(ナレーション)
後 久 義 昭
ふるさと伊勢 テノール・リサイタル
「四季、郷愁、愛の歌」を歌う
《懐かしい日本の歌と親しみのあるドイツ歌曲》
ピアノ:高 田 泰 治
司 会:里 中 綾 子
2009 年
3
月
7
日(土)14:00
いせトピア
(伊勢市生涯学習センター) 主 催 後久義昭ふるさと伊勢リサイタル実行委員会 後 援 伊勢高等学校同窓会、同関西支部、同四季の会 明倫小学校同窓会有志、倉田山中学校同窓会有志 伊勢市教育委員会、日本テレマン協会◆ メッセージ
後久君、ふるさと伊勢でのリサイタルの開催、本当におめでとう。これまでの熱意と努力に心から喝采と祝 福を送りたいと思います。 中学のとき合唱に魅せられて以来、高校、大学、社会人を通して、一度も途切れることなく趣味として合唱 を続けてこられ、さらにこの 20 年あまりはテレマン室内合唱団というプロの楽団で研鑽を積んでこられまし た。 そして 60 歳を期にソロ活動を始め、退職後はテノール歌手として第 2 の人生を歩み出されました。継続は 力なり、まさにこの言葉通りに実践され、青春時代の夢を実現された生き方は、世の同世代の人達に勇気を与 えると共に、若い人達の指針にもなると思います。 今回の後久君の活動に接し感動したことがあります。それは、ふるさと伊勢で繋がった多くの友が、彼の為 に献身的に動き回るところを見て、彼らの固い絆を確信したことです。今日の快挙は後久君ひとりの努力で実 現したのでは決してありません。後久君は必ずや多くの人の期待に応え、いろいろな経験を積んだ彼だからこ そ表現出来る、心に響く歌を歌ってくれるものと信じています。 これからひととき心行くまで彼の心の叙情歌を楽しみたいと思います。河口 浩通
(リサイタル実行委員会会長、伊勢高校同窓会会長、医療法人河口外科理事長)◆ メッセージ
50 年程前、伊勢高等学校の同級生として机を並べ、文化祭の劇をした時には、赤い上着を、というので、 私のカーディガンを着て、『山小屋のともしび』を歌われた後久さんが、プロのテナー歌手として、ふるさと 伊勢でリサイタルをされることに、大きな喜びと感動を覚えています。そして誇りに思っています。 高校時代にも、透き通る声で私たちを魅了していましたが、若い頃からの『夢・希望』を追い続けられ、そ れを実現された後久さんに、新たに『希望』と『若さ』をいただきました。『夢・希望』ある限り、『感動』あ る限り、青春です。後久さんの叙情あふれる歌声に思いを通わせながら、青春しようではありませんか!堀江 春美
(リサイタル実行委員会幹事、水墨画家、日本南画院審査委員理事)◆ ご挨拶
2008 年 4 月 18 日、幼馴染の同級生のお母さまの家でささやかなホームコンサートを開きました。私の両 親がすでに他界した今、彼女は幼いころの私を知る数少ない人のひとりです。私たちが生まれたのは太平洋戦 争の真っ只中、終戦、復興の激動の時代を生き抜き、私たちを育ててくれた親の世代の人たちへの感謝を決し て忘れることはできません。それなのにお母様は私の歌に手を合わせて感謝して下さいました。 その場で生まれたひとつのジョークのようなアイディア。それが、ふるさと伊勢で結ばれただけの多くの人々 や旧友たちの熱い思いに助けられ、励まされて本日のリサイタルの開催につながりました。私にとって3回目 の大きな個人リサイタルです。過去の2度のコンサートにも増して厚情と幸運が重なり合い、実現に向かいま した。ただひたすらに感謝の気持ちで一杯です。 中学校のとき、たまたま親しんだ合唱に魅せられ、プロの道ではなく趣味として続けてきた歌が、いつのま にか生きがいのひとつになり、日本テレマン協会の延原武春氏の大いなる力を得て、また高田泰治君というす ばらしい才能に恵まれた伴奏者に出会い、退職後に若い頃の夢を果たすことができるようになりました。音楽 大学卒業のプロ歌手とはまた違う音楽、私なりの想いが表現できればと思っています。 本日は会場へお越しくださり心よりお礼申し上げます。親たちへの感謝、ふるさとへの郷愁、同胞への愛と 感謝を込めて精一杯歌います。後久 義昭
◆ プログラム
第 一 部
日本の歌Ⅰ(四季の歌) 早春賦 吉丸一昌 詩、中田 章 曲 花の街 江間章子 詩、團伊玖磨 曲 花 武島羽衣 詩、滝廉太郎 曲 夏の思い出 江間章子 詩、中田喜直 曲 赤とんぼ 三木露風 詩、山田耕筰 曲 里の秋 斎藤信夫 詩、海沼 実 曲 ドイツ歌曲Ⅰ(愛の歌) (L.v. ベートーベン 1770-1827) 御身を愛す Ich liebe dich WoO.123 想い Andenken WoO.136 (F. シューベルト 1797-1828) 水の上で歌う Auf dem Wasser zu singen op.72 D774 セレナーデ Ständchen(Schwanengesang) D957-4休 憩
第 二 部
ドイツ歌曲Ⅱ(愛の歌) (R.A. シューマン 1810-1856) 「詩人の恋 Dichterliebe Op.48」より 1. 美しい月、五月に Im wunderschönen Monat Mai 2. 私の涙から萌え出る Aus meinen Tränen sprießen 3. 薔薇と百合と鳩と Die Rose, die Lilie, die Taube 4. 君の瞳をみつめるとき Wenn ich deine Augen seh’ 5. 私の魂を沈めよう Ich will meine Seele tauchen 7. 私は嘆くまい ich grolle nicht (J. ブラームス 1833-1897) 歌の調べの如くに Wie Melodien zieht es mir Op.105-1 永遠の愛 Von ewiger Liebe Op.43-1 日本の歌Ⅱ(郷愁の歌) からたちの花 北原白秋 詩、山田耕筰 曲 この道 北原白秋 詩、山田耕筰 曲 浜辺の歌 林 古渓 詩、成田為三 曲 出船 勝田香月 詩、杉山長谷夫 曲 宵待草 竹下夢路 詩、多 忠亮 曲 初恋 石川啄木 詩、越谷達之助 曲◆ プログラム・ノート
(後久義昭)
本日のプログラムは始めと終わりに抒情歌と呼ばれる懐かしい日本の歌を配し、その間に親しみのあるドイツ歌 曲を挟んで並べてみました。前半の日本の歌は誰もが知っている季節の歌です。日本ほど四季の移り変わりがはっ きりしている国は世界でも稀です。その恵まれた情趣を醸し出す四季のおかげで、多くの美しい抒情歌が生まれ たことは、日本人の心の財産であり誇りです。その中から私の好きな四季の歌を選んでみました。 日本の歌Ⅰ(四季の歌) ① 早春賦 (吉丸 一昌 詩、中田 章 曲) 『新作唱歌第三集』大正2年発表。暦の春は来たれども 時にあらずと谷のうぐいす…。作詞当時、東京音楽学 校の教授だった吉丸一昌は、『尋常小学校唱歌』の編纂委員として活動していました。吉丸は、大正の初期に長 野県安曇野を訪れ、穂高町あたりの雪解け風景に感銘を受けて「早春賦」の詩を書き上げたとされています。 作曲者の中田章は、『夏の思い出』『ちいさい秋みつけた』『雪の降る街を』などで有名な中田喜直の父。中田親 子による作品にはモーツァルトやショパンなどの有名なクラシックから影響を受けたと思われるものが散見さ れ、この「早春賦」はモーツァルト作曲「春への憧れ(K596)」と非常に曲想が似通っていることでも知られて います。 ② 花の街 (江間 章子 詩、團 伊玖磨 曲) 江間は、この歌について、次のように書いています。『「花の街」は私の幻想の街です。戦争が終わり、平和が訪 れた地上は、瓦礫の山と一面の焦土に覆われていました。その中に立った私は夢を描いたのです。ハイビスカス などの花が中空に浮かんでいる、平和という名から生まれた美しい花の街を。詩の中にある「泣いていたよ 街 の角で……」の部分は、戦争によってさまざまな苦しみや悲しみを味わった人々の姿を映したものです。』この 曲を歌うといっそう幻想の世界が広がり、果てしなく未来へ続く「花の街」となるような気がします。 ③ 花 (武島 羽衣 詩、滝 廉太郎 曲) 1900 年(明治 33 年)に瀧廉太郎によって発表された歌曲集(組歌)『四季』の第 1 曲です。本来のタイトルは「花 盛り」でしたが、第 3 曲「月」、第 4 曲「雪」と合わせるために「花」にしたそうです。この組曲は日本人創作 の詩にドレミファソラシドの西洋音階によって、日本人が初めて挑戦した芸術的にも極めて高い音楽作品といわ れています。『荒城の月』、『箱根八里』と並び、滝廉太郎の歌曲でも広く親しまれている名曲のひとつです。歌 詞は武島羽衣によって作られました。速いテンポの二部形式で書かれ、春の隅田川の情景、当時、日本に渡来し て間もない漕艇(早慶レガッタ)の様子が歌われています。 ④ 夏の思い出 (江間 章子 詩、中田 喜直 曲) 1949 年発表の日本の歌曲。モーツァルトのピアノ・ソナタ第 11 番 第一楽章とメロディがよく似ていることで も有名です。ラジオ歌謡として NHK にて放送されるや否や、瞬く間に多くの日本人の心をとらえました。曲中 に現れる尾瀬の人気は飛躍的に高まりました。さわやかで、ちょっぴり物悲しく、詞のもつ美しい叙情をそのま ま表現した中田喜直のメロディーが、尾瀬の風景に限りない憧憬と郷愁をこめて歌われます。喜直は 1,000 曲あ まりの曲を作曲し、日本のシューベルトと言われています。 ⑤ 赤とんぼ (三木 露風 詩、山田 耕筰 曲) 「赤とんぼ」は日本の代表的な童謡の一つですが、きちんと歌うのはとても難しい曲です。三木露風が 1921 年 (大正 10 年)に、彼の故郷である兵庫県龍野町(現在のたつの市)で過ごした子供の頃の郷愁から作ったといわ れ、童謡集「眞珠島」に発表されました。詩は露風が 7 歳のとき実家へ帰った母への慕情と、播州龍野の自然に 思いをはせたものです。その後、1927 年(昭和 2 年)に山田耕筰が曲をつけました。秋の夕暮れの美しい風景を、 抒情感あふれるメロディーで奏でています。2007 年(平成 19 年)に日本の歌百選の 1 曲に選ばれました。 ⑥ 里の秋 (斎藤 信夫 詩、海沼 実 曲) 昭和 20 年 12 月 24 日、ラジオ番組「外地引揚同胞激励の午后」の中で、引揚援護局のあいさつの後、川田正子 の新曲として全国に向けて放送されました。放送直後から多くの反響があり、翌年に始まったラジオ番組「復員 だより」の曲として使われました。1 番ではふるさとの秋を母親と過ごす様子、2 番では夜空の下で遠くにいる 父親を思う様子、3 番では父親の無事の帰りを願う母子の思いを表現しています。この時代は一日一日を生きる 事に必死であり、父親が無事に帰る事が希望だった家庭も少なくありませんでした。反響が大きかった事をふま えると、上記のような世相の中、「里の秋」は年の瀬の人々の心を慰めたと考えられます。歌詞のほとんどの言 葉が今では死語になってしまいました。ドイツ歌曲Ⅰ(愛の歌) ドイツ歌曲は私の歌手としての原点です。今日はドイツ歌曲を代表する 4 人の作曲家、ベートーベン、シューベ ルト、シューマン、ブラームスの作品から比較的親しみのある歌を選んでみました。彼らは生きた年代が重なっ ていますが、それぞれが前の時代の作曲家の影響を強く受けながら、古典派、ロマン派、新古典派と独自の世界 を切り開いていきました。テーマは “ 愛 ” です。 (L.v. ベートーベン)1770-1827 古典派~ロマン派 私はベートーベンの歌曲がシューベルトやシューマンに勝るとも劣らず好きです。ドイツ・リートと言えば、 シューベルトやシューマンといった固定概念が世界中に定着してしまっていることや、ベートーベンの音楽創作 の中心が器楽にあったことなどから、ベートーベンの声楽曲はそれほど親しまれていませんが、芸術的に極めて 高い作品が残されています。ミサ・ソレムニスや第九交響曲のように声楽と器楽の見事な様式融合は良く知られ ていますが、歌曲も 80 曲あまり作られており、珠玉のような作品も少なくありません。シューベルトやシュー マンに比べると純粋に愛を表現したものや神への賛美を歌ったものが多く見られます。ピアノ伴奏の美しさも決 してシューマンに引けをとりません。
① 御身を愛す Ich liebe dich WoO.123
この曲は元々「Zaertliche Liebe やさしき愛」という名前がついていたのですが、「Ich liebe dich」の方が有名になっ てしまいました。音楽の教科書に必ず出てくる定番です。心に染み入る歌詞と一体になった、ベートーベンの歌 の暖かさ、スケール、清澄な美しさ、優しさにあふれた名曲です。互いに深く愛するが故に、神の加護、恵みを 祈ります。 ② 想い Andenken WoO.136 1809 年の作曲、1810 年に出版。非常に叙情的な作品で 2 度繰り返される第 4 節に大きなクライマックスが置 かれ、最終行の「君のみを思う」が何度も繰り返され、最後は「君 dein ダイン」がフェルマータで長く延びて 募る想いが極めて印象的な響きを残しています。このマッテソンの歌詞にはシューベルトやウェーバーをはじめ 多くの作曲家が付曲しています。あまり知られていませんが、「Ich liebe dich」とセットでよく歌われる名曲です。 愛する人を憧れを込めて熱く歌います。 (F. シューベルト)1797-1828 ロマン派 前半最後のプログラムはシューベルトで締めくくりましょう。シューベルトはロマン派音楽の方向を決定した作 曲家とされています。歌曲作品は総数 600 曲をこえるため、「ドイツ・リートの王 ( 歌曲王 )」とよばれています。 同じ愛の歌でもベートーベンが純粋な愛や神への賛美を歌ったのに対して、悲恋、愛や人生の無常を歌った作品 が数多く見られます。ベートーベンの影響を強く受けつつも、理性と感情に同じように重点がおかれ、文学的要 素と音楽的要素とが絶妙なバランスでとけあっています。有節形式をもつものが多いですが、定型にとらわれず、 歌詞に応じて大胆な自由形式も開拓しました。
① 水の上で歌う Auf dem Wasser zu singen op.72 D774
シューベルトが26 歳のときにシュトルベルク伯爵の詩に作曲した数曲のひとつです。夕暮れの水辺での舟遊び と時の流れを歌ったもので、水のせせらぎを描写的に扱った 32 分音符の印象的なピアノ伴奏の上に美しい旋律 が歌われます。伴奏は水をあらわしており、数あるシューベルトの水にかかわる歌の中でも特に印象深いものの ひとつです。夕暮れの水辺での美しく鮮やかに広がる情景が、水の流れをあらわす伴奏とともに、シチリア舞曲 のリズムのような感傷的で美しい旋律に乗って歌われます。その雰囲気は、涼やかな風の吹く、曇りがちの水辺に、 さっと日の光が差し込んでくるかのようです。わずかながらの明るさも間奏の途中にはまた、夕暮れの薄明かり のようにかげっていくようです。 ② セレナーデ Ständchen (Schwanengesang) D957-4 セレナーデは夜曲、小夜曲と訳されます。夕べの音楽または、思いを寄せる女性の家の窓辺に夕暮れに奏する音楽、 愛人の窓の下で聞かせるための甘美な歌曲のことを言います。ドイツでは Ständchen(シュテントヘン)と訳され、 歌曲や合唱曲に用いられました。歌曲集「白鳥の歌」の第 4 曲、シューベルトのリートの中で最高の気品を備え た、最も有名な曲のひとつです。恋人への憧れが清純な旋律の上に思いをこめた静けさの中で歌われます。 ドイツ歌曲Ⅱ(愛の歌) (L.A. シューマン)1810-1856 ロマン派
シューマンはベートーベン、シューベルトの影響を強く受けましたが、とりわけシューベルトが確立したドイツ 歌曲の芸術性をシューマンが大きく花開かせたとも言われています。ピアノ曲創作で培った感性が歌曲の創作に 見事に生かされ、流麗な旋律線の上にピアノと歌がかつてなかったほどに溶け合って、恋のあらゆる歓びと哀し みが奏でられています。ピアノは単なる伴奏楽器ではなく、歌と互角の存在価値を主張し、ときには歌に代わっ て主役をも務めています。 「詩人の恋 Dichterliebe Op.48」より
1. 美しい月、五月に Im wunderschönen Monat Mai 2. 私の涙から萌え出る Aus meinen Tränen sprießen 3. 薔薇と百合と鳩と Die Rose, die Lilie, die Taube 4. 君の瞳をみつめるとき Wenn ich deine Augen seh’ 5. 私の魂を沈めよう Ich will meine Seele tauchen 7. 私は嘆くまい ich grolle nicht
「詩人の恋」は私が始めてのリサイタルで取り組んだ記念すべき、かつ最も好きな作品です。ハイネの「歌の本・ 叙情挿曲」から 16 の詩を取り上げ、それぞれの詩の内容に従ってひとつの物語が展開していくような形式に配 列して構成されています。シューマン自身を「詩人」に見立て、恋人クララへの激しい慕情をあますところなく 開花させています。歌唱とピアノが最高度に融和しハイネの詩の陰影を見事に表出させた、シューマン歌曲集の 最高位、集大成とも言うべき作品です。今日は第1曲から第5曲および第7曲を歌います。第 1 曲では幾月も灰 色に覆われた冬が終わり一斉に野の花が咲きだし鳥が歌い始める麗しい 5 月に、愛のもだえを彼女に打ち明ける 胸の高まりが、無上に美しいピアノの旋律に乗って歌い始められます。第 2 曲で高揚した気分が内面に向かって 語りかけられ、第 3 曲で青春の憧憬が、第 4、5 曲で恋におののく繊細な心の動きが描かれています。7 曲目は がらりと趣きが変わり、それまでの甘美な恋の歌は姿を消し、裏切られた詩人の悲痛な叫びと「私は恨むまい」 という理性とが交錯して、失恋の痛みが深い哀しみとなっていきます。 (J. ブラームス)1833-1897 新古典派 19 世紀ドイツの作曲家、ピアニスト、指揮者。バッハ、ベートーヴェンと並びドイツ音楽に於ける「三大 B」と 称される一人です。ハンブルクに生まれ、ウィーンに没しました。作風は概ねロマン派音楽の範疇にありますが、 古典主義的な形式美を尊重する傾向も強く、新古典派を築いたとされています。多くの人は、ブラームスをベー トーヴェンの後継者として捉えており、指揮者のハンス・フォン・ビューローは彼の交響曲第 1 番を「ベートー ヴェンの交響曲第 10 番」と評しました。ブラームスは生涯におよそ 300 の歌曲を残しています。
① 歌の調べの如くに Wie Melodien zieht es mir Op.105-1
1886 年に作曲され、5 曲共に作品 105 として出版されたもので、次の同作品の 2 と共に、ブラームスの歌曲の 中で傑作中の傑作とされています。「言葉」という抽象的な題材の中に、愛の香気を気高く漂わせており、非常 に多くの人々に愛唱されている曲です。詩はグロート(1819 ~ 1899 年)の作であり、彼はキール大学のドイ ツ語学者で、ドイツ語方言を詩的表現にまで高めた人として有名です。 曲は、前奏・間奏を持つ 3 部からなり、終止を変えた変化有節三部形式をとっています。アルペジオ風の優美 な分散和音の伴奏の上に、簡素な音符が、単純なるがゆえに潔さを持つことを証明するかのように、美しい旋律 を奏でます。曲の冒頭は、イ長調のバイオリンソナタの第一楽章と同じ旋律です。
② 永遠の愛 Von ewiger Liebe Op.43-1
1864 年の作曲であり、原詩はチェコの詩人ベンツィヒ(1807 ~ 1876 年)の作とされていますが、ベト族(西 スラブ民族のひとつ)の民謡であるようです。結婚する前の、いらだたしい青年の気持ちと、それをなだめよう とする乙女の、やさしいがその中に強い情熱を秘めた決意とが、後半に会話の形で出てきます。情景の部分、青 年の言葉、乙女の言葉の 3 つの部分を、それぞれの内容にしたがって、表現を変えて歌われます。ことに、乙女 の語る部分は、8 分の 6 拍子で言葉の内容とも関連させて美しい旋律で表現されています。 日本の歌Ⅱ(郷愁の歌) 第 2 部の後半は「郷愁」をテーマにした日本の抒情歌です。それも明治から昭和初期までの、自然、田園風景、旅情、 詩情、追憶などを歌った曲で、時代を超えて歌い継がれる歌ばかりです。それ以後の日本の抒情歌と呼べる曲も あまた出ていますが、今日演奏する歌は最近の若い世代の人たちにも是非とも知っておいてもらいたいと願って います。
① からたちの花 (北原白秋 詩、山田耕筰 曲) 山田耕筰(1886 ~ 1965 年)は、日本初の管弦楽団をつくるなど日本における西洋音楽の普及に努める一方、 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団やレニングラード・フィルハーモニー交響楽団等を指揮するなど国際的に も活動した、日本の音楽史に燦然と輝く人ですが、少年期・青年期を労働苦学の中に過ごしました。 北原白秋は子供のころ柳川で見たからたちの生垣に格別の思い入れがあったようです。死の前年に一家四人で 柳川に帰郷した時もからたちの美しさに心惹かれ生垣のある道を軽やかに歩いたということです。山田耕筰が 1925 年作曲し雑誌「女性」5 月号に発表しています。テノール歌手藤原義江の歌で大ヒットしました。面白い ことに白秋と同じく作曲者の耕筰もからたちの花には強い思い入れがありました。『からたちの、白い花、青い棘、 そしてあのまろい金の実、それは自営館生活における私のノスタルジアだ。そのノスタルジアが白秋によって、 詩化され、あの歌となった。』と耕筰は語っています。 ② この道 (北原 白秋 詩、山田 耕筰 曲) この詩は大正 2 年の夏、白秋が歌人の吉植庄亮と樺太、北海道を旅した時の札幌の思い出を綴ったものです。ア カシアの花、時計台、馬車、山査子の枝など広々として落ち着いた札幌の風景に感情移入をしています。街の情 景がくっきりと浮かび、追憶を格調高く謳いあげ、やさしさの中に心を洗われるような作品になっています。歌 詞の内容を最高に美しく表現するため、三拍子と二拍子を巧みに組み合わせている点が、この曲の特徴になって います。 ③ 浜辺の歌 (林 古渓 詩、成田 為三 曲) この歌の詩は大正 2 年、中学で漢文の教員をしていた林古渓が作り、曲は大正5年(1916 年)、東京音楽学校の 生徒だった成田為三(22 歳)によって作られました。唱歌というよりはむしろ歌曲と呼ぶ方がふさわしいほど、 芸術性が高く評価されています。これは作曲者の成田が山田耕筰に師事していたからとおもわれます。その名曲 を生んだ古渓の詩が名作であることはいうまでもありません。詩は 3 番までつけられていますがほとんど 2 番ま でしか歌われません。もとは 4 番まであったものを出版社が勝手に 3 番と 4 番を合成したり、その後も校正ミス が続いて原詩とは異なり古渓は大変不満だったことが理由と思われます。 ④ 出船 (勝田 香月 詩、杉山 長谷夫) 作詞者の勝田が 19 歳の時の大正 7 年、石川啄木を慕って北国に憧れた旅の途中、たまたま訪れた秋田県の能代 港で粉雪舞う港の情景に郷愁を覚え、大館市のわびしい宿で詩想を練ってこの詞を完成させたといわれています。 これにバイオリニストの杉山が、自作の「バイオリン協奏曲」の第 2 楽章のテーマをはめて、大正 11 年の夏に この曲を作りました。杉山は、譜面に「寂しく」と表情の指定をしていますが、しみじみ胸に沁みこんでくる名 曲で、バイオリンの開放弦を実に上手く使って書き上げています。 ⑤ 宵待草 (竹下夢路 詩、多 忠亮 曲) 明治末期から大正、昭和にかけて、哀愁漂う美人画で人気を博した画家竹久夢二は、 大正2年(1913 年)に処 女詩集『どんたく』を発表、『宵待草』はその中の一作です。出だしの「待てど」の部分で、オクターブの跳躍 によっていきなり曲の最高音が現れる、この旋律のふくらみに、胸の内の想いの強さが表現されています。また、 「宵待草のやるせなさ」 と歌われたあとは、4小節にわたってその旋律を伴奏部が繰り返し、愁いのある旋律の繰 り返しと 言葉の沈黙によって、切なさはさらにふくれ上がります。「今宵は月も出ぬそうな」では、 ややテンポ がゆるみ、余情溢れるなか、曲全体が憂愁の味わいで包み込まれます。夕暮れどきに鮮やかな黄色い花を開き、 翌朝にはしぼむこの一夜花と、 恋しい人を待ちわびるやるせなさとを結びつけたところは、詩人としてもその才 能を 世に認められた竹久夢二ならではのものといえるでしょう。 ⑥ 初恋 (石川 啄木 詩、越谷 達之助 曲) 石川啄木は 1886 年、岩手県玉山村に生まれました。詩人を志し 1902 年盛岡中学を自主退学して上京、与謝野 鉄幹・晶子夫妻を訪ねています。 病気で帰郷の後、故郷での代用教員、北海道での新聞記者生活のなどを経て、 1910 年『一握の砂』出版しました。「初恋」はこの中の一作です。肺結核のため 26 歳でこの世を去っています。 昭和 13 年に越谷達之助が石川啄木の短歌 15 篇に曲をつけ「啄木によせて歌える」という歌曲集を出しましたが、 これはその第一曲目です。青春の哀歌、初恋のセンチメンタルを切々と歌った三行の詩に叙情的なみずみずしい メロディーがつけられています。