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2 初心特集世阿弥の初心から学ぶ 初心忘るべからず という名言は 誰もが一度は耳にしたことがあると思います そして 多くの場合 始めた頃の謙虚な志を忘れてはならない という意味で用いられます しかしながら 本来の意味はそうではないようです 私たちは今回の執筆を機会に この名言から自分たちの家族の在り

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Academic year: 2021

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人 生 に は た く さ ん の 出 会 い が あ り ま す 。 出 会 っ た に も か か わ ら ず 忘 れ ら れ て い く 出 会 い も あれば 、 人 生を 決 定 的 に 変 え て しま う よ う な 出 会 い も あ り ま す 。 出 会 い と そ の後 の 人 間 関 係 を 表 す こ ん な 話 が あ り ま す 。 そ れ は 、 私 た ち が 電 車 に 乗 っ た と き に 座 る 席 に つ い て の 話 で す 。 四 人 が 二 人 ず つ向 か い 合 っ て 座 る 座 席 、 二人 が 並 ん で 座 り 、 そ の 二 人に 向 か い 合 っ て も う 二 人 が 座る 座 席 を 想 像 し て み て く だ さ い 。 最 初 の 人 が 電 車 に 乗 っ て 来 ま し た 。 四 つ の 席 は ど れ も 空 席 で す 。 こ の 人 は ど こ に 座 る で し ょ う ? そ の 人 は 、 進 行 方 向 に 向 か っ た 窓 側 の 席 を 選 ぶ と い う の が 一 般 的 な 座 り 方 で す 。 二 人 目 の 人 が 乗 っ て 来 ま し た 。 で は こ の 人 は 、 残 っ た 三 つ の 席 の ど れ を 選 ぶ で しょ う ? そ の人 は 最 初 に 座 っ た 人 の 横 で も な く 、 す ぐ 前 で も な く 、 最 初 の 人 か ら は 一 番 遠い 席 、 つ ま り 、 斜 め 前 に 座 り ま す 。 こ れ は 、 出 会 っ た ば か りの 二 人 の 人 間 関 係 を 表 す 位 置 でも あ り ま す 。 二 人 の 関 係 は 他 人 同 士 であ り 、 疎 遠 であ る こ とを 示 す 位 置 関 係 で す 。 し か し 、 互 い の 間 に 人 間 関 係 が 生 ま れ 、 そ れ が 深 ま る に つ れ て 、 二 人 が 座 る 席 は 変 化 し て い き ま す 。 い つ し か 斜 め 前 で は な く す ぐ 前 に 、 つ ま り 、 顔 と 顔 を 見 合 わせ て 座 る 位 置 、 互 い の 目 や 顔 の 表 情 を 確 認 し な が ら 話 す こ と の で き る 位 置 へ と 移 っ て い き ま す 。 相 手 を も っ と 知 り た い 、相 手 に も 自 分 を 知 っ て ほ し い と い う 心 の 表 れで す 。 向 か い 合 う こ と 、 見 つ め 合 う こ と 、語 り 合 う こ と が 必 要 であ り 、 そ の よ う な こ とを 可 能 に す る の が 向 か い 合 っ た 席 で す 。 そ し て 最 終 的 な 位 置 と は 、 進 行 方 向 に 向 か っ て 二 人 が 隣 り 合 わせ に 並 ん で 座る 席 で す 。 も は や 多 く を 語 る こ と も 、 互 い の 目や 顔 を 見 合 す こ と も 必 要 と は さ れ ず 、 ただ 、 体 温や か す か な 息 遣い に よ っ て 互 い の す べ て を 理 解 し 、 す べ て を 赦 し 、す べ て に 耐 え るこ と が で き る 、 そ の よ う な 位 置 関 係 で す 。 二 人 が 同 じ 方 向 に 向 か っ て 共 に 進 ん で い る こ と 、 同 じ 目 的 に 向 か っ て 生 き て い る こ と 、 ち ょ う ど 結 婚 生 活 を 象 徴 的 に 表 す 位 置 関 係 で も あ り ま す 。 さ あ 、振 り 返 っ てみ ま し ょ う 。 今 日 まで の 皆 さ ん の 結 婚 生 活 は ど う だ っ た で し ょう ? 長 い 結 婚 生 活 の間 に は 、 互 い の 座 る 位 置 が 変 る こ と も あ る こ と で し ょ う 。 そ れ が 結 婚 生 活 と いう も の で す 。 で は 、 今 の お 二 人 は ど の 席 に 座 っ て い る で し ょ う ? い つ ま で も お 二 人 が 、 そ して ご 家 族 全 体 が 、 同 じ 方 向 、 同 じ 目 標 に 向 か っ て 共 に 歩 ん で い か れ る こ と を お 祈 り し て い ま す 。

出会

祇園カトリック教会主任司祭     加藤信也神 結婚セミナー/クラス/講座修了者におくる情報誌

「もはや二人ではなく一体(    )である」 マタイ19 ・ 6

41号

2016年・秋号

■司祭からのメッセージ:出会い(1 面) ■特集「初心」(2 ~ 3 面) ■ガラルダ神父信仰シリーズ:第 25 回(4 面) ■マザー・テレサの列聖(5 面) ■長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産(6・7 面) ■お知らせ・次回特集など(8 面) 「 初 」 と い う 漢 字 が つ く 言 葉 は、 初 心 以 外にも数多くあります。初耳、 初見、 初回、 初 詣、 初 雪、 初 孫、 初 仕 事、 初 対 面、 初 節 句、 初 秋 刀 魚、 初 日 の 出 な ど。 「 初 」 は、 文 字 通 り 初 め て の、 新 し い と い う 意 味 を 添 え、 そ の 事 態・ 事 象・ 経 験 は 初 め て と い う ことになります。 何が起こるかわからない、 あ る い は そ れ に 慣 れ て い な い 時、 あ る 種 の 緊 張、 期 待 や 不 安 を 伴 い ま す。 そ の よ う な 心 の 状 態 を、 広 い 意 味 で 初 心 だ と す れ ば、 私 た ち は、 日 頃 か ら 初 心 に な る こ と が 実 は 多いと考えられます。 さ て、 今 号 で は、 夫 婦 や 家 族 生 活 の 中 か ら 初 心 と い う 観 点 か ら、 初 心 の 意 味 や 今 後 の 向 き 合 い 方 に つ い て 論 じ て い た だ き ま し た。 初心について夫婦で、 家族で語らうきっ か け と な れ ば と 思 い ま す。 も も ち ろ ん、 初 心 を 忘 れ ず 未 来 に 進 ん で 行 き た い と 考えています。

司祭

からの

   

メッセージ

特 集

(2)

初心

特集

世阿弥の初心から学ぶ

「初心忘るべからず」という名言は、 誰も が 一 度 は 耳 に し た こ と が あ る と 思 い ま す。 そして、 多くの場合、 「始めた頃の謙虚な志 を忘れてはならない」という意味で用いら れます。しかしながら、本来の意味はそう ではないようです。私たちは今回の執筆を 機会に、この名言から自分たちの家族の在 り方について考えてみることにしました。 能 を 大 成 し た 世 阿 弥 に より 、 こ の 名 言 は 生 ま れ ま し た 。 秘 伝 書 『 花 鏡 』 の 中 に 、「 是 非 初 心 を 忘 る べ か ら ず 。時 々 の 初 心 を 忘 る べ か ら ず 。 老 後 の 初 心 を 忘る べ か ら ず 」 と 書 き 残 さ れ て い ま す 。意 味 は 複 雑 か つ 繊 細で 諸 説 あ り ま す が 、 私 た ち は 、「 初 心 者 の 頃 の 成 功 と 失 敗 を 忘 れ な い よ う に し な さ い 。次 の 段 階 に 進 ん だ 時 の 感 覚 を 忘 れ な い よ う に し な さ い 。集 大 成 であ る 老 後 の 段 階 に 備 え て お き な さ い 」 と い う 意 味 に 受 け 取 り ま し た 。 家 族 も 段 階 を 経 な が ら 集 大 成 の 老 後 に 向 か っ て い く と い う 意 味 で は 、同 じ な の で は な い で し ょ う か 。結 婚 講 座 に お け る 意 見 の 食 い 違 い か ら 言 い 争 い を し た り 、結 婚 式 で 祝 福 を 全 身 に 感 じ た 初 心 者 の 段 階 。生 活 習 慣 の 差 異 か ら 喧 嘩 を し た り 、 子 ど も の 成 長 に 一 喜 一 憂 し て い る 今 の 段 階 。こ れ か ら も 数 多 く の 段 階 が あ り 、ま だ 想 像 す ら で き な い 老 後 の 段 階 へ と 向 か っ て 行 き ま す 。始 ま り は 勿 論 大 切 だ け れ ど も 、そ の 時 に 回 帰 す る こ と が 目 的 で は な く 、常 に 形 を 変 化 さ せ る 家 族 と 共 に 段 階 を 一 歩 ず つ 歩 み 、そ の 変 化 の 積 み 重 ね を 忘 れ な い よ う に す る こ と が 大 切 な の だ と 思 い ま す 。 家族には一つとして同じものはなく、ど うするのが正解なのかは誰にも判りません。 でも、明日は今日の単なる延長線上にある のではなく、自分たちで方向を定めた先に 明日が生まれてくるのだと思います。これ からは家族としての初心を忘れずに明日を 見据えて日々を過ごし、老後まで家族の物 語を記憶に刻み続けようと思います。 二〇一二年ニ月 長町神父様   結婚講座修了 七宮清一・三人ご夫妻

夫婦の代わりはいない

私たちは二〇一一年一二月に聖イグナチ オ教会で結婚式を挙げ、夫婦となり約五年 が経過しました。結婚講座ではシルゴ神父 様と結婚講座の素晴らしい仲間たちに出会 い、 お 互 い の 考 え や 願 い、 覚 悟 を 知 り、 こ れからの夫婦生活に自信を頂きました。 私たちは同じ職場で出会い、幸いにも結 婚後も同じ場所、共通の人間関係を共有す ることができ、小さな喧嘩もありましたが 充実した日々を過ごしていました。私たち にはまだ子どもはいません。夫は予てから 海外で仕事のキャリアを積みたいという強 い希望があり、この時のために結婚当初か ら夫婦で話し合いを続けておりました。そ して一昨年、海外転勤が決まりました。 今まで通り二人が生活を共にするために は、私が会社を退職する必要がありました。 覚悟はしていましたが、 ちょうどその頃、 私 は仕事に対してやり甲斐や楽しさを感じて いた時期でした。女性の社会進出が目立つ 中で、私は会社を辞め、家庭に入ることで 社会と孤立するのではないかという疎外感、 新たな生活への不安を抱え、葛藤しました。 現 在 、 私 は 会 社 を 辞 め 夫 婦 二 人 で生 活 を 始 め て い ま す 。こ の 選 択 に 至 っ た 最 大 の 理 由 は 、や は り 五 年 前 の 結 婚 講 座 に あ り ま す 。 そ の 日 の 講 座 の テ ー マ は 「 家 庭 と 仕 事 」 で し た 。 当 時 の 私 た ち は ま だ 漠 然 と し た 考 え し かあ り ま せ ん で し た が 、講 座 の 最 後 に シ ル ゴ 神 父 様 が お っ し ゃ っ た 、「 会 社 に は あ な た の 代 わ り が い る が 、 夫 婦 の 代 わ り は い な い の で す 」 と い う お 言 葉 を ふ と 思 い 出 し た の で す 。 この言葉は、限りある人生の中で夫婦が 共に過ごす時間がいかに貴重であるかとい うことを思い起こす契機となりました。私 は新たな環境の中で、どのような可能性が あり、役割を果たせるか、まだ模索してい るところです。夫婦生活の中で道に迷った 時、大きな壁を乗り越えなければいけない 時、結婚講座で学んだ体験はどんな時でも すぐに当時の私たちに戻してくれます。 二〇一一年六月 シルゴ神父様   結婚講座修了 宮川淳・秋実・ご夫妻

「初心」を意識し向き合う

こ の 度 の 特 集 テ ー マ は 「 初 心 」 と の こ と 。 偶 然 に も 、 自 身 が こ の 七 月 で 五 〇 歳 を 迎 え 、 ま た 、娘 も 同 じ 月 に 堅 信 の 秘 跡 を 受 け る と い う 大 き な 節 目が あ り 、 こ れ ら に 際 し 抱 く 思 い と 今 回 の 原 稿 の テ ー マ と は 重 な り が あ る よ う 思 わ れ 、 何 か の ご 縁 を 感 じ て お り ま す 。 これまでも人生の折々に触れてきた「初 心」という言葉ですが、とりわけ強い印象 と共に思い起こすのは、自身が受洗したご ミサでの神父様のお話です。 「今日迎えた新 たな教会生活の仲間は皆、まさにピカピカ の一年生であって、とても眩しく輝いてみ える。私たち先輩信者一同も各々、洗礼を 受けた在りし日の気持ち、喜びを再度胸に、 新たな気持ち、 『初心』に立ち戻って信仰生 活を送っていきましょう…」という内容で した。洗礼そのものにもイエス様の子ども として「生まれ変わる」といった意味も込 められていると教わりましたが、 「初心」を よ り 広 い 感 覚 で 捉 え て み る と、 共 通 す る ニュアンスが感じられるよう思います。 日常、私たちが身を置く世界で、連続す る種々の仕事や学校での毎日、また生活の 諸習慣と雑多な事柄、これらの繰り返しに 忙殺される日々の中、時に迎える様々な場 面で、周囲の方々からの助言、或いは自身 で「初心」を意識し向き合うこととなった 時、私たちが想起するのは、その昔、紛れ もなく心にあった新しい気持ちと情熱、初 めて取り組む時の真剣さと少しの不安、前 向きな姿勢、 何でも吸収せんとする意欲、 向 上心、知的好奇心等々でしょうか。 五〇回目の誕生日と娘の堅信。そのお恵 みに感謝して祈りたいと思います。 「いつも 共にいて下さる神様。今後も日々の生活の 中で担っていく自らのお役目が、朝目覚め、 一日の始まりに『初心』 、就寝前に『振り返 り』 、こうした心のありようの大切さを意識 しながら、 『感謝と祈り』とともに果たせて いけるような力をどうかお恵み下さい」 。 一九九六年一〇 ロボ神父様   結婚セミナー修了 Oご夫妻

(3)

初心

特集

私たちの出発点

聖イグナチオ教会で結婚式を挙げてから 一三年が経ち、二人の子どもに恵まれまし た。振り返るとあっという間ですが、日々 の生活では家族四人ともなると良くも悪く もいろいろなことが起こります。自分の時 間はおろか夫婦の時間でさえ確保できない 日もあり、初心という言葉を思い出す余裕 もなく… 結婚に関して初心という言葉で思い出す のはやはり結婚セミナーです。同じ時期に 結婚する方々と、これから結婚してから起 こるであろうことを話し合えたことは、本 当に得がたい経験でした。結婚について他 の方の意見を聞くことによって、自身の価 値観を相対化できたことは私たちの結婚の 出発点だったと思います。それぞれに新し い家族を迎えて、そんな仲間とも会う機会 は稀ですが、新しい生活や環境に満たされ たり埋もれたりしているのだろうと想像し ています。 若い頃は「初心忘るべからず」という言 葉が嫌いでした。何か頭ごなしに説教をさ れているようでもあり、浮ついた心を見透 かされているようでもあったからです。で も今は「初心忘るべからず」という言葉に 幸せな響きを感じるようになりました。何 かを得たり失ったりしながらも出発点と同 じようなものがあるからこそ、初心を思い 起こす必要が出てくるのだろうと考えるか らです。 私たちの出発点となった結婚セミナーか ら様々な人との出会いと別れがありました が、全ての方にあらためて感謝しながら初 心を思い起したいと思います。 二〇〇三年七月 粟本神父様   結婚セミナー修了 村田英嗣・ミカ子ご夫妻

のある生活

先日、愛犬の一匹を亡くしました。子ど ものいない私たち夫婦にとって、約一二年 間を共に過ごした愛犬は大切な家族の一員 でした。父の看取り、病気による休職に転 職、 また長く辛い不妊治療に三度の流産。 た くさんのことを経験した一二年間でした。 その間どんな時もいつも私たち夫婦の傍 に い て く れ た の は 愛 犬 で し た。 泣 い た り、 笑ったり、そうしてたくさんの時を一緒に 過ごして、時には一緒に旅行にも出かけま した。そんな時に犬連れで出会ったアウト ドアの楽しさに触れ、それがきっかけでた くさんの子どもたちに関わるボランティア にも参加するようになりました。出不精で 塞ぎ込みがちだった私たちを、愛犬たちは どんどん外に連れ出してくれました。 結 婚 生 活 も 愛 犬 た ち と の 生 活 も お 互 い を 高 め 合 う 関 係 だ か ら こ そ 、 縁 あ っ て 今 世 で も 出 会 う べ く し て 出 会 っ て い る の か も し れ ま せ ん 。 結婚講座では、 「人間は神によって愛に向 けて創造されており、愛には必ず相手が必 要です。結婚は二人の当事者にとっては重 大問題であり、結婚によってその人の人生 は大きく左右されるため、事前に充分な心 構えが必要です。その『最初の心構え』に よって離婚などの悲劇も避けることもでき るのです」と学びました。 お 恥 ず か しなが ら 、 し ばら く 教 会 か ら も 遠 ざ か っ て い た 時 期 が あ り ま し た 。教 会 に 結 ば れ 、た く さ ん の 縁 に 結 ば れ た 私 た ち 。 そ れ ぞ れ の 素 晴 ら し い 出 会 い に 感 謝 し 、 こ れ か ら も 結 婚 講 座 で 学 ん だ「 最 初 の 心 構 え 」で ある 初 心 を 忘 れ ず に 、 今 自 分 たち に でき る 精 一 杯 を こ れ か ら も 家 族 で 心 を 込 め て 行 っ て い き た い と 思 い ま す 。 結 婚 は 一 生 で あ り 、 信 仰 も 一 生 。 今 後 も そ の 信 仰 に 裏 付 け られ た 真 の 愛 の 結 婚 生 活 で あ り ま す よ う に 。 二〇〇二年三月   粟本神父様 結婚クラス修了 丸茂 健・美由紀ご夫妻、海&岳

慣れは慢心を呼ぶ

世 阿 弥 の 言 っ た 「 初 心 忘 る べ か ら ず 」 の ” 初 心 ” と は 、「 始 め た 頃 の 気 持 ち や 志 」 す な わ ち 、 “初 志 ” の こ と を 言 っ て い る の で は な く 、「 芸 の 未 熟 さ 」 つ ま り 、「 初 心 者 の 頃 の み っ と も な さ 」 を 意 味 し て い る の だ そ う で す ね 。 こ の 文 を 書 く に あ た り 調 べ て み て 初 め て 知 り ま し た 。 生まれてから半世紀を越え、少しは世の 中のことを分かったようなつもりになって いた私でしたが、おのれの未熟さを突きつ けられた気持ちになり、まさに”初心”を 忘れずにいなくては、つい怠ってしまう自 分を痛感しました。 こ こ か ら は “ 初 志 ” の 意 味 で 使 わ せ て い た だ き ま す が 、 こ の 文 を 書 い た こ と は 、「 結 婚 生 活 に お け る 妻 や 家 族 と の 関 係 も 、初 心 を 忘 れ て は い け な い 」 と い う こ と を 思 い 起 す 機 会 と な り ま し た 。「 妻 の こ と は 、 も うす べ て 理 解 し て い る 」 な ど と い う 慢 心 の 中 で 、「 相 手 の こ と を も っ と 分 か ろ う 」 と し た 初 心 を 忘 れ か け て い た か も し れ ま せ ん 。 慣 れ は 慢 心 を 呼 び ま す ね 。 気 を 付 け な く て は な り ま せ ん 。 最近は結婚講座の担当者をさせていただ いていますが、受講生たちに対して「人の 心 の 中 は 他 の 人 に は 見 る こ と が で き な い。 夫婦は互いにコミュニケーションをしっか りとり続けることがとても大切」などと話 させていただいており、我が身を振り返る と恥ずかしい限りです。 それぞれが唯一無二の人生を生きる私た ち は、 夫 婦 で あ っ て も し っ か り コ ミ ュ ニ ケーションをとり“分かり続けよう”と努 力しなくてはならないということを改めて 胸に刻みました。 世 阿 弥 の 言 葉 は 「 時 々 の 初 心 忘 る べ か ら ず 、 老 後 の 初 心 忘 る べ か ら ず 」 と 続 く そ う で す 。 今後迎える人生のステージの中で、時々 の初心を見つめ続けることを忘れずにいた いものだと思いました。 一九八九年一〇月   粟本神父結婚セミナー修了 坂川   健・みどりご夫妻

(4)

結婚

秘跡

「 秘 跡 」 は 、 わ か り に く い こ と で す 。 だ か ら 「 秘 」 と い う 字 が 付 い て い ま す 。 結 婚 の 秘 跡 は 、「 生 涯 の 一 体 」 と い う 誓 い を も っ と 厳 し く す る 特 別 は 掟 にな る よ り も 、 生 涯 の 愛 を も っ と 強 め る 特 別 な 恵 み に な る で し ょ う 。 二人とも洗礼を受けていないという結婚 は、勿論、完全に有効です。しかし、秘跡 になりません。 「秘跡」 とは、 ラテン語では gracia (グラ チャ) 、 英語では grace (グレース)という 「恵み」を授ける式です。 「グラチャ」とは、 遠い存在と思われていた神の身近な温かさ を感じさせる恵みです。そして、 自分が、 神 にも人間にも愛されている実感を抱かせて、 自分が愛したい望みを深めさせる恵みです。 つまり、愛を感じさせる恵みです。愛であ る神に抱き締められている事実を、暖かく 感じさせる恵みです。 一般的なグラチャは、つまり、神の愛は、 すべての人間と自然を包みます。 しかし、 秘 跡のグラチャをいただくのは、秘跡を受け る人だけです。 カトリック神学は、七つの秘跡を認めま す。洗礼、堅信、ご聖体、赦しの秘跡、病 人の秘跡、司祭になる叙階、結婚という七 つです。   一つの秘跡を受ける人は、その 秘跡の特定な意味を実現することができる ために、適切な力と元気を感じさせるグラ チャをいただきます。 洗 礼 と い う 最 初 の 秘 跡 を 受 け る こ と に よって、 すべての秘跡をいただくために、 心 の門が開かれるかのようです。従って洗礼 を受けていない人の心は、秘跡の恵みに対 しては閉じているわけです。洗礼を受けて いない人との結婚は、 完璧に成立するし、 二 人が愛の一般的なグラチャを互いに授け合 います。しかし、グラチャに対して閉じて い る 相 手 の 心 に は、 こ ち ら の 与 え る グ ラ チャが入れません。 相手は、 自分の心に入っ てないグラチャを与えることはできないの で す。 つ ま り、 秘 跡 の「 グ ラ チ ャ の 交 流 」 は成り立たないわけです。もし、相手もい つか洗礼を受けるのなら、その結婚は自動 的に秘跡になります。なお、それをもっと 感じたい夫婦は、誓いの言葉と指輪の交換 を再度確認する、というような簡単な式を 挙げることもできます。 ところで、 結婚生活において、 絶えず、 そ の一般的なグラチャを、或いは神秘のグラ チャを、受け続けなければなりません。例 えで言えば、その恵みが常に流れ出る蛇口 だとします。その下に、 二人のコップ(心) を置かなければ、無駄に流れるグラチャの 水は、心に入らないでしょう。しかも、そ のコップは汚れていれば、清い水は、入る とたんに汚れるのでしょう。ですから、生 き方を常に磨かなければならないわけです。 なお、 夫婦生活において、 常に綺麗なコッ プを蛇口の下に置くことができるには、互 いに感謝と忍耐とコミュニケーションが必 要でしょう。   ハビエル・ガラルダ ワ ー ル ド ユ ー ス デ ー ( W Y D ) は 、 国 連 が 一 九 八 五 年 を 「 国 際 青 年 年 」 と 定 め た こ と を 受 け 、前 年 一 九 八 四 年 「 あ が な い の 特 別 聖 年 」 の 閉 会 ミ サ で 、 教 皇 ヨ ハ ネ ・ パ ウ ロ 二 世 が 、 青 年 たちにローマへと集うように呼びかけたこと に 始 ま り ま す 。 そ の 後 、毎 年 「 受 難 の 主 日 ( 枝 の 主 日 )」 が 「 世 界 青 年 の 日 」 と 定 め ら れ 、 二 ~三年ごとに世界各地でWYDの世界大会が 開 催 さ れ る よ う に な り ま し た 。こ の 大 会 は 世 界 中 の 若 者 が 一 つ に な り 、教 会 の 本 質 で あ る キ リ ストの受難と復活の神秘を味わうことと深く 結 び つ い て い ま す 。一 つ の 信 仰 を 持 つ 青 年 た ち が 世 界 中 か ら 集 い 、出 会 い を 喜 ぶ 祭 典 と し て の 要 素 だ け で は な く 、 回 心 に 始 ま り 、 キ リ ス ト の 受難と復活の神秘を祝う巡礼の旅でもあるの で す 。今 年 七 月 二 六 ~ 三 一 日 に ポ ー ラ ン ド の ク ラ ク フ で 行 わ れ た W Y D に 、聖 イ グ ナ チ オ 教 会 か ら 七 人 の 若 者 が 派 遣 さ れ ま し た 。 そ の メ ン バーの一人である絹田清那シナさんにその体 験 記 を 寄 稿 し て い た だ き ま し た 。 *   *   *   *   * 「 言 葉 」 で は と て も 表 し き れ な い ほ ど の 体 験の日々で、 帰国後も深く深く「ありがとう」 が流れる毎日です。 私 た ち は 大 会 が 行 わ れ る 場 所 へ 向 か う 前 にキエルチェで三日間過ごしたのち、クラク フに一週間滞在しました。二つの町で二家族 の 家 に お 邪 魔 し、 私 に と っ て 人 生 初 め て の ホームスティを体験しました。ちょっと咳を するだけで心配してくれる元看護師のおばあ ち ゃ ん、 大 会 の た め に 帰 宅 が 毎 晩 一 〇 時 に なってしまっても帰りを待ち、食事を共にし てくれるおじいちゃん。たった一週間という 短い期間でしたが、ファミリーは私たちに愛 を惜しみなく注いでくれました。 言葉は、 英語の「HELLO」さえ通じな いほどの環境でしたが、 「会話」には「言葉」 よりも分かり合おうという気持ちが大事なこ とをファミリーは愛を持って教えてくれまし た。私の中で、このファミリーとの出会いを なくして、WYDの話はできないと思い書き ました。今でも逆ホームシックになるほどに 恋しいです。 W Y D を 通 じ て い ろ ん な 人 が 様 々 な と こ ろで奇跡を感じ、神様を感じ、愛を感じたと 思います。約一五〇万人以上の人々が共に出 会い、 祈り、 すれ違いざまに握手を交わし、 抱 き合って、世界中で戦争や揉め事、差別など があるのにそこには「笑顔」ばかりが溢れて いました。側にもっと寄ること、耳を傾ける こと、分かち合い相手を知ろうという気持ち、 少しの歩み寄りだけで気付けば、自分自身が もっと幸せになれる。そうすると自然に周り へ伝わっていくと感じました。 「 そ ん な に 社 会 は 単 純 じ ゃ な い よ 」 と 言 わ れるかもしれませんが、一人一人が求めてい るものの真実はいたってシンプルな気持ちだ と思います。WYDの期間中よく雨が降りま した。けれども、 ミサの時だけは決まって、 雨 は止み太陽が見えました。その度に私は太陽 のそばに神様がいる気がして祈りました。 「私 にできることを教えてください」と。 滞 在 中、 そ し て 帰 国 後 も、 寂 し さ や 不 安、 そして与えてくれた感動に泣いてばかりでし たが、今私にははっきりとした道が目の前に あります。 あなたが私にしてくれたように、 私 もたくさんのあなたに出会って多くの人を救 える人になりたいと心から思っています。こ の機会をいただきたくさんの皆様に心から感 謝いたします。ありがとうございました。 絹田清那シナ

ガラルダ神父の信仰シリーズ

25 二〇一六年

WYDクラクフ大会

マザー・テレサの列聖

(5)

二〇一六年九月四日、バチカンのサンピ エトロ広場で、ローマ教皇フランシスコに よりコルカタのマザー・テレサをカトリッ ク教会で最高の崇敬対象「聖人」とする列 聖式が執り行われた。バチカンのサンピエ トロ広場には、マザー・テレサが創設した 神の愛の宣教者会の関係者をはじめ世界各 国からおよそ一二万人の巡礼者がつめかけ、 いつくしみの聖年にふさわしいマザーの列 聖を喜び祝った。 一九一〇年八月二六日 現在のマケドニア (旧ユーゴスラ ビアの首都スコピエ) の裕福なア ルバニア人の家庭に出生。 一九二八年   ア イ ル ラ ン ド の ロ レ ッ ト 修 道 会 に入会、インドへ。 一九三一年   初誓願。 一九三一~四八年 コルカタのセント ・ メリー ・ ハイ スクールで地理を教え、 三七年か ら学校長。 一九四六年   ヒ マ ラ ヤ   ダ ー ジ リ ン に 結 核 静 養に赴く途中「神の声」を聞く。 一九四八年   コ ル カ タ の ス ラ ム 街 に 移 り 住 み、 貧しい人々や孤児、 ハンセン病患 者らの救援活動を開始。 一九五〇年   コ ル カ タ に 「 神 の 愛 の 宣 教 者 会 」 を 設 立 。 活 動 は イ ン ド 各 地 か ら 世 界 五 五 か 国 に 。 イ ン ド 国 籍 を 取 得 、こ の 頃 か ら マ ザ ー ・ テ レ サ と 呼 ば れ る 。 一九五二年   コ ル カ タ 市 内 に『 死 を 待 つ 人 の 家』を開設。世界各地でも開設。 一九六六年   ブラザー ・ アンドリューを初代総 長 と し て「 神 の 家 の 宣 教 会 」( 男 子修道会)を設立。 一九七五年   シュバイツアー賞受賞。 一九七九年   ノーベル平和賞受賞。 一九八一年   初 来 日。 「 生 命 の 尊 厳 に 関 す る 国 際会議」で基調講演。 一九八二年   来日。広島、 岡山、 名古屋、 長崎 などを訪問。 一九八四年   三度目の来日。 一九九〇年   心臓発作で入院。 ペースメーカー を埋め込む。 一九九五年   この年までに一八〇の 「家」 がイ ンド国内に設立。 一九九七年   「神の愛の宣教者会」代表引退。   九月五日   コ ル カ タ の「 神 の 家 の 宣 教 者 会 」 本部で心臓発作で死去。 享年八七 歳。コルカタで国葬、 マザーハウ スに埋葬。 二〇〇三年   教皇ヨハネ ・ パウロ二世により福 者に列福。 二〇一六年   教 皇 フ ラ ン シ ス コ に よ り 聖 人 に 列聖。

マザー・テレサの列聖

マザー・テレサ (1910-1997)

マザー・テレサの主な年譜

1984 年 11 月 22 日 聖イグナチオ教会、真和会講演「平和を 求めて」で、3000 人近くの聴衆に、自 分が痛むところまで与えようと訴えた。 ★  私たちのしていることが、大洋の中 の一滴の水にすぎないことを知って います。でも、このひとしずくがな ければ、この大洋に、ひとしずくの 水が足りないことになるのです。 ★  大 切 な の は 、私 た ち が 何 を す る の か と い う こ と で は な く 、 ど れ だ け の 愛 を 、 そ の 行 い に 込 め る か と い う こ と で す 。 小 さ な こ と も 、 大 き な 愛 を も っ て 。 ★  私は神様の鉛筆です。その私を使っ て、神様が、ご自分のお望みになる ことをお書きになるのです。 ★  一人ひとりが、私にとって、この世 界におけるたったひとりの人です。 ★  誰かに愛をもたらしたいと思うなら、 その人に密着にかかわらなければな りません。もし、 数を求めるなら、 た だひとりの人に愛と尊敬をもって接 する代わりに、数の中に自らを失っ てしまうでしょう。    私は、人と人の間に起こることの存 在を信じます。 一人ひとりの人は、 私 にとってキリストです。そして、そ の人のうちには、ただひとりのイエ スがおられるのですから、今まさに 出会っているその人が、その時、私 にとって、この世界におけるたった ひとりの人なのです。 ★  あなたがたは、二人の人を一度に完 全に愛することはできません。でも、 あなたがたが、みんなのうちにおら れる、ひとりのイエス様を愛するな ら、みんなの人を一度に、完全に愛 することができるでしょう。 ★  私 が 、 イ エ ス 様 を 、 見 つ け ね ば な ら な か っ た の で は あ り ま せ ん 。 イ エ ス 様 が 、 私 を 見 つ け て く だ さ っ た の で す 。 ★  渇いている人に一ぱいの水を飲ませ てあげるなら、それはイエス様に飲 ませて差し上げることです。これは 小さな、単純な教えです。でも、よ く考えてみるなら、それは、一番大 切なことなのです。 ★  すべては小さなものです。でも、そ れを神様に差し上げるなら、途方も なく大きなものになるのです。 ★  単にほほえむだけで、どれほどたく さんの善をもたらすことができるの か、私たちは、決して知ることがで きないでしょう。ほほえみは、人に やさしくふれるようなものです。私 たちの命の中へ、 神様の真(まこと) のひとひらを運んできてくれるもの です。 参考 バチカン放送局、カトリック中央協議会    『マザー ・ テレサ100の言葉』 女子パウロ会     ヴォルフガング ・ バーター編、 山本文子訳

マザー・テレサの言葉

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長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産

本年七月二五日に行われたわが国の文 化審議会において、 「長崎と天草地方の潜 伏キリシタン関連遺産」が、本年度の世 界遺産国内推薦候補に選定された。今後 は世界遺産登録に必要な様々な手続きを 経て、平成三〇年夏に開催される世界遺 産 委 員 会 で の 登 録 を 目 指 す こ と と な る。 また、推薦書の見直しにより、タイトル を「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」 から、変更になっている。 「 長 崎 と 天 草 地 方 の 潜 伏 キ リ シ タ ン 関 連遺産」は、わが国のキリスト教禁教期 に、長崎の「隠れキリシタン」たちが密 かに信仰を守り続ける中で育んだ独特の キリスト教文化を物語る、一二の遺産で 構成されている。

■構成遺産の紹介

一、大浦天主堂(長崎市) 大浦天主堂は、現存する最古の教会と して国宝に指定されている。 加えて、厳しいキリシタン禁制の中で、 約二五〇年信仰を守ってきたキリシタン たちが、プチジャン神父に信仰を告白し た「信徒発見」の歴史的舞台でもある。 二、平戸の聖地と集落     ―春日集落と安満岳―(平戸市) 三、平戸の聖地と集落     ―中江ノ島―(平戸市) 一 五 四 九 年 、 聖 フ ラ ン シ ス コ ・ ザ ビ エ ルが日本に初めてキリスト教徒ヨーロッ パ 文 化 を 伝 え た 。 翌 年 、 平 戸 で 布 教 。 そ の 後 の 厳 し い キ リ ス ト 教 弾 圧 の 中 、 教 会 の 代 わ り に 、 先 祖 の 殉 教 地 や 平 戸 島 の 安 満 岳 、 中 江 ノ 島 な ど が 聖 地 と さ れ 、 信 仰 を 守 る 拠 り 所 と さ れ た 。 こ れ ら の 聖 地 は 今 も 崇 敬 さ れ 、 禁 教 時 代 の 景 観 を と ど め て い る 。 四、原城址(南島原市) 江戸時代最大の反乱といわれる「島原 の乱」 。その舞台となった原城では、 老若 男女を問わず、ほとんどの人々が殺され た。城跡からは十字架やメダイなど、キ リシタン遺物が多数発見されている。 五、外海の出津集落(長崎市) 六、外海の大野集落(長崎市) 七、黒島の集落(佐世保市) 八、野崎島の集落跡(小値賀町) 九、頭ヶ島の集落(新上五島町) 一〇、久賀島の集落(五島市) 一一、奈留島の江上集落(五島市) 一二、天草の崎津集落(天草市)

■長崎のキリスト教の歴史

長崎のキリスト教遺産のことをより理 解するために、その辿ってきた歴史を振 り返ってみたい。 【① キリスト教の伝来】 長崎でのキリスト教の歴史は、一五五 〇年に聖フランシスコ・ザビエルが、平 戸で布教を行ったことから始まる。多く の宣教師たちが活動した長崎では、多く の人がキリシタンとなった。 【② キリスト教の繁栄】 一五八〇年、日本初の「キリシタン大 名」である大村純忠が、長崎などをイエ ズス会に寄進し、長崎は「小ローマ」と 呼ばれるまでにキリスト教文化が栄えた。 有馬では、 教育機関として「セミナリヨ」 が置かれ、キリスト教教育の拠点となっ た。ここで学んだ四人の少年が、一五八 二年に「天正遣欧使節」 (※)として、 長 崎港からローマへ赴いたのである。 ※ 三 四 号「 こ の 人( 第 四 回 ) 天 正 の少年使節」を参照 【③ 秀吉に始まるキリシタン禁教】 豊臣秀吉は、一五八七年に「バテレン 追放令」を発し、宣教師たちの追放を命 じた。一五九七年には、 二六人の宣教師 ・ 信徒らが、長崎の西坂の丘で、はりつけ に処せられた。その後、禁教政策は徳川 幕府によって強化され、一六一四年には 禁教令が全国に発布された。 【④ 島原・天草一揆】 飢饉や重税に苦しんでいた有馬や天草 の領民たちは、一六三七年から翌年にか けて武装蜂起し「島原・天草一揆」が勃 発した。約三万七千人の領民たちは、原 城に立て籠もり戦った末、女性や子ども までもが皆殺しになった。その後、原城 の発掘調査では無数の人骨とともに十字 架やメダイが出土している。孤立無援の 中での籠城を可能にしたのは、キリスト 教信仰に基づく、共同体の結束が背景に あったと考えられる。 【⑤ キリシタンの潜伏時代】 島原・天草一揆の後の鎖国政策により 宣教師の入国も途絶え、一六四四年に最 後の神父が殉教して以降、各地のキリシ タンたちは、指導者となる神父がいない 中、自分たちだけでひそかに信仰を守る 完全な潜伏時代に入った。キリシタンへ の徹底した取り締まりが行われる中、潜 伏 キ リ シ タ ン た ち は 一 八 世 紀 末 頃 か ら、 開拓移民として、五島などの離島部へ移 住し、条件の悪い土地での厳しい生活の 中で信仰を守っていった。 【⑥ 大浦天主堂での「信徒発見」 一九世紀中期、幕府は開国へと方針を 変え、欧米五ヶ国に開放された長崎港に は外国人居留地が形成され、居留地内に 大浦天主堂が建設された。完成間もない 一八六五年三月、長崎市内の浦上地区に いた杉本ユリをはじめとする潜伏キリシ タンたちがこの聖堂を訪れた。 彼らは、 聖 堂にいるフランス人は自分たちが長く待 ち望んだ宣教師であるのかを確かめるた めに、 命がけでやって来たのである。 「ワ タシノムネ、アナタトオナジ…」潜伏キ リシタンたちがプティジャン神父に信仰 を告白したこの出来事は「信徒発見」と 呼ばれた。弾圧の中、二五〇年余りも潜 伏しながらキリストの教えを継承してき た 日 本 人 が い る こ と は、 驚 き と 感 動 を も っ て 当 時 の ヨ ー ロ ッ パ に 伝 え ら れ た。 その後、信仰の自由を求める国際社会の 非難が高まる中で、一八七三年、明治政 府はついに禁教の高札を撤去した。キリ シタンたちは、二五〇年余りに及んだ潜 伏を経て、初めて信仰を公にすることが できるようになったのである。 ■   ■   ■ このように、長きに亘る禁教時代の間 も、密かに信仰を守り続けたキリシタン たちが育んだ文化を物語る、 「長崎と天草 地方の潜伏キリシタン関連遺産」をこの 機会に訪れてみてはいかがだろうか。 出典 「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」    「知られざるキリシタン王国、 光と影」 )

長崎と天草地方の

潜伏キリシタン関連遺産

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長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産

長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産の構成遺産マップ

五島列島の教会

大浦天主堂

西坂公園にある日本二十六聖人殉教記念碑

(舟越保武作1962年) 堂崎教会 青砂ヶ浦教会 水の浦教会 出典:http://www.pref.nagasaki.jp/s_isan/ 長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産 聖 フ ラ ン シ ス コ 吉 聖 コ ス メ 竹屋 聖 ペ ト ロ 助 四 郎 聖 ミ ゲ ル 小崎 聖 デ ィ エ ゴ 喜斎 聖 パ ウ ロ 三 木 聖 パ ウ ロ 茨木 聖 ヨ ハ ネ 五 島 聖 ル ド ビ コ 茨木 聖 ア ン ト ニ オ 聖 ペ ト ロ ・ バ プ チ ス タ 聖 マ ル チ ノ ・ デ ・ ラ ・     ア セ ン シ オ ン 聖 フ ィ リ ッ ポ ・ デ ・   ヘ ス ス 聖 ゴ ン ザ ロ ・ ガ ル シ ア 聖 フ ラ ン シ ス コ ・   ブ ラ ン コ 聖 フ ラ ン シ ス コ ・ デ ・     サ ン ・ ミ ゲ ル 聖 マ チ ア ス 聖 レ オ ン 烏丸 聖 ボ ナ ベ ン ト ウ ラ 聖 ト マ ス 小崎 聖 ヨ ア キ ム 榊原 聖 フ ラ ン シ ス コ 医師 聖 ト マ ス 談義者 聖 ヨ ハ ネ 絹屋 聖 ガ ブ リ エ ル 聖 パ ウ ロ 鈴木

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▼(転ばぬ先の杖その七)赤ちゃんの胸抱き比較的重量の物を 動かす、持つ、運ぶことは多いと思います。相撲力士の琴奨菊 が 立 ち 合 う 前、 清 め の 塩 を つ か ん だ 後、 イ ナ バ ウ ア ー に 非 ず、 琴奨菊バウアーの動作をして館内を沸かせています。この姿勢 は腰痛を和らげる方法の一つかと思っています。 (内田) ▼ 最 近、 久 し ぶ り に 映 画 を 見 た。 新 海 誠 監 督 の「 君 の 名 は。 」 である。なるほど、周りが絶賛するのも頷けるくらい素晴らし い作品だった。シナリオはもちろんのこと、背景の美しさが見 事だった。ところで、六〇年くらい前に同じタイトルの映画が 公開されていたというのだから驚きである。 (佐藤) ▼リオパラリンピック閉会式でのフラッグハンドオーバーセレ モニー。近未来と日本の自然や美しさがたくさん織り込まれた 素晴らしいパフォーマンスであった。同じクールジャパンを表 現しながらも、パラリンピックの方がより感情に訴えかけられ る演出であったように思う。四年後が今から楽しみである。 (丸茂) ▼今夏、大島を訪れた。清々しい気分で朝のミサに与った。数 億 年 か け て で き た 地 層、 波 浮 の 港、 椿 博 物 館 な ど を 見 学 し た。 足早に小路を横切るリス、赤とんぼの群れ、緑陰の涼しさ、夜 は満天の星など大自然を満喫できた。特に、大島から見える富 士山に落ちるサンセットには息をのんだ。 (黒澤) ▼ 最 近 響 い た 茂 木 健 一 郎 さ ん の 言 葉。 「 毎 朝 起 き て、 今 日 も ま た淡々と作業をする。その過程で、やる気という特別なものは 必要ない。やる気というのは、それがあるから行動できるので はなくて、行動しないことの言い訳として、やる気を持ち出し ているだけの話なのである。何かを取り組んだり、行動したり するのにやる気は必要ない。 」 (玉木) ▼子どもたちが巣立ってから夫婦二人の生活になって約二〇年。 初心を忘れることなく、健康に注意して、これからもお互いに 支え合いながら自分らしく過ごしていこう。 (神谷)

41 号 2016 年 10 月発行 発行/聖イグナチオ教会 編集局    〒 102-0083    東京都千代田区麹町 6-5-1    電話 03-3263-4584    FAX 03-3263-4585    http://www.ignatius.gr.jp 印刷/三鈴印刷(株)    東京都千代田区神田神保町 2-32-1

聖イグナチオ教会イベント情報

指導司祭      ガラルダ神父 編集長・代表   玉木 健太郎 代表        神谷 智子 スタッフ  内田 京子    黒澤 朋  佐藤 麻実    丸茂 美由紀 編集ボランティアスタッフ募集 平日夜、月 1 ~ 2 回程度、聖イグナチオ 教会で one の編集活動を行っています。 ご希望の方は、連絡先を記入の上、教会 宛に FAX をお願いします。 聖イグナチオ教会事務室 FAX 03-3263-4585 住所変更時のお願い 住所変更があった場合は、同封のアンケー ト用紙に記入の上、聖イグナチオ教会宛に FAX をお願いします。

11 月 2016 年

2 日 (水)死者の日 亡くなられたすべての方々の ために祈ります 13 日 (日)   10:00子どもと共に捧げるミサ   15:30七五三祝福式 27 日 (日)クリスマスバザー

12 月

23 日 (金)14:00 子どもと家庭のクリスマスミサ 24 日 (土)クリスマス前夜のミサ 25 日 (日)クリスマスのミサ   7:00/8:30/10:00/18:00(日本語)   12:00(英語)/13:30(スペイン語)

1 月 2017 年

1 日 (日)0:00元旦のミサ 8 日 (日)   10:00子どもと共に捧げるミサ   18:00成人式

3 月

12 日 (日)10:00 子どもと共に捧げるミサ

次回

特集

子 ど も さ ん の い る ご 家 庭 が 主 の ミ サ で 、 奇 数 月 の 第 二 日 曜 日 の 一 〇 時 が 子 ど も の た め の ミ サ で す 。 聖 堂 入 り 口 で 黄 色 の 表 紙 の み ミ サ 用 の 冊 子 を 受 け取 り 、 四 歳 以 上 の お子 さ ん は 聖 壇 の 近 く の 席 に 、 四 歳 以 下 の 小 さ い お 子 さ ん は 、 保 護 者 と 共 に 座 る 席 が あ り ま す 。 ミ サ 用 冊 子 に は 祈 り と 歌 が 印 刷 さ れ 、 子 ど も の ミ サ グ ル ー プ の メ ン バ ー に よ る 伴 奏 で ギ タ ー 、ヴ ァ イ オ リ ン 、フ ル ー ト の 演 奏 で す 。 お 子 さ ん た ち が ミ サ に 親 し む と 同 時 に 、 ミ サ が 少 し で も わ か る よ う に 、 神 父 様 も お 子 さ ん た ち に わ か る よ う に 、 や さ し い 言 葉 で お 話 し く だ さ い ま す 。 距 離 的 に も 時 間 的 に も 土 曜 学 校 、 日 曜 学 校 へ の 出 席 が 難 し い の で あ れ ば 、 保 護 者 は で き る だ け 、 こ の子 ど も の ミ サ に 共 に ご 出 席 な さ る こ と を 願 っ て い ま す 。 皆様からの声を企画・誌面作りに生かし ています。 アンケートにお答え下さい! 読者⇔ キャッチボール マザー・テレサによる聖イグナチオ教会での講演 ・日時   一一月一三(日)一五時半 ・場所   主聖堂   ・日時   一二月二三日(金)一四時 ・場所   主聖堂 ・日時   一二月二四日(土) ・日時   一二月二五日(日) ・場所   主聖堂 ・日時   一月八日(日)一八時 ・場所   主聖堂

「子どもと共に捧げるミサ」って何ですか

  聖 年 と は 、 西 暦 一 三 〇 〇 年 に 始 ま っ た カ ト リ ッ ク の 行 事 で 、 こ の 年 に ロ ー マ に 巡 礼 す る と 特 別 な 赦 し を 与 え ら れ る と さ れ て い ま す 。 当 初 は 五 〇 年 に 一 度 で し た が 、 現 在 は 、 特 別 聖 年 を 除 き 、 二 五 年 に 一 度 と な っ て い ま す 。 バ チ カ ン 市 国 に あ る カ ト リ ッ ク 教 会 の 総 本 山 、 サンピエトロ大聖堂にある五つの扉のうちの 一 つ が 聖 年 の 扉 で す 。 教 皇 フ ラ ン シ ス コ は 、 私たちのまなざしをもっと真剣にいつくしみ へ と 向 け る よ う に と 願 い 、 二 〇 一 五 年 一 二 月 八 日 ( 無 原 罪 の 聖 マ リ ア の 祭 日 ) に こ の 扉 を 開 け 、「 い つ く し み の 特 別 聖 年 」 が 始 ま り ま し た 。 二 〇 一 六 年 一 一 月 二 〇 日 ( 王 で あ る キ リ ス ト の 祭 日 ) に 閉 幕 し ま す 。   い つ く し み は 隣 人 愛 に 通 じ ま す 。 親 が 子 を 愛 す る よ う に 、 自 分 を も 忘 れ 、 無 条 件 に 愛 し 、 想 う 心 で す 。 し か し 、 他 者 を い つ く し む こ と は簡単なようで早々出来ることではありませ ん 。 そ こ で ま ず 「 自 分 は 幸 せ で あ り た い 」 こ と を 確 認 し て 下 さ い 。 す る と 「 自 分 だ け が 幸 せ で い ら れ る は ず が な い 」 こ と に 気 づ き ま す 。 自 分 の 幸 せ は 、 周 り の 人 々 の 幸 せ が あ っ て こ そ 成 り 立 つ か ら で す 。   い つ く し み の 心 は 、 ま ず 「 自 分 の 幸 せ 」、 次 に 「 親 し い 人 の 幸 せ 」、 そ し て 「 親 し く な い 人 の 幸 せ 」「 嫌 い な 人 の 幸 せ 」「 自 分 を 嫌 っ て い る 人 の 幸 せ 」、 最 後 に 「 生 き と し 生 け る も の 全 て の 幸 せ 」 へ と 育 っ て い き ま す 。   次 号 の 特 集 テ ー マ は 「 い つ く し み 」 で す 。 い つ く し み に つ い て 考 え る こ と 、 思 う こ と な ど 皆 さ ま か ら の 原 稿 を 心 待 ち に し て お り ま す 。

参照

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