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覚鑁上人書 写の 『小 野六帖』 (武 内)
(
19)
『
大 正 新 脩 大 蔵 経』
第 七 十 八 巻
七 六 一〜
〇 四 頁
。
『
大 正 蔵 経
』
は
、
仁 和 寺 蔵 宝 治
三
年
(一
二
四 九) 写 本 を 底 本 と し
、
東
寺 観 智 院 金 剛 蔵 蔵 古 写 本 と 大 谷 大 学
蔵 写 本 を 校 合 本
と し て
活 字 化 し た も
の
で あ
る
。
奥 書
に 覚 鑁 の
名
は み ら れ な
い
。
(
20) 観 智 院 本
の
奥 書 な ら び に 外 題 が 栄
海
の
自 筆
で
あ
る こ と は
、
栄 海
の
研 究 を 精 力 的 に 進 め て お ら れ る 佐 藤 愛 弓 氏
の
こ 示 教
に
負 う と こ ろ が
多
い
。
記 し て 謝 意 を 表
す
る
。
(
21) 参 考 ま で に、 第
三
帖
に み ら れ
る 栄
海 筆
の
奥 書 と 教 賀
の
書 写 奥 書 を あ げ て お く
。
暦 應 四 年 八 月
上
旬 之 比 授 教 賀
律 師 了 随 分 秘 決 等 令 授 与 了
更 不 可 ロ 外 之 由 所 加 嚴 誡 而 已 傳 授 榮
海
暦 應
四
季 八 月
上
旬 之 比 於 神 護
寺
密 蔵 坊 賜 慈 尊 院
御 本 書 冩 點 校 了 彼 御 本
理 明 御 房 自 筆 也 教 賀 な お、 教 賀
の
書
写
の
次 第 を 記 す
と
、
つ
ぎ
の
よ う に な る
。
・
. O
.
,
.
・
暦 応 四 年
(
=
二
一四
) 康 永
二
年
(一
三 四
)三 同 同 同 同 同 年 年 年 年 年
(
22
)
各 写 本
の
書 誌 的 概 要 を 併 記 す
る
つ
も り
で あ
っ
た が
、
(
23
)
櫛 田 良 洪 師 は
、
こ の
= 小
」
の
右 傍
に
八 月
上
旬
第 三 帖 を
神 護 寺 密 蔵 坊
に お
い
て 興 然 自 筆
の
慈 尊 院 本 を も
っ
て
書 写・ 移 点・ 校 合 す
。
二
月 廿 六 日
一第 帖 を 同 様
に
書 写・ 移 点・ 校 合 す
。
二
月 晦 日 第 七 帖 を 同 様 に 書 写・ 移 点・ 校 合 す。
三
月
八
日
第 六 帖 を 同 様 に 書 写・ 移 点・ 校 合 す
。
三
月 廿 七 日
第
二
帖 を 同 様
に
書 写・ 移 点・ 校 合 す
。
四 月 廿一 日
第
五
帖 を 同 様
に
書 写・ 移 点・ 校 合 す
。
四 月 廿 六 日
第
四 帖 を 同 様
に
書 写・ 移 点・ 校 合 す
。
紙 数
の
関 係 か ら 別 稿 に 譲 る こ
と
に
す る
。
(
マ
)・
と 書 き 入 れ て お ら れ る が
、
本 来
の
あ
る べ
き 語 句
に
つ い て は 記 し て い
な
い
。
一 159 一
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智 山学報 第五十四輯
本 文 中 に 示 し た よ う
に
解 す れ ば、
(
マ
・
)
は 必 要 な
い と 考 え る
。
(
24
)
勝 成 に
つ い
て は、
『
血 脉 類 集 記
』
第 四
「
権 僧 正 勝 覚
」
の
項 を 参 照 し た
(
『
真 言 宗 全 書
』
〈
以 下、
『
全 書
』
と 略 称 す
〉
第
三
十 九 一
〇
〇 頁
)上
。
(
25
)
櫛
田
良 洪 師
は 前 掲 書
( 註
8
)
で 二
人
の
関 係 を 縷
々
述
べ て お ら れ
る が、
や は り 私
に は よ
く わ か ら な
い
(
三
二
六
〜 七 頁
∀
。
(
26
)
興 然 と 実 任 と
の
師 資
の
関 係
に
つ い
て は、
『
血 脉 類 集 記
』
第
五
「
大 法 師 実 任
」
の
項 を 参 照 し た
(
『
全 書
』
第
三
十 九
=
二
八 頁 下)
。
(
27
)
拙 稿
「
理 明 房 興 然 伝 攷
− 理 明 房 興 然 伝 記 編 年 史 料 集
」−
(
『
高 野 山 大 学 論 叢
」
第 十 八 巻 一
二一
〜. 九 七 頁 一 九 八 三
年
二
)月 を 参 照
い
た だ き た
い
。
(
28
)
三 密 房 聖 賢
の
略 歴 と 付 法
の
弟 子
に
つ い て は、
『
血 脉 類 集 記
』
第
四
「
大 法 師 聖 賢
」
の
項
(『 全 書
』
第
三 十 九
=
二
頁 上) と
『
野 沢 血 脉 集
]
巻 第
二
「
勝 覚
」
の
項 を 参 照
(
『
全 書
』
第 三 十 九
三 六 四 頁)
。
(
29
)
寛 命
の
師 実 運
の
略 歴 お よ び 付 法
の
弟 子 に
つ い て は
、
『
血 脉 類 集 記
』
第
五
「
権 少 僧 都 実 運
」
の
項
(
『
全 書
』
第
三
十 九
=
二
六
)頁 と
『
野 沢 血 脉 集
』
巻 第
二
「
実 運
」
の
項 を 参 照
(
『
全 書
』
第
三
十 九 一、
一 六 九
〜 三 七
〇 頁
)
。
(
30
) 寛 命
の
受 法
の
記 録 は
、
註29
に
同 じ
。
(
31
)
血 脉 類 に 宝 深 な
る
僧 は み
あ た ら な
い
。
上 野 阿 闍 梨 と 号 し た と す る の で
、
上 野 阿 闍 梨 宝 心 が
こ の
宝 深
で
あ
ろ
う
。
宝 心
の
略 歴 に
つ い て は
、
『
血 脉 類 集 記
』
第
五
「
大 法 師 宝 心
」
の
項 を
参
照
(
『
全 書
』
第
三 十 九
=
二
六 頁
)
。
(
32
)
な ぜ
仁 和 寺
五 智 院 に 覚 鑁 が 書 写・ 校 合 し た
『
小 野 六 帖
』
の
写 本 が 伝 存
し て
い
た の で
あ ろ う
か
。
五
智 院
は、 八 条 院・ 障 子 内 親 王
(一
=
二
七
一〜 二一 こ
の
女 房・ 冷 泉 局 が 建 立 し て
養 子
の
行 守 法 印
に 譲 り
、
行 守
の
と き 五 智 院 と 号 し た
。
行 守
は 和 泉 守 高 階 隆 行
の
息
で
五 智 院 大 夫 法 印 と 号 し
、
承 久 元 年
(一
二一 九
)
六 月
、
五 十 八
歳
で
示 寂 し た
。
『
仁 和 寺 諸 院 家 記
』
に よ る
と、 行 守
か ら 文 安 四
年
(一 四 四 七)
二
月
、
二
十 五 歳 で
灌 頂
を 受 け た
宋 盛 法 印 ま で
十
二
代
に わ た る
伝 領 を 記 す
。
十一 代 良 覚 法 印
(
大 納 言 藤 原 実 藤
〈一
二 二
七
〜 九 八
〉
の
息)
の と き
、
堂 が 焼 失 し
、
屋 を 沽 却 し た
と
い
う
。
栄 海
が 五
智
院 蔵
の
四 合 皮 子 本 を も
っ
て
校 合
し た 嘉 暦
二
年
(
=
二
二 七
)
当 時
の
院 主 は
、
五
代 目 の
実 海
( 文 保
二
年
〈
=一 二 八
〉
五 月、
五 十一 歳
で
寂
∀
と そ
の
実 弟・ 忠 海
で あ
っ
た と 思 わ れ る
。
栄 海 と 五 智 院 と の か か わ
り は 詳 ら か で な
い
。
推 測
の
域 を で る も
の で は な
い
が
、
一 160 一
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覚鑁上 人書写の 『小 野六 帖』 (武 内)
一
・
二
記 し て み た
い
。
忠 海
ま で
の
伝 領 を あ げ る と
、
行 守法 印
i
覚 助 法 印
− 任 教 法 印
− 僧 正 深 寛
1
大 僧 正 実 海 忠 海 僧 都 と な
る
。
四
代 目 深 寛
は 正 嘉 元 年
(一
二
五 七
)
十一 月
、
勧 修 寺 慈 尊 院 主・ 栄 然 か ら 灌 頂
を 受 法
し て お り
、
こ の
栄 然
− 深 寛
の
付
法 関 係
が
栄 海 と
の
接 点 と な る。 す な わ ち
、
勧 修 寺 慈 尊 院 は
興
然
− 栄 然
− 栄 尊
− 聖 済
− 栄 海 と 伝 領
さ れ て お り
、
深 寛 が 院 主 で あ
っ
た こ ろ か ら
、
五 智 院 と 勧 修 寺 慈 尊 院 と の
あ
い
だ に は
、
種
々
交 流 が も た れ て
い
た
の で は
な か
っ
た か と 考 え る
。
そ の ひ
と こ ま と し て
、
栄 海 に よ る
『
小 野 六 帖
』
の
校 合
が
あ
っ
た、 と
。
な お
、
な ぜ 仁 和 寺 五 智 院 に 覚 鑁 が 書 写・ 校 合 し た
『
小 野 六
帖
』
の
写 本 が 伝 存 し て い
た
の
か に
つ い
て は、 後 考 を ま ち た
い
。
五
智 院
の
根 本 史 料 は
、
『
仁 和 寺
諸 堂 記
』
『 仁 和 寺 諸 院 家 記
』
を 用
い
た
(
『
仁 和寺 史 料
』
寺 院 篇一 一 四 六・ 一
八一
〜
二・
二 七 八
〜 九・
三 五 五・
四
〇
二
頁
一
九 六 四
年 三
月 奈 良 国 立 文 化 財 研 究 所)
。
ま た
、
古 藤 真 平
「
仁 和 寺
の
伽 藍 と 諸 院 家
( 中
)
」
(
『
仁 和 寺 研 究
』
第
二
輯
六
〇
頁
二
〇
〇一 年
三
月
)
を 参 照 さ せ て い
た だ
い
た
。
記 し て
謝 意 を 表 す
る
。
(
33) 金 沢 文 庫 一
二
七 箱 聖 教
(
『
金 沢 文 庫 古 文 書
』
第 十 輯 識 語 篇
(
こ
二
四 九 頁 一
九 五 六 年 十
二
月
金 沢 文 庫、
『
同 書
』
第
+一 輯
識 語 篇
(
二
)
一 九 頁
一 九
五 七 年 十 月
)
。
(
34) 金 沢 文 庫 一
二
八 箱 聖 教
(
『
右 同
』
第 十一 輯 識 語 篇
(
)二
一 四
〇 一〜 頁)
。
(
35
) 金 沢 文 庫二 七
二
箱 聖 教
(
『
右
同
』
第 十 輯 識 語 篇
( こ 四 九
〜 五
〇 頁)
。
な お
、
目 録
で
は 題 未 詳 と す
る 聖 教
の
な か に
も、 奥 書
の
内 容 か ら
『
小 野
六
帖
』
一の
部
で
は な
い
か と
み
な さ れ る 典 籍
が 三 点 あ る
。
そ れ は
、
不 完 聖 教
亠 ハ
箱
二 七
七 六 番・
二
七 八 八 番・
二 八 四
〇 番
の
聖 教 で あ
る
(
『
同
書
』
第 十
二
輯
識 語 篇
(
三) 一 六 四・ 一 六 七・ 一 七 九 頁 一 九
五
八 年
三 月)
。
(
36
) ( 四
)帖
は
、
一
二 七 箱 八 三 八 番
の 聖 教 を さ す
。
(
37
) (三)
に
分 類 し た
第 六 帖 は、
こ の 帖 の み
=一 七 箱 所 収
の
聖 教 で あ
り
、
か
つ
本 文 中 に は 記 さ な か
っ
た け れ ど
も
、
奥 書
の 最 末 が
「
承 元 四 年
(一
二一
)〇 八
月 十
二
日
書 了 行 兼 云
々
」
で
終
わ
っ
て い る
点
で
も 異 な
っ
て
い
る
。
(
38
) 遍 智 院 は 義 範 が は じ め た
寺
と
い わ れ る
。
義 範
の
法 流 は
、
義 範
勝
覚 定 海 元 海
(一
〇 九 三
〜
=
五 六
)
1
実 運
(
=
〇 五
〜
=
六
)〇
ー
勝 賢 と 次 第 し
て
遍 智 院 僧 正 成 賢 に
い
た
っ
て
い
る
。
こ の
付 法
が 三
宝 院
の 歴 代
住 持
で
も あ
っ
た こ と を 考 え る と
、
遍 智 院 本・
三
宝 院 本
に
関 わ り が あ
っ
た
の
は
、
や は
り 定 海・ 元 海・ 実 運 あ た り
で
あ
っ
た よ
う
に 思 わ れ る
。
161
NII-Electronic Library Service
智山学報第五十四輯
〔39
>
覚 鑁 に 関 連 す
る 記 事 を す
べ
て
あ げ る こ と か ら
、
第 四・
五
帖
で は a・
b
二
本
の
奥 書 を あ げ た
。
こ の
う ち
、
a
本 は さ き
に
あ げ た
二
七
二
箱
の
聖 教
で
あ り、
b
本 一は 二 七・ 一
二 八
箱
の
そ れ で あ る
。
(
40
)
『
小 野 六 帖
』
の
付 帖 に
つ い
て は、 本 稿 第
五 節 で
詳 述 す る
予 定
で あ る
(一 四 八
一〜 五 三
頁 参
)照
。
(
41
)
隆 海 と 隆 位 と の
師 資
の
関 係 に
つ い
て は、
『
血 脉 類
集 記
』
第 六
「
権 大 僧 都 隆 海
」・
『
同 書
』
第 七
「
大 法 師 隆 位
」
の
項 を 参 照 し た
(
『
全 書
』
第
三
十 九 一
五 二
頁 上・ 一
七 六 頁 上)
。
( 42) 櫛 田 良 洪 前 掲 書
( 註
8
)
三 三
二
頁
。
( 43)
竹 居 明 男
「
鳥 羽 勝 光 明 院
の
経 蔵
〔 宝 蔵 と
(
同 著
『
日
本 古 代 仏 教
の
文 化 史
』
一 七 五
〜
⊥ ハ
頁 一 九 九 八
年
五
月 吉 川 弘 文 館
)
。
初 出
は
『
国 書 逸 文 研 究
』
第
二 二
号
一 九 八 九 年 十 月
。
(
44
)
覚 鑁 所 持 本
に
『
瑜 祇 惣 行 法 私 記
』
『
万 サ 糸
大 六
』人
が 含 ま れ て
い
た
こ
と は、 す
で に
櫛
田
良 洪 師 が
ふ
れ て お ら れ る
(
前 掲 書
〈
註
8
>
三 三
〇
一〜 一 頁
)
。
(45
)
金 沢 文 庫 聖 教 一
二 八・
二
七
二
箱
二 四 九 八 番
〔
『
金 沢 文 庫 古 文 書
』
第 十
二
輯 識 語 篇
(
三) 八 八
頁 } 九 五 六 年 十
二
月 金 沢 文 庫)
。
(
46) 東 寺 観 智 院 金 剛 蔵 聖 教 第
二 八 五 箱 第
三一、
一 号
(
『
東 寺 観 智 院 金 剛 蔵 聖 教 目 録
』
十 七
四 九
〜 五
〇 頁 一 九 八 五
年
三
月 京 都 府 教 育 委 員 会
)
。
(
47) 東 寺 観 智 院 金 剛 蔵 聖 教
第
二 八 五 箱 第
八 四 号
(
『
右 同 』
十 七
七 九 頁)
。
(
48)
金 沢 文 庫 聖 教
二
九
二
箱一
二 二
四 四 番
(
『
金 沢 文 庫 古 文 書
』
第 十
二
輯 識 語 篇
(
)三
四 三
〜 四
頁 一
九 五 六 年 十
二
月 金 沢 文 庫)
。
( 49
)
東 寺 観 智 院 金 剛 蔵 聖 教 第
二
〇
〇 箱 第 五 九 号
〔
『
東 寺 観 智 院 金 剛 蔵 聖 教 目 録
』
十 四 九 三
〜 四 頁
一 九 八 四 年
三
月
京 都 府 教 育 委 員
)会
。
(
50
)
東 寺 観 智 院 金 剛 蔵 聖 教
又 別 第
二
十 九 箱 第一
二
五 号
(
「
東 寺 観 智 院
金 剛 蔵 聖 教 目 録』
十 八
二 五
〇 頁 一 九 八 五
年
三
月
京 都 府 教 育 委 員
)会
。
(
51
) 覚 鑁
の
名 が 奥 書
に
み ら れ
る
『
小 野 六 帖
』
の 写 本 を
、
そ
の
奥 書
の
内 容 か
A
ら 本 とB
本
の 二
系 統
に わ け
て
検 討 し て
き た
。
奥
一
162
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