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である その 威 風 堂 今 と 生 命 力 に 脱 I~ 目

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(1)

議 賀 ' 県 立 大 学 人 間 文 化 学 部

人¥玄化

│ 

BULLETIN  VOL. 

2 1  

研 究 報 告

SCHOOL OF HUMAN CULTURES  THE UNIVERSITY OF SHIGA PEFECTURE

(2)

‑もくじ・

巻 頭 言/小林清一

一一・・……...… ・… …・…・・

1

.座談会

人間文化座談会一法人化かう

1 年を経過して‑

/菅省文則・酉矢慎介・灘本知憲・細馬宏通・山根 周

. . . . 3

‑研究ノート

タンザ二ア連合共和国、 トングウ工の人々とことば ーマ)¥レ山塊国立公園における野生チンパンジー調査から

/藤本麻里子

24 

‑滋賀県の考古学第 10 回

近江田庁・国府調査研究の現状と課題/平井美典・目・・・・・・・

32

・生活デザインの現場か

5

8 回

生活デザイン専攻卒業研究発表展示会/南 政 宏 一

43 

‑人間文化通信

2006

年度卒業論文・修士論文・博士論文 覧・ー・…

45 

INFORMAT I ON 

・・・0・・・...・・・・0・・・・・・・a・・・・・0・・・・

. 4 9

編集後記

‑巨樹「モチ」・

滋賀県立大学は平成74月にオープンし た。間も無くある企業から樹齢400年かと思 われる モチ」の巨樹が移植された。養生の ため根や校は切りつめられ包帯が巻かれて誠 に痛々しい状態であった。ところが少しずつ 回復し枝を伸ばして来た。見事に蘇生したの である その威風堂今と生命力に脱 I~目

紙・鉛筆・顔彩

絵 ・ 文 安 土 倭

(3)

一 一 一 一

度 口

か 苧

連凋

学部長

人間文化学部

. ︑

Ad+ ﹂

資料集めにアメリカの図書館を回った時、些細なやりとりの中に日本とは異なる行動様式を見て、

いつまでも忘れられないことがある。

(アバウト、その1)初めてニューヨークに行った際に、当時関心をもっていた第32代大統領、

F.D.ローズベルトの生家を見に行くことにして、長距離パスに乗った。ところが、一つ手前の停留所を すぎて、かなり走っているのに運転手はいっこうにめざす停留所の名を告げてくれない。心配になっ て聞いてみたら、その場所はすでに過ぎたという。ニューヨークのその地域では停留所そのものがな く、乗客はパスを見つけて手を振って乗り込み、適当な場所でおろしてもらう、ということであった。 パスは一日数本、時間は適当である。ものすご、い田舎なので泊まるところもない。意を決して、 8月 の炎天下、定められた停留所のある隣「町」まで、延々と 7、 8キロを歩いた。決められた停留所を、

時刻表にしたがってパスが運行される、文明固まで帰ってきた時には、さすがにホッとして、よく冷 えたパドワイザーは、文明の味がしてうまかった。

(アバウト、その2)公文書館や特別な図書館に行く時は、 昼食は抜きで、閉館まで閲覧室にこも る体制をとった。その分朝飯をきちんととらなければならなかったが、ワシントンD.Cでは気に入った 庖が見つかった。その屈が印象深かったのは、料金の決定方式が独特だったことによる。ハムも肉も パンも野菜も果物も好きなだけとって、合計XgだからYドルZセントです、というのがその庖の決定 方式であった。私たちの生活圏では、品物それぞれに単価が定められ、かけて足して合計される。も のの価格はその質と本性的に結合している。それに対してこの庖では、品物の質は価格から切り離さ れ、価格は一様に重量によって決定される。合計の重量のみが価格の決定因となるのである。この方 式は、マルクスが使った、「ニンジンと音楽と、公証人手数料」の 「関係あるいは無関係」の比輸を思 いださせるが、興味深いのは、その方式を成立させる、ものの捉え方である。13.000円、食べ放題」方 式とも異なっているように思える。アメリカは「法」によって秩序を形成する社会だが、「その法は形 式主義化することによって「科学

J

になった」、というホロビッツの説を思い浮かべたりした。

(エスニックと労働)アメリカ人は、アメリカは何よりも労働の国だと思っている。自由と労働が 異常に強いイデオロギー的規制力となるのは、個人主義におけるアイデンテイティ形成の基礎が、そ れによって形成されるからである。単純サービス労働もその例外ではない。

ワシン トンD.C.は黒人人口の比率が高い地域であるから、政府はマイノリティの雇用維持に神経を使 っている。多くの公的機関が、機械化・合理化を抑えて単純労働を残し、黒人の雇用を維持する姿勢 を一貫させている。たとえば、「連邦議会図書館」では、希望する書籍・資料を中央カウンターに依頼 すると、それぞれの座席まで持ってきてくれるが、サービス員のほとんどはマイノリティである。

「国立公文書館」でこんな場面に遭遇した。そこでは書類をコピーする際には、機密に関わることが あるので、担当者に許可を得てコピーをすることになっている。だが、 しばしば担当者が席を空け、

黒人の少年がその代役を引きうける場合があった。ある年輩の教授が微妙な判断を必要とする文書を コピーする時に、その少年では理解できないだろうと判断して、彼をとばして直接、管理職に許可を 求めた。その時、無視された少年のとった行動が鮮やかであった。彼は年輩のその教授に向かつて、

激しく抗議したのであった。「あなたは、私ではその任に堪えないと思っているのか?

J

一瞬、その場 は凍り付いたのだが、仕事が個人の権利意識と関連してどれほどの重みをエスニック集団に与えるも

人間文化・

(4)

のであるかを、実感させられた瞬間であった。

(エスニックと労働、その2)だが、同じ仕事でも、異なる意味を帯びることがある。IN.Y.医学 アカデミー」の図書館で体験した事例がそうだ、った。

これらの機関では、単純サービス労働はマイノリテイが、管理職は白人が占めるのが一般的であるが、

たまたま受付で案内事務を担当している人の中に、下層中産階級の白人男性がいた。彼が黒人と同じ 単純サービス労働部門に配置された時に、楽しい気分になれなかっただろうことは、容易に推測できる。

彼は、私がそこに通った3週間ほどを通じて不機嫌であった。日本から来た黄色人種の私に (一般的に 研究者という肩書きだと丁重に遇されるのもこの国の文化でもあるから)、サービスしなければならな

いことも不愉快度を倍加させたのかもしれない。そして事件はつぎのように起こったのだった。 お釣りの計算をマイノリティの人々は引き算ではなくて足し算方式を使って確認する。物珍しさも あって、私もそれを真似していたのだが、うっかりこのやり方を、その白人下層中産階級の彼に対し てやってしまったのである。「私は (黒人の彼らと違って)計算はできるんだ」と言って、一瞬、顔色 を変えた彼の様子は今もって忘れられない。この背景には、研究者として遇されている私と、彼との 位置・関係と、仕事と階層とエスニックの錯綜した不幸な関係があったと気づいたのは、少し時聞が 経ってからであった。

この事例はつぎのような結末に終わった。最終日、閉館の30分ほど前に、重要文書が出てきて、勇 躍、コピーを依頼に行ったら担当は彼であった。日く、「重要書類でありコピーをとると文書が痛むの で許可できない。」 翌日は帰国しなければならないこと、昨日までは同様のコピーは許されていたこと 等々の事情を繰り返し彼に言ったのだが、頑として態度を変えなかった。他に手だてはなく残り30分、 真っ白になった頭で汗たらたら、必死になってとても正確とはいえない要約を作ったのである。

(多様性)

I

国立公文書館」での調査を終えて帰るときに、搭乗手続きを並んで、待っていたら、後 ろにいた人が話しかけてきて、雑談した。その人物は、自分は宝石商で、世界中を飛び回っているん だと誇らしげに自己紹介した。「あんたはワシントンに何をしにきたのか」と聞かれたので「公文書館 での調べものが終わったのでこれから帰るところだ」と答えた。彼は一瞬虚を突かれたような様子だ った。このような答えは、彼の想定外だ、ったからだろう。その内にわかったことは、彼が「公文書館」

でイメージした人物像は、「魔法の古文書」を前に置いて、 一人で一日中、ため息をついたり喜んだ、り している 「エイリアン」に{也ならなかった。

だが、彼が示した感情は、それに対する批判でも排斥でもなく、ビジネスの信条 (アメリカの常識) への同化の要請でもなかった。彼が示したのは、異質な価値観と理解困難な行動様式に対する、純然 たる好奇心であり、ささやかな好意の姿勢でもあったように思えた。それは異なる価値の共存に寛容 な精神ともいうべきものだったのかもしれない。ともかくこのようなアメリカに遭遇すると、 一瞬、 気分が安らぐのである。

市場原理の普遍化を強調しながらも、他方で価値の一元化を避けようとする無意識的な反応は、主 流文化と下位文化 (エスニック文化)との対抗関係の中から生まれたものであろう。アメリカ社会は、

本性的な構成条件によって、異質な文化と共生する技を身につけざるを得なかった。異質な文化の共 存が社会の抑制装置として機能するものであれば、私たちにとっても今必要なのは、すべてを同じ基 準で一様に包摂しようとする流れに対する抑制装置である。メインストリームに対抗できるもう一人 の自己の発見は文化の領域から始まるのかもしれない。

2 ・人間文化

(5)

座談会

人間文化座談会

人間文化座談会 一 法人 化 か ら 1 経過して‑

大学が法人化して1年あまりが経ちましたが、この聞のさまざまな変化の波を、教員それぞれが実感し、そ の中での問題点や可能性について意見をお持ちではないかと思います。

本号の 『人間文化』では、そうした意見をざっくば

5

んに交換しようという趣旨で、座談会を企画しました。

もとより限

5

れた時間と参加者なので、すべての問題について網羅できているわけではありませんが、参加告 先生方には、法人化の中で考えているとと、 感じていることを率直に出し合っていただきました。今回の座談 会が、少しでも今後の議論に資する材料になればと考えています。

座談会の概要は以下の通りです。

‑日 時 :200

7

1

月19

日(火)

1330~15:30 ・場 所 :0

0‑

1

03

客員教授室

・参加者(敬称略)

官省文員Ij (地域文化学科) 画矢慎介(生活文化学科生活デザイン専攻)

灘本知憲(生活文化学科・食生活専攻/編集委員) 細馬宏通(生活文化学科 人間隠係専攻) 山根 周(編集委員/司会) 塚本礼仁(編集委員/記録) 米田紀代子(記録)

司会(山根)

今日はお忙しいところをお集まりいただきありが とうございます。法人化して一年近くが経ったわけ ですが、先生方それぞれいろいろな変化を実感され ていると思います。今日はそのあたりを率直にうか がいたいと思っています。今のところ、教授会以外 で、学部学科の枠を超えて議論や意見交換が出来て いないということがあります。限られたメンバーで もありますので、すべての問題を出しつくせないと 思いますが、学科や専攻で色々と話し合われている ことも混じえながらお話しいただけるとありがたい と思っています。2時間ぐらいを予定しています。

最初に、法人化された後、いろいろな動きがあり ましたが、それぞれにお持ちの意見や感じられてい ること、 問題点、可能性も含めて、 一人ずつお話を していただきたいと思います。

法人化後の大学について

灘本

話がそれるかもしれませんが、短大から人間文化 学部が出来てという経緯を話します。今の状況にあ まり関わりがないんですが、短大内部の、あるいは 堀江さんという、皆さんご存知だと思いますが、大 学に局長としてこられた方ですが、その方の尽力で 当時の稲葉知事をついにうんと言わせた、そのあた りが四大化するということになって、滋賀が四大化 は国に任せたらいいと言うたのを言うてられんよう になって、対抗意識もあって、というのがたぶん実 情だと思いますが、四大にすることになった。その 最初のプランでは、 実は、 人間文化学部は予定され ておりませんでした。 工学部と環境科学部のみでし た。ここの前身は家政学部ということになるんです

が、ここはもうちょっと短大でいけるということだ ったんですが、いくつかの行き違いがあって、四大 にしてしまえということになりました。で、皆さん ここで飯が食えてるわけですが。その中で、当時、

いくつかの要望を出したけれど、いかんせん大きな 流れは家政系はスクラップだと、それに変わって新 しいものを作っていくんだと。その当時、滋賀県内 には純然たる文科系の学部はなかったわけですよ。 その流れの骨格に家政学部を放り込んで少し新しい ものをつくろうと。で、目玉は地域文化学科なんで す、簡単に言えば。残りのスクラップされたやつで、

生活デザインや食や何やら作れと。その中でさらに 細かく言えば、人間関係はまったくありませんでし た。幼稚園の先生の養成とか何かは、滋賀には私立 大学があるからそこに任せたらいいと。ついでに付 属幼稚園も廃止するんだと。

山根

それは実行されましたね。

灘本

はい。付属幼稚園は付属するものがないとありえ ないんだけど、最終的にはそれを残すか、先生方が 希望するような分野を残すのかというような話にな ってきて、結局、先生の分野は文科省の指導もあっ て、人間関係的なものも面白いかもしれませんとい うことで、ぱっと浮上したと、そういう経緯で、お 互い賛成反対はあったんだけど、 内部同士の賛成反 対はやりづらいということもあるので、そういう流 れできたと。そのとき実際に地域文化を中心に構成 の骨組みを決められたのは、 当時の西川学部長であ り、例えば生活文化学科の担当だった杉本先生たち だと思うんです。たぶんそこでかなり自由な発想で、

人間文化・ 3 

(6)

人間文化座談会

菅谷先生をはじめ色んな先生を引っ張ってこられ た。私らは、人間文化の中で、実験系に一番近いと いうことで、開設当初は今の比ではなくちょっと疎 外感があるような感じでした。何で人間文化学部に 私たちの分野があるんやと、もうちょっといい名前 がないんかいなと言うてたんやけど、しかし、そう いう自由な発想でやったおかげで結果としては、じ ゃ、食生活はどうですかと言えば、学生の質に関し てはどの方も認めざるえないように、入学のお客さ ん商売という意味では、かなり成功している。これ はデザインにしてもそう思います。だから、結果的 には良かったと。でも、それは結果の問題であって、

考え方としては、文科系の学部に食を放り込むとい うことはかなり斬新なことをやったんやろうなと思 います。それは感謝せさ「るえない。そのことは私ら の専門分野から見れば、多少車L際はありますけども、

そういう制限の中に進んでお前らは入ってきたんや ないかと。だからその制限の中で、それがうまいこ といっている聞はがんばりなさいと思わざるえな い。看護と一緒になってとか言うてるけれども、こ んどはうまくいくかわからない。全国的にはうまく いってない所が多いですから。その先駆けになるよ うな事は10年前にやったんだから、かえって真似さ れている意味があるんだからそれを続けていきた い、と言うてる中で'10年経って、さてまた自由にい ろんなことを考えるという状況になってきたわけじ ゃないですか。ただ、自由に考えているのは理事長、

理事の面々ですよね。色んなプロジ、エクトがあるけ ども、最初からストリームが決まっていて、その流 れに乗っかつてやっていくみたいな形になってます よね。これも結局は10年経ったら、あの時ああやつ

4 ・人間文化

ていて良かったということがあるかもしれない。問 題は、あかんかもしれないということです。

四年制を作ったときとの本質的な違いは、四年制 を作ったときは他にはないことをしようとした。こ れは危険だけれども。今やっていることは、新しい ことをやると言ってるけれども、よそでやっている ことばっかり。ついて行こうと。それが本質的な違 いで、高い給料をもらってやってはるんやったら、

よそにないことを考えてくれと思います。どんなこ とが問題になっているのか、人間文化の問題点と、

これから斬新なことをやる問題点とは、たぶん絶対 違います。方向が違うんだから。だからある部分は 学部長を中心に、こんどは八木さんになりますけど も、学部に任せていくという形で、大きな方向付け をさせないと、絶対後でシマッタということになる。 というか、もう煩わしい。もう 1つの違いは、新し い学部を作ったときは、事務を中心に、西川先生な んなりが、すべてのことを一生懸命決めていった。

私らにしわ寄せは来なかった。理念くらいは書かさ れたけれど。それも半日あったら、 書けますゃんか。

今の作業は流れは作ったるけど、箱は渡すけど、箱 の中身は全部お前らが決めろと。でも箱を潰したら あかんぞ、と。こういうのは、全国的にそうなんです が、大変な状況になっています。うちは幸いこぼれ ていく人はないですが、多くの大学で、そういう雑 務的なことをやらされてるから嫌だと出て行った優 秀な方がたくさんおられます。たくさんはいないけ ど、知ってる範囲で数人。皆さんも実感として持っ ておられると思います。こんなことばっかりやって いる。もっと、自由にとは言わないけども、大学の よさが強調されるようなことをやっていたのに、そ の雰囲気が消えてきているのかなと思います。研究 は同じようにやっているのに、何となく今の雰囲気 は尻を押されている雰囲気。昔は自由にやっていた のに。そういう雰囲気が蔓延するのはあまりええこ とではない。10年経ったらあんなときのあんなひど い時代もあったねとなるんと違うやろか。すべての 大学がやっている。短大まで含めて同じようなこと を。生き残るためにといって。それで生き残るんで すか、ほんまに。全部がやっていることを同じよう にやって生き残るはずがないと思うわ。

先生同士も専門分野の壁を越えて、楽しく語らう という雰囲気があったのが、最近の若い人の責任や と思うけどな、いや、こっちの責任やね。そういう 場を作ってあげないという。

(7)

山根

いや、若手はこの間もやってましたね。飲み会を したりしてるんです。

四大化のときは独自の、本当のオリジナリティー を目指していたのが、今は他の追随になってきたと いうことですが、次に菅谷先生、お願いします。

官谷

法人化後の変化に関して、私はよく言っているこ とが、 2点あります。

まずは、法人化は、医l立大学の国家公務員の定数 を表面上減らすためにしました。それが公立大学に 普及してきたわけです。私の大学の法人化のプロセ スを見ていると、国がやったから、次は県だとして 始まりました。理想、がない。当時の国松知事が全教 員に配られたメモがありまして、滋賀県立大学独自 の独法化を図るという知事の強い意欲が書いてあり ました。実際に進んでいるのは、文科省が雛形を作 った国立大学の独法化をなぞるというものです。滋 賀独自という、滋賀県大独自のを作るという理念が まったく欠落しています。国の後追いをしているだ けです。国立大学の規模は、奈良女子大学など小規 模なところから、1東京大学・京都大学の大規模なと ころがあります。平均ではだいたい総学生数が4000 前後というところが、地方国立大学のスケールでし

ょう。私の学校の倍ほどのスケールです。教員組織 も私どもは199人ですが、だいたい400人くらい。東 大京大ですと数千人もの教職員がおります。大型大 学のひな形を、そのまま学生数2000ちょっとの学校 に持ち込んでいるので、やっぱりひずみも多いと思 います。知事が言われた滋賀独自色を出しましよう というのがまったく消えたことが 1点。

もう 1つは、国立大学が車事会を作りましたが、

本当のオーナーは理事会ではなくて、固なんです。

文部科学省がオーナーでやっていますので、国の政 策を受けて、その枠内でやっているようです。法も そうです。だから、独自色を出す必要がないんです。

国の言うた通りしてたらいい。理事会による運営が 失敗しでも、大学が潰れるわけゃないんです。我々 の場合は、国立大学のダウンサイジングではだめだ と思うんです。どこに独自色を出したいということ の討議がまったく欠落しています。あの理事がこう 言うた、あの理事がこう言うたと、法治、法律によ って、 ルールによって統治していくというより、人 治、個人の希望によってこの学校が動いているよう

人間文化座談会

で、ちょっと由々しき問題だと思います。滋賀県立 大学の特徴、滋賀県にあるという特色を活かそうと

していないと思うんです。例えば、 1つだけ申し

t

げますと、電子工学科を作るという計画です。電 子・電気は確かに滋賀県にある工場には必要と思い ますが、そこの人たちの採用試験は全部東京や大阪 でやっています。地元採用は労務員の人は採用しま すが、技師という人は採用しないわけです。だから ここで、作ってもまったく無意味なんです。それなら ば、地場産業の一番大きいのがやはり土木業でしょ。 それなら地蝶工学とか土木工学、農業工学的なもの をここで、もし第三学科として作るならば、土木業 の大部分が地方の業者ですから、貢献度は大きい。

業者にも一級建築士が必要です。これは私の大学で も取れるようになりました、土木師とか何やら附と いうのはいっぱい資格があります。滋賀県の業者は 有資格者を揃えられないので、大型業者の下請けに 甘んじなければならない。そういう人を育てようと いう、滋賀県政の希望とはぜんぜん関係がないわけ です。そういう考慮がまったくない。知事は適当に 言われたのかもしれませんが、滋賀県独自のものを 出すという理念なしに電子工学科を作ったり、食生 活を看護学部とくっつけようとか、人間文科学研究 科を全部、人問看護学の大学院と合併せいと言った り、検討なしに出てきましたね。そんな大学の大学 院に誰が行くんですか。人問看護地域文化博士とか、

就職も出来ないです。だから、独自色を出すために 努力をしてないということと、国の政策を学校規模 を考えずにした。それからもう 1つ、国の場合、各 大学の学長さんから文科省の大臣に行くまでに7固 から10回段階があると思います。国会はそのあとで

人間文化・ 5 

(8)

人間文化座談会

す。県立大学の場合を考えてみると、学長のヒは副 知事、知事です。そして県議会です。三段階しかな いんですね。それの違いがあると思うんです。

灘本

考えてみると、菅谷先生がおっしゃったように国 立に関しては雛形みたいな教本が文科省にまずあっ て、全国の同立大学に法人化するから色々決めてい けと。そうすると各大学はそれぞれの実情に応じて、

滋賀大学なんかその際たるもんだと思うんですが、

八木さんの紹介によれば、いくつか上手にアレンジ して、不都合なやつは少し軽減できるような形に作 ってみて、どうやろと。そのクッションがうちはど こにあるんやろうということになったら、制度がポ ンと全部変わってしまった。独自色を出すなと。こ れやとちょっとまずいかもしれないね。まず、学部 ですくいにかけて、目的がはっきりすれば、例えば、

優秀な学生を揃えたいんやと、これに反対やという 先生はないですよね、それに

GPA

や何や言「い出す と、これはうちに向いてないでと。優秀な学生を育 てる、例えば一例として、 全国的に

GPA

みたいな のがあるけれど、各学部で検討のうえ、優秀な学生 の率を増やすということで、計画を立てなさいと。 そうして

GPA

をf采用した、うちはアレンジ)仮の

GPA

で、人間文化に向いたようなものをやったと。 あと成果で、成果というのであれば、何年か経って 検証してみて、やっぱり人間文化はこのシステムで は必ずしも機能していないみたいですよ、なんてま た考えるみたいな形式にしないと、画一化を狙うた めにみんな反発するんとちがう?

官谷

それともう一つは、私立大学の場合は、歴史の短 い大学、長い大学があって、 100年とか120年という 経験もあって、理事会側と教授会側とがきれいに二 分してすみ分けしています。私の学校の場合、理事 長兼学長にしてしまったから、研究者側の意見は上 げるところがもうないんで、すよ。つまり学長も理事 長とご自分でおっしゃる。理事長は運営者です。ま たオーナーとしての発想でなければならないから、

スカラーアイデイアが出てこないわけです。そうい うのはやっぱりまずい。だから、理事長と学長を一 緒にするという案が出た時に、私の学部でも一緒に するべきやという意見と、私のように分けるべきや という意見が出ました。私立大学の場合、理事会は 6 ・人間文化

先生方を、教授会のメンバーを、 言葉は悪いですが お金でほっぺたを叩き、尻をなで、ともかくかわい いかわいいして、向上心を刺激しているわけです。

本学の場合、理事会と理事長と学長が一緒ですから、

2本立てになっていないので、アメとムチのアメが ないわけです。ムチばっかりになっている。一例を 挙げると、非常に卑近な話ですけど、私立大学の場 合、 一般的に入試の採点やら遅くなるとき、すばら しい料理を出すわけです。これを食ってがんばりな さいと。そういう発想が理事会側にないんです。理 事たちはいつも自分は学者だと思っているけど、口 から出てくるのはオーナーとしての発言です。その 辺は私立大学的にきっちり住み分けたほうがいい。 図の場合はなんと言っても理事会に権限はないです から。文科省が持っているから、代貸しですからね、

はっきりと。そういうのが私は独法化11ヶ月の感想 で、すね。滋賀独自のという知事の指示が欠落して、

国立大学のスモール版を作っていってる、それでは 車L際は到底解消できないと思います。

山根

お二人の話を聞いてると、大きな枠組みというか、

その辺の根本的な問題点が見えてきたような感じで す。工学部に新しい電子 ・情報系学科を設立するの は、ワンセット主義みたいなものをここで繰り返す だけのような感じを持っていたんです。

面矢先生お願いします。

面矢

法人化の前と後で、そんなに大きな変化を感じて いないんです。というのはその前からかなり大学改 革の動きはあったんですよね。その流れの中で来て いますから、そんなに法人化の前と後で、大きな変 化を感じてないんです。改革の動きの中で、この学 部の中でもかなり、やり合いがありましたよね。議 論することはいいんだけど、議論があまりにも長く 続いて、その結果、学内の雰囲気が非常に悪くなっ た。それ以前の開学のころを思い出してみると、も っと和気あいあいとやっていた。それが甘いと言わ れれば仕様がないんですけども、甘いだけでなく、

お互いにもう少しやってあげようという感じがあり ました。今は各専攻が内にこもって、ひたすら耐え ている感じ。これが悪い方向に行くとすると、 各専 攻の利益だけを考えて発言をし、行動するようにな ってくる。法人化というのはどうせそういうふうに

(9)

なってしまうのか、これはちょっと分からないです が、この学部の場合、各専攻が内向き志向をより強 めてしまったという感じです。生活文化は元々 3つ の専攻がバラバラだったんだけど、それで、もまだ歩 み寄りをしようとする機会が多かったんです。それ が色々利害関係が対立してくるというか、そのとこ ろが法人化の前と後の一連の大学改革の中の一番悪 い点で、それが学生にも影響してくるかもしれない。

ある種のみんな一緒だよという感じではなくなっ て、その結果、大学の雰同気がずいぶん巡ってきて いるのじゃないかなと、学生も含めて。

灘 本

ちょっと関係ないかもしれないけど、以前までは 専攻や学科問を介した仲良さというのがあったけど も、今、逆に専攻内とか学科内で結構、対立とは言 わないけれど、冗談交じりで、昨日も業者さんに言 うたんやけど、以前は人間関係が一番人間関係が悪 かったかもしれんと。それが最近は人間関係も非常 に仲良くなっている。一時のえらい先生、鮮烈な先 生が抜けていったからということも関係しているか もしれないけれど、食だって今、ものすごく仲がい い。たぶんデザインだってそうですよね。

面矢

デザインは割りと昔から仲いいですよ。

灘 本

f~.f烈な先生がいなかったから、きっと 以前は代

わりに外向きにうまくリンクしてたみたいなものが だんだん疎遠になってきて、そうこう言うてるうち に、ゃれ人を減らさなあかん、そんなことも含めて いわゆる利害関係が出てきて、ごちゃごちゃし始め ていると。でも、芽生えとして若い人の中には、小 林先生を筆頭に学部のプランを若い人で考えてくれ と。それなりのプランを出している。その余地は残 っているみたいゃから、それを殺さないように。お 互いに多少のメリットを被っていることは事実かも わからんので。しかも学生は、こういう分野がある ということで、それを上手に生かすようにしていけ ば、行けると思うけどね。

面矢

その辺のところがちょっと心配なだけです。法人 化にともなっていろんなことを決めていくわけです

人間文化座談会

から、それで大学の柔軟な姿勢というのが失われて いく。その時、何が起こるかと言うと、時代の流れ Ij伶っていかないようになっていくかもしれない。 例えば人事も含めてですね。現場にいると、今の時 代だったらこういう人を採ろうというのが、そのタ イミングで生まれてくると思うんですよ。それが法 人化になると人事権は上に引き上げられましたか ら、そういうものとはまったく関係がない人事が行 われる可能性がある。そうするとだんだん硬直化し てくるのが怖いなという感じがする。現場の中で出 てきた意見で、やってる、非常にへなちょこ運転かも しれないけれど、ある柔軟さでやっていかないと、

この大学は大都市のメジャーな大学とはぜんぜん違 うわけですから。この彦根という田舎の辺部なとこ ろにあって独自色を打ち出すためには、柔軟にへな ちょこ運転をしていったほうがいいわけです。大都 市の大型大学的にガチガチに決めて、軍団で、パワ ーで勝負というのじゃなくて、その隙間を縫って歩 いていくような、そういうへなちょこ運転のために は、 柔軟な運営が出来たほうが有利だと思うんです ね。今のこの法人化で色々なことを決めていくこと によって、それが出来なくなってくる可能性がちょ っとあるなと思います。

灘 本

へなちょこ運転をしているのはデザインとうちゃ で。批判的に言えば、ちょっとデザインは商業主義 的になっているけども、そのへなへな運転の最たる もんやと思うわ。縫ってるんや。うちは正統派で行 けば、管理栄養士関係の何とかでやっていくべきや けど、結果論やけど、結果的には隙間を縫っている

人間文化・ 7 

(10)

人間文化座談会

形になってる。それをオーソドックスにやろうとし ているのが地域文化で、どうも二色あるみたいです けども、少なくとも本道で、やってみたいという気配 がある。元々はユニークなんやけど、それで、突っ走 りたいというのがあるから、正統派ゆえに隙聞を縫 っているというのでは必ずしもなくて、異色でやろ うとしているという意味合いでやってるんだけど、

それでひょっとしたら、場合によっては、スムーズ に小回りよく、器用にやることが出来なくなってい るのかもしれない。

菅谷

地域文化学科は学生数も教員数も人間文化で一番 大きくて、コースをやめてしまってますので、大き いです。教員の数はそのままですけど、学生の数は 毎年70人います。大学院の進学率もかなり高いです。

何が正統派かちょっと分かりませんが、私が正統派 なのか、先生が二つに分かると言われた割れたほう が正統派なのかよくわかりません。ともかく、地域 文化学科は最初からこの 7、 8年間は「地域文化と は何や」という議論がものすごく多かった。

英語の専門家がおられますけど、地域というのを 英語に直したら、どうなるんかと。知事なんかは

「ローカル」ゃと思ってますね。今の学長も「ロー カル」と思っていると思います、副学長も。ほんま は「エリア」なんですね。エリアロジーとか言って ますが、「エリア」なんですね。地域というときは 非常に難しいです。その地域はどのスケールの地域 なのか。滋賀県というスケールなのか、彦根市とい うスケールなのか、八坂町か。もう退職された先生 の中には一人、八坂町がベースだとおっしゃった先 8 ・人間文化

生もいらっしゃった。いや滋賀県という考えもある。

正統的な言い方ではびわ湖をめぐる滋賀県ですが。

それは地域というものをどう考えるかという、哲学 的論争と言っていいと思いますが、嫌ほど戦わせて きました。誰一人として 「ローカル」という意識は ないんですけど、どうも一般的には、地域を 「ロー カル」と訳しておられる。頭の中で「田舎」やと。

「エリア」という意識はないと思いますね。だから、

山根先生が何でインドに行かないとあかんのやとい う人もかっていました。インド地域というエリアで す。こんな議論に関わっておるのは人生のエネルギ ーの無駄だとして、いく人もの先生が定年を待たず に、こんな小さく考えられとったら、ここで勉強は 出来ないと辞めていかはりました。

細馬

タウン誌で『ミーツ』というのがあるんです。こ の雑誌は、 WLマガ』とか 『ぴあ

J

とかと違って、

関西なら関西をざっくり取り上げるのではなく、か といって大阪のキタとか京都の左京区といった「エ リア」を考えるのとも違って、商庖街や街並みに入 り込んで「リージョナル」な感覚を探そうとするん です。

街を歩き、村を歩き、路地を歩いているうちに形 成されてくる、ある種の場所の感覚が、ほんまはあ るはずやと。別に都会のど真ん中に限らず、人が住 んでいるところであれば、ちょっとした庖の並び方 の癖とかコミュニテイの空気が出来上がって、そこ ここにそういうリージョナルな感覚ができあがる、

それを掬い上げようという試みが『ミーツ』という タウン誌では為されていて、元編集長の江弘毅が iW街的』ということ

J

という本にまとめておられる。

おもしろいなと思っーてます。

地方独自と言うとつい、世界に通用しないという ネガテイブな意味になってしまって、それが「ロー カル」と言われたりするでしょ。そやから言うて、

それをものすごく薄めて広めてしまうと、今度は世 界のどこにでもあるものにしかならない。さっきか ら言うてはる、日本のどこにでもある大学にしかな っていかない。

そうゃなくてなんか他にはないシステムを持って いるにも関わらず、気がついたらちゃんとした生態 学的な地位を得ている、そういうものがたぶん一番 理想やと思いますね。地域文化という学問もたぶん そうだし、 地方大学というのもそう。

(11)

学部や大学にも、「リージョナル」な感覚という のがもうちょっとあってもいいかなと思うんです。

教育について

細馬

ちょっと話題を変えて、会議の話をしてもいいで すか。

法人化を境に、教員会議とか色んな会議の議題と いうのが、上からやってきた大学改革の議論につい て、理念や概念を戦わせる時間がものすごく多いな と思うんです。これなんとかならないですかね。

例えば、肝心の卒論の1つ1つにどう対処しまし ようとか、専攻ゃったら専攻の30人の学生のカリキ ユラムごとにどういうオプションが可能で、それを どういうふうに運営していったらどうなるでしょう とか、細かい話をする時間というのがどんどん減っ ているような気がします。

実はむしろ、教員としてやりがいがあるなと思う のは細かい話なんです。何ぼ学生をCAPやGPAで

ぎりぎり締め上げても、結局僕らにとっての問題は、

GPAにうまく乗れない学生をどうするかなんです よね。GPAというのを足切りにして、学生に、例 えば「君たち単位とれてないから退学や」というの であったら話は楽ですけど、実際僕らがやらなあか んことは、単に学生を切り捨てるのではなくて、そ こに達せへんかった学生をどないするかということ やと思うんですね。

個々の学生で、単位を取るのがうまくないなとい うのがいたとして、その子らとあれこれ話をしなが ら、この学生に卒業論文を書かすというのはどうい うことやろうとか、このふらふらどっかに行つてな かなか学校へ来ない学生の面白いところはどこなの か、なんでこの子は大学に来ないわりにとあるとこ ろでは生き生きと動いてるねんとかね。そういう発 見の喜びというのが現場にはある。ところが、教員 会議で、そういう喜びというのがとみに失われてい るような気がします。

灘本

その通りとは理事側も言わないけれど、 一種のベ ルトコンベアをひいて、製品検査でポロポロこぼれ てくるやつは早めに始末せいと言ってる気がする。 成功率というか、いい製品を作る率を高めようとい

うことやと思うんやけども。多くの先生が自分のと

人間文化座談会

ころの分野におる学生数はしれているから、このご ろ出てこない学生はどないなっとるんやろとか、ほ とんど来ないから 1年遅れたけど、卒論やらしてみ たら見事にがんばりよる。1人でこつこつとね。彼 女は一人でコツコツがんばるタイプゃったんやと分 かるわけ。みんなでワーとやる学生が多いから、彼 女は中に入れなかったんやなと。聞いてみたらカメ ラをやってる、それはまた生きてくるよと。こうい うのを一切これからやらんでもいいよと。場合によ っては退学処分やというわけです。そんなことしな くてもうちらいけますよと、分野によっては地域文 化もそういう色彩がありますよね。入ったとき何を やるかまだ決まってない学生もおるかもしれない。

流浪の旅でいつか決まってきて、そこからワーとが んばって行くと思うけど。人間関係もそういう色彩 多少ありますよね。だからもともと本質的にあって ないものを無理やりはめ込もうとするさかい、無理 があるから、こっちに求められるのはきっと、それ に代わってどういうことをやりますかということや と思うんです。今までもやってるけども、それ保障 ありますかと。先生がサボったとたんに、こぼれ落 ちた学生をほったらかしていませんか、邪魔くさい から無理やり卒業させてませんかと、そういうこと の製品保証というかな、知らないけど、こういう形 で面倒みれるはずですよというのをちゃんとやれ ば、必ずしもCAPとかGPAでなくたって、出来る はずやというのをむしろこちらが問題提起するべき ゃと思う。

官谷

わたしもそう思う。1つは品質保証という単語を 大学の公式の文章に使っているんで、僕は評議会の ときに人聞に品質保証という単語を使うのはヒュー マンに属してないと言ったんです。人間に品質保証 なんてことを言っている理事がいるような大学を出 た子どもを誰が採用してくれるのかと言いました。

人間を人間として見るという点が今の改革にはない と思います。民間会社のトップでは、マニュアル主 義を打破して行ってますよ。ここ数年で、急激に意識 変化している。アメリカ風のマニュアル主義は良く ないんだと。だからそれを少しルーズな形に変えよ うというのが今の企業とかの工場です。日本の産業 が強かったのは、職人さんからの提案をうまく汲み 上げるシステムがあって、それによってトヨタの看 板システムが出来たりしたんで、す。それをきっちり

人間文化・ 9 

(12)

人間文化座談会

トヨタも知ったので、マニュアル化をトヨタも緩め たそうです。ソニーが駄目やというのは、ソニーの 社員が言うてるのは、マニュアル主義にしてたから です。「おはよう」はあかんと言うたわけですね。 必ず「おはようございます」と言えと。「おはよう」

は絶対許さんと。「おはよう」と「おはようござい ますjを使い分けているわけです、当然。学生に

「おはよう」と言うけれど、学長には「おはよう」 とは普通言わないですよね。それと一緒。ある程度 ルーズな文化を許してたんですが、今の品質保証論 で行くと、今おっしゃったようにそういうことが出 来なくなります。ですから、人間を人間として育て ていくときにアメとムチなんです。楽しいものを見 つける。

それから今日、授業で大学の4年生ぐらいに江戸 時代の本を読んだ経験を言いました。たまたま40歳 くらいのときにその本が役立つことがありました。

その本は、江戸時代の伊藤仁斎の『制度通』という 本です。福知山市の発掘調査の成果が出たときに、

これは制度通を利用したら理解できると急に思い出 しました。私の考え方は非常に反響も呼んだんです が、でも、 20年間本人さえ忘れていた知識がそこで 生きてくるので、4年間だけを見て品質保証とかい う発想は非常にプアな発想です。貧しい発想です。 30年、 40年先に生きる何かを生かしてあげる、光る 教育と言うかね、とずっかで光る教育をしておかない

と。

灘本

理屈はうまく言えませんが、直感的に、うちの大 学の慾法の序文にあるような、この大学を作った当 時に、具体的な内容は別にして、人を育つ大学にし たいんだと。今やっているのは、人を育てる大学で すが、育て方にも問題があります。規格品を作ると きがあるから。人間関係も地域も私らも一部、例え ば、学科会議や専攻会議で、あの子この頃どないな っているんやろということが話題に出来ていた。少 人数ゃから。呼んでみたらこんなことらしいでと、

そら病院に行ってるのもしゃあないかなとか、また その子が復帰してきたときに、その子の卒論でも何 でも趣味を生かして何かやるとか、割と細かい気配 りが出来るから、またそれで伸びていく子がおった。

そういう意味では人が育つ大学の一部を担ってあげ ているかなと。少人数ゃから出来ているんやなと思 っていたことをもうやらんでええよと。ここしばら 10・人間文化

くだけかもしれないけど、そんなこと言うてる暇な いよと。もっと大きなことを考えてくれとなってる から、短大から4年制になる時もそうでした。1年 間学生にものすごく気の毒なことした。面倒見れな かった。学生の名前をぜんぜん覚えられなかった。 そんな会議ばっかりやったから。現に教育に悪影響 を及ぼしている状況を続けているから、たぶん共通 して言えるのは、学生としゃべるのが好きな先生は、

学生としゃべる時間が減りましたということやと思 うんですわ。簡単な結論は。それがええことか悪い ことか、今の流れは、学生とあんまりしゃべるなと、

そういうことでしょ。

山根

I

大学改革への決意』というパンフが配布されま したが、この中に、シラパスは学生との契約だと明 記されてますし、さっき細馬先生がおっしゃったよ うに、評議会などから下ろされて来るいろいろな検 討謀題というのが、ほとんど一律の基準や枠組みの 中で考えろという話になっていて、デザイン専攻で も話をしていると、うちにはあわへんという意見ば っかり出てくる。

灘本

フレキシブlレに出来ていたことを、契約やから書 いである通りにやれと言われたら、かえっておかし

くなるね。

菅谷

私なんか、どっかで発掘調査をして、新聞とかに 報道されますよね。するとそれについて学問の上で の位置づけについて、 2時間、 3時間しゃべりだし ます。学生は聞きたいから。それが出来なくなるわ けですね。1年前に決めた階段を登れと。理科系の ように公式を覚えて、全国世界共通のジャピ一階段 で行きますと。その具体的な例は、今年になってか ら、曜日変更の授業が23回ありました。l曜日変 更というのは12月ごろでしょ。僕は逆にシラパスを もっと早く決めてるわけでしょ、 1年ほど前に。そ の間に彦根城の見学に3回行こうと予定していたの に、 1回しか行けなかったんで、すね、日が変わって しまって。すると、本当の教育はどっちなのかと思 うわけです。シラパス契約論は、典型的なマニュア ル論ですからね。マニュアル主義でコンビニに行っ て、おつりこれでよろしいですかと言わないといけ

(13)

ないのであって、そんなのは無意味ですからね。

灘本

ビデオを作っておいて流せばいいだけ。

菅谷

この学校に来た当初はだいぶん学生にビデオを見 せました。映像を使えと、関学当時言われました。

2年ほどして気づいたのは、誰もメモを取らないん ですよね。起きてても、結局耳と目から入ってくる から、頭に引っかからないんです。これはあかんと。 プリント主義やと。考えてみると、僕らも学会に行 って、学会で、パワーポイントやビデオを写しますよ ね、当然。後で、頭に入つてないんですよ。入ってい るのは要綱集とか概要とかからの知識が中心です。

あるいは紙を配ると、ょう覚えますよ。

灘本

理科系も同じですよ。理科系はたいてい教科書あ りますよ。それで勉強したら終わり。それがあれば よっぽど説明しないと分からない数学の問題とか除 いたら、無茶なものは全然ないから分かります、勉 強したら。簡単な話です。だから講義ではもちろん 教科書でやっていく先生もあるし、僕らみたいに好 きなことをしゃべってる先生もある。教科書に沿い ながらもね、ワーと脱線していって、後で学生に聞 いたら面白かったよと。べつに学生の専門と違うと ころじゃなくて、そう言えばそう言えばで。そうい う自由度があるから学生もモチベーションが上がる 子が中にはあるし、中にはあの先生脱線ばっかりし てると批判している子もあるし、それがお互いに楽 しい。あの先生は入ってきたら挨拶も何もせず、黒 板にワーと書いておると、以前いらっしゃった先生 ですが、 学生の顔を見ないで、黒板のほうばっかり をしゃべりながら見ている。しかし、 学生からスポ イルされるんじゃなくて、面白いと言われている。 ある先生はいまだにおられるけど、難しいことを言 うて落としまくり よると。みんな嫌っているかとい うと、嫌ってない。面白い先生や、ちょっと付き合 ってみたいわとか言うとる。そういうバラエテイが 消えてしまう。授業は全部ビデオかネッ ト放送でい いわけですよ。それか教科書を読んでおけ、で終わ

りやで、 これやったら。

人間文化座談会

官谷

シラパスをね、ほんまに契約論で、いったら、そう なると思います。例えば文科系の学問というのは中 国歴史とするでしょ。二十四史積み上げただけで、

すごい量あります。こんな量を誰が4年間で読める んですか、結局ピックアップして読むわけです。僕 はよく学生に言うんですが、知識というのは頭の先 にも入ってるし、足の先にも入ってる。それを全部 集合化するのが、 学問ですと。当てたら知りません という返事は許さない。必ず何らかの返事をしろと 学生に言います。

灘本

大きな、どんなことをやるかということについて はわからんことないわ。それは契約やと思うわ。僕 の栄養学の講義で、最初から最後まで、す、っと統計学 をしてたらね、それは契約違反やわ。栄養学を聞き たいと思ってきてるんやから。しかし、その内容に ついては僕らはフレキシブルに対応したいという か、 学生もそっちのほうが面白いというのは、絶対 実感として持っているから。

山根

結局、 CAP制を導入すると、年間に登録する単 位数が最初に限られてしまうから、どうしてもシラ パスを読んで、これを取るという様な覚悟が学生に もいって、だから契約という話になると思うんです が、そうすると、それでもし授業が面白くなくて、

学生が学習意欲をなくすようだと最悪ですね。取得 単位数が少なくなって、履修単位数も限られるから 結局留年するという悪循環になる。

灘本

授業が面白いとか面白くないという話があったけ れど、 今の法人化の流れでいうと、効率良くゃから、

学生が興味を持って聴くような講義をせいと、それ を楽しくというのか知らんけれど、効率よく、約束 した授業をちゃんと楽しく上手にやってあげろとい うことやと思うんやけれども、下手な先生も面白い よ。

山根

味があるというか。

人間文化・ 11

(14)

人間文化座談会

灘本

うん、結局最後まで訳分からんことを言うとった と、僕ら理科系でも結構あります。その授業の前ま では分かつていたつもりゃったのに、あの先生の授 業を受けたら、英語振りかざして、ワーワ一言うか ら、チンプンカンプンになってしまったと。例えば 実験の説明のときでも、実験ではこれしたらええの やと思ってたのに、ワーと言われて訳分からんよう になって、混乱していると。でも後で見たら、それ は単純に言えば、俺の勉強不足であって、その後何 人か勉強をょうするやつが、こんなことやってると 説明したら、あの先生は難しいことを言うてたけど、

それはまともなことを言うてたんやなと。こういう 経験が僕らは後で大学の授業ゃなという感じがす

る。考古学も一緒と違う ?

山根

結局、如何に学生にきちんと講義内容を伝えるか が重要で、『大学改革への決意』にも書かれている ファカルティ・デイベロップメント、我々がまたそ こで教育を受けさせられるわけですが、そういうこ とをやりながら契約をきちんと守っていきましょう みたいな話が今後の方向性ということなのでしょう ね。

灘本

工学部の先生方は個人的に聞いてみると、こうい う制度を、理事長が工学部の先生だからということ もあるけど、わりと肯定的なんやで。若い人に聞く と、理由は極めてシンプルで、例えば授業でも、よ っぽどひどい人がおるんですと。この資料のどこや 12・人間文化

ったかいなといったまま授業が終わってしまった り、まったく準備していないのが読み取れると。そ ういう先生についてはやっぱり改善が必要でしょ と。そら必要ゃなと。こういう制度を持ち込んでい ったら、それが引っかかってくるんですと。改善が 出来るんですと。大部分の95%とか98%のほっとい てあげたらいい先生がいるのに、 1%の人をチェッ クするために、なんか作っているんやみたいな趣旨 で言いはる。全部そうやと思うよ。これなんかやっ ぱりおかしいね。手段のとり方としては。確かにお るんやろな、 100人いたら 1人くらいおるかもしれ ん。私らも二日酔いのときはひょっとしたら危ない。

年がら年中二日酔いみたいな先生もおる言うてはる から。

菅谷

某先生はセンター試験の監督に、 二日酔いで来て はりましたからね、そういう人もいるんでしょ。変 わった人も。199人も職員がいたら、 5%はおりま すよ。それは人間社会の定理です。5%の異端のた めに、全員が異端視されたらたまったものではない。

灘本

むしろ問題は内部の先生方はお互いに分かつてい るはずやのに。学生からうわさ聞いたりするはずゃ からね。指摘できないということが問題。別に罰則 があるとかそんなことゃなくて、ちょっと先生考え ていかなあかんでと。それが助教授やったら、教授 の人は言うてあげるんやろね。その人が教授の場合、

助教授はあの先生に言えるかという問題はあるけど も、よっぽどひどかったら言うべきよね。あるいは 感じた学生が言うていくべきや。うちは自治会がな いから出来ないけど、残念ながら。そういう人を検 出するために、非常に特異的な分析手段を導入しよ うとするのは、やっぱりおかしいわ。授業は年毎に 内容が変わる。それはレジメを作るときに準備され たものではなくて、その時のトピックが入ったり、

そのトピックは年によって違いますよね。そういう のを楽しみたいというか、学生と一緒に。栄養の世 界は奥深いのやねと、いろんなことが関与してくる んやということを学生の一部の人にでもわかっても らいたいし、若い先生は年の先生とは違うけど、ち ょっと経験を積んで、きたら、知識だけは広がってい るから、栄養学の狭い範囲ゃなくて、関係したこと はザクッと教えてあげられるようになってきたし、

(15)

言うてあげたい。それは栄養学の本流でないか、基 礎のことで。そんなのレジメに載せられないし、学 生はたぶん納得していてくれると思うから。そうい うのを捨ててしまえというのは、システムが決まっ ている工学部流のやり方であって、工学部でもたぶ ん反対する先生がおると思うけど。

山根

工学系でも、建築分野はわりと文化系的なところ があるから、大学時代、講義は色んな方向に話を展 開される先生がおられて、そういうのはいまだに記 憶に残っています。

灘本

少なくとも「人が育つ」ということと合致する

GPA

制にしてほしい。それやったら、ひょっとし たら滋賀県立大学独自の何か制度になるかもしれな U、。

菅谷

「人を育てる」ゃなしに、「人が育つ」というス ローガン。

灘本

それが嫌なら「人が育つ」というテーマを取って 欲しいもん。

山根

でも「人が育つ」という理念はやっぱり繰り返し 謡われているわけですよね。

菅谷

大学のパンフレットに理事の人たちが書いている のを見たら、「人を育てる」ですよね、明らかに。

山根

「人が育つ」という言葉だけで人が育つといいん ですけどね。

灘本

人間文化の多くの先生は、「人が育つ」というこ とに共感を持っていて、部分的に実践をしている。 出来るから、少人数で。それと相反することを別の

ところで持ち込もうとしているけれど、それなら

「人が育つ」ということをスポイル、キャンセルす

人間文化座談会

るようなことを問題提起してくれと、そんな生ぬる いこと言うてられへんのやと。それで激論してもい いかもしれないよ。

研究費問題について

山根

現在の教育に関する動きについて、やっぱりそれ は根本的な大きな問題のひとつだという認識です ね。

研究の側面に関してはどうでしょうか。具体的に 言うと、研究費の問題の話だとか、評価が給与体系 に反映してくるとか、先の 『決意』の中にも馬場副 理事長は明記されてますし、研究者の立場として、

法人化の中でどうなんだろうかと。

灘本

ちょっと横道にそれますが、ついこの間の新聞に、

大きな企業の役員の方の報酬がかなりの率で成果主 義になっていったということが書かれていました。

評価を受けてやるという、 一律ではなくて。ここで 言うてる、その人の業績を評価して、それを一般研 究費に反映しようという概念は、企業でも持ち込ま れている制度を、こういうところにも持ち込んで、み ようということやと思うんです。じゃ、嫌味だけれ ども、うちの大学は理事なり役員の評価というのは どのようにしてなされているのか、あるいはそれが 彼らの、彼らには研究費はないんかもしれんね、ひ いては報酬にどのように反映させようとしているの か。まずそれを決めるのが先決であって、身を正し て、さて皆さん方もある程度はやっていただかなく てはいけませんよと。元々少ない金額なので、研究 費にしても給与にしても。菅谷先生は多いのかな?

菅谷

少ないですよ。僕は退職の記念会があれば言うつ もりですが。

灘本

給料の話を2人と話をしていたんですが、 1人は 会社の研究員の子、そこは給料少ないんですわ。ボ ーナスが山ほど多いんです。びっくりするくらいで すよと言うてたわ。灘本先生らょうけもうてはるん やろなと言うから、だんだん腹が立ってきたから、

給料明細見てみと言うたら、ひ っくりしてた。どれ 人間文化・ 13

(16)

人間文化座談会

くらいやと思ってたんやと聞いたら、少なくとも 100万ぐらいの名目か手取りか知らないけど、ある と思っていたと。大学の教授級ゃったらと。全然な いんやと。昨日は、コンピューターの業者さんと話 してたんですが、あの人も多いと思ってるんや。僕 手取り50万ちょっとくらいやでと、これで家族6人 を支えてきたんやでと言うたら、ぴ、っくりして、最 後は慰めゃないけど、 「一般世間で手取り50万くら いを稼ごうと思ったら大変なんですから」と言うて やったから。あれ? 俺だけ少ないんと違うやろな。

そんなもんでしょ?それに反映させようとしている わけですわ。何年か前に、京都のある社長が偉そう に言いよるんやわ、友達やけど。講演会で、 「大学 の先生は給料は半分にせい」と言いよったんや。さ ぼっとるからと。小学校や中学校は大変ゃから倍に せいと。で俺は親しいから質問したったんや。「大 学の先生の給料を言うてくれ」と。「例えば俺は何 ぼもろてると思ってる?

J

と。やっぱり100万くら いと言いよるんや。そのとき、それの半分以下やで と。そんなん知らずにそんなことを言うたらあかん のと違いますかと。中学校、小学校の先生、倍にせ いと。基本的に小学校の先生も中学校の先生も高校 の先生も大学の先生も変わらないんですよ。そんな こと知って言うとるのかと聞くと、いや、大学の先 生はようけもろてると思ってたんやと。だから元々 少ないので、まず、そういう評価をすべきであって、

僕の意見はそうですわ。ょうやってますね皆さん、

というのをまず考えるべきだと。うちの大学はそれ なりに頑張ってきょったと。関学以来の10年間。き て、もうちょっと直すとしたら何ですかなというシ チュエーションゃったら、皆さん協力してくれるの 14 ・人間文化

に、あかんと、このまま行ったら沈没すると。誰も 沈没するとは思っていない。デザインはこれからチ ヨコチョコ変えていけばすり抜けていける、少なく とも10年や20年は持つやろにと思っているのに、な んか変革をしていないと、理事側の仕事をしたこと にならない。それはやっぱりおかしいと思うわ。ま ず、最初に本質的なことをぱっと押さえて置くべき ゃと思うわ。

菅谷

給料に研究成果を反映させるというのは、賞与部 分と本給分がありますが、本給分にそういうのをす るのは、 WHOも禁止しています。ボーナスは個人 によって差が出る。それも一般的には2割ぐらいで す。2割上下ですから、 4割差が出ますけど、 Oに は出来ないわけです。本給に関係するのは、労働組 合の同意がいるわけです。労働組合的な発想と、教 員の研究意欲を燃やすという研究向上面とか、ちゃ んぽんになっています。ちゃんぽんになっているか ら、議論がみんなうまくいかないと思う。

もう一つ、研究費のことです。科学研究費を、私 が代表者でもらっているのが、 12年間で9年くらい あったと思うんです。誰が褒めてくれました?何も 褒めてくれない。大学としては、 理事会になって、

これだけ科研費を取りましたとか外に向かつて言っ ているけれど。誰が僕を褒めてくれたか?理事長以 下誰か 「菅谷さん今年も取ってありがとうございま した」と。変な話やけど、そういうのも必要やと思 うんですね。新聞に県大の名前を多く出してもらっ てと誰がお礼を言ってくれましたか。新聞に名前が 一回載ったから給料増やすというのも、社会貢献と

参照

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