タイトル
概念としての文学 : 起源における東西詩学の伝統の
相違をめぐって
著者
テレングト, アイトル
引用
年報新人文学, 6: 42-131
発行日
2009-12-31
[論文]
テ
レ
ン
グト
・
アイト
ル
概
念
と
し
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文
学
─
起
源
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お
け
る
東
西
詩
学
の
伝
統
の
相
違
を
め
ぐ
っ
て
─
一、はじめに
A
「 文 学・ 詩 ( 1) と は 何 か 」? ―― 文 学 あ る い は 詩 は 厳 格 な 人 文 科 学 の 研 究 対 象 と し て 大 学 で 研 究 さ れ る よ う に な っ て 以 来、 こ の 問 い か け に 答 え を 与 え よ う と、 あ る い は そ の 本 質 た る も の を 捉 え よ う と、 学 者 や 研 究 者 た ち は 様 々 な 取 り 組 み を 行 な っ て き た。 そ の な か で も、 理 論 的 な 研 究 に お い て、 「 方 法 と 態 度 に 革 新 を も た ら し 」、 比 較 的 顕 著 な 成 果 と し て 認 め ら れ て き た の は、 二 〇 世 紀 中 葉 の R ・ ウ ェ レ ック( 一 九 〇 三 ︱ 一 九 九 五 ) と A ・ ウ ォ ー レ ン ( 一 八 九 九 ︱ 一 九 八 六 ) の 研 究 ( 2) で あ る。 そ の 研 究 の 組 み 立てた枠組みによると、文学とは何かという問いかけは、二つのカテゴ リ ーに分けられる。一つは、文 学を文学たらしめたものは何かを検討し、文学の言葉から様式・技法ないし修辞学・言語学・心理学・ 精神分析・社会学・イデオロギーなどを通 じ てその定義に接近しようとする方法である。もう一つは、 主として西欧古典の伝統とその言説と歴史的な考察を踏まえ、文学の機能性を考察して、その問いかけ に 答 え を 与 え よ う と す る 方 法 で あ る ( 3) 。 実 際、 二 〇 世 紀 後 半 に な っ て か ら 前 者 に 括 ら れ る 分 野 は 東 西 を問 わ ず、そこで多くの実りのある研究が行 われ てきた。後者においては量的に顕著な成果は見られ な い。とくに比較文学の理論的研究において、後者の方法論は、東西の伝統があまりにも違うことによっ て、受容するのにあまり困難が多かったか、もしくはその逆に、安易に「模倣説」や「フィクション」 、 「 美 的 距 離 」、 「 イ マ ジ ネ ー シ ョ ン 」 な ど の 諸 理 論 が 応 用 さ れ て、 東 西 両 者 の 元 来 の 差 異 が 無 視 さ れ て、 恰も普遍的な文学の答えがあったかのように論 じ られ ている。ところが、もし東西のそういった長い伝 統によって培 われ てきた、それ ぞれ の文学に対する既存の答えを歴史的に検証するのではなく、もっぱ ら東西文学伝統の起源における諸現象を検証・比較するならば、恐らく後者において少なからず有益な 認知をもたらすことができるであろう。しかもその検証と比較において、その起源から現在までの東西 の 詩・ 文 学 の 諸 現 象 を、 そ れ ぞ れ の 文 化 圏・ 地 域 の「 情 動・ 感 情 シ ス テ ム 」( ア ラ ン・ コ ル バ ン ) ( 4) 、 あるいは文学・詩における感情・情緒・認知システムとして想定して考えるならば、それ ぞれ のシステ ムの発生と起源、発展と展開ないし現代までの諸要素の変容、またはその相似性・相違性に対して、よ り豊かな理解が得られ るかと考えられ る。とくに、近代以前、い わ ゆる「西力東漸」以前の東西文学の
相似性と相違性を検証した上で、それ 以降の受容と拒絶の経緯を検証し、比較するならば、あらためて 近代文学における感情世界の変質・変容が認識でき、それ がまた当然、近代文学の起源についての基礎 的な研究となるに違いない。 しかし本稿は、そういった膨大なプロジェクトに着手しようとするのではない。そうではなく、むし ろそれを前提にして出発し、東西文学・詩の起源において、それぞれがどのような感情・情緒・認知シ ステムで始まり、それ がどのように定義され 、方向づけられ てきたのか、東西を比較してその特徴付け られ たシステムの始原について検証して、その比較を試みたい。そして比較対象はそれ ぞれ の起源にお ける文学作品そのものではなく、それ ぞれ 文学作品を定義し、その性格づけ、方向づけをした先人の言 説を検証することを通して、その文学の起源における制度・道徳・倫理・美的感受性などがどういう形 で固定され 、 方向づけられ てきたかを検討した上で、 東西の起源における文学の定義の比較を試みたい。
B
詩 ・ 文学における東西の源流 ・ 源泉を形成したのは、 いうまでもなく、 ホメロス ( B.C. 8? ) の二作品 『イ リ アス』 、『オデュッセイア』 と 『詩経』 ( B.C. 11-6 ) である。いずれも古代に限らず今日までその文化 ・ 文学の秘宝として、その共同体の感情の自叙伝・社会の記録として重宝され 、約二千年以上に わ たって 影 響 を 与 え つ つ あ る 作 品 で あ る( ち な み に 日 本 文 学 の 源 泉 は『 万 葉 集 』( A.D. 7-8 ) で、 モ ン ゴ ル 文 学 の 源 泉 は『 元 朝 秘 史 』( ま た『 蒙 古 秘 史 』 と も い う ) ( 5) ( A.D. 13 )、 『 ジ ャ ン ガ ル 』 ( 6) ( A.D. 15-17 )『 ゲセ ル・ ハ ー ン 』 ( 7) ( A.D. ?-15 ) で あ る )。 西 欧 側 に は、 ホ メ ロ ス の 英 雄 叙 事 詩 と『 聖 書 』 を ヨ ー ロ ッ パ にとって、 「二つの文化・二つの民族・二つの資料集」と画定して、この二つの世界こそ、 「ヨーロッパ 文化史の源流と源泉」を形成するものであり、これ らの「二大潮流は、さらに二種類の資料群によって その具体的形姿を歴史に出現させ、二資料群は、滋養に富 ん だ幾多の歴史事件を通してヨーロッパの文 化 総 体 を さ ら に 深 く ま た 豊 か な も の に し て く れ て い る 」 ( 8) 、 と 強 調 す る 研 究 者 が い る。 つ ま り、 英 雄 叙事詩の「ホメロス」が、宗教の源泉となる『聖書』と同様に扱 われ 、文化にとって起源的な価値のあ る も の と し て 主 張 さ れ て い る。 宗 教 の 源 泉 と な る『 聖 書 』 は 別 と し て、 「 ホ メ ロ ス 」 と『 詩 経 』 は、 た しかに、東西のそれ ぞれ の文化圏の文学、い わ ば感情・情緒・認知の始まりのカノンと基準となり、精 神の源泉とされて、現在でも大学で教えられ、研究されている。しかも不思議にも、どの文化の起源に お け る 記 録 も そ う で あ っ た か の よ う に、 「 ホ メ ロ ス 」 と『 詩 経 』 も、 そ れ ぞ れ の 共 同 体 の 感 情 の 自 叙 伝 としての正統性が保証され たかのように、あるいはまるで突然無の中から現 われ たかのように、いずれ も著者の実在が明確に実証的に突き止められ ない。そのゆえか、いずれ も神話的・共同体的・集団的な 作品として扱 われ 、絶対視され た神秘的な作品でもある。とくに「ホメロス」に関していえば、古代ギ リ シアではもちろ ん のこと、今日の欧米の大学においても、推薦され る必読教養書としてトップの三冊 に数えられ る ( 9) 。ギ リ シア文学の文献学者 ・ 文学史家のジャク リ ーヌ ・ ド ・ ロミーイがいうには、 「『イ リ アス』と『オデュッセイア』は世界の文学の中で独特な位置を占める。これ はギ リ シアが生 ん だ文字 に書か れ た最初の作品である。両詩篇はたちまち万人に尊崇の的となり、抒情詩人、悲劇作者、史家は これで心を養われ、これを模倣した。両詩篇の文章はギ リ シアにおける教育の基礎にされ た。ついで両
詩篇の英雄たちは近代世界に移りすみ、他のジャンルの文学作品、比喩的表現、詩的夢想、倫理的反省 に生命を吹きこ ん だ」 ( 10) と、その古代から現代までの影響を指摘している。 一 方、 『 詩 経 』 は 孔 子 が そ れ を 教 科 書 と し て 編 纂 し て、 そ れ を き っ か け に 公 的 に 使 わ れ 始 め た と 言 わ れている。それは近代西欧の文化的衝撃を受けるまで、約二千年間、その影響力が絶大的であり、かつ また科挙試験の原典として決定的な権威をもつものであった。したがって、中国のみならず漢字文化圏 全体の感情・情緒・認知のシステムのモデルと、規範・基準ともなったといえる(一九世紀以来、西欧 文学の価値システムを受容してから事情はだいぶ違ってきたが) 。 しかし、本稿は、この両作品そのものを直接比較するのではない。そうではなく、この両作品を最初 に評価し、批評し、それ を通 じ て文学・詩とは何かについて定義をしようとした先人たちの言説を検証 し、最初にその両作品について価値判断を下した諸言説を比較することを試みたい。というのも、最初 に「ホメロス」 、『詩経』の良し悪しについて言及し、その機能、美学的要素、役割、構成、仕組みなど を指摘したのは、 まさしくソクラテス ( B.C. 470-399 )、 プラトン ( B.C. 428-348 )、 ア リ ストテレス ( B.C. 384-322 ) と 孔 子( B.C. 511-479 ) ら で あ る。 し か も、 彼 ら の 言 説 が そ の 後 の 両 文 化 圏 の 文 学 の 感 情・ 情緒・認知のシステムを規定し、方向づけ、定義化したのも、不動の事実であろう。 プラトンが西欧文学にとっていかなる重要な位置にあるかについて、ペネロピ・マ リ ー(ウォー リ ッ ク大学古典文献学教授)は「 A ・ N ・ホワイトヘッドがいうように、西欧哲学の伝統はプラトンにつけ られ た注釈のシ リ ーズだということができるなら、西欧の詩と芸術について思考してきた歴史も同 じ だ と い う こ と が で き る 」 ( 11) と 強 調 し て い う が、 孔 子 の 諸 言 説 と、 そ の 儒 教 的 な 価 値 体 系 が 東 ア ジ ア、 い
わ ゆ る 東 方 ( 12) の 漢 字 文 化 圏 に 対 し て 与 え た 影 響 は、 決 し て プ ラ ト ン の そ れ に 劣 ら な い。 む し ろ も っ と 日常生活の隅々まで影響を与えてきたといえる。 ところで、ここで問題にしたいのは、その影響力がいかに大きいか、あるいはそれ がいかに重要かと いうことにあるではなく、むしろそれらを起源としていかに理解するかを問題にして、それ に焦点を絞 りたい。しかし、いかに理解すべきかといっても、古代から現代に至るまでの紆余曲折してた受容史そ のものを検証するのではない。またその伝承・解釈の総体を問題にすることでもない。むしろ東西の両 者の具体的な言説において文学に関する定義について検証し、もっぱら「文学・詩とは何か」という問 いかけに焦点を合わ せて比較することを試みたい。 そして近現代において、その問いかけに関連して、西欧の文学観における固有の対立・齟齬がいかに 新たに鮮明化され てきたことを考察するが、とくに、明治時代「西力東漸」によって、西欧文学が東ア ジアに導入され るにあたって、西欧の多様な流派・潮流・見解に対して、日本は解析の暇なく、国民啓 蒙を急ぐあまりに、 混合のままに受容し、 その 「感情 ・ 情緒システム」 が、 そのまま東アジアの既存の 「感 情・情緒システム」と混合するようになってきたことを素描し出したい。そこで西欧文学は東方の伝統 にとって、衝撃ないし解体もしくは、その逆に伝統の補強すら与えてきたが、その「感情・情緒システ ム」によってもたらされ た刺激・昂揚ないし困惑と拒否・抵抗は、どのように展開され てきたかを示唆 し、新たに問題提起をして、その解釈を試みたい。 具体的にいえば、その言説を文学の美学的な価値 ・ 鑑賞 ・ あり方などのカノンとして尊崇されてきた、 プラトンの「イオン ― 『イ リ アスについて』 ― 」(以下「イオン」略す) 、『国家』 (第二、第三、第一〇
巻)と、ア リ ストテレスの『詩学』と、孔子の『論語』とその後の『詩経』の「詩序」などであり、そ の延長上に、それ らの行方と展開はどうであったか、また近現代に東アジアにおいて何が問題とされ て きたかを素描することに止めたい。まず西欧側の起源において文学を規定したプラトンの言説を検証し ていく。
二、詩人「神感説」
プ ラ ト ン の 著 作 の 時 間 的 序 列 に 従 え ば、 文 学 に つ い て 言 及 し た 初 期 の 著 作 に は、 「 イ オ ン 」 と い う 作 品 が あ る。 「 イ オ ン 」 は プ ラ ト ン の 初 期 対 話 篇 の 一 つ で、 記 述 さ れ た の は、 ソ ク ラ テ ス と 吟 遊 詩 人( 吟 唱詩人とも、吟誦詩人とも、ラプソードともいう)イオンがアテナイ市でホメロスについて交 わ した対 話である。ただし、ソクラテスについて「この対話が恐らくソクラテスの老年期になされ たと推量され ること、吟唱詩人は現代の役者のようなものであったことから、ソクラテスよりかなり年下であったと 考 え ら れ る 」 ( 13) と 推 測 さ れ て お り、 そ こ に ソ ク ラ テ ス の 晩 年 と、 プ ラ ト ン 作 品 創 作 の 時 間 的 な 差 が 認 められる。しかしプラトン思想の全体的発展の時間的な順序を考慮すれ ば、それはやはり、プラトンの 初期段階の作品として看做すべきであろう。 この対話を概括してみると、以下のようになる。ソクラテスある日、詩の競演に優勝してきた若い吟 遊詩人イオンと会って、その競演に語ったのはホメロスか、それ とも他の作品か、また熟練した技術と 知識によって優勝したのか、それ とも霊的・神的な特別な天才によって優勝したのかと質問する。イオンにとってホメロスだけが得意で、霊的・神的な天才によって優勝したのだということが、ソクラテス と の 対 話 を 通 じ て 明 ら か に な る。 し か し な ぜ そ う い っ た 霊 的・ 神 的 な 力 に よ っ て 優 勝 し た の か に つ い て、ソクラテスが医者、画家、彫刻家、楽器演奏者などをとりあげ、そこで、ホメロスとイオンは他の 詩と詩人とは違って、技術 ・ 知識によってではなく、霊的 ・ 神的な力 ・ 特殊な才能によって語っている、 ということが明らかにされ る。 その対話のなかで、ソクラテスがイオンに対して、詩と詩人について定義したのだが、よく引き合い に出され るのが次のくだりである。 つまり、ホメロスについて上手に語るというそのことは、さきほど私が言ったように、君の場合は 技術ではなくて神的な力であって、それ が君を動かしているのだ。それ はちょうど、エウ リ ピデス がマグネシアの石と名付けたが、他の多くの人たちはヘラクレイアの石と呼 ん でいる、あの石の場 合のようなものである。というのは、その石は単に鉄製の指環それ だけを引張るのではなくて、ま たその指環に力を注ぎ込 ん で、その石がしているのとちょうど同 じ ことをすることができる力を、 つまり他の指環を引張ることができる力をその指環がもつようにする。その結果として、指環を引 張る力はあの石に依存している。そして、これ と同 じ ように、ミューズの女神もまた、人々を自ら の手で入神状態にして、この入神状態になった者たちの手を経て霊感を吹き込まれ た他の人たちの 鎖ができあがる。というのは、叙事詩のすぐれ た詩人たちはすべて、技術によってではなく、入神 状態にあって、神に憑か れ て、そのすべての美しい詩を語っているのであって、そしてまた、すぐ
れ た 抒 情 詩 人 た ち も 同 様 で あ る。 ち ょ う ど コ リ ュ バ ス ( ギ リ シ ア 神 話 の 祭 司、 引 用 者 ) の 祭 儀 で 狂 熱にとら われ た信者たちが正気を失 っ て踊るよう に 、 そ の よう に抒情詩人 た ちも正気を保 っ たままで それらの美しい抒情詩を作るのではなくて、彼らが音階と リ ズムのうちに歩みを進めるときには、 彼らはバッコス神 (ディオニュソス神 ・ 酒神のこと、引用者) に魅入られ 、憑か れ ている。それ は、 ち ょ う ど バ ッ コ ス 神 の 女 信 者 た ち が 神 に 憑 か れ た と き に は、 河 か ら 蜜 と 乳 と を 汲 み 上 げ る け れ ど も、正気のときはそうではないようなもので、抒情詩人たちの魂もまた、彼ら自身が語っているち ょうどそのことを現に行なっているのだ。というのは、詩人たちは私たちに向かってたしか次のよ うなことを語っているはずだから、つまり自分たちはミューズの女神たちのいくつかの庭園や峡谷 にある蜜の流れ る泉から詩歌を汲みあげて、ちょうど蜜蜂のように、みずからもそのように空を飛 びながら、それ を私たちのところにもってくるということを。そして彼らの言っているのは本当の ことである。なぜなら、詩人というのは軽い、羽の生えている、聖なるものであり、そして入神状 態になって正気を失い、もはやみずからのうちに理性をとどめていないようになるまでは、詩を作 ることができないのだから。そしてど ん な人間も、この理性という所有物を保持しているかぎり、 詩を作ることも占うこともできないのだ。そこで彼らがさまざまな事象について数多くの美しいこ とを詩に作ったり語ったりするのは、ちょうど君がホメロスについて語るのと同 じ ように、技術に よってではなくて、神的な特権によってそうするのだから、それ ぞれ の詩人は、ミューズの女神に よって彼が動かされ て行った方のものしか、美しく詩作することができない 。[ 533d 〜 534c ] ( 14)
ホメロスと詩人について、ソクラテスは以上のように語ってから、さらに、詩そのものの内容にまつ わ る専門の知識やそれ にかか わ る技術について、例えば詩人は、作品に登場する様々な業種の人間の専 門知識・技術についてどれ ぐらい知っているかを問いかける。つまり、詩人が具体的に語られ た専門業 種の登場人物より、より多く知っているかどうかを問いかけ、そこで、例として御者の技術、舵手の技 術、医者の知識、牛飼いの技術、羊毛紡ぎの技術、馬術、魚つりの技術、笛の演奏者の技術などを取り 上げて問いかける。イオンはそれ らについては、詩人(吟遊詩人を含む)はその専門の人々よりは知ら ないと素直に答える。しかし、 作品に出てくる将軍については、 詩人がより多く知っているかというと、 今度イオンは強引にも詩人は将軍と同 じ ように、全知的で全体を知っているという。最後に、ソクラテ スは、イオン(ホメロスを含む)が知識・技術によって詩を語っているのではなく、霊的・神的・入神 状態によって語っており、神々の霊感によって視聴者に語っているのであるという。そしてイオンもそ っちの方を喜 ん で選択して受け入れ た わ けである。 事実、かつて古代ギ リ シアでは、何千人、いや何万人とも言 われ る聴衆が正面の幕のない半円形劇場 で詩人を囲み、そして海や山や空に面して、ホメロスの『イ リ アス』や『オデュセイア』を、イオンの ような吟遊詩人らによる吟唱を楽し ん でいた。その情景はソクラテスの対話に語られ ており、現在の地 中海周辺の半円形劇場の遺跡からもある程度想像がつくはずである。詩人と聴衆は、あたかも今や霊感 の鎖によって繫がり合い、一体となって、遥か地平・海・空のかなたを眺めながら、忘我状態で夢見て いたのであろうか。そのインスピレーションの境地に陶酔していた人々を、現代人なら、おそらくせい ぜいスタジアムで野球や サ ッカーの観戦時、ゲーム終了間際、一球の差で勝った瞬間の感動を思い起こ
して、 辛う じ てギ リ シア人の感動を微かに想像できようか (実際、 モンゴルの英雄叙事詩 『ジャンガル』 、 『 ゲ セ ル・ ハ ー ン 物 語 』 の 場 合、 劇 場 は な か っ た が、 吟 遊 詩 人 と 聴 衆 と は、 同 じ 入 神 状 態 に お い て 物 語 を楽し ん でいたのであった) 。 ソクラテスは、ここでホメロス、あるいは真の詩人は、知識・技術によるのではなく、彼らは聖なる もので、霊的・神的・入神状態になって、理性を喪失して、ミューズの女神たちに動かされ て、神々に 憑か れ て、は じ めて美しい詩を歌うことができるのだという。これ がい わ ゆるインスピレーション文学 の最初の定義で、文学・詩について最初に呈示され た命題でもある。実際、ホメロスもミューズの神々 に吹き込まれ た霊的な力があるかのように、その叙事詩の誕生から現在まで聖なる精神的な磁場として 崇められ 、詩人、芸術家たちによってその霊感の源泉として拝まれ てきたのである。ちなみに、事実と し て、 『 イ リ ア ス 』 と『 オ デ ュ ッ セ イ ア 』 の 冒 頭 に お い て、 い ず れ も「 怒 り を 歌 え、 女 神 よ、 ペ レ ウ ス の 子 ア キ レ ウ ス の・・・ 呪 う べ き 怒 り を。 ・・・ 民 を 統 べ る 王 ア ガ メ ム ノ ン と 勇 将 ア キ レ ウ ス と が、 仲 違 い し て 袂 を 分 つ 時 よ り 語 り 起 こ し て、 歌 い た ま え よ 」 ( 15) ( イ リ ア ス ) と、 「 ム ー サ よ、 わ た く し に か の男の物語をして下され 、トロイエ(トロイア)の聖なる城を屠った後、ここかしこと流浪の旅に明け 暮 れ た、 か の 機 略 縦 横 な る 男 の 物 語 を。 ・・・ 女 神 よ、 ゼ ウ ス が 御 息 女 よ、 な に と ぞ こ れ ら の こ と ご と を ど こ か ら な り と お 気 の 向 く ま ま、 わ れ ら に も 語 っ て く だ さ れ 」 ( 16) ( オ デ ュ ッ セ イ ア ) と い う よ う に、 ミューズの女神たちに入神を祈り、霊感を吹き込まれ た物語を語るように求めているのである(ヘシオ ドスの『神統記』 、『仕事と日』も同 じ くムー サ に賛美と祈りを捧げている) 。 詩・詩人についてのこの命題は、後世の詩・作品の生み出す源泉を規定して方向づけ、また著作家、
批評家たちの間に議論の種となり、さらにそれが文学・詩と哲学との折り合いが悪くかったことの発端 にもなったのである。
三、詩人「追放説」
一方、プラトンは中期対話篇『国家』において、詩・芸術についてもう一度言及する。今度は、初期 とはまったく違って、彼の理想的な国家のために、反対のことを展開するのである。具体的に、詩・詩 人と芸術について『国家』の第二巻、第三巻と第一〇巻に わ たって言及しているが、それ を概括してみ ると以下のようになる。 まず、第二巻においてソクラテスはアデイマントスとの対話によって展開され るが、第一七節におい て教育について言及し、 ソクラテスは 「では、 その教育とは、 どのようなものであろうか? それ とも、 長い年月によってすでに発見され ている教育のあり方よりも、さらにすぐれ たものを発見するのは、む ずかしいというべきだろうか? そういう教育のあり方としては、身体のためには体育が、魂のために は 音 楽・ 文 芸 が あ る は ず だ が 」[ 376e ] と 文 学 の 教 育 に つ い て 触 れ、 さ ら に「 わ れ わ れ は 子 供 た ち に、 最初に物語を話して聞かせるではないか。これ は全体としていえば、作りごとであるといえよう。真実 もたしかに含まれ ているがね」 [ 377a ]と文学教育の内容は作り事だといって、その子供の文学教育には、 監督・検閲が必要であると主張して、詩・詩人の「追放説」 、「非難説」が説か れ る。ソクラテス「そうすると、どうやら われわれ は、まず第一に、物語の作り手たちを監督しなけれ ばならないようだ。そして、彼らがよい物語を作ったならそれ を受け入れ 、そうでない物語は拒け なけれ ばならない。受け入れ た物語は、保母や母親たちを説得して、子供たちにそういう物語をこ そ話して聞かせるようにさせるだろう。そのようにして、手を使って子供たちの身体を丈夫に形づ くることよりも、物語によって彼らの魂を造型することの方を、はるかに多く心がけさせることに なるだろう。しかし、現在語り聞かせてやっている物語の多くは、これ を追放しなけれ ばならない のだ」 アデイマントス「どのような物語をですか?」 [ 377c ] (中略) ソクラテス「ヘシオドスとホメロスが われわれ に語った物語、そしてその他の詩人たちが語った 物語のことだ」 (中略) 「というのは、彼らは人間たちのために、作りごとの物語を組み立てては語 っているのだし、いまも語り続けているといえるからね」 [ 377d ] (中略) ソクラテス「何よりも先に、何よりもつよく非難しなければならない点 ―― とくに、よから ぬ 仕 方で作りごとがなされる場合にそうなのだが ―― まさにその点のことを言っているのだよ」 アデイマントス「とおっし ゃ るとは?」 ソクラテス「神々や英雄たちがいかなるものであるかについて、言葉によって劣悪な似すがたを 描く場合のことだ。ちょうど画家が、似せて描こうと望 ん でいる対象と少しも似ていないものを描
くようにしてね」 [ 377d 〜 377e ] (中略) ソクラテス「またすべてホメロスが創作した神々どうしの戦いの話などは、たとえそこに隠され た裏の意味があろうとなかろうと、けっして われわれ の国に受け入れてはならないのだ。なぜなら 若い人には、裏の意味とそうでないものとの区別ができないし、むしろ何であれ 、その年頃に考え のうちに取り入れ たものは、なかなか消したり変えたりできないものとなりがちだからね。こうし た理由によって、おそらく、彼らが最初に聞く物語としては、徳をめざしてできるだけ立派につく られ た物語を聞かせるように、万全の配慮をなすべきだろう」 [ 378d 〜 378e ] ( 17) ここでプラトンの理想的な国家の教育のために、また国家を担う人材を教育するために、ホメロスの ような詩人と詩・文学を非難して、追放せねばならない。というのは、その神々どうしの戦いの話が、 道徳・善悪の分別がないため、若い人の教育には適していないという。初期のプラトンの「イオン」に おける詩・詩人は、神のような聖なる存在であったが、ここではちょうど反対に、理想国家においては 非難し、追放する対象となったのである。しかも、ソクラテスはアデイマントスたちに、念を押して、 詩・詩人を非難し、追放したのは、普遍的な詩・文学のためではなく、詩人のためでもない。それ は何 よりも理想的国家をつくるためであり、理想国家の人材を作るためであると。ソクラテスはその政治的 国家目標のためだということをこのように確認する 。「 ア デ イ マ ン ト ス よ、 ぼくと君と は、 目下の と こ ろ、 作家(詩人)ではなくて国家の建設者なのだ。そして国家の建設者としては、作家たちがそれ に従って
物語をつくるべき、そしてそれにはずれ た創作は許してはならないような、そういう規範を知るのが役 目だというべきであろう。けっして われわれ 自身が実際に物語をつくるべきではないのだ」 [ 379a ] ( 18) 。 たかしかに、現実において「国家の建設者」となった以上、国家という秩序を守るため、国家の範囲 内に、そういった詩・詩人に対しての制限する政策も必要となろう(現代においても政治的コントロー ルされている国家も、秩序のために文学を規制しているのであるが) 。 以上のところ、主としてプラトンの詩・文学の内容のあり方について、また国家、社会、教育のため のあり方についての言及であり、また国家にとって詩・文学とは何かについての見解である。 そして、 『国家』 第三巻の第六節になると、 国家にとっての物語の内容についての話を終えて、 今度は、 物語の「語り方」 、「作り方」 、物語の「過去・現在・未来の出来事の叙述」のあり方について言及する。 つ ま り 詩 人 や 物 語 作 者 は「 彼 ら が そ の 叙 述 を 進 め る の は、 単 純 な 叙 述 に よ る か、 あ る い は〈 真 似 〉( ミ メーシス、引用者)を通 じ て行 われ る叙述によるか、あるいはその両方を用いた叙述によるか、このい ずれ かではないか?」というように、プラトンの「芸術的模倣・再現的模倣」い わ ゆる「ミメーシス」 という概念が初めて登場するのである。国家の未来の担い手である青少年たちにとって、ミメーシスと は、教育によって音楽・文芸が施されるなか、それはいったいどういう意味をもつかという議論を踏ま え、 『国家』第一〇巻において、プラトンはさらにミメーシスについて具体的な定義を行うのである。 『 国 家 』 第 一 〇 巻 に お い て、 ソ ク ラ テ ス は、 今 度 は グ ラ ウ コ ン と ミ メ ー シ ス に つ い て 対 話 を 進 め る。 そ の な か、 「・・・ 手 仕 事 職 人 は、 す べ て の 家 具 を 作 る こ と が で き る だ け で は な く、 さ ら に、 大 地 か ら 生 じ る植物のすべてを作り、動物のすべてを ―― 自分自身もを ―― 作り、さらにこれ らに加えて、大地
と、天空と、神々と、すべての天体と、地価の冥界にあるいっさいのものを作るのだよ」 [ 596c ] ( 19) と、 詩・詩人・芸術家の機能と能力について言及して、その作品の作り方を以下のような有名な比喩をもっ てその定義をするのである。 ソクラテス「むずかしい仕方ではないよ」 (中略) 「いろ ん なやり方で、すぐにでもできることなの だが、まあいちば ん 手っとりばやくやるには、鏡を手にとってあらゆる方向に、ぐるりとま わ して みる気になりさえすれ ばよい。 そうすれ ば、 君はたちまち太陽をは じ め諸天体を作り出すだろうし、 たちまち大地を、またたちまち君自身およびその他の動物を、家具を、植物を、そしていましがた 挙げられ たすべてのものを、作り出すだろう」 グラウコン「ええ」 (中略) 「そう見えるところのもの(写像)を、しかしけっしてほ ん とうにある のではないものを、ですね」 [ 596e ] ( 20) 詩・文学・芸術の創作とは、 「ミメーシス」 ・模倣・再現のことであり、それ は所詮「鏡」と同 じ よう な役割と機能を果たしているのだということである。そしてプラトンはさらに「ミメーシス」を三つの レベルに分けて定義する。つまり、真の 〈あるもの〉 (例えば普遍的な寝椅子) と、職人が作ったもの (作 られ た特定の寝椅子)と、鏡・画家によって模倣され た作品(描か れ た寝椅子)という三つの映像があ るが、最後の鏡・画家によって模倣され た寝椅子は、真の寝椅子ではなく、職人の作った寝椅子を模倣 したものなので、鏡 ・ 画家の寝椅子は、模倣の模倣であり、 「第三番目」 の職人だという。そこから鏡 ・
芸術家・詩人は、み ん なミメーシス・模倣する役割・機能を果たし、それ 以上の何ものでもないという ことになる。そしてさらに具体的に詩・詩人についてこのようにもいう。 ソクラテス「それでは、ホメロスをは じ めとしてすべての作家(詩人)たちは、人間の徳 ―― また その他、彼らの作品の主題となる様々の事柄 ―― に似せた 影像 4 4 を描写するだけの人々であって、 真 4 実 4 そのものにはけっして触れていないのだということを、 われわれはここで確認することにしよう か? それはちょうど画家の場合と同様であって、先ほど われわれ が言っていたように、画家は実 際の靴作りと思えるものを創作するけれ ども、自分が靴を作ることを知っている わ けでもないし、 また描いて見せる相手のほうも、同様に何も知らずに、ただう わ べの色と形から見て判断するだけ の人たちなのだ」 グラウコン「たしかにそうのとおりです」 ソクラテス「同 じ ように、ぼくの思うには、作家(詩人)もまた、真似て描写する以外のことは知 らずに、それ ぞれ の技術がもっているう わ べの色彩とでもいうべきものを、語句を使って塗り描く のだというべきだろう。そしてその結果、彼自身とおな じ く何も知らずに、う わ べの言葉だけから 見て判断する人たちには、靴作りの技術についてであれ 、軍の統帥についてであれ 、さらに他の何 についてであれ 、韻律と リ ズムと調べをつけて語るならば、大へ ん 立派に語られ ているように思え るのだとね。それほどまでに大きな魅惑力を、そうした韻律その他の音楽的要素というものは、そ れ 自体だけで本来的にもっているのだ。げ ん に、詩人が語るところの事柄から音楽という色彩がは
ぎとられ て、内容それ 自体として語られ る場合、それ がどのようなものとして現 われ るか、君は知 っていると思う。きっと見たことがあるだろうからね」 (中略) ソクラテス「さあそれ では、次のことを考えてくれ たまえ。影像を作る人、すな わ ち、物を真似る 人は われわれ の主張では、 ある 4 4 ものについては何も知らず、 見える 4 4 4 ものについて知っているだけで ある。そうではないかね?」 [ 600e 〜 601a 〜 601c ] ( 21) そ し て、 さ ら に、 職 人 の 技 術 を 分 類 し て、 「 使 う 4 4 た め の 技 術、 作 る 4 4 た め の 技 術、 真 似 る 4 4 4 た め の 技 術 」 [ 601d ] ( 22) と い う よ う に、 詩 人・ 芸 術 家 は 真 似 る た め の 技 術 を も っ て い る 職 人 だ と い う。 こ の よ う に して、プラトンは最後に、国家にとって、詩 ・ 文学 ・ 芸術をどう位置づけて処置すれ ばよいかについて、 次のようにいう。 ソクラテス「・・・哲学と詩 (創作) との間には昔から仲違いがあったという事実を、詩 (創作) に 向 か っ て 言 い 添 え て お く こ と に し よ う。 ( 中 略 ) わ れ わ れ は こ こ で 次 の こ と を 言 明 し て お こ う ―― も し 快 楽 を 目 標 と す る 詩( 創 作 )、 す な わ ち、 真 似 の 仕 事 が、 よ く 治 め ら れ た 国 家 の な か に そ れ が 存在しなけれ ばならないという、 何らかの論拠を提出することができるならば、 われわれ としては、 よろこ ん でそれ の帰国を迎え入れ るであろう」 [ 607c ] ( 23)
かくして、ソクラテスの対話を通 じ てプラトンの詩・文学・詩人一般に対しての定義が下され 、それ がその後の西欧文学・芸術一般にとって、さらには今日までの文学・芸術観にとって決定的な方向づけ をしたのである。 それを簡潔にもう一度概括してみると、ソクラテスは「イオン」において、文学・詩について定義し たのは、つまり、詩とは、ミューズの女神という文学・芸術の神々による入神・入魂状態の、い わ ば霊 感を吹き込まれ た真の詩人によって語られ たもので、 聴衆は、 そのインスピレーションの鎖につながり、 神々に憑かれて、美しい詩の虜になっているのである。詩人は軽い、羽の生えている、聖なるものであ り、正気を失い、もはやみずからのうちに理性をとどめていないときこそ、真の詩作ができ、それ は技 術・知識によって作詩しているのではなく、むしろ神々の特権によるもので、狂気によるものである。 それは一般的にインスピレーション文学 ・ 狂気の文学といい、詩人 ・ 芸術家によって拝まれて求められ、 尊ばれ て、一種の神聖なる詩 ・ 文学の境地である (この詩 ・ 詩人に対するこういった考えは、 『メノン』 、 『パイドロス』 、『弁明』を通 じ て初期から晩期まで一貫して言及され ている) 。 一方、 詩 ・ 詩人はプラトンの理想国家の教育にとって有害な存在で、 国家の道徳に適さない面が多く、 追放され るべきものだという。そして詩の機能からみても、影像を映し出す鏡と同 じ ような役割を果た し、それ は単なるミメーシス(模倣・再現)であり、しかも真実の模倣ではなく、それ は模倣の模倣と いう、真のもの・存在にとって、第三番目の模倣者だという。そういう詩・詩人が、快楽・娯楽を目的 にしていれ ば、限定され た範囲内で、理想国家に迎え入れ てもよかろうという。さもなけれ ば、理想国 家から詩人を追放すべきだということである。
四、文学「模倣説」
このように、プラトンにおいては、詩と詩人がまったく対立し、相反する二つの詩論によって展開さ れ 、定義され たが、前者を霊感説、神感説、狂気説などと言い、後者が模倣説、あるいはミメーシス説 などと言 われている。 しかし、プラトンの弟子のア リ ストテレスはその前者に興味を示さなかった。彼はもはや後者に注目 し、 『イ リ アス』 、『オデュッセイア』 や、 アイスキュロス ( B.C. 525-456 )、 ソポクレス ( B.C. 496?-406 )、 エ ウ リ ピ デ ス( B.C. 480?-406 ) ら の 悲 劇 を 分 析 し て、 詩・ 文 学 の 創 作 と 分 析・ 研 究 の 規 範・ モ デ ル を 作ったのである。ア リ ストテレスはその『詩学』において、ミメーシスを中心に、ミメーシス(再現) の対象でありうるジャンルから解析して、再現の方法 ・ 対象と効果、さらに再現対象の構成 ・ プロット、 文法・思想などを分析して、作品の構成の法則を示してくれ た。その分析の原理・原則は、現代文学理 論の基礎ともなっている。 そのなかで、 「詩 ・ 文学とは何か」 という問いかけには、 ア リ ストテレスが、 「詩 作の起源とその発展について」という章において、ソクラテスの「イオン」との対話における定義とは 違う立場から、初めて詩・文学の根本概念として明確に「ミメーシス」をもって定義したのである。以 来、ミメーシス(模倣)は、あらゆる芸術における共通の理論的な一つの重要なメジャーとなり、西欧 伝統文学・芸術ないし美的感受性の基本的な一つの規範のようなものさしとして継承され てきた。具体 的に、それ はプラトンの「ミメーシス」とは、それ ほど大差はなかったが、それ をもっと精密化し、定 義したといえる。そのミメーシスの最も本質たるものは何かについて、ア リ ストテレスは二つの起因によって人間の自然的、必然的、自明な行為と結果として、以下のように定義する。 さて、一般に詩の技法が生まれ るに至った原因として二つ程大きなものがあると思 われ るが、そ の二つとも自然的本能であると思 われ る。すな わ ち、先ず 模 ミ 倣 し メ て 再 イ 現 す ス る こ タ イ と であるが、これ は 人間には子供の頃から自然に備 わ った本能であって、人間が他の動物と異なる所以も、 模 ミ メ ー シ ス 倣再現 に 最も長 じ ていて、最初にものを学ぶのもまねびとしての模倣再現によって行なうという点にある。 次にまた、模倣して再現した成果をすべての人が喜ぶということ、これ が第二の原因であるが、こ れ も自然に備 わ った本能である。そのことの証拠になるのは、色々の再現の仕事に伴って生ずる事 柄ではなかろうか。というのは、実物を見れ ば苦痛を覚えるようなものでも、例えば、甚だ忌ま わ しい動物であるとか屍体であるとかの形態のようなものでも、それ をこの上なく精確に模写した絵 などであれば、我々はみな喜 ん で眺めるからである。どうして、こういうことが生ずるのか、その 原因を更 に 求め れ ば 、 次 の よう に 言うほ か はな い 、すな わ ち 、も のを学ぶと い うことは、ひとり知を 愛し求める哲学者に と っ て最大 の 楽し み で ある ば か り ではなく 、 それ に あずか る程度が限られ ている に し ても、他の一般の人 々にと っ ても 、同様に楽し みで ある こ と に は変りがな い 、 と 。[ 1448b ] ( 24) (中略) ところで、自然的本能によって我々に備 わ っている模倣的再現には、色彩や形状によるもののほ かに、音階と リ ズム ―― 韻律が リ ズムに属することは明らかである ―― によるものがあるから、昔 は、生まれつきこれらの業に最も適した人々が、先ず即興的作品から始めて、漸進的に度を高め、
詩作というものを生むに至った。 [1448b] こ れ が い わ ゆ る ソ ク ラ テ ス・ プ ラ ト ン を 受 け 継 ぐ 史 上 最 初、 詩・ 文 学 と は「 ミ メ ー シ ス 」・ 模 倣・ 再 現的行為だという精密な定義のくだりの一部分である。ここでミメーシスは人間の自然の、本能的な行 為 と し て 捉 え ら れ 、「 精 確 に 模 写 」 さ れ れ ば、 そ の 模 写 の 結 果 に 対 し て 人 間 が ま た 自 然 に、 本 能 的 に 楽 し ん で喜ぶのだという。芸術、文学作品とは、現実の、実際にあるものを模倣・再現した結果であり、 そしてその結果を人間はまた楽しみ、絶え間なく求め、享受して、そのためにまた作り出すのである。 ア リ ストテレスはこのミメーシスの概念をもって、ホメロスの作品を中心に分析して、西欧史上、不動 の概念を作ったが、ホメロスの作品もまたその模倣・再現の描写において、その概念に応答する優れ た 作品でもある。ヨーロッパ文学伝統の起源として、模倣と写実において、あるいは美的様式、感受性の 形成において、ホメロスがその決定的な濫觴・源流の一つとなり、ア リ ストテレスもその伝統を見事に 定義し、方向づけたのである。そして西欧文学は、この「ミメーシス」という美学的な枠組みとの相互 作用のなか、その美的様式・感受性の伝統をほぼ近代まで遵守してきたのも事実であろう。その例証と して例えば、エー リ ヒ・アウエルバッハ(一八九二︱一九五七)は、その大著『ミメーシス ―― ヨーロ ッ パ 文 学 に お け る 現 実 描 写 ―― 』( 一 九 四 六 ) に お い て、 三 千 年 の 西 欧 文 学 史 の「 リ ア リ テ ィ ッ ク な さ ま ざ ま の 対 象 」 ( 25) を 検 証 し 出 し た が、 そ れ も ホ メ ロ ス の 作 品 か ら 始 ま り、 ミ メ ー シ ス と い う 伝 統 が、 西欧文学史において延々と継承され てきたのがみごとに例証され たのである。 このように、西欧の詩・文学には、霊魂説・神感説・狂気説という大きな伝統があるが、それ と対立
して、ミメーシス・再現模倣説という現代までも受け継がれ たもう一つ大きな伝統があるのである。そ のミメーシスの伝統が根強く継承され てきたことが、アウエルバッハによって解明され たのも決して偶 然 なことではない。
五、『詩経』と孔子
東方、東アジア文化圏の詩・文学の起源になる『詩経』は紀元前一一〇〇年ごろから紀元前六〇〇年 ごろまでの詩を収めたものとされ 、三千篇もあったものから孔子が三一一篇(なか六篇は題名のみ、実 際三 〇五篇)を選 ん で、それ を弟子のために編纂したと言 われ ている。それ に対して疑問を呈する説も あるが、司馬遷の『史記』をは じ め、孔子編纂説は漢以降、代々に渡って相似的な解釈が繰り返され た 結 果、 そ れ は 一 種 の 公 約 の 言 説 と し て 定 着 し た と い え る。 そ の 詩、 あ る い は 歌 詞 が 音 楽 と 舞 踊 と 密 接 な 関 係 が あ り、 ホ メ ロ ス の 叙 事 詩 と 比 べ る と、 『 詩 経 』 の 三 〇 五 篇 の 詩 に は「 抒 情 詩 」 ( 26) が 圧 倒 的 に 多 い。しかし、実際、その抒情詩とはいっても、凡そ儀礼儀式の詩と、娯楽の詩と、社会・政治を問題に す る 詩 と い う よ う に、 大 き く 三 つ に 分 類 さ れ 、 そ れ ぞ れ の 役 割 と 効 用 が あ る ( 27) と 説 か れ、 そ の 抒 情 性 があるにもかか わ らず、現実社会・政治と結びつけて解釈する傾向がある。そしてさらに『詩経』に対 する鑑賞と理解と解釈には、上層階級の人たちによるものと、一般民衆にも楽しまれ るものというよう に、 さ ら に ま た 二 つ に 分 け ら れ て い る ( 28) が、 約 二 千 年 の 間、 『 詩 経 』 が 漢 字 文 化 圏 に と っ て 絶 大 な 影 響を与えており(文学・詩における感情・情緒・認知システムとしての影響力には起伏・強弱はあったものの) 、その間、儒教の正統かつ系統的に解釈され た伝統が中心としての役割を果たしてきたことと、 そしてその儒教の中心的な人物である孔子の解釈と定義が基本原理として働いたことを認めざるを得な い。もちろ ん 、孔子の 『詩経』 に対する見解と解釈にも、近年の 「上海博物館蔵戦国楚竹書 『孔子詩論』 」 の出土と発見ととに、従来とは違う見解が展開され つつある。例えば、孔子以前と孔子の同時代と、漢 以 降 の『 詩 経 』 解 釈 は そ れ ぞ れ 違 っ て い た と い う 議 論 が 行 わ れ て お り、 『 詩 経 』 そ れ 自 体 の 多 様 的、 多 面的かつ豊かな諸要素が一層明らかにされ 、時代と政権と階層によって解釈と理解が違っているのも事 実である ( 29) 。しかし、実際、孔子が自分の弟子の教育において 『詩経』 を推奨し、定義したのであるが、 その結果、たとえ後世において 『尚書』 における 「詩言志」 に対する 「言志説」 と 「縁情説」 との対立的 な解釈があったとしても、 歴史的には、 儒教思想が中国の中心的な存在として、 思想ないし人々の感情 ・ 情緒世界を規制し、そういった規制がまた制度化され、伝統となった以上、その既成の事実を認めなけ れ ばならないであろう。また、例えば『詩経』の孔子の教えと定義について、後の「詩大序」の解釈に よって、さらに補強され 、それ が上層階級の正統的な価値システムの指針となり、それ も既成事実とな った以上、現在の われわれ はその『詩経』が『論語』によって規定され 、定義され 、方向づけられ たこ とを、決定的なこととして看做さざるを得ないであろう。というのも、ある始まりの現象から歴史上す でに既成事実として成就され た以上、後世がその起源を如何様に再解釈しようとも、その後の歴史の既 成事実を変えることはできないからである。もちろ ん 、孔子の教えそれ 自体に対して、現代の視点から も多様的かつ多面的に理解することができるし、 そうすべきである (例えば、 「賦詩言志」 について、 「詩 が社会的効用をもつことは、孔子をは じ め春秋戦国時代の人々にとって既に共通認識になっている。し