和漢薬研究所の過去、現在、そして将来
服 部 征 雄
和漢医薬学綸含研究所 所 長 薬物代翻工学分野 教 授
1.は じめ に
平成 17年10月 1日富 山医科薬科大学 、富山大学、
高岡短期 大 学 の 3国 立大学 法人 が統 合 して新 し い富山大学 が設立 され た。 この機 に、和漢薬研究 所 は和漢 医薬 学総合研 究所 と名 称 を改 め新 た な 出発 を図 ることになった。同 日に新総合研 究所開 所式及び記念講演会が行 われ 、その折、 「和漢薬 研究所か ら和漢 医薬学総合研 究所― 過去 、現在 、 そ して未来ヘー」 と題 した講演 を行 つたが、 ここ にその内容 を要約 し記す。
2.沿 革
昭和 27年 に富 山県は薬業振興の一環 と して、
薬学部の故 中沖大七郎教授 (生薬学)の 医薬資源 に関す る研 究 と更 な る発 展 のた め医薬 資源 研 究 室 を寄附 したが、この研 究室の設置 が後 の和漢薬 研究施設 、和漢薬研 究所への発展 の先駆 け となつ た と考 え られ る。 昭和 38年 4月 には富 山大学薬 学部の特殊性 と300年 を有す る富 山県の特色 を生 か した和漢薬研究の重要性 が認 め られ (和漢薬研 究所年報 第 1巻 1974年 )、 富 山大学薬学部和漢 薬研究施設 が創設 された。最初 に資源 開発部 門が 設置 され 、教授 は新進気鋭 の本村正康氏 (医薬大 名誉教授)で あつた。 その後 、昭和 39年 4月 に 生物試験部 門 (木村 正康教授 が移 籍)、 昭和 40 年 に臨床利 用部門 (大浦彦吉教授 )、 昭和 44年 に病態生化学部 門 (塚田欣 司教授 )が 次 々 と設置 され た。 昭和 49年 5月 に化学応用部門 (菊池徹 教授)が 設置 され 、翌 6月 には富 山大学附置研 究 所 に昇格 した (当時、最低 5研 究部 門を有す るこ とが研究所設置の条件 であった)。 次いで富 山医
科薬科大学の創設に ともない、昭和 53年 和漢薬 研究所はこの新設大学に移管 された。その後、昭 和 62年 には高次神経機能制御部門 (客員部門、
10年 時限)、 63年 には免疫機能制御部門 (外国 人客員部門、10年 時限)、 平成 2年 には細胞資源 工学部門 (10年時限)、 平成 8年 には薬効解析セ ンターが設置 され研究所 も次第 に充実 してきた。
これ らの時限付 き部 門はその後所期 の 目的 を 達 し廃止 され、平成 9年 には恒常性機能解析部門、
平成 12年 には薬物代謝工学部門 (10年時限、但 し、国立大学法人富山医科薬科大学 とな り、この 時限は撤廃 された)力`新 たに設置 された。 また、
平成 11年 4月 に漢方診断学部門 (ツムラ寄附部 Fヨ)、平成 16年 4月 には和漢薬製剤開発部門 (富 山県寄附部門)が 設置 された。平成 17年 10月 1 日、新 しい国立大学法人富山大学の発足を契機 に 和漢医薬学総合研究所 として出発 した。
3.研究活動の概要
和漢薬研 究所 では以 下の研 究課題 に取 り組 ん でお り、文部科学省の21世紀COEプ ログラム 「東 洋の知に立脚 した個の医療の創生」での機軸機関
となつている。
①漢方医学の科学的解明―東洋医学的概念 「証」
の先端科学的手法による解明、②世界各地の天然 薬物に関す る科学的研究―難治性疾患、生活習慣 病の予防、治療への有用植物成分の研究、③現代 医療への和漢薬 ・天然薬物の応用研究―術後癌転 移抑制の 目的で漢方処方 「十全大補湯」を臨床的 利用、④民族薬物の蒐集 とデー タベースの作成―
附属薬効解析セ ンター (平成 17年 8月 から民族
薬物研究セ ンター に改名)で は世界の民族薬物 24,000点の資料 を管理 し、民族薬物デ=タ ベース を公開 している。
最近の主な研究成果 としては、①老人性痴呆改 善効果が二重盲検法で証明 された漢方処方 「釣藤 散」の薬理学的裏付けを行なった。②地域貢献の 一環 として、富山の配置薬の処方を見直 し、現代 人 に多い生活習慣病 に有効 な製 品開発 を行 なつ た。富山ブラン ド 「パナ ワン」の名称で販売 され る家庭配置薬の開発に成功 した。③漢方処方 「十 全大補湯」が癌転移 を抑制す る事を発見 し、その メカニズムを解明 した。④緑茶や大黄に含まれ る カテキン類が腎疾患の予防、治療に有効である事 を明 らかに した。⑤脳神経細胞のネ ッ トワーク形 成を促進す る天然薬物成分 を明 らかに した。⑥漢 薬、食品中に含まれ る リグナ ン類が消化管内で内 分泌調節物質に変換 され る過程 を明 らかに した。
⑦魚油の様 々な効果 を ヒ トに よる介入実験で明 らかに した。③漢薬 と西洋薬の同時投与の是非を 薬物代謝酵素の観点か ら明 らかに した。
4.日 本学術振興会拠点大学方 式によるタイと の学術交流事業
平成 13年度か ら日本学術振興会の支援 を受け、
医薬大 ・和漢薬研究所 を 日本側拠点大学 と して
「拠点大学方式によるタイ との学術交流事業」を 開始 した。相手側対応機 関は タイ学術研 究会議 (NRCT)で 、タイ側の拠点大学 ・機 関であるチ ュラロンコン大学お よびチ ュラポン研 究所 を中 心に、天然薬物 を研究テーマ とした研究者交流、
共同研究お よびセ ミナーを実施 している。 日本側 協力大学は千葉大学、東京大学、名古屋大学、広 島大学、九州大学、岐阜薬科大学、北里大学、明 治薬科大学であ り、タイ側協力大学はチェンマイ 大学、カセサー ト大学、コンケン大学、マハサラ カム大学、マ ヒ ドン大学、ナ レスワン大学、プ リ ンスオブ ソンクラ大学、シラパ コーン大学、ス リ
ナカリンウィロー大学、ウボンラチャタニ大学で ある。なお協力機関としてはベ トナム国立伝統医 学研究所、ベ トナム国立薬物研究所 も含まれる。
国際共同研究のテーマ としては①老人性疾患の 予防と治療に有用な天然薬物の研究、②アレルギ ー性疾患および癌の予防や浸潤 ・転移を抑制する 天然薬物の研究、③月干炎 (肝障害を含む)お よび 数種の感染症に有用な天然薬物の研究、④天然薬 物の構造 ・合成 ・活性発現の分子機構の研究、⑤ タイ産薬用植物成分の生合成に関す る分子生物 学 とバイオテクノロジー研究、およびタイ産薬用 植物のデータベースの確立である。
5。21世 紀 COEブ ログ ラムの機軸研究機関 文部科学省は 「世界最高水準の研究教育拠点を 形成 し研究水 準の向上 と世界 を リー ドす る創造 的な人材育成 を図る」ためのプログラムとして平 成 14年 度に 50大 学 113件 ,15年 度は 56大 学 133件 を採択 した。医薬大は 「学際 ・複合 ・新領 域」に 「東洋の知に立脚 した個の医療の創生」構 想を申請 し、伝統医薬学分野 として初めて採択 さ れた。本プログラムの拠点 リーダは当時病院長 ・ 冨1学長であった寺澤捷年教授で、和漢薬研究所か
ら6名 が事業推進担 当者 として参加者 し、①個人 差の診断 と分子基盤 に関す る臨床研究、②病態解 析研究 と天然薬物基礎研究、③漢方方剤への反応 性の差異 (個人差)の 先端分子生物学的解析、④ 国際研究拠点の確 立な どに関 し中心的役割 を果
している。
6.部局間国際交流
和漢薬研 究所 は和漢薬 をは じめ とす る天然薬 物の研究を発展 させ るために、多 くの海外の研究 機関 と学術交流協定を締結 している。平成 17年 10月 現在、その数は 8ヶ 国 15機 関に達 し、これ
らの研 究機 関の研究者 との学術交流や共同セ ミ ナー開催な どの部局間交流 を推進 している。これ
ら部局間協定機関はサ ンパ ウロ大学薬学部 (プラ ジル)、南京 中医薬大学 ・中薬学院 (中国)、大連 理工大学 ・理工学院 (中国)、遼寧中医学院薬学 院 ・中薬研究所 (中国)、南京大学 ・化学化工学 院 (中国)、カイロ大学 ・薬学部 (エジプ ト)、ソ
ウル大学 ・天然物科学研究所 (韓国)、回光大学 校 ・薬用資源研究センター (韓国)、東団大学校 ・ 韓医学研究所 (韓国)、 ト リブバ ン大学 ・理工学 研究所 (ネパール)、ポカラ大学 (ネパール)、シ ラパ コーン大学 ・薬学部 (タイ)、コンケン大学 ・ 薬学部 (タイ)、モンゴル国立大学 ・生物学部 (モ
ンゴル)、伝統医学活性化財団 (イン ド)で ある (平成 17年 12月 には寧夏医学院が追加 された)。
なお、平成 17年 2月 に北京大学医学部薬学院 と 和漢薬研究所 との間に相互研究拠点 を設置す る ことが同意 され、それぞれの機関で 「薬用資源の 保全 とその有効利用 に関す る国際共 同研究セ ン
ター」が開設 された:
医薬大の大学問交流協定締結校 のなかで も藩 陽薬科大学、中 日友好医院、中国中医研究院、北 京大学、中国薬科大学は和漢薬研究所 との長い部 局間交流実績が実 り、大学問の交流協定の締結に 結びついたものである。
7.学会 シンポジウム、セミナ ーの主催 1)和漢医薬学会大会―
昭和 42年 故 山村雄一先生 (元大阪大学総長) らを発 起 人 と して第 1回 和漢薬 シ ンポ ジ ウム が 「和漢薬研 究の近代的アプ ローチ」をテーマ に立 山連 峰 の 中腹 にあ る弥 陀 ケ原 の 山荘 で開 催 された。以後開催地 を各地 に変 え 17年 を経 て和漠薬シンポジウムは発展的に解消 し、昭和 59 年に新 しい 「和漢医薬学会」 (初代理事長 山村雄 一)が 富山で誕生 した。第 1回 和漢医薬学会大会 は同年、熊谷朗教授 (当時、病院長 ・副学長、医 薬大名誉教授)が 主宰 し盛大に行われた。また学 会事務局は研究所内におかれ、庶務理事は代々研
究所の教授が担当 してきている。年会は各地で開 催 され るが、3年 毎に富山に戻つて くることが恒 例 となつている。和漠薬研究所は昭和 62年 (第4 回大会長 大 浦彦吉)、 平成 5年 (第 10回 大会 長 荻 田善一)、 平成 9年 (第 14回 大会長 難 波恒雄)、平成 13年 (第 18回 大会長 渡邊裕司)、
平成 16年 (第21回 大会長 服部征雄)に 本学会 大会を主催 してきた。平成 19年 には済木育夫教 授が第 24回 大会を主宰す る予定になつている。
富山での参カロ者は600‐650名 程度で主 として富山 県民会館、富山国際会議場を会場 として行なって きた。
2)日際伝続医薬シンポジウム・口Ш―
平成 4年 故難波恒雄教授が中心 とな り第 1回 国 際伝統医薬 シンポジウム ・富山が開催 され、以後 平成 10年 の第 7回 国際伝統医薬 シンポジウム ・ 富山まで富山県か らの支援 を得 て毎年 開催 され てきた。平成 11年 には富山国際会議場の鱗落 と しを兼ね、国際伝統医薬 フォーラム (大会長 寺 澤捷年)が 研究所を中心に開催 された。第 8回 以 降は隔年開催 とな り平成 13年 、平成 15年 、平成 17年 に開催 された。第 10回 国際伝統医薬シンポ ジウム ・富山は平成 17年 7月 に 「伝統医学の新 展開一国際調和 と独 自性 、経験知 と先端科学―」の テーマで開催 された。
3)研究所特日Uセミナー
昭和 56年 に大浦彦吉所長が 「慢性肝炎 と和漢 期 状 と将来―」のテーマで第 1回 研究所特別セ ミナーを開催 した。研究所の定例セ ミナー と区別 す るため特別セ ミナー と称 したが、文部省の年度 末の余剰経費を正面 してもらつた関係上、平成 5 年まで毎年 3月 に開催 されてきた。当時、和漢薬 関係のセ ミナーは珍 しかつたため、医学部臨床講 義室は満席 となることも珍 しくなかつた。平成 17 年 第 26回 研究所特別セ ミナーは富山県民会館 を
会場 とし、 「和漢薬 と消化管二 消化管常在菌の役 割お よび消化管疾患をめぐる最近の話題―」のテ ーマで行われた。
0和 漢薬研究所夏期セミナー
和漢薬 の正 しい理解 と和漢薬 に興 味 を抱 き大 学院進学を目指す学生を増やす 目的で平成 8年 8 月に大山町のイ ンテ ック研修所 で第 1回 が開催 されて以来、平成 17年 には第 10回 を迎えた。当 初、学生を対象 としたセ ミナーであったが、T般 市民や製薬企業 に従事 してい る社会 人 も加 わ る よ うになってきている。過去 lo年 間の総参カロ者 は 600名 を越 える数に達 している。
5)和 漢薬 (中薬)医学薬学的研究に関する日中 シンポジウム
昭和 47年 目中の国交が再開 されて徐々に学術 交流の機運 も高ま り、昭和 60年 に中国衛生部は 日本訪問団を組織 し、富山で開催 された 「第 1回 和漢薬 (中薬)医 学薬学的研究に関す る日中シン ポジウムJを 支援 した。 この最初の 日中シンポジ ウムは成功裏に終わ り、以後、昭和 62年 (第 2 回、北京)、 平成元年 (第 3回 、富山)、 平成 5 年 (第 4回 、北京)、 平成 7年 (第 5回 、富山)、
平成 9年 (第6回 、北京)と 開催地を富山と北京 相互に変 えて行われた。平成 9年 北京で開催 され たシンポジウムを最後に開催 されていないが、我 が国 と中国の研究者の相互訪問 も活発 にな り、本 シンポ ジウムは所期 の 目的 を達 した もの と考 え ている。
8.教 育研究活動
研究所に在籍 して課程博士号を取得 した学生は 平成 7年 10月 現在、103名 に のぼ り、その うち 76名 が留学生である (73.8%)。 また論文博士は 36名 であ り、外国人は 10名 (27.8%)で ある。
中国か らの留学生が圧倒的に多 く、すでに中国で
は 60名 以 上が教授 、助教授 な ど第 1線 の研 究者 に成長 してい る。
9。法 人1ヒと利 漢薬 研 究 所
平成 16年 か ら全 ての国立大学 が独 立行政法人 (国立大学法 人)に 移行す るにあた り、 「附置研 究所及び研 究施設の意義や役割 、法人化後の附置 研 究所及び研 究施設 の在 り方」を検討す るために 科学技術 ・学術審議会 学術分科会 に附置研究所等 特別委員会 が設 置 され (平成 14年 9月 )、平成 15年 1月 に中間報告 がな された。全国の研究所 を 襲 つた激震 は、その中の組織性 に関す る文言 であ った。 「附置研 究所 が (中略)・ ・・・・・学部及 び研 究科 と同様 に学 内 にお いて も基本 的 な組織 として位 置付 け られ 、大学 の運営 に も参画す るな: ど諸般 の要因 を考 えれ ば、当然 、学部及 び研 究科 に準ず る程度 の教 官 規模 が求 め られ る こ とにな る。必要規模 としては学問分野や その研 究所 の 日 的 ・使命 に よ り異 な るものの、学部や研 究科 の規 模や 、基本組織 としての位 置付 け等 を考慮すれ ば、
30人 程度 がその 目安 となろ う。」 当時、和漢薬研 究所 の定員 は 19名 で、社会科学系の研 究所 を除 けば、全 国で最 も小規模 で、最後 に設 置 された研 究所 であった。医薬大執行部 (高久晃 学長、竹 口 紀晃 副学 長、寺澤捷年 副学長 、倉知 :E佳 医学部 長 、倉石 泰 薬学部長 、服部征雄 和漢薬研 究所長 、 荒木長 事務 局長)は 和漢薬研 究所 の存続 には 30 名 体制 に持 って い くこ とが必 要 との考 えで一致 し、す ぐさま改革案作成 を指示 した。和漢薬研 究 所の教授 、薬効解析セ ンター長 (小松かつ子助教 授 )、研 究協力課長 (飯嶋祐 ‐)力 `数 日をか けて 作 りあげた 『和漢薬研究所 の現状 と改革構想』は 評議会 で 了承 され 、これ を もつて所長 ヒア リング に臨んだ。 この改革案 は学 内の医学部、薬学部 の 協 力、さらには富 山県 下の 3大 学統合後 の定員移 動 を見込み 30名 体制に持 ってい くこ と、 これ ま での小部 門制 を大部門制 に変 え、全国共 同利用型
研究所 を 目指 し、人事の移動を活発化す ることな どが述べ られ、研究所名 も 「和漢医薬学総合研究 所」に改名す るとした。幸いなことに、和漢薬研 究所はその研究の独 自性、国際的活動な どが評価 され、19人 の定員は拠点形成基盤 としては弱いが 将来的に改革 を行い、拡充の方向を打ち出 してい るので引き続 き様子を見るとされ、研究所の危機 をひ とまず脱出す ることができた。
10。最近の和漢医薬学総含研究所 (和漢薬研究 所)の うご き
1)点検評価の実施
本研究所では、研究 ・教育成果を国民に知 らせ る説明責任 を果 し、研究所の更なる活性化のため に点検評価 を行なってきた。平成 9年 には和漢薬 研究所の外部評価 (評価委員長 北 川 勲 )を 行 い、また平成 11年 (細胞資源工学部門、 評 価 委員長 山 田英明)、12年 (生物試験部門、評価 委員長 員崎知生)、17年 (病態生化学分野、 評 価委員長 服 部征雄)に は教授着任 10年 を経過
した部門の外部お よび内部評価 を実施 してきた。
その他、平成 1年 、平成 10年 、平成 17年 には点 検評価の一環 として 「和漢薬研究所職員研究業績 目録」を刊行 した。 この業績 目録は個人単位 で記 載 され、個人評価の先駆 け として注 日を浴びたよ
うである。
2)小部門制から大部門制への転換
平成 13年 7月 1日 に和漢薬研究所は これまで の小部門制 を廃上 し、部門間の垣根 を取 り払い境 界領域の研究を発展 させ、人事の閉鎖性 を解消す るため大部門制に移行 した。 この結果、資源開発 部門 (漢方薬学、化学応用、薬物代謝工学分野を 含む)、病態科学部門 (生物試験 、病態生化分野 を含む)、臨床科学部門 (臨床利用分野を含む) の 3大 部門に整理 され、寄附部門 として漢方診断 学部門、客員部門 として恒常性機能解析部門を有
す る組織 に改変 され た。 なお 、寄附部 門にはその 後 、和漢薬製剤 開発部 門が追加 され た。教授 の転 出 に ともな い分 野 名 が変 更 され漢 方 薬 学 は生薬 資源科学 、生物試 験 は複 合薬物薬理学 に改名 され た、また病態科学部 門には消化 管生理学分野が新 設 され てい る。
3)5年 任期制 の採用
和漢 薬研 究所 は 医薬 大 の な か で も任 期 制 を最 も早い時期 か ら採用 した部局 で あ り (平成 9年 に 採 用 され た教授 か ら適用)、教授 、助教授 は 10年 任期で、助 手 は 7年 で あつた。 しか しなが ら、人 事 の更な る流動性 の確保 、採用時の幅広い公募 が 必 要 と考 え、平成 15年 3月 に全 ての教員 の任期 を 5年 と した。また平成 17年 9月 20日 には教員 の再任 に関す る規 定 、教 員の再任 に関す る規定実 施要項が教授 会で承認 され 、9月 22日 の教育研 究 評議会 で了承 され た。教授選考 にあたつては外部 の有識者 を含 めた選考委 員会 を組織 して、選考過 程 の透 明性 を確保す るこ ととした。
4)定 員増及び研究部門 0分 野の拡充
平成 16年 1月 、学術分科会 に よる所長 ヒア リ ングを受 けた時点の定 員は 19名 で あ り、将来 的 には分科会 が主張す る定員 30名 以上 を 目指す こ とが医薬 大評議 会 で 了承 を得 、 「和漢 医薬 学総 合 研 究所設 立準備委員会」が設置 され た (委員長 高 久晃)。法人化 に ともない技官 3名 が助 手に昇格 され定員増 となった。また、薬 学部 (倉石泰 薬学 部長)か らは 5年 の約束 で 1教 授職 を借用 し、平 成 16年 5月 か ら新 た に 「消化管生理学分野」 を 設置 した。 平成 14年 ツム ラの寄附講座 (客員教 授 1、客員助 教授 2、研 究員 1)が 更新 され て、さ
らに平成 16年 7月 か ら富 山県の寄附部 門が設置 され客員教授 1、研 究員 1が 追加 された。平成 17 年 10月 時点での研 究所 の教員 は 31名 (客員 8名 を含む)と なってい る。
10
め 薬効解析センターの組織改革
和漢薬研究所の将来計画に沿つて、附属薬効解 析センターの組織改革が平成 17年 5月 に教授会 で決議 された。薬効解析セ ンターは平成 8年 4月 に設置 され、薬効解析に関す る研究ばか りでな く、
民族薬物の蒐集、整理、これ らの薬物をデータベ ー ス として世界に発信す るな どの業績 をあげて きたが、施設名 を平成 17年 8月 1日 か ら 「民族 薬物研究センター」 と改称 し、薬効解析部、外国 人客員部、国際共同研究部、民族薬物資料館 を下 部組織 とした。初代民族薬物研究センター長には 済木育夫教授が選出された。また、将来的には成 分分析部、国内共同研究部、医療文化部、医療経 済部な どの設置が検討 されている。また、研究所 への受話研究依頼業務の一括管理な どもこのセ ンターで行われ る予定である。なお、民族薬物資 料館には館長 を設 け、初代の館長には小松かつ子 教授が併任する事 となつた。
11.利漢薬研究所の将来
平成 17年 10月 1日 、富山県の 3国 立大学が統 廃合 して新 しい富山大学が設立 され るのを機 に、
和漢薬研 究所 は和漢 医薬学総合研究所 に改組 さ れた。これまでの研究所はその名の示す ように薬 系の研究所であづたが、伝統医学や相補代替医療 を取 りこんだ統合 医療 の重要性 が欧米 を中心 に 湧 き上が り、我が国で も関連 した学会が次々 と設 立 され る状況下にあつて、単なる和漢薬の研究に 留ま らずt医 学、薬学、臨床が結びついた総合的 研究体制が求められている。また、全人的な医療 を目指すためには、医療文化、医療経済な どの人 文、社会科学系の研究者の参画も歓迎す る組織 と す ることが重要である。新 しい研究所名 に改変 さ れ るのを機に、これまでの和漢薬研究所の設置 目 的であつた 「和漢薬に関す る学理およびその応用 の研究」か ら、以下の和漢医薬学総合研究所の使 命 を掲げることとした。
1)新 しい利漢医薬単組含研究所の使命
和漢医薬学総合研究所は、先端科学技術を駆使 す ることに よ り伝統 医学や伝統薬物 を科学的に 研究 し、以つて東洋 医薬学 と西洋医薬学 との融合 をはか り、新 しい医薬学体系の構築 と全人的医療 の確立に貢献す ることを使命 とす る。このために 研究の柱を以 下の課題 に設定 し、研究所内の横断 的研究 と国内および国際共同研究を推進する。
①天然薬物資源 の確保 と保全一環境破壊や気象 変化により、天然薬物の安定的供給が今後、益々 困難になることが予想 されている。本研究所では、
天然薬物資源の確保、保全、お よび永続的利用を 図るために、薬用資源植物の学術調査 ・蒐集 ・デ ータベース化、栽培 ・育種 とその評価、遺伝子情 報解析、成分化学的解析、遺伝子工学的研究、お よび新 しい天然薬物資源 の開発研究を推進す る。
②和漢 医薬学の基盤研 究の推進 と東西医薬学 の融← 不口漢医薬学では疾患を 「証」として捉 え、
「証」に基づいた薬の処方 と治療がな され る (弁 証論治)。本研究所 では先端科学技術 を用いて、
「弁証論治」な どの東洋 医学的概念の客観化(科学 的証明)を図 り、西洋医学 との融合 を推進す る。ま た現代医療における天然薬物の有用性、作用機序、
活性成分、代謝、体内動態、相互作用 を明 らかに し、確かな効果を有 し、副作用の少ない新 しい和 漢薬製剤開発のための基盤研究を推進する。これ らの先端科学研究に加 えて医薬史学的考証 を進 め、伝統医薬学の継承 と現代医療への応用を目指 す。
③漢方医学にお ける診 断治療体系の客観化 と 漢方医療従事者の育成―漢方医学を含む伝統医学 ではより経験知が重視 され る。このよ うな伝統医 学に固有の診断治療体系を客観化 し、治療効果の 科学的評価法を確立す る。また、漢方医療従事者 の教育研修 のためのカ リキュラムの作成 と普及 に努め、健康福祉に貢献す る漢方医療従事者を育 成する。
④伝統 医薬学研究の中核 的情報発信拠 点の形 成一本研究所民族薬物研究セ ンター内に設置 した 和漢医薬学研究推進ネ ッ トワークを通 じて、和漢 薬 。天然薬物の基礎 ・臨床研究に関す る情報 ・知 識 を集積、交換、発信す ると共に国内お よび国際 的共有化 を図 り、併せて国内 ・国際共同研究を推 進す る中核的拠点を形成す る。
2)臨床部門の充実
昭和 54年 附属病院に和漢診療部が設 け られ、
漢方医学に基づいた診療が開始 され、次いで平成 5年 和漢診療学講座が国立大学 として初 めて設置 された。初代の寺澤捷年教授の活躍 により医薬大 は漢方医学の一大拠点に成長す る事が出来たが、
近年医学部の コアカ リキュラムに 「和漢薬 を概説 できる」 との項 目が入 つたこと、さらには欧米を 含めて相補 ・代替医療の発展 と呼応 して、漢方教 育の出来 る指導者不足が著 しい。和漢薬研究所内 には漢方診断学部門 (寄附講座)が 漢方 コースを 開講 し医師、薬剤師等の教育に長年携 わつてきた 実績 があ り、将来的 には常設部 門 とし教 育 ・研 究 ・診療 を行 な う組織 とす ることが必要である。
12.終わ りに
今 日、和漢薬や漢方治療は社会的にはほぼ認知 された と言 つても過言ではない。 しか しなが ら、
西洋医学 と比べ、世間がまだ白い 日で見ていた時 代に自らの信念で伝統医学 を掘 り起 こ し、発展 さ せ、研究所 を創設 していつた創生期の先生方には 畏敬の念を感 じる。民族薬物資料館の設立、国交 が開けたばか りの中国人留学生 の受 け入れ に対 しても、周 りは大変、冷たかつた。 しか し、今考 えて見れば、これ らは有形、無形の研究所の財産 となつている。 これ こそが先見の明であ り、後世 に残 る偉業ではないか と考 えている。和漢医薬学 総合研究所の新生を契機 に研究所の教職員、学生 が、研究所の使命 を良 く理解 し、後世において も
高 く評価 され る業績 を積み上げて欲 しいもので ある。
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