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九州大学の歴史的什器にみるコトブキ家具

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Academic year: 2021

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(1)18. 特集:家具のデザインと技術. 三島美佐子 Mishima Misako 九州大学総合研究博物館 The Kyushu University Museum. 九州大学の歴史的什器にみるコトブキ家具 その特徴と意義 The KOTOBUKI Furniture in the Historical Furniture Collection of Kyushu University The Feature and Significance. 1.はじめに 1.1. 九州大学の歴史的什器とは ─ 移転等における什器大量更新 に伴い廃棄された戦前木製家具の救済とコレクション化 国立大学法人九州大学(以下九大)は、1911年に創立した総合大学である [注1]。戦後のキャンパスは、福岡市東区に位置する馬出(医学系)と箱崎 (理・工・農・文系)、および同城南区の六本松(旧一般教養)他から構成さ れていた。九大は、1970年代から議論されていたキャンパス移転が1990年に 具体化し、主に箱崎と六本松の2つのキャンパスを、2005年から約15年間を かけて、断続的に福岡市西区と糸島市元岡をまたぐ「伊都キャンパス」に移 図1 大学史的にも貴重と思われる歴史的 家具の一例。医学部由来の両袖机(中 央)と書棚(右奥) 。いずれも1907(明 治40)年購入のラベルが付された本 学最古品。. 転させた[注2]。 このキャンパス移転にあたり九大は、戦前に竣工された歴史的建造物つい ては、5カ年にわたる検討・評価を行い、評価対象となった27件のうちの5 件ついて、活用を前提として保存することとした[注3]。一方で、什器類 (特に木製家具)については、本学として公的な検討・評価を行うことはな く、移転初期にあたる第Iステージの工学部移転では、九大創設時のものを 含む木製家具が大量廃棄された[注4]。九州大学総合研究博物館(以下九 大博物館)は、戦前の木製家具が評価なしに廃棄されていることを懸念し、 第Iステージの工学部移転完了後の2009年前後から、廃棄物置場または空き 建物内に残置されていた廃棄予定の木製家具を収集しはじめた[注5]。 九大における戦前の木製家具の廃棄は、キャンパス移転に関わるもののみ. 図2 学外借用収蔵庫で保管している歴史 的什器コレクションの収蔵状況(一 部)。調査・清掃や展示利用・在野保 存貸出の際の出し入れや、管理がし やすい配置にしている。 1)創立当初は、九州帝国大学工科大学と京都帝大福岡医. ならず、移転のない馬出キャンパスでも、建物建替とそれに伴う引越し等で 生じた。九大博物館は、木製家具を廃棄する前に館に問い合わせをするよう 全学的に依頼するようになり、その結果、大学史的にも貴重と思われる木製 家具も回収されるようになった(図1) 。2015年の理学部移転および2018年. 科大学を前身とする九州帝国大学医科大学からなる。. の箱崎キャンパス最終移転(文系・農学部・図書館等)では、網羅的な事前. 2)九州大学百年史編集委員会:伊都キャンパスへの移転. 調査をふまえた峻別・収集を行った。2019年現在計約1,000点が「九州大学. と病院地区の再開発,九州大学百年史 第3巻:通史 編 Ⅲ,第14編,465-486,2017 3)九州大学統合移転推進部統合移転推進課:九州大学箱 崎キャンパスにおける近代建築物について(平成29年 3月),http://www.kyushu-u.ac.jp/f/30138/toriatsukai.pdf (閲覧日2019年9月) 4)大学関係者および目撃者等による証言。筆者自身は当 時の状況を直接目撃してはいない。 5)詳細は、三島美佐子・岩永省三:九州大学総合研究博 物館・第一分館の刷新的利活用(経緯) ,九州大学総合 研究博物館研究報告,12,57-66,2014を参照のこと。. 歴史的什器コレクション」として、福岡市内とうきは市内の借用収蔵庫およ び箱崎キャンパスと伊都キャンパス内にて収蔵・保管されている(図2) 。 以上、九州大学の木製家具がコレクションとして形成された背景と経緯を述 べた。移転完了後の現在も、伊都キャンパスに移設された歴史的什器がまれ に廃棄物集積場に出されている事があるため、他のキャンパスからの依頼と あわせ、断続的だが継続的・積極的に、博物館が歴史的木製家具の評価・収 集・保存・活用を続けている。.

(2) デザイン学研究特集号  Vol.27-1 No.101. 1.2. 九州大学歴史的什器コレクション全体の特徴 学術的外部評価[注6]により指摘された当該コレクションの特徴は、以 下のとおりである。  A.研究資料的特徴 1.明治末期・大正期・昭和戦前期・戦後期の学校用および事務用の木 製家具の変遷を知ることができる。 2.その時期の日本の木製家具の現物が、大量に一つの場所に収蔵され ていることは、全国的に見ても稀である。 3.個々の什器を特定することができる備品プレート、シール等が大部 分のものに附されており、その一部については、対応する備品台帳 (カード含む)も現存している。 4.一部については、製造元(家具メーカー名等)を特定できるメー カープレート、シール等が付されている。 5.戦前期の製作所のカタログや家具図として掲載された学校校具・事 務家具の実際の姿を知ることができる実物資料である。  B.教育資料的特徴 1.工学系・芸術系・歴史系などの学生実習教材として用いることがで きる。 2.近現代日本の家具・インテリア・建築の歴史資料として、展示や在 野保存[注7]等をとおした、一般公衆を対象とする生涯学習に貢 献可能。 このうち、A−4で挙げたメーカープレートの存在が、本稿で「コトブキ 家具」を取り上げるに至るきっかけとなっている。. 1.3. 本稿における名称の扱いと本稿の目的 九大博物館が2015年に救済・保管した理学部由来の歴史的什器には、大学 の備品プレートのほかに、「壽商店」のメーカープレートが付された木製家 具が複数存在した(図3)。このメーカープレートは、1914年に家具内装販 図3 九大歴史的什器に残っている「壽商 店」永坂工場時代のメーカープレー ト2種。上:卓子に付されているメー カープレート、下:両袖教授机に付 されているメーカープレート。. 6)新井竜治氏による評価報告に基づく.報告詳細は、新. 売会社として深澤幸也により創業された、壽商店のものであった[注8] 。 この壽商店は、戦後に合併・再編とそれに伴う社名変更をしながら現代の直 系企業に至っている[注9] 。九大歴史的什器コレクションには、戦前の壽 商店製品のみならず、戦後の社名変更後に製造・販売された家具も含まれて いる。そこで九大博物館内では、創業当時の壽商店から現代の直系会社であ. 井竜治・三島美佐子:九州大学総合研究博物館所蔵・. るコトブキシーティング株式会社に至るまでに製造・販売された室内家具を. 歴史的木製什器コレクションの評価と課題,九州大学. 通称して「コトブキ家具」と呼んでおり、本稿もこれに倣う。また、戦前の. 総合研究博物館研究報告,15-16合併号,69-85,2018 を参照のこと。実施の経緯は、三島美佐子,九州大学. 壽商店から現代のコトブキシーティング株式会社に至る一連の会社を総称し. の歴史的木製什器の保存と活用の新たなあり方にむけ. て、本稿では便宜上「コトブキ社」と呼ぶこととする。. て,九州大学総合研究博物館研究報,15-16合併号, 65-68,2018を参照のこと。 7)在野保存とは、文化資源等を、博物館や教育・研究機 関のみならず、事業者や個人などの在野で、使いなが. 本稿の目的は、これまで殆ど扱われてきていない日本の大学における「学 校家具」について、その評価と今後の取り扱いを考える一助とするため、ま. ら保管し次世代につなげる保存方法。前掲6)の三島. ずは救済した九大歴史的什器に含まれている家具について、特定の家具製作. (2018)で提唱され、2019年度現在、その有効性や課. 会社─今回はコトブキ家具─を俯瞰することである。次に、その知見に基づ. 題を検証中である。 8)前掲6)新井・三島(2018)。. き、それら家具の特徴やその意義を明らかにし、かつ、今後さらに取り組む. 9)1973年に株式会社コトブキと改称、2010年には創業以. べき課題を明確にする。. 来の主力である椅子を中心としたコトブキシーティン グ株式会社と、後発となる FRP 製品から発展したス トリートファーニチャーを主力とした株式会社コトブ キに分社している。本稿では、屋内家具・椅子を主力 として扱うという点で、前者を直系と表現した。. 19.

(3) 20. 特集:家具のデザインと技術. 2.九大歴史的什器からみた「コトブキ家具」 2.1. 九大什器コレクションに現存する「コトブキ家具」[注10] 九大歴史的什器は主に、戦前の1910年代∼1940年代、次いで戦後の1940年 代∼1970年代に購入された家具や物品で構成されている[注11]。家具種は 脚物・台物・箱物である。材質は、無垢材・合板を含む木製品が中心である が、金属、FRP、ないしその組み合わせである製品を含む。これらのうち、 コトブキ家具であることが明確にわかるメーカープレートは、戦前の脚物・ 図4 手前と中央の列は全木製・固定式、 奥はスチール製の回転昇降式の丸椅 子。全木製の丸椅子は一般的に四脚 であるが、九大のものは三脚が多い。. 台物、戦後の脚物にみられ、戦前戦後をとおして箱物にはない。従って今回 は、箱物については扱わない[注12]。 以下、九大歴史的什器におけるおおまかな家具種ごとに、含まれる家具の 概要と、コトブキ家具の有無および現時点での知見を記す。. 2.2. 単脚丸椅子 ─ 戦前・戦後をまたぐ特徴的形状の部品 回収した丸椅子には、全木製(図4)、スチール製、スチールと木の組合 せなどが含まれている。全木製品はほぼ全て座面は固定式で、4脚ないし3 脚である。スチール製や、木とスチールとの組合せ品は、単脚回転昇降式が ほとんどである。製造者のメーカープレートは、全木製品にはほとんどつい ていない。一方、戦後品と思われるスチール系の単脚丸椅子には、コクヨ、 イトーキ、ライオンなどのオフィス家具会社のメーカープレートがついてい る。 これら丸椅子の中で、コトブキ社のメーカープレートが残るものが計2点、 存在する(図5) 。いずれも脚部がスチールの単脚昇降式で、1939∼1948年の 図5 コトブキ社製回転昇降機能付きの単 脚丸椅子。上下とも、左側は1939∼ 1948年の間に購入されたと推察され る理学部由来品、右側は1980年製造 品。座面と支柱の結合部の補強金属 が、特徴的な「X」形状である。. 間に購入されたと推察される座面が木である理学部由来品(図5の左側)と、 1980年代製の農学部由来品(図5の右側)である。両者の製造年には最小で も32年間程度の差があり、戦時期や大量生産期をまたぐにも関わらず、座面 裏と支柱との結合部の補強金属が特徴的な「X」形状である点や、昇降調節 部の仕組みや形状など、ほとんど変わっていないことがわかる(図5下)。 この座面裏と支柱との結合部の金属部品は、コトブキ社では「トンボ」と呼 ばれている[注13]。当館で多数回収している丸椅子において、この「トン ボ」部分が「十」形状であるものは複数存在するが、対角が狭い(まさにト ンボの羽のような) 「X」形状のものは、これらコトブキ社製の丸椅子2点 と、同じくコトブキ家具の1980年代製スチール事務椅子(後述)で見られる のみである。よってこの「X」形状のトンボは、コトブキ社製の単脚椅子を. 図6 農学部から回収した学生机イス。. 10)九大歴史的什器コレクションは現在も整理・調査を継 続中であり、本稿での記述は2019年5月までの情報に 基づくものであるため、本稿で記されている内容は今 後改訂・修正される可能性のあることを留意されたい。 11)ただし、運搬経費と保管スペースの制限があったため、 緊急の救済を要しないと思われたものについては回収し ていないか、回収していたとしても極端に点数は少ない。 12)「寿商店」カタログ(推定1922∼1929年の間に刊行) (新井竜治氏所蔵)には、書棚や洋服箪笥などの箱物 も掲載されている。よって、九大で「壽商店」製の木. 同定する上で有効な固有形状である可能性が高い。. 2.3. 学生机連結椅子 連結椅子はコトブキ社の主力商品である。その中でも、「学生机連結椅子」 は背もたれの裏面に後列の人のための卓がついているもので、大学施設で講 義や試験を受けた事がある人なら、一度は使用したことがあるかもしれない 製品である。九大箱崎キャンパスの校舎にも学生机連結椅子が多数導入され ていたが、移転時には、建造物に付随するものとしてそのまま残置となり、. 製卓子類が導入された頃にも、箱物は作製・販売され. ほとんどが施設解体と一緒に処分された。以下、移転時に回収した学生机連. ていたことがわかる。カタログには、本社住所が鎗屋. 結椅子と、現在箱崎キャンパス現地に残存している学生机連結椅子について. 町、工場住所が土手跡町と木場町と記載されているた め、営業所が槍屋町に移った1922年から土手跡町工場. 解説する。. が永坂へ移転する1929年の間に作成・使用されていた. ⑴ 移転時に農学部から回収した戦後製学生机イス. ものであると推定できる。 13)コトブキシーティング株式会社・吉川啓子氏より. 箱崎キャンパス内で多数存在していた学生机連結椅子の戦後品は、ごくあ.

(4) デザイン学研究特集号  Vol.27-1 No.101. りふれていたがゆえに、ほとんど回収していない。その中で、箱崎キャンパ スの旧農学部の7つの建物のうち、3号館(1966年竣工)1階の100平米ほ どの講義室に設置されていた学生机連結椅子については、座部と背部の板は それぞれ、3層、5層の積層合板であったが、甲板の数枚と物置台の板は無 垢材であった。無垢材が用いられている学生机連結椅子は他に残っておら ず、おそらく設置当時のままであると思われたため、ひととおり回収するこ ととした(図6) 。これらはコトブキ社製と思われるが、まだ確定していな い。この回収什器については今後調査をすすめるとともに、部材としての活 用や、将来的には一部を復元展示として設置することも検討している。 ⑵ 1930年に箱崎キャンパス工学部本館講義室に設置された学生机連結椅子 歴史的建造物として保全されることになった旧工学部本館(1930年竣工) にある3室(2006年までは4室)には、今も学生机連結椅子が設置されてい る。いずれも竣工当時に設置された学生机連結椅子(図7)は、「大小講義 室学生机及椅子」として「壽商店」により納品・設置されたものであった [注14]が、全て戦後品に更新され、現在に至っている。 九大文書館所蔵の公文書[注15]によれば、この時の学生机連結椅子の導 入は、競争入札ではなく、コトブキ社との随意契約[注16]である。随意契 約とする理由書には、 「新案特許を用いることで堅牢・便利で弧形の理想的 図7 上:1930年竣工当時に撮影されたと 思われる、箱崎キャンパス旧工学部 本館大講義室。中:九大大学文書館 に保管されている公文書に残る、 「工 学部本館大小講義室学生机及椅子」 の詳細図。. な学生机となる」ということと、1925年の東大安田講堂での成功実績が引用 され、それが可能な唯一無二の業者として「壽商店」とその製品でなければ ならないということが述べられている。仕様書には、座と背に安田講堂と同 様のテレンプ張りが指定されている。この学生机連結椅子に用いられた実用 新案は、1927年に出願・1929年に公告されたものであり、その具体的な内容 を説明する資料、その権者がコトブキ社創業者である深澤幸也であるとの証 明書、実用新案に関わる書類を提出するよう九大側から求められたものであ ることがうかがえる文書などが、他の契約書とともに綴じられている。 『コトブキ百年物語1914−2014』[注17]によれば、安田講堂への連結椅子 納品の三年後にあたる1928年に、東大からの発注を受けて学生机連結椅子を 開発したとある。東大に納品されたその学生机連結椅子は、安田講堂の連結 椅子開発で特許が取られたほとんど無音で座面が刎ね上がる回転装置が実装 され、さらに可調節アームを用いた金属と木材の組み合わせによる製品で あった。納品は建物竣工にあわせて1929年ごろから順次なされた考えられて おり[注18]、その後約30年ほどで全国153校に導入されるに至ったとされて いる[注19]。. 図8 コトブキシーティング株式会社4階 「ヒストリーミュージアム」に展示さ れている、東大へ納品した学生机連 結椅子の修復品。. 九大のテレンプ貼りの学生机連結椅子は1930年に納品されており、間違い なく東大への納入開始と同時期に製造されたものであると推察される。この ことは、九大に納品された製品(図7下)が、駿河台のコトブキシーティン グ株式会社本社のショールーム4階にある「ヒストリーミュージアム」に展. 14)九州大学大学文書館所蔵『昭和五年 工学部教室其他 火災復旧三千円以上』より.. 示されている、当時東大に納品された学生机連結椅子現物の修復品(図8). 15)同上. とほぼ同じ形状で、差異は背部のテレンプ張りの上下の位置の違い程度であ. 16)何らかの特別な理由により、競争入札とせずに、特定. ることからも、支持される。翌年の1931年には、テレンプ貼りのない、現代. 企業を指定して契約・発注する方法 17)コトブキグループ100周年誌編纂プロジェクト編・深 澤重幸監修:コトブキ百年物語 Hundred years story of. KOTOBUKI,コトブキホールディングス株式会社,東. の形状に近い学生机連結椅子が、女子英学塾女子大(現在の津田塾大学)に 納品されている[注20]。. 京,2013. 以上の学生机連結椅子の変遷からすると、1930年代初頭の学生机連結椅子. 18)前掲13). は、テレンプ張りのホール連結椅子から、そのようなクッション材のない現. 19)前掲17) 20)同上. 代で一般的にみられる学生机連結椅子への、過渡的(あるいは折衷的)な仕. 21.

(5) 22. 特集:家具のデザインと技術. 様であったことがうかがえる。もし九大が、1930年に納品・設置された学生 机連結椅子の現物を、今でも使い続けていたか、あるいは戦後の更新時に一 部でも修復ないし復元して今に継承していれば、学生机連結椅子の開発・実 用初期段階を示す貴重な歴史的資料となっていたに違いない。なお東京大学 法文経済学部2号館のテレンプ貼りの学生机連結椅子については、補修を重 ねながら当時の部材をできる限り用い、現在も使われ続けているという (2014年当時)[注21]。. 2.4. FK 式単脚回転椅子 FK とは創業者・深澤幸也の頭文字(Fukasawa Kouya)で、単脚回転椅子 とは、文字通り、一本脚の支柱がありかつ座面が回転する椅子のことである [注22]。コトブキ社は、1929年にこの椅子の開発に研究着手、1930年の岩岡 式の学生机椅子を経て、1934年に発表、1935年に最初に東大に納品するに至 る。この製品はコトブキ社の主力商品となるが、1940年には国家総動員法に 基づく家具への金属使用が制限されたため、金属製品を用いる製品は一旦全 て製造停止、木製品に回帰している。やがて木材統制が施行され、1942年に は一般家具製造も全面禁止になる。終戦後は1947年ごろから進駐軍施設の、 翌年からは映画館での什器需要があり、戦後復興とあいまって、コトブキ社 図9 九大歴史的什器に含まれてい る単脚回転式の事務椅子。上: 1960年代製(赤色2台) 、1980 年代製(グレー2台) 。中:赤 色2台に付されているメー カープレート。下:特徴的な 「X」形状の結合部パーツ「ト ンボ」が確認できる。. は椅子に注力して成長を続けることになる[注23]。 九大の歴史的什器救済時には、最終移転で肘掛付きの事務用椅子を四脚ほ ど、回収している。戦後品の回収品はそもそも多くはないが、この戦後∼ 1980年代あたりまでの単脚回転椅子は、残存数自体ごく少なかった。図9上 に写っている手前から順に1987年製、1966年製、1986年製、1966年製のメー カープレートがついている。1966年製の暖色系の2台はまったく同じメー カープレートで、金剛のメーカープレートも付されている(図9中)が、肘 掛部分や脚部などにわずかな形状の違いがある。「イスのコトブキ」ロゴは、 1959年∼1960年に出されたカタログで用いられている。なおグレーの1980年 代製の椅子2台のメーカープレートには、JIS マークがついているが、金剛 のメーカープレートは付されていない。1986年製品の座面と支柱との接続部 には、取り付け方や「X」形状の角度などは異なるものの、2.2. 図5の単脚 丸椅子と同様の結合部品「トンボ」が用いられている(図9下)。 これら4台はどれも微妙に形状が異なっており、またそのため、カタログ や資料写真から絵合わせ(見た目の形)だけで型番を同定しようとしても、 ぴたりと合うものが見つけられない状況である。これは、高度成長期に製品 のデザイン・材質ともに多様化してきたことの反映と思われる。. 2.5. デザイン椅子、FRP 製椅子 九大歴史的什器には、コトブキ社製の1959年以降∼1970年代頃のデザイン 椅子も含まれている(図10)。図10上は「丹下型」と呼ばれるデザイン椅子 で、同型のものが「富士見高校」の一室に多数配置されている様子が、コト ブキシーティング社が所蔵する納品記録写真に残されている。当時、このよ うなデザイン椅子も、学校家具の一種として流通していたことが伺える。 図10 九大歴史的什器に含まれてい る、1960∼1970年代デザインの コトブキ椅子。現時点では、購 入年は詳細不明。上・中:農学 部由来品、下:工学部由来品。. 図10中・下の製品は、座部が繊維強化プラスチック(FRP)製で、昭和時 代の国鉄のプラットフォームのベンチや、野球場の座席などでよく見かけ た、なつかしいイメージがある。コトブキ社がこのような FRP 製品の開発 に注力するようになったのは、1955年以降のことで、1956年から FRP の量.

(6) デザイン学研究特集号  Vol.27-1 No.101. 産研究に着手、その二年後の1958年に最初の FRP 椅子を納品したという [注24]。. FRP が家具素材として用いられたのは、アメリカのハーマンミラー社が 1950年に販売開始したものが最初である。当時の FRP は、製造過程で使用 される化学物質が有害であったり、廃棄後は分解不能であった[注25]。 ハーマンミラー社では、そのような環境負荷が高い FRP 製品の製造を1990 年から停止し、より環境負荷の低い素材に切り替え、2013年から復刻販売を しているという[注26] 。コトブキ社の FRP 製品も、現在はより環境負荷の 低い素材に切り替えられている[注27]。図10の九大歴史的什器のトブキ社 図11 九大歴史的什器に含まれている、農 学部由来のハーマンミラー社製の椅 子「イームズシェルチェア アーム チェア ワイヤーベース」。. 製 FRP 椅子は、その切り替え以前の製品である。我々がこれらを今後も引 き続き使用し続けていくことは、環境負荷を低減することにもつながる。 本稿はコトブキ家具の記述を主たる目的としているが、九大歴史的什器に は、上述したハーマンミラー社製の椅子(図11)も含まれているため、ここ で少しだけ言及しておく。九大歴史的什器に含まれている製品は、箱崎キャ ンパスの旧農学部1号館の大会議室で使用されていたものである。農学部の 主要建物であった旧1∼3号館は、1964∼1971年にかけて段階的に新築・建 増されており、大会議室があった農学部1号館は、東半分が1969年に西半分 が1971年の竣工である[注28]。建物新築を機に什器が新規導入されること を考えると、これらは1970年代の購入であると推察される[注29]。このよ うなデザイン椅子が大会議室という場所に多数採用・導入されたことは、旧. 図12 移転以前から保護している、工学部 由来「教官用椅子」 。備品簿によれば、 1917年に約18円で購入したとされる。. 農学部建物で使用されていた他の什器と照らし合せてみても特異な事例であ り、廉価であったか、何か特別なメリットがあった可能性がある。. 2.6. その他の椅子 コトブキ社製品にごく類似しているもので、図12のような木製回転肘掛椅 子が1台ある。備品番号を元に、「1917年3月購入の教官用椅子」とされて いる[注30]。メーカープレートがないため、製造企業名は現時点では不明 である。コトブキ社が自社で家具製造を始めるのは、土手跡町の工場を獲得 した1920年以降なので、このイスの製造元としてはコトブキ社を候補からは ずしてもよいだろう。その他、四脚木製椅子などが複数あるが(図13)、 図13 製造元名不明の木製四脚椅子類。壊 れているものも多い。全木製のもの は、2台を貸し出し中で、博物館に は2台のみ残っており希少である。 21)前掲17) 22)FK 式の開発や特性、変遷等については、岡田栄造・ 寺内文雄・久保光徳・青木弘行:明治・大正・昭和前. メーカープレートはほとんどついておらず、製造会社名は不明である。. 2.7. 台物 台物は、いわゆる事務机のような両袖、片袖、袖なしの机が、それぞれ教 授用、助教授用、助手用ないし学生用として九大に導入されてきた。また、. 期における特許椅子の展開過程 ── 寿商店「FK 式」. W120∼180cm × D30∼90cm(例外あり)ほどの長平机や大平机などは、主. 回転昇降椅子を事例として,デザイン学研究,47(6),. に作業台などとして使われていた。水道・ガス栓、さらには中央に試薬棚な. 9-16,2001a、岡田栄造・寺内文雄・久保光徳・青木 弘行:材料技術と道具観の相互依存性に関する考察:. どが付随する大型実験台(W180∼300cm × D150∼180cm ほど、例外あり). 社会的知識創造としての金属製回転昇降椅子開発,デ. は、いかにも学術研究を担う大学らしい家具種といえ、特に甲板が分厚い. ザイン学研究 47(6): 17-26,2001a、白石光昭:戦後 日本の事務用椅子の変遷∼ワーカーの姿勢変化への対 応をとおして∼,小山工業高等専門学校研究紀要,37, 229-238,2005等も参照のこと。. (約7cm 内外)ことが特徴である。実験台は、非常に重くかつ大型である為 に、数点しか回収できていない[注31]。学部・学科により、台物の家具種. 23)以上、前掲17) . の構成は異なるが、詳細は現在調査中である。殆どはメーカープレートが. 24)同上。. 元々付いていないか、省かれた痕跡があったりするが、まれに地元家具店な. 25)FRP 製造過程での有害物質については東登:FRP 作業 の安全と衛生,Techno marine 日本造船学会誌,777, 51-54,1995、分解不能であることについては柴田勝 司:FRP のリサイクル技術,ネットワークポリマー, 28(4),43-57,2007などを参照のこと。. どのメーカープレートが付されている場合もある。 そのような中で、理学部由来の机・作業台のいくつかには、 「麻布区永坂」 時代の住所が記された赤い「壽商店」のメーカープレート(図3上)を見る. 23.

(7) 24. 特集:家具のデザインと技術. ことができる。調査の過程で、 「壽商店」のプレートが付された台物に共通 する構造的特徴に基づき、メーカープレートがなくともその特徴から、コト ブキ社製であると同定できることがわかった。この台物の項では、そのよう なコトブキ家具の特性を中心に、新案特許に関わる知見を含め、解説する。 ⑴ 九大歴史的什器にみるコトブキ社製台物の概要 九大歴史的什器に含まれるコトブキ家具に付されたメーカープレートには 2種類あり、以下のような実用新案特許情報が記載されている。 赤い金属製メーカープレート(図3上)  新案特許複式桟附板  PAT. NO. 196254  株式会社壽商店  東京市麻布区永坂町三七 乳白色の樹脂製メーカープレート(図3下)[注32]  壽式狭脚机  PAT. NO. 196254 242711  特許出願中 公告番号1327   株式会社壽商店  東京市麻布区永坂町三七番地 これらのメーカープレートが付されたものは全て、⑵で後述するような特 有の構造を有している。そのため、同様の構造を有していれば、メーカープ レートがなくともコトブキ社製であると同定できた。台物の脚の上部の部材 端部の仕上げには、僅かながら個性が発揮されており、メーカーラベルが付 されたコトブキ社製品では特に、図14のような端部の面取り(斜め45度の カット)が共通して見られた。よって、この脚の上部の部材端部の仕上げ形 図14 九大歴史的什器の台物の脚の上部の 部材端部にみられる、コトブキ家具 に固有の面取り形状(⃝印と矢印の 部分) 。上:作業台を斜め前方から見 た場合。下:同じ作業台を真横から みた場合。. 状も、メーカープレートが付されていないコトブキ家具を同定できる固有形 状として用いることが出来た。 メーカープレートと固有形状に基づく同定の結果、前述した椅子以外の 「壽商店」製の木製家具は全て台物で、以下の計41台存在していることがわ かった(2019年5月現在、家具種右側に付した括弧内は、それぞれ内数): 小机(7)、横抽斗小机(3)、片袖机(9) 、両袖机(5)、両袖机と蛇腹付 上置のセット(2)、作業台(5) 、長机(3)、大卓子(7)。 ⑵ コトブキ社製台物における「複式吸附(すいつき)桟」と「複式桟附板」 コトブキ社の台物にみられる最大の特徴は、甲板の裏側に木理方向と直行. 26)ハーマンミラー・ジャパン社ホームページ https://. www.hermanmiller.com/ja_jp/ より(2019年8月閲覧) 27)コトブキシーティング株式会社・古谷達朗氏より 28)九州大学施設部施設整備課・三分一雅子氏より 29) こ の 推 定 購 入 年 代 か ら は、 こ の シ ェ ル チ ェ ア は、 1955∼1970年代にモダンファーニチャーセールス社に. するように渡された二本の桟「複式吸附(すいつき)桟」である(図15上)。 この「複式吸附桟」は、甲板の反りや割れ・ヒビ、ガタつきなどを防止する 役目がある。これを甲板と組み合わせたものが PAT. NO. 196254の新案特許 「複式桟附板」である。. より製造・販売された国産品であると考えられる。モ. この「複式吸附桟」に似た構造は、2.2. で挙げた単脚丸椅子にも見られる. ダンファーニチャーセールス社(日本ハーマンミラー. (図15下)。ただし、台物のように溝のある桟を二本渡して板に接続するので. 家具販売株式会社として1964年設立)は、現・ハーマ ンミラージャパン株式会社の前身) 。以上、ハーマン. はなく、座面とトンボが結合している板に「吸附桟」と同様の溝を二つ掘る. ミラージャパン株式会社マーケティング部前澤恵子氏. ことにより「複式桟」になっている。九大歴史的什器に含まれる丸椅子全て. より。 30)当館元館長(当時) ・吉田茂二郎氏による同定. において唯一、このコトブキ社製品にのみ見られた構造である。確かに作り. 31)やむなく甲板のみ回収した実験台もある。. は丁寧で実際に堅牢であると同時に、小さな丸椅子に対しやや過剰な造りで. 32)経年劣化(推定80年)により、色が抜けて白くなって おり、文字もやや読みにくくなっている。これらコト. あるようにも見える。しかしながら、創業者・深澤幸也は、「耐久力のある. ブキ社のプレート2種の経年変化をみると、プレート. 家具は木と金属を組み合わせた物でなければならぬ」として金属の頑丈さと. は金属製である方が、より確実に後年に情報を残せる と改めて確信できる。. 人が触れる部分の木の温かみなどを組み合わせた家具製作を目指し、課題は.

(8) デザイン学研究特集号  Vol.27-1 No.101. 「金属と木部の接合点にあると研究と試作を重ねた」と『コトブキ百年物語』 [注33]に記されている。従ってこの木と金属の組み合わせの単脚丸椅子の 結合部にみられる堅牢な作りは、創業者・深澤幸也が試行錯誤した結果であ ることが容易に想像され、決して過剰であるわけではなく、まさにその信念 を体現した貴重な物証といえる。 ⑶ コトブキ社による一般的な事務机 戦前はコトブキ社でも事務机を製造・販売しており、1922年∼1929年の間 に作成されたと思われる初期カタログ『壽家具』[注34]に、「大型事務机」 と「小型事務机」が掲載されている(図16)。このようなタイプの事務机は、 他社のカタログにも類似したものがみられる(例えば近江屋家具工作所『型 録』[注35])ため、当時の一般的な事務机のデザインであると思われる。 九大においても、このような「事務机」が、 「学生用」 「助教授用」「教授 机」などとして、導入されている。九大歴史的什器では、医学部(前身を含 図15  「複式吸附桟」を、白矢印で示し ている。上: 「複式桟附板」が装 備された大卓子を下から見上げた 状態。下:2.2. でも説明した座部 木製の回転丸イスの唯一品にも同 様の構造が見られる。. めると1903年設置) 、農学部(1919年設置)、法文学部(1924年設置) 、理学 部(1939年開設)それぞれから由来した両袖の教授机や、農・理学部由来の 片袖机に、カタログ『壽家具』掲載品と類似したデザインのものがみられる [注36]。片袖あるいは袖なしの机は分解不能な一体型であるが、両袖の教授 机には、一体型のものと、3つのパーツ(甲板を含む抽斗上部、および左右 の袖)に分解できるものの2種類がある。それら九大歴史的什器の事務机に は、⑴で解説した「複式吸附桟」は見られない。 ⑷ 画期的な新案特許家具「壽式木製狭脚机」 九大歴史的什器のコトブキ家具の中でも特筆すべきは、理学部由来の教授 机(図17)にみられる、 「新案特許壽式狹脚机」 (以下「壽式狹脚机」と略 す)である(図18)。この「壽式狹脚机」では、⑵で解説した「複式桟付板」 (図17下の右側)に取り付けられた「複式吸附桟」の内側に、それぞれの 「吸附桟」に釣り下げる形で中央の抽斗が取り付けられ(図17上)、「複式吸 附桟」の抽斗と反対側は、袖に組み込まれている(図17下左)。 図16の「事務用机」と比較すると、図18の「壽式狹脚机」は甲板が袖や中 央抽斗部分よりも大きく、特に甲板を手前に広く張り出させたことで、甲板 裏に至るまでの高さが確保できることがわかる(図18)。従来の「事務用机」 (図16)のような規格のままでは、両袖の内側の幅と床から抽斗の底までの 高さで囲まれた部分しか机下の空間がなく、回転椅子に座ったまま体を回転 させたり立ち上がったりする動作がし難い。そこで、 「壽式狹脚机」のよう な新たな構造が考案されたものと思われる。このような構造にすることで、. 図16 コトブキ社の初期の事務机.1922 年∼1929年の間(鎗屋・土手跡・ 木場時代)に作成・使用されてい たと思われるカタログ『壽家具』 (新井竜治氏所蔵)より抜粋・再 配置。 33)前掲17). 顧客により快適に利用してもらうことが出来、同時に、自社の回転椅子の機 能も最大限発揮できることになる。これにより、自社製の机と回転椅子の セットで販売する優位性や、顧客への説得力も増す。 「木製狭脚机」の説明 文には、まさにそのことが売り文句として端的に記されている。以下に、図 18の上部に付した説明文を、筆者が現代語に意訳したものを記す。. 34)前掲12) 35)合資会社近江家具工作所編:型録,戦前(詳細不詳), 新井竜治氏所蔵。 36)同等品(大略の形状、サイズ、表面材料が同じである が、内部材料、細部構造、塗装色、附属品などの細部 が製造業者・納入業者の裁量に委ねられているもの) と考えられる。新井竜治・三島美佐子・吉田茂二郎: 九州大学歴史的木製家具コレクションにみる同等品文 化,日本デザイン学会研究発表大会要旨集,65,D1-04, 40-41,2018参照。. 1.必要限度の大きさに作成され椅子肘先の衝突又は脚の邪魔になること なく、回転椅子を移動せずして出入りすることができ、組立、解体は自 由である。 2.遠距離又は大量輸送の場合は解体できるので、荷造運賃を低減でき、 輸送中破損を被る恐れがない。 3.甲板は特許壽式複式吸附桟(すいつきざん)装置であるので、伸縮に. 25.

(9) 26. 特集:家具のデザインと技術. よる狂いヒビを生じる憂いがない。 4.抽斗は特許式振れ止め装置であるので、出し入れがすこぶる軽快である。 甲板を手前に張り出すというシンプルだが効果的な改良と同時に、甲板を 張り出させたが故にその反りや割れ・ヒビ、ガタつきの防止として「複式吸 附桟」(図15)が必須となり、結果としてその「複式吸附桟」に抽斗を架け るという機能の転用(付加や拡張ともいえる)は画期的であり、至便さと機 能性と強度を同時に満たす技術革新であったといえる。 「壽式狹脚机」は、FK 式単脚回転椅子の開発にあたり日々技術者として現 場で作業し連日議論やアイデアを練ったという創業者・深澤幸也自身が考 図17 九大歴史的什器に含まれる、理 学部由来「壽式狹脚机」の構造。 上:抽斗掛け部分。下左:中央抽 斗が設置された状態で、机下から 見上げたときの状態。下右:分解 して抽斗と両袖が取り払われた状 態の「複式桟付板」の裏側。. 案・開発しており、本人も完成品をいたく気に入り、愛用していたという (図19上)[注38]。椅子の開発では、創業者・深澤幸也は試作品にまず実際 に座り、さらには飛び跳ねてまでして改良可能な点を指摘したという記録 [注39]からは、自身の体感をもって徹底した改良に努めていたことがうか がえ、恐らくはこの「壽式狹脚机」の開発でも、回転椅子を使って回転・移 動を何度も繰り返しながら、最適な解を見つけ出したのであろうことが想像 できる。. 3.考察 以上、九大歴史的什器のコレクションに含まれているコトブキ家具を俯瞰 し、背景としてのコトブキ社や、その家具自体の詳細について、述べてき た。以下に、それら家具の意義や今後の課題を中心に考察する。. 3.1. 九大歴史的什器におけるコトブキ家具の存在意義 まず木の座面と鉄の脚部の組み合わせである回転昇降式の丸椅子(図5、 図15下)は、2.7. ⑵で述べたように、創業者・深澤幸也の信念を体現してお り、現在椅子の開発・製造・販売に特化しているコトブキ社にとっては、格 別の存在意義があり、わかりやすい。 一方で、コトブキ社に現存している戦前の自社製の箱物・台物はなく [注40]、駿河台の本社ビルにある「ヒストリーミュージアム」でも解説や展 示はない。実際のところ、若い社員の方からは、自社がかつては箱物・台物 も取り扱っていたことをあまり知らない様子もうかがえた[注41]。それで あればこそ、九大歴史的什器に現存することが明らかになった少なくとも41 台の戦前コトブキ家具は、社史の物的証拠であると言え、コトブキ社が自社 図18  「壽式」の狹脚机.1938年[注37] カタログ「新案特許壽式狹脚机」 (コトブキシーティング社蔵)よ り抜粋・再配置。. の歴史や技術力を振り返り、そこから新たな技術的ヒント得たり、社員が誇 りを感じたりする一助になるかもしれない。 特に、創業者・深澤幸也が自ら開発・愛用していたという「壽式狹脚机」 は、現在主力となった椅子のみならず、それ以外の家具製品においても、創 業者の理念や社の技術力が注がれていたことがわかる物的証拠である。実. 37)この刊行年は、コトブキシーティング株式会社・吉岡. 際、九大歴史的什器に現存する「壽式狹脚机」(図19下)は、確かに今も全. 啓子氏による、掲載電話番号等からの推定年。九大理. 体としてガタつきがほぼなくしっかりとしており、中央部の抽斗の動きは非. 学部の新設は、ちょうどこの翌年にあたる。カタログ 記載の住所は、1933年に新設された内幸町と、1944年. 常に滑らかで安定している。 「複式桟付板」でないタイプの袖机では、ガタ. まで機能していた永坂工場が記載されている。. ついたり、抽斗が壊れているか開かないまたは開きにくい場合が多いことに. 38)コトブキシーティング株式会社・深澤重幸氏より 39)前掲17). 比べ、好対照である。すなわち、2.7. ⑷に記した「木製狭脚机」説明3や4. 40)コトブキシーティング株式会社・吉川啓子氏より. に挙げられたこの製品の特性を、80年以上経った今でも実際に体感できるの. 41)2018年11月のコトブキシーティング株式会社訪問調査 時の筆者による観察。. である。この体感は、コトブキ社の社員や技術者、家具デザインや製作に関.

(10) デザイン学研究特集号  Vol.27-1 No.101. わる人々にとって非常によい実体験や学びとなるはずであり、現物の大きな 存在意義の一つである。. 3.2. 歴史的木製家具の再利用で生じている課題へのヒント 本学内で既に、九大歴史的什器は再利用されつつある。例えば、図16のよ うな非壽式の「事務机」に類似する袖机は、複数が再利用に供されている。 しかし再利用の現場からはしばしば、戦前木製家具が体型にあわず使い難 い、特に足回りの高さが低い、という声があがりつつある。その要望から は、単純に脚部を上げて甲板の高さをあげるだけでは解決しない可能性が伺 える。歴史的木製家具を再利用しつづけるためには、機能と美観と現物を極 力損なわずにかつ快適さを確保する解決策が必須であり、今後家具職人や技 術者の協力を仰ぎ検討する必要がある。. 3.3. 製品カタログ、大学における公文書資料や備品台帳、企業 における歴史的自社資料の、存在とそのアーカイブの重要性 九大歴史的什器の一部の家具には、購入時の備品台帳や公文書が本学文書 館に残っていたため、購入年月日や価格、納入業社などを知ることができ た。また今回、個人蔵の製品カタログや、コトブキシーティング株式会社が 所有している製品カタログや納品記録写真等が存在したことで、掲載品と現 物との照合や比較、その他の推定等も出来た。改めて、そのような資料の存 在と、さらなる収集・保管が重要であることを、ここに明記しておく。 往々にして企業では、モノの維持と保管はコストとみなされ、自社の歴史 資料の収集やアーカイブが後回しであるか、ほとんどなされていない場合が ある(これまでの経験に基づく筆者の私感)。特に戦前から続く企業の歴史 資料は、日本の近代化や技術開発の歴史、製品の変遷等を知る際に非常に重 要であるし、企業内でしか収集できない資料や聞き取り情報も多々ある。 よって、そのような自社のアーカイブに、企業自身が積極的に取り組んで いってくれることを期待する。 少なくとも今回のコトブキ社についてはすでに、2013年に『コトブキグルー プ100周年記念誌』として『コトブキ百年物語』が編纂されていた[注42]。 編纂プロジェクトのエディターであるコトブキシーティング株式会社・吉川 啓子氏によれば、この100周年以前にも2度ほど記念誌の編纂が試みられ、 当時ご存命であった元社員の方々を中心に、関連資料の収集や OB・OG へ の聞き取りなどがなされており、それらの蓄積により、100周年の記念誌の 編纂・出版が可能になったという。今回も、コトブキシーティング株式会社 の全面的なご協力を頂くことで、本稿での新たな知見が得られることとなっ た。コトブキ社のアーカイブへのご尽力に、深く敬意を表したい。 図19  「壽式狹脚机」上: 「深澤幸也社長 考案 愛用机」と付された、カタロ グの原図写真。コトブキシーティ ング株式会社本社にある社史資 料のアルバムに保管されている。 下:九大歴史的什器の「壽式狹 脚机」のうち、上置棚とそれに 付随する蛇腹式シャッターを含 む、完品のひとつ。. 戦前東京に本社をおいていた企業の多くは、関東大震災と第二次大戦で多 くの資料や物品を焼失しており、アーカイブのボトルネックとなっている。 吉川氏によればコトブキ社も同様で、例えば戦前の特許関連資料はほとんど が焼失し、10点程が残るばかりである。また、2004年の本社移転後「もっと 沢山あったはずの収集資料の箱」が相当数所在不明であり、廃棄された可能 性が高いという。九大のキャンパス移転同様、移転・引越しは歴史資料を喪 失するか収集するかの関門といえる。移転・建替は、不可抗力的な大規模災 害や戦災などに加え、特に注意が必要である。. 42) 前掲17). 27.

(11) 28. 特集:家具のデザインと技術. 4.おわりに 本稿により、九大歴史的什器の戦前∼戦後に含まれる脚物・台物におい て、間違いなくコトブキ社製の家具であるものが複数存在することが示され た。また、現在のコトブキ社の主力製品である椅子のみならず、現在は取り 扱われていない台物においても、コトブキ社独自の画期的な技術革新や発想 の転換が相当になされていたこと、また、それらに創業者・深澤幸也の信念 が体現されていることなどが、明らかにされた。 筆者は九大歴史的什器の調査・研究に取り組み始めて以降、戦前の木製家 具調査のみに注力してきていた。しかしながら、本稿でコトブキ社という一 つの企業の製品を俯瞰する事を通して、希少性が低く歴史的価値がまだ高く ないと考えがちな戦後品も、戦前品を考える上で非常に重要であると認識す ることができた。今後、往々にして安易に更新・廃棄されがちな大学学校家 具の、客観的評価とその取り扱いに関する提案にむけ、コトブキ社やその他 の競合他社も含めたより広範な調査分析に加え、他大学の歴史的什器も視野 に入れることが、さらに必要であると考えている。 【謝辞】 コトブキ社の歴史的資料の閲覧・調査およびヒアリングにおいて、コトブ キシーティング株式会社に全面的なご協力を頂いた。特に、代表取締役社長 深澤重幸氏、営業本部教育施設部古谷達朗氏、コトブキグループ100周年誌 編纂プロジェクト・エディター吉川啓子氏、企画広報課朝倉三和子氏には多 大なるご協力を頂いている。ハーマンミラージャパン株式会社の前澤啓子氏 には、歴史的什器含まれている製品の正式名称および製品履歴についてご助 言いただいた。本稿の作成にあたり、芝浦工業大学特任教授・新井竜治氏に は個人所蔵の資料閲覧と、多大なるご助言を頂いた。本報での分析に先立ち 必須であった救済什器の整理・一次資料化は、九大有体物管理センターテク ニカルスタッフ澄川愛氏、九大博物館技術職員の天野順子・惣門みつ子・小 野佳月各氏、九大大学院農学研究院教授吉田茂二郎氏らによる支援なくして 成し得なかった。また、歴史的什器の救済実施当初より、九大博物館副館長 岩永省三氏が大きく貢献している。また、公文書に関わる資料管理・調査に おいては、九大大学文書館と同館の折田悦郎氏にご協力頂いた。九大付属図 書館にも、図書館内の什器等救済に全面的にご協力頂いた。本稿の内容にか かる調査研究の一部は、公益財団法人トヨタ財団2017年度研究助成プログラ ム(A)共同研究助成 D17-R0714「活用文化財としての歴史的木製什器の在野 保存─新たな文化財概念の確立とその保存活用方策に関する実践的研究─」 の支援を受けている。本稿にかかる歴史的什器資料データ化の一部は、九州 大学全学的管理運営事業経費「九州大学所蔵学術標本のデータベース化」に よりなされた。本稿作成に至る一部の歴史的什器の運搬については、Readyfor クラウドファンディング「歴史的な木製学校家具を救え!九大什器保全活用 プロジェクト」にご寄附くださった皆様および株式会社新興精機・松井英享 氏に、保管庫での効果的な資料配置については日本通運株式会社福岡支店お よび SG ムービング株式会社に、保管庫の確保についてはうきは市役所に、 それぞれご支援・ご協力をいただいた。以上の皆様に深く感謝いたします。 (職位・所属は全て2018年度当時、順不同).

(12) デザイン学研究特集号  Vol.27-1 No.101. 【参考文献】 新井竜治:戦後日本の木製家具,家具新聞,東京,2014 新井竜治・三島美佐子:九州大学総合研究博物館所蔵・歴史的木製什器コレクションの評価と 課題,九州大学総合研究博物館研究報告,15-16,69-85,2018 新井竜治・三島美佐子・吉田茂二郎:九州大学歴史的木製家具コレクションにみる同等品文化, 日本デザイン学会第65回春季研究発表大会概要集,2018,https://doi.org/10.11247/jssd.65.0_40(参照 日2019年8月) 株式会社コトブキ:「沿革」,https://townscape.kotobuki.co.jp/company/history/(参照日2019年5月) 九州大学統合移転推進部統合移転推進課:九州大学箱崎キャンパスにおける近代建築物について,. http://www.kyushu-u.ac.jp/ja/university/campus/hakozaki-campus/hakozaki_buildings/kindaikenchiku/old_ 2802(参照日2019年5月) 九州大学百年史編集委員会:九州大学百年物語 1914-2014,https://www.lib.kyushu-u.ac.jp/ja/. publications_kyushu/qu100th(参照日2019年5月) 九州大学百年史編集委員会:伊都キャンパスへの移転と病院地区の再開発,九州大学百年史  第3巻 通史編Ⅲ 第14編,465-486,2017 日下部ほか編集・木村ほか監修:山川 詳説世界史図録(第2版) ,株式会社山川出版社,東京,2017 コトブキグループ100周年誌編纂プロジェクト編・深澤重幸監修:コトブキ百年物語 Hundred years. story of KOTOBUKI,コトブキホールディングス株式会社,東京,2013 コトブキシーティング・アーカイブ企画・監修:学校建築とイス 新しいラーニングスタイルへ, コトブキホールディングス株式会社,東京,2016 コトブキシーティング株式会社:HERE IS KOTOBUKI SEATING.(パンフレット) 俵元昭・中村富夫・吉沼敏彦:芝家具の百年史,東京都芝家具商工業協同組合,1966 ハーマンミラージャパンホームページ:タイムライン,https://www.hermanmiller.com/https://www.. hermanmiller.com/ja_jp/about/timeline/(閲覧日2019年5月) 三島美佐子・岩永省三:九州大学総合研究博物館・第一分館の刷新的利活用(経緯) ,九州大学 総合研究博物館研究報,12,57-66,2014 三島美佐子:九州大学の歴史的木製什器の保存と活用の新たなあり方にむけて,九州大学総合 研究博物館研究報告,15-16,65-68,2018. 29.

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参照

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