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〈寄稿〉教職支援活動における「教職ナビ」の存在について

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本学教職教育部が創設され30年という節目を迎え、その記念式典・行事が計画されているこ とを知り、一時期そこに身を置いた一人として様々な思い出があり、感慨無量である。これま で多くの学生の指導や管理運営等に携われた皆様のご尽力に対し、深甚なる謝意を表する次第 である。この度、教職教育部長の戸井田先生から『近畿大学 教育論叢』の記念号に「教職ナ ビを中心に進路指導の思い出など」を執筆して欲しいとの依頼を受け、 喜んで応じることに なった。 私がこうした依頼を受けるのは、教員を志す学生を対象とした進路指導、特に教職支援活動 や教職ナビの創設にかかわったからである。大学調査では、教員採用試験における現役合格者 はここ数年、80名前後を推移している。2018(平成30)年度は大阪府の採用状況がそれ以前と 大きく変わり減少しているものの、179人(現役合格者53人・既卒合格者126人)と報告されて いる。いわゆる教員養成学科・学部が設置されていないのにもかかわらず、これだけ多数の合 格者を例年輩出していることは驚きであり、特筆される。その要因には、大学関係者は学生の 自主サークル活動―教職ナビの存在にあると強調されている。ナビ創設の関係者の一人として、 実に嬉しい限りである。 本稿では、ご依頼の趣旨に沿い、教職支援活動や教職ナビの創設された背景や活動の実態な どを中心に論述した。 大学を離れて10年余り経ているので在職当時を振り返り、『教育論叢  第18巻第2号』に掲載の「近畿大学における教員養成の課題と対応について」(拙稿 2007年2 月)を主な拠りどころとして、手元に残る当時の資料などを参考にする。改めて資料に目を通 すと、以前気にも留めなかったことが多く出てきた。当初、タイトルは「教職教育部在職時の 想い出」などと考えていたが、思い考え悩んだ末の産物になり、相当な分量になってしまった。 そうした事情があり、最初にお断りをしたいことがある。本学には通算し専任として7年間 勤務したが、職務上、教職教育部の業務として教職支援活動を担当したのは最終の一年間だけ で、入試事務部在職時まで遡ることになったことが第一のお断りである。第二は、教職支援の

教職支援活動における「教職ナビ」の存在について

川 俊

一*

*元近畿大学教職教育部教授

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ための諸対策は大学関係教職員の皆様のご理解・ご支援をもとに全学体制で取り組まなければ ならず、その実態を記述するよう努めたが、人との関わりで記憶に残らず、また私の勝手な思 い込みがあったかもしれない。お世話になった多くの皆様には、衷心よりお礼と感謝を申しあ げたい。第三は、本稿には「教員採用試験(選考試験)」「教職ナビ」の各言葉が多く用いられ ているが、特別の場合を除いて紛らわしいので、それぞれ「採用試験」「ナビ」と略称する。

1 近畿大学と私の関わり

大阪府立高等学校を定年退職後、2002(平成14)年度に入試事務部(現・入学センター)ア ドミッションオフィサーとして着任する。2004(平成16)年度には教職教育部(特任教授)へ 転属し、同年度に設置された高大連携室への兼務辞令に基づき、教職支援や高大連携等に関す る業務に従事する。高大連携室は2007(平成19)年度末で廃止され、2008(平成20)年度から それらの業務が教職教育部へ移管されたため、引き続き従事した。2009(平成21)年3月末で 退官し、2年間非常勤講師を続ける。その間、学生の進路指導に携わったが、中味は教員採用 試験(ガイダンス、筆答・面接・集団討論等)・インターンシップ等・小学校教員免許取得に 向けての支援活動に大別される。 最初に取り組んだのはインターンシップ等で、2003(平成15)年6月の大阪府教育委員会と の協定書締結から始まり、次年度に高大連携室へ事務引継ぎされたときには準備が整い、直ち に本格的な活動に入る。教員採用試験は2004(平成16)年3月の理工学部主催による「受験対 策講座」を引き継ぐことから始まり、年間計画を策定して6月には実施大綱が決まり、2006 (平成18)年7月の宿泊学習会をもって、私が携わった対策の原型が完成する。 小学校教員免許取得への道は2005(平成17)年1月から取り組みを始め、まず資格検定に挑 戦し、聖徳大学との小学校教員免許取得プログラムを策定し、2005年度より実施する。小学校 教員は採用増が2020(令和2)年頃まで続くことが予想されるなど、俄かに注目され始めた。 学生の中には、本学では免許取得への道が塞がれているため、卒業後取得を目指し他大学への 編入学や資格認定試験に挑戦する者などが増え、多くの相談を受けた。支援活動では周りに多 大の協力を願いし私自身も苦労したものの、様々な課題を抱えたまま後に委ねる。この活動は 小学校教員を目指す特定の学生を対象とするため、触れないことにする。 これら三つの対策の集大成を教職ナビ活動に位置づけ、私のかかわつた進路指導の到達点に 捉えた。

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 本学と私との接点 かつて勤務した府立学校の同僚であった以倉紘平先生から、大学で広報の手伝いをしてくれ ないかという話が本学との関わりの発端である。機会があれば定年後のライフワークとして、 当時叫ばれていた高大接続に関する仕事をしてみたいという願望があり、誘いに応じることに なった。以倉先生とは不思議に人生の節目で遭遇し、本学に着任してからは文芸学部教授とし て共に教職支援対策等にあたるなど、公私共々お世話になった。 振り返ってみると、本学では本来の業務はともかくとして教員の養成・採用に向けての支援 対策に積極的に取り組んだが、私自身は念願の高校と大学の接続に関する仕事を入試事務部と 教職教育部で終始携わることができたという思いが強く、充実したライフワークを送ることが できたと大いに満足している。 その当時、大学と高校等が教育面で連携関係を深める「高大連携」の動きが広がっていた。 大学のキャンパスや授業を高校生等に公開することで入学者の確保につなげたい大学側と、大 学レベルの教育を体験する機会を拡大し、生徒の学習意欲を高めたいとする高校側のそれぞれ のニーズが一致したことにあった。1999(平成11)年の中央教育審議会答申では高大連携その ものに初めて触れ、高校と大学との幅広い連携の必要性が提言された。大学側と高校側が相互 に歩み寄り、高校生が大学の授業を受け、大学教員が高校で「出前授業」する学校が増えてい た。  入試事務部 本学に着任した当時は少子化が進行し、1992(平成4)年の18歳人口ピーク時より受験人口 は年々減少し、 大学合格率は上昇傾向にあり、競争倍率1倍の時代に突入していた。大学の 「二極化」(難関大学や大都市圏の人気大学は志願者数が増加する一方、入学定員に満たない四 年制大学が全体の約4割ある状況)が一層進展していた。本学では2002(平成14)年に理工学 部を11学科から8学科に再編し、2003(平成15)年には商経学部を経済学部・経営学部に分離 するなどの内部改革が進められていたが、志願者数は減少の一途を辿り、まさに正念場にあっ た。大学にとっては大変な時期、ある意味では私個人としてはやりがいのある時期に入試事務 部に着任することになる。 着任早々、入試事務部長の河内睦明氏から広報展開の方策を考えて欲しいとの相談を受け、 学校訪問を提案する。その内容は、指定校を中心に予め訪問者自らアポイントメントを取り、 学部教職員と共にタクシーを利用し定期的に訪問するというスタイルだった。河内部長から賛

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同を得たうえ、学部関係者からも了解を取り付けていただいた。 学校訪問は5月の連休明けから実行される。訪問者は入試事務部の他、学部長や学部教職員 で構成され、実施後「学校現場の事情がよくわかり、 有意義であった」との声を聞き、「近畿 大学は大きく変わる」と実感したことを鮮明に覚えている。当該年度の入学志願者数は上昇へ 転じた。 私はここで得たものは計り知れないほど多く、また大きな財産となった。学校訪問は医学部 を含む全学部で実施され、多くの教職員の皆様と知り合いになり、その後仕事をするうえで強 力な理解者になっていただいた。また、学校訪問で同行された理工学部や文芸学部等の先生方 から、「教員になりたい学生が多いが試験に合格しない。 何かいい手立てはないか」といった 相談を受けた。所属する学生は「何故、今さら入試事務部へ行くのか」という疑問を抱きつつ、 訪ねて来て自ずと教職支援にも加わることになっていた。私が本学でかかわった教職支援活動 の出発点になる。  高大連携室 着任して2年目の2003(平成15)年6月には、大阪府教育委員会と本学は連携協力に関する 協定書を締結した。この事業を円滑に推進するため、直ちに入試事務部内に高大連携室が設置 され、8名の者が兼務発令(私も含む)される。高大連携室は2004(平成16)年度に独立組織 として室長(巽久一氏)以下専任4人、兼任3人(私も含む)の体制で発足した。特に発足に あたり、教員採用試験に関する受験対策等支援を最重要視する旨が伝えられる(資料1)。 関係者に確認したところ、これまで採用試験対策の担当所管は学内で共通理解が図れておら ず、各学部・各部が連携して情報を共有し、学生を支援するといった体制が取られていなかっ たようである。 例えば「毎年何人試験を受け、 何人合格しているか」「卒業生はどのくらいど の学校で活躍しているか」など、支援対策を進めるうえで最も基本的な事項が把握されていな かった。この段階で「受験対策等支援」の文言を含む活動が規程に明記され、大学が行う業務 として認知されたことは意義深く、各種の支援活動を進めるうえで大きな支えになった。 高大連携室の部屋は現在のキャリアセンターの一角(2007年度は10号館最上階)に与えられ たが、「高大連携」という名称は学生らには知れ渡っていなかった。 そのため、 この名称が付 く部署で教員採用試験に関する業務等が行われていることを学生へ周知するには、かなりの時 間を要すると思ったが、思いのほか簡単に解決される。部屋は学生がいつも通るメインスト リート近くにあり、各学部等の積極的な広報や学生間の口コミで伝わっていったらしい。予想

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を超える各行事への参加者がその証になった。 高大連携室の設置に至る過程では、河内部長と共に立命館大学を度々訪れ、教員を目指す学 生の指導や高大連携の在り方などについて、示唆に富んだ助言をいただいた。  教職教育部 教職教育部は1989(平成元)年に教養部の分離再編により設置され、その事務は学務一課が 担当する(教職教育部規程)。2004(平成16)年度に入試事務部から教職に関する科目を担当 する専任教員として転入する。同時に高大連携室への兼務辞令を受け、 その業務を担当する (同年度に教職教育部教授として着任された角森擁次郎先生も兼務辞令を受ける)。 内部組織には教務委員会・進路委員会・教育実習委員会・介護等体験委員会等があり、高大 連携室とは進路委員会が窓口となり、連絡・調整にあたっていた。両者の関係は、高大連携室 への兼務発令を受けた者が進路委員会に属して受験対策等支援に関する等の業務を行うことで つながっていた。進路委員会は2000(平成12)年度に発足し(当初は進路相談委員会、2004年 度より現名称)、主に3・4年次生及び卒業生の進路指導を計画し、 模擬試験や教員採用選考 対策講座を始め、「教員採用試験『小論文』対策Eメール講座」等が実施されていた(2001~ 2002年の『教育論叢』に報告されている)。同時期には、 学務第二課が所管し(東京アカデ ミー)、 課外講座や公開模試も開設されていたが、高大連携室の設置により、 そうした状況が 大きく変化した。 2005(平成17)年度には私が委員長を務め、第1回委員会報告(資料2)が手元に残ってい る。2007(平成19)年2月には『教育論叢 第18巻第2号』に「近畿大学における教員養成の 課題と対応について」を寄稿する。2008(平成20)年度末で退職することを想定し、それまで 実践したことを取りまとめたもので、業務引継ぎの資料になればという思いもあった。 高大連携室は2008(平成20)年3月末で廃止され、業務は教学事務部の教学庶務課・共通教 育課と入学センターの高大連携課(新設)に移管される。スクールインターンシップ等は「教 育委員会との連携協力に関する事項」に含まれ、事務は受験対策等支援と共に教学事務部共通 教育課の担当になる。実際の運営は教職教育部(進路委員会)が主に担当(主催)する。各種 の教職支援活動が教職教育部を中心に展開されるようになったのは、この時点である。

2 インターンシップ等に向けての支援活動

入試事務部からの引継ぎでまず着手したのは「まなびング」サポート事業への支援活動だっ

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た。この事業は大阪府教育委員会で2003(平成15)年度から府内公立小・中学校の要請に応じ て大学生の学校における学習支援活動として、2004(平成16)年度より本格的な実施に入った。 「勉強がもっと分かりたい」「楽しく学びたい」という子供たちの願いに応えるため設けられた もので、学生にとっては教育現場を体験できる絶好の機会になった。 本学では協定書に基づいて参加者を募った。同時に始めた「インターンシップ等に関する支 援活動」は2005(平成17)年度から「スクールインターンシップ」及び「スクールボランティ ア」(2006年度以降)と名づけ、全学部学生を対象に実施される。学校における就業体験を「研 修」と名づけ、プレ教育実習として教員養成の一環としても意味づけ、教員志望者には研修に 積極的に参加することを勧めた。 「2005年度スクールインターンシップ事後報告会プログラム」には当日のプログラムを始め、 実施経過や事前研修の内容、参加者アンケート結果、研修報告書などが詳細に示されている。 報告会には、府教育委員会や研修先の府立高校長や関係者、本学研修生の他、この事業にかか わった方々や学生らが多数参加されていた。終了後は意見交換会、引き続いて懇親会も開かれ、 参加者相互の情報交換の場となり、学生の講師等の斡旋や同窓教員の存在を知る機会ともなる。 出席された同窓教員の中には久しぶりに母校を訪れた人も多く見受けられ、変容した大学に感 激されていた。別途に開催された同窓教員親睦会ともリンクしていた。 2006(平成18)年10月には本学で「教職課程運営に関する研究交流集会」(全国私立大学教 職課程研究連絡協議会主催)が開催され、「学校でのボランティア活動、インターンシップが 教員養成にはたす役割」をテーマとしたシンポジウムが設定される。講師(話題提供者)とし て森兼(現姓・小林)陽子さん(初代ナビ副代表、開催時は豊中市立第十中学校教諭)と私が 加わった。状況については「教育タイムス」などで紹介され、注目される。また、2007(平成 19)年12月に文部科学省(初等中等教育局教職員課主催)の2003(平成15)年度「教員の資質 向上連絡協議会」が開催され、府教育委員会から本学へ「事例発表」の依頼があり、私が本学 の活動状況について話題提供する。 これらの活動には多くの学生が積極的に活動し、研修先の先生方や共に参加した仲間らとの 交流が広がっていた。学生が望ましい人間関係を構築するための場を一層提供する必要性を認 識する。苦労したことは、学校側のニーズと学生の希望のマッチングで、研修先の選定や研修 先で遭遇する体験、なかにはトラブルの域にも発展した事案等もあり、研修先にも足を運んだ こともあった。

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3 教員採用試験に向けての支援活動

当時の採用試験は、 採用数が1989(平成元)年度の33,615人をピークに下降を続け、2000 (平成12)年度にはその3分の1までに落ち込み、競争倍率は全国平均で14.7倍となって教員採 用の「氷河期」を迎えた。これを底に急激な増加に転じ、2007(平成19)年度の競争倍率では 6年連続で低下を続け、7倍程度に緩和された。 採用試験の選考についても大きな変化があり、「人物評価を重視した選考」が行われるよう になった。都道府県等では一次試験から集団面接・集団討論が導入され、志願書のほか面接個 票の提出が求められた。 採用側は志願者自身が「どのような教師になろうとしているか」「今 まで何をしてきたか、またその経験を踏まえて何ができるか」を見定めたうえで、「教職への 強い使命感や情熱を持っているかどうか」を判断した。 これらのことを念頭に置き、採用試験に向けての対策を立案・実行することが急務となる。 府立学校に勤務し選考試験にも精通された教職教育部教授の角森擁次郎先生と首藤保先生(2006 年6月着任)が高大連携室への兼務辞令を受けられ、共に支援活動に携わることになる。  当時における現状と課題 採用試験の合格者は、2001・2002(平成13・14)年度についてそれぞれ2名と判明したが、 それ以前の資料が残っていなかった。2003(平成15)年度は9名が1次を突破し、6名が最終 合格を果たした(数学:2、 理科:3、 英語:1)。2004(平成16)年度は全国教育委員会へ の問い合わせで101名の合格者を確認し、現役は10名、学内調査では1次が19名、2次が7名 になっていた(学内調査は院生・卒業生を含む)。校種・教科により大きな違いがみられ、1 次の合格率が低く、現役学生の合格者も少数であった。一般教養(人文科学・社会科学・自然 科学)の学力補充が大きな課題になる。 2005(平成17)年2月にはこうした実態を踏まえ、「本学における教員採用試験対策の問題 点と課題」を提出した。問題点と課題は、発足当初から走りながら事業ごとに個別に提出して いたものをまとめたもので、私が取り組んだ採用試験に向けての支援活動の根幹をなしている。 特に高大連携室は発足して間もなく前例がないことから、巽室長を始め、在室されていた皆様 には大変なご苦労をおかけした。当面の課題として次の事項を設定する。 ① 教職課程教育及び教員採用試験対策における目標・計画の策定 ② ①を実現させるための組織体制の整備  ③ 学生同士による情報交換のための場の提供 

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④ 「数学」「理科」「英語」を中心にした教員養成システムの構築 ⑤ 教員を目指す卒業生の実態把握と「近畿大学同窓教員」の会(仮称)の整備 具体的には、「目標として免許取得者を300~350人、公立学校における現役一次合格者を30 人確保する。この目標を達成するための計画を策定し、その組織体制を整える」ということで あった。  具体的な支援活動 支援対策は「まなびング」サポート事業と並行し、実行に移した。ガイダンスは新入生(「教 員になるには」)・農学部学生(「教員採用試験の現状と対策」)・文芸学部学生(「教員への道」) を対象とし、それぞれ4月に計画する。併せて、大阪府・大阪市採用選考の説明会も開催する。 筆答・面接・集団討論等へ向けての支援活動は採用試験の実施時期を考慮し、10月の「スター ト講座(合格体験談・模擬試験)」を皮切りとして3月に「教員採用試験春期集中講座」と銘 打って6日間行う。7~8月には集中的に「面接試験対策講座」を計画し、併せて筆答試験に 向けての直前対策も実施する。 講座の担当や面接官には教職教育部を始め、理工学部や文芸学部の先生方にも支援をお願い し、全学体制に近づけるように努める。各事業には予想を超える参加者(院生・卒業生を含む) があった(2005年度の春期集中講座には約120名参加 )。 教員を志す学生は、大学が計画した各種対策をもとに自らの行動計画を立てることになる。 学生が興味・関心を持って積極的に取り組んだのは、面接練習と自分が不得意とする分野の学 習であった。前者は概ね学部単位で計画することが多く、教職教育部の先生方にも助言を求め たりしたが、後者の場合は教科に属する専攻を設置する学部の代表者が中心になり、そこに他 の学生が集まるなど学生主導による学習会の形態で進められていた。 2005(平成17)年度の合格者は1次が22名、2次が15名、初めて3名の者が複数府県にダブ ル合格する(これ以降、 現役合格は殆ど全員、ナビに所属)。2006(平成18)年度は7月に採 用試験受験学生を対象に一般・教職教養に関する直前対策講座(府立少年自然の家で宿泊学習) を開催したこともあり、念願の1次試験で36名という合格者が出て、21名の最終合格者を輩出 する。卒業後1年目の者が頑張り、6名の者が合格する。当時、公立学校採用試験は依然とし て難関で、現役学生の合格は極めて厳しく、卒業後も挑戦を続ける者や私立学校を選択する学 生・卒業生が相当数に達していた(一部には校種や教科・科目にこだわり挑戦を続ける者もあ るなど、現役より既卒の合格者は遥かに多いことが調査でも判明していた)。 そのため、進路

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指導の一環として、公立の中学・高校、私立学校等(常勤・非常勤講師)に例年30名超える学 生や卒業生を紹介せざるを得なく、受け入れ先を探すのも重要な仕事になっていた。 この当面目標を達成する過程では、懐かしい思い出がある。阪神タイガースの2003(平成15) 年リーグ優勝の勝尾寺「勝ちダルマ」にあやかりたいと思い、「三十人、一次合格」と記し念 じた。思いのほか早く達成でき、「さすが効き目があったのか」と大いに喜んだ。

4 学生の自主サークル活動―教職ナビの存在

教職課程の認可を受け教職教育を展開する大学で単に教員免許を与えることだけに終わらず、 世に多くの有為な教員を送り出そうとすれば、大学当局の力を借りず学生自らの力で切り拓く ための環境整備が何よりも求められる。 大学が素晴らしいプランを立て学生の教員への道を支援しても、採用試験を受験する学生自 身がその気になって努力しなければ望ましい成果は期待できない。思い浮かべたのは、今風で 言えば「就活を有利に進めたい」と考える学生が好んで参加する勉強系サークルだった。教員 を志す学生がサークル活動に自主的に参加し、主体的な行動を通してモチベーショを維持し、 さらに上げることを期待した。換言すれば、「教員になりたい」と強い意志を持つ学生らが他 者とのつながりを深めるなかで、互いに切磋琢磨し共に学び合う仲間づくりが教員への道につ ながると信じた。教員養成の一環として学生の自主サークル活動を大学が進める各種の教職支 援対策の集大成に位置付けた。2005(平成17)年3月の「教員採用試験春期集中講座」の開講 式で、呼びかけに応えて誕生したのが「教職ナビ」である。 今日、ナビは大学の公式ガイドで次のように紹介されている。「その名も「教職ナビ」。希望 する教育職員免許の教科ごとにグループに分れて活動を行い、「採用試験合格!」を目指して 切磋琢磨しています。実際に教師になってからも「さらに良い教師」になることを目指し、模 擬授業やディスカッションなどを繰り返して、日々仲間と励まし合いながら自分を高めていっ ています。」  教職ナビの結成 教員を目指す学生らは各種の教職支援対策に積極的に参加するとともに、相互の交流も深ま り自主的・主体的に面接練習や学習会等を開き、仲間づくりが進んでいた。 ナビ結成には「理数考房」(資料3)が大きな役割を果たした。 入試事務部に着任した頃、 理工学部内に「理数考房」があることを知る。この活動は、 理学科教授の田澤新生先生(数

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学)・田中聡先生(物理)・木村隆良先生(化学)の三人が主に指導にあたっておられた。この 活動が引き金となり、「教員採用試験受験対策講座」が2004(平成16)年3月に理工学部で開 設され(4日間)、 私も講師として参加する。2005(平成17)年3月から名称を「教員採用試 験春期集中講座」として高大連携室へ移管された。ナビはこの講座の開催中に理数考房の活動 と並行して結成される。 理工学部学生の間ではその頃、 数学専攻の長瀬(現姓・本間)瑞恵さんや化学専攻の森兼 (現姓・小林)陽子さんらが中心となり、 会合や学習会を重ねていた。 講座の開講式で学生ら にその状況を伝え、終了後その場に残るように連絡した。二人のもとに予想を超える多数の学 生が集まり、長瀬さんへ名前を依頼し、数日後「ナビ」の名を聞いた。2005(平成17)年4月 の文芸学部でのガイダンスでは、長瀬さんが堂々と「ナビ」を名のって参加者を募っていた。 このように、ナビは理工学部学生の間で生まれて文芸学部へ波及し、教員を目指す学生の輪 が学部を問わず所属可能なサークル活動に発展する。高大連携室が会場借用等の面で支援した。 活動には常時50名を超える学生が参加し、代表・副代表に長瀬さんと森兼さんを選出し体制を 整え、教職支援対策の各事業と連動し活動の場を広げていった。  宿泊学習会の開催 採用試験は一次試験に教養・教職の筆答試験を課す都道府県等が多く、依然としてそこで挫 折する学生が多かった。突破する手立てとして、試験直前の2006(平成18)年7月初旬に宿泊 学習会を初めて計画する。この時期を選択したのは、もう一つの大きな理由があった。教育実 習が6月を中心に行われたため、学生が様々な思いを抱いたまま試験に臨み、持てる力を十分 発揮できないことが大きな不合格の理由にもなっていた。 気持ちを癒し切り替え、 モチベー ションを維持するための場を設定する必要があった。 ところが、その頃宿泊を伴う学生のサークル活動では活動中や移動中に死傷を伴うトラブル が多く発生し、大学の責任や指導の所在が問われ、世間を賑わしていた。ナビは大学における 課外活動として部員の総意で結成されたサークルで、相互研鑽のため自らの責任と自主的な判 断の下に行う活動であり、教育的意義について口をはさむ余地がないが、大学に認知された存 在ではなかった。高大連携室長へ「学生自主サークルによる宿泊学習会の実施について(届)」 (資料4)を提出し、高大連携室主催の事業として位置付けることになる。 参加者はナビに全員所属し、東大阪キャンパスにある全ての学部のほか、農学部の学生や卒 業生も加わっていた。内容は学生主導の合宿という形態を取り、講義は面接を除いて教科長等

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が講師となり、しおりにはモラールを含め、スケジュールが詳細に記されていた。合宿で用い た資料のコピーは予め高大連携室にお願いし、段ボール箱に詰め持ち込んでいた。この合宿は ナビの組織体制を固め、その存在を確認する場になる。  教職ナビ活動の実態 ナビは全体ナビのもとに各教科ナビ(国語・社会・数学・理科・英語)が所属し、それぞれ 教科長・副教科長を選び全体の役員を兼ね、全体ナビの代表・副代表を中心に運営していた。 全体の役員会は月一回程度、教科ナビは学習会の他、ディスカッションや集団討論等の練習を 随時開催した(私の手帳には週数回、面接練習の予定が記入されていた)。 ナビの結成以来、採用試験は教員の需要と供給の関係に影響されやや緩和されたとはいえ、 合格者は飛躍的に増えていった。現役合格者(院生含む)に限定すれば、2005(平成17)年度 は15名(既卒91名、小学校教員資格検定による合格者が出る)、2006(平成18)年度は21名(既 卒67名)、2007(平成19)年度は33名(既卒89名、小学校10名)、私が退職した 2008(平成20) 年度は40名(既卒113名)に達する(2009年度は現役54名、既卒164名)。 なお、 既卒の合格者 は全国教育委員会の公表によるもので、一部されない場合もあり、正確な数字ではない。 急増の要因はナビの存在であり、原動力となったのは面接練習と学習会活動であった。ナビ 活動は成果に焦点があてられ、高く評価されているが、懸案事項も抱えていた。万一活動中に トラブル等が発生した場合、責任・指導の所在が問われる。当時、学生が活動で最も時間を割 いたのは面接練習だった。研究室活動や卒業論文などに追われる理系や小学校教員免許取得を 目指し科目等履修生として通信教育を受講する文系(概ね全員)の学生らは他の学生に比べて 練習時間が十分確保出来ず、気が焦り悩んでいた。そのため、練習時間の確保を巡って学生ら に溝が生じ広がり、トラブル等に発展しないように気を配っていた。採用試験は競争試験でな く選考試験であることを踏まえ、数年先を見通してゆとりをもって「就活」を考えていくこと が肝要である。これらの問題を解消する手立てとして考えていたのは、「6 今後に向けての 課題」で触れる「教職教育支援センター(仮称)」の設置であった。 この度、 長瀬さんと森兼さんに当時学生であった立場からナビ活動の実態などについて400 字程度で書いていただいた。字数を制約したので言い尽くせなかったのではないかと思う。 ① 大阪市立中学校教諭 本間 瑞恵さん(旧姓:長瀬) 大学3年次の後半、漠然としていた教員になるという夢を真剣に考えるようになりました。 教員採用試験突破という目標のために、一緒に戦う仲間を募ったことが教職ナビのきっかけで

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す。友人に声をかけ、対策講座で呼びかけ、教職教育部の先生方に協力していただき、多くの 仲間が集まりました。 当初は、仲間と集まって採用試験の筆記対策、面接練習など、楽しみながら勉強していまし た。「教職ナビ」と名前が決まったのもこのころです。国語教員の友人が名付けてくれました。 当時、この仲間との関係はずっと続くと思っていました。しかし、卒業して教員になるとと にかく忙しく、部活動で休みはなくなり、仲間と会う機会、話す機会はほとんどなくなりまし た。結婚や子育てなど自身の環境も変わりました。現在、立ち上げメンバーの中で時間的ゆと りができた仲間も増えています。中堅にさしかかり、現場での立場や働き方も変わり、責任も 出てきて色々な悩みも増えています。これからは年に1回、互いの近況報告も兼ねながら、悩 みなどを打ち明けあうことのできるそんな同窓教員の会になれればいいと思っています。 ② 大阪市立中学校教諭 小林 陽子さん(旧姓:森兼) 当時の近畿大学は、教員免許は取得できるが、採用試験に合格出来るかは個人の問題でした。 筆記試験対策などの情報収集や、人物重視の大阪で面接の対策などをどのように個人で乗り越 えていけば良いのか、途方に暮れていました。そこで、長瀬さんと一緒にもっと採用試験に向 けての具体的な活動がしたい、そしてそれは教員になってからも役立つだろうと話し合い、課 外講座(東京アカデミーの短期講座)に参加していた意欲的な学生に向けて呼びかけたのが きっかけです。 私が教職ナビを立ち上げた最初の理由は自分の進路のためでした。何としても教員になりた い。さらに現役合格したいという強い思いがあったからこそ、主体的に行動出来たと思います。 しかし、面接対策や一般教養のための各教科の教え合い、農学部へのフィールドワークなどの 活動の中で、私よりも熱い想いを持った人たちに出会い、色々な角度から物事を見ることがで き、採用試験に向けて大きな財産となりました。教職の先生方との出会いも、今の私にとって 欠かせない存在です。 ナビ活動を通じて知り合った仲間と今ではすっかり交流が減ってしまっているのは淋しいこ とです。同窓教員の会を足場として縦や横の繋がりを深め、今の現場でのやりがいや悩みを語 り合い、これからの教員生活の活力にしたいと考えています。

5 同窓教員親睦会開催の経緯

入試事務部在職時、採用試験の合格者が少ないことを聞き、本学卒業者がどの位学校現場で

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活躍されているのか、その実情を知りたくなった。2002・2003(平成14・15)年に府立学校に 勤務する本学出身教員について調べると、約100名近くの内6割を超える者が50歳代の後半(殆 ど「工業」)で数年後には20名以下になると知って驚いた。また、卒業生は所属学部への帰属 意識が強く、教職教育部の存在は承知していなかった。 ある程度の卒業生の動向が判明すれば、同窓教員の集まりを設定したいと考えていた。それ には幾つかの理由があった。同窓会は大学と社会の架け橋とも言われ、同窓教員は教育現場と のつなぎの役目を担っている。少子化が進行し入学生の確保が厳しくなる社会では卒業生が大 学を熟知し、教え子らを安心し母校へ送りだしてくれることが期待できる。また、ナビ学生の 卒業後における活動の拠点としても必要であった。 多くの人に協力をいただき集めた個人情報は300名近くに達したので、同窓教員の集まりの 開催を高大連携室へ提案した。2004(平成16)年6月には「近畿大学出身教員(私学)の会」 の名称で開催され、本学附属中学・高校から多数の参加があり、私学関係者だけで約80名出席 した。2005(平成17)年度は案内の対象者を広げ、懇親会は本館地下の職員食堂で開催された が、予想を超える多数の参加者があり、地下通路まであふれていた。 2006(平成18)年度の案内状リストには約800名の個人情報を得るまで膨らんでいた。 名簿 作成は困難を極め、 高大連携室専任者が全員体制であたっておられた(「個人情報の保護に関 する法律」は2005(平成17)年4月から全面施行されたが、早まっていれば本会は設置されて いなかっただろう)。この年度から「同窓教員親睦会」の名称が用いられたと思う。 第1部・第2部とも会場を11月ホールに設定し、吹奏楽部の協力もお願いした。一部の同窓 教員には事前に出席を確認し、挨拶などをお願いする。第2部の懇親会には採用試験の合格者 を出席させて「本年度の合格者です。4月には皆様の仲間に入りますのでよろしくお願いしま す」と紹介した。 本会は、主役は同窓教員であり、そこに教職教育部・学部関係者等が参加し、共に忌憚なく 語り合える場であることを期待し、高大連携室を始め大学当局関係者のご理解をいただき、実 現に至った。

6 今後に向けての課題

ここで本稿を終えるのも、責めは果たしたとも思われたが、退職後に教職ナビ活動と同窓教 員懇親会の実情を知る得る機会があったので触れることにした。

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振り返ってみると、大学自体が内部改革を強く求められていた時期で最も重要視されたのは 「入口・中味・出口」、つまり大学を中心に考えると「縦・横」の関係における改革だった。そ れを実現するには、大学が他の機関・組織等、特に人との「つながり」を強めることであり、 その鍵を握るのが「絆」であった。私は常にこのことを念頭に置き、様々な活動に取り組んで きた。 2007(平成19)年度から退職後も引き続いて4年間、農学部で教職に関する科目の2コマを 担当する(金曜日)。授業終了後、 ナビ学生からの要望で集団面接・討論等の指導を行い、 個 別の相談も受けた。ナビ教科長から「一部に試験に合格さえすればいいと思っている者がおり、 まとまった行動が取れない」と告げられた。その学生は本部での活動に参加し、農学部ナビに はあまり参加しないとのことである。また、同時期の2009(平成21)年3月にナビ同窓会が初 めて開かれ、ナビ結成時の卒業生を中心に約40名の者が集まった。出席者には直近の卒業生が 見られず、理由を尋ねると「声をかけたが出席しなかった」、さらに「あの人たちは合格する ためにナビに入っているので卒業すれば関係ないと思っているよ」との話を聞き、ナビ活動も そうした段階に達したと思った。 ナビ活動が活性化し、大きな成果を収めてくると「ナビに入れば合格できる」と思い、ただ その思いで参加してくる学生が増えてくることを予期していた。そうした状況が強まると全体 の調和が取りづらく、卒業すれば離れていくなどの弊害を生じる危惧があった。本来、ナビは 教員養成の一環として「有為な教員」を目指し共に切磋琢磨し合う仲間であり、その結果とし て採用試験の合格につながるといった自主サークル活動を期待した。 2013(平成25)年度同窓教員親睦会の案内をいただき、かつての仲間やナビ卒業生等に会え ると思い、四年振りに出席した。以来、開催されなかった一昨年を除き出席し、3年前には以 倉先生を始め、田澤・田中・木村の各先生方らにお会いしたが、私が知る親睦会とは異なり、 雰囲気も少しずつ変わってきていることに気づいた。同窓教員や学部関係者の出席者が少ない ように思われ、ナビ卒業生もあまり見られず、会合は大学からの情報提供が中心となっていた。 ここ10数年、現役・既卒の採用試験合格者が全体で千数百名になると推測されるが、それに比 べ出席者は増えていないようである。ナビ活動が同窓教員親睦会へつながっていないことを実 感する。ナビ卒業生は20歳代から30歳過ぎの若い者が多く、校務や家事等に追われて出席した くても出来なかった者が相当数いたことも考えられ、今後に期待したい。 幸いなことに、2005(平成17)年2月に掲げた当面の課題は多くの皆様のご理解・ご支援を

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いただき概ね達成できたが、『教育論叢』でも触れた「教職教育支援センター(仮称)」が設置 されたとは聞いていない。2008(平成20)年には「教員養成対策小委員会」が設置され、委員 として出席した。退職直前であったが、2009(平成21)年2月の委員会に提案した「教職支援 (相談)室(案)の設置について」の資料(資料5)が残っており、その前文を紹介したい。 「本学では例年、2000名を超える学生が教職課程を履修し、免許取得予定者の30数%の者が 公立学校教員採用試験に挑戦している(2008年度実績で教育実習実施者が461名、受験者が166 名)。卒業生を含めると受験者は800名を超えると推測される。合格者は本年度において現役学 生約40名、卒業生を含めると170名に達するとみられる。こうした状況のもとで、 教員採用試 験に向けての支援対策は本年度から各学部の協力を得て教職教育部と教学事務部で所管し、適 切な指導が計画的に進められている。ところが、殆どの大学で設置されている教職支援(相談) 室がなく、教職にかかわる相談や情報の収集等でどこへ行けばよいかと戸惑いを感じている学 生や卒業生らが多くみられる。学生等への教育サービスを一層の充実を図る観点から、教職支 援室等の設置が急務の課題と考える。」 教職支援(相談)室が設置され、その事務分掌規程にナビの存在が明記されると永年に渡る 懸案事項が解決できると考えた。また、この室は大学と同窓教員や教職ナビとの接点、つなぎ の場になることを期待していた。 最後に、本稿執筆についてご配慮をいただいた戸井田克己先生や編集委員会委員長の光田尚 美先生を始め、教職教育部の関係皆様に心からお礼を申しあげたい。  参考資料: 1 高大連携室の業務は次の通り(事務分掌規程)。 ア 高校生等を対象とした講義、公開講座、セミナーの開催に関する事項 イ 大学の開講科目への高校生の受け入れに関する事項 ウ 大学と高校等の教職員の交流・研修に関する事項 エ 教育委員会、私立高校連盟との連携協力に関する事項 オ 教員採用試験に関する情報収集と受験対策等支援に関する事項 カ その他各学部教務部との連絡調整に関する事項 キ その他高校等との連携に関する事項 2 2005年度進路委員会の事業は「高大連携室が主催する受験対策等支援に関する事業におい

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て、主として学生の指導にあたるほか、教職教育部が独自に継続して実施した事業は教員採 用情報メーリングリストの管理、論作文対策Eメール講座の企画・運営、「教員採用試験のた めの論作文―合格へのEメール講座―」の刊行、2006年度課題として進路委員会の役割機能 の明確化、高大連携室との関係、教員採用情報メーリングリストの管理・運営が挙げられた。 3 理数考房は、「異学年、同学年間の学生同志が自主的にかつコミュニケーションを取りな がら、理数教育の講義方法や授業方法について創造的に考えるサークル」として、小中高現 場での実践的教育体験を通して「サイエンスティーチャー」の養成を目指していた。2010年 3月には「平成21年度 サイエンスパートナープロジェクト(SSP)講座型学習活動」のタ イトルで実施報告書を作成され、「理数大好きおもしろ 考房」という言葉も使われていた。 4 「学生自主サークルによる宿泊学習会の実施について(届)」には、「2005年度より、教員 を目指す学生・院生の有志が学生自主サークル「教職ナビ」を結成し、採用選考試験に向け て様々な学習活動を自主的に進めています。そうした活動に対し、高大連携室および関係教 職員が支援・指導にあたっています」で始まり、目的として「直前に迫っている教員採用試 験に向けて1次試験対策を中心に最終的な点検を行い、本番に備える」と記されていた。期 日は7月2日~3日、場所は大阪府立少年自然の家、参加者は本年度公立学校教員採用試験 を受験する者(22名)、 指導教員は角森・首藤の両先生と私の三人で、ナビ合宿のしおりと 参加者名簿を添付した。 5 教職支援(相談)室(案)の目的は「教職支援(相談)室は、教職を目指す学生及び卒業 生に対し、必要な情報の提供や指導・支援を行うことを目的とする」、 業務内容は「教職を 目指す学生及び卒業生の進路希望動向の把握とその指導に関する事項、教職関係資料の収集 及び提供に関する事項、 教職に関する求人情報の収集と提供に関する事項、 教職に係わる キャリア相談に関する事項、自習室としての利用に関する事項、その他教職支援に関する事 項」。

参照

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