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岡山大学構内遺跡発掘調査報告 第19冊
一第15次調査一
サテライト・ベンチャービジネス・
ラボラトリー新営
↑@ .? t・
2004年
岡山大学埋蔵文化財調査研究センター
岡山大学構内遺跡発掘調査報告
一・ 謔P5次調査一
サテライト・ベンチャービジネス・
ラボラトリー新営
第19冊
14
2004年
岡山大学埋蔵文化財調査研究センター
序
本報告書は、岡山大学津島地区のサテライト・ベンチャービジネス・ラボラトリ ー新営にともなって1996(平成8)年に実施した津島岡大遺跡第15次調査の成果を まとめたものである。今回の調査区の一部については、すでに第3次発掘として 1986年から1987年にかけて調査をおこない1992年に報告書も刊行したところである。
しかしその後、当地に今回の施設建設が新たに計画されることとなり、前回調査区 に入っていなかった部分を中心としてあらためて発掘調査を実施することとなった。
調査の結果、前回調査にひきつづいて縄文時代の集落にかかわる遺構や弥生時代 以降の水田遺構を多く確かめ、当地が津島岡大遺跡のなかでもとりわけ遺構・遺物 の密度の高い地域であることがあらためて検証された。とくに縄文時代後期に属す る遺構群の発見は重要であった。自然河道に掘られた堅果類の貯蔵穴は前回調査し た貯蔵穴群の延長にあたるが、これらより南側の微高地においては新たに竪穴住居 状の遺構や石器製作にかかわるサヌカイト原石の埋納遺構などを調査することがで き、遺構類の少ない瀬戸内地域の縄文文化の研究に資するところが大きいと思われ
る。
このたびの調査のあと、本調査区のすぐ西側で環境理工学部棟建設にともなう発 掘がおこなわれ、また北方100メートルほどにある朝寝鼻貝塚では1997(平成9)年 に岡山理科大学による発掘が実施され、いずれにおいても縄文時代の調査で大きな 成果が見られた。その意味で、1999(平成11)年に本調査区以北のキャンパス東北 隅部分が遺跡保護区として当センター管理委員会および本学施設設定委員会で決定 されたことは重要な意義があり、キャンパスにおける遺跡保護という点でも本調査 区の発掘が果たした役割は小さくなかったともいえよう。
末尾ながら、発掘調査にあたってご協力をいただいた事務局をはじめ本学内外の 関係機関、各位に深甚の謝意を表するとともに、今後とも遺跡の保護と調査にいっ そうご理解をいただくようお願い申しあげる次第である。
岡山大学埋蔵文化財調査研究センター長
稲 田 孝 司
目 次
第1章歴史的・地理的環境・・………・………・・………・・………・………・…・…………・…・(光本順)1
第1節 近隣の遺跡・………・…・……・………・・…・………・…………・……・・…・1
第2節 津島岡大遺跡………・・…・・………・………・……・…………・◆……・…………・・………・・…・3
1。構内座標の設定 ………・・…・………・……・…・…・…・…………・…………・……・・………3
2.遺跡の概要 ………・・…・…………・……・・……・…・………・……・…………・・……・・…………・3
第2章 調査経過と概要………一・…・………・…・・…・………・…(山本悦世)7 第1節 調査に至る経緯…・………・・………・・………・……・…・………・………7
第2節 調査体制………・………・・…・…………・・……・……・…・………・…………・……・・…・・…7
第3節 調査の経過と概要・・………・・……・………・………8
1。経過 ・…・………・…・………・……・………・・………・………・……・…・………8
2。概要 ・………・…・…・………・・………・・………・………・・…・………10
第3章調査の記録………一……・……・……・……・…・・………・・…・………・…・…………・…・・……14
第1節 調査地点の位置と区割り ……・…・………・…………・………・・………(山本)14 1。調査地点の位置 ………・……・…・………・・………・………・…・……・…………・・……・………14
2.調査地点の区割り ………・………・・……・……・………° …°……… …………14
第2節 層序と地形 ………・………・……・…………(山本)15 1.層序 ………・…・……・・………・…・…・…………・…・………・・………・…・…………・…・………15
2。地形の推移 ………・・…・・…・………・…・…………・…・……・…………・・………・・………・20
第3節 縄文時代の遺構・遺物…・・………・…………・・……・・………・…・………・・…・………21
1.微高地部 ・……・…………・…………・……・・……・………・…・……・………・…・…・・………・…23
a b C d e 竪穴住居状遺構………・…・・…・・………・………・・…・…・・………・(山本)23
2.河道部 a b
第4節 弥生時代〜古墳時代初頭の遺構・遺物 1。弥生時代早期a b C
2.弥生時代前期a
土坑 ………・…・・…………・ 焼土遺構………・……・…・…・… ピット …………・…・…・…・…… 包含層出土遺物 ………・ ■ o ● ● 0 9 ● ● o ● ◆ ● ● o ● ■ ● ● ◆ ● ● ● ● ◆ ● o ■ ● ■ ● ● ◆ ● ● ◆ . 貯蔵穴状遺構 ………・…… 包含層出土遺物 ……◆………… ● ● ● ■ ● ● ■ ● ● ● ● ● ● ■ ● ■ ● ■ ● ◆ ■ . ● ・ ・ ● o 貯蔵穴状遺構・…・………・・ 杭列 ………・…・……・…・……… 包含層出土遺物 …………・…… ● ● ■ Φ ■ o ● ● ■ ● ■ ● ● ● ■ ◆ ■ ● ● ■ ● ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ 水田畦畔 …・…………・…・…… ・・・・・・… @◆・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… ( 〃 ) 26 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… @( ク ) 32 _………・・……・………・…・・………・・ i岩山音志保)36 ………・………・………… i山本・忽那敬三)38 … ◆・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 9・45 ____..……・…・…………・…・…………・…・…… i山本)48 …………・・……・・………・・…………・・ i山本・忽那)65 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… ( ク ) 74・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・…
@74
_.____._._..___……・……・…・………… i山本)75 …・………・……・…・・……… i山本・忽那)85 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… @( ク ) 88・・………・…・…・…………・…・…・……… i山本)94
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… @◆・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 命94
3.弥生時代後期〜古墳時代初頭 …………・…………・………・…・………・……・………(山本)96
a 水田畦畔 ・…………・……・・……・…………・・…・………・……・・…………・………96
bj葺・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・…98 第5節 古代・中世の遺構・遺物 ………・・………・…………・……・・………・…・・………(山本)99 1。古代 ………・…・……・・………・・……・………・・………・…・……・………99
a 耕作関連遺構 ・………・………・・………・・…………・…・…・………99
2。中世・……・…………・………・……・…・・…・………・…・…………・…・…・…………・…・………100
a 耕作関連遺構………・……・…・……・・…………・・………・…・………・・………・…………100
第6節 包含層出土遺物・………・…・…………・…・…・………・◆………・……(忽那)101 第4章考察……一………・・…………・……・…・…………・…・…………・…・…・…・…一………・・…一…103 1.津島岡大遺跡における生業変遷一貯蔵穴と水田の実態一………・・…・……(山本悦世)103 2.石器組成からみた縄文時代後期集落の空間利用……・…………・…・…………・…・・(忽那敬三)112
第5章 自然科学的分析
1.津島岡大遺跡第15次調査出土木材の樹種………・…・……・……・・…………・………(能城修一)ll7 2.津島岡大遺跡第3次・15次調査における放射性炭素年代測定・………・…・………127第6章結語………・・………・…・…………一…・一………・一…一・……・…・・(山本)128
写真図版
挿図目次
第1章 歴史的・地理的環境
図1 周辺遺跡分布図・………・・………2
図2 津島岡大遺跡構内座標と各調査地点………4
第2章 調査経過と概要
図3 調査風景1…・…・…… 図4 調査風景2・…・……… 図5 現地見学風景・…・…… …・…・…………・…・…X 図6
……・・…………・・……P0 ………・…・・…・…P0 図7 検出遺構全体図1
(縄文時代〜古墳時代初期) …………11検出遺構全体図2(古代・中世) …………12
第3章 調査の記録
〈第1節 調査区の位置と区割り〉 図8 発掘調査地点………・・………・………14図9 調査区区割り・土層断面位置………15
〈第2節 層序と地形〉 図10調査区土層断面1………・・………・…………17
図11調査区土層断面2………・・…・…………18
〈第3節 縄文時代の遺構・遺物〉 図12縄文時代検出遺構全体図……・…・………・…22
図13縄文時代遺構i全景〈微高地部〉………23
図14 縄文時代遺構西半〈土坑1・2周辺〉 ……23
図15 竪穴住居状遺構1・焼土遺構1………24
図16 竪穴住居状遺構1・焼土遺構1………25
図17 竪穴住居状遺構1出土遺物・…・………・25
図18土坑1………・………・・……26
図19 土坑1出土遺物1……・…………・・…………27
図20 土坑1出土遺物2………・……・…・…………28
図21土坑1出土遺物3……・…………・・…………29
図22 土坑2完掘状況・………・………・………30
図23 土坑2・出土遺物………・……・…・…………31
図24 土坑3・出土遺物・・………・…………32
図25 焼土遺構2………・・…・・………・………・33
図26 焼土遺構3・・………・………・……・…・34
図27 焼土遺構4……・◆………・35
図28 焼土遺構5…・…・………・35
図29 焼土遺構6………・・…………・・……・…・36
図30 ピット検出状況・…・………・………37
図31 ピット出土遺物………一…一・………37
図32 微高地〈14層〉出土遺物1一土器一………39
図33 図34 図35 図36 図37 図38 図39 図40 図41 図42 図43 図44 図45 図46 図47 図48 図49 図50 図51 図52 図53 図54 図55 図56 図57 図58 図59 図60
微高地〈14層〉出土遺物2一土器一………40
微高地〈14層〉出土遺物3一土器一………41
微高地〈14層〉出土遺物4一石器一………43
微高地〈14層〉出土遺物5一石器一………44
微高地〈14層〉出土遺物6一石器一………45
縄文後期河道部土層断面・…・………・…46
縄文後期河道流木および貯蔵穴状遺構全景47
貯蔵穴1…………・・……・…・…・…………・…48貯蔵穴2・・………・…・………・・…49
貯蔵穴3・・………・…・……… …49
貯蔵穴4…………・・……・…・………・・…50
貯蔵穴5・出土遺物・………・・………50
貯蔵穴6・7………・…・・………52
貯蔵穴8・出土遺物…………・・……・………54
貯蔵穴9・10・…・…………・………・・………・55
貯蔵穴11………・・……・…………・…・・56
貯蔵穴12・出土遺物…・…・…………・………57
貯蔵穴13……・・………・………・・………・……58
貯蔵穴13出土遺物・・………・…………59
貯蔵穴14…・………◆9・………・…・59
貯蔵穴14………・…・・…・………・・…60
貯蔵穴15…・………・………・…・・…・61
貯蔵穴15・出土遺物………・………・・………62
貯蔵穴16・17・出土遺物…………・・……・…63
貯蔵穴18………・・…………・……・・…・64
河道部出土遺物1一土器一………・…・・65
河道部出土遺物2・土器・………・・666
河道部出土遺物3一土器一………67
図61 河道部出土遺物4一土器一・………・…・68
図62 河道部出土遺物5一土器一………69
図63 河道部出土遺物6一土器一・・………・70
図64 河道部出土遺物7一土器一………71
図65 河道部出土遺物8一土器一・………・・72
図66 河道部出土遺物9一石器一………・………・・73
〈第4節 弥生時代〉 図67 早期遺構全体図(谷部) …………・……・・…74
図68貯蔵穴19………・………・…………・・……・・…76
図69貯蔵穴20・…・………・………・…・・77
図70貯蔵穴21……・・…………・……一………・・…78
図71貯蔵穴22…………・……・………・・…・…・78
図72貯蔵穴22……・・………・・…・・…79
図73貯蔵穴23………・・………・79
図74貯蔵穴24…………・……・………・・………・・…80
図75貯蔵穴25…・………・………・……・…・−80
図76貯蔵穴26……・…………・………・……81
図77 貯蔵穴27…………・……・…………・・……・…・81
図78貯蔵穴28………・………・…………・…82
図79貯蔵穴29……・…………・………・・………・…・82
図80 貯蔵穴30………・・…・…………・…・…・83
図81貯蔵穴31・……・…………・………84
図82貯蔵穴32………・…・……・………84
図83 杭列他・…・………・・………・…・……86
図84杭……・…・………・・………・…・…………87
図85谷部出土遺物1一土器一………・…・・…89
図86谷部出土遺物2一土器一………・・…・90
図87谷部出土遺物3一土器一………・…・・…91
図88谷部出土遺物4一土器一………92
図89谷部出土遺物5一石器一…・…・…………・…93
図90水田畦畔1全景他・出土遺物………94
図91 水田畦畔1…………・………・………・95
図92水田畦畔2全景………・………・・………96
図93水田畦畔2・溝i1〜5・………・…・……97
図94 溝1……・…・……・・………・・…………98
図95 溝2〜4・・………・…・……・………・…98
図96 溝5………・・………・・……… ◆………99
〈第5節 古代・中世〉 図97 古代・中世遺構全体図 ・・………・…100
〈第6節 包含層〉 図98 包含層出土遺物一石器・金属器一 ………102
第4章 考 察 図99 津島岡大遺跡貯蔵穴状遺構分布状況……105
図100 貯蔵穴状遺構法量分布・……・…………・…106
図101貯蔵穴状遺構断面形態と類型………107
図102水田面レベル分布(第3・15次調査) …107 図103 第15次調査地点石器出土状況………ll2
図104 第15次調査地点石器剥片及び焼土遺構・壁面被熱遺構分布状況……112
図105 縄文時代後期の
津島岡大遺跡出土遺構と石器組成……115
表 目 次 表1 表2 表3 表4
遺構一覧・・…………・…・・…・………12−13 表5調査区断面図の土層対応関係………47 表6
貯蔵穴状遺構類型別点数一覧 ………108第15次調査水田一覧 ・…………・……・……109
土層別遺物出土状況(第15次調査)………111
第15次調査地点縄文時代後期の 出土石器組成 ………・…・……・…………112
図版目次
図版1 縄文時代後期土器1 図版2 縄文時代後期土器2 図版3 縄文時代後期土器3 図版4 縄文時代後期土器4 図版5 弥生時代早期土器
図版6 石器1 図版7 石器2 図版8 石器3
図版9 石器4一土坑1一
図版10 木器例 言
1。本書は岡山大学埋蔵文化財調査研究センターが、サテライト・ベンチャービジネス・ラボラトリー新営に伴って実施 した津島岡大遺跡第15次調査の発掘調査報告書である。
同地点は、岡山市津島中3丁目1番1号に所在する。津島岡大構内座標では、AWOO・AWO1区に位置する。発掘調 査期間は1996年1月16日〜1996年4月23日である。調査面積は、全体では1600㎡を対象とした。
2.発掘調査は岡山大学埋蔵文化財調査研究センター管理委員会・運営委員会の指導のもとに行われた。また、報告書作 成に関しても、運営委員会の指導を得た。委員・幹事諸氏に御礼申し上げる。
3.本書作成にあたっては、木材の樹種同定を能城修一氏(森林総合研究所)に依頼し玉稿を頂いた。石器石材の同定は 鈴木茂之氏(岡山大学理学部)によるものである。植物遺体(種子類)の同定には沖陽子氏(岡山大学環境理工学部)の 指導を得て一部を掲載したが、正式な報告は改めて紀要において行うこととする。また、縄文土器に関しては千葉豊 氏・富井眞氏(京都大学埋蔵文化財研究センター)、柳澤清一氏(千葉大学)に教示頂いた。記して感謝申し上げる。
4.調査時の遺構実測・写真撮影は、岩崎志保・小林青樹・野崎貴博・光石鳴巳・山本悦世・横田美香が行った。
5.報告書作成に当たっての主な担当は以下の通りである。
〈遺物〉土器・土製品の実測・浄写・観察表:山本、石器・木器の実測・浄写・観察表:忽那敬三、アンペラ実測・
浄写:光本順・野崎、拓本:伴祐子、遺物写真:光本、〈遺構〉浄写:山本
6.本書の執筆分担は目次に示した。忽那・山本の連名の場合は、石器・木器に関する記載を忽那が担当した。
7。編集は、稲田孝司(センター長)の指導の基に、山本が担当した。
8.調査の概要は、『岡山大学構内遺跡調査研究年報』13において一・部を報告しているが、本書をもって正式なものとする。
9.本書で使用した地形図は、建設省国土地理院発行の1/25,000の地形図「岡山北部」と「岡山南部」(平成6年発行)
を合成して使用したものである。
10.本書に掲載した調査の記録・出土遺物はすべて当センターで保管している。
凡 例
1.本書で用いる高度値は海抜標高であり、方位は国土座標第V座標系(日本測地系)の座標北である。
2.遺物番号は、種類別に通し番号とするが、石器にはS、木製品にはW、金属器にはMをつけて区別する。
3.遺物に関するデータは観察表にまとめ、実測図と組み合わせて掲載している。
拓本は内外面を掲載する場合は、左側に外面、右側に内面を置く。片面の場合は外面の拓本を基本とし、内面を掲載 する場合は(内)と表記する。
観察表の表記基準は以下の通りである。
①内外面の色調を併記する場合は、「内面・外面」の順序で表示する。
②胎土は、微砂:砂粒径0.5㎜未満、細砂:同0.5〜1㎜未満、粗砂:同1〜2mm未満、細礫1同2㎜以上を基準とする。
③法量の単位は「cm」である。
4.遺構は、種類を以下のように記号で略す場合がある。
竪穴住居状遺構:SH、土坑:SK、焼土遺構:SX、貯蔵穴状遺構:SP、溝:SD、柱穴:P 5.写真図版の遺物番号は本文中の遺物番号に一致する。
近隣の遺跡
第1章 歴史的㊧地理的環境
第1節 近隣の遺跡
津島岡大遺跡ωの所在する岡山市津島中は、岡山平野の北部に位置する。北側に半田山・ダイミ山・■山と いった標高150m前後の小山塊が連なり、岡山市を南流する旭川の西岸にあたる。
岡山平野は、縄文海進がおさまる縄文時代前期頃以降に、岡山県の三大河川である旭川・吉井川・高梁川の堆 積作用によって徐々に形成された。近隣の遺跡の中で、人類が残した最も古い痕跡としては、現状では操山丘陵
に位置する旧石器時代の操山219号遺跡が知られる。
縄文時代の津島岡大遺跡周辺は、旭川の氾濫と堆積作用によって生まれた自然堤防と小河川が複雑に入り組ん だ景観を呈していたことがこれまでの発掘調査からわかってきた。こうした地形の影響が遺跡の性格に大きな影 響を与えている。縄文時代前期にさかのぼる遺跡は、津島岡大遺跡に近接する朝寝鼻貝塚(2)である。この貝塚 は半田山丘陵の下端に位置するが、それより低位部にあたる津島岡大遺跡においては前期にさかのぼる遺構や遺 物は今のところ発見されていない。
津島岡大遺跡周辺の平野部に本格的に人が生活を始めたのは縄文時代中期以降のようである。中期の遺物は、
津島岡大遺跡や旭川東岸の百間川沢田遺跡(3)においてみつかっている。後期になると、遺跡の数が増加する。
田益田中(国立岡山病院)遺跡(4)・津島岡大遺跡・朝寝鼻貝塚・百間川沢田遺跡⑤などで当該期の遺跡が発見 されており、現状では山塊に近い土地に点在して分布する。晩期においては、津島岡大遺跡や百間川遺跡群(6)
など、平野部への進出がなされた。
水稲農耕が北部九州に導入された弥生時代早期以降、各地に波及していく中で、瀬戸内にもそれを示す遺構や 遺物が残されている。特に、津島岡大遺跡一帯は広い範囲で前期の耕作域が形成されており、水田開始期の具体 的な様相を知る上で注目される地域である。水田畦畔は、弥生時代早期にさかのぼる可能性がある津島江道遺跡
(7)、前期の津島岡大遺跡、津島遺跡(8)、北方遺跡(9)、北方地蔵遺跡(1°)等で発見されている。
弥生時代前期後半から中期以降、沖積部の拡大に伴い、集落は平野への進出を本格化させる。津島岡大遺跡や 津島遺跡に加えて、南方遺跡(11)、絵図遺跡( 2)、上伊福遺跡(13)等において集落が営まれ、生活域の拡大を認める
ことができる。また、旭川東岸の平野部では雄町遺跡(14)や百間川遺跡群、海浜部に程近い平野の南部では中期 以降に鹿田遺跡(15)、後期から天瀬遺跡(16)がみられる。
弥生時代の終わり頃から古墳時代前期にかけて、集落は継続的に営まれ、安定的な生産基盤が形成される。そ の一方で、この時期には有力な墳墓が相ついで築かれた。津島岡大遺跡の北側の半田山山塊には、都月坂2号墳 丘墓(17)・1号前方後方墳(18)、七つ坑墳墓・古墳群(19)、といった首長墓が系列的に形成される。また、旭川東岸 の竜ノロ山塊には、13面の三角縁神獣鏡が出土した備前車塚古墳(2°)、操山山塊には操山109号墳(2 )、網浜茶臼山 古墳(22)、湊茶臼山古墳(23)などが築かれる。古墳時代中期になると、旭川西岸におつか(様)古墳(24)、神宮寺山 古墳(25)、東岸に金蔵山古墳(26)、半田山山塊に一本松古墳(27)が築かれるなど、小地域に有力古墳が点在する状況 がみられる。古墳時代後期には、旭川東岸の操山古墳群(28)や竜ノロ山頂古墳群などの群集墳が山塊に営まれる 一方、唐人塚古墳(29)のような大形の横穴式石室をもつ巨石墳も築かれた。
古墳時代の生業を示すものとしては、津島岡大遺跡や津島遺跡でみられるような水田経営があるが、津島周辺 において、鍛冶や製鉄に関連する遺跡が分布することが、近年の調査研究で明らかになりつつある(3°)。前期に は北方下沼遺跡(31)や北方横田遺跡(32)、後期には津島岡大遺跡や津島遺跡で、鍛冶炉や鉄津、輔の羽口などが確 認されている。また、半田山山塊の北側に位置する白壁奥遺跡(33)や津高住宅地内遺跡群(34)では、古墳時代の鍛
歴史的・地理的環境
ぽ1ぢ1[蕎ム峯
鶯。、・パ.・陽
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懇艦離濠三謡
㌶耀・慧鐸簗1蕊遣崇霊、
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」 1 焦 ∫r禄》・・
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§ζ罰 4呼〉溺
ご縫難1懸鑓:1㌃汽 灘慧灘蕪馨鞍葦
か
藩禦鞠織霧諜
一⊆一一x−♂ 〆y竃
弁㍉ひr7ブ.782撚
一請一 ⊥庄雀鷲
1。津島岡大遺跡 (縄文中期〜近世)
2 田益田申(国立岡山病院)
遺跡(縄文〜近世)
3 白壁奥遺跡(古墳後期)
〈製鉄>
4 津高住宅団地内遺跡群 (古墳他)〈製鉄遺跡群を含む>
5.佐良他古墳群(古墳後期)
6 描鉢池古墳群(古墳後期)
7。奥池古墳群(古墳後期)
8 タイミ山古墳(古墳中期?)
9 津島東3了目1地点(弥生 古墳)
10 宿古墳群(古墳前期 後期)
11 片山古墳(古墳前期)
12 鳥山城跡(戦国)
13 七つ執墳墓・古墳群(弥生 〜古墳)
14 都月坂墳墓 古墳群(弥生〜
古墳)
15 半田山城(載国)
16 津島福居遺跡(古墳〜室町)
17おつか(様)古墳(古墳申期)
18 津島東遺跡(縄文〜室町)
19 朝寝鼻貝塚(縄文前〜後期)
20 一本松古墳(古墳中期)
21不動堂古墳 22 妙見山城跡(戦国)
23。鎌田遺跡(弥生他)
24 津島新野遺跡(弥生)
25 津島江道遺跡(縄文〜近世)
26 北方長田遺跡(弥生〜近世)
27 神宮寺山古墳(古墳申期)
28 青陵古墳(古墳前期)
29 石井廃寺(奈良P〜室町)
30 津倉古墳(古墳前期)
31 妙林寺遺跡(弥生)
32 上伊福西遺跡・尾針神社南 遺跡(弥生〜平安)
33 津島遣跡(弥生〜近世)
34 北方下沼遺跡(弥生〜室町)
35 北方横田遺跡(弥生〜室町)
36 北方中溝遺跡(弥生〜室町)
37 北方地蔵遺跡(弥生〜近世)
38 北方薮ノ内遺跡(弥生〜近世)
39 北方上沼遺跡他(弥生〜近世)
40 上伊福遣跡 伊福定国前遺跡 (弥生〜室町)
41 上伊福遺跡(弥生 古墳)
42絵図遺跡(弥生〜平安)
43 南方遺跡他(弥生〜近世)
44 広瀬遺跡(弥生)
45 上伊福(立花)遺跡(弥生〜室 町)
46.47 散布地 48 鹿田(県立岡山病院)遺跡 (平安〜鎌倉)
49 鹿田遺跡(弥生〜近世)
50 岡山城跡(室町〜近世)
51 天瀬遺跡(弥生〜近世)
52 新道遣跡(奈良〜近世)
53 二日市遺跡(弥生〜近匹)
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54.竜ノ[コ山頂古墳群(古墳後期)
55 湯迫古墳群(古墳前期)
56 備前車塚古墳(古墳前期)
57 唐人塚古墳(古墳後期)
58 賞田廃寺(飛鳥〜室町)
59 備前国府関連遺跡 60 備前国庁跡(奈良〜平安)
61 備前国府推定地(南国長)
遺跡(弥生〜鎌倉)
62 南古市場遺跡(奈良〜平安)
63 北口遺跡
64 バカ(高島小)遺跡(奈良〜室 町)
65 中井 南三反田遺跡 古墳群 (弥生〜室町)
66 原尾島遺跡(弥生〜室町)
67 赤田西遺跡(弥生〜室町)
68 幡多廃寺(飛鳥〜平安)
69 70 雄町遺跡(縄文晩期〜
平安)
71乙多見遺跡(弥生)
72 赤田東遺跡 関遺跡(弥生〜
室町)
73 関遺跡(弥生)
74 百間川遺跡群(縄文〜近世)
75 百間川原尾島遺跡(縄文中期 末〜近世)
76 百間川沢田遺跡(縄文中期〜
近世)
77百間川兼基遺跡(弥生〜室町)
78百間川今谷遺跡(弥生〜古墳)
7983i操山古墳群(古墳後期)
80 妙禅寺城跡(戟国)
81操山219号遺跡(旧石器)
82 全蔵山古墳(古墳中期)
84 網浜廃寺(飛鳥〜平安)
85 操山109号墳(古墳前期)
86 網浜茶臼山古墳(古墳前期)
87 i操山103号墳(古墳前期)
88 湊茶臼山古墳(古墳前期)
図1 周辺遺跡分布図(S=1/50,000・1/2,500,000)
近隣iの遺跡
冶関連の遺構が検出されている。
古代には、この地域にも地方行政を司る国衙や郡衙、官寺が設置された。津島岡大遺跡周辺では津島江道遺跡
(35)において、御野郡衙にかかわると想定されている倉庫群や建物群が検出されている。旭川東岸では、備前国 府推定地にあるハガ(高島小)遺跡(36)や、その南側には奈良時代の倉庫群等が確認されたことにより国府津と 推定されている百間川米田(当麻)遺跡(37)、そして賞田廃寺(38)や幡多廃寺(39)がみられる。岡山平野の南部では、
鹿田遺跡や新道遺跡(4°)において大形建物群をはじめ多くの遺構や遺物が確認されており、藤原摂関家殿下渡領 である「鹿田庄」に比定されている。条里制が施行された古代においては、条里に関連する畦畔や溝などの遺構 が、津島岡大遺跡や中溝遺跡②、南方釜田遺跡(42)で認められる。
中世になると、大規模な土地の造成によって耕作域が拡大し、集落も再編された。造成は、それまで名残をと どめていた微地形をなくし、平坦な土地をつくり出した。この時期の遺跡としては、旭川西岸では、鹿田遺跡や 二日市遺跡(43)、東岸の百間川遺跡群が知られている。その一方で、半田山城(44)や岡山城(45)などといった中世山 城が築かれ、戦乱の時代を物語る。
近世には、児島湾の干拓によって耕作地が一層拡大し、旭川西岸地域は岡山藩随一の穀倉地帯となった。津島 岡大遺跡においても当時の水田が検出されている。それが、1907〜1908年になると、津島岡大遺跡の所在する旧 御野郡御野村・伊島村に旧陸軍駐屯地が造成され、景観は大きく変化することとなった。
第2節 津島岡大遺跡
1。構内座標の設定
現在、岡山大学津島地区構内では、世界測地系による国土座標第V座標系に基づいて、構内座標を独自に設定 している。これは、国土座標系の座標北に軸をあわせたもので、本地区の地割りが南北・東西方向にほぼ合致す ることと、岡山市街地にのこる条里制の地割りが正方位となる状況に対応したものである。
本センターでは、従来は日本測地系を用いていたが、2002年4月1日に改正された測量法の施行に伴い、
2003年度以降に作成する報告書・概報に使用する国土座標を世界測地系へと変更した(46)。変更に際して、構内座 標の原点については、従来の構内区割りとの整合性を可能な限り保つために、その座標値のみを世界測地系によ る数値へ変換することとした。すなわち原点について、これまで日本測地系による座標(X=−14450α0000m、
Y=−370000000m)であったものが、新たに世界測地系による座標(X=−144156.4617m、 Y=−37,246.7496m)
となった。原点の位置を従来と同じ位置に設定しているため、構内座標による区割りはこれまでのものと見かけ の地図上では変わらない。
この原点から、一辺50mの間隔で、東西・南北方向に方形の区割りを行った。座標軸の名称は原点を基準に、
東西線に関して北から南へAA〜BGライン、南北線について東から西へ00〜48ラインとする。50m四方のそれ
ぞれのグリッド名については、東西・南北方向の軸線の名称を組み合わせた北東隅の交点の名称を用いる。した がって、原点はAAOOとなり、その他の交点についてもAWO3、 AZO5、……と呼称する。2。遺跡の概要
津島岡大遺跡は、岡山市津島中に所在する岡山大学津島地区構i内の遺跡である。2003年度までに第29次調査ま で行った。遺跡の範囲は農学部がある西北の一部を除き、構内のほぼ全域にわたると推定される。
旭川に近接する立地条件から、縄文時代には入り組んだ支流と微高地によって複雑な地形を呈していた。津島 岡大遺跡において最も古い遺構や遺物は、第21次調査で確認された縄文時代中期中頃に属する土坑と土器である。
歴史的・地理的環境
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※番号は各調査次と一致する。
図2 津島岡大遺跡構内座標と各調査地点
中期の遺物は、第3・17・27次に加え本調査地点でもみつかっており、今後の資料の蓄積を期待したい。
後期になると、第5・6・9・17次と本調査地点において遺構・遺物の濃密な分布が認められる。第17次と本 調査地点においては、竪穴住居趾やピット群を検出した。第7・8・11〜14・19・21〜23・26・27次地点におい ても、遺物や炉跡などの遺構が存在するが、遺構の密集度は高くない。構内の広範囲にわたるこれまでの調査研 究によって、微高地が面的に広がる北東部を中心に、後期の遺跡が分布することが判明している(47)。なお、これ までの調査成果を受けて、馬場等として現在使用されている構内の北東隅の一帯を、遺跡保護区として学内で定 め、建物の建設を避けることによって遺跡の保護を行っている。
弥生時代早期から前期にかけて、「黒色土」と呼称する黒褐色の粘質土が津島岡大遺跡一帯に堆積することが、
津島岡大遺跡や津島遺跡等の調査によって判明している。この土層の性格については調査研究を継続しているが、
縄文時代から弥生時代に移り変わる頃の生業のあり方と密接なかかわりがあると推定される。黒色土の上面には、
弥生時代前期の水田畦畔が築かれている。津島岡大遺跡一帯には、前期の水田がまとまって広がっており、弥生 時代開始期の農耕の実態を解明する上でも重要な地域といえる。
弥生時代前期から中期にかけて、旭川流域の集落は洪水によって大きな影響を受けたことがこれまでの調査研 究で明らかになってきた(48)。そうした災害を経て、弥生時代後期になると、用水路を伴った水田が整備される。
この時期の居住域としては、微高地上に多数の土坑がつくられていた第10次調査地点を挙げることができる。隣i 接する中核的集落である津島遺跡の周縁部の様相として位置づけられている(49)。
古墳時代以降も引き続き水田経営がなされる。その一方で、第10次調査地点においては、古墳時代後期の鍛冶 関連遺構iが発見された。当時の生業形態を追究するためのデータが得られつつある。
古代には、条里関連の遺構を確認している。条里の坪境と推定される東西の大溝が、第1・3・6・12次調査 で検出されている。また、この時期の水田も、第3・6・7・9・12次調査地点と本調査地点においてみつかっ
津島岡大遺跡
ている。
中世になると大規模な土地造成がなされ、わずかに残っていた土地の起伏も解消された。新たに溝や畦畔がつ くられ水田経営がなされていたことが、各調査地点からわかる。以後、1907〜1908年に日本陸軍が駐屯地の設営 のために大規模な造成を行うまで、水田が一面にひろがっていた。
註
(1)
(2)
(3)
(4)
(5)
(6)
(7)
(8)
(9)
(10)
(11)
(12)
(13)
(14)
(15)
(16)
(17)
(18)
(19)
(20)
(21)
(22)
(23)
(24)
(25)
(26)
(27)
(28)
(29)
(30)
(31)
津島岡大遺跡での発掘調査は、2002年度までに第29次調査までを実施している。以下、本文中の各調査地点の引用・参考文献は
「津島岡大遺跡文献一覧」に掲げたとおりである。
富岡直人 1998「朝寝鼻貝塚発掘調査概報』 加計学園埋蔵文化財調査室発掘調査報告書2 二宮治夫 1985『百間川沢田遺跡2百間川長谷遺跡2』 岡山県埋蔵文化財発掘調査報告59 柳瀬昭彦編 1999『田益田中(国立岡山病院)遺跡』岡山県埋蔵文化財発掘調査報告141 平井勝編 1993『百間川沢田遺跡3』 岡山県埋蔵文化財発掘調査報告84
註3・5
a 日本考古学協会静岡大会実行委員会 1988「津島江道遺跡」『日本における稲作農耕の起源と展開一資料集一』
b 高畑知功 1988「津島江道遺跡」『岡山県埋蔵文化財報告』18
c 草原孝典 1999「津島江道(岡北中)遺跡」『岡山市埋蔵文化財調査の概要1997(平成9)年度』
平井勝 2000『津島遺跡2』 岡山県埋蔵文化財発掘調査報告151
岡田博 1998『北方下沼遺跡 北方横田遺跡 北方中溝遺跡 北方地蔵遺跡』 岡山県埋蔵文化財発掘調査報告126 註9
a b C d e
岡山市遺跡調査団 1971「南方遺跡発掘調査概報』
岡山市遺跡調査団 1981『南方(国立病院)遺跡発掘調査報告』
岡山県教育委員会 1981『南方遺跡』 岡山県埋蔵文化財発掘調査報告40
日本考古学協会静岡大会実行委員会 1988「南方釜田遺跡」『日本における稲作農耕の起源と展開一資料集一』
内藤善史 1996『絵図遺跡 南方遺跡』 岡山県埋蔵文化財発掘調査報告110 註11e
中野雅美 1984「上伊福(ノートルダム清心女子大学構内)遺跡」岡山県埋蔵文化財報告14 中野雅美・根木修 1986「上伊福九坪遺跡」『岡山県史』考古資料
杉山一雄編 1998『伊福定国前遺跡』岡山県埋蔵文化財発掘調査報告125 高橋護・正岡睦夫他 1972「雄町遺跡」『岡山県埋蔵文化財発掘調査報告』1 吉留秀敏・山本1覚世 1988『鹿田遺跡』1 岡山大学構内遺跡発掘調査報告第3冊 山本悦世編 1990『鹿田遺跡』1 岡山大学構1内遺跡発掘調査報告第4冊 松木武彦編 1993『鹿田遺跡』3 岡山大学構内遺跡発掘調査報告第6冊
松木武彦・山本悦世編 1997『鹿田遺跡』4 岡山大学構i内遺跡発掘調査報告第11冊 出宮徳尚 1986「天瀬遺跡」『岡山県史』考古資料
近藤義郎 1986「都月坂二号弥生墳丘墓」『岡山県史』考古資料 近藤義郎 1986「都月坂一号墳」『岡山県史』考古資料 七つ坑古墳群発掘調査団 1987『七つ坑古墳群』
近藤義郎・鎌木義昌 1986「備前車塚古墳」『岡山県史』考古資料
宇垣匡雅 1990「網浜茶臼山古墳・操山109号墳の測量調査一吉備の前期古墳IH−」『古代吉備』第ユ2集 註21
近藤義郎 1986「湊茶臼山古墳」『岡山県史』考古資料
近藤義郎 1988「岡山市津島の俗称『おつか』と称する前方後円墳についての調査の概略報告」『古代吉備』10集 鎌木義昌 1986「神宮寺山古墳」『岡山県史』考古資料
西谷真治・鎌木義昌 1959『金蔵山古墳』倉敷考古館 近藤義郎 1986「一本松古墳」『岡山県史』考古資料 出宮徳尚 1986「操山古墳群」『岡山県史』考古資料 伊藤晃 1986「唐人塚古墳」『岡山県史』考古資料
a 光永真一 1992「製鉄と鉄鍛冶」『吉備の考古学的研究』下
b 二宮治夫 1998『大岩遺跡・田益田中遺跡・白壁奥遺跡』岡山県埋蔵文化財発掘調査報告128 c 表文献i
註9
歴史的・地理的環境
(32)
(33)
(34)
(35)
(36)
(37)
(38)
(39)
(40)
(41)
(42)
(43)
(44)
(45)
(46)
(47)
(48)
(49)
註9 註30文献b 註30文献a 註7文献b
草原孝典 2002「ハガ(高島小)遺跡」『岡山市埋蔵文化財センター年報』1 物部茂樹 2002『百間川米田遺跡』4 岡山県埋蔵文化財発掘調査報告164 出宮徳尚他 1971『賞田廃寺発掘調査報告』岡山市教育委員会
出宮徳尚・根木修他 1975「幡多廃寺発掘調査報告』岡山市教育委員会 草原孝典 2002『新道遣跡』岡山市教育委員会
日本考古学協会静岡大会実行委員会・静岡県考古学会 1988「中溝遺跡」『日本における農耕の起源と展開一資料編一』
註11d
出宮徳尚 1985「岡山県二日市遺跡」『日本考古学年報』35
新納泉・石坂俊郎ほか 1990「半田山城跡の測量調査」『都市近郊林(半田山)の自然特性およびその環境保全機能に関する研究(W)』
河本清編 1991『岡山城二の丸跡』岡山県埋蔵文化財発掘調査報告78
ただし2003年度の初めに刊行された『津島岡大13』(表文献V)については、従来の日本測地系に基づいている。
山本悦世・横田美香・岩崎志保 2002『縄文時代の景観復元と生業に関する実証的研究』
野崎貴博 2003「岡山平野における弥生時代前期〜中期の洪水と集落の動態」『津島岡大遺跡12』
表文献i
津島岡大遺跡文献一覧
調査次
調査次文献 *ただし【】付きのものは概報 発行年a 1 岡山大学津島北地区小橋法目黒遺跡(AW14区)の発掘調査
@ (岡山大学構内遺跡発掘調査報告第1集)
1985
b 2 岡山大学津島地区遺跡群の調査H(農学部校内BH13区他) 1986
C 3 津島岡大遺跡3(岡山大学構内遺跡発掘調査報告第5冊) 1992
d 4 岡山大学構内遺跡調査研究年報4 1987
e 5 津島岡大遺跡4(岡山大学構内遺跡発掘調査報告第7冊) 1994
f 6・7 津島岡大遺跡6(岡山大学構内遺跡発掘調査報告第9冊) 1995
9 8 津島岡大遺跡5(岡山大学構内遺跡発掘調査報告第8冊) 1995
h 9 津島岡大遺跡10(岡山大学構内遺跡発掘調査報告第14冊) 1998
1 10・12 津島岡大遺跡11(岡山大学構i内遺跡発掘調査報告第16冊) 2003
」 11 津島岡大遺跡7(岡山大学構内遺跡発掘調査報告第10冊) 1995 k 13 津島岡大遺跡8(岡山大学構内遺跡発掘調査報告第12冊) 1997
1 14 津島岡大遺跡9(岡山大学構内遺跡発掘調査報告第13冊) 1996
m
15 1岡山大学構内遺跡調査研究年報131 1996n 16 岡山大学構内遺跡調査研究年報14 1997
0 17 1岡山大学構内遺跡調査研究年報14】 1997
P 18 岡山大学構内遺跡調査研究年報16 2000
q 19・21 津島岡大遺跡12(岡山大学構内遺跡発掘調査報告第17冊) 2003
r 20 岡山大学構内遺跡調査研究年報16 2000
S 22 【岡山大学構内遺跡調査研究年報16】
y岡山大学構内遺跡調査研究年報17】
2000 Q000
t 23・24
@・25
【岡山大学構内遺跡調査研究年報17】
y岡山大学構内遺跡調査研究年報18】
2000 Q001 u 26 【岡山大学構内遺跡調査研究年報181
y紀要2001】
2001 Q003 V 27 津島岡大遺跡13(岡山大学構内遺跡発掘調査報告第18冊) 2003
W
28 【紀要2002】 2004x 29 紀要2002 2004
調査に至る経緯
第2章 調査経過と概要
第1節 調査に至る経緯
1995年度に、サテライト・ベンチャービジネス・ラボラトリーの新営工事が決定した。建設予定地は津島キャ ンパスの北東部に位置し、1986年〜1987年に男子学生寮建設の予定地として発掘調査(津島岡大遺跡第3次調査)
を行った地点に接することとなった。
第3次調査では、弥生時代前期に遡る水田畦畔や古代の条里に関連する溝、あるいは河道部において弥生時代 早期の貯蔵穴や縄文時代後期の遺物を調査していた。ただし、当時の遺跡評価の限界や物理的困難さ(湧水・調 査深度の深さなど)から、一部の縄文時代土層が残されている可能性が、その後の調査結果から危惧されていた。
以上の状況を踏まえ、本調査において、こうして残された範囲を含めた調査を行うこととなった。具体的には、
前回の調査域の中で、必要な部分については、かつての調査終了面までの埋め土を除去し、本調査対象域と一体 として調査することとした。なお、新たな表土掘削については、第3次調査のデータから、近世・近代に関して は十分な成果が得られているとの判断から、中世層上面からの調査が可能な深度までの掘削を行うこととした。
調査面積は、中世〜弥生時代前期の対象域が660㎡、弥生時代早期〜縄文時代の調査域は1600㎡である。調査 期間は、表土掘削を1995年12月から開始し、1996年3月末までを予定とした。また、調査員は専従で2名が担当
し、後半に増員することとなった。
第2節 調査体制
調査主体 調査担当
調査研究員 〃
〃
〃
岡山大学
岡山大学埋蔵文化財調査研究センター
(調査主任)
学 長 センター長 助 手 ク
〃
ク
小坂二度見 稲田孝司
山本悦世(12月〜4月)
光石鳴巳( 〃 ) 岩崎志保(2月〜4月)
野崎貴博(4月)
管理委員会 (発掘調査年
倭則
学長 文学部長
〃
教育学部長 〃 法学部長
ク
経済学部長 〃
1995年12月〜1996年4月)
小坂二度見
工藤進思郎(1995年度)
成田 常雄(1996年度)
木原 孝博(1995年度)
松畑 煕一(1996年度)
早瀬 武(1995年度)
植松 秀雄(1996年度)
藤本 利躬(1995年度)
坂本 忠次(1996年度)
理学部長
ク
医学部長ク
歯学部 〃 薬学部長 工学部長 農学部長岩見 佐藤 松尾 産賀 中井 松村 篠田 中島 千葉
基弘(1995年度)
公行(1996年度)
信彦(1995年度)
敏彦(1996年度)
宏之(1995年度)
智弘(1996年度)
純男 利勝
喬三(1995年度)
調査経過と概要
農学部長 環境理工学部長 文化科学研究科長 ク
自然科学研究科長 ク
資源生物科学研究所長 附属図書館長
ク
【幹事】
庶務部長
〃
施設部長
内田 仙二(1996年度)
河野伊一郎
神立 春樹(1995年度)
岩間 一雄(1996年度)
中村怜之輔(1995年度)
岩見 基弘(1996年度)
青山 勲
岡部 喬(1995年度)
神立 春樹(1996年度)
新屋 秀幸(1995年度)
厚谷 彰雄(1996年度)
井内 敏雄
医学部附属病院長 ク
歯学部附属病院長 固体地球研究センター長 医療技術短期大学部長 学生部長
事務局長
埋蔵文化財調査研究 センター長
経理部長
ク
折田 大森 村上 久城 遠藤 伊澤 新井
薫三(1995年度)
弘之(1996年度)
洋二 育夫 浩 秀而 輝隆
稲田 孝司
池本 洋一(1995年度)
黄揚川英了(1996年度)
運営委員会
【委員】発掘調査年度(1995・1996年度)
センター長(文学部教授)稲田 孝司 文学部教授 狩野 久
教育学部教授 高重 進(1995年度)
理学部教授 柴田 次夫(1996年度)
経済学部教授 建部 和広 医学部教授 村上 宅郎 農学部教授(調査研究専門委員)
千葉 喬三 文学部助教授(調査研究室長)新納泉 施設部長 井内 敏雄
【委員】報告書作成年度(2003年度)
センター長(文学部教授)稲田 孝司 文学部教授 新納 泉 文学部教授 久野 修義 大学院医歯学総合研究科教授 村上 宅郎 環境理工学部教授 名合 宏之 大学院自然科学研究科教授 柴田 次夫 環境理工学部教授(調査研究専門委員)
沖 陽子 文学部助教授(調査研究室長)山本 悦世 施設部長 齋藤 健次
第3節 調査経過と概要
1.経 過
1995年12月11日から重機による表土掘削を開始した(図3a)。旧調査範囲に関しては、前回の調査終了面まで の埋め土除去を行い、新たな調査範囲に関しては、中世土層の少し上面までの位置を探りながら掘削した(図3)。
対象域が複雑な上、前回の調査後に表土堆積が進行していたことから、予想以上に土量が増加し、18日からは重 機を1台増加し2台で進行を早めることとなった。その結果、同年12月27日にすべての表土掘削を完了した。発 掘調査は、作業可能なスペースが確保できた1995年12月21日から開始することとしたが、最終的には環境整備が 十分に整った1996年1月16日から本格的に作業を開始した(図3b)。
まず、中世層上面の調査を行い、南北方向の耕作痕や溝状の遺構を確認した。同層を掘り下げ後、古代層上面で は一部で畦畔を検出した。第3次調査の成果を参考にしつつ当時の疑問点の解決も念頭におき、慎重に調査を重ね たが、前回の調査で確認された同層上面での畦畔の多くを確認することはできなかった。僅かに認められた古代層
調査経過と概要
上面の畦畔に関しても、砂に覆われた部分もあり、
確実性は高いと見られるが、前回の位置や状況と は異なり、疑問を残す結果となった。中世の耕作 痕などの掘り込まれた遺構は共通する成果を得た。
弥生時代後期〜古墳時代初頭に属する土層上面 では全域で畦畔を検出し、さらに畦畔を分断する 溝群を調査した。これら遺構の位置関係や方向性 などは、前回の調査結果と一致する状況となった。
2月中旬には、作業員・調査員の増員が可能と なり、前回調査部分へと調査域を拡大し、側溝の 設定や焼土の分布などを確認していった。
巨
濠議饗
a.造成土除去状況(南東から)
この時点で・調査全域が前回の調査面とほぼ一▲ b.調査開始状況(南東から)
る粘土層中から・前回と同様に多くの弥生時代早 c.貯蔵穴調査風景(南西から)
期の遺物が出土した。前回は谷部北斜面への堆積
図3 調査風景1 であったが、今回は南斜面から底部にかけてであ
り、全体に谷を覆う形で遺物が埋没したことが判明した。また、包含層除去後、南斜面下端に並んで大小の貯蔵穴状 遺構が検出された。これらに関しては、内部の土壌をサンプルとして持ち帰る作業を行いながら(図3c)記録を取
り、すべてを完掘後、谷部の全景写真を撮影した。調査に際しては、貯蔵穴状遺構の性格解明を目ざしつつ、同遺構 群と突帯文土器包含層との関係、あるいは同包含層と「黒色土」との関係に注目した。
一方、微高地部では、硬質の「黒色土」除去後、縄文時代後期の遺構検出を進めた。ただ、同時期の遺構埋土