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ア.~'\~.,べ w ヨ

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(1)

滋 賀 県 立 大 学 人 四 叫q 文 化 学 r r ,f ﹄ ・ 部 研 究 報 主と J:l

入居司玄化

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.もくじ・

巻 頭 言/小 林 清 一 …

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1

・論文

二ウス物語と「事件」

の通賠

のぞきからくりの継子語における物語構造

/

細馬宏通

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2

息子たちの家を巡り歩く父母

台湾における

輪伐頭

をめぐって

/

玉齢

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1

2

滋賀県下における明治前期作成の地籍図の再検討

/

古聞大樹…...・・

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・・・..・

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1

9

国際比較調査研究の体験ノート

(

4

)/

大橋松行..・

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2

8

インド仏教遺跡サンチ

、サッ夕

ーラ修復

保全

ならびに世界遺産としての仏教文化景観圏の提案

/土井崇司

4

0

・研究ノート

自分の「忘れ」に気づくこと

忘却の自然誌へのアプローチ

/

細馬宏通

.

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5

3

r

lJリイ・シュシュのすべて』

のリアル

差異の具現化と映像表現一 /

大井桂太 ー

5

9

・地域フォーラム

徳山村と北海道

大地にロマンを求めて

い ト /

野部博子

6

6

「聴き取り調査」を考える

一地域文化の再生への参画をめざして

/渡辺大記

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7

4

・ 滋 賀 の 考 古 学 第

5

甲賀寺・甲賀(紫香楽)宮研究の現状と課題/畑中英二

8

1

・生活デザインの現場かう

3

テザイン教育と地域連携事始め/

印南比日志..

•••••••• .

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8

7

・人間文化通信

新任教

員メッ

セー

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上原結子原画展...

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9

8

編集後記

.イタリア紀行より・

イタリア各地域の建築は、それぞれデザインや様式がユニー クで、そしてセンスがすばらしい。 なかでも南イタリアは不思 議な田舎町が多く残されていて、カンパニア地方、アマルフェ 海岸、表紙絵のアルベロベツロはトンガリ帽子の屋根の 家 (ト ウリヅリ)でよく知られている。 J ア.~'\~.,べ w ヨ プ リア地方に位置する三か所が世界遺産になった。メルヘ ンの世界を見るような集落であるが、よ く見ると防御的で合理 的な構造となっている、擬灰石を平穏みにして、屋根T良部に白 漆喰を塗っている。 集落は台地に建造され、 地盤は擬灰石で地下を少し掘ればス ライスされた石が段層となっている。 身近な建材を使った、安 価でお酒務な家であるO 絵 ・文/安土 優

(3)

か 苧 日 連 凋

.

守 ﹂

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学部長 アメリカでは、19世紀末に最初の大学改革が行われた。ジョンズ ・ホプキンズが研究を中心にし た本格的な大学院大学として設立されたのは1870年代であった。この大学は鉄道事業で財を成した ジョンズ・ホプキンズの遺産によって設立された。蓄積された巨大な富がダイナミックに展開しは じめた科学的発見と、大学という「場

J

において結びつけられる。遺産の半分は病院の設置に当て るように遺言は告げていた。 ジョンズ・ホプキンズとならんで、個人の資金の寄贈によって、大変身をとげたのがシカゴ大学 であった。パフ。テイスト派の小さな神学学校に過ぎなかったモルガン・パーク神学学校を全米屈指 の総合研究大学にかえたのは、J.D.ロックフエラーl世の膨大な資金の寄贈であった。だから大学 改革を推進した要因の一つは、集積された個人的な富を科学に結びつける動機・動因にあったとい えるのだカ人ロックフエラー、カーネギーなどを、駆り立てたのはいったい{可だ‘ったのだろうか。 カーネギーの場合は明快であった。彼は19世紀末のアメリカでつよい影響力を持ったソーシャ ル・ダーウイニス、ムの信奉者であった。富める階級の存在は「自然選択の法則」の帰結であるから、 「新たな富の福音j はこの階級に、社会の進歩のために「富の管理の洗練」を委ねた、と。 それにたいしてロックフエラーの動機は、カーネギーよりもはるかに伝統的なパプテイストの信 仰にあった。獲得した富は、「神の執事Jである人物に、その有用な使用が委ねられた社会的資源 にほかならない、と。 一方ではそのビジネス手法(買収、独占)において、彼は当時のアメリカで最も悪評を受けた人物 であったが、他方では敬度なパプテイストであるとともに、組織化・合理化などの時代感覚の鋭敏 な持ち主であった。彼の「宗教的な寄贈と慈善」への指向が、組織化のすぐれた才能に支えられた 時代感覚とくみ合わさって、「法人形態の科学的慈善=財団」を生みだした。それによって、「文明 をその根幹で豊かにする支援j にふさわしい領域が発見された。医学と公衆衛生は人類の貧困とい う問題をその根元において解決する研究部門にほかならない、とロックフエラーは考えたのである。 ロックフエラー医学研究所の設立もくわえて、メデイカルスクールの改革を中心にした大学改革へ の助成に財団が金を注ぎ込んだのは、そのような指向に由来していたのである。 このように、私たちが、今声高に繰り返されているスローガン (競争、自己責任など)の出所で ある国の、 100年ほど前の、歴史的場面を見て、ネガテイブにであれ、ポジテイブにであれ、そこ から引きだすことのできる教訓は、何であろうか。 この指向が研究という特殊な活動と直接に結びついたのが、ロックフエラー医学研究所 (1901現 ロックフエラー大学)の設立である。 この研究所は私たちにはなじみの深い野口英世が、初代所長となったS.フレックスナーに認めら れて黄熱病の研究を行ったところであるが、ヨーロッパに比較して研究水準の低いアメリカの医学 研究をレベルアプするために、パスツール研究所とコッホ研究所をモデルにして、当時大きな被害 をもたらしていた伝染病を撲滅するための、細菌学と公衆衛生にかかわる研究を主要な研究課題と した。 この研究所は次々と著名な成果を生みだしロックフエラーの絶大な信頼を得るのだが、設置者ロ ックフエラーは設立運営に一切口出しをしなかった。科学的慈善の構想者と展開は、パプテイスト の牧師であったF.Tゲイツに、研究所の編成と運営については、ペンシルパニア大学のフレックス ナ一、ジョンズ・ホプキンズ・メデイカルスクールの部長W.H.ウェルチという信頼できる人材に全 面的に委ねたのである。 研究員には二つの条件が課されていた。一つは他大学への非常勤講師をしないこと、もう一つは ニューヨークの審議会その他の委員会にかかわらないことである。いずれもそのような活動が、本 来の活動である研究の阻害要因になるという理由からであった。この研究所での研究対象が、急速 に解明されつつあるコレラ、チフス、ジフテリア、マラリア、黄熱病、狸紅熱など人類全体にかか わる病の原因解明という人類総体の問題であるときに、些細な活動に気をとられるべきではないと いう、希有壮大な熱気が研究所を覆っていたのだ、った。 人間文化・ 人間文化学部

(4)

論文

一ウス

- - 園 田 喝

:物語と

「事件」の通路

ー の ぞ

きか

らく

の継子語にお

ける

物 語 構 造

-細 馬 宏 通

人間文化学部生活文化学科人間関係専攻

1

.はじめに

本論では、現存する貴重なのぞきからくりのひと つ、新潟県巻町の「幽霊の継子いじめ

J

(図 I、参 考資料)を取り上げ、大正期に制作されたと推定さ れるこの継子誇が、どのような構造をもっており、 それが旧来の継子誇や同時代のからくり節やフィク シヨンとどのような関係にあるかをさぐっていく。 さらに同時代の継子語の様相を合わせ見ながら、虚 実のあいまいな継子譲がいかなる物語の力を持って いたかを考える。 考察を始める前に、からくり節とはなにか、また からくり節における継子語はどういう位置づけにあ るかについて記しておこう。 からくり節について のぞきからくりは、江戸期に発祥した伝統的な見 世物芸能のひとつである。最初は数個ののぞき穴か らからくりや浮絵をのぞく簡素なものであったが、 明治・大正期には、 20個もの覗き穴を備え、畳一畳 ほどもある重い絵に細かい押し絵をほどこした豪勢 なものが現われるようになった (山本1982)。 のぞきからくりの語りは、からくり節、覗き歌、 覗き眼鏡の歌などと呼ばれており、地方によって節 が違うことから、名古屋節、大阪節などと呼ばれる こともある。(以下、本論では「からくり宣告」とす る)。 竹の棒を叩きながら調子よく唄われるのぞきから くりの語りは、人々が容易に口ずさめるほどに広ま った。落語「くしゃみ講釈jの中には、物覚えの悪 い男が「八百屋お七jのからくり節に乗せて買い物 の内容を覚えるというくだりが残っており、全盛期 のからくり節の流行のほどが伺える。 のぞきからくりは各地の縁日の盛り場、社寺の境 内でよく見られたが、活動写真の流行とともに衰退 し、昭和9年 (1934)になると、覗き屋の盛んだ‘っ た大阪とその周辺でさえ神戸、大阪、兵庫にわずか に4軒 (河本 1934)という状態であった。昭和55 年 (1980)に大阪天王寺を中心に活躍していた黒田 種一氏が引退したのを最後に、覗き屋による興行は ほとんど見られなくなった。かつての覗き屋の口上 は小沢 (1999a,1999b, 2001) の記録で見聞できる。 現在、オリジナルののぞきからくりを保存しその 口上を再現しているのは、新潟県巻町の郷土資料館、

2

・人 間 文 化 そして佐賀県在住の北園忠治氏であり、前者では土 田年代氏をはじめとする保存会の人々によって、後 者では北園氏によって口上が行なわれ、その芸能を 今に伝えている。その他、復元されたのぞきからく りを用いた口上が各地で行なわれている。 かうくり節の基本資料 河本資料一 昭和初期に残るからくり節を集めた文献資料とし ては河本 (1935/1993)が存在し、そこに45個44種 のからくり節が収録されている(以下、「河本資料」 とする)。 河本はどのようにからくり節を収集したのだろう か。河本は当時関西でのぞきからくり業 (覗き屋) を営んでいた岡本修太郎氏から聞き取りを行なって おり (河本 1934)、この岡本氏の知見が含まれてい る可能性が高い。また覗き屋は上演の際に、しばし ば口上の内容を印刷したチラシを配ることがあり、 大正から昭和期にかけて印刷されたチラシがいくつ か現存する。河本資料に含まれるからくり節には、 こうしたチラシから採られたものも含まれていると 考えられる。 かうくり節と新聞報道との整合性 河本資料の内容は多岐に渡っている。「不如帰j 「乳姉妹

JI

金色夜叉

JI

大阪朝日新聞小説 かちど き」のように、明治 ・大正期の小説から題材をとっ たものもあれば、あるいは「三庄太夫一代 記J

I

く ずの葉」のように説教節や浄瑠璃、歌舞伎などから 題材をとったもの、さらには「地獄極楽」のような 説話的なものもある。 いっぽうで、明治・大正期の実際に起こった殺人、 心中、殉職といった社会事件に題材をとる「事件も の

J

も目立つ。 試みに明治 大正期の読売新聞CD-ROMを検索 し、河本資料のからくり節の内容と報道された「事 件 」 と の 整 合 性 を 調 べ た と こ ろ、「血染の軍旗」 (M37/1904.5;日露戦争南山の戦い)、「子ころし 大悪婆箕形おいち

J

(M39/1906.6)、「鳴呼伊藤公 爵J(M42/1909.10;伊藤博文暗殺事件)、「勧善懲悪 淡路首無事件

J

(M45/1912.2)、「日独戦争J(T3/ 1914.8-)、「桜島噴火大ばく発J(T3/1914.J)、「残 る親子

J

(T6/1917.12)、「鈴弁殺し

J

(T8/1919.6)、 「 小 野 訓 導 殉 職 美 談J(T11/1922.7)、「潜水艦七

(5)

ニウス 物語と「事件」の通路ーのぞきかうくりの継子護における物語構造一 拾号J(Tl2/1923.8-10)、「爆弾三勇士J(57/ 1932.2)の11種について、対応する新聞記事を確認 することができた(かっこ内は報道された年月)。 また、新聞では確認できなかったものの、からく り節の中で「大正四年十月の二十五日が公判で」 (1子を思う親心J)のように、年月が特定されてい るものが他に4種あった。今後さらに複数の新聞を 調査することで「事件」と対照できるからくり節は 増える可能性がある。 こうした傾向を考慮してであろう、河本(1934) は、多様なからくり節をまとめて「今でLいふニウス で世間の出来事を歌にしたもの」と位置づけている。 継子護の虚実 からくり節のモチーフによく使われるものとし て、後添えとなった継母が継子をいじめるという、 いわゆる「継子護」がある。河本資料には、 44種中、 「五郎正宗J

1

俊徳丸一代記J

1

弘法大師の誠J

1

継子 殺の犯罪

J

1

金比羅霊験記 浮世の写真ま、子殺」 「継子災難不動の御利厄J

1

美少年の公判 親に孝行 忠義の鏡」の、計7種に継子習が含まれている。 新聞との整合性を考えるとき、これら継子誇は微 妙な位置にある。 まず継子誇には、「五郎正宗J

1

俊徳丸一代記Jの ように、浄瑠璃や歌舞伎で扱われている題材からと られた伝奇的なものと、その他の具体的な地名や実 名を備え、巡査のような明治期以降の事物を配した ものとが、混在している。 では、具体的な地名や実名を備えたものは、なん らかの「事件」に基づくものなのだろうか。上記で 行なった方法と同じく、読売新聞で「継母

J

1

継子」 および固有名調で検索されるすべての記事について 内容を検討したが、からくり節の継子聾と対応する ものはなかった。 継子認が、実話に忠実とは限ら

4

ごいことの傍証は 他にもある。たとえば、後で述べるように、同じ物 語に対して複数の類話が存在し、異なる筋が語られ る場合がある。また、石をくくりつけられて海に沈 められた子供が金比羅山の奇跡で生き返る「金比羅 霊験記 浮世の写真ま、子殺Jのように、導入部は 実名地名入りの猟奇事件の体をとりながら、霊験記 仕立てのエンデイングへと向かうものもある。 からくり節の継子霞の地名人名は、実話とのつな がりをほのめかしはするものの、その虚実はあいま いなのである。

2

.

本論の目的と方法 では、巻町に保存されている「幽霊の継子いじめ」 はどうだろうか。結論を先取りして言えば、他のか らくり節の継子語同様、その内容に対応する報道は 今回見つけることができなかった。 しかし、本論で明らかにしたいのは、単に「幽霊 の継子いじめJが事実なのかフィクシヨンなのかと いうことではない。むしろ、このからくり節を聞く ときに感じられる「ニウス(ニュース)J 性が、本 論の対象である。 ここでいうニウス性とは、その言説がどれくらい 事実に近いかを指すのではない。逆に、その内容を 聞いたときに、「これは事実かもしれないjと思わ せる力のことを指す。このような、それ自身がひと つの「できごと」であるニュース(佐藤 2000) を、 本論では河本のことばを借りて「ニウスjと呼ぶこ とにする。 「幽霊の継子いじめj は、後に述べるように昔話 のバリエーションとして考えることができるにもか かわらず、巻町の関係者の方々からは「本当にあっ た話じゃないでしょうか」という意見が聞かれる。 私が本論の検証を行なったのも、もしかして対応す る事実があるのではないかと思ったのがきっかけで ある。このようなニウス性、「本当にあったのかも しれないJと思わせる力には、どのような背景があ るのだろうか。 「できごと j としてのニュースを考えるにあたっ ては、何を媒体にどんな形式を与えられ、どのよう に伝えられ (伝えられず)どのような主体に受け止 められ、どのような身体から作り出されるかを問わ ねばならない (佐藤2000)。 そこで本論では、からくり節と旧来の継子護との 関係、他分野のフィクションとの関係、さらには風 間や報道された「事件」と継子誇との関係を論じる ことで、のぞ‘さからくりのヱウス性に

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ローチす る。巻町の「幽霊の継子いじめj を主な分析の対象 にする理由は、この演目が、からくりの中ネ夕、実 際に演じられた録音とともに残されており、多角的 な分析が可能なためである。 まず、「幽霊の継子いじめ」の話型分析を行なう ことで、昔話としてのからくり節の水準を明らかに する。次に、同時代のからくり節との比較によって、 からくり節の相互関係という水準について考察す る。さらに、明治期のフィクションとの関係を論じ ることで、異分野の物語とのぞ、きからくりとの関係 人間文化・

3

(6)

ニウス・物語と「事件」の通路 のぞきからくりの継子護における物語構造 という水準にふれる。 最後に、明治・大正期の新聞に現われる継子いじ め報道と継子護との関係を例証し、「事件j と物語 との相互関係という水準を考察する。 なお、からくり節においては、物語の内容だけで なく、演者と観客との関係、からくり節を語る声の 問題、そしてのぞきからくりという装置じたいをめ ぐる考察が欠かせないが、その詳細については別稿 に譲る (細 馬 準 備 中。)

3

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幽 霊 の 継 子 い じ めJの 話 型 分 析 「幽霊の継子いじめJについて のぞきからくり「幽霊の継子いじめjは1976年に 古寺信氏宅で発見され、巻町の有志の方々により修 復された。その後、巻町在住の内山ミヨ氏がかつて この演

B

を演じた経験のあることが判明し、彼女に よる実演が行なわれた。その様子は小沢 (2001) に収められている。現在は、新潟県西蒲原郡巻町の 郷土資料館に保存されており、生前の内山氏に教え を受けた土田年代氏をはじめ、保存会の方々により、 のぞきからくりの上演が行なわれている。 「幽霊の継子いじめjの正確な制作年代は分かつ ていない。が、同じ蔵から発見された「八百屋お七j については、中ネタにほどこされた押絵が大正期に 姫路押絵の宮津由吉によって制作されたことが分か っている。このことから、「幽霊の継子いじめ」の 絵もまた、大正・昭和初期に中ネタとして使われて いたと推測される。大正末期から覗き屋の口上を行 なっていた内山ミヨ氏がこの口上を覚えていたこと は、その 1~ 証といえるであろう。 分析では、小沢 (2001)に収められた内山ミヨ氏 の口上を書き起こしたテキスト (巻町郷土資料館 1988) を用いる(巻末資料参照)。 物語の内容 「幽霊の継子いじめ」の内容は以下のように要約 できる。 大阪天下茶屋の佐々木勇は、茶屋通いの末、芸者とみ子を 身請けした。委のふじゑは病が高じて、娘の静江の行く末を 案じながら亡くなる。いっぽう、とみ子には連れ子である実 子の花子があった。 とみ子は財産を継ぐのに継子の静江がじゃまになるので、 亭主のいない夜をねらって幽霊のふりをしては静江の命を縮 めようとする。 4 ・人間文化 図 幽 霊 の 継 子 い じ めj全体図 静江はこの恐怖を卒業式の日に先生に告白し、不審に思っ た先生と熱田巡査は、静江の家を調べることにする。 その夜、とみ子が幽霊姿となり静江をおとかしているとこ ろに、先生と熱田巡査が踏み込む。そのとき、起き出してき て幽霊姿を見た実子の花子がショァク死してしまう。 その後とみ子は裁判lにかけられるが改.L、が認められて執行 猶予となり、尼になる。 題名からは、継母が死んで幽霊となり継子をいじ める、という物語を想像しがちだが、じつは、継母 が幽霊に扮装して継子を恐怖に陥らせるという話で あり、しかもその幽霊姿にショックを受けて、継子 ではなく実子が誤って死んでしまうという意外な展 開である。 この奇妙な展開をもっ話は、このからくり節の作 られた大正期に突然生まれたものなのだろうか、そ れとも、なんらかの歴史的背景を持っているのだろ うか。以下、この問題について検討しよう。 継子讃話型の折衷としての「幽霊の継子いじめ」 継子いじめの話は洋の東西を問わず広く流布して いる。日 本 の 継 子 諒 の 起 源 と 発 達 の 経 緯 は三浦 (1992) にまとめられている。三浦は、継子議の起 源を 「継母の嫉妬の物語

J

と見た場合、それは古く 古事記、日本書紀まで遡ることができること、また これらの物語内では、継母の嫉妬の対象は前妻に向 けられており、それが継子に向けられることが問題 になりはじめたのは「続日本紀」頃であること、さ

(7)

二ウス :物語と「事件Jの通路ーのぞきか5くりの継子護における物語矯造 らに、継子いじめは当初、男子を対象とした貴種流 離語や太子いじめの物語に重なっていたが、平安期 の「落窪物語」になると、それがいじめられる少女 としての継子謹に変化していることを指摘してい る。この説に従えば、「幽霊の継子いじめ」は、大 きく言って「落窪物語」以降の継子護の流れを汲む ものとして捉えることができるだろう。 しかし、ひとつひとつの継子語はまったく同型と いうわけではない。継子誇には古来、多くの話型が あり、その物語展開もさまざまである (関 1980)。 では、「幽霊の継子いじめ」は、どのような話型か ら派生したものと考えられるだろうか。 このことを検討するために、「幽霊の継子いじめ」 のモチーフを見てみよう。 1 : (前妻の死と、後妻と連れ子の登場)前妻が死 に、後添えとなった継母には連れ子がいる。 2: (継母による継子いじめ)継母は、夫のいない あいだに毎夜幽霊に扮しては継子の寝床に訪 れ、継子をいじめる。 3: (継子による苦難の訴え)継子は自分の幽霊体 験を先生に告白する。 4: (継子いじめの発覚)先生と巡査が現場に踏み 込み、幽霊の正体が継母であることをつきとめ る。 5: (実子の誤殺)継母は継子を殺すつもりが、ま ちがえて自分の実子を殺してしまう。 6: (継母への処罰)継母は裁判にかけられる。 7: (継母の改心と出家)継母は改心して尼になる。 1 -7すべてを包括するような一つの話型は、稲 田ほか (1977)や関 (1980)を見る限り見あたらな い。しかし、いくつかの部分に分けるなら、類似す る話型が見つかる。 まず、ト4の 部 分 に 対 応 す る 話 型 と し て 丸 山 (1977)の取り上げている「継母の化物jを挙げる ことができる。その内容を以下に並べて上記のモチ ーフと比較しておこう。 「継母の化物」 母親が亡くなって父と子だけのところへ同年輩の娘をつれ 子した後妻が来る。後妻は継子が憎くてたまらないので、と うかして父親にわからないように先安の子を殺してしまおう と考えた末、毎晩化物になっておとかし、だんだん弱らせて 殺そうと決める。カボチャを半分にして顔とし、真赤なナン パンで角を、 トウキピの毛で髪をつくり、耳まで裂けた口か らコンニャクの舌を出し、子供の寝ている所へ行ってその冷 たい舌で紙めた。継子は、声を出すと食うといわれてふるえ るばかり、人に言ったら殺すなどとおどかされる。継子はだ んだんやせていき、遂に父親に告げると、その夜父は子の寝 床に寝て、継母のしわざということをつきとめて離縁してし まっ た (山形県真室川)。 (丸山 1977a) 母親が化物に扮装して継子をいじめる点、それが 父親の知らないうちに、夜、継子の寝床で行われる 点、さらには継子が大人に自分の恐怖体験を告げる 点で、この話の構造は「幽霊の継子いじめ」のト

3

のモチーフとぴったり重なることがわかる。また、 発見する者が父親か他人かという違いはあるもの の、結局継母の扮装が露呈する点で、 4のモチーフ とも重なる。6のモチーフである「継母への処罰」 は離縁という形で為される。 次に、 5の部分、すなわち継子と実子の取り違え に対応する話型としては、関 (1980)の分類した18 型の継子語の中から、「米埋糠埋(こめうめぬかう め

)

J(

2058)を挙げることができる。「米埋糠埋j は「継母が継子を糠の中に入れて寝かせる。→実子 を米の中に寝かせたので凍死する。」という物語で、 継子を殺そうとして誤って実子を殺してしまうとい う点が「幽霊の継子いじめ」の5のモチーフと一致 する。 さらに、継母が改心して尼になるという 7の結末 部分については、継母が尼となる「落窪物語Jをは じめ、関 (1980)の分類する継子謹話型にも広く類型 が見られる。なお、河本資料では、 44種中4種に、 悪女が改心して尼になるという結末が見られる。こ のことは「幽霊の継子いじめ」を含めて、からくり 節には説教的な力が加わりやすいことを示している。 以上に見たように、「幽霊の継子いじめjにおけ るモチーフは、旧来の複数の話型を折衷した形にな っている。特に、「継母の化物j誇と「米埋糠埋」 誇の接続部分となる5では、それまでほとんど話の 中に登場しなかった実子が唐突に登場して死んで、し まい、 1-4の展開との聞に大きな断層が生じてい る。 話型の断層がのぞきかうくりにもたうすもの のぞきからくりの観客にとって、この話型の断層 は、予想を裏切る驚きである。 人間文化・ 5

(8)

二ウス:物語と「事件Jの通路ーのぞきからくりの継子護における物語構造一 観客は「幽霊の継子いじめ」という題名から、継 子の悲劇と幽霊の正体にもっぱら注意を向けること になる。ところが、いざ、からくり節を聞き進めて いくと、前半の1-4の段階における聞き手の注意 の焦点(幽霊の正体)は、「となりの部屋の花子さ んj という実子の登場によって突然、ずらされる。さ らにその実子の気絶の声は、先生と巡査を招き入れ、 話の焦点は、継母の捕縛というできごとに切り替え られる。この急展開は「手早くとみ子に縄掛ける j と、まさに手早く語られて、聞き手が「先生花子を 抱き上げてJという声に導かれて再び実子に注意を 向けると、実子は単に気絶していたのではなく死ん でいたという不意打ちに驚かされることになる。 実際、土田年代氏による口上を聞きながらのぞき からくりを見ていた際、「も早やこの世の人でない

J

というくだりで、私を含む見物客から「ええっ

J

「そんな」という声があがった。

4

.同時期のかうくり節と「幽霊の継子いじめ」

との関係 類話「継子殺の犯罪

J

の存在 ここまで見たように、「幽霊の継子いじめj は複 数の昔話話型の折衷として説明できる。が、物語の 構造が昔話の話型と一致するからといって、「事件」 による影響の可能性が消えるわけではない。 語りには「大阪天下茶屋

J

r

佐々木勇」など、具 体的な地名や人名が登場し、あたかもじっさいの犯 罪事件を取材したかのような体裁になっている。で は、明治・大正期の中に、「幽霊の継子いじめj と 一致するような報道が見つかるだろうか。 明治・大正の読売新聞CD-ROMに収められた記 事を「継子

J

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継母

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幽霊

J

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化け物

J

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大阪

J

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天 下茶屋J

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佐々木」などで検索したが、物語に該当 する記事は発見できなかった。今後さらに、地方版 の新聞を総当たりするなどさらに徹底した調査が必 要であろう。 しかし 仮に「幽霊の継子いじめ

J

が何らかの 「事件j に基づいているとしても、そこには変形が 加わっている可能性が高い。それは、河本資料の中 に、同じ人名を用いながら異なる展開を持つ「継子 殺の犯罪

J

(参考資料参照)という物語が存在する からである。 「継子殺の犯罪」では「ささきいさむ

J

r

藤江」 という「幽霊の継子いじめ」と同じ固有名詞の夫婦 が扱われているだけでなく、継母が幽霊に扮して継

6 ・

人間文化 子をいじめようとする。また殺される子供の名前は ともに「花子j である。前述した「幽霊の継子いじ めjの1-4までのモチーフを共有しており、明ら かに「幽霊の継子いじめjの類話である。 その一方で相違も多く見られる。まず、モチーフ l以前に、夫の勇が藤江を打ち据え離縁するという、 「幽霊の継子いじめ」にはないエピソードが挿入さ れている。また芸者の「とみ子」は「豊子」となっ ており、連れ子はおらず、子供は二人とも継子であ る。さらに子供のうちの一人は「幸太郎」と名前だ けでなく性別まで変わっている。また「継子殺の犯 罪」では、継子と実子の取り違えというモチーフ5 がなく、豊子が殺してしまうのは実子ではなく継子 である。また「継子殺の犯罪」にはモチーフ 7の 「継母の改心

J

がなく、継母は「法廷の露とぞきえ にける

J

と、死罪になっている。 先に示したように、「幽霊の継子いじめ」では、 「継母の化物J

r

米埋糠埋j という異なる継子誇の接 続によって話型に大きな断層が生じていたのだが、 「継子殺の犯罪」には「米埋糠埋」にあたる部分、 すなわちモチーフ5が欠けており、話型の断層は見 られない。 仮に「継子殺の犯罪」のほうが先に作られたもの であるとすれば、「幽霊の継子いじめ」のモチーフ 5は、後から挿入されたものということになり、不 自然な話型の断層に説明がつく。逆に、「幽霊の継 子いじめ」が先に作られたものであるとすれば、伝 聞されるうちに不自然な話型展開が脱落したと考え られるだろう。 類話の中間形としての「腰巻

J

さらに、この二つの類話が同じ話から派生したこ とを示すものがある。それは「幽霊の継子いじめ」 の「腰巻」と呼ばれる部分に描かれた絵である(図 2-B)。先に書いたように「継子殺の犯罪」では夫 の佐々木勇が藤江に暴力をふるうくだりがあるのだ が、「幽霊の継子いじめj の語りにはそれにあたる 部分はない。が、「幽霊の継子いじめ

J

の腰巻には、 夫が藤江を打ち据える場面が描かれている。「継子 殺の犯罪」と「幽霊の継子いじめ」が同じ話を祖先 型に持つと考えるなら、このようなからくり節と絵 の内容とのずれは説明がつく。おそらく、この物語 には、もともと「夫による妻の打榔

J

というモチー フが織り込まれており、描き手はそれを絵に反映し たのだが、そのモチーフは、からくり節が加わる過

(9)

二ウス ー物語と「事件」の通路ーのぞきかうくりの継子震における物語構造ー

-f モC~豊 ーー一ー 図 2 幽霊の継子いじめjの観音絵 (A)および腰巻 (8) 程で落ちてしまい、絵とのずれを生んでしまったの だろう0・1 *1 現存する腰巻を含むのぞきからくりは内山ミヨ氏自身が 所有していたものではない。そのため、内山氏がかつて大正 期に使っていたものとの間に相違がある可能性はある。しか し、仮にそうだとしても、現存するからくりに「継子殺の犯 罪j と内山氏の語る「幽霊の継子いじめ」との中間形にあた る部分が存在するという議論に変わりはない。

5

.

同時期のフィクションと「幽霊の継子いじ

J

との関係

永島永州「プラットフォーム

J

からくり節からさらに範囲を広げて明治 ・大正期 のフィクションに目を移すと、「幽霊の継子いじめ」 とモチーフを共有する物語が他にも見つかる。それ は永島永州の「プラットフォーム

J

(M39.3

r

少年

J

)

である。 雑誌「少年」をはじめ、少年少女雑誌に多くの児 童文学を著わした永島永州の作品には継母が継子を 虐待するというストーリーが多い(上回 1994)。中 でも「プラットフォーム」は先に挙げた話型「継母 の化物」に基づく部分を含む点で興味深い。 継母が幽霊に扮するくだりを要約すると以下のよ うになる。 停車場のプラ yトフォームで名物「乙女おこし」を売る少 女お留は、実祖母と継母のお銭、そしてその連れ子である妹 お玉と暮らしている。「乙女おこし」の製法は家伝で、お銭に もその内容は知らされていない。 お銭は、お留にやさしいが、祖母は、お留がなぜか次第に 元気がなくなり身体も痩せてきているのに気づき、わけを尋 ねる。しかし、お留は祖母には理由を言わずに、近所の寺の 和尚に「この世に幽霊ってものが、員個(ほんとう)にある でせうか」と自分の体験を打ち明ける。 別の夜、お留の寝ている蚊帳のそばに、「霧ともつかぬ薄白 い人の姿が

J

r

丈けなる髪をふり乱して

J

たたずむ。その幽霊 は、蚊帳の裾をまくりあげたとき、

I

アッ痛jと悲鳴をあげる。 その声から、お留は、幽霊がじつは自分の継母であったこと を知る。お留は和尚の助言にしたがって、蒲団の周りに茨の 刺を植えていたのであった。 お銭はじつは実子のお玉に家を継がせ、家伝を譲り受けた いと思い、幽霊に扮してお留をなきものにしようとしていた。 翌朝、お銭は「留、昨夜は有りがたうよ、今にお礼に来るか らね」と言うと、左の足を引きずりながら実子お玉の手を取 り、何処へともなく出て行ってしまう。 物語の筋書きは、前述した「継母の化物Jの話型 にぴったり一致しており、 「幽霊の継子いじめj の 前 半 部 分 (モチーフ 1-4 )と共通のモチーフを持 つ。 モ チ ー フ ば か り で な く 細 部 に も 共 通 点 が 見 ら れ る。両者とも、継母の化けたのは単なる「化物」で はなく「幽霊」であり、しかもその「髪」を「丈け なる髪をふり乱して(プラッ トフォーム)J

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髪 は ざ んばら乱れ髪 (幽霊の継子いじめ)J と印象的に描 いている九 また両者とも「停車場 (プラットフォ ーム

)

J

という近代の産物が登場する。さらに、子 供は自分の近親者にではなく、第三者の大人 (先生、 和尚)に苦しみを告白している。 「プラットフォーム」は、大正期に作られたと考 えられる「幽霊の継子いじめ」よりも制作年代が先 行している。「幽霊の継子いじめjに影響を与えた か、もしくは同様の物語から派生した可能性が考え られるだろう。 *2

r

幽霊の継子いじめ」の観音絵(図 2-A)では、継母が幽 霊に化ける場面、および最後に剃髪する場面でのみ、馬の毛 に似た繊維を貼り付けてあって、実際の髪らしく見せており、 おどろおどろしい感じを見る者に与える。これに対して、他 の場面での髪は泥絵か押し絵によって描かれている。つまり、 このからくりに用いられている絵では継母の「髪」は、その 素材を変化させることによって、人聞から幽霊へ、幽霊から 尼へと転換する重要な象徴として表現されている。

6

.

明治・大正期における継子語と「事件」と

の関係

ここまで確認してきたように、「幽霊の継子いじ めj は、「学校

J

r

巡査J

r

プラットフォーム

J

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裁判 所」といった明治以降の事物を織り込んではいるも 人間文化・

7

(10)

二ウス:物語と「事件

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の通路 のぞきからくりの継子護における物語構造ー のの、その物語は昔話のモチーフを折衷したもので あり、類似する話は、明治・大正期のからく り節や 小説にも見られることがわかった。 では、「幽霊の継子いじめjのようないっけん異 様な物語は、じつは単にさまざまな明治・大正の意 匠を借りただけの、昔ながらの継子語の亜型に過ぎ ないのだろうか。このことを検討するために、話を 継子いじめ霞全般に広げて、明治-大正期の継子い じめ報道と物語の関係を見てみよう。 風間の「事件」化 「事件Jは必ずしも記者のじっさいの見聞をもと に生まれるとは限らない。たとえば警察など「その 筋」の公的機関によって発表されたものは、公式で はあるものの、ひとつの伝聞である。 「事件」を生むのは公的な発表だけではない。と くに明治初期、警察制度の整備が過渡期だったころ の新聞には、投書や風聞をもとに「事件」を告発す る記事が目立つ。継子いじめに関しでも、以下のよ うに、記者の聞いた風聞が、ときには実名入りで記 事にされている。 記事例l (前略)今にあの家のおかみさんは先妻の女の子を責殺し てしまふだらうなんぼ我腹を痛めない子だとて食ひ物もろく ろく給させず寒中綿のはいッた着物も着せずに折権ばかりし て近々に大事が始まッて新問屋にとなられるだらうダンナは お心よしだから知らないか又かミさんへ向ッて一言も云ない のかと神田明神の水茶屋で近所のものらしい男が話て居まし たが此様な悪弊は早く払ひ給へ清め給へといたしたいものだ (読売 MIO/l877 3.31) 記事例2 (前略)おさんは先妻の子のおゃうといふを邪険にする事 は近所の者も見兼ねて居るが此ごろはヒィヒィ泣くとうるさ いとて戸棚へ押し込んで飯も殊に喰べさせない程ゆえ偶然や おゃうはおきんの為に責め殺されるであらうと其辺では専ら 評判であります(読売ーMI2/18798.3)

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事件jの物語化 風聞や、新聞によって報じられた「事件」は、継 子いじめの物語に影響を与えることもある。その好 例として、「継児は此程憎い者か」と題された記事 (読売・ T4/l915.4.13)を挙げることができる。 継子を虐待するという風評のたったお梅が地方新

8

・人間文化 聞に取り上げられ、警察の取り調べを受けたものの 罪をまぬがれる、というのがその内容なのだが、興 味深いのは、記事の中に「其後同地の大黒座で壮士 俳優等が継子虐めと云ふ演劇に仕組んで演ずるに至 りお梅は同地に居堪たまらず一人上京してしまいま した」と記されていることである。すなわち、当時、 実話である継子いじめが壮士芝居化されることがあ ったのである。 この例では「事件」と物語は、単に事実/フィク ションとして対立しているのではない。むしろ「事 件」と物語は相互に関係を持っている。「事件Jは 物語に形を与え、逆に演じられた物語が「事件jの その後に直接影響を与えている。 .お初地蔵 新聞で報道された「事件」が風間と相まって、唄 や映画となって広く知られるようになった代表例と しては、 「お初地蔵」を挙げることができる。「お初 地蔵」は正確には継子いじめというよりも養女いじ めの話であるが、「事件j の物語化を示す例として ここで取り上げておこう。 大正11年(1922)7月5日、月島荷揚場に手提げ鞄 が漂着し、この中から頭部両足を切断された女児の 死体が詰められていた。警察の調べにより、これが 浅草でセルロイド業を営んで、いた関蔵と常磐津の師 匠マキという夫婦の養女で11才になるはつであり、 夫婦によって殺害されたことが判明した。新聞には 「生地獄の様に養女はつを虐げjとどぎつい見出し が並び、はつの生前の写真も公開された。初七日を 前にはつの首が廓橋付近に漂着するに及んで、はつ の話題はさらに紙面を賑わした。 読売新聞は、最初の一報が報じられてから20日以 上も経って、浅草方面で「お初の唄jが流行してい ることを報じている。作詞は詩人で翻訳家の佐藤緑 葉とされており、 以下のような内容である。 「ぶたれ叩かれ踏み蹴られ、哀れお初は泣く撃も、 力弱りて最の息、僅かに通ふ其の息、で、絞る撃さへ 苦るし気に、猶も許して下さいと詫びるも聞かぬ鬼 夫婦J(読売 ・TlI/l9227.30)。 興味深いのは、この唄が報道よりも一歩踏み込ん で、じっさいのいじめ場面を唄いこんでいることで ある。作家が見たこともない場面を想像によって補 っている点で、 この「お初の唄」は、報道とは異な る物語の水準へと一歩踏み込んでいる。 その後、浅草黒船町権寺では、このお初を哀れん

(11)

ニウス.物語と「事件」の通路ーのぞきかうくりの継子請における物語構造ー で「お初地蔵」を建立したところ、諸方面から同情 が集まり日夜香華が絶えなかった(読売・ TII/l922 8.21。) さらに、 4年後の大正15年 (1926)、この事件は 野村芳亭監督により「新お初地蔵」として映画化さ れ、浅草松竹館で上映された。監督をはじめ関係男 女優一同は封切りに際して権寺のお初地蔵へ参詣し た(読売・TI5/19267.16)。 このお初地蔵はいまも権寺に残っている。現在の 権寺の住職である山口諦源師に話を伺ったところ、 地蔵を建立した当時は「お初まんじゅう

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お初せ んぺいj まで発売されたという。当時の都新聞の切 り抜きは寺の金庫にしまわれているとのことだっ た。住職はその記事を「頭部両足(ずぶりょうそく) を切断しjと、経文風に音読みで、暗唱してくれたが、 それはあたかも「事件」が「語り」の水準に移行す る様を聞くようだった。 物語の「事件」化:継子の蛇責め 継子語の中には、じっさいの「事件」が物語にな るだけでなく、逆に旧来の物語が「事件j に影響を 与えたと思われる事例がある。それが次にあげる 「継子の蛇責」である。 「継子の蛇責jは、もともと典型的な継子設の話 型のひとつである(関 1980)。それは「継母が蛇の 入った桶に継子を入れて殺す。父が継母を同じ桶に 入れる。 j という凄絶な話で、丸山 (1977b)が 「大国主命の蛇室の話以来の説話

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と指摘する通り その起源は古い。 子供を蛇で責めるという話は、いかにも現実離れ した昔語りに思える。ところが興味深いことに、明 治・大正期の事件を調べていくと、じっさいに継子 を蛇責めにした記事が見つかる。 継子を蛇責めにす 聞 く だ に 身 の 毛 も よ だ っ 怖 ろ し き 事 実 あ り 滋 賀 県xx 郡xx村の樵夫某の妻は一人の男の子を泣して先年死亡せし 後迎へたる後姿は本年八歳なる継子を虐待すること甚だしく 昨年懐妊の身となりてよりは一層残忍の度を増し此程も毎日 一二疋のへピを生捕 (とら)へ帰りては密かに杢長持に入れ 置き一両日前亭主は例の山稼ぎに行きたる後継子を裸体とし 荒縄にて縛り蛇の三十疋余もかたまり居る長持の内に継子を 投げ込み蓋をして重石を置きそのまま回草取りに出たるが無 惨にも蛇責に逢ひ居る子供は夢中になりて岬き居る音の只な らざるを巡回の巡査が聞き付け同家に入らんとするも戸締り しあるより隣家の人に立会わせ同家に入り取調べたるに右の 有機なるに流石の筈官も打驚き取敢へず子供を救ひ上げ応急 の手当を為し一方継母を引致し目下取爾中なりといふ (読売・M40/19078.3) 継子の蛇u 茨城県xx郡xx村大字xx内xx梅吉の後妻お美代は継 子広吉 (四つ)を虐待する事甚だしく此程向家の近所を廻る 飴売爺がいつも欲しさうに指をl喰へて出てくる広吉が見えざ るより家の様子を窺へば子供の泣声がJ[fIゆるので益々訪りゐ るうち巡回の警官が来合せ共々耳を澄ますに戸棚の中より怪 しき泣声のするより屋内を探せしに土問の所へ倒(さかきま) に伏たる四斗樽ありて其の上には朱に意志を入たる重石が載 せあるに目をつけ重石を除きて起し見れば中より一匹の蛇勢 ひ 込 ん で 飛 び 出 し た る 其 の あ と に は 顔 色 青 さ め て 息 も 絶 々 (たえだえ)なる広吉が涙ながらに座し居たれば抱起し子細を 問へとがI様当年四才の小児只泣くのみにて何も答へず折りし も継母のお美代が登策提げて帰り来りしより警官を一応の取 調べを為し蚤JKの中を取調べしに驚くべし中には見るも薄気 味悪き黄領蛇 (あおだいしゃう)二匹の入れあるを発見し直 ちにxx箸へ引致し広吉はxxのxx病院に入院させたりと の事なるが今時にあるべからざる話のやうな話ならずや (読売 M40/190711.13なお、地名実名は伏せ字にした。) 巡査、警官といった登場人物が新しいものの、父 の知らぬ問に継母が継子をいじめる点、その方法が 蛇責である点で、この二つの事件は明らかに「継子 の蛇責めj と同じ構造を持っている。記者による粉 飾の可能性もゼロではないが、少なくともこれら二 つの記事は、昔話として報じられているのではなく、 同時代の特定の場所で特定の人間によって引き起こ された「事件」として報じられている。 逆に、この記事に書かれていることがそのまま起 こった可能性もあるだろう。継子いじめの物語を聴 くことが則、継子いじめを促進するかどうかはわか らない(むしろその内容の凄絶さによってじっさい の継子いじめが忌避される可能性も考えられる。) が、じっさいに子供をいじめようとする者がその方 法について考えをめぐらすとき、古来物語られてい るいじめの方法に影響を受けることは考えられる。 また、風間や見聞をもとに記者が「事件」を書き上 げるときにもまた、古来の物語に影響を受けるだろ つ。 蛇責めという現実離れした方法が「事件j となっ てしまうこの例は、「事件」がいかに物語の形に沿 いやすいかをよく表わしている。古来から語り継が れてきた物語はおそらく、「事件」にかかわる人々 の行動形式に影響を与えてきた。そしてメディアが 語り伝える

I

事件」はさらなる物語のデイティール を提供する。それが繰り返されることで物語は次第 人間文化・

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ニウス.物語と「事件

J

の通路ーのぞきからくりの継子護における物語構造一 に 危 う い 虚 実 の 聞 を 漂 う よ う に な り 、 そ の 迫 真 性 を 深 め て き た と 考 え ら れ る。

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. まとめ

本 論 で は か ら く り 節 「 幽 霊 の 継 子 い じ め 」 を 題 材 に 、 物 語 内 、 物 語 聞 の 整 合 性 を 検 討 し 、 そ こ に ど の よ う な 変 形 が 見 ら れ る か を 考 察 し て き た 。 「 幽 霊 の 継 子 い じ め

J

は 、 ま ず 、 旧 来 の 継 子 語 に 見 ら れ る 話 型 を 折 衷 し た も の と し て 説 明 で き る。ま た 、 類 話 が 存 在 す る こ と か ら 、 物 語 の 伝 播 の 過 程 で な ん ら か の 変 形 が 加 え ら れ た も の で あ る 可 能 性 が 高 い 。 さ ら に 「幽霊jゃ 「 停 車 場

J

な ど の ア イ デ ィ ア は 、 す で に 明 治 期 に 見 ら れ る も の で あ り 、 か な ら ず し も オ リ ジ ナ ル と は 言 え な い こ と も わ か っ た。 ただし、さまざまな変形の痕跡が見られることは、 「幽霊の継子いじめjが 昔 話 に 過 ぎ な い こ と を 意 味 す る の で は な い 。 む し ろ 、 こ れ ら の 変 形 の 痕 跡 は 、 「幽霊の継子いじめjが 単 な る 昔 話 の コ ピ ー で は な く 、 時 代 と と も に 更 新 さ れ 続 け て き た こ と の 証 拠 と いえるだろう。 本 論 で は 継 子 詩 と 新 聞 報 道 と の 聞 に も 相 互 関 係 が あ る こ と を 確 認 し た。物 語 は そ の 時 代 の 「 事 件

J

か ら 影 響 を 受 け 、 逆 に 「 事 件 」 に 影 響 を 与 え な が ら 、 更新を続け、その力を蓄えて続けてきた。 こ の よ う な 継 子 語 の 力 を 考 え る な ら 、 「 幽 霊 の 継 子 い じ めJに 登 場 す る 「 巡 査J

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学 校

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停車場」 「裁判所」といった明治以降の道具立て、「大坂天下 茶屋

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佐々木勇

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ふ じ ゑ

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とみ子

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静江

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花 子」といった固有名詞、そして唐突な話型の断層を、 単 な る 同 時 代 向 け の 意 匠 と し て 片 づ け る わ け に は い か な い だ ろ う 。 そ れ ら は 、 古 来 の 物 語 と 現 実 と の 問 で 行 わ れ る 虚 実 の 往 復 が 、 明 治 以 降 も な お 為 さ れ て き た こ と を ほ の め か す し る し で あ り 、 物 語 か ら 「 事 件 」 へ の 通 路 、 「 事 件 」 か ら 物 語 へ の 通 路 の 痕 跡 で ある。 か ら く り を 覗 き 、 か ら く り 節 を 聞 き な が ら 、 奇 妙 な胸騒ぎを覚える。そ れ は 、 そ こ に 伝 聞 に よ る 変 形 の 痕 跡 が 感 じ 取 ら れ 、 物 語 と 「 事 件jの 通 路 が 聞 い て い る こ と が 感 じ 取 ら れ る か ら で あ ろ う 。 そ し て 、 こ の よ う な の ぞ き か ら く り の 力 を 、 河 本 に な ら っ て 「ニウス」と言い当てることができるだろう。

8

.

巻末資料 幽 霊 の 継 子 い じ め 口 上 ( 巻 町 郷 土 資 料 館 1998) Ttl!:にもあわれの物語、所は大坂天下茶屋、其の名は佐々木

1

0

・人閏文化 勇とて、夫妻の中に女の子、年は九ツ名は静江、妻のふじゑ は病気にて、病院通いをいたされる。二年にわたる患いに、 夫 (おっと)勇はたまりかね夜昼通う茶屋遊び、遂に芸者に 迷い込み、芸者とみ子を身請けして、妻といたして闘いしが、 それも永くは続かずに、芸者を我が家に連れ込みり。 Vそれ芸者に一人の連れ子あり、年は八ツで名は花子、これ を見るより本妻は、やけ野のきぎす夜のつる、我が子の行末 案じいて、だんだん病気は重くなる、いまわのきわにふじゑ さん、かわいい静江を呼び寄せて、母さん死んだるその後は、 父上様を大切に、遺言致してふじゑさん、あわれこの世を去 りにけり。本妻なくなるその後は、妾とみ子の患いしは、我 が子に後日をやりたいと、恵、いば静江がじゃまになる、その 時静江は十二才、学校通いの愛らしさ、それで我が子をいた わりて、静江につらく致されて、泣かぬ日とではさらにない。 V今日は学校の卒業式、あまた生徒が集まりて、卒業証書を もらわれて、喜びいきんで帰られる、中に静江はl唯一人、唯 呆然とうちしずみ、これを見られた先生は、いかがしたかと 尋ねれば、問えて下さい先生様、父上留守と思う晩、不思議 とゅうれい現れる、彩、の驚きいかばかり。 V話を聞くより先生は、かねて噂が悪いわい、その場を見と とけてくれんと熱田巡査と相談し、すきをうかがう折りも折 り、それとも知らずとみ子さん、白い着物を身にまとい、髪 はざんばら乱れ髪、口に輪櫛を座わいられ、ゅうれい姿と身 を替えて、限りし静江の枕辺に、あなうらめしゃと現れる。 Vその物音に目をさまし、見ればゅうれい立っている、驚き 悲鳴を上げるなら、となりの部屋の花子さん、悲鳴の声に目 をきまし、見ればゅうれい自の前に、アッとその場に気絶す る、騒ぎを聞き付け先生と、熱田巡査が飛び込んで、手早く とみ子に縄掛ける、先生花子を抱き上げて、いろいろ介抱致 せしが、も早やこの世の人でない。 V縄目のはじに縛られて、引出されるは停車場よ、あまた見 物集まりて、あれが鬼人のまま母よ、我が子殺しのゅうれい と、見る人々にののしられ、引き行かれるは裁判所。 V被告とみ子は呼び出され、裁判長の御出席、検事判事の立 合いで、いたせし悪事の数々を、取調べればとみ子さん、包 みかくしておかれずに、いたせし悪事をみんな残らず白状す る、これを聞かれた裁判長、改悔心を認められ、六年間の懲 役も執行猶予とあいなれば、聞えて喜びまま母は、うれし涙 にかきくれて。 V我が子の菩提をなさんため、みとりの黒髪すり落し、その 身は尼とあいなって、朝な夕なに花手向け、世にもあわれな 物壬ロ。五 継子 殺 の 犯 罪 ( 河 本 1935/1993) V世にも珍らしくわいだんは 継子殺しのゅうれいと、こ、 にさ、きいさむとて 二人の子供の有る仲に、生れついたる ほうとうに 芸者豊子を引きつれて V藤の花見や名所や古跡 日々につのるほうとうに、妻の藤 江もたまりかね 夫勇にいけんする、其耳もたぬと無法にも かへって藤江を打ちすへる、しかのみならず無残にも V妻の藤江をりゑんして 宅にかへれとっき出す、さはさり ながら藤江には 焼の野きざす夜の鶴、親の心は皆一つ 二

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ニウス 物語と「事件jの通路ーのぞきかうくりの継子護における物語構造ー 人の子供の行末に V心ひかる、いじらしや かへれば親もおとろきて、語るも 涙の種となる きても本妻藤江には 、我家へかへりしその後 は 愛子を恩ふこ、ろから、それが病の元となり 医師よ薬 とさわけども、ついに医薬の効なく Vあはれやあの世の人となる それとも知ぬ子供等は、兄幸 太郎は十二歳 妹花子は九歳にて 、学校かよいの愛らしさ 今日しもめん状の授1't式、あまた児童が打そろい Vよろこび勇んで立ちかへる 何か幸太郎只一人、たcぼう ぜんとうちしずむ 姿ながめて先生は、いかがなせしと尋ぬ れば毎晩夜中と思ふ頃、不思議やゅうれいあらはれて 我 等の驚きいかばかり、涙ながらに物語る かくと聞いたる先 生は、あった巡査ともろともに 現場を見ととけくれんとて、 様子うかがふ時もとき それとも知らぬ継母が、白きしょう ぞく身にまとい 枕元にあらはれて V姿はげにもおそろしく 二人の子供はをどろきて、ひめい をあげてよぶこえに 助けんものと入りきたり 、見ば無残や 花子には こはそもいかに即死せり、継母豊子に縄をかけ vゅうれい姿のそのま、で そのざい悪をさらさんと、引き 出す兵庫の停車場 かれがきじんの継母か、継子ころしのゅ うれいか 見る人々は山をなす、さでもきじんの豊子には 縄自のはぢにしばられて 、世にさらされてしかるうへ 裁判 所の法庭で 、げんこうはんのじんもんに 最早や包によしも なく、つもる悪事を自白する 歳は二八のつぼみさよ、花 にあらしのちるごとく 一夜の瓜ともろともに V法庭の露とぞき江にける *本論の引用文 で は、 旧 漢 字 は で き る だ け 新漢字に 改め、旧かなづかいはそのままとした。また、 実名 や実在の地名の一部を仮 名 に し て いる部分がある。 謝 辞 の ぞきか ら くりの 調査を許可して下さった巻町 郷 土 資 料 館、そして貴重なご教示をいただいた斉藤文 夫氏に感謝します。 参 考 文 献 上 田 信 道

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永 島 永 洲 の 児 童 文 学 冒険 ・探 偵小説を中心に

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国 際 児 童 文 学 館 紀 要 第9号 小沢 昭 一

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ドキュ メ ン ト 日 本 の 放 浪 芸

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CD

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ピクターエンタテインメント株式会社 小 沢 昭一

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ドキュメント又日本の 放 浪 芸

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(

CD

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ビ ク タ ー エ ン タ テ イ ン メ ン ト 株 式 会 社 小 沢 昭 一

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新 日 本の 放 浪 芸

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(

DVD

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ピクターエンタテインメント株式会 社 河 本 正 義

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覗 き 眼 鏡 の 口 上 歌j 日本 児童 文化 史 叢 書3 久 山 社 河 本 正 義

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覗 き 眼 鏡 の歌 」 上 方

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関 敬 吾

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日本昔話大成』 第11巻 「 資 料 編j 角川書庖 巻町郷 土 資 料 館

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巻町 郷 土 資 料 館

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の ぞきからくりj 丸 山久 子

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継 母 の化 物j稲 田浩 二[ほ か]編 『日本昔話事典j弘 文 堂 丸 山 久 子

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継 子 の 蛇 責 めj稲 田浩 二 [ほか] 編 『日本昔話事典j弘 文 堂 三浦佑之

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昔 話にみる悪と欲望』新 躍 社 山本 慶 一

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のぞきからくりと写し絵j南 博 ・ 永 井 啓 夫 小沢 昭 一 編 『 芸 双 書8 えとくj白水社 佐 藤 健二

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ニュースという物語」 東 京 大 学 社会 情 報 研 究 所 『 ニ ュ ー ス の誕 生』 株 式 会社ボイジ ャー 人間文化・ 11

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論文

息子たちの家を巡り歩く父母

一台湾における

輪伏

をめ

ぐっ

-

襲 玉 齢

人間文化学研究科生活文化学専攻 博士後期課程

はじめに

年老いた父母を、兄弟たちが順繰りに面倒を見る という慣行が、台湾に存在している。自分の食い扶 持を稼ぐことができなくなった両親は、息子たちの 家を一定期間ずつ巡り歩き、食事と保護にあずかる のである。台湾のi美人社会において、この制度は 〈輪伏頭 (ルンフォ トウ)

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(輪食制ともいう

)

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)

と呼ばれている。 この慣行の背景には、「孝道」という観念がある。 漢人の儒教道徳においては、父母に対してその生前 は恭順を尽くし、その死後は祭杷をとどこおりなく 実施すべき、という基本原理がある。子供たちが老 いた両親の面倒を積極的に見るのは、美徳というよ りもむしろ当然の務めとされてきたのである。 また、漢族の家族は大家族で、あるという通念がし ばしば語られるが、実際には息子たちが結婚と同時 に分家していくことも多い。そして、両親からの財 産は後に均分されることになる、というのが原則で ある。そのため、それに対応するように、彼らの面 倒をみるのも兄弟均分であるべきだとされる。これ が、輪伏頭のもう一つの背景である。 もともと輪1)c頭は台湾だけの制度ではない。中国 大陸の農村では、これが古くから行われてきた。台 湾へも、大陸から渡ってきた漢人がこれをもたらし たものと恩われる。台湾社会の高齢化が進むにつれ て、この輪1)c頭の積極的な意義が認められ、 1980年 代に非常な流行を見せた。しかし、その後はだんだ んと廃れてきている。2003年3月に筆者が調査した 雲林県斗六市においても、輪

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頭は減少傾向にあっ た。 それに代わって増えてきているのが、外国人家政 婦を雇って父母の世話をしてもらうというものであ る。 1992年5月に台湾政府が外国人労働者の入国を 許可して以来、増加の一途をたと守っている。共働き の息子夫婦にしてみれば、両親と共に住んであれこ れと世話を焼くストレスから解放されただけではな く、自らが出資していることで「孝道」倫理への違 反という罪悪感を抱かずにすむ。他方、両親は息子 や嫁の顔色をうかがいながら暮らす必要もないし、 自分たちの住み慣れた場所で輪伏頭と同レベル、な いしはそれ以上のサービスを享受することができ る。このことが大きいようである。 本論では、こうして現在さびれてゆこうとしてい 12・人間文化 る輪1)c頭制度の歴史と現状について、筆者による フィールド調査の成果も踏まえながら論じてみた

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.輪似頭の歴史 老親が息子たちの家々を順々に巡り歩いて食事を 供される、という慣行は、中国大陸では広く行われ てきた。その最古の例としてよくヲ│かれるのは、

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莫書』第43陸貿伝に見える次のくだりである。 「孝恵時、呂太后用事、欲王諸呂、畏大臣及有口 者。貰自度不能争之、乃病免。以好鴎団地善、往家 鷲。有五男、乃出所使越嚢中装、貰千金、分其子、 子二百金、令為生産。頁常乗安車蜘馬、従歌鼓琵侍 者十人、宝剣直千金、謂其子、与女約、過女、女給 人馬酒食極欲、十日而更。所死家、得宝剣車騎侍従 者。一歳中以往来過客、率不過再過、数撃鮮、母久 j園女為也。j 簡訳すると、「前i莫高祖の功臣だった陸買が、生 前宝剣だけを留保して、家産を五子に均分し、五子 の家を十日ごとに食べ回った

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というのである。 輪イ火頭の詳しい研究を行った台湾中央研究院民族 学研究所 (当時)の謝継昌は、これを同慣行の最初 の例としている。(;制 だ の ぼ る けれども、中国法制史の仁井田陸は、輪伏頭とい う方式は「農地面積のあまりない、殊に生計のあま り査でない農家に多く見いだされるものとすると、 大金持の陸買の場合はあながちこれとは、同例にな らないであろう」と述べ、陸買の逸話を輪食制と同 例に扱うことには反対している。註(2)

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現代中国における輪似頭 現代中国においては、〈輪1)c頭〉はまた「輪流飯

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、 「輪流管飯

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などと呼ばれ、各地で行われてきた。 謝が挙げているだけでも、楊怒春、林耀華、凌純声 がそれぞれ、山東省、福建省、江蘇省の慣行に言及 している事実を謝が注目している。{制 日本人研究者も、戦前からこの「輪、流管飯

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に注 目し、主として家族制度という側面から研究をすす めてきた。 そうした研究者の一人、仁井田陸の基礎資料と

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