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2年理系の実況中継

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Academic year: 2021

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2年CD級、JK級

世界史授業の実況中継

※3年次は、教科書p.154「第6章 内陸アジア世界・東アジア世界の展開」から

開始。よって、そこまではこれを使って春休み中に自学してください (分からな

い所は、質問を木塲まで!ここまでの範囲については木塲が責任をもちます )

第5章 ヨーロッパ世界の形成と発展

第5章-2 東ヨーロッパ世界の形成

(プリント74)

ビザンツ帝国の社会と文化(プリントNo.134)~解答のみ コロヌス 軍管区制 屯田兵制 プロノイア制 ギリシア正教 ギリシア ギリ 1: 2: 3: 4: 5: 6: 7: シア語 8:ビザンツ様式 9:モザイク壁画 10:ハギア=ソフィア聖堂 11:サンヴィターレ 聖堂 12:イコン 第5章 ヨーロッパ世界の形成と発展

第5章-3 西ヨーロッパ世界の変容

(プリント81~)

イギリスとフランス(プリントNo.81) ここからは十字軍の後の西ヨーロッパの各国史をやっていくことになる! の は ははどうなっていくか? 十字軍 後 各国の王権 --王権は強くなっていく。 ということは、それぞれの国はまとまっていくか、バラバラになるか? --国王の力が強くなるので、まとまっていく。 つまり、国王による中央集権化。 ちょっと下の表に整理してみよう。 が多い 十字軍前)地方分権 11 十字軍後)中央集権化 弱 ~ 諸侯○ 13 諸侯○強 弱 弱 諸侯 王権○ 諸侯弱 c. 王権○強 諸侯○ 諸侯○ 諸侯 弱 諸侯○ の順に勉強していくの イギリス・フランス・スペイン・ポルトガル・ドイツ・イタリア... だが、各国史をやる前に予想してみたいことがある! 「十字軍の影響」で、十字軍後、各国の「王権は強くなる」と教えたが、実は国によって 「王権が強くなる=中央集権化」となった国と 「、 王権が強くならない=地方分権のまま」 という国がある。それぞれの国はどっちだと思う? 下の表に○をつけてみよう。 国名 イギリス フランス スペイン ポルトガル ドイツ イタリア 地方分権 中央集権 A)イギリス では、イギリスからみてみよう。イギリス史を見ながら中央集権化 or 地方分権化どちらに なるか、それはどのようになるのか、考えていくのがポイントだよ! ●イギリス史 〔 ~5 10c.〕アングロ=サクソン朝(ゲルマン人大移動により) →〔11c.〕デーン朝(ノルマン人)→〔11c.〕ノルマン朝(ノルマン人) プランタジネット朝 ランカスター朝・ヨーク朝 →〔12c.〕 →〔14c.〕 テューダー朝 →〔15c.〕

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●イギリスの基礎知識 今、我々が「イギリス」と呼んでいる国をイギリスと呼ぶのは日本だけ です。英語では何というか、知ってる? --United Kingdom(連合王国) グレートブリテン及び北アイルランド連合王国 和名では、 サッカーのワールドカップでも「イギリス代表」というのはないよね。 実は4つの地域に分かれていて、この地域の意識が強い。 赤→イングランド、青→スコットランド、 緑→ウェールズ、黄色→(北部)アイルランド その中でも現在のイギリスの首都ロンドンがあるイングランド地方を中心に統合されたの で、世界史教科書ではイングランド史 イギリス史を として見ていくことになる! では、本題に入ろう。 ノル 11 世紀はノルマン人に支配され、その代表がノルマンディー公ウィリアムによる「 。コンクェストって「征服」という意味だったよね。もともとはどこ マン=コンクェスト」 にいたか? --北フランスのノルマンディー公国。 この国は北フランスに進出したノルマン人ロ ロが、フランスのカペー朝に認めさせて成立し た北フランスの諸侯の国家(諸侯の国家を公国 という)その諸侯がイングランドの王になるわ けだから、北フランスとイングランドを支配す ることとなる。プリントの右の地図に書き込ん でおこう! そして、12 世紀になるとノルマン朝が断絶した(その家系の血 統が絶える)ので、フランスから新しい国 アン 王が迎えられた。それが、フランスの (伯というのは知事の意)のアンリ ジュ伯 (Henry)という諸侯。このアンジュ伯ア ンリがイングランド王ヘンリ2世として即 、 。 位して 1:プランタジネット朝が成立した 右の地図を見て欲しい。ポイントは、プランタジネット朝の領域 はイングランドに加えて、フランスの西半分をもっているということ! ノルマンディー公ウィリアム ヘンリ2世 この状況をフランスはどう見ているだろうか?キミがフランス王になったつもりで考えてご らん? --スキがあれば、フランスにあるイギリス勢力を追い出したいなぁ~ そうだね。だから、フランスとイギリスの摩擦が始まっていく。 2:ジョン王 3:13世紀 ● 世紀といえば、世界的にはモンゴル人の活躍の時代。ヨーロッパでは十字 13 軍が後半戦に入っているころ。その頃、イギリスではジョン王が即位。 ヨーロッパの君主は「~●世」という名前がつくが、この人物はジョン 1 世 と言われない。それはなぜか?それは、人気がないから。なぜ、人気がない のか? 4:フィリップ2世 まず、このころフランスは国内のイギリス領を減らしたいと考えている と戦って破れ、フランスにあったイギリス領の大半を失った。(だからあだ名は「欠地王 )」 さらに、当時最盛期の教皇 5:インノケンティウス3世と争って敗れ、教皇に破門されてし まう。そんな中で貴族達は反発を強めていった。そんな中で戦争によって財政難となったジ 6:大憲章(7:マグナ=カルタ) 8:1 ョンが重税を課すと、貴族達はついに行動を起こし、 を にジョン王に認めさせ 「王もまた法に従う」という原則が生まれ、課税権も制限さ 215年 、 れた。このマグナ=カルタが、現在のイギリス憲法を構成するもので最も古い。ちなみにイ ギリスは「日本国憲法」みたいな憲法はなく、様々な慣習法が憲法をなしている (不文憲。 法) 9:ヘンリ3世 ジョン王の息子ヘンリ 3 世は、大憲章(マグナ=カルタ)を無視した政 策をとる。それは、なぜか?ヘンリ3世の気持ちになったら分かる。 --だって 「王もまた法に従う」という原則。つまり、ヘンリの思うと、 おりにならないからだよね。 そしたら、フランス人諸侯10:シモン=ド=モンフォールらが反乱を起こ し,マグナ=カルタからちょうど50年後の11:1265年にシモンの議会を設立、これが現在 のイギリス議会の起源となった。 12:エドワード1世 13:模範議 ● はこれを発展させ、現在のイギリス議会のモデルとなった という を招集した。 身分制議会 、 。 、 ●14:エドワード3世の時代には二院制が成立し 議会がだんだんと成熟していった 特に 当時国王たちは下院の中心を占めていたジェントリとよばれる地方の地主階級の協力しなが ら中央集権化を進めていった。

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B)フランス 次にフランス史をみてみよう。復習は以下の通り、 ●フランス史 16:メロヴィング朝フランク王国 〔 ~5 7c.〕 17:カロリング朝フランク王国 →〔8c.〕 →(9c.:18:ヴェルダン条約 19:メルセン条約・ で3分裂) →〔9c.〕カロリング朝西フランク王国 20:カペー朝フランス王国 →〔10c.〕 ●地方の一諸侯だったパリ伯21:ユーグ=カペーが創始したカペー朝は、その領域も狭かっ ので、王権が弱かった。 ●12世紀22:フィリップ2世は、イギリス王の23:ジョン王と争い、国内のイギリス領を 奪っていった。 、 「 」 。 、 ●13世紀24:ルイ9世は 別名を 聖王 といい熱心なキリスト教徒であった そこで の諸侯勢力と組んでいた を征服、 で 南フランス 異端の25:アルビジョワ派 第6・7回十字軍 も活躍した。 14世紀 聖職者への課 ● の26:フィリップ4世は教皇27:ボニファティウス8世とフランスの をめぐって争った。こんな感じの対立かな。 税権 --フィリップ4世「フランスにある教会の土地は当然、フランスの ものなので、フランス国王である私が課税する」 --ボニファティウス8世「何だと~!教会はローマ=カトリック教 会の一部なので、ローマ教皇である私しか課税の命令はだせないのだ ~」 こんな風に対立すると、1つ怖いことがある。それは何か? --「破門」だ!破門は英語で excommunication といって、キリスト教の保護外におかれる ということ。かつて、11世紀 カノッサの屈辱の のところで出てきたね!あのときは どうだったか? --教皇グレゴリウス7世に破門された神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世は、国内の諸侯達が 強く「皇帝の破門が解除されなければ、皇帝をやめさせる!」と決議したので、皇帝が教皇 に謝罪するんだったね。 フィリップ4世 国王 は教皇 に破門されても問題にならな フランス フィリップ4世 27:ボニファティウス8世 いように、フランス国内の聖職者・貴族・平民たちの代表を集めた身分制議会を開いた。こ れを何というか? --28:三部会。これを開いて国内の合意をうけて、教皇を逮捕することとなった。それを 何というか? 29:アナーニ事件。 -- さらに、教皇庁を南フランスのアヴィニョンに移し、フランスの支配下に 70 年間おかれる ことになる。これを何というか。 30:「教皇のバビロン捕囚」 -- イギリスとフランスは共に王権が強化され、中央集権化が進む。 その過程で共通することは何か? --身分制議会と協力しながら中央集権化が進んだこと。 百年戦争とばら戦争(プリントNo.82) 〔復習の範囲〕空欄1~8は 「 6〕イギリスとフランス」の復習となるので、自分で埋め、〔 ておく! さて、イギリスとフランスでは身分制議会が形成されていくが、そのうちこの2つの国が対 立することとなる。 それが、14世紀に始まる10:百年戦争だ。11:1339年 12:1453年~ 。 ①原因 百年戦争の原因は経済的原因と政治的原因に分けて見ることがてきる。 毛織物工業 フランドル地方にフラ まずは経済的原因から。-それは、 地帯とへして有名な が進出したことに対して、イギリスが反発した。なぜか? ンス --フランドル地方は毛織物工業地帯。その毛とは何か?羊の毛だよね。ちなみに、昔こん な質問をしたら「豚の毛」といった人がいたけど、豚の毛はブラシとかに使われるくらい硬 い毛なので、織物にはならないよ(笑) 原料となる羊毛はどうしたのか?イギリスから大量に輸入していた。これでイギリスは利 益をあげていていたのでフランスの進出はイギリスにとっては阻止しなければならないこと だった。 の右下の地図にフランドル地方に印をつけておこう。 No.82 そこで、イギリスはフランスをたたく口実を待っていた。そして、そのタイミングが来た。 でそれまでの すると が成立した。そしたら、イ フランス 14:カペー朝が断絶 15:ヴァロワ朝

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ギリス国王が16:エドワード3世がニヤッとした。なぜか? 教科書147ページの家系図を見てみよう。 イギリス国王エドワード3世は 「私こそフランス王家をつぐ権利がある!」というわけ。、 だって、エドワード3世のおじいちゃんはだれか?フランス国王フィリップ4世 「あの偉。 大なフィリップ4世の孫である私こそがフランス王位を引き継ぐのだ」という言い分。 こうやって、百年戦争が始まる。 ②経過 イギリスがしかけたこの戦争、当然前半はイギリスが優勢。その 代表例が 17:エドワード黒太子の率いた長弓隊が活躍したクレシーの 戦い、ポワティエの戦いでの勝利。 、 。 そして いよいよフランスは崩壊寸前にまでおいこまれてしまう 18:ペスト 外から来るイギリスだけでなく、内側のフランスでは、 大流行、19:ジャックリーの乱などの農民反乱もあって厳しい状況 になっていく。 ジャンヌ= そんな中で登場するのが「救国の聖女」といわれた 20: 。ぜひ、映画ミラジョヴォビッチ主演の「ジャンヌ=ダルク」を見て欲しい。彼女は ダルク フランスの農村ドンレミ村の貧しい農家の出身で 「フランスを救いなさい」という神のお、 告げを受け、鎧を身にまとい男達の中に入っていく。そして「Follow Me」と叫び男達の先 頭に立って戦っていく。少女がフランスのために先頭に立っているのを見て、他の男達も士 気を高めて戦いに入っていく。その結果、イギリスに追い詰められるオルレアンの包囲を破 り、国王21:シャルル7世を救出した。 そんなドラマチックな話があるのかって思うけど(笑)後にフランスのナショナリズムを 高めようとする中でこうなったのかもしれないね。 年 フランスの勝利 カ 結局、22:1453 に という形で百年戦争は幕を閉じた。イギリスは 23: を除く全土から撤退した。 レー ③結果 勝利したフランスであったが、戦場となったので諸侯や騎士の没落を招いた。この結果、 王権を強化し、中央集権化が進んだ。ジャンヌ=ダルクに救われたフランス国王 30:シャル のもとでこれが進んで行った。 ル7●バラ戦争 85 その一方で、イギリスではもう一回戦争が勃発した。それが 24:バラ戦争。(25:1455 ~ 年 。百年戦争中に) イギリスのプランタジネット朝が断絶してくすぶっていた赤ばらを紋章 、 とする26:ランカスター家と白ばらを紋章とする27:ヨーク家が王位継承をめぐって争って イングランドを二分する大戦争となった。 イギリスが戦場となり、諸侯や騎士が没落していく。そして、この戦争はランカスター派 の 29:ヘンリ7世がヨーク家のお妃と結婚することで終結した。これが、28:テューダー朝。 31: 32: 33: この テューダー朝を開いた ヘンリ7世は、ウェストミンスター宮殿の星の間に をつくり、反抗する者を処罰して絶対王政に道を開いていくこととなる。 星室庁裁判所 〔これがポイント!〕 国名 イギリス フランス スペイン ポルトガル ドイツ イタリア ○ ○ 地方分権 ○ ○ ○ ○ 中央集権 の により どのようにして? 議会を通して 国土回復運動を通して 独 イタリア政策 スペインとポルトガル(プリントNo.83) A)イベリア半島の流れ イベリア半島の歴史を確認してみよう。 ゲルマン人大移 ローマ帝国が東西分裂し、本格的に が始まり、イベリア半島には が成立し 動 西ゴート王国 た。7~8世紀イスラーム勢力が台頭して、イベリア ウマイヤ朝 後ウマイ 半島には3: が進出した。この後、4: と ヤ朝、 ムラービト朝、 ムワッヒド朝、 ナスル朝5: 6: 7: キリスト教徒 国土回復運動 続く。これに対して、 達の (8:レコンキスタ)が展開されていく。この運動の中で アラゴ イスラーム教徒を追放しながら成立したのが、9: 10: 11: 13: ン王国、 カスティリャ王国、 ポルトガル王国。そして、この後カスティリャ王女 と、 ン王子 が結婚して、 が に成立 イサベル アラゴ 14:フェルナンド 12:スペイン王国 15 世紀 した。 15: そして この、 スペインとポルトガルが中心となって イスラーム最後の拠点、 ナスル朝の が に陥落して、 した。 グラナダ 16:1492年 国土回復運動が完成 は、 を終えた後、今度はそのエネルギーを海外進出に向けるこ 17:スペイン レコンキスタ ととなり、大航海時代となっていく。コロンブスがその例だね。 B)ポルトガル その一方で、18:ポルトガルは 19:カスティリャ王国から分離独立した国家で、スペインよ りもいち早くレコンキスタを終えて、国王 20:ジョアン2世のもとで、海外進出をしていっ て、スペインと並び大航海時代の中心となっていく。ヴァスコ=ダ=ガマがインドに向かう

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のがその例だね。 ドイツ・スイス・イタリア・北欧(プリントNo.83) A)ドイツ(神聖ローマ帝国) フランク王国が3分裂 東フランク王 現在のドイツの流れを見てみよう。 したうちの1つ、 。当初はこの国もピピン以来のカロリング朝だったが断絶。この結果、選挙で王を決める 国 選挙王制が行われたが、そんな中で登場するザクセン朝の 1:オットー 1 世はアジア系マジ ャール人を撃退したことで、ローマ教皇からローマ皇帝の帝冠を受けて 2:神聖ローマ帝国 が成立した。 イタリア政策 国内を 歴代神聖ローマ皇帝は教皇のいるイタリアに干渉する 3: を追求し、 にしたために、 を招いた。その弱体化の おろそか 国内の諸侯勢力が強くなり、皇帝権の弱体 例が、皇帝ハインリヒ4世時代のカノッサの屈辱。ここまでは勉強済みだよね! さて、この後どうなったか?なんと事実上皇帝が不在の 4:大空位時代となり、政治的に 世紀 カール4世 金印勅書 年 七選 大混乱となった。14 の皇帝5:6:7:1356 に発布して、8: 帝侯による皇帝選挙を定め、この混乱を収めようとした。この結果、諸侯の土地の 9:領邦 ごとに集権化が進んでいくこととなった。15 世紀からは、オーストリアの諸侯ハプスブル ク家が皇帝の位を世襲化していくが、統一はうまくいかず、バラバラのままであった。 ※エルベ以東の地) の では、 ~ 世紀には が進出する が エルベ川以東 東ヨーロッパ 12 14 ドイツ人 11:東方植民 展開されていった。十字軍やレコンキスタと同じ頃だったよね。この東方植民によって成立 12: した、ブランデンブルク辺境伯領やドイツ騎士団領が現在のドイツのもととなっている になっていく。西ヨーロッパで農奴達が解放されていくのに対して、この地域で プロイセン は農奴への身分的束縛が強化され、大農場(グーツヘルシャフト)を経営し、西ヨーロッパ 向けの穀物生産を行っていった。 B)スイス スイスはオーストリアの 13:ハプスブルク家の支配を受けていたが、13世紀末に独立闘争 を経て、事実上の独立した。14:ウェストファリア条約(1648 年)で国際的に独立を承認し た。 C)イタリア 、 ( ) 。 イタリアは 北部には東方貿易 レヴァント貿易 で発展した都市共和国が繁栄していた その例が15:ヴェネツィア、16:ジェノヴァ、17:ピサ、18:ミラノ、19:フィレンツェ。 中部には 20:教皇領、そして、南部にはノルマン人が建国した 21:両シチリア王国が存在 していた。 この状況に加えて、22:ドイツや23:フランスなど外国の干渉を受けて、都市の内部でも対 ドイツ(神聖ローマ帝国)のイタリア政策 教皇党 ゲル 立がおこった。特に に対して、 (24: 、 ( )が争い、さらにイタリアの統一は厳しくなっていく。 フ) 皇帝党 25:ギベリン D)北欧 デンマー ノルマン人が立てた北欧の 26:デンマーク、27:スウェーデン、28:ノルウェーは 女王マルグレーテのもとに を結成して同君連合を結んでいった。 ク 29:カルマル同盟 第5章 ヨーロッパ世界の形成と発展

第5章-4 西ヨーロッパの中世文化

(プリント85~)

ここは、3年次に配布します。

参照

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