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Ⅰ 論文の内容の要旨

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Academic year: 2021

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- 1 - 23 氏 名 李 省展

学 位 の 種 類 博士(文学)

報 告 番 号 乙第324号

学 位 授 与 年 月 日 2016年3月31日

学 位 授 与 の 要 件 学位規則(昭和28年4月1日文部省令第9号) 第4条第2項該当

学 位 論 文 題 目 帝国・近代・植民地そして「信仰」

―朝鮮における米国北長老派の教育事業の生成と展開(1885~

1945)―

審 査 委 員 (主査)西原 廉太 Mira Sonntag

徐 正敏(明治学院大学教養教育センター 教授)

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Ⅰ 論文の内容の要旨

(1)論文の構成

はじめに

1 先行研究 ・ 2 研究の射程と研究方法 3 本論文で用いる資料

第一章 帝国主義とミッション 一、 スピア報告書とブラウン報告書に見る朝鮮宣教と東アジアの情勢 二、 20世紀初頭における朝鮮のキリスト教と政治権力の関係 三、 1910年代の朝鮮ミッションと日本 四、 「文化政治」と朝鮮ミッション 五、 スピアの新帝国主義とミッション

第二章 アメリカ人宣教師による近代教育の扶植と朝鮮

―ウイリアム・ベアードとピョンヤンのキリスト教教育―

一、 ウイリアム・ベアードと宣教師への道 二、 ベアードの初期宣教・教育活動

三、 朝鮮ミッションの教育政策 四、 ベアードとピョンヤンのキリスト教教育

1. ベアードの北朝鮮観

2. ベアード教育報告書(1899年)と崇実学堂の創設 五、 崇実とパーク・カレッジ・モデル―源流への遡上―

六、 ベアード書簡に見るユニオン・ムーヴメントと崇実大学の創設 七、 大学問題とベアードの辞任

第三章 植民地朝鮮におけるミッションと総督府の葛藤 一、 統監府の教育・宗教政策 二、 日本帝国主義下の教育とミッション 三、 総督府のキリスト教政策の転換と「改正私立学校規則」

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四、 小松・ブラウン論争―「宗教と教育の分離」をめぐって 五、 「改正私立学校規則」に対する方針と朝鮮在住宣教師の対応 六、 「改正私立学校規則」をめぐるキリスト教学校の対応

第四章 相克―植民統治下における高等教育の創設とミッション―

一、 ユニオン・ムーヴメントと連合崇実大学 二、 「朝鮮に一つの大学」構想 三、 平壌 vs. ソウル

第五章 独立運動に見るミッションと朝鮮人の抵抗の論理 ―「政治不介入の原則」の政治性と「文明化の尺度」の逆転をめぐって―

一、 総督府官吏と宣教師の非公式、非公開会合

二、 3月29,30日における関屋学務局長との面会

三、 宣教師の「政治不介入」とその政治的意味 四、 3・1独立運動に見る朝鮮人の抵抗の論理

第六章 帝国と「帝国の中の帝国」の融合

―長老派ミッションスクールの指定学校化をめぐって―

一、 ミッションの「文化政治」への協同 二、 キリスト教教育の自由と最初の指定学校の誕生 三、 長老派ミッションスクールの全校指定学校化への道程

第七章 離反―植民地朝鮮における神社参拝の強要とミッションスクール―

一、 神社参拝とミッションスクール 二、 平壌のミッションスクール神社不参拝事件の経緯 三、 平壌 vs. ソウル 1.平壌の神社不参拝問題をめぐる諸問題 2.ソウルにおける神社参拝をめぐる対応 3.朝鮮ミッションとソウル

結章 瓦解―「帝国の中の帝国」の挫折と崩壊そして再建へ 一、 平壌のミッションスクールの閉校 二、 教育事業からの撤収をめぐる宣教師間の対立 三、 総督府の参拝強要とその論理 四、 ミッションスクール存廃の論理とその背景 五、 朝鮮ミッションの神社参拝拒否とその歴史的意義

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補論一 米国北長老派海外宣教本部の東アジア認識と105人事件 ―フィラデル長老派歴史協会所収資料と日本の研究から―

はじめに 一、 20世紀初頭の長老派海外宣教本部の文明観と「政治不介入」政策 二、 105人事件と北宣教本部の動きの中から

1.アーサー・ブラウンを中心とした北長老派宣教本部の動き 2.WCC105人事件関連資料から 3.渡辺暢の渡米とロバート・スピア

三 、 “The Korean Conspiracy Case”と“The Korean Conspiracy Case, Supplementary

Statement” に見られる裁判過程の諸問題とブラウンの政治観・キリスト教観・

文明観 四、 105人事件に関係する日本の研究から

おわりに

補論二 東アジアにおけるナショナリズムとミッションスクール はじめに 一、 東アジアにおけるキリスト教宣教とミッションスクール 1.プロテスタント宣教と東アジア 2.プロテスタント宣教と教派連合による高等教育の発展 二、 帝国日本のナショナリズムとミッションスクール 三、 植民地期朝鮮におけるミッションスクールの葛藤 四、 中国におけるナショナリズムとミッションスクール

おわりに

参考文献一覧

(2)論文の内容要旨

本論文は東アジア的広がりを視野におさめながら、米国北長老派の教育事業を、朝鮮を 基軸にその生成と発展そして1930年代の日中・日米関係の悪化を背景とした帝国日本との 葛藤を経た瓦解にいたる歴史的経緯を考察し、その歴史的意義を論じるものである。した がって本論文の叙述は単にキリスト教教育史の範疇にとどまるのではなく、豊富な宣教関 連資料を駆使しながら、19世紀末から20世紀中葉までをその論議の射程とし、各章の表題 に示されるように、東アジアにおいてせめぎ合う帝国主義、植民地主義そして近代ナショ ナリズムが複雑に絡み合う関係性における、キリスト教ミッションのトランスナショナル

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でダイナミックな動きを解明するとともに、朝鮮における北長老派ミッションスクールの 生成と発展、さらにその帝国日本との葛藤を叙述するものである。それは、「はじまり」・「扶 植」・「葛藤」・「相克」・「抵抗」・「融合」・「離反」・「瓦解」と各章の表題に象徴されるよう な、北長老派ミッションの教育事業と統治権力との関係を検証し描写するとともに、その 歴史的意義を解明するものである。

論を展開するにあたって、先行研究、研究の射程と方法、研究対象とした資料を整理す ることにより、本論文の性格を明らかにする作業がなされている。その作業の中で、抵抗 史観との関連で断片的にミッション資料を用いることの限界性を指摘する。また19世紀末 から20世紀中葉にいたる宣教関連資料を全面的に精査する必要性が主張され、近代教育を 基軸として北長老派ミッションと朝鮮総督府がどのような関係性にあったかを検証する作 業を通じて宣教師が朝鮮にもたらした近代と帝国日本のもたらした近代にどのような構築 上の差異が存在したのかを解明することを問題の所在として提示する。

第一章において、近代アメリカ史の文脈からミッション成立に焦点を当て、そこには政 治経済的動機と宣教への宗教的情熱の併存を北長老派単一ミッション・ボードの誕生なら びにステユーデント・ボランティア運動を通じて明らかにする。また宣教本部と現地宣教 師の帝国主義に対する代表的な言説を検証することにより、両者のスタンスの微妙な差異 が示され、宣教本部の親和性と、現地宣教師の批判的スタンスと親和性という両義的な態 度が明らかにされる。

第二章においては北長老派ミッションの教育事業の生成と発展をウイリアム・ベアード に焦点を当て、平壌に創設された崇実学堂(中等教育)から連合崇実大学への発展過程を 丹念に叙述するなかで、ベアードが中心となり北長老派の教育政策が樹立されたことが明 らかにされている。またキリスト教発展の中心的役割を担った朝鮮の西北地方において自 己完結的な教育システムがどのようにして創造されたかを克明に明らかにする。

第三章以降は植民地期を扱っている。第三章においては「改正私立学校規則」に見られ る朝鮮総督府の「宗教と教育の分離」政策が北長老派ミッションとどのような葛藤関係を 招いたのかを宣教関連資料を精査し、その葛藤のベースには公的領域と私的領域をめぐる 構築上の差異が日米間に存在したことを、宣教本部のアーサー・ブラウンと総督府官僚の 小松緑との論争を中心に明らかにしている。

第四章は植民地期における超教派によるミッション高等教育の創設を巡る論議が紹介さ れている。それは「朝鮮に一つの大学」創設を目指すものであり、帝国日本による植民地 教育導入への対抗を企図していたことが解明され、その設置場所をめぐる宣教師間の論議 から、平壌を中心とした保守主義とソウルを中心としたリベラリズムとの対立構造が鮮明 になったことが解明されており、この問題から生じた対立構造は神社参拝の是非を巡る論 議へと繋がっていることが示唆される。

第五章では3・1独立運動と宣教師の関わり、また朝鮮人キリスト者の抵抗の論理を、宣 教関連資料を中心に明らかにするものである。宣教師は総督府官僚と二度にわたり秘密会

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合をもっているが、その第一会合に関しては、宣教師資料と総督府資料の二種類が存在し ている。その二種の記録から、会合の実態を再構成することにより、全容の解明が企図さ れている。宣教師のとった「政治不介入原則」のもつ政治性を論じ、また在米留学生や独 立運動家の新資料が紹介され、朝鮮人側の植民地主義批判の論理が解明されている。

第六章は「文化政治」期における北長老派ミッションスクールの指定学校化を宣教関連 資料から明らかにするものである。「教育と宗教の分離」政策に対して閉校をも辞さない北 長老派ミッションの抵抗にあった朝鮮総督府は指定学校制度を新設し、ミッションスクー ルに対して宗教教育の自由を認めざるを得なかった。多くの労苦を伴った指定学校化への 努力がなされたが、指定学校化は朝鮮総督府による植民地教育への全面的編入を意味する ものでもあったことが明らかにされている。

第七章では平壌でのミッションスクールに対する神社参拝の強要に端を発した神社参拝 問題により、北長老ミッション間での熾烈な論議を経て「教育引退」という自主閉校にい たらざるを得なかった原因を考察した。神社参拝は国民儀礼であるとする総督府の見解を めぐる賛否が存在し、現地ミッションの評決により自主閉校へといたったのであるが、そ の際に、保守主義とリベラリズムの対立が主導的な役割を果たしたホルドクロフトとアン ダーウッドの間に見られたことが明らかとなった。

結章においては、学校史と宣教関連資料をもちいながら、平壌の「三崇」(崇実学校・崇 実専門学校・崇義女学校)の閉校過程を描き出し、平壌を中心とした朝鮮人側の学校存続 への願いと自主閉校を決定した宣教師側との葛藤を描いている。アメリカの宣教本部がこ の決定に対してどのように介入したのか、南長老派が与えた影響、また当時の「ファンダ メンタリスト論争」が与えた影響なども新資料をもちいて明らかにしている。

Ⅱ 論文審査の結果の要旨

本論文の特筆すべき独自性として、多種多様な宣教関連一次資料を駆使した研究をまず 挙げたい。著者は、Presbyterian Historical Society の長老派資料をはじめとして、Drew University, Drew Divinity School 所 収 のメ ソジ ス ト 資料 そ の 他、 Harvard Yenching Institute, Harvard Library, Union Theological Seminary Bark Library, Yale University Library, Yale Divinity School Library などの多くの宣教関連資料蒐集を積極的に進めて きており、すでに韓国において既刊の WCC 文書の資料集などとあわせて、この論文が依拠 した資料群の範囲は広範囲にわたる。

北長老派の宣教関連資料は、現地ミッションとの関連においては、ステーション・レポ ートをもちいた各委員会レベルの議事録、カンファレンス議事録、宣教師書簡(現地宣教 師間、朝鮮ミッション宛、海外宣教本部宛、米国の教会宛、海外宣教局の機関誌に掲載す

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ることを意図したDear friends書簡など、事件が生じた際の報告書類など多種多様な議事 録・報告書・書簡類で構成されている。その中で特に重要なものは、海外宣教本部主事(セ クレタリー)、アーサー・ブラウン(Arthur J. Brown)とロバート・スピア(Robert Speer) の下に収集された資料群である。また北長老派の海外宣教局にはミッション・ボードが組 織されており、このボード・レターズとも称されるボード決議なども含む資料群、東洋委 員会、日本委員会などの各種委員会記録、イシューに対応するためにアドホックに設置さ れた委員会記録群などの全般を基礎資料として用いている。また、宣教関連資料には、宣 教師等により現地で発行された雑誌、学校関係のパンフレット類なども含まれており、前 述したように多種多様で豊富な資料群を用いた研究であることは特筆されるべきである。

また研究方法の斬新さも評価される点であろう。一つは今までの韓国のミッション・宣 教師研究は、教会史の枠組みへと回収される傾向が強く、それが主流であったといえる。

本論文は、副題に見られるように、北長老派の教育事業の生成と発展を論じ、宣教の三位 一体的構造(教会・学校・病院)のうち教育に基軸をおき論議が展開されている。したが ってキリスト教史のみならず、近代教育史の領域でも注目すべき新たな発見がなされてい る。また、本論文は近代を射程とする研究であるが、近代主義には陥らず、著者が「帝国 主義近代」という用語を用いているように、近代の負の部分である帝国主義・植民地主義 との関わりを絶えず問うているところも高く評価されるべき点であろう。したがってミッ ションが時には帝国日本の植民地主義と共犯関係を構築することもあれば、時には宣教師 がもたらした近代と日本の近代の構築上の差異が、日本の植民地主義に対して批判的・抵 抗的に機能する場合もあり、そこに両義性を読み取ることができる。本論文では資料にあ くまで即しながら歴史内在的に教育領域におけるヘゲモニーをめぐる競争ならびに葛藤関 係を見事に浮き上がらせることに成功している。さらに方法論として今一つ注目される点 は、著者は絶えず東アジアへの広がりを意識しており、やや萌芽的なものの、中国や日本 の宣教関連資料も取り入れ、論議を展開している点である。ミッションの動きをネイショ ンに封じ込めるのではなく、トランスナショナルな動きを取り入れたという点では評価に 値する研究であるといえる。

結章では、「三崇」(崇実学校・崇実専門学校・崇義女学校)の閉校過程とそれを巡る北 長老派宣教師の平壌からの撤退を「帝国の中の帝国」の崩壊として叙述するのであるが、

その一連の論議の中で注目されるべき点は、現地宣教師がアメリカのキリスト教界の磁場 と現地の磁場とに二重に拘束される実態を描き出したところにある。アメリカ・キリスト 教界でのファンダメンタリズム論争に拘束される宣教師の姿が本論文で浮き彫りになって いる。ホルドクロフト、ソルトーなどの神社参拝反対派がファンダメンタリストであった という研究は存在する。しかしこのアメリカでの論争によりアメリカの長老派が分裂し、

ファンダメンタリズムの指導者であったメイチェンが中心となり独立宣教会を創立するの であるが、ホルドクロフト帰国後に独立宣教会のセクレタリーに就任したことが本論文に より初めて明らかにされた事実である。アメリカ・キリスト教史との関係性の中で神社参

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拝問題を位置付け論議を展開し、その人脈をも含めて関係性を解明したという点において 本論文の神社参拝強要を巡る論議は高く評価できるものである。

20世紀に入ってからの朝鮮近代史の叙述は、日本と朝鮮の関係性に集中せざるを得ない 状況が存在したといえるが、抵抗史観に多く見られるイシューにおいて従属的、断片的に ミッション・宣教師を取り扱うのではなく、本論文は西洋人宣教師ならびにミッションを 朝鮮史の表舞台に長期的かつ積極的に登場させ、異なるアクターからの視線を取り込むこ とにより、植民地期を含む近代朝鮮をより立体的に叙述する道を切り開いたという点は最 大の独自性として特筆されるべきと考える。

「平壌-ソウル」という括り方、「帝国」の概念定義、現地朝鮮人自身の言動についての 資料参照の不足などの問題点も指摘されたが、本質的に本論文の意義、成果を損なうもの ではなく、ミッション・宣教史研究分野において高く評価できるものである。

参照

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