プロイセン一八○八年都市条令の検討
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(2) 早稲田法学会誌第三〇巻︵一九七九︶. 四六二. われの生活にとってなくてはならないものとなってきていることを示している︒このことは憲法論にも作用をおよぼ ︵2︶. さずにはいない︒従来の制度的保障説にかわって︑地方自治条項に対してさまざまな解釈上の試みが行なわれるよう. になってきた︒これらの試みに共通して示していることは︑伝来説と固有権説というこれまでの議論の出発点の限界. を指摘し︑憲法の規範構造から自治保障を帰結しようとしていることではないだろうか︒それと同時にそこでは自治. の﹁原理﹂が考慮の対象とされていないことも特徴である︒現代国家において地方自治が普遍的な地位をしめ︑かつ ︵3︶. それが機能的にも重大な変化をとげつつあると思われる今日︑地方自治の原理的︑歴史的研究が︑憲法解釈の前提と. して要求されている︑といえよう︒筆者は歴史研究として︑近代地方自治の構造を明らかにすることを長期的課題と. しつつ︑当面︑日本の地方自治制の原型たるドイッ目プ・イセンの近代地方自治成立史をテーマとする︒本稿は直接 には一八○八年都市条令を素材に検討をすすめていきたいと思う︒. 室井力﹁地方自治と法律学の課題﹂︵﹃現代行政法の展開﹄所収︑. たとえば杉原泰雄﹁地方自治権の本質﹂︵法律時報第四八巻二︑三︑四号︶兼子仁﹃条例をめぐる法律間題﹄︑一九七八年︒. ︵1︶ 池上惇﹁地域における貧困化問題﹂︵﹃財政危機と住民自治﹄所収︑一九七六年︶等参照︒. ︵2︶. れている社会科学的研究として︑①地方自治について原理論が抽出できるのかどうか︑②地方自治をめぐる制度と法の歴史. 一九七八年︶一一八頁は︑地方自治について今日要求さ. ︵3︶. 的展開と現状︑③現代資本主義社会︑現代国家︑および現代法とのかかわりの中での地方自治の意味内容︑が問われねばな らないと指摘している︒.
(3) 二︑プロイセン改革Hプロイセンの近代化. プ・イセン改革は︑プ・イセンの近代化にとって一大画期をなすものである︒それは構想にとどまったものが多か. ったとはいえ︑経済︑政治︑文化の各分野にわたって新しい社会関係や国家制度を創出すべく推進されたものであっ. た︒それではこの改革の対象となったプ・イセン社会はいかなる構造の社会であったのか︒改革前のプ・イセンを特. 徴づけるのは︑グーツヘルシャフトとよばれる封建領主による所領経営である︒それは農民の賦役と︑農民の子弟に. 課せられるゲジンデ奉仕義務とによる労働力を駆使して︑主として市場向けの穀物生産を行なう農場経営であり︑そ. ︵1︶. こでの農民は自己の土地に対する劣悪な保有権のみを有し︑賦役義務とゲジンデ奉仕義務を負い︑土地に緊縛されて. いた︒こうした領主 農民関係は︑領主の保持する裁判権︑警察権によって担保されていたのであり︑しかも領主層. の共同機関として郡議会︵囚お奪品︶が設置されており︑そこから選出される郡長︵ピき穿簿︶が地方行政権を掌握 ︵2︶ して絶大な権限を行使していた︒又この郡長は国家行政の末端機構たる性格をも有していた︒. このグーツヘルシャフトを基礎としながらプ・イセンは絶対主義領邦国家として台頭してくる︒それは︑軍事・官. 僚機構を支柱とし︑国内諸身分からの独立性を強めた国王権力という意味で絶対主義的である︒改革以前には︑この. 絶対主義はその基礎として新興ブルジョアジーと封建諸階層との対立をはらまない︑いわば前期絶対主義であった︒. 四六三. 領主層は一八世紀にはラントシュテンデに参加するという形で国家権力へ関与することはほとんどなくなっていた が︑官僚及び将校として実質的には中央統治機構をも担っていたのである︒ プ・イセン一八O八年都市条令の検討︵高橋洋︶.
(4) 早稲田法学会誌第三〇巻︵一九七九︶. 四六四. 都市は︑中世において遠隔地商業を基礎に発達し︑農村から独自の地位をかちとるようになる︒即ち﹁商人は他の. 産業人とくに何らかの形で商品輸送に関係せざるを得ない人々をそこ︵都市︶に引き寄せた︒︵中略︶手工業者の大部. 分は隷属民で︑その待遇も悪く︑彼らは彼らの製品を販売する商人のために直接働いた︒都市における技術の向上の. 結果︑農村の手工業者は競争できなくなった︒都市と農村は分離し︑騎士階級は農村に帰った︒都市においては市民 ︵3︶ 階級が優勢となり︑富を集積した商人は支配権を要求するに至った︒﹂こうして︑封建制の下で都市は商品交換 貨. 幣経済という農村とは異質の経済を営む中で市場法あるいは商人法を発展させ︑そしてこれらの法を支える都市権力. を生みだす︒ドイッにおける都市は︑一五世紀の商業革命などを契機として沈滞していくが︑これらの多くは勃興す. る領邦国家によって従属的地位に落としこめられ︑徴税と軍隊の給養のための好餌となるのである︒プ・イセンにお. いては︑一七三六年のフリードリヒ・ヴィルヘルム一世による都市改革などにより︑その自治権が大幅に奪われ︑国 ︵4︶ 王の官吏たる都市税務官らの監督の下におかれることとなる︒. ︵5︶. こうした都市と農村の状況は︑一八世紀に至ってはもはや生産力の発展の阻害要因以外の何物でもないことが明ら. かであろう︒領主層は海外市場向けの穀物生産によって貨幣資本を一定蓄積しながらも︑旧態依然たる賦役労働にし. がみつき︑小農分解によってβース・イテ︵ピoω一①暮①︶やアインリーガー︵田巳一畠震︶とよばれる目傭労働者や後. に農民の支配的形態となるインスト・イテ︵冒蓬①暮①︶が増大してくるのであるが︑賦役労働にかえてそれらを全. 面的に採用するにはいたらなかったのである︒それと同時に︑シュレージエンを中心に鉱山業や製鉄業が発達してく. るが︑なお全体として農村工業の禁止のもとで資本の投下対象を得られぬまま︑イギリスなど先進工業国の市場にま.
(5) きこまれていくの で あ る ︒. この状況は﹁外圧﹂によって打ち破られるしかなかった︒即ちフランス革命とそれに続く対仏戦争でのプ・イセン. の決定的敗北である︒この敗北はプ・イセンをエルベ東岸におしこめるとともに︑国家とその経済構造との全面的変 革が不可避であることを明らかにした︒. かくてシュタイン︑ハルデンベルクを指導者として︑アダム・スミスの経済学とカントの哲学とを身につけた開明. 的官僚によってプ・イセン改革が開始される︒その内容は︑農民解放︑営業の自由︑そして軍制改革や中央行政改 ︵6︶ 革︑教育改革︑及びそれらと並んで都市改革に及ぶ全面的なものであった︒以下これらの内容について簡単に概観し ておこう︒. まず第一に﹁農民解放﹂であるが︑もはや農奴による賦役という労働力の形態が向上する生産力にとって樫楷であ ︵7︶. るということはさきにもふれたが︑なお︑農民層分解の一定度の進行と先進諸国の経済圏の中に編みこまれていた点. が指摘される︒農民解放による封建的諸賦課の廃止と自由な土地所有とは市民革命の不可欠の内容をなすものと思わ. れるが︑プ・イセンにおける﹁農民解放﹂は実質的には農民から土地を取り上げ︑領主のもとに集中せしめる機能を ︵8︶ はたした︒この﹁農民解放﹂の始まりは一八〇七年の一〇月勅令である︒それは︑まずすべての土地の売買.貸借.. 分割・合併等の自由を認め︵第一・四条︶︑そして︑最後の三ヵ条で﹁農民解放﹂が規定されている︒そこではゲジ. ンデ奉仕義務や土地緊縛などの世襲隷農制︵卑げ目冨旨ぎ蒔ぎεが廃止されたのであるが︑農民の自己の土地に対. 四六五. する保有権の保障はなお曖昧であり︑その後の一連の勅令︵一八○八年二月一四日の勅令︑一八一一年のいわゆる調 プロイセン一八○八年都市条令の検討︵高橋洋︶.
(6) 早稲田法学会誌第三〇巻︵一九七九︶. 四六六. 整勅令︑一八一六年の調整布告︑一八一二年の償却令︑同年の共同地分割令など︶で︑結局上層農民のみが︑しかも保. 有地の%ないし%を領主に割譲するかあるいは金銭を支払うことによってようやく土地所有権を取得したのである︒. しかも賦役の廃止は有償であって︑これによって領主のもとに莫大な土地と貨幣が蓄積され︑他方土地保有権を奪わ ︵9︶ れた農民は再びインストロイテ︵ぎω二〇暮Φ︶としてユンカーに再捕捉されるか﹁自由﹂な労働者となるしかなかっ. たのである︒かくてプ・イセンにおける﹁農民解放﹂の過程はまさに資本の原始的蓄積の過程であった︒. ︵11︶. この蓄積されつつある資本に投下市場を与えるものが﹁営業の自由﹂であった︒一八〇七年一〇月勅令はまず﹁貴 ︵10︶ 族の営業選択の自由︑農民と市民との間の身分移行の自由およびその結果としての営業選択の自由を承認﹂したが︑. これは﹁営業の自由﹂の本来的対立物たるツンフト強制を廃止するものではない︒その後法制面では個別分野でツン. フト強制を廃止する立法︵﹁製粉特権廃止令﹂や﹁生活必需品等の独占販売禁止令﹂等︶が発布されたが︑一八○八. 年都市条令は︑依然都市的営業を営む権利を市民権の有無にかかわらしめ︵一五条︶︑そしてツンフトに属する職業. については︑国家がそれに照応して存在する制度を変更しない限り︑その一般的かつ特殊的諸規定と憲章のもとにお. かれ︑非ツンフト的職業の場合には参事会の許可によることとされた︵三四条︶︒次いで一八○八年一二月二六日の. ﹁州・警察・財政官庁の改組のための条令﹂及び同日付﹁全州の県庁に対する業務訓令﹂︑一八一〇年一〇月二七日の. 財政勅令︑一八一〇年一一月二日の営業税勅令︑そして一八一一年九月七日の営業警察法等の諸法律によって︑﹁営. 業の自由﹂が制度化されるに至る︒それは要約すれば︑営業鑑札制度を導入し︑一定の営業税を払うものにツンフト. ヘの加入の有無にかかわらず営業することを認めたものである︒その反面︑市民権の取得が営業の開始にあたっての.
(7) ︵12︶. 条件として残され︑かつ営業警察が国家警察として強化されたのである︒ ︵13︶. 次に国家機構の改革についてみておこう︒この分野ではまず第一に国民代表議会設置の試みが注目されなくてはな. らない︒シュタインのいわゆる政治的遺言はいう︑﹁まず第一に必要なことは普遍的な国民代表制であるように思わ. れる︒我らが国王の法及び無制限の権力は神聖であったし︑そうあり続ける︒しかし︑この法と無制限の大権とが︑. そのうちに存する善を実現しうるためには︑最高権力に人民の希望を知らしめ︑かつその決定に生命を与えるような. 手段を最高権力に与えることが不可欠であるように思われた︒もし国家を動かすことへの関与がすべて人民から奪い. 去られたり︑その上彼らの自治事務の行政も奪い去られたりするならば︑たちまちにして︑半ばは政府を重要でない. ものとみなし︑半ばは個々の事件で政府を自らと対立するものとみなすことになるだろう︒それ故︑国家の尊厳のた. めの献身に際して︑反対あるいは少なくとも好意の欠如が存在する︒かつて我国で人民の代表が存在した時には︑そ. れはきわめて不完全にしか組織されていなかった︒それ故私の計画は︑百ないし数百フーフェの土地を有するか︑農. 場︑工場︑あるいは商業を経営するか︑市民的営業を有するか︑ないしは精神的紐帯をもって国家に結びついてい. 領主層や上層市民層︑そして知識人・官僚の代表議会への参加を主張したが︑これが国民主権原理に基づく近. る︑あらゆる能動的国家公民は代表への権利を有すべきである︑というものであった︒﹂シュタインはこのように︑. 貴族. 代議会制とは似て非なるものであることはいうまでもない︒しかし︑この構想でさえ︑反動的領主 グーツヘル層の ︵14︶ 反対によって実現しえなかったのである︒何度か憲法公約が出され︑叉仮国民議会が召集されたりしたが︑ウィーン. 四六七. 体制の成立とともに反動攻勢が強まり︑結局一八二三年以降各州に州議会が形成されたにとどまったのである︒シュ ブ・イセン一八O八年都市条令の検討︵高橋洋︶.
(8) 早稲田法学会誌第三〇巻︵一九七九︶. 四六八. タインの構想にもあらわれているようにこの国民代表制構想はあくまで君主制の存在を前提にしつつ︑改革によって. 創出されるぺき自由な農民層と市民とをユンカーと並んで国家生活に引きいれること︑換言すれば政治的階級として 組織することが意図されていたのである︒. プ・イセン改革についてはまだまだふれなければならない点が多々あるが︑ここでは最後に行政改革を見ておこ. う︒改革以前のフリードリヒ体制のもとでは︑外務省︑宗教・司法省及び総監理府という三つの並列的な最高官庁が. 存し︑かつ国王側近として内局︵区呂冒oεが重きをなしていたがこれらが廃止され︑かわりに︑ 一八○八年一一. ︵15︶. 月二四日の命令によって︑古典的な内務︑財務︑司法︑外務︑そして軍事という五省をもった内閣︵ω冨暮ωヨ言馨?. ユロヨ︶が創設され︑さらに一八一六年には警察省︑そして一八一七年には文化省が加えられた︒かつ一八一〇年一 ︵16︶ ○月二七日の命令によって宰相の地位が定められている︒地方行政官庁に関しては根本的な変化が起らなかった︒軍. 事・王領地府︵民二〇窃琶OUoBぎ窪ざヨ目R︶は県庁︵勾畠冨歪ロαQ︶として上級警察官庁となった︵一八○八年一. 二月二六日の命令︶が︑官僚と並べて選挙されたシュテンデ代表を置こうとするシュタインの試みも︑フランスーヴェ. ︵17︶. ストファーレンの知事制度︵零鋒o葬9亀ω8ヨ︶を導入しようとしたハルデンベルクの試みも共に挫折したのであ る︒. 一三九頁︒その他グーッヘルシャフ. 農村におけるグーツヘル ユンカーの地方裁判権︑地方警察権はなお維持され続けたのである︒ 藤瀬浩司﹁東ヨー・ッパの農場領主制﹂︵西洋経済史講座第三巻所収・一九六〇年︶. トに関しては︑林健太郎﹁グーツヘルシャフト考﹂︵林﹃独逸近世史研究﹄所収・一九四三年︶︑松田智雄﹁ユンカー経営の. ︵1︶.
(9) また中村賢二郎﹁ドイッ領邦国家﹂︵岩波講座世界歴史第一五巻所収・一九. ﹁東ドイッにおける﹃農民解放﹄﹂︵西洋経済史講座第四巻所収・一九六〇年︶︑高柳信一﹃近代プロイセン国家成立史序説﹄・. 成立と﹃中間層﹄農民!﹃プロシャ型﹄の進化ー﹂︵松田﹃新編﹁近代﹂の史的構造論﹄所収・一九七一年︶︑北条功. さしあたり︑高柳前掲書三一一頁以下参照︒. 一九五四年︑等参照︒. 六九年︶二九六︑七頁︒. さしあたり東畑隆介﹁F・V・シュタインの﹃都市条令﹄について﹂︵史学︿三田史学会﹀三五巻二・三号・一九六二年︶. H・プラーニッツ﹃中世都市成立論﹄鯖田豊之訳三五頁︒. ︵2︶. ︵3︶. 一四五頁以下︒. 飯沼二郎﹁資本制大農経営の成立﹂︵西洋経済史講座N所収・一九六〇年︶二六六頁以下は︑農法の改良によって農業生. 一七五・六頁︒村上淳一﹁プ・イセンの都市自治とサヴィニi﹂︵﹃ドイッの近代法学﹄所収.一九六二年︶. ︵4︶. ︵5︶. ︵6︶. 一〇月勅令は︑田山輝明﹁﹃営業の自由﹄Ooゑo﹃冨ヰoぎo津の立法史的考察﹂︵﹃資本主義法の形成と展開﹄1所収.一九. 北条前掲論文八七頁︒. 末川清﹁ドイッにおける﹃改革﹄とウィーソ体制﹂︵岩波講座世界歴史第一九巻所収・一九七一年︶八五頁の表参照︒. 産力が向上し︑もはや賦役労働が生産力発展の阻害要因であること︑を明らかにしている︒. ︵7︶. ︵9︶. 同右論文四三頁︒. 田山前掲論文三六九頁︒. 松田前 掲 書 一 一 九 頁 参 照 ︒. 七二年︶に全文が訳出されている︒. ︵8︶. ︵n︶. 営業の自由については︑田山前掲論文︑宮崎良夫﹁﹃営業の自由﹄と営業警察﹂︵﹃資本主義法の形成と展開﹄2所収・一. ︵0 1︶. ︵2 1︶. 四六九. 肉信昌号oぼoぎ8ωけo貯ω曽口&①寓凶眞一凶ao﹃αoのO窪o﹃巴・∪8帥旨oヨo韓ω︸ωo噂著℃o簿凶ωoぎω↓89ヨ①旨.︑ω9凶霧卜oト. よった︒. 九七二年︶︑中島茂樹﹁ドイッ市民革命期における﹃営業の自由﹄e﹂︵名古屋大学法政論集六三号所収・一九七五年︶等に. ︵13︶. プ・イセソ一八O八年都市条令の検討︵高橋洋︶.
(10) ぎ. 四七〇. ω一︒旦卑一〇粘o嘗区>巨=畠oωo耳一津oづ昌窪げo声5αq£︒げ窪≦.=呂讐ωoF田区還N一〇零占Sρ. 早稲田法学会誌第三〇巻︵一九七九︶ o 20︿oBび︒﹃一〇︒O︒. ︵.国畠げ. 巳β昌α串く・菊oωo早く●頃oo毛〇一︸Uo暮ω90<R富のω仁昌鴨隣80姦o耳oご一ωN畦Ooαq窪≦震9一〇お︒ω●ooU●. 水崎節文﹁一九世紀におけるプ・イセン議会制構想﹂︵名古屋大学法政論集一五号所収・一九六〇年︶参照︒. ヌ ω︒Oo ooo. 4︶. ︵1. ︵5 1︶. 国o脚げ餌巳. o㎝h 昌ユ=oo毛Φ一℃帥.騨9q D︒o. ︵16︶ 石川澄雄﹃シュタインと市民社会﹄・一九七二年︑二一一=頁︒ ︵7 1︶. 三︑都市条令の検討. 一 ここでプ・イセン改革について整理しておこう︒改革の推進主体については﹁一七八九年フランスにおいて第 ︵ 一線の闘士としてまさに国民の全体として権力を獲得した︑自覚ある市民層は︑プ・イセンでは未だほとんどみら. ︵2︶. れ﹂ず︑﹁革新的意思は︑一つの教養あるエリート︑概して自由主義的な官僚層︑即ち︑現実には一人政治的進歩を︑ ︵1︶ そして貴族の敵対が呼び起こされぬうちは︑一般に一人政治的意見を具現していた官僚層にのみ存したのであった︒﹂. この官僚層が前述したようにアダム・スミスの経済学とカント︑フィヒテというドイッ古典哲学とに結びつくことに. よって︑プ・イセン改革は時代の流れをしめしえたのであり︑同時にその限界を暴露したのである︒改革は︑﹁農民. 解放﹂の過程で封建的諸特権と人格的隷徒を剥ぎ取ると共に︑領主の側に土地と資本を︑農民の側には﹁自由﹂と貧. 困とを蓄積せしめた︒﹁営業の自由﹂は営業鑑札制度によって法制上ツンフトによる営業規制を排し︑何人にも営業. の機会の平等を与えようとするものであったが︑反面︑事実上ツンフトは存続し︑市民権取得が営業の前提要件であ.
(11) る限りでその影響力を維持し続けたのである︒こうして経済過程での近代化が︑きわめて不十分ながら進行するとと. もに統治システムの近代化が進められなければならない︒しかしながらプ・イセン改革はグーツヘルからユンカーヘ. ユンカーを国家的視野に立たせ︑かつそれが有する家産的権力︵地方裁判権︑地方警察. と領主層の形態転化を決定的に推進はしたが︑支配階級の交替を伴うものではなかった︒改革者たちの意図したのは. 頑迷で地方的なグーツヘル. 権︶を公権力として中央権力のもとに一元化することであり︑そして上層農民︑市民層を政治階級として組織し︑も. って国家の階級基盤を拡大することにあったといってよいであろう︒かかる意味で︑農村における行政改革は重要な. 意味を有したのであるが︑それは︑以下のような構想をもった︒即ち東プ・イセン州省大臣シュレッター︵男・卜●雪く︒. ωo耳α詳段︶によって完成されたラントゲマインデ・郡条令草案によれば︑それは選挙された村長と村裁判所とを有. する自由なラントゲマインデの創設を目標とし︑旧制度の象徴たるグーツヘルの警察権を廃棄し︑郡︵国話一ω︶にお. いては公行政を︑騎士領所有者と並んで都市及びラントゲマインデの選挙された代議員が議席を占める郡議会に移管. ︵3︶. せしめ︑郡長は国家官吏とするが︑従来通り名誉職として郡内のグーッ所有者の中から選ぶ︑というものであっ. た︒しかし結局この試みはうまくゆかず︑農民の多くはユンカ1Hインス・イテ関係の中に包摂され︑旧来の支配構 造を転換することはできなかったのである︒. こうした改革の流れの中で︑都市制度改革はきわめて徹底したものであったと評価することができよう︒以下その. 四七一. 改革の対象となったものは︑プ・イセン一般ラント法︵以下ALRと略す︶下の都市制度であった︒以下それと. ︵4︶. 内容を一八○八年都市条令にそくしてみていくことにしよう︒. 二. ︶. プ・イセソ一八O八年都市条令の検討︵高橋洋︶.
(12) 早稲田法学会誌第三〇巻︵一九七九︶ の比較において検討する︒. 四七二. 市民権︵國魯お①畦8耳︶は︑封建制下での都市と農村との分離︑市民と農民との分離を特徴づけるものであると同. 時に︑同一都市内での特権的市民層とそうでないものとを区別するものであった︒ALRはまず広義の市民を︑貴族︑. 農民から区別し︵ALR第二部第八款第一章第一条︶︑ついで﹁都市に住居を有し︑かつ同所で市民権を得たもの﹂. ︵同二条︶を狭義の市民とする︒広義の市民の中には︑除外者︵国図鼠昌o︶及び被保護民︵誓ど9︿R毒塁馨o︶が含. まれる︒除外者とは﹁官位︑官職ないし︑特別の特権によって︑その居住地の裁判権から自由な﹂市民身分をさし. ︵同三条︶︑それ以外の者が被保護民であった︵同五条︶︒市民権は﹁都市ゲマインデの成員に︑国家によって授けら ︵5︶ れた全能力︑全権能の総体﹂︵同一三条︶を意味するが︑その中味は都市において市民的営業を営む権利であった︵同. 一八条︶︒又︑市民の義務についてはまず第一に市民宣誓があげられる︵同二一条︶︒次に﹁各市民は︑司ることので. きる公的都市官職を引き受ける義務を有する﹂︵同三〇条︶︒その他都市防衛義務︵同三三条︶や他の役務提供や諸税. の負担が定められている︵例えば二八︑三六︑三七︑三八条︶︒この市民権の賦与については︑参事会にその権限が. あり︵同一四条︶︑そして﹁当該都市の条令が市民権獲得のための特別の要件を規定していない場合︑市民権の賦与. は︑都市の営業を営むための十分な能力を有し︑かつその生活が品行方正なものには拒否されることができない﹂ ︵同一七条︶とした︒. これに対して都市条令は市民規定をいかに変革したのであろうか︒ALRと比較した場合に異なる点は︑第一に除. 外者身分を廃止したことである︒この除外者とは官吏や芸術家などの︑都市行政に参与せず︑都市の裁判権にも属さ.
(13) ない︑いわば特権層であった︒第二に︑市民権の内容として︑市民的営業を営む権利の他に市内に土地を有する権利. が加えられたことである︒土地の所有を市民権の有無にかかわらしめるべきかどうかはALR制定の際にも議論され. たのであったが︑土地所有を市民権と結びつけていた都市がほとんどなかったこと︑市民的生業のみが問題であった ︵6︶. こと︑その上︑都市の土地の所有が極めて困難になっていたこと︑などからALRの起草者シュワルツは前述のよう. に市民的営業を営むことのみが市民権取得を前提とすることとしたのである︒都市条令は土地所有者を強制的に市民. にするためにかかる規定をつけ加えた︒ところで︑﹁営業の自由﹂のところでふれたように︑市民であることは営業. を行なうことの前提条件であったのであり︑このことは都市条令によって再確認されたのであるが︑さらに一八一一. 年の営業警察法が一条で﹁市民もしくは都市構成員のみが営業を営み得る旨規定﹂し︑しかも﹁この市民権取得の要 ︵7︶ 件は一八六九年の北ドイッ連邦営業条例=二条によって改正されるまで変更されていない﹂という︒ただしマイアー. によれば︑この市民の営業の権利と土地所有の権利は相続時などに不合理を生じ︑その結果一八二二年八月二五日の. 命令及びそれに基く三二年六月四日の整理︵§緯ヨヨ990ぎ凝︶によって︑請願された市民権の拒絶とすでに取得. ︵8︶. されていた市民権の剥奪とは︑選挙権の剥奪のみを帰結し︑それに対して土地所有と営業とには影響がないものとさ. れた︒このことはもはや市民権なるものに営業や土地所有の権利をかかわらしめることが不合理きわまりないことを. 示しているとともに︑そこに執着しようとするシンフトの根強さを示しているといえよう︒第三の相違点は︑市民権. の取得の要件についてALRが当該都市の条例に留保する規定をおいていたのに対し︑都市条令は都市にまがせるの. 四七三. をやめ︑自ら﹁市民権を得ることを望んでいる都市において住居を有し︑品行方正な生活を送っている﹂ことのみを. プ・イセソ一八○八年都市条令の検討︵高橋洋︶.
(14) 早稲田法学会誌第三〇巻︵一九七九︶. ︵9︶. 四七四. 条件として掲げたにとどまる︵一七条︶︒しかし実際には市民権取得金が必要とされたのであり︑市民権取得の障害. の一つとなっていた︒これらの点についてシュタインは一八二六年九月の覚書で︑ゲマインデ憲法の主要モメント. は︑有能かつ宗教的倫理感に満ち︑勤勉で労働能力に富んだ市民であって︑それ故市民権取得に関する正しい規定は. 都市条令の全体系の礎石である︑としつつ︑都市条令の一七条の規定は都市条令の精神と最も鋭く矛盾する︑と述べ ︵10︶. る︒それは︑あらゆる非犯罪者を市民身分に受け入れることによって市民団を劣悪化し︑その権利行使を不可能とす. るからである︒つまりシュタインは市政を市民大衆に委ねようとしたものではなく︑あくまで有産市民層を念頭にお. いていたのである︒この点で都市条令の精神と矛盾していたのはシュタイン自身であった︒即ち都市条令は各都市で. 行なわれていた市民間の区分を廃止して全プ・イセンの市民権を統一し︵一六条︶︑そして﹁身分︑門地︑宗教そし. て一般に個人的境遇は︑市民権の取得に際していかなる差異をももたらさない﹂︵一九条︶としてユダヤ人など若干. 一五条第二文は市. の例外を除いて市民権取得の平等をうたっているのである︒第四に市民権の賦与は︑市議会の意見を聴取して参事会. によってなされるものとされた︵二四条︶︒最後に市民の権利・義務について特徴をあげるなら︑. 民が選挙権を有するなら︑そのものは市会議員の選挙に参加し︑市の公職に選ばれることができ︑そして公民権とな. らんで︑公職を占めることにおいて公行政への義務的参加を受容する︑という権利を有する﹂と述べ︑市民権が選挙. 権を通じて市政に関与する政治的権能でもあることを明確にしたことが指摘されよう︒役務の提供に関しては︑AL. Rにあった個人ないし特殊な団体の給付義務免除という特権的な措置が完全に廃止されたこと︵三二︑三三条︶が市 民の平等の観点から評価されねばならないだろう︒.
(15) ︵11︶ ここで市民権規定について小括しておくなら︑第一に︑市民権の取得が﹁根本的に容易にされ﹂たこと︑第二に統. 一的市民権観念を定立したこと︑第三に市民相互間の法的平等を規定していること︑第四に経済的権能をその実体と. して残しながらも︑政治的権能をそのうちにとりこんだこと︑などを指摘できよう︒こうしたことによって︑都市条. 令は︑未だ市民と被保護民という区別を残しつつも︑この区別を固定的なものとすることなく︑市民権を都市住民に. 広く開くことによって都市自治の主体を措定しえたのである︒このことは身分的・特権的階層秩序を基盤とする封建. 制下の都市自治から︑均質︑平等な市民に基礎をおく近代地方自治への展開を示す重要なメルクマールの一つと考え. 次に市政の中核たる市議会議員︑及び市議会について検討しよう︒. てよいのではあるまいか︒. 三. まず都市条令前文は︑﹁都市の共同体に関する︑そして都市ゲマインデの代表に関する適切な規定が欠如している. ことが特に近年明らかになっていること︑市民の利害が現在階層やツンフトごとに分裂していること︑そして共同体. の行政への市民のより活発な参加の必要性が緊急に現われていること﹂の認識に立ち︑﹁法律上市民ゲマインデの中に. 確固とした団結点を形成すること﹂の不可欠なることを認めた︒そしてその﹁団結点﹂こそ市議会11市会議員に他な. らない︒そしてこの﹁団結点﹂を核とした自治機構への参加を通じて市民の﹁公共心を喚起し︑維持する﹂ことが期. 待されているのである︒ここでは都市の統治機構がいかに構成されるか︑それを通じていかに住民の意思が反映され. るか︑その意思の反映のプ・セスがいかに制度的に保障されるか︑そしてその制度的な保障がいかなる住民の権利と. 四七五. して構成されるか︑等は地方自治のコ・ラリの一つたる﹁住民自治﹂の重要な内容をなすものであるが︑かかる観点 プ・イセン一八○八年都市条令の検討︵高橋洋︶.
(16) 早稲田法学会誌第三〇巻︵一九七九︶. から検討をすすめよう︒. 四七六. ︵12︶ 第一に選挙権であるが︑それは﹁通例すべての市民の権限に属する﹂が︑いくつかの除外例がある︒その中で重要. と思われのはやはり年収による制限であろう︒大都市では二〇〇ターレル︑中・小都市では一五〇ターレルである. ︵13︶. が︑この評価についてたとえば﹁市民団体は選挙権を有すると有せざるとの二階級に分れ︑選挙権を行使して市政に. 参与し得る市民は︑全市民のうち最も経済的に優越した所の貴族の外に所謂小商人階級に属するものであった﹂とし. ︵14︶. て年収条件が実質的意味をもっていたものと解する説もあるが︑多くはこの額がわずかなものであることで一致して. いる︒又︑参事会員であったものに保証されている恩給の額が︑最高で一〇〇〇ターレル︑最低で︑勤務時の俸給が. ︵15︶. 一〇〇〇ターレル以下である場合にその半額とされており︵一五九条︶︑この点からも年収条件の低さが想像されよ. う︒さて︑この財産資格が納税額によらずに年収をもって決定されたことについて︑﹁プ・イセンのその後の選挙制. 度史の発達から考察すれば︑所有財産または収入による選挙資格が個人の客観的自立性を基準としているのに対し. て︑すでにフランス選挙法に採用されていた租税負担額による選挙資格は︑もっと能動的な積極的な意味で国家に対. する貢献の度合を基準としたものであった﹂とし︑フランスのそれが︑﹁土地所有者階級に政治的にも優越するとと. ︵16︶. そして﹁この意味においては︑﹃都市条令﹄の選挙権規定は︑未だ客観的自立性のみにとどまってお. もに︑自らの対極者である賃銀労働者の政治的影響をも排除しようとする上昇期のブルジョアジーのイデオロギーで. あった﹂こと. り︑決して市民階級を封建的特権以上に評価しようとするものではなかった﹂とする見解がある︒この点について. は︑当時のプ・イセンの租税体系が考慮される必要があろう︒即ち一八○八年当時のプ・イセンの税制の原則は︑農.
(17) ︵17︶. 村には直接税︑都市には間接税を課する︑というものであり︑わずかに市民に対して課せられていた直接税たる租税 ︵18︶. ︑. ︵N窪霊ω︶は︑﹁当時の資産状況にとってすら︑あまりに低く見積られていたので︑重要なカテゴリーの効果的な決. 定という目的を全くはたさなかった﹂のである︒なお︑この年収は市会議員によって審査︑認定され︵七六条︶︑カ. っいったん選挙権があると認められ︑選挙集会に出席したことのある者は︑市会議員の精密な検討と良心的な確認に. よる︑その者の年収は少なすぎるという決議によってのみ除斥されうるのである︵七七条︶︒. 選挙は分割された地区ごとに︑そして選挙集会という形で行なわれる︵七二条︶︒ここで市会議員とその定数の三. 分の一の市会議員の補欠が選出される︒そしてそのうちの少なくとも三分の二は家屋所有者でなければならない︵八 ︵19︶. 五条︶とされたが︑﹁家屋所有は当時大都市においても営業とは全く別であって少数者に限定されず︑まさに市民の. 市議会の権能についてみてみよう︒まず議員の地位であるが︑彼は最も完全な意味で全市民の代. 自立性と定住の徴表であった﹂︒. 次に市議会議員. 表者であって︑彼を選出した地区︑さらに彼がたまたま属している団体やツンフトなどの代表ではない︵二〇条︶︒. それと同時に彼は議員としての職務執行について市民の特別な訓令や委任を必要としない︵同条︶︒ここには議員の. 市議会は都市における市民生活の中心であり︑﹁団結点﹂であるがゆえに広範な権能を与えられた︒. ツンフトからの独立が表現されているといえよう︒. 市議会議員. それは第一に﹁都市の共同体の全事務において市民ゲマインデを代表し︑市民ゲマインデのために全ゲマインデ事務. 四七七. を配慮し︑そして共同体の資産︑都市と市民の権利と義務に関して︑都市と市民の名において︑拘束力ある意思表示 プ・イセン一八○八年都市条令の検討︵高橋洋︶.
(18) 早稲田法 学 会 誌 第 三 〇 巻 ︵ 一 九 七 九 ︶. 四七八. を行なう無制限の権能﹂︵一〇八条︶である︒これは市議会議員n市議会の権能の総則的規定であるが︑細かくみて. いくなら︑第二に財政に関する権能をあげることができる︒これは都市が必要とする金銭を市民に割りあて︑調達す. る権利︵一〇九条︶であり︑予算を審議し︵一八三条︶都市資産の売却への同意権︵一八九条︶などである︒第三に. は行政統制権である︒その最大のものは参事会員の任命権︵ただし州警察当局の承認が必要であるが︶であり︵一五. 二条︶︑その参事会員の職務執行を調査する権能である︵一八三条︶︒そして共同体に関するあらゆる情報を把握する. 権能である︵二一五条︶︒また一般にあらゆる重要なゲマインデ目的に関して︑意見を発表し︑それが遵守されねば. ならない︵一八三条︶︒自主立法権については都市条令は明文の定めをしていない︒都市条令一一一条︑一二二条︑. 一二三条︑一二六条︑一二七条は市議会が都市住民全体を拘束することのできる﹁決議︵切窃o巨島︶﹂をなすことが. できる旨定めるが︑これは個々の事例におけるゲマインデの意思決定であって︑一般的.抽象的規範の定立とは異る ものであろう︒. その他重要な点をあげておくなら︑市議会の会議は秘密会で行なわれる︵一二三条︶が︑市民はその議題について. 市議会は都市の最高機関として市参事会員を任命し︑広範な財政権と行政統制権とをも. 自らの意思や提案を︑書面をもって提出することができる︵一二〇条︶︒その他議事運営に関して四〇項目に及ぶ詳 細な訓令が付されている︒. このように市議会議員. ち︑また決議として自らの意思を表明し住民を拘束することができた︒この市議会に対して市民は若干の制限を除い. て選挙権・被選挙権を有し︑また書面をもって自らの意見を市議会に提出することができた︒選挙は普通選挙でこそ.
(19) なかったが︑秘密・直接・平等選挙が保障された︒ここに市民の共同意思形成のプ・セスが組織化されたことを確認 できるであろう︒. 四 参事会を中心とする行政機構はどうなっていたであろうか︒まずALRにおける参事会制度をみておこう︒A. LRによれば︑参事会の地位は都市ゲマインデの首長である︵ALR第二部第八款第二章二九条︶︒この参事会の. 構成員が選挙されるか︑それともランデスヘルの任命によるかは各都市の特権や条令によるものとされ︑それを欠く. 場合には州法によって規定される︵同二一〇条︶ものとされた︒また特権の存在等が疑わしい場合には選挙権が当該. 都市に属することが推定される︵同一二一条︶︒そして選挙権が都市に帰属する場合には︑それは参事会自身によっ. て行使された︵同一ニニ条︶のであり︑いわゆる自己補充権が認められていたのである︒この参事会はALRでは全. 能であった︒即ち第一に除外者を含めた全住民を対象とする都市警察権を有していたこと︵同一二八︑九条︶である︒. 第二には財政権を有して︑全住民から諸公課や諸分担金をとりたてる権能を有し︵同二二〇条︶︑第三には都市の資. 産を管理し︵同一三九条︶︑第四に市民権を賦与することができる︵同一四条︶︒しかし︑この参事会はその構成員の. 選任にあたってランデスヘルに任命権があったり︑また都市に選挙権がある場合でもそれが参事会自身に帰属してお. り︑都市住民の意向が反映されにくい点で︑自治機関たる資格を欠いていたといえよう︒それでは都市条令において. は参事会はどのように規定されたか︒まずその構成であるが︑大︑中︑小の都市の区分に従って相違があるが︑その. 基本は市長︑会計係︑法律顧問及びその他の参事会員とされ︑有給と無給とにわけられていた︵一四二ー四条︶︒任. 四七九. 期は法律顧問など一部のものが一二年︑他は皆六年である︵一四六条︶︒任命は︑大都市の首席市長を除き︑各市議 プロイセン一八○八年都市条令の検討︵高橋洋︶.
(20) 早稲田法学 会 誌 第 三 〇 巻 ︵ 一 九 七 九 ︶. 四八O. 会にょって選出され︑州警察官庁によって承認される︵一五二条︶が︑首席市長は市議会によって三人の候補が推薦. され︑うち一人が国王によって任命される︵一五三条︶︒これによって参事会の自己補充権と終身制は廃止された︒. そして任期の間題について︑条令制定時の論争をふり返ってみよう︒シュタインはナッサゥ覚書の中で﹁︵かっての ︵21︶. 終身の自己補充︑有給の参事会にかわって︶家と財産とを有する市民によって選挙された︑全員が六年間で改選さ. れ︑無報酬である参事会が編成される﹂とのべ︑全員六年任期制を主張した︒その後草案の段階においても︑終身制. を会計係と書記官に限っている︒ケーニヒスベルク警察長官フライは︑小都市においては︑会計官のみを終身とし︑. 他を三年で改選とすることに同意したが︑中・大都市では︑有給参事会員と無給参事会員とを区別し︑有給参事会員. を終身とすべきであると勧告した︒彼によれば︑参事会員の交替は︑多くの市民が行政を認識し︑過去における選挙. での過ちがただされ︑また参事会員が市民の福祉を維持することに利益を有するであろうから︑であった︒モルゲソ. ベッサー︵冨o茜窪ぽ器R︶はシュタインの立脚点を越え︑次のように主張した︒即ち︑吏員の終生にわたる資格賦. 与は一般に国家にとって有益であるとは思われない︑あらゆる有給官吏は一年の解雇予告つきで任命されるべきであ. るし︑市民は︑三年で改選されるべきあらゆる代表選挙にあたって︑あれこれの官吏に解雇を予告すべきかどうかに. ついても投票が許されるべきである︑と︒フィンケ︵﹃男ダ≦糞ぎ︶も思いのままの官僚の罷免の承認に賛成の意. を表した︒これらの終身制反対論に対して︑ホルン︵客男=oヨ︶やブック︵ρ醤男ダ<8巴ど3︶は︑終身制を. 擁護して言う︒即ち︑市民が官吏を任命できるだけでなく︑絶対命令︵国8拝8釜魯︶によって罷免しうる瞬間を. もって策略と陰謀に門戸が開かれるであろう︑そして市民は︑人民におもねることなく自らの職務を法と全体の福祉.
(21) への尊敬をもって執行する人々を次の選挙では確実に解雇するであろうが︑自らの無価値なることを確信しているが. ゆえに地位を確保する努力のみをなし︑その他はすべてなすがままにまかせるような者を許すであろう︑と︒こうし. た議論の中で︑前述の任期制を定めたのであるが︑この任期制の中に萌芽としてであれ︑公務員の選定罷免権の観念 をみてとることができるのではあるまいか︒. 次に参事会の地位についてであるが︑﹁参事会は︑その命令に都市ゲマインデが服している都市の首長である﹂︵四. 七条︶︒この規定はALRの同様の規定と類似してhるが︑果して新制度下でその意味はどう理解されるべきであっ. ︵22︶. たろうか︒問題となるのは市議会議員の地位︑権能を定めた一〇八条との関係である︒後年シュタインは次のように. 指摘している︒即ち︑四七条と一〇八条とは都市の二つの機関の権能を含んでいるが︑その適用において両機関の間. に軋礫が生ずる︒もし参事会が第四七条に基づいて︑都市ゲマインデヘの命令を発する権能を有するなら︑参事会は. 一方的な決議をなすことができるかどうか︒もしできるのであれば︑一〇八条にいう﹁市民の名で拘束力ある意思表. 示を行なう﹂市議会議員の権利と矛盾する︒さりとて市議会のこの意思表示が無条件に参事会に義務を負わせるもの. でもない︒むしろ一七二条は︑参事会に現行制度の変更についての市会議員の提案に対する認可権を与えている︒そ. れゆえ︑結果的には︑@両都市機関の権利の限界︑及びそれら相互の関係は不確定なままである︑㈲意見の相違が両. 機関の間に生じた際に統一を実現する装置が全く看過されている︒こうシュタインは結論づけた︒このことは参事会. の権限を明確化︑強化し︑同時に国家の介入をも増大させようという意図のもとに主張されたものと考えることがで. 四八一. ぎようし︑市議会を中心に市民の公共心を函養しようとする都市条令の立場とも異なるであろう︒しかしこうした主 プロイセン一八O八年都市条令の検討︵高橋洋︶.
(22) 早稲田法学会誌第三〇巻︵一九七九︶ ︵23︶. 張が一八一三年修正都市条令への流れを形成していったのである︒. 四八二. 次に都市の行政とその中での参事会の役割を見ていくことにしよう︒都市条令は都市に広範な事務を委ねたが︑そ. れは︑大部分が︑参事会員と市会議員︑及び市会議員によって選任された一般市民とからなる代表委員会︵U89甲. 怠9︶と行政委員会︵因oヨ目一ω巴9︶とによって配慮されるものとした︵一七五条︶︒具体的には︑@教会事務︑⑥. 学校事務︵外部的事務を配慮する︶︑@救貧制度の運営︑⑥消防組合事務︑@その他の保安的配慮︑ω衛生施設の管. 理︑⑧土木・建築︑GD都市会計金庫︵内似目目段①幹器ω窪︶の管理︑ωその他必要に応じて度量衡調整局︑街路照明︑. 都市農場︑刑務所等の管理︑ωサービス制度︵ω霞≦ω毛窃9︶の管理︵一七九条︶等があげられている︒参事会が独. 自に行なう事務は︑⑥市会議員による選任の後︑参事会員職︑区長職及び市民公職を任命すること︑そして下級吏員. を選任し配置すること︑⑥都市行政全体の詳細の決定︑@市民の苦情処理︑⑥市民名簿の管理︑土地購入の登記︑ツ. ンフト強制外の営業許可の付与︑@商業︑河川︑航行︑及び大小工場に関する事務︑ω公用金庫︵象①黙窪岳9①. 図器器︶の管理︑予算の取りまとめと審査︑市民の諸負担の決定︑である︒この行政での最大の特徴はやはり代表委. 員会︑行政委員会という行政組織であろう︒参事会員は議長として委員会に参加するのであるが︑票決は平等な一. 票であり︵一七六条︶︑全体としての参事会は行政の詳細を決定するとはいえ︑執行官庁としての性格は稀薄である. といえよう︒同時に市議会議員が行政の実務に参加していることは︑その把握を通じて議会の地位と機能を高める上. で有効であろう︒市民が参加していることも行政の民主的統制の観点から一つの可能性を示すものではあろう︒ギー. ルケは﹁個々の行政目的のための︑参事会員と市民の混成の代表委員会や行政委員会は︑旧ドイッ都市法にその先例.
(23) ︵24︶. を有していた﹂と述べているが︑この市民参加は︑市民が普遍的であり︑かつ平等であるとき︑はじめてその民主的. な性格が明らかとなるものであろう︒そして同様に重要な点は︑警察権が国家高権の一部とされ︑警察事務がゲマイ. ンデの事務からはずされたことであり︑それが再度国家事務として参事会に委任される︑という道が開かれたことで. ある︒そして参事会が警察権を行使する場合︑国家の下級官庁として位置づけられた︵一六六条︶︒が︑この点は項. 最後に国家と都市ゲマインデとの関係が明らかにされなければならない︒まずALRにおいては︑都市が直属. をあらためて論じよう︒. 五. 都市と非直属都市とに分かれていたこと︵ALR第二部第八款第二章一六六条︶が注目されよう︒この後者に対して. は地方領主の権力が広範に認められている︒たとえば都市官吏選任権︵同一六六条︶︑参事会選任権︵同一六九条︶︑. 市民権賦与承認権︵同一七一条︶︑財産管理に関する権利︵同一七二条︶などである︒国家による支配は直接には警. 察官吏の任命にしか及んでいなかった︵同一七〇条︶︒都市条令はこの直属都市・非直属都市の区別を取除き︑非直. 属都市に対する地方領主の権利・権能を全廃した︵都市条令七︑八条︶︒このことは地方領主の都市に対する家産的. 権力を排除し︑都市の地位に平等をもたらすものであった︒都市条令はそれにかえて人口によって大・中・小の三等. 級に分類した︒こうして国家は自らの統治の基礎単位として都市ゲマインデを捕捉したのである︒. さてこうして捕捉したゲマインデに対して︑国家が︑いかなる領域で自由な活動を認め︑そしてその他の領域でい. かにして自らの意思や政策を実現せしめ︑それに背馳した場合にいかなる矯正の手段をとりうるか︑が問題である︒. 四八三. まず国家監督権は︑都市とその統治制度及びその資産に対して留保されたが︵一条︶︑その行使は会計監査︑市民の プ・イセソ一八○八年都市条令の検討︵高橋洋︶.
(24) 早稲田法学会誌第三〇巻︵一九七九︶. 四八四. 訴願に対する決定︑新しい条例の裁可︑参事会員の承認によってなされるものとされ︵二条︶︑法文上国家の監督権. は著しく狭められ︑従来の国家営造物としての都市ゲマインデに対する後見的支配は廃止されたのである︒しかしこ. の点について立法者に当初から合意が成立していたわけではなく︑とりわけシュレッターは市議会に広範かつ異常と ︵25︶. 思われる権利が帰属せしめられたのに対して国家監督を強調し︑シュテーゲマン︵7︾ω鼠鴨ヨ目昌︶は︑商工ツン. フトヘの市民的自治制度の引き渡しに危険を感じていた︒こうした意見︑危惧は結局斥けられたのであるが︑このこ. とは次のようなフーバーの叙述によって納得できるであろう︒﹁もし一八○八年の都市条令が国家監督を都市条令に. 明文をもって数えあげられた少数の監督権能に限っている︑と見なそうとするなら︑それはシュタインの意図も︑そ. してまた改革時代の国法︑行政法の全状況をも見誤るものといわねばならない︒むしろ一八○八年の都市条令のもと. では︑国家監督は都市行政を国家目的と国家法の枠の中での行為に拘束するためにたえず干渉することができる︑と. ︵26︶. いうことが自明な法原則として通用していた︒シュタイソの自治行政制度はなるほど都市に高度の自由を許容した. が︑必要な場合には普通法ならびに国家福祉を乱用や粗雑さから包括的に保護することを心得ていたのである︒﹂そ. してかかる絶対主義的な﹁法原則﹂の廃止こそ地方自治の確立の前提である︑ということができよう︒この国家監督 ︵27︶. の﹁縮小﹂に対して︑都市裁判権と都市警察権が廃止され︑国家裁判権︑国家警察権に一元化された︒裁判権はさて. おぎ︑警察権の国家による収奪は︑自治の後退として理解されている︒とりわけ取り上げた地方警察権を再度参事会. という都市の一機関に委任し︑かつ警察権を行使する限りにおいてその参事会を国家の下級官庁としたことにより︑. ﹁地方行政自治行政とは地方団体︵或いはその機関︶が地方団体の負担において国家行政を処理することであるかの.
(25) ︵28︶. ごとき恐るべき原則が登場する端緒がひらかれた﹂とまで評価されるのである︒そこでプ・イスの論文などによりつ. つ︑制定時の議論をみておくことにしよう︒改革官僚層の中で都市から裁判権と警察権を奪うことを主張した中心人. 物はシェーン︵円・<あ33︶であった︒彼はプ・イセン国家からあらゆる家産制権力を根絶しようとしたのであっ. て︑当時にあっては都市の官憲は︑他のあらゆる官憲と同様家産的なものであった︒それと同時にシュテーゲマンが. 都市ゲマインデの良き組織のためには︑都市ゲマインデがその警察を自ら管理することが不可欠である︑と述べた ︵29︶ 時︑シェーンは︑それは﹁人民が自らを統治することだ﹂として反対した︒このようにシェーンの主張は一方で封建的. な家産制権力を排除すると同時に︑民主主義とは鋭く対立するものであった︒この他︑ブラソト︵ω声区︶も都市警. 察権の廃止を要求したが︑それは彼が財産と人の安全は国家の独占的な目的であるから︑この目的の実現の手段とし ︵30︶ ての警察と司法は︑国家の行政の一部門でなければならない︑と考えたからであった︒これは古い警察観念に基いた. 主張であるといえよう︒かくして警察権は都市から国家へと吸い上げられたが︑すでに述べたように︑全都市に国家 ︵31︶ 警察官庁を配置するのは不可能であったから︑主要都市を除いて参事会に委任されたのである︒しかしより問題とな. ドイツ. るのは﹁警察﹂観念の中味であろう︒ドイッにおける﹁警察﹂観念は︑研究史上に長い歴史を有している︒ここでは. ﹁警察﹂観念についての全面的な検討を行なう余裕はないので︑最近公けにされた浩溝な論文﹁プロイセン. 地方自治法理論研究序説ei㊨﹂︵木佐茂男︑自治研究第五四巻第七︑八︑九︑一〇号所収︶の該当箇所を検討しつ. つ論を進めていくことにしたい︒木佐論文は︑まずALRの規定する警察権については︑第二部第八款の二五条︑. 四八五. 一一六条︑一二八条︑そして一三〇条をひき︑﹁警察概念は財政事項をも含む広義のそれであり︑また︑警察命令と プロイセン一八○八年都市条令の検討︵高橋洋︶.
(26) 早稲田法学会誌第三〇巻︵一九七九︶. 四八六. ︵32︶ それの強制の論理的関係は明らかでないが︑警察権がこの二機能を含むことは自明のごとくである﹂と結論づけた︒. ︵33︶. しかしALRの警察権を語る場合︑第二部第一七款一〇条の規定の考察が不可欠であろう︒一〇条は啓蒙主義的警察 ︵32︶ 観念を明瞭に採用した︑といわれるが︑それは警察の職務を﹁公共の静詮・安全︑および秩序の維持並びに公衆もし. くはその個々の成員を脅かす危険の防除のために必要な措置をとること﹂としており︑これは一般内務行政と等置さ. れる警察の観念とは明らかに異なるからである︒次に︑木佐論文は都市条令の警察権を︑まず・iジンをひいて﹁内. 務行政の領域において公共の福祉のために命令﹇Ooびo畠もしくは禁止﹇<①芒9﹈を通じて自然の行為を制限し︑こ ︵34︶. の制限の内容を時には強制を通じて実現する権利﹂たる国家統治権と理解し︑これを都市条令が剥奪したこと︑そし. てさらにその上で︑﹁現実的な財政上の理由から︑警察目的の施設を網羅的ではあるが限定的に列挙し︑これを市民. の日常的管理に委ねた﹂とし︑地方警察官庁の命令権の範囲は︑﹁一般ラント法の規定によっても︑一八○八年一二. 月二六日の勅令の精神においても︑市民の安全と福祉全体に及ぶ﹂︑と広義の警察概念に理解した上で︑﹁一八○八年. の﹃近代的﹄都市法によって︑都市は︑その行政の大半をしめる警察業務につき︑命令・強制権を失い︑もっぱら財. 政負担団体と化したのであった﹂と結論づけている︒これらの点に関しては若干の疑問を感ぜざるをえない︒第一. に︑前述のごとく都市条令は都市に広範な財政権限を認めているが︑ALRの理解ではこれも警察権に含ましめられ. ていたのであり︑この点で警察観念の内容が狭められていること︒第二に︑強制・命令権であるが︑都市条令の一二. 六条が︑市議会の決議は︑それが都市の一般事務︵島①龍鴨ヨoぎ窪︾眞巴①鴨昌舞窪︶であれば全住民を拘束する︑. としていること︑罰金刑を課すことができること︵二二二条︶︑そして市議会はすべての部門における都市ゲマイン.
(27) デの全行政を統制するのである︵一八三条︶︒住民に対する拘束的決議は命令・強制と同意義ではあるまいか︒第三 ︵35︶. に︑前述したように都市の行政の主要なものは代表委員会や行政委員会によって行なわれるが︑その事務についてみ. るなら︑それはほとんど従来警察事務とされてきたことであり︑単に財政負担のための営造物管理とみることは困難. ではあるまいか︒従って︑都市警察の廃止は︑保安・秩序警察にのみ及び︑福祉警察にまでは及ばず︑むしろ都市行 ︵36︶. 政がそれ以後福祉警察の諸部門を︑換言すれば内務行政の諸部門を︑財政自主権を基礎に︑自らの裁量にもとづいて. 執行することができるようになった︑といってよいであろう︒ただし︑この警察は︑一八八二年六月一四日のいわゆ. るク・イッベルク判決を契機に学説及び実務の上で福祉警察が排除されるまで動揺を続けていくのである︒. 国家と都市との関係をまとめておこう︒国家は︑都市に対し①明文上の国家監督権︑②法律による都市の行政事務. の内容の決定︑③警察︑④参事会の州警察当局への上訴に基づく司法的介入︑⑤国家目的︑をもって都市に介入する. ︵−︶. 石川前掲書一〇八ー一一六頁︒. 国oぼユoげ国①議9さU凶①U①舞ωoげoωo一ぴ雪く震毒巴ε昌閃一ヨ一〇●一四び﹃げ仁昌αo旨. oド ω●o. ことができた︒それに対して都市は︑自治主体を形成し︑自治機関を有し︑そして自治領域を確保したのであった︒. ︵2︶. 一二三ー二二三頁︒. oh高柳信一﹁プ・イセン地方自治制の生 戸国・国信げ段堕U窪房9Φ<①鳳器窪昌鵯鴇零三〇窪①の①津嵩OoO﹂︒閃阜一3Nω﹂刈O. 四八七. その他︑たとえば三六条が﹁参事会は従来まれな新しい役務を︑市民ゲマインデの召換及びその同意なしに︑切迫する緊. の﹃市民身分﹄規定の考察﹂︵松山商大論集第二六巻四号・一九七五年︶はALRの市民身分規定につき概観を与えてくれる︒. 同法の編纂については石部雅亮﹃啓蒙的絶対主義の法構造﹄二九六九年参照︒十亀豊一郎﹁﹃プロイセン一般ラント法﹄. 成とその特質O﹂︵社会科学研究四巻一〇号・一九五二年︶. ︵3︶. ︵4︶. ︵5︶. プ・イセン一八○八年都市条令の検討︵高橋洋︶.
(28) 早稲田法学会誌第三〇巻︵一九七九︶. 同意権を有する︒. 四八八. ド︾ロゆ. 一〇旨ω●N巽・. 急時以外は要求することはできず︑更に分担の方法を変更することができない﹂としているように︑新たな負担についての. 宮崎前掲論文二二頁︒ 冨①一R℃螢●餌.O ω︒boooO●. 卑一①h①β巳︾日二一畠oωo年聾op. 国吋房けく●一≦①一①さU一〇閑①︷o﹃ヨq①﹃<震毛巴9β鵯o濃帥巳器菖op仁旨Rω一〇冒仁pα=の巳窪げ①茜. 宮崎前掲論文二二−三頁︒. ︵7︶ ︵8︶. o ︑︑一 Uo爵ωo訂凶津ωけoぎωこOげ巽島oω賄匿80益蒙躍阜α●多Zo︿oヨげ①﹃一〇︒O︒. ︵6︶. ︵9︶. <一一 ωα●ψ轟q. ω︒一謹●. ︵10︶. Q●. 七四条︒除外例は︑犯罪及び破産によって既に市民権を有しているのでなければ市民権を得ることができないであろう. =ロげo﹃. .勲O. ︵11︶. Z窪ヨきロ︶の研究をひき︑. 一八〇九年当時のプロイセン邦全体の男子農業. 幹嵩oo︒蜜085鋭pO ω﹄o oo o9=o庸梓oびρ騨Oこω●漣︒東畑前掲論文一八二頁︒ ノイマン︵トロ昌. 日傭労働者の平均日当は五八ペニッヒ︵約六分の一ターレル︶であったことを指摘している︒都市労働者の水準が同程度で. ただし︑宮 崎 前 掲 論 文 は ︑. 国β富さ騨 鋭 O. 宇賀田順三﹁自治権の史的発展﹂︵﹃地方自治の基本問題﹄所収・一九三七年︶三三頁︒. 者︑任期中の参事会員︑婦人市民︑年収条件︑刑罰による選挙権停止︒. ︵2 1︶. ︵13︶. ︵4 1︶ ︵5 1︶. さしあたり︑佐藤進﹃近代税制の成立過程﹄・一九六五年︑. 水崎前掲論文三七−八頁︒. 一七九−二五四頁参照︒都市の課税制度は五一年にいたるま. あるとすれば︑二〇〇ないし一五〇ターレルという年収条件は意味をもってくることになろう︒ ︵16︶. で大体不変 で あ っ た と さ れ る ︵ 同 書 二 一 二 頁 ︶ ︒. ︵7 1︶. 寓①一①5帥︒m・O. oS. ︵18︶. =仁凶oギΦq9臣o国暮惹畠一仁昌閃O窃α①暮ω9窪ω鼠象o毛①の8ω●一〇8︒ω●bo8●. No. ︵19︶.
(29) ︵23︶. ︵22︶. ︵21︶. ︵0 2︶. 一益三年修正都市条令は︑市の事務を三つに区分し︑ω参事会が単独でなしうる事務︑③参事会と市議会とが共同で行. U¢づ犀ωoぼ一葎o り8言ω﹂≡切ユΦ厩①β昌α︾ヨ象o冨ωoぼ洋①P<目一曾閃阜¢ωoo︒. ωθ︒旦田一錬Φβ巳>ヨ葺︒び①のoぼ一津8﹂一ωα︒ω︒ωO一●. 以下の論争については竃o凶oき鉾騨ρ︸ω﹄8ヌ. なう事務︑⑥市議会が単独でなしうる事務︑としたが︑参事会は⑥についても異議を甲し立てることができ︑両者の合意が. 入権の強化をもたらしたのである︒一八三一年修正都市条令については︑さしあたり高柳信一﹁プ・イセン地方自治制の生. 成立しないときには県庁が決定する︑とすることによって実質的な参事会の市議会に対する優越と︑国家官庁の監督権︑介. 成とその特質﹂︵社会科学研究四巻一〇号・一九五二年︶一四一頁以下︑村上淳一﹁プ・イセンの都市自治とサヴィニー﹂. ぞ<●=β冨房oFω冨置自づα&ooωεお仁聖のo一お昌ごび①声一〇P一Rω冨ぎω9島g●一〇胡●ω﹄鉾. O洋090碁ρ90ω9冒ωoげoω感α80益昌仁β磯. 一80●ω︒謡■. ︵24︶. 一六五ー八頁参照︒. ︵25︶. 高柳前掲論文=二四ー六頁︒東畑前掲論文一九四頁︒村上前掲論文一五一頁︒. =仁σΦびp帥・O. ︵﹃ドイッの近代法学﹄所収・一九六二年︶. ︵26︶. ψミ9. ︵27︶. oヌ ω.認o. ●僧・O. りお仁9. 高柳前掲論文二二六頁︒. ω︒曽O︒. ︵29︶. 一八一〇年当時︑国家警察官庁は以下の二一都市に置かれていたという︒大都市では︑切R目P国α昌蒔答醜堕ω帯注P. 三①一①さ餌●ρO. ︵28︶. ︵31︶. ︵0 3︶. ω●No︒N・. 四八九. ドイッ地方自治法理論研究序説e﹂︵自治研究第五四巻第七号・一九七八年︶ 一〇〇頁︒. 鵜飼信成﹁℃O壽巴の観念﹂︵美濃部還暦﹃公法学の諸問題﹄所収・一九三四年︶三八五頁︒. 木佐茂男﹁プロイセン. U①ヨ鼠戸ω8ぢρ田凶︒αq℃Z①凶ωのρω畠類︒置巳貫Ooω9躍①讐一貫O一〇αq霊︒蜜①一〇5pρO. 切器ωごF他にζ①B①一博田げぎ堕勺oa量β男醤ロ犀旨旨騨04切﹃きq8げξ晦℃ピき牙げ震鯨ω9お巽900一富お︸︾琴﹃β. ︵2 3︶ ︵2 3︶. プ・イセン一八○八年都市条令の検討︵高橋洋︶.
(30) ︵33︶. 木佐前掲論文e一〇四頁︒. 木佐前掲論文〇一〇六頁注︵9︶の訳による︒. 早稲田法学会誌第三〇巻︵一九七九︶. ︵34︶. 四九〇. >α勾O鉾鵠①津ドの紹介. 一七一五年の法律は以下のように指示している︒即ち︑﹁警察制度にあっては︑消防施設︑街路及び. たとえば劉白・凶琴ヨ2R りo雨oまoひq﹃崖o宣Oo紹90昌留ω嶺︒玄の一〇〇︒冒ゲ浮qbα震鼻﹃. するところ に よ れ ば ︑. ︵35︶. 鋪装︑市場︑井戸︑街燈及び救貧制度︑肉価︑パン価︑そして度量衡︑並びに道︑橋︑堤防の維持は︑これらにつき都市に 会及び都市によって︑︵中略︶受容される﹂としている︒. o9 ψNQ. ここにあげられている警察事務が都市条令の代表委員会による行. 権限が与えられる限りにおいて︑そして国王の管理局︵>ヨ冨尻帥Bヨ震︶の監督に委任されない限りにおいて︑都市の参事. 鼠①凶05曽●鉾O. 政事務とほ ぽ 重 な る こ と は 明 ら か で あ る ︒ ︵36︶. 四︑まとめにかえて. 前提として明らかにされなければならないことは︑プ・イセン改革がプ・イセンに近代的な人間と︑社会関係︑そ. して統治構造をもちこもうとする︑上からの﹁革命﹂であったことである︒都市条令も︑様々な形で旧社会の母班を. 身につけたものではあったが︑それ自体が﹁近代地方自治﹂とよびうる構造を備えていたと同時に︑それはプ・イセ. ン近代化の大きな道具であった︒それは﹁市民﹂として自由で平等な人格を創造し︑民主的な統治機構をつくること. によって領主権力を斥け︑ツンフトを政治の舞台から追い出したのであり︑警察権︑司法権の剥奪は︑当然に農村に. おけるユンカー権力にも向けられるはずであった︒しかし︑﹁農民解放﹂によるユンカーの強化は︑農村への自治の. 浸透を阻み︑﹁営業の自由﹂の不徹底さはツンフト勢力を温存させ︑ツァーの後押しによるヨi・ッパ﹁解放﹂は諸.
(31) 王家の解放であった︒そしてなによりも都市は次代を担うべき革命的ブルジョアジーを産みださなかったのである︒. 四九一. こうしてドイッにおける﹁近代地方自治﹂形成をめぐる確執は︑南西ドイッ・バーデンに移ることになる︒. プロイセン一八O八年都市条令の検討︵高橋洋︶.
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