宋
輻
州
版
大
蔵
経
考
(三
)
中
村
菊
之
進
開 元 寺 及 び 開 元 版 開 元 寺 の 略 史 開 元 寺 は 福 州 随 一 の 名 刹 で あ り 、 官 寺 と し て の 格 位 を 保 ち (108) 経 済 的 に も 有 力 で あ っ た 。 歴 代 の 地 志 は 皆 、 本 寺 に 関 す る 記 述 を 残 し て い る 。 就 中 、 ﹃ 三 山 志 ﹄ 三 三 に 存 す る 記 載 は 詳 細 で あ っ て 、 開 元 寺 の 歴 史 を 以 下 の 様 に 伝 え て い る 。 開 元 寺 。 福 州 城 内 、 子 城 の 東 、 懐 安 県 治 内 に 位 置 す 。 梁 武 帝 、 太 清 三 年 ( 五 四 九 ) の 創 建 に 係 る 。 当 初 、 霊 山 の 西 に 在 り 。 旧 名 を 霊 山 寺 と 云 い 、 次 い で 大 雲 寺 と 改 称 す 。 唐 代 初 期 に は 竜 興 寺 と 云 う も 開 元 二 十 六 年 ( 七 三 八 ) 、 年 号 に 従 い 開 元 寺 と 改 名 し 現 在 に 至 る 。 後 人 、 寺 の 後 に 位 置 す る 芝 山 に 依 り 芝 山 寺 と 呼 称 し 、 旧 の 霊 山 寺 と 区 別 せ り 。 又 、 寺 に 明 皇 、 玄 宗 皇 帝 の 像 を 安 置 す。 会 昌 五 年 ( 八 四 五 ) 、 武 宗 は 廃 仏 令 を 以 っ て 天 下 の 寺 院 を 淘 汰 し 一 州 に 一 寺 と 為 す に 、 福 州 に 存 置 あ り し は 当 寺 な り。 唐 末 、 天 復 二 年 ( 九 〇 二 ) 、 福 州 を 鎮 と な す 武 威 軍 節 度 使 王 審 知 は 開 元 寺 に 戒 壇 を 開 創 し 度 僧 三 千 人 を 奏 し 、 併 せ て 昭 宗 の 攣 轄 回 京 の 途 上 、 同 寺 に 保 留 せ ん こ と を 乞 う 。 五 代 、 後 梁 貞 明 四 年 ( 九 一 八 ) 、 閲 王 王 審 知 、 夢 告 に 依 り 金 銅 の 辟 支 仏 像 を 鋳 て 各 所 に 安 置 す 。 金 の 鋳 像 は 、 当 初 太 平 寺 に 置 く も 、 後 日 、 開 元 寺 戒 壇 に 移 置 せ り 。 宋 代 、 真 宗 朝 天 禧 年 間 ( 一 〇 一 七 -二 一 ) 被 災 あ り し も 、 仁 宗 朝 慶 暦 三 年 ( 一 〇 四 三 ) に 至 り 復 創 す。 神 宗 朝 、 元 豊 五 年 ( 一 〇 八 二 ) 七 月 十 六 日 、 住 持 合 枢 、 復 た 新 た に 東 偏 に 戒 壇 を 設 立 す 。 猶 、 本 戒 壇 は 徽 宗 朝 、 崇 寧 三 年 ( 一 一 〇 宋 福 州 版 大 蔵 経 考 ( 三 )密 教 文 化 四 ) に 至 り 天 寧 寺 に 移 置 せ ら る。 政 和 六 年 ( 一 二 一 六 ) 五 月 、 徽 宗 の 廃 仏 令 に 依 り 太 平 寺 を 廃 し 神 雷 宮 と 為 す に 及 び 、 尚 書 陳 弥 は 文 を 作 し 通 議 陳 詞 は 太 平 寺 に 所 在 の 辟 支 仏 像 を 開 元 寺 に 移 置 す。 高 宗 朝 、 建 炎 元 年 ( 一 一 二 七 ) 頃 、 天 寧 寺 に 移 設 あ り し 戒 壇 を 開 元 寺 に 復 帰 せ し む 。 建 炎 四 年 ( 一 二 三 〇 ) の 同 寺 戒 壇 に 於 い て 沙 弥 の 受 戒 せ し 者 、 計 三 千 九 百 四 十 八 人 。 紹 興 元 年 ( 一 一 三 一 ) に 至 り 同 戒 壇 は 天 寧 寺 と の 協 同 管 理 下 に 置 か る 。 同 年 五 月 の 開 元 寺 所 管 の 受 戒 者 五 百 七 十 人 、 同 年 十 月 の 天 寧 寺 所 管 の 受 戒 者 七 百 二 十 八 人 を 算 う 。 翌 、 二 年 に 至 り 戒 壇 の 管 理 は 全 て 開 元 寺 に 帰 せ り 。 円 珍 録 に 記 載 の 唐 代 に 於 け る 開 元 寺 唐 代 、 宣 宗 朝 大 中 七 年 ( 八 五 三 ) 、 入 唐 し た 円 珍 は 同 年 八 月 、 福 州 開 元 寺 に 至 り 中 印 度 僧 般 若 但 羅 に 遇 い 、 就 い て 悉 曇 を 学 び 併 せ て 金 剛 界 、 大 悲 、 胎 蔵 、 大 日 等 各 種 の 仏 印 の 伝 (109) 受 を 得 た 。 更 に 、 九 月 に は 同 寺 の 常 契 に 就 い て 、 基 撰 ﹃ 阿 弥 (110) 陀 経 疏 ﹄ の 伝 受 も 得 た。 円 珍 は 其 後 、 大 中 十 二 年 に 至 る 彼 (111) 地 巡 歴 の 間 に 入 手 し た 多 数 の 経 論 注 疏 を 纒 め 、 五 種 の 目 録 を 編 纂 し た が 、 其 の 中 に 福 州 開 元 寺 に 於 い て 入 手 し た 経 巻 と し て ﹃洒 州 和 上 変 像 ﹄ 一 鋪 及 び ﹃ 於 開 元 寺 造 浄 土 院 写 一 切 経 井 蔵 隅 銘 井 序 ﹄ 一 巻 を 収 録 す る 。 前 者 の 存 在 は 、 唐 代 後 期 に 開 元 寺 が 福 州 地 域 に 於 け る 潤 州 和 尚 信 仰 の 中 心 で あ っ た こ と を 示 唆 す る 。 後 日 、 開 元 版 の 刊 行 、 募 縁 に 当 っ て 同 地 域 に 於 け る 潤 州 信 仰 の 地 盤 に 依 存 し た 事 情 は 、 そ の 刊 記 か ら も 明 瞭 で あ る が 、此 の 信 仰 地 盤 が 開 元 版 開 離 の 二 八 ○年 以 前 、 既 に 福 州 に 存 し た こ と の 証 明 と し て 興 味 深 い 。 後 者 は 、 ﹃ ﹁ 開 元 寺 に 於 い て 浄 土 院 に て 既 に 書 写 あ り し 一 切 経 に 基 づ き 開 元 寺 の 用 に 造 り し ﹂ 或 い は ﹁ 開 元 寺 に 於 い て 開 元 寺 の 所 蔵 す る 一 切 経 に 基 づ き 浄 土 院 の 用 に 造 り し ﹂ 一 切 経 井 び に 其 の 経 蔵 の 隅 銘 及 び 序 ﹄ と 二 様 に 解 し 得 よ う が 、 何 れ に せ よ 、 同 銘 序 の 草 せ ら れ た 当 時 、 開 元 寺 及 び 浄 土 院 は 共 に 一 方 が 他 方 の 底 本 と な っ た 写 本 大 蔵 経 を 所 蔵 し て い た 事 実 を 伝 え る 。 一 方 、 前 述 の 如 く 、 ﹃ 三 山 志 ﹄ 三 三 に は 東 禅 寺 の 旧 称 を 浄 土 寺 と 伝 え 、 又 、 円 珍 の 入 唐 十 六 年 後 に 当 る 成 通 十 年 に は 東 禅 浄 土 寺 と 改 号 し た 旨 の 記 載 が 存 す る 。 浄 土 院 な る 名 称 は 処 々 に 存 す る こ と と て 速 断 は 避 た い が 、 若 し 、 円 珍 録 に 云 う 浄 土 院 が 後 目 の 東 禅 寺 で あ る と す れ ば 、 同 録 に 言 及 す る 二 種 の 写 本 大 蔵 経 を 東 禅 版 或 い は 開 元 版 の 底 本 に 擬 す こ と も 出 来 よ う 。
慶 政 の 入 宋 と 開 元 寺 建 保 年 間 、 即 ち 、 南 宋 、 寧 宗 朝 嘉 定 六 年-同 十 二 年 ( 一 二 一 三 -一 九 ) に 入 宋 し た 園 城 寺 の 僧 慶 政 は 、 後 日 、 宮 本 と (112) な っ た 開 元 版 帖 本 を 主 と す る 大 蔵 経 一 具 を 輸 入 し て い る 。 (113) そ の 際 、 慶 政 は 版 木 重 雛 の 資 を 寄 捨 し た 。 彼 の 開 元 寺 留 錫 を 示 す 直 接 の 記 録 は 見 出 し 得 な い が 、 前 記 の 捨 記 に 加 え て 、 福 州 の 南 西 、 一 四 〇 キ ロ に 位 置 す る 泉 州 で 滞 在 当 時 に 草 し た 嘉 定 十 年 ( 一 二 一 七 ) の 自 筆 記 録 が 現 存 し 、 ほ ぼ 確 実 に 慶 政 は 開 元 寺 を 訪 問 し た と 推 定 出 来 よ う。 猶 、 開 元 版 帖 本 に は 慶 政 の 弟 子 或 い は 後 日 の 入 宋 僧 に 依 る 相 当 数 の 重 雛 捨 記 を 見 出 し 得 、 多 数 の 日 本 僧 の 開 元 寺 へ の 寄 錫 を 知 り 得 る 。 元 代 以 降 の 開 元 寺 現 存 す る 最 新 の 記 年 刊 記 は 元 代 末 、 順 宗 朝 至 正 十 七 年 (116) ( 一 三 五 七 ) の 重 雛 刊 記 で あ る 。 本 記 載 よ り 開 元 寺 で は 元 代 を 通 し て 刊 経 活 動 を 継 続 し た と 推 定 す る が 、 他 に 微 す べ き 記 録 を 見 出 し て い な い 。 明 代 に あ っ て 開 元 寺 は ﹁ 祝 聖 之 所﹂ と し て 存 続 し た 。 永 歴 元 年 ( 清 順 治 四 年 、 一 六 四 七 ) 、 火 災 に 遭 い 、 其 後 、 同 十 一 (21) 年 ( 一 六 五 七 ) に 重 建 さ れ た 。 清 代 、 康 煕 三 十 八 年 ( 一 六 九 九 ) 、 寺 額 御 賜 の 記 録 が 存 し (22) ﹃ 大 清 一 統 志﹄ に は 開 元 寺 を 福 州 第 一 の 寺 院 と し て い る 。 猶 、 明 代 以 降 、 開 元 版 に 関 す る 記 載 は 全 く 見 出 し 得 な い 。 開 元 寺 の 歴 代 住 持 現 存 す る 刊 記 等 の 記 録 か ら 、 開 元 寺 の 歴 代 住 持 と し て 唐 代 よ り 元 代 に 至 る 十 一 名 の 僧 が 判 明 し て い る 。 常 契 。 唐 、 大 中 年 間 に 住 す。 寛 政 四 年 ( 一 七 九 三 ) 基 撰 ﹃ 阿 弥 陀 経 疏﹄ を 智 積 院 の 経 蔵 に 発 見 し 、 同 書 を 上 梓 し た 典 寿 は ﹁ 福 州 開 元 寺 常 契 和 上 以 大 中 七 年 ( 八 五 三 ) 九 月 (110) 日 捨 与 珍﹂ な る 原 本 に 存 し た 奥 書 を 保 存 し て い る。 一 方 、 円 珍 は ﹃ 開 元 寺 求 得 経 疏 記 等 目 録﹄ で 合 計 、 一 五 六 巻 の 経 籍 を 恵 与 あ っ た 開 元 寺 の 僧 を 列 挙 し 、 そ の 筆 頭 に 常 砧 の 名 を 記 載 す る 。 又 、 ﹃ 福 州 温 州 台 州 求 得 経 律 論 疏 記 外 書 等 目 録﹄ に は (111) ﹁ 阿 弥 陀 経 疏 一 巻 啓﹂ と 記 載 し て い る の で 、 常 契 は 常 砧 或 い は 常 啓 で あ っ た 可 能 性 も 存 す 。 合 枢。 ﹃ 三 山 志﹄ 三 五 に 合 枢 が 神 宗 朝 元 豊 五 年 ( 一 〇 宋 福 州 版 大 蔵 経 考 ( 三 )
密 教 文 化 八 三 ) 七 月 、 戒 壇 を 寺 の 東 偏 に 創 建 し た こ と を 記 載 す る 。 (119) 明。 伝 法 沙 門 。 本 明 の 名 の 存 す る 最 先 刊 記 に ﹁ ⋮証 会 住 持 沙 門 本 明 ⋮政 和 壬 辰 歳 ( 二 年 、 一 二 二 ) 三 月 ﹂ と あ る 。 同 年 は 開 元 版 刊 行 開 始 の 年 で あ り 、 従 っ て 開 元 版 の 刊 行 は (120) 本 明 に よ っ て 着 手 さ れ た こ と を 知 り 得 る 。 最 新 刊 記 に は ﹁ 証 会 住 持 本 明 ⋮宣 和 三 年 ( 二 二 一 ) 十 二 月 ⋮﹂、又 、 次 住 の 元 忠 の 記 名 刊 記 に は ﹁ 証 会 前 住 持 本 明 見 住 持 宗 鑑 大 師 元 忠 ⋮宣 和 六 年 ( 一 一 二 四 ) 八 月 ﹂ と 記 載 す る の で 、 本 明 の 在 任 は 宣 和 五 年 頃 迄 で あ っ た と 推 定 で き る 。 (121) ﹃ 続 伝 燈 録 ﹄ 十 八 に は ﹁ 曹 洞 禅 ⋮第 十 四 世 本 覚 守 一 禅 師 法 嗣 十 人 ⋮福 州 寿 山 本 明 禅 師 ﹂ と 著 録 す る 。 元 忠。 伝 法 沙 門 、 宗 鑑 大 師。 宣 和 六 年 八 月 の 同 文 の (122) 刊 記 が 二 件 知 ら れ て い る 。 同 年 月 に は 法 超 の 在 住 を 示 す 刊 記 も 存 し 、 当 時 、 開 元 寺 は 複 数 住 持 制 を 採 用 し て い た こ と を 窺 わ し め る 。 (123) 法 超。 伝 法 沙 門 、 浄 慧 大 師。 最 先 の 刊 記 は 宣 和 六 年 (124) ( 一 一 二 四 ) 八 月 、 最 新 の 刊 記 は 建 炎 二 年 ( 一 一 二 八 ) 七 月 で あ る 。 前 者 の 記 載 か ら 本 明 の 次 住 と な っ た こ と が 判 明 す る が 元 忠 と の 関 係 は 詳 か で な い 。 又 、 次 住 の 惟 沖 の 刊 記 と は 五 力 月 の 重 複 期 間 が 存 し 、 法 超 の 在 住 期 間 は 四 年 余 と 推 定 す る 。 (125) 惟 沖。 伝 法 沙 門 、 賜 紫 、 慧 海 大 師。 最 先 刊 記 は 建 炎 (126) 二 年 二 月 、 最 新 刊 記 は 紹 興 四 年 ( 一 一 三 四 ) 五 月 で あ る 。 又 、 同 年 六 月 の 刊 記 に は 次 住 の 必 強 を 単 に 沙 門 必 強 と 記 載 し て い る こ と か ら 、 惟 沖 の 在 住 期 間 を 約 七 年 間 と 推 定 す る 。 猶 、 紹 (127) 興 三 年 十 月 の 刊 記 に 至 り 初 め て 師 号 を 冠 す る の で 、 其 の 頃 に 賜 号 が あ っ た こ と で あ ろ う 。 (128) 必 強 。 伝 法 沙 門 。 最 先 の 記 名 刊 記 は 紹 興 四 年 六 月 で あ る が 住 持 在 任 の こ と を 記 さ ず 、 紹 興 八 年 ( 一 一 三 八 ) 三 月 の (129) 刊 記 に 至 り 住 持 と 冠 す る 。 住 持 必 強 の 刊 記 は 紹 興 八 年 に 限 ら れ 、 其 の 例 も 少 な い 。 了 一。 伝 法 沙 門 、 賜 紫 、 慧 通 大 師。 彼 の 記 名 刊 記 は (130) 全 て 、 紹 興 戊 辰 ( 十 八 年 、 一 一 四 八 ) 八 月 或 い は 同 年 閏 八 月 の 二 ヵ 月 に 限 定 さ れ て い る が 、 そ の 例 は 極 め て 多 く 三 十 函 以 上 (131) の 帖 本 に 及 ぶ 。 刊 記 の 記 載 及 び 函 号 の 分 布 よ り み て 、 未 雛 部 分 を 開 離 す る 一 方 、 既 離 部 分 に つ い て も 重 雛 し 、 更 に 禅 宗 部 の 追 離 も 行 っ た こ と を 知 り 得 る 。 (132) 後 年 、 開 元 寺 に 住 し た 牧 渓 文 迫 は 重 離 刊 記 に ﹁ 開 元 寺 経 板 ⋮告 成 干 紹 興 甲 戌 ( 二 十 四 年 、 一 一 五 四 ) ⋮﹂と 記 載 す る 様 に 、
了 一 は 在 住 期 間 中 に 多 数 の 有 力 な 檀 越 の 寄 捨 を 得 、 紹 興 十 八 年 に は 集 中 的 に 版 木 の 開 離 を 行 い 、 以 後 、 数 年 以 内 に 全 て の (133) 版 木 を 刻 成 し 終 え た こ と で あ ろ う 。 慧 明。 隆 興 二 年 ( 一 一 六 四) 六 月 に 解 空 大 師 慧 明 が 開 (134) 元 寺 住 持 で あ っ た こ と を 明 示 す る 刊 記 が 存 す る。 既 述 の 如 く 、 彼 は 紹 興 二 十 六 年 五 月 当 時 は 東 禅 寺 に 住 し 、 其 後 、 開 元 寺 に 移 り 、 乾 道 元 年 以 降 再 度 、 東 禅 寺 に 住 し た と 推 定 出 来 る 。 開 元 寺 住 持 慧 明 の 刊 記 は 二 件 の み 知 ら る 。 (132) 牧 渓 文 迫。 景 定 改 元 ( 一 二 六 〇) 庚 申 の 重 離 刊 記 、 一 件 が 存 す る 。 慧 明 の 刊 記 と は 間 隔 を 有 し 、 此 の 間 に 複 数 の 住 持 を 想 定 出 来 よ う 。 思 定。 開 元 版 と し て 最 新 の 元 、 至 正 十 七 年 ( 一 三 五 七) (116) の 重 雛 刊 記 が 一 件 知 ら れ て い る 。 開 元 版 刊 行 の 支 持 者 初 期 の 刊 行 を 支 持 し た 檀 越 開 元 版 の 刊 行 に 際 し て は 、 当 初 か ら 募 縁 を 目 的 と す る 在 俗 者 に よ る ﹁雛 経 都 会 L が 組 織 さ れ た 。 最 先 の 政 和 二 年 三 月 の 刊 記 に 既 に そ の 名 称 が 出 現 し 、 以 降 、 紹 興 八 年 八 月 の 刊 記 に 至 る 迄 、 略 、 連 続 し て そ の 記 載 を 見 出 す 。 最 初 、 四 名 で 発 足 し た 雛 経 都 会 の 構 成 員 は 年 と 共 に 増 加 し 、 建 炎 元 年 ( 一 一 二 七) 八 月 及 び 同 三 年 ( 一 一 二 九) 三 月 の 記 年 を 有 す る 刊 記 に は 最 多 数 の 十 九 名 を 記 載 す る 。 然 し 、 其 の 後 は 減 少 し 紹 興 四 (135) 年 五 月 の 刊 記 で は 五 名 を 記 載 す る に 留 る。 記 名 者 は 前 後 を 合 計 し 全 二 十 五 名 に 達 し 、 都 会 首 を 指 名 し て い た 場 合 も あ っ た 。 猶 、 構 成 員 の 増 減 は 版 木 の 開 離 量 と 対 応 し て い る 如 く で あ る。 離 経 都 会 に 連 名 す る 人 物 は 何 れ も 福 州 地 域 の 名 望 家 で (130) あ っ た と 想 像 す る が 、 刊 記 以 外 の 記 載 を 残 す 者 は 三 名 の み で あ る 。 彼 等 の 内 に は 同 族 、 更 に 同 一 排 行 に 属 す と 目 さ れ る 者 も 存 す る 。 離 経 都 会 の 機 能 を 具 体 的 に 記 載 す る 記 録 は 見 出 し 得 な い が 寺 僧 と 協 力 し て 募 縁 活 動 を 行 い 、 自 ら も 相 当 額 の 寄 捨 を 行 っ た こ と で あ ろ う。 重 和 元 年 ( 一 一 一 八) 十 一 月 以 降 の 刊 記 に は 離 経 都 会 の 記 載 に 接 し て ﹁ 証 会 当 山 三 殿 大 王 大 聖 酒 州 ﹂ (137) と の 記 載 が 存 し 、 離 経 都 会 の 活 動 が 開 元 寺 内 に 存 す る 酒 州 和 尚 桐 を 中 心 と す る 民 間 信 仰 を 基 盤 に 展 開 し た こ と を 推 定 せ し め る 。 宋 福 州 版 大 蔵 経 考 ( 三)
密 教 文 化 完 成 時 の 刊 行 を 支 持 し た 檀 越 開 元 版 の 刊 行 経 過 を 概 観 し て 特 に 注 目 さ れ る の は、 完 成 直 前、 紹 興 十 八 年 の 集 中 的 な 開 離 活 動 で あ る 。 就 中、 同 年 閏 八 月 の 一 カ 月 に は 爆 発 的 と も 云 い 得 る 程 の 多 量 の 開 離 が あ っ た 。 斯 く し て 開 元 版 の 開 雛 は 事 実 上、 完 了 す る 。 其 後 も 多 少 の 刊 行 活 動 は 継 続 し 全 蔵 の 完 成 を 紹 興 二 + 四 年 と 明 示 す る 訟 鍵 の 存 す る も の の、 紹 興 十 九 年 以 降 の 記 年 刊 記 は 極 端 に 減 少 す る 。 此 の 様 な 短 期 間 を 限 っ て 多 量 の 開 離 を み た 理 由 は 詳 か で な い が、 本 時 期 の 刊 記 に は 有 力 な 士 大 夫 層、 即 ち、 宗 室 関 係 者、 中 央 政 府 旧 山自同 官 の 家 族、 ﹁ 応 天 啓 運 宮 奉 迎 所﹂ の 内 臣 並 び に 福 州 駐 在 の 地 方 高 官 等 の 名 を 見 出 す こ と か ら、 住 持 了 一 の 勧 縁 の 効 あ り 多 額 の 寄 捨 を 得 て、 従 来、 免 角、 停 滞 気 味 で あ っ た 刊 行 活 動 を 一 気 に 朝 回 す べ く、 未 了 部 分 の 開 雛 を 集 中 的 に 実 施 し た も の と 推 定 し て よ い で あ ろ う 。 本 時 期 に 於 け る 主 要 な 士 大 夫 の 檀 越 は 次 の 通 り で あ る 。 漏 繊。 学 (305)、 階 (458)、 弁 (461)、 伊 (531)、 弄 (532) 及 び 又 (138) (562) の 六 函 に 馬 繊 の 記 名 刊 記 を 見 出 す 。 同 刊 記 に は 三 十 函 の 寄 捨 を 行 う 旨 を 記 載 し て い る の で、 其 他 の 函 に つ い て も 寄 捨 し た こ と で あ ろ う 。 此 等 の 刊 記 に は 記 年 を 鉄 く 件 も あ る が、 略 同 文 で あ り 勧 縁 に 了 一 と 記 名 し、 全 て 紹 興 十 八 年 頃 の 開 離 と 推 定 す る 。 刊 記 に は ﹁ 添 鍵 経 版 ⋮補 足 砒 盧 大 蔵﹂ と あ る の で 既 存 版 木 の 修 補 重 離 の 為 の 寄 捨 と も 考 え 得 る が、 当 時、 ﹁ 砒 盧 大 蔵﹂、 即 ち、 開 元 版 は 未 完 成 で あ っ た こ と を 勘 案 し て、 未 離 の 部 分 を 新 た に 開 雛 し て 円 成 を 計 っ た と 解 す べ き で あ ろ う。 猶、 三 十 函 と 云 う の は 概 数 又 は 予 定 数 を 示 す も の か も 不 知 な い 。 (139) 薦 識 に 関 し て は 多 く の 事 項 が 知 ら れ て い る 。 馬 幟。 字 は 濟 川 。 広 漢 の 出 身 。 曽 祖 父 太 素、 祖 父 克 明、 父 昌 期 。 祖 父 及 び 父 の 名 は 刊 記 に も 記 載 あ り 。 政 和 八 年 ( 一 一 一 八) 進 士 に 及 第 す 。 建 炎 元 年 ( 二 二 七) 正 字、 次 い で 同 三 年、 司 勲 員 外 郎 に 遷 る 。 紹 興 七 年 ( 二 三 七) 給 事 中 に 除 せ ら る。 同 十 年 ( 二 四 〇)、 金 と の 盟 約 の 破 棄 あ り て 宰 相、 秦 桧 は 苦 境 に 立 つ や、 そ の 意 を 承 け 出 で て 渥 州 府 路 都 鈴 安 撫 使 兼 知 濾 川 軍 に 任 ぜ ら れ、 其 の 地 に 十 三 年 間 滞 在 す 。 此 の 問、 紹 興 二 十 年 ( 二 五 〇) 二 月、 詔 あ り て 同 地 租 税 の 減 免 を 廃 し 旧 に 復 せ ん と す る 抗 疏 し、 阻 止 に
成 功 す 。 濾 民 、 之 を 甚 だ 徳 と す。 官 は 敷 文 閣 直 学 士 左 朝 議 大 夫 に 至 る 。 若 年 よ り 常 に 諸 名 宿 に 参 じ 、 竜 門 仏 眼 遠 禅 師 に 嗣 法 し 、 自 ら 不 動 居 士 と 号 す。 紹 興 二 十 三 年 ( 一 一 五 三) 秋 、 親 知 に 期 を 予 報 し 、 十 月 三 日 に 至 り 僚 左 に 告 別 の 後 、 衣 冠 を 正 し 閾 を 望 見 再 拝 、 次 い で 僧 衣 に 更 え 座 に 升 り 膝 上 に 柱 杖 を 横 た え 偶 言 を 説 き 、 而 し て 化 す。 曽 っ て 建 炎 後 の 戦 火 に 依 り 諸 寺 院 の 蔵 経 、 残 失 の 多 き を 看 て 、 紹 興 丙 辰 ( 六 年 、 一 一 三 六) 以 降 、 俸 を 奉 じ 弥 陀 本 願 の 数 に 合 せ 大 蔵 経 四 十 八 所 、 小 蔵 経 、 四 大 部 の 刊 を 縁 捨 す 。 門 人 、 蒲 大 聴 嘗 っ て 其 の 事 を 誌 す。 又 、 至 り し 処 々 の 賢 士 、 大 夫 、 高 僧 、 逸 民 と 盧 山 蓮 社 の 遺 風 を 続 (140) ぎ 、 毎 月 、 念 浄 土 会 を 建 繋 す。 語 録 ﹃ 頒 古 集 ﹄ 世 に 行 わ る 。 醇 弼。 首 に 紹 興 十 八 年 閏 八 月 、 了 一 の 題 記 を 有 す る 高 (505) 函 帖 本 の 尾 に 捨 記 が 存 し 、 蘇 弼 が 知 福 州 よ り 知 広 州 に 遷 り て 間 も な く 、 当 時 満 五 才 の 孫 鳳 児 、 生 来 病 弱 な り し が 福 州 開 元 寺 に 杞 る 洒 洲 大 聖 の 座 下 に 出 家 せ し め て 一 年 、 健 康 を 恢 復 し 得 た こ と を 感 謝 し 、 高 字 函 経 版 を 開 雛 、 寄 捨 せ し 旨 を (137) 記 す。 当 時 流 行 の 僧 伽 和 尚 洒 州 大 聖 に 対 す る 信 仰 の 様 子 及 び 開 元 版 刊 行 と 同 信 仰 と の 関 連 を 示 す 好 例 で あ ろ う 。 醇 弼 。 字 は 直 老 、 永 嘉 の 人 。 政 和 二 年 、 進 士 に 及 第 す 。 金 人 、 沐 京 に 冠 す る や 、 李 綱 、 堅 守 を 定 議 す る も 衆 は 悦 ば ず 。 醇 弼 は 李 綱 と 意 と 同 じ く す 。 城 の 包 囲 を 破 り 南 渡 し 、 光 禄 丞 に 遷 る 。 叢 策 し て 岳 飛 に 賛 し 群 冠 を 討 平 す 。 累 遷 し 敷 文 閣 侍 制 た り。 初 め 秦 桧 、 永 嘉 に 居 し 、 弼 そ の 門 に 遊 ぶ 。 岳 飛 死 す に 及 び 、 凡 そ 岳 飛 の 為 に 謀 議 せ し 者 は 皆 、 職 を 奪 わ る に 弼 独 り 免 る 。 且 つ 、 秦 桧 の 為 に 用 い ら る 。 世 に 斯 く の 如 き は 少 し。 知 福 州 た り し は 紹 興 十 五 年 ( 一 一 四 五) 九 月 よ り 同 十 九 年 六 月 に 至 る 三 年 九 月 間 に し て 、 翌 二 十 年 九 月 二 (141) 十 日 広 州 に 卒 す 。 年 、 六 十 三 。 忠 簡 と 認 あ り 。 葉 大 任。 彼 の 名 は 首 刊 記 の 記 年 が 紹 興 十 八 年 閏 八 月 で (142) あ る 明 (472) 函 帖 本 の 尾 に 、 妻 林 氏 と の 連 名 の 捨 記 に 存 す 。 漏 識 と 同 年 の 進 士。 猶 、 葉 大 任 の 捨 記 は 東 禅 版 の 帖 本 に も 見 出 さ れ る 。 趙 十 樽。 首 刊 記 に 紹 興 十 八 年 閏 入 月 、 了 一 の 題 記 を 有 (143) す る 慈 (370) 函 帖 本 の 尾 に 付 す 捨 記 中 に 趙 士 樽 の 名 が 存 す る 。 (144) 趙 士 樽 。 皇 叔 。 当 時 の 官 位 職 は 岳 陽 軍 節 度 使 知 西 外 宗 正 事 で あ っ た 。 彼 は 本 職 に 二 度 就 任 し て お り 、 第 一 回 目 は 西 外 宗 正 事 が 福 州 に 移 置 さ れ た 直 後 の 紹 興 三 年 ( 一 一 三 三) 正 月 、 宋 福 州 版 大 蔵 経 考 ( 三)
密 教 文 化 第 二 回 目 は 同 十 五 年 で あ っ た 。 第 二 回 目 の 直 接 の 後 任 に 東 禅 版 の 重 雛 に 捨 資 し た 趙 士 術 が あ る 。 (143) 陳 外 卿。 前 項 の 捨 記 に 左 文 林 郎 新 南 劒 州 事 判 官 陳 外 卿 と し て 連 名 す る 。 武 師 悦。 脛 (424) 函 以 降 図 (433) 函 に 至 る 十 函 、 三 十 部 (145) (143) 九 六 巻 の 開 雛 費 を 寄 捨 し 、 又 、 趙 士 樽 の 慈 函 捨 記 に 都 勧 縁 と し て 連 名 し て い る 。 此 等 の 記 載 の 年 記 は 全 て 紹 興 十 八 年 閏 八 月 で あ り 、 当 時 の 武 師 悦 の 官 位 職 は 入 内 内 侍 省 東 頭 供 奉 幹 辮 応 天 啓 運 宮 奉 迎 所 で あ っ た 。 応 天 啓 運 宮 は 沐 京 に 存 し た 歴 代 皇 帝 の 神 御 を 奉 安 す る 祭 伺 殿 で あ っ た 。 南 渡 後 、 諸 地 を 移 遷 し 、 最 後 に 応 天 啓 運 宮 奉 迎 (146) 所 と し て 福 州 開 元 寺 境 内 に 安 置 さ れ た 。 猶 、 開 元 寺 内 に 安 置 す る 迄 の 経 過 は ﹃ 三 山 志 ﹄ 八 ﹁ 公 癖 類 ﹂ の 記 載 に 詳 か で あ る 。 (143) 李 弥 遜。 趙 士 樽 の 慈 函 捨 記 に 都 勧 縁 左 朝 議 大 夫 提 挙 江 州 太 平 興 国 宮 李 弥 遜 と し て 連 名 し て い る 。 富 直 柔。 禽 (345) 函 の 紹 興 十 八 年 十 月 七 日 の 尾 刊 記 及 び 趙 士 樽 の 慈 函 捨 記 に 都 勧 縁 端 明 殿 学 士 左 中 大 夫 提 挙 臨 安 府 洞 雷 宮 富 直 柔 と 記 名 し て い る。 禽 函 の 刊 記 は 特 徴 あ る 行 書 体 で 書 か れ て お り 、 自 筆 の 上 木 と 推 察 す る 。 彼 は 書 を (148) 善 く し 、 其 の 墨 跡 は 後 代 迄 珍 重 さ れ た 。 彼 は 仁 宗 、 神 宗 両 朝 の 宰 相 、 富 弼 の 孫 に 当 り 、 官 は 同 知 枢 密 院 事 の 顕 職 に 昇 っ た が 、 高 宗 の 面 前 で 呂 願 浩 の 短 を 指 弾 せ し 為 に 呂 願 浩 及 び 秦 桧 の 忌 避 す る と こ ろ と な り 、 一 旦 、 知 衛 州 に 出 で し も 、 復 た 、 失 は 以 っ て 死 罪 に 入 る と 云 う 者 あ り 、 落 職 し 遂 に 山 沢 に 禰 伴 し 放 意 吟 泳 を な す 。 紹 興 二 十 六 年 ( 一 一 五 六) 十 月 二 十 八 日 、 七 十 七 才 の 寿 を 以 っ て 建 州 に 終 る と 伝 (149) に 誌 す 。 前 記 自 筆 の 刊 記 は 不 遇 の 身 を 寓 意 す る 文 章 と 解 し 得 よ う 。 同 邦 憲 の 一 族。 雅 (403) 函 、 都 (409) 函 及 び 浮 (421) 函 の 帖 (150) 本 の 首 に 、 開 封 府 居 住 の 同 氏 一 族 の 記 名 あ る 捨 記 が 存 す る 。 同 捨 記 に は 開 元 寺 住 持 惟 沖 の 勧 縁 に よ り 紹 興 四 年 六 月 或 い は 同 三 年 十 月 、 第 四 百 一 函 (堅 函) 以 降 の 各 函 開 雛 の 資 の 寄 捨 し 以 っ て 大 蔵 経 の 完 成 を 促 進 し 、 其 の 功 徳 に 依 り 今 上 皇 帝 (高 宗) の 沐 京 へ の 速 や か な 還 御 並 び に 二 聖 (徽 宗 及 び 欽 宗) の 齊 し く 万 年 を 享 け ら れ ん こ と を 祈 念 す る。 此 等 の 記 載 よ り 施 主 の 同 氏 一 族 は 、 北 宋 政 権 が 崩 壊 し 去 り 南 宋 政 府 も 未 だ 定 着 し て い な い 当 時 に あ っ て 、 依 然 と し て 開 封 府 に 居 住 し て お り 、 北 地 の 旧 都 よ り 南 涯 と も 云 え る 福 州 の 地 に 恐 ら く 銭 纏 に
依 っ た と 想 像 さ れ る 多 額 の 金 銭 ( 六 百 貫 文 位 か) の 寄 捨 が 行 わ れ 、 そ の 輸 送 も 可 能 で あ っ た こ と は 注 目 に 価 い す る 。 捨 記 に 記 載 す る 同 氏 一 族 の 構 成 員 は 次 の 通 り で あ る 。 邦 憲 、 邦 彦 の 兄 弟 は 共 に 武 官 従 七 品 の 武 翼 郎 で あ り 、 又 、 邦 彦 が 侍 従 官 で あ る 閤 門 宣 賛 舎 人 の 官 職 に 在 る こ と は 、 同 氏 一 族 が 后 妃 を 出 し た 名 族 の 流 で あ る こ と を 思 わ せ る 。 但 し 同 氏 姓 の 后 妃 は 見 出 し 得 ず 、 所 依 史 科 に 記 載 す る ﹁ 同 ﹂ は ﹁ 向 ﹂で あ る 可 能 性 が あ り 、 さ す れ ば 向 氏 一 族 は 歴 代 、 開 封 府 に 住 し 、 神 宗 の 向 皇 后 ( 向 経 の 女) を 出 し た 一 族 に 擬 定 さ れ る 。 李 綱 の 一 家 。 靖 康 の 変 の 難 局 時 に 主 戦 論 を 主 張 し 、 高 宗 朝 最 初 期 の 宰 相 の 任 に あ っ た 李 綱 の 妻 及 び 息 の 寄 捨 に よ り (152) 開 離 さ れ た 版 が 鳳 (130) 函 及 び 染 ( 税) 函 に 見 出 さ れ る 。 両 函 各 帖 本 と も 首 に 紹 興 十 八 年 閏 八 月 と 記 載 す る が 、 尾 の 捨 記 に は 後 日 の 日 付 を 付 し 、 捨 記 に 云 う 開 離 と は 重 離 或 い は 既 存 版 木 を 使 用 し て の 印 行 を 意 味 す る 如 く で あ る 。 前 者 の 捨 記 に は 、 紹 興 二 十 一 年 ( 一 一 五 二) 正 月 十 五 日 に 李 綱 の 妻 、 魯 国 太 夫 人 張 氏 は 亡 夫 第 十 二 回 の 遠 忌 に 際 し 、 一 百 貫 文 を 大 蔵 経 司 に 施 入 し ﹃ 妙 法 蓮 華 経 ﹄ 鳳 函 経 版 を 開 離 す る 旨 を 、 後 者 に は 、 紹 興 十 九 年 ( 一 一 四 九) 三 月 二 十 三 日 、 李 綱 の 息 、 李 宗 之 が 母 親 張 氏 の 誕 辰 を 祝 っ て 銭 一 百 貫 文 を 寄 捨 し ﹃ 大 仏 頂 首 榜 厳 経 ﹄ 染 函 経 版 を 開 離 す る 旨 を 記 載 す る 。 此 等 は 当 時 の 流 行 に 合 致 し て 、 特 に 経 題 を 選 択 し て の 寄 捨 と 想 像 出 来 る 。 李 綱 は 紹 興 十 年 ( 一 〇 四 〇) 正 月 十 五 日 、 五 八 才 で 嘉 じ た 。 計 報 は 上 聞 に 達 し 勅 使 の 差 遣 あ り て 撫 問 し 、 其 の 親 族 十 人 を (153) 官 に 任 ぜ し 旨 の 記 録 が 存 す る 。 李 宗 之 も 此 の 際 、 任 官 あ っ た も の と 推 定 さ れ る 。 任 子 の 制 に 依 れ ば 、 宰 相 の 息 は 初 め 正 (154) 九 品 、 承 事 郎 を 授 け ら れ る の が 例 で あ っ た 。 寄 捨 の 当 時 、 李 宗 之 の 官 位 職 は 宣 教 郎 充 福 建 路 安 撫 司 幹 弁 公 事 で あ っ た 。 李 氏 一 家 が 福 州 に 寄 留 し た の は 、 恐 ら く 、 李 綱 が 紹 興 二 年 四 月 に 湖 広 宣 撫 使 を 拝 命 し 同 地 に 置 司 し た こ と と 関 係 あ る 様 子 で あ る 。 宋 福 州 版 大 蔵 経 考 ( 三)
密 教 文 化 馬 慶。 首 刊 記 に 景 定 元 年 ( 一 二 六 〇) の 記 年 あ る 重 離 (155) の 帖 本 の 尾 に ﹁ 沙 県 務 大 使 馬 慶 捨 五 枚 ﹂ と の 捨 記 を 見 出 す 。 開 元 版 の 刊 行 に 寄 与 し た 僧 尼 及 び 庶 民 開 元 版 の 帖 々 に も 寄 捨 の 僧 尼 及 び 庶 民 の 名 を 記 す 記 載 を 見 出 す 。 但 し 、 其 後 の 公 刊 例 は 余 り 多 く な く 、 東 禅 版 の 場 合 の 如 く に 多 数 を 列 挙 し 得 な い。 猶 、 寄 捨 者 の う ち に 、 多 く の 尼 僧 の 名 の 存 す る こ と は 注 目 さ れ る。 (156) 開 元 版 の 刊 行 に 寄 与 し た 僧 尼
※円 妙 は 賜 紫 の 尼 で あ り 、 弟 が 奉 使 ( 対 金 国 か ) の 尚 書 あ っ て 、 上 層 の 士 大 夫 階 級 か ら の 出 身 と 推 定 で き る 。 (157) 開 元 版 の 刊 行 に 寄 与 し た 庶 民 開 元 版 の 刊 行 経 過 (132) 景 定 元 年 の 文 迫 の 重 離 刊 記 に は ﹁ 開 元 寺 経 版 は 政 和 壬 辰 に 宋 福 州 版 大 蔵 経 考 ( 三 )
密 教 文 化 於 い て 始 創 し 、 紹 興 甲 戌 に 干 っ て 告 成 す L と 刊 行 に 要 し た 期 間 を 記 載 し 、 完 成 に 四 十 三 年 を 要 し た こ と を 明 示 し て い る 。 本 記 載 は 現 存 各 帖 の 刊 記 に 徴 し て も 従 い 得 る と こ ろ で 、 開 (158) 元 版 最 先 の 刊 記 は 政 和 二 年 二 月 又 は 同 年 三 月 の 記 年 を 有 す る 。 同 刊 記 に は 、 開 離 事 業 の 開 始 に 先 だ ち 、 勧 縁 を 目 的 と す る 在 俗 者 に よ る 離 経 都 会 な る 組 織 を 結 成 し 、 本 蔵 経 を ﹁ 砒 盧 大 蔵 ﹂ と 命 名 し 、 全 蔵 の 印 版 五 百 余 函 を 離 造 す べ き 旨 を 記 載 す る 。 此 の 様 に 開 元 版 の 場 合 は 東 禅 版 の 着 手 時 と は 異 っ て 、 当 事 者 間 に 、 当 初 か ら 全 蔵 経 版 を 開 離 す べ き 明 確 な 意 図 が 確 認 さ れ て お り 、 そ の 準 備 も 為 さ れ て い た こ と を 窺 い 得 る 。 記 年 を 有 す る 刊 記 を 年 月 順 に 配 列 し て み る と 、 東 禅 版 の 場 合 に 類 似 し て 、 最 初 に 般 若 、 宝 積 、 大 集 、 華 厳 及 び 浬 禦 の 五 大 部 経 を 開 雛 し 以 降 順 次 、 他 経 に 及 ぶ 計 画 で あ っ た と 推 察 (169) 出 来 る 。 然 し 、 開 離 は 連 続 的 に 展 開 す る こ と な く 、 断 続 的 で あ り 、 時 に は 集 中 的 に 実 施 さ れ た こ と が 判 明 し た 。 即 ち 、 政 和 二 年 以 降 同 八 年 ( 一 一 一 八) 迄 に は ﹃大 般 若 経 ﹄ 及 び 其 の 他 の 般 若 部 経 典 並 び に ﹃ 華 厳 経 ﹄ の 開 離 が あ り 、 数 年 間 の 停 滞 後 、 宣 和 六 年 ( 一 一 二 四) 以 降 建 炎 三 年 ( 一 一 二 九) 迄 の 六 年 間 に は 概 ね 連 続 し て 乃 ( 85) 函 よ り 慶 (232) 函 迄 の 諸 (160) 経 論 が 函 号 順 に 開 離 さ れ た。 又 、 此 の 動 向 と 略 平 行 し て 断 続 的 に 政 和 八 年 以 降 建 炎 二 年 に か け ﹃ 法 苑 珠 林 ﹄ の 杜 (481) 函 よ り 羅 (490) 函 及 び 伝 法 院 新 訳 経 典 類 の 第 一 次 分 、 将 ( 甥) 函 (161) よ り 縣 (500) 函 、 計 二 十 函 の 開 雛 が あ っ た。 次 い で 紹 興 三 年 ( 一 一 三 三) 或 い は 同 四 年 に 至 り 、 律 部 及 び 阿 毘 達 磨 論 書 が (162) (163) や や 集 中 的 に 開 離 せ ら れ 、 同 八 年 に も 律 部 の 開 離 が あ っ た が 同 部 分 の 完 成 を み ぬ ま ま 、 六 年 余 の 中 断 期 間 に 入 る 。 そ し て 紹 興 十 八 年 に 至 り 突 然 に と 思 わ せ る 程 の 開 離 を み た 。 此 の 際 開 離 さ れ た 版 木 の 殆 ん ど 全 部 が 同 年 閏 八 月 の 年 記 を 有 し 、 開 元 版 中 、 記 年 刊 記 を 確 認 出 来 る 四 四 一 函 に 対 し 同 年 月 記 年 を 有 す る 函 号 は 一 三 八 函 、 三 一 ・ 三 %に 達 す る 。 此 の 様 に 極 め て 短 期 間 の 一 時 期 を 限 っ て 、 果 し て 斯 か る 大 量 の 版 木 を 開 雛 し 得 る も の か 、 或 い は 特 別 の 意 図 の 下 に 該 年 記 を 付 し た も の で は な か ろ う か と の 疑 問 の 残 る と こ ろ で あ る が 、 兎 角 、 此 の 集 中 的 な 開 離 の 結 果 、 開 元 版 は 事 実 上 完 成 を み た 。 同 年 以 降 も 開 雛 活 動 は 継 続 せ ら れ 、 少 量 の 開 雛 が 散 発 的 に 実 施 さ れ た 如 く で あ る が 、 紹 興 二 十 二 年 ( 一 一 五 二) 以 降 、
文 迫 が 完 成 の 年 と し て い る 同 二 十 四 年 に 至 る 期 間 の 刊 記 は 、 現 在 の と こ ろ 知 ら れ て い な い 。 猶 、 開 元 版 開 離 事 業 の 展 開 経 過 を 通 観 し て 意 外 に 感 ず る の は 、 同 期 間 中 に 靖 康 の 変 及 び 其 れ に 続 行 す る 宋 室 南 渡 と 云 う 最 大 の 国 難 に 遭 遇 し た に も か か わ ら ず 、 刊 経 活 動 は 中 断 す る ど こ ろ か 、 却 っ て 異 常 な 迄 の 活 気 を 呈 し 、 靖 康 元 年 ( 一 一 二 六) 以 降 建 炎 二 年 ( 一 一 二 八) に 至 る 三 年 間 に 、 函 号 数 計 一 〇 四 函 、 即 ち 、 記 年 全 函 号 比 二 三 ・ 六 %も の 多 量 の 開 離 を み た。 其 の 理 由 は 詳 か で な い が 、 恐 ら く 、 沐 京 の 戦 乱 は 福 州 迄 は 波 及 せ ず 、 更 に 未 曽 有 の 国 難 の 克 服 並 び に 徽 宗 及 び 欽 宗 の 早 期 還 御 を 蔵 経 開 雛 の 功 徳 に 託 し 祈 念 す る と こ ろ が あ っ (150) た も の と 思 わ れ る。 然 し 乍 ら 同 時 期 に 続 行 す る 建 炎 四 年 ( 一 一 三 〇) 以 降 紹 興 十 七 年 ( 一 一 四 七) に 至 る 十 八 年 間 に は (164) 正 し く 戦 乱 の 影 響 が 認 め ら れ 、 総 じ て 開 離 活 動 は 低 迷 し た 。 本 期 間 中 、 刊 行 記 年 を 見 出 し 得 な い 年 は 合 せ て 十 一 力 年 に 達 す る 。 開 元 版 に つ い て 特 に 注 目 す べ き は 、 本 版 の 開 雛 開 始 が 東 禅 版 の 完 成 と 正 に 同 年 同 月 と な っ て い る 事 実 で あ る 。 即 ち 、 追 雛 分 及 び 重 雛 分 を 除 く 東 禅 版 の 最 新 記 年 刊 記 は 政 和 二 年 三 月 で あ り 、 又 、 開 元 版 刊 記 の 最 先 期 日 は 其 れ と 同 一 で あ る 。 加 え て 東 禅 版 の 最 新 刊 記 は 同 版 を 構 成 す る 最 終 順 位 の 勿 ( 465) 函 に 付 せ ら れ 、 開 元 版 の 最 先 刊 記 は 最 前 順 位 に 近 い 玄 ( 3) 函 に 見 出 さ れ て い る 。 開 元 版 の 刊 行 は 紹 興 二 十 四 年 の 完 成 以 後 、 長 期 間 に 渉 り 続 (164a) 行 せ ら れ た 。 又 、 伴 せ て 版 木 の 補 修 、 重 離 は 南 宋 時 代 を 通 し て 、 更 に 元 代 末 、 至 正 十 七 年 ( 一 三 五 七) 頃 迄 続 行 せ ら れ た (116) こ と を 刊 記 か ら 確 認 出 来 る。 尤 も 此 の 時 代 迄 大 蔵 経 全 般 を 印 行 可 能 な 程 度 に 版 木 が 保 存 さ れ て い た と は 考 え 難 く 、 後 代 の 重 雛 刊 記 の 多 く は ﹃ 大 般 若 経 ﹄ に 見 出 さ れ る こ と を 勘 案 し て 、 開 元 版 も 東 禅 版 の 場 合 と 同 様 、 例 え ば 四 大 部 経 の 版 木 の み が 逓 修 を 重 ね て 可 刷 状 熊 を 維 持 し 、 他 の 需 要 の 少 な い 経 籍 の 版 木 は 既 に 磨 損 し 或 い は 散 侠 し 去 っ て い た と も 想 像 出 来 よ う 。 猶 、 開 元 版 の 追 離 は 東 禅 版 の 追 離 と 密 接 な 関 係 の 下 に 行 わ れ た と 推 定 さ れ る 。 (103、104) 開 元 版 の 目 録 現 在 の と こ ろ 、 開 元 版 の 構 成 目 録 乃 至 基 本 目 録 と 目 す べ き 宋 福 州 版 大 蔵 経 考 ( 三)
密 教 文 化 目 録 は 知 ら れ て い な い 。 高 鉾 筆 写 に 係 る ﹃ 唐 本 一 切 経 目 録 ﹄ ( 16j) を 開 元 版 の 目 録 に 擬 定 す る 説 も 存 す る が 、 同 目 録 が 福 州 版 の 展 開 し た 様 相 を 伝 え て い る 理 由 を 以 っ て 直 ち に 開 元 版 の 目 録 と な す こ と は 出 来 な い 。 東 暉 版 と 開 元 版 と の 関 係 現 存 の 各 種 の 宋 版 蔵 経 目 録 の 比 較 か ら 、 東 禅 版 及 び 開 元 版 に 共 通 す る 構 成 を 以 っ て ﹁ 基 本 的 福 州 版 ﹂ と 想 定 し 、 両 版 は 此 の 基 本 部 分 に 各 々 相 違 す る 増 補 分 を 追 加 し た 構 成 を 有 す る (16k) と の 説 が あ る が 、 各 蔵 本 の 検 討 結 果 は 、 本 説 を 全 面 的 に 支 持 す る に 至 っ て い な い 。 各 本 の 構 成 大 蔵 経 の 構 成 を 検 討 す る た め に は 、 対 象 と す る 特 定 版 の 帖 本 が 相 当 多 数 量 纒 っ て 現 存 す る こ と が 必 要 で あ る。 此 の 目 的 に は 高 本 、 東 本 、 醍 本 、 知 本 及 び 宮 本 の 五 本 が 適 当 で あ る 。 然 し 乍 ら 、 此 等 の 諸 本 は 何 れ も 、 東 禅 版 或 い は 開 元 版 の 帖 本 を 混 合 し 、 更 に 相 当 部 分 に 及 ぶ 敏 失 は 別 途 の 他 版 の 帖 本 、 筆 写 本 で 補 充 す る な ど 、 所 謂 、 百 納 本 と し て 伝 世 し て い る こ と と て 、 両 版 の 構 成 を 検 討 す る に 先 だ っ て 、 前 記 五 本 の 構 成 を 概 観 す る 必 要 が あ ろ う 。 高 本 ⋮東 禅 版 帖 本 を 主 構 成 本 と し 、 開 元 版 は 重 複 帖 本 の 一 (165) 帖 の み で あ る。 敏 失 は 五 本 中 最 も 多 く 敏 失 部 分 を 湖 州 本 或 い は 、 所 謂 、 ﹁ 春 日 版 ﹂ 等 の 和 刻 本 で 補 充 し て い る 。 補 本 を 除 外 し た 現 存 の 最 終 函 は 密 (463) 函 で あ る が 、 同 函 に 至 る 構 成 が 一 致 す る 東 本 及 び 醍 本 の 例 よ り 類 推 し て 高 本 も 亦 、 勿 ( 4) (166) 函 迄 を 有 し て い た も の と 推 定 出 来 る 。 東 本 及 び 醍 本 ⋮共 に 東 禅 版 帖 本 を 主 構 成 本 と し 、 且 つ 、 両 本 の 構 成 は 極 め て よ く 一 致 す る 。 両 本 は 高 本 よ り も 展 開 し た 構 成 を 有 し 、 推 定 さ れ る 高 本 の 構 成 に 多 (565) 函 以 降 號 (580) 函 の 十 六 函 を 追 加 し て 成 る。 猶 、 醍 本 に は ﹃ 余 経 目 録 ﹄ に 収 (167) 載 す る 別 途 の 追 加 分 が 存 す る 。 (168) 知 本 ⋮開 元 版 帖 本 を 主 構 成 本 と し 、 そ の 最 終 函 は 楚 (570) 函 。 宮 本 ⋮知 本 と 同 じ く 開 元 版 帖 本 を 主 構 成 本 と す る が 、 最 終 函 は 頗 (595) 函 で あ り 、 知 本 に 比 較 し て も 猶 、 二 十 五 函 の 追 補 分 を 有 し 、 開 元 版 と し て よ り 新 し い 構 成 を 伝 え て い る と 共 に (169) 福 州 版 と し て 最 も 展 開 し た 構 成 を 示 し て い る。 知 本 及 び 宮 本 の 各 函 所 収 の 経 題 は 佐 (533) 函 迄 一 致 を み る も 、 以 降 に は 相
違 を 認 め る 。 猶 、 宮 本 に も 函 号 を 有 し な い ﹃ 四 分 律 ﹄ に 関 す る 注 疏 類 等 が 存 し 、 醍 本 の ﹃ 余 経 目 録 ﹄ 中 の 同 種 の 疏 に 対 応 す る が 完 全 に 一 致 す る も の で は な い 。 以 上 の 五 本 の 構 成 を 、 現 存 の 蔵 本 中 最 も 多 く の 函 号 を 有 す る 宮 本 の 構 成 を 基 準 と し 、 其 の 他 の 諸 本 と の 相 違 を 纒 め て 次 表 に 示 す 。 輻 州 版 諸 本 の 構 成 の 比 較 ︹ ○宮 本 に 同 一 。 △宮 本 と 異 な る 。 ︺ 宋 福 州 版 大 蔵 経 考 ( 三 )
密 教 文 化 本 表 に 見 る 如 く 、 第 一 区 分 以 降 第 十 区 分 に つ い て は 五 本 共 に 同 一 で あ っ て 、 一 応 、 本 区 分 を 以 っ て 基 本 的 福 州 版 と 目 す と し て も 、 第 十 一 区 分 以 降 末 尾 部 分 の 構 成 に つ い て は 、 東 禅 版 或 い は 開 元 版 の 区 別 を 基 準 に 各 本 の 構 成 の 特 徴 を 判 断 す る こ と は 困 難 で あ ろ う。 仮 り に 衡 (536) 函 所 収 の 経 題 の 相 違 を 根 拠 に 高 本 、 東 本 及 び 醍 本 の 三 本 は 東 禅 版 の 構 成 を 、 又 、 知 本 及 び 宮 本 は 開 元 版 の 構 成 を 有 す る と し て も 、 多 ( 5) 函 以 降 に あ っ て は 開 元 版 と 目 す 宮 本 の 構 成 は 却 っ て 東 禅 版 の 東 本 及 び 醍 本 と 同 様 の 展 開 を 示 し て い る。 知 本 は 開 元 版 の 構 成 を 展 開 す る が 末 尾 部 分 に 至 り 、 一 且 、 展 開 を 中 断 し た 後 、 部 分 的 な 追 補 を 行 っ た 様 子 で あ る 。 猶 、 注 目 す べ き こ と に 、 宮 本 最 終 の 第 十 八 区 分 以 降 第 二 十 区 分 に 所 属 の 帖 本 の 中 に は 、 紙 背 に ﹁ 開 元 経 局 染 黄 紙 ﹂ 印 を 有 す る 用 紙 に 東 禅 版 或 い は 湖 州 版 と 推 定 さ れ る 版 木 を 使 用 し (170) て 印 行 し た 例 並 び に 前 記 印 及 び ﹁ 東 禅 大 蔵 ﹂ 印 の 併 存 す る 例 が 見 出 さ れ る こ と で あ る。 想 像 す る に 此 等 の 三 区 分 乃 至 そ の 中 の 特 定 の 帖 本 に つ い て は 、 開 元 版 独 自 の 開 雛 を 行 わ ず 、 他 版 の 版 木 の 融 通 を 受 け 開 元 版 刊 行 処 で 印 行 し た か 、 或 い は 他 版 の 刊 経 処 に 開 元 版 の 用 紙 を 送 付 し 同 処 の 版 木 に よ る 印 刷 を 依 頼 し た か の 何 れ か で あ っ た こ と で あ ろ う 。 又 、 第 二 十 区 分 及 び 第 二 十 一 区 分 は ﹃ 華 厳 合 論 ﹄ 及 び そ の 他 の 華 厳 部 の 注 疏 類 よ り 成 る が 、 刊 記 よ り 判 断 し て 、 此 等 は 蔵 経 と は 別 行 し て 東 禅 寺 で 開 離 さ れ 同 寺 に 保 管 さ れ て い た 版 木 に 、 後 日 、 続 行 す る 函 号 を 追 刻 し て 印 行 さ れ た も の で あ ろ つ 。 同 様 に 東 本 、 醍 本 及 び 宮 本 に 存 す る 第 十 六 区 分 乃 至 第 十 八 (171) 区 分 の ﹃ 大 慧 語 録 ﹄ 、 ﹃ 首 榜 厳 経 義 海 ﹄ 及 び 天 台 章 疏 に 関 し て も 、 既 刻 の 版 木 に 新 た に 函 号 を 付 し て 蔵 経 に 編 入 す る こ と が あ っ た 様 子 で あ る 。 更 に ﹃ 伝 法 正 宗 記 ﹄ 及 び ﹃ 輔 教 編 ﹄ は 知 本 で は 時 (534) 函 及 び 阿 (535) 函 に 、 宮 本 で は 践 (581) 函 及 び 土 (582) 函 と 相 違 す る 各 二 函 に 収 載 さ れ て い る が 、 同 書 の 末 尾 に 付 す 入 蔵 允 許 の 勅 牒 、 開 元 寺 で 刊 行 す る に 至 っ た 経 過 、 所 依 の 底 本 に 関 す る 記 載 、 更 に 其 等 を 記 述 す る 文 字 各 行 の 排 列 に 至 る 迄 、 両 本 が 完 全 に (172) 一 致 す る こ と か ら 本 書 の 印 行 に 際 し て は 、 同 一 の 版 木 を 使 用 し 函 号 の み を 相 違 せ し め た も の と 推 定 す る 。
東 暉 版 及 び 開 元 版 の 構 成 前 項 に 於 い て 現 存 五 本 の 構 成 を 比 較 し た 結 果 は 、 末 尾 部 分 に 至 っ て 、 各 本 の 構 成 は 版 の 如 何 に よ る 相 違 よ り も 、 個 別 の 蔵 本 の 相 違 の 方 が 大 き く 、 両 版 共 、 彼 我 を 区 別 す る 一 貫 し た 独 自 の 特 徴 を 見 出 し 難 い こ と が 判 明 し た 。 従 っ て 、 構 成 の 点 か ら み る 限 り 、 東 禅 版 と 開 元 版 と は 同 一 で あ っ て 、 各 本 毎 に 末 尾 部 分 の 展 開 に 、 類 似 は す る が 若 干 の 相 違 の あ る 変 化 を 有 し て い る と 認 む べ き で あ ろ う 。 東 暉 版 と 開 元 版 の 密 接 な 関 係 ( 以 下 、 付 論) 福 州 版 に 関 す る 研 究 の 始 っ た 頃 に あ っ て は 、 現 存 の 蔵 本 の 全 て が 東 禅 版 及 び 開 元 版 の 帖 本 を 混 合 し て 存 在 す る こ と か ら 、 両 版 を 各 々 独 立 の 版 と せ ず 、 東 禅 、 開 元 両 寺 の 住 僧 の 協 力 (173) の 許 に 一 蔵 の 開 雛 を み た と す る 説 が あ っ た 。 其 の 後 、 刊 記 の 検 討 或 い は 各 所 の 経 蔵 に 現 存 す る 帖 本 の 組 織 的 な 調 査 が 進 み 、 現 今 で は 東 禅 版 或 い は 開 元 版 は 各 々 独 立 の 別 種 の 版 で あ る こ と が 定 説 と し て 認 め ら れ て い る 。 そ し て 本 説 に 対 し 、 今 後 、 根 本 的 な 変 更 が 加 え ら る べ き と は 予 想 し 難 い 。 然 し 乍 ら 東 禅 版 及 び 開 元 版 は 総 じ て 極 め て よ く 類 似 し 、 又 、 密 接 な 関 係 を 有 し て い る こ と も 亦 、 否 定 出 来 な い 事 実 で あ る 。 即 ち 、 既 述 の 如 く 開 元 版 は 東 禅 版 の 再 刻 と 云 い 得 る 迄 に そ の 構 成 を 忠 実 に 踏 襲 し て お り 、 現 存 の 各 本 を そ の 構 成 を 以 っ て 、 直 ち に 所 属 の 版 の 如 何 を 律 す る こ と は 困 難 で あ る 。 更 に 両 版 の 帖 本 の 刷 面 か ら 受 け る 印 象 は 極 め て よ く 類 似 し て お り 、 刊 記 に 依 っ て は じ め て そ の 版 を 判 別 し 得 る 等 の 諸 事 実 が 存 在 す る 。 此 処 で は 、 百 尺 竿 頭 一 歩 を 進 め る 心 算 で 、 以 下 の 各 項 に 示 す 事 実 及 び 状 況 証 拠 を 依 処 に ﹁ 東 禅 版-開 元 版 実 質 同 一 説 ﹂ 、 換 言 す れ ば 両 版 の 帖 本 を 印 行 し た 全 部 と は 云 わ ず と も 、 相 当 部 分 の 版 木 は 同 一 で あ っ た と す る 臆 説 及 び そ の 理 由 を 以 下 の 各 項 に 開 陳 し 、 研 究 者 各 位 の 御 批 判 を 仰 ぎ た い 。 東 暉 版 及 び 開 元 版 刊 行 の 時 間 的 関 係 東 禅 版 の 完 成 を み た 政 和 二 年 二 月 乃 至 三 月 、 直 ち に 開 元 版 の 刊 行 が 開 始 さ れ た 事 実 は 極 め て 特 異 な こ と と 云 わ ね ば な る ま い 。 此 の 事 実 は 、 東 禅 版 の 版 木 の 完 成 を 侯 っ て 、 そ の 版 木 か ら 印 行 の 帖 本 に 別 途 の 刊 記 を 付 し 別 版 と し て 刊 行 で き る 合 宋 福 州 版 大 蔵 経 考 ( 三)
密 教 文 化 意 を 、 開 元 寺 は 東 禅 寺 か ら 取 り 付 け た こ と を 想 像 せ し め る 。 猶 、 政 和 二 年 以 後 も 東 禅 版 の 刊 行 或 い は 重 離 が 続 行 さ れ て い る の で 、 両 寺 間 の 合 意 の 際 に は 版 木 の 所 有 権 の 移 転 は 考 え ら れ ず 、 開 元 寺 は 東 禅 寺 よ り 版 木 の 使 用 権 を 取 得 し 、 或 い は 版 木 を 両 寺 の 共 同 管 理 下 に 置 い た と す る の が よ り 容 易 な 想 像 で あ ろ う 。 版 木 の 共 同 管 理 の 場 合 、 知 福 州 或 い は 加 え て 中 央 政 府 の 高 官 、 有 力 者 の 斡 旋 の 在 っ た こ と も 想 像 し 得 る。 や や 奇 異 に 感 ず る 処 で あ る が ﹃ 三 山 志 ﹄ 中 、 東 禅 版 に 関 す る 記 載 は 東 禅 寺 の 項 よ り も 開 元 寺 の 項 、 特 に 開 元 寺 戒 壇 が 行 う 度 牒 の 発 給 限 度 の 記 述 に 付 記 し て 、 ﹁ 崇 寧 万 寿 大 蔵 ﹂ 、 即 ち 、 東 禅 版 の 当 年 度 の 進 経 に 対 す る 、 云 わ ば 代 償 と し て の 東 禅 寺 の 保 有 す る (174) 度 僧 定 員 枠 及 び 関 連 事 項 の 記 載 が 詳 細 に な さ れ て い る 。 此 の 事 実 は 東 禅 版 版 木 の 使 用 権 を 開 元 寺 と 共 有 す る に 至 っ た 事 情 を 暗 示 し 、 そ の 際 の 権 力 者 の 関 与 を 想 像 せ し め る 。 猶 、 刊 記 を 別 版 に 離 し 経 典 本 文 と 合 体 し て 印 行 す る こ と は 極 め て 普 通 の こ と で あ っ て 、 共 通 の 版 木 に 個 別 の 刊 記 を 付 し (175) て 印 行 す る こ と に 格 別 の 困 難 な 事 情 は 存 し な い 。 大 蔵 経 の 刊 行 と そ の 経 済 的 配 慮 一 具 、 六 千 帖 に 達 す る 大 蔵 経 を 刊 行 す る 為 に は 、 莫 大 な 資 を 必 要 と す る こ と は 云 う 迄 も な い 。 当 時 、 一 蔵 の 刊 行 に 如 何 程 の 資 金 を 要 し た か を 知 る 直 接 の 記 録 は 存 せ ず 、 想 像 に 依 る 他 は な い が 、 一 函 分 の 版 木 の 開 離 (176) に 銭 三 十 貫 文 を 寄 捨 す る 旨 の 刊 記 が 数 例 知 ら れ 、 此 れ を 根 拠 に し て 計 算 す る と 一 具 六 百 函 の 大 蔵 経 の 開 雛 費 は 一 万 八 千 貫 文 と な る。 ﹃ 三 山 志 ﹄ 十 七 に は 福 州 十 二 縣 の 夏 税 産 銭 の 歳 収 を 総 八 千 一 百 四 十 八 貫 余 と 記 載 し て い る が 、 福 州 地 域 に 於 け る 全 税 収 に 占 め る 夏 税 産 銭 の 比 率 が 比 較 的 軽 少 で あ っ た 事 情 を 考 慮 し て も 、 大 蔵 経 の 開 離 費 は 一 つ の 州 の 主 要 税 の 二 年 分 以 上 に 相 当 す る 巨 額 で あ る 。 又 、 此 れ を 刊 行 に 要 し た 期 間 に 均 分 し て も 主 要 税 収 の 五 %相 当 額 を 四 十 年 間 に 渉 っ て 負 担 し な け れ ば な ら な い こ と に な る 。 東 禅 版 の 完 成 の 直 後 、 同 一 の 地 域 で 再 度 、 開 元 版 の 開 離 を 実 施 す る こ と は 、 如 何 に も 同 地 域 の 経 済 的 負 担 能 力 を 無 視 し た 無 謀 な 計 画 と 云 う 他 は な い。 東 禅 版 の 場 合 に あ っ て す ら 自 発 的 な 寄 捨 の み で は 必 要 資 金 を 充 足 出 来 ず ﹁ 印 経 頭 銭 ﹂ な る 一 種 の 付 加 税 を 長 期 間 に 渉 っ て 周 辺 の 住 民 に 課 し て 、 漸 く
(35) 完 成 を み た 経 過 も 考 慮 さ れ た 筈 で あ り 、 開 元 寺 で は 蔵 経 刊 行 の 実 現 可 能 な 方 法 と し て 、 次 善 の 策 な が ら 版 木 の 相 当 部 分 に つ い て は 、 既 存 の 東 禅 版 の 版 木 を 利 用 す る 方 策 を 考 え 、 東 禅 寺 の 同 意 を 得 た こ と で は な か っ た ろ う か 。 開 元 版 刊 行 の 理 由 斯 く 迄 し て 開 元 寺 が 大 蔵 経 を 刊 行 す る 必 要 を 認 め た 理 由 は 詳 か で な い が 、 想 像 す る と こ ろ 、 福 州 第 一 の 名 刹 、 官 寺 と し て の 衿 持 、 更 に 同 寺 の 伝 統 の 宣 揚 を 考 慮 し て の 行 動 か と 推 察 (10ロ) さ れ る 。 開 元 寺 は 唐 代 に 大 蔵 経 を 保 有 し 、 五 代 に も 王 審 知 の 寄 進 に 係 る 蔵 経 を 蔵 し て い た 。 又 、 宋 代 に は 戒 壇 を 設 立 し 度 僧 権 を 有 す る 大 寺 で あ る 。 処 が 大 蔵 経 の 刊 行 に 関 し て は 東 禅 寺 に 一 簿 を 輸 す る こ と と な り 、 失 地 恢 復 の 念 と と も に 、 一 方 で は 版 木 を 東 禅 寺 に 依 存 し な け れ ば な ら な か っ た 屈 曲 し た 感 情 を 秘 し て 、 開 元 寺 は 蔵 経 の 刊 行 を 企 画 し た か も 不 知 れ な い 。 其 の 他 の 事 項 両 版 印 記 の 共 存 ⋮宮 本 の 末 尾 数 函 中 の 帖 本 に は ﹁ 東 禅 大 蔵 ﹂ (170) 及 び ﹁ 開 元 経 局 染 黄 紙 ﹂ の 印 記 を 併 存 す る 例 が 存 す る 。 新 規 入 蔵 経 版 木 の 共 同 開 離 ⋮﹃佛 祖 統 紀 ﹄ 四 七 、 淳 煕 三 年 ( 一 一 七 六) 条 に ﹁ 福 州 に 勅 す 。 天 聖 二 年 ( 一 〇 二 四) 巳 降 の 聖 旨 に 依 り 、 天 台 一 宗 教 部 を 開 元 東 禅 に 付 し 版 に 鐘 し 入 蔵 (178) す べ し ⋮﹂と あ り 、 追 離 部 分 に 関 し て は 、 両 寺 共 同 し て 版 木 を 開 離 し た と 推 定 せ し め る 記 載 で あ る 。 以 前 よ り 新 規 に 入 蔵 す べ き 典 籍 の 開 雛 は 東 禅 寺 及 び 開 元 寺 が 共 同 し て 実 施 し て い た 事 情 を 中 央 で 承 知 の 上 、 斯 か る 勅 牒 が 出 さ れ た こ と で あ ろ 栖つ 。 慧 明 が 両 寺 に 住 せ し 事 実 ⋮解 空 大 師 慧 明 が 東 禅 寺 に 住 し た 後 、 開 元 寺 に 移 り 、 再 度 、 東 禅 寺 に 住 し た 事 実 に つ い て は 先 述 し た 。 こ の 事 は 大 蔵 経 版 木 の 共 同 使 用 が あ っ て の こ と か と 想 像 さ れ る 。 慧 明 が 大 蔵 経 刊 行 に 関 し 豊 か な 経 験 と 能 力 を 有 し 、 為 に 版 木 を 共 同 使 用 す る こ と に な っ た 両 寺 に 住 し た こ と を 想 像 さ れ る 。 彼 は 多 数 の 重 離 を 行 っ て い る 事 実 も 共 同 使 用 下 に 置 か れ た 版 木 の 管 理 、 保 全 の 為 で あ っ た と 想 像 し 得 よ (179) う。 徳 潜 が 砒 盧 大 蔵 の 版 木 を 開 離 し て い る 事 実 ⋮東 禅 寺 住 持 徳 潜 は ﹃ 大 慧 語 録 ﹄ の 開 雛 を 行 い 砒 盧 大 蔵 、 即 ち 開 元 版 に 収 宋 福 州 版 大 蔵 経 考 ( 三)
密 教 文 化 (180) め 流 通 を 祈 念 し て い る 。 自 ら の 住 す る 寺 に 刊 経 処 を 有 す る 場 合 に あ っ て 、 開 離 の 版 木 を 他 処 の 蔵 経 刊 行 処 に 付 す こ と は 如 何 に も 奇 異 で あ る が 、 版 木 が 、 本 来 、 東 禅 版 の も の で あ り 、 当 時 は 共 同 使 用 下 に あ り 、 時 に は 開 元 版 の 別 称 で あ る 砒 盧 大 蔵 の 名 称 が 共 通 の 名 称 と し て 同 版 木 に 対 し 用 い ら れ て い た と (181) す れ ば 理 解 出 来 る こ と で あ る 。 両 版 ﹁ 実 質 同 一 説 ﹂ の 認 否 に 関 す る 提 案 ﹁ 東 禅 版 -開 元 版 実 質 同 一 説 L を 是 認 し 、 或 い は 否 定 す る 最 も 直 接 的 な 証 明 方 法 は 、 同 一 の 経 題 を 有 し 各 々 の 版 種 を 明 示 す る 刊 記 を 有 す る 帖 本 に つ い て 、 其 等 の 本 文 部 分 の 写 真 を 可 及 的 多 数 件 、 一 処 に 集 め 、 版 面 、 文 字 の 形 の 異 同 を 確 認 し 、 又 、 結 果 を 統 計 的 に 解 析 す る 方 法 が 適 当 と 考 え ら れ る。 又 、 両 版 の 同 一 経 題 の 帖 本 忙 つ い て 、 各 紙 毎 に 離 工 名 を 検 出 し 、 (182) そ の 異 同 を 比 較 す る 方 法 も 有 効 で あ ろ う。 猶 、 此 等 の 方 法 を 採 用 す る に 際 し て 、 重 離 、 補 刻 の 有 無 は 慎 重 に 考 慮 さ れ ね ば な ら な い 。 本 方 法 に よ る 解 決 は 、 興 味 あ る 今 後 の 問 題 と し て 留 保 さ れ て い る 。 要 約 私 版 大 蔵 経 の 発 端 を な し た 宋 福 州 版 大 蔵 経 、 即 ち 、 東 禅 等 覚 禅 院 版 大 蔵 経 及 び 福 州 開 元 寺 版 大 蔵 経 に 関 し 、 既 刊 の 書 影 、 刊 記 集 等 の 記 載 に 基 づ き 、 両 版 刊 経 処 の 略 史 、 関 与 者 、 刊 行 経 過 、 構 成 等 を 検 討 し た。 又 、 後 者 が 前 者 の 再 刊 に 近 い 程 度 に 類 似 す る 事 実 を 述 べ 、 両 版 の 使 用 し た 版 木 の 相 当 部 分 が 実 質 的 に 同 一 で あ り 得 る 可 能 性 を 想 像 し た 。 本 稿 を 、 最 早 、 羽 田 野 伯 猷 先 生 に 御 校 閲 い た だ け な い こ と は 、 哀 絶 の 極 み で あ る 。 先 生 に は 三 十 有 余 年 の 長 き に わ た り 、 何 時 も 慈 愛 盗 る る 御 指 導 を 賜 っ た 。 援 引 の 史 料 、 参 考 文 献 の 多 く は 東 洋 文 庫 の 御 所 蔵 に 係 る 。 閲 覧 を 許 可 さ れ た 同 文 庫 に 深 謝 す る 。 註 (108)﹃三 山 志 ﹄ 三 三 記 載 の 産 銭 額 開 元 寺 一 一 貫 九 七 八 文 東 禅 寺 九 貫 六 七 八 文
(109) 三 善 清 行 ( 九 〇 二)﹁ 天 台 宗 延 暦 寺 座 主 円 珍 伝 ﹂ ﹃ 大 日 本 佛 書 全 書﹄ 二 八 、 一 三 六 四 -一 三 八 ○頁 (110)﹃ 大 正 蔵﹄ 三 七 、 三 二 八 頁 。 ﹃ 大 蔵 会﹄ 四 回 、 八 九 頁 上 (111)﹃ 大 正 蔵﹄ 五 五 所 収 イ、 ﹃ 開 元 寺 求 得 経 疏 記 等 目 録﹄ ロ、 ﹃ 輻 州 温 州 台 州 求 得 経 律 論 疏 記 外 書 等 目 録﹄ ハ、 ﹃ 青 竜 寺 求 法 目 録﹄ ニ、 ﹃ 日 本 比 丘 円 珍 入 唐 求 法 目 録﹄ ホ、 ﹃ 智 証 大 師 請 来 目 録﹄ (112) 橋 本 進 吉 ( 一 九 二 七) ﹁ 慶 政 上 人 伝 考 ﹂ ﹃ 大 円 本 佛 教 全 書﹄ 一 一 五 、 五 六 五 -五 八 一 頁 。 ﹃ 図 典 解﹄ 一 七 五 頁 。 猶 、 慶 政 が 帰 国 時 に 帯 同 し た 大 蔵 経 は 完 全 な 一 具 で は な く 、 後 日 、 不 足 分 を 、 入 宋 し た 弟 子 に 逓 送 せ し め た 如 く で あ る 。 ﹃ 図 善 目﹄ 三 、 七 八 丁 表 (113) 慶 政 の 捨 記 を 有 す る 帖 本 は 全 て 宮 本 。 ﹃ 十 請 律﹄ は 首 に 、 他 は 版 心 に ﹁ 日 本 国 僧 慶 政 捨 ﹂ と あ り 。 ﹃ 大 般 若 経﹄ 三 二 五 雲 ( 33)﹃ 大 般 若 経﹄ 五 六 一 果 ( 57) ﹃ 同﹄ 四 五 六 出 ( 46)﹃ 華 厳 経﹄ 十 二 平 (111) ﹃ 同﹄ 四 八 一 劒 (49)﹃ 同﹄ 二 三 章 (112) ﹃ 同﹄ 四 八 八 劒 (49) ﹃ 十 請 律﹄ 二 二 政 ( 説) (114) 神 田 喜 一 郎 ( 一 九 六 〇)﹁ 羽 田 先 生 の 想 ひ 出 ﹂ ﹃ 敦 煙 学 五 十 年﹄ 一 五 一 -一 五 六 頁 。 二 玄 社 (東 京)。﹃ 重 文﹄ 五 八 頁 。 ﹃ 重 文 目﹄ 二 六 頁 上 (115) 近 藤 喜 博 ( 一 九 六 三) ﹁ 宋 板 一 切 経 擢 写 と 入 宋 僧 ﹂ ﹃ 東 亜 時 論﹄ 五 ノ 十 、 十 八-十 九 頁 捨 記 の 例 ( ﹁ 智 光 ﹂ は ﹃ 弘 文 目﹄ 三 三 、 他 は 東 本) ﹃ 大 般 若 経﹄ 十 八 地 ( 2) 日 本 僧 智 光 捨 ﹃ 同﹄ 五 六 四 果 (57) 日 本 国 比 丘 浄 刹 捨 ﹃ 大 宝 積 経﹄ 四 五 、 五 十 鳥 (77) 日 本 国 北 京 西 山 法 華 寺 比 丘 政 元 捨 ﹃ 大 般 浬 般 経﹄ 一 適 (122) 日 本 国 北 京 西 山 法 華 寺 比 丘 乗 蓮 捨 ﹃ 同﹄ 八 遍 (122) 日 本 国 下 州 千 葉 寺 比 丘 了 行 捨 ﹃ 同﹄ 三 一 -三 三 、 三 五 、 三 七 率 (125) 右 同 (116) 反 町 茂 雄 ( 一 九 五 九) ﹃ 弘 文 荘 待 費 古 書 目﹄ ( 弘 文 目) 三 三 、 五 五 頁 ﹃ 大 般 若 経﹄ 巻 号 未 詳 (119)﹃ 大 般 若 経﹄ 二 九 玄 ( 3) 知 本 ﹃ 出 曜 経﹄ 十 宮 (425) 知 本 (120)﹃ 金 剛 般 若 波 羅 蜜 経﹄ (菩 提 流 支 訳) 翔 (72) 知 本 (121)﹃ 続 伝 燈 録﹄ 十 八 ﹃ 大 正 蔵﹄ 五 一 、 五 八 七 下 宋 福 州 版 大 蔵 経 考 ( 三)
密 教 文 化 (122)﹃ 大 方 広 三 戒 経 ﹄ 上 乃 ( 85) 小 野 ﹃ 総 論 ﹄ 八 九 頁 記 載 ﹃ 法 苑 珠 林﹄七 六 経 (488)﹃ 蔵 会﹄十 六 (123)﹃ 無 量 寿 経 ﹄ 下 乃 ( 85) 知 本 (124)﹃ 大 智 度 論 ﹄ 七 表 (215)南 本 (125)﹃ 喩 伽 師 地 論 ﹄ 五 一 積 (228) 知 本 (126)﹃ 十 講 律 ﹄ 三 一 存 (313) 知 本 (127)﹃ 碑 婆 沙 論 ﹄ 十 三 浮 (421) 知 本 (128)﹃ 十 請 律 ﹄ 三 十 政 (312) 知 本 (129)﹃ 根 本 説 一 切 有 部 砒 奈 耶 ﹄ 二 一 一 而 (318) 知 本 ﹃ 根 本 説 一 切 有 部 砒 奈 耶 雑 事﹄二 九 礼 (325) 知 本 ﹃ 四 分 律 蔵﹄三 一 唱 (334) 知 本 (130)﹃ 大 佛 頂 如 来 密 因 修 証 了 義 諸 菩 薩 万 行 首 榜 厳 経 ﹄ 一 染 (196) 知 本 (131)了 一 題 記 帖 本 の 醜 号、 三 十 函 。 染 (196)、 学 (305)、 伯 (347)、 同 (357)、 交 (361)、 慈 (370)、 西 (414)、 盤 (427)、 轡 (428)、 禽 (435)、 舎 (442)、 甲 (445)、 犀 (449)、 莚 (450)、 設 (451)、 吹 (455)、 笙 (456)、 昇 (457)、 階 (458)、 辮 (461)、 転 (462)、 通 (466)、 群 (479)、 実 (224)、 勤 (525)、 碑 (526)、 刻 (527)、 旙 (529)、 傾 (552)、 又 (562)。 加 え て ﹃ 賢 愚 因 縁 経﹄九 轡(428) 知 本 の 刊 記 よ り 浬 (424)-図 (433)、 十 函 の 開 離 あ り し こ と 知 ら る 。 (132)﹃ 大 般 若 経 ﹄ 十 八 地 ( 2)﹃ 弘 文 目 ﹄ 三 三、 五 五 頁 下 (133)﹃ 宋 人 伝 ﹄ 四 三 五 二 頁 に は、 能 仁 興 聖 万 寿 禅 寺、 即 ち、 径 山 寺 に 住 し た 了 一 の 伝 を 収 載 す る が、 開 元 寺 了 一 と は 別 人 の 如 く で あ る 。 (134)﹃ 伝 法 正 宗 論 ﹄ 十 二 阿 (353) 知 本 ﹃ 同 題﹄同 巻 土 (582) 宮 本 (135)﹁ 離 経 都 会 ﹂ 構 成 員 の 推 移 年 ( 西 暦 一 一) 月 人 記 載 政 和 二 ( 一 二) 三 4﹃ 大 般 若 経 ﹄ 二 九 玄 ( 3) 知 本 重 和 元 ( 一 八) 十 二 8﹃ 摩 前 波 羅 蜜 経 ﹄ 十 二 海 ( 65) 知 本 宣 和 六 ( 二 四) 八 13﹃ 無 量 寿 経 ﹄ 下 乃 (85) 知 本 宣 和 七 ( 二 五) 七 14﹃ 佛 名 経 ﹄ 十 二 長 (184) 谷 本 靖 康 元 ( 二 六) 十 一 17﹃ 文 殊 師 利 現 宝 蔵 経 ﹄ 下 蓋 (145) 知 本 建 炎 元 ( 二 七) 八 19﹃ 法 集 経 ﹄ 一 欲 (190) 知 本 建 炎 三 ( 二 九) 三 19﹃ 喩 伽 師 地 論 ﹄ 六 十 積 (228) 知 本 中 本 紹 興 四 ( 三 四) 八 5﹃ 根 本 説 一 切 有 部 芯 蕩 毘 奈 耶 経 ﹄ 一 楽 (321) 知 木
(136) 林 樋 ﹃ 三 山 志﹄ 二 八 陳 詞 ﹃ 三 山 志﹄ 三 三 陳 靖 ﹃宋 人 伝﹄ 二 四 九 二 頁 (137)﹁ 当 山 三 殿 大 王 大 聖 酒 州 ﹂ ( イ) 三 殿 天 王 殿、 毘 沙 門 天 王 殿 大 雄 王 殿、 大 聖 釈 尊 殿 大 聖 殿、 洒 州 大 聖 僧 伽 和 尚 殿 ( ロ) 同 記 載 の 存 す る 帖 本 ( 最 先 例 及 び 最 新 例) 重 和 元 年 ( 一 一 一 八) 十 一 月 ﹃ 大 明 度 経﹄ 一 羽 (71) 知 本 建 炎 三 年 ( 一 一 二 九) 三 月 ﹃ 喩 伽 師 地 論﹄ 六 十 積 (228) 知 本 ( ハ) 潤 州 和 尚 信 仰 を 示 す 刊 記 例 ﹃ 諸 経 要 集﹄ 八-十 三 帳 (466)-対 (447) 尾 刊 記 宮 本、 知 本 開 元 暉 寺 潤 州 大 聖 菩 薩 出 隊 縁 化 円 成 大 蔵 経 板 所 有 信 善 男 女 抽 捨 ﹂ 一 文 已 上 収 聚 離 斯 経 板 = 幽 廣 流 聖 教 普 符 逐 人 願 心 功 徳 円 満 者 ﹃金 剛 手 菩 薩 降 伏 一 切 部 多 大 教 王 経﹄上 高 ( 50 5) 尾 刊 記 知 本 左 朝 議 大 夫 充 集 英 殿 撰 新 除 知 廣 州 賜 紫 金 魚 袋 醇 弼 ﹂ 奉 爲 孫 男 鳳 児 癸 亥 三 月 初 八 日 戌 時 生 昨 因 多 病 遂 捨 ﹂ 入 潤 州 大 聖 座 下 出 家 已 獲 平 寧 謹 施 俸 資 離 造 高 ﹂ 字 経 板 一 繭 伏 此 良 因 克 符 心 願 増 延 緑 算 者 ( 右 二 例 共、 首 刊 記 は 紹 興 戊 辰 閏 八 月) ( 二) 併 せ て 牧 田 諦 亮 ( 一 九 六 四)﹁ 中 国 に 於 け る 民 俗 佛 教 成 立 の 一 過 程-酒 州 大 聖 ・ 僧 伽 和 尚 に つ い て-﹂ ﹃ 東 方 学 報 (京 都)﹄ 二 五、 二 六 四 -二 八 六 頁、 特 に 二 六 九 頁 参 照 。 (138)﹃ 普 達 王 経﹄ 等 四 経 同 巻 学 (305) 知 本 ﹃ 一 切 経 音 義﹄ 一、 二 階 (458) 中 本、 知 本、 羅 振 玉 蔵 本 ﹃ 新 訳 華 厳 経 音 義﹄ 上 弁 (461) 知 本 ﹃ 御 製 遣 遙 詠﹄ 一-十 一 伊 (531) 天 本 ﹃ 御 製 秘 蔵 詮﹄六 ※サ (532) 源 本 ﹃ 一 字 頂 輪 王 喩 伽 経﹄ 等 三 経 同 巻 又 (562) 南 本 ※紹 興 戊 辰 の 題 記 に 加 え て、 開 元 版 施 捨 に 関 す る 紹 興 庚 午 の 詳 細 な 刊 記 あ り 。 (139)﹃ 宋 人 伝﹄ 二 七 四 八 頁 ﹃ 輿 地 紀 勝﹄ 一 五 三 ﹃ 建 炎 以 来 繋 年 要 録﹄ 一 五 九、 一 六 一 ﹃ 五 燈 会 元﹄ 二 十、 竜 門 遠 輝 師 法 嗣 ﹃嘉 泰 普 燈 録﹄ 十 六、 ﹃ 大 日 本 続 蔵 経﹄ ( 卍続 藏) 一 ノ ニ 乙、 一 -二 ﹃ 佛 祖 統 紀﹄ 二 八、 四 七、 ﹃ 大 正 蔵﹄ 四 九、 二 八 三 頁 下、 四 二 六 頁 中 ﹃ 釈 氏 稽 古 略﹄ 四、 ﹃ 大 正 蔵﹄ 四 九、 八 九 二 頁 上 ﹃ 続 伝 燈 録﹄ 二 九、 ﹃ 大 正 蔵﹄ 五 一、 六 七 一 頁 中 ﹃ 御 製 秘 蔵 詮﹄ 六 コプ (532) 源 本 尾 刊 記 (140) 或 い は ﹁ 毎 月、 念 ( 二 十 日) 。 浮 土 会 を 建 繋 す ﹂ と 読 む べ き か 。 宋 福 州 版 大 蔵 経 考 ( 三 )
密 教 文 化 ( 141) ﹃ 宋 史﹄ 三 八 。 ﹃ 宋 史 新 編﹄ 一 三 六 ﹃ 南 宋 書﹄ 二 八 ﹃ 水 心 文 集﹄ 二 二 ﹃ 輿 地 紀 勝﹄ 一 二 八 ﹃ 三 山 志﹄ 二 二 、 二 三 ﹃ 建 炎 以 来 繋 年 要 録﹄ 一 六 一 (142)﹁ 辮 正 論﹄ 明 (472) 宮 本 (143)﹁ 阿 砒 曇 砒 婆 沙 論﹄ 六 一 、 六 八 慈 (370) 中 本 (144)﹃ 建 炎 以 来 繋 年 要 録﹄ 八 六 、 一 五 八 ﹃ 三 山 志﹄ 二 六 (145)﹃ 賢 愚 因 縁 経﹄ 九 轡 (428) 知 本 猶 、 右 と 同 一 文 の 刊 記 は 浬 (424) 函-図 (433) 函 以 外 に も 見 出 さ れ 、 前 記 函 経 以 外 に も 寄 捨 し て い る 。 例 、 ﹃ 釈 迦 方 志﹄ 上 、 下 仙 (439) 知 本 ﹃阿 砒 達 磨 集 異 門 足 論﹄ 八 同 ( 75 3) 中 本 (146)﹃ 三 山 志﹄ 八 、 二 五 ﹃ 宋 会 要﹄ 十 四 礼 十 三 之 八 ﹃ 輿 地 紀 勝﹄ 一 二 八 羅 大 経 ﹃ 鶴 林 玉 露﹄ 五 (147)﹃ 阿 育 王 伝﹄ 四 禽 (370) 中 本 (148)﹃ 宋 元 名 家 墨 蹟 筋﹄ 所 収 。 東 京 国 立 博 物 館 ( 一 九 六 五)﹃ 高 島 菊 次 郎 氏 寄 贈 中 国 美 術 展 図 録﹄ 七 頁 (149)﹃ 宋 史﹄ 三 七 五 ﹃ 宋 史 新 編﹄ 一 二 八 ﹃ 南 宋 書﹄ 二 三 ﹃ 建 炎 以 来 繋 年 要 録﹄ 九 八 、 一 〇 一 、 一 七 五 ﹃宋 朝 事 実﹄ 十 (150)﹃ 阿 砒 達 磨 順 正 理 論﹄ 六 五 雅 (403) 中 本 ﹃ 阿 砒 曇 心 論﹄ 一 都 (409) 宮 本 ﹃ 碑 婆 沙 論﹄ 十 三 浮 (421) 知 本 (151)﹃ 宋 史﹄ 二 四 三 ﹁ 宋 史 新 論﹄ 五 九 ﹃ 東 都 事 略﹄ 十 四 (152)﹃ 妙 法 蓮 華 経﹄ 鳳 (130) 知 本 ﹃ 大 佛 頂 如 来 密 因 修 証 了 義 諸 菩 薩 万 行 首 樗 厳 経﹄ 四 染 (166) 知 本 (153)﹃ 宋 史﹄ 二 七 、 二 九 、 三 五 八 、 三 五 九 ﹃ 宋 史 新 編﹄ 一 二 五 ﹃ 水 心 文 集﹄ 二 六 ﹃ 威 淳 毘 陵 志﹄ 十 八 ﹃ 建 炎 以 来 繋 年 要 録﹄ 五 三
(154)﹃ 宋 史﹄ 一 六 九、 一 七 〇 (155)﹃ 大 般 若 経﹄ 十 八 地 ( 2) 弘 文 目 三 三、 五 五 頁 下 (156) 了 一 ﹃ 天 聖 広 燈 録﹄ 十 二 勒 (525) 知 本 文 迫 ﹃ 大 般 若 経﹄ 十 八 地 ( 2) 弘 文 目 三 三、 五 五 頁 下 如 珪 ﹃ 大 唐 西 域 記﹄ 一、 八 転 (462) 知 本 智 本 ﹃ 建 中 靖 国 続 燈 録﹄ 一、 二 刻 (527) 陳 本 十 六 ノ 13 守 恩 他 ﹃ 天 聖 広 燈 録﹄ 十 一 勒 ( 525) 知 本 日 智 ﹃ 右 同﹄ 十 八 勒 (525) 知 本 徳 超 他 ﹃ 右 同﹄ 十 四 勒 (525) 知 本 祀 沢 ﹃ 右 同﹄ 十 六 勒 (525) 知 本 租 順 ﹃ 建 中 靖 国 続 燈 録﹄ 二 七 旙 (529) 陳 本 十 六 ノ 13 租 悟 ﹃ 右 同﹄ 二 七 旙 (529) 右 同 徳 欽 ﹃ 天 聖 広 燈 録﹄ 十 三 勒 (525) 知 本 円 機 ﹃ 右 同﹄ 二 十 勒 (525) 知 本 善 玉 ﹃ 善 見 毘 婆 沙 律﹄ 二 伯 (347) 中 本 円 妙 ﹃ 大 慈 恩 寺 三 蔵 法 師 伝﹄ 一 右 (465) 知 本 道 鵬 ﹃ 天 聖 広 燈 録﹄ 一-五、 七-十 実 (525) 知 本 広 了 他 ﹃ 大 慈 恩 寺 三 蔵 法 師 伝﹄ 十 右 (465) 知 本 智 覚 ﹃ 華 厳 合 論﹄ 三、 七 六 会 (583)、 弊 (590) 陳 本 十 六 の 7、 8 (157) 卓 十 五 娘 ﹃ 弘 明 集﹄ 十 一 墳 (475) 中 本 張 浄 本 ﹃ 善 見 毘 婆 沙 律﹄ 八 伯 (347) 中 本 同 ﹃ 一 切 経 音 義﹄ 十 一 納 (459) 中 本 張 妙 覚 ﹃ 大 般 若 経﹄ 巻 号 未 詳 弘 文 目 三 三、 五 五 頁 下 鄭 智 節 他 ﹃ 同﹄ 右 同 藩 師 文 他 ﹃ 大 唐 西 域 求 法 高 僧 伝﹄ 上、 下 通 (466) 宮 本 同 ﹃ 法 顕 伝﹄ 通 (466) 宮 本 林 齊 ﹃ 未 詳﹄ ﹃ 重 文﹄ 三 三 頁 林 丙 ﹃ 経 律 異 相﹄ 十 一 丙 (441) 竜 本 張 十 五 娘 ﹃ 天 聖 広 燈 録﹄ 二 十-三 十 碑 (526) 知 本 鄭 環 他 ﹃ 経 律 異 相﹄ 二 十 一-三 十 舎 (442) 知 本 黄 十 五 娘 ﹃ 天 聖 広 燈 録﹄ 十 五 勒 (525) 知 本 陳 九 娘 ﹃ 同﹄ 十 七 勒 (525) 知 本 劉 十 一 娘 ﹃ 天 聖 広 燈 録 都 鉄 目 録﹄ 実 (524) 知 本 同 ﹃ 黄 壁 断 際 輝 師 宛 陵 録﹄ 実 (524) 知 本 張 央 才 ﹃ 華 厳 経﹄ 三 二 愛 (113) 東 本 劉 妙 智 ﹃ 未 詳﹄ ﹃ 重 文﹄ 三 三 頁 ︹ 女 性 道 人 な る べ し ︺ 周 千 秋 他 ﹃ 華 厳 経﹄ 三 六 愛 (113) 東 本 (158) 開 元 版 最 先 刊 記 例 ﹃ 大 般 若 経﹄ 二 七 玄 ( 3) 知 本 ﹃華 厳 経﹄ 四 四 育 (114) 中 本 (159) 政 和 二 年 の 記 年 を 有 す る 刊 記 を 所 載 の 帖 本 繭 号 ﹃ 大 般 若 経﹄ 玄 ( 3)、 盈 (11)、 列 (15)、 李 (59) ﹃ 大 宝 積 経﹄ 竜 (73)-字 (84) ﹃ 華 厳 経﹄ 換 (110)、 章 (112)-首 (116) 宋 福 州 版 大 蔵 経 考 ( 三)