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(SMILE 会報告 ) 辻宏 古代オリエントと旧約聖書 1. メソポタミア メソポタミア とは 古代ギリシャ語で 二つの複数の大河 ( チグリス ユーフラテス ) に挟まれた低地の意味 (1) 文明誕生前史 : BC8500 年頃 北メソポタミアの 肥沃な三日月地帯 の人々は

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1 (SMILE 会報告) 2012.4.11 辻 宏

古代オリエントと旧約聖書

1.メソポタミア 「メソポタミア」とは、古代ギリシャ語で、二つの複数の 大河(チグリス、ユーフラテス)に挟まれた低地の意味。 (1)文明誕生前史: BC8500 年頃、北メソポタミアの「肥沃な三日月地帯」 の人々は、野生の大麦、小麦、大豆などの栽培を始めた。 また野生の山羊や羊を囲って牧畜を行うようになった。 採集、狩猟による不安定な食糧獲得から、農耕、牧畜 による安定した食料生産への移行である。 その後、人々は次第に南メソポタミアへ南下して行っ たが、降雨量は年間100 ミリ以下と少なく、農耕に適さ なかった。 BC5000 年頃になると人々は用水路を造ってチグリス、 ユーフラテス川から水を引き、「灌漑農耕」を開始した。 これによって、大麦、小麦の生産量は飛躍的に伸び、一帯は 実り豊かな農耕地帯へと変貌を遂げて行った。 (2)都市国家の誕生とシュメール文明: メソポタミアの人々は余剰の穀物をもって他地域と交易し、 豊かな富を蓄え、やがて富に基づいた政治、経済構造が発達し、 都市が誕生する。 BC3000 年頃から、メソポタミア南部にウルク、ニップール、ウルといったシュメール人の都市国家が現れは じめる。城壁に囲まれた都市を建設し、守護神を祀る神殿を建造した。 都市の誕生以後は交易の必要性が増大し、都市・神殿建設に必要不可欠な木材(レバノン杉、ヒマラヤ杉)や、 金、銅、ラピスラズリなどの資源を輸入し、メソポタミア産の穀物、織物、加工装飾品が輸出された。 <肥沃な三日月地帯> -時に、エジプトやインダス川流域を含む- -現代諸国- -古代諸王国-

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2 (3)シュメール文明の衰退 ・麦の耕作 北メソポタミアの丘陵地帯で麦の栽培を始めた人々は、人口の増大、気候の変化などの原因から麦作 の技術を持って、チグリス、ユーフラテス川に沿って、徐々に下流へ移動して行き、下流域で肥沃な河口 の泥と出会った。ただし、豊かな降水量(年間250 ミリ超)に恵まれた丘陵地帯と違い、年間降水量 100 ミ リ以下のイラク南部で、彼らは運河を掘って大河から水を引く灌漑の技術を見いだした。 ・都市の建設 麦の耕作によって大量の食糧生産が可能となって、新しい社会のシステムを生み出す必要が生まれた。 運河の構築、灌漑設備の維持、余剰食糧の管理。「都市」と「王権」が誕生してくる。 Cf. 日干しレンガ、焼成レンガ、瀝青、交易 ・塩害による小麦から大麦への転換 粘土板の解析によって、BC2350 から BC2100 にかけて、シュメールの都市国家ラガシュで麦類の 1ha 当りの収穫高が4 割減っていることが判明した。更に、シュメールの初期、小麦は麦類の全体の収穫高の 2 割を占めていたが、シュメールの末期には大麦が生産高のほとんどを占め、小麦はわずか1%までに減 少している。原因は西アジアの乾燥地帯特有な自然現象「塩害」にあった。 塩害は、地中の塩分が地表面に浮かび上がって作物を枯らせる現象である。雨がほとんど降らない南メ ソポタミアでは灌漑をして水をひかなければ耕作が出来ない。しかしひとたび大地に水がまかれると、水 分は強い日射しによって急速に蒸発する。その蒸発力に呼応して地中の塩分が地面に向って上昇してく る。小麦と大麦を比べると、小麦は塩害に非常に弱く、大麦は比較的強い。 農村の人々は生活が豊かになるにつれ、麦と大地の有難さを忘れ、勤勉に大地を耕さなくなった。農 村を離れ豊かな都市に移り住み人口移動が進み、農村が荒廃した。 ・文明の衰退 文明の衰退の原因として、神殿建設、船舶建造、青銅器・土器製造・生活用燃料に森林破壊が進んだ ことがあげられる。時代が進んで、その不足する木材を補充するべく行われた交易によって、インダス文 明(ロータル、BC2600-1800)、ミノア文明(BC2000 -1400)、ミケーネ文明(BC1500-1200)等も、森林破 壊、気候変動等同様の影響がもたらされた結果衰亡の一因ともなった。 (補足)メソポタミアに栄えた四大文明 シュメール文明(BC3300-BC2007):人類最初の都市の建設、文字の発明。 ・ウルク(初めて文字の発明された場所、ギルガメシュ叙事詩(BC2600)の舞台) ・ウル(シュメール文明の中で政治経済の中心、ジッグラト) アッカド文明(BC2370-BC2154):シュメール都市群の北方に移住、定着したセム人。サルゴン。 バビロニア文明(BC1894-BC744):中部イラクのバビロンを中心に栄えた。遊牧系民族アムル人の国家。 アッシリア文明(BC1115-BC609):北イラクに興った帝国。→新バビロニア帝国( BC625-BC539) (4)オリエント文明の十字路 シリア シリアは早くからアジア、アフリカ、ヨーロッパ3 大陸の民族の移動 路、文化の合流・分散する中継地として、文字通り「オリエント文明 の十字路」であった。 シリア最初の現住民はセム系のアムル人で、遊牧の民であったが、 ユーフラテス川沿いに北上してきたシュメール文明の影響を受け 定着化に向った。その一部はBC3000 年紀前半にユーフラテス中 流域に最初のセム人の都市国家マリを建設、BC3000 年紀後半 には西方のアレッポ近くに都市国家エブラが現れている。その頃、 アムル人の出身と見られるアッカド王サルゴンが出て、メソポタミア とシリアの大部分を領域として、西アジア最初の統一国家を実現し た。 更にこのアムル人はBC3000 年紀末にはシリア砂漠方面から大挙 してメソポタミア平野に侵入、アッシュール、バビロンなど都市国家 を建設した。中でもバビロンはハムラビ王時代(「ハムラビ法典」)強 大となり、南北メソポタミアを統一、マリ王国を滅ぼし、シリアの一部 <古代東方の国際交通路> を併合し、シュメール文明を基礎にしたバビロン文明を興した。

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3 BC3000 年紀にシリア西部に拡がったアムル人の一部は BC2000 年紀前半には、内陸部にカルケミシュ、 アレッポなど、沿岸部にビブロス、ウガリットなど商業都市的・港湾都市的な都市国家を発達させた。この西ア ムル人たちはカナン人と呼ばれる。 カナン人はBC3000 年紀からエジプトの支配下に入ったが、夫々の都市国家は実質的に独立し、陸海路 の貿易に従事して経済的に繁栄し、国際色豊かなカナン文化を創造した。特筆すべきは、表音文字アルファ ベットの発明である。 2.旧約聖書物語とメソポタミア文明の関連性 (1)洪水物語(ノアの方舟) 考古学的に、BC3500 頃ウバイド期のある時期にチグリス・ユーフラテス川流域一帯に大氾濫のあったこと が判明している。 旧約聖書の洪水物語(ノアの箱舟、創6-9)がメソポタミア大洪水を背景としており、「ギルガメッシュ叙事詩」 (アッシリア版)の洪水物語と極めて多くの類似性を有している。 ギルガメッシュ叙事詩では洪水は、人類同様の勝手気ままな神々の気まぐれによっておこされたとしている。 <聖書の洪水物語は、道徳的理想と、唯一の神を信ずる信仰によって貫かれ、洪水は人類の暴虐に対す る神の刑罰として書かれている。> (2)バベルの塔物語 メソポタミアの古代都市の神殿に付属する階層上の基壇 を持つ聖塔をジグラットと呼ぶ。シュメール人が作り始め、そ の後チグリス・ユーフラテス流域に繁栄した諸都市は町の中 央にそびえるジグラットの壮大さを競い合った。 <ノアの息子セム、ハム、ヤフェトの子孫は増え、シンアル (チグリス・ユーフラテス両大河の南部沖積地、シュメール 文明発祥の地バビロニア平原)に定住。 人々は焼いたレンガと瀝青(アスファルト)を材料にして巨 大な建築物や塔を造る技術を発明、ついに天に届く塔の 建造を思い立つ。バベルの塔は人間の無際限な「我」を 表している。人間がその限界を忘れ、天にまで達しようとし たとき、人間の高慢が人間相互の意思の疎外を生み出し、 その野心が打ち砕かれる運命にあることを教えている。>

<The Tower of Babel>

(Pieter Brueghel the Elder, 1563) 3.旧約聖書族長時代とアブラハムの行程 BC2000 年紀には二つの大河ティグリス・ユーフラテスに沿って、二つの自然道路がウルとハランを結び 人々の行き来する主要な道であった。ハランは東西隊商路の交差点に位置し、交易の中継都市、宿駅、巡礼 (月神シンの聖所)の中心地であった。ウルとハランは宗教的にも深い関係があった。 <アブラハム一族はカルデア人の都市ウル近郷で天幕に住み、家畜と共に牧草を追い求めて移動する遊 牧生活を営んでいた。やがて、アブラハム一族はユーフラテス河に沿った南の道をさかのぼり、黎明期のバ ビロン、マリを経由して北上し、ハランに到着し、そこにしばらく定着したと思われる。 -「テラは、息子アブラム(アブラハム)と、ハランの息子で自分の孫であるロト、および息子アブラムの妻で 自分の嫁であるサライ(サラ)を連れて、カルデアのウルを出発し、カナン地方に向った。彼らはハランまで 来ると、そこにとどまった。」(創11:31) -「主はアブラムに言われた。『あなたは生まれ故郷 父の家を離れて わたしが示す地に行きなさい。 わたしはあなたを大いなる国民にし あなたを祝福し、あなたの名を高める。・・・』」(創 12:1-2)> (1)マリ(現テル・ハリリ) メソポタミア地方へ侵攻したアムル人が建国したセム系最初の都市国家マリ王国(BC1900-1759)。住民は 西セム系アムリ人で遊牧民を支配下に収めていた。発掘されたマリ遺跡の宮殿は古代オリエントの中で最も壮 大なものの一つ、又その王宮図書館跡から「マリ文書」(アッカド語、23,600 枚の楔形粘土板)が発見された。 マリ王国はBC1759 バビロン王ハンムラビにより滅ぼされた。

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4 <聖書との関連では、BC19C から 18C の間、シュメール(ウル)の地からマリへ移動し、ハラン(ハルラン)と の間の地域に広く定住したベニヤミン(ベネ・イアミナ)人なる遊牧民(乃至半遊牧民)の記述がある。 (Cf. BC7C-6C のベニヤミンの記述(創 49:27))。族長の部族が、カルデア人のウルを出発点とした最初の 移動の後、ハランに定着したことを明らかにするうえで大切な資料を提供している。> <ハラン(現トルコ領)に暫く定住した後、アレッポ(世界最古の町)を通過、アレッポの南 54km にある、新興 都市エブラ王国を通過し、ダマスコを目指す。 (尚、ハランからシケム(カナン)へのルートとして、古代の隊商路の主要な基地の一つ、タドモール(パルミラ) のオアシスを経由した可能性もある。)> <BC2000 年紀のオリエント世界とアブラハムの歩んだ道> (創 11:31-13:18) (2)アレッポ 世界最古の町の一。BC3000 年紀に存在。マリ王国時代に、イアムハド王国の首都として繁栄。 後代のシルクロードの要衝ともなる。 (3)タドモール(古代名、後パルミラ) BC2000 年紀初のカッパドキアやマリの出土の粘土板に記述あり。後代パルミラ王国(BC1-AD2-3C)時代 シルクロードの中継地として栄える(ゼノビア、荒野の女王)。BC2C 人口 30 千人。(Cf.歴代Ⅱ.8:4、王Ⅰ9:18) (4)エブラ(現テル・マルディク) 北シリアに成立した強大な都市国家エブラ帝国(BC2400-2250、 人口260,000 人)。 遺跡から「エブラ文書」(アッカド語、エブラ語、14,000 枚の楔形粘 土板、行政・通商文書)出土。独自の言語エブラ語(西セム方言)で 記され、中にはシュメール語と対比された対比語彙集も発見され ている。エルサレム、ガザ、シナイ、ソドム、ゴモラ等の地名、アブラム、 エサウ、イシュマエル、サウル、ダビデ等の人名等、聖書を連想させ る名前、カナン地方の偶像神の名前が言及されている。先のマリ王 国との交流もあった。 エブラ帝国はBC2250 アッカド王サルゴンに滅ぼされる。

<Cuneiform tablet of Ebra>

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5 エブラ(Ebra)遺跡 (5)ウガリット(現ラス・シャムラ): 既に新石器時代からの長い歴史を持ち、BC19C のマリ王国の粘土板にもカナン諸都市の一つとして記録 さる。BC14-13C に最も繁栄した海港都市である。エジプトのアマルナ文書(BC1350 頃)に引用あり。 その遺跡から発掘された「文書」類は、カナン諸都市国家の神話、祭儀、生活習慣を知る上で貴重な史料であ る。粘土板はウガリット語のみならず、フル、ヒッタイト、エジプト、ギリシャ語が併せ用いられ、外交、宗教、法律、 軍事情報から、商業上の統計表、計算表を扱っている。 BC13C 末のウガリットの人口は 25,000 人と推定されるが、その文字は特権階級から市民、商人まで及び広 く用いられていた。やがてウガリットはBC14C の地震と BC12C の「海の民」によって滅んだ。 ウガリットは重要な貿易の中心地で、10 の原語と 5 つの文字が使われていたが、中でも最も重要であったの は、東セム系の文字、メソポタミアのシュメール=アッカード楔形文字であった。しかし、ほとんどのウガリット人 は西セム語を話し、BC1450 年前後までにはウガリットの人々も子音字アルファベットで書いていた。 <原生種シクラメン -ウガリット遺跡->

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6 ウガリット(Ugarit)遺跡 <旧約聖書詩編29 編は、神が己の選んだ民をエジプトからシナイ、荒野を経て約束の地へ導いた歴史の 主であることに限定せず、自然の主として礼拝さるべきと主張し、カナンのバアル信仰を排除している。古代 ウガリトの資料からカナン、ウガリトの影響を旧約聖書に見るのである。> <アブラハムがメソポタミアからハランを経てカナンに移住した頃(BC19C-17C)、ウガリットには高度な文明 を持つ人々が住んでいた。ヨシュアを指導者とするイスラエル人がカナンに入った時期(BC13C 末-12C)、 ウガリットはカナン最大の都市国家になっていた。また旧約聖書のなかの物語とテーマはヘブライ語で書か れる何世紀も前から書き記されていた模様。> (6)ダマスコ(ダマスカス) <アレッポから、オロンテス川に潤された草原地帯を羊群を率いて移住民族は前進し、やがてダマスコのオ アシスに到着する。途中ハマテ(アモス 6:4、サムⅡ:9-10、列王Ⅱ24:28)を経由してダマスコに着く。 ダマスコは世界最古の都市の一つで、アブラハムの時代の記述がある(創 14:15、15:2)。 ダマスコから、カナンの国に向う宿駅を通過すれば、シケムまでは 200km の距離である。>

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7 4.メソポタミアの文字とアルファベットの歴史 BC3000 年紀のある時期に、それまで 2000 年以上にわたってゆっくりと進化してきた新石器時代の農業は、 灌漑技術によって革命的な飛躍を遂げた。増加する人口にともない、ナイル、チグリス・ユーフラテス、インダス 川のような航行可能な河川沿いの都市への定住、新しい所有観念をもたらした交易による余剰物資の交換や、 都市の宗教、世俗等に係る中央集権的な行政形体の必要性が生じ、法律、契約、勅令、歴史、天文計算、文 学的伝承の記録のための言語表象が求められてきた。 ・エジプト文字(ハム系) 記録による王朝時代のエジプトの歴史は、BC3100 年頃のメネスの上・下両エジプトの統一により始まる。 最も重要なのが、事物を表す表意文字として絵文字で表現した聖刻文字(ヒエログリフ、象形文字)である。 700 余の聖刻文字の記号は、観念文字と音声文字の混合したものである。同時に、エジプト人は、ヒエログリ フ文字体系から抽出して、子音を表現する方法、古代エジプト「子音アルファベット」(24 個)を作り上げた。 BC3 千年紀で、最古のアルファベットである。エジプトのカフンで BC2000-1800 年頃に作られた碑文が発 見されている。 ・楔形文字(セム系) シュメール語は膠着語(「てにをは」に相当する語を持つ言語)で、どの言語にも関係しない孤立した言語 である。彼らの生活様式と相応して実用性が重んじられており、文字は絵文字的であるが、抽象化への傾向 を示している。抽象的な楔形文字は、書字方向(右から左)、書字材料、書字道具(柔らかい粘土書版と尖 筆)の省力化のためでもあった。シュメール人が発達させた都市文明の中では、管理システムが整備され記 録が取られ保存された。契約社会であり証書が尊重され証人による押印が不可欠であった。多種多様な民 族の間で交流、交易があり、法的手続きが必要であった。 早い時期から、シュメール人と共存し書記の教育を受けたアッカド人は、シュメールの文学を集め、シュ メール人の文字を採用して、書写し、翻訳する仕事にも従事した。文化的に劣る彼らはシュメール文化の特 徴であるシュメール文字とシュメール語を引き継ぎ、 アッカド語による文学作品「ギルガメッシュ叙事詩」を 作り上げた(BC2600 頃)。 メソポタミアを統一しアッカド王国が建設されたのは BC2300-2100であった。 またシリアのエブラ遺跡で発見された粘土板 文書(BC2500-2400)には、セム系であるエブ ラ語が楔形文字で書かれていた。 (1)文字の歴史 BC3100 メソポタミアで楔形文字使用 3100-3000 エジプトでヒエログリフ使用 1792-1750 バビロンでハムラビ法典石版 17-16C パレスチナで最古のアルファベット (原カナン文字) 14C ウガリットでアルファベット楔形文字使用 1050 フェニキア・アルファベット使用 730 ギリシャ・アルファベット使用 400 イオナ・アルファベット(標準ギリシャ) <A.ロビンソン「文字の起源と歴史」> <J.ヒーリー「初期アルファベット」>

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8 (2)アルファベット ・原シナイ/原カナン文字(セム系) BC1800-1600 年頃の原シナイ文字(23 個の別個の記号があり、うち約半 分はエジプトからの借用)は、シナイ半島の複数の遺跡から出土している。 カナンの最古のアルファベットは、イスラエルで発見された紀元前16C のゲゼ ルの壺に見られる原カナン文字(30 文字)である。BC1050 年以降、原シナイ 文字や原カナン文字の影響下にフェニキア文字が生まれ、海洋交易を通じて ギリシャ人に及び、ギリシャ語表記に用いられるに至った。 <原シナイ文字(BC1850 頃)> ・ウガリット・アルファベット ウガリットの子音字アルファベットは 30 の異なる子音を表すための、極めて 単純化された独自の30 組の楔から成る。遺跡が発掘された時、多数のシュメ ール語、アッカド語、フル語の粘土板文書に交じって別種の楔形文字が発見された。メソポタミアで使用さ れていたものとは異なり、文字数も30 しかなく、これがセム系のウガリット語を表記するためにウガリットの書 記たちによって発明されたアルファベット楔形文字であった(BC14C)。ウガリットの楔形文字は、後のフェニ キア語(ギリシャ語、ラテン語)、ヘブライ語、アラム語のアルファベットの起源ともいわれる。

<The Canaanite alphabet of Ougarit,

-The oldest Alphabet in the world- Syria, 1400BC > ・フェニキア・アルファベット BC1225-1175 の 50 年の間に、強大なヒッタイト帝国は滅亡、トロイ等のエーゲ海文明の中心都市やクレ タ文明は破壊され、タルスス、ウガリット、アシュケロンなど貿易の中心となった大都市は全滅した。エジプト 新王国も衰退した。全てエーゲ海の「海の民」フィリスティア人に起因する。 フィリスティア人は、カナン(この後パレスティナと呼ばれる)を含むエーゲ海、アナトリア、キプロス、レヴァント 海岸地域を一変させ、ウガリットの楔形文字は一夜にして捨て去られた。 最終的に、一つの派生的アルファベット(22 文字)のみが、後の混乱期を生き抜いた。ビブロス系の西セ ム系民が使ったアルファベット、フェニキア文字である。西洋のすべてのアルファベットはこのフェニキア文 字から派生し、フェニキア文字自体約1000 年に亘り使用された。 フェニキア人は青銅器時代にカナン人であったが、鉄器時代にフェニキ ア(「紫の商人」)になっていた。ビブロス、テュロス、シドン、アシュケロンなど の海岸都市に住んでいたセム系住民で、 BC1050 年頃までに勢力の衰 えた「海の民」に代わって地中海沿岸の港を 支配するようになり、東部沿岸に商業中心地 を確立した。 フェニキア文字はBC1050-850 の間、レヴァ ント地方一帯で好んで使われた。 <メシャ王碑文> (フェニキア文字、BC842) -イスラエルから独立した モアブ王メシャ(列王下3)- (ヨルダン、アンマン博物館。 東京、聖書考古学資料館(レプリカ))

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9 <アルファベットの系譜>

(注 1) 1.原セム語 2. 原カナン語 3. 南アラビア語 4. アラビア語 5. フェニキア語 6. ヘブライ語 7. アラム語

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10 <関連写真> <砂嵐の中のドゥラ・ユーロポス遺跡> (遠景にユーフラテス川) <シリア内陸部のステップ> <ステップの中のレストハウス> (水の汲み上げ用風車) <北シリアの蜂の巣型住宅> (レストハウスに付属)

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11 <都市近郷に定住したベドウィンの住居>

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12 (参考文献) =聖書考古学 ・アブラハムの歩いた道 佐藤文男(キリスト新聞社出版事業部、2001) ・旧約聖書の世界 高橋正男(時事通信社、1990) ・図説・旧約聖書の考古学(増補改訂) 関谷定夫(ヨルダン社、1986) ・古代のオリエント 小川英雄(講談社、1984) ・エブラの発掘 マイケル・ヴァイツマン(山本出版、1983) ・アブラハムとその時代-聖書の考古学4- アンドレ・パロ(みすず書房、1980) ・シリア国立博物館-世界の博物館18-(講談社、1979) =文字 ・図説・文字の起源と歴史 アンドルー・ロビンソン/片山陽子(創元社、2006) ・文字の歴史-ヒエログリフから未来の「世界文字」まで- スティーブン・ロジャーフィッシャー/鈴木晶(研究社、2005) ・初期アルファベット ジョン・ヒーリー/竹内茂夫(学芸双書、1996) ・文字の歴史-起源から現代まで- アルベルティーン・ガウアー/矢島文夫(原書房、1987) (後記) 2011/3/11 シリア国のデル・エゾールからアレッポに向うバスの中は、ガイドと質疑を交わして賑やかであった。私 の携帯に日本の家内から、東北の大震災の第1 報が入った。ニュースを聞いてバスの中は一瞬鳴りをひそめてしま った。一行の西宮から参加された O 姉は阪神淡路大震災で被災された。Y 兄はスマトラ沖の津波で、偶々スリラン カを旅行中であった奥様を失われた。夫々に深い思いをお持ちになる。仙台から参加されていた K 教授は奥様を 一人残していた。ホテルに戻った時には、BBC で盛んにニュースが流れていたが、既に日本との電話連絡は一切 出来ない状態であった。結局K 教授は 2-3 日連絡の取れないまま旅を続け、更に成田に着いてからもすぐに帰宅 することがかなわず、2 日程都内に宿泊した後、被災地向けの緊急バスが新潟から出るという情報を入手し、ようや く新潟経由で仙台へ帰宅することが出来た。 今回の旅行国シリア国(シリア・アラブ共和国)とヨルダン国(ヨルダン・ハシェミット王国)はイスラエル国を敵対国 とみなしている、世界 8 か国の内の 2 国である。自分が所持しているパスポートには、2009 年にイスラエル国を旅 行した折の入出国の押印があり、このパスポートをもってしては、この 2 国への入国は拒否される。結局、この両国 を旅行するために、この期間に限り有効な「限定旅券」を外務省に発行してもらうこととなった。この間、手許の旅券 は、これと交換に、外務省に預託させられることとなった。 シリアの国内は、眼には極めて平穏なものと写った。のどかな雰囲気のアレッポの城址ではハイキングに来てい た大家族と仲良しになった。その直前に行われたサッカーの日本/シリア戦について、勝った負けたの話となり、健 闘を称え合って別れた。ハマの水車のある公園では、何組かの若夫婦や家族連れと写真を取り合った。休憩した 峠の店の親子はTV の画面を指しながら日本の震災について深い同情の意を表してくれた。 シリア国を離れるころから、エジプトに始まったジャスミン革命の影響を受けたデモやそのデモに対する政府の弾圧 が日を追って激しくなったようだ。帰国後間もなく、日本国外務省はシリアを「渡航禁止」国と指定し、現在に至って いる。 本報告の対象外であるが、旅行の後半でモーセ所縁の遺跡等を辿ってヨルダン国内を訪問した。新約の時代、 バプテスマのヨハネがイエスに洗礼を施したとされるヨルダン川を訪ねた時のことである。我々はヨルダン川のこちら 側のヨルダン領、川幅10 メートル程の向こう岸のイスラエル領側には、ドイツの観光客の一団がいて向かい合った。 国境を挟んで、両国は敵国同士、双方銃を持った複数の兵隊が警護していた。我々は事前にガイドや添乗の警官 から国境の向こう側とは決して会話をしてはいけないと言い含められていた。やがて向こう岸のドイツの観光客から 「日本人か」と聞いてきた。「そうだ」と答える。「地震は大変だったな」、「そうだ、我々の仲間には仙台から来ている 者もいる」。ガイドや警官、兵隊が制止する間もなく、川を挟んで互いに言葉が交わされた。やがてドイツの観光客 のグループが、きれいなコーラスでAmazing Grace を歌い始めた。我々も声を合わせ、ヨルダン川を挟んで合唱と なった。ガイドや警官に引き離され、追い立てられるようにして、その場を去る我々の背に 「Hallelujah!」、「God Bless You!」 と声がかけられ、我々も振り返りざま言葉を返したことであった。

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