津田秀夫文庫古文書目録(2)
著者 藪田 貫, 石本 倫子
雑誌名 関西大学博物館紀要
巻 10
ページ 57‑82
発行年 2004‑03‑31
URL http://hdl.handle.net/10112/12771
津田秀夫文庫古文書
H 録
平 野 含 翠 堂 な ら び に 土 橋 家 文 書 目 録 を 収 め た 目 録
( 1 )
につづいて︑
今回︑掲載する目録は︑摂津住吉郡桑津村︵現在大阪市東住吉区桑津町︶
桑津︵くわづ︶村は住吉郡の北端︑東成郡と隣接する位置にあり︑
天 王寺から平野・八尾•奈良にいたる奈良街道に出郷桑津新家をもつ。出 郷から南下すると本郷で︑
さらに南下すると北田辺•南田辺に至る。現 在では阿倍野・天王寺につづく市街地のなかにあり︑近接して
JR
関西本
線東部市場前、JR
阪和線美章園、近鉄南大阪線河堀口•北田辺の各駅が 市
街 地 化 が 進 ん だ 現 在 も な お
︑ 集 村 形 態 の 街 区 を よ く 残 し て い る が
︑ 明治十八年の仮製二万分―図には、北上する今川•平野川に添って環濠 に 囲 ま れ た 集 落 が 見 え
︑ 往 時
︑ 平 野 郷 な ど と な ら ん で 環 濠 集 落 で あ っ た こ と を 物 語 る
︒ こ の 環 濠 と い う 条 件 を 提 供 し た の は
︑ 付 け 替 え 以 前 の 大 和 川
︵ 平 野 川
︶ と 狭 山 池 か ら 発 す る 西 除 川 の 諸 流 で あ っ た が
︑ 宝 永 二 年
ある
︒
に関するものである︒
はしがき
︵一
七
0
四 ︶ と な っ た
︒ 平 野 川 の 水 量 が 減 り
︑ 新 大 和 川 に 横 断 さ れ 干 上 が っ た 西 除 川 の 跡 地 に は 富 田 新 田 が 開 発 さ れ た の で あ る
︒ こ れ ら の 景 観 の 変 化 に つ い ては︑絵図目録の項で︑詳述される︒
と﹁絵図目録﹂を収める︒
文書目録は︑
8商業•金融
桑 津 村 文 書 の う ち 第 一 に 注 目 す べ き は
︑ 文 禄 お よ び 延 宝 検 地 に 関 す る 文書である︒ 以下︑主だったものについて解説する︒
9
交 通
1 0
寺社1 1
家五七
l
法令
2
土地
3 戸
口 4
貢租5
村政
6
農業
7
用悪水
書目録﹂について概要を記し︑
ついで目録を掲載し︑後段に絵図の解説 目録はつぎのように︑﹁文書目録﹂と﹁絵図目録﹂からなる︒まず﹁文
( 2 )
文書目録について
の大和川付け替えは︑桑津村の村落景観を大きく変えること つぎの分類項目を立て︑編年にしたがって収めている︒
﹁欠郡住吉郷内桑津村御検地帳
文 禄 三 年
﹂ と 題 書 さ れ た 文 書
︵ 通 番
石 本 倫 子
藪 田
貰
﹁摂
津欠
郡﹂
四三石余である︒
︵か
けご
おり
︶
の表記をもち︑文書中︑最古のものである︒ 第二に︑土地台帳に関連して明暦二年名寄帳がある
︵通
番
4 5 )
︒これも
︱ 二
0
石を寄進︑徳川幕府からもひきつづき安堵された︒ 村の自然条件を物語っている︒ なっている︵これについては別途詳細に報告する予定︶︒
﹁摂州欠郡之内桑津村新帳
れたものと一緒に綴じられ︑
数が書かれた上で︑
るためであろう︒
慶安二年九月﹂と題さ
それぞれ紙数七九枚︑六二枚上紙二枚と紙
﹁右者検地帳写相違無御座候﹂とされ︑宝暦六年︵一
七五六︶︱︱︱月の年記と庄屋・年寄の署名が末尾に付いている︒
したがっ
て︑文禄と慶安の二度の検地ないし検地改の文書写であることはあきら
かであるが︑残念なことに検地筆数はわずかに三筆で︑
田畑の合計など検地帳の末尾記載に転じている︒
なお文禄一二年時の田畑内訳が︑
名寄帳の題名とおり︑多兵衛以下個人ごとに字︑ そのあとすぐに
それによれば文禄検地
高は五
0
七石九斗一升七合︑検地奉行は浅野弾正長政︒対する慶安新帳それは相給である堺妙国寺領分︵正保郷帳時︱
1 0
石余︶が省かれてい
田二
0
町六反四畝九歩に対し︑畠屋敷が二五町六反四畝二
O
歩と︑畠屋敷が多く︑大阪平野の丘陵部にある同田畠
の別
︑
が書かれ︑押印の上︑末尾に総計が記されている︒
地積
︑
石高
五三名の総合計は一
八六石四斗二升六合であるが︑村高の三七%に相当するこの石高が︑何
を意味するかは不明である︒最後尾に庄屋茂右衛門の名が見え︑持高は
第三に︑量としてまとまっているのは宗門改帳︵通番
1 0 S 1 6 )
であ
る︒
天保一︱︱年(‑八三二︶から文久二年キ(‑八六二︶の間の七冊がある︒宗
門改帳については︑大阪大学文学部日本史研究室に元禄五年以降のもの
が収蔵されており︑前.中期の宗門改帳は大阪大学に︑後期のものが津
田文庫に収められているようである︒家族はもちろん︑奉公人記載もあ
る良質のものである︒
関連する戸口資料として天和二年四月の
︵通
番
6 )
︒庄屋茂右衛門と年寄から代官平野藤次郎に提出されたもの
の控えで︑総人数四八六人︑総高一二九八石六斗三升三合︒明らかに幕府
領分のみの帳面である︒記載は当主名・押印と持高︑荒発高︑家屋敷の
規模
・棟
数︑
﹁所
生﹂
と記載され︑女房の
欄を追っていくと村内結婚と村外結婚の比率がわかるなど貴重な資料と
ところで桑津村は元和初年段階から大坂藩領︵のち元和五年[‑六一
九]から幕府領︑万治三年[‑六六
O J
大坂定番板倉重矩領︑
以降再び幕府領︑文化九年[‑八︱二]
に分かれ︑相給となっているが︑宗門改帳も︑
好実
休が
︑
つづき造作・建立が行われ︑
観を整えたという︒ 延宝年間
より小田原藩領︶と堺妙国寺領
それぞれ別々に仕立てら
れている︒堺妙国寺は日蓮宗の古刹︒京都頂妙寺の僧日洸に帰依した三
日洸の故郷堺で伽藍建立を企図して︑永禄八年(‑五六五︶︑
寺地を寄進したことにはじまる︒翌九年より寺地の整備が始まり︑
第四に︑貢租納入に関する文書が︑文政三年(‑八二
0 )
以降
ひき
天正十一年(‑五八三︶頃には︑壮大な寺
天正十三年豊臣秀吉は寺領として︑桑津村に朱印地
かな に人数が集計されている︒当村生まれには の方は︑三九八石六斗三升四合である︒
1 0
九石余の石高差があるが︑ついで家族の名前・年齢・出生地・奉公先が書かれ︑最後
4 )
は︑いまひとつ
る
﹁家
数人
別出
生帳
﹂
が一点あ
五八
に双方の関連資料が残ったと判断される︒ あとがき の住職覚心一件をはじめとして残されている︒ で
ある
︒
起き
てお
り︑
まとまった資料となっている
︵こ
れ
﹁貸
付帳
﹂︵
通番
6 0 )
など
りまとまってあるが︑寺領分の年貢徴収の実態が窺えるのもとして注目
このようなことから桑津村は近世を通じて︑支配関係は相給である︒
しかし宗門改帳などによれば差出人の村役人は︑幕府代官あても妙国寺
役所あても同名で︑村政機構は一本であったと思われる︒
第五
に︑
その村政機構をめぐって天明六年︵一七八六︶に村方騒動が
︵通
番
2 9 s 4 3 )
︒争論は助左衛
門の庄屋役復帰をめぐって︑村内が分裂︑争論が生じたことによるもの
第六に︑村内の知恩院末見性寺に関する文書も︑延宝八年︵一六八
0 )
さいごに本文書の性格について触れておきたい︒宗門改帳などに桑津
村庄屋として頻出する茂右衛門が︑本文書中の
に﹁日下氏﹂としていることから︑この桑津村文書は︑桑津村庄屋日下 家の伝来文書と規定することができるであろう︒幕府領と妙国寺領の相 給であるが︑村政機構が一本であったために︑世襲庄屋であった日下家 ただし同家文書には桑津村だけでなく︑住吉郡中の文書が若干︑所蔵
され
てい
る︒
それは︑大阪大学文学部日本史研究室所蔵の桑津村文書中 に収められている︑天明七年の明細帳.小入用帳・粗絵図である
については今井美紀﹁天明年間摂津綿作地帯の村況﹂﹃待兼山論叢﹄八 される︵通番
1 9 S 2 8 )
︒
る ︒ して感謝したい︒
五九
藪 田 貫
︶
︵カード整理されている︒村田路人氏の情報による︶︒した 一九七五に報告されている︶︒住吉郡中十四の村︑九の新田・請所の分がセットになったこれらの文書が︑どういう理由で日下家に残されたかは不明だが︑後述のように絵図中にも住吉郡中村絵図が残されている︒下家が郡中取締のような役職を勤めたかどうかは不明で︑今後の課題と
なお大阪大学文学部日本史研究室所蔵桑津村文書はまだ目録が作成さ
れていないが︑ 日
明治大学刑事博物館に収められた免状を中心とするもの
は︑﹃刑事博物館目録﹄第三号︵昭和二八年︶に掲載されている︒さらに
菊田太郎氏の収蔵資料で知られる守口文庫にも︑享保期の触留があると
のことである
がって桑津村︵旧日下家︶文書は︑津田文庫をはじめ四ヶ所に分かれて 所蔵されていることになる︒同家文書がいつどのようにして散逸したの か︑またどういう経路を経て津田文庫他の機関に収蔵されたのかは不明
である︒情報をお持ちの方がおられれば︑ご教示を乞う次第である︒
最後になったが、本目録も橋本猛•松本望両氏の助力を得ている。記
︵ こ の 項
本稿は平成十四年度学部共同研究費﹁日本・アジア・ヨーロッパ各地における歴史資料の保存と利用についての基礎的研究﹂による成果であ し
てお
きた
い︒
O
汁桑津村文書目録 1 . 法令 通番整理年月日 番号 1 14 延宝9酉.5. 2 44 安永8亥.8 3 28 天明6午.7
2 土地
通番整理年月日 番号 4 5 宝暦6子.3 5 24 年号なし3. 戸口
通番整理年月日 番号 6 18 天和2壬戌4 7 16 l宝暦13未.6. 8 129 l寛政3亥.文書名 覚(公儀法度その他) 桑津村惣百姓請書(強訴徒党逃散停止農業出 精致旨) 強訴徒党逃散之致間敷事二付百姓請印可致事 文書名 欠郡住吉郷内桑津村御検地帳(文禄3.8) 高反別 文名 摂州住吉郡桑津村家数人別出生帳桑津村 政三亥年改人別宗旨
作成者・差出人宛名形態員数備考 平藤次郎摂州住吉郡桑津村1貼付りはずれ、虫破 損あ 桑津村惣百姓治左衛門他123庄屋年寄中1 名連印 妙国寺宛名なし1 請印百姓連印 作成者・差出人宛名形態員数備考 桑津村庄屋平二郎他1名なし横帳1文禄3.8宝、慶暦安62 己丑.9、 子.3綴合せ 桑津村(力)なし折帖1虫破損(表紙) 作成・差出人宛名
1
形態l
員 桑津村庄屋右衛門他2名平野藤次郎様1表紙脱・(要貼 付) 桑津村庄屋右衛門他5名小堀馬様御役所 庄屋平左衛門名なし1TI虫破損ありl
冴・,
15 寛政12申.10 送り一札之事(引越)濃州石津郡馬飼村親喜右衛門宛名なし1綴合せ、包紙に 他2名「宗旨手形二枚」 15 寛政13酉.正.25 宗旨請合一札仏光寺御門跡院家光薗院役者誓桑津村庄屋助左衛門1との裏書あり 源寺 15 寛政13酉.正25包紙(引越送り状宗旨請合)1 10 6 天保3辰.3. 天保3辰年3月摂州住吉郡桑津村宗門御改帳桑津村年寄小左衛門他1名堂嶋寺社御奉行様横帳1 浄土真宗四冊之内 11 31 天保11庚子.3摂州住吉郡桑津村宗門御改帳(村控)摂州住吉郡桑津村庄屋小左衛門寺社奉行横帳1 他2名 12 3 弘化5戊申.3摂州住吉郡桑津村宗門御改帳村控摂州住吉郡桑津村庄屋太次郎寺社御奉行様横帳1 他1名 13 CD 1嘉永6丑3摂州住吉郡桑津村宗門御改帳摂州住吉郡桑津村年寄八郎右衛寺社御奉行様横帳1 門他1名 14 4 安政2卯.3摂州住吉郡桑津村宗門御改帳控年寄八郎右衛門他1名堂嶋寺社御奉行様横帳1 15 7 万延2酉3摂州住吉郡桑津村宗門御改帳控年寄八郎右衛門他2名堂嶋寺社御奉行様横帳1綴合せ 7 万延2酉3摂州住吉郡桑津村宗門人別寄帳控年寄八郎右衛門他2名堂嶋寺社御奉行様 16 2 文久2戌.3摂州住吉郡桑津村宗門御改帳控年寄八郎右衛門他2名堂嶋寺社御奉行様横帳1 17 ⑧ 2 明治4辛未.3宗門人別改五人組帳摂州住吉郡桑津村年寄伊兵衛大阪郡政局御役所横帳1 他1名4. 貢租
18 18 延享元覚(寛文元年ヨリ天和元年迄御免定引高書)桑津村庄屋茂右衛門他2名宛名なし1 19 58‑文政3辰文政二辰御年貢納方書物入1書物入袋 (1) 58‑文政3辰.11 寺領請所地下請年貢帳(地主茂右衛門)桑津村庄屋日下茂右衛門妙国寺様御役所竪帳1 (2) 58‑文政2卯卯年茂右衛門請所下請年貢算茂右衛門宛名なし竪帳1 (3)58‑文政3辰11覚(地所作徳上納請取)妙国寺役僧桑津村請主日下茂右衛1 (4) 門 58‑文政3辰12差上申請取書之事(御用銀利足辰年分)摂州住吉郡桑津村茂右衛門堂嶋御役所1 (5) 58‑(文政3)辰12.23 覚(年貢割合之事)次郎左衛門茂右衛門1 (6) 58‑年月日なし覚(年貢村給他)作成者不詳宛名なし1 (7) 58‑(文政3)辰.12. 21 覚(茂右衛門分亀之助分支配請取)吉兵衛茂右衛門1 (8). 58‑(文政3)辰12.22 覚(亀之助分茂右衛門分辰支配入用受取)兼帯庄屋次郎左衛門宛名なし1 (9) 58‑(文政3)辰1127 覚(年貢、利足、年貢掛ケ)吉兵衛茂右衛門1 (10) 58‑(文政3)辰.12. 22 覚(当辰村給割合他算用違之事)吉兵衛日下茂右衛門1 (11) 58‑(文政3)辰月日なし辰年御取米高(田方畑方とも)作成者不詳宛名なし2 (12) 58‑年月日なし辰石代御直段、平野直段作成者不詳宛名なし2 (13) 20 59‑文政5午文政5午御年貢納方書物入1書物入 (1) 59‑文政5午.11 寺領請所下請年貢帳桑津村請主日下茂右衛門妙国寺様御役所竪帳1 (2) 59‑文政5午.11 覚(地所作徳上納請取)妙国寺桑津村請主日下茂右衛1 (3) 門 59‑文政5午.12 差上申請取書之事(御用銀利足当午年分)摂州住吉郡桑津村平二郎堂嶋御役所1 (4) 59‑年月日なし覚(亀之介年貢銀他)作成者不詳宛名なし2 (5) 59‑(文政5)午.11. 24 覚(年貢銀算用之事)、石切他吉兵衛茂右衛門3 (6) 59‑年月日なし年貢利足(茂右衛門、亀之助、平二郎)作成者不詳宛名なし3 (7) 59‑(文政5)午.12. 22 覚(今川入用他5件井米役手形)(桑津出作亀平野郷惣会所宛名なし1 (8) 之介分)
l
l)ト
lll) ト
59‑文政5午.12. 18 石掛り(高石二壱匁二分打)桑津村亀之助惣会所宛名なし1 (9) 59‑文政5午摂津国御定直段作成者不詳宛名なし1 (10) 59‑年号なし(文政5カ). 11. 9 書状(_納銀取集通知)法善寺村大谷+助桑津村平二郎1 (11) 21 60‑文政8酉文政8年御年貢納方書物入1書物入 (1) 60‑文政8酉11御寺領請所下請年貢帳(控)桑津村請主日下茂右衛門妙国寺様御役所1 (2) 60‑文政8酉.11 覚(地所作徳上納請取)妙国寺桑津村請主日下茂右衛1 (3) 門 60‑(文政8酉). 10. 17 酉御年貢銀納通兼帯庄屋十助平二郎1 (4) 60‑(文政8)酉11.18 覚(御年貢取済)兼帯庄屋+助松三郎1 (5) 60‑文政8酉12.7 寺領御年貢請取北組桑津村利二郎年預役人執行役人宛名なし1 (6) 60‑年月日なし小田原領(田方畑方)寺領田畑石二付免作成者不詳宛名なし1 (7) 60‑年月日なし覚(年貢利足平二郎分亀之介分)新右衛門日下平二郎1 (8) 60‑(文政8)酉.11 覚(込公事料請取)北組町桑津利=郎1虫破損あり (9) 22 61‑文政9戌.11 文政9戌年11.御寺領請所下請年貢帳控桑津村請主日下茂右衛門妙国寺様御役所1 (2) 61‑文政9戌.11 覚(地所作徳上納請取)妙国寺桑津村請主日下茂右1 (3) 61‑文政9戌.12 差上申請取書之事摂州住吉郡桑津村平二郎堂嶋御役所l (4) 61‑文政9戌文政9戌御年貢銀上納通桑津村亀之助惣会所宛名なし1 (5) 61‑(文政9).11. 15 戌御年貢米銀納通兼帯庄屋十助平二郎1 (6) 61‑文政9戌文政9年戌御年貢之通年寄新左衛門日下茂右衛門1 (7)61‑(文政9)戌.12. 20 当戌御年貢皆済桑津村松二郎納南組小儀町宛名なし2 (8) 61‑(文政9)戌.12. 9 文政9年寺領御年貢皆済桑津村利二郎年預役人執行役人宛名なし1 (9) 61‑年月日なし覚(年貢利足収支)作成者不詳宛名なし1 (10) 61‑年月日なし覚(平二郎他3件収支)寺役人平二郎1 (11) 61‑年月日なし銀納相場書作成者不詳宛名なし3 (12) 61‑(文政9).11. 17 書状(当年取米皆無引高通知)元野新左衛門日下茂右衛門1 (13) 23 62‑文政10亥文政10年亥御年貢書物入1書物入 (1) 62‑文政10亥,, 文政10亥.11. 御寺領請所下請年貢帳控桑津村請主茂右衛門妙国寺様御役所竪帳1年貢帳に綴合せ (2) 62‑(日下)茂右衛門(元野)新左衛門1 (2) 62‑(3) 文政10亥.11 覚(地所作徳上納請取)妙国寺桑津村茂右衛門1 62‑(文政10)亥.12. 4 文政10亥年分通惣中御年貢皆済桑津村亀之惣中宛名なし1木印(且納平野郷 (4) 助弁町御年貢之事) 62‑文政10亥亥年御年貢之通(皆済銀)年寄新左衛門松二郎1 (5) 62‑(文政10)亥.10. 21 覚(亥御年貢不足相済)庄屋代権右衛門平二郎1 (6) 62‑文政10亥12.11 文政10亥年寺領御年貢皆済北組利二郎年預役人執行役人宛名なし1 (7) 62‑文政7申.12. 7 文政7申年寺領御年貢皆済桑津村利二郎年預役人執行役人宛名なし1 (8) 62‑文政10亥亥年御取米作成者不詳宛名なし1 (9) 62‑文政10亥亥年(銀納直段、口米、二分ー、十分ー)作成者不詳宛名なし1 (10) 62‑文政10亥亥年(田畑寺銀納直段)作成者不詳宛名なし1 (11) 匡汁
出冴 62‑文政10亥.12. 6 当亥御年貢皆済南組小儀町宛名なし1 (12) 62‑文政10亥.11. 17 亥御年貢銀納通(皆済)兼帯庄屋大谷+助平二郎1 (13)(14)紙繕 (13) 締ニー括 62‑文政10亥.月日なし文政10年亥御年貢之通(皆済)年寄新左衛門平二郎 (14) 24 63‑文政,, 子文政,, 年子御年貢書物入1書物入 (1) 63‑文政11子.11 文政11子.11御寺領請所下請年貢帳控桑津村請主茂右衛門妙国寺様御役所竪帳1年貢帳に綴合せ (2) 63‑茂右衛門御年番衆中1 (2) 63‑文政11子.11 覚(地所作徳上納請取)妙国寺l桑津村請主茂右衛門1 (3) 63‑文政,, 子., , 2 子御年貢銀納通兼帯庄屋大谷+助松二郎2 (4) 63‑文政11子.12 4 文政11子年之通(年貢銀皆済)桑津村亀之助惣中(惣会所印)宛名なし1木印(且納平野郷 (5) 弁町御年貢之事) 63‑文政11子.11. 19 文政11子御年貢之通(皆済)年寄藤蔵松二郎2 (6) 63‑文政11子子年御取米(米、二分ー、十分ー)作成者不詳宛名なし1 (7) 63‑文政,, 子12.17 覚(松二郎平二郎小入用銀相済)庄屋大谷+助松二郎1 (8) 63‑文政11子.11. 8 子年御取米二分—+分ー値段作成者不詳宛名なし1 (9) 63‑文政11子.12. 16 覚(松二郎、茂右衛門請所、平二郎利二郎小入年寄藤蔵松二郎l (10) 用銀受取) 63‑年月日なし請所小前年貢受取申候松二郎宛名なし1 (11) 63‑文政11子10.18 米五拾(高石持(御上様ヨリ御救米)米百六石弐斗四合作成者不詳宛名なし1 (12) 三勺ヨリ下作へ) 63‑文政,, 子., , 覚(公事用銀受取)北組町宛名なし1 (13) 63‑年月日なし小前年貢利銀受取松二郎宛名なし1 (14)
63‑文政11子.12. 16 文政11 子年寺領御年貢皆済桑津村利二郎 年預役人執行役人
宛名なし1 (15) 25 64‑文政12丑文政12
丑御年貢書物入
1書物入(1) 64‑文政12丑.11 文政12丑年11
月御寺領請所下請年貢帳控 桑津村請主茂右衛門 妙国寺様御役所
竪帳1 (2) 64‑茂右衛門御年番衆中1年貢帳に綴合せ
(2) 64‑文政12丑.11
覚(地所作徳上納請取)
妙国寺茂右衛門1 (3) 64‑文政12丑.11. 11
丑御年貢銀納通(手形—而請取相済)
兼帯庄屋南法善寺村大谷+助
松二郎1 (4) 64‑文政12丑.11. 11
丑御年貢銀納通(手形二而請取相済)
兼帯庄屋南法善寺村大谷+助
平二郎1 (5) 64‑文政12丑文政12
年丑寺領御年貢之通(皆済)
年寄新左衛門
平二郎1 (6) 64‑文政12丑.12. 11 文政12
丑年寺領御年貢皆済桑津村利二郎 年預役人執行役人
宛名なし1 (7) 64‑文政12丑文政12
丑年寺領御年貢皆済 年寄新左衛門
松二郎1 (8) 64‑文政12丑文政12
丑年御取箇米銀二分ー十分ー値段
作成者不詳宛名なし1 (9) 64‑年月日なし
摂州・河州口米二分ー十分一直段
作成者不詳宛名なし1 (10) 64‑年月日なし
廿一日掛ケ松二郎年貢利足廿一日掛ケ茂右
作成者不詳宛名なし2 (11) 衛門受所 64‑文政12丑.12. 19
覚(松二郎受所分平二郎)小入用受取
新左衛門
松二郎平二郎
1 (12) 64‑文政12丑.12. 19
覚(丑年村支配入用受取)
権右衛門
松二郎平二郎
1 (13) 64‑文政12丑,2. , ,
覚(御年貢不足分、御下利足、村方小入用請 兼帯庄屋大谷+助
松二郎1 (14) 取) 64‑年月日なし金四両弐朱差出人不詳平二郎1文意不明 (15) 26 65‑文政13寅文政13
寅御年貢書物入
1書物入(1) 汁汁
ct) ト
65‑文政13寅11文政13寅年,, 御寺領請所下請年貢帳桑津村請主茂右衛門妙国寺様御役所竪帳1 (2) 65‑茂右衛門御年寄衆中 (2) 65‑文政13寅11覚(地所作徳上納請取)妙国寺桑津村請主茂右衛門1 (3) 65‑年月日なし御私料寅年免刻(田方、畑方)寺領平均作成者不詳宛名なし1 (4) 65‑文政13寅寅年御年貢銀納通桑津村兼帯庄屋大谷+助松二郎1 (5) 65‑寅11.22 覚(年貢利足)作成者不詳日下松二郎1 (6) 65‑文政13寅文政13年寅御年貢通(利足)皆済年寄藤蔵松二郎1 (7) 65‑年号なし11.22 覚(年貢利足)作成者不詳宛名なし1 (8) 65‑文政13寅12.12 文政13寅年寺領御年貢皆済桑津村利二郎年預役人執行役人宛名なし1 (9) 65‑(文政13寅). 11. 11 摂州二分ー十分一直段作成者不詳宛名なし1 (10) 65‑(文政13寅). 11. 覚(当寅之年込公事料)北組町宛名なし1 (11) 65‑(文政13)とら年銀二拾壱匁米公事料北組帳宛名なし1 (12) 65‑(文政13寅)利足銀(廿_日掛ケ茂右衛門廿_日掛ケ松ニ作成者不詳宛名なし4 (13) 郎4日懸松三郎他1枚) 65‑文政13寅3.27 古河出人足掛(銀八匁二分五厘)桑津村亀之助惣会所宛名なし1 (14) 27 66‑天保2卯天保2年卯御年貢書物入1書物入 (1) 66‑天保2卯11天保2卯年11月御寺領請所下請年貢帳桑津村請主茂右衛門妙国寺様御役所竪帳1 (2) 66‑茂右衛門御年寄衆中 (2) 66‑天保2卯., , 覚(地所作徳上納請取)妙国寺桑津村請主茂右衛門1 (3)66‑年月日なし差上申請取書之事(端裏書請取書案文)摂州住吉郡桑津村松二郎堂嶋御役所1 (4) 66‑天保2卯.10 天保2卯10.御年貢銀上納通冨田新田桑津村茂右衛門1 (5) 66‑天保2卯当卯年直段(摂州二分ー十分一口米河内二作成者不詳宛名なし1 (6) 分—+分一口米) 66‑天保2卯.11. 15 卯御年貢請取通兼帯庄屋大谷+助松二郎1 (7) 66‑天保2卯.天保2年卯寺領御年貢之通皆済(松二郎納、新左衛門宛名なし1 (8) 茂右衛門受所) 66‑天保2卯12.7 天保2(小卯間年物寺屋領)御忠年兵貢衛皆)済(桑津村利二郎支年預役人執行役人宛名なし1 (9) 配人 66‑(天保2卯)田方畑方取銀高作成者不詳宛名なし3 (10) 66‑(天保2卯)田方畑方取銀高(上中田畑屋敷他)作成者不詳宛名なし1 (11) 66‑(天保2卯)覚(村寺請所)取銀高作成者不詳宛名なし1 (12) 66‑(天保2卯)田方畑方取高作成者不詳宛名なし2 (13) 66‑(天保2卯). 12. 2 覚(卯年込公料)(事脱力)北組町宛名なし1 (14) 66‑(天保2卯)枚廿日掛リ年貢利足(松二郎茂右衛門受所)他1作成者不詳宛名なし2 (15) 66‑(天保2)卯.12. 11 覚(村小入用請取)新左衛門松二郎平、受所1 (16) 28 67‑弘化3午弘化3年午御年貢書物入1書物入 (1) 67‑弘化丙午.11 弘化3年丙午御寺領請所下請年貢帳控桑津村請主茂右衛門妙国寺様御役所竪帳1 (2) 67‑当午御寺領請所下請年貢請取茂右衛門御寺領庄屋年寄衆中 (2) 67‑弘化3丙午.11 覚(地所作徳上納請取)妙国寺桑津村茂右衛門1 (3) 67‑弘化3丙午摂津国(二分一口米十分御一年直段貢)小田原領(石作成者不詳宛名なし1 (4) 代上々米直段)小田原領小入用他
>汁
~)ト 67‑弘化3丙午弘化二丙午寺領御年貢小入用他作成者不詳宛名なし1 (5) 67‑(弘化3)午.12. 23 覚(小入用請取)庄屋平重郎茂右衛門利二郎1 (6) 67‑(弘化3)午.12. 23 覚(年貢小入用受取)庄屋太次郎茂右衛門1 (7) 67‑(弘化3)午.12. 15 覚(御蔵入用請取)庄屋太次郎茂右衛門1 (8) 67‑(弘化3). 23 小入用請取(桑津村茂右衛門利二郎)桑津茂右衛門利二郎宛名なしl (9) 67‑(弘化3). 22 年貢銀利足(茂右衛門)作成者不詳宛名なし2 (10)
5 村政
29 26 天明6午.4. 27 乍恐口上(帰書役願))桑津村茂右衛門改名助左衛助左衛門妙国寺御役者中様1 門(端裏書下 30 19 天明6午.5乍恐口上(桑津村茂右衛門ヨリ改名助左衛門)帯桑津村助左衛門妙国寺御役者中1 刀御免窺之事 31 20 天明6午.6乍恐御請書(助左衛門帰役之儀承知之趣連印御寺領桑津村年寄善兵衛他14宛名なし1 之事)名(印) 32 21 天明6午6助左衛門帰役之儀不承知之趣連印之事九右衛門他24名(印)宛名なし1虫破損あり 33 36 天明6午.7乍恐御請書(庄屋助左衛門帰役不承知ながら御寺領桑津村百姓金兵衛他21名宛名なし1 承知請印仕候)連印 34 33 天明6午.8. 10 乍恐口上御下桑津村百姓利右衛門(利右衛利(奥右書衛)門他1名妙国寺御役者中1 門枠市松二付争論)地主勘左衛門他1名 35 22 天明6午.8. 25 乍恐口上(年寄善兵衛閉門御赦免願之事)桑津村庄屋助左衛門妙国寺御役者中1 36 31 天明6午.8. 26 乍恐口上御寺領桑津村年寄善蔵(庄屋助左衛桑津村年寄小左衛門妙国寺御役者中1 門帰役二付百姓不承知之争論二付年寄取締方(奥印)庄屋助左衛門 不行届之御詫之事)37 I⑭ 17 年号なし.6. 9 助左衛門帰役承知不承知双方之名前印形差出堺妙国寺役者(印)領分桑津村庄屋助左衛1 (天明6年力) 旨之趣意書(包紙)桑津村妙国寺領庄屋年寄門他1名 38 34 年号なし午.7. 27 乍恐口上御下桑津村百姓杢兵衛同枠源兵衛杢兵衛他5名(奥書)庄屋助左妙国寺御役者中1 (助左衛門庄屋帰役不承知争論)衛門 39 23 年月日なし覚書(承知人数、不承知人数寺領高所持御料作成者不詳宛名なし1虫破損あり 百姓弐拾人人寺方共) 40 28 年月日なし御料屋敷二住居いたし候寺領百姓名寄作成者不詳宛名なし1趣意不詳検討の 事 41 24 年月日なし百姓名前高書付作成者不詳宛名なし 42 25 年月日なし御乱順(御寺領御料百姓名前書上)持屋敷地主の別 註記 43 30 年月日なし不承知作成者不詳宛名なし1 CM)と関ー連21文、書(M)‑カ23 44 20 年月日なし乍恐以書附ヲ奉御願候摂州住吉郡桑津村願人茂右衛門宛名なし1文書後半部分欠 他8名如
6. 農業
45 5 明暦2丙申.11 摂州欠郡之内桑津村名寄帳横帳1 46 ⑥ 1天明6午.12. 19 ー札(大豆作手入賃金請取)富田新田惣七桑津村助左衛門1 47 8 文化14丑.9当丑秋立毛耕地限帳摂州住吉郡桑津村桑津村百姓代林七堂嶋御役所竪帳1 48 13 天保2卯.6質物二差入申御田畑之事西川村質主彦二郎他2名桑津村松二郎1 13 天保2卯.6小作請負証文之事西川村質主彦三郎他1名桑津村松三郎 49 ⑲ 24 天保2卯.7居宅土蔵門納屋質物証文之事奥印西川村質主彦二郎他2名桑津村松二郎1Orr
l
合7. 用水
50 【33】貞享4卯.8貞享4年卯8月摂州住吉郡桑津村樋百嶋溜池桑津村庄屋茂右衛門他3名御奉行様横帳1虫破損あり 2 北田辺桑津立合樋御普請願帳 51 4 貞享4T卯.11 摂州住吉郡桑津村樋百嶋溜池桑津北田辺立合作成者なし宛名なし横帳1冊、1 樋御普請願帳、覚(松伏樋道具)枚 52 12 正徳3巳6乍恐返答書を以言上仕候(六反村用水樋潰二六反村庄屋源右衛門中村甚五右衛門他1名1虫破損あり 付井堰築上ケ之事) 53 19 元文3午.6元文3年午6月川下猪飼野、岡、木野村領砂浚作成者不詳御裁判所箱訴横帳1 覚 54 14 延享4卯7乍恐以書付御願奉申上候(新大和川筋堤用水青池井手口東浦榎木待手五ヶ所奉行所1追而書あり(堺奉 樋之事)立合樋惣代河州志紀郡柏原村庄行所) 屋次右衛門他9名8 商業・金融
55 ⑪ 87 延宝8庚申.7 5 乍恐口上書を以申上候(堺妙国寺江銀子合拾摂州住吉郡桑津村百姓介左衛門堀内新六1 六貫返済催促願)他2名 56 112 延宝8庚申.7. 5 堺妙国寺江肝煎銀勘定帳他摂州住吉郡桑津村百姓介右衛門堀内新六1 他2名 57 5 享和2戌10差上申ー札之事東町奉行所宛(江戸入津酒造妙國寺用達井筒屋東兵衛桑津村御役人1 商届) 58 27‑天保6未.正.21 乍恐奉願上候(端裏書天保6正月家質物願出摂州住吉郡桑津村松三郎他1名丹南御役所1 (1) 書付控) 27‑天保6未.正19右願書之添翰桑津村松三郎他1名堂嶋御役所1 (2) 59 55 天保15甲辰正貸附銀覚帳作成者不詳宛名なし竪帳1 (桑津村関連力) 60,
元治2乙丑.1 元治2年乙丑正月吉日貸附帳日下氏宛名なし竪帳19 交通
61 75‑元治元子.9. 24 覚(御手船入用高請取)川口御用所日下茂右衛門1 (5) 75‑年月日なし覚(東在方世話方取替銀差引勘定)作成者不詳宛名なし1 (6) 75‑年月日なし覚(金九両二歩他金子受取)為田五右衛門宛名なし1 (7) 75‑年月日なし覚(寄進高差引勘定)作成者不詳宛名なし1 (8) 75‑年号なし丑.2. 22 覚(御手船惣入用内訳東在世話方取替分内作成者不詳宛名なし1 (9) 訳)10. 寺社
62 17 寛文10戌.5. 4 乍恐返答(本山知恩院よりの問責に対する返桑津村見生寺欣誉井一願知恩院御役者中1 答) 63 42 延宝8庚申.2. 12 桑津村見生寺住持代々井覚心不届之条々作成者不詳宛名なし1 64 29 延宝8庚申.2口上書(本堂庫裏新造作之願)浄土宗地恩院末寺摂州欠郡桑津大坂御奉行1虫破損あり 村見生寺信誉判他4名 65 14 延宝8申.7. 12 乍恐御訴訟(桑津村見生寺借銀返済)うえ本町橋詰町永木喜兵衛他1御奉行様1 虫破損あり 4名 66 10 延宝8申.8乍恐口上書を以申上候(見生寺後住覚心借財桑津村庄屋介左衛門他4名御奉行所1 取扱処分之事) 67 16 延宝8申.8乍恐口上書を以申上候(見生寺先住欣誉追放、桑津村庄屋助左衛門他4名御奉行様1虫破損あり 後住覚心借銀埒明之事) 68 35 延宝8申.8口上書之覚(見生寺住覚心借鍛之事)作成者不詳御奉行1貼付はずれ、虫破 損あり 69 【36】延宝8庚申.8乍恐差上申口上書之覚(桑津村見生寺看主覚作成者不詳宛名なし1 14 心不埒之事他) 70 32 貞享元子.7. 6 乍恐口上書(見生寺住寺恵秀与之争論、内済作成者不詳宛名なし1 之事) 71 30 宝暦3酉正乍恐奉願上候口上書(西之坊大破二付桑津村同村年寄平兵衛他3名御奉行所1虫破損あり貼付は 屋敷地へ引授ケ候事)ずれl lct
l l l
合 72 7 宝暦6子.3. 12 光琳寺本堂屋弥葦替御願摂州住吉郡桑津村光琳寺看坊隆御奉行様横帳1冊、1京都角所倉宛輿一様 正他2名枚御役 73 【33】安永3午.5. 12 請取申銀子之事桑津村見性寺先住倫誉他1名祐蔵1 37 (奥印)見性寺当住仰誉 74 2 寛政2戌3.16 恐(ママ)恐口上(四万五千日図向法事、建札、摂州住吉郡桑津村浄土宗見性寺小堀縫殿御役所1ズ要修レ)理(のり付ハ 仮屋取撓)庄屋助左衛門 75 11 年月日記入なし乍恐口上書を以申上候(上記文書と同様の文差出人名記入なし欠落1後半部欠落 書) 76 3 年月日なし当村見生寺何角覚摂州住吉郡桑津村宛名なし横帳1 77 41 年月日なし乍恐差上申口上書之事(摂州桑津村見生寺覚作成者不詳宛名なし1 心不届之条々)11. 家
78 15 年号なし正18書状(妙国寺印形調印之上御書付差出可被下播磨屋十五郎桑津村御庄屋茂右衛門1 候事) 79 25 年号なし12.26 妙国寺役者よりの差紙(桑津村庄屋助左衛門・妙国寺役者桑津村寺領庄屋助左衛1包紙とも 年寄中出頭之事)門他2名 80 26 年号なし.9. 晦書状(堺出会名寄帳免割帳ニッキ打合之事)原田利助日下茂右衛門 81 27 年号なし10.15 書状(病気二付明日不参)藤本与右衛門日下茂右衛門1 82 37 慶応4.3 仁和寺参入之事被任請畢向後幾久眠近有之旨吉田陸奥守他1名摂州住吉郡桑津村日下折紙1包紙あり 沙汰状茂右衛門では全体的な特徴を考慮して︑一般図として①概観図︑主題図としては ことが分かる いる情報から︑ もよく残っている︒一般に近世の絵図は描かれている領域によって︑国 はじめに
S 時期と内容分類 S
桑津村文書に残された絵図は総数五八点で︑年記の分かるもので最古
は元文元年(‑七三六︶︑最新が享和四年(‑八
0
四 ︶ 紀のものである︒保存状態は大変よく︑虫害による破損も少なく︑彩色 絵図︑郡絵図︑村絵図に大別されるが︑この絵図群は主として桑津村を
中心にした村絵図である︒桑津村の属する住吉郡域を描いた︑
郡絵図が若干ある︒
絵図の多くは年記がなく︑ で︑大半は十八世
いわゆる
正確な作成年代は分からないが︑描かれて ある程度の時期区分は可能である︒絵図に記載されてい
る石高からは延宝検地の前後を判断できる︒また川の流路と新田からは︑
大和川付替の前後が分かるのである︒この村高と川の流路から︑延宝検 地以前をA︑延宝検地から大和川付替までをB︑大和川付替以後を
C
とする︒この時期区分から︑大部分の絵図が大和川付替以後のものである
︵目
録参
照︶
︒
近世の絵図は︑その内容にしたがえば︑村の全般的な概況を示した一
般図と︑特定の目的によって作成された主題図とに分けられる︒絵図は︑
その範囲・時期・内容など様々な指標によって分類することが可能であ
り︑絵図群全体の傾向や偏差などからも分類方法は異なってくる︒
②所領分布図︑③耕地見取図︑④水利関係図
それ
は絵図に描かれた地域の社会的な状況も反映しているといえよう︒ここ
の四つに大別した︒桑津 る
村の
中心
は
﹁小
竹藪
﹂
で二重に囲まれた環濠集落であ
て間
違い
ない
︒
村の絵図群は︑
絵図の作成契機は検地︑領地替え︑新田開発︑普請︑境界設定︑争論︑
役人の巡見などであり︑桑津村の場合も例にもれず︑検地や普請争論︑
そして役人の巡見に際して作成されたことが︑絵図の表題や端裏書から 分かる︒最初に︑村の概況を総合的に記載した絵図から︑桑津村の基本
的な情報を読みとってみたい︒これらの絵図が︑
まず1と
2
以後の絵図のベースマに︑住吉郡の文禄検地は文禄三年(‑五九四︶に実施され︑検地奉行は 浅野弾正長吉であった︒この二点には︑文禄検地︵古検︶段階の村高や
情報が記載されているが︑
流路から︑文禄検地以後ー大和川付替以前の情報が描かれていると考え
﹁居
村﹂
﹁堀
﹂﹁
渕﹂
正確な作成年代は不明である︒
と
で︑家数は1
には
六七
軒
蓮寺の境内地が除地とされ︑ ただ︑河川の
2
には六五軒とある︒八幡宮・金さらに環濠の北西に接して天神宮︑
隣に見性寺が除地として描かれている︒
︵目録番号︑以下同じ︶
そのほか村内の宗教施設として である︒これらの絵図にあるよう ップとしての役割を果たしていたと考えられる︒
一︑概観図にみる村況と特徴
以下︑この分類に従って見ていきたい︒ 利関係図が多いのが特色である︒ 一般図である①概観図が少なく︑その北
主題図のなかでも④水
七四
﹁桑
津新
家﹂
数や建物をあまり反映していないようである︒ただし唯一
3
では
新家﹂内に描かれている人家が新家集落内を横断する大和海道の両側に 向かい合って並んでおり︑これは実際の家屋の方向性を示しているもの
﹁桑
津
居村も丁寧に描かれているなど︑多くの情報を含んでいる︒ 建築物としては人家︑寺社︑祠堂︑鳥居郷蔵がある︒人家は﹁居村﹂ ない︒樹木は宗教施設内に描かれているのみである︒
1 3
は彩色も美しく丁寧に仕上げられ︑ の︑この絵図が小字の位置を最もよく描写している︒村領﹂︑南側は﹁北田辺村領﹂と表記されている︒村領
﹂
である︒周辺地域に関しては東側が
所領や耕地の状況は記載されていない︒村の北境には
﹁桑津新家﹂が
は墓
野神︑六斎塚が見られ︑
また赤塚大塚錨子山の古墳も描かれ 用水施設については︑桑津村・北田辺村・南田辺村の相合池︵共同管
理池
︶ である百嶋池からの用水井路︑悪水井路堤橋のほか︑樋に関
しては長さや番号
( 2
のみ︶が付されている︒用水施設については︑後述するように水利関係図とほぼ同等の情報量が描かれており︑その傾向
は所領分布図や耕地見取図でも見られることから︑当該地域における水
居村
の外
側は
︑
2
には﹁田畑日損場﹂﹁田畑旱損場﹂とあるが︑詳細な﹁林寺村新家﹂と隣接しており︑そこを横断する大和海道の北側が﹁林寺
﹁平
野庄
領﹂
︑
つぎに絵図群の表現上の特徴をみてみよう︒
に平地であったためでもあるが︑ 西側は﹁天王寺
ほとんどの絵図は上が南
下が北となっている︒他地域の村絵図と比較して最初に気付くのは︑立 体感に乏しく平面的であることである︒これは桑津村周辺の地形が実際
それを度外視しても絵画的な要素が少
の内部にのみ描かれているが︑記号化されていて︑実際の家 利問題の重要性が示唆されている︒ て
いる
︒
として注目される︒
二︑所領分布図が示す相給状況と新田開発
七 五
﹁ 寺つぎに所領分けを主眼とした絵図類が挙げられる︒これらの絵図では 村の情報は必要最低限にされ︑何よりも所領の相給状況が一目で分かる ように︑カラフルに色分けされているのが特徴である︒桑津村の相給関 係といえば︑幕府領と堺妙国寺領の入組が絵図に見られる基本的形態で
ある
︒
1 1 は妙国寺領の分布状況がよく分かるものである︒寺領には
領西ノ辻廿五番ヨリ廿六番迄﹂
され
てい
る︒
あっ
た︒
二入
組﹂
︵幕
府領
︶
があ
る︒
というふうに︑該当する小字と地番が記 また﹁居村﹂と表記される集落の内側にも︑寺領が三ヶ所 小字の記載に関しては︑明確な境界線こそ描かれていないもの
﹁高百弐拾石堺妙国寺本田畑之内
とされている︒絵図では寺領そのものは区別されず︑本田畑
への弥重寺新田の分布が描かれている︒これも先の
1 1 に類似し
て新田に地番が付されている︒
の部分にも番数が付けられており︑付替からさほど遅くない時期に作成
されたものと推定される︒ また大和川付替によって生じた﹁川床引﹂
1 0 は幕府領︑寺領︑新田
色分けされているほかに︑道︑悪水井路︑樋普請所︑ 川床︵川欠場︶が
戸関
樋普
請所
︑ それは先述した郡絵図に分類されうる
1 5 S 2 1
で堤 ところで︑明らかに所領分布図とはされないものの注目すべき絵図群
一見道中図