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宮崎, 克則

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Academic year: 2022

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(1)

九州大学学術情報リポジトリ

Kyushu University Institutional Repository

The Mountains of Siebold 'NIPPON' and Bunchyo Tani 'MEIZANZUFU'

宮崎, 克則

九州大学総合研究博物館

https://doi.org/10.15017/7987

出版情報:九州大学総合研究博物館研究報告. 4, pp.39-92, 2006-01. The Kyushu University Museum バージョン:

権利関係:

(2)

シーボルト rNIPPONj の山々と 谷文晃『名山図譜 J

宮崎克則

百 eMoun旬insof SieboldNIPPON' and Bunchyo百回 島fEIZANZUFU' 

K a 飴

UDOri阻

YAZAKI

対 f大 学

a

合耐鵬駒館:〒8l2‑8I渇1稲岡市東区箱崎6‑10‑1

τ h町usbuu:凶ver温tyMu民um:自由沼副J>.lO‑lHioshi‑ku. Fukuoka. 812舗81Japa且

はじめに

文政

6

年

( 1 8 2 3 ) ‑

文政

1 2

年

( 1 8 2 9 )

、長崎出島にある オランダ商館の医師として滞在したフイリップ・フランツ・フ ォン・シーボルトは、日本をはじめ朝鮮・アイヌ・琉球につい ての情報を集め、帰国後の

1 8 3 2

年から

r N I P P O N

一日本 とその隣国・保護国〈蝦夷・爾千島列島・樺太・靭鮮・琉球諸島〉

の記録集、日本とヨ』ロッパの文書およぴ自己の観察によるー』を 分冊で出版した。

r N I P P O N J

は本文編と図版編からなり、図肱は

3 6 7

枚 におよんだ。当時のヨーロッパ』こおいて、日本はいまだに 未知の固であり、多量の図版が配られたことによって、購 入者たちは容易に日本をイメ」ジすることができた。

r N I P P O N J

困臨のうち、仏像や社寺を描いた宗教関係 の絵が

7 3

枚でもっとも多く、次いで茶器・楽器・家具など の器物を描いたものが伺枚、最上盤内や日本妻「おた〈

き

J

などの人物を描いた60放とつづ〈。そして、日本の 山・JIIや街道などの風景を描いた絵は57枚である。

風景を描いた絵の多くは、文政

9

年

( 1 8 2 6 )

の江戸参 府のときの街道筋の風景であり、シーボルトの専属絵師 というべき川原慶賀のスケッチを原画としている。しかし、

捕かれた日本の山々20か所のうちには、シーボルトが見 たであろう雲仙岳・宮士山などもあるが、行ったことのな

い奥州の御駒岳(駒ヶ岳)・厳木山(岩木山)なども含まれて いる。

シーボルトは何をもとに日本の山々を描いたのであろう か。なお、

r N I P P O N J

の図版はシーボルトが描いたもの でなく、彼がオランダの石版画家たちに依頼して描かせ たものである。山々を石版画にしたのは、すべてNader

(ナーデル)であり、図版の右下に極めて細かいラテン語で rL.Nad町 泊 lap̲deJin̲

J

と印刷きれている。 L.Nader石 版 画 の 意 で

I L N  r u l e r   u v   z a . n . 必n . I 

ある。ナーデ│ 7  ‑‑

I 

ルは、辞害によると(1)、

1 8 1 1

年頃にドイツのKarlsruhe

(よυ /も " へ)で生まれ、オランダのライデンで石臨画家

として活動した。スイスの山岳風景を描いた作品がライ デンの閏立版画室にある。シーボルトは、山の風景が得 意であったナーデルに日本の山を依頼したのであろう。

G自

(l)Allegemeines L田ik.onder bildenden Kunstler四nder Antike  bis zur Gegenwa凡 /U.TIlieme und F.Becker/ VEV 

E.A.Seemann Ver凶gLeipzig/1907・,1937

Le刻onNede同andseBeeldende Kunstenaars: 1570‑1950/ 

Pieter ASheen/Kunsthandel Pieter A.Scheer可N.V/19B9

柵 h

山 . , ̲ 山 崎

(3)

. シ イ ル ト 同 … 峰 雄 『 名 山 図 譜 』

...姐回 d罰盛岨a、u四吃町....a..巴句o Tai~・

l . rNIPPONJ のなかの山々

山々を描いた図版は第6回配本であった。このとき 配られた図版は21枚。山や奇岩を描いた絵が16枚。

「おたくさ」などの人物画5枚であった。そして、配られ た本文は5回配本の続きとして江戸参府(長崎 小倉)の 旅行記であった。

図版と本文はそれほど対応していない。第1回配本

(1832年)から第13回配本(1851年)のうち、当初は対 応する図版と本文が配られていたが、次第にずれるよ うになり、その始まりは6岡配本から認められ、しだいに 激しくなっていく。

6回配本の内容をしめす目録のrINHALTJによると、

山々の図版はrNIPPONrrJとなっている。だが、実際 の図版にはすべてrNIPPON1 Jと印刷されている。

rNIPPONj は I~ 咽の7章構成であり、 rNIPPON IJ  の第1章は日本の地理とヨーロッパ人による発見史につ いて、 rNIPPON rrJの第2章が江戸参府の旅行記・日 本民族と国家についてとなっている。山々の図版は、

江戸参府の旅行記と関連するものとしてrNIPPONrrJ  に入れるべきか、または日本の地理としてrNIPPON

IJに入れるのが適切なのだろうか。

このような違い・ミスは他にもあり、rINHALTJと図 版を並べていくと、 rNIPPONjはかなり「雑」な配本状 態であったことがわかる (1)。このことに対する購読者 からの苦情もあったようで、シーボルトは13回配本時の rINHALTJで苦情に対する詫ぴを載せている。彼は 次年度にrNIPPONJを完結させること、本文と図版の ズレの聞に「系統的な秩序」をつけることを約束したが、

それは実現できなかった。

第5回配本では、長崎から小倉までの旅行記とそれ に対応する図版が配られた。 6回配本は続きの小倉ま での旅行記と山々などの図版。小倉から以東の旅行 記は11回配本で出され、下聞から瀬戸内の室まで記 述された。このとき配られた図版は瀬戸内を越えて京 都・東海道・江戸の風景までとなっている。結局、室か ら東部の陸上1レートについての旅行記は出ておらず、

未完に終わっている。文章は長崎から室までであった のに対し、図版は長崎から江戸まで配られた。

今日、私たちは東洋文庫『江戸参府紀行 ージーポル

トー

J (

斎藤信訳、平凡社、1967年)によって、容易にシーボ ルトの江戸参府の様子や江戸滞在中の記録を読むこ とができる。しかし、それは初版のWNIPPONJに含ま れていなかった。江戸までの部分が出たのは、明治30

年(1897)に刊行された第2版であった。 2版はシーボ ルトの死去後、息子であるアレキサンダーとハインリッ ヒが中心となり、日本からも華族などが後援してシーボ ルトの生誕100年を記念して出版された。 2版では、初 版の内容が削除されたり、追加されたりした部分が多 く、内容的にも形態的にも初版と大きく異なる(2)。江 戸参府の記事は、2人の息子が残っていたシーボルト の原稿 (3)をもとに修正・追加したものである。

初 版rNIPPONJに収録された日本の山々うち、富士 山・雲仙岳・阿蘇山などいくつかの山については火山 と地震の関連から若干の解説をシーボルトは書いてい るが、その他の山々については初版にも2版にも出て おらず、シーボルトがどのような意図をもって20の山々 を選定したのか不明である。そこで、ここでは何を原 画としているのか、その異同はどうなっているのかつい て検討する。従来からrNIPPONJに掲載された山々 が谷文晃『名山図譜』をもとにしているとの指摘はあっ たが(4)、具体的な検討は行われていなかった。

シーボルトが掲載した日本の山々は、妙義山(群馬県)、

箱根峠(神奈川・静岡県)、愛宕山(京都府)、吾田多良山 (安達太良山・福島県)、小野岳(福島県)、御撮山(木曽御緑、

長野・岐阜県)、白山(岐阜・福井・石川県)、霧島山(宮崎・鹿 児島県)、浅間山(長野・群馬県)、阿蘇山(熊本県)、鳥海山 (秋田・山形県)、富士山(山梨・静岡県、富土山については山 頂を描いた絵もある)、巌!日山(岩手山・岩手県)、巌木山(岩 木山・青森県)、御駒岳(駒ヶ岳・岩手県)、大山(鳥取県)、御 岳(桜島岳・鹿児島県)、雲仙岳(長崎県)、金華山(宮城県)、

五剣山(香川県)の20か所である。

これらの山々は、rNIPPONJ図版に使用された紙の 基本形、当時のオランダで定評のあったファン・ヘルダ ー社製の大判の厚手紙(縦79咽×横59.5cm)に印刷 されている。妙義山から御撮山までは1山1枚であった が、 白山以降の山々は2山を1紙に節約して印刷されて

闘 車 山

8 一 一

(4)

いる(針。そして画の左下に、ナーデルは極めて細か な文字で文晃の絵をもとにしたことを明記している。

l . B un 均 . r o . r w n 山 │

o.t:l 

(l)獄購f復元:シ‑if.JレトrNIPPONJの配本J(rカ氏扶学総合研究博物館研究報告J3号、2005年) (2)錨割前シ‑if.JレトrNIPPONJの・誌学研到<r向上J2号、2004年)

EaIrm!.幅縮刷応宮崎克則

(3)シーボルトのEI=臨r1826年の移府旅行中の巴記J1志、窓際情fシーボルト重量潟熊行時吻8::i:J(原文畑出版、1983年)で1R曲されている.

(4)省くは威厳長湯『シ‑nfJレト大司豊田本に潟ぐる温泉娠の絵は谷文甥画く所の雲仙醤に拠りしもの1J.る$の交渉Hr長崎鍛調書11:3筒、 193:3年)、策IH fシーポJ'I.Iトf日本1の図録についてJ(

r

シーボルト日本1図録第1聖書、雄総盤、1978年}

(5)初版rNIPPONJには餓制緩もaる.それを所蔵"Jる東洋文庫・シ‑iI{Jレト記念館者E鍋査した総菜、糊j版以ファン・へJレダ一社製の大綱UII繍 79切lX横 59.5α1)をと幹切し、これに印刷している.本稿で使用するrNIPPONJ図版ICI:、力氏扶学s学銀法医学教室が大正15年に般入したものであり、これ依色 つきの大判である.大事ut草余白fjI,広く、調王在学切しても同じ右娠で印刷することは寸分に可能であった.

自由と霧島山

自山と

1 1

島山

1;‑.111M.¥ ,"1.¥ 純白、

総制服・東洋文館2容

大判、力洲夫学本

-".."... . ~…

(5)

I~シ一 rNlP畑町…問削N…と浦谷鍛制文鳩矧易創綿f陀叫名

τ..箇旬‑歯..r晶岨、思劃I'ON".目嘩....圃11)0>'守.、富zN冒沼ro'

2 . 谷文晃 f 名山図譜』

オランダのライデン大学図書館には、シーボルトが第 1次来日時に収集した和書類をはじめ、多くの日本関係 古書が保管されている。そのなかに文化元年(1鉛4)

f

名山図譜』が事る(1)。縦29.6cmX横19.6cmの大本 で3分冊。建築には「メイサンヅフ

J

のカタカナ読みが 書き加えられており、別にf149 名 山 図 譜 淡 海 谷 文 晃鎗圃全三冊」の貼り紙がある。

この貼り紙は、収集した図書類をシーボルトが助手 のオフマン・郭成章とともに整理して、 1845年に刊行し た目録を切り貼りしたものであり、筆跡は完全に一致す る。目録は125部発行され、巻頭にはラテン語によるシ ーボルトの緒言と目次があり、第1部の「百科事典類j から第11部の「木版図

J

まで内容により詳しく分類され、

一連の番号が付されている。ラテン語に翻訳された書 名・著者・刊記などはホフマンが担当し、漢字による目 録は郭成章が転写して石販に刷った。

f

名山図譜jの 表紙に為る貼り紙は、郭成章が作成した目録を切り取

号、貼り付けている(2)。

文化元年『名山図譜jは好評を博し、文化9年(1812)

には

f

日本名山図会』と改題されて刊行された。シーボ ルトは第2版というべき文化9年版ではなく、初肢を持 ち帰っている。しかもそれには移色が施され、山名・

地名にはカタカナの1レピが加筆されている

( 3 )

。シーボ ルトの要望に感じたものであろうとJ思われるカ雷、詳細は 不明。

筆者の谷文晃は、宝暦13年(1763)に江戸の下谷根 岸に生まれ、天保11年(1840)に78畿で没した。通称 は文五郎、名は文晃、字・号ともに文晃、別号として写 山楼・画学斎などがある。父は漢詩人としても名のあ った谷本修で、御三卿の一つ目安家に仕えていた。

文晃は、 10歳くらいから面の修行を始め、狩野派の加 藤文麗の門に入った。彼はー漉派だけに偏ることなく、

大和絵のほか商宗画・北宗画、さらには長崎に遊学し、

西洋画の遠近法、明暗法などの手法も取り入れて独特 の画風を擁立する。多くの門弟を育て、当時の江戸面 壊における指導者でもあった谷文晃には、奇行も多か ったようで、文政12年(1829)頃に江戸で出版された

f

学者必読 妙々奇談jという評判記に霊場する(4)。 その内容は、当時江戸で有名な文人連中のなかで、と

くに顕抹というべき亀田鵬斎{傷者)・大窪詩仏(詩人)・

菊池五山(詩人)・市河米庵(多象)・谷文晃〈画家)・大田 錦擁(傷者)など7入の人物をそれとわかる蝦名マ登場 させ、ある日、それぞれのもとに、その道の先遣という べき故人や神仏カf訪れて、その俗物性や未熟さをあげ つらい、散々に郷撤して閉口させるというものである。

当時、谷文晃という画家が江戸で大きな関心を呼んで いた様子がわかる。

彼の楽しみは、数

1 ω

匹の「おたまじゃくし

J

を入れた 水鉢を倒に置いて絵を画くことだった。おいおい成長 して、水鉢から外へ飛び出すのを見るのがことの外の 崇しみだったという。また朝起きてから夜寝るまで小さ な猪口を側に置いて酒を飲んでいたという。

谷文晃は、天明8年(1788)26農のときに田安家の奥 謡見習いとなった。田安宗武の7男カ裕平定信であり、

定信が白河藩主になると、文晃は定信にしたがってた びたび白河に赴いている。定信は文晃の5歳年上で、

寛政:8(1796)年には文晃などに命じて、

f

集古十種j編 纂のために畿内の吉社寺にある古器・古書などの調 査、模写をさせている。『集古十種jとは、定信の好古 癖から鑑銘・碑銘・兵器・銅器・療器・文房・扇額・印 章・法帖・古画の10種について集大成した考古図譜で あり、玉石混交だが、各宝物の標語・所在・寸法を記 述、貴重な考古学資料を含む85巻におよぶ膨大なシ

-",.."... . ~…

(6)

リーズで為る。文民は資料収集のために江戸 京都 を往復し、途中で多くの山々を見物し、筆を執って写 した。文晃の描く山水面は、眼前の自然と向き合い写 実的に描く真景図であり、多くの山水画を描いている。

なかでも富士山を描くのが好きであり、自宅の楼上か ら富士山がよく見え、好んで富士山を描いた。

松平定信の著した

f

退閑雑記

1

前績のなかに、谷文 晃の人物評がある。それには、

回 邸 の 文 晃 通 名 文 五 郎 面の事に達したりけり、

ことに好事好古の癖あり、また山本をこのをr、年おき なき頃より諸国を遊歴し、我国において行みぎる固 は回、五ケ固に過ず、名士みなかれが交るところと す、わづか三そぢ余りなり

とある。定信の自序によ号、

f

退閑雑記j前績が舎かれ たのは寛政5(1793)‑9年であることが判明しており、

文晃はそのころ30歳を越えたところであった。彼はす でに日本中を遊歴して、行ったことがない国はわずか弘 5か固に過ぎなかった。

f

名山図譜jに掲載された山々 は、北は蝦夷地の自岳から甫は磁調医の御岳(桜島)ま

で87山で~る。 f名山図譜j の自序を要約すると、

自分は幼いときから山 水を好みよ方々を漫遊し、

名山・大JJ[を写生し蓄 えてきた。すぐれた山岳 の景色は速いところにし か求められないものであ り、その形、姿には尽き ることのない意味が含ま れている。河村錦城先 生は自分と同じ趣味が あって、常日頃から観賞

する画はすべて真景でなければ気に入らなかった。

t迎

EaIrm!.幅縮刷応宮崎克則

錦域先生は、圏内の景勝地の画はことごとく所蔵し、

これを一人静かに壁に掛け、臥遊を楽しんでいる。と くに愛蔵している数十輔の多くは自分が措き送った作 品である。事和2年の夏、そのなかの100余景を縮写 して冊子とし、その名を名山固とした。

とある。出好きの谷文晃と河村錦織は、ともに名山図 を楽しむことができるように、木版画集を出版すること を思い立った。

f

名山図譜jはまさに名山の面集、晋面 のための画手本であり、内部には山名と地名が記され るのみである。河村錦繊は、名は元普、字は子長、通 称は寿庵。南部藩の出身で江戸に出て名医として知 られ、松浦静山

f

甲子夜話

J

には「寿癒

J

はとても富織 を愛して何度も登っているとある。

事和2年(1802)夏、錦減カ電所蔵している山水奇勝図 のなかから1∞余を遺ぴ、文晃がこれを縮写した。そ して、これを編集して

f

名山図譜jを出した。板は文化 元年(1804)9月に作られ、書物問屋組合の

f

割印帳j

〈新

4

反容の闘板販売静可の公的記録)によれば、文化元年 12月23日の割引で許可され、文化2年春に販売された と記されている。これは3巻本であるが、天・地・人に は分けられず、 87の山々が収められた(5)(図としては部

?あるが、妙義山は全体困と部分を描いた中級右門の2ttがお る)。

f

名山図譜jの初版は、私家版に近いものとして知人 の聞に渡る程度であったから、刷り部数も少なかった。

その後増刷りされ、文化4年(1807)の重販の際には、

錦城の子、博の進言により盛岡城下からみた磐手山 (岩手山}と南部の玉東山(銀神山)が追加された。さらに 文化9年には、一般向けに

f

日本名山図会jと改題して、

江戸の須原屋茂兵衛をはじめ、京都・大援の三都の 書庖がきそって版元となり刊行された。これは天・地・

入の3巻からなり、版型もひとまわり小さくなった(6)。

。

Hオランダ園内所蔵現治以前日本廃係コレクションJ(アムステルダム 1996年〉のB録でI;l.:、f名山図脂jの調書号litUB365と忽っている.

(2)fシーボルト蒐集日本酒・日銀J(

r

シーボルトのf日本JO)研究と解悦J、閉鎖位、1977年)が目録者E夜刻している.

(3)大.餓曾后による1978年の陥山図陪J復刻版、国t!Jf!府会による1970年の旧本名山国会J復興版(領口秀雄f谷文ftの10覚書J)に6いて、彩色さ れた

r

4!i山図譜H日本名山回会lの存在{芯報告されてい拡い.

(4)河野元日目f谷文見J(

r

巴本の策術J257号、歪文怠、1987年) (5){1回全主谷穏幸f江戸入が鐙った百名山j解駁{小学館文

m

1999年〉

-".."... . ~…

(7)

. シ イ ル ト 同 … 峰 雄 『 名 山 図 譜 』

...姐回 d罰盛岨a、u四吃町....a..巴句o Tai~・

* r

名山図譜Jに掲載された山名(現在名と所在府県名)を分冊ごとの順iこ掲載しておく。

1巻‑1. 金峰山(山よケ岳、奈良県)

1巻‑2. 冨士山(富士山、山梨・静岡駒 ※rNIPPONJに掲載されたのは別の図 1巻‑3. 妙儀山(妙義山、群馬県)

* 

rNIPPONJに掲載

1巻‑4. 浅岡山(長野県・群馬県)

* 

rNIPPONJに掲載 1巻‑5. 磐梯山(福島県)

1巻‑6. 吾回多良山(安達太良山‑福島県)

* 

rNIPPONJ 1こ掲載

1巻‑7. 巌嵐山(岩手山‑岩手県) 1巻‑8. 鳥海山(秋田・山形県) 1巻‑9. 金剛山(奈良県) 1巻‑10高野山(和歌山県) 1巻‑11 比叡山(滋賀県・京都府) 1巻‑12.白山(岐阜・石川1.福井県) 1巻‑13.秋葉山(静岡県)

1巻‑14.駒岳(木菌駒ヶ岳、長野県) 1巻ー15.御巌(木曽御嵐山、長野・岐阜県) 1巻‑16.七時雨山(岩手県)

1巻‑17.愛宕山(京都府)

1巻‑18.血吹山(伊吹山、滋賀県・肢車県) 1巻‑19.大山(静岡県)

1巻‑20.那須山(那須岳、福島県a栃木県) 1巻‑21.天城山(静岡県)

1巻‑22.彦山(英彦山、福岡・大分県)

* 

rNIPPONJ 1こ掲載

本 rNIPPONJに掲載

* 

rNIPPONJに掲載

* 

rNIPPONJに掲載

* 

rNIPPONJ (こ掲載

* 

rNIPPONJに掲載

1巻‑23.笠置山(京都府) ※『名山図譜lは『在播磨州」とするが、播磨に笠置山はなく、山城(京都府)の笠置山に比定されている。

1巻‑24.葛城山(大阪府・奈良県) 1巻‑25.笹山(鋸山、干葉県) 1巻‑26.加納山(鹿野山、千葉県) 2巻‑1. 中獄石門(妙義山の部分、群馬県) 2巻‑2. 碓井積(碓氷峠、群馬県・長野県)

2巻‑3. 天岳(尼ケ岳、三重 馬

2巻‑4. 箱根嶺 (箱根峠、神奈川・静岡県)

* 

rNIPPONJに掲載

2巻‑5. 日光山 (男体山、栃木県) 2巻‑6. 無終山 (果無山、 奈良・和歌山県)

2巻‑7. 大苅田山(青麻山、 宮城県) 2巻‑8. 半田山(福島県)

2巻‑9. 三よ山(滋賀県)

2巻‑10.那智山(和歌山県)

2巻‑11.象頭山(琴平山、香川県) 2巻‑12書菊山(書写山、兵庫県) 2巻‑13春日山(奈良県) 2巻‑14摩那 山 (摩耶山、兵庫県) 2巻‑15足高山(愛鷹山、静岡県) 2巻‑16多度山(三重・岐車県) 2巻‑17恩来寺山(鳳来寺山、愛知県) 2巻‑18足柄山(足柄峠、神奈JII・静岡県) 2巻‑19二上山(大阪府・奈良県) 2巻‑20.八岳 (八ヶ岳、長野県) 2巻‑21.先山(兵庫県) 2巻‑22.南昌山 (岩手県) 2巻‑23.臣卜釜山 (釜臥山、青森県) 2巻‑24.御駒岳(駒ヶ岳、 岩手県) 2巻‑25.早池峯(早池峰山、岩手県)

事 rNIPPONJに掲載

闘 車 山

8 一 一

(8)

2巻‑26.内浦岳(駒ヶ岳、北海道) 2巻‑27.臼岳(有珠山、北海艶 2巻‑28.恵山(北海道)

2巻‑29.:1ft謂渉(樽前山、北海道) 2巻‑30志利遁津山(後方羊蹄山、北海道) 3巻‑1. 赤城山(群馬県)

3巻‑2. 恵奈山(恵那山、長野‑岐車用 3巻‑3. 金華山(宮城県)

3巻‑4. 百丈岳(錫杖岳、三重県) 3巻‑5. 六甲山(兵庫県) 3巻‑6. 立山(富山県)

3巻‑7. 例通寺山(大峰山、広島県) 3巻‑8. 雲仙岳(長崎県)

3巻‑9. 巌木山(岩木山、青森県) 3巻‑10.霧島山(宮崎・鹿児島県) 3巻ー11 .雲烏嶺(大雲取山、和歌山県) 3巻‑12.筑波山(茨城県)

3巻‑13.武光山(武甲山、埼玉県) 3巻‑14.清水山(兵庫県) 3巻‑15.阿蘇山(熊本県) 3巻‑16.吉備中山(岡山県)

3巻‑17.高峰(高見山、三重・奈良県) 3巻‑18.朝熊山(朝熊ケ岳、三重県) 3巻ー18.比良山(滋賀県)

3巻‑20.屋嶋山(屋島、香川県) 3巻‑21.:n銀山(五剣山、香川県) 3巻‑22.朝日岳(旭岳、福 島 周 3巻‑23.榛名山(群馬県) 3巻‑24.二股山(二岐山、福島県) 3巻‑25.高原山(栃木県) 3巻‑26.堕原山(塩原山、栃木県) 3巻‑27.吉野山(奈良県) 3巻‑28.小野岳(福島県) 3巻‑29.米山(新潟県)

3巻‑30.御岳(桜島岳、鹿児島県) 3巻‑31.雄鹿山(男鹿山、秋田県) 3巻‑32.大山(鳥取県)

* 

rNIPPONJに掲載

* 

rNIPPONJに掲載

* 

rNIPPONJに掲載

* 

rNIPPONJに掲載

* 

rNIPPONJに掲載

本 rNIPPONJに掲載

* 

rNIPPONJに掲載

* 

rNIPPONJ (こ掲載

* 

rNIPPONJに掲載

女シーポル卜が 『名山図贈』か5採用したのは、 1巻から9園、 2巷か52園、 3巻か59図であった。

3 .  WNIPPONJ に掲載された山々の比較

駒 山iMIYAZ四 宮 崎 克 則

シーボルト rNIPPON~(1)に描かれた日本の山々と、

『名山図譜』の山々を比べてみよう。『名山図譜』は、

1978年に大修館書庖から覆刻された文化元年版(同2 年刊)とシーボルトが持ち帰ったものを用いる。さらに、

現在の山容とも比較するために(2)、山岳写真家の三 宅修氏が苦心して撮影された写真も併せて掲載する

(3)。

闘 車 問

8 … 一

(9)

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… 一 文 晃 刷 闘 鶏 』

百単"""皿.. 

・

ofSldx岨 NIPPON'.. 凶B凶起句噌τ'aIII'MI!lZANZUFU'

妙 義 山

rNIPPON I.

タイトル:MIJOGI‑SAN  原 画 :Bun凶uja凹n,pinx 番 号 :NIPPONI  TAB 1 c  石 版 画 :LNader in lap del皿

『名山図譜J(シーボルト所蔵) 山 名:妙骨量山

カタカナ読み:ミヤウギサン 所 在 地 .'在上毛州甘楽郡

妙義山は、群馬県甘楽郡妙義町・下仁田町と碓氷 郡松井田町の境にあり、標高は1104m。赤城山・榛名 山とともに上毛三山の一つで、九州の耶馬渓・小豆島 の寒霞渓とともに日本三大奇勝の一つに数えられる。

中仙道を通る人はだれでも目にする山容の怪奇な山で あり、奇峰として人々に知られている。覚政8年(1796) 5月28日に江戸を発った谷文晃は、広瀬蒙斎とともに中 仙道を通って京都へ向かった。 6月5日、彼は高崎の宿 を出て妙義山に登っている。妙義山は山岳信仰の霊 場として古くから人々の信仰を集めており、山の東腹に 宣化天皇の2年(537)に創建されたと伝えられる妙義 神社があるから、それへの参詣であろう。

ナーデルはかなり忠実に写しているが、画の右下の 木々・旅人に変更が認められる。『名山図譜jでは3人 の旅人が描かれているが、ナーデルはこれを7人に増 やし、物売りのような人物も加えている。

シーポJレト所蔵『名山図譜I

珊TbeXJu血

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妙義山(松井田駅付近より)

rNIPPONJの旅人

『名山図譜』の旅人

(10)

駒 田 閣 畑 山E 宮 崎 克 則

rNIPPONJ 

『名山岡糟』

芝 山 時 一符

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箱 根 峠

rNIPPONJ 

タイトJレ:HAKONE‑TOGE  原 画 :Buntsiu japon,pinx  番 号 :NIPPON 1 TABII c  石 版 画 :L.N ader in lap delin 

山f名山図譜J(シーボルト所蔵) 名

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板 嶺

カタカナ読み:ハコ子トウグ 所 在 地:在相撲州足下郡

箱根峠は、神奈川県足柄下郡箱根町と静岡県三島 市・田方郡函南町の境にあり、標高は849mである。

谷文晃の画は、小田原から須雲川に沿って行く畑宿を すぎた辺りの箱根路の景色で、左手に見える山は扉風 山と双子山、深い谷を刻んで早川が流れている。

ナーデルは、より奥行きのある画として描き直し、滝 を新たに付け加えることによって、高低差を強調してい る。『名山図譜』には多くの木々が描かれているが、こ れを数本に省略し、左隅にいる2人の旅人は荷を運ぶ 1人の農夫に変わっている。

シーボルトは、文政9年(1826)に江戸参府するとき実 際にこの峠を通っている。彼の聞記J(4)によると、往 路は天気もよく、富士山の絶景を楽しむことができた。

富士川の左岸で六分儀を使って富士山の高度 (8度44 分)を計り、箱根路に入る。街道は舗道のようにたくさ んの石が敷いてあり、両脇には背の高い松の木が植 えであった。ヨーロッパ産のものに比べると、鳴き声が やや短く調子が外れているというウグイスの声を聞きな がら、芦ノ湖にいたる。箱根関所では、大名と同じ待 遇であり、駕箆に乗ったままでよかった。彼は植物採 集に余念がなく、これまで知らなかった植物が花を咲 かせているのを見て大いに喜んだ。

シーポルト所蔵

『名山図譜1

箱根峠(湯本より)

籍 視 路

rNIPPONJの康夫 『名山図譜』の旅人

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rNIPPONJ 

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名山図譜j

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愛 宕 山

rNIPPONJ 

タイトル:ATAGO‑SAN  原 画 :Buntsiu japon.pinx  番 号 :NIPPON 1  TABm c  石 版 画 :L.Nader i且lapdelin 

『名山図譜J(シーボルト所蔵)

山 名:愛宕山

カタカナ読み:アタゴサン 所 在 地:在山城州愛宕郡

愛宕山は、京都府京都市の最高峰で、標高924m、 京都の北西にあり、束の比叡山と相対するかのよ

うにそびえている。山頂にある愛宕権現は火伏せ の神として崇敬され、全国に1000近くの末社を散 在させている。谷文晃は広沢の池の辺りから眺め た愛宕山の遠景を描いている。

ナーデルは、山の形容はほとんど変更していな いが、前景にある柳の木を強調して奥行き感を出 し、右下部には新たに水鳥と岩場を配置し、釣り 人も追加している。

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シーポJレト所蔵『名山図贈I

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愛宕山(広沢の池よ!:>)

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『名山図譜』旅人

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安達太良山

rNIPPON I.

タイトル:KODATARA‑JAMA  原 画 :Bun凶uja凹n,pinx 番 号 :NIPPON 1  T ABN c  石 版 画 :LNader in lap del皿

『名山図譜J(シーボルト所蔵) 山 名:吾回多良山 カタカナ読み:コダタラヤマ

所 在 地 .'在陸奥州安達郡二本松城西

磐梯朝日国立公園内の那須火山帯に属する安達太 良山(吾田多良山)は、一名「乳首山」とも呼ばれ、福島 県二本松市・安達郡大玉村・郡山市と耶麻郡猪苗代 町の境に位置し、標高1700m。箕輪山・鉄山などが連 なる火山群のー峰で、平成9年には沼ノ平で火山ガス による登山者4人の死亡事故が起きた。詩人・彫刻家 の高村光太郎が、「あれが阿多多羅山・・・

J (

樹下の二 人)と詠み、智恵子のふるさととして知られている。高山 植物も多く、初夏には「しゃくなげ

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天然記念物)が咲き みだれる。

谷文晃は安達太良山の所在地として「二本松城西」

と記している。彼が『名山図譜

J

の中で城の名を記し ているのは、安達太良山と巌川山(岩手山)のみである。

現代の写真と比べると、谷文晃の安達太良山はかなり デフォルメされている。ナーデルは、山容はほぼそのま まに描きながらも、右下に休憩する旅人を付け加え、

水辺には烏を配置している。

シーポJレト所蔵『名山図譜I

安達太良山(霞ケ減公園より)

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『名山図稽』

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小 野 岳

rNIPPON I.

タイトル:WONOGA‑TAKE  原 画 :Bun凶uja凹n,pinx 番 号 :NIPPONI  TABV c  石 版 画 :LNader in lap del皿

山

『名山図譜J(シーボルト所蔵) 名:小野昏

カタカナ読み:ヲノガタケ 所 在 地 .'在陸奥州大沼郡

小野岳は、福島県南会津郡下郷町にあり、標高 1383mのずんぐりとした山である。谷文晃の描く小野 岳と今日の姿はかなり違っており、違う山ではないかと 思わせる。小野岳の南麓には渓谷美で知られる湯野 上温泉があり、文晃の画はこの辺りから描いたもので、

大川沿いに作られた道を旅人がl人で歩いている。右 手には板状節理(火成岩の表面に生じた板状の割れ目)の岩 肌がはっきりと描かれている。

ナーデルは文晃の画をあまり変更せずに写している が、ここでも旅人を追加しており、道端で一服する者を 含めて5人を描き込んでいる。

シーポJレト所蔵『名山図譜I

小野岳(下郷町構のへつりより)

rNIPPONJの旅人

『名山図譜』の旅人

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珊TbeXJu血

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出 制 問 組 閣 宮 崎 克 則

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『名山困譜』

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御 獄 山

rNIPPONJ 

タイトル:阻‑TAKE 原 画:Bun凶ujapon.pIILX 

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山f名曲図譜J(シーボルト所灘}

~:御緑 カタカナ緩み:ミタケ 所 在 地.'在信濠州幾測量務

「木曽の御岳さん

J

と呼ばれる御緑山(御綴)は、長野 県木曽郡関田村・三岳村・王滝村と岐阜県高山市高 根町・朝日町、下呂市小坂町にまたがる。標高は 3067m。駿河の富士山・加賀の岳山・越中の立山と並 ぶ霊山として知られ、もともと修験者だけが盛る山で あった。寛政4年(1792)、御撮山の登山は軽潔斎で差 し支えないという木曽代宮の布逮が出され、多くの人 が登ることができるようになり、江戸を中心に「御畿講

J

の組織化が行われた。講の人々は「六根清浄

J r

御山 快晴jを唱え、白装束で霊山に登った。

谷文晃はf集古十種jの取材のために何度も中仙道 を通っているので、その途中で措いたものと思われる が、実際の山容に比べてかなり円錐型に描いている。

南東あたりから眺めたのではないかという。

ナーデルは、左側の谷聞の道端に設置された棒杭 も描いており、かなり正確に写しているが、人物には手 を加えている。f名UJ図譜jには荷を背負った馬と馬子 が措かれているのに対し、

r N I P P O N J

では道者のよう

な人物に変わっている。

シー~Jレト所蔵 f名山図闘j

錦織山〈薦問嶋合庁舎より〉

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f名山思歯j照子

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(20)

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rNIPPONJ 

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名山図譜j

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I~シ一 rNlP畑町…問削N…と浦谷鍛制文鳩矧易創綿f陀叫名

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白 山

rNIPPONJ 

タイトル:SIRA‑JAMA  原 画:Bun凶ujapcm.pinx  望書 号:NlPPON 1 T AB司Ic  石Z誕百:LNader in lap delin 

山

f

名曲図譜J(シーボルト所薦}

~:自由

カタカナ緩み:シヲヤマハクサン

所 在 泌.'在加賀州石川郡勝飛..中二州界

白山は、岐阜県大野郡白川村・高山市荘川町・郡上 郡白鳥町と石川県白山市・福井県大野市にまたがる。

標高は2702mo今は「ハクサン

J

と呼んでいるが、かつて は「シラヤマ

J

と言っていた。シ}ボルト所議の

f

名山図譜

1

にはこつの読み方が並記されており、rNIPPONJでは

「シラヤマ

J

カ宮採用されている。古来より、富士山・立山と ともに白山は日本三名山に数えられ、江戸時代にはこの 三霊山に登って修行することがはやり、三禅定と呼ばれた。

文人や画家の中にもこの三名山に登る者があらわれ、画 家の池大雅は三山を愛し、三岳道人と名乗った。また日 本海を往く船は沖合を通るとき、帆を下ろして白山を遁拝 し、航海の無事を祈ったものだという。海の守護神でもあ る白山は、万治2年(1659)に紺屋ケ池火口の水蒸気爆 発を最後仏3∞年以上も静まっている火山である。

谷文晃は、美義側の大倉尾根から眺めた御前峰・剣 ケ峰を措いたものと思われ、雄大な三角形の山容として 白山をみごとに描いている。白山を措いた江戸期の絵は 少なく、貴重なものといえる。ナー狩レは、構図はほぼその ままとしながらも、雲を描き入れ、より重厚感のある白山に 仕上げている。

附IPPONJでは、白山以降の山々は2つの山をセットに して描いている。印刷費の節約であろうか。白山は霧島 山と一緒に指かれてU唱。

シーボルト所蔵 f名山思稽j

白山{ひるがの梅原より}

白山と甥島山

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(22)

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霧 島 山

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タイトル:Iill江SlMA‑JAMA 原 画 :Bun回uja凹 叩 ,inx 番 号 :NIPPONI T.組閣E

石 版 画 :L.Nader泊]apdeIin 

山

『名山図譜J(シーボルト所薦)

名:鍔島山 カタカナ詑み:キリシマヤマ 所 在 地:在日向州都珂郡

露島山は、宮崎県えびの市・小林市・西諸県郡高原 町と鹿児島県番島市の境に位置し、標高は1700m。 聾島山とは露島火山群のことで、『名山困譜』にある

「西露島山」は韓国岳(17

∞

1 m)、「東露島山」が高千穂 峰(1574m)である。韓国岳の頂上は直径90伽1のほぼ 同盟の火口があり,内壁は断崖絶壁で西側が爆裂火 口のため破壊されている。また、高千種峰は、失覇円 錐形の山容でその秀麗なことは露島火山群中第ーと いう。山壁に草木はなく、赤褐色の地肌が朝日・夕日を 受けて変化する。ここには、天孫降臨の神話で名高い

「天の逆鉾」が山頂に建てられている。かつて寺田屋 騒動で九死に一生を得た坂本龍馬が、日本初の新婚 旅行として「おりょう」と高千穂峰に畳り、逆鉾を見てい

ることでも有名。

谷文昆が実際に

1 1

島山を見たのかどうか定かでな いが、今日の山容と比べると、かなりデフォルメきれた 姿となっている。ナーデルは、韓国岳から出る噴煙の 向きを逆に描いているが、その他は荒川村の家並みな

どもかなり忠実に写している。

シーポルト所蔵 I名山園曹』

'島山〈鹿児島県牧園町穏原より)

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(24)

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f名山図譜j

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浅 間 山

rNIPPONJ 

タイトル:ASAMA‑]AMA  原 画:Bun凶ujapcm.pinx  望書 号:NlPPON 1 T AB

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石Z誕百:LNader in lap delin 

山

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名曲図譜J(シーボルト所薦}

~:浅間山 カタカナ緩み:アサマヤマ 所 在 泌.'在信濠州佐久君事

浅間山は、長野県北佐久郡軽井沢町・御代田町と 群馬県吾妻郡嬬恋村の境に位置し、標高は2568m。 束の火山の代表は浅間山、西の代表は阿蘇山であろ か。シーボルトがそのことを意識していたとは思われな いが、彼は両山をゼットにした。

浅間山は束と南北になだらかに広がる広大な裾野、

中鹿以上には草木のない山肌、そして端正で雄大な 山頂をもっ名山である。

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名山図譜jには、中仙道の追 分宿から北国街道の小諸宿あたりから眺めた姿が捕 かれている。ナ山ヂルは、ほぽそのままの形で措いて おり、アレンジしたのは雲を追加したくらいである。

現在も活動中の浅間山は2004年9月にも噴火してお り、江戸時代では天明3年(1783)に大噴火を起こして いる。 5月9日から8月5日頃まで約90日聞の活動。 8月2 日には火山雷・噴石のため前掛山は火の海となり、8月 4日は北麓に吾妻火砕流を流出。関東中部は降灰のた め昼も暗夜のようになった。 8月5日午前大爆発とともに 鎌原火砕流が発生、北麓に流下、下流では泥流に変 化して吾妻JIIを塞ぎ、次いで決壊、多量の水が利根川 に出て流域の村落を流失した。死者1151名、流失家 屋1061練などの大惨事をもたらした。

シ‑ilfJレト所蔵 f名山園自j

浅潤山{/J輔市方面より}

浅間山の火口

浅間山と阿蘇山

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名山図譜j

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. シ イ ル ト 同 … 峰 雄 『 名 山 図 譜 』

...姐回 d騎盛岨a、u四吃町....a..巴句o Tai~・

山 蘇 阿

『名山図譜J(シーボルト所蔵)

山 名:阿蘇山

カタカナ読み:アソサン 所 在 地:在肥後州阿蘇郡 rNIPPONJ 

タイトル:ASO‑JAMA  原 画 :Buntsiu japon.pinx  番 号 :NIPPON 1 T AB四c 石 版 画 :L.Nader i且lapdelin 

阿蘇山(草千里浜よ!:>) 阿蘇山は、熊本県阿蘇市にあり、標高は1592mo27 

万年前から噴火活動を始めたといわれ、世界最大般 のガルデラをもっ有名な火山である。阿蘇の外輪山に ある大観峰から眺める阿蘇の五岳は、釈迦の寝姿に 似ていることから「浬繋像jと呼ばれ、根子岳を頭、高 岳を胸、中岳を腹、烏帽子岳・杵島岳を足に見立てて

rNIPPONJの鳥居と武士

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いる。

谷文晃の画は噴煙を上げている中岳をひときわ高く 描いており、現実の阿蘇山とは違っている。画中の池

は「草千里浜jであろうが、そこから見える中岳はそれ ほど高くそびえていない。

ナーデルは、霧島山の場合とは異なり、噴煙の向き を同じに描いているが、左下の部分を少々変更してい る。『名山図譜』では、木々の合聞にかろうじて鳥居が 見える。ナーデルは木々を省略して鳥居の全体像が見 えるようにし、その前に武士らしき人物とたたずむ人物 を追加している。

シーポJレト所蔵『名山図贈I

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