キケローの「人格描写」論 ―アリストテレースとキケローの比較研究―
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(2) 論文. 前 4 世紀)の影響を大きく受けていると見られるため、両者の比較研究を行 ない、両者の共通点、及び相違点を明らかにする。そしてキケローがさまざ まな修辞学書で述べている人格描写の使用に関する理論を再検討し、それに より、キケロー独自の工夫を明らかにする 2。. II. アリストテレースとキケローにおける「人格描写」論の比較 キケローは諸弁論において人格描写を効果的に用いることで弁論を勝利に 導いており、その使用法についても多くの修辞学書で述べている。キケロー は人格描写により「敵対者をそのすべての持ち場から、幾度も完全に追い出 した」(Orat . 129)と語っていることから、いかに人格への言及が弁論の勝 敗を左右したかがうかがえる。キケローの人格描写に関する理論、特に初期 の修辞学書に見られる理論は、アリストテレースの『修辞学』で述べられて いる理論との類似点が多々見られる。なので、まずはアリストテレースとキ ケローの人格描写に関する理論を比較分析したい。. II.1 三種の弁論の目的―エートス・パトス・ロゴス アリストテレースは、その主要修辞学書『修辞学』において、 「弁論術とは いかなる問題についても可能な説得の方法を見出す能力である」 (1355b2526)と語っていることから、弁論の最大の目的とは「説得」であることが分 かる。そしてその説得は、エートス( θος・人格) ・パトス(π θος・感情) ・ ロゴス(λ γος・論理)の三種に訴えることで可能となる、とする(エート スとロゴスについては 1356a1-4、パトスについては 1356a14 参照)。エート スとは話者を含む登場人物の行動を含む人格や性格、パトスは主に聴き手の 感情、そしてロゴスとは弁論の論理性や論の正確性を指す。 このうち、 アリストテレースは弁論を勝利に導くには、特にエートス(人格) への配慮が最も大切であると考える。なぜなら、 「 (話者は自身の良い)人格 54.
(3) キケローの「人格描写」論 ―アリストテレースとキケローの比較研究―. によって最強といえるほどの信頼を得られる」 (1356a13)からである。すな わち、エートスは弁論の最大の目的である説得を実現するのに最も効果の高 い方法と言える。 このように、エートスは、時には言論の論理性(ロゴス)よりも優先して 配慮されるべきであるとアリストテレースは考える(1418a38-b1; 1415a381415b9 も参照)。つまり、例えば話者の人柄の良さを示すことができれば、 弁論の主張にたとえ整合性に多少欠けていても、主張を押し通すことができ る、というわけである。 また、 アリストテレースには以下の記述がある。弁論には審議(συμβουλε υ τ ι κ ν) 、 法廷(δ ι κα ν ι κ ν) 、演示( π ι δε ι κτ ι κ ν)の三種の弁論がある(1358b6-8)。 そしてそれらの弁論の目的は既に述べた通り、説得である。そして、その 説得は主として話者本人、聴き手、弁論の主題(内容)に拠って行われる (1358a38-b1 参照) 。うち、人物は、話者と聴き手であり、配慮すべき人格 もこの両者の人格である(1376a23-25 も参照。証言の場合も同じ)。さらに、 それが例えば法廷弁論などの場合、登場人物は話者(および話者の味方)と 聴き手に、敵対者も加わるため、大きく分けて合計三種の人格への配慮が必 要となる(1415a26-27 参照) 。 そして、聴き手には審判者、もしくは、単なる傍聴者(見物者)がいる。 法廷弁論の場合、審判者は裁判官であり、審議弁論の場合、聴き手の審判者 は民会の議員である。そして、単なる傍聴者が、話者の能力について判定を する(1358b2-6 参照) 。 他方、キケローは、人格描写について、 『発想について(De inventione , 前 81- 80 年) 』と『弁論家について(De oratore , 前 55 年)』や『弁論家(Orator , 前 46 年) 』などの修辞学書で述べている。このうち、『発想について』は、キ ケローが二十歳頃の若年時代の習作的な修辞学書であり、キケローが哲学や 弁論術を学んでいた頃の、いわば授業ノートのようなものであったと推察さ れる。よってこの作品には、アリストテレースなどのギリシア人の思想に由 来する伝統的な修辞学の影響が強く見られる。それに対し、 『弁論家につい 地域創造学研究. 55.
(4) 論文. て(De oratore )』や『弁論家(Orator ) 』などの晩年期の修辞学書では、アリ ストテレースの教科書的な修辞理論から離れて、弁論家としての経験から得 た実践的な理論が展開されている。 キケローは、上記のアリストテレースのエートス・パトス・ロゴスの三種 の分類を踏襲し、そのそれぞれに相応する概念として、聴き手の「好意を得 る」 ・聴き手を 「教化する」 ・ 「感動させる」 ことを挙げる。この三分類をキケロー は後期の修辞学書で以下の色々な訳語で表現している。 エートス: 「好意を得る」conciliare(de Orat . 2,128; 2,310 等),delectare (Orat . 69)など ロ ゴ ス:「教化する」docere(de Orat . 2,128; 2,310 等) , probare(Orat . 69) など パ ト ス:「感動させること」permovere(de Orat . 2,310),concitare (ibid . 2,128) , flectere(Orat . 69) , commovere(de Orat . 3,204) など 以上のように三種の分類をキケローは様々な言葉で訳しているため、ラテ ン語での的確な表現を常に模索していたと思われる。このうち、アリストテ レースのエートスを、キケローは「人格(persona) 」などと訳さず、 「話し手に 聴き手が好意を持つこと」 、つまり 「聴き手の好意を得ること」と訳している。 すなわち、 「教化する」 ・ 「感動させる」とロゴス・パトスを直接想起させる他 の二つの分類と異なり、アリストテレースのエートス(人格)を表す語を全く 使っていないのである。ここに、キケローにとってエートスは、ロゴス・パ トス以上に特別な意味を持つことが反映されている(de Orat . 2,178 を参照)。 キケローは以上の三分類を、弁論家の三大義務と考える。このうち、 「好 意を得る」手段として、若年期の修辞学書『発想について』において、以 下の点を挙げる。Benivolentia quattuor ex locis comparatur: ab nostra, ab adversariorum, ab iudicum persona, a causa.「好意は以下の四種、自身の人 格、敵対者の人格、審判者の人格、事柄から得られる。」(Inv . 1,22; de Orat . 2,321 も参照)。このように、キケローはアリストテレースと同じく、三種の 人格と事柄を挙げる。上記のように、 『発想について』は若年期の修辞学書 56.
(5) キケローの「人格描写」論 ―アリストテレースとキケローの比較研究―. であるので、アリストテレースなどの影響が強く見られる。 ただし、キケローはこれらをアリストテレースのように説得の方法として ではなく、 「好意(benivolentia)を得る」手段として挙げている。もちろん、 聴衆の好意を得ることも、説得の手段の一つには変わりないが、キケローは アリストテレースよりも強くエートスを好意の獲得と結び付ける。この、人 格描写を聴き手の「好意」の獲得手段と強く結びつけているところが、アリ ストテレースと異なる点である。よって、この初期の修辞学書においてさえ も、既にキケロー独自の考えが見られる。 さらにキケローは、晩年の修辞学書『弁論家について』では、以下のよう に語っている。 morum ac vitae imitatio vel in personis vel sine illis, magnum quoddam ornamentum orationis et aptum ad animos conciliandos vel maxime, saepe autem etiam ad commovendos;(de Orat . 3,204-205) 「人の性格や生き方の模倣―これは、決まった人物の場合も一般的な人 物の場合もあるが、人の心を好意的にするのに最大と言えるほど適して おり、さらに大抵、人の心を動かすことにも適している。」 ( 『弁論家について』3,204) すなわち、ここでも人格描写は聴衆の好意を得る最良の方法として挙げら れている他、心を動かす効果も持つことが追加されている。人格描写が、聴 衆の好意を得て、かつ聴衆の心を動かすこともできる最良の手段であるとい うのは、キケロー自身の数ある弁論の経験から生まれた理論であろう。この 点から、キケローはアリストテレースよりも「聴衆の好意を得ること」を重 視していると考えられる。 また、この箇所では、人格描写について若年期の『発想について』におい てよりも具体的に説明している。 キケローにとって人格描写とは、 「人の性格・ 性質」だけではなく、 「人の生き方や行動・行状」なども含めて描写すること を意味する。実際、キケローはさまざまな弁論での人物描写の際、その通り 実行している。ここにこそ、キケローが長年実際の弁論の場で培った話法が 述べられている。 地域創造学研究. 57.
(6) 論文. また、キケローの人格に関する理論にも発展が見られる。上記のように、 キケローは若年期の『発想について』では、アリストテレースに従い、配慮 すべき人格として、味方、敵対者、審判者の三種のみを挙げていた。が、晩 年期の『弁論家について』では、 聴衆が誰か、 例えば元老院(議員)か、国民か、 審判者か、大勢か少数か個人か、いかなる人々か、などへの配慮が大切であ 3 ると考える(3,211 参照) 。すなわち、審判者以外にも沢山の聴衆に注意すべ. きであり、彼らがどんな人間であるかを知っておく必要があることを示唆す る。実際、キケロー自身が行ったさまざまな弁論でも、キケローは審判者以 外の聴衆にも配慮を怠らず、それぞれの人格への言及もしている。このよう に、 『弁論家について』では、初期の修辞学書でよりもいっそう聴衆への配 慮を行っている。 以上のアリストテレースとキケローの人格・感情・論理(エートス・パトス・ ロゴス)理論を比較分析すると、キケローはそれらに数多くの訳語を考案し てはいるが、キケロー初期の著作では、基本的にこの三種の大まかな分類の 仕方はアリストテレースから受け継いでいることがわかる。また、エートス の概念(話者、聴き手、敵対者の三種の人格と事実に拠る説得)についても、 アリストテレースとキケロー(特に初期の著作)間に大きな違いはない。し かし、キケロー後期の著作では上記の三種の人格以外も沢山挙げられている ことに、キケローの弁論家としての経験が反映されている。 さらに、アリストテレースよりもキケローの方が、人格描写の効果として 「説得」よりも、「聴衆の好意を得られること」を、いっそう強調しており、 人格描写の効果をアリストテレースよりも重要視していると言える。そして 人格描写の方法(人の性格だけでなく行状も描写)について、アリストテレー スよりも詳しく具体的に述べている。聴き手はエートス・パトス・ロゴスを 駆使して理詰めで説得、納得させられたものの、話者には良い印象を持てな い。このような状態よりも、聴き手の好意をまず得られると、主張の真偽は どうあれ、結果的には聴き手を味方に付けて弁論を成功に導くことができ る。それほど聴き手の好意を得ることは、弁論の成否に大きく影響するので 58.
(7) キケローの「人格描写」論 ―アリストテレースとキケローの比較研究―. ある。キケローの初期の修辞学書にはアリストテレースの影響が強く顕れて いるが、晩年の修辞学書ではキケロー自身の経験則が反映されている。キケ ローは長年弁論を行ってきた経験から、上記のような結論に至ったのではな いか。. II.2「序論」理論―「直接的開始」と「婉曲的開始」 「序論」とは弁論の開始部のことであるが、アリストテレースは「序論」の 述べ方を以下の通り定義している。 「序論の述べ方には、大きく分けて、弁 論をその内容とは疎遠な事柄から開始する方法と、弁論内容と親縁な事柄か ら開始する方法の二つがある」 (1415a7-8 参照) 。ここではそれを、弁論の 「婉曲的開始」と「直接的開始」と名付けておく。 「婉曲的開始」とは、例えば、 法廷弁論の場合、係争内容(被告の罪状や証拠など)にほとんど触れず、い わば回り道をして、被告の性格や行動の良さなどから語り始めるような場合 にあたる。この婉曲的開始が必要となるのは、話者が話す前から、聴衆が話 者に偏見を持っていると感じられる場合など、あらかじめ聴衆をある程度、 懐柔しておいた方が弁論を有利に運びやすい場合である(1415a28-34 参照)。 それをアリストテレースは聴き手の欠点への「治療( α τρε μα τα) 」と名付 けており、この「婉曲的開始」は、弁論の序論部分だけではなく、弁論のど の部分にも共通してそれが有効であると言う(1415a25-26 参照)。そしてそ の「聴き手の治療」は、話者へ好意を持たせる一方で、話者の敵対者には怒 りの念を起こさせることによって行われるという(1415a34-36 参照)。 アリストテレースは、 弁論の「序論」だけでなく、それに続く「論証(陳述)」 部分の説明でも、論証の冒頭から、話者自身も敵対者もある性質の人間であ ることを披露すべきである、ただしそれを人に気づかれないように行うべき である、と述べる(1417b7-8 参照) 。その理由は、自分で自分のことを(特 に自分の人格が良いことを)話すと、えてして聴き手に妬まれやすくなった り、長々としつこいと思われたり、反論されたりしてしまうからである。逆 に、他者の性格の欠点をあげつらったりすると、他人の悪口を言っていると 地域創造学研究. 59.
(8) 論文. か、下品だと思われかねない。そうならないための工夫として、アリストテ レースは話者の周囲の者など他者の口を借りて言わせたり(1418b23-26 参 照) 、他者の言葉を引用して、話者自身の性格を遠回しに持ち上げたり、敵 対者の性格を批判したりすることを推奨する。これも、いわゆる弁論の序論 部分における 「婉曲的開始」 のような回り道にあたる。そしてアリストテレー スは、前述の弁論の序論や論証部分だけでなく、結論部でも同様の方法、す なわち話者は聴衆に好意的に思われ、敵対者は悪意を持たれるようにするよ う勧めている。要するに、アリストテレースは人格の使用について弁論の序 論に関する説明で述べるが、結局は、弁論の序論であれ、中盤であれ、締め の部分であれ、弁論全体のどこであっても、話者の人格については聴衆に好 感を持たれ、敵対者の人格については聴衆に反感を持たれるよう工夫すべく 推奨するのである。それは、序論における「婉曲的開始」のような、入念な 配慮を必要とする。 他方、キケローも同じく、聴衆の好意は弁論のどの部分でも得られるよう 努めるべきであると語る。 「聴き手の好意や高評価を得ようとするこの試み は、弁論全体、特に弁論の終結部に浸透していなければならない。・・・ とい うのも、ギリシア人たちは、序論(直接的開始)によって審判者を注意深く させ、教化しやすくもするよう忠告するが、この二つは有益ではあるが、直 接的開始にというよりは、むしろそれ以外の部分にこそ適しているからであ る。 」(de Orat . 2,322-323 および 2,311 も参照) このようにキケローは序論を含むそれ以外での人格描写の効果を、アリス トテレース以上に強調する。そして、アリストテレースと異なり、人格描写 の必要性を、序論よりも、むしろそれ以外の箇所により大きく置く。これに もキケロー自身の弁論家としての経験が反映されている。 アリストテレースの語るこの序言の「直接的開始」と「婉曲的開始」につ いても、キケローは『発想について』で以下のように語っている。 「序論(exordium)は直接的開始(principium)と婉曲的開始(insinuatio) の二種に分類される。直接的開始とは、はっきりとした言葉で、ただち 60.
(9) キケローの「人格描写」論 ―アリストテレースとキケローの比較研究―. に聴き手を好意的にし、教化し、注意を集中させることができる弁論で ある。婉曲的開始とは、そうとは見せずにある種の回り道を通って聴き 手の心にひそかに忍び寄る弁論である。賛嘆されるような弁論の場合、 もとより聴き手が全く敵対的でなければ、直接的開始によって聴き手の 好意を得られよう。しかしもし聴き手が甚だしく離反しているなら、婉 曲的開始へと逃れる必要があろう。それというのも、もし立腹している 者にあからさまに鎮静と好意を求めても、 それらを得られないばかりか、 憎しみの炎を煽ることになるからである。 」 (『発想について』1,20-21) 上 記 の 箇 所 で キ ケ ロ ー は 直 接 的 開 始 を principium、 婉 曲 的 開 始 を insinuatio と表現している。ラテン語の訳語を考案したこと以外は、アリス トテレースの序論の理論を忠実に受け継いでいる。 しかし、『発想について』はキケローの初期の修辞学書ながら、以下の記 述には、キケロー自身のものと思われる工夫も見られる。 「婉曲的開始(insinuatio)は、主張が想定外の場合、・・・ つまり聴き手 の心が敵意を持っている時に用いられるべきである。それはとりわけ以 下の三つの原因から起こる。弁論そのものに不面目が含まれている場合 と、先に弁論を行った者により聴き手が何かを納得させられたように見 える場合、あるいは弁論に耳を傾けねばならない者が聞くことにすでに 疲れてしまっている時に、話す順番が回ってくる場合である。というの も、前の二つの場合と同様、このような場合にも、聴き手が気分を害す る時もあるからである。もし不面目が主張への反感を生じさせている場 合、反感を持たれている人物の代わりに好かれている別の人物を引いて くる必要がある。あるいは反感を持たれている事柄の代わりに、認めら れている別の事柄を述べる。・・・ そうして憎まれる事柄から好まれる事 柄へと聴き手の気持ちを向けるのである。話者が弁護しようとしている 事柄を、話者が弁護するつもりがないように見せかけるべきである。そ して聴き手の気持ちを鎮めてから慎重に弁論を開始し、敵対者が嫌悪す る事柄は話者自身も嫌悪する事柄であると思われるように語る。次に、 聴き手の気持ちを鎮めると、誹謗されている事柄は話者とは何ら関わり 地域創造学研究. 61.
(10) 論文. がないことを示し、敵対者についてはあれこれ何も言うつもりもないこ とを言う。こうすれば人気のある相手をあからさまに批判せずこっそり とそれを行い、聴き手の好意を彼らからできるだけ引き離すことができ るのである。 」 ( 『発想について』1,23-24) アリストテレースとキケローのどちらも弁論の序論部分やその他の部分に おいても、婉曲的開始のような方法により聴衆の好意を得ることができると 考える。ただし、アリストテレースは敵対者には聴衆の怒りをかき立てるこ とができる、と考える一方で、キケローは敵対者から聴衆の好意を遠ざける ことができると語る。この点についてはアリストテレースとキケローが述べ ている婉曲的開始には、基本的には大差がない。 ただし、キケローは、アリストテレースの論に加え、敵対者が特に聴衆に 人気が高く、強大な影響力を持つ、論敵としては手強い者である場合も想定 して付け加える。そういった強力な敵対者にも、婉曲的開始のような方法を 用いることにより、敵対者への聴衆の好感を下げることができるという。 『発 想について』は、キケロー若年時代の作品であるため、当時若輩者だったキ ケローは、権威があり強大な権力を持つ年長の相手を敵に回して弁論を行う ことを想定し、特にこの「婉曲的開始」により、強力な敵対者への好意を弱 めるべく工夫を凝らして、 このことを書いたと思われる。すなわち、キケロー の「婉曲的開始」論には、当時のキケロー自身の置かれている状況、すなわ ちキケロー自身の人格(persona)も反映されている。. II.3 概念語・徳目用語 ―アリストテレースとキケロー後期修辞学書の比較分析― では、話者や敵対者の人格は、具体的にどのように描写すればよいのだろ うか。これについてアリストテレースは、話者を賞賛する場合、話者自身が すぐれた人物であると思われる必要がある、と考える(1415a39 参照)。すぐ れた人物、というのは、すなわち思慮(φρ νησ ι ς)も徳( ρε τ )も持ち合 わせる人物のことである。 思慮があり、 立派な人物 (φρ ν ι μο ικα σπο υδαοι, 62.
(11) キケローの「人格描写」論 ―アリストテレースとキケローの比較研究―. 1378a16)であると話者が聴衆に思われてこそ、話者が聴き手に信頼されて (1378a15) 、同意も得て理解もされやすくなる。 つまり、話者やその味方など、賞賛したい人物の性格を描写するには、そ の人物が持つ徳・美徳( ρε τ ,アレテー、複数は ρε τα )を挙げるとよい。 その美徳の種類について、アリストテレースは主として古代ギリシア伝統の いわゆる四元徳である正義(δικαι οσ νη,ディカイオシュネー) 、勇気 ( νδρεα,アンドレイア) 、節制(σωφροσ νη,ソープロシュネー)、思慮 (φρ νησ ι ς,プロネーシス)を挙げ、それぞれについて詳細に説明する。この 四元徳の他にも、威風堂々たること (με γαλοπρ πε ι α) ,寛大さ (με γαλοψυχα) , 気前良さ( λε υθερ ιτης) ,知恵(σοφ α)などの性格に関する肯定的な徳目 を挙げる(1366 b1-3 参照) 。この(美)徳を、 アリストテレースは「善きもの, γαθ ν,複数は γαθ 」とも言い換えている(1362b2-3 参照)。そして善き ものには、先程挙げた「精神の徳」 ( ρε τα ψυχ ς,1362b13-14,主にいわ ゆる四元徳)の他、 「身体の徳」 ( ρε τα σ μα τ ος,1362b15)と「身体外の徳」 (τ. κτς γαθ ,1360b25,外的な善)を挙げる。 「身体の徳」とは、例えば、. 健康や美しさ(1362b14)の他、力強さ(1361b15 および 22)、身体の大きさ、 敏捷さ(1361b22) 、話す力と行動する力(1362b22-23)、生来の才能、記憶力、 理解しやすさ、明敏さ(1362b24)などである。 「身体外の徳」とは、例えば 富、友と友情、名誉と名声(1362b18-20 および 1360b22 参照)、生まれの良さ、 友人の多さ、よき友を持つこと、富、よき子を持つこと、多くの子宝に恵ま れること、 よき老後(1360b20-21) 、 幸運(1360b23)などがある。このように、 アリストテレースは特に身体外の徳を数多く挙げ、精神的・身体的・身体外 の徳を問わずあらゆる徳をなるべく「数多く」獲得することがより大きな善 であると考える(1363b18-20 参照) 。 ただし、話者が自分で自分の性格の良さを語ると、聴衆に嫌らしく感じら れたりしてしまうかもしれないし、聴衆の心を自分へ向けようと見え透いた 努力をしていると受け取られるかもしれない。そうならないよう、注意を払 う必要がある。そのためには、上記のような「婉曲的開始」のような方法を 行う。このように、アリストテレースはエートス使用の際の注意点として、 地域創造学研究. 63.
(12) 論文. 人格描写がわざとらしく思われないようにとの入念な配慮をする。 また、持ち上げたい人物の性格を描写したいが、その人物の元来の性格や 行動が決して褒められるものでない場合であっても、肯定的に述べるという 高等な技巧もアリストテレースは説明する。 「人を賞賛するのが目的であっ ても非難するのが目的であっても、その人に非常に近い性質をも、それと同 じであると解するべきである」 (1367a33-35) 。賞賛するのはもちろん話者や その味方、非難するのは敵対者である。また、アリストテレースは以下のよ うに続ける。 「度を越えた性質を持つ者たちを、徳を持つ者たちとして解す るべきである。例えば、向う見ずな者を勇気ある者、浪費家を気前の良い者、 というように」 (1367b1-3) 。このように、ある人物を持ち上げたい場合、そ の人物の性質はたとえ欠点があってもそれはあからさまにせず、それに関連 するその人物の肯定的な特質を挙げるのが有効であるという。つまり、アリ ストテレースは人格描写を徳目用語を用いて行うことで、どんな人物であれ その人物を賞賛したり、批判したりできると考える。用いる徳目用語次第で 人物を賞賛することも非難することも可能になるのである。 以上がアリストテレースの人格描写に関する理論である。 一方、キケローが「弁論家にとってあらゆる徳を認識することは必要不可 欠である」 (de Orat . 2,348)と語っていることから、いかに徳目用語の使用 がキケローにとって重要であったかわかる。また、上述のアリストテレース の、話者自身が徳の高い人物である、と聴衆に思われるようにすべきという 論に関して、キケローも以下のように語る。 Valet igitur multum ad vincendum probari mores et instituta et facta et vitam eorum, qui agent causas, et eorum, pro quibus, et item improbari adversariorum, animosque eorum, apud quos agetur, conciliari quam maxime ad benevolentiam cum erga oratorem tum erga illum, pro quo dicet orator. Conciliantur autem animi dignitate hominis, rebus gestis, existimatione vitae;(de Orat . 2,182) 「弁論で勝利するのに非常に有効であるのが、訴訟を行う者とその者 64.
(13) キケローの「人格描写」論 ―アリストテレースとキケローの比較研究―. が弁護する者の性格、主義、行為、生きざまを是認し、同時に、敵対者 のそれを否認することである。そして、弁論家に関しても弁論家が弁護 している者に関しても、聴き手の心を極力好意へ向けるようにすること も、弁論で勝利するのに有効である。聴衆の心を好意的にするのは、そ の人の品格、 業績、 生きざまへの名声である。」 (『弁論家について』2,182) ここでは、キケローは描写すべき人格として、話者と敵対者の他、話者が 弁護する者(法廷弁論の場合は被告人やその味方など)を挙げ、 「話者と話者 が弁護する者 対 敵対者」の構図を作り上げる。 すなわち、キケローは話者と話者の味方の人格を賞賛し、反対に、敵対者 の人格は批判することで、聴衆の好意を得られたり、注意を惹くことができ ると考える。また、ここでもキケローはアリストテレースの論に加えて、 「聴 衆の好意を得る」ことを付け加えている。 そして「有徳な」人物の徳とは何かを、 アリストテレースは「思慮、高徳」と、 哲学者らしく四元徳で言い換えている一方で、 キケローは「品格」 (dignitas)、 「業績」 (res gestae) 「生きざまへの名声」 、 (existimatio vitae)というように、 「徳」 をむしろ社会的、 世俗的な価値を持つ語に言い換えている。このように、 人格描写に用いる概念語・徳目用語には、キケローが信条として生涯追及し た用語が多く含まれる。 また、アリストテレースと同様、キケローも、話者が人格描写を意図的に して聴衆の心を自分へ向けようとしていると聴衆に悟られないよう、弁論の 目的はあくまでも事実を伝えることである、と思われるように工夫するよう 助言している。 「教化し、好意を得て、感動させるという三つの方法によっ て人々を自分の見解へと導くのであるから、この三つの方法のうちの一つを 前面に押し出し、教化すること以外は何も望んでいないと思われるようにす べきである」 (de Orat . 2,310) 。これも序論における婉曲的開始のような方 法である。 さらに、キケローは徳と悪徳を議論する能力について、以下のように語る。 alii vero ancipitis disputationes, in quibus de universo genere in utramque partem disseri copiose licet. […] de virtute enim, de officio, 地域創造学研究. 65.
(14) 論文. de aequo et bono, de dignitate, utilitate, honore, ignominia, praemio, poena similibusque de rebus in utramque partem dicendi etiam nos et vim et artem habere debemus.(de Orat . 3,107-108) 「もう一方の論題(loci)は、両義的な議論を持つ(habent,上記の引 用前の文から) 。それにおいては、一般的な論題について賛否両論を豊 かに議論することが可能である。・・・ 美徳、義務、公正、善、品格、有 益性、名誉、不名誉、報酬、罰とそれに類する事項について、賛否の双 方に語る能力と技巧を持つべきであるから。 」 ( 『弁論家について』3,107) キケローは諸徳について賛否両論する能力と知性を持つのは弁論家の義務 であると考える。そしてこの考えが、キケローによる味方と敵の人格描写の 方法にも援用されていると本稿は推測する。ここでも、キケローは上記の箇 所以上に詳しく徳を様々な言葉で表している。 他の箇所でも、キケローは賛否両論の「賛」の場合の人格の述べ方を以下 のように語る。 Facilitatis, liberalitatis, mansuetudinis, pietatis, grati animi, non appetentis, non avidi signa proferre perutile est; eaque omnia, quae proborum, demissorum, non acrium, non pertinacium, non litigiosorum, non acerborum sunt, valde benevolentiam conciliant abalienantque ab eis, in quibus haec non sunt; itaque eadem sunt in adversarios ex contrario conferenda. (de Orat . 2,182-183) 「愛想良さ、気前良さ、穏和さ、誠実さ、人懐こい性格、がつがつし ない性格、貪欲でない性格の証を示すことも大変有益である。そして、 高潔で、謙遜して、辛辣でなく、頑固でなく、争い好きでなく、苛酷で ない者の性格もすべて、大いに好意を得られる。そして、このような性 格ではない者たちから人の心を遠ざける。それゆえ、敵対者に対しては 以上とは正反対の性格を帰するべきである。 」 ( 『弁論家について』2,182-183) 上記の箇所では、話者が支持したい人物(話者自身を含む)の人格描写の具 66.
(15) キケローの「人格描写」論 ―アリストテレースとキケローの比較研究―. 体的な方法が詳細に述べられている。ここで挙げられている性格は、特に他 者との協和・協調関係を維持するのに必要な性格である。 Horum igitur exprimere mores oratione iustos, integros, religiosos, timidos, perferentis iniuriarum mirum quiddam valet; […] genere enim quodam sententiarum et genere verborum, adhibita etiam actione leni facilitatemque significante efficitur, ut probi, ut bene morati, ut boni viri esse videamur.(de Orat . 2,184-185) 「それゆえ、彼ら(rei 被告人含む裁判の当事者)の性格が正しく、潔 白で、敬虔で、慎重で、不正に耐え抜くものであることを弁論によって 描写することは驚くべき何らかの力を持つ。・・・ というのも、ある種の 思考と言葉により穏やかな口演が用いられ、愛想良さが示されることで、 話者は高潔で、徳の高い、善良な人物だと人に思わせることができるか らである。 」 ( 『弁論家について』2,184) ここでは同じ肯定的な概念語であっても、上記の De orat . 2,183 の引用箇所 とは異なる人格が挙げられている。話者やその味方の徳、特に「正義」を強 く印象付け、敵対者の「不正」に抗するという、正義という概念を介して正 反対の対立関係をキケローが描こうとしているのが読み取れる。 Ex reo(reos appello, quorum res est) ,quae significent bonum virum, quae liberalem, quae calamitosum, quae misericordia dignum, quae valeant contra falsam criminationem;(de Orat . 2,321) 「当事者からは(当事者とは案件に関わる人物を指す)、善良な、立派な、 不運な人物であること、憐憫に値する人物であること、告発が虚偽であ ると暴くことができるような論題が引き出されよう。」 ( 『弁論家について』2,321) ここでは、話者やその味方が善良な人物(bonus vir)であるばかりでなく、 そのような徳の高い人物であるのに、 (おそらく敵対者の不正ゆえに)不幸 な状態に陥っているという状態を説明することが、いかに聴き手の心に訴え、 同情心や好意を呼び起こす力を持つかが語られている。 以上のアリストテレースとキケローが話者自身や話者の味方を描写する時 地域創造学研究. 67.
(16) 論文. に挙げるべきとした徳と、敵対者を描写する時に挙げるべきとした悪徳を整 理して対比する。以下、アリストテレースが『修辞学』で挙げている諸徳 ( ρε τα )を徳の種類ごとにまとめる。 <精神の徳( ρε τα ψυχς, 1362b13-14)> 思慮(φρ νησις) ・正義(δικαι οσ νη) ・勇気( νδρε α)・節制 (σωφροσ νη) (以上 1366b1-2,いわゆる四元徳)の他、威風堂々たるこ と(με γαλοπρ πε ι α) , 寛大さ (με γαλοψυχ α) ,気前良さ ( λε υθερ ιτης), 知恵 (σοφ α)など(1366b2-3) <身体の徳( ρε τα σ μα τ ος,1362b15)> 健康と美しさ( γε ι ακα κ λλος,1362b14),生来の才能(ε φυα) , 記憶力(μν μη) ,理解しやすさ(ε μ θε ι α),明敏さ( γχ νο ι α)(以 上 1362b24) ,力強さ( σχ ς,1361b15) 。また、競技に適した身体の 徳として(身体が)大きいこと(μ γεθος) ,敏捷さ(τ χος) (以上 1361b22)など <身体以外の徳> 富(πλοτ ος) ,友と友情(φλοςκα φ ι λα) ,名声(τ ι μ ) ,名誉(δ ξα) , 語り行動する能力(δ ναμ ι ςτ ο λ γε ι ν,τ ο πρ τ τ ε ι ν),全ての知識と 技術(α. π ι στ μα ιπ σα ικα α τ χνα ι),生きること(τ ζ ν,. 1362b18-26)など また、アリストテレースは幸福(ε δα ι μο να)を象徴する要素を列挙する が、そのうちの多くを徳( ρε τ )としても挙げている。また、幸福の一つ は徳であるとも考えている。そこで、幸福として挙げられていて、上記と重 複していないものには、家柄の良さ(εγ ν ε ι α) ,友人の多さ(πολυφ ι λ α) , よき友を持つこと(χρηστ οφ ι λ α) ,よき子を持つこと(ετ εκνα),多くの 子宝に恵まれること(πολυ τ εκνα) ,よき老後(εγηρ α),幸運(ετ υχ α) (以上 1360b19-23) ,財産(χρ μα τα,1360b28)などがある。 他方、キケローが話者自身や味方の人格を述べる際に用いるべきとしたさ まざまな美徳も以下に整理する。 アリストテレースの挙げた諸徳と、キケロー の挙げた徳目語 ( 形容詞を含む ) を対応させる。 68.
(17) キケローの「人格描写」論 ―アリストテレースとキケローの比較研究―. まずは徳と四元徳については、 4 <精神(animus)の徳(de Orat . 3,115 参照) >. 根源的な 「徳」 ( ρε τ ) : 徳 (virtus) , 善 (bonum) ,高潔な (probus) , 徳の高い (bene moratus) (de Orat . 2,184) 四元徳 正義 (δ ι κα ι οσ νη) : 公正さ (aequum, de Orat . 3,107) , 正しい (iustus) ,潔白な (integer) ,不正に耐え 抜く (perferens iniuriarum) (ibid . 2,184) 勇気( νδρεα) : 危険時の勇敢さ(fortitudo in periculis, ibid . 2,343)5 など 節制(σωφροσ νη) : がつがつしない (non appetens) ,貪欲で ない(non avidus)(ibid . 2,182)など 思慮(φρ νησ ι ς) : (思慮,sapientia, ibid . 2,344 などの語は 話者の人格描写で用いる徳には挙げら れない) このように、精神の徳に関しては、思慮(φρ νησ ι ς)以外はキケローの挙 げた徳目語にも対応する概念語が見られる。これらについても、キケローは 複数の語で翻訳している。一方、アリストテレースの挙げた徳目と直接対応 しないと思われる概念語は、 以下のように大まかに分類できる。以下すべて、 アリストテレースの言う「身体外の徳」に相応する。 <身体外の徳(externae res, de Orat . 3,115 参照)> 社会的地位、名声:品格(dignitas) ,業績 (res gestae) ,生きざまへの名声 (existimatio vitae) (de Orat . 2,182),名誉(honor, ibid . 3,107)など 政治・宗教: 義務(officium, ibid . 3,107) ,敬虔な(religiosus) ,慎重 な(timidus) (ibid . 2,184) ,誠実・敬虔さ(pietas, ibid . 2,182)など 有益性: 有益性(utilitas, ibid . 3,107)など 地域創造学研究. 69.
(18) 論文. 他者との和や協調を促す語:人懐こい(gratus),謙遜した(demissus), 辛辣でない(non acer) ,頑固でない(non pertinax) , 争い好きでない(non litigiosus),苛酷でない(non acerbus) (ibid . 2,182) ,愛想良さ(facilitas),気前 良さ(liberalitas) , 穏和さ(mansuetudo) (ibid . 2,182) など 有徳な人物が不幸な状態:立派な(liberalis),悲運に見舞われた(calamitosus) , 憐憫に値する(misericordia dignus) (ibid . 2, 321)など 以上のように、アリストテレースとキケローが話者やその味方を賞揚するの に挙げるべきとした徳目を比較すると、まず、徳と四元徳については、アリ ストテレースは全て、キケローも思慮以外はほぼ全て挙げている。特に、キ ケローの方は正義については様々な語で表現している。その他、身体の徳に 関しては、キケローは徳目に関して述べている上記の箇所とは別の箇所で、 弁論家に必要な身体の特性のみを挙げている(de Orat . 1,251 以下などを参 照。優雅な身のこなし、声など) 。そのため、アリストテレースは人間一般 に関する身体の徳を挙げているが、キケローの場合はほぼ弁論家の身体の徳 に限って挙げているという違いはある。それ以外、アリストテレースの身 体外の徳についても、キケローはアリストテレースと異なった徳を挙げてい る。特に、アリストテレースとは異なり、キケローには「他者との和や協調 を促す語」が圧倒的に多い。ここには挙げられていないが、協調(concordia,. de Orat . 1,56 参照)や平和(pax, ibid . 2,335 参照)という語は、イタリア各地 に現存するコンコルディア神殿やパックス神殿という名が示すように、神格 化もされているローマ社会固有の徳目語である。キケローは「和や協調を促 す語」を非常に沢山の表現で挙げていることから、これらがいかにローマ社 会にとって重要な概念であったかわかる。実際、階級間の協調(concordia ordinum)という語は、キケローの政治的信条の標語となっている程である 6。 他にも、話者の人格描写のためとしてではないが、人を賞賛するのに有効な 徳目として、親切心(comitas) ,慈悲深さ(clementia)や寛大さ(benignitas) 70.
(19) キケローの「人格描写」論 ―アリストテレースとキケローの比較研究―. も挙げている(de Orat . 2,343 参照) 。 また、アリストテレースの挙げる「身体外の徳」には、子宝や老後、友人・ 友情 7 など、私生活上での幸福に関する語が多いが、キケローの挙げる語に は、古代ローマの社会や政治に密接に関わるローマ的な徳目語が多いとも言 える。 ab nostra, si de nostris factis et officiis sine arrogantia dicemus; si crimina inlata et aliquas minus honestas suspiciones iniectas diluemus; si, quae incommoda acciderint aut quae instent difficultates, proferemus; si prece et obsecratione humili ac supplici utemur. (Inv . 1,22) 「話者自身の人格を用いるのは、自身の行動や職務について自慢と思わ れないように話す場合や、浴びせられた非難や不名誉な行いをしたとの 疑惑を晴らす場合、また、どんな災難に見舞われたか、どんな困難に直 面しているかに言及する場合、腰を低くして哀願と切願、嘆願を行う場 合である。 」 ( 『発想について』1,22) そして、上記の箇所でも述べているように、高徳な人物であるのに不運 に見舞われている状態を描写するのも、聴き手の好意や注意を惹くとキケ ローが考えていることが分かる。 「不正に忍耐強く耐える人格(perferens iniuriarum)」を描写することにより、話者の忍耐強い性格を印象付けると 同時に、敵対者が不正を行っていることも糾弾できるからである(de Orat . 2,346 も参照) 。 さらに、キケローは徳(virtus や honestas)と有益性(utilitas)の双方の追 及を根本理念としているため 8、徳だけでなく有益性(utilitas)の語も挙げ ていることも、 キケローらしいと言える。ただし、キケローは思慮(sapientia) 以外の四元徳や他者との和や協調を促す徳目語の方が、思慮(sapientia) や 宏 量(animi magnitudo) , 思 考 に お け る 才 能 の 力(in excogitando vis ingeni),雄弁(eloquentia)などよりも上位にあると考える。なぜなら、前 者は公益に寄与する徳であるが、後者はそれらを持つ当人だけが賞賛を受け る徳だからである(de Orat . 2,343-346 参照) 。 地域創造学研究. 71.
(20) 論文. キケローは、話者自身や味方のさまざまな徳を述べることで、聴衆の好意 を得ることができると考える。人格描写により弁論家は「徳の高い善良な人 物」だと思わせることができ、 それが弁論を勝利に導くと考えるのである(de. Orat . 2,184-185 参照)。逆に、こういった徳を持たない人物からは聴衆の好 感をそらすことができると考える。キケローはこの理論を、実際のさまざま な弁論の話者や話者の味方の人格描写に援用している。その描写の仕方は、 その人物の徳を様々な徳目用語を用いて述べることが基本となる。その人徳 には、上記のような古代ギリシア由来の徳の他、古代ローマ社会で重要視さ れたローマ特有の徳目語も含まれている。これらのローマ的徳目語は、古代 ローマ人の心の琴線に触れるもので、弁論でそれらを使用すると聴衆を話者 の味方に付け、聴衆の心を動かすのに大変な効力を持つ。 次に、以下でキケローは、敵対者の人格描写の方法も説明する。 ab adversariorum autem, si eos aut in odium aut in invidiam aut in contemptionem adducemus. in odium ducentur, si quod eorum spurce, superbe, crudeliter, malitiose factum proferetur; in invidiam, si vis eorum, potentia, divitiae, cognatio […] proferentur atque eorum usus arrogans et intolerabilis, ut his rebus magis videantur quam causae suae confidere; in contemptionem adducentur, si eorum inertia, neglegentia, ignavia, desidiosum studium et luxuriosum otium proferetur.(Inv . 1,22) 「敵対者の人格を用いるのは、彼らを憎しみや妬み、軽蔑の的へと導き たい場合である。彼らを憎しみの的にするには、彼らの卑しい、思い上 がった、残忍な、悪辣な行為を暴露するとよい。彼らを妬みの的にする には、彼らの権力、勢力、財力、眷属 ・・・ を言い立て、それらを不遜に も濫用する余り、彼らは事実よりもこういった力を拠り所として主張し ていると思わせるとよい。彼らを軽蔑の的にしたいなら、その怠惰、浪 費、臆病、職務を怠けていること、放蕩な暮らしを示すとよい。」 ( 『発想について』1,22) ここでは、キケローは敵対者の性格を、汚らわしい(spurce) ,思い上がっ 72.
(21) キケローの「人格描写」論 ―アリストテレースとキケローの比較研究―. た(superbe) ,残忍な(crudeliter) ,悪意ある行い(malitiose factum)とい う言葉で表すよう指示する。また、 権力(vis) , 勢力(potentia),財力(divitiae), 眷属(cognatio)という言葉で、敵対者が性格が悪い上に、権力や財力を持っ ていることも弁論で追及するよう勧める。さらに、怠惰(inertia),不注意 (neglegentia) ,臆病(ignavia) ,無精な暮らし(desidiosum studium),贅沢 三昧(luxuriosum otium)といった語で敵対者の放蕩で自堕落な生活ぶりを 描写することで、敵対者の生活が無益で、何ら人の役には立っておらず、む しろ有害であることを聴き手にアピールするよう述べる。 さらに、キケローは審判者の人格描写の方法も述べる。 ab auditorum persona benivolentia captabitur, si res ab iis fortiter, sapienter, mansuete gestae proferentur, ut ne qua assentatio nimia significetur, si de iis quam honesta existimatio quantaque eorum iudicii et auctoritatis exspectatio sit ostendetur;(Inv . 1,22) 「審判者の人格を用いて好意が得られるのは、審判者が勇敢に、賢明に、 慈悲深く振る舞った行為を、追従が過ぎると思われないよう気を付けて 述べる場合や、彼らについての評価がいかに高いか、彼らの判断と権威 にいかに大きな期待がかけられているかを示す場合である。」 ( 『発想について』1,22) 審判者の場合も話者や話者の味方同様、審判者の人徳を述べると、審判者(す なわち聴衆)を味方に付けることができるという。キケローによる審判者の 人格描写の際に特徴的であるのは、審判者の人格を、話者や話者の味方の 人格と同様、肯定的に描写する他、話者が審判者の審判(iudicium)と権威 (auctoritas) に訴え、 それを頼りとしていることを強調することである。特に、 話者やその味方の描写の際にはほぼ省かれていた四元徳のうちの一つ、思慮 (sapientia,ここでは副詞 sapienter)が審判者の性格描写には用いられてい る。これにより、キケローが話者やその味方よりも、審判者を一見、持ち上 げていることが分かる。強大な権力を持つ敵対者に立ち向うには、審判者の 深い洞察力と判断力、権威なくしては不可能であることを、弁論で明確に表 明すべきであると考える。ただし、前述のように、キケローは実際は公益に 地域創造学研究. 73.
(22) 論文. 与する諸徳の方を思慮よりも重視しているため、話者よりも聴き手の方が高 位にいるというのは、あくまでも見せかけの態度であって実際にキケローが そう考えているわけではない。したがって、 <話者とその味方・聴衆(審判者:表面上は話者より上位にいる) 対 敵対者> 上記の究極の対立関係を、キケローは人格描写によって描くことで浮き彫り にしようとしている。そして、話者・話者の味方・聴衆(審判者)の人格描 写は上記のようなさまざまな徳目用語で、敵対者の人格描写は悪徳用語で行 なっている。キケローは人格描写で敵味方を表現し分けるのにふさわしい 数々の概念語を考案している。相手によってこういった肯定的・否定的な概 念用語を使い分けることで、聴衆の好意を得て、聴衆を味方につけることが できるのである。そしてそれがキケローの諸弁論での最大の武器となってい る。 以上、古代ローマ独特のさまざまな徳目用語を用いて、味方に付けたい相 手を肯定的に、逆に敵対者は否定的に描写することを、キケローは『発想に ついて』の公刊後に行った数々の演説で、自身でも行っている。これらの徳 目語には、キケローが苦心してラテン語に翻訳し、言葉も思想もローマへ新 たに導入したものもあるし、ローマに古くからあったものもある。 キケローは晩年の修辞学書『弁論家』 (Orat . 128-130)において、ホルテ ンシウス(Hortensius)やカティリーナ(Catilina)などの名前を挙げて、彼 らに対して行った弁論で人格描写やパトスへの配慮を行ったことが、勝訴に 向けていかに効果を発揮したかを述べている 9。キケローが自身の友人を弁 護した際、最高の弁論家であるホルテンシウスに答えさせなかったこと、ま た、極めて横柄なカティリーナを元老院で批判し、口をつぐませたことを回 想している。このように、キケローの修辞学書では、人格描写理論を論じる ことに加えて、それに基づいてキケロー自身が弁論を行なったことで弁論を 成功させるに至った経験も述べられている。このことも、アリストテレース とキケローの修辞学書の異なる点である。 74.
(23) キケローの「人格描写」論 ―アリストテレースとキケローの比較研究―. III. 結 論 キケローは人格描写に関する理論についてアリストテレースの『修辞学』 を手本としているのは確かであるが、以下の点で両者が異なる。 アリストテレースは人格描写(エートス)の目的を「説得」としているが、 キケローは「聴き手の好意」を得ることを最大の目的としている。 また、両者とも、人格描写の理論は序論、特に「婉曲的開始」の説明部分 で述べており、 人格描写は慎重な配慮を必要とする技巧と言えるが、キケロー の場合、序論だけではなく弁論全体への適用、むしろ序論以外の箇所での使 用を勧めている。 そして、アリストテレースとキケロー両者とも、人物描写の際、話者やそ の味方には徳目用語、敵対者には悪徳語を用いるよう教示する。ただし、両 者の挙げる徳目の内容には違いがあり、アリストテレースは四元徳をはじめ とするギリシア哲学の思想的または私人的な徳目用語を数多く挙げている一 方で、 キケローはアリストテレースが挙げていないローマ社会独特の社会的・ 政治的な徳目語を数多く挙げている。それには、特にキケローがさまざまな 著作で標語として掲げていた「諸階級間の調和」 (concordia ordinum)を想 起させる、調和・協和に関する徳目語が数多く含まれる。それらは「公益」 に繋がる徳目である。つまり、キケローの挙げる徳目語にはキケローが目指 していた理想国家創設の礎となる語が数多く含まれている。 その他にも、アリストテレースは描写に用いる徳目用語は、話者と敵対者 の人格描写を目的としたものしか挙げていないが、キケローは話者と敵対者 に加えて審判者の人格描写に用いる徳目用語も具体的に挙げている。そして、 話者と敵対者以外にも、審判者の人格描写のための徳目も挙げている。それ らは話者や敵対者の人格描写のための徳目とは異なるものである。 最後に、アリストテレースとキケロー両者のもう一つの違いは、キケロー には初期の修辞学書『発想について』と後期の修辞学書(『弁論家について』 や『弁論家』など)という年代の異なる修辞学書が現存するため、これらを 比較するとキケローには人格描写理論の成長が見られることである。キケ 地域創造学研究. 75.
(24) 論文. ローの人格理論を含む修辞理論は、当初はアリストテレースなどギリシア哲 学者以来の修辞理論に多くを倣っていた。しかし、キケロー自身が弁論家と しての経験を重ねるに連れて、当初教科書的であったその理論にキケローの 経験則が付加され、修正されていった。キケローの晩年期の『弁論家につい て』には、長年に渡って法廷・政治・民会など多種多様の場で弁論を行った 経験が活かされており、アリストテレースのエートス理論に依拠しつつも、 それからはかなり進化していることが分かる。また、修辞理論を用いて弁論 を成功へと導いた体験も、後期修辞学書では述べられていることもアリスト テレースとは異なる点である。 以上の分析により、 キケローはアリストテレー スを参考にしつつも、 独自の 「人格描写」 論を発展させていることを解明した。. 引用作品の表記は、Henry George Liddell and Robert Scott, A Greek-English Lexikon , Oxford 1968 と P.G.W. Glare, Oxford Latin Dictionary , Oxford 1992 に記 載されている略語表に従う。 また、引用テクストは以下を底本とする。 W. D. Ross, ed., Aristotelis Ars Rhetorica , Oxford 1959. A. S. Wilkins, ed., M. Tulli Ciceronis Rhetorica I, Oxford 1991. A. S. Wilkins, ed., M. Tulli Ciceronis Rhetorica II, Oxford 1989. E. Stroebel, M. Tvill Ciceronis , Scripta qvae manservnt omnia , Fasc .2 , Rhetorici libri dvo qvi vocantvr De inventione , Stuttgart 1977. たとえば、 『アルキアース弁護』(Pro Archia , 前 62 年)など多数。 本稿の研究を、今後、キケローが行った年代の異なるいくつかの弁論を採り上げ、 どの弁論でどのような徳目を用いて勝利したかについて、修辞理論の実践法を 分析するための布石としたい。 3 ただし、 「聴衆」に特定しない若者、老人、中年など一般的な人物の分析はアリ ストテレースも行っている(1388b31 以下参照)。 4 キケローの三種の徳については、Tokiko Takahata, Politik-Philosophie-Rhetorik in cum dignitate otium Ciceros,『西洋古典論集』 (京都大学西洋古典学研究会編) 16 号、1999、p.86 を参照。 5 ただし、fortitudo は、話者に限らず人を賞賛したい場合に述べるべき徳として挙げ られている。 1 2. 76.
(25) キケローの「人格描写」論 ―アリストテレースとキケローの比較研究― Concordia ordinum という標語は、キケローでは Att . 1,17,9 および 1,18,13 で用 いられている。Concordia ordinum については Hermann Strasburger, Concordia ordinum. Eine Untersuchung zur Politik Ciceros , Amsterdam 1956 が 詳 し く 扱っている。Tokiko Takahata, ibid ., p.96 の注 39 も参照。Concordia という語の ローマにおける神格化についてはEiliv Skard, Concordia, in: Römische Wertbegriffe , Darmstadt 1967, p.173-208 を参照。 7 ギリシアとローマの友情の概念は異なる。前者は、特にアリストテレースは父母 と息子間の友愛も含めるなどして、多分に私的な友愛関係を指すが、ローマの 友情の概念は、私人間の友愛の他、弁論家とその顧客間、同盟者間などの社会的・ 政治的な友好関係をより強く指す (Karl Meister, Die Freundschaft bei den Griechen und Römern, in: Römische Wertbegriffe , Darmstadt 1967, p. 324-325 を参照) 。 8 高畑時子、 「キケロー『善と悪の究極について』の歴史的範例」 『西洋古典学研究』 、 (日本西洋古典学会編)49 号、2001、p. 121-122, 注 18 を参照。 9 たとえば、 キケローがホルテンシウスに勝利した弁論には 『クインクティウス弁護』 、カティリーナに対して勝利した弁論には『カティリーナ (Pro Quinctio , 前 81 年) 弾劾』(In Catilinam , 前 63 年)があり、キケローはそれらを指して言っていると 思われる。 6. 謝辞:谷栄一郎先生には、私が学生の頃以来、長らくご厚誼頂き、大変お世話 になりました。本稿は、長年未発表であった博士課程年次研究報告書(1997-1998 年) 『キケローの弁論における序論理論と実践 ―性格の対比について―』の一 部を大幅に加筆修正したものです。谷先生の御著書の一つ『キケロー選集 2』 (東 京、2000 年)と少しでも関連のある題をと思い、このテーマにさせて頂きました。 この度、本稿執筆の機会を賜り、谷栄一郎先生並びに奈良県立大学の先生方に は深く感謝申し上げます。. 地域創造学研究. 77.
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突然そのようなところに現れたことに驚いたので す。しかも、密教儀礼であればマンダラ制作儀礼
いない」と述べている。(『韓国文学の比較文学的研究』、
Failing to provide return transportation or pay for the cost of return transportation upon the end of employment, for an employee who was not a national of the country in which
【原因】 自装置の手動鍵送信用 IPsec 情報のセキュリティプロトコルと相手装置の手動鍵受信用 IPsec
Facsimile-edition of the Latin Charters prior to the ninth century, part XV, France III, Dietikon/ Zürich, 1986.. eds., Chartae
経済学研究科は、経済学の高等教育機関として研究者を