駒澤大學佛教學部論集 第四十八號 平成二十九年十月 一一三
は
じ
め
に
南 宋 後 期 を 代 表 す る 宋 朝 禅 者 の ひ と り に 臨 済 宗 楊 岐 派 の 無 門 慧 開 ( 仏 眼 禅 師 、 一 一 八 三 ─ 一 二 六 〇 ) と い う 人 が 存 し て お り 、 慧 開 と い え ば 古 則 公 案 を 拈 提 し た 『 無 門 関 』 の 評 唱 者 と し て 広 く 知 ら れ て い る 。 お よ そ 禅 学 に 僅 か で も 関 心 を 寄 せ た り 、 臨 済 宗 や 曹 洞 宗 の 寺 院 に 参 禅 経 験 が 存 す る 人 で あ れ ば 、 頌 古 評 唱 集 と し て 名 高 い 『 無 門 関 』 と い う 禅 籍 に つ い て 相 応 の 知 識 を 得 て い る は ず で あ り 、 そ れ ほ ど に 『 無 門 関 』 と い う 禅 籍 は 一 般 に も 親 し ま れ て い る 。 古 来 よ り 『 無 門 関 』 は 日 本 の 禅 宗 界 で と り わ け 珍 重 さ れ て お り 、『 無 門 関 』 に 関 す る 専 門 書 や 提 唱 本 な ど も 数 多 く 出 版 さ れ て い る 。 近 年 の 現 代 語 訳 と 語 彙 解 説 の 成 果 と し て も 「 禅 の 語 録 シ リ ー ズ 」 の 平 田 高 士 ( 精 耕 ) 訳 註 の 『 無 門 関 』 ( 筑 摩 書 房 、 一 九 六 九 年 刊 ) が 存 し 、 西 谷 啓 治 ・ 柳 田 聖 山 編 『 禅 家 語 録 Ⅱ 』 ( 筑 摩 書 房 「 世 界 古 典 文 学 全 集 」 に 所 収 ) に も 同 じ く 平 田 精 耕 訳 註 「 無 門 関 」 が 収 め ら れ て い る 。 ま た 中 尾 良 信 編 『 無 門 関 〈 禅 籍 善 本 古 注 集 成 〉』 ( 名 著 普 及 会 、 一 九 八 三 年 九 月 ) に は 『 無 門 関 』 に 関 す る 著 名 な 注 釈 書 が 影 印 の か た ち で 一 冊 に 収 め ら れ て い る 。 研 究 成 果 と し て は 石 井 修 道 「『 無 門 関 』 の 成 立 ・ 伝 播 ・ 性 格 を め ぐ っ て 」 (『 〈 愛 知 学 院 大 学 人 間 文 化 研 究 所 紀 要 〉 人 間 文 化 』 第 一 六 号 、 二 〇 〇 一 年 九 月 ) と 題 す る 講 演 報 告 も ま と め ら れ て お り 、『 無 門 関 』 の 書 誌 と 内 容 に つ い て 多 く の 貴 重 な 示 唆 を 与 え て い る 。 と こ ろ で 、 実 際 に 『 無 門 関 』 に 関 す る 書 籍 類 の 「 解 題 」 な ど を 概 観 閲 覧 し て 気 づ く の は 、 そ の 多 く は 『 無 門 関 』 の 書 誌 と 内 容 ( 禅 思 想 ) を 考 察 す る の が 中 心 で あ っ て 、 頌 賛 と 評 唱 を な し た 無 門 慧 開 そ の 人 の 事 跡 に 関 し て は 存 外 に 等 閑 に 扱 わ れ て お り 、 こ れ ま で 慧 開 そ の 人 の 人 物 像 を 詳 細 に 論 じ た 論 考 が 少 な い こ と で あ ろ う 。 も ち ろ ん 『 無 門 関 』 各 則 の 古 則 公 案 と し て の 内 容 ・無門慧開の生涯と『無門関』
(一)
杭州天龍寺から月林師観のもとへ
佐
藤
秀
孝
無門慧開の生涯と『無門関』 (一) (佐藤) 一一四 位 置 づ け や 慧 開 の 評 唱 し た 内 容 こ そ が 重 要 な 関 心 の 的 で あ り 、 頌 古 の 頌 賛 提 唱 者 で あ る 慧 開 が 如 何 な る 人 生 を 送 っ た の か 、 そ の 細 か な 足 跡 な ど 大 し て 問 題 で は な い と い っ た 見 方 も 存 す る で あ ろ う 。 し か し な が ら 、 仮 に も 「 不 立 文 字 、 教 外 別 伝 」 を 標 榜 す る 禅 家 に お い て 一 つ の 禅 籍 が 世 に 送 り 出 さ れ る た め に は 、 撰 者 な い し 提 唱 者 あ る い は 編 者 の 並 々 な ら ぬ 修 行 時 代 の 研 鑽 学 道 の 日 々 が あ り 、 そ の 後 の 住 持 期 に 行 な っ て き た 学 人 接 化 の 後 半 生 が 存 し て い る の で あ っ て 、 慧 開 と い う 人 物 の 生 涯 を 抜 き に し て 『 無 門 関 』 を 語 る こ と は で き な い で あ ろ う 。 本 稿 で は そ う し た 視 点 に 立 っ て 無 門 慧 開 と い う 人 が 如 何 な る 生 涯 を 送 っ た 禅 者 で あ っ た の か 、 彼 の 人 生 を 『 無 門 関 』 と の 関 わ り か ら 逐 一 に 探 っ て み る こ と に し た い 。 慧 開 は 修 行 時 代 に ど の よ う な 参 禅 学 道 を な し て い た の か 、 彼 が 悟 道 し た 機 縁 と は 如 何 な る も の で あ っ た の か 、 諸 山 歴 住 期 に は 如 何 な る 学 人 接 化 を 行 な っ て い た の か 、 慧 開 の 一 生 涯 の 節 々 で 『 無 門 関 』 が ど の よ う に 位 置 づ け ら れ て い た の か 、 さ ら に 日 本 か ら 入 宋 求 法 し た 無 本 覚 心 ( 心 地 房 、 法 燈 円 明 国 師 、 一 二 〇 七 ─ 一 二 九 八 ) が 慧 開 の 法 を 嗣 い だ 経 緯 は 如 何 な る 因 縁 に 依 る も の で あ っ た の か 、 帰 国 す る 覚 心 に 対 し て 慧 開 は な ぜ 『 無 門 関 』 を 付 与 し た の か 、 慧 開 が 最 晩 年 に 海 を 隔 て て 日 本 の 覚 心 と 書 簡 の や り 取 り を な し た の は 何 故 な の か 、 覚 心 に と っ て 『 無 門 関 』 は 如 何 な る 意 味 を 持 っ て い た の か 、 中 世 後 期 に お い て 法 燈 派 の 禅 者 が 『 無 門 関 』 と ど の よ う に 関 わ っ た の か 、 な ど と い っ た お よ そ 無 門 慧 開 を 取 り 巻 く 諸 般 の 状 況 に つ い て 、 限 ら れ た 史 料 の 中 か ら で は あ る が 、 詳 細 に 検 討 を 試 み る こ と に し た い 。
無
門
慧
開
に
至
る
臨
済
宗
楊
岐
派
の
流
れ
そ も そ も 臨 済 宗 は 唐 末 に 南 嶽 下 の 臨 済 義 玄 ( 慧 照 禅 師 、 ? ─ 八 六 六 ま た は ? ― 八 六 七 ) を 派 祖 と し て 形 成 展 開 し た 中 国 禅 宗 五 家 の 一 派 で あ り 、 同 じ く 青 原 下 の 洞 山 良 价 ( 悟 本 大 師 、 八 〇 七 ─ 八 六 九 ) と 曹 山 本 寂 ( 元 証 大 師 、 八 四 〇 ─ 九 〇 一 ) に 始 ま る 曹 洞 宗 と と も に 後 代 へ と 継 承 さ れ 、 臨 済 ・ 曹 洞 の 両 系 統 は 禅 宗 の 二 大 動 脈 と し て 現 今 に ま で 連 綿 と し て つ づ い て い る 。 し か し な が ら 、 実 際 に 臨 済 宗 と い う 宗 団 が 大 き く 台 頭 し て く る の は 北 宋 代 に 至 っ て 以 降 の こ と で あ り 、 と く に 黄 龍 派 と 楊 岐 派 の 二 派 に 分 か れ て か ら と い っ て よ い 。 北 宋 中 期 に 臨 済 下 第 七 世 の 石 霜 楚 円 ( 慈 明 禅 師 、 九 八 六 ─ 一 〇 三 九 ) の も と か ら 黄 龍 慧 南 ( 普 覚 禅 師 、 一 〇 〇 二 ─ 一 〇 六 九 ) と 楊 岐 方 会 ( 九 九 二 ─ 一 〇 四 九 ) が 輩 出 し 、 こ れ よ り 臨 済 宗 は 大 き く 黄 龍 派 と 楊 岐 派 に 分 か れ て 展 開 し て い る 。 と く に 慧 南 は 洪 州 ( 江 西 省 ) 隆 興 府 の 黄 龍 山 崇 恩 禅 寺 を 中 心 に 活 動 し て 多 く の 門 人 を 育 成 し 、 慧 南 を 派 祖 と す る 黄 龍 派 は 北 宋無門慧開の生涯と『無門関』 (一) (佐藤) 一一五 後 期 に 青 原 下 の 雲 門 宗 と と も に 門 流 が 繁 栄 隆 盛 し て 一 大 勢 力 を 形 成 し て い た 。 一 方 、 同 じ 楚 円 に 法 を 嗣 い だ 楊 岐 方 会 の 門 流 も 遅 れ て 北 宋 末 期 の 頃 か ら 徐 々 に 勢 力 を 伸 ば し て お り 、 楊 岐 派 と し て 一 派 を 形 成 し 始 め て い る 。 こ れ が 南 宋 代 に 入 る と 状 況 は さ ら に 一 変 し 、 黄 龍 派 や 雲 門 宗 の 勢 い は 急 速 に 衰 退 へ と 向 か っ て お り 、 黄 龍 派 の 法 脈 は 辛 う じ て 入 宋 求 法 し た 明 庵 栄 西 ( 千 光 法 師 、 一 一 四 一 ─ 一 二 一 五 ) に よ っ て 日 本 に 伝 来 さ れ 、 日 本 の 黄 龍 派 ( 千 光 派 ) と し て 日 本 中 世 禅 林 に 一 勢 力 を な し て い る 。 こ れ に 対 し て 江 南 禅 林 で は 黄 龍 派 に 代 わ っ て 五 祖 法 演 ( 東 山 、 ? ─ 一 一 〇 四 ) の 活 動 を 契 機 と し て 楊 岐 派 に し だ い に 人 材 が 輩 出 す る よ う に な り 、 五 祖 門 下 の 三 仏 の 時 代 を 経 て 楊 岐 派 の 興 隆 が 磐 石 な も の へ と 向 か い 、 後 世 へ と 継 承 さ れ て い く 。 そ の 中 心 と な っ た の は 圜 悟 克 勤 ( 仏 果 禅 師 、 一 〇 六 三 ─ 一 一 三 五 ) の 高 弟 で あ る 大 慧 宗 杲 ( 妙 喜 、 大 慧 普 覚 禅 師 、 一 〇 八 九 ─ 一 一 六 三 ) を 派 祖 と す る 大 慧 派 で あ り 、 宗 杲 は 古 則 公 案 の 参 究 を 主 に 置 く 看 話 禅 を 標 榜 し て 一 大 勢 力 を 形 成 し て い る 。 ま た 大 慧 派 に 遅 れ て 同 じ く 克 勤 の 法 を 嗣 い だ 虎 丘 紹 隆 ( 瞌 睡 虎 、 一 〇 七 七 ─ 一 一 三 六 ) を 源 流 と す る 虎 丘 派 も し だ い に 人 材 を 育 成 打 出 す る よ う に な り 、 南 宋 後 期 に は 密 庵 咸 傑 ( 中 峰 、 一 一 一 八 ─ 一 一 八 六 ) の も と か ら 大 き く 松 源 崇 嶽 ( 老 瞶 翁 、 一 一 三 二 ─ 一 二 〇 二 ) を 派 祖 と す る 松 源 派 と 、 曹 源 道 生 ( ? ─ 一 一 九 七 ) を 派 祖 と す る 曹 源 派 と 、 破 庵 祖 先 ( 一 一 三 六 ─ 一 二 一 一 ) を 派 祖 と す る 破 庵 派 と い う 三 系 統 に 別 れ て そ れ ぞ れ 展 開 し て お り 、 と く に 松 源 派 と 破 庵 派 は 大 慧 派 と 拮 抗 す る 勢 力 へ と 拡 大 し て い る 。 こ の よ う に 楊 岐 派 は 大 慧 派 と 虎 丘 派 の 二 系 統 が 大 き く 展 開 し 、 後 代 の 中 国 禅 林 へ と 受 け 継 が れ て い く の で あ り 、 と く に 虎 丘 派 下 の 松 源 派 と 破 庵 派 は 多 く の 入 宋 ・ 入 元 僧 や 渡 来 僧 ら の 活 動 に よ っ て 日 本 の 地 に 盛 ん に 導 入 さ れ 、 そ の 後 の 日 本 中 世 禅 林 の 発 展 に 絶 大 な 影 響 を 与 え て い る 。 一 方 、 青 原 下 で は 雲 門 宗 に 代 わ っ て 南 宋 代 に な る と 曹 洞 宗 が 真 歇 清 了 ( 寂 庵 、 悟 空 禅 師 、 一 〇 八 八 ─ 一 一 五 一 ) や 宏 智 正 覚 ( 宏 智 禅 師 、 隰 州 古 仏 、 一 〇 九 一 ─ 一 一 五 七 ) ら の 活 動 に よ っ て 綿 々 と 維 持 さ れ 、 坐 禅 を 中 核 と す る 黙 照 禅 を 唱 導 し て 江 南 禅 林 に 一 勢 力 を 保 持 し て い る 。 曹 洞 の 流 れ も 入 宋 求 法 し た 永 平 道 元 ( 仏 法 房 、 一 二 〇 〇 ─ 一 二 五 三 ) に よ り 日 本 禅 林 に 導 入 さ れ 、 や が て 瑩 山 紹 瑾 ( 仏 慈 禅 師 、 一 二 六 四 ─ 一 三 二 五 ) の 活 動 を 経 て 日 本 の 曹 洞 宗 と し て 形 成 展 開 し て い る 。 と り わ け 、 日 本 中 世 禅 林 に お い て は 無 本 覚 心 の 門 流 で あ る 法 燈 派 が 瑩 山 下 の 曹 洞 宗 と 関 わ り を 密 に し て 展 開 し て お り 、 そ の 影 響 に よ っ て か 中 世 曹 洞 宗 に お い て も 『 無 門 関 』 は 重 要 な 禅 籍 と し て 受 容 さ れ て い る 。 こ こ に 取 り 上 げ る 無 門 慧 開 と い う 人 は 、 南 宋 後 期 に 活 躍 し た 楊 岐 派 の 臨 済 禅 者 で あ る が 、 後 に 示 す ご と く 黄 龍 慧 南 な い し 黄 龍 派 の 古 道 場 で あ っ た 洪 州 の 黄 龍 山 崇 恩 寺 に 二 度 に わ た っ て 住 持 し て い る 点 が 特 筆 さ れ よ う 。 慧 開 は 大 慧 宗 杲 や 虎 丘 紹 隆 ら と
無門慧開の生涯と『無門関』 (一) (佐藤) 一一六 同 じ 楊 岐 派 の 流 れ に 属 し て い る が 、 大 慧 派 や 虎 丘 派 と い っ た 主 流 派 で は な く 、 い わ ば 傍 系 に 当 た っ て い る 。 慧 開 は 五 祖 法 演 の 高 弟 の ひ と り 開 福 道 寧 ( 寧 道 者 、 一 〇 五 三 ─ 一 一 一 三 ) の 流 れ を 酌 ん で お り 、 法 演 か ら 慧 開 に 至 る 楊 岐 派 の 系 譜 を 五 祖 門 下 の 三 仏 お よ び 大 慧 派 ・ 虎 丘 派 の 両 主 流 派 の 源 流 と と も に 示 す な ら ば 、 お よ そ つ ぎ の よ う に な ろ う 。 ─ 開 福 道 寧 ── 月 庵 善 果 ── 老 衲 祖 証 ── 月 林 師 観 ── 無 門 慧 開 ── 無 本 覚 心 … [ 日 本 法 燈 派 ] ─ 仏 鑑 慧 懃 ─ 大 慧 宗 杲 ── 拙 庵 徳 光 … [ 大 慧 派 ] 五 祖 法 演 ─ ─ 圜 悟 克 勤 ─ ─ 虎 丘 紹 隆 ── 応 庵 曇 華 ── 密 庵 咸 傑 ─ ─ 松 源 崇 嶽 … [ 松 源 派 ] ─ 仏 眼 清 遠 [ 虎 丘 派 ] ─ 曹 源 道 生 … [ 曹 源 派 ] ─ 破 庵 祖 先 … [ 破 庵 派 ] こ の よ う に 慧 開 は 『 碧 巌 録 』 の 評 唱 者 で あ る 圜 悟 克 勤 と 同 門 に 当 た る 開 福 道 寧 の 法 系 上 の 遠 孫 に 当 た っ て お り 、 道 寧 よ り 月 庵 善 果 ( 一 〇 七 九 ─ 一 一 五 二 ) さ ら に 老 衲 祖 証 を 経 て 慧 開 の 本 師 で あ る 月 林 師 観 に 至 っ て い る 。 ち な み に 五 祖 門 下 の 三 仏 の ひ と り 龍 門 清 遠 ( 仏 眼 禅 師 、 一 〇 六 七 ─ 一 一 二 〇 ) も 慧 開 よ り 先 に 同 じ 仏 眼 禅 師 と い う 勅 諡 号 を 宋 室 よ り 賜 っ て い る 。 禅 宗 燈 史 や 宗 派 図 な ど で 見 る 限 り 、 慧 開 の 系 統 は 元 代 に 法 孫 の 代 で 中 国 江 南 禅 林 か ら そ の 法 燈 を 絶 っ て い る が 、 幸 い に 入 宋 求 法 し た 日 本 僧 の 無 本 覚 心 が 慧 開 の 法 を 嗣 い で 帰 国 し 、 鎌 倉 後 期 に 紀 伊 ( 和 歌 山 県 ) 由 良 の 鷲 峰 山 西 方 興 国 禅 寺 を 中 心 に 活 躍 し て 門 流 が 日 本 禅 宗 の 一 角 を 形 成 し て お り 、 日 本 中 世 後 期 に 法 燈 派 ( 由 良 門 徒 ) と 称 さ れ て 展 開 し 、 中 世 の 日 本 禅 林 に 五 山 派 あ る い は 林 下 と し て 一 勢 力 を な し て い る 。 冒 頭 に 触 れ た ご と く 無 門 慧 開 と い え ば 『 無 門 関 』 一 巻 を 提 唱 し た 禅 者 と し て 広 く 知 ら れ て お り 、 と く に 『 無 門 関 』 は 鎌 倉 中 期 に 覚 心 に よ っ て 日 本 に 請 来 さ れ 、 そ の 後 し だ い に 日 本 禅 林 に 受 容 さ れ る よ う に な る 。 中 世 後 期 以 降 の 日 本 禅 林 で は 臨 済 宗 や 曹 洞 宗 の 禅 者 ら に よ っ て 多 く の 『 無 門 関 抄 』 の 類 い が 作 ら れ て お り 、 現 今 に お い て も 『 無 門 関 』 は 臨 済 僧 堂 な ど で 広 く 提 唱 講 読 さ れ て い る 。 無 門 慧 開 の 名 は 知 ら な く と も 、 お よ そ 禅 宗 の こ と を 僅 か で も 学 ん だ り 、 禅 思 想 に 関 心 を 寄 せ て い る 人 で あ る な ら ば 、 そ の 名 を 聞 い て 知 ら ぬ 者 は な い ほ ど 公 案 集 『 無 門 関 』 は 著 名 な 禅 籍 と し て 親 し ま れ て い る 。
無門慧開の生涯と『無門関』 (一) (佐藤) 一一七 本 稿 で は 限 ら れ た 史 料 を 通 し て で は あ る が 、 無 門 慧 開 と い う 禅 者 の 一 代 に わ た る 事 跡 を そ の 著 『 無 門 関 』 と の 関 わ り を 踏 ま え な が ら 詳 し く 論 ぜ ん と す る も の で あ る 。『 無 門 関 』 四 十 八 則 の 本 文 に 関 し て は す で に 多 く の 書 籍 や 研 究 論 文 が 存 し て い る こ と か ら 、 こ こ で は 古 則 公 案 の 内 容 な ど を 具 体 的 に 一 々 に 検 討 す る の で は な く 、 あ く ま で 『 無 門 関 』 の 成 立 過 程 や 編 集 刊 行 お よ び 重 刊 な ど に つ い て 慧 開 自 身 の 足 跡 を 踏 ま え な が ら 考 察 す る も の で あ る 。 さ ら に 慧 開 の 法 を 嗣 い だ 覚 心 に よ っ て 『 無 門 関 』 が 日 本 禅 林 に 請 来 さ れ た 経 緯 な ど に つ い て も 、 若 干 な が ら 論 じ て い く こ と に し た い 。
無
門
慧
開
に
関
す
る
伝
記
史
料
無 門 慧 開 に 関 し て は 、 残 念 な が ら 行 状 や 塔 銘 と い っ た 特 定 の 伝 記 史 料 の 類 い が 撰 述 さ れ た 形 跡 が 見 ら れ ず 、 詳 細 な 足 跡 を 辿 れ な い の が 実 情 で あ る 。 つ ぎ に 触 れ る 『 無 門 開 和 尚 語 録 』 の 巻 末 に 慧 開 の 伝 記 史 料 の 類 い が 付 さ れ て い た り 、 日 本 の 覚 心 が 本 師 慧 開 の 事 跡 に つ い て い く ら か で も ま と め て い て く れ た な ら ば 、 よ り 多 く の 慧 開 に 関 す る 貴 重 な 情 報 が 得 ら れ た は ず で あ り 、 こ の 点 は 誠 に 惜 し ま れ て な ら な い 。 禅 宗 燈 史 と し て 最 初 に 慧 開 の 章 を 載 せ て い る の は 、 明 代 初 期 に 松 源 派 の 円 極 居 頂 ( 円 庵 、 ? ─ 一 四 〇 四 ) に よ っ て 編 纂 さ れ た 『 続 伝 燈 録 』 に 至 っ て の こ と で あ る 。『 続 伝 燈 録 』 巻 三 五 に 「 万 寿 崇 観 禅 師 法 嗣 」 と し て 「 黄 龍 慧 開 禅 師 」 の 章 が 存 し て お り 、 黄 龍 慧 開 禅 師 、 字 無 門 。 杭 州 人 。 作 二 朝 陽 補 衲 偈 一 曰 、 寒 時 急 用 底 物 、 趁 レ 暖 著 二 些 針 線 一、 忽 然 臈 月 到 来 、 免 レ 致 二 脚 忙 手 乱 一。( 大 正 蔵 五 一 ・ 七 〇 八 b~ c) と し て 載 る の が 初 出 で あ る が 、 す で に 慧 開 が 示 寂 し て 一 世 紀 半 近 く を 隔 て て い る 。 本 師 の 名 を 「 万 寿 崇 観 禅 師 」 と す る の は 「 万 寿 師 観 禅 師 」 と 訂 正 す べ き で あ ろ う が 、 慧 開 の 伝 記 的 記 事 と し て は 出 身 地 が 杭 州 ( 浙 江 省 ) の 地 で あ っ た こ と 、 字 を 無 門 と 称 し て い た こ と 、 月 林 師 観 ( 崇 観 ) を 本 師 と し た 嗣 法 関 係 、 そ れ に 洪 州 の 黄 龍 山 に 住 持 し た 事 実 を 伝 え て い る の み で あ り 、 ほ か に は 僅 か に 慧 開 作 「 朝 陽 補 衲 」 と 題 す る 一 偈 を 収 め て い る に す ぎ ず 、 記 載 内 容 は き わ め て 少 な い 。 こ れ に つ づ い て 同 じ く 明 代 初 期 に 大 慧 派 の 南 石 文 琇 ( 一 三 四 五 ─ 一 四 一 八 ) に よ っ て 編 纂 さ れ た 『 増 集 続 伝 燈 録 』 巻 二 に は 「 万 寿 月 林 観 禅 師 法 嗣 」 と し て 「 隆 興 黄 龍 無 門 慧 開 禅 師 」 の 章 が 存 し て お り 、 隆 興 黄 龍 無 門 慧 開 禅 師 、 杭 州 良 渚 人 、 俗 姓 梁 、 母 宋 氏 。 礼 二 天 龍 肱 和 尚 一 為 二 受 業 師 一。 参 二 月 林 於 蘇 之 万 寿 一、 林 令 レ 看 二 無 字 話 一。 経 二 于 六 年 一、無門慧開の生涯と『無門関』 (一) (佐藤) 一一八 逈 無 二 入 処 一。 乃 奮 レ 志 剋 責 、 誓 云 、 若 去 睡 眠 、 爛 二 却 我 身 一。 毎 レ 至 二 困 時 一、 廊 下 行 道 、 以 レ 頭 向 二 露 柱 一 磕 。 一 日 在 二 法 座 辺 一 立 、 忽 聞 二 斎 皷 声 一 有 レ 省 。 成 レ 偈 曰 、 青 天 白 日 一 声 雷 、 大 地 羣 生 眼 豁 開 、 万 象 森 羅 斉 稽 首 、 須 彌 𨁝 跳 舞 二 三 臺 一。 次 日 入 室 、 欲 レ 通 二 所 得 一。 林 遽 曰 、 何 処 見 レ 神 見 レ 鬼 了 也 。 師 便 喝 。 林 亦 喝 。 師 又 喝 。 自 レ 此 機 語 吻 合 。 嘉 定 十 一 年 、 出 二 世 安 吉 報 国 一、 継 遷 二 隆 興 天 寧 ・ 黄 龍 ・ 翠 巌 ・ 蘇 之 開 原 ・ 霊 巌 ・ 鎮 江 焦 山 ・ 金 陵 保 寧 一。 淳 祐 六 年 、 奉 レ 旨 開 二 山 護 国 仁 王 寺 一。 上 堂 。 若 人 識 二 得 心 一、 大 地 無 二 寸 土 一。 古 人 恁 麼 道 、 黄 龍 即 不 レ 然 。 若 人 識 二 得 心 一、 大 地 尽 是 土 。 上 堂 。 是 非 長 短 耳 辺 風 、 切 莫 三 於 レ 中 覓 二 異 同 一。 要 レ 得 二 八 風 吹 不 一レ 動 、 放 教 三 心 地 等 二 虚 空 一。 慈 受 老 人 、 只 解 二 順 レ 水 張 一レ 帆 、 不 レ 能 二 逆 風 把 一レ 柁 。 黄 龍 又 且 不 レ 然 。 是 非 都 去 了 、 是 非 裏 薦 取 。 何 故 。 聻 。 幾 度 黒 風 飜 二 大 浪 一、 未 三 曾 聞 レ 道 二 釣 舟 傾 一。 上 堂 。 三 分 光 陰 二 早 過 、 懐 州 牛 喫 レ 禾 。 霊 臺 一 点 不 二 揩 磨 一、 益 州 馬 腹 脹 。 貪 レ 生 逐 レ 日 区 区 去 、 天 下 覓 二 医 人 一。 喚 不 レ 回 レ 頭 争 奈 何 、 灸 二 猪 左 膊 上 一。 於 レ 斯 薦 道 、 参 学 事 畢 。 其 或 未 レ 然 。 拈 二 拄 杖 一 云 、 請 木 上 座 与 二 諸 人 一 説 破 。 卓 二 拄 杖 一 一 下 。 上 堂 。 趙 州 和 尚 云 、 南 来 者 与 レ 他 下 載 、 北 来 者 与 レ 他 上 載 、 大 似 下 世 情 看 二 冷 暖 一 人 義 逐 中 高 低 上。 慈 受 和 尚 云 、 南 来 者 与 二 他 一 面 笑 一、 北 来 者 与 二 他 一 面 笑 一、 大 似 二 歓 喜 厮 散 笑 裏 有 一レ刀 。 若 是 焦 山 、 又 且 不 レ 然 。 南 来 者 以 二 平 常 一 待 レ 之 、 北 来 者 以 二 平 常 一 待 レ 之 。 也 不 レ 嗔 也 不 レ 笑 、 也 無 レ 下 也 無 レ 高 。 何 故 。 清 平 世 界 、 不 レ 用 二 干 戈 一。 作 二 朝 陽 偈 一 曰 、 寒 時 急 用 底 物 、 趁 レ 暖 著 二 些 針 線 一、 忽 然 臈 月 到 来 、 免 レ 致 二 脚 忙 手 乱 一。 対 レ 月 偈 曰 、 始 見 二 些 児 光 影 一、 要 レ 了 二 末 後 一 段 一。 若 是 無 門 拳 頭 、 不 レ 打 二 這 般 鈍 漢 一。 師 晩 年 倦 二 於 槌 払 一、 庵 二 居 西 湖 之 上 一、 参 学 者 猶 衆 。 理 宗 召 入 二 選 徳 殿 一、 説 法 祈 レ 雨 、 随 即 感 応 。 勑 賜 二 金 襴 法 衣 ・ 仏 眼 之 号 一、 以 示 二 褒 寵 一。( 卍 続 蔵 一 四 二 ・ 三 九 〇 b~ d) と あ る ご と く 記 載 内 容 が 大 幅 に 増 補 さ れ て い る 。『 増 集 続 伝 燈 録 』 で は 伝 記 記 事 や 示 衆 の こ と ば が 『 続 伝 燈 録 』 に 比 し て 格 段 に 増 加 さ れ て お り 、 編 集 者 の 文 琇 が 慧 開 の 伝 記 に つ い て も 丹 念 に 調 べ 上 げ て い る 状 況 が 窺 わ れ て 興 味 深 い 。 し か し な が ら 、 『 増 集 続 伝 燈 録 』 に お い て も 慧 開 の 示 寂 年 月 日 や 世 寿 ・ 法 臘 な ど 基 本 と な る 重 要 事 項 が な ぜ か 記 載 さ れ て い な い た め 、 伝 記 内 容 と し て は 不 十 分 な も の で あ っ て 、 具 体 的 な 年 時 の 確 定 な ど が 難 し い 。 ま た 『 増 集 続 伝 燈 録 』 に は 慧 開 が な し た 四 回 の 上 堂 語 と 二 首 の 偈 頌 が 載 せ ら れ て お り 、 後 段 で 詳 し く 触 れ る ご と く 、 そ れ ら は い ず れ も 『 無 門 開 和 尚 語 録 』 か ら 抄 出 引 用 さ れ て い る こ と が 確 か め ら れ る 。 お そ ら く 編 者 で あ る 文 琇 は 宋 版 ま た は 元 版 の 『 無 門 開 和 尚 語 録 』 を 実 際 に 閲 覧 す る 機 会 に 恵 ま れ 、 直 接 に 『 無 門 開 和 尚 語 録 』 の 上 堂 や 偈 頌 の 中 か ら 記 事 を 選 ん で 『 増 集 続 伝 燈 録 』 の 慧 開 の 章 に 掲 載 し て い る と 解 し て よ い で あ ろ う 。 こ の 点 、 慧 開 の 場 合 の み で な く 、 文 琇 は 他 の 禅 者 に 関 し て も そ れ ぞ れ の 語 録 や 詩 文 集 な ど か ら 丁 寧 に 上 堂 語 や 偈 頌 そ の 他 を 引 用 し て お り 、 き わ め て 好 意 的 な 性 格 で あ っ た こ と が 知 ら れ る 。
無門慧開の生涯と『無門関』 (一) (佐藤) 一一九 こ の 『 増 集 続 伝 燈 録 』 に つ づ い て 、 後 代 の 禅 宗 燈 史 と し て も 『 五 燈 会 元 続 略 』 巻 三 に 「 杭 州 黄 龍 無 門 慧 開 禅 師 」 ( 卍 続 蔵 一 三 八 ・ 四 五 三 c~ d) の 章 、『 五 燈 厳 統 』 巻 二 二 に 「 杭 州 黄 龍 無 門 慧 開 禅 師 」 ( 卍 続 蔵 一 三 九 ・ 四 八 一 c~ d) の 章 が 存 し て い る が 、 い ず れ も 住 持 地 を 「 杭 州 黄 龍 」 と 誤 っ て 記 し て い る 上 に 、 記 事 内 容 は き わ め て 簡 略 化 さ れ て い る 。 さ ら に そ の 後 の 禅 宗 燈 史 と し て も 『 祖 燈 大 統 』 巻 七 五 に 「 南 昌 府 黄 龍 無 門 慧 開 禅 師 」 ( 禅 宗 全 書 二 一 ・ 一 五 六 三 頁 ) の 章 、『 五 燈 全 書 』 巻 五 三 に 「 隆 興 府 黄 龍 無 門 慧 開 禅 師 」 ( 卍 続 蔵 一 四 一 ・ 八 一 b~ d) の 章 、『 続 燈 正 統 』 巻 七 に 「 南 昌 府 黄 龍 無 門 慧 開 禅 師 」 ( 卍 続 蔵 一 四 四 ・ 二 八 九 a~ c) の 章 、『 続 燈 存 稿 』 巻 二 に 「 隆 興 府 黄 龍 無 門 慧 開 禅 師 」 ( 卍 続 蔵 一 四 五 ・ 三 〇 a~ c) の 章 、『 続 指 月 録 』 巻 三 に 「 隆 興 黄 龍 無 門 慧 開 禅 師 」 ( 卍 続 蔵 一 四 三 ・ 四 一 五 d~ 四 一 六 a) の 章 な ど が 残 さ れ て い る が 、 こ れ ら は 概 ね 『 増 集 続 伝 燈 録 』 の 記 事 を 踏 襲 あ る い は 抽 出 す る か た ち で 要 領 よ く ま と め ら れ て お り 、 若 干 の 付 加 を 除 い て い ず れ も 記 事 内 容 と し て は 『 増 集 続 伝 燈 録 』 に 載 る 範 疇 を ほ と ん ど 出 て い な い 。 一 方 、 高 僧 伝 の 類 い と し て は 、 明 代 に 呉 門 華 山 寺 沙 門 の 高 松 明 河 ( 汰 如 法 師 ) に よ っ て 編 纂 さ れ た 『 補 続 高 僧 伝 』 巻 一 九 「 感 通 篇 」 に 「 無 門 開 伝 」 が 存 し て お り 、 慧 開 、 字 無 門 。 杭 之 良 渚 人 、 俗 姓 梁 、 母 宋 氏 。 礼 二 天 龍 肱 和 尚 一 為 二 受 業 師 一。 聞 三 月 林 観 公 開 二 法 於 万 寿 一、 師 同 二 石 霜 印 公 一 往 謁 レ 之 。 林 令 レ 看 二 無 字 話 一。 六 年 逈 無 二 入 処 一。 乃 奮 自 剋 責 、 誓 云 、 若 去 睡 眠 、 爛 二 却 我 身 一。 毎 レ 至 二 困 劇 時 一、 廊 下 行 道 、 以 レ 首 触 二 露 柱 一。 一 日 在 二 法 座 辺 一 立 、 忽 聞 二 斎 鼓 声 一 有 レ 省 。 成 レ 偈 云 、 青 天 白 日 一 声 雷 、 大 地 羣 生 眼 豁 開 、 万 象 森 羅 斉 稽 首 、 須 彌 𨁝 跳 舞 二 三 臺 一。 入 室 通 二 所 得 一。 林 叱 曰 、 何 得 二 見 レ 神 見 一レ鬼 。 師 便 喝 。 林 亦 喝 。 師 又 喝 。 自 レ 此 機 語 吻 合 。 嘉 定 間 、 出 二 世 安 吉 報 国 一、 遷 二 隆 興 天 寧 ・ 黄 龍 ・ 翠 巌 ・ 蘇 之 開 元 ・ 霊 巌 ・ 鎮 江 焦 山 ・ 金 陵 保 寧 一。 淳 祐 間 還 レ 里 、 于 二 西 湖 北 山 林 木 幽 蔭 処 一、 楽 而 居 レ 之 。 有 レ 石 自 二 山 趾 一 斗 折 而 上 、 𥓂 砑 不 レ 合 如 レ 礪 。 師 之 来 二 其 下 一、 劃 然 出 レ 泉 、 色 紺 而 甘 、 洌 澄 若 二 重 淵 一。 言 者 謂 、 師 自 二 黄 龍 一 移 二 是 山 一、 葢 龍 随 レ 師 錫 而 帰 也 。 遂 呼 二 其 石 処 一、 為 二 黄 龍 洞 一、 而 峰 為 二 黄 龍 峰 一。 是 凡 夏 雨 初 霽 、 有 レ 物 蜿 二 蜒 松 上 一、 気 茀 茀 而 黄 、 其 黄 龍 焉 。 時 境 内 大 旱 、 少 保 孟 珙 ・ 丞 相 呉 潜 ・ 鄭 清 之 、 奏 二 師 道 行 一、 致 二 泉 自 湧 一 龍 時 現 、 必 能 為 二 蒼 生 一 救 二 枯 槁 一 也 。 有 レ 旨 召 入 二 文 徳 殿 一 演 法 。 師 升 レ 座 、 無 レ 所 レ 説 唯 嘿 坐 。 雨 応 レ 時 大 作 、 遠 近 普 洽 。 上 喜 甚 問 、 何 以 致 レ 是 。 師 曰 、 寂 然 不 レ 動 、 感 而 遂 通 。 上 悦 、 賜 二 号 仏 眼 禅 師 一、 被 以 二 金 縷 伽 梨 一、 勑 二 祠 黄 龍 一、 曰 二 霊 済 侯 一。 于 二 黄 龍 峰 下 一、 建 二 護 国 仁 王 寺 一、 撥 二 平 江 官 田 三 千 畝 一、 命 レ 師 開 山 。 師 形 体 矬 小 、 其 赴 レ 召 也 。 指 レ 日 観 レ 衆 、 而 後 踰 レ 閾 、 施 二 重 於 座 級 一 而 升 焉 。 朝 士 多 竊 笑 レ 之 。 師 誓 レ 弘 二 法 教 一、 惟 自 諱 二 報 身 不 一レ 偉 。 洞 之 顚 有 二 玉 峰 一 片 一、 削 成 挿 レ 天 、 瑩 如 二 脂 肪 一、 高 二 丈 餘 。 因 命 レ 工 肖 二 己 形 一、 長 丈 許 、 飛 雲 隠 二 其 足 一。 縁 レ 背 光 燄 蔚
無門慧開の生涯と『無門関』 (一) (佐藤) 一二〇 起 、 鑿 二 龍 首 蟠 一、 繞 レ 右 向 レ 虚 、 左 竇 可 二 俛 入 一、 前 施 案 焉 。 皆 就 二 石 勢 一 鏤 レ 之 。 幻 若 二 従 レ 地 湧 出 一、 而 登 坐 二 於 空 中 一 者 、 私 祝 云 、 願 後 有 レ 身 視 レ 此 。 師 遷 化 之 夕 、 銭 塘 孫 氏 婦 、 夢 二 一 僧 篝 一レ 燈 、 自 称 二 開 道 人 一。 寄 宿 、 翼 日 産 二 男 子 一、 後 為 二 大 禅 師 一、 即 中 峰 本 公 也 。 師 法 嗣 為 二 永 嘉 見 和 尚 一。 高 峰 語 二 石 屋 一 云 、 温 有 二 瞎 驢 一 是 也 。 亦 為 二 大 宗 匠 一、 不 レ 墜 二家 声 一 者 。( 卍 続 蔵 一 三 四 ・ 一 五 四 b~ d) と 記 さ れ て お り 、 や は り そ れ 相 応 の 伝 記 記 事 が 載 せ ら れ て い る 。 た だ し 、 慧 開 の 伝 は 禅 僧 と し て 「 習 禅 篇 」 に は 収 め ら れ て お ら ず 、 な ぜ か 神 異 僧 を 意 味 す る 「 感 通 篇 」 に 載 せ ら れ て い る 。 こ の 点 に つ い て は 後 に 詳 し く 示 す ご と く 慧 開 が な し た 祈 雨 の 事 跡 に 因 ん だ 神 異 僧 と し て の 面 が こ と さ ら 強 調 さ れ た た め で あ ろ う 。『 補 続 高 僧 伝 』 で は 『 増 集 続 伝 燈 録 』 の よ う に 『 無 門 開 和 尚 語 録 』 か ら 上 堂 語 や 偈 頌 な ど を 引 用 す る こ と は な く 、 概 ね 伝 記 的 な 記 載 に 限 ら れ て い る 。『 増 集 続 伝 燈 録 』 に 載 る 伝 記 的 な 記 載 と 一 致 し て い る 箇 所 も 多 い が 、『 補 続 高 僧 伝 』 の み に 独 自 に 伝 え ら れ る 内 容 も 見 ら れ る こ と か ら 、 両 史 料 を 検 討 整 理 す る こ と に よ っ て 慧 開 の 伝 記 は か な り 補 完 す る こ と が で き よ う 。 た だ 、 注 目 さ れ る の は 『 増 集 続 伝 燈 録 』『 補 続 高 僧 伝 』 と も に 慧 開 の 主 著 で あ る 『 無 門 関 』 に 関 し て 何 ら 触 れ て い な い 点 で あ っ て 、『 増 集 続 伝 燈 録 』『 補 続 高 僧 伝 』 が 編 纂 さ れ た 明 代 前 期 の 頃 に は す で に 『 無 門 関 』 が 中 国 禅 林 か ら 伝 存 を 絶 っ て い た か 、 ほ と ん ど 顧 み ら れ な く な っ て い た ら し い 事 情 も 察 せ ら れ て 興 味 深 い 。『 無 門 関 』 は 日 本 禅 林 で こ そ 大 い に 珍 重 さ れ て 広 ま り 、 日 本 禅 宗 ( と く に 臨 済 宗 ) を 特 色 づ け る 公 案 集 と し て 受 容 さ れ て い っ た も の の 、 当 の 中 国 禅 林 で は 慧 開 が 示 寂 し て 一 世 紀 半 ほ ど を 経 て 早 い 時 期 に は 失 わ れ て い る よ う で あ る )1 ( 。 明 代 後 期 に 田 汝 成 ( 字 は 叔 禾 、 号 は 豫 陽 、 一 五 〇 三 ― 一 五 五 七 ) が 編 集 し た 杭 州 西 湖 の 地 誌 で あ る 『 西 湖 遊 覧 志 』 巻 九 「 北 山 勝 蹟 」 に も 「 祠 ( 翊 忠 祠 ) 之 後 、 為 二 掃 箒 塢 ・ 黄 龍 洞 ・ 護 国 仁 王 禅 寺 一」 と し て 、 護 国 仁 王 禅 寺 、 宋 淳 祐 間 、 経 畧 花 園 使 孟 珙 建 。 自 二 其 趾 一 斗 折 而 上 有 レ 洞 、 谽 谺 深 杳 莫 レ 測 、 水 泉 紺 凛 、 旱 不 レ 縮 而 潦 不 レ 盈 、 有 レ 龍 居 焉 。 故 老 相 伝 、 曩 夏 雨 初 霽 時 、 常 有 二 神 物 一 蜿 蜒 臥 二 松 上 一、 其 気 茀 茀 然 而 黄 、 蓋 黄 龍 也 、 故 世 号 二 黄 龍 洞 一。 珙 既 建 二 仁 王 寺 一、 并 作 二 龍 祠 一、 延 二 高 僧 慧 開 一 居 レ 之 。 属 歳 又 旱 、 理 宗 召 二 慧 開 一 祈 レ 雨 。 退 而 黙 坐 、 帝 遣 二 内 侍 一 問 レ 之 。 対 曰 、 寂 然 不 レ 動 、 感 而 後 通 。 既 而 大 雨 。 自 レ 是 無 レ 雨 輙 禱 禱 輙 応 。 遂 封 二 黄 龍 一、 為 二 霊 霽 済 侯 一 賜 レ 祠 、 額 曰 二 護 国 龍 祠 一。 元 至 正 燬 。 洪 武 初 、 僧 祖 吉 重 建 。 其 東 有 二 黄 山 橋 一、 塢 内 有 二 天 龍 庵 ・ 永 安 院 ・ 西 靖 宮 一、 並 廃 。 と 伝 え ら れ て お り 、 こ れ は 後 に 詳 し く 触 れ る ご と く 慧 開 と 杭 州 の 霊 洞 山 護 国 仁 王 禅 寺 と の 関 わ り を 述 べ た も の で あ る )2 ( 。 清 代 の
無門慧開の生涯と『無門関』 (一) (佐藤) 一二一 康 煕 五 七 年 ( 一 七 一 八 ) に 刊 行 さ れ た 『 康 煕 銭 塘 県 志 』 巻 三 〇 「 釈 」 に も 、 慧 開 。 生 而 藐 小 。 与 二 石 霜 一 同 参 、 作 二 補 衲 ・ 看 経 二 偈 一。 自 二 黄 龍 山 一 挟 レ 龍 来 、 止 二 無 門 洞 麓 一。 毎 蜿 二 蜒 松 上 一。 禱 レ 雨 輙 応 。 孟 珙 ・ 呉 潜 ・ 鄭 清 之 聞 二 于 朝 一 召 、 対 問 下 所 二 以 致 一レ雨 者 上。 曰 、 寂 然 不 レ 動 、 感 而 遂 通 。 賜 二 金 紋 伽 梨 一。 其 後 身 即 中 峯 明 本 也 。 と し て 慧 開 の 記 事 が 載 せ ら れ て い る 。 き わ め て 簡 略 な 内 容 で あ っ て 『 補 続 高 僧 伝 』 の 記 載 を 抜 粋 す る か た ち で 著 さ れ て い る が 、「 生 而 藐 小 」 や 「 其 後 身 即 中 峯 明 本 也 」 と い っ た 記 載 は 『 増 集 続 伝 燈 録 』 に は 見 ら れ な か っ た 独 自 の 内 容 で あ る 。 ま た 「 石 霜 と 同 参 な り 」 と あ る 石 霜 と は 、 後 に 詳 し く 示 す が ご と く 慧 開 と 同 門 で 潭 州 ( 湖 南 省 ) 瀏 陽 県 の 石 霜 山 崇 勝 禅 寺 に 住 持 し た 竹 巌 妙 印 の こ と を 指 し て お り 、『 補 続 高 僧 伝 』 で は 「 石 霜 印 公 」 と 記 さ れ て い る 。 『 武 林 梵 志 』 巻 五 「 北 山 分 脈 」 の 「 護 国 仁 王 講 寺 」 の 項 に も 慧 開 の 記 事 が 含 ま れ て い る が 、 こ の 点 に 関 し て は 後 段 で 詳 し く 触 れ る こ と に し た い 。 同 じ く 『 武 林 梵 志 』 巻 一 〇 「 古 徳 機 縁 」 の 「 護 国 寺 」 に 「 隆 興 黄 龍 無 門 慧 開 禅 師 」 の 項 が 存 し て い る が 、 内 容 は ほ ぼ 『 増 集 続 伝 燈 録 』 の 慧 開 の 章 と 同 文 で あ る )3 ( 。 一 方 、 日 本 と の 関 係 で と く に 重 要 な の は 、 無 本 覚 心 が 在 宋 中 に 慧 開 と 交 わ し た 問 答 商 量 が 覚 心 の 伝 記 史 料 な ど に よ っ て 知 ら れ 、 ま た 帰 国 し て 後 に 海 を 挟 ん で 慧 開 と の 間 で 交 わ し た 往 復 書 簡 に 関 す る 史 料 な ど も 伝 え ら れ て い る 点 で あ ろ う 。 こ れ ら の 史 料 を 詳 細 に 紐 解 く こ と に よ っ て 、 晩 年 の 慧 開 を め ぐ る 状 況 を か な り 詳 し く 辿 る こ と が で き よ う 。
『
無
門
開
和
尚
語
録
』
に
つ
い
て
幸 い な こ と に 無 門 慧 開 に 関 し て は 頌 古 集 『 無 門 関 』 一 巻 が 存 し て お り 、『 無 門 関 』 自 体 も 慧 開 の 事 跡 を 知 る 上 で 貴 重 な 伝 記 史 料 と な っ て い る と 捉 え て よ い 。 慧 開 に よ る 『 無 門 関 』 の 提 唱 お よ び 編 纂 ・ 刊 行 に つ い て は 後 段 で 慧 開 の 伝 記 と 絡 め て 論 ず る こ と に し た い 。 し か も 慧 開 に は 『 無 門 関 』 の ほ か に 生 前 の 上 堂 ・ 小 参 そ の 他 を ま と め た 語 録 と し て 『 無 門 開 和 尚 語 録 』 が 伝 え ら れ て お り 、 こ の 『 無 門 開 和 尚 語 録 』 に は 慧 開 が 具 体 的 に 説 示 し た 日 々 の こ と ば が 収 録 さ れ て い る 。『 無 門 開 和 尚 語 録 』 は 生 前 に 慧 開 が 門 下 に 集 っ た 修 行 僧 や 在 俗 の 徒 に 対 し て 実 際 に 語 っ た こ と ば が 散 り ば め ら れ て い る 点 で 、 き わ め て 貴 重 な 第 一 等 の 文 献 史 料 で も あ る 。 幸 い に 覆 元 五 山 版 『 無 門 開 和 尚 語 録 』 不 分 巻 一 冊 が 宮 内 庁 書 陵 部 や 建 仁 寺 両 足 院 に 所 蔵 さ れ て お り 、 し か も 椎 名 宏 雄 編 『 五無門慧開の生涯と『無門関』 (一) (佐藤) 一二二 山 版 中 国 禅 籍 叢 刊 〈 第 七 巻 語 録 2〉』( 二 〇 一 三 年 一 月 、 臨 川 書 店 刊 ) に 『 無 門 語 録 』 と し て こ の 宮 内 庁 書 陵 部 所 蔵 本 の 影 印 が 出 版 公 刊 さ れ た 意 義 は 大 き い で あ ろ う )4 ( 。 一 方 、 江 戸 期 に も 元 禄 版 と し て 再 刊 本 も 作 ら れ て お り 、 こ れ は 元 禄 五 年 ( 一 六 九 二 ) に 『 無 門 開 和 尚 語 録 』 二 巻 と し て 再 編 刊 行 さ れ た も の で 、 曹 洞 宗 明 峯 派 の 卍 山 道 白 ( 復 古 老 人 、 一 六 三 六 ─ 一 七 一 五 ) の 跋 文 が 末 尾 に 収 め ら れ て い る 。 駒 澤 大 学 図 書 館 に は 元 禄 五 年 に 京 都 銅 駝 坊 書 肆 勧 道 軒 ・ 江 戸 村 上 源 兵 衛 に よ っ て 刊 行 さ れ た 『 無 門 開 和 尚 語 録 』 二 巻 一 冊 ( 駒 ・ 忽 一 一 五 一 ) と 、 元 禄 一 〇 年 ( 一 六 九 七 ) に 林 五 郎 兵 衛 に よ っ て 重 刊 さ れ た 『 無 門 開 和 尚 語 録 』 二 巻 二 冊 ( 駒 一 二 四 ─ 九 六 ) が 所 蔵 さ れ て い る )5 ( 。 元 禄 五 年 刊 本 に は 末 尾 に 「 元 禄 五 壬 申 暦 孟 冬 吉 日 寿 梓 、 雒 陽 銅 駝 坊 書 肆 勧 道 軒 、 江 戸 日 本 橋 南 一 丁 目 村 上 源 兵 衛 」 と い う 刊 記 が 存 し 、 こ れ に つ づ い て 卍 山 道 白 の 跋 が 収 め ら れ て い る 。 一 方 、 元 禄 一 〇 年 重 刊 本 で は 、 元 禄 五 年 本 の 刊 記 に 代 わ っ て 「 元 禄 十 年 九 月 吉 祥 、 林 五 郎 兵 衛 梓 行 」 と い う 刊 記 が 見 ら れ る 上 に 、 若 干 の 配 列 の 異 同 が 認 め ら れ る 。 は じ め に 現 存 す る 五 山 版 『 無 門 開 和 尚 語 録 』 と 元 禄 五 年 本 『 無 門 開 和 尚 語 録 』 の 配 列 を 載 せ て お き た い 。 上 段 が 覆 元 五 山 版 『 無 門 開 和 尚 語 録 』 一 巻 一 冊 の 編 成 で あ り 、 下 段 が 元 禄 五 年 版 『 無 門 開 和 尚 語 録 』 二 巻 一 冊 の 編 成 で あ る 。 〔 覆 元 五 山 版 『 無 門 開 和 尚 語 録 』 一 巻 一 冊 の 配 列 〕 〔 元 禄 五 年 版 『 無 門 開 和 尚 語 録 』 二 巻 一 冊 の 配 列 〕 眉 山 程 公 許 序 淳 祐 九 年 季 春 眉 山 程 公 許 序 淳 祐 九 年 季 春 無 門 開 和 尚 住 湖 州 報 因 禅 寺 語 録 侍 者 普 敬 録 無 門 開 和 尚 語 録 巻 上 隆 興 府 天 寧 禅 寺 語 録 侍 者 普 通 録 無 門 開 和 尚 住 湖 州 報 因 禅 寺 語 録 侍 者 普 敬 録 隆 興 府 黄 龍 崇 恩 禅 寺 語 録 侍 者 普 通 録 隆 興 府 天 寧 禅 寺 語 録 侍 者 普 通 録 平 江 府 霊 巌 顕 親 崇 報 禅 寺 語 録 侍 者 了 心 録 隆 興 府 黄 龍 崇 恩 禅 寺 語 録 侍 者 普 通 録 隆 興 府 翠 巌 広 化 禅 寺 語 録 侍 者 普 禮 録 平 江 府 霊 巌 顕 親 崇 報 禅 寺 語 録 侍 者 了 心 録 再 住 黄 龍 禅 寺 語 録 侍 者 法 孜 録 隆 興 府 翠 巌 広 化 禅 寺 語 録 侍 者 普 禮 録 鎮 江 府 焦 山 普 済 禅 寺 語 録 侍 者 普 岩 録 再 住 黄 龍 禅 寺 語 録 侍 者 法 孜 録 平 江 府 開 元 禅 寺 語 録 侍 者 普 覚 録 鎮 江 府 焦 山 普 済 禅 寺 語 録 侍 者 普 巌 録 建 康 府 保 寧 禅 寺 語 録 侍 者 光 祖 録 平 江 府 開 元 禅 寺 語 録 侍 者 普 覚 録 開 山 護 国 仁 王 禅 寺 語 録 侍 者 一 見 録 建 康 府 保 寧 禅 寺 語 録 侍 者 光 祖 録
無門慧開の生涯と『無門関』 (一) (佐藤) 一二三 告 香 普 説 ・ 小 参 ・ 賛 仏 祖 ・ 偈 頌 ・ 真 賛 開 山 護 国 仁 王 禅 寺 語 録 侍 者 一 見 録 刊 記 至 元 十 六 年 中 秋 無 門 開 和 尚 語 録 巻 下 無 門 慧 開 遷 化 関 連 記 事 告 香 普 説 ・ 小 参 ・ 賛 仏 祖 ・ 偈 頌 ・ 真 賛 刊 記 至 元 十 六 年 中 秋 無 門 慧 開 遷 化 関 連 記 事 刊 記 元 禄 五 年 孟 冬 卍 山 道 白 跋 元 禄 五 年 春 こ の よ う に 覆 元 五 山 版 『 無 門 開 和 尚 語 録 』 が 一 巻 一 冊 本 で あ っ た の に 対 し て 、 元 禄 版 『 無 門 開 和 尚 語 録 』 は 二 巻 一 冊 本 と し て 再 編 成 さ れ て お り 、 卍 山 道 白 が 元 禄 五 年 春 に 書 し た 跋 文 を 付 し て 刊 行 さ れ て い る 。 も っ と も 元 禄 一 〇 年 重 刊 本 に お い て は 表 題 が 「 無 門 慧 開 禅 師 語 録 」 と な っ て お り 、 上 下 二 巻 二 冊 に 分 け ら れ て い る 。 し か も 冒 頭 の 「 眉 山 程 公 許 序 」 が 巻 下 の 後 半 に 回 さ れ て お り 、 林 五 郎 兵 衛 の 刊 記 の 後 に 「 眉 山 程 公 許 序 」 が 存 し 、 最 後 に 卍 山 道 白 の 跋 文 が 付 さ れ る と い う 体 裁 に な っ て い る 。 覆 元 五 山 版 と 二 種 の 元 禄 本 の 序 跋 や 刊 記 な ど を 整 理 す る と 、 少 な く と も 『 無 門 開 和 尚 語 録 』 は 五 回 ほ ど 刊 行 さ れ て い る も の ら し く 、 淳 祐 版 ( 宋 版 ) ・ 至 元 版 ( 元 版 ) ・ 五 山 版 ( 覆 元 版 ) ・ 元 禄 五 年 刊 本 ( 江 戸 版 ) ・ 元 禄 一 〇 年 刊 本 ( 江 戸 重 刊 本 ) が 存 し て い た こ と が 分 か り 、 こ の 内 で 覆 元 五 山 版 刊 本 と 元 禄 五 年 刊 本 と 元 禄 一 〇 年 重 刊 本 と い う 三 種 が 現 今 に 伝 存 し て い る わ け で あ る 。 最 初 に 宋 版 『 無 門 開 和 尚 語 録 』 一 巻 が 南 宋 の 淳 祐 九 年 ( 一 二 四 九 ) 季 春 三 月 に 程 公 許 の 序 文 を 得 て 刊 行 さ れ て い た も の と 見 ら れ 、 こ れ は 慧 開 の 生 前 六 七 歳 の と き に 当 た っ て い る 。 つ い で 南 宋 が 壊 滅 し た 年 に 当 た る 元 の 至 元 一 六 年 ( 南 宋 の 祥 興 二 年 、 一 二 七 九 ) 八 月 一 五 日 ( 中 秋 ) の 刊 記 が 存 す る こ と か ら 、 慧 開 が 示 寂 し て 二 〇 年 目 に 当 た る 年 に 慧 開 の 門 人 や 在 俗 の 信 徒 ら に よ っ て 元 版 『 無 門 開 和 尚 語 録 』 と し て 再 刊 さ れ た こ と が 知 ら れ る 。 た だ し 、 元 版 は 宋 版 の ま ま に 復 刻 さ れ 、 末 尾 に 慧 開 遷 化 に 関 連 す る 記 事 が 付 加 さ れ て い る に す ぎ な い 。 宋 版 『 無 門 開 和 尚 語 録 』 は 無 本 覚 心 が 帰 国 す る 際 に 日 本 禅 林 に 請 来 し た 可 能 性 も 高 い も の の 、 少 な く と も 宮 内 庁 書 陵 部 に 所 蔵 さ れ る 五 山 版 『 無 門 開 和 尚 語 録 』 は 、 宋 版 で は な く 元 版 を そ の ま ま 復 刻 し た 五 山 版 『 無 門 開 和 尚 語 録 』 と し て 現 存 し て い る わ け で あ る 。 し か も 五 山 版 に は 新 た な 刊 記 な ど は 見 ら れ ず 、 あ く ま で 元 版 を 忠 実 に 模 刻 し た 覆 元 五 山 版 で あ り 、 内 容 的 に は 元 版 と 何 ら 区 別 が つ か ず 、 日 本 禅 林 で 新 た に 付 加 さ れ た 記 事 は 認 め ら れ な い 。
無門慧開の生涯と『無門関』 (一) (佐藤) 一二四 一 方 、 元 禄 五 年 版 と 元 禄 一 〇 年 版 の 『 無 門 開 和 尚 語 録 』 巻 末 に は 、 再 刊 に 関 わ っ た 卍 山 道 白 が 跋 文 を 寄 せ て い る )6 ( 。 碧 巌 集 之 後 、 評 二 唱 公 案 一 甚 多 。 而 不 レ 堕 二 解 路 一 発 二 明 宗 旨 一 者 、 独 無 門 開 公 乎 。 予 曾 閲 二 無 門 関 四 十 八 則 一、 知 二 其 然 一 矣 。 今 又 得 二 此 諸 会 語 録 一、 遮 二 我 睡 餘 之 眼 一、 則 眸 子 為 レ 之 活 動 、 巌 電 為 レ 之 閃 爍 。 葢 以 二 其 痛 快 一 破 レ 寂 如 二 雷 驚 一レ 蟄 也 。 而 無 味 之 談 、 如 二 砒 霜 一 如 二 狼 毒 一。 是 故 無 三 人 能 下 二 舌 頭 一 宜 乎 。 此 録 久 絶 二 流 行 一。 或 云 、 今 也 宗 風 日 起 、 不 レ 乏 二 其 人 一、 若 下 二 疏 決 手 一、 試 令 二 翻 刻 一、 不 三 但 開 公 法 身 之 設 利 羅 重 放 二 不 朽 之 大 光 明 一、 抑 亦 有 下 知 二 毒 用 一 者 上、 必 能 瘳 二 瞑 眩 疾 一。 其 久 絶 二 流 行 一 者 、 原 泉 之 盈 レ 科 也 。 既 盈 而 後 進 、 今 正 其 時 也 。 予 聞 二 緒 言 一 而 喜 、 乃 乾 竹 絞 レ 汁 、 瀝 二 這 些 一 滴 一、 擲 一 擲 授 二 印 生 一、 以 一 下 任 落 二 乎 江 湖 一 放 中 乎 四 海 上。 若 有 レ 人 道 二 千 里 烏 騅 追 不 一レ 得 、 則 幸 也 。 旹 元 禄 五 年 壬 申 春 日 、 宝 陀 峰 白 卍 山 撰 。 卍山
氏
道白 之印 ( 卍 続 蔵 一 二 〇 ・ 二 六 四 c) こ れ に よ れ ば 、 道 白 は 元 禄 五 年 の 春 に 宝 陀 峰 す な わ ち 山 城 ( 京 都 府 ) 洛 北 の 鷹 峰 山 源 光 庵 に お い て 跋 文 を 撰 し て い る 。 道 白 が 在 世 し て い た 当 時 、 す で に 『 無 門 関 』 は 広 く 刊 本 と し て 流 布 し て い た が 、 一 方 の 『 無 門 開 和 尚 語 録 』 の 方 は 世 に ほ と ん ど 知 ら れ て い な か っ た の で あ り 、 そ の た め 道 白 と し て は 『 無 門 開 和 尚 語 録 』 を 再 版 す る 意 義 を 強 調 し て い る 。 こ の ほ か 駒 澤 大 学 図 書 館 に 『 無 門 開 和 尚 語 録 事 畧 』 ( 外 題 は 『 無 門 開 禅 師 語 録 事 畧 』 と す る ) と 題 す る 四 冊 本 の 写 本 ( 駒 一 二 四 ─ 九 七 ) も 伝 え ら れ て い る 。 こ れ は 『 無 門 開 和 尚 語 録 』 に 載 る 語 句 に つ い て 一 々 に 語 釈 し た も の で あ る が 、 如 何 な る 禅 者 が 註 を 施 し た も の な の か は 定 か で な い 。 た だ し 、 こ の 『 無 門 開 和 尚 語 録 事 畧 』 は 残 念 な が ら 四 冊 の 内 で 三 冊 目 が 欠 損 と な っ て お り 、 一 冊 目 ・ 二 冊 目 ・ 四 冊 目 の 三 冊 の み が 残 さ れ て い る 。 幸 い に 二 冊 目 の 裏 表 紙 の 内 側 に 「 西 笑 院 」 の 書 込 み が 存 す る こ と か ら 、 も と も と 東 京 都 八 王 子 市 山 田 町 に あ る 臨 済 宗 南 禅 寺 派 の 兜 率 山 廣 園 寺 の 塔 頭 西 笑 院 に 所 蔵 さ れ て い た も の ら し く 、 そ れ が 後 に 何 ら か の 事 情 で 駒 澤 大 学 図 書 館 に 納 め ら れ た と 見 ら れ る 。 廣 園 寺 は 無 門 慧 開 ─ 無 本 覚 心 ─ 孤 峰 覚 明 ─ 抜 隊 得 勝 ─ 峻 翁 令 山 と 次 第 相 承 す る 法 燈 派 の 峻 翁 令 山 ( 法 光 円 融 禅 師 、 一 三 四 四 ─ 一 四 〇 八 ) に よ っ て 創 建 さ れ た 寺 院 で あ り 、 西 笑 院 も 令 山 の 法 を 嗣 い で 廣 園 寺 第 四 世 と な っ た 道 運 □ 慶 ( ? ─ 一 四 二 八 ) に よ っ て 開 か れ 、 廣 園 寺 の 末 院 ( 塔 頭 ) と し て 位 置 づ け ら れ て い る )7 ( 。 後 に 触 れ る ご と く 慧 開 の 本 師 で あ る 月 林 師 観 に も 『 月 林 観 和 尚 語 録 』 一 巻 が 残 さ れ て い る が 、 こ れ ら 『 月 林 観 和 尚 語 録 』 『 無 門 開 和 尚 語 録 』 お よ び 法 統 の 祖 に 当 た る 開 福 道 寧 の 『 潭 州 開 福 禅 寺 第 十 九 代 寧 和 尚 語 録 』 一 巻 な ど は 、 入 宋 し て 慧 開 の 法 を 嗣 い で 帰 国 し た 無 本 覚 心 の 存 在 を 縁 と し て 日 本 禅 林 に 請 来 さ れ た も の で あ り 、 覚 心 が そ の 系 統 を 嗣 承 し な か っ た な ら ば 日 本 に 請 来 さ れ ず に 終 わ っ た は ず の 語 録 で あ る 。 そ の 面 で も 『 潭 州 開 福 禅 寺 第 十 九 代 寧 和 尚 語 録 』『 月 林 観 和 尚 語 録 』『 無 門 開 和 尚無門慧開の生涯と『無門関』 (一) (佐藤) 一二五 語 録 』 の 三 語 録 は 、 稀 有 に し て 現 今 ま で 残 さ れ た 貴 重 な 禅 籍 と い っ て よ い 。
無
門
慧
開
の
法
諱
と
道
号
無 門 慧 開 と い う 禅 者 に つ い て 最 初 に 問 題 と す べ き は 法 諱 と 道 号 の こ と で あ り 、 さ ら に 出 身 地 と 俗 姓 に 関 し て 触 れ な け れ ば な ら な い 。『 続 伝 燈 録 』 の 「 黄 龍 慧 開 禅 師 」 の 章 で は 、 こ の 点 に 関 し て 僅 か に 「 黄 龍 慧 開 禅 師 、 字 無 門 。 杭 州 人 」 と 記 す の み で あ る が 、 こ れ に つ づ く 『 増 集 続 伝 燈 録 』 に 至 る と 「 隆 興 黄 龍 無 門 慧 開 禅 師 、 杭 州 良 渚 人 、 俗 姓 梁 。 母 宋 氏 」 と い く ぶ ん 詳 し く 伝 え ら れ て お り 、『 補 続 高 僧 伝 』 で も 「 慧 開 、 字 無 門 。 杭 之 良 渚 人 、 俗 姓 梁 。 母 宋 氏 」 と 記 さ れ て い る 。 こ の 人 は 法 諱 を 慧 開 ま た は 恵 開 と い い 、 字 ま た は 道 号 を 無 門 と 称 し て い る 。 法 諱 の 慧 開 と は 仏 門 に 投 じ て 出 家 得 度 し た 際 に 受 業 師 か ら 付 与 さ れ た も の で あ ろ う が 、 意 の ご と く 仏 智 慧 が 開 け る 意 と し て 命 名 さ れ た も の で あ ろ う 。 ま た 慧 開 を 恵 開 と 記 す 史 料 も 存 し て い る が 、 慧 開 と 恵 開 は 同 義 と 見 て よ い で あ ろ う 。 一 応 、 本 稿 に お い て は よ り 一 般 的 な 慧 開 を も っ て こ の 人 の 法 諱 と し て 統 一 し て お く こ と に し た い 。 慧 開 が 活 動 し た 南 宋 代 に 法 諱 の 下 字 に 「 開 」 の 字 を 用 い た 禅 者 と し て は 、 大 慧 派 に 卍 庵 道 顔 ( 萬 庵 、 一 〇 九 四 ─ 一 一 六 四 ) の 法 を 嗣 い だ 麟 庵 □ 開 が お り 、 虎 丘 派 に 松 源 派 祖 の 松 源 崇 嶽 の 法 を 嗣 い だ 掩 室 善 開 の 存 在 が 知 ら れ る 。 さ ら に 慧 開 よ り 若 干 な が ら 後 輩 に 当 た る と 見 ら れ る 嗣 承 未 詳 の 禅 者 と し て 石 門 □ 開 が 存 し て い る が 、 石 門 □ 開 の 場 合 は 慧 開 と 同 じ く 門 と 開 の 関 係 で 名 が 付 け ら れ て い る )8 ( 。 い ず れ に せ よ 、 南 宋 禅 林 で 法 諱 の 下 字 に 「 開 」 を 用 い た 禅 者 の 用 例 は 意 外 に 少 な い と い え よ う 。 道 号 の 無 門 に つ い て は 、 い う ま で も な く 法 諱 の 下 字 で あ る 「 開 」 の 語 に 因 ん で 命 名 さ れ た も の で あ っ て 、 道 号 と 法 諱 の 関 係 は 「 門 な ど 無 く 開 か れ て い る 」 と い っ た 意 に ほ か な ら な い 。『 宗 門 聯 燈 会 要 』 巻 一 〇 「 鄂 州 灌 渓 志 閑 禅 師 」 の 章 に は 「 示 レ 衆 云 、 十 方 無 二 壁 落 一、 四 面 亦 無 レ 門 、 露 倮 倮 、 赤 洒 洒 、 没 可 把 。 便 下 座 」 ( 卍 続 蔵 一 三 六 ・ 三 〇 二 b) と あ り 、 臨 済 下 の 灌 渓 志 閑 ( ? ─ 八 九 五 ) が 「 十 方 に 壁 落 無 く 、 四 面 に 亦 た 門 無 し 」 の 語 句 を 用 い て い る か ら 、 無 門 と は 四 面 十 方 に 何 ら 自 己 を 隔 て る 窓 ( 壁 落 ) や 門 な ど な い 融 通 無 礙 な さ ま を 意 味 し よ う 。 こ の 点 は 慧 開 の 本 師 と な っ た 月 林 師 観 も 『 月 林 観 和 尚 語 録 』「 月 林 和 尚 住 平 江 府 蠡 口 聖 因 禅 院 語 録 」 の 入 院 法 語 に お い て 、 師 於 二 嘉 泰 元 年 七 月 十 四 日 一 入 院 。 指 二 三 門 一 云 、 仏 語 心 為 レ 宗 、 無 門 為 二 法 門 一。 箇 裡 全 身 入 、 別 是 一 乾 坤 。( 卍 続 蔵 一 二 〇 ・ 二 四 二 b)無門慧開の生涯と『無門関』 (一) (佐藤) 一二六 と あ り 、 や は り 「 無 門 を 法 門 と 為 す 」 と 語 っ て い る 。 た だ し 、 慧 開 の 場 合 は さ ら に 「 無 字 の 関 門 が 開 か れ た 」 と い う 意 味 に 転 じ て 用 い ら れ て お り 、 後 に 慧 開 が 本 師 の 師 観 の も と で 参 究 し た 「 趙 州 無 字 」 の 古 則 す な わ ち 無 字 の 公 案 に 基 づ い て い る と 見 て よ く 、 無 字 に 因 む 彼 自 身 の 拈 提 で あ る 『 無 門 関 』 と も 密 接 に 関 わ っ て い る こ と は 疑 い な い 。 こ の 無 門 の 道 号 が 慧 開 自 身 で 称 し た 自 号 で あ っ た の か 、 本 師 師 観 か ら 付 与 さ れ た 道 号 頌 の 類 い で あ っ た の か は 定 か で な い が 、 師 観 と の 関 わ り か ら 無 門 の 道 号 を 使 用 し て い る こ と は 疑 い な い 。 そ ん な 慧 開 と 無 字 の 公 案 と の 関 わ り に つ い て は 、 後 段 で 詳 し く 触 れ る こ と に し た い 。 実 の と こ ろ 、 慧 開 が 活 動 し た 南 宋 代 に は 道 号 の 上 字 に 「 無 」 の 字 を 用 い た 臨 済 禅 者 が 数 多 く 存 し て お り 、 枚 挙 に 暇 が な い ほ ど で あ る 。 す で に 早 く 黄 龍 派 に は 無 示 介 諶 ( 分 諶 と も 、 一 〇 八 〇 ─ 一 一 四 八 ) ・ 無 竭 浄 曇 ( 一 〇 九 一 ─ 一 一 四 六 ) ・ 無 伝 居 慧 ( 一 〇 七 七 ─ 一 一 五 一 ) ・ 無 諍 慧 初 ・ 無 住 □ 本 な ど が 存 し て い る か ら 、 十 二 世 紀 前 半 か ら 「 無 」 の 文 字 が 道 号 に 用 い ら れ る よ う に な っ た こ と が 知 ら れ る 。 こ れ が 十 二 世 紀 の 後 半 以 降 に な る と さ ら に 傾 向 が 加 速 し て お り 、 楊 岐 派 に は 無 著 道 閑 ( ? ─ 一 一 四 七 ) ・ 無 庵 法 全 ( 一 一 一 四 ─ 一 一 六 九 ) ・ 無 証 了 修 ・ 無 芳 □ 覚 ・ 無 号 □ 燾 ・ 無 行 達 真 ( ? ─ 一 二 六 三 ) な ど が 存 し て お り 、 大 慧 派 に は 無 著 妙 総 尼 ( 一 〇 九 五 ─ 一 一 七 〇 ) ・ 無 等 有 才 ( 一 一 一 六 ─ 一 一 六 九 ) ・ 無 用 浄 全 ( 越 州 翁 大 木 、 一 一 三 七 ─ 一 二 〇 九 ) ・ 無 住 紹 淵 ・ 無 禅 立 才 ・ 無 際 了 派 ( 一 一 四 九 ─ 一 二 二 四 ) ・ 無 二 □ 月 ・ 無 念 慧 真 尼 ( 一 一 四 一 ─ 一 二 三 八 ) ・ 無 学 宗 印 ・ 無 象 宗 覚 ・ 無 量 宗 寿 ( 崇 寿 と も ) ・ 無 極 浄 観 ・ 無 境 印 徹 ・ 無 文 道 璨 ( 柳 塘 、 一 二 一 一 ─ 一 二 七 一 ) ・ 無 塵 □ 浄 ・ 無 聞 □ 知 ・ 無 等 恵 融 ( 慧 融 ) ・ 無 得 了 慈 ・ 無 方 □ 安 な ど が 存 し て い る 。 虎 丘 派 下 で も 松 源 派 に 無 明 慧 性 ( 恵 性 と も 、 一 一 六 〇 ─ 一 二 三 七 ) ・ 無 相 □ 範 ・ 無 得 覚 通 ・ 無 禅 慧 信 ・ 無 禅 信 心 ・ 無 尓 可 宣 ( 無 爾 と も ) ・ 無 機 普 慧 お よ び 日 本 の 無 象 静 照 ( 法 海 禅 師 、 一 二 三 四 ─ 一 三 〇 六 ) な ど が お り 、 曹 源 派 に 無 文 正 伝 が あ り 、 破 庵 派 に は 無 準 師 範 ( 仏 鑑 禅 師 、 一 一 七 七 ─ 一 二 四 九 ) ・ 無 関 普 門 ( 字 は 円 証 、 ? ─ 一 二 六 二 ) ・ 無 学 祖 元 ( 子 元 、 仏 光 国 師 、 一 二 二 六 ─ 一 二 八 六 ) ・ 無 疑 道 信 ・ 無 則 □ 儀 ら が 存 し て お り 、 と く に 無 準 下 の 雪 巌 祖 欽 ( 慧 朗 禅 師 、 ? ─ 一 二 八 七 ) の も と に は 無 一 □ 全 ・ 無 涯 □ 浩 ・ 無 極 □ 源 と い っ た 法 嗣 の 名 が 知 ら れ る 。 慧 開 自 身 の 法 を 嗣 い だ 門 人 に も 日 本 の 無 本 覚 心 の ほ か に 無 伝 □ 祖 ・ 無 聞 □ 聡 ・ 無 疑 □ 定 ・ 無 地 □ 基 な ど 、 道 号 の 上 字 に 「 無 」 を 用 い た 禅 者 が 数 名 ほ ど 見 ら れ る の は 特 徴 的 で あ ろ う 。 一 方 、 曹 洞 宗 で も 長 翁 如 浄 ( 浄 長 、 一 一 六 二 ─ 一 二 二 七 ) の 法 を 嗣 い だ 高 弟 に 日 本 の 永 平 道 元 と 同 門 に 当 た る 無 外 義 遠 ( ? ─ 一 二 六 六 ) や 無 択 徳 霑 の 存 在 が 知 ら れ る 。 こ れ ら の 中 で と く に 破 庵 派 の 無 準 師 範 の 法 を 嗣 い で 福 州 ( 福 建 省 ) 閩 県 の 鼓 山 湧 泉 禅 寺 に 住 持 し た 無 関 普 門 の 場 合 、 明 ら か に 慧 開 と 同 じ く 「 無 字 関 門 」 に 因 ん で 名 が 付 け ら れ て い る )9 ( 。 日 本 禅 林 で も 京 都 の 瑞 龍 山 南 禅 禅 寺 の 開 山 と な っ た
無門慧開の生涯と『無門関』 (一) (佐藤) 一二七 聖 一 派 の 無 関 玄 悟 ( 普 門 房 、 仏 心 禅 師 、 大 明 国 師 、 一 二 一 二 ─ 一 二 九 一 ) も 同 様 の 発 想 で 一 に 無 関 普 門 と 通 称 さ れ て い る )10 ( 。
出
身
地
・
俗
姓
と
出
生
年
時
つ ぎ に 慧 開 の 出 身 地 と 俗 姓 お よ び 出 生 年 時 な ど に 関 し て 、 一 通 り 考 察 を な し て お き た い 。 慧 開 は 南 宋 の 国 都 ( 行 在 所 ) に 当 た る 杭 州 ( 浙 江 省 ) 臨 安 府 の 出 身 で あ り 、 す で に 『 続 伝 燈 録 』 で も 「 杭 州 の 人 」 と 記 さ れ て い る 。『 増 集 続 伝 燈 録 』 で は さ ら に 詳 し く 「 杭 州 良 渚 の 人 」 と あ り 、『 補 続 高 僧 伝 』 で も 「 杭 の 良 渚 の 人 」 と 伝 え て い る こ と か ら 、 慧 開 が 杭 州 地 内 で も 具 体 的 に 餘 杭 県 良 渚 ( 一 に 梁 渚 と も ) の 出 身 で あ っ た こ と が 知 ら れ 、 現 今 の 浙 江 省 杭 州 市 西 地 区 の 餘 杭 区 良 渚 鎮 に 当 た っ て い る )11 ( 。 ま た 慧 開 の 俗 姓 に つ い て は 『 増 集 続 伝 燈 録 』『 補 続 高 僧 伝 』 と も に 父 方 の 俗 姓 を 梁 氏 と 記 し 、 母 親 の 俗 姓 が 宋 氏 で あ っ た こ と を 伝 え て い る 。 た だ し 、 父 親 な い し 父 方 の 梁 氏 一 族 の こ と 、 母 方 の 宋 氏 一 族 の 詳 細 に つ い て は 何 も 記 さ れ て い な い 。 良 渚 の 地 は 一 に 梁 渚 と 記 さ れ る こ と も あ り 、 父 方 の 梁 氏 と い う 俗 姓 と 地 名 の 梁 渚 が 何 ら か の 関 わ り を 持 っ て い る の か も 知 れ な い 。 松 源 派 の 滅 翁 文 礼 ( 天 目 樵 者 、 一 一 六 七 ─ 一 二 五 〇 ) は 杭 州 臨 安 県 の 阮 氏 の 出 身 で 松 源 崇 嶽 の 法 を 嗣 い だ 高 弟 と し て 名 高 い が 、 こ の 人 も 晩 年 に 明 州 ( 浙 江 省 ) 鄞 県 の 天 童 山 景 徳 禅 寺 の 住 持 職 を 退 い た 後 、 郷 里 に 近 い 良 渚 ( 梁 渚 ) の 地 に 居 し て 世 を 終 え て い る 。『 天 童 寺 志 』 巻 七 「 塔 像 攷 」 の 「 天 目 礼 禅 師 舎 利 塔 」 の 箇 所 に 徳 雲 状 「 天 目 禅 師 行 状 」 が 伝 え ら れ て お り 、 師 諱 文 礼 。 号 滅 翁 。 杭 之 臨 安 人 。 姓 阮 氏 。 家 在 二 天 目 山 之 麓 一、 因 号 云 。 主 二 京 城 之 広 寿 、 永 嘉 之 能 仁 、 安 吉 之 福 泉 、 行 都 之 浄 慈 、 四 明 之 天 童 一。 帰 終 二 于 梁 渚 西 丘 一 焉 。 嬰 二 微 恙 一、 説 レ 偈 脱 去 。 荼 毘 不 レ 壊 者 二 、 頂 骨 歯 舎 利 如 二 燦 珠 一、 祔 二 天 童 応 菴 塔 之 東 一。 寿 八 十 四 、 臘 六 十 八 。 淳 祐 十 年 十 月 十 日 卒 也 。 と 記 さ れ て い る 。 文 礼 は 諸 刹 を 歴 住 し て 杭 州 銭 塘 県 の 南 屛 山 浄 慈 報 恩 光 孝 禅 寺 を 経 て 明 州 の 天 童 山 に 住 持 し て い る が 、 晩 年 に 良 渚 ( 梁 渚 ) の 西 丘 に 帰 隠 し て そ の 最 期 を 迎 え て い る 。 南 宋 末 期 の 潜 山 文 珦 ( 一 二 一 〇 ─ ? ) の 『 潜 山 集 』 巻 八 「 五 言 律 」 に は 「 天 目 禅 師 帰 二 梁 渚 旧 隠 一 」 と 題 し た 詩 偈 が 残 さ れ て い る 。 ま た 南 宋 中 期 に 『 釈 門 正 統 』 八 巻 を 編 集 し た 宗 鑑 も 慧 開 と 同 じ く 杭 州 良 渚 の 出 身 で あ り 、『 釈 門 正 統 』 巻 一 に は 「 良 渚 沙 門 宗 鑑 集 」 ( 卍 続 蔵 一 五 〇 ・ 三 五 七 b) と あ り 、 宗 鑑 は 嘉 煕 元 年 ( 一 二 三 七 ) 三 月 一 〇 日 に 「 釈 門 正 統 序 」 を 撰 し て い る 。 慧 開 の 法 統 の 祖 で あ る 楊 岐 派 の 月 庵 善 果 ( 一 〇 七 九 ─ 一 一 五 二 ) の 法 を 嗣 い で 潭 州 ( 湖 南 省 ) 瀏 陽 県 の 石 霜 山 崇 勝 禅 寺 に 住 持 し た 同 名 の無門慧開の生涯と『無門関』 (一) (佐藤) 一二八 宗 鑑 と い う 禅 者 が い る が 、 こ の 宗 鑑 は 慧 開 の 法 統 の 師 翁 で あ る 老 衲 祖 証 と 同 門 で 、 慧 開 に と っ て 法 叔 祖 に 当 た っ て い る 。『 釈 門 正 統 』 八 巻 を 著 し た 良 渚 出 身 の 宗 鑑 は 慧 開 と 同 世 代 に 生 存 し た 教 僧 と 見 ら れ る こ と か ら 、 楊 岐 派 の 石 霜 宗 鑑 と は 宗 派 や 年 代 は も ち ろ ん 活 動 し た 地 域 も 相 違 し て い て 全 く の 別 人 と い う こ と に な ろ う )12 ( 。 さ ら に 『 慧 文 正 辯 仏 日 普 照 元 叟 端 禅 師 語 録 』 巻 八 末 の 黄 溍 撰 「 塔 銘 」 に よ れ ば 、 皇 慶 壬 子 、 遷 二 霊 隠 一。( 中 略 ) 陛 辞 南 帰 、 即 払 レ 衣 去 、 養 二 高 于 良 渚 之 西 庵 一。 至 治 壬 戌 、 径 山 虚 レ 席 。 三 宗 四 衆 咸 謂 、 非 レ 師 莫 三 能 荷 二 負 其 任 一。 相 率 白 二 于 宣 政 行 院 一、 請 レ 師 補 二 其 処 一。( 卍 続 蔵 一 二 四 ・ 三 四 d) と い う 記 載 が 存 し て い る か ら 、 元 代 に 活 躍 し た 大 慧 派 の 元 叟 行 端 ( 慧 文 正 辯 仏 日 普 照 禅 師 、 一 二 五 五 ─ 一 三 四 一 ) が 杭 州 銭 塘 県 の 北 山 景 徳 霊 隠 禅 寺 の 住 持 を 退 い て 後 、 や は り 良 渚 の 西 庵 に 草 庵 を 結 ん で お り 、 暫 し の 閑 居 を 経 て 至 治 二 年 ( 一 三 二 二 ) に 至 っ て 杭 州 餘 杭 県 の 径 山 興 聖 万 寿 禅 寺 に 勅 住 し て い る 事 実 が 知 ら れ る 。 文 礼 や 行 端 ら の 事 跡 か ら す る と 、 当 時 、 良 渚 な い し 梁 渚 の 地 は 住 持 職 を 退 い た 禅 者 に と っ て 暫 し 隠 棲 閑 居 す る の に 適 し た 景 勝 の 地 で あ っ た こ と に な ろ う 。 つ ぎ に 慧 開 の 出 生 し た 年 時 が 何 時 で あ っ た の か 、 こ の 点 に つ い て 具 体 的 に 触 れ て お き た い 。『 増 集 続 伝 燈 録 』 と 『 補 続 高 僧 伝 』 で は い ず れ も 慧 開 の 示 寂 年 時 や 世 寿 に つ い て 何 ら 記 載 が 存 し な い た め 、 こ の 両 史 料 を 通 し て は 出 生 年 時 を 知 る こ と は で き な い 。 た だ し 、 幸 い な こ と に 後 に 詳 し く 触 れ る ご と く 覆 元 五 山 版 『 無 門 開 和 尚 語 録 』 の 末 尾 に 慧 開 が 示 寂 す る 前 後 の 動 向 が 付 記 さ れ て い る こ と か ら 、 慧 開 が 庚 申 の 歳 す な わ ち 南 宋 後 期 の 景 定 元 年 ( 一 二 六 〇 ) 四 月 七 日 に 世 寿 七 八 歳 で 示 寂 し た こ と が 窺 わ れ る 。 こ れ を 逆 算 す る と 、 慧 開 は 南 宋 中 期 の 淳 煕 一 〇 年 ( 一 一 八 三 ) に 杭 州 餘 杭 県 良 渚 の 地 に 梁 氏 の 子 と し て 出 生 し て い る こ と に な ろ う 。 し た が っ て 慧 開 は 破 庵 派 の 無 準 師 範 ( 仏 鑑 禅 師 、 一 一 七 七 ─ 一 二 四 九 ) よ り 六 歳 の 年 少 で あ り 、 松 源 派 の 虚 堂 智 愚 ( 息 耕 叟 、 一 一 八 五 ─ 一 二 六 九 ) よ り は 二 歳 の 年 長 に 当 た っ て い る 。 以 下 、 こ の 淳 煕 一 〇 年 の 出 生 説 に 基 づ い て 慧 開 の 事 跡 を 逐 次 追 っ て い く こ と に し た い 。
杭
州
天
龍
寺
で
出
家
得
度
す
る
慧 開 が 出 生 し た と き の 出 生 譚 の 類 い や 幼 児 期 に な し た 逸 話 な ど に つ い て は 、 残 念 な が ら 何 も 伝 え ら れ て い な い 。 ま た 慧 開 が 如 何 な る 因 縁 で 仏 門 を 志 し 、 出 家 学 道 す る こ と に な っ た の か 、 そ の 間 の 事 情 に つ い て も 定 か で な い 。 わ ず か に 『 補 続 高 僧 伝 』無門慧開の生涯と『無門関』 (一) (佐藤) 一二九 に 「 師 形 体 矬 小 」 と あ り 、 後 代 の 記 載 な が ら 『 康 煕 銭 塘 県 志 』 に も 「 慧 開 生 而 藐 小 」 と い う 記 載 が 見 ら れ る 。 矬 小 あ る い は 藐 小 と は 姿 の 小 さ い さ ま で あ り 、 こ れ が 史 実 で あ る な ら ば 、 慧 開 は か な り 小 柄 で 貧 相 な 体 格 で あ っ た も の ら し い 。 禅 僧 で 小 柄 な 人 と い え ば 唐 末 五 代 に 活 躍 し た 洞 山 下 の 疎 山 匡 仁 ( 矮 師 叔 ) が す ぐ に 想 起 さ れ る が 、 慧 開 に も ま た 小 柄 ゆ え の 劣 等 感 に 近 い よ う な 想 い が 存 し 、 あ る い は そ れ が 逆 に こ の 人 を し て 出 家 求 道 を 志 す 上 で 一 つ の す ぐ れ た 因 縁 と な っ た の か も 知 れ な い 。 『 増 集 続 伝 燈 録 』 と 『 補 続 高 僧 伝 』 に よ れ ば 、 い ず れ も 慧 開 の 出 家 得 度 に つ い て 「 礼 二天 龍 肱 和 尚 一、 為 二 受 業 師 一 」 と 記 さ れ て お り 、 慧 開 が 天 龍 の 肱 和 尚 を 礼 し て 受 業 師 と し た こ と を 伝 え て い る 。 た だ し 、 慧 開 が 如 何 な る 因 縁 で 出 家 を 志 す に 至 っ た の か 、 実 際 に 何 歳 の と き 仏 門 に 投 じ て 剃 髪 し た の か 、 そ の 詳 細 は 何 ら 記 さ れ て い な い 。 受 業 師 と は 仏 門 に 投 じ て 剃 髪 得 度 し た 際 の 師 匠 の こ と で あ り 、 天 龍 と は 肱 和 尚 の 道 号 で は な く 、 こ の 人 が 住 持 し た 禅 寺 の 山 号 か 寺 号 を 指 し て い よ う 。 肱 和 尚 と は 天 龍 と い う 禅 寺 に 住 持 し て い た □ 肱 と い う 禅 者 の こ と で あ る が 、 こ の 人 に つ い て は 事 跡 が 何 ら 判 明 し な い 。 し か し な が ら 、 慧 開 が 杭 州 良 渚 の 出 身 で あ る こ と か ら 、 天 龍 と い う の も 杭 州 地 内 か 近 隣 の 州 府 に 存 し た 寺 院 で あ っ た と 解 す る の が 自 然 で あ ろ う 。 こ の 点 で 注 目 さ れ る の が 『 景 徳 伝 燈 録 』 巻 一 〇 に 「 明 州 大 梅 山 法 常 禅 師 法 嗣 」 と し て 「 杭 州 天 龍 和 尚 」 の 章 が 存 し て い る 事 実 で あ ろ う 。 杭 州 天 龍 和 尚 と こ れ に 関 わ る 系 譜 を 示 す な ら ば 、 お よ そ つ ぎ の ご と く に な ろ う 。 六 祖 慧 能 ─ ─ 南 嶽 懷 譲 ─ ─ 馬 祖 道 一 ── 百 丈 懐 海 ── 黄 檗 希 運 ── 臨 済 義 玄 … ( 中 略 ) … 月 林 師 観 ── 無 門 慧 開 ─ 南 泉 普 願 ── 趙 州 従 諗 (「 狗 子 無 仏 性 」 の 話 頭 ) ─ 大 梅 法 常 ── 杭 州 天 龍 ── 金 華 倶 胝 (「 天 龍 一 指 頭 」 の 話 頭 ) 杭 州 天 龍 は 南 嶽 下 の 馬 祖 道 一 ( 馬 大 師 、 大 寂 禅 師 、 七 〇 九 ─ 七 八 八 ) の 高 弟 で あ る 大 梅 法 常 ( 七 五 一 ─ 八 三 四 ) の 法 を 嗣 い だ 唐 代 禅 者 で あ り 、 法 嗣 に は 金 華 倶 胝 と 新 羅 国 彦 忠 が 存 し て い る 。『 無 門 関 』 第 三 則 「 倶 胝 竪 指 」 の 古 則 に は 、 金 華 倶 胝 の こ と ば と し て 「 吾 得 二 天 龍 一 指 頭 禅 一、 一 生 受 用 不 レ 尽 」 と あ り 、 杭 州 天 龍 の 「 一 指 頭 禅 」 の こ と が 触 れ ら れ て い る 。 こ の 場 合 の 天 龍 と は 法 諱 で は な く 住 持 し た 寺 院 名 で あ っ て 、 杭 州 天 龍 和 尚 は ま さ に 杭 州 地 内 の 天 龍 寺 に 住 持 し て い た わ け で あ る 。『 景 徳 伝 燈 録 』 巻 一 〇 に は 「 明 州 大 梅 山 法 常 禅 師 法 嗣 」 と し て 「 杭 州 天 龍 和 尚 」 の 章 が 存 し て お り 、