覚
鑁
上
人
書
写
の
『小
野
六
帖
』武
内
孝
善
は
じ
め
に
覚鑁 上 人書写の 『小 野 六帖』(武内) 覚鑁
上 人 の 業 績 の 一 つ と し て 、 東 ・ 台密
に わ た る 諸 流 を 受 法 し た う え で事
相 の 統 合 を計
ら れ た こ と が 指 摘 さ れ て い る 。 た とえ
ば 、 三浦
章
夫 師 は 「事
相
諸 流 の 統 合 」 と 称 し て 、大
伝
法
院 建 立 の後
、 上 人 は 京都
に 出 て 、当
時
蘭 菊 美 を 競 わ ん と せ る 諸 家 の事
相 を綜
合相
承 せ ん と し 、 上 皇 の 聴許
を
得
て 仁 和寺
の 覚法
、 聖 恵法
親 王 、 勧修
寺
の 寛 信 、 醍 醐寺
の定
海
、 賢覚
、 保 寿 院 の永
厳 お よ び 園 城寺
の覚
猷
に就
て 諸 家 の秘
法
を受
け 、 小 野 鳥 羽 の 宝 蔵 に 聖 教 を閲
覧 し て 衆 流 を錯
綜 し、 ま た 野 山 に お い て は 明 寂 、良
禅
( 1 ) の
法
流 を 受 け て 一家
を 成 し た 。 世 に こ れ を 大伝
法 院 流 、 ま た は 伝法
院 流 、覚
鑁 流 、略
し て 伝 流 と い う 。 と 記 さ れ て い る 。 こ こ に は 、諸
流 を受
法 さ れ た 時期
が 明 記 さ れ て い な い け れ ど も、 『伝
法 院 本 願覚
鑁 上 人縁
起 』 ( 以 ( 2 ) ( 3 ) ( 4 ) 下 『 上 人 縁 起 』 と 略 す ) 一 巻 、 了 意 撰 『 密厳
上 人 行 状 記 』 ( 以 下 『 行 状 記 』 と 略 す ) 三 巻 、 運 敞 撰 『 結 網集
』 巻 上 な ど に よ る と 、覚
鑁 三 十 九 歳 の 長承
二 年 (=
三 三 ) の 条 に 集 中 し て 記 さ れ て い る 。 そ の あ た り を 苫 米 地誠
一 師 の 大 著 『 興 教 大 師覚
鑁
上 人 年譜
』 の 長 承 二年
の 条 を み る と 、 つ ぎ の よう
な 項 目 が 立 て 一ll5
一NII-Electronic Library Service 智山学報第五十四輯 ら れ て い る 。 六 月
六 日
覚
鑁 、 白 河離
宮 に参
り 、 鳥 羽 上 皇 に 謁 し て年
来 の朝
恩 を 拝 謝 し 、 諸家
法
流 の受
法
を 請 う 、勅
し て こ れ を 許 す ( 霊 瑞 ・ 上 人 ・ 行 状 ・ 結 網 集 ・ 高 野 春 秋 ・ 伝 灯 広 録 ・ 密 宗 年 表 ) 六 月八 日
覚
鑁 、 勧修
寺
寛 信 よ り 口 説 を 受 け る ( 鑁 上 人 記 ) 六月
十 三 日覚
鑁 、 九 体 阿 弥 陀 堂 に お い て 園 城 寺 長 吏 鳥 羽 僧 正覚
猷 よ り 台 密 三 井 流 の伝
法 灌 頂 を受
法
す
る ( 霊 瑞 ・ 上 人 ・ 元 亨 釈 書 ・ 結 網 集 ・ 園 城 寺 伝 法 血 脉 は 九 月 二 十 日 ) 六 月 二 二 日覚
鑁 、 院 宣 を 得 て 、 醍 醐 三 宝 院 に お い て 三 宝 院 大僧
正定
海
よ り 醍 醐 三 宝 院 流 の伝
法 灌 頂 を受
法
す る ( 上 人 ・ 行 状 ・ 結 網 集 ・ 灌 頂 印 明 は 六 月 二 三 日 ) 六月
二 二 日覚
鑁 、 理性
院 賢覚
よ り 永 久 の受
法
( 永 久 四 年 四 月 十 七旦
に残
る 灌 頂 の 最 極秘
伝
を 受 法 す る ( 灌 頂 印 信 ) 六月
二 七 日覚
鑁 、 院 宣 を得
て 、 勧 修 寺 に お い て寛
信
法
務 に 小 野 勧 修 寺 流 の 伝 法 灌 頂 を受
法 す る ( 灌 頂 印 明 ・ 上 人 ・ 行 状 ・ 結 網 集 ) 七 月二 日
覚
鑁 、 華蔵
院 宮 聖恵
法
親 王 に受
法
し 、 最 極 秘 密 の 一 本書
等
を 披覧
す る ( 上 人 ・ 行 状 ・ 結 網 集 ) 七 月 十 二 日覚
鑁 、 院 の 勅 旨 に依
り 鳥 羽 殿 に お い て、 院 御 所 蔵 の 小 野 の 官 庫 の 聖教
を 閲 覧 書 写 し 、 ま た鳥
羽 宝 ( 5 ) 蔵 を 開 い て 宝 物 を 拝見
す る ( 上 人 ・ 行 状 ・ 結 網 集 ・ 護 国 寺 所 蔵 小 野 六 帖 奥 書 ・ 紀 伊 名 所 図 会 ) こ れ よ り 、 鳥 羽 上 皇 の後
楯
も あ っ て 、覚
鑁 は 長 承 二 年 (=
三 三 ) 六 月 か ら 七 月 に か け て 、 園 城寺
・ 勧修
寺
・ 醍 醐 寺 ・ 仁 和寺
に 伝 え ら れ た 諸 流 を受
法
す る と と も に 、 鳥 羽 宝 蔵 の 聖 教 を 閲 覧 書 写 さ れ た こ と を知
りう
る 。 諸流
の 受 法 は さ て お き 、 鳥 羽 宝 蔵 で の 閲覧
書
写
に つ い て は若
干 の 訂 正 ・ 追 加 が 必 要 と な ろう
。 そ れ は 、覚
鑁 が 鳥 羽 宝 蔵 本 を も っ て 書 写 し た こ と を 具 体 的 に 記 す鎌
倉 時 代 の 写 本 を披
見 し え た か ら で あ る 。 そ の 一116
一 N工工一Eleotronlo Llbrary写 本 と は 『
小
野
六 帖 』 で あ る 。 そ こ で 、 本 稿 で は覚
鑁
上 人 の 名 が奥
書 に み ら れ る 写 本 を紹
介 し、 と 鳥 羽 宝蔵
と の係
わ り に つ い て記
し て み た い 。 一先
行
研
究
の検
討
あ わ せ て 覚 鑁 上 人 覚 鑁上人書写の 『小野 六帖』 (武 内)『 小 野 六 帖 』 の
奥
書
に 、覚
鑁 上 人 の 名 が み ら れ る こ と を 最 初 に 指 摘 し た の は 、 『 密 教大
辞 典 』 の 「小
野 六 帖 」 の 項( 6V で あ ろ う 。 し か し そ の
記
述 は簡
略 で 、 栄 海 の 奥書
嘉 暦 二
年
六 月 以 二覚
鑁 上 人 持本
六 帖 一 比 校 之處
、 無 此 帖 、彼 聖
教
一 結 者 加 一 大事
帖
・ 六 帖 、 其 外 瑜 祇 總行
一 帖 、 又 二海
帖 別
有
レ 之 、都
合 九 帖草
子 云 々 、榮 ー 記 之 を
紹
介 し 、 「 而 も覚
鑁 は 仁海
自筆
の 本 を 書 写 し た る も の な れ ば 宝蔵
の 本 は 九 帖 一 具 な り し な る べ し 」 と 記 す だ け で あ る 。つ い で 、 『 小 野 六 帖 』
奥
書
を あげ
、 『 上 人 縁 起 』 な ど の 鳥 羽 宝蔵
拝 覧 の 記事
が 偽 り な い こ と を 論 じ ら れ た の は 、中
( 7 ) 野 達 慧 著 『
興
教 大 師 正伝
』 で あ る 。 中 野 師 は 、 「 伝 法 灌 頂 千 心 私 記 」 「 両 部 大 灌 頂 千 心 」 「伝
法
灌 頂 」 三 帖 の奥
書
を 紹 介 し 、 「 日 付 に 「 長 承 二年
七 月 十 八 日 於鳥
羽奉
写 了 」 と あ る は 、 興 教 大 師 が 小 野 官 庫 ・ 鳥 羽 宝蔵
に 入 ら れ し 唯 一 確 証 と 為 る 貴 重 文献
な り 」 と 記 さ れ た 。( 8 )
『 小 野 六
帖
』 の 奥書
を 比較
的詳
し く 論 述 し た の が 、 櫛 田 良 洪著
『覚
鑁 の 研 究 』 で あ る 。 櫛 田博
士 は 、 長承
二年
(=
三 二 ) の 諸 流 遍 学 を論
じ る な か で 、 「秘
庫
の 閲覧
を め ぐ っ て 」 な る 項 目 を設
け
て 、護
国 寺 蔵 の 六 冊 本 『 小 野 六帖
』 な ら び に 金 沢 文庫
本 の奥
書 を 紹 介 し、 覚 鑁 が鳥
羽 宝 蔵 本 を書
写 さ れ た こ と 、 覚 鑁 書 写 の 『 小 野 六帖
』 は 九帖
かNII-Electronic Library Service 智山学報 第五十四輯 ら な っ て い た こ と 、 な ど を 指 摘 さ れ た 。 こ こ で 、 も う 少 し
詳
し く 櫛 田 説 を み て み よう
。櫛
田 博 上 は 、 秘 庫 閲 覧 の こ と を記
す
の は 『 上 人縁
起 』 だ け で あ る と し て そ の 内容
に ふ れ、 あ わ せ て 成 尊 の 双 璧 の 資義
範 と 範 俊 の 争 い に 言 及 さ れ る 。 つ い で 、 こ の 『 上 人 縁起
』 の 真偽
を 確 か め た い と し て、 護 国寺
蔵 「 小 野 六帖
』 の奥
書
を 紹介
さ れ る 。 こ の 護 国寺
蔵
本
は 、 元 禄 十年
( 一 六 九 七 ) に 書 写 さ れ た 六 冊 本 で 、 「 印 信 の 帖 」 ま た は 「 大 事 の 帖 」 と も い い 、 秘帖
と 称 さ れ る第
三 帖 を か く 。 と も あ れ 、博
士 は 護 国 寺 本 六 冊 の奥
書 か ら 以 下 の 六 つ の こ と を導
き 出 さ れ て い る 。 す な わ ち 、覚
鑁 が 長 承 二年
六 月 晦 日 と 七月
十 六 日 ・ 十 七 日 ・ 十 八 日 ・ 十 九 目 の 五 日 間 に わ た っ て 小 野 の 聖 教 を書
写 さ れ た こ と 。四 合 箱 の 中 に 『 小 野 六 帖 』 が 正
本
の ま ま に存
し 、 し か も 移 点 し て い る こ と 。覚
鑁 が 書 写 し た 場 所 が 鳥 羽 殿 で あ り 、 し か も 鳥 羽 殿 の 北 殿 で あ っ た こ と 。書
写 の 月 日 が 『 上 人 縁 起 』 と は異
な り、 六 月 晦 日 か ら 始 ま り 七 月 十 九 日 ま で 恐 ら く 連 日 続 い た こ と と 思 わ れ る こ と 。こ の 本 を 書 写 し た 『 真 言 伝 』 の
著
者 勧 修 寺 栄 海 が 、覚
鑁 所 持 本 に よ り 嘉 暦一 . 年 ( = 二 二 七 ) 六 月 仁 和 寺 五 智 院 で 写 し た こ と 。こ の 頃 、 覚 鑁 の 聖 教 が 四
合
皮
子
の 中 に 現 存 し て い た こ と は 、 注 目す
べ き こ と 。 の 六 つ で あ る 。 厳 密 さ を 期 す る な ら ば若
干 の 補筆
・ 訂 正 が 必 要 と な ろう
が 、 の ち に 九帖
分 の奥
書 を 紹 介 す る の で 、 そ こ で糺
す こ と に し た い 。 つ づ い て 、 第 七 帖 「 伝 法 灌 頂 」 の奥
書
に み ら れ る 「 聖 賢 記 云 」 に 注 目 し 、義
範 ・ 範 俊 の 争 い か ら 白 河法
皇
が 小 野 の 曼 荼 羅 寺 の 聖 教 の 中 か ら 『 小 野 六 帖 』 の . つ を と り あ げ ら れ た こ と 、 一 118 一 N工工一Eleotronlo Llbrary覚鑁上 人書写の 「小 野六帖』 (武 内) ( マ ・ )
栄 海 の
付
記 に よ る と 、 実際
の 『 小 野 六帖
』 は 『 瑜 祇 惣行
』 一 帖 と 同 別 二 帖 が 別 に あり
、 九帖
の 双 子 か ら 成 り 立 っ て い た 、 ( 9 ) と 記 さ れ て い る 。 さ ら に 、 宥快
著
『 小 野 六帖
総 口 決 』 を ひ い て 、『 上 人 縁
起
』 の 説 は あ る 程 度 の 真 を伝
え て い る と み な し て よ い こ と 、宥 快 が 「 小 野 六
帖
」 の 正本
は 七 帖 本 で あ っ た と 記 す の は 、 さ き に あ げ た 栄海
の付
記 か ら 誤り
で あ り 、 覚鑁
が 書 写 し た 『 小 野 六 帖 』 は 九帖
本 で あ っ た こ と、 を 指 摘 さ れ た 。 さ い ご に 、 金 沢文
庫
伝
来 の 聖 教 奥 書 に 注 目 さ れ 、 栄 海 が 記す
九帖
本 に は い か な る 典 籍 が 含 ま れ て い た の か 、 ま た 「鳥
羽 殿 槻 御 蔵 」 と は い か な る 蔵 か 、 に 言 及 さ れ た 。す
な わ ち 、栄 海 の 記 す 「 瑜 祇 惣 行 一 帖 」 と は 、 金 沢 文
庫
蔵 の 『瑜
祇 惣 行 法私
記
』 一 帖 が相
当 す る で あ ろ う 。 こ れ よ り 、 覚 鑁 は 九帖
全部
を 書 写 し て い た こ と が 知 ら れ る こ と 、 ( マ ・ )同 じ く 金 沢
文
庫
蔵 の道
照 書 写 の 『 胎疏
并 儀軌
等 序要
文
肝 心 』奥
書
か ら 、 伝 法 院 座 主 隆位
の 手 に 移 っ た も の が 書 写 さ れ て い る こ と 、 そ こ に は 覚 鑁 が 槻御
蔵
之 本 を申
し 出 た こ と ま で 記 さ れ て い る こ と 、 ( マ ・ ) ( マ ・ )道 照 書 写 の 『 万 廿 糸 大 六 人 』 奥 書 に も 、 同
様
の 文 言 が み ら れ る こ と 。 東寺
観
智
院 金剛
蔵 に も 『 万 廿 糸 』 が 伝存
し て い る こ と 、宝 蔵 の 中 に
槻
御 蔵 本 と いう
未 伝 の東
密
の 秘書
の 蔵 が あ っ た 事 が知
れ て 興 味 深 い こ と、九 帖 策 子 は 『 小 野 六
帖
』 の 成 立 当 時 か ら付
け 加え
ら れ て い た も の で 、覚
鑁 は そ れ を よ く 書 写 し た も の で あ る こ と 、 な ど と 指 摘 し 、結
論
と し て 、 一 119 一NII-Electronic Library Service 智山学 報 第五 十 四輯
思
う
に 六 月 よ り 始 ま っ て な お 三 ヶ 月 以後
ま で 鳥 羽 宝 蔵 の 閲 覧 が 行 わ れ た事
実 を 見 る と 、 従 来 の 『 上 人 縁 起 』 の 説 は 改 め な け れ ば な ら な い 。 と さ れ た 。 こ の 結 論 に い た る〜 の
個
所
で も、〜
の と こ ろ で 指 摘 し た よ
う
に 、舌
足 らず
で 理 解 に 苦 し む 文 言 が 目 に つ く 。 た と え ば、で 「 宝 蔵 の
中
に 槻 御 蔵 本 と いう
未 伝 の 東 密 の 秘書
の 蔵 が あ っ た 」 と 記 さ れ る が 、 こ こ に いう
「 未 伝 の 東 密 の 秘 書 」 と は 今 日 に は伝
存 し て い な い東
密
の 秘 書 と い う 意 味 で あ ろう
か 。 ま た 、 「槻
御 蔵 」 を 「 未 伝 の 東 密 の 秘 書 の 蔵 」 と す る け れ ども
、 こ れ は お そ ら く 臆 測 に よ る も の で あ ろう
。の 「 九 帖 策 子 は 『 小 野 六 帖 』 の 成 立 当 時 か ら 付 け 加 え ら れ て い た
も
の 」 も 、 何 に 何 を 付 け加
え た の か が 明 確 で な いう
え に 、 文章
と し て も 不 適 切 で あ る 。 さ ら に 、の 「 六 月 よ り 始 ま っ て な お 三 ヶ 月 以 後 ま で
鳥
羽 宝 蔵 の 閲 覧 が行
わ れ た事
実
」 も 、 何 を 根 拠 に コ ニ ヶ 月 以一
後
ま で 」 と い わ れ る の か、 や はり
理 解 に 苦 し む 。こ の よ う に、 疑
義
を 記 し だす
と切
り が な い 。 し た が っ て 、櫛
田 博 士 が 『 小 野 六 帖 』 の 奥 書 を 紹 介 さ れ 、 金 沢 文庫
蔵
本 に 言 及 さ れ た こ と に は 敬意
を表
す る け れ ど も 、 そ の 論 述 に つ い て は 全 幅 の 信 を お く こ と は で き な い 。 そ こ で 、 以 下 に 、奥
書 に 覚 鑁 上 入 の 名 が み ら れ る 『 小 野 六 帖 』 の鎌
倉 ・ 南 北朝
期 の 古 写 本 と そ の 奥 書 を あげ
、 平安
か ら 鎌倉
時
代 に か け て、 『 小 野 六 帖 』 の 写 本 が い か に多
く存
在
し て い た か を 検 討 し た い 。N工工一Eleotronlo Llbrary Servloe
二
覚
鑁
上
人
の名
を
記
す
『小
野
六
帖
』写
本
は じ め に 、 奥 書 に覚
鑁 上 人 の名
が み ら れ る 『 小 野 六帖
』 の 写 本 を紹
介 し よう
。 私 が 披 覧 し え た 『 小 野 六 帖 』 の写
本 の な か 、 そ の 奥書
に覚
鑁 上 人 の 名 が み ら れ る の は 、 つ ぎ の 三 本 で あ る 。覚鑁上人書写の 『小 野六帖』 (武内)
( 10 ) ( 一 )
東 寺 観
智
院 金剛
蔵 蔵 ・嘉
暦
二年
( 一 三 二 七 ) 栄 海奥
書 本一
帙
六 帖〔 11 ) ( 二 )
勧 修 寺
慈
尊
院 蔵 ・ 康 永 二年
( 一 三 四 三 ) 教賀
書 写本
一 帙 七 帖
( 12 ) ( 三 ) 高 野 山 金 剛 三 昧 院 蔵 ・
鎌
倉
末 期 〜 南 北 朝 期 写本
一 帙 八
帖
こ の 三本
以 外 に も 、奥
書
に 覚 鑁 上 人 の名
が み ら れ る こ と が報
告 さ れ て い る 『 小 野 六帖
』 に、 つ ぎ の 三 本 が あ る 。す
な わち
、( 13 ) ( 四 )
金 沢 文
庫
蔵 ・鎌
倉 時 代書
写 本( 14 ) ( 五 ) 護 国 寺
蔵
・ 元禄
十年
( 一 六 九 七 )祥
光 書 写 本六 冊
( 15 ) ( 六 )
山 形 遍
照
寺
蔵本
・ 一帙
七 冊 の 三本
で あ る 。 こ のう
ち 、 ( 一 ) 〜 ( 三 ) ・ ( 五 ) ( 六 ) の 五 本 に は 、 栄海
が 書 付 け た ほ ぼ 同 文 の奥
書
が み ら れ る の で 、 同 じ系
統
に 属 す る 写 本 と み な し て よ い 。 し か し な が ら、 ( 四 ) は覚
鑁 書 写 本 を あ げ る に も か か わ ら ず 、文
言
に い く つ か の相
違 が み ら れ 、 か つ 栄海
の書
付 け が み ら れ な い 。 そ こ で 便 宜 上 、 本 稿 で は ( 一 ) 〜 ( 三 ) ・ ( 五 ) ・ ( 六 ) をA
グ〔 16 ) ル ー プ の 写 本 (
A
本 と 称 す ) と し 、 ( 四 ) をB
グ ル ー プ の 写 本 (B
本 と 称 す ) と称
し て 、 論 をす
す め る こ と に し た い 。 な お 、A
本 の奥
書
に は栄
海 の書
付
け が み ら れ る こ と か ら 、A
本 を栄
海
奥 書 本 と 称 し て お き た い 。 以 下 、 項 を あ ら た め て 、 『 小 野 六帖
』A
本
・B
本
の奥
書 と そ の 内 容 を 分 析 ・ 検 討 す る 。三
『
小
野
六
帖
』A
本
の奥
書
と
そ
の
分
析
さ き に記
し た よう
に 、 『小
野 六 帖 』A
本 に 属 す る 写 本 は 五 本 数 え ら れ た 。 本稿
で は 、 ( 一 ) 観智
院本
、 ( 二 )勧
修寺
本
、 ( 三 ) 金 剛 三昧
院 本 の 三 本 に よ っ て 論 じ る こ と に す る 。披
見 す る こ と が で き た 一121
一NII-Electronic Library Service 智山学報 第五 十四輯 『 小 野 六 帖 』 の 奥 書 を 紹 介 す る に あ た り 、 最 初 に 二 つ の こ と を 申 し て お き た い 。 そ の 一 つ は 、 巻
数
と 巻 立 で あ る 。 〔 17 ) 『 小 野 六 帖 』 は 、 書 名 に 六 帖 と い い な が ら 、 七 帖 ま た は 九 帖 か ら な る と い わ れ る 。 そ の 主 流 は 七 帖本
と お も わ れ る 〔 B ) が 、 厄 介 な こ と は 写本
に よ っ て そ の 巻 立 の 順序
が 異 な っ て い る こ と で あ る 。 こ こ で は 便 宜 上 、 活字
化
さ れ て い る ( 19 ) 『 大 正 新 脩 大 蔵 経 』 所 収 本 の 巻 立 に し た が っ て あ げ る こ と に す る 。 二 つ 目 は 、A
グ ル ー プ 五 本 のう
ち、 観 智 院 本 が オ リ ジ ナ ル 本 で あ り 、 勧修
寺
本 と 金 剛 三 昧 院 本 以 下 が そ の 写 し で あ る こ と で あ る 。 な ぜ、観
智 院 本 が オ リ ジ ナ ル か と いえ
ば 、 現存
す る 六 帖 す べ て の奥
書 が 栄海
の 自筆
であ
る か ら で ( 20 ) あ る 。 ま た 、 外 題 が あ る の は 第 一 ・ 第 二 の 二 帖 だ け で あ る が 、 そ の 外 題 も 栄 海筆
と み な し て よ い こ と で あ る 。 こ れ に 対 し て 勧 修寺
本 は 、 第 三 の奥
書
に だ け 栄 海 が 加筆
し た と こ ろ が み ら れ る け れ ど も 、 そ の 大部
分 は弟
子 の教
賀
が 栄 ( 21 ) 海 か ら 伝 授 を 受 け る た め に 書 写 し た も の で あ る 。 ま た 、 金 剛 三 昧 院 本 に は、観
智 院 本 と ま っ た く 同 じ 奥書
が み ら れ る け れ ど も 、 栄 海 の筆
跡 で は な い 。 以 上 よ り 、観
智 院 本 を オ リ ジ ナ ル本
と し 、 勧 修 寺 本 ・ 金剛
三 昧 院 本 を そ の 写 し と み な し て お く 。 一122
N工工一Eleotronlo Llbrary Servloe
前 置 き が 長 く な っ た 。 つ ぎ に あ げ る 「 小 野 六 帖 』 奥
書
のう
ち 、第
一 〜 第 五 ・ 第 七 の 六 帖 は オ リ ジ ナ ル 本 であ
る 観 智 院 本 を 底 本 と し て あ げ 、第
六 は 栄 海 の 指 導 の も と で書
写 さ れ た 勧 修寺
本 を 底 本 と し て あ げ る 。 い ず れ も 、 原本
を ( 22 ) 調 査 し た と き の 調 書 に も と つ い て あ げ る 。 な お 、 煩 瑣 と な る の で、 こ こ に は 帖 数 と 典 籍名
・奥
書
だ け と す る 。 第 一「 大 師
傳
法 灌 頂 私 記 」 一帖
第 特 八 箱 第 二 九
号
六−
一 〔奥
書 〕一 交 了 校 本 云 長 承 二 年 六 月 晦 日
書
冩 了覚鑁上人書 写の 『小野 六帖』 (武内) 同 年 七
月
十 九 日於
鳥
羽 北 殿 以 四 合 正 本交
合 了六
并
九 内巳 上 嘉 暦 二 年 六
月
四 日 以 覺 ぐ 上 人持
本交
合 了栄
海
第 二 「 兩 部 大 灌頂
作 法 千 心 」 一帖
第
特
八 箱 第 二 九号
六−
三 〔奥
書 〕一 交 了
交
本
云長
承
二 年 七 月 十 八 日 於鳥
羽奉
冩 了* 鳥、 擦 り 消 し 跡 に 書 す 。 四 合 之 内 六 帖 之 内 也
一 交 了 『 以 同 本 移 點 了 』 六
并
九 内已 上 交 本 嘉 暦 二 年 六 月 三 日 以 覺 《 上 人 本
校
合 之件
本
在 仁和
寺 五智
院 . 《 上 人 聖 教 四 合 皮 子中
有
之 《 上 人被
寫
小 野 本 尤 可謂
證 本 而 已榮
海 一123
一NII-Electronic Library Service 智山 学 報 第 五 十 四 輯
第
三「 傳
法
灌 頂 千 心 私 記 」 一 帖第 特 八
箱
第 二 九号
六−
四 〔奥
書 〕交 本 云
長
承
二 七 廿 一六 并 九 帖 内
四
合
之 内 小 ⊥ ハ已 上
嘉 暦 二 年 六
月
一、 一 目 以 覺 達 上 人持 本
校
合 之 了榮 海 應 保 元 年 十 二
月
六 日 於 勸 修寺
西 山住
房 以大
法
房
本 書寫
了僧 興 然 三 密
房
説 云義
範
僧
都 此帖
不 傳 給 歟 其故
者 三寶
院
僧
正 後 二 付 範 俊 僧 正傳
此 帖 ヲ 給故
也 印 信 帖 者 是 也 尤 可 密 ・ ・ 保 元 二年
二 月 八 日 師 主僧
都 御房
申 請 醍 醐寺
三 寶 院 以御
経
藏 本 書 寫并
交 點 了 件 本 ハ 權 僧 正 御 房 自院
給
* こ こ ま で 榮 海 自 筆 。 一124
一 N工工一Eleotronlo Llbrary覚鑁上人書写の 『小野 六帖』 (武 内) 第 四 〔 奥 書 〕 之 天 書
寫
被 納御
経
蔵
了 云 々求
法
沙 門寛
命已 上
寛
命
文 日記
但 此 灌 頂 帖 ハ自
本
以 自筆
令 書 持 給 云 々件
本
現 在 之 已 上 上 野 阿 闍 梨 寶 深自
筆
記也
臓 「 雜 私記
大 師 記 郷 翻 構 灘 」 第 五「 胎 疏
并
儀 軌等
序
要文
千
心 」 〔奥
書 〕 凵一 帖 第 特 八
箱
第
二 九号
六−
五一 交 了 校 本 云 長 承 二
年
七 月 十 六 日 四 一 小六 并 九 内 巳 上 嘉 暦 二
年
六月
五 日 以 覺. ζ 上 人 持 本校
合 了榮 海
一 帖 第
特
八 箱第
二 九 号 六1
⊥ ハ一
交
了 交本
云 長承
二 年 七月
十 七 日 一交
了 四 第 一六 并 九 内 一
125
一NII-Electronic Library Service 智 山学報 第五 十四輯 嘉 暦一 、 年 六 月 六 日 以 覺・ 《 上 人 持 本 比 校 之
榮
海
第 六蓿
曜 私 記 枇鶉
要 文 」 一 帖 〔 奥 圭 円 〕 ] 一 亠 父 了裏
箱 交 本 云 長承
二年
七 月 十 七 日 一 交 了 四 一 小 六并
九 内 云 々 嘉暦
. 一年
六 月 六 日 以 覚 達 上 人 海 持本
校 合 〜榮
1
2121
第 七「 傳 法
灌
頂 」 一 帖第 特 八 箱 第 二 九 号 六
ー
二 〔奥
書 〕 永 久 四 年 四 月 十 六 日 書 了 金 剛 弟 子勝
成 件 本 以 小 野 僧 正御
房 御 手 跡 本所
被書
本 也 聖 賢 記 云件
造 紙 本 者 以 遍 知 院 上綱
本故
僧 正御
房 令 書寫
給件
本 造 紙 与 六 帖 雙 紙 具 也 六帖
者 小 野 權 僧 正 相 (6
) 一126
N工工一Eleotronlo Llbrary覚鑁上人書 写の 『小 野六帖 』 (武 内)
傳
件 本白
河 院 召取
了 此 造紙
者 權僧
正 不 傳給
也 故御
房
御 説如
件嘉
暦 二年
六 月 以覺
・ 《 上 人持
本 六 帖 比 校 之 處無
此帖
彼 聖教
一結
者 加 大事
帖 六帖
其
外瑜
祇
惣 行 一 帖 又 二 帖 別有
之 都合
九 帖 草子
云 々榮 海 記 之 そ れ で は 、
A
本
つ ま り栄
海奥
書本
の奥
書
の 内 容 を ( 一 )覚
鑁 書写
・ 校 合 の 過 程 、 ( 二 ) 栄 海奥
書
本 の 底 本 、 ( 三 )栄
海 の校
合 過程
、 の 三 項 目 に わ か っ て整
理 す る こ と に し た い 。 ( 一 )覚
鑁 書 写 ・校
合
の 過程
。各
帖 に は 、 「 交 本 云 」 と し て 、覚
鑁 が書
写 ・校
合 し た 本 の奥
書
が そ っ くり
転 写 さ れ て い る 。 そ れ ら覚
鑁 の 書 写 ・ 校 合 の 記録
だ け を取
り だ し 、 そ の経
緯
を み て み よう
。 第 一帖
長
承
二 年 六月
晦
日 書 冩 了 同年
七 月 十 九 日於
鳥 羽 北 殿 以 四 合 正 本 交 合 了六
并
九 内第
二 帖 長 承 二 年 七月
十 八 日 於 鳥 羽奉
冩 了* 鳥、 擦 り 消 し 跡 に 書 す 。 四 合 之 内 六
帖
之 内 也 一交
了 『 以 同 本 移點
了 』 六并
九 内 一127
一NII-Electronic Library Service 智山学報第五 十 四輯
第
三 帖第
四 帖第
五 帖 第 六 帖 長 承 二 七 廿 一六 并 九 帖
内
四 合 之 内 小 六 長 承 二 年 七 月 十 六 日 四 一 小 六并
九 内 長 承 二年
七 月 十 七 凵 一交
丁 四箜
六并
九内
長 承 二年
七 月 十 七 日 一交
了
四 一 小 六并
九 内 云 々 こ れ ら を 編 年 順 に 並 べ か え る と 、 長 承 二 年 六月
晦 日 七月
十 六 日 七月
十 七 日 七月
卜 八 日 七月
卜 九 日 七月
廿 一 日 と な る 。 こ のう
ち 、 り 、 と も あ れ 、 覚 鑁 に よ る ( 一 . 三 三 ) 七 月 廿 一 日 に 第 三 帖 を 校 合 し た条
は 、 あ ら た に判
明
し た 覚 鑁 の 事 跡 で あ る 。 『 小 野 六 帖 』 の 書 写 ・ 校 合 の 状 況 を 、 つ ぎ の よう
に 考 え て お き た い 。覚
鑁 は 、 長承
二年
六 月 晦 日 か ら 同 年 七 月 二 十 一 日 に か け て 、 『 小 野 六 帖 』 六 帖 ( 第 一 〜 六 帖 ∀ の 書 写 と 校 合 を お こ な わ れ た 。 第 一 帖 を書
写 す 。 第 四 帖 を 校 合 す 。 第 五 ・ 六 帖 を 校 合 す 。 第 二 帖 を 鳥 羽 に お い て 書 写 ・ 校 合 ・ 移点
す 。 第 一 帖 を 鳥 羽 北 殿 に お い て 四 合 正 本 を も っ て 校 合 す 。 第 三 帖 を 校 合 す 。 櫛 田 博 士 が 紹介
さ れ た護
国寺
本
に は み ら れ な い も の で あ128
一 N工工一Eleotronlo Llbrary覚鑁上 人書写の 『小野六帖』 (武 内) お そ ら く 、 七 月 十 五 日 ま で に 本 文 の 書 写 を 終 え 、 十 六 日 か ら 二 十 一 日 に か け て 集 中 し て 校 合 に あ た ら れ た の で あ ろ
う
。 こ の書
写
に 用 い ら れ た 底 本 は 、 残 念 な が ら 不 明 で あ る 。第
二 帖 の 奥書
に 、 「 七 月 十 八 日於
鳥 羽奉
冩 了 、 四 合 之 内 六 帖 之 内 也 、 一 交 了 、 『 以 同本
移 点 了 』 」 と あ る こ と か ら 、底
本
は 鳥 羽 宝 蔵 に 秘 蔵 さ れ て い た 正本
と み な す こ と も許
さ れ る か も し れ な い 。 し か し な が ら 、 第 一 帖 に は 「 六 月 晦 日書
冩 了 」 と 記 さ れ る だけ
で 、 校 合 の記
録 「 同年
七 月 十 九 日 於鳥
羽 北 殿 、 以 四合
正 本 交 合 了 」 と 明 確 に書
き 分 け ら れ て い る こ と か ら 、 や はり
不
明 と し て お き た い 。 つ ぎ に 、校
合 に 用 い ら れ た 原 本 で あ る が 、 鳥 羽 宝 蔵 に 秘 蔵 さ れ て い た 四 合箱
所
収 の 正 本 と み な し て お き た い 。 な ぜ な ら 、第
一帖
に 同 年 七 月 十 九 日 於 鳥 羽 北殿
以 四 合 正 本 交 合 了⊥ ハ
并
九内
( 傍 線 筆 者、 以 下 同 じ ) と あ り、 第 二
帖
に も 長 承 二 年 七月
十 八 日 於鳥
羽奉
冩 了 四 合 之 内 六帖
之 内 也一
交
了 『 以 同 本 移 點 了 』 六 并 九 内 と あ る か ら で あ る 。 な お 、 正 本 と は 小 野僧
正 仁海
の自
筆・ 本 と み な さ れ て い る 。 ま た 、各
帖
に み ら れ る 「 六 并 九 内 」 は 、後
述 す る よう
に 、 鳥 羽 宝 蔵 本 の 『 小 野 六 帖 』 は 本体
六 帖 と 付 属 の 三 帖 の計
九帖
か ら な っ て お り 、 こ の 六 帖 と 九帖
のう
ち に 含 ま れ る 一帖
で あ る こ と を 意 味 す る と 考 え る 。第
三 帖 の 「 四 合 之 内 小 六 」 と は 四合
箱
所 収 の 『 小 野 六 ( 23 )帖
』 の 意 で あ り 、 第 四 ・ 五帖
に み ら れ る 「 四 一 小 」 は 四 合 箱 の第
一 箱所
収 の 『 小 野 六 帖 』本
と 解 し て お き た い 。 で は 、 覚 鑁 書 写 の 『 小 野 六帖
』 六 帖 お よ び 九 帖本
と は い か な る も の で あ っ た の で あ ろう
か 。 第 七 帖 の奥
書 に 、栄
海 は つ ぎ の よう
に 記 し て い る 。129
NII-Electronic Library Service 智山学報 第五 十四輯 嘉 暦 二
年
六月
以 覺 ご 上 人 持 本 六 帖 比校
之處
無 此 帖 彼 聖 教 一 結 者 加 大事
帖
六 帖 其 外瑜
祇 惣 行 一 帖又 二
帖
別 有 之 都合
九 帖 草 子 云 々榮
海
記 之 こ れ よ り 、 一、 一 つ の こ と を知
りう
る 。 す な わ ち 、覚
鑁 所 持 の 六 帖 本 に は 、 こ の 帖 11 第 七帖
は な か っ た 、覚
鑁 所 持 の 『 小 野 六 帖 』 ] 結 は 、 「 大 事 帖 」 を 加 え た 六 帖 本 で あ っ た、こ の
外
に 、 別 に 「 瑜 祇 惣 行 一 帖 」 と 「 又 二 帖 」 が あ り 、都
合 九 帖 の 草 子 で あ っ た、 の 三 つ で あ る 。の 「
瑜
祇
惣 行 一 帖 」 と 「 又 二 帖 」 に つ い て は後
述 す る 。 こ こ で 問 題 な の は 、に 要 約 し た 「 こ の 一 結 は 「 大
事
帖 」 を 加 え た 六 帖 本 で あ っ た 」 と す る点
で あ る 。 そ れ は 、今
日 、 第 三 の 「 傳 法 灌 頂 千 心 私 記 」 帖 を 「印
信
の 帖 」 ま た は 「 大事
の 帖 」 と 称す
る け れ ど も 、覚
鑁 書 写 の 六 帖 本 に は す で に こ の 第 三 帖 が含
ま れ て お り 、 こ こ に い う 「 大事
帖 」 が 何 を さ す か が 判 然 と し な い か ら で あ る 。 と も あ れ 、覚
鑁 が 鳥 羽 宝 蔵 本 を も っ て 校 合 し 所 持 し て い た 『 小 野 六 帖 』 は 、 上 掲 の第
一 〜 六 の 六 帖 本 に 「 瑜 祇惣
行
一 帖 と 「 又 二 帖 」 を 加 え た 九 帖 本 で あ っ た と み な し て お き た い 。 一130
一N工工一Eleotronlo Llbrary Servloe
( 二 ) 栄 海
奥
書本
の 底 本 。 栄海
が 奥 書 をく
わ え た 『 小 野 六帖
』 は 、 本 文 を 書 写 す る に 際 し て 、 い か な る 本 を底
本
と し た の であ
ろ う か 。 栄 海 奥 書 本 の底
本 を考
え て お き た い 。 栄 海奥
書
本
の 底 本 を 考 え る う え で参
考 に な る の が 、 第 三 帖 と第
七 帖 の 奥書
で あ る 。古
い 年 号 が み ら れ る 第 七 帖 の奥
書 か ら検
討
し よう
。 煩 瑣 で は あ る が 、 改 め て奥
書 を 提 示 す る と 、 ア 、永
久 四年
四月
十 六 日 書 了 金 剛 弟 子 勝 成覚鑁上 人書写の 「小 野六帖』(武内) と
あ
る 。 まず
、の 二 つ で あ る 。 蓮
房
阿 闍 梨 → ら れ る 聖 賢 は 勝 成 の 兄 弟 子 で あ っ た 。 、 つ 。 つ ぎ に 、 イ は 「 聖 賢 記 」 の 引 用 で あ り 、 四 つ の こ と を知
りう
る 。 要 約 す る と 、こ の 造 紙 11 『 小 野 六 帖 』 は 、 遍 知 院 上 綱 μ 義
範
の 本 を も っ て 故 僧 正御
房 11 勝覚
が書
写 し た も の で あ る 。 件 本 以 小 野 僧 正 御 房御
手
跡 本 所 被書
本也
イ 、 聖 賢 記 云 、 件 造 紙本
者
、 以 遍 知 院 上綱
本 、 故 僧 正御
房
令
書 寫 給、 件本
造 紙 与 六帖
雙
紙 具 也 、 六 帖 者 小 野權
僧 正相
傳 、件
本白
河 院 召取
了
、 此 造 紙 者、 權僧
正 不 傳給
也 、 故 御 房御
説
、如
件 、 ア ・ イ と番
号 を 付 し た よう
に 、 こ の奥
書 は 二 つ の部
分 か ら な る 。 ア は 勝 成 の 書 写奥
書
で あ り 、 二 つ の こ と を 知 りう
る 。 す な わ ち 、 永久
四 年 (=
一 六 ) 四 月 十 六 日 に 、 勝 成 は 『 小 野 六 帖 』 の 書 写 を終
え た こ と 。 こ の 勝 成本
は 、 小 野 僧 正御
房御
手
跡 本 を 手 本 と し て 書 写 し た も の であ
っ た こ と 。 こ こ に いう
勝 成 と は 、 三 宝 院 流 の 祖 ・ 勝覚
の 付 法 の弟
子 で あ る が 、 『 血 脉 類 集 記 』 第 四 に は 「 号 二 心 ( 24 ) 重 受 、 両 人 同 日 」 と あ る だ け で 、受
法 の 具体
的
な 年 次 は残
念
な が ら 記 さ れ て い な い 。 な お 、 イ に み手
本
と し た 小 野僧
正 御 房御
手 跡 本 と は 、仁
海 の 自 筆本
と 解 し て 間違
い な か ろ 一131
一NII-Electronic Library Service 智 山学報 第五 十四輯
こ の 造 紙 は 、 六 帖 と
雙
紙 と を 具 備 し た 本 で あ る 。こ の な か の 六 帖 は 、 小 野 權 僧 正 n 範 俊 が 相 伝 し た も の で あ
り
、 の ち に白
河 院 に召
取 ら れ た 。 一 方 、 雙 紙 は 權 僧 正 11範
俊 は 相 伝 し て い な か っ た 。以 上 は 、
故
御 房 11 勝覚
の 説 で あ る 。 の 四 つ と な ろう
。 こ こ に 名 が み ら れ る 聖賢
( 一 〇 八 三 〜=
四 七 ) ・ 義 範 ( 一 〇≡
二 〜 一 〇 八 八) ・ 勝 覚20
五 七 〜 一 一 二 九 ) ・範
俊
( 一 〇 三 八 〜=
一 二 ) の 付 法系
譜 を あ げ る と 、 つ ぎ の よ う に な る 。仁
海1
成 尊一
飜
−
勝覚
聖賢
( 25 ∀義
範
と 範 俊 と は 、 成尊
の 双 璧 を な す弟
子 と称
さ れ る け れ ど も 、 そ の 仲 は 決 し て よ く な か っ た と い う 。 こ の 「 聖 賢 記 」 に も 義範
と 範 俊 と が 相 伝 し た 『 小 野 六帖
』 の 内 容 が相
違 し て い た と 受 け と れ る 記 述 が あり
、 不 仲 説 の傍
証 と な る か も し れ な い 。 とも
あ れ 、第
七 帖 の 奥 書 ア ・ イ か ら は 、仁 海 自 筆 本、
義
範
書 写 本 、 勝覚
書 写 本 、勝
成
書 写 本 と い っ た 四種
類
の 『 小 野 六 帖 』 の 存 在 をう
か が う こ と が で き よ う 。第
三 帖 の奥
書
の 検 討 に 移 ろう
。 まず
、奥
書
を 四 段 に 分 っ て 提 示す
る 。 ア 、 應 保 元 年 十、 一 月 六 日 於 勸 修 寺 西 山住
房 以 大 法 房 本 書 寫 了 僧 興 然 イ、 三 密 房 説 云義
範 僧 都 此 帖 不傳
給 歟 其故
者 三寶
院 僧 正 後 二 付範
俊 一132
一 N工工一Eleotronlo Llbrary覚鑁上人書写の 『小 野六 帖』(武 内) 僧 正
傳
此帖
ヲ給
故
也 印 信帖
者 是 也 尤 可 密 ・ ・ ウ 、 保 元 二年
二月
八 日 師 主僧
都 御 房申
請 醍 醐 寺 三寶
院 以 御 経 藏 本 書 寫 并 交 點 了件
本
ハ 權 僧 正御
房
自院
給
之 天 書 寫 被 納 御 経 蔵 了 云 々 求 法沙
門 寛命
已 上 寛
命
文 日 記 工 、 但 此 灌頂
帖
ハ 自 本 以 自筆
令書
持 給 云 々件 本 現
在
之 一 巳 上 上 野 阿 闍 梨 寶 深 自筆
記 也 娠鵬 つ ぎ に 、 各 段 の 内 容 を 要 約 し 、 そ の
事
実 関 係 を お さ え て お き た い 。 ア は 興 然 の書
写奥
書
で あ る 。 す な わ ち 、應 保 元
年
(=
六 こ 十 二 月 六 日 、 興 然 は勸
修
寺
の 西 山住
房 に お い て、 大 法 房 実任
の 本 を も っ て 『 小 野 六 帖 』 の書
寫 を終
え た 。 ( 26 ) こ とを
知
り う る 。 大法
房
実
任
と 興然
と は 師資
の間
柄
であ
り 、 保 元 二年
(=
五 七 ) 十 二 月 十 日 に 灌頂
を授
け ら れ た 。 ( 挈 ま た 、 興 然 が書
写 し た 数多
く の 聖教
奥 書 に 、 大法
房 か ら受
法
し た こ と が 記 さ れ て い る 。 よ っ て 、 こ の 奥 書 の 記 述 は 信頼
し て よ い で あ ろう
。 ( 28V つぎ
に 、 イ は 「 三密
房 説 云 」 と あ り 、 三 密 房す
な わ ち第
七 帖 で も 引 か れ て い た 聖賢
説
の 引 用 で あ る 。内
容
を 要 約 す る と、義 範 僧 都 は こ の 帖 11
第
三 帖 を 相伝
し て い な か っ た の で は な か ろ う か 。NII-Electronic Library Service 智山学 報 第五 十四輯
な ぜ な ら 、 三 寶 院 僧 正 11 勝
覚
が 後 に範
俊 僧 正 に つ い て こ の 帖 を 伝 え た か ら で あ る 。印 信 の
帖
と は 是 の 帖 で あ り 、 も っ と も 秘 す べ き 帖 で あ る 。 と な ろ う 。 こ こ で も第
二 帖 を 相 伝 し て い た か 否 か を め ぐ っ て、 義範
と 範 俊 と の 違 い が 論 じ ら れ て い る 。義
範 と 範 俊 と の争
い は 複 雑 そ う な の で 、事
の 正 邪 は別
稿 に 譲 る こ と に し た い 。 つ い で 、 ウ は寛
命
のH
記 の 引 用 で あ る 。 要 約 す る と 、保 元 二
年
(=
五 七 ) 二 月 八 日 、 師 主 僧 都 御 房 11 実 運 は 醍 醐 寺 三 寶 院 に申
請
し、 = . 宝 院御
経 藏 の本
を も っ て 書 寫 な ら び に 校 合 ・ 移 点 を終
え た 。ち な み に、 御 経 藏 の 本 は 權 僧 正
御
房
11 勝 覚 が 院 11 鳥 羽 上 皇 か ら た ま わり
、 書 写 し て 御 経 蔵 に 納 め ら れ た も の で あ る、 と 云 う こ と だ 。以 上 は 、
寛
命
の 説 で あ る 。 と な ろう
。 師 主 僧都
御 房 と は 寛 命 の 師 主 で あ る と 考 え て 、 権 僧 都 実 運 と み な し た 。 実 運 は 寛信
の 灌 頂 の資
で あ り 、 ( 29 ) の ち に醍
醐 寺 に 移 り 元 海 か ら も 灌 頂 を 重 受 し た 。寛
命
は 保 元 三年
(=
五 八 ) 十 月 八 日 、 こ の 実 運 か ら 灌頂
を 受 法 ( 30 ) し て お り、 寛 信実 運
寛
命 と い っ た相
承
系 譜 が 成 り 立 つ 。 よ っ て 、 栄 海 が寛
命 の 日 記 を引
い て い る こ と も 首 肯 さ れ よ う 。 エ は 上 野 阿 闍 梨 宝 深 の 自筆
記 の 引 用 で あ り 、 ウ と 関 連 す る 内 容 を 有 す る 。 す な わ ち 、た だ し 、 こ の 灌 頂 の
帖
は も と か ら自
筆
本 を も っ て書
写 し所
持 さ れ て き た も の で あ る 、 と い う 。 こ の 本 は 、 い ま も 伝存
し て い る 。 と な ろう
。 こ こ に いう
上 野 阿 闍梨
宝深
と は 、 大 治 四年
(=
二 九 ) 正 月 二 十 四 日 に 、 醍 醐 理 性 院 賢 覚 か ら 灌 頂 を受
( 31 ) け た 浄 蓮 房 宝 心 の こ と で あ ろう
。 賢覚
は 勝 覚 の 弟 子 で あ り 、 勝 覚−
賢
覚宝 心 な る 系
譜
を た ど る こ と が で き 、 一134
N工工一Eleotronlo Llbrary覚鑁上人書 写の 『小 野六帖 亅 (武 内) こ の
自
筆
記 も ま た 、 人 的 繋 が り か ら み て 疑 い な い で あ ろ う 。 な お 、 「 自本
以 自筆
令 書 持給
」 に み ら れ る 「自
筆
」 も 、 仁 海 の自
筆
本 の意
で あ ろう
か 。 こ の 第 三 帖 は 、 「印
信
の 帖 」 「 灌 頂 の 帖 」 「 大事
の帖
」 と も称
さ れ 、 秘 帖 と さ れ て き た こ と か ら 、 こ の 一 帖 の み が 別 立 て さ れ て 伝 来 し て い た と も 考 え ら れ よう
。 そ の 真偽
は 後 日 を 期 す る こ と に し た い 。 とも
あ れ 、 第 三帖
の奥
書
ア 〜 エ か ら も 、実 任 書 写
本
、興 然 書 写
本
、 勝覚
書 写 の 三 宝 院 御経
蔵 本 、実
運 書 写 本 と い っ た 四種
類 の 『 小 野 六帖
』 の存
在
が知
ら れ る 。 ( 三 ) 栄 海 の 校 合 過 程 。 さ い ご に 、 嘉 暦 二年
( = 二 二 七 ) 六 月 、 栄 海 は 覚 鑁 上 入 所 持 の 本 を も っ て 本 文 の 校 合 を行
っ て い る の で 、 そ の 日時
を 具体
的 に み て お こ う 。 煩 を い と わ ず 、改
め て 栄 海 の 校 合 奥書
を あ げ る こ と に し た い 。 な お栄
海
は 、 覚 鑁 所 持 本 に第
七帖
が み あ た ら な い こ と を 註 記 し て お り 、 し た が っ て 、 こ の 第 七帖
に は 栄 海 の校
合 に 関 す る記
録 は み ら れ な い 。 よ っ て 、 第 七 帖 の奥
書 は 割愛
す る 。鵬
第
一 帖 嘉暦
二年
六月
四 日 以覺
ぐ 上 人 持 本 交 合 了栄 海
第
二 帖 嘉 暦 二年
六 月 三 日 以覺
ζ 上 人 本 校 合 之件
本 在 仁和
寺
五 智 院 ・ ζ 上 人 聖 教 四 合 皮 子中
有 之 ぐ 上 人 被寫
小 野 本 尤 可謂
證 本 而 已 榮 海第
三 帖嘉
暦 二年
六 月 三 日 以覺
ご 上 人NII-Electronic Library Service 智 山 学報 第五 十 四輯
第
四 帖第
五 帖第
六 帖持
本 校 合 之 了榮
海
嘉
暦
二年
六 月 五 日 以 覺・ ζ 上 人 持 本 校 合 了榮
海 嘉暦
一 . 年 六 月 六 目 以 覺. ζ 上 人 持本
比 校 之榮
海 嘉暦
二 年 六 月 六 日 以 覚・ ζ 上 人 持本
校 合 了榮
海 こ れ ら を 編 年 順 に 並 べ か え る と 、嘉
暦
二 年 ⊥ ハ 月 三 日第
二 ・ 三 帖 を 覺ζ
上 人 持 本 を も っ て 校 合 す 。 六 月 四 日第
、 帖 を覺
. ζ 上 人 持 本 を も っ て校
合 す 。 六 月 五 日第
四 帖 を覺
ζ 上 人 持 本 を も っ て校
合 す 。 六 月 六 日第
五 ・ 六帖
を 覺ζ
上 人 持 本 を も っ て 校合
す 。 と な る 。 こ れ より
、 栄 海 は 嘉 暦 二年
2
三 二 七 ) 六 月 三 日 か ら 同 月 六 日 に か け て の 四 日 問 に 、集
中 し て 『 小 野 六 帖 』 六帖
の 本 文 校合
を お こ な っ た の で あ っ た 。 し か し 、 こ こ に は校
合 作業
を お こ な っ た 場 所 に つ い て の 記 述 は み ら れ な い 。 第 二 帖 の奥
書 に よ る と 、 こ の と き 用 い た 覚 鑁所
持本
は 、仁
和 寺 五 智 院 の 四 合 皮 子 の な か に あ っ た と いう
か ( 32 ) ら、仁
和 寺 で あ っ た と も 考 え ら れ よう
が 後 考 を ま ち た い 。 ま た 栄 海 が 、 こ の覚
鑁所
持 本 は 小 野本
を 書 写 し た も の で あ り 、 こ れ 以 上 の 証 本 は な い か の ご と く 記 し て い る こ と も特
筆
さ れ よ う 。 一136
一 N工工一Eleotronlo Llbrary覚鑁上人書 写の 『小 野六帖』 (武 内)
四
『
小
野
六
帖
』B
本
の奥
書
と
そ
の内
容
『 小 野 六
帖
』B
本
系
統 の 写 本 は 、 さ き に 記 し た よ う に 、 金 沢 文 庫 蔵 本 だ け し か 知 ら れ て い な い 。 し か し な が ら 、 そ の奥
書
か ら は 鎌倉
時代
は じ め ま で に 、多
数 の 『 小 野 六 帖 』 写 本 が 存在
し て い た こ と が 判 明 し 、 極 め て 興味
深
い写
本
群
と い え る 。 そ こ で 、 そ れ ら の 奥 書 を 紹介
す
る と と も に 、 若 干 の 考 察 を く わ え て み た い 。奥
書
を 紹 介 す る ま え に 、 金沢
文
庫 蔵 の 『 小 野 六 帖 』 諸 本 を あ げ て お き た い 。 『 金 沢 文 庫古
文 書 』識
語
篇
に よ る と 、 三 つ の箱
に 八帖
の 写 本 が 伝存
す
る こ と を 知 りう
る 。 箱別
に あ げ る と 、( 33 )
一 二 七 箱
第 四
帖
( 八 三 八 番 ) ・ 六 帖 (=
四 五 番 )〔 鈎 )
一 二 八 箱 第 五 帖 ( 一 五 六 八 番 )
( 鞄
二 七 二 箱 第 一 ・ 二 ・ 三 ・ 四 ・ 五 帖 ( 一 八 九 番 Il 〜
5
)* ( ) は 典 籍 番 号 。 と な る 。 こ れ ら が 何
種
類 の 写本
に 分 類 で き る の か は 、筆
者 未 見 の た め 、 後 日 を 期 さ ざ る を え な い 。 こ こ に は 、 二 七 二箱
と 一 二 七箱
蔵 の 写 本 に み ら れ る 第 一 〜 六帖
の 奥 書 を あ げ て おく
。第
一 帖「 大 師
伝
法 灌頂
私 記 」 一 帖( 一 八 九 番 13 )
〔
奥
書
〕遍 智 院 本 者 、 以 理 性 房 法 眼 本 、
令
書 寫御
、其
後
以 三 密 房 三寶
院
之 本 被 交 了 、
理 性 房 本 者 、 以
權
僧 正 御 本被
書
寫
畢
一137
一NII-Electronic Library Service 智山学報 第五十四輯 ( 朱 ) 「 隆
位
阿 闍梨
大 神宮
詣
時 、 元 暦 元 年 九 月 廿 三 日 、 以 高 野 聖 人 本 、於
安 養 山 校 了 、 以燕
脂 點 之 、 ( マ ご 本 云 、 長 承 二 年 七 月 十 九 日 、於
鳥 羽 殿 、 以 日 合 正 本 校 合 了 、 六并
九内
、 」 已 上 墨 并 燕脂
者 寫 本 記 也 、 ( 朱 ) 「 一 交 了 」N工工一Eleotronlo Llbrary Servloe
第
二 帖 「 大灌
頂 作法
次 第 」 一 帖 ( 一 八 九 番 14 ) 〔奥
書 〕本 記 云 、 天 養 元 年 十 二 月 廿 九 日 、 以 理 性 房 法 眼 之 本 書 畢 、 件 本 者 以 權 僧 正 御 房 御 本、 被 書 寫 者 也 、 久 安 二 年 正 月 七 日 、 以 三
密
房
本 重 校 了 、 又 以 三 寶 院 本校
了 、 ( 朱 ) 「 一 交 了 、 以 燕 付 之 、 」 本 記 云 、 天 養 元 年 十 二 月 廿 九 日 、 以 理 性 房 法 眼 之 本 書 畢 、 件 本 者 以 權 僧 正 御 房 御 本、 被 書 寫 者 也 、 久安
二 年 正 月 七 日 、 以 三密
房
本 重 校 了 、138
一覚鑁上人書写の 『小野 六帖」 (武 内) 又 以 三