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『是害房絵』の基本的構成

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(1)

『是害房絵』の基本的構成

著者 久留島 元

雑誌名 文化學年報

号 60

ページ 101‑119

発行年 2011‑03‑15

権利 同志社大学文化学会

URL http://doi.org/10.14988/00027663

(2)

『是害房絵』の基本的構成

著者 久留島,元

雑誌名 文化學年報

号 60

ページ 101‑119

発行年 2011‑03‑15

権利 同志社大学文化学会

URL http://doi.org/10.14988/00027663

(3)

﹃ 是 害 房 絵 ﹄ の 基 本 的 構 成

久 留 島

一︑

﹃ 是 害房 絵

﹄ につ い て

﹃ 是害 房絵

﹄は

︑唐 土か ら仏 法障 碍の ため に 飛 来し た 是 害房 天 狗 が︑ 天 台の 高 僧︑ 余 慶︑ 尋禅

︑良 源 に さん ざ ん に 撃 退さ れ︑ その 傷を 賀茂 川河 原の 湯治 によ っ て癒 し 本 国へ 帰 る︑ と いう 内 容 の 絵巻 で あ る︒

﹃今 昔 物 語集

﹄巻 二 十 第 二 話︑

﹃ 真言 伝

﹄巻 五 に 引か れ る 天狗 飛 来 説 話と ほ ぼ 同じ 内 容 とさ れ

︑諸 本 に つい て は 友久 武 文 氏の 詳 細 な 分類

!

が あ る︒ 友久 氏に よれ ば︑ 諸本 はお おき く甲 乙の 二系 統 に分 か れ るが

︑後 者 は 現在 所 蔵 不 明の 一 本︵ 京 都報 恩 寺 旧 蔵絵 巻

︶ の みで あり

︑前 者は 成立 時期 によ って さら に四 段階 に分 けら れる

︒そ のう ち一 四世 紀に 遡る 伝本 は︑ 曼殊 院本

︑泉 屋 博 古館 本︵ 通称

︑住 友家 本︶ の絵 巻二 本で ある

︒ もっ とも 成立 が古 い曼 殊院 本の 奥書 によ ると

︑延 慶元 年︵ 一三

〇八

︶の 成立 であ り︑ 嘉暦 四年

︑文 和三 年に 転写 さ れ

︑現 存本 は文 和三 年︵ 一三 五四

︶書 写の もの と推 測さ れる

︒﹁ 宇 治ノ 大納 言ノ 物語

﹂に 基づ くと 書か れて おり

︑﹃ 今 昔

﹄﹃ 真 言伝

﹄と いっ た説 話集 との 関係 から も︑ いわ ゆ る 散佚

﹁宇 治 大 納言 物 語

﹂を 源 泉と す る こと が 予 想さ れ て い

― 101 ―

(4)

︒ 泉屋 博古 館本 は青 山子 爵家 旧蔵

︑伝 二条 為重 筆の 絵巻

︒成 立は 伝承 より 早く 南北 朝期 と見 られ るが

︑現 存は 後半 部 の み︒ 詞書 は表 記ま で曼 殊院 本と 近似 して いる が︑ 画風 は大 和絵 風の 正統 派で ある

︒欠 落し てい る前 半部 末尾 の詞 書 が

︑冷 泉為 清に よっ て巻 末に 補筆 され てい るこ とも 特徴 であ り︑ 享受

・流 通の 面か ら示 唆深 い一 本で ある

!

︒ 本作 の享 受に つい ては

︑﹃ 建 内記

﹄嘉 吉元 年︵ 一四 四一

︶四 月二 十八 日条 に︑ 中 山宰 相中 将送 使﹁ 云﹂

︑ 何に ても 絵可 進覧 雖狂 絵 可 進之 由 被 仰所 ゝ 之 由 也︑ 仍是 害 房 絵︑ 不顧 比 興 左道 之 物 付

使 送之

︑○ 余ゝ 不可 説也

︑進 上事 可相 計哉 之由 示了

︑ と 記述 があ り︑ また

﹃看 聞日 記﹄ 嘉吉 三年

︵一 四四 三︶ 四月 二十 三日 条に

︑ 源 宰相

︒伊 成︒ 経秀 候︒ 室町 殿絵 一合 入見 参︒

康富 参︒ 論語 談義 初︒ と あり

︑﹃ 言 経卿 記﹄ 文禄 二年

︵一 五九 三︶ 八月 十六 日条 には

︑ 西 御方 ヘ見 舞罷 向了

︑診 脈了

︑是 害坊

絵借 給了

︑阿 茶丸 見之 用也

︑ と ある

︒﹁ 狂 絵﹂ など と評 価さ れな がら も貴 族社 会で 広く 享受 され てい たよ うで

︑﹃ 言経 卿記

﹄で は子 ども のた めに 借 り 受け たと ある

︒当 時の 形態 は不 明だ が︑ 絵巻 であ った こと は確 かで あり

︑曼 殊院 本︑ 泉屋 博古 館本 に近 いも のだ っ た だろ う

︒江 戸 初 期に も 多 くの 写 本 が作 ら れ て おり

︑現 在 は 慶應 義 塾 大学 図 書 館 蔵寛 文 十 一本

"

︑徳 江 元 氏 旧蔵 本

︑ 慶 應図 書館 蔵残 欠本

#

など を翻 刻で 確認 でき る︒ 本作 の影 響下 にあ る代 表的 作品 は︑ 曼殊 院本 系統 の本 文に 基づ いた こと が推 測さ れる 竹田 貞盛 作の 謡曲

﹃善 界﹄ で あ るが

$

︑近 世の

﹁是 害坊

﹂伝 本に は逆 に謡 曲詞 章の 影響 下に ある もの も多 い%

︒ その ほか 物語 内 容は 全 く 異 なる が

︑ お 伽草 子﹃ 武宗 皇帝 破仏 物語

﹄は 是害 房の 前史 を語 る内 容で あり

&

︑﹃ 本 朝神 社考

﹄所 引﹁ 愛 宕山 縁 起﹂'

︑﹃ 類 聚 名 物

『是害房絵』の基本的構成 ― 102 ―

(5)

﹄所 引

﹁愛 宕 白雲 寺 縁 起﹂!

︑﹁ 愛 宕 縁起

"

な どの 縁 起 や︑ 古浄 瑠 璃﹃ あ たご の 本 地﹄ に も﹁ 是害 房

﹂の 名 が 現 れ

︑ 中 近世 にか けて ひろ く親 しま れた 題材 であ った こと が知 られ る︒ 二︑

先 行 研究 と 問 題点 本作

は内 容の 面白 さと 書体

・画 風の 特異 さか ら注 目さ れて いた が︑ 本格 的 な 研 究の 開 始 は梅 津 次 郎氏 に よ る#

︒ 梅 津 氏は 最古 本で ある 曼殊 院本 奥書 の内 容を

︵一

︶〜

︵ 四︶ の四 つに 分け て分 析し

︑絵 巻の 変遷 過程 を明 らか にし た︒ 以 下

︑梅 津氏 に従 って 奥書 全文 を示 す︒ 写本

︵ 一︶ 延慶 元年 初冬 下旬 之候

︑於 磯長 寺 塔 本草 庵写 之

︵ 二︶ 是ハ 宇治 ノ大 納言 ノ物 語ニ 見ヘ タリ 狂言 寄語 之誤 ニ似 タリ ト云 ヘト モ又 佛法 効験 ノ徳 ヲア ラハ セリ シカ ルユ ヘニ 佛法 帰依 ノコ ヽロ サシ ヲモ ヨヲ シ小 児徒 然ノ ウレ ヘヲ ヤス メム カタ メニ 閑居 ノオ リフ シヨ ナ

!

"

コ レヲ カク ユメ

! "

他坊 ノ外 見ニ ヲヨ フヘ カラ ス

― 103 ― 『是害房絵』の基本的構成

(6)

穴 賢ゝ ゝ□

︵ 三︶ 于時 嘉暦 第四 中秋 下旬 候︑ 於石 川郡 上村 積恩 寺曼 茶羅 院西 部屋 書写 了 偏為 上求 菩提 下化 衆生 也後 見之 人 不可 嘲弄

穴 賢ゝ ゝ

円 誉

︵ 四︶ 文和 三年 卯月 十二 日於 下有 智庄 神光

□︵ 以下 欠脱

︶ 梅津

氏 に よれ ば

︑奥 書 の成 立 順 は︵ 一︶

︵ 二︶

↓︵ 三︶

↓︵ 四︶ の三 段 階 と思 わ れ る︒

︵四

︶﹁ 文 和 三年

﹂の 書 写 奥 書 以降 は欠 脱し てい るた め曼 殊院 本そ のも のを 指す か は不 明 だ が︑

﹁書 風 よ り見 れ ば こ れを 文 和 三年 に 置 くこ と 必 ず し も困 難で はあ るま い﹂ とい う︒ また

︑延 慶元 年の 奥書

︵一

︶と

︑﹁ 是 ハ宇 治大 納言 ノ物 語ニ 見ヘ タリ

﹂云 々と いう 奥書

︵二

︶と は連 続し てい るが

︵二

︶︵ 三︶ の間

︑︵ 三

︶︵ 四︶ の間 にそ れぞ れ空 行が ある こと から

︑︵ 一

︶︵ 二︶ はも とも と祖 本に 連続 して あっ たも の と 考え

︑﹁ 是 害房 絵の 成立 を︵ 一︶ の奥 書の 年代 即ち 延慶 元年

︵一 三〇 八︶ に定 置し 得る

﹂と して いる

︒ 奥書

︵一

︶に よれ ば︑ 本作 の祖 本は

﹁磯 長寺

﹂草 庵に おい て写 され てい る︒ 磯長 寺は 現在 上太 子と して 知ら れる 叡 福 寺の 別名 であ り︑ 聖徳 太子 墓︵ 磯長 墓︶ とさ れる 円墳 の前 に営 まれ た墓 寺で ある

︒寺 伝で は神 亀元 年︵ 七二 四︶ 太 子 追 福 のた め

︑聖 武 天 皇 が 創 建 し た と い う が︑

﹃続 日 本 紀

﹄に は 見 え な い!

︒ 奥 書︵ 三︶

﹁石 川 郡 上 村 積 恩 寺 曼 茶 羅

『是害房絵』の基本的構成 ― 104 ―

(7)

﹂﹁ 円 誉﹂ も詳 細は 不明 だが 磯長 寺の 所在 に近 く︑ 何ら かの 関わ りが 推測 され る︒ 磯長 寺は 本文 にも 登場 する

︒日 本の 天狗 が是 害房 に日 本の 霊地 を説 き聞 かせ る絵 巻独 自の 場面 にお いて

︑霊 地の 筆 頭 にあ げら れて いる ので ある

︒こ の点 から 梅津 氏は

﹁磯 長寺 と作 者と が特 別の 関係 にあ るこ とを 思わ せる

﹂と し︑ ま た 牧野 和夫 氏も 磯長 寺に まつ わる 太子 信仰 の知 識が 作品 生成 に関 わっ たと 推測 して いる

!

︒ 梅津 氏の 研究 のあ と︑ 友久 氏に より 現存 伝本 の分 類が 確定 した

︒氏 は傷 つい た是 害房 を囃 す天 狗の 眷属 たち の囃 し 詞 と風 流踊 りと の関 わり にも 言及 し︑ 本作 を﹁ 説話 の時 代か らお 伽草 子の 時代

﹂へ 至る 先駆 的作 品と して 文学 史的 な 位 置づ けを 試み るな ど︑ 大き な問 題提 起を して いる

"

︒ま た伊 藤慎 吾 氏 は 事典 項 目 の中 で

︑本 作 が﹁ 魔仏 一 如

﹂な ど 仏 法効 験の 徳を 説く こと

︑絵 巻と して 絵に 趣向 が凝 らさ れて いる こと

︑な ど を 指 摘し て い る#

︒ 他に 小 野 恭靖 氏 ら 中 世 歌謡 の研 究$

︑ 山中 令子

︑小 林健 二氏 ら謡 曲研 究%

の 蓄積 があ る︒

﹁ 是害 房﹂ は︑ 説話 集か ら絵 巻を 経て 謡曲

︑奈 良絵 本 に も好 ん で 取り 上 げ ら れる な ど︑ 時 代を 超 え 媒体 を 変 え︑ 成 長 して いく 動的 性格 が注 目さ れて きた

︒そ のた めこ れま では 他資 料や 他ジ ャン ルと の関 わり が重 視さ れて きた が︑ 絵 巻 自体 の研 究は 友久 氏以 来停 滞し てお り︑ 表現 内容 に踏 み込 んだ 研究 につ いて は等 閑視 され てき たと 言っ てよ い︒ しか しな がら 一四 世紀 初頭 に成 立し た絵 巻作 品と して の﹃ 是害 房絵

﹄を 押さ える こと が︑ その 後の 展開 を捉 える 上 で も重 要で ある

︒本 稿で は曼 殊院 本詞 書の 表現 を中 心に 考察 を進 めて くこ とに する

︒ 三︑

同 話 との 比 較

︵一

︶ 以下

︑曼 殊院 本﹃ 是害 房絵

﹄詞 書と

︑﹃ 今 昔物 語集

﹄巻 二十 第二 話︑

﹃真 言伝

﹄所 引説 話と の表 現を 比較 して いき た

― 105 ― 『是害房絵』の基本的構成

(8)

︒ ま ず︑

﹃ 是 害 房 絵﹄ の 梗 概 を

!

"

に ま と め︑ 画 中 詞 は

▽で 示 し た

︒︵ 後 掲︑ 表 参 照

︶下 段 に は

﹃今 昔

﹄﹃ 真 言 伝

﹄ と の対 応関 係を 示し た︒ 該当 する 部分 は○

︑な いも のは

×︑ 似た 内容 をも つ部 分を

△︑ 固有 名詞 や表 現が 若干 異な る 場 合は 表現 をあ げた

︒ 二つ の物 語の 枠組 みは 大き く 異な る

︒絵 巻 は﹁ 村上 天 皇 御宇 康 保 三 年春 之 比﹂ と 設定 さ れ る が︑

﹃今 昔

﹄で は﹁ 今 昔

﹂︑

﹃ 真言 伝﹄

﹁ 円融 院ノ 御在 位ノ 比ヲ ヒ﹂ であ る︒ 康保 三年

︵九 六六

︶と いう 設定 につ いて

︑伊 井春 樹氏 は﹃ 日本 紀略

﹄に 見え る凶 星出 現︑ 翌年 の村 上天 皇逝 去と 結 び つけ

︑天 狗跳 梁に 相応 しい 年と 述べ る#

︒ しか し不 吉な 年号 は天 狗撃 退と 本朝 の 仏 法 興隆 を 語 る絵 巻 に は相 応 し く な い︒ あえ て﹁ 康保 三年 春﹂ が選 択さ れた 意味 は推 測し がた いが

︑考 えら れる 可能 性と して

︑物 語中 で重 視さ れる 良 源 が康 保三 年八 月に 延暦 寺座 主︑ 同十 二月 に律 師に 補さ れて いる こと は注 意さ れよ う︒ また

︑以 下の よう な﹃ 今昔

﹄話 末に ある 説話 の伝 承経 路は

︑絵 巻で は一 切語 られ ない

︒ 京ニ 有ケ ル下 衆︑ 北山 ニ木 伐ニ 行 テ返 ケ ル ニ︑ 鵜ノ 原 ヲ 通ケ レ バ

︑湯 屋 ニ煙 ノ 立 ケレ バ

︑﹁ 湯 涌ナ メ リ

︒寄 テ 浴 テ行 カム ト﹂ 思テ

︑⁝

⁝其 後︑ 此ノ 天狗 ノ人 ニ託 テ語 ケル ヲ此 木伐 人伝 ヘ聞 テゾ 其日 ヲ思 ヒ合 セテ

︑鵜 ノ原 ノ 湯 屋ニ シテ 老法 師ノ 湯浴 シ事 ヲ思 ヒ合 セテ 語リ ケル

︒ 此︑ 天狗 ノ人 ニ託 テ語 ケル ヲ︑ 聞キ 継テ

︑此 ク語 リ伝 ヘタ ルト 也︒

﹃ 今昔

﹄で はま ず﹁ 鵜ノ 原﹂ で天 狗の 湯治 を目 撃し た 木 伐の 語 り と︑ 日本 の 天 狗 が人 に 憑 いて 語 っ た内 容 と

︑二 重 の 伝承 経路 を示 す︒

﹃ 真言 伝﹄ では 木伐 は登 場し ない が︑

﹁此 国ノ 天狗 ノ人 ニ付 テ語 リ伝 ヘタ ル事 也﹂ とあ る︒

﹃ 今昔

﹄ で あ え て木 伐

︵京 ニ 有ケ ル 下 衆︶ が 登場 す る のは

﹁天 狗 説 話﹂ を京 洛 の 説 話と し て 回収 す る 意図 が あ っ た た め だ ろ

『是害房絵』の基本的構成 ― 106 ―

(9)

︒い ずれ にし ても 伝承 経路 を示 し事 実を 仮構 する 説話 表現 と︑ 事実 性を 重視 しな い絵 巻の 表現 とは おお きな 違い が あ る︒ 次に 目立 つの は固 有名 詞 で ある

︒唐 か ら 渡っ て く る 天狗 に つ いて

︑﹃ 今 昔﹄ は﹁ 智 羅永 寿

﹂︑

﹃ 真言 伝

﹄は

﹁唐 コ シ ヨ リ 五 百ノ 天 狗

﹂が 渡 っ て き た と し

︑以 後

﹁唐 シ ノ 天 狗﹂ と す る︒

﹁是 害 房

﹂の 名 が 定 着 す る の は 絵 巻 か ら だ が!

︑ 以 後様 々な 媒体 で受 容さ れる

﹃ 是害 房絵

﹄で は日 本の 天狗 に も 独自 の 名 前が あ る

︒特 に﹁ 日 羅房

﹂の

﹁同 行

﹂で

﹁守 屋 大臣 破 法 ノ時

﹂に 天 狗 と な った と自 称す る﹁ 聞是 房﹂ は︑ 是害 房が 余慶

︑尋 禅に 撃退 され たあ とに 登場 する が︑ 先行 説話 集に は見 えず 絵巻 の み に現 れる 天狗 であ る︒ 聞 是房 の

﹁平 山﹂ は 普通

︑近 江 の 比良 山 と 捉 えら れ て いる が

︑牧 野 和 夫 氏 は 聖 徳 太 子 御 廟﹁ 叡 福 寺﹂ に 近 い﹁ 平 山

﹂と 音で 通じ るこ とに 着目 して いる

"

︒牧 野氏 は奥 書の 磯長 寺︵ 叡福 寺︶ とも 関 わ っ て絵 巻 製 作の 背 景 に太 子 信 仰 の 知識 が影 響し たと 推測 し︑ 聞是 房に つい ても 太子 信仰 との 関わ りか ら言 及し てい るが

︑再 考の 余地 が残 る︒ 聞是 房 は 是害 房を 挑発 し奮 起を 促す ため 故事 語り を始 める

︒ ソ ノカ ミ文 徳天 皇 ノ 女 御 染 殿 后 ハ︑ 石 山ノ 行 者

︑紺 青 鬼ニ 成 テ ナヤ マ シ タ テマ ツ リ シヲ 智 証 大 師 加 持 シ 給 ヒ ケレ バ︑ 其後 ハ近 江ノ 水海 ニカ クレ 侍ヘ リ︒ シカ トモ 恥ヲ カク 事ハ ナカ リ キ︒ 又︑ 清 和天 皇 ト 木 原王 子 ト 春 宮 ヲア ラ ソ ヒ 給シ 時

︑ 真 済 ハ 木原 ノ 王 子ノ 御 持 僧︑ 惠 亮 ハ 清 和 ノ 御持 僧 ナ リ︒

⁝⁝ 惠 亮 脳 ヲ ク ダキ テ 護 摩 ノ 爐壇 ニ焼 ケル 時︑ 木原 忽ニ 崩シ 給テ 清和 春宮 ニツ キ給 ヌ︒ 真済 墳ヲ ナシ テ其 身魔 道ニ 入シ カド モ︑ タヽ チニ 恥 ヲ カフ ル事 ナシ

︒ 聞是 房の 語る 説話 は︑ 紺青 鬼と 染殿 后を めぐ る数 多い 異伝 の一 つで ある

︒た だし 続く 清和 天皇 の位 争い 伝承 と混 淆

― 107 ― 『是害房絵』の基本的構成

(10)

︑真 済 が 紺青 鬼 と なっ て 染 殿 后を 悩 ま せた

︑と 語 る 伝承 が 多 い!

︒﹁ 石山 ノ 行 者﹂ が紺 青 鬼 とな り

﹁近 江 ノ 水 海 ニ カ クレ

﹂た

︑と 語る もの は管 見 のと こ ろ 本話 の み であ る

︒他 な ら ぬ﹁ 平山

﹂の 天 狗 が﹁ 石山

﹂﹁ 近 江﹂ の 説話 を 語 る と ころ に︑ この 語り が挿 入さ れる 意味 があ ると 考 える べ き だろ う

︒﹁ 平 山﹂ は通 説 ど お り近 江 の 比良 山 系 を指 す と 見 て よく

︑こ の部 分は 近江 周辺 の説 話を 採取 した もの と推 測さ れる

︒ 先学 が注 目す ると おり 絵巻 下巻 にも 太子 信仰 の影 響は 看取 され

︑な かで も奥 書に 見え る磯 長寺 との 関係 は無 視で き な い︒ 絵巻 の生 成に おい て太 子信 仰が 関与 して いる 可能 性は 高い

︒し かし 全体 の表 現に おい て前 景化 して いる とま で は 言い 難い

︒で は物 語表 現か らは 何が 見え るだ ろう か︒ 四︑

同 話 との 比 較

︵二

︶ まず

︑是 害房 に対 する 愛宕 日羅 房の 呟き に注 目し たい

︒日 羅房 の呟 きは 画中 詞の 形で あら われ る︒ たと えば 余慶 の 鉄 火輪 に追 われ る次 のよ うな 場面 では 是害 房 を気 遣 う 様子 も な く︑

﹁コ ノ モ ノ コソ

︑テ ア ハ セニ

︑ケ フ ザ メタ リ ゲ ナ レ

﹂と 呟く

︒ この 部分 は先 行説 話集 では 次の よう に表 現さ れる

︒以 下は

﹃今 昔﹄ 本文 であ る︒ 暫許 有レ バ︑ 山ノ 上ノ 方ヨ リ︑ 余慶 律師 ト云 フ人

︑腰 輿ニ 乗テ

︑京 ヘ下 ル︒

⁝⁝ 此ノ 老法 師ノ 方ヲ 見レ バ︑ 老 法 師モ 无シ

︑亦

︑律 師モ 糸平 ラカ ニ弟 子共 数引 キ具 シテ 下ヌ

︒怪 ク﹁ 何ニ 不見 エヌ ニカ 有ラ ム﹂ ト思 テ︑ 震旦 ノ 天 狗 ヲ 尋タ レ バ︑ 南 ノ谷 ニ 尻 ヲ 逆様 ニ テ 隠レ 居 リ︒ 此 ノ天 狗 寄 テ

︑﹁ 何 ド 此 ハ 隠 レ 給 ヘ ル ゾ

﹂ト 問 ヘ バ︑

⁝⁝

︑ 震 旦ノ 天狗

︑﹁ 其 ノ事 ニ侍 トヨ

︒﹃ 者ノ 体 ノ貴 気 ニ 見エ ツ ル ハ此 レ ニ コ ソ有 メ レ﹄ ト 喜シ ク 思 エ テ︑

﹃立 出 ム﹄ ト

『是害房絵』の基本的構成 ― 108 ―

(11)

テ 見遺 ツル ニ︑ 僧ノ 形ハ 不見 ズシ テ︑ 腰輿 ノ 上ノ

︑高 ク 燃 エタ ル 火 ノ焔 ニ テ 見 エツ レ バ︑

﹃ 寄テ ハ 火 ニ被 焼 モ コ ソ 為レ

︒此 レ許 ハ見 過シ テム

﹄ト 思テ

︑和 ラ隠 メル 也﹂ ト云 ヘバ

︑此 ノ天 狗疵 咲テ 云ク

︑⁝

⁝ 日本 の天 狗は 隠れ てい て智 羅永 寿︵ 唐土 の天 狗︶ の受 難を 確認 して おら ず︑ 余慶 が無 事に 通り 過ぎ たあ と智 羅永 寿

か ら顛 末を 聞い て﹁ 疵咲

﹂う

︒﹃ 真 言伝

﹄も ほぼ 同文 であ る︒ 説話 集の 表現 は説 話全 体を 天狗 の﹁ 語り

﹂と しな がら

︑ さ らに 繰り 返し 天狗 同士 の語 りを 組み 込む

︑小 さな 入れ 子構 造に なっ てい る︒ 読者 は日 本天 狗の 視点 に自 らを 重ね な が ら説 話を 読ん でい くこ とに なる

︒ 一方

︑絵 巻で は余 慶の 行列

︑鉄 火輪 に追 われ る是 害房

︑そ れを 傍観 する 日羅 房の 呟き

︑と 右か ら左 へ︑ 絵巻 を読 む 順 に場 面が 展開 して いく

︒説 話集 では 余慶 は炎 に守 られ て姿 が見 えな かっ たと あり

︑鉄 火輪 に追 われ る図 は絵 巻独 自 の 動き のあ る場 面で ある

︒話 の筋 は同 じだ が︑ 絵巻 で は逃 げ ま どう 是 害 房と

︑気 遣 う 様 子も な い 日羅 房 と が 描か れ

︑ 視 覚的 にわ かり やす く対 比さ れて いる

︒そ もそ も絵 巻に おい て日 羅房 は是 害房 を比 叡山 に案 内し たと きに も内 心次 の よ うに 考え てい た︒ 先 ズ叡 山ヘ 具シ テ登 リナ カラ 内心 ニヲ モウ 様︑

⁝⁝ カナ ハジ ト云 ハン モ无 興ナ レバ

︑無 左右 具シ テ登 トモ

︑他 州 ニ 望ム 時ハ サス ガニ 我国 ノ我 執ナ カル ベキ ニア ラズ

︒何 ナル 僧ノ 便宜 アシ ク行 逢テ 我国 ノ名 ヲヤ オラ ンズ ラム

︒ 先行 説話 集に は見 られ ない

﹁我 国﹂ の立 場か らひ そ かに 日 本 の高 僧 を 心配 す る 心 境が 伺 わ れる

︒﹁ ケ フ ザメ タ リ ゲ ナ レ﹂ とい う画 中詞 の呟 きは

︑こ うし た日 羅房 の自 国意 識を 補完 する もの であ り︑ 日羅 房の 立場 が是 害房 の滑 稽さ を 強 調し てい ると いえ る︒ 三高 僧に 打ち のめ され た是 害房 に対 して 日羅 房は

﹁日 本ヲ 小国 ナリ トテ

︑ア ナヅ リ給 ガ愚 ニ覚 候ソ

﹂と 説諭 し︑ 以 下

︑﹁ 神 宮︵ 神功

︶皇 后﹂ や﹁ 上宮 太子

﹂が

﹁異 国ノ 魔賊

﹂を 討伐 した 故事 を語 り︑ 日本 こそ 仏法 の守 護す る﹁ 神国

― 109 ― 『是害房絵』の基本的構成

(12)

で ある こと を明 らか にし てい く︒ これ らの 故事 語り は先 行説 話集 には 一見 えな い︒ 其 故ハ

︑吾 朝ハ 神国 也︒

⁝⁝ 是以

神宮 皇后 ハ 高麗 百 済ヲ セ メ 上 宮太 子 ハ 新 羅任 那 ヲ シタ ガ ヘ 給ヘ リ

︒是 皆 異 国 ノ魔 賊ヲ タヘ ラゲ テ本 朝ノ 仏法 ヲ守 ンカ 為也

︒新 タナ ル是 併霊 地他 州ニ 過レ

︑效 験我 朝ニ 新タ ナル 故也

︒ 続い てあ げら れる 霊地 は﹁ 磯長 寺﹂

﹁ 四天 王寺

﹂﹁ 大峯

・金 剛山

﹂﹁ 高 野山

﹂﹁ 叡山

﹂で ある

︒先 述し たよ うに

﹁磯 長 寺

﹂の 名は 奥書 にも 見え るこ とか ら﹁ 作者 との 特別 な関 係﹂ が疑 われ てお り︑ 絵巻 の生 成に つい て聖 徳太 子信 仰と の 関 わり を重 視す る見 方も 強い

︒ と ころ が 最 近︑ 川崎 剛 志 氏に よ っ て﹁ 金 剛山

﹂に 関 す る部 分 に﹃ 金 剛 山縁 起

﹄の 影 響が 顕 著 で あ る こ と が 判 明 し た!

︒つ ま り 前章 で 扱 った

﹁平 山

︵比 良 山︶

﹂ 天狗 の 語 る近 江 関 連の 説 話 と 同様

︑成 立 基 盤の 異 な るさ ま ざ ま な 言 説 が

︑重 層的 に組 み込 まれ てい るこ とが 伺え るの であ る︒ 今後 依拠 資料 の調 査が 進め ばさ らに 明ら かと なる だろ う︒ 五︑

﹁ 魔 仏一 如

﹂ と良 源 信 仰 日羅

房の 霊地 列挙 をう けた あと

︑是 害房 はに わか に﹁ 仏法 ヲサ マタ グル 者︑ 本地 アサ キニ アラ ズ﹂ とし て︑ 次の よ う に説 き始 める

︒ 守 屋ハ 深位 ノ大 士也

︒是 皆仏 菩薩 ノ化 儀ヲ 助ケ ムガ タメ ニ仮 ニ悪 相ヲ 示ス

︒⁝

⁝何 况ヤ 法花 円宗 ノ意 者︑ 諸法 実 相 ト説 ケリ

︒ナ ニハ ノ事 モ仏 法也

︒魔 仏一 如ト 談セ リ︒ 魔界 即仏 界ナ リ︒ 是 害房 ら 天 狗が 仏 法 を妨 げ た の も﹁ 仮﹂ に過 ぎ ず︑ す べて 仏 法 に 通じ る 方 便と い う

﹁魔 仏 一 如﹂ の 考 え が 示 さ れ る

︒続 いて 是害 房が 良源 に言 及し てい るこ とに 注目 した い︒

『是害房絵』の基本的構成 ― 110 ―

(13)

今 ノ慈 惠大 師ハ 十一 面ノ 化身 ニシ テ︑ 慈悲 眼ニ 満テ レト モ︑ 円宗 ノ仏 法ヲ 護ラ ムガ タメ ニ大 天狗 ニ成 ラム ト誓 ヒ 給 ヘリ

︒サ レバ 遂ニ ハ我 等ガ 種類 ナル ベシ

︒凡 ソ悪 ヲ現 ジテ 善ヲ 助タ ル︑ 是レ 方便 ノ甚 シキ ナリ

︒ すで に﹁ 天台 座主

﹂と して 登場 した 良源 が︑ 実は 仏法 守護 を誓 って

﹁大 天狗

﹂に なっ たと いう

︒こ こで の良 源は 天 台 の高 僧と いう より

﹁魔 仏一 如﹂ の体 現者 とし て重 視さ れて いる

︒ ここ で三 高僧 の登 場 場 面を 比 較 する と

︑余 慶︵ 図1

︶︑ 尋 禅

︵図 2︶ に比 べ 良 源︵ 図3

︶だ け が特 別 視 され て い る こ とに 気づ く︒ ひと つは 伴僧 の多 さで ある が︑ これ は身 分上 当然 でも あろ う︒ もう ひと つ︑ 余慶

︑尋 禅の 顔は 明ら かだ が︑ 良源 の 顔 は輿 の一 部に 隠れ て見 えな いよ う描 かれ てい る︒ 中世 の絵 巻で は神

・天 皇な ど貴 人の 顔を 見せ ない よう に描 く手 法 が 知ら れて いる

!

︒こ の場 面で も同 様に 良源 だけ が﹁ 十一 面ノ 化身

﹂︑ 権 者で ある こと が表 され てい たと 考え られ る︒ 図

1 余 慶

︵ 律 師

図 2 尋 禅

︵ 権 僧 正

図 3 良 源

︵ 天 台 座 主

― 111 ― 『是害房絵』の基本的構成

(14)

良源 は比 叡山 中興 の祖 とし て早 くか ら重 視さ れて いた が︑ 鎌倉 時代 には 魔物 調伏 を祈 願し て多 くの 慈恵 大師 像が 造 ら れ︑ 摺写 供養 も頻 繁に 行わ れた

!

︒そ の一 方で

﹃天 狗草 紙﹄

︵﹃ 七 天狗 絵﹄

︶ など で は 良 源自 身 も 天狗 と し て 描か れ

︑ 諷 刺の 対象 とな ると いう 両面 性を 持っ てい る︒ 原田 正俊 氏は 当時 盛ん だっ た大 寺の 強訴 に︑ 武力 を肯 定す る論 理と し て の良 源信 仰が あっ たと 論じ てい る"

︒ 若林 晴子 氏は 中世 の良 源信 仰を 概観 し︑ 護持 僧と して の 実績 を 持 つ良 源 が 魔物 調 伏 の イメ ー ジ で信 仰 さ れ たこ と

︑ 同 時に 顕密 体制 への 批判 から 諷刺 の対 象と して 良源 も天 狗︑ 魔王 と見 なさ れた こと

︑本 覚思 想の 展開 によ って 魔王 良 源 が信 仰の 対象 にな り︑ 崇め られ るよ うに なっ たこ と︑ など を明 らか にし て い る#

︒ 浅 湫毅 氏 も 文永 年 間 以降 に 良 源 像 が増 える こと を踏 まえ

︑蒙 古襲 来と いう 具体 的な 異国 の脅 威に 対し て外 敵調 伏が 期待 され たと 推測 して いる

$

︒ 原 田︑ 若 林 両 氏 は﹃ 天 狗 草 紙

﹄︵

﹃ 七 天 狗 絵﹄

︶に 着 目 す る が︑ 中 世 の 良 源 像 に つ い て も っ と も 興 味 深 い の は こ の

﹃是 害 房絵

﹄で あ る︒ 曼 殊院 本 の 祖 本は 一 三

〇八 年 に 製作 さ れ た とさ れ て おり

︑ま た 本 作で は 自 国 意 識 が 強 調 さ れ

﹁神 宮 皇后

﹂﹁ 上 宮 太子

﹂ら の 異 国征 伐 の 故 事が 語 ら れる こ と は 前述 し た︒ 前 半で 叡 山 を代 表 し て 是 害 房︵ 異 国 の 天 狗

︶を 撃退 する 良源 の姿 は︑ まさ に同 時代 にお ける 外敵 調伏 のイ メー ジを 担う もの であ る︒ 先行 説話 集の なか から 特 に 絵巻 化が 行わ れた こと も︑ 外敵 調伏 への 関心 があ った ため であ ろう

︒ とこ ろが 良源 が後 半に おい ては 一転

﹁大 天狗

﹂と 称さ れ︑

﹁ 魔仏 一如

﹂の 論理 を体 現す る存 在と なっ てあ らわ れる

︒ こ の﹁ 魔仏 一如

﹂の 論理 によ る先 行説 話集 を 離れ

︑絵 巻 独 自の 姿 勢 を明 ら か に する

︒﹁ 大 天 狗﹂ であ る 良 源の 存 在 を 論 拠と して

︑是 害房 もま た本 朝仏 法に よる 救済 への 道が 開か れる ので ある

︒ 故事 語り のあ と︑ 是害 房は 痛め た傷 を癒 すた め湯 治を 願い 出て

︑日 羅房 は賀 茂川 に温 室を 設け るよ うに 勧め る︒ こ こ で賀 茂川 が導 かれ る理 由は 何か

︒日 羅房 は次 のよ うに 説明 する

『是害房絵』の基本的構成 ― 112 ―

(15)

此 河ハ 賀茂 ノ大 明神 ノミ タヰ ヨリ 流レ タリ

︒彼 明神 ハ愛 宕郡 ノ地 主平 安城 ノ鎮 守ナ リ︒ 其流 ヲ浴 セハ 無始 ノ罪 障 キ エヌ ヘシ

︒ 本来 傷を 癒す ため の湯 治が

︑﹁ 無 始ノ 罪障

﹂を 清め る 行 為と 転 換 する

︒日 羅 房 は︑ 賀 茂川 へ 運 ばれ る 是 害房 に 対 し て

﹁内 証高 タル 人ナ ラハ 還テ 護法 ノ善 神ト 成給 ヘ﹂ と声 を掛 け︑ 是害 房の 傷が 癒え ると

﹁煩 悩ノ ツモ レル 垢﹂ を清 め た

︑と 歌を 詠み かけ る!

︒ これ に対 して 先行 説話 集 に おけ る 湯 治場 所 は︑

﹃ 今 昔﹄ では

﹁北 山

﹂﹁ 鵜 ノ原

﹂で あ り︑

﹃ 真言 伝

﹄で は 所在 不 明 で あ る︒ 当時

﹁北 山﹂ は︑ 天狗 の出 現場 所と して 認識 され てい た︵

﹃ 今昔

﹄巻 二十 八第 二十 八話

︑﹃ 続本 朝往 生伝

﹄遍 照 伝

︶︒ 先 行説 話集 にお ける 天狗 は最 後ま で魔 障の ま ま であ り

︑従 っ て﹁ 北山

﹂と い う 境 界的 な 場 所で し か 湯治 が で き な い︒ すで に阿 部泰 郎氏 が﹃ 湯屋 の皇 后﹄ にお いて

︑﹁ 温 室﹂ が穢 れを 浄化 する 場と して

﹁薬 湯﹂

﹁温 泉﹂ と等 質に 観念 さ れ てい たこ とを 明ら かに して おり

︑ま た﹃ 是害 房絵

﹄の 湯治 場面 につ いて も︑ 賀茂 河原 で行 われ た非 人施 行が 背景 に あ った と推 測し てい る"

︒ 仏法 の障 碍の ため 飛来 して きた 是害 房が

︑本 朝の 高僧 たち に敗 れ︑ 穢れ を清 めて 護法 善神 へ転 化し

︑本 朝仏 法を 称 揚 する 歌合 を催 す#

︒ 良源 に代 表さ れる

﹁魔 仏一 如﹂ の大 団円 を迎 える ため の 重 要 な転 換 部 分が

︑こ の 湯 治場 面 だ っ た ので ある

― 113 ― 『是害房絵』の基本的構成

(16)

六︑ ま と めと 今 後 の課 題 以上

︑曼 殊院 本﹃ 是害 房絵

﹄詞 書 と﹃ 今昔 物 語 集﹄ 所収 話

︑﹃ 真 言伝

﹄所 収 話 の 表現 と を 比較 し て きた

︒そ れ に よ っ て絵 画部 分と 詞書 とが 複合 的に 結び つい てい るこ と︑

﹁ 平山

﹂﹁ 金剛 山﹂ など 異な る成 立基 盤を もつ さま ざま な言 説 が とり こま れて いる こと が明 らか にな った

︒そ のう えで 詞書 でも 絵画 表現 でも

﹁魔 仏一 如﹂ を体 現す る存 在と して 良 源 が重 視さ れて いる こと につ いて

︑同 時代 の良 源 信仰 と の 関わ り か ら論 じ

︑﹃ 是 害 房絵

﹄が ま さ に一 四 世 紀製 作 の 絵 巻 とし て︑ 先行 説話 集と は異 なる 表現 を持 って いる こと を明 らか にし た︒ 本作 は曼 殊院 本奥 書を もと に聖 徳太 子信 仰と の関 わり が重 視さ れて きた

︒し かし 冒頭 に言 及し たよ うに

︑曼 殊院 本 と は別 の製 作圏 を想 定で きる 泉屋 博古 館本 の存 在も あ る︒ のち に 能 や奈 良 絵 本な ど に 広 く展 開 し てい く こ と から も

︑ 特 定の 信仰 圏に 収斂 しな い︑ 幅広 い受 容を 想定 すべ き作 品な ので はな いか

︒ 先行 研究 でも

﹁魔 仏一 如﹂ に対 する 言及 はあ った が︑ 充分 に注 目さ れて いた とは いえ ない

︒悪 行を なす 異形 が︑ 穢 れ を清 め護 法へ 転化 する

﹁魔 仏一 如﹂ の枠 組み こそ が﹃ 是害 房絵

﹄を 貫く 根本 的な 構成 であ る︒ 先行 説話 集に なか っ た この

﹁祝 言性

﹂と でも いう べき 要素 が︑ その 後﹁ お伽 草子

﹂に 組み 込ま れ︑ 謡曲 や奈 良絵 本に 展開 する 内的 要因 と な った ので はな いか

︒今 後さ らに 表現 内容 や依 拠資 料の 調査 を深 め︑ 一四 世紀

﹃是 害房 絵﹄ が前 時代 の表 現を どの よ う に受 容し

︑語 り直 して いる か︑ 考え てい きた い︒

『是害房絵』の基本的構成 ― 114 ―

(17)

・﹃ 是 害 房 絵

﹄ 梗 概

・ 類 話 の 対 応 部 分 上 巻

﹃ 今 昔

﹃ 真 言 伝

! 是 害 房 が

︑ 康 保 三 年

︑ 唐 土 か ら 飛 来

﹁ 今 昔

﹁ 円 融 天 皇

"

是 害 房 と

︑ 愛 宕 の 日 羅 が 会 話

○ 日 羅 房 が

︑ 是 害 房 を 比 叡 山 に 案 内 し な が ら 独 白

▽ 是 害 房 と 日 羅 房 が 比 叡 山 山 麓 で 会 話

# 余 慶 律 師 が 下 山 し

︑ 鉄 火 輪 が 是 害 房 を 撃 退

﹁燃 エ タ ル 火 ノ 焔

▽ 是 害 房 が 鉄 火 輪 に 追 わ れ る

×

×

$ 余 慶 が 去 っ た 後

︑ 日 羅 房 が 現 れ て 是 害 房 を 挑 発

○ 日 羅 房 が

︑ 不 動 の 利 益 を 説 く

×

×

% 尋 禅 権 僧 正 が 下 山 し

︑ 不 動 の 二 童 子 が 是 害 房 を 撃 退

﹁ 深 禅

▽ 是 害 房 が 童 子 た ち に 追 わ れ る

&

尋 禅 が 去 っ た 後

︑ 日 羅 房 が 現 れ て 是 害 房 を 挑 発

○ 日 羅 房 が

︑ 不 動 の 真 言 の 利 益 を 説 く

×

× ' 平 山 聞 是 房 が 故 事 を 語 る

︵ 石 山 の 行 者

︑ 真 済

×

×

▽ 天 狗 た ち の 会 話

×

× ( 良 源 座 主 が 下 山 し

︑ 護 法 童 子 が 是 害 房 を 撃 退

▽ 是 害 房 が 護 法 に 囚 わ れ

︑ こ れ ま で の 経 緯 を 説 明

○ 下 )巻 良 源 が 去 っ た 後

︑ 是 害 房 が 日 羅 房 へ の 恨 み 言 を い う

×

× 日 羅 房 が 故 事 を 語 る

︵ 神 宮 皇 后

︑ 上 宮 太 子

×

× 日 羅 房 が 霊 地 の 由 来 を 語 る

︵ 磯 長 寺

〜 比 叡 山

×

×

* 是 害 房 と 日 羅 房 と の 会 話

︵ 魔 仏 一 如

︑ 良 源 の 本 地

×

× + 日 羅 房 と 眷 属 が 是 害 房 を 輿 に 担 い で 賀 茂 川 原 に 運 ぶ

﹁北 山 ノ 鵜 ノ 原

﹂ 不 明

▽ 眷 属 が 是 害 房 を 囃 す

×

× 日 羅 房 が 温 泉 の 霊 験

︑ 賀 茂 川 の 霊 徳 を 語 る

×

×

▽ 湯 治 中 も 眷 属 が 会 話

×

×

― 115 ― 『是害房絵』の基本的構成

(18)

※ 引 用 本 文 は 以 下 に 拠 る が

︑ 読 み や す く す る た め 適 宜 濁 点

︑ 句 読 点 を 補 っ た 部 分 が あ る

︒ 梅 津 次 郎 編

﹃ 新 修 日 本 絵 巻 物 全 集 27 天 狗 草 紙

・ 是 害 房 絵

﹄ 角 川 書 店 山 田 孝 雄 他

﹃ 日 本 古 典 文 学 大 系 今 昔 物 語 集 四

﹄ 岩 波 書 店 説 話 研 究 会 編

﹃ 対 校 真 言 伝

﹄ 勉 誠 社

﹃ 大 日 本 古 記 録 言 経 卿 記

﹄ 岩 波 書 店

﹃ 大 日 本 古 記 録 建 内 記

﹄ 岩 波 書 店

﹃ 続 群 書 類 従 補 遺 看 聞 御 記

﹄ 続 群 書 類 従 完 成 会

※ 本 稿 は 説 話 文 学 会 平 成 二 二 年 度 大 会

︵ 六 月 二 七 日

︑ 於 広 島 大 学

︶ に お け る 口 頭 発 表 を 基 に し て い ま す

︒ 会 場 で は 多 く の 先 生 方 よ り ご 教 示 を 賜 り ま し た

︒ 御 礼 申 し 上 げ ま す

︒ 末 筆 な が ら

︑ 資 料 閲 覧 に 関 し て ご 高 配 頂 い た 泉 屋 博 古 館 の 実 方 葉 子 氏

︑﹃ 金 剛 山 縁 起

﹄ に つ い て ご 教 示 下 さ っ た 川 崎 剛 志 氏

︑ ま た 発 表 に 先 立 ち ご 意 見 を 賜 っ た 東 ア ジ ア 恠 異 学 会 定 例 研 究 会 参 加 の 会 員 諸 氏 に 深 謝 し ま す

$ 註 友 久 武 文

﹁﹃ 是 害 房 絵

﹄ の 諸 本

﹂﹃ 広 島 女 子 大 学 研 究 紀 要

﹄ 一 六

︑ 一 九 八 一 年 三 月

︒ ま た 同

﹁﹃ 是 害 房 絵

﹄ の 歌 謡

│ 風 流 踊 り 歌 の 形 成 に か か わ っ て

﹂﹃ 中 世 文 学 の 形 成 と 展 開

﹄ 和 泉 書 院

︑ 一 九 九 六 年

% 博 古 館 本 に つ い て は 泉 屋 博 古 館

﹃ 泉 屋 博 古 館 名 品 選

﹄ 二

〇 二 年

︒ 同

﹃ 泉 屋 博 古 日 本 絵 画

﹄ 二

〇 一

〇 年 一 二 月

︒ を 参 照

! 是 害 房 の 傷 が 癒 え る

△ 是 害 房 が 日 本 を 称 揚

×

× 天 狗 た ち が 連 歌 を 詠 む

×

×

▽ 天 狗 た ち の 会 話

"

是 害 房 が 唐 土 へ 帰 る

︒ 天 狗 が そ れ ぞ れ 本 所 へ 帰 る

# 奥 書

×

×

『是害房絵』の基本的構成 ― 116 ―

(19)

$

﹃ 室 町 時 代 物 語 大 成

﹄八

︒ な お﹁ 慶 應 義 塾 大 学 世 界 の デ ジ タ ル 奈 良 絵 本 デ ー タ ベ ー ス

﹂︵http://dbs.humi.keio.ac.jp/naraehon/in-

dex.html

︶ で も 画 像 が 公 開 さ れ て い る

% 以 上 二 本

︑﹃ 斯 道 文 庫 論 集

﹄ 二 八

︑ 一 九 九 三 年 一 二 月

&

播 磨 光 寿

﹁ 謡 曲

﹁ 善 界

﹂ 小 考

│ 今 昔 物 語 集 と の 関 渉

﹂﹃ 古 典 遺 産

﹄ 二 二

︑ 一 九 七 一 年 六 月

︒ に よ っ て 謡 曲

﹁ 善 界

﹂ の 詞 章 は 曼 殊 院 本 系 統 の 本 文 に 拠 る こ と が 明 ら か と な っ た

︒ ' 石 川 透

﹁﹃ 善 界

﹄ 表 現 考

﹂﹃ 室 町 物 語 と 古 注 釈

﹄ 三 弥 井 書 店

︑ 二

〇 二 年

︑ 初 出 一 九 八 八 年

︒ ( 伊 井 春 樹

﹁ 是 害 房 飛 来 の 背 景

│﹃ 是 害 房 絵

﹄ か ら

﹃ 武 宗 皇 帝 破 仏 物 語

﹄ へ

﹂﹃ 国 語 国 文

﹄ 六 四

・ 四

︑ 一 九 九 五 年 四 月

︒ ) 林 羅 山

﹃ 本 朝 神 社 考

︑ 神 社 考 詳 節

﹄ 現 代 思 潮 社

︑ 一 九 八

〇 年

* 山 岡 浚 明

﹃ 類 聚 名 物 考

﹄ 近 藤 活 版 所

︑ 一 九

〇 三 年

︒ + 梁 瀬 一 雄

﹃ 社 寺 縁 起 の 研 究

﹄ 勉 誠 社

︑ 一 九 九 八 年

︒ , 梅 津 次 郎

﹁ 是 害 房 絵 巻 の 変 遷

﹂﹃ 絵 巻 物 叢 考

﹄ 中 央 公 論 美 術 出 版

︑ 一 九 六 八 年

︑ 初 出

﹃ 国 華

﹄ 一 九 四 八 年

︒ の ち

﹃ 新 修 日 本 絵 巻 物 全 集 27

﹄ 角 川 書 店

︑ 一 九 七 八 年

︒ -

﹁ 叡 福 寺

﹂﹃ 聖 徳 太 子 事 典

﹄ 柏 書 房

︑ 一 九 九 一 年

︒ ま た 小 野 一 之

﹁ 聖 徳 太 子 墓 の 展 開 と 叡 福 寺 の 成 立

﹂﹃ 日 本 史 研 究

﹄ 三 四 二

︑ 一 九 九 一 年 一 月

︒ . 牧 野 和 夫

﹁﹃ 太 平 記

﹄ 巻 一 至 巻 十 一 周 辺 と 太 子 信 仰

│ 楠 木 正 成 の

﹁ 不 思 議

﹂ の 基 底

﹂﹃ 太 平 記 と そ の 周 辺

﹄ 新 典 社

︑ 一 九 九 四 年

︒ ま た 同

﹁ 中 世 聖 徳 太 子 伝 と 説 話

│! 律"

と 太 子 秘 事

・ 口 伝

・﹁ 天 狗 説 話

﹂│

﹂﹃ 説 話 の 講 座 3 説 話 の 場

│ 唱 導

・ 注 釈

﹄ 勉 誠 出 版

︑ 一 九 九 三 年

︑ の ち

﹃ 日 本 中 世 の 説 話

・ 書 物 の ネ ッ ト ワ ー ク

﹄ 和 泉 書 院

︑ 二

〇 九 年 所 収

︒ / 前 掲 注#

︑ 友 久 論 文

︒ 0 伊 藤 慎 吾

﹁ 是 害 坊 絵 巻

﹂﹃ お 伽 草 子 事 典

﹄ 東 京 堂 出 版

︑ 二

〇 二 年

︒ 1 徳 江 元 正

﹁ 序 説 室 町 芸 能 史 論 の も く ろ み

﹂﹃ 室 町 芸 能 史 論 攷

﹄ 三 弥 井 書 店

︑ 一 九 八 四 年

︒ 小 野 恭 靖

﹁ 中 世 物 語 絵 巻 と 歌 謡

﹃ 大 阪 教 育 大 学 紀 要

﹄ 四 九

︑ 二

〇 年 八 月

︒ の ち

﹃ 絵 の 語 る 歌 謡 史

﹄ 和 泉 書 院

︑ 二

〇 一 年 所 収

︒ 2 天 野 文 雄

﹁﹁ 善 界

﹂ の 本 地

﹂﹃ 観 世

﹄ 四 四

・ 五

︑ 一 九 七 七 年 五 月

︒ 小 田 幸 子

﹁﹁ 善 界

﹂ 演 出 の 歴 史

﹂﹃ 観 世

﹄ 五 五

・ 一 二

︑ 一 九 八 八 年 一 二 月

︒ 山 中 玲 子

﹁ 天 狗 の 能 の 作 風

│ 応 仁 の 乱 以 後 の 能

﹂﹃ 中 世 文 学

﹄ 四 一

︑ 一 九 九 六 年 六 月

︒ 小 林 健 二

﹁ 天 狗 説 話 の 視 覚 的 展 開

│﹃ 是 害 房 絵

﹄ と 能

﹃ 善 界

﹄│

﹂﹃ 王 朝 文 学 と 物 語 絵

﹄ 竹 林 舎

︑ 二

〇 一

〇 年

︒ 最 新 の 小 林 論 文 が そ れ ぞ れ の 成

― 117 ― 『是害房絵』の基本的構成

(20)

果 を 紹 介 し つ つ

︑ 竹 田 法 印 の 作 能 方 法 の 特 色 を 明 ら か に し て い る

# 前 掲 注!

︑ 伊 井 氏 論 文

$ 徳 田 和 夫 氏 よ り

︑﹃ 七 天 狗 絵

﹄ に は や く

﹁ 是 骸 房

﹂ の 名 が 見 え る こ と

︑﹁ 是 害 房

﹂ の 名 自 体 が 善 悪 表 裏 一 体 で あ る こ と を あ ら わ す の で は な い か

︑ と ご 教 示 を 頂 い た

︒ 徳 田 氏

﹁ 是 害 房 絵 詞

﹂﹃ 別 冊 太 陽 妖 怪 絵 巻 日 本 の 異 界 を の ぞ く

﹄ 平 凡 社

︑ 二

〇 一

〇 年 七 月

︒ 参 照

% 前 掲 注"

論 文 参 照

︒ 牧 野 氏 の 説 く

﹁ 天 狗

﹂﹁ 比 良 山

︵ 平 山

︶﹂

﹁ 聖 徳 太 子

﹂ と の 関 わ り を 示 す 文 献 に

﹃ 比 良 山 古 人 霊 託

﹄ が あ る

&

染 殿 后 説 話 に つ い て は 拙 稿

﹁﹃ 今 昔 物 語 集

﹄ に お け る

﹁ 鬼

﹂ と

﹁ 天 狗

﹂│ 巻 二 十 第 七 話 を 中 心 に

﹂﹃ 同 志 社 国 文 学

﹄ 七

︑ 二

〇 九 年 三 月

︒ で 扱 っ た

︒ な お 神 野 志 隆 光

﹁ 紺 青 鬼 攷

│ 特 に 真 済 を め ぐ っ て

﹂﹃ 国 語 と 国 文 学

﹄ 五

・ 一

︑ 一 九 七 三 年 一 月

︒ 渡 辺 博 史

﹁ 二 つ の 紺 青 鬼 譚

│ 染 殿 后 怪 異 譚 の 流 れ

︵ 下

︶│

﹂﹃ 立 教 大 学 日 本 文 学

﹄ 四 三

︑ 一 九 七 九 年 一 二 月

︒ が あ る

︒ ' 川 崎 氏 よ り ご 教 示 頂 い た

︒﹃ 金 剛 山 縁 起

﹄ に つ い て は 川 崎 氏

﹁﹃ 金 剛 山 縁 起

﹄ の 基 礎 的 研 究

﹂﹃ 金 沢 文 庫 研 究

﹄ 三 一 七

︑ 二

〇 六 年 一

〇 月

︒ 同

﹁ 日 本 国

﹃ 金 剛 山

﹄ 説 の 流 布

│ 院 政 期

︑ 南 都 を 中 心 に

﹂﹃ 伝 承 文 学 研 究

﹄ 五 六

︑ 二

〇 七 年 五 月

︒ を 参 照

︒ ( 山 本 陽 子

﹃ 絵 巻 に お け る 神 と 天 皇 の 表 現

│ 見 え ぬ よ う に 描 く

﹄ 中 央 公 論 美 術 出 版

︑ 二

〇 六 年

︒ )

﹃ 吾 妻 鏡

﹄ 宝 治 元 年

︵ 一 二 四 七

︶ 三 月 二 日 条 に は

﹁ 今 日 可

写 不 動 并 慈 恵 大 師 像

之 由

﹂︑ 同 二 八 日 条 に は

﹁ 為

将 軍 家 御 祈

︒ 不 動 尊 并 慈 恵 大 師 像 一 万 体 被

写 之

︒ 今 日 有

供 養 之 儀

﹂ と あ る

︒ 中 世 の 良 源 像 に つ い て は

﹃ 元 三 大 師 良 源

│ 比 叡 山 中 興 の 祖

﹄ 大 津 市 歴 史 博 物 館

︑ 二

〇 一

〇 年 三 月

︒ を 参 照

* 原 田 正 俊

﹁﹃ 天 狗 草 紙

﹄ に み る 鎌 倉 時 代 後 期 の 仏 法

﹂﹃ 中 世 の 禅 宗 と 社 会

﹄ 吉 川 弘 文 館

︑ 一 九 九 八 年

︒ 初 出 は 一 九 九 四 年

︒ + 若 林 晴 子

﹁ 中 世 に お け る 慈 恵 大 師 信 仰

│ 魔 の イ メ ー ジ を 中 心 に

﹂ 五 味 文 彦 編

﹃ 芸 能 の 中 世

﹄ 吉 川 弘 文 館

︑ 二

〇 年 三 月

︒ , 浅 湫 毅

﹁ 調 伏 の か た ち と し て の 元 三 大 師 像

﹂﹃ 仏 教 美 術 研 究 上 野 記 念 財 団 助 成 研 究 会 報 告 書 第 三 十 七 冊 研 究 発 表 と 座 談 会 予 言 と 調 伏 の か た ち

﹄ 二

〇 一

〇 年 三 月

︒ - 日 羅 房

﹁ 煩 悩 ノ ツ モ レ ル 垢 ヲ ミ タ ラ ヰ ノ キ ヨ キ ナ カ レ ニ ス ヽ キ ツ ル カ ナ

﹂ . 阿 部 泰 郎

﹃ 湯 屋 の 皇 后

﹄ 名 古 屋 大 学 出 版

︑ 一 九 九 八 年

︒ ま た 非 人 施 行 に つ い て は 丹 生 谷 哲 二

﹃ 検 非 違 使 中 世 の け が れ と 権

『是害房絵』の基本的構成 ― 118 ―

(21)

﹄ 平 凡 社

︑ 一 九 八 六 年

︒ が 詳 し い

! 田 口 和 夫 氏 か ら

︑ 歌 合 場 面 で の 是 害 房 の 詠 歌 や 天 狗 た ち の 画 中 詞 を 読 む と 必 ず し も 護 法 善 神 と な っ た と は い え な い の で は な い か

︑ 日 羅 房 と 是 害 房 と の 発 言 と は 最 後 ま で 食 い 違 っ て い る の で は な い か

︑ と の ご 意 見 を 賜 っ た

︒ 是 害 房 の 詠 歌

﹁ 老 ノ ナ ミ ニ モ ロ コ シ 船 ノ キ ヨ セ ツ ヽ ア キ ツ シ マ ニ テ

︑ ウ キ メ ヲ ソ ミ ル

﹂ は 本 朝 を 称 揚 す る 内 容 で あ り

︑ 本 稿 の 論 旨 に 矛 盾 は な い と 考 え て い る

︒ 画 中 詞 と の ズ レ は 本 作 の 笑 い の 問 題 と も つ な が る の で 今 後 の 課 題 と し た い

― 119 ― 『是害房絵』の基本的構成

(22)

参照

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