I 左京六条三坊十 四坪
1 検出遺構
調査地は 大安寺小学校 と道をへだてた西側の同校 校舎移転予定地の水田で、 東西80m、
南 北
40mの
範囲である。調査が始まる前にすでに2m近
い厚さの盛土造成が終 ってお り、奈良時 代の遺構面までの深 さ を考える と相当量の排 土処理が 必要であるため、予定地内の東北に よ せて、東西長50m、 南北幅10mの
発掘区を設定 した。 しか し、盛土が深かったため、実質的に 調査ができたのは、東西46m、 南北6mの
範囲である。盛上を除いた旧水 田面か ら遺構面まで は比較的浅 く、厚さ約0,2mの
水 田耕土 と床上の下に、奈良時代か ら中世までの遺物を含んだ 厚さ平均0,2mの
遺物包含層があ り、 これを除いた面で奈良時代の建物2、 平安時代末期の井 戸1、 土嫉3、 時期不粥の濤などを検出 した。遺構面は東で高 く、西で低 くなってお り、発掘 区内での比高差は約0.4mで
ある。遺構面の高低に反比例 して、遺物包合層は東ではきわめて うす く、反対に西へ行 くに したがって厚 くなっている。遺構面か ら下は、粘土・砂・砂利が混 在 した自然堆積層で、遺物を含まない。(1)掘
立柱建物発掘区内において掘形規模の異なる掘立柱柱穴31を検出した。そのほ とんどが整然 とした柱 列をなさないが、
2棟
の建物 (S B 1621・ S B 1622)が 復原できた。S B 1621は、発掘区西北隅で検出した掘立柱建物で、東西に並んだ 3ケ 所2間分の掘形を確 認 した。 この うち、中央の掘形規模は今回検出 した柱穴中ではもっとも大 きく、長辺1.3m、
短辺
lmの
長方形で、掘形中に円形の柱痕跡を残 し、柱痕跡の直径は25clllである。柱痕跡か ら 土師器・ 須恵器 。製塩土器が少量出土 した。柱間寸法は8尺
等間である。ただ し、東端の掘形 は西側 2ケ 所のそれに比 して規模が小さ く、 これを廂 とすれば、梁行2間で、東に廂のつ く南 北棟 と考え られ る。S B 1622は、発掘区中央南端で検出した掘立柱建物で、東西に並ぶ3間分、 4ケ 所の掘形を 確認 した。掘形は一辺
0,4m内
外の小規模なもので、直径15clllの柱痕跡がある。梁行2間
の身 舎の東に片廂のとりつ く南北棟 と考え られ る。柱間寸法は身舎が梁行2間8尺
等間、廂の出は7尺
である。S B 1622の柱痕跡か ら、土師器・須恵器・製塩土器の小片が少量出上 した。I
第2図 発 掘 遺 構
NA
Y=‑1,o00
│
‑2‑
(2)井
戸発掘 区中央北寄 りで、井戸 S E 1623を 検出 した。一辺
0.9m
の方形 の掘形 の中央 やや西に偏 って、底板を抜 いた曲物をお き、周囲に凝灰岩切石や大小の 自然石 をつめて裏込め として い る。曲物 は土圧に よってわずかに楕 円形 に歪 んでいるが、
も との直径は39clllと推定 され、底部か ら16.5clllの高 さまで残 っていた。深 さは遺構検 出面か ら底 まで
0.62mで
ぁるЬ埋土 中 か ら瓦器、土師器 、黒色土器 な どの土器類 と、軒丸瓦、凝灰 岩切石各1点が出土 した。凝灰岩切石は直角二等辺三角形 で 短辺22.5cm、 厚 さ18.6cIIlで、階段 の耳石下のはめ石 であろ う。また、裏込め として用 い られた ものの中に凝灰岩 の長方形切 石 が1点あ り、 これ らの凝灰岩 は本来、大安寺 で用 い られて いた ものである 多。井戸 の終末 は平安時代末期 である。
(3)土
壊発掘区東部 で土竣 S K1624・ S K1625。 S K1626を検 出 し た。いずれ も不整 円形 の浅 い もので、埋土 中には大小 の 自然 石 や瓦類、土器類が あ り、S K1624と S K1625では木灰や灰 も混 っていた。S K1624か ら土師器、黒色土器 、瓦器 、
SK
1625か ら瓦器 、
S K1626か
ら土師器、瓦器 が出土 し、平安時 代末期に属す る もの と考 え られ る。僻
)濤
発掘区 内で東西方 向あ るいは南北方 向の素掘 りの濤 を検 出 した。奈 良時代 に属す るものはな く、時期 も不 明である。
m
第 3図 S B1621柱穴
い 第4図 S E1623
□
1 黒 色 上 (耕 ■)
2 暗 灰 色 上
3 喘 樹色 ll質 上
4 黒 掘 色土
5地 山
0 5n 層
図
¬
、二
第 5図 南 壁 土
2
遺物
(1)土
器 (第6。 7図、図版7)
掘立柱建物S B 1621・ S B 1622、 井戸S E 1623、 土壊S K1624・ S K1625。 S K1626な どの 遺構や発掘区の全域に広がる包含層か ら、土師器、須恵器、黒色土器、灰釉陶器、緑釉陶器、
瓦器、製塩土器などの上器類が少量出上 した。 この うち、S B 1621・ S B 1622出土土器は奈良 時代後半に属 し、S E 1623。 S K1624・ S K1625。 S K1626出 土土器は平安時代末期に属す る
ものである。
S K1626出 土土器
土嫉S K 1626か ら土師器皿・ 甕、黒色土器椀が出土 した。
土師器皿
(1〜
3・6)に
は 口径10Cm前後の小型のもの(1〜 3)と
、 口径18Cm前後の大型 のもの(6)と
がある。小型品には 口縁部が強 く屈曲 し、端部を内側へ巻 きこんだ薄手のもの (1・3)と
、 日縁部が外反 し、端部の丸い厚手のもの(2)と
がある。大型品の口縁部は外 反す る。いずれ も底部内面をなで、 日縁部を横なで し、底部外面は調整 しない。1は日径 9,5Cm、 高 さ 1.5 cm。 2は 口 径 9,8 clll、 高 さ 1.l Clll。 3は 国 径 ■,OClll、 高 さ 1,4 CIll。 6は 口 径18.2
Clll、 高 さ2 clll。
土師器甕
(7)は
丸 い体部 と外反す る 国縁部 か らなる。 日縁部は外反 し、端部は内側へわず かに巻 きこんでい る。 口縁部 を横 なで、体部 内外面をなでて仕上げ る。外面 に煤が付着す る。口径18,4cm。
黒色土器 抗 (4・
5)は
平 らな底部 と大 き く開 く口縁部 か らな り、高台がつ く。底部 内面 に 放 射状 、 日縁部 の内外に水 平なヘ ラ磨 きがある。外面 のヘ ラ磨 きは粗い。高台は幅広 く低い。内面 が黒色を呈す る。4は 口径15.Oclll、 高 さ5.5 clll。 5は日径14.8cm。
S K1624出土土器
土壊S K1624か ら土師器皿・ 甕・ 羽釜、須恵器壷、黒色土器椀、灰釉陶器 椀・ 瓶 、瓦器 杭 が出土 した。
土師器皿
(8〜 10)に
は 口径10clll前後 の小型 の もの (3・9)と
、 口径15cmの やや大型 の も の (10)とが ある。 小型 品は 国縁部が強 く屈 曲 し、 端部を内側 へ巻 きこ んだ薄手 の ものであ る。大型 品は丸 い底部 と外反す る口縁部か らな り、端部は九 い。いずれ も底部内面をなで、 口 縁部 の内外 を横 なで し、底部外面 は調整 しない。8は口径8.6 crll、 高 さ1.5 clll。 9は口径10.4Clll、 高 さ1,OCm。 10は 口径14.8Cm、 高 さ約3 Clll。
土師器甕 (17〜
19)は
九い体部 と外反する日縁か らな り、日縁端部を 内側へ 巻 き こむもの (18)と、端部が上へ突出するもの (17・ 19)とがある。 口縁部を横なで、体部内外面をなで て調整 し、外面のなでの下にハケメを一部のこす ものが1例
(19)あ
る。17は国径25.Oc皿。18 ャょ口4≧26.Oclll。 19とよ口そ垂14.8cn。土師器羽釜
(16)は
甕の体部に鍔をめ ぐらしたもので、 口縁端部は内側へ巻 きこんでいる。口縁部 と鍔部を横なで、体部内外をなでて調整す る。 口径26.Oclll、 鍔部外径31.8Cm。
須恵器董
(22)は
肩部の直線的にはった体部 と直立す る短い 口縁部か らな り、肩部に耳がつ く。耳はヘ ラで削って面取 りしたもので、直径0.4CIIlの円孔があ く。 口径12,Ocm。‑4‑
2
淳
声≡ ≡ 琶 ≡ ≡ 琶
耳
Ξ ≡ ≡ 了 ≡ Ξ 夏
ミi18
第 6図
土器 (1〜3
JEttξ、 20。 21
=三 二=五
S K1626出土 土 器
学 =ニア 2
S K1624出土 土 器
+8
9
21 士下Tイ=¬ ―――‑4‑――一――――――望μm 6〜 10,16〜19 土師器 、4・ 5・ 11〜13 黒色土器、14・ 15 灰釉陶器、
22
須恵器)黒色上器 椀 (11〜
13)は
平 らな底部 と内弯す る 回縁部 か らな り、高台がつ く。 日縁端部には 外反す るもの (11)と、内弯す るもの (12・ 13)とが あ り、後者には端部 内側に沈線が1条め ぐる。 いずれ も内面が黒色を呈す る。 口縁部外面はヘ ラで削 って平滑に しあげている。器面 の 内外 をヘ ラで磨 くもの (12)と、内面のみ磨 くもの (13)、 ヘ ラ磨 きのない もの (11)とが あ る。11の 高台は うす く高い。■は 口径13.8CIIl、 高 さ5,7Cm。 12は 口径13.2clll。 13は口径15.2clll。なお、 このほかに内外面 とも黒色を した椀が ご く少量 ある。
灰釉陶器椀
(20)は
口縁部を一部内側へ折 りまげた輪花抗 で、 国縁部 の内外 に白緑色の釉が うす くかか っている。高台は断面三角形状を呈 し、底部 内面には重ね焼 きの痕跡 がの こる。 ロ 径19.2clll、 高 さ6.5 clll。灰釉陶器瓶
(21)は
肩 のは った丸 い体部 に24‐反す る長 い 口頸部 のつ くものであ る。体部 と口 頸部 の接合は一段構成 で、体部外面下半 をヘ ラで削 ってい る。外面全面 に濃 い緑色 の釉が あつくかか ってい る。ほ かに同形 の小型 品が1点あ る。
瓦器椀 (14・
15)は
内弩す る底部 と口縁部か らな り、高台がつ く。 口縁端部 内側には沈線 が 1条め ぐる。内面 の底部に ラセ ン状、 口縁部に水平方 向のヘ ラ磨 きがある。 口縁部外面 のヘ ラ 磨 きは粗 い。14は 回径15,2cm、 高 さ6.O cm。 15は 口径約1lCIll。SE1623出
土土器井戸 S E 1623か ら土師器皿・ 羽釜 、須恵器 甕 。高杯 、黒色土器 椀、灰釉 陶 器 椀、緑釉陶器椀 、瓦器椀・ 皿 が出土 した。 この うち、須恵器甕 。高杯、灰釉陶器椀 、緑釉陶 器椀 はいずれ も小片 で あ り、原形 はわ か らない。
土師器皿 (24〜
26)に
は 日径10Cm前 後 の小型 の もの (24・ 25)と、 口径14伽前後 のやや大型 の もの (26)とが ある。小型 品には 口縁部が強 く屈曲 し、端部が上へ突出す るもの (24)と、 口縁部が内弯 し、端部 の丸 い もの (25)とが ある。大型 品は丸みのある底 とハ反す る回縁部 か らな る。 いずれ も底部 内面 をなで、 口縁部 を横 なで し、底部ハ面 は調整 しない。24は 口径 9,4Clll、 高 さ1.8 clll。 25は 口径10.8cm、 高 さ2.l cal。 26は 日径13.6cm、 高 さ約3 Clll。
土師器羽釜
(29)は
体部 に鍔 のめ ぐるもので、 口縁部 は外反 し、端部 は内側 へ巻 きこんでい る。 日縁部 を横 なで、体部 の内外をなでて調整す る。 口径19,4Clll、 鍔部外径26.Ocm。瓦器椀 (27・
28)は
内弯す る 口縁部 を もち、端部 内側には沈線 が1条め ぐるёいずれ も 口縁 部 内面 を水平方 向に密 にヘ ラで磨 いてお り、底部 に ラセ ン状 のヘ ラ磨 きを施 した ものが1例ある (27)。
口縁部 の外面 には粗 いヘ ラ磨 きがあ り、外面 を3回のヘ ラ磨 きに よって一周 してい
るものが1例
(28)あ
る。27は 口径14.2clll、 高 さ約6 Clll。 28は 日径15.2cm、 高 さ約5.5 clll。瓦器皿
(23)は
平 らな底部 と外反す る短 い 口縁部 か らな り、端部 は丸 い。 口径10.OCIll、 高 さ 1.5cm。S B1621出土土器
掘立柱建物 S B 1621の 柱痕跡 か ら土師器皿 。椀 。董 。甕・ カマ ド、須恵器 杯・ 蓋・ 壷 、製 塩土器 が出土 した。
土師器皿
(35)は
平 らな底部 と外傾す る 口縁部か らな り、 日縁端部は内側に巻 き こ ん で い る。底部内面をなで、 口縁部を横 なで し、底部外面をヘ ラで削 る。 口径13.6Clll、 高 さ2.lcm。‑6‑
土師器椀
(34)は
外傾す る口縁部 の破片 で、内面を横 なで、外面 をヘ ラで削 って しあげてい る。 口径13.6clll。土師器甕
(36)は
丸 い体部 と外反す る日縁部 か らな り、 日縁端部はわず かに内側へ巻 きこん でい る。 口縁部を横 なで、体部 の内外をなでて調整 し、外面のなでの下にはかす かにハ ケメの 痕跡を残 している。 口径24.2c皿。上師器 董は薬重形 の壷の底部小片、 カマ ドはひ さしの下底部破片 である。
須恵器杯
(33)は
高台 のつ く底部破片 である。底部 にヘ ラ切 り痕 をの こす。須恵器 蓋 (30・
31)に
は平 らな頂部 と垂直な短 い縁部か らなるもの (30)と、平 らな頂部 と や や屈曲す る縁部か らなるもの (31)とが ある。前者には平 らな宝珠つ まみがつ き、外面全面 に緑色の 自然釉があつ くかか っている。30は 回径10.5clll、 高 さ2.5 clll。 31は 口径16.4Clll。製 塩土器 は胎土に多量 の砂粒 を含んだ粗製 のものである。小片 のため原形 はわか らない。
以上 の遺構以外 では、 S B 1622の 柱痕跡 か ら土師器 、須恵器 、製塩土器 が少量 出土 した。 ま た、包含層か ら緑釉陶器椀、灰釉陶器蓋の小片が出上 している。灰釉陶器 蓋は 口径4.4 CIIl、 縁 部 の高 さ0.5Cmの 小 さな蓋 で、外面全面に黄緑色 の釉があつ くかか っている (図 版7)。
S E1623出土 土器
て ≡ ≡
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こ こ 〓
723
\ ` く こ 正 三 と 二 /25
Ocn
S B1621出土土器
30 ヽ︱庁︑一一一一一一IIIT一一一一一々一々々″
iて コ正ア
こ
=≡
≡ ≡
=董
望 堅 里 里 ≧ Ⅲ31
\ \ 、 ̲̲̲̲̲̲̲― 上 ====‑35
第7図
土器 (24〜26・ 29・34〜
36
土師器、23・ 27・28
瓦器、30〜33
須恵器)‑7‑
(2)瓦 (第
8図、図版8)出土 の瓦類は ご く少量 で、九・ 平瓦数片、軒丸瓦2点、軒平瓦2点、導1点である。
1は内EXlに夜弁8弁蓮華文 をお く軒丸瓦 であ る。瓦 当厚は4,7 Clllであ る。 中房 は弁区 よ りや や低 い。蓮弁は反転を示 さず平板につ くる。間弁 は長 く伸 び、界線 の よ うに蓮弁を区画す る。
遺存状況は悪 いが、同型式の平城官所用瓦 (第8図
5)で
み る と外 区内縁に珠文 を、外縁に線 鋸歯文 をめ ぐらす。平城京 内で本型式に属す るものは羅城 門地域 の発掘調査 で出土 してい塚を 2は外 区にやや大ぶ りな珠文3個を残すだけの小片 である。珠文帯の外側に圏線を残すが、外 縁 を欠失 しているので鋸歯文 の有無はわか らない。3・ 4は同型式 の軒平瓦 で、均整唐草文を内区に飾 り、上外区に精 円珠文 、脇区 と下外区に 線 鋸歯文 をお く。大 官大寺 式 と称せ られ、大 官大寺 出土瓦 と同籠 である。
さて、 さきに軒九瓦1の同拍品が羅城門地域 で出土 してい ること、そ して これが平城官所用 瓦 と同飽関係にあることにかれた。羅城 門地域 では、朱雀大路 と九条大路 の交差点 の右京築地 西側 と、朱雀大路西側濤か ら瓦類が出土 した。今 回の調査 では、築地を検 出す ることはできな か ったが、東三坊大路沿 いで平城宮所用瓦 と同籠 の軒丸瓦が出上 してい ることは、それ らの瓦 が官営工房 で製作 された とい う点か ら考 えて、京 内造営に際 して官が関与 している部分 のあっ た ことを示す ものであろ う。
なお、参考 のため大安寺南門 。中門地区、講堂地区、東北僧房地区で奈良国立文化財研究所 が参加 した発掘調査 で出上 した奈 良時代 の主要 な軒瓦 の一覧表を掲げてお く (付 表)。
(註
)大
和郡山市教育委員会『平城京羅城門跡発掘調査報告(第1次 〜第3次発掘調査)』 1972年 3月
第8図 軒
‑8‑
(3)井
戸 曲物 (第9図)井戸 S E 1623の 井戸枠に用 い られていた ものである。
高 さ16.5clllまで残 る。底部 の遺存状況は よいが、上部 の傷みはひ どい。底板 はな く、側板 だけである。側板 は厚 さ 0,3 cmの 檜 の薄板を樺 とじした もので、内面に は1.5 clll間隔 の切 り込みが綻に入 ってい る。樺 の とじ 穴 は縦長 で、平均 寸法 は綻2.4 clll、 横l CIllである。側・
板底部 には底板を とめ るための木釘孔が上下
2段
にめ ぐってい る。上段 の孔はやや綻長 で、
綻0.5 clll、 横
0.4CIll、
下段 の孔 は正方形 で一辺0,3 clllである。木 釘
孔が
2段
に あるのは、最初の底板が破損 したのち、そ の上に再度底板を と りつけたためであ り、2度
目の底 板 が破損 したのちに丼戸枠に転用 した ものであろ う。0 20 cm
第 9図
井戸曲物
3ま と め
今 回の調査 区は、平城京左京六 条三坊十 四坪 で、東三坊大路 の西 側濤 と、十 四坪 の宅地遺 構 が想定 され る位置 にあた る。発掘調査 の結果 、東三坊大路の西次I濤は検 出で きなか ったが、奈 良時代末期 の遺構を検 出 し、大安寺 の西に隣接す るEXr域の利用状況をつかむ資料 を得 た。
遺構面 か ら下層 は、粘 土・ 砂・ 砂利が混在 してお り、 この一帯が古 くか ら河川流路にあた っ ていた ことが うかがえた。調査区東部に想定 された大路側濤 も、後世 の流路 のために破壊 され てお り、検 出できなか った。
奈 良時代 の掘立柱建物は、調査区北西隅 と、中央南端 で2棟分検 出 した。 S B 1621は 南側柱 2間のみであるが、柱掘形 は大 き く、柱 間寸法は
8尺
等 間で、東 に廂 を もつ南北棟 と考 え られ る。 S B 1622は 、東西の柱列を検 出 した。 これは南北棟建物 の北側柱列 で、身舎2間
、柱 間寸 法8尺
で、東に廂 (柱 間寸法7尺 )を
もつ。柱掘形 は S B 1621に 比 して小 さい。 これ ら2棟
の 建物 の柱痕跡 か ら奈良時代後半の上器類が出土 してい る。平安時代前期に属す る遺構 は、今 回の調査区では検 出 していない。
土壊 3・ 井戸1は、平安時代末期の遺構 である。出土 した土器類は、黒色土器 。土師器・ 瓦 器が主 で、数量的には土師器 が最 も多 い。 これ らをみ る と、黒色土器・ 瓦器 は椀で、土師器 は 少量 の甕 。羽釜 を除 いて、ほ とん どが皿 である。各遺構毎 の土器 類 の構成 をみ る と、黒色土器 と瓦器 との数量関係か ら、遺構に若千 の時期差が考 え られ る。S K1626は瓦器 を含 まず、最 も 古 く考 え られ る。 S E 1623と S K1624は黒色土器 と瓦器 を出土 してお り、その数量はS K1624 に黒色土器が多いのに対 して、 S E 1623は 瓦器 が多い。 この ことか ら、S K1624が先行す る可 能性が あ る。S K1625は黒色土器 を合 まず最 も新 し くお くことが で き よ う。
この一帯がいつ水 田 とな ったかはわか らないが、今 回の調査に よれば、奈 良時代か ら平安時 代末期 にわ た って宅地 として存続 していた ことは 明 らか であろ う。