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花の縁01-04-08 1

8)コブシ=辛夷

コブシはモクレン科の落葉高木で、全国の山野に見られる日本だけの特産種である。 高さ8~10m に達し、3~4 月頃、葉に先がけて芳香のある 5 弁の白い花を咲かせる。 10 月ごろになると実が裂けて、中から赤い種子が顔を覗かせ、なかなかなか美しい。 コブシは『辛夷』または『拳』と書く。これは果実が凸凹しており、人の拳に似て いるからだという。若い蕾を漢方では『辛夷』(シンイ)と呼び、蓄膿症や慢性鼻炎、 頭痛などに効くとされている。また花からは香水を採り、材は炭として金や銀を磨くのに 用いられた。別称としては、『イトザクラ』『ヒキザクラ』『タウチザクラ』『タネマキ ザクラ』(主に青森、秋田、岩手など東北地方で)ともいわれ、古来より農業との関わり が深い。学名は『Magnolia kobus』で、属名はフランスの植物学者の名に由来し、 種小辞はコブシを意味している。イギリスでの呼称は『kobus magnolia』、中国では 『辛夷』である。北国では辛夷を田の神が訪れる木として、花の咲く季節を、田圃の 仕事始めをする目安としていた。これは桜にもいえることであり、サクラとは田の神 の憑りつくところで、サは『田の神』のこと、クラとは『座』のことであった(01-06-01 桜の項参照)。だからコブシもサクラといわれたのである。また「辛夷の花が多く咲く年 は豊作」 (これはあちこちで言われる)。「辛夷の花が咲くと鰯が採れる」(佐渡島)などと もいわれている。辛夷と人間の関係は人間が農耕を始めたころから、何千年も続いて いるのだろう。コブシやサクラの他にも、こうした農業と密接に結びついている木や 花は多い。ウノハナ、ツツジ、フジ、ヤマブキ、それにホトギスなどの鳥も、農事暦 の一つとして人々の暮らしに深く関わってきた。というより人間も花も鳥も、大自然 のほんの一部分として互いに深く関り合って、自然が完結されていたのである。 さて辛夷の花は必ず北を向いて咲く。これは太陽の光が当たる南側は春の陽ざしで、 細胞分裂が早く進みどんどん成長する反面、北側はそれが遅れるために花が北方向 に傾いてしまうからである。山道で道に迷ったときコブシの花を見れば、磁石がなく ても方角がわかるというわけだ。この木を繁殖させるには接ぎ木が一番であるが、 雑木林を歩いていると小さな苗によく出会う。この苗に印を付けておいて晩秋、葉が 落ちてから掘り起こせばよく根着く。ただし大きくなる木であるのと、何年もたた ないと花は着かないので、庭に植えるならシデコブシがいい。 ところでこのシデとは『紙垂』または『四手』のことで、花の形がシデに似ている ために名付けられた。シデとは聞き慣れない言葉だが、これは玉串やしめ縄などに 垂れ下げる『幣』(ヘイ)のことで、幣はもともと麻や木綿などで作られた。現在では紙 で作るのが普通だが、幣はまた『ヌサ』とか『ミテグラ』とも読み、広く神に奉る ものの総称でもあり、転じて貢ぎ物とか、贈り物をも意味するようになった。長野県 南部の伊那谷や木曽谷、さらには岐阜県や愛知県の三河方面に伝わる郷土料理の五平餅 も本来は御幣餅であったが、これは形状に由来するようで、神に捧げた形跡は乏しい。

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花の縁01-04-08 2 米が貴重品だった時代、もっぱらハレの日の料理だったようで、特にクロスズメバチ の蜂の子を加えて、何かの記念日には『へぼ五平餅』として饗した。へぼとはクロ スズメバチのことで、昔は大事な蛋白源だったのである。 このたびは幣(ヌサ)も取りあへず手向山(タムケヤマ) 紅葉の錦神のまにまに これは『古今和歌集』で菅原道真が歌ったもので、百人一首にもおさめられている。 ヌサとは貢ぎ物の事であったわけだが、この歌の意味は「このたびは急な旅でしたので、 幣の用意もできませんでした。どうぞ手向山の神様、この美しい錦の紅葉を幣の替り として、御心のままにお納めください。」というほどの意味である。紀貫之も 秋の山紅葉をぬさと手向くれば すむ我さへぞ旅心地する と『古今和歌集』の中で歌っている。その意味は「秋の山の神様に、この美しい紅葉 を幣として手向けたならば、この土地に住んでいる私ですら旅に出たような気持ち になってしまいます。」という意味で、よく似た内容である。あるいは貫之は道真に 敬意を表して返歌のつもりで詠んだのかもしれない。菅原道真は平安時代を代表する 学者であり政治家でもあった。宇多天皇の信任篤く、醍醐天皇の時代になると899 年に 右大臣に就任した。しかし901 年に、左大臣だった藤原時平との政争に敗れて、宇多 上皇の弁護も空しく、大宰権帥(ダザイノゴンノソチ)に左遷され、筑紫へ配流されて しまう。そして2 年後、都へ戻ることなく現地で没した。ところがその後、都では 左大臣藤原時平やその息子までが相次いで夭逝し、その上清涼殿に雷が落ちるなどの 不幸が続いた。このため道真の怨霊として怖れられるようになり、道真に太政大臣を 追贈する一方、北野天満宮に天神として祀ったのである。このような道真に対して、 『古今和歌集』の選者であった紀貫之は同情を禁じえなかったのかもしれない。ただ 手向山のモミジとヌサを歌った歌はこの他にも数多い。 手向してかひこそなけれ神な月 もみぢはぬさと散りまがへども(藤原定家) とりあへず紅葉をぬさと手向山 神のこころを神やうけけむ (契沖) そめもあへずしぐるるままにたむけ山 紅葉をぬさと秋風ぞふく(藤原為家) あるいはこの手向山とヌサとモミジの 3 者を組み合わせて和歌に詠みこむことが、 当時の流行になっていただけなのかも知れない。 ところでシデコブシである。コブシを小型にした落葉低木で、原産地は中国、樹高は 3~4m ぐらいである。愛知県、三重県、岐阜県にまれに分布するものの、自生種か、 栽培種が野生化したものか定かではない。しかし自生個体は少なく絶滅危惧種に 指定されている。白花の他に淡紫色や紅紫色の美しい花を咲かせるものもある。 花弁の数は15枚ほどで、コブシと同様に強い芳香がある。最近では海外での品種 改良が進み、ガールマグノリアと呼ばれる紅紫色の西洋種がよく販売されている。 陽当たりを好むものの排水がよければ、半日陰でも花を咲かせてくれる。野趣に とんだ庭などには、ぜひとも植えておきたい春を代表する花木である。

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民宿の裏山に咲いたコブシの花、スキーシーズンはとうに終わって、この花が咲き終わると 農業の忙しい季節が始まる。そして民宿はしばし静まり返る(長野県飯綱高原)。

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コブシの大木(茨城県五霞町)。五霞町は四方を河に囲まれ、たびたび水害にあってきた。 大正以降河川の改修が行われ、このコブシも改修を記念して植えられたものである。

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開き始めたコブシの花。コブシは開花しきると、この花弁が横に広がってしまい、やや美しさ が損なわれる。花弁が開き始めたこの頃が最も美しい(さいたま市浦和区)。

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紅花コブシ(東京都八王子市)。高尾山の方へ写真の撮影に行ったとき、たまたま迷い込んだ 八王子市内の寺院で見つけた紅花のコブシ。平安紅八重枝垂の桜も満開だった。

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20 年ほど前、紅花の姫コブシは『ガールマグノリア』として売られていたことがあったが、最近、 目にするものはその頃の花よりも、ずっと赤紫が濃いような気がする。改良が進んだのだろうか。

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紅花姫コブシ『ガールマグノリア』の花。20 年ほど前に撮影した写真である。どちらが濃いか 写真では判断しがたい。紅花種はコブシの強い芳香がない点は、今も昔も変わらない(深谷市)。

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参照

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