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(1)

F.R. リーヴィスと英文学の教育

著者 倉持 三郎

雑誌名 英語英文学研究

巻 8

ページ 3‑22

発行年 2002‑09

出版者 東京家政大学文学部英語英文学科

URL http://id.nii.ac.jp/1653/00009637/

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F.R.リーヴィスと英文学の教育

倉 持 三 郎

1 忘却された批評家

 F.R.リーヴィス(Leavis,1895−1978)は、英文学の批評において一時代を っくった。しかし死後30年以上経った現在では過去の批評家と考えられて きている。ウィドーソン(Peter Widdowson)は、『ポストモダンのD.H.

ロレンス』(D.H.Lαωrence,1992)のなかで、それまで低い評価しか与えら れなかったロレンスを、1950年代に復活させ、代表的作家としての位置付 けを与えた批評家のひとりとしてリーヴィスを評価する一方、彼を1960年 代の「モラルフォーマリズム」のなかに入れてしまい、過去の批評家である

とする。

 フライシュマン(Avrom Fleishman)も、リーヴィスを時代遅れであると する。      ・

今日、多くの読者にとって、昨日の新批評のフォ 一一マリストのロレンスの 小説にたいする不満は時代遅れのようであるが、同様に、F.R.リーヴィ スとその門弟たちの人間主義的な弁護もそうなっている。思考のパラダイ ム転換がほとんど毎日のように起こっている、加速的に変化する現代文明 において、ロレンスほどの力量の作家は新しい様々な言説に必然的にさら される。(Keith Brown 109)

こういう時期にこそ、リーヴィスのしたことは一体何であったか、もう一

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度考え、そして何を今後に残すべきか考える必要がある。

2教育者としてのリーヴィス

 リーヴィスは本質的に教育者であった。すぐれた批評家であったが、批評 家のなかには教育者がいた。そして英文学研究を大学教育のなかに位置付け ようとした。

 彼はケンブリッジで生まれ、ケンブリッジ大学に学んだ。第1次大戦のと きは、西部戦線で担架運搬係をした。(Brooke 389)(1)大戦が終わったあ と歴史学を専攻したが、1学年の終わりに英文学に転じた。(2)のち母校でほ ぼ生涯教えた。

 ケンブリッジ大学では、英文学が学科目になるのは他の大学よりおそかっ た。1910年代までは、英文学(English)は、中世、近代言語の一部であった。

「英文学は、教養ある男女の所有物であり、とくに専門科目になることを防 ぎ、専門家から守らねばならなかった。」(Brooke 444)英文学はもっぱら楽 しむものであり、学問研究の対象ではなかった。

 1910年から1912年にハームズワス(Sir Harold Harmsworth)がエドワー ド7世英文学教授のポストを創設した。これは、英文学を文献学と語学研究 の対象ではなくて、文学的、批評的に扱うためであった。最初の教授はA.

W.ヴェロール(Verrall)であった。ヴェロールが1912年になくなると、そ のあとをクゥィラクーチ(Sir Arthur Quiller−Couch)が継いだ。彼は小説 家であり、批評、研究というよりも英文学を楽しむという傾向を持っていた。

(Brooke 445)

 大戦後、ケンブリッジ大学の英文学研究は変化してきた。E.M.W.ティリ ヤード(Tillyard)とウィリー(Basil Willey)が英文学の研究に歴史的基礎 を与えた。ティリヤードは『ミルトン』(Milton,1930)、『エリザベス朝の 世界像(The Elizαbethαn World Picture,1943)などで知られ、ウィリー

は『17世紀の背景』(The Seventeenth Century Bαchground,1934)など

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の、一連の背景史の研究で知られる。新しい世代として1.A.リチャーズ

(Richards)は『文学批評の原理』(Principles()f Literαry Criticism,1924)

を出し、1926年、モードリン・コレッジの特別研究員(Fellow)になった。

 リーヴィスは、母校で1927年に講師補(Probationary lecturer)になった。

1937年から60年まで講師(Lecturer)で60年から62年まで、上級講師

(Reader)であった。彼の批評の性格はこのように、学生に英文学を教える という条件によって決定づけられた。

 1929年、彼は教え子のクィニー・ロス(Queenie Dorothy Roth)と結婚し た。彼女は、終生、リーヴィスのよき共同研究者であった。リーヴィスは自 らに次のように問うている。

英文学は、人文科学の主要科目としての承認された地位と、教育にたいす る重要な責任を果たしてきているだろうか。大学のレベルにふさわしい基 準にてらして、いやしくも教育を与えてきているだろうか。……英文学 部における本質的な訓練は文学批評(literary−critical)である。それは、

本質的な訓練であり、英文学部においてのみ行われるものであり、埋め合 わせのできないものである。 (Educαtionαnd the University 33−4)

 さらにリーヴィスは、LC.ナイッ(Knights)らと季刊文芸雑誌、 Scrutiny

(1932−53)を刊行し活発な批評活動を行った。

 歴史的な意味ではRR.リーヴィスの英文学研究で果した功績は評価され ている。マルキシズムの立場に立っイーグルトン(Terry Eagleton)でさえも 高く評価している。

英文学を真摯な学問に仕立てあげる過程で、これらの人々は、戦前の上流

階級世代が抱いていた諸前提をことごとく破壊した。英文学批評の運動で

これ以降、これほどの勇気と急進性を帯びたものはない。1920年代初頭

には英文学が研究にあたいする課目かどうかはっきりしなかったのに、

(5)

1930年代の初期には、英文学以外のことに時間をっいやして何になるの かが問題になるくらいであった。英文学は研究にあたいする学問であるだ けではなくて、最高の文化的仕事であり、社会組織の精神的本質となった。

(Eagleton 27)(3)

イーグルトンはまた次のようにも書いている。

数編の詩や小説くらいを読もうとケンブリッジ大学に入学した学生は、す ぐに知った。 英文学は多くの学科目のうちで主要な科目であるばかりで はなく、一番中心の学科目であり、法学、政治学、自然科学、哲学、ある いは歴史学よりもはるかにすぐれた科目であった。

(Eagleton 28)

 リーヴィスらの努力により英文学にたいする学生の見方がこんなに違って きたことは驚くべきことである。イーグルトンはマルキシズムの立場に立 っから、このあと、リーヴィスの限界にっいては書いているが、英文学研究 を大学教育の一環として位置付けた功績は十分に認めている。

3 大衆文明のなかでの少数派文化の育成

 r大衆文明と少数派文化』(MαSS Civilizαtionαnd Minority Culture,

1930)は、リーヴィスの最初の著書である。この表題は、リーヴィスの考え 方の基本を示している。「大衆文明」とは、科学・技術の発達により広がって

きた物質文明である。交通機関の発達はそのひとっである。鉄道は発達し、

昔は想像できなかったように一般の人々も旅行ができるようになった。自動 車が普及してきた。また映画の発達で娯楽も急速に拡大した。この時点では テレビはまだないがラジオは普及してきた。

 大衆文明の出現によって、文化の平準化が進んだ。交通機関、マスメディ

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アの発達により、多数の人々が、より広い経験を持ち、より多くの知識を手 に入れることができるようになった。しかしその反面では、付和雷同する傾 向も出てくる。リーヴィスは「多数派」は、彼の望むような、本当の「文化」

を持っていないのでないかと危惧している。悪くすると、文化を持たない

「多数派」が、文化を持っ「少数派」を追い出すのではないかと考える。

 その傾向を、リーヴィスは、経済学の用語「グレシャムの法則」(Gresham s Law)で説明する。っまり、悪貨は良貨を駆逐するというのである。新聞、

放送、映画において文化の大衆化が広がっていく。しかし、それは受け身の 文化なのだとリーヴィスは考える。

これはまた、平凡なことである。しかし、平凡なことではあるが、主張す る必要があることだ。なぜなら同じ「心理学的なグレシャムの法則」は、

新聞よりももっと広範囲に適用される。それは、映画に適用されてもっと 悲惨な結果を招く。というのは、映画はもっと強力な影響力を持っからで ある。……ラジオ放送の持つ平準化する影響力は、ほとんど疑いの余 地がない。この国ではハリウッド映画がまったく商業的な搾取をしてはい ないので、レベルダウンは、それほど明白ではない。しかし多分映画と同

じように、放送は、実際は主に受け身的な気晴らしの手段である。

(Educαtion αnd the University  149−50)

 大衆文明の時代には大量消費が起こる。販売のために広告の必要が生じ る。広告は大衆文明の時代の特徴的現象である。リーヴィスは、大衆文明に おける広告の果たす役割に触れる。

われわれの文明を特徴づける安価な反応のたくみな利用を考えるとき、歴 史における新しい要素は、応用心理学の先例を見ないような利用である。

これはハリウッド映画におもねると思われるかも知れないが、そうであっ

ても、広告と、過去、2、30年のその進歩を考えるとき、それは疑いがな

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いことである。 (Educαtionαnd the University 150)

 広告は一般大衆に訴える形で行われる。現在ではテレビのコマーシャルと いう形で行われている。応用心理学が製品を売るために利用されている。そ の製品が本当によいものだという錯覚を聴視者にあたえる。商品が本当によ いかどうか判断する前にすでに広告宣伝によってよいという印象を植えっけ られる。受け身の文化の特徴である。

 『大衆文明と少数派文化』は1930年に書かれた文明論であるが、70年後 に読んでみてもよく理解できる。現在もまた、リーヴィスの言う「大衆文明」

の延長なのである。

 大衆文明はただ物質文明の発達を意味するだけではなくて、政治的にも大 衆社会が出現したことを意味する。『大衆文明と少数派文化』の出た2年前 の1928年には、女性に参政権が与えられた。ここに至って、イギリスにお いて完全な普通選挙権が認められた。これは「大衆」が完全に法律的に認知 されたことを意味する。2年後に『大衆文明と少数派文化』を書いたとき、

このことがリーヴィスの頭にあったろう。すべての人々が選挙権を持っこと はよいことには違いないが、悪くすると付和雷同で悪い方に行くかも知れな  (4) いo

 リーヴィスの本の題名の「大衆文明」と「少数派文化」は、彼の批評の基 本的な概念を表している。「大衆文明」が支配的な時代にあって、リーヴィ

スは、「少数派文化」を守り、っくろうとした。

いかなる時代においても、芸術と文学のすぐれた理解は少数の人々による

のである。自主的で、直接体験による判断ができるのは、(純粋で親しい

人びとの場合を除いては)少数の人びとだけである。真実の、個人的な反

応(genuine, personal response)によって、そのような直接体験的な判

断を保証することができるのは、増えてはいるが、依然として少数派の人々

である。受け入れられている価値というのは、ごく少量の金に基づく一種

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の紙幣である。 (Educαtionαnd the University 143)

4 リーヴィスの先達、アーノルド

 リーヴィスはアーノルド(Matthew Arnold)の系統の批評家である。アー ノルドは『教養と無秩序』(Cultureαnd Anαrchy,1969)でイギリス人を野 蛮人(貴族)、俗物(中産階級)、大衆(無教養)に分けた。そしてヘレニズムに 基づく教養を身にっけることの重要さを説いた。

 リーヴィスは最初の著書、r大衆文明と少数派文化』の題辞にアーノルド のr教養と無秩序』からの次の文章をのせている。

この(教養)の機能は、現代世界ではとくに重要である。なぜならば、ギ リシャ、ローマの文明より、かなりひどく機械的、外面的であるからであ り、常にさらにそうなる傾向にあるからである。

(Educαtion αnd the University 143)

 引用文にある「機能」(function)は重要な語である。アーノルドには「批 評の機能」(The Function of Criticism)というエッセイがある。批評が機 能を持っということである。批評は、それだけで存在するのではなくて、何 かの機能を持ち、何かの働きをするということである。俗な言い方をすれば、

何か偉そうなことを言っているから批評はよいのではない。ある働きをする から重要だということである。

 アーノルドは批評がある機能を持っから重要であると考えた。その機能は、

「野蛮人」を文明化するということである。機械的、外面的といっているの は、産業革命の結果、物質生活は向上したが、教養の面は不十分で、産業が 中心で、鉄道と石炭がないとイギリスは衰退するという考え方であり、物を 生産し利益をあげることを優先させる考えである。

 1851年のロンドンにおける万国博覧会の成功にもあらわれるように、イ

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ギリスは世界の工場としての地位は確立した。海外の植民地に製品を売り、

巨額な富を得ていた。1850年から60年代に一番富裕になったのが、中産階 級である。彼らの精神は「工業化の精神」とも言えるものであった。

 『教養と無秩序』出版の2年前の1867年には第2次選挙法が成立して、富 裕な労働者階級に選挙権があたえられた。労働者が政治的発言ができるよう になった。しかし、アーノルドは、政治的権利を持っにはそれにふさわしい 教養を身にっけることが必要だと考えた。督学官であるアーノルドには当然 であったろう。

5 偉大さの追求と伝達

 英文学を大学の科目のひとっとして位置づけた場合、何を教えるのかが問 題となる。ただ知識を詰め込むのでは不十分である。リーヴィスは、それを

「偉大さ」(greatness)の追求に求めた。それは、リーヴィスの主著、 The Greαt Trαditionを見れば分かる。「伝統」だけでは不十分である。「偉大 な」伝統でなければならない。研究にしても、批評にしても、「偉大さ」が

リーヴィスのキーワードである。偉大なる作家、作品を求める。ただ分析し たり説明したりすることではない。ただの解釈であってはならない。英文学 を教えることは「偉大さ」の発見であり、伝達でなければならない。

 リーヴィスは大学で読み、研究すべき作家をまず決める。チョーサー、

シェイクスピアからはじまり、20世紀はリーヴィスより約10歳年上のD.H.

ロレンスで終わる。

 偉大さは他人に決めてもらうわけにはいかぬ。文学史に書いてあることは その保証にはならぬ。リーヴィスは自分で、偉大な作家、作品を発見しよう とする。リーヴィスの批評誌Scrutinyの誌名が示すように、作家と作品を

「吟味」しなければならない。

 ティリヤードのミルトン論をリーヴィスは、 In Defence of Milton で

批判する。

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彼(ティリヤード)は自分のミルトンー一まさに自分自身のミルトンを生 み出しただけである。そして真に注目に値する確信をもって、われわれに 偉大なミルトンの現代的代用品を提供する。というのは、ティリヤードの ミルトンには偉大さがない。現代的にしようとすることで精一杯である。

((:)ommon I)ursuit  36)

 英文学を教えることは、教育の目標として「偉大さ」を設定することであ        L

る。「偉大さ」という努力目標を設定することなしには人間教育はできない ということである。偉大な人材の養成のためには当然であろう。だから英文 学の作品でも偉大さのランキングをっくることになる。

 チョーサー、シェイクスピアを偉大であるとするのは当然であるが、バニ ヤンの『天路歴程』を称揚していることは特徴になろう。しかし、宗教的な 理由ではないとリーヴィスは繰り返していう。バニヤンはカルヴィン派であっ たが、そういうことを考えないでも読めると言う。

 『天路歴程』を神学的な意図を全然考えないで読むことは可能である。私 自身がその証人である。(AnnαKαreninα 33)

 この作品は18世紀に広く読まれ、ベストセラーであった。だから、いま さら傑作ということはないが、この作品をランキングの上位においたのは、

おそらくリーヴィスは、求道者バニヤンに自分の姿を重ね合わせているから であろう。

6 娯楽文学を排除する

 偉大な作家のリストアップのなかで一番意外なのは、はじめディケンズが

そのリストから除外されたことである。ディケンズを代表的作家のなかに入

れなかった理由は、娯楽的な作家と思ったからである。リーヴィスは、娯楽

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的なものを排除する。ディケンズは偉大だが娯楽的すぎるという。リーヴィ スにはバニヤンに通じるピューリタン的な面があるのだろう。

ディケンズは偉大な天才であり、永遠に古典のなかに入る。しかし、その 天才は大芸人としての才能である。彼は、大体は創造的芸術家とよばれる にふさわしいほどの責任がない。立派な批評文のなかで、ディケンズを激 賞して、サンタヤナ氏はこう結論する。「地球上のいたる所の英語圏のす べての家庭で、冬の夜など、親と子供たちがディケンズを音読して楽しむ。」

この指摘は正しい。そして意味深い。だが大人の精神は原則としては、ディ ケンズに並外れた、永続的な真摯さを目指す態度を見出さない。

(Greαt Trαdition  19)

7感受性の訓練

 これまで述べてきたことから、リーヴィスの批評の根底には堅苦しいほど の倫理性があることが分かる。たしかに倫理性はあるのだが文学作品から切 り離して倫理を教えるということはリーヴィスの本意ではない。作品と倫理 は切り離すことができない。作品を精読(close reading)できなくては批評 は始まらない。

すべては感受性の訓練から出発しなければならない。と同時に、「技巧」

(technique)のわなにかからぬように学生に用心させねばならない。すべ

ては感受性の訓練から出発し、それと結びっけなければならない。分析に

おいてたえまなく主張し、種々の練習をすることによって、文学は言葉か

らできていること、韻文や散文の批評において言うにあたいするすべての

ことは、頁の上の言葉の特別な配列にっいての判断に関連していることを

たたき込まねばならない。(Educationαnd the University 120)

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『マクベス』第1幕第6場で、マクベスの城に着いたときのダンカンとバ ンコーの対話のすばらしさをリーヴィスは分析する。

ここには、読者あるいは聞き手に正確な複雑な反応を強い、そして、文脈 にふさわしい情緒と連想の結合を喚起するシェイクスピアの、言葉を使用 する、すばらしい力の好例がある。(「ふさわしい」は分析を必要とする。)

この部分を通して、「楽しい」(pleasant)、 「甘く」(sweetly)、 「やさし い」(gentle)によって表現される要素が執拗に繰り返される。あまりに執 拗なので(編者から見ると)不適当なので「アーデン版」の編者はこうい

うコメントをつけている。「多分、予弁法の構造であろう。」しかし、「空気 はすばやく、快く動く」と「すばやく」という語によって表現される一連 の連想は、全体として重要である。われわれが岡の上の空気に吹かれてい る。それは、おいしいだけではない。新鮮で生き生きしている。すでに喚 起されている、「暗闇の毛布」の窒息させる感覚と鋭い対照をなしている。

しかし、それがすべてではない。この節のすべての語は役に立っ。たとえ ば、「寺院によくいる」はなぜであろうか。それは、「客」と「天」と結び っいて「歓待の神聖さ」に属する連想を喚起する。というのは、「天」は、

「寺院」に補強されて、さわやかな風の吹く空をさすだけではない。

(Educαtionαnd the University 123)

 リーヴィスはのちには小説批評に転じたが、『英詩の新らしい傾向』(Neω Beαrings in English Poetry,1932)の著書もあり、詩にたいして並々なら

ぬ関心を持っていた。詩にたいする深い理解が、上の引用文にも現れている。

倫理だけを求めて作品を読むのでは不十分である。

8 自然科学と文学 一スノウ批判

C.P.スノウ(Snow,1905−80)のケンブリッジ大学での講演、「二っの文化

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と科学革命」にリーヴィスは反発する。リーヴィスの批判は「ふたっの文化?

C.P.スノウの意義」(7ωoσμZ加rθs2 The Significαnce of C,P.Snoω,1962)

として公刊されている。

 まずスノウの主張を要約すると、現在、文化は二っに分かれているという。

ひとっはスノウの言葉で言えば「伝統文化」である。これは、いわゆる人文 科学を基礎とした文化である。他は自然科学を基礎とした文化である。この 二つの文化の間の溝が深まっている。たとえば自然科学者は文学作品を読ま ない。読むとしても大衆小説のようなものである。これには文学研究者にも 責任がある。「新批評」のように作品の細部にこだわって文学作品に期待さ れている叙事詩性など忘れているからである。他方、文学者は自然科学にっ いて無知である。たとえば「熱力学の第2法則」を知らない。実は、これは 文学で言えばシェイクスピアを読んでいないことと同じある。

 これにたいしてリーヴィスは反論する。スノウは人間をモノとして考えて いるのではあるまいか。人間を統計的に量的に考えるのは自然科学者の陥り やすり通弊である。スノウはまさにその誤りを犯している。人間にとって一 番重要なことは何であるか。それは「生以外の何ものでもない。」「生」とは 何か。モノとどこが違うか。個々の存在がそれぞれ互いに違うということで ある。言葉を換えれば、それぞれ独自だということである。

9D.H.ロレンス論一  disquality の評価

 リーヴィスは、ロレンスにっいて、その disquality を評価する。その 著、『小説家、D.H.ロレンス』(D.H,Lαωrence Novelist)のなかでリーヴィ スが論じた disquality にっいて考えたい。まずその語が出る節を引用す

る。

 『恋する女たち』(Women in Love)の第17章「産業王」(The Industrial

Magnate)でバーキン(Birkin)がその語を使う。

(14)

炭坑夫たちの頭に次の観念が浮かんだ。「地球上のすべての人間は平等で ある。」そして彼らはその観念を物質的な成就にまで持って行った。結局 それはキリストの教えではないか。もし物質界の行動の胚芽にならないの なら、観念など何の役に立っのか。「すべの人間は精神的に平等である。

彼らは、すべて神の子である。それなのに、この明らかな disquality はどこから来るのか。それは物質的な結論まで持って行った宗教的信条で ある。すくなくともトマス・クライチには答はなかった。彼の誠実な主義 によって、彼は disquality は間違っていると認めざるを得なかった。

自分が disquality の原因をっくっているのは分かっていたが、自分の 財産をあきらめるわけにはいかなかった。 (四〇mθπin Love,225)

  disquality はOED(Second Edition)に見当たらない。 Second Edition にロレンスの作品から、多くの新語と、新意義が採用されている。Bibilio−

graphyを見ると、 Lαdy Oんα亡亡er♂θッ唇Lover(1928)も含めて、ロレンスの 作品のほとんどすべてがあげられてあり、当然、VVomen in Love(1920)、

(イギリス版、1921)があげられてあるので、編集者がこの作品を読まなかっ たはずはない。四文字語もChαtterleyから引用しているのだから、Women in Loveを読んだら、それまでOEDになかった disquality に気づかな かったはずはない。なぜOEDにのせなかったのか。編集者は、この語がも

しかしたら、新造語でのせるに値しないと思ったのではないか。

 VVomen in Love出版の際、原稿の校閲者がこの新語に気が付いた。そ して、鉛筆で下線を引いた。疑問に思ったのである。ケンブリッジ版の注

(556頁)によると、タイプ原稿(71S乃)の3か所の disquality に鉛筆で下線 が引いてある。注釈者の意見では、ここを読んだ校閲者が疑問に思ったので ある。TS乃をもとにしたタイプ原稿、 TSIIにも一か所、下線があるという。

しかしロレンスはこの語を残した。

 つまりイギリス人の校閲者も不審に思ったのである。それほどこの語は見

慣れぬ語である。しかし、リーヴィスはこの語をロレンスは気まぐれに使っ

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たのではなく重大な意味があるとする。

 OEDの編集者は、編集の過程でリーヴィスの disquality の解釈を知っ ていたであろう。しかしリーヴィスの解釈に従わなかった。リーヴィスの解 釈を疑問視したのであろう。

 リーヴィスは disquality にっいて独自で明確な解釈を示す。

disquality という語は、ロレンスにとって、育ちの悪いきまぐれでは ない。「不平等」の無意味な代用語ではない。それは本質的な主張を記録 する。その語が主張する真実は、私の想像だが、偉大な小説家ならだれし も否定することを考えることができないような真実である。ロレンスはそ れを『恋する女たち』のなかで主張している。その理由は、それが産業文 明と、登場人物が属する社会に広がっている政治思想の診断的叙述のため

にとくに重要だからである。(D.H.Lαωrence : IVovelist 160−1)

 この語は inequality (不平等)の代用ではないとリーヴィスは言う。こ の語を使うことによって本質的な主張をしていると言う。しかし、『恋する 女たち』の文脈からは「不平等」の意味と解釈できる。引用した225頁の部 分の小川和夫訳では、「不平等」とある。「それならばこのあきらかな不平等 はどこから来るのか?」(5)で、意味はよく理解できる。リーヴィスはこの文 脈を無視して disquality に特別な意味を持たせようとしていると思う。し たがって、リーヴィスの『小説家、D.H.ロレンス』の文では、「不平等」と訳 せない。中村喜夫、岩崎宗治訳では disquality は「異質性」と訳されてい る。「ならばこの明らかな異質性はどこから生じたのであろうか?」(6)しかし、

「異質性」だと、「不平等」よりは、『恋する女たち』の文脈からはずれる。

リーヴィスはそれを承知の上で独特な解釈をしているとしか考えられない。

 このような解釈をする論拠として、リーヴィスは、同じく『恋する女たち』

の第8章、「ブレダルビー」(Breadalby)に言及する。この章では、ブレダル

ビー邸に集まった人達が議論する。「社会的平等」ということが話題になる

(16)

が、バーキンは、ハーマイニ(Hermione)に言う。

われわれはすべて精神的に異なり、不平等である。社会的差というのがあ るが、それは偶然の物質的な状態に基づくものにすぎない。われわれは、

たとえば、抽象的、あるいは数学的には平等である。すべての人は飢え、

渇く。ふたっの眼を持ち、ひとっの鼻を持ち、2本の脚を持っ。数の点で はわれわれは同じである。しかし精神的には純粋な相違があるだけだ。平 等も不平等も問題にならない。……ひとりの人間は他の人間よりまさる

ということはない。それは彼らが平等だからだという理由ではない。彼ら は、本質的に「他者」であり、比較のしようがないからである。

(VVomen in Love  103−4)

 ひとりの人間は他の人間よりまさるということはない。他人は「他者」で あり比較できないものである。

  disquality について、リーヴィスは、『小説家、 D.H.ロレンス』のほか の場所でも言及する。それは第2章『虹』(The Rαinbow)論のところであ

る。

生は個人の生活のことであり、個人的生活以外には関心をもっか、畏敬す る生もなく、仕えるべき生もないという知覚にロレンスほど深くとらわれ ていた者はいないのである。……彼(ロレンス)が、『恋する女たち』の なかで disquality という語によって強調している真実にっいての彼の 感覚は、その作品のいたるところで、一種の宗教的情熱として感知される。

(D・H・Lαωrence : IVovelist 102)

また第7章で The Princess を論じるとき disquality に言及する。

個人の disquality にたいするロレンスの主張は、補完的真理にたいす

(17)

る、鋭い洞察力をともなった執着と切り離すことができない。その真理と は、他人の生活との関係なしには個人は無であるということである。

(1)・H・LαtV「ence .〈[ovelist 270)

 個人には独自性があり、それを互いに認あなければならないという主張で ある。しかし、同時にそれは他人の独自性を認めることである。

生の本質的表示としての、個人、あるいは個人における「成就」の主張は、

それとともに、ひとっの系を持っている。(ロレンスはt予情的といわれる が、それよりは)小説家の特別の天職をより間違いなく示すものである。

すなわち個人が成就をなしとげることができるのは、他人との、一番精妙 で複雑な感応しあう関係を持っことによるのみである。

(D・H・Lαω「ence 1>bz/elist 103)

 リーヴィスは、教室でロレンスを教えるときには disquality の重要さ を強調したかったのである。人間はそれぞれ独自性があり、比較できないも のである。そういう独自な人間は孤立しているかぎりは意味はない。他者と 関係を持っことで、成就に達するということである。このことを逆に言えば、

付和雷同して表面的に関係を持っているように見えながら、自分の独自性を 自覚しない人々にたいする批判でもある。

10 見識があり責任感のある人材の育成

 現代はポストモダンの時代と言われる。この時代におけるリーヴィスの意 義は何であろうか。フレデリック・ジェイムソンによれば、ポストモダンは

「後期産業社会」の特徴をあらわす。従来の産業社会が生活必需品の生産を 特徴とすれば、現在は、消費、大衆娯楽、情報、ハイテク、マスメディア、

エレクトロニクスが特徴になっている。現代はリーヴィスのいう「大衆文明」

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の時代である。

 1930年にリーヴィスがr大衆文明と少数派文化」を書いて予言した「大 衆文明」が到来したと言ってよい。大衆文明を否定する必要はあるまいし、

否定などはできない。ただ、「少数派文化」がそれに呑みこまれてはなるま い。「少数派文化」は識見や判断力、責任感のある少数の人たちの文化であ る。そういう人間はっねに必要であり、そういう人間が柱石のように存在す れば、社会は安泰であるとリーヴィスは考えている。

 リーヴィスが教えていたのは主にケンブリッジ大学だから、彼の教育は特 定のエリート教育だと考えられるかも知れない。しかし、もっと広い範囲で 自分で判断できる、社会の中堅的な人材の教育を考えていたのではないかと 思う。付和雷同ではなくて、自分の意見を持てる人、自分に責任を持てる人、

「地の塩」のような人材を育てることを考えていたのであろう。大衆文明が 低きに流れるということでは困る。他人の他者性に十分配慮ができる人間の 養成が必要である。英文学の教育のみによってそういう人材ができるという のは英文学の過信だとしても、英文学の教育の目標をそこにおくことは必要

である。

(1)第1次大戦がはじまると、ケンブリッジ大学の卒業生、在学生は志願兵   として出征した。1909年から10年にかけては、男子学生数は、3699人   であったが、大戦勃発数週間後の1914年のミクルマス学期には、その数   は1658人に減った。1915年までには825人になり、1916年のイースター   学期には、575人になった。女子学生はコンスタントに約400人であった。

(2)1917年までは英文学では学位は取得できなかった。

(3)イーグルトンはリーヴィスら新しい英文学批評を起こした人たちの階級   に言及する。彼らは以前の上流階級の教師たちとは階級が違っている。

  リーヴィスは、楽器商の息子で、Q.D.リーヴィスは、呉服商の娘で、

(19)

  1.A.リチャーズは、チェシャー州の労働監督の息子であった。つまり下   層中産階級の子女であった。

   そのイデオロギーも従来の教師とは違うとイーグルトンはいう。「英   文学の建築家たちの下層中産階級の出身だということは、ここの問題と   関連がある。非国教徒で、地方出身で、努力家で、良心的であったから、

  スクルーティニー派は、伝統的大学での初期の英文学教授であった上流   階級の英国紳士たちの気まぐれなアマチュアリズムとたいして自分を区   別することは簡単にできた」(Eagleton 31)

(4)D.H.ロレンスも詩、 Flapper Vote において、すべての成人女性に   選挙権が与えられたことを椰楡している。投票してあげるから、髪の毛   をカールさせるお小遣いをくれという類の女性たちに言及する。その位   の意識しかないというのだ。これは、ロレンスに女性にたいする偏見が   あったということではなくて、無自覚な選挙民にたいする一種の危惧が   あったということだろう。

(5)「集英社ギャラリー[世界の文学]4イギリスIII』(集英社、1991年)

  883頁。

(6)中村喜夫、岩崎宗治共訳『小説家D.H.ロレンス』 (文理、1976年)

  215頁。

主要文献

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参照

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