理解から出発 ・読むべき童謡 (請)の存在 ・歌詩は童心童語 ・多 くの作曲家が近代的技法で作曲した Ⅳ 子 どもの歌 広義の子 どもの歌の歴史 として唱歌,童謡を見て釆たが,継続 した流れの中で,次に来 る のは 「子 どもの歌」である。唱歌のアンチテーゼ として童謡を とらえれば,童謡のアンチテ ーゼが 「子 どもの歌」である。それは
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年,児童文学者協会が起 した 「子 どもの うた声 運動」からだ と思 うO当時の世話人,小林純一は, この運動の発足に当って一文 を 発 表 し (24) た。それによると・1
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年5
月2
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日 「子 どもの歌」の運動を起 した ・子 どもを と りま く俗悪な音楽環境を打破するねらい ・過去の 「童謡」 とい う概念化 された子 どもの歌の衣装をぬぎすて,真に子 どもたちが共 感 して歌える歌を創作する ・強力なマスコ ミと商業主義に抵抗するためにあらゆる分野の有機的な結びつきを必要 と す る とい うように要約 され る。 しか し残念ながらこの運動 もまた 「作品の伴わない運動なんて (25) 意味がない」 とい う理 由で継続 しなかったが, これを契機に児童文学者協会に属する詩人た ちが 「子 どもの歌」に関心を持つことになった。同年,作曲家 グループが 「詩人達の協力を 求めて, 自主的に積極的に<子 どもの歌>を創作 しよう」 とい う主旨で 「ろばの会」を設立 (26) した.そして童謡を 「子 どもの歌」 と言い改めた。理 由は,読む童謡 と区別するため,そ し (27) て童謡にある童心主義から脱却するためであった。 この ように 「子 どもの歌」は,唱歌,童 謡 と同じ く目標をかかげて出発 し,その上で創作 された作品を意味 している の で あ る。唱 敬,童謡 と異なる最大の特色は,
「ろばの会」のそれが定義の中に 「まず幼児の うたのいい (28) 作品を」 とい うことを基盤 としていることである0 5
人の作曲家は,磯部倣,宇賀神光利, 大中恩,中田一次,中田喜直,協力している詩人は,サ トー ・,、チロー,小林純一, まど ・ みちお,藤田圭雄 等である。彼 らの 「子 どもの歌」は, ラジオ,テ レビ, レコー ドとなっ て普及 されると共に楽譜集にもなって教育の場で教材化 されて 広がるようになった. 「ろば の会」のオ リジナルを普及 させるために,キングレコー ドを通 していかに苦労 したかを当時 (29) のデ ィレクター,長田暁二氏がのべている。特に,長田氏は,彼のオ リジナル企画 「チ ュウち ゃんが動物園に行 ったお話」が芸術祭賞を受けて後「ろばの会 と私を通 したキングレコー ドと (30) は信頼 とい う固い粋で結ばれた」 こと,更に 「子 どもの歌」 と冠 した楽譜集の数 々は 「ろば の会」のメソ/I-に とらわれず,戦後に作 られた子 どものためのす くやれた曲を精選 し, レコ (31) - ドとタイア ップして出版 した ものであることを証言 している。長田氏の企画で今 日の 「子高橋 :幼児の音楽教育と幼児教育者の関わ り 67 どもの歌」観を定着 させた重要 な楽譜集は,次の四つである。 『現代 こどもの うた名 曲全集』 小林,中田監修,音楽之友社
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1
0 『現代 こどもの うた名 曲1
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選』 小林,中田編,音楽之友社,1
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0 『新現代 こどもの うた名曲1
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0
選』 阪 田,湯山編,音楽之友社,1
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0 『最新 こどもの うた名曲選』 小林,中乱 中山,服部編,音楽之友社,1
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0 この中にある3
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曲は, 戦後の子 どもの歌を定義づけ るものであ り, 事実われわれ の幼児 教育の場において,確かに子 どもの歌 として定着 していることを認め るものであるO従 って 「子 どもの歌」は,児童文学者協会 と 「ろばの会」の 目標が一致 した専用の用語であったが 序 々に広が りを持 って来た。つ ま り,その広が りは,
「ろばの会」の メンバーに限定出来ない 一種の時代様式 として今 日に至 っている。 ラジオ,テ レビでは今 日継続 している番組を通 し て も 「子 どもの歌」の範囲を広げているoその広が りの さえた るものが, レコー ド大賞 と同 質の 「童謡賞」である。売 り上げ枚数の トップを占め る 「子 どもの歌」 に与 えられ る賞であ る。 戦後の 「レコー ド童謡」
「強力なマス ・コ ミュニケーシ ョンと商業主義」に対す るアン チテーゼ として出発 したはずの 「子 どもの歌運動」 もその普及活動の過程で 自らを 「強力な マス ・コ ミュニケーシ ョンと商業主義」にゆだね ざるを得 なか った。行 きつ く所 に行 きつい た よ うである。「子 どもの側に立 った歌」 とい う名 のもとに, 大人 の作 った歌は, 振子 の よ うに大衆性 と芸術性 の極を行 き来 している。 「子 どもの歌」の意義 と問題点 (∋ 基本的に幼児を対象に している。 ② 大人 と子 どもの 「共有 の歌」 としてスタンダー ドな曲が定着 しつつある。 ③ ピアノ伴奏が技巧的である0時には大がか りなオ-ケス トラ伴奏 と一体になった楽 曲 として普及 しているOいずれにせ よ伴奏 の占め る比重が大 きいOつ ま り伴奏がない と完全な 音楽ではない。 ④ 子 どもを対象に作 られた ものなら,何で も 「子 どもの歌」 として限 りな く膨張す る傾 向にある。「流行歌 の子 ども版」が社会的に強い影響力を持つ ことになる。 ⑤ 教育 の場で楽 しんで歌 う, とい う活動は, 動 きや遊び と結びつ く必要があるが,
「子 どもの歌」は歌唱そのものを追求する要素が強い。第 2章
幼児教育者- の課題
Ⅰ 課 題 の 所 在 前章で理解 した ことは教材 とされて来た作品に関す るものであったが,現にわれわれが子 どもの歌 として教材を選択す る場合には,更に別 の角度からのアプローチが必要である。そ れは, 目標 とすべ き 「子 どもの歌 のあ り方」 と幼児教育の現状である。 この二つ と前章 の意 義や問題点 とを重ね合わせた所 に発展的に幼児教育全体に関わる課題 が浮かび上 り,そ こに始めて具体的な教材選択 の方向が開けるであろ う。教育者 はいかなる意図でその歌を選ぶの であろ うか。 この点を明確にしない と方法論は意味をな さない。 また 「喜 んで歌 う」 とい う ね らいを定めた時,教育者 自身の 「喜 んで歌 う」姿勢が問われ るOそれはす く..養 成 機 関 の 「歌」に関す るカ リキ ュラム内容へ と課題 の所在は移動す るのである0 (1)第1章か らの課題 (ま とめ として) 唱歌 か ら ① 子 どもの生活や心情 と遊離 した歌詞で教訓性が強い ② 西洋音階を無理に当てはめた旋律構造 ③ 国策 として管理 された教科書 の内容的限界 童謡か ら ① 童心主義,芸術的表現 としての創作 ② 白秋は 「在来の童謡」を重視 したが作曲家はそれを十分に理解 していなか った ③ 読むべ き童謡 の存在 「子 どもの歌」から ① 伴奏部の比重が大 き く, オーケス トラの音響や映像等 メデ ィアとも結びついた型で も 普及 している ② 「在来 の童謡」よ りもむ しろ,完全に西洋音楽技法で作曲 されている ③ 歌 曲としての傾向が強 く,遊び等,多面的,総合的に扱 うことを 目的にしに くい 全体 か ら ① 目標を掲げてからしばら くして実体が現われた ② 西洋音楽がモデルになっている。そのため の伴奏は ピアノを必要 とす る ③ 唱歌は別 として,教育現場 よ り先に民間の力で 自由な立場で行動的に推進 された (2) 子 どもの歌 のあ り方 歌 のあ り方は,誰が歌 うかに よって まず規定 され るOわれわれが対象 とす るのは幼児であ るか ら,幼児が 「歌 うこと」,幼児の歌唱行動の研究から導かれ る。 しか も, 新生児期にお いて視覚,聴覚を含む全ての感覚が既に発達 しているとい う観点に立 って 「音楽に関係の深 (32) い聴覚 の臨界期が幼児期 にある」 とい うことから出発 しなければならない。一般的に幼児の 歌唱行動のプロセスは,言語 と同じよ うに, まず聞 くことに始 まって,それを模倣 しなが ら 序 々に積み上げながら自分 の歌にして行 くのである。従 って幼児に とって環境要因,つ ま り (33) 教材や教育方法そして教育者 の音楽観が大 きな影響を与 えることになる。 今 日まで 「幼児の歌 のあ り方」について,諸説があるが,それぞれに微妙 な違 いがある。 その中で共通な ところをあげ ると ① 幼児 の声域的配慮が必要 ② 言語 と同じ く,大人 と子 どもの積極的な コ ミュニケーシ ョンから生 まれ る ③ 発達段階を強調すればす る程,民族や (音楽)文化的な伝統 (日本ではわらべ唄)が重 要 となる
高橋 :幼児の音楽教育と幼児教育者の関わ り 69 ④ 他の領域,社会,文学,演劇な どと多面的,総合的捉え方が必要 ⑤ とは言 うものの,音楽への興味を育てるために芸術性 (普遍的な価値)を有す るもので なければな らない 以上 の ようになる。次に現状が どうな っているかを見て考察す る。 Ⅱ 考察 ・子 どもの歌の現状 と課題 幼児教育 の現場において,従 って養成機関において,子 どもの歌は どう捉えられてい るだ ろ うか。先 の 「あ り方」 と第1章からのまとめ とを重ねながら考察す るとわれわれに投げか けられ る課題がは っき りして来 る。 ① - ウ ・ツーものの曲集について 行事 の うた,動物の うた,季節 の うた, な ど生活経験 と密着 させ る意図を もたせた 曲集が 多 く出版 されている。 しか し音楽的に, また歌詞の適切 な ものが どの程度あるのだ ろ うか。 特に生活習慣の一 部分, 例えば 「おべん と うの歌
」
「手を洗 いまし ょう」
「お帰 りの歌」 な (34) ど, これ らは音楽 とい うよ りは,単なる相図,統率す るための音,いわゆる音信号以外 の何 もので もない。 また季節感に執着す るあま り,無理 な教材で こじつけた指導案が立てられた りす る。 (参 集団歌唱について 歌は,多 くの場合一斉 に 「大 きな声 で, 元気 よく, サ ン -ィ.
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」 などと始め られ るの で,
「が な り声」が横行 している。集団歌唱す ることに よって果 して,歌全体 の意味や音楽的 な味わい,先生 との コ ミュニケーシ ョン,そ して子 ども同志 の コ ミュニケーシ ョンが得 られ (35) のであろ うか。 この集団歌唱のパ ターンは 日本独特 のものであるとい う。歌 うことのカテ ゴ リーは友だ ち と一緒,先生 と共に,遊びながら,歌 って もら う,歌 ってあげ る,そ して一人 で口ず さむ等 あって,その状況それぞれが幼児 の生 きた諸経験 となっているはずである。何 が何 でも,歌は一斉 に, とい うことでは言葉 の意味に喚起 されて歌を通 して人に心を伝 える 喜びな どは得 られないだろ う。 ③ ピア ノ伴奏の必然性 歌は,そのほ とん どが ピアノ伴奏に よっているが,その必然性はあるか。 もちろん,われ われは, ピアノ部分 に比重が置かれた歌 の存在を知 っているが,それ以外 の歌はないのか。 さらにもっと本質的に,幼児教育者はなぜ に ピアノ伴奏 の歌に こだわ るのか。 自分 の歌声 だ けで子 どもと真正面 に向き合 って歌 うことの重要性に早 く気付かねばならない。 ピア ノ遍重 は,子 どもの歌を考 える場合に直接,間接 に問題が指摘 されている。例 えば, 「日本の子 どもの歌は, なぜ ピアノで伴奏 しなければならないのか・・・- ピア ノ 伴奏をす る とい うことはすでにその音楽全体が,ひ とつの枠づけに よって作 曲されている。-- ピア ノ (36) を唯一 の伴奏楽器 とみ るのは どうやら養成 のシステムに問題がある」 (37) 「歌でも (歩行で も)伴奏楽器や レコー ドな どの効用を過大視す るのほ誤 った考 えである」 「幼児は--調性感が確立 していませんか ら複雑 な和音を駆使 した ピア ノ伴奏を して も 千(38) どもか ら遊離 して しまいます」 (39) 「我が国の保育者 に とって音楽ができること- ピア ノをひけることになっている」 (40) 「伴奏は ピアノとい う固定観念を転換 させて もよいのではないか」 等多 くの指摘がある。 どこの幼児教育施設でもピアノがあ り,各部屋 ごとに さえピアノが備えられている。 ピア ノは,幼児の音楽教育の何を担 っているのだろ うか。 しか しピアノで遊ぶ子 どもはいない。 互に ピアノを弾いた り先生の ピアノを聞 くこともない。 ピアノの特性を生か した音楽的な遊 び もない。 ピアノは, もっぱ ら歌 の伴奏や行進 のための道具でしかない。 ピアノがなぜ遍重 されて釆たかを解明す る必要があろ う。 ④ 言葉の旋律化の是非 発達段階を考慮 したつ も りで Ⅰ,Ⅳ
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Ⅴ内の和音構成音で作られた曲 (もちろん ピアノ伴 (41) 秦)の多 くは,幼児の自発的な旋律形成 とはかな り隔た りがある。① でもふれたが幼児の生 活習慣に関わ る言葉を何でも西洋の音階や和音に もとづ く音をつけて歌 の よう (オペ レッタ 的)にす る事は,大 きな危険があ り,作 曲上注意を要す る。そのためには, 日本 のわらべ唄 の構造 とレパ ー トリーの研究が必要である。既に小泉文夫 とその後継者たちに よ る 日本 の 「伝統音楽の研究」はめざましいものがある。そして実践面では,羽仁協子を中心 とす るコ ダーイ芸術研究所が着実な活動を している. シ ュタイナー教育で もオイ リュ トミー他でユニ ー クな歌の考 え方があ り,今後 日本語 とどう結びつけて実践 され るかが期待 され る。 また, マザ- ・グースが注 目されている今 日,児童文学界において も, 日本 のわ らべ唄の重要性が (42) 強調 されている。更に,白秋 の 「読むべ き童謡」についての研究 も隣接的な課題 となろ う。 ⑤ 養成側の課題 として 養成機関のカ リキ ュラムの中で扱われ る 「歌」について, これ も重大である。なぜ なら養 成機関 といえ ども歌 (音楽)を扱 う限 り,それはそのまま教育の現場 であ りうる。つ ま り, 幼稚園での指導のね らいである 「いろいろな歌を歌 うことを楽 しむ」 ことも 「のびのび と歌 う」 ことも 「喜んで聞 く」 ことも,全て養成側の教育における学生に とってのねらい となら なければならない。免許法上や文部省の教育指導書 とのか らみ合いで音楽関係のカ リキ ュラ ムは,教職専門科 目の 「音楽 リズム」 の他に,教科専門科 目としての音楽があるが,それは(
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) 「声楽」「器楽」 となり
, 教育内容は コール ユーブソゲソ, コソコ-ネ,バ イエル, ソナチ ネ となって来 る。少 し変化をつけた として も声楽では,多 くの場合,子 どもの歌のア ンソロ ジーを一斉に歌い,「弾 き歌 い」と称す るピアノ伴奏の レパー トリーを増やす こと, また ピア ノでは,技術 の程度に応 じて時代様式 のは っき りした小品に取 り組む程度 となっているのが 現状である。 これはまた,採用試験がそ うい う方 向で根強 く行 なわれ続けているので養成側 でもそれに答 えざるを得ない点で もある。 以上 のべた5項 目が子 どもの歌に関 してわれわれに与えられた課題 である。今 日,各方面 か ら幼児教育者養成 のカ リキ ュラムが検討 されてい る。例えば,ある特定 の専門領域につい (44) て多 く履修す る,いわゆるピーク制を考 えた場合でも用意す る科 目として単に コール ユ-ブ高橋 :幼児の音楽教育 と幼児教育者の関わ り 71 ソゲ ンや コ ソコ-ネ の時 間を増 加 した り弾 き歌 い の レパ ー トリーを 多 くす る程 度 の こ と で は, と うて い子 どもの歌 の本 質 に迫 る こ とは 出来 ない。 幼 児 の成 長 す る能 力 とェネル ギ ーに対 して音 楽 が果 す 役割 りは何 か。 それ は, 音 楽 の本 質 と教 育者 (私 ) が どの よ うに関 わ って い るか, とい うこ と と同心 で あ る。 つ ま り, 大 人 と子 どもが共有 して い る歌 (音 楽 ) とは何 か, が常 に問 わ れ て い なけれ ば な らない。 言葉 との結 び つ きに おいて歌 は最 も人 間的 な芸術 行為 なの で あ る。 子 どもの歌 とい う範 晴 化 され た壁 を 打 ちや ぶ る こ とが 出来 た時初 め て歌 の世 界 に も新 しい時 代 が 開か れ るで あ ろ う。 注 (1) ここでい う早期の学習 とは, 高年齢で行な うべ きことを低年齢で早 く先取 りしてや らせ る と い う,いわゆ る英才教育ではない。 (2)大畑祥子 「幼児音楽教育の出発点」季刊音楽教育研究,34号,144p. (3) 馬場健 「唱歌教育の確立 と試行錯誤」音楽教育研究,82号,14p. (4)音楽取調掛が東京音楽学校 となって,本格的に唱歌教師を養成す るのは1887年か らであるO (5) ぴ)滑川道夫 「唱歌教育の歴史 と歌詞」季刊音楽教育研究, 6号,37p. (p) 伊沢修二 「小学唱歌集 初締」緒言の草稿に報告 されている. (6)算術,理科,図画など学科の一つとして唱歌が位置づけ られ唱歌科 と呼ばれた。 (7) 唱歌科はこの時か ら芸能科音楽 と改められた。 (8) 繁下和雄は伊沢の教育構想をコダーイのそれ との類似性を評価 している。小泉文夫 『歌謡曲の構 造』 冬樹社,1984.218p. (9) (5)の36p. (10) 愛知師範学校年報,明治七年,音楽教育研究,82号,資料篇 Ⅰに再録 (ll) 田甫桂三 編著 『近代 日本音楽教育史』 学文社,昭55.39p. (12)同上 pp.222-235. (13)打) 小島美子 「唱歌調-の反逆 としての童謡運動」音楽教育研究,72号,pp.55-57. (。)(8)の書 pp.215-218 (14)律の音階における核音 レとソが四七抜 き長音階の属和音 ソシレの中にあ り, 旋律法上 うまい具合 に融合 している。 (15)八大教育運動 「自学教育
」
「自動教育」
「動的教育」
「衝動満足教育」
「創造教育」
「全人教育」
「文 芸教育」
「自由教育」など (16)例えば 「大正幼年唱歌」
「大正少年唱歌」
「新作唱歌」などは, 子 どもらしい言文一致の方向がと られている。 (17) 藤 田圭雄 『日本童謡史』あかね書房,1971.17p. (18) 同上 20p. (19) 「赤い鳥」
jL第一巻 第-号,78p. (20)「赤い鳥」 第-巻 第五号,75p. (21)阪田寛夫 『童謡でてこい』 河出書房新社,昭61.113p. (22) 大正末期か ら昭和初頭にかけて文部省唱歌の中にも童謡が入るようになった。注(5)の(1)43p. (23)(17)の60p. (24)(1)小林純一 「戦後の子どもの うた運動の性格」 音楽教育研究,72号,pp・79-81に再録 (。) 日本児童文学者協会編 『少年詩 ・童謡への招待』借成社,昭53・177p・ (25)同上 (1)の書 81p.(26)(27)長田暁二 『昭和の童謡アラカル ト』 ぎょうせい,昭60.118p. (28)座談会 「ろばの会の20年 と子 どもの歌」 季刊音楽教育, 5号,107p. (29) (26)の119p. (30) (26)の126p. (31) (26)の138p. (32)大畑祥子 「児音楽教育の出発点」季刊音楽教育研究,34号,144p. (33)(1) 大畑祥子 「幼児における旋律形成の発達的研究」季刊音楽教育研究, 8,10-12号参照。 (p) -ベル トの発達観においても誕生後の最初期に臨界期があると言 う。井崎,小山,原田 「西 ドッの就学前教育①」季刊音楽教育研究,41号,169p. (34) カナダのマ リー ・シェイファーは 「環境の音楽」 として基調音,青信号,音指標をあげている。 野村幸治 「環境の音楽」季刊音楽教育研究,32号,140p. (35)後藤田純生 「幼児の音楽教材の問題点」音楽教育研究,12号,87p. (36)小島美子 『日本の音楽を考える』音楽え友社,昭58.357p. (37)後藤田純生 「幼児の発達過程 とリズム」音楽教育研究,91号,39p. (38)大官,徳丸編 『幼児 と音楽』有斐閣選書,昭60.111p. (39)小川博久 「音楽教育にみられる子 ども不在」季刊音楽教育研究,43号,91p. (40)大畑祥子 「幼児教育 と音楽」季刊音楽教育研究,22号,34p. (41) クル-ゼソの幼児の旋律形成についての言説は注 目すべ きであるO小LU,国安, 原 田, 神 原 「西 ドイ ツの就学前教育③」 季刊音楽教育研究,44号,183p. (42)石井桃子 『子 どもと文学』 福音館,1969.pp.172-174 (43)免許法上幼稚園教諭の教科に関する専門科 目は,小学校のそれを修得す ることになっている。(第 五粂)そこから多 くの場合 「声楽