• 検索結果がありません。

実践報告「培其根」誌について : 東井義雄氏の添えられたことばを中心に

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "実践報告「培其根」誌について : 東井義雄氏の添えられたことばを中心に"

Copied!
11
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

―東井義雄氏の添 えられた ことばを中心 に一

国語科教育教室 菅 「培其根」誌 は

,東

井義雄氏 (1912∼)ん ゞ八鹿小学校 (兵庫県養父郡八鹿町

)に

おいて刊行 された (1966年6月 か ら1972年 1月 まで。通巻51号

)暗

写版刷 りの実践報告誌である。 この「培其根」誌 について

,東

井義雄氏 は

,次

のように述べている。 職員が書 いて くれる訴 えや実践記録 (「週録」 として書かれ提出 された もの一引用者注

)の

中で, これはぜひ ともみんなの問題 に して もらいたい と思 うことは

,そ

の場 でさっそ くガ リ版 に切 って写 しとってお く。 そ して

,そ

れにあ とで私の感想やねがいを原紙 に切 りこんでい く。 ある程度たまっ て くると

,そ

れ を印刷 して全職員 に配 る。 それが

,職

員の間で読 みあわれ

,そ

れ を資料 に話 しあい が もたれる。 その印刷物 を

,私

は「培其根」 と名づけているP 「培其根

J誌

,学

校長・東井義雄氏の,「週録」を媒介 とした

,教

員 に対 する指導の記録であ り, また

,教

員 との交流の記録で もある。 (②は各号の総ページ数,④は各号に掲載されている「記録」の数を示す。) 東井義雄氏 の八鹿小 学校長着任 (1964年

<昭

和 39年

>4月 )3年

目の1966年 〈昭和 41年

>6月

に 刊行 が開始 され

,退

職 され た1972年 〈昭和47年 〉の1月 まで に通巻51号 が刊行 され てい る。 この間, 稔 原 「培其根」誌 の刊行経過 は

,下

の とお りである。 17 9 7 5 4 3 2 l 号 43 。 ・0 43 ・ 9 43 ・ 9 43 , 7 43 ・ 6 43 ・ 6 43 ・ 5 43 ・ 4 43 ・ 3 43 ・ 2 43 ・ 1 42 , ・2 42 ・ ・1 42 ・ ・0 42 ・ 9 42 ・ 7 42 ・ 6 42 , 5 42 ・ 4 42 ・ 4 42 。 2 42 ・ 1 4 ・ 10 4 ・ 10 4 。 9 昭 4 ・6 刊 行 年 月 6 8 ② 3 5 3 4 4 5 6 5 5 4 4 6 2 6 7 4 6 ④ 号 47 ・ 1 46 ・ ・1 46 ・ 9 46 ・ 7 46 ・ 6 46 ・ 4 46 ・ 3 46 ・ 2 46 。 1 45 ・ ・2 45 。 ・0 45 ・ 9 45 。 7 45 。 6 45 ・ 5 45 。 4 45 。 2 45 。 1 44 ・ ︲2 4 4 ・ H 44 ・ ・0 44 ・ 9 44 ・ 6 44 ・ 5 昭 4 4 ・ 1 刊 行 年 月 ② 5 7 5 5 9 6 3 6 7 4 3 4 3 4 5 6 11 8 6 5 ④

(2)

菅原 稔 :実 践報告「培其根J誌について 「培其根」誌上 に「読 まずに1週間 ぐらい も机上 に置かれた ままであることを見 るの ぐらい

,編

集 者 としてさび しい ことはあ りません。 とにか く読 んで下 さい。 そして読み方・役立て方 を考 えて下 さい。お互いが高 まるために役立 てて下 さい。も「『培其根』が

,先

生方の実践 の こや しにで もなれば … と26号まで続 けたのですが,『その根 を培わないで

,根

を枯 らすはた らきをさえしているようだ… と感 じはじめると, どうに も気が重 くなって

,ち

ょっ とひ と休み させて もらいました。コ等の文章が み られ るものの

,ほ

ぼ月刊の形で

,順

調 に刊行が続 けられている。 「培其根」誌 は

,当

,八

鹿小学校教員のみに配布 され る

,小

部数の校 内研究誌であったが

,の

,第

36号 (1970年 〈昭和45年〉 4月 刊

)は

約1,000部

,第

51号 (1972年 〈昭和47年〉 1月 刊

)は

約 2,000部が印刷 され

,広

く兵庫県内外へ求めに応 じて配布 された との ことである。 「培其根」誌の構成の典型 として

,第

38号 (1970年 〈昭和45年〉 6月 刊

)の

冒頭

2ペ

ージを示す と

,そ

れは

,下

のような ものである。

姶嘉緩

口a4Sぢ 」J It44私B,剌は,卜,A 第1ページ (表紙

)に

は `はじめの ことば、 として

,書

物か らの引用 とそれ に対 する東井義雄氏 の短いことば

,第

2ページ以降 は

,上

段 に「週録」か ら「これはぜひ ともみんなの問題 に して もら いたい」 と取 り出された一一 ここでは藤原侠三氏の「ガラスはめげたけど…」 と題 す る一一実践 の 記録

,下

段 に東井義雄氏の「感想やねがい」

,

とい う形 で構成 されている。 「培其根

J各

号 に取 り上 げ られている (「週録」か ら転載された

)実

践記録 は

,平

58編

である が

,1971年

〈昭和46年〉度 に刊行 された「培其根」(第46号か ら第51号までの

6冊

)誌

の目次 を示す

と,下 のようになる。

(下

の目次項目のうち②から①までの記号は引用者がつけたものであり,そ れ

ぞれ次のように対応している。②―教科指導の記録と反省,①一生活指導の記録と反省,②―訴え。

主張

,○

―随筆 。所感

,①

―児童の文章

)

(3)

第46号 (1971年 〈昭和46年 〉4月刊) 。「 これ を失 えば…が・中でな くな る」 とい うもの (表紙 の ことば )

①・ 2年 生の教室記録

(井

上和昌

)

〇 。前担任を大切に, ということ

(武

村富美子

)

④ 。

「自分でもびっくりするほどがんばれる」という子どもたち

(米

田啓祐

)

④ 。

「メダカでさえ川の流れに流されないで一」という子ども

(三

宅百合子

)

② 。男性的な阿蘇と

,女

性的な雪仙

(三

宅百合子

) ② 。で きな い こ とが あ るか ら

,で

きるよ うにな るよろこびが ある (千葉孝 子) 第47号 (1971年 〈昭和46年 〉6月刊) ・ 尊 いの は足 の裏 であ る (表紙 の こ とば)

○ 。人の母たる女性

(東

井義雄

)

④・朝のマラソン

(米

田啓祐

)

② 。

「聞く」を育てる授業

(山

下隆子

)

○・父の日に

(森

本千尋

)

① 。すばらしい

lo分

(千

葉孝子

)

① 。暑さに勝つ

(山

根功軍

)

〇 。こんなしつけができているか

(東

井義雄

)

48号 (1971年

昭和

46年

7月

) 。現代社会 の特徴 は

,父

が いない とい うこ とで あ る (表紙 の こ とば)

○・父なき社会

,男

の子の衰弱

(東

井義雄

)

④・特殊学級の子どもたち

(藤

尾歌子

)

④ 。ごみをするものはしてみろ

(米

田啓祐

)

④ 。ある母と子

(山

根功軍

)

② 。

「日なたと日かげ」の学習

(長

戸あや子

)

49号 (1971年

昭和

46年

9月

) ・ メダカの卵 (表紙 の こ とば)

〇 。物は生きている

(東

井義雄

)

②・子どもが悪いのではない

(山

根功軍

)

④・先生こんなにしてほしいのです

(藤

原侠三

)

②・夏休みの自慢話を聞きました

(武

村富美子

)

○ 。学校ですること

,家

ですること

(米

田啓祐

)

50号 (1971年

昭和

46年

11月

) ・ 右 であれ左 であれ

,わ

が祖 国 (表紙 の こ とば)

○・教師のしごとは良識に任されている

(東

井義雄

)

② 。こんな私でも役に立たせていただいているのかと思うと、うれしくなってくる

(山

根功軍

)

④・修学旅行の記録

(米

田啓祐

)

④・預金指導の中から

(藤

原里恵

)

①・山根学級のみなさんへ

(山

根功軍

)

〇・鳴け鳴けコオロギ

(東

井義雄

)

(4)

菅原 稔 :実 践報告「培其根

J誌

について 第51号 (1972年 〈昭和47年〉1月刊) ・ エゴイズム こそ亡国の予兆だ (表紙の ことば)

○・記録の中から

(米

田啓祐

)

○ 。井上さんが

,子

どもの心の中にすわっている

(山

根功軍

)

○・ うれしく思ったこと

(三

宅百合子

)

②・保健室の手帳から

(竹

田貞野

)

② 。

「一寸ぼうし」の読みとり

(森

本千尋

)

上の目次

(第46号

から第

51号

までの

)か

,「

培其根」誌の内容は

,教

科指導・生活指導の計画・

実践・反省

,あ

るいは

,主

張・随筆・児童の文章等

,多

岐にわたったものであることがわかる。

また,「培其根

J誌

に取 り上 げられている記録 は

,す

べて

,教

師が任意 に書いた「週録」によって お り

,そ

の内容 は

,そ

れぞれの教師の問題 (課題

)意

識 に まかされている。 したが って

,記

録の方 法・ 内容・取 り組 むべ き問題 (課題

)の

指示等 は全 くなされていない。 「培其根 」誌 に取 り上 げ られている実践記録296編の一 つ一 つ に,東 井義雄氏 の周密 な「感想 やね が い

Jが

添 え られ て い る。 い ま,「 和 田透 ちゃんの こ と」 と題 す る実践記録 (第21号

-1968年

〈昭和43年 〉6月刊 一所収

)に

添 え られ た東井義雄氏 の ことば を取 り出す と

,そ

れ は

,次

の ような もので ある。 学級編 成 直 後 の統 一 の壊 れ た雑 多 な傾 向や動 きを もった子 ど もた ち を

,年

若 い松 岡 さんが

,僅

か な期間 に見 ご とに組織 づ け

,統

一 の とれた

,い

きい き した学習ので きる学級 に しあ げて しまってお られ るその技柄 に

,授

業 を見 せ て もらう度 に驚 いて い るの ですが

,和

田君 を指導 した この記録 を読 んで

,さ

らに驚 きを重 ね てい るわ けです。学級全体 として

,あ

れ だ けの授業 がで き得 る ところ まで の学級 をつ くりなが ら

,和

田君の よ うな

,ふ

つ うで は とりの こされた り

,忘

れ られ た りしが ち な子 ど もを も

,ち

ゃん とこ うして

,芽

をふ かせ てや って くだ さって い るのです。 それ に して も

,子

ど もは

,で

きる子 もで きな い子 も

,み

んな伸 びたが つているんですね。太 りた が っているんですね。 何 か に希望 が もて るように

,生

きが いを感 じるよ うに してや りさえすれ ば

,子

ど もは, こんな に い きい きして くるんですね。 どうで し ょうか

,皆

さんの身近 かに

,希

望 の もて ない で い る子 ども

,生

きが い をつかみ得 ないで しょんぼ りしてい る子 どもはいないで しょうか。伸 びなやみ をや っている子 どもはいないで し ょう か。 改 めて

,身

の まわ りを

,眺

めなお してみ て くだ さい ませ んか。

下 なお

,

この透 ちゃんの指導記録 で注 目 していた だ きたい ことは

,松

岡 さんが

,透

ち ゃんの左利 き とい う問題 点 だ けなんかにヤ キモキせず

,透

ちゃん とい う人間全体 に点火 す ることに よって

,問

題 点 の超 克 をはか ろ うとされてい ることです。 ガ ンので きものだけに目を奪 われ ないで

,ガ

ン畑全体 を ととの え る仕事 か ら… と考 えてお られ るらしい こ とです。 私 は郷里 の村 のお じさんか ら,

(5)

下農 は雑草 をつ くり 中農 は作物 をつ くり 上農 は土 をつ くる。 とい うことばを教 わ った ことがあ りますが

,松

岡 さんは「上農」だか ら

,こ

うい う発想 で実践が展 開で きるんだろうと思 います伊 ここでは

,称

賛・共感・ 問題提起・ 激励等が

,実

践記録の書 き手 に対 してだけではな く

,読

み手 である他の教員 に対 して も

,示

されている。 このような

,東

井義雄氏の実践 (記録

)に

対 する姿勢 は

,児

童の作文 に対す る次のような `評価、の姿勢 と

,同

じ考 え方に立つ もの といえる。 評語 は子 どもの現実 に対 するね うちづけであるとともに

,問

題点の指摘・指導でなければならぬ。 単 なる問題点の指摘だけであって も

,原

田さんのお嬢 さんの場合の ように子 どもを損 って しまう。 か といって「たいへんよ くかけました」 というような

,単

なる現実肯定 も

,

ものの役 に立たない。 子 ども自身 にも,「自分 はそうい ういい ところがあったのか」と

,よ

ろこびをもって うなづける部面 があるとともに,「自分 はいい気 になっていたが

,な

るほど

,そ

ういわれてみると

,自

分 にはそうい う問題点があるぞ。 それにして も

,先

生の目はやは り節穴 ではないのだな。 自分 というものを

,自

分の気のつかない美点 まで

,こ

んなふ うに

,ち

ゃん と深 く確 かに見ていて くれ る。 しか も

,問

題点 は問題点 として

,ち

ゃん ときび しく見ていて くれる。全 く恐 ろしいばか りだ」 と

,そ

の評語 によっ て

,教

師への信頼 と尊敬 の度が倍加 され るというようであ りたいものであるP 東井義雄氏 は,「培其根」誌 によって

,個

々の教員の実践 信己録)の中に見 い出 される価値―それ は教員 自身が気付 いていない

,あ

るいは

,低

く見 ているものが多い― を指摘 し

,そ

れ を高 く評価 す る。 それによって

,書

き手の教員 を励 ます とともに

,読

み手の教員 にも

,そ

の実践 を広 く紹介す る のである。 自らの実践 (記録

)が

持 つ長所 。価値 を仲ばす方向に導かれ るものである限 り

,そ

の実践 は

,東

井義雄氏のい う「『させ られ る』構 えではな くて,『する』構 えに立つ」ものである。 しか し

,仲

ばす べ き `長所・価値、が東井義雄氏によって見い出され

,評

価 され るものである以上

,教

員の実践 (記 録

)は

,児

童の作文同様

,東

井義雄氏の `ねがい、 と一致 した ものになってい く。 このような

,東

井義雄氏 と教員 との「週録」お よび「培其根

J誌

を媒介 とした交流 によって

,教

員 それぞれの個性 と主体性 とに基づ く実践が

,学

校全体 としては東井義雄氏の `ねがい、の方向に向って

,展

開 され た と考 えられ る。 東井義雄氏 は

,受

験 を意識する親 との対立 を記 した記録 (「なまぬるい」河ヽ林泰子・「培其根」第 1号

-1966年

〈昭和41年〉 6月 刊一所収

)に

対 して

,次

の ように述べている。 Oこ ういう場合

,私

たちはどうすればいいのか。 Oこれに似たような気持の父母 を

,私

たちはずいぶん もっているのではないか。

O追

従 はもちろん避 けなければな らない。 しか し

,反

発 に も問題があ りはしないか。

O共

通の広場 を求 める とすると

,ど

こに手がか りがあるか。

Oど

んな場合 に も父母 を敵 に廻 しては

,子

どもを不幸 に して しまうのではないか。

(6)

菅原 稔 :実 践報告「培其根」誌 について ○家庭学習について

,誰

もが しっか りした見識 をもつ ことを急 ぐべ きではないだろうか。 〇小林 さんか ら学ぶべ きもの をしっか り考 えよう働 東井義雄氏が著 された書物 を見 る限 り

,上

に挙 げ られている問題 は

,す

でに氏の中で解決 をみて いるもの と思われ る。 しか し

,東

井義雄氏 は

,

これ らの問題 に対 する自らの考 えを明 らかにせず, ` 考 えるべ き課題、 として整理するに とどめている。 それ は

,こ

の実践 (記録

)の

中に

,教

師 自身 の,解決に向 けての主体的な取 り組みや考 えが見 い出されないことによる と考 えられ る。すなわち, 東井義雄氏 は

,解

決のための `知識・ 方法、 を教 え

,伝

えるのではな く

,教

師の中に

,主

体的な, 解決のための姿勢 を固め仲 ばすのでなければ,`真の問題解決、とはな らない とし

,そ

の `方向、や ` 課題、 を示すのに とどめているのである。 さらに

,東

井義雄氏 は

,実

践 を記録することの意義 を

,次

のように述べている。 書 くとい うことは

,そ

の ときその ときの自分 を大切 にしてい くとい うことです。(中略) 書 くということは

,

また追求することです。書 くということは考 えることです。ですか ら

,私

た ちは

,書

きなが ら

,書

くことを通 じて自分 を仲 ば し

,太

らせているのです。新 しい自分 を創造 して いるのです。 書 くということは

,自

分 を整理することで もあ ります。 その ときその ときに思 った こと感 じた こ と考 えた こと

,そ

うい うものに体系 を与 え

,バ

ラバ ラの ものに秩序 を与 えることです。藤原 さんの この記録 なんか,その典型だ といっていい と思います。この記録の背後 には,あの驚嘆すべ き毎 日々々 の丹念な実践記録があるのです。 その実践 をふ まえて「 なぜ子 どもが 自主的に学習するようにな ら ないのか」 という問題 を整理 し

,自

主的学習」追求の足場 とされてているわ けです♂ すでに明 らかなように

,こ

こに示 されている

,実

践 を記録することへの意義づけは

,氏

,児

童 の作文 (綴り方

)に

ついての意義づけと

,同

じもの といえる。 ` 文章以前の綴 り方、である教員ひ とりひ とりの思考や認識 を,「手紙 の ような週録 の交換Jによ って

,よ

り豊かで個性的な ものにしようとする。 また

,思

考や認識 を客観化 し整理す ることで もあ る「書 くということ」の機能 によって

,実

践 に対する主体的な取 り組 み と

,そ

の向上 とを図 ろうと するのである。 以上の考察 によって

,実

践報告「培其根」誌 は,「私の40年間の教育実践 は,『生活綴方の精神』 とともにあったPとす る東井義雄氏の,`教員 を対象 とした

,作

文 (綴り方

)教

育実践 の記録、 とと らえることがで きる。 四 東井義雄 氏 は

,実

践 記録 を読 む自 らの姿勢 について

,次

の よ うに述 べてい る。 小西健二郎氏 は,「 学級革命

Jの

副題 に「子 ど もに学ぶ教師 の記録Jと書 いて い るが

,単

に子 ども に学 んでい るだ けで はない。子 どもに学 び

,子

ど もの論理 の流れ に学 びなが ら

,ち

ゃん と「海

Jを

目指 して い る。 ほん とうの「指導」 とい う もの は

,こ

うい うものなのだ。 これ は

,教

師 と子 ど もの か かわ り方 だ けで な く

,校

長 と職 員 のかかわ り方 にお いて も

,踏

み外 し

(7)

て は な らな い基 本 的 な考 え方 で はな いか と思 うざ) 東井義雄氏が,「培其根」誌によって教員 を導 こうとした「海」 とは

,氏

の実践 。理論の中に一貫 して流れ る,`tゝのちの思想、 とよばれ る

,次

の ような考 え方である。 わた しが生 きている

,そ

して

,子

どもたちが生 きている

,そ

れは

,何

のへんてつ もないあた りま えの ことだ。 しか し

,わ

た しが生 きてお り

,子

どもが生 きているということは

,少

な くとも

,わ

た したちが気づいている くらいの

,あ

た りまえの ことではないようだ。(中略)教育 とい うことは

,こ

とばをかえていえば

,子

どものいのちを大 じに し

,子

どものいのちを育 てることだか らだ。 それだ のに

,そ

の しごとをする人が

,子

どものいのちのただごとでないことを知 らないでは

,は

じめか ら, しごとにな らないではないかと動 私 は

,子

どもたち も

,た

とえば

,ど

んなに まちがいのない不動の ものであるように見 えようが ど うしようが,「民主主義」をさえもお しつけてはな らない と考 えた。それ よ りも

,よ

く感 じ

,よ

く思 い

,よ

く考 え

,自

分の考 えによって行動 していける

,た

くましい行動的ないのちを育 てたい と思 っ た。そして誰かのかけ声 にひきまわ されて生 きるのではな く,自分たちの手 をつかい

,体

をつかい, 頭 をつかって

,自

分の身の まわ りを

,自

分の気 にいるようにつ くりかえてい くことによって

,自

分 で自分の しあわせを創 りあげてい くように導 こうと考 えた

p

東井義雄氏の実践・ 理論の中に一貫 して流れ る `いのちの思想、 とそれに基づ く氏独 自の `主体 性 を育 てる教育、の考 えは

,

また

,次

のような「培其根」誌刊行の原動力 ともなったのである。 公務だけで もご多忙 な要職であったのに

,原

稿の執筆

,講

演の旅

,さ

らには全国各地か らの訪問 客の応接 と文字通 り寸暇 もない毎 日で した。 その ようなご生活の中で

,鉄

のヤス リに一字―字刻み つけられた謄写版刷「培其根

Jの

冊子 は生 み出 されたのです。会議に出かけられたお留守の校長室 の机上 に

,書

きかけの原紙 がヤス リの上 に置かれ

,風

に飛 ばされぬよう本 の重 しが載せてあること もあ りました。夜半の

3時

,町

に起 きた火事が話題 になった時

,原

紙切 りをしなが らサイレンを聞 いて驚 いて学校の空 を… と話 された こともあ りました。粗末な紙 に刷 られ

,ホ

ッチキスで綴 じられ た貧弱な体裁ではあ りますが

,そ

の内容 は東井校長先生の40年の教職生活 を凝縮 した ものであ りま すとり 東井義雄氏 の

,教

員 ひ と りひ と りの 「論理 に学 びなが ら

,ち

ゃん と『海』 をめ ざ してい る

,ほ

ん とうの『指導』 によって,「培其根」誌 に掲 載 され てい る記録 (論稿

)の

中 に

,次

の よ うな内容 を持 つ ものが

,徐

々 に多 くなっている。 甥の死 とい うような ことは私事です。 そんな私事 を「週録」 というような公簿 に書 くべ きではな い と思 ったのです。で も

,一

つの幼 い生命の死 を目撃 したあと

,学

校 で子 どもたちが元気で走 りま わっているのを見て

,そ

れが

,ま

ぶ しいほどのただ ごとでなさに輝 いて見 えたのです。 それは私が感動 しようとしまいと

,

これ まで も

,毎

日毎時

,た

だごとでなさに輝 いていたはずな のです。そ して私 は

,甥

の死 にであ うまで

,そ

のただごとでなさに驚 き得ずに来 たのですと9

(8)

菅原 稔 :実 践報告「培其根J誌について 教 室 の中で話 しあ う と, 日なた は 明 るい・ あた たか い 日か げは 暗 い 。すず しい 等

,一

応 の こ とは よ く知 っている。 で も

,こ

れ だ けで は

,頭

の学 習 にはなって も「体 で学 ぶ」学 習 に はな らない。 それ に, これだ けで は

,知

識 と して は もて て も,「 学ぶ よろこび」を育 て る こ とはで きないと0 ここにみ られ る考 え方 は

,先

に取 り上 げた

,東

井 義雄氏 の`いのちの思想、`主体性 を育 て る教育、 と

,ほ

ぼ同 じもの とい える。 この ような東井義雄 氏 の指導 に よって

,教

員 の 中 に「 ぼ くが

,怠

けた り

,無

茶 な こ とを言 った り

,反

抗 した りして み て も

,や

っぱ り校長先生 の手 の中 にあたたか くつつ まれていた。 その中で

,ぼ

くは育 て られていた了)とい う気づ きす ら生 まれてい る。 ここに

,の

ち,

八鹿小学校の著書として刊行された『主体性を育てる教育♂『通信簿の改造♂『学力観の探究 と授業

の創造♂

)等

にいたる

,そ

の実践 。理論の根底にあったものをみることができる。

五 「培其根

J誌

の第28号 (1969年 〈昭和 44年 〉5月刊

)以

,東

井義雄氏 の こ とばの 中 に「 日本 は 亡 び に向か っている」「民族 のいのちが衰弱 して い る」等 の表現が数多 くみ られ る。 それ は

,次

の よ うな もの で あ る。 日本 は亡 びに向か って進 んでいるので はな いか とい う危惧 は

,私

の中で 日毎 に大 きい もの にな っ て きてい ます。 これだ けの危機 に臨 んでいるの に

,親

た ちが それ に 目覚 めず

,物

の豊 か さをいい こ とに

,本

能 や 衝動 や欲望 には

,ど

ん どん肥料 をや り

,仕

事 は させ よ う ともしな い。 ダメな人 間 を進 ん で つ くろ う としてい る こ とが

,ま

,よ

けい「 これ はた いへ ん だ ぞ」 と思わせ るのです計) 私 も,この

2-3年

の間,日本 の子 どもや若 者 たちの間 に

,顕

著 に感 じられ る よ うに な って きた, 退廃 の色

,い

ち じる しい偏 向

,調

和 の乱 れ

,生

きが いの喪失

,生

命力 の衰弱

,セ

ックスの乱 れ

,破

壊 や殺傷 に対 す る痛覚 の喪失

,人

間性 の荒廃

,刹

那 主義

,衝

動性等々の現象が

,亡

国 の予 兆 の よ う に思われ

,気

が もめて な りませ んで したζ少 上のように とらえられた`いのちの衰弱、`亡国の予兆、に対 して

,東

井義雄氏 は

,主

体的学習― 体 で考 える 。体 で学ぶ一 ことの必要 を

,次

の ように述べている。 現代文明 と繁栄の毒素にあて られ

,日

毎 日衰弱 してい く子 どもや若者たちの生命 に活力 をよみが えらせ るためには

,頭

の毛の先や指先だけの勉強ではな くて

,体

ぜんたい生活ぜんたいで学 ばせ る こと

,頭

の毛の先の思考ではな くて

,体

で思考す る子 どもを育 てねばな らない。「体 で思考 す る」と か「体で学ぶ」 とかい うことは

,実

践の中で しか体得 で きない急° 東井義雄氏が危機感 をもって述べる「体 で思考す るJ「体で学ぶJ学習指導 とは

,ひ

とりひ とりの

(9)

子 どもに

,自

己の思考・認識 に基づいて

,主

体 的 に `自分の問題、`自分の課題、 として

,学

習に取 り組 ませ る指導 をい う。 東井義雄氏 は,「授業」とは

,子

どもの主体的ではあ って も主観的な ものである`思 い方。考 え方・ 感 じ方、一「生活の論理」―が

,教

科の系統性・ 順次性―「教科の論理

J―

を吸収 し

,よ

り高次 な ` 思 い方・考 え方…、一「生活の論理」― に成長 させ る営みであるとしたζ°したがって

,東

井義雄氏 の「授業」 において

,子

どもの個性 に即 した

,そ

の子 な りの `思い方・ 考 え方…、が何 よ りも大切 な もの とされ る。教科 内容が

,子

どもの個性 に根 ざ した`自分の問題、`自分の課題、として とらえ られ るのではない限 り,「授業」が成立 した とは考 えないのである。 このような立場か ら

,東

井義雄氏 は

,社

会科 (歴史)の実践記録 に対 し,「子 どもの中で眠 ってい る民族のエネルギーをゆ り動か し

,体

温 を燃や してい くような学習でない と

,国

の主人公づ くりの ための歴史学習 にはな りかね ると思 うのです」 とし

,

さらに

,次

の ように述べている。 実 は

,私

自身 も「歴史学習」 はそういうものでなけれ ばな らぬ

,

と考 えて きました。 私の32∼

3才

頃の教育記録 を見 ると

,大

仏殿 の るしゃな仏の前で

,修

学旅行の受 けもちの子 ども たちに

,次

のようなことを言 っています。(中略)平野 さんの劇 に表現するというしごとを進 める過 程 を「歴史学習」 として創造的に展開 させ ようとい う苦心 と

,実

によ く似ていると思 うのですが, 私 は,イ メー ジを文 に描 いてい くという仕事 を通 して

,歴

史の体温にふれ させ ようとした ようでザP ここで東井義雄氏が紹介 している「私の32∼

3才

頃の教育記録Jと は

,氏

自身,「戦争で犯 した私 の まちがい」「 そんな ところに後戻 りはした くないΥ)とす る

,氏

の最初の著書『学童の臣民感覚』(日 本放送出版協会

1944年

〈昭和19年

)8月

15日刊

)を

指 している。 東井義雄氏 は,『学童の臣民感覚』における「学校 は

,無

窮の御本願 の礼拝所

,臣

のいのちの開顕 所」という考 えは否定 しなが らも

,そ

の危機感のゆえに,『学童の臣民感覚』で目指 した「体 で思考 するJ「体 で学ぶ」指導 を

,改

めて自ら再評価 しようとす るのである。 東井義雄氏 は

,児

童詩教材「だいこんはこび」の授業

(1年

)記

録 に対 して

,次

の ように述べ ている。 岩本 さんが

,最

,文

字 としては抵抗な しに読 めるだ ろうが,「手つだい もろ くに しな くなってい る今の子 ども」「八鹿 の周辺 に田畑 はあって も

,そ

れへの関心がな くなっている子 ども」

,そ

こにそ の教材 を読 ませ る上での配慮が必要 となる

,

と考 えてい ること

,こ

れ は

,た

いへん重要 な着眼 と思 います。(中略

)ほ

ん とうに読 む ということは

,単

に「読 み とる」こと

,何

か を「つかみ とる」こと に とどまらず,「読み」によって「自分」を変 えてい くことにな らねばならんのではないで しょうか。

1年

生ではまだそこまでは期待で きないで しょうが

,

こういう教材 を手がか りとして「おてつだ い」の文 を書 いた り

,詩

を書 いた りし

,そ

うい うしごとを通 じて「 はた らき

Jの

意識

,

もの をつ く ることへ意識 を もとりあげる,と いうことを,ち ょっ とね らってみて もいいのではないで しょう力

?

東井義雄氏 はまた

,説

明文教材「 くまの冬 ごもり」 の授業

(2年

)記

録 に対 して

,次

のように 述べている。

(10)

菅原 稔:実践報告「培其根」誌 について 説明文の読みには

,や

は り説明文 の読み独 自の読みの身構 え というものがある

,

とい うことを, 武村 さんは考 えておかれ る必要があったのではないで しょうか。説明文独 自の読みの身構 え

,そ

れ は,「わか りたい」「知 りたい」 というねがいの確立

,と

いうことになるのではないで しょうか。 も う少 し具体 的にい うと,「木の青い ところがちよびっ としか見 えない くらい深 い雪

,足

がズボッと ずんごんで しまう くらい深い雪

,人

間な ら家の中で コタツにあたっていることもで きるが

,山

の鳥 やけものたちは

,そ

の深い雪の中で

,ど

う生 きるのだ ろうか」 という問いを育 てるのが

,説

明文の 読み ということになるのではないで しょうか。(中略)そ うい うものを豊かに育 てなが ら「かわいそ う」の世界 に追 い込 むのではな く

,そ

ういう中で

,主

題 である「 くま」 はどう生 きているのだろう か

,そ

れがわか りたい

,そ

れが知 りたい

,

とい うねがいに子 どもを追 い込 まれ るべ きであったので はないで しょうか伊 国語科の学習指導において も

,そ

れを一教科 とい うワクの中に とどめず

,全

教科 の指導の中に, また

,広

義 の生活指導の中に位置づ けようとするのである。 ここに

,東

井義雄氏の,「教 えるなかみが大事 にされ,そのなかみをどう興味深 く学 ばせ るかにエ ネルギーを傾注 されている感 じの授業す)を否定 し,「学ぶ よろこび,伸び太 るよろこびを育 てること にエネルギーがかけられている授業r)を高 く評価する

,独

自の姿勢 を見 ることがで きる。 ハ 東井義雄氏 は

,実

践報告「培其根」誌 によって

,教

員 ひ とりひ とりを

,そ

の個性 に即 して「ほん ものの教師」に育 てようとした。氏の指導は

,す

でに見て きた とお り,`生活綴 り方的教育方法、を ふ まえた

,卓

越 した方法 と情熱 とに基づ くものであった。 八鹿小学校の著 になる『主体性 を育 てる教育』『通信簿の改造』『学力観の探究 と授業の創造』等 の母胎 となった もの として

,昭

和40年代 の兵庫県の一地域―養父郡八鹿町―の教育実践 のあ りよう を示す もの として

,こ

の「培其根」誌の持つ意義 を高 く評価 することがで きよう。 (注 〉 1)当時の八鹿小学校の規模は下のとおりである。 年 度 ノ( ノ\ 一 九 一九 学 級 数 九 九 九 九 五 八 七 五 九 五 一ハ 一 一ふ ハ 六 四 八 一ハ 一ハ 而四 六 八 九 七 〇 三 七 〇 一 児 童 数 職 員 数

(11)

2)「もえさしの私ではあるけれ どもJ東井義雄 『校長 の教育論』(昭 46。

2

明治図書

) 76ペ

ー ジ∼77ペー

3)第

52号は未刊 の ままであったが,のち F東井義雄著作集 別巻3』 (昭 51・

3

明治図書)に収 め られた。 4)「培其根」 第3号 14ペー ジ

5)同

上 第27号 18ペー ジ

6)

同 上 第21号 12ページ∼13ペー ジ 7)「作文処理 における評語の問題J東井義雄 「教育科学国語教育J第89号 (昭 41・ 4)63ペー ジ 8)「培其根

J

第1号

7ペ

ー ジ

9)

同 上 第26号 15ページ∼16ペー ジ 10)「東井義雄著作集 。第3巻解題J東井義雄 α東井義雄著作集 。第3巻』(昭

47,4

明治図書) 309ページ 11)「培其根覆刻版 。第1巻あ とが き」 12)『村 を育 てる学力』(昭 32・

5

明治図書)92ペー ジ 13)「東井義雄著作集 。第1巻解題J東井義雄 『東井義雄著作集・第1巻』(昭 47。

3

明治図書)290ペー ジ 14)「『培其根』覆刻版の刊行 を終 えて」 平野寿 (「 培其根」覆刻版最終回配本一昭53・

8-同

封の小冊子

) 1

ページ 「培其根

J

第26号

3ペ

ージ 同 上 第48号 10ベージ 同 上 第51号

5ぺ

iジ 昭和41年6月 明治図書刊 昭和42年2月 明治図書刊 昭和44年9月 明治図書刊 「培其根

J

第40号 ■ペー ジ 同 上 第51号

1ペ

ー ジ 「培其根」 第40号 17ペー ジ この「『教科の論理』 と『生活の論理』 については,東井義雄氏 の下の著書 に くわ しい。 『村 を育 て る学力』 昭32・

5

明治図書 『学力 をのばす論理』 昭32・ 10 明治図書 『授業の探究』 昭36。

5

明治図書 『国語授業の探究』 昭37・

9

明治図書 「培其根J第31号

8ペ

ージ∼13ペー ジ 「 シンポジウム・教科の論理 と生活の論理― まとめ・民族 を2分する考 えへの疑問―」 東井義雄 「別冊現 代教育科学J第12号 (昭 41・ 12) 112ペー ジ 「培其根」 第15号 20ぺ主 ジ 同 上 第34号

9ペ

ー ジ∼10ページ 同 上 第48号 ■ペー ジ (昭和61年 4月 15日 受理) 15) 16) 17) 18) 19) 20) 21) 22) 23) 24) 25) 26) 27) 28) 29)

参照

関連したドキュメント

睡眠を十分とらないと身体にこたえる 社会的な人とのつき合いは大切にしている

問についてだが︑この間いに直接に答える前に確認しなけれ

存在が軽視されてきたことについては、さまざまな理由が考えられる。何よりも『君主論』に彼の名は全く登場しない。もう一つ

式目おいて「清十即ついぜん」は伝統的な流れの中にあり、その ㈲

に関して言 えば, は つのリー群の組 によって等質空間として表すこと はできないが, つのリー群の組 を用いればクリフォード・クラ イン形

これらの定義でも分かるように, Impairment に関しては解剖学的または生理学的な異常 としてほぼ続一されているが, disability と

ヒュームがこのような表現をとるのは当然の ことながら、「人間は理性によって感情を支配

実習と共に教材教具論のような実践的分野の重要性は高い。教材開発という実践的な形で、教員養