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転移・逆転移を超えて

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(1)

著者 西村 洲衞男

雑誌名 東京家政大学附属臨床相談センター紀要

巻 7

ページ 1‑13

発行年 2007

出版者 東京家政大学附属臨床相談センター

URL http://id.nii.ac.jp/1653/00010037/

(2)

東京家政大学附属 臨床相談センター紀要 第7集

転移・逆転移を超えて

西村洲衛男

1 はじめに

 心理臨床において転移・逆転移という考え方は 大変重要であると考えられている。フロイトやZ ングが心理療法の理論を組み立て、転移・逆転移 を治療関係の重要な要素として位置づけた。今で は立場を越えて理解される重要な概念になって いる。われわれはフロイトやユングのこの遺産で 生きたが、これまでの心理臨床の経験に基づきこ の概念についても吟味し検討する必要があると

思う。

 氏原・成田によってまとめられた『転移・逆転 移』(氏原・成田1997)はそのよう仕事の一つで、

転移・逆転移について理解を深める試みであった と思う。氏原・成田の二人は長い臨床経験を積ん だ、中堅の指導的な立場にある心理療法家に『転 移・逆転移』について自己の経験に基づいて論文 を書かせ、両者の編著として『転移・逆転移』を 刊行した。この本は転移の問題について多面的に 深く掘り下げようとした試みとして高く評価さ れると思う。著者たちは自己の経験に基づいて逆 転移についても率直に論じているので、読者も自 然とこころ開かれる好著である。ただ、筆者は実 際的な治療者が転移で困っていることは全体的 に治療関係における恋愛であると感じた。転移は 恋愛問題だけではないといわれると何とも反論 しようがないけれども、見方を変えてみることは 大切であると感じた。

 転移・逆転移は無意識の領域に関連しているの で理解が難しい。多くの臨床家にとって深く学ば

ねばならない課題になっている。しかし、転移・

逆転移に重きを置いて治療関係を見ていくには 限界があるのではなかろうか。

 われわれはこれまで多くの臨床経験を積み、さ らに多くの治療者が発表した数々の事例に接し てきた。そこで見たものはフロイトやユングが作 った概念を超えているように思われる。われわれ 一流でないカウンセラーは転移・逆転移の真理を 理解していないように思われ、いつまでも不全感 を抱いているが、実は転移・逆転移という概念で は説明しきれないような現象を多く経験してい るように思われる。そこで転移・逆転移に係わる 問題を省み、別な視点から考えてみたいのである。

檀渓心理相談室

2 筆者の理解

 筆者は転移についてはユング派の立場で考え てきたので、ユングの『転移の心理学』やマイヤ

v−・一・

CC. A.(Meier 1989)の論文よって考えてきた。

従って、転移については教育分析を受けながら、

自分とクライエントの係わりについて深く省察 することが大切だと考えてきた。ユングは、転移 は投影によって成り立っており、投影は心的内容 に無意識だから感情的な関係として行動レベル で起こっているのだと考えていた。転移は無意識 に基づいており、しかも、転移一逆転移は互いに フックのようになり、クライエントの掛けるもの と治療者の掛けられるものとが組になって反応 しあっている。それらは無意識の心的内容である から、意識化は難しく、生き通す以外に抜け道は ないと考えてきた。少々意識化してもどうにもな

らない厄介な問題である。

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 転移一逆転移の問題に関して多くの人が大変 厄介な問題であるとするところは治療関係に起 こる恋愛問題か境界例のクライエントとの間に おけるぎくしゃくした心的距離の定まらない問 題である。従って、これらのことが『転移・逆転 移』においてどのようにあつかわれているかが大 変興味があった。

 著者の一人、岡田は治療関係に起こる若い女性 との恋愛問題に関しては、ある治療者が明らかに 不適切な対応をしたために起こったクライエン トの自殺未遂の後をフォローした事例を簡潔に 述べ、この問題は厄介な問題であるに違いないが、

それは治療者が節度を守ることによって乗り切 ることができると考えている。

 さらに、岡田は自己の経験から治療関係をクラ イエントのたましいが演ずるドラマの舞台であ ると考えている。クライエントはたましいのドラ マを演ずる役者であり、治療者は観客であり、時 には演出家であり、劇場の支配人であると言う。

 この考え方は今までにないユニークな考え方 である。転移は治療関係の中に展開されるクライ エントのドラマであり、その展開が治療過程とな り、ドラマの終わりは終結を意味するのである。

 岡田が紹介している中年女性の事例は父親と の関係が演じられたドラマの適切な事例である。

クライエントは治療関係の中で父親との関係を 再現し生きることによって転移を解消したので あった。転移された関係を生き抜くことはこうし てなされるという好事例である。

 L6wenfeld, M.は「世界技法」(今日の箱庭療法)

を転移を必要としない技法として発表している が、箱庭療法こそは内的なドラマの表現であり、

コラージュ法も同様に理解されると考える。岡田 の転移はドラマであるという考えは興味深い発 言である。

 治療関係における恋愛問題は若い女性のクラ イエントに多いはずである。『転移・逆転移』に 取り上げられている事例の年齢を見ると、20代 の女性クライエントを男性、それも若い男性の治 療者が受け持っている場合がほとんどで、次に 40代女性クライエントとやはり男性の治療者が 問題になっている。興味深いことに30代の女性 はほとんど問題になっていない。女性は発達的に 20代と40代においてロマンチックになることが

この事実から推測される。

 前掲書に参加している女性の治療者は二人で ある。二人とも転移一逆転移の問題はほとんど関 係がないらしく、若い女性のクライエントに手こ ずって苦労する若い男性治療者を横目に見てい る菅の文章には、さもありなんとこちらも笑って しまった。李の論文は事例のない観念的な論述に 終始しているので、激しい恋愛性の転移一逆転移 に振り回された経験がないのだろうと思われた。

 また、男性の治療者の一人、藤原は治療技法の 関係から転移を治療には無関係なこととして無 視していく態度を取っており、転移一逆転移はほ

とんど問題になっていない。

 転移一逆転移は心理療法の基本的であり、αで ありωであると編著者の一人成田は言っている。

同様のことをユングも言い、ユングのその言葉に

フロイトも深く感銘し、二人の信頼関係をつなぐ

絆の一つになったとユングは書いている。この背

景には、両者とも女性のクライエントの恋愛性の

転移の処理に苦労し、その反省があったからだと

推測される。その苦労は彼らの心理療法の仕事に

熱心に係わってくる女性のクライエントであっ

ただけに、心理療法全体を暗雲で覆うほどのもの

であったろうし、転移一逆転移こそが心理療法の

全体に通じる根本問題であると考えたとしても

おかしくない。そし{われわれもまた同じ轍を踏

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西村 洲衛男

み、両巨頭の考えをそのまま受け継いで今日に至 っているのではなかろうか。

 現在も転移一逆転移を心理療法における祈り の決まり文句の如く唱えてきた背景には、心理療 法の理論家の多くが男性の治療者であったこと も深く関係していると思われる。彼らは若い女性 のクライエントに苦労した経験が少なからずあ って、フロイトやユングと同じ轍を踏んでいたこ とが指摘されよう。実際、『転移・逆転移』の著 者たちのほとんどがそうなのである。これからも ずっと同じことが繰り返され、絶えることはない

であろう。

3 転移についてのこれまでの見解

 転移一逆転移の所謂「厄介な問題」は、恋愛性 の転移であり、それは心理療法の中の特殊な問題 にすぎない。これにとらわれていると転移・逆転 移に係わる多くの問題を見落としてしまうので はなかろうか。われわれは治療関係の中で起こる 現象をもっとっぶさに観察し、われわれの目で見 たものをわれわれの心理学で説明していくこと が大切ではないかと考える。そこでわれわれの理 論的なリーダーの考えを見てみよう。

 転移には激しい転移と深い転移があると河合 は指摘した(河合1990)。この考え方はフロイト 派とユング派の違いを考える上で重要なもので

ある。

 激しい転移は恋愛性の転移や批判的・攻撃的な 転移を含むもので、フロイト派の転移に相当する だろう。それに対して深い転移はユング派の無意 識の同一性やMeierのいうコンプレックスの共有 を意味している。グレート・マザー・コンステレ ーションはその典型であろう。現在、グレート・

マザーという言葉は流行らなくなって久しいの で、わからない人も多いに違いない。グレート・

マザーという言葉が流行ったころ、グレ・一一・ト・マ

ザーのコンステレーション(布置)が論じられた が、それは一種の転移である。母親と子がグレ・一…

ト・マザーとその子どもとして布置されている関 係である。母一子ども関係における保護的で干渉 的な母親をグレート・マザーと見倣し、母親が子

どもの自立を抑制している場合に適応された。

 しかし、理論的に見ると、グレート・マザー・

コンステレーションは本来コンプレックスの共 有現象を指しているのであって、そこに係わって いる人がグレV・一一・ト・マザーに影響されやすい状態

になっていることを意味する。従って、子どもだ けでなく母親もその影響を受けており、母親もグ レート・マザーの子どもとして自立性に乏しく、

自己主張をせずに流れに身を任せていく生き方 しか出来ない状態を意味していたのである。

 このように考えていくと、影の共有とかアニ マ・アニムスの重なりということを考えなければ ならない。それらの現象は観念的にはわかるとし ても、心理療法の実際において治療関係に現れる 現象を教育分析なしに理解することは困難であ ったと思われる。

 人格の影の部分は劣等機能であり、未発達の性

格である。それらは無意識の領域にあるので外界

に投影され、転移的な関係として対人関係に彩り

を添える。影を投影した相手に反発したり、嫌悪

したりして対人関係が妨害される。分析において

この事実を意識化しても何とかなるほどのもの

ではない。統制可能なものにするにはその未熟な

機能を発達させねばならない。それには長い年月

を要したり、本来の性格とは反対の性格特徴を伸

ばさなければならないために却って内向的な人

が外向的になろうとして神経症的になったりす

る。そこで影の人格に反発したり、否定したりし

て戦うことを止め、自分の中に劣等な性格の部分

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のあることを認め、つまり、影を引き戻して自分 の中にその存在を認め、自分よりもすぐれた人と 妥協したり協力したりして行くことを学ぶこと が現実的な解決の一つである。

 アニマ・アニムスの部分は異性的性格要素を代 表するとされている。全ては無意識的な性格であ

るから、外界に投影され、主に異性関係を彩る要 素となっている。この部分は人の関心を最も引く

ところで、比較的に分かりやすい。

 内的には、アニマ・アニムスは無意識の代表と して、意識する自我に相対している。それはほと んど衝動的部分であり、エロスや攻撃などを伴う 無意識の衝動や態度となって行動に現れている。

夢の中ではしばしば異性として表象され、その異 性の性格は無意識の衝動や態度や生き方を反映

している。

 現実の行動面では、その人の無意識の行動パタ ーンや、見知らぬ他者、特に世間に対する態度や 対人関係における雰囲気として現れているので、

人はアニマ・アニムスに余り気づくことがない。

社会に目が向いているとき人はアニマ・アニムス とは反対のペルソナを堅持することに気を遣っ ていて、意識の背後に潜む無意識の態度には気付 きにくい。われわれは自分が醸し出している雰囲 気を知ることは難しい。これを知るには、他者の 態度の微妙な変化を注意深く観察し、自分の中に 起こっている緊張がどのようなものであるかを 知り、外界と内界の呼応性を慎重に考慮すること が必要である。面接場面では夢に現れたアニマ・

アニムス像が内部に持つ性格と夢主の行動様式 を比較検討することが大切な仕事である。このよ うな作業は影の認識と比べると大変難しいので、

ユングは影の分析は弟子の仕事であるが、アニ マ・アニムスの分析は師匠の仕事であると言って

いる。

 アニマ・アニムスの分析と言っても、出来るこ とは自我の発達に応じたことしかできない。それ 以上を望むならばアニマ・アニムスのもつエネル ギーを生かしていくための自我機能とペルソナ を強めなければならないであろう。

 ユング派の心理療法家が見ている転移は以上 のような影やアニマ・アニムスや老賢者やグレー ト・マザーなどの元型的なコンプレックスによっ て動かされている深層の関係なので、意識化して 無力化することはできず、コンプレックスによっ て引き起こされる危険を回避しながら、生き抜く

ことによって次のステップに上がっていくしか ないと考えてよいのではなかろうか。

 さらに、元型的な布置だけでなく、治療者とク ライエントが同じコンプレックスを持っていて、

その克服が問題になることがある。例えば、治療 者もクライエントも共に攻撃性を強く抑圧して いて現実適応のために攻撃的・積極的な生き方を 考えていかねばならないとき、両者は共に苦しま ねばならない。この状況においては、攻撃性を発 展させるか、より深く傷つき苦しみながら攻撃的 でない生き方を見出した者が治療者となるので ある。互いに出口が見出せないときは、酷く困惑 した関係になるか、膠着した関係に陥ったりする。

この際、より一層強く生きるカを必要とするので、

治療者は責任ある者として分析を受け、自ら問題 を克服することが必要である。

4 転移は過去の親子関係の移し替えだけではない  心理療法の理論は心の現象を観察するための 観測機器であると成田はある講演で語った。「転 移一逆転移」と言う観測機によって治療関係の感 情的な部分をかなり詳しく観察することができ

ることは間違いない。

 転移の考え方には基本的に幼児期の親子関係

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西村洲衛男

が再現反復されたものという考えがあるので、治 療関係の現象の中から幼児期の親子関係によっ て形作られた関係の持ち方だけを見出そうとし、

それ以外の治療関係の現象を見ない可能性も生

じてくる。

 また、治療者に対して専ら愛情欲求を向けて来 る場合、幼児期において愛情が不足していたであ ろうと想像する。しかし、愛情欲求が満たされな い関係であったからこそ、過去に得られなかった 関係を求めているのであり、過去の親子関係の転 移とは言い難いのではなかろうか。つまり、われ われが転移と呼んでいるものの中には過去の関 係の逆もあり得ることを考えなければならない。

感情的な関係を全て転移と呼ぶことは概念を曖 昧にすることであり、その曖昧さの故にわれわれ の理論的な防衛が歪んだものになってしまうの

である。

 転移にっいて、さらに若干考えてみよう。一つ は転移という見方そのものが治療者の転移とな り得ること、第二は転移の原因探究という幼児期 の親子関係の詮索の作業が果たしてクライエン トにとって役にたつものかどうか検討する必要 があることである。第三は転移が無いように見え る関係についてである。

a 理論的な見方という逆転移

 治療関係において転移があるという見方がそ もそも逆転移である可能性がある。精神分析的に 言えば、投影性同一視ということになるであろう。

例えば、治療者に理解し受入れて欲しいと執拗に 訴えてくるクライエントの依存性は、クライエン

トが親との関係において理解して貰おうとして 受け入れて貰えなかったことの反復であるとい う見方を治療者がすると、クライエントに過去の 親との関係を改めて見直させ、親からの独立を成 し遂げて行くことが必要なことであると考える

であろう。こうして依存欲求を自分の問題に戻さ れるとクライエントは治療者に甘えられなくて 怒り、攻撃するであろう。この攻撃も母親に対す

る感情の転移であると返されるとクライエント は欲求不満状態に陥り苦しむことになるであろ う。精神分析ではこのような経験をしているクラ イエントがままある。クライエントは単純に治療 者に自分の今の思いを分かって受け入れて欲し いだけなのかもしれないのである。自分の心の理 解者として存在してほしいのに、見たくないもの を見せられることになる。それを幼児期の親子関 係の分析の出発点とされると、クライエントは求 めてもいないことをさせられ、終わることのない 不安に苛まされることになる。精神分析の理論的 な立場からはクライエントの依存的な態度の背 景の心理分析として正しいかもしれないが、その 治療方針は治療過程ではこういうことがあるは ずだと言う学習した心理学的な見方をクライエ ントに押しつけることになり、理論的な見方の逆 転移となるのである。

 精神分析に限らず心理療法においては、学習し た心理療法の理論的な見方をクライエントにあ てはめることが逆転移になる可能性がある。心理 療法の技法や理論的な枠組みを意識する立場ほ ど、治療者は心理学的専門家の意識が強くなり、

理論の投影にはまって、治療関係の現実が見えな くなる危険性がある。自分は精神分析の理論、あ

るいは、ロジャ・一・・一ズの来談者中心療法に法ってや

っているから正しいのだと考えたとき、カウンセ ラーは理論を転移していることになる。

 事例研究における心理学的な理解はかなり理

論的な関心に沿ってなされるので特に理論の投

影に満ちている。スーパーヴィジョンが時として

ほとんど役に立たないのはこのようなことも原

因していると思われる。スーパーバイザーが理論

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的な立場から放った意見はスーパーバイジーの 内的な経験を素通りしてしまうことがある。事例 研究会においてはスーパーバイザV−・一一 が特に分か

りやすく理論的に説明しようとすると、理論の当 てはめになり、事例の現実が見えなくなってしま

う危険性がある。スーパーバイザーの中には自分 の心理療法の理論の構築に熱心な人もあり、一方 その取り巻きには理論的な支えを望む人も多い ので、事例や治療者の心理という現実から遊離し ていく可能性も大きいのではないかと思う。ある スーパーバイザーのコメントを聞いたとき、事例 報告の細かい内容から浴れるほどいろいろな説 明が出てくるが、それはスーパーバイザーの治療 経験を彷彿とさせるものではあっても、事例の治 療過程とはややずれていて、事例を提供した治療 者やクライエントは置き去りにされていると感 じられた。このスーパーバイザーは自分の心理療 法の考え方を話すのが好きであって、われわれが 期待するスーパーヴィジョンをする気はほとん どなかったかもしれないので、この批判は的外れ であるかもしれないが、心理学理論の投影になる ようなコメントの延長線上にこの例があると思 うので敢えて取り上げ、反省の素材とした。優れ

たスーパ・一一・−tバイザーと呼ばれる理論家も、その人

に学ぶ者も共に投影性同一視に振り回されると いうのがわれわれ心理療法の世界に生きる者の 宿命であろうか。

b 過去の親子関係の見直し

 治療関係に現れた依存的な態度や攻撃的な態 度を取り上げ、それを手掛かりとして過去の親子 関係を見直すことは心理療法の重要な作業であ

る。

 クライエントが親から心理的に独立するため には親を見直すことが必要である。その作業の手 掛かりとして転移の解釈がある。そして転移を通

してこそ親子関係の深層の分析が可能であると いう仮説をわれわれは持っているように思われ

る。

 先に述べた事例のようにクライエントから強 い愛情欲求の転移が生じている場合、治療者を厳 しかった母親と同一化しているとして、その転移 として取り上げていくことが心理療法の重要な 要点であると考える立場がある。この作業はクラ イエントの愛情欲求をそのまま受け入れること なく、過去を振り返って親子関係を見直させるこ

とになるので、クライエントは欲求不満になって、

時としてクライエントに苦痛な作業をしいるこ とになる。それは本当に必要なのかと疑いたくな る事例に遭遇すると、われわれは改めて過去の親 子関係の見直しをどの様な形で進めていくか、多 くの事例に基づいて検討してみる必要があると

思う。

c 転移を通した見直しが難しい場合

 親子関係を省みるとそこには深い悲しみと人 には話せない恥ずかしいことばかりが出てくる ことがある。両親が離婚し捨て子同然であったに しても、目覚めた意識をもち大人や周囲のものご とを観察し判断してきた人は、不幸な状況にあっ ても自分の目で観察し判断するという主体的自 我領域を持つに至り、経験してきたことを基に世 界について語ることができる。苦しい惨めな経験 であってもそれは自分の責任ではなく、この世界 を作ったものの責任である。だから、生きてきた 世界について客観的に語ることができるのであ る。たとえ不幸な環境に育っても、自分の子ども だったころのことを話せる人は幸せである。

 このように自我が目覚めているときは親子関

係の検討が可能である。自分が未だ目覚めていな

いときに大人の判断に振り回されながら、状況を

漠然と見てきた場合には、子ども時代の経験を問

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西村 洲衛男

われたとき漠然とした記憶しかない。取り立てて 言うべきものはない。子ども時代のことはほとん

ど思い出せないという人もある。こういう人にあ なたが子どもだったころはと問うのは人間的に 恥ずかしい部分の覆いを剥ぐような感じがする。

 恵まれた家庭で過干渉的な親に育てられた、い わゆる良い子は人よりも早く大人らしさを身に つける。アダルト・チルドレンは子どもらしさを 失って大人になった人の典型例である。子ども時 代に親の考えや期待を敏感に観察して生きて来 た人は親の常識や道徳的に期待される価値に縛 られ、自分の感情や意欲を見失っている。心の生 活のガイドラインとしては親の考えや期待の観 察しかない。自分の経験はと問われたとき何も応 えることができない。親の期待に添って生きてき た人には主体的な経験がなく、自分で観察して考 えた内容もない。自分が自分の経験に立っていな いのである。

 われわれ心理学者は理論的な先入観として、人 はみな目覚めて自分で判断しているという前提 で考えていないだろうか。良い子やアダルト・チ ルドレンが内的な世界に目覚めていないという 現実はわれわれの先入観を破った。

 酒乱の父親が家庭で怒り狂うのはいつも親の 期待に添えない生活をしている自分たち子ども の責任であるというクライエントの認識や、子ど もの家庭内暴力は転移を越えた視野を要求して いるように思われる。

 両親の不和や嫁一姑のいさかいがあって、その 影響が家庭のなかで最もおとなしい子どもに覆 い被さっていることがある。その子は母親やお婆

さんの気持ちをよく理解したがために、一家の問 題を背負い犠牲者となる。その子どもの内面には 家庭内の争いが渦巻いていて悲しみを感じる余 地さえもなく、自分の心の領域を見たときそこに

はただ空虚な心の世界が広がっている。一群の不 登校の子どもの世界にそれに近いものが感じと

られる。

 この空虚な心から転移は何も生じないし、親子 関係の回想は困難を究めるだろう。

 自分以外の価値基準に沿って生きた人が、その 価値基準は無意味で何も役に立たないと知った

とき、同時に自分の価値基準は何もないことに気 づく。自分は一人で、孤立していて、世界の何処 にいるのかさえはっきり定位できないだろう。閉 じこもることによって自分を定位しなくては不 安で仕方がない状態になる。そこには脱け殻のよ

うな自分と、感情的なつながりのない形だけの人 間関係が広がっている。そういう感情が生きられ ていないところでは転移関係は空虚であるから 何も見えない。そこには何もないから人間関係を 一からつくる作業が待っている。人間関係を作る 機能がほとんど失われた状態から、基本的な信頼 関係を作る作業をしなければならない。閉じこも

りの事例が難しい訳はそこにある。

5 新しい観点の必要性

 最近、事例研究会で以前の考え方とは合わない ものにしばしば出会うようになった。その一つは やせ症や不登校などの事例に多く見られる親子 関係の疎遠さや親の係わりの少なさである。

 ある母親は過食嘔吐に悩む娘に対して、「早く

治しなさい、いつまで病気しているの、早く病気

を治して結婚しなさい」と言った。われわれは普

通病気の娘を持つ母親に対して優しい暖かい思

いやりのある愛情溢れる看護的な態度を期待す

る。けれども、何年も娘の過食嘔吐に付き合って

きた母親は反抗的にしか係わって来ない娘にも

はや優しく接することができない。互いに思いの

たけの不満をぶっっけ合って対決せざるを得な

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いくらいに緊張をはらんだ関係になっている。こ のような関係で過去を詮索すると怒りと当惑を 増幅するだけで、建設的な関係が何も得られない

ことがある。

 また、最近は子どもが不登校や摂食障害になっ たとき、子どもだけをクリニックに行かせて自分 は係わりたくないという親も出てきた。小学生の 子どもが親から面接料をもらってそれを治療者 に渡して面接が始まるという事例にも出会うよ うになった。このような事例では親面接はたまに しか出来ず、子どもはほとんど治療者との関係に 支えられて自立して行かねばならなくなってい る。風邪をひいたら医者へ行き、薬を貰って飲ん で良くなるように、不登校になったらカウンセラ ーのところに行って治して貰うという考え方に なってきたのである。子どもはもう既に自分で考 えて生きることができる程に成長したのだから、

後は自分で考えて生きなさいと言われているよ うなものである。

 15年以上も兄の家庭内暴力に悩まされてきた 青年は、兄の入院によって静かな生活を見いだし たが、心の中は空虚で、これからどのように生き て行ったらよいか皆目見当がつかない。そのため に長い間世間とは没交渉で過ごしている青年が

ある。

 このような事例を今多くの臨床心理士が抱え ていると思われる。これらの事例について転移・

逆転移は心理療法のαでありωであるとして単 純にその見方を当てはめていくとかなり問題の 事例が出てくるのではないかと思われる。そこで 事例の問題の性質に適合したアプローチを考え て貰いたいと思うのである。

 摂食障害についての適切なアプローチが現在 見いだされているかどうか筆者は不明である。し かし、面接料を握りしめて独りでやって来る子ど

もには保護者的なサポートを当てねばならない し、引きこもって対人関係を恐れている青年には 基本的な信頼関係を築くことが求められるであ ろう。これらはクライエントの当面する問題に対 する常識的な対処である。これが転移の扱いや箱 庭療法や描画療法などの技法の適用よりはるか に大切なことである。われわれは心理療法の理論 に捕らわれるとき、しばしばこの常識の大切さを 専門家意識の故に忘れがちになるのではなかろ うか。これは専門家意識の逆転移の危険性の一つ

である。

6 刺激と反応としての治療関係

 心理面接において、何でも自由にこだわりなく 話し合える関係が理想である。その関係の中で、

できるだけクライエント主導で話をさせる。その 全ての内容は治療者との関係を言い表している ものとして考えるという見方がある。例えば、こ の間叔母さんにあって少し恥ずかしい思いをし、

緊張したとクライエントが述べたとき、治療者に 対して恥ずかしく緊張したのかもしれないと考 えるのである。このような見方をスーパーバイザ ーに徹底されると、クライエントの深層心理がわ かるものの、そんなことを一々考えていたら堪ら ないと感じるだろう。面接場面で起こることは日 常に起こりうる。相手が友達への批判を述べたと き、それは自分への批判でもあると考えると、分 析としては正しい。けれども一般には、そういう ことは後々の反省として考える。考えない方が楽 であるけれども、そこまで考えると、対人関係に 慎重になり、ペルソナの表情が微妙に変化するこ とになるだろう。この技法は治療者にとっては大 変重要なものであるが、それをクライエントの分 析に使うとどうなるのだろうかと心配する。余程、

心を客観的に見る力がないと耐えられないだろ

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西村 洲衛男

う。だから心理療法では治療者とクライエントに 合つたアプローチが必要であることがわかる。し かし、現実には治療者の技法とクライエントの心 理のミスマッチがあって、かなりの問題を引き起

こしているのではないかと思われる。

 愛着欲求を満足したい子どもが多くいる。その ような事例では、子どもにベタベタされることが 嫌いな親が少なくないことは多くの臨床家が経 験的に知っている。それに対して心理療法家にも 同様にスキンシップの苦手な人達がいることは 案外考慮されていないのではなかろうか。学校で は生徒にまとわりつかれ易い先生がある一方、ほ

とんど求められない先生もある。心理療法家も当 然そういう性格があって、子どもの愛情欲求を満 足させやすい人とさせにくい人がある。子どもは 本能的に甘えさせてくれそうな人を雰囲気や直 観で知り関係を深めたり離れたりしていくので ある。このことを考えに入れて転移を考えて行く 必要があると思う。

 精神分析では転移を受ける治療者は中立的で、

クライエントの見えないところにいれば自分を 隠せると考えている。けれども、初対面のとき、

治療者の存在全体から現れる雰囲気は隠しよう がない。この知覚はほとんど無意識レベルで行わ れているので捉えにくい。愛着行動を喚起するよ うな性格の人がいると愛着欲求を満足したい人 が強い係わりを求めていくし、もし反対に、愛着 行動が不得手であると、そこでは愛着行動が起こ りにくい。治療者が愛着欲求を抑圧し、クライエ ントもまた同じである場合は、治療関係は膠着状 態になって中々進展しないことになるであろう。

 従来は転移はクライエントの側から幼いころ の親子関係が治療者に対して投げかけられると 考えられて来た。治療関係を外側から見ると正に その通りであるが、反対に内側から見ると治療者

の持つ人格的な資質がクライエントの転移を引 き起こしているとも考えられる。治療者の持つ転 移の解発刺激がクライエントの愛着行動を誘発

しているのである。

 ローレンツ(1970)の比較行動学の考えに依っ て、治療関係を行動の解発刺激とそれに対する反 応として見ていくことは転移一逆転移という見 方よりも遥かに一般性があって、転移以外の治療 関係の要因も考察の対象に入れることができ、治 療過程におこる様々なトラブルばかりでなく治 療的な要因も明らかにする可能性を開くのでは なかろうか。

 転移一逆転移の関係で多くの男性治療者が困 っている恋愛性の転移においては、先ずクライエ ントの恋愛衝動と男性治療者の魅力が、女性から 見たら無防備に、相互に刺激しあって起こってい るのである。恋愛感情の中には女性のアニムスー 女性の中の男性的性格一が働いており、やさしい 理解ある対応が求められることになる。多分、そ こでは母親との関係では満たされなかった温か い母性的な、求めに対して素直に応ずるような受 動的な愛が希求されている。恋愛感情の中に父親 の愛と母性的な愛の希求が混交している。

 恋愛感情の中に見られる愛情欲求は親子関係 の転移というよりも、恋愛感情の発現に際して個 人の内部から解発された愛情欲求が働いている のである。過去においては未だ表れたことのない、

今始めて解発された愛情欲求が動いていくので ある。過去に求めていたから求めているのではな い。過去の親子関係が不満足であったので、今満 足を求めているのである。クライエントは自分の 見いだした新しい対象に対して満足を求めて行 動する。治療者の異性的な魅力と優しさが解発刺 激になって、クライエントは可能性に向かって新

しい行動を起こし、同時にこれまでの愛情不足を

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補おうとしているのである。それは転移ではなく、

新しい生き方の発現なのである。

7 治療関係の基礎である共感的関係

 ユング派には Wounded Healer 「傷っいた治 療者」という概念がある。自らも傷つき悩みを深

めた者が治療者となるという考え方である。神話 学者ケレーニイはギリシギ神話における医神が 傷っいた神であることを指摘した。ユングはこの 点に注目したのである。同じ考え方は仏教の法 華経(坂本・岩本1959)の中にもある。

 法華経従地涌出品十五(正しい教えの白蓮 十 四さとりを求める者の大地の裂け目よりの出現)

には次のように説かれている。偉大な志を持って さとりを求める者たちが、教えを説き広めたいの で教えを請うと、仏は私の教えを広める者は大地 の中から湧いてくると答える。すると大地に裂け 目ができ、そこから数知れぬ菩薩たちが湧き出て きて、仏はその菩薩たちに説教をしたというので ある。仏教の教えを広める者は偉大な志を持った 者ではなく、暗い大地の底から湧き出てきた、つ まり人間的な世界で苦悩を生き抜いてきた菩薩 たちだと言うのである。

 心理療法において教育分析が必要な訳は、分析 を通して精神分析やユング心理学を学ぶのでは なく、自分の内面を深く見つめ、深層に動いてい るこころに意識のフォーカスを当てているとい うことであろう。

 この自分の深層のこころの動きにフォー一一 カス していることが傷っくことであり病むことなの である。われわれは健康で悩みがないときは体の ことも心のことも意識しない。病気をし、悩み心 傷つきとき、深く自分を省みる機会をつかむ。治 療者が深く傷ついていると、深く悩み自分の深層

を深く省みるはずである。日々の自分を省みる作

業が治療者を作って行くのである。この作業を一 人で行うか、それとも自分よりもより心の視野の 広い人(分析家)と共に行うかによって、その成 果が異なるだろう。一人で自分を省みる人は独り で悟る人であり、内面の探究を助けるであろう。

一方、分析家と共に自分を探究する人は人と共に 自分を省みることができるようになるであろう。

教育分析によって培われた資質は治療関係の中 で相談する力として働き、クライエントの相談意 欲を解発するのである。

 治療者の内省力や相談する人格的な資質がク ライエントの相談意欲を解発するように、クライ エントの強い相談意欲が治療者の内的な相談能 力を解発する可能性もある。クライエントに深く かかわり、困難な治療過程を生き抜くことによっ て治療者になることができたという思いをもっ ている人は少なくない。

 このレベルの関係は目に見えず、こうだという 証拠は何もないが、われわれの周囲で起こってい ることを静かに見ると見えてくる現象である。物 書きの指導者の下から物書きの旨い人が育ち、説 教癖のある人から説教の上手い人が育ち、立ち回 りの上手い人の下には上手く立ち回る人が出て くる。多様な資質をもった大きな人格の人からは 多様な人物が育って来るのである。このような関 係を見ると、人格の深層の資質が人を育てて行く ことが明らかになる。教育分析が大切な訳は心理 学を学ぶためのものではなく、真に自分の分析を 深めることにある。教育分析が個人分析と呼ばれ

る訳もそこにあるのである。

8 治療的な態度と治療関係

 ユング派の心理療法では、カルフの言う母子一

体性、つまり安全で温かく保護された関係の中で

クライエントは自由に自分を表現し治っていく

(12)

西村 洲衛男

と考えている。精神分析では自由で率直な対等な 話し合いの中でクライエントは内的な感情を自 分で理解し表現し統制し自立していくことが出 来るようになると考えていると思われる。ユング 派の態度は受容的であり、精神分析の人の態度は 対決的である。このように単純に割り切って考え

ることは著者の独断であるが、便宜的に治療的な 態度を受容と対決に分けて考えてみる。

 受容的な態度で接すると混乱するクライエン トがある。それは外向型の、解離性障害親和型性 格のクライエントの場合である。彼らは温かく受 け入れられていると、自分の全てを受け入れて貰 えると幻想する一方で、何も手応えがないので自 分が何処にいるのか、自分の本当の感情が何なの かさえわからなくなってくる。そして受け止めら れない不安は底知れぬ不安となって治療者への 執拗な係わり、依存となって現れる。この混乱状 態は境界例的人格に特有のものとされ、クライエ

ントは境界例と見られる。このようなクライエン トの、不安と攻撃にさらされ窮地に陥ったとき、

治療者が腹を括って自分の治療方針や治療構造 についてはっきりと述べると、相手は意外におと なしくなって安定する。境界例のクライエントに 手こずった経験のある治療者はこのような経験 をしている筈である。リミット・セッティングと いう言葉はこういうところから生まれてきた。境 界例が一時期流行っていたのに最近余り流行ら なくなった。これには様々な要因が働いていると 考えられるが、その一因は治療者の治療的態度が 受容的なものから対決的に変化したことにある と思われる。解離性障害親和型性格のクライエン トに対して受容的治療態度を取っていると、症状 は一時消えるかもしれないが、結局は次第に悪化

し、依存性が増大し、治療者の積極的な支えなし には不安が増大するばかりになる。大抵は治療者

が耐えられなくなり、何処かで治療者が怒りを爆 発させるか、治療構造を厳しくすることによって 困難を回避するのではなかろうか。これまでの多 くの境界例は受容的な心理療法によって引き起 こされた問題で、いわゆる、医原病の一つではな かったかと思われる。このような現象は転移・逆 転移では説明でき難いのである。

 あるタイプのクライエントは治療者の受容的 な態度に向けて退行し、赤ん坊になる。この退行 状態が治療者や親にとって受容可能なときは人 生を最初からやり直すことになり、劇的な効果が 得られることがある。青年期のクライエントが親 に抱いてもらって風呂に入ったり、哺乳瓶でお乳 を飲むような経験を幻想や遊び、あるいは実際に 経験することによって立ち直る事例があった。し かし、その退行を治療者が受け入れないと、クラ イエントは退行したまま混乱状態が続くことに なる。これは治療者が引き起こした問題である。

その場合、治療者が持ちこたえる力がなく、おそ らく、スーパービジョンを受けずに心理療法を行 っているのである。街のカウンセリング・スクー ルで心理療法を聞いて始めたカウンセラーが 時々このような経験をしている。これはいたずら に心理療法を講義している講座や講師の責任で

ある。

 治療者が対決姿勢で望む場合、自分の弱さ惨め さを理解し受入れてもらおうとするクライエン

トは常に治療者の突き放しに拒まれ、益々惨めに なり弱くなる。クライエントは傷つき抑うつ的に なって、人生への希望を失う。元々治療者に対し て一言自分の意見を言うことが出来ない人達は、

努力して良く学び権威のある精神分析の理論を

背景として自信に満ちた治療者に全く頭が上が

らない。かといって一旦始めた治療関係を解消す

るわけにもいかない。治療はまだ終わっていない。

(13)

と言うよりもまだ問題が出たばかりだ。問題点を 明らかにされるばかりで少しも前に進まない。何 時もスタート地点に立っているようなものだ。治 療者から離れるのはさらに苦しい。この解決され ない問題を誰に救って貰えるのか、呆然としてい る。そういうクライエントに相談された人も少な くないと思われる。

 自分の弱さ惨めさを理解し受け入れて貰いた い人は受容的な治療者のところに行くべきであ るし、自分の弱みを見せず只管頑張って自己顕示 的に生きている人は対決的治療者のところに行 くべきなのである。そうすれば境界例も、自信喪 失によって強い抑うつ状態になったクライエン

トも救われるのではなかろうか。

 治療関係をこのように性格の適合性で見てい くことは治療関係の混乱を避けるために是非と も必要なことだと考える。

9 まとめ

 転移・逆転移から見える世界は様々で広い。そ れを超えた世界はさらに広い。われわれは精神分 析やユング心理学を自分の世界と考えている。し かし、それはフロイトやユングが開いた世界像で しかない。数学の世界では、平行線の問題から世 界は一つではないことが明らかになった。ユーク リッド幾何学に対して、非ユークリッド幾何学が 出来上がった。世界は定義から出発するのではな

く、仮定から出発し、そこから構築できる世界を 探求することになった。数学の世界はイマジネー ションの世界に広がったのである。心理学もそろ そろフロイトやユングの世界観を超越して、それ ぞれが自分の経験に基づいて考えるようになっ てよいのではないかと思う。

 フロイトやユングは臨床経験に基づいた思索 から自分の心理学を構築した。その背景には豊か

な哲学の知識があったのではないか。ユングの定 義集を読むとわかる感じがする。われわれが自分 の心理学を作るには何か後ろ盾となるものが必 要ではなかろうか。

 大江健三郎は小説を書くに当たってイェーツ らの詩に拠っている。河合隼雄は昔話や神話を使 って心理学をのべた。このように心の世界は何か に依拠しないと探求し難いところがあるのでは なかろうか。

 筆者はローレンツ、Kの動物行動学が心を考え る上で参考になった。だから、そばにいる猫や犬 の行動も大いに参考になった。心理学の構築のた めに音楽やスポーツも役にたつのではなかろう か。そこから新しい心理学が現れてくるに違いな

い。

この小論では筆者の経験や見聞したことがらを 基に思いっくものを述べた。少しずつではあるが、

従来の理論から抜け出してわれわれの、そしてク ライエントにも役に立つ心理療法の理論を発展 させて行きたい。

 本論で述べたかったことをここにまとめてお

く。

① 転移一逆転移の問題は厄介な問題であると  考えられているが、実は厄介なのは、男性治療  者と女性クライエントの間に起こる恋愛性の  転移である。それ以外の転移は余り問題となら

 ない。

② 治療者が学習した理論的な見方が逆転移と  して治療関係を歪めていることがある。

③治療関係は治療者とクライエントの資質が  かかわり合う刺激と反応の関係であると考え  た方が適切である。

④ 治療者の態度とクライエントの性格が不適

 合の場合、クライエントに重大な混乱が発生す

 る可能性があることが上げられる。

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西村 洲衛男

  解離性障害親和型性格のクライエントに対  して治療者が受容的な態度で積極的に係わる  と、クライエントの心理は乖離的となり、離人  感や強い不安が生じ、いわゆる境界例となる。

 これは治療者が対決的態度をとってクライエ  ントと一定の距離を置くことによって治まる。

  一方、自分の弱さや惨めさを受け入れて貰い  たくて依存的になるクライエントに対して、対  決姿勢で、いわゆる分析的な態度で依存欲求の  親子関係の転移の分析を行うと、クライエント  は依存欲求を受け入れて貰えなくて、欲求不満  となり、攻撃的になったり、反対に悲観的抑う  っ的になったりする。

⑤心の関係においては、雰囲気や気配で影響し  合うものがある。無意識の深いところで、相手  の心の姿を認知している。そのレベルは意識化  も操作もできない。個人分析やスーパービジョ  ンによってのみ対処できる。心理臨床家は、ど  んなに経験を積んでも、仕事の実際においてス

 一パーバイザーを必要とする理由がここにあ

 る。

 以上のようなことから、われわれは転移という あいまいな概念を離れて、治療関係の中に起こっ ている感情的な関係を刺激と反応という観点か ら詳しく観察し、適切な対応を研究して行くこと が望ましいと考える。

文献

氏原 寛,成田善弘編著 転移一逆転移 創元社   1997

河合隼雄編著 臨床的知の探究 上 創元社   1990

マイヤー,C.A秋山さと子 訳 ソウル・アン   ド・ボディ 法蔵館 1989

坂本幸雄 岩本 裕 法華経 岩波文庫 1959

ローレンツ,K 日高敏隆 久保和彦訳 攻撃

  みすず書房 1970

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