香 川 大 学 経 済 論 叢 第69巻 第4号 1997年3月 127-152
ド・クインシーの政治経済学再考
一 一 保 守 的 経 済 像 に お け る 「 均 衡 」 概 念 一 一柳 沢 哲 哉
I 問題の所在 『阿片常用者の告白』で知られるトーマス・ド・クインシー(1785-1859)は, 極めて広範な学問領域に関心を示し,自伝や文学的な著作以外に,政治的時論 や経済学,哲学,宗教,歴史あるいは天体論に関する作品まで著している。そ していずれの分野も体系化に到らずに構想で終わっているとか,数多くの矛盾 した叙述が含まれていると評価されてきた。とりわけ経済学においては「矛盾」 した叙述が顕著であるとされており (McDonagh[1994J, p 41),それに関する 論評もいくつか存在する。 このような観点から, ド・クインシーの経済学についてまず、最初に指摘でき ることは,そもそもなぜ経済学に関心を持ったのかという問題である。すなわ ち,政治的には保守的な立場にあり,ウルトラ・トーリーの代表的人物とも言 われる人聞が,なぜリカードウ経済学を賞賛し,さらにその解説まで書いたの かという問題である。トーリー保守派は経済学自体を否定的に見ていたとする のが一般的であり,彼らにとってpoliticaleconomyという言葉はWhiggism の同義語でさえあった。とりわけスコットランドの保守派トーリーの宣伝の場 (1) 略称:Confessions of an English Opium Eeater, 1821(Opium); Dialogues of Three Templars, 1824(Dialogues); On the Approaching Revolution in Great Britain, 1831(Revolution); Toryism, Whiggism, and Radicalism, 1835(Toryism); Political Parties of Modem England, 1837(Parties); Style part II, 1840(Style); Ricardo Made Easy, I-III, 1842(Easy); Logic of PoliticalEconomy, 1844(Logic); Suspiria de Profundis, 1845(Suspiria); The English Mail-Coach, 1849(Coach)。
出典:CはMasson編著作集全14巻(1896-97)を,TはTave[1966]を,BはBlackwood~s Edinburgh Magazineの略号とする。
128 香川大学経済論叢 778 である Blackwood'sEdi幼urghMagaZZneは,経済学を批判する記事を数多く 掲載していたわけであるが,奇妙なことにド・クインシーはリカードウ経済学 の啓蒙を目的とした Easyをここに連載しているのである。一方,ロマン主義者 という位置付けから見ても,特異な立場ということになる。「経済学者とそれら に対するもっとも明確な知的敵対者すなわち文芸批評家との聞にははっきりと した境界線があり……・。トーマス・ド・クインシーは両グループの大きな溝を またぐ唯一の存在J(Coats[1964J, p..92)ということになる。また,実生活に目 を向けても,経済学に関心を持ったことは興味深い問題と言えるかもしれない。 ド・クインシーが経済的な破綻者であることは,当時からよく知られていた。 多 く の 借 金 の た め に 1833年頃から 40年 頃 に か け て は , 債 務 者 避 難 所 で あ る Holyrood僧院で断続的な逃避生活を送っている。したがって,経済学からは無 縁な人間のようにも思われる。 経済学という領域の内部に問題を限定したとしても,大きくは二つの問題を 指摘することができる。一つは,リカードウを賛美していながら,同時に穀物 法を擁護しているという問題である。もう一つは, Dialoguesをはじめとした 1820年代に書かれたものと, 30年代末から 44年 Logicにかけて書かれたもの との内容的な相違という問題である。 Dialoguesはリカードウf原理』の価値論 (2) r Blackωood~s はほぼ反経済学の一学派になるものを集めており J(Berg [1980J, p 254),あるいは,Blackwood'sでは「ド・クインシーと A.Alisonの二人以外には,経済学 に関するトピックを書いていたものはいないJ(Fetter [1960J, p..90)。 (3) Opiumの評価ではリカードウとともに分析的知性の持ち主としてコールリッジが賞賛 されたが,後の評価では,政治には優れていても「経済学は得意ではない」となっている (C, V, p. 189)0 Checkland [1949Jは「リカードウがやっつけるのに失敗したコールリッ ジに向けてド・クインシーは梶棒を振り上げたJ(p46)と表現している。ロマン主義と古 典派経済学については,より根本的な‘romantic'と‘c1assical'という言葉上の対立を想 起すべきかもしれない (Coats[1967J, p.. 101)。もっとも, McDonagh [1994Jはド・クイ ンシーをロマン派の枠でのみ捉えることに疑念を表明している(p7)。 ( 4 ) 生活苦については多くの伝記作家がとりあげており (West [1974J, pp. 233-234; Lin. dop [1981], pp..310-312),借金返済のために作品をわざと冗長に奮いたとさえ言われて いる (McDonagh[1994], p..6)。債務不履行のために起訴されたり,書きかけの原稿が差 し押さえられたりもしている(Eaton[1972], pp. 519-520)。借金生活を単なるエピソード として見るのではなく,信用=負債の連鎖によって循環していく資本主義経済とド・クイ ンシーの商品経済像との関係を指摘する論者もいるのchneider[1995], pp.. 81-130)。
779 ド・クインシーの政治経済学再考 -129ー を素朴な労働価値説の観点、から祖述したものであった。ところがLogicでは, 価値論においては労働価値説に加えて内在的効用の議論が大幅に導入され,ま た長期的な利潤率の低下傾向も否定されるようになる。これらの問題について はGherity [1962JやGroenewegen [1982Jらが論じている。例えば Groen-ewegenの場合は,内容的な変化は「政治的な」原因によるものとして, Logic が「社会的不安が大きかった時代に書かれた」ことを強調する。そして r無政 府主義者やチャーチストなどがリカードウの学説を悪用している」という認識 から,リカードウ的理論の枠組みを放棄していったと解釈している (pp52-55)。 このような立場に対して,確かにリカードウに対する異論や大幅な変更はあ るものの, Logicにおいてもリカードウの経済理論は必ずしも放棄されていな いとする見解を拙稿(柳沢[1992J)で提示しておいた。すなわち,内在的効用と 獲得の困難による交換価値の決定論は,ベイリーらのリカードウ価値論に対す る批判に応えるためにリカードウ価値論の拡充を図ったものであり,少なくと も労働価値説の放棄を目的としたものではないこと。利潤率低下論の否定は結 論こそリカードウとは異なるが,賃金利潤相反論という理論的な枠組みは維持 されていること。つまり,農業部面での収穫逓減という経験に依存する命題の みを否定することで rアプリオリな演緯」の体系としてのリカードウの理論を 維持しようとしていたこと。これらのことから,大幅な改変はあるものの,Dia -loguesからLogicにかけてもリカードウ経済学の枠組みを維持しようとして いたと結論づけておいた。 しかし,その後登場したド・クインシー研究の多くはGroenewegenの解釈に 近い結論となっている。例えば,代表的な研究である McDonagh[1994Jは, (5) 1960年代のドラッグ・ブームの時期に「麻薬中毒の導師」として考察された時期を除け ば, Dendurent[1978]の網羅的なビブリオグラフィーから分かるように,従来の研究は ほとんどが英文学プロパーの研究であった。しかし,論文集Snyder[1985]あたりを境 目にして,ここ 10年ほどの研究はド・クインシーの多面的な側面を、評価しようとするも のへと変わりつつある。例えば,フロイトに先行する潜在意識への言及を評価する論者も いれば,デリダのディコンストラクションの先駆を見出す論者もいるといった具合であ る。近年の論者の多くがド・クインシーの経済学を重視しているのは一つの特徴と言える だろう (Barrell[1991] ; McDonagh [1994] ; Schneider[1995])
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OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ
i -- -13かー 香川大学経済論叢 780 一方では「リカードウの頑固な支持者にとどまっていたJ(p49)ことを認めつつ も,フランス7月革命といった時代状況の中で,消費経済」あるいは「消費者 心理」の分析に向かい 'Logicではリカードウの教えをかなり放棄したJ(p60) と結論づけている。
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も効用重視の姿勢を強調しながら,その 解釈を支持している。また,経済学の普及者という観点から分析を試みたHen-d
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も,非リカードウ的側面を強調していると言えよう。 経済学の歴史の中でド・クインシーのオリジナリティーを評価しようとする ならば,J
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ミノレやジェヴオンズが着目したように,内在的効用論による価値 決定の議論を効用理論の先駆として指摘すべきであろう。この点については異 論はない。しかし, トータルなド・クインシー像を描こうとする場合には,彼 の経済学の基本的なフレームワークであるリカードウ経済学を無視するわけに はいかないように思われる。ただし,ド・クインシーをリカードウ派に含める ことが本稿の目的ではない。従来,経済学史の中でド・クインシーに言及する 場合には,リカードウ経済学の盛衰という問題意識から,リカードウ派の一員 かどうかという観点に立ったものが多かったように思われる。しかし,このよ うな問いはメルクマールに依存するものである。むしろ重要なのは, ド・クイ ンシ}がどのような観点からリカードウ経済学を受容したのかを明らかにする ことであろう。本稿の中心的な課題は,矛盾」に満ちているとされるわクイ ンシーの経済学に,できるだけ整合的な解釈を与える方向で,保守的な社会像 と経済学との関連を考察することにある。まず最初に,前稿ではほとんど言及 しなかった穀物法擁護論の検討を通して, ド・クインシーの経済学の基本的な フレームワークを明らかにしたい。次に,政治と経済を論じる際にしばしば登 場する「均衡」という考え方と,リカードウ経済学の受容の仕方との関連を考 察する。最後に,工業化の認識の変化を通して,時代状況の変化と保守的な経 済社会像が崩壊していった原因を探ってみたい。781 ド・クインシーの政治経済学再考 -131
II 穀物法擁護論
II -1 Post誌の議論
穀物法に関する最初のまとまった言及は, 1827年から 1828年にかけての
EdinbuなhSaturday Post(1828年 5月から Edinbu培hEvening Postに誌名
変更)誌上で行われた。 Post誌はAndrewCrichtonによって創刊された保守的 トーリーと見られていた週刊誌で,編集者とまでは呼べないにせよド・クイン シーがかなり大きな役割を果たしていたとされる。もっとも,当然のことなが ら経済学をとり上げた記事は少なし経済学に言及した記事の大部分がド・クイ ンシーの手になるものと見られている。経済学関連の記事では,リカードウ地 代論の説明が多い。それらの解説的記事は, トーリ一系の Quater.
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Reviewや Standardなどに向けて,リカードウ経済学を理解させることを直接の目的とし ており,その多くは,-政治経済学にぼけている (dotage)ことで有名なクオータ リー・レビューJ(T, p..167)に教え諭すといった態度で書かれている。 穀物法については,純粋に経済学の問題としてだけ見れば,自由貿易を肯定 している。明らかにリカードウ『原理』の比較生産費説を念頭に置きながら, 1827年 11月の記事では次のように書いている。,
(穀物問題も〕単なる経済学の問題として扱うならば,現代の経済学者の声に従わなけれ ばならないo 財布だけに関係するものとして見れば,ポーランドのより肥沃度の高い 土地がわれわれに与えられているのに,次第に劣化していくイングランドの土地と格闘 するのは非合理的なことである。単なる損得問題としてならば,ポーランドの農場で穀物 を栽培する政策を拒否するのは,イングランドの温室ではなくフランスやポルトガルの ブドウ闘でワインを作る政策を拒否するのと同様に馬鹿げているj (T, p..176)。 比較生産費説については, 1840年代に書かれた Easyでもリカードウの用い た数字例を使って肯定的に解説しており (B,1842, Oct, pp. 462-464),純粋な (6) Post誌については底本として用いたTave[1966]のIntroductionを参照されたい。執 筆者の判別については,クロス・リファレンスと呼びうるほどの詳細な内容的・語公的調 査を踏まえて編集者Taveが推定しており,ここではその判断に全面的に依存している。OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ
132ー 香川大学経済論議ー 782 経済理論としては自由貿易のメリットを認める態度には変化がなかったと見る ことができる。しかし,それはあくまで純粋な経済理論の範囲内の帰結であっ て,次に続く穀物法擁護論を強調するための一種のレトリックと見ることさえ できる。Opiumで「悟性それ自体からアプリオリに……法則を演縛したJ(C,III, Pゅ431)としてリカードウを賛美して以来,経済学を異論の余地のない論理的な 演揮の体系とする見方はLogicまで一貫している。政治と経済学を対比させな がら ,
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誌でもこのような態度を表明している。 「単なる政治(merepolitics)においては,論理的な問題の形をとるものは何もない。それ ゆえ,かけはなれたアプリオリな理由にもとづく徽密な解決や発展といった余地はない。 他方,適切に言うならば経済学においては,単なる経験的統計を別にすれば,それ以外の いかなるものもありえないJ(T, pp..169-170)。 後のEasyや Logicでは,収穫逓減の仮定を批判することで,すなわちここで 言う「経験的統計」の問題を指摘することで,リカードウに対する異説を展開 していくことになるが,P
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誌では,経済に対する政治の優位論という立場か ら,穀物法擁護を行っている。経済理論の帰結がそのまま政策の指針にはなら ないというのがその骨子である。「一般的な政治的な慎慮」にもとづく幅広い考 慮からは,経済学とは別の結論が導かれることもあるとする。そしてこの「政 治的な慎慮、」は,損得勘定としての経済学に優先されるべきものと考えている。 「他方で,経済学に属するいかなる問題よりもはるかに高度な性質を持つ政治的便宜 (political expedience)は,諸外国に依存することと次のような有害な諸変化という二点 からこの〔穀物法〕問題に疑問を投げかける。その変化とは,大陸にわれわれの農業をか なり移すことによって,イギリス社会の構造にもたらされる変化であり,われわれの正直 な田舎の住人のかなりの部分を,不道徳な(vicious)製造業者によって霞き換えてしま い,そして計り知れないほど価値あるわが土地所有者階級をかなりの程度だめにしてし まうJ(T, pp. 176-177)。 食糧安全保障およびイギリス圏内の社会構造の維持という政治的問題は,比 較生産費説から説かれた国際分業の利益よりも上位に位置づけられたのであ る。それはいかなる経済学からも「超越した(trascendent)考慮」にもとづくも のであるとする。これがP
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誌における穀物法擁護論の基本的な立場であっ133-た。しかし,単なる農業保護論を展開しようとしたわけではない。
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年には 穀物法が改正され,穀価が低い時には高い税率を課し,穀価の上昇にともなっ ド・ て段階的に税率が下がっていくスライディング・スケーノレが導入された。 クインシーは改正に先立って,それを肯定する見解を1
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年 4月5
日付け記事 そこでは,収穫逓減を前提にしたリカードウ的な蓄積論の枠組 みを受け入れつつ,消費者」の利益と農業者の利益とのバランスを問題にして に書いている。!
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ド・クインシーの政治経済学再考 783 人口の増加に伴う穀物需要の増加よりも輸入を少なくしたとすれ もし, いる。 ば,農業者は保護されるが消費者の軽減(
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は少ない。人口の増加による需 要増に応じて穀物を輸入するならば,既存の耕作地が放棄されることはないか ら,われわれの農業利害を全く害することなし最も大きな軽減を消費者に与 このような水準に輸入量を調節する手段として, える J(T,p..344)ことになる。 スライデイング・スケーlレの利用が提案されているのである。 ここでは収穫逓減が前提になっているから,仮にこの提案どおりのことが可 能であったとしても,長期的に見るならば産業構造は徐々に変化していくに違 ここで重要なのは,関税を利用して輸入量を制御しながら, 圏内の経済構造を維持させるという考え方である。つまり,従来の保護関税を 継続した場合には,農業者の利益が次第に「消費者」の利益を上回ってしまい, しカ〉し, いない。 両者のバランスが崩れることになる。そこで,妥協的ともいえるスライディン グ・スケーlレを利用して,利害のバランスを図ろうとしたのである。スライディ ング・スケーノレについては,'
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年に導入されて以来の,ある価格までは絶対 的に締め出すことで保護するという原則の放棄を特徴づける」ものとも言われ ており(
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, もともとリベラル・トーリーの代表的人物で あったハスキソンがかねてより提案していたものであった。 したカまって, この 点についてはリベラル・トーリーの議論を受け入れていたと考えることができ る。 (7) この法案の妥協的性格については坂井[1990Jを参照されたい。反対派に対するポーズ の側面があるにせよ,ハスキソンらは法案成立以前に辞任しており,税率にも修正が加え られている(Gordon [1979J, p 57)。したがって,この改正を完全にハスキソンの意に 沿ったものとするのは留保が必要であろう。OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ
134 香川大学経済論君主 784
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誌の議論 1839年1月のマンチェスターにおける反穀物法協会全国大会の開催が契機 となり, ド・クインシーはB
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において穀物法擁護論を展開しはじめ る。後にLogicとしてまとめられることになる Easyの連載を挟んで, 1839年 2月から 1843年10月にかけて穀物法を主題的に扱った記事を3回,ロパート・ ピーノレについての論評中で語られた記事を2
回執筆している。その主要な論点 を検討しておく。 第一の論点は,穀物法が廃止されてもさほどイギリスの輸出工業品価格に影 響を与えないというものである。当時の穀物法廃止論者は,イギリスの繊維製 品が輸出競争力を失ってきたと不満を表明していた。穀物法→パン価格の上昇 →賃金の上昇→繊維製品の価格上昇→輸出競争力の低下,と考えて穀物法撤廃 を主張していたのである。ド・クインシーはこの種の議論の中には誇張があり, 穀物法が撤廃されたとしても,実際にはさほど製品価格が下がらないことを指 摘する。国内穀価が著しく高い年ではなく,通常の穀価の時に外国穀価と比較 するならば,たとえ穀物法が撤廃されたとしても小麦の価格は5分のlないし 4分の1程度下がるだけであること。労働者の賃金は全てパンの購買に当てら れるのではなく,せいぜい5
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程度がパンの購買に向けられるにすぎない こと。さらに,製品価格のうち賃金部分は4分のl程度でしかないこと。これ らのことから,製品価格は「既存の価格の 100分のl程度」しか下がらず,輸 出 競 争 力 の 回 復 に は 到 ら な い で あ ろ う と 推 定 し て い る (B,1839, Aug, p.. 171)。
第二の論点は,第一のものと必ずしも整合的とはいえないが,たとえ賃金が 下落したとしても製品価格は下がらないであろうというものである。第一の論 点で示された数字例は,賃金利潤相反関係が考慮されておらず,利潤率は一定 のままの数字例となっている。それゆえ,賃金の下落は必ず製品価格の下落に (8 ) 税関の報告にもとづいて,実際には木綿製品の輸出が低下していないという反論も 行っている(B,1842, Aug, p.. 279)。反毅物法協会については金子 [1987]を参照された し〉。-135-ド・クインシーの政治経済学再考 785 反映することになる。賃金の利潤に与える影響が考慮されていないこの数字例 しかし, ド・クインシーの理論的枠組みと抵触するもののように思われる。 は, という疑問 先の数字例の直後で価格の下落分は「消費者のものとなるのか?J そ が示されており I製造業者の利益」になるであろうことが示唆されている。 れに続く差額地代の説明の中でも,最劣等地における穀価が賃金と利潤とに分 解することが示されており,数字例の議論をそのまま受けとるには問題がある ように思われる。事実, 1842年に書かれた Easyは,賃金の引き下げが製品価格
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-の低下とは無関係であるという議論が冒頭に置かれている。そこでは Iリカー ドウの徒」ならば I価格は賃金から独立」であり I賃金の引き下げは価格を ことを主張しなければならないと明言している (B,1842, Sep, pれ339)。また逆に,全体として見れば製造業者は賃金の上昇を製品価格には転嫁 できないし,仮にそれが可能であったとすれば,それは貨幣価値の減価を意味 低下させない」 し,実質的には利潤が低下していると論じている箇所もある (B,1842, Dec, p. 734)。したがって,Dialoguesから Logicまで賃金利潤相反関係を経済理論の中 心に置いていたことを考慮すると,第一の論点における数字例は廃止論者の土 俵に立った上での反論と考えることができる。賃金低下による製品価格の低下 という廃止論者のロジック自体を批判的に見ていたのである。 第三の論点は,当時の主要小麦輸入先であったポーランドの輸出能力に対す る疑問である。すなわち,穀物法廃止論者は穀物法が廃止された後も,輸入穀 イギリスが輸入を増 価は従来どおりのままであるかのように議論しているが, ポーランドでも劣等地へと耕作が拡大し,輸入穀価は上昇するで あろうというものである。結局,両国の穀価水準が等しくなる5
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ないし48シ 大させれば, したカまっ て,廃止論者が考えているほど小麦価格の下落は大きくないことになる。ちな みに,穀物法廃止から 1870年代にかけての穀価と比較して見ても,この推定は リングまでしか下落しないと推定している (B,1839, Feb, p.. 176)。 (9) LogicにおいてもEasyと同様に,小麦(パン)が労働者の消費支出に占める割合の低い ことを繰り返して論じており,リカードウの賃金の想定が単純であることと,穀物法廃止 を唱える「扇動者」の想定が全く現実的ではないことを批判している。そこでは賃金変動 の価格への影響は論じられていない(C,IX, pp 221-223)。OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ
136ー 香川大学経済論叢 786 おおよそ妥当なものであっ足。なお,この論点には,収穫逓減を相殺する要因 である,知識,道路や運河がイギリスと比較してポーランドでは不足している ために,生産性の低下は急速に生じることが付け加えられている。ポーランド では「あらゆるものが生み出されなければならない。それを生み出すには,わ れわれのような法律や制度や国民的エネルギーが必要であるj
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, 1839,Feb
, p..175)と,ポーランドの後進性を強調している。 第四の論点は,第三の論点の裏返しでもあるが,イギリスにおける収穫逓減 の相殺要因の考慮である。「農業技術が高度で資本が潤沢にあるイギリスには, 改良された機械や工程が農業へ絶えず応用されていく点で,価格の上昇を抑え る川目刷相殺要因がある。……知識と富の増大によって, (価格上昇は〕邪魔され, 低く抑えられているj
(
B
,1839,Feb
, p.. 175)。ここには当時普及しつつあった排 水設備の整備をはじめとした,いわゆるハイ・ファーミングによる農業生産性 の上昇という認識がある。とりわけ科学技術の農業への応用に期待が寄せられ ている。「絶えざる改良によって,高度な技術と節約と科学によって,肥沃度を 高めるたった一つの新しい肥料によって,また労働に適用されたたった一つの 士程の節約によって, 1842年の第6等級の土地を 1742年の第3等級の地味に まで引き上げるかもしれないj
(
B
,1842,Oct
, pれ469)。農業における技術革新を 考慮することで収穫逓減を否定するのは, ド・クインシーがリカードウを継承 する際に欠かすことのできなかった重要なポイントでもある。農法の改良に よって穀物を輸入する必要がなくなるであろう,というのはBl
ackwood'sの典 型的な見解でもあった(
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[1960J, p.. 106)。例えばBlackwood'sfこしばしば 寄稿していたダラム大学の化学の教師であったJ
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は,グアノ肥 料の活用をはじめとした土質の改善によって,収穫の増大や未開墾地の利用が 司能になることを指摘している。既に知られている農法の改良が全国に広まり さえすれば, '25年で人口が3分のl増加しでも,次の4半世紀で外国からの (10)w
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Jacobなどへの言ー及はあるものの,この数字の根拠は明示されていなし〉。諸外国の 小麦輸出能力に関する当時一般に行われていた推定と,それが穀物法論争で持つ意味に ついては服部[1991Jを参照されたい(pp.14-32, pp.151-176)。本節の議論はこの論稿に 多くを負っている。787 ド・クインシーの政治経済学再考 137-〔穀物〕供給から脱却するであろうJ(B, 1842, Jun, p..739)と楽観的に見てい る。穀物法廃止後のいわゆる「農業の繁栄」に照らして見れば,このような見 方も必ずしも誇張とは言い切れない予測であったと言えよう。 第一の論点を度外視してここまでの論点を整理するならば,賃金と工業品価 格との関係や,農業生産性に焦点を当てた議論を見ると,ベースに置かれてい るのはリカードウ的な枠組みということができる。もちろん,それはリカード ウの利用と言うよりも逆用といった方が適切かもしれないが,当時の穀物法論 争の状況に照らせば,穀物法擁護論者がリカードウ理論に固執していたことは さほど不自然ではない。というのは,しばしば指摘されてきたように,穀物法 廃止論者はリカードウ的枠組みをあまり利用しておらず,むしろそれから脱却 しようとさえしていたからである。穀物法論争を「リカードウ派経済学の歴史 への皮肉な批評」とするプラウグは r最終的に1846年に穀物法廃止を獲得す ることになった宣伝活動はたいてい,リカードウの著作の精神や字句とは正反 対の論拠に基づいていた。 1840年代の自由貿易論者たちは,自分たちが否認し ている親の子供であったJ(Blaug [1蹴], p 209/314頁)と言
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。例えば,穀物 法廃止が労働者の利益になることを示す必要があったマンチェスター派にとっ て,賃金増加と利潤上昇を説くためには賃金利潤相反論は障害でさえあった。 それゆえリカードウ的価値論から需要重視の経済論へと移行していくことにな る。 Easyで導入され, Logicへと展開されていった内在的効用の議論を見れば明 らかなように,需要重視の姿勢はド・クインシーの中にもあるし,さらに言え ば,Easyの中には,超過供給による需要不足論を論じている箇所さえ存在する。 (ll) この逆説は1840年代以前からの検討を要するかもしれない。「議会の議論でのリカー ドウへの支持は,主に貴族(ほとんど大土地所有者であった)とその多くも広範な土地利 害を有する法律家から寄せられたI(Gordon[1976J, p.3)。服部 [1991],p 74。 (12) 熊谷[1991], p.42-78。マンチェスター派は, リカードウ的自由貿易論から脱却して, I穀物自由輸入→外国におけるイギリス製品への需要増加→需要増加による商品価格の 上昇とそれに伴う利潤増加→労働需要増加→賃金上昇というシェーマJ(p肝46)に移行し たとされる。なお,マンチェスター派のマレットは,ド・クインシーの効用と獲得の困難 による価値決定論を援用している(熊谷 [1991], p. 142)。 (13) リカードウとの相違点として自覚していたことでもあるが,蓄積ーがあまりにも急速すOLIVE 香川大学学術情報リポジトリ
-138ー 香川大学経済論議ー 788 しかし,穀物法擁護論に限定するならば,イギリスにおける農法の改良と穀物 輸出国の生産力低下こそがその論点の中心であった。つまり,リカードウの理 論的フレームワークを利用しながら r経験的統計」の問題である生産力に関す る仮定を否定することで,穀物法擁護を試みていたといってよいだろう。した がって, ド・クインシーはリカードウの理論を肯定して政策を否定していたこ とになる。 圏内の農業生産力の高さを強調する議論は,穀物法廃止による輸出競争力の 回復といった主張に対しては批判になっている。しかし,このような主張は, たとえ穀物法を廃止しでも農業が大きな打撃を受けることはないという議論に なってしまう。事実,コブデンらが穀物法廃止論を展開するときに,自由貿易 は農業に大きな打撃を与えないということを一つの論点にしていた。ド・クイ ンシーも植民地特恵関税の議論が浮上してきた1843年段階では,カナダの小麦 輸出能力およびカナダ経由で流入しかねない大量のアメリカ産小麦一一
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年 代 以 降 現 実 の 問 題 と な る 一 一 ー に 懸 念 を 表 明 し て い る (B,1843, Oct, p 543)。しかし,農業保護という観点から見ると,ド・クインシーの穀物法擁護論 はその論拠が弱いと言わざるをえない。そもそも現行のスライディング・スケー ルによる穀物法の目的は,穀価引き上げによる農業保護ではなく,気候や季節 的な要因による穀価の急激な変動を抑制することで,農民が安心して農業に専 念できるようにすることにあると言っている (B,1843, Oct, p.. 542)0Post誌で 述べられていたように,穀物法擁護の意図に既存の農業あるいは「土地所有者 階級」の維持があったことは言うまでもないが,単なる農業保護論とは別のと ぎる場合にはバランスが生産の側にますます偏って」消費を上回る可能性があり,そ の場合には「政府が借金によって浪費家になるJ(B, 1842, Oct, p.469)ことが肯定的に認 められている。この点は,リカードウからの希離の証拠としてリカードウの信奉者で あるド・クインシーさえ過剰貯蓄を認識していたJ(Gordon [1965J, p.. 443; Gherity [1962J)と評されている。しかし,過剰貯蓄論を論じる場合には, トーリー保守派の多く に共通していた政府支出削減反対論の影響と, 1838年からの深刻な不況下での時論的な 性格が強いことも考慮すべきであろう。 Post誌には供給増大が必然的に供給過剰になる かのような議論もある。しかし,この記事の執筆者の推定については‘probably'という留 保が付されているが,ド・クインシーと見るのは無理があるようにも思われる(Tave [1966J, p.. 156; p. 158)。
789 ド・クインシーの政治経済学再考 -139-ころにも擁護論の意図があったように思われる。 そこでド・クインシーの労働者観を見ておきたい。第一次選挙法改正運動が もたらした民衆運動の高まった時期に,大衆の潜在的な不満への恐れを表明し ている。この恐怖心はチャーチスト運動が高揚していく時期に,労働者階級を (I~ 危険視する発言へと変っていく。 「プランスもロシアもわれわれにとって本当の脅威の根源、ではない 凶。われわれの国の 住民である,労働者たちこそがこの間もっとも治安を脅かす態度をとってきたの、である。 全ての労働者たちがジヤコビ、ニズムに汚染されている。自然的な繁栄の支柱であり条件 である富の不平等を,彼らは実定法の結果にすぎないとあまりにも容易に考えがちであ る。J(B, 1842, Aug, p 272)。 「フランス,ドイツ,イギリスで,おそるべき つの階級が財産の体系的な敵となりつつ ある。野蛮で残酷な本能を持ち,キュクロプスのように盲目で力がある,この反社会的な 逆上は希望のない貧困という傾向の中に極めて深い根を持っているJ(C, IX, p 250)。 しかし,労働者階級を本来的に危険な階級と見ていたわけではない。ド・クイ ンシーは
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代の時に下層民に混じってロンドンを俳佃し,時には彼らに救われ たこともある放浪体験を持っており,貧しい階層に対して温かい目を持ってい た。また,Blackwood~s の論者に共通するトーリー・パターナリズム的な労働者 観も共有していた。本来の労働者のあり方と見ているのは,従順で「節制」と 「忍耐力」を持つ労働者像なのである。 「道徳的な簡について語るならば,大きな節制のカが,忍耐と辛抱のカが,本質的な正義 の力が,どこであろうとも必要とされる時にはその[貧民)階級の中では働いている。こ の島の労働者たちは生まれながらにして嫉妬深かったり,他人が持っている便宜を妬ん だりするのではない。この島には一人として自分の子供を富裕な人間に対して横柄な態 度をとるように育てるものはいない。彼らは普遍的に,生まれとか地位による特権を自然 に敬ってきたのであるJ(B, 1842, Aug, p.272)。 地主・農民間にあったこのような関係を破壊し,労働者階級を危険な階級へ (14) r政治的に言えば,古典派経済学者はジェームズ・ミルの急進主義からド・クインシー のハイ・トーリズムまできわめて多様であり,それに応じて‘mob'に対する態度も異なっ てくるJ(Coats [1967J, p. 108)。 (15) Annという貧しい少女から施しを受けた経験は終生大きな影響を与えたと,多くの伝 記作家が語っている。 West[1974J, pp.. 58-62; Eaton [1972J, pp.83-87OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ
140ー 香川大学経済論叢 790 と変質させてしまう責任は,政治的扇動者にあると見ている。そのーっと見な されたのが,穀物法廃止論者であった。労働者の望ましい道徳を破壊させてし まう r人をあざける間違った指導者のうち穀物法反対同盟ほど有害な活動を 行っているものはいないj(B, 1842, Aug, p.. 272)。第一次選挙法改正を巡る運 動においては,必ずしも労働者の取り込みに成功しなかった中産階級が,穀物 法廃止を労働者の利益と結び付けることで穀物廃止運動の中で再度取り込みを 企てたものと言われている。ただし,オコナー派チャーチストたちに見られる ように労働者の足並みが揃っていたわけではない。その点をド・クインシーは 強調して r最も貧しい労働者でさえもj,穀物法廃止は賃金の引き下げをまね (16) くだけであり労働者の利益にはならないことに気付いていると主張する。 「あらゆる労働者が今では次のような見解をとりつつある。,.… 〔反穀物法〕協会に対す る信頼は限定されたものである。 ーあなた方[コプデン氏ら)はパンの価格を下げるこ とに成功するかもしれないが,それは土地に根ざしたわれわれの秩序を損ない,戦争や飢 鰹の時の国家の安全を危うくすることを伴う引。あなた方のうちのもっとも正直な人 間でさえも,
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小麦価格の下落分に相当するJ1シリングにつき3ファージング分賃金を 引き下げるであろう。 …ずる賢い連中はし 5,6ファージングと引き下げることであ ろう ~J (B, 1843, Oct, p.539)。 ド・クインシーもランカシャー木綿業協会の主張を欺踊的なものと見ており, 「彼らは,空気の城と想像の利益,観念の復帰財産権を売っているj (B, 1843, Oct, p..539)と批判する。マンチェスター派的な階級調和論に対して,賃金利潤 相反論を用いて労働者と製造業者との対立関係を明確にさせるところに,この 議論のねらいがある。利潤の低下を伴う賃金の上昇は好意的に語られている。 例えば,いわゆる価値修正論における「奇妙な効果」から,賃金の上昇は有害 ではないという主張を, 1827年のP
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誌以来一貫して行っている。つまり,機 械を大量に用いる生産物では,リカードウの数字例が示しているように賃金が 上昇すると価格が下落することがありうる。ここから r賃金の増加は全く害悪 ではないj(T, p.. 34; B, 1842, Dec, p..736)と主張し,これをリカードウの「偉 (16) 反穀物法同盟を批判した代表的チャーチスト John Campbellの議論については, Barnes [1961J, pp.247-249。オコナーについては金子 [1987J,p.610791 ド・クインシーの政治経済学再考 141-大な発見」と賞賛している。このような主張は多分に誤解にもとづくものと言 えるが,いずれにせよ賃金の上昇が利潤の下落をもたらすことを確認したうえ でなお,賃金上昇を好意的に見ているのである。ド・クインシーにおける賃金 利潤相反論の意図は,リカードウ派社会主義のように階級闘争の根拠としてで はなく,労働者と製造業者との連携を切り離し,再度労働者を旧来のパターナ ノレな関係に引き戻すところにあったといえよう。ここに穀物法を擁護しながら, なおかつリカードウ経済学に回執したひとつの理由がある。もちろん,この議 論は直接,労働者に向けられたものではない。リカードウ経済学の啓蒙である Easyは,経済学に無理解なトーリ一陣営の穀物法擁護論に,経済学からの論拠 を提供しようとしたものであったと見なければならない。 III 均 衡 概 念 ド・クインシーは,力学(機械学)に由来する用語を多用しており,差額地 代の説明の中では機械そのものを比日前として用いたりもしている。力学に由来 する用語によって,変化を生み出す能動的な意味を表現している場合もある。 例えば,有名なところでは,文学の区分として用いられた「力の文学」という 概念があるが,それはまさに能動的に「動かすこと」を意味するものであった
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。しかし,それとは逆に作用力と反作用力とが均衡し,静止をも たらすことを表現するのにも力学的用語は使用されている。特に,経済社会と 政治を表現するのに用いた「バランス」と「均衡」という概念は,この後者の 用法を代表していると言える。 McDonagh[1994Jは, ド・クインシーの用い た均衡概念はコールリッジが『俗人説教.~ (1817)の中で‘lexequilibrii'として 表現し,後の『国家と社会~ (1829)へと展開していったバランス論に由来する ことを示唆している(即日36-37)。この説明が正しいとすれば,経済学そのもの を否定的に見ていたコールリッジとは違って, ド・クインシーは経済学にまで (17) r機械」という比喰はこの時代の流行でもある。 r1829年の『時代の兆候』においてカー ライルは,政府でさえも『社会の機械』と呼ばれるほど,機械そのものがこの時代のあま りにも支配的な比聡になってしまったと抗議したJ(Gaull [1988J, p..138)。
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-142ー 香川大学経済論叢 792 均衡概念を拡張させたと言うことができる。 もっとも, ド・クインシーの場合も経済学よりも先に ,
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誌(1828)の政治 。 目 的 論 評 の 中 で 均 衡 に 関 連 す る 表 現 を 使 っ て い る 。 ド ・ ク イ ン シ ー は , ハ リ ン ト ン に 由 来 す る 士 地 に も と づ く 勢 力 均 衡 を 出 発 点 に し , そ の 均 衡 の 移 動 を 通 じ て イ ギ リ ス の 政 体 の 変 遷 を 説 明 し て い き , 最 終 的 に は ト ー リ ー と ウ ィ ッ グ と の 勢 力 の 均 衡 が 望 ま し い と 結 論 を 下 し て い る 。 政 体 を 「 政 治 的 な シ ス テ ム に お け る 勢 力 均 衡J(C,IX, p..320)という意味で捉え,イギリスの政体は両党がなければ 成 立 し な い と 考 え て い る 。 そ し て 両 党 の 望 ま し い あ り 方 に つ い て 次 の よ う に 述 世 田 べている。「……〔両党には)二つの等しく同等の利害一一人民の利害と王権の 利 害 一 一 の 保 護 が 託 さ れ て い るJ(T,pれ352)。あるいは, トーリーの義務は「貴 族 的 勢 力 に 限 る こ と 」 で , ウ ィ ッ グ の 義 務 は 「 民 主 的 勢 力 に 限 る こ と 」 で あ っ て , 実 際 の 政 体 は い ず れ か で 決 ま る の で は な く 「 両 者 の 賢 明 な 中 庸 (tempera-ment)から成り立つ J(C, IX, pド338)と考えている。 こ の よ う な こ 党 体 制 に よ る 政 体 は 必 ず し も 安 定 し た も の で は な く , 均 衡 が 崩 壊する可能性も秘めていることになる。むしろ, 1830年代の政治的論評で繰り 返されたのは,過去の均衡が消失しつつあることへの恐れで、ある。「イギリスの (18) 均衡概念をハリントンと結び付けている箇所はあっても,管見の及ぶ限りでは直接名 前を挙げてコールリッジと結び付けている箇所は見つけ出せなかった。コーJレリッジ自 身がハリントンから勢力均衡論の影響を受けていたとされるから(Morrow[1990], pp 30-31 ; pp.. 133-140),コールリッジ経由でハリントンを受容したのかもしれない。もっと も,政体論争の中?は「均衡政体」という考え方は一般的なものでもあった。なお, ド・ クインシーのうちにはパークからの影響も認められる (Tave[1966], pp.16-17;pp.199 206)。経済学と政治との関係,とりわけ政治の優位論を考える場合にはこれら思想的な源 泉の検討が必要不可欠であるが,今後の課題とさせていただきたい。 (19) Post誌では「ハリントンがオシアナの中で巧みに発展させたagrarianbalanceJ (T, p 395), Toryismでは「市民的勢力とその equilibriumはlandedbalanceの分配だけが決定 する,とハリントンは言っているJ(C, IX, p 320)。 (20) Toryismではイギリスの政体にはこつの偉大な力が存在している。この政体は両者 の均衡によって統合が維持されている。それはあたかも,一つの軌道に惑星を留めておく 合力が,遠心力と釣り合う求心力から成っているようなものであるJ(C, IX, p..331)。 Partiesで は … i正式に言うならば,力学におげる作用と反作用のように,両者は共存 せずには存在できない。それぞれが半球をなしており,両者が結合して完全な球ができ る,というのが両党の関係の正しい見方であるJ(C, IX, p.373)。7
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ド・クインシーの政治経済学再考 143-政体で作用しているような絶妙なバランスの体系は,一方の側あるいは他方の 側でその均衡が撹乱してしまうことを恐れる理由が絶えず、存在するJ(C,IX, p 373)。その原因は, ド・クインシーの見るところでは, 1790年ごろから始まる ウィッグ,トーリー両党の変質にある (C,IX, p 336)。その一つがウィッグとラ デ、イカルとの連合という事態である (C,IX, p..320)。しかし,より大きな脅威と して感じられたのは, トーリー・リベラリズムとして顕在化していくトーリー の変質である。トーリー内部の変質によって, トーリーとウイツグの従来の均 衡が永久に失われてしまうことが懸念されたのである。P
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誌においてド・ クインシーが攻撃の矛先を向けたのは,カニング,ハスキンソンらトーリー・ リベラリズムの先導者たちであった。1829年のカトリック解放を巡るトーリー の分裂,さらにはウィックキへの政権交代は,危慎が現実となったものと受け止 めている。 1831年に執筆されたR
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は第一次選挙法改正直前の状況を 論評したものである。そこでは,カトリック解放を「無政府状態」をもたらし た「変節」として批判し,グレイ内閣に措抗する「秤の反対側のc
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J が喪失した状況を述べている。「時間と人間の英知が協力して育んできた真なる 古来からの勢力の均衡は崩壊した。仰い…"偶然的な盲目的作用にわれわれの安全 は委ねられた。……変化が無限に続くことは確実であり,それに終止符を打つ であろう種類の破局は測り知れない暗閣の中につつまれている……J(B, 1831, Aug, p..329)。このように 1820年代後半から 30年代初めにかけての政治的著 作の中で,崩壊し消失していく旧来の政治的均衡が描かれたのである。ド・クイ ンシーが懐古しているのは,まさに「かつて存在したが,今や永遠の暗閣の中 で,絶えざる変化の中で,消失してしまった偉大な統一とバランスである失楽 ω 園J(
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[1966], p. 17)ということができょう。 (21)M
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は「二党体制が現状を維持するJ(p3
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ことを強調しており,二党 聞での均衡論は急進主義などの第三勢力を排除するための議論と見ている。この議論は 必ずしも間違いではないが,二党体制による現状維持はあくまで期待であって,きわめて 悲観的に見ていたとしなければならない。 (22) トーリー・リベラリズムに対するド・クインシーの反応についてはT
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144- 香川大学経済論叢 794 それでは経済学で用いられた均衡概念を検討することにしよう。 1842年の
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の記事から,力学や均衡に関する表現が経済学でも用いられるよ うになる。価値に関連する議論の中で, power, resistanceなどの言葉が使われ ている。例えば,内在的効用である powerと獲得の困難である resistanceから 価値の決定を説明するといった具合である。また市場の需給均衡に関連するも のとして rどんな経済学者でも,需要と供給の均衡を撹乱させるような変化が おきた場合には,その均衡の回復が再度起きるであろうことを知っているJ(B, 1842, Aug, pド280)という言い方をしている。内在的効用によるド・クインシー の価値決定論を強調しようとするならば,ここから現代的な部分均衡論の先駆 的表現を読み取ることもできるかもしれない。しかし,これとは違った意味で も均衡という表現を用いていることに注意する必要がある。 需給均衡の考え方はベイリーらの批判からリカードウを擁護するために導入 されたものであって EasyやLogicでも価値論の中心に位置していたのは労 働価値説であった。 Easyの中で,需要と供給とから「価格法則」を説明するこ とは,必ずしも間違いではないことをド・クインシーは認めている。しかし, それに続けて「それは問題の核心とは全く無関係でトある」と明言している。「需 要と供給との関係だけでは価格を生み出すことはできない。それは過去の価格 を,すなわち前もって与えられた価格を変動させるJ(B, 1842, Dec, p“733)だ けであると見ている。リカードウ派からの靖離の根拠ともされる内在的効用論 をド・クインシーは次のように位置付けている。物品が持つ内在的効用は「自 然的なスケーノレと呼んでよいものを構成する」が r社会が拡大するにつれて, この法則はきわめて人工的な配置(arrangement)へと次第に席を譲っていく。 その配置の中では物品それ自体に内在するものでは全くなく,完全に外的な外 在的なものがスケールを支配している。すなわち,物品を再生産する困難に付 随する費用すなわち抵抗であるJ(B,1842, Dec, p.. 722)。つまり,商品経済の発 展につれて,再生産に必要な労働量が「価値法則」を支配していくこと,言い 換えればリカードウ経済学の世界が支配していくことを主張しているのであ る。この直前で価値論に基礎をおく経済学が流体静力学(Hydrostatics)の比日前795 ド・クインシーの政治経済学再考 145ー を用いて説明されている。 , (流体静力学では〕ある流体の起こりうる配置が与えられれば,その均衡が決定される。 l 価値の配置が与えられれば,その均衡が決定される。例えば,労働の価値が撹苦しされ た時に,賃金,利潤などの間での一般的均衡(generalequilibrium)の撹乱が,いかにし て是正されていくかがどんな場合でも明らかにされるJ(B, 1842, Dec, p.722)。 ここで語られている「一般的均衡」は,労働価値説を基礎にすることで解明 。 泊 された賃金と利潤との対抗的な分配関係のことである。これは,リカードウ経 済学によって柾会全体を貫く「一般的均衡」が解明されたことに対する賛美の 表明でもある。しかし,ここにはリカードウが描いた利潤率の低下傾向は存在 しない。既存の社会構造が安定的に継続していくイメージこそド・クインシー が想定し,また願望した世界である。そして,それを描くのにふさわしい経済 学という限りで,リカードウ経済学が受け入れられたのである。それは換骨奪 胎したリカードウの継承といってもよいだろう。その際,経済社会が安定した 一般的均衡を実現していくためには,生産力に特殊な想定が持ち込まれること になる。賃金の変動傾向についてド・クインシーは次のように見ている。食料 価格はゆっくりと上昇しているが,衣服や他の製造品が下落していることで「だ いたいはバランスしているJ(B,1842, Sep, p,.352)。つまり,農業生産力のゆっ くりした低下と工業生産力の上昇とが相殺しあい「バランスJすることで,賃 金水準は一定に保たれていると考えているのである。このような生産力の仮定 は一種の農工均衡論と言ってもよいだろう。そして,それをひとたび受け入れ てしまえば,リカードウ経済学は利潤率として示される階級関係の安定性,ひ いては安定した経済社会の一般的均衡を保証してくれることになる。 もちろん,このような仮定を将来的に保証してくれるものは存在しない。し たがってLogicでは,過去100年以上にわたるデータをもって利潤率が安定し (23) Styleでは,個々の理論に分解できず,体系的な理解が必要とされる例として経済学を 挙げている。地代や利潤等々の理論は「価値の学説」と「相関関係(function)Jにあり, 両者を切り離すことはできないとしている(C,X, p.185)。リカードウの持つこの体系性 を取り上げてロマン派の詩人のように, リカードウは無秩序の中に秩序を見出す」点 がド・クインシーを引き付けた(McDonagh[1994], p.58),とするのは妥当な見解であ る。
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~146ー 香川大学経済論叢 796 ていたことを主張し,将来については「われわれの手にその多くがかかってい るJ(C,IX, p..294)という希望的観測が述べられているにすぎない。Easyでは農 工間での生産力の「バランス」に続けて r大多数の人類にとって,実際の平衡 (equipoise)はProvidenceによって維持されているJ(B, 1842, Sep, p.. 352)と 述べている。したがって,文字どおりに解釈すmるならば,経済社会の均衡の背 後には神学的世界が置かれていたことになる。ここで語られている Providence をどのように理解すべきかは, ド・クインシーの神学に関する著作を検討する 必要があろう。いずれにせよ重要なのは,ここ、で想定されている「平衡」や「バ ランス」の前提には,現行の穀物法体制が置かれていることである。その意味 では,穀物法を維持できる政治体制が間接的に経済社会の均衡を支えていると 言ってもよいだろう。 McDonagh[1994Jが指摘しているように ,Blackwood' sの多数派は市場を否定的にとらえたのに対して rド・クインシーは市場を問 題の側面としてではなく,問題の解決の側面として引き合いに出した J(p52)と 言ってよい。確かにド・クインシーは市場否定論ではないし,そこに経済学に 着目した一つの理由を見出すこともできるであろう。しかし,この市場肯定論 は穀物法維持という前提条件の下で説かれたものである。その意味では,無限 定に市場を肯定していたわけではないし ,Post誌で展開された経済に対する政 治の優位論とでも言うべきものが背景にあると言わなければならない。
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工業化の認識 もし,政治的な均衡が穀物法の存続を保証するものであり,それが経済的均 衡の前提であるとするならば, リベラJレ・トーリーの台頭とともに 1820年代末 から 30年代初めにかけて政治的均衡が崩壊してしまったという悲観的認識と, 1840年代初めに再度経済学の中で均衡概念が復活したことは一見すると奇妙 に思える。経済学をアプリオリで論理的なものと性格づけたところにド・クイ ンシーの特徴があった。それゆえ,この理由を安易に時代状況と結び付けるこ とは問題があるかもしれない。しかし, 1841年にウィッグのメノレボーン内閣が 退陣し,第二次ピール内閣が成立したことと関係しているように思われる。実-147-際のところは,内閣成立直後からトーリーは分裂の傾向を含んでおり,周知の ように46年には穀物法撤廃へと踏み切り,再分裂に陥っていく。このような結 ド・クインシーの期待した穀物法存続は望むべくもないよう 果だけを見ると, にも見えるが,少なくとも公的な発言を見る限りでは45年ごろまでビールは穀 物法擁護をうたっており,-現行の穀物法は重力の法則のように不動のものであ るJ(B, 1842, Apr, p.. 539)とド・クインシーも期待を寄せていたのである。 し このような期待は1844年のLogicまでであって,穀物法廃止直前には, カ〉し, 業 工 政治・経済における均衡の期待がすでに過去のものであることを認識し, 化に対する評価も一変してしまう。
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誌においては製造業者を‘vicious'と表現していたように,工業に対する しかし,科学技術や工業化に対する態度は 嫌悪感を早い段階から述べていた。 ピーノレの議論によ ここで,機械肯定論を見ておこう。 きわめて両義的である。 りつつド・クインシーも 1838年不況下での失業について,穀物法ではなく機械 この時期に機械の更新が集中しており, にともなって機械の改良も行われていることが,失業の本当の原因であるとす ド・クインシーの政治経済学再考 797 それ の更新にその原因を求めている。 一部の労働者を時代遅れにし このように穀物法問題を機械問題へと移しかえっ 。 ゆ っ機械批判を行っていく議論は,B
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での多数意見でもある。しかし, さらに,改良された機械は労働者を駆逐し, てしまうことも認めている。 る。 ド・クインシーは更新に要する期聞は3年程度であり,更新が終了すれば改良 された機械によって生ふ産量は増大し,長期的には解雇された労働者以上の雇用 をもたらすと主張する。最終的には,-あらゆる機械の改良は善であるJ(B, 1842, Aug, p“276)という結論を下している。また,すでに述べた,リカードウ と賞賛した賃金上昇による価格下落論も,機械の普及と労働 の「偉大な発見」 (24) この時期の政治過程については主に東田[1976Jの整理に依っている。ピールについて のド・クインシーの評価は概ね好意的である。 Revolutionでもカトリック解放の捻進者 ピールを必ずしも酷評しているわけではないし,1842年には「全立法者の中でピールは法 の精神にもっとも近い人間である」と評している (B,1842, Apr, p.538)。 (25) Berg口
980J,pp.253-268 Bergは機械擁護と経済学肯定論をほぽ同一に扱い,その 主体を中産階級に求めている。OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ
148 香川大学経済論叢 798 者の利益とを結び付ける論調になっていた。少なくとも穀物法擁護論に限定す るならば,直接的な機械批判は行っておらず,技術進歩や工業化の進展全般に 対して肯定的な評価を与えていた。そもそも知識と富の増大,改良された機械 の農業への応用は,収穫逓減を相殺する要因であり,穀物法擁護論での中心的 な論点でもあった。それゆえ「製造業の繁栄は農業の繁栄の必要条件である」
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といった表現まで行っていたのである。 「国家機構の中での道徳と科学の革命,知識を交錯させ,カを増加させ,コミコニケーショ ンの手段を倍加させる革命,これらの革命が〔近年の文明における〕静かな変化の速度を 信じ難いほどに支えているJ(B, 1843, Oct, p..538)。 これはポーランドと比較してイギリスの生産力の優位性を誇っている一文で ある。このような工業化に対する楽観的な態度は,先に述べた一種の農工均衡 論に支えられたものでもあった。工業化そのものに支えられていたこの均衡論 は,政治的均衡と同様にきわめて危ういバランスの上に成立しており,自らの 均衡を掘り崩す変化に基盤を置いていたと言うべきである。トーリーの再分裂 が避け難くなった時期に出版された1
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を最後にして,ド・クイン シーは経済学への言及をほとんど行わなくなる。イギリスの優位性を誇ったの と ほ と ん ど 同 じ 事 態 は ,L
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へと一転している。 「すでに,地上の諸々の王国内部での50年にわたる強力な革命の進行やら,膨大な物理的 作用カの不断の発展 あらゆる方面に応用される蒸気力,人間の奴隷のごとく操られ る光,教育の上に舞い降りる天来のカと印刷術の加速化,火砲の上に巡り来る地獄からの 力と破嬢力一ーやらで,いかに冷静な観察者の眼といえど香しされずにいない。もしこ の巨大な進歩の歩調を遅らせることができないなら(これはとても期待できないこと だ),あるいはこちらの方が幸いにも可能性がありそうだが,それに対応する大きさの対 抗力,つまり宗教や深遠な哲学へと向かう力によって対処し得ないなら,この混沌とした 激動をそのままに任せるなら,事態は答惑へと向かうのは必定,それは明々白々となる」 (C, XIII, p.3.34)。 ここには政治的,経済的均衡への期待はない。トーリーの変質に際して1
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で語られた I偶然的な盲目的作用にわれわれの安全が委ねら799 ド・クインシーの政治経済学再考 149-れ たj,変化が無限に続く」世界が,再び姿を現したと言ってよいだろう。目前 に迫ってきた穀物法撤廃の予感も,工業化の評価をこのように一変させた大き な原因であったと見ることができる。しかし,穀物法撤廃の直接的な引き金と なったアイノレランドの馬鈴薯飢僅は45年秋であり, Suspiriaの掲載がその年 の3月であることを考慮するならば,科学技術の進歩,工業化の進展の評価そ 白 日 のものも変化したと考えるべきである。 Suspiriaの中には「社会的本能にもと づくこのあまりにも激烈な生活J(C, XIII, p..335)という表現がある。この「社 会的本能」とは経済社会それ自体の力であり,保守的な期待が込められたド・ クインシーの社会像では,もはや把握しきれない事態の出現と言ってよいだろ う。混沌とした社会から救済される唯一の方法は,内面的世界-を見つめること のみである。 Opiumですでに克服したはずの「阿片の効用」が, Suspiriaでは 再び工業化社会の中で喪失した「夢見る作用」の回復剤として説かれることに なる。他方, Opiumにおいて「宗教や深遠な哲学」と同等の位置を占めていた はずの経済学は,ここではその地位を失っているのである。 V 結びにかえて Logicにおける内在的効用論だけに着目するならば, ド・クインシーが「消費 者が中心的な役割を果たすという彼独自の見解」を述べて,欲望」に支えられ た「消費経済の秘密」を解き明かそうとした(McDonagh[1994J, p..60)とする 主張は間違いではない。しかし 'Logicではリカードウの教えをかなり放棄し た」という主張は不適切である。このような主張からは,歴史的にはますます 「消費経済」が展開していく時期に, ド・クインシーが経済学への言及を止め てしまった理由が説明できない。そして,矛盾」点のみが強調されるだけで, ド・クインシーにとっての経済学が持っていた役割も不明のまま残されてしま (26) Coach(1849)を,鉄道ブームの時代に郵便馬車への懐古を綴った作品として読むこと もできるだろう。Easyではまだ肯定的に評価されていた鉄道も(B,1842, Sep, p.. 352), Coachでは「鉄の管とボイラー」からなる「新しい旅行システム」は r速度だけを自慢 するJr我々の生命力のない知識の証拠」となっている (C,XIII, pp.281-282)。
OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ
-150ー (訂) 〉 つ。 香川大学経済論叢 800 反穀物法陣営がリカードウ『原理』を放棄したのとちょうど逆に, ド・クイ ンシーはリカードウに依りつつ穀物法擁護論を展開した。一種の農工均衡論と でも呼べるような生産力のバランス論を仮定しさえすれば, リカードウ経済学 は穀物法体制の下で従来の社会構造の存続を保証するものとして利用できたか らである。つまり rリカードウの分配論と蓄積論は, ド・クインシーの政治的 立場に都合よく改変することが容易でトあるJ(柳沢 [1992J,p..36)ということに なる。このようにして描かれた保守的な経済像は,喪失してしまった政治的均 衡の代わりになるものと見ていたのかもしれない。しかし,実際のところ工業 における生産力の上昇は,農業における生産力の低下を相殺するどころか,そ れをはるかに上回るものであった。それゆえ,保守的な経済像は崩壊する運命 にあったと言えよう。 最後に,従来ウルトラ・トーリーの代表とされてきたド・クインシーの政治 的位置付けについて触れておきたい。トーリーの「原理」の放棄は旧来の政治 的均