既存概念の揺動 : 『ヴェニスの商人』における Jessicaの役割
著者 山本 圭子
雑誌名 主流
号 58
ページ 1‑15
発行年 1997‑03‑10
権利 同志社大学英文学会
URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000015126
既存概念の揺動
‑ y
ヴェニスの商人Jにおける Jessicaの役割一一山 本 圭 子
序
ユダヤ人高利貸しShylockの一人娘Jessicaはタ何かと論議の多い父親に 比ベヲ一義的かっ稀少な評価しか与えられてこなかった。その最も代表的な 見解は,彼女の存在をnegativevalueとして捉えるものであるa そこでは主 にJessicaを負の存在として位置付けるべく,彼女の軽薄さ,放蒋さ,不道 揺さが浮き彫りにされているしかしp 一方ではそれらに対する反論も存 在し, Jessicaの肯定的な属性に焦点が当てられでもいる例えばCamille Slightsはタ観客のJessicaに対する好意的な反応を強調することによって 彼女の問題性を弁護しようと試みているこの試みi,::;J Por低aの 「光」に 対する Jessicaの「影」という従来の二項対立的な考え4に挑戦していると いう点において画期的である.しかし, SlightsもまたJessicaの持つ負の 要 素 を 否 定 す る こ と は で き ず , 観 客 が 彼 女 に 対 し て 愛 憎 併 せ 持 つ (ambivalent (361)である)ことを認めている為,当初の目的である Jessicaの弁護が果たせずじまいに終わっている感は否めない.
これらの見解は, Jessicaの中に負の側面のみを見い出すことが不当で、あ ることを示すと同時に9 彼女が完全に弁護されうるほど肯定的な人物ではな いことをも示している.このジレンマ[え物事を善か悪かに分ける二者択一 の考え方ではJessicaを十分に捉えられないことを示唆しているように思わ れる。そこで本稿では,第一章において,まずJessica自身にどのような特 質が認められるのかを再検討しながら彼女の両義性を確認し,第二章におい
て,彼女が他の登場人物の両義性を暴く役割を担っていることを明らかにす る.そして最終章では,彼女がこの劇全体の中でどのような役割を果たして いるのかを考え,彼女のambivalenceの原因を探る手掛かりとしたい.
Jessicaの特質を見極めるに際し,まず他の登場人物による彼女の評価を 検討したい。 Jessicaについての評価を下す最初の人物はJessicaの下僕 Launcelot GDbboである.彼はShylockの家を逃げ出す際,彼女に対して次 のように別れを述べている。
Adieu' tears exhibit my tungue, most beauti:ful pagan, most sweet Jew!
‑ if a Christian do not play the knave and get thee
,
1 am much deceivede e ,0 (n. iii. 10‑12)ここでは二つの要素,すなわち彼女の宗教的立場と個人的資質が強調されて いる. mostbeautiful pagan" most sweet Jew"という言葉が,彼女が社会 的には拒否される存在でありながら,人間的には人を惹きつける魅力に富ん だ存在であることを示しているのである.いわば0勾 四oronともいえるこれ らの言葉は, Jessicaに帰属する正負両面を同時に打ち出すことにより,彼 女のambivalenceをほのめかしているのである@
それに比べ, Jessicaの恋人Lorenzoによる彼女の評は明らかに好意的で ある.
For she is wiseうifIcanjudge ofher, And fair she isヲifthat mine eyes be佐ue,
And廿ueshe is
,
as she hath prov' d herself: (n . vii. 53‑5)ここでもまた, Jessicaが人間としての美徳を備えていることが示されてい る.彼女の美徳に関するこれらの証言は,一見Jessicaを「善人」と決定す るに十分であるようにみえる.ユダヤ人の娘として生まれたことは彼女の責 任ではなく,今のところ,彼女の欠点はそこにしか見られないからである.
しかし,これらの好意的な評価も観客にとっては甚だ心もとない情報にしか なりえない.なぜなら, Launcelotは平気で言葉を誤用し父親をからかう お調子者であり, Lorenzoに至ってはJessi聞に恋をしている「盲目」状態 であるからである.
このように, Jessicaに対する評価が定まらぬまま,観客は次に彼女に関 する良からぬ評判を耳にすることになる。
Your daughter spent in Genoa,部1heard, one night, fourscore ducats. (皿.i. 9~ゆ)
One of them showed me a ring that he had of your daughter for a monkey.
C i l l .
i. 10ふ9)これらはShylockの同胞Tubalが取引所で聞いてきたという噂である。こ こではJessicaの人種ではなく,彼女自身の放恋さが問題となっている。こ れは,これまでのJessicaに対する好意的な情報を覆えすに十分な記述であ り,彼女の俗悪さを指摘する批評家の多くがその根拠として取り上げる部分 である.しかし,これらの描写はTubalが実際に見たものではなく人づて にきいたものであるから,根も葉もない噂である可能性も十分考えられる.
さらに,それが嘘か真かを確かめるいかなる術も観客には与えられていない.
ここでもまた,極めて不確かなレベルでしか評価が下されていないのであ る.
このように,他の登場人物による Jessicaの評価は, 一方では良く他方で は悪くなされていながら,そのいずれもが疑わしいという不安定な状態のま
ま終わっている為.Jessicaの人物像を決定づけるための十分な情報となっ てはいないのである.
そこで、新たな指針となるのが彼女自身の言動である.ここで注目したいの は,それが彼女の善意を明示して観客の好意を引き出していると同時に,彼 女を取り巻く環境が反道徳的であることをも示して,その好意を不確かなも のにしているという点である.その良い例として駆け落ち事件が挙げられる.
彼女が父親を裏切ろうという気持ちから駆け落ちをしたのでないことは次の 台詞より明らかである. 'Alack,what heinous sin is it也me/ to be ashamed ωbe myfa出町、child!円 (n.iu. 16‑7)この思いは,彼女が父親に対して完 全には不実でないこと,また彼女のLorenzoに対する想いが誠実なもので あることを表わしている.しかし,彼女がその想いを遂行するには,同時に 父への欺きという不誠実な行動をとらねばならない.いわば, Jessicaの誠 実は不誠実を犯して初めて達成されるのである.悪を伴わずには善を行えな いという不条理な環境と,あくまでも自分の気持ちに正直であろうとする彼 女の行動とのズレが,彼女に実と不実を同時に行わせているのである.
このような環境と心境とのズレは, Jessicaがキリスト教徒の仲間入りを 果たした後にさえも見られる.五幕一場の冒頭に, Portiaの留守を預かった LorenzoとJessicaが愛を語り合う部分がある.その調べはこの劇の中でも 特に持情的で美しし彼等二人の幸福に満ちた心の内を表わすにふさわしい 場面を作り出している.実際,この部分は,すぐ後に展開する大団円すなわ ち調和の前兆として捉えられている箇所でもある
しかし,調和を象徴する一方で,この場面はLorenzoとJessica二人の不 調和な立場を示唆する働きも担っている.この場面のすぐ手前では,人肉裁 判でPortiaが決定的勝利を収め,人々を大いに沸かせたばかりである.し かし,主要登場人物および観客が享受したこの一大クライマックスについて,
彼等二人は何も知らない。裁判のシーンを経験しておらず,自分たちの恋愛 にのみ熱中しているという点で,彼等は他の登場人物から遊離した存在なの
である.それでも,音楽のもたらす sweet har祖 ony" (V. i. 57) 7を理解 し,それに身をゆだね,未知の土地 Belmontに自然に溶け込んでいる Lorenzoには調和の可能性が感じられる.しかし,音楽の素晴しさを説く彼 に対するJessicaの言葉は, "1 arn never merry when 1 hear sweet music."
(68)というものである.この一言は,彼女が実はまだBelmontという土地 にも, Christianの共同体にも,そして恋人Lorenzoにもうまく調和できて いないことを示唆している.Shylockの家という閉ざされたユダヤ教社会に いた時には,キリスト教社会に調和するかに見えた彼女も,いざキリスト教 社会に入ると不調和な存在にしかなりえない.そして,この台詞が劇中にお ける彼女の最後の言葉となっている為,彼女の不調和な立場は,否定される ことなく観客の心にとどまることになるのである.
与えられた環境ばかりでなく, Jessicaが周りに与える景タ響もまた彼女の 意図と一致していない.再び駆け落ち事件であるが,先述の通り, Jessica は駆け落ちの行く末に不幸ではなく幸福を求めている.ところが,彼女の駆 け落ちは,大きな不幸をShylockにもたらすどころかAntonioにまで及ぼ す結果となるのである.娘の裏切りによって非常な悲しみに見舞われた Shylockが,残酷さをますます増長させ,その矛先をAntonioに向けるため である.Shylockの怒りを沈めてしかるべき立場にいながら, Jessicaは逆 に彼の中に存在したかもしれない慈悲心を完全に追放する行為に出,心なら ずも周りの人々に不幸をもたらしていくのである.
ところが9 この同じ事件も劇全体の展開から見れは幸福のー要因となっ てもいる.なぜ、なら, Jessicaの裏切りは,裁判官Portiaの,ひいては被告 人Antonioの勝利に貢献しでもいるからである.Jessicaの駆け落ちは,
Shylockを怒りと復讐心に燃え上がらせると同時に彼の理性を失わせもす る.この理性の喪失が,彼をしていかなる進言をも無視せしめ,強引に「証 文通り j の判決をと言わしめる (N.i. 202‑4).冷静さを失って放ったこの 言葉こそが,彼を敗北に向かわせるものとなるである.というのも, Portia
の勝利は法による勝利というよりは,読弁による勝利だからである 8
r
証文通り j という言葉の意味をすり替えることによって勝利を得た彼女の理論 は,あくまでも「証文」に固執する Shylockにのみ有効なのであって,かつ ての理性と狭滑さを備えた彼ならば陥るはずのない類のものである.一番の 武器である頼るべき理性を失い,こみあげる情念に支配されたことが彼の最 大の敗因である.Jessicaの駆け落ちは, Shylockの残忍さを増して事態の 悪化を招く反面,彼の理性を失わせて事態の好転を招くという二面性をはら んでいるのである.
Jessica自身を善か悪かの範障に入れることが難しいのは,以上見てきた ように,彼女の中に表裏両面の価値が常に共存しているからである.しかし,
ここに表われる Jessicaの両義性は,彼女の疎まれるべき側面を観客に十分 印象づけるものとは言い難い.なぜ、なら,彼女に属する負の価値は,常に環 境との関わりによって生ずるものであって,彼女自身の性格が原因となって いるわけではないからである.とすると,観客が彼女に対してambiva1ent な感情を抱くのは,彼女自身の存在が両義的であるということばかりに由来 するのではなさそうである.そこで考慮に入れるべきは,彼女が自分だけで なく,他人のambiva1enceをも暴く役割を果たしているという事実である.
E
Shylockにとって唯一の肉親であるJessicaは,他人では引き出すことの できない彼の両側面を見事に暴き出している.彼女がまず引き出しているの は彼の極悪非道ぶりである.彼女は自らの家を hell" (ll. iii. 2)と呼び¥
父親の血は受け継いでもその流儀までは受け継がぬCl8・19)と言って彼の 非道さを非難する.Shylockの非道さについてはJessicaが説明するまでも なく,全ての登場人物の意見の一致するところであるが,彼の身内であり,
彼から愛されていたであろう Jessicaに描写されることでその残忍さがます ます際立ち,真実味を帯びるのである.さらに彼女は,前章で述べた通り,
単に描写によって強調するだけでなく,駆け落ちによって実際に彼の残忍さ を増幅させてもいるe
しかしその一方で, Shylockが人間らしい感情を持ち合わせていることを 示唆できるのもJessicaただ一人である.彼女に裏切られたと知った時の彼 の慈りは尋常ではない. 明ydaughter! 0 my ducats! 0 my daughter!" (II. viii. 15) 1 would my daughter were dead at my foot, and the jewels泊 her e町:"(皿. i. 80幽1)これらの叫ぴは一見,娘を物と同等にしか捉えず,今 や彼女に憎悪の念すら抱いている冷酷無比な人間像を思わせる.しかし彼 はやり場のない悲しみを怒りという形で表現しているだ、けで、あって,本当に 娘を憎んで、いるわけではない.その証拠に彼は娘に手を下すことはしない。
自分を裏切った娘Abigailをすぐさま毒殺するBarabasの憎悪が本物である のと異なり, Shylockの表わす憎悪は動揺の裏返しなのである.
Jessicaが暴くのは, ShylockのJessica本人に対する愛情だけではない.
彼女が,家から持ち出したトルコ石を猿と引き換えに手放したらしいと聞い たShylockが放っ言葉は,彼が初めて物事を損得勘定からではなく愛情の面 から捉えたものである.
‑ it was my turquoise
,
1 had it of Leah when 1 was a bachelor: 1 would not have given it for a wildemess ofmonkeys. (m. ii. 110・3)ここで述べられるLeahという名前以外にはどこにも登場しない妻の存在 が, Shylockにもまた人を愛する感情があることを明示している.もし Shylockが同情されるとすれば,それはこの感情があるからである.そして この感情はJessicaがいなければ決して伝わらないものであり,その意味に おいて彼女はShylockの性格に重層性を与える鍵を握った人物であるといえ る.
LauncelotもまたJessicaによってさまざまな側面を引き出されているー
人である.彼の行動は周囲に対して直接影響するわけではなく,そのことが 彼に,筋とは無関係の副次的人物という印象を与えている.ところが,彼は Jessicaと関わることによって,立派にこの劇の展開に貢献していることが 明らかにされるのである.二幕一場, Launcelotは王人Shylockの元から逃 げるか否かで悩んで、いる.ここで繰り返し言及される runaway"のイメー ジはその後に行われるJessicaの駆け落ちを暗示する働きを担っている また,三幕五場におけるJessicaおよびLorenzoとの会話で見られる,彼の 言葉の意味のすり替えによる冗談には,裁判の場面でのPortiaの論弁を観 客がより自然に受け入れられるようにする作用がある.これらのことは,
Launcelotが語りの側面から筋の展開に貢献していることを示しているe こ うしてJessicaは,末端の存在であるLauncelotの重要な働きを引き出して いるのである.
Jessicaはまた, Launcelotの負の側面をも引き出している.壊れた鮮の 代表であるShylock‑ Jessica親娘に対し, Gobbo親子は結ぼれた鮮を象徴 する親子像として描かれている.しかし,そのLauncelotは, Jessicaと Lorenzoとの連絡を取り持つことで,駆け落ちの手助けをしている.これは,
すなわちJessicaの親不幸の手助けをしているのと同じことである.結ばれ た粋を体現しているはずのLauncelotも, Je自sicaと関わることによって親 子関係を壊す媒介となり,紳の破壊という逆の側面を見せているのである.
しかし, JessicaはLauncelotに肯定的な側面を与えてもいる.Shylock に 、hugefeeder
,
J Snai1‑s1ow profit,
and he sleeps by day / More than the wild‑cat: drones hive not with me, / Therefore 1 part with him ・一円c n .
v. 45‑8)と言わしめるほど奉公人として無能な彼に,駆け落ちの手はずを記し た手紙を託して信頼を寄せることで,彼女は彼を無能な従僕に終わらせず,重大イベントを成功に導く重要人物に仕立て上げているのである.
恋人Lorenzoに関しでも彼女は彼の両側面を同時に引き出している.ま ず, Lorenzoが彼女を愛するという行為は,彼が差別的偏見に惑わされずに
人間の本質を見極めることのできる自由な精神の持ち主であることを示唆し ている.また,駆け落ちという事件は,彼がこのことを頭で理解するだけで なく,実行に移すだけの勇気と大胆さを儲えていることを示すものである.
しかし,これは同時に彼に内在する差別的偏見を訪梯させるものとなっても いる.当時の結婚と言えば,両家の親の承認を得るのが普通であり,特に娘 の父親の意見は絶大である 10ところが, LorenzoはShylockの許しを得な いばかりか,そのための努力をする様子もなく,駆け落ち当日には,
JessIcaの持ち出した金や宝石をそれがShylockのものであると知りながら 平気で持ち去ってしまう.Shylockを無視したこの態度は, Jessicaを描写 する時に彼が言及した 血ldnever dare misfortune cross her foot, / Unless she do it under佐世sexcuse
,
/官latshe is issue 句 afaith1ess Jew:" (ll. iv. 35‑7)という言葉を思い出させる.これら一連の言動は, Shylockをユダヤ 人として蔑み,一個人として扱っていないLorenzoの偏見を暗示するもの である.LorenzoはJessicaを一人の女性として見ていながら, Shylockの ことはあくまでもユダヤ人と言う範曜からでしか判断していないのである.このようにJessicaは,彼女と関わる人物に潜む裏の側面を無意識のうち に引き出している.世間の人々が抱く J般的な印象とは逆の人間像を指摘す るこの働きは,観客のambivalentな気持ちを引き出すのに貢献するものと いえるかもしれない.しかし,裏の側面といっても彼女が暴くのは決して問 題のある面ばかりではない.Shylockの愛情, Launcelotの重要性, Lorenzo の自由な精神などは皆,彼等の美点といえるものである.彼女は他人の ambiva1en切を導き出してはいるが,そこには彼等の愛すべき面を引き出す という作業も含まれているのであるから,このことを彼女に対する不快感の 原因とするのは性急にすぎると思われる.
10
E
それでは, Jessicaに対する観客の不快感は一体どこからくるのであろう か.その原因を探るために,劇中における彼女自身の存在意義を考察した
Uミ
まずは「ユダヤ人の娘」としてのJessicaについて考えてみる.強欲でず る賢く,陰険な策略家という役回りが与えられている Shylockとは対照的に,
Jessicaは美しく志のよい娘として描かれているが,ユダヤ人の「極悪な父 と善良な娘」という組み合わせが物語の中に登場するのは意外に早く, 13 世紀の説教話にはすでにキリスト教徒とユダヤ人女性の結婚を好意的に描い た話が見られるという 11また ,TheJeωofMαltαのAbigailやANewWαy
めPαyOld DebtsのMargaret等の例が示す通り,ユダヤ人の娘を善良な女 性として登場させることが, Shak回pe町eの時代には一つの定石として確立 されていたことは明らかである.この点において, Jessicaはそれまでの因 習を完全に踏襲しており,ユダヤ人の娘として期待されている役割一父への 裏切りやキリスト教徒との結婚ーを忠実に果たしているにすぎないといえ る.
しかし, Abigailが最後まで父親の救済を願い, Margaretが父親の精神病 院送りに際して Oh,myde町 father!"(V. i. 379) 12と悲痛な叫ぴをあげる のに比べ, Shylockの処罰に対するJessicaの反応は劇中では描かれていな い.彼女の父親に対する最後のコメントである 1have heard him swear /
• • • That he would rather have Antonio' s flesh /τもantwenty times the value of the sum /官lathe did owe him:" (Ill. ii.沼4・7)という言葉は,む
しろ彼の罪を強調するものであるから,彼女はこの時点で「親不幸」の印象 を与えられたまま野放しにされていることになる.この点において,彼女は
「善良なユダヤ娘」の典型から一線を画している.既存のタイプから逸脱す るまでには至らないが,そこに完全に収まっていないところが,些少ではあ
るが観客の不快感を引き出すーっの原因となっていると考えられるのであ る13
ところが, Jessicaを単なる「ユダヤ人の娘」としてではなく, Icomedy の登場人物」という視点から捉えると,また別の原因が明らかになる.まず,
不幸な生い立ちゃ環境に見舞われながらついには恋人と結ばれ, Belmont という共同体の仲間入りを果たしつつあるという happy‑endingや,高利貸 しの娘という庶民階級を代表している点,そして終始Lorenzoとの恋物語 を提供している点などは全てcomedyを形成するにふさわしいものである。
また,皆に受け入られることでキリスト教徒に改宗することのgoo也lessを, 数々の不幸を起こすことで駆け落ちのevilnessを印象づけている点は George Whetstoneによる comedyの定義14に適っているし背信という errorを犯している点においてはSirPhilip 創 出leyのいう要素15を満たして いる.このように,形式面および主題面においてJessicaは数々のcomedy 的な要素を備えているといえる.
しかし, comedyが観客へ及ほす効果という側面から考えてみると事態は 少し変わってくる.一般にcomedyの及ぼす効果といってもさまざまである が,ここではC.L. Barberの指摘する,祝祭喜劇としてのcomedyの効用に 注目したい.彼は, Shakespeareのcomedyと当時の祝祭の風習との聞に密 接な関係を見い出し,両者を,秩序の破壊によって人々に解放感をもたらす ものと定義づけている.ここで重要なのは,その解放感が一時的なものにす ぎないという点,劇中に表われる無秩序が,あくまでも最終段階における秩 序の回復を前提とした,制限つきのものであるという点である.すなわち,
喜劇とは,秩序の回復を提示することによって,観客に既存概念の再確認を 促すという効果をもたらすものなのである 16
『ヴェニスの商人』の場合, Shylockという「喜劇的敵役」の存在と,単 なる敵役に終わらない彼の複雑な性質,その他諸々の構造的条件が,この劇 が直接祝祭のために書かれたものではないことを示していると Barberは述
12 既存概念の揺動
べている 17しかし,祝祭的要素を多分に含むBelmontが最終的にShylock の破壊力を凌駕しているという筋書きからも,この作品が, 1604年の11月
1日から翌年の2月12日にかけてJames1の宮廷で催された宴の席で,一 連の喜劇に混じり二回に渡って上演された記録がある18ことからも,この 車肋覗祭喜劇的な性質を帯びていると判断してよいであろう.
祝祭喜劇としての機能を担ったこの劇の中で, Jessicaは,多くの comedy的な要素を内包しているにもかかわらず,明らかにそれとは逆の効 果を発揮している.これまでに見てきたように,彼女は多くの人々が信じて いる一般的概念の裏側と接触することによって,物事には常に対立する二概 念が共存し,そのどちらもが等しく真実であることを指摘している.この指 摘は観客に,彼等の中で無意識のうちに自明となっている既存概念と対立す る概念の存在を改めて認識させる.これが,ひいては,既存概念の正当性に 疑いを生じさせ,固定化された世界観に揺らぎを与えることになる.こうし て観客は,それまで正しいものとして認識してきた既存概念を脅かされるこ とになるのである.
前述のように, comedyの効果の一つが既存概念の再確認を促すものであ るとするなら,既存概念を揺るがすJessicaのこの役割は極めてanti‑ comedy的なものであるといえる.そして,彼女の担っているこの役割が,
実は,観客のambivalentな感情を引き起こす最大の原因なのである.なぜ なら,たとえJessicaや他の登場人物がどんなに両義性をはらんでいようと,
それを物語の中の話として観客に傍観させている限り,彼等は不安な気持ち を抱かずにすむからである.大団円における JessicaはBelmontの一員と して受け入れられ,それに伴って観客札彼女のことを欠点はあるが愛すべ き存在として受け入れるであろう.しかし,この大団円にもかかわらず,観 客が彼女に対する不快さを拭い切れないのは,その不快さが,彼女の性質に 由来するものではなく,これまでに培われてきた信念の基盤を揺るがすとい う彼女の働きに由来するものだからである.言い換えれば,観客は,背徳的
な性質を持つJessicaが疎ましいのではなく,背穂的な概念を自分の感覚に 受け止めさせる Jessicaが疎ましいのである.既存概念の揺動という Jessicaの放っ効果が,物語の世界を超えて観客に迫る時,彼等の彼女に対 するambivalenceが決定的なものとなるのである.
結び
以上見てきたように, Jessicaは,自分自身が両義的な存在であるばかり か,他人の持つ両義性をも表面化させ,さらにはanti‑comedy的な効果を発 揮することによって,この劇自体にも両義的性質を与えている.繰り返し行 われるこの両義性の指摘は9 常に一般的概念と対立する側面を暴くことによ って成就されている.彼女によって暴かれるこの対立概念は,劇中における 新しい人間像の発見と物事の裏に潜む別の現実の発見を可能にしている.そ してこれらの発見は,人間というものが決して絶対的なものではなく,視点 をずらすことによって価値観も変化する相対的かつ可変的な存在であること を表わしている.これはPortiaの存在からだけでは引き出されない結論で ある.Portiaがさまざまな色彩の光を放つことによって女性の重層性を表現 しているのに対し, Jessicaは光と影の織り成すコントラストによって人間 の重層性を暴き出しているのである.光と影の両面を併せ持ち,物事の両義 性を体現している彼女であるが9 彼女がこの劇で果たしている役割を考えた 時,彼女は光と影の混合というよりはむしろ,一つの常識,一つの世界体系 には別の側面も存在するという事実を照らし出す灯のような存在として浮か ぴ上がってくると言うことができるであろう.
注
1 Jessicaを否定的に扱っているものに, Raymond B. Waddington,官lindGods: Fortune, Justice and Cupid in The Merc加ntofVenたど,ELH 44 (1977): 474‑7や
Morde伺iGerelik,ωThis Side IdolatIy," Educationa1 Theatre Journal 3 (1951): 190 , James L. Wilson,おlOtherMedieval Parallel to the Jessica and Lorenzo説 明T,"The ShakespeareAssociation Bulletin 23 (1948) 20‑23等がある.
2 Jessicaへの好意的な分析は, Warren D. Smith,Shakespare's Shylock,"
Shakespeαre Quαrterly 15 (1964): 193四99やAustinC. Dobbins and Roy W.
Bat飴 出0国 e,'Jessica'sMorals: A Th印110gicalView," S加ke司peareStudies 4 (1968) : 107‑19,またわずかではあるが, John Gross, Shylock: A Legend & Its Legacy倒ew York: Simon
&
Sch田ter,1991) 70等に見られる.3 Car凶lleSlights,守nDe島nceof Jessica:τ'he Runaway Daughter in 1ちeMerchαnt ofVenice," S加kespeareQuα地rか31(19回):357‑68.
4 Waddingtonの 恒lerelationship between Je呂田icaand Lorenzo to the primary lovers, PO同aand Bassar1Io, con自i脚 ntlyis con回 stiveand negative." (474)という 意見はその代表的なものである.
5 本稿における「ヴ、エニスの商人」の引用はすべてTheArden Shakespeare, ed. John Russell Brown ( London: Routledge, 1955)に従うものとする.
6 例えば,官lelmaN. Green五eldは 'NonvocalMusic: Added Dimension in Five Shakespeare' s Plays, " Pacific Coast Studies in Shα伽;peαre,eds. Waldo F. McNeir and 恒lelmaN. Greenfield (Eugene: U of Oregon, 1966) 106‑21の中で,第五幕の冒 頭部分を adisti1lation of the elements仕latprovide for the best perception of hぽmo凶.es"(113)と定義づけている.
7 Jarnes HutωnはEssαysonR旨naissancePoetη" ed. Rita Guerlac (Ithaca: Cornell UP,198O)の中で,音楽を junctureof soul and body"とみなし celestialharmony and soul‑harrnony" (31)をもたらすものと捉える考え方についての詳しい考察を行 い,音楽というトピックが第五幕冒頭に調和のイメージをもたらしていることを証 明している.
8 Porliaの判決については, Jean Ozark Holmer, The Merchant of Venice: Choice, H回αrdαndConsequence (Houndm迎s:Macmillan, 1995) 196‑210 に詳しい分析があ
るが,そこでも彼女の論弁が勝利の一因であることが述べられている.
9 John Russell Brown,Mr. Pinter's Shakespeare," Criticαl Quαrterly 5 (1963): 261 参照.
10 当時の結婚形態に関しては, Carroll Camden, The Elizabethαn Womαn:A Panonαmα of English Womanhood, 1540‑1640 (London: Cleaver胆HumeP, 1951) 79‑
105に詳しい記述があるB 11 Gross 70.
12 Philip Massinger, A New WαyωPα:y Old Debts (1633; ed. T. W. Cr厄k,London: Ernest Benn, 1964)叩.
13 このような問題を取り扱うに探しでは,当時の社会におけるユダヤ人の実際の 立場や人々の反応など作品の外的要素と照らし合わせて論ヒる必要があるが,そ れは今後の課題としたい。
14 George ¥Vhetstone はPromosαndCαssandra (1578; ed. John F. Fanner, New York: AMS P, 1910)のTheEpistle Dedicatoryeで, comedyをへ.• For by the rewarde of the good the go吋 areencouraged in wel doinge:組 dwith the scowrge ofthe lewde the lewde are feared企omeuill attεmpts.ー"と定義づけている.
15 Sir Philip SidneyはAnApologie for Poetrie: or the Defence of Poesy (c1583 printed in 1593; ed. Geoffrey Shepherd, London: N elson, 1965) 117で,へ..Comedy is an iロutationof the cornmon errors of our life, which he represen七ethin the most ridiculous and scomefull sort that may 00.一"と述べている.
16 C. L. Barber, Shakespeare' s Festiue Comedy: A Study of Dram.atic Form. αnd its Relation to Social Clぉtom(Cleveland:恒leWorld Publising, 1959) 3‑11.
17 Barber 166.
18 Yoshiko Kawauchi, Cαlender of the English Renaissαnce Dram.a 1514・1648 (New York: Garland Publishingラ1968)131