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戦後日本の子どもから障害児を分けない教育の史的 研究

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九州大学学術情報リポジトリ

Kyushu University Institutional Repository

戦後日本の子どもから障害児を分けない教育の史的 研究

久米, 祐子

http://hdl.handle.net/2324/4474915

出版情報:Kyushu University, 2020, 博士(教育学), 課程博士 バージョン:

権利関係:

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戦後日本の子どもから障害児を分けない教育の史的研究

久米 祐子

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目 次

序章・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1 頁 第 1 節 本研究の課題 1

第 2 節 本研究の方法と視座 7

第 3 節 本研究の地域設定と構成 9

(1) 1970 年代の分けない教育実践としてとりあげる地域の設定 9 (2)本研究の構成 11

第1章 戦後の生活指導による子どもから障害児を分けない教育の成立・・・・・・・14 頁 第1節 教育指導者講習から生活指導による分けない教育の定義へ 16

第 1 項 教育指導者講習でのガイダンスの内容と対象としての問題児 17 (1) 教育指導者講習(IFEL)でのガイダンスの内容 17

(2) 教育指導者講習で変化したもの 20

第 2 項「問題児」を摘出するガイダンス専門家の否定 24 (1) 戦前の生活指導の意味 26

(2) 「生活指導」と訳した理由 26

(3) 障害児等の「問題児」を学級の一員として考える「生活指導」の訳語成立 27 第 3 項 小中学校での分けない教育の考え方及び教育実践の広まり 30

第 2 節 生活指導による分けない教育の成立 34

第1項 個別指導から学級社会への着目 34

第2項 「仲間づくり」を中心とした普通学級での分けない教育実践へ 39 小括 43

第2章 子どもから障害児を分ける教育の制度化・・・・・・・・・・・・・・・・45 頁 第 1 節 1960 年代の統合教育実践の成立 47

第 1 項 盲・聾・養護学校及び特殊学級の対象児の変更 48 第 2 項「辻村報告」と文部省特殊教育課の特殊教育振興方針 51

(1) 「辻村報告」の概要 51

(2) 1960 年代の文部省特殊教育課の特殊学級教育方針 56 (3)リハビリテーションという考え方 57

(4) 統合教育という言葉の成立経緯 60 (5) 統合教育が必要とされた理由 67 第 3 項 統合教育の実際 68

(1) 弱視児童・生徒の巡回指導 68 (2) 文部省指定校の統合教育 69

(3) 文部省指定研究校の教育実践内容 76 第 3 項 1969 年学習指導要領の統合教育実践 80

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第 2 節 優生政策から 1973 年養護学校義務化政令に至る経緯 82

第 1 項 田中内閣の優生思想による福祉政策の転換-地域から収容施設へ 83 第 2 項 「収容」施設として養護学校を追加 95

第 3 項 小中学校への優生政策となった養護学校義務化政令 99 小括 105

第3章 分ける教育の場を拒絶する共同教育及び共育実践の誕生・・・・・・・・・108 頁 第1節 日教組教育制度検討委員会の共同教育方針 109

第 1 項 梅根悟の共同教育論とその変容 109 (1) 梅根悟にとっての障害児教育 110

(2) 梅根悟の共同教育論 117

第 2 項 日教組の内部事情による共同教育論の調整 124 (1)日教組教研全国集会障害児教育分科会での混乱 124 (2)共同教育の最終「調整」 134

第 2 節 豊中市教職員組合の共同教育 136

第 1 項 豊中市教組が共同教育を開始した経緯 136 第 2 項 就学猶予・免除児をなくす取り組み 143 第 3 項 共同教育の展開の実際 146

(1)重度学級「ひろがり学級」から校区の学校へ 146 (2)重度であるがゆえに校区の学校へ 148

(3)豊中市の就学手続きの変更 152

第 3 節 東京の共育による分けない教育思想と教育実践 157

第1項 子供問題研究会の「教育=共育」の根底にあるもの 157

(1) 1980 年代に日教組教研で共同教育から「共生・共育」へと名称変更した経緯 158 (2) 子供問題研究会の用語「共育」「共生」誕生の経緯 160

(3) イスラエル・キブツ体験による影響 164

(4) 障害(バリア)は人間関係づくりの中で形成・消滅するもの 166 (5) 町田市小学校との関わり 168

第2項 東京都町田市の小中学校における共育 170 (1) 町田市の分けない学校教育の始まり 171

(2) 町田市長が分けない教育に取り組み始めた経緯 175 (3) 町田市立小学校の共育の取り組み 177

(4) 子ども同士の人間関係づくりを最優先とする変化 181 小括 184

終章 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・188 頁

第 1 節 本研究の成果 188

(1) 分けない教育の系譜と分ける教育の系譜 188 (2)分けない教育の方法とその考え方 191

第 2 節 今後の課題 193

引用・参照文献・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・194 頁

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序 章

第 1 節 本 研 究 の 課 題

本 研 究 の 目 的 は 、 第 二 次 世 界 大 戦 後 か ら 1980 年 代 ま で の 、 子 ど も か ら 障 害 児1を 分 け な い 教 育(以 下 「 分 け な い 教 育 」 と 記 す)が 実 践 さ れ 、 展 開 し て い っ た 様 相 を 解 明 す る こ と で あ る 。 本 研 究 が 期 間 を 戦 後 か ら 1980 年 代 ま で と 限 定 す る の は 、 イ ン ク ル ー シ ブ 教 育 に つ い て の 知 見 が 1990 年 代 に 日 本 へ 流 入 す る 前 の 、 分 け な い 教 育 の 系 譜 を 詳 ら か に す る た め で あ る 。

戦 後 の 障 害 児 教 育 の 研 究 動 向 に つ い て 、1980 年 代 ま で は 清 水 寛/北 沢 清 司 他 編 『 障 害 者 教 育 史 』2等 の 日 本 障 害 児 教 育 史 に み る よ う に 、主 に 特 殊 教 育 の 発 展 と し て 養 護 学 校 義 務 化 へ 向 か う 教 育 史 が 多 数 書 か れ て き た 。

1990年 代 に 入 っ て 、国 連 の サ ラ マ ン カ 宣 言(1994年)で 、障 害 児 を は じ め と し た 多 様 な 教 育 的 ニ ー ズ を も つ 子 ど も の 教 育 は 、で き る 限 り 一 般 教 育 制 度 の 中 で 行 わ れ る べ き で あ る3と す る イ ン ク ル ー シ ブ 教 育 が 提 唱 さ れ た 。 次 に 2001 年 に WHO に よ る 国 際 障 害 分 類 が 国 際 生 活 機 能 分 類 に 変 更 さ れ る こ と に よ っ て 、 社 会 参 加 で き な い の は 個 人 に 障 害 が あ る か ら で は な く 、 社 会 環 境 が 障 害 児 者 を 社 会 参 加 さ せ な い よ う に し て い る た め で あ る 、 と い う 障 害 概 念 の 転 換 が あ っ た4。 さ ら に 障 害 者 権 利 条 約 が 国 連 で 2006 年 に 採 決 さ れ 、 日 本 も 2014(平 成 26)年 に 批 准 し た5

こ れ ら の 経 緯 を 反 映 し て 、 日 本 で は 「 イ ン ク ル ー シ ブ 教 育 = 障 害 児 の 特 別 ニ ー ズ 教 育 」 と い う 視 点 に よ る 障 害 児 者 関 係 の 研 究 書 が 多 く を 占 め る よ う に な っ た 。

と こ ろ が 、こ れ ら の 研 究 は 1973 年 に 閣 議 決 定 さ れ た「 学 校 教 育 法 中 養 護 学 校 に お け る 就 学 義 務 及 び 養 護 学 校 の 設 置 義 務 に 関 す る 部 分 の 施 行 期 日 を 定 め る 政 令 」(以 後「 養 護 学 校 義 務 化 政 令 」)に よ っ て 、1979 年 4 月 に 全 面 実 施 に な っ た 養 護 学 校 義 務 制 実 施 後 の 障 害 児 教 育 史 を 、 現 在 提 唱 さ れ て い る 「 イ ン ク ル ー シ ブ 教 育 」 に つ な げ る も の が 多 い 状 況 に あ る6

1 「 障 害 児 」 の 用 語 は 、 戦 前 は 大 正 期 か ら 「 障 碍 児 」 と 記 さ れ た 例 (坂 井 千 春 著 「 天 然 栄 養 児 の 栄 養 障 碍 に 就 て 」 京 都 府 立 医 学 専 門 学 校 小 児 科 編 『 校 友 会 雑 誌 65』1914年 34 頁 に 「 栄 養 障 碍 児 」 の 用 例 等 が あ る) が い く つ も あ り 、 戦 後 1946年 の 当 用 漢 字 表 制 定 以 後 は 同 表 に

「 碍 」 が 入 っ て い な か っ た た め 同 音 の 「 害 」 の 字 を 使 用 し て 「 身 体 障 害 児 」 と 表 記 さ れ る よ う に な っ た 。 そ の た め 1950年 代 は 「 障 碍 児 」「 障 害 児 」 が 同 時 期 に 使 用 さ れ て い た 。 本 研 究 は 、 教 育 史 研 究 で あ る た め 、 当 時 の 用 語 を そ の ま ま 用 い る 。

2 津 曲 裕 次/清 水 寛/松 矢 勝 宏/北 沢 清 司 編 『 障 害 者 教 育 史 』 川 島 書 店 、1985年 。 及 び 荒 川 勇/ 大 井 清 吉/中 野 善 達 編 『 日 本 障 害 児 教 育 史 』 福 村 出 版 、1976年 な ど 。

3 シ ャ ロ ン ・ ラ ス ト マ イ ア ー 著 嶺 井 正 也 他 訳 『 イ ン ク ル ー シ ヴ 教 育 に 向 っ て 』 八 月 書 館 、 2008年 、18-19頁(嶺 井 が 「 イ ン ク ル ー シ ヴ 教 育 」 と 最 初 に 日 本 語 訳 し た)

4 長 瀬 修/東 俊 裕/川 島 聡 編 『 障 害 者 の 権 利 条 約 と 日 本 』 生 活 書 院 、2008年 、38-39頁

5 長 瀬 修/川 島 聡 編 『 障 害 者 権 利 条 約 の 実 施 』 信 山 社 、2018年 、5 頁

6 清 水 寛/高 橋 智 『 城 戸 幡 太 郎 と 日 本 の 障 害 者 教 育 科 学 』 多 賀 出 版 、1998 年 や 、 位 頭 義 仁 『 知

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中 村 満 紀 男 は こ の 実 情 を 、 学 界 に お い て も 教 育 学 研 究 者 の イ ン ク ル ー シ ブ 教 育 へ の 反 応 は 文 部 科 学 省 の 受 け 止 め 方 と 大 差 な い と 、次 の よ う に 批 判 し て い る 。「 日 本 の イ ン ク ル ー シ ブ 教 育 へ の 関 心 は 、 こ の よ う な 国 際 的 動 向 か ら 見 る と か な り 偏 っ て い る 。 イ ン ク ル ー シ ブ 教 育 の 本 質 か ら し て 、イ ン ク ル ー シ ブ 教 育 は 通 常 教 育 の 問 題 で(も)あ る 。し か し 日 本 で は 、 第 一 に 、 文 教 政 策 で は 特 殊 教 育 の 特 別 支 援 教 育 へ の 転 換 、 す な わ ち 障 害 児 教 育 の 改 革 と い う 傾 向 が 強 く 、 イ ン ク ル ー シ ブ 教 育 に 対 し て 初 等 中 等 教 育 と し て ど の よ う に 取 り 組 む の か 否 か と い う 政 策 の 明 確 さ に 欠 け て い る 。 第 二 に 、 通 常 教 育 の 現 場 で の イ ン ク ル ー シ ブ 教 育 に 対 す る 理 解 も 関 心 も 希 薄 で あ る ば か り か 、 学 界 に お い て も 、 教 育 学 研 究 者 の イ ン ク ル ー シ ブ 教 育 へ の 反 応 は 、 文 部 科 学 省 の 受 け 止 め 方 と 大 差 な く 、 障 害 児 教 育 の 問 題 と し て い る か の よ う で あ る 。 第 三 に 、 障 害 児 教 育 関 係 者 も ま た 、 類 似 の イ ン ク ル ー シ ブ 教 育 理 解 、 す な わ ち 、 イ ン ク ル ー シ ブ 教 育 論 の ラ デ ィ カ ル さ に 対 す る 認 識 不 足 と 、 障 害 児 教 育 の 改 革 に 限 定 し た 部 分 的 な 理 解 に 陥 っ て い る 傾 向 が 強 い 」7と 述 べ て い る の で あ る 。

つ ま り 中 村 は 、 イ ン ク ル ー シ ブ 教 育 が 単 に 障 害 児 教 育 だ け に と ど ま る も の で は な く 、 教 育 全 体 を 改 革 す る も の な の で あ り 、 現 在 の 研 究 動 向 は こ の 認 識 を 欠 い て い る と 述 べ て い る の で あ る 。 も と よ り イ ン ク ル ー シ ブ 教 育 は 、 子 ど も か ら 障 害 児 を 分 け る と い う 考 え 方 を 問 う も の で あ る 。 そ れ ゆ え に 、 障 害 児 だ け で は な く 貧 困 や 学 習 不 振 な ど 、 子 ど も 全 般 に 関 わ る 問 題 を 教 育 課 題 の 中 心 に 据 え る も の で あ る 。 こ れ に つ い て 水 野 和 代 は 「 イ ン ク ル ー シ ブ 教 育 は 、 子 ど も の 差 異 を 認 め 、 多 様 な 「 特 別 な 教 育 的 ニ ー ズ(Special Educational Needs:SEN)の あ る 子 ど も 達 を 学 校 教 育 に 位 置 づ け 、 所 属 意 識 を 持 た せ る 通 常 学 校 教 育 の 改 革 で あ る 。「 特 別 な 教 育 的 ニ ー ズ 」の あ る 子 ど も と は 障 害 、言 語・文 化 的 な 背 景 や 貧 困 な ど の 理 由 か ら 、学 習 に お け る 困 難 さ が あ る 子 ど も の こ と を 指 し て い る 」8と 具 体 的 に 述 べ て い る 。 こ の よ う に イ ン ク ル ー シ ブ 教 育 は 、 単 に 障 害 児 教 育 に と ど ま ら な い 、 新 し く 移 民 し て き た 子 ど も な ど 多 様 な 子 ど も が 学 習 上 か か え て い る 困 難 を 課 題 と す る も の で あ る 。

そ の よ う な 視 座 か ら 浮 か び 上 が る 教 育 史 的 課 題 は 、 日 本 の 戦 後 占 領 期 か ら 1979 年 度 の 養 護 学 校 義 務 化 実 施 と そ れ 以 後 の 1980 年 代 ま で の 期 間 、 つ ま り イ ン ク ル ー シ ブ 教 育 が 取 り 上 げ ら れ 始 め る 前 に 、 子 ど も か ら 障 害 児 を 分 け な い 教 育 が 有 っ た の か 無 か っ た の か と い う 問 題 で あ る 。 分 け な い 教 育 が 有 っ た と す れ ば 、 養 護 学 校 義 務 制 へ 向 か い 実 施 さ れ た 障 害 児 教 育 史 を 、 無 理 に イ ン ク ル ー シ ブ 教 育 へ 向 か う も の と し て 木 に 竹 を つ ぐ よ う に 接 合 す る 意 味 は 無 く な る の で あ る 。 な ぜ な ら 養 護 学 校 義 務 化 は 、 子 ど も か ら 障 害 児 を 分 け る 行 為 そ

的 障 害 児 の 統 合 教 育 ・ イ ン ク ル ー ジ ョ ン に 関 す る 研 究 』 風 間 書 房 、2007 年 等 が 挙 げ ら れ る 。

7中 村 満 紀 男 「 訳 者 あ と が き 」 ハ リ ー ・ ダ ニ エ ル/フ ィ リ ッ プ ・ ガ ー ナ ― 編 著 中 村 満 紀 男/窪 田 真 二 監 訳 『 世 界 の イ ン ク ル ー シ ブ 教 育 』 明 石 書 店 、2006年 、536 頁

8 水 野 和 代 『 イ ギ リ ス に お け る イ ン ク ル ー シ ブ 教 育 政 策 の 歴 史 的 展 開 』 風 間 書 房 、2019年 、 3-4 頁

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の も の で あ っ た か ら で あ る 。 ゆ え に 、 本 研 究 は イ ン ク ル ー シ ブ 教 育 へ 向 か う 前 段 階 と し て の 、 占 領 期 か ら 1980 年 代 ま で に 子 ど も か ら 障 害 児 を 分 け な い 教 育 の 系 譜 を 掘 り 起 こ す こ と を 課 題 と す る 。

そ も そ も 子 ど も か ら 障 害 児 を 分 け よ う と し た 時 、 ど こ か ら が 障 害 児 で ど こ か ら が そ う で な い の か と い う 連 続 性 に 線 引 き を す る 問 題 が 起 き る 。 そ う で は な く 自 然 の 連 続 性 に 線 引 き を 行 わ ず 、子 ど も か ら 障 害 児 を 分 け な い 教 育 実 践 が 、戦 後 の 様 々 な 教 育 雑 誌 、例 え ば コ ア・

カ リ キ ュ ラ ム 連 盟 の 機 関 誌『 カ リ キ ュ ラ ム 』な ど に は 1950 年 と い う 早 期 か ら 掲 載 さ れ て お り9、他 に も 多 様 な 教 育 書 や 教 育 雑 誌 に 分 け な い 教 育 実 践 が 載 せ ら れ て い る 。特 に 、生 活 指 導 関 係 の 当 時 の 文 献 ・ 史 料 に は 分 け な い 教 育 実 践 が 多 数 報 告 さ れ て い る 。

子 ど も か ら 障 害 児 を 分 け な い 試 み と さ れ る 統 合 教 育 の 歴 史 に つ い て は 、1960 年 代 か ら 加 藤 康 昭 が ア ン ケ ー ト に よ っ て ア メ リ カ 盲 児 の 統 合 教 育 に つ い て 研 究 し て い た1 0。 し か し 、 1979 年 に 日 本 が 養 護 学 校 義 務 化 を 施 行 し た こ と で 、 加 藤 の 統 合 教 育 研 究 は 中 断 し た1 1

そ の 後 、 嶺 井 正 也 は 次 の よ う に 分 け な い 教 育 に つ い て 書 い て い る 。「( 久 米 注 、 養 護 学 校 義 務 化 に 対 す る ) そ の 反 対 運 動 に お け る 教 育 の 基 本 的 な 考 え 方 は 、 障 害 の あ る 子 ど も と な い 子 ど も の 統 合 教 育 、 あ る い は 共 生 ・ 共 学 と い う も の で あ っ た 。 …(中 略)… 今 で 言 う イ ン ク ル ー シ ヴ 教 育 の 日 本 版 は 30 年 近 く も そ の 歴 史 を 持 っ て い る と い う こ と に な る 」1 2 と 述 べ て お り 、 さ ら に 嶺 井 は 「 こ の 考 え 方 は …(中 略)… な か な か 制 度 と し て は 認 め ら れ な か っ た 」1 3と も 述 べ て い る 。 つ ま り 、 国 の 制 度 外 の 教 育 実 践 と し て 日 本 の 分 け な い 教 育 は 1970 年 代 の 養 護 学 校 義 務 化 反 対 運 動 と し て 誕 生 し た と 述 べ て い る の で あ る 。 嶺 井 が こ れ を 書 い た の は 養 護 学 校 義 務 化 が 制 度 と し て 実 施 さ れ た 後 の 反 対 運 動 の 立 場 か ら 書 い て お り 、 嶺 井 の 言 う 「 制 度 」 と は 養 護 学 校 義 務 制 で あ る 。 そ れ な ら ば 、 養 護 学 校 義 務 化 実 施 以 前 に は 障 害 児 は 、 盲 ・ 聾 ・ 養 護 学 校 及 び 特 殊 学 級 へ 在 籍 し な け れ ば な ら な い 、 と す る 制 度 は 無 か っ た 。 盲 ・ 聾 ・ 養 護 学 校 及 び 特 殊 学 級 の 対 象 児 は 示 さ れ て い た が 、 そ れ は 在 籍 を 強 制 す る も の で は な か っ た か ら で あ る 。小 国 喜 弘 編『 障 害 児 の 共 生 教 育 運 動-養 護 学 校 義 務 化 反 対 運 動 を め ぐ る 教 育 思 想 』1 4も 問 題 の 所 在 を 「 本 書 は 、1979 年 の 養 護 学 校 義 務 化 実 施 に 反 対 し 、 障 害 児 を 地 域 の 普 通 学 校 へ と 就 学 さ せ よ う と し た 運 動(共 生 教 育 運 動)の 具 体 的 様 相 を 描 き 出 す こ と を 通 し て 、「 共 生 」の 教 育 思 想 と そ の 実 践 が 提 起 し た 問 題 を 歴 史 的 に 検 討 す る こ と

9「 一 年 生 ば か り 二 十 年 」 コ ア ・ カ リ キ ュ ラ ム 連 盟 編 『 カ リ キ ュ ラ ム 』22 号 、 誠 文 堂 新 光 社 、 1950 年 10 月 、57 頁

1 0 加 藤 康 昭 『 盲 教 育 史 研 究 序 説 』 東 峰 書 房 、1972年

1 1 加 藤 康 昭 「 日 本 の 障 害 児 教 育 に お け る 統 合 へ の 志 向 」 日 本 特 殊 教 育 学 会 編 『 特 殊 教 育 学 研 究 』11巻 3 号 、1974年 、12-23頁

1 2 嶺 井 正 也 『 現 代 教 育 政 策 論 の 焦 点 』 八 月 書 館 、2005年 、216-217 頁

1 3 同 上 、216 頁 。

1 4小 国 喜 弘(こ く に よ し ひ ろ)編 『 障 害 児 の 共 生 教 育 運 動-養 護 学 校 義 務 化 反 対 運 動 を め ぐ る 教 育 思 想 』 東 京 大 学 出 版 会 、2019年 。

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を 目 指 し て い る 」1 5と 課 題 設 定 し て い る 。こ こ で 、「1979 年 の 養 護 学 校 義 務 化 実 施 に 反 対 し 」 た こ と と 「 障 害 児 を 地 域 の 普 通 学 校 へ と 就 学 さ せ よ う と し た 運 動 」 と を 同 一 視 し て 述 べ て い る 。 そ れ ゆ え 小 国 は 「 共 生 教 育 運 動 」 の 教 育 思 想 が 養 護 学 校 義 務 化 に 「 反 対 し た 」 こ と か ら 誕 生 し た こ と を 前 提 と し て い る の で あ る 。 そ う い う 意 味 で 嶺 井 の 「 日 本 の 統 合 教 育 は 1970 年 代 の 養 護 学 校 義 務 化 反 対 運 動 と し て 誕 生 し た 」 と い う 論 に 連 な る も の と い え る 。

つ ま り 、 こ れ ら の 論 は 養 護 学 校 義 務 化 に 反 対 す る こ と 、 ま た は 反 対 し た こ と を 強 調 す る が ゆ え に 、 日 本 教 職 員 組 合(以 下 「 日 教 組 」)で は 、1970 年 代 は 共 同 教 育 と 言 わ れ 1980 年 代 に は 共 育 、共 生・共 学 と 呼 ば れ る よ う に な っ た 分 け な い 教 育 の 起 点 を 1973 年 の 養 護 学 校 義 務 化 政 令 後 に 置 く の で あ る 。 故 に そ の 発 祥 に つ い て 、 い つ ご ろ か ら こ れ ら の 分 け な い 教 育 思 想 及 び 教 育 実 践 が 形 成 さ れ た も の な の か を 解 明 す る も の で は な か っ た の で あ る 。

す な わ ち 、 本 研 究 が 養 護 学 校 義 務 化 に よ っ て 消 し 去 ら れ た 、 あ る い は 忘 れ 去 ら れ た 養 護 学 校 義 務 化 以 前 の 分 け な い 教 育 を 、 教 育 史 の 系 譜 と し て 掘 り 起 こ そ う と す る 点 で 嶺 井 や 小 国 の 論 と 、 本 研 究 と は 目 的 の 相 違 が あ る の で あ る 。

こ の よ う に 1973 年 の 養 護 学 校 義 務 化 政 令 以 前 の 、 分 け な い 教 育 に つ い て の 研 究 が な さ れ て こ な か っ た た め の 研 究 上 の 課 題 を 具 体 的 に 以 下 に 挙 げ る 。

例 え ば 、1960 年 代 の 障 害 児 教 育 に つ い て 荒 川 智 は 、 全 国 一 斉 学 力 テ ス ト(久 米 注 、 悉 皆 テ ス ト は 1961 年 か ら 1966 年 ま で1 6)の 時 に 見 ら れ た よ う な 、 低 学 力 の 児 童 生 徒 を 特 殊 学 級 に 入 れ て 普 通 学 級 の 平 均 点 を 上 げ る と い う 安 易 な 選 別 が な か っ た わ け で は な い が 、 全 般 的 に 見 れ ば 障 害 児 は 普 通 学 級 に そ の ま ま 放 置 さ れ て い た1 7と 述 べ て い る 。 こ の 文 は 、1979 年 度 の 養 護 学 校 義 務 化 実 施 後 の 状 況 に 比 べ れ ば 、 そ れ 以 前 の 1960 年 代 は 普 通 学 級 に 在 籍 し て い た 障 害 児 が 多 か っ た の で 、 そ の 状 況 を 「 普 通 学 級 に そ の ま ま 放 置 さ れ て い た 」 と 述 べ て い る の で あ る 。 し か し な が ら 、 こ れ は 1960 年 代 当 時 の 何 ら か の 教 育 実 践 な ど を 分 析 し た り 根 拠 と し た り し て 書 か れ て い る わ け で は な い 。 そ れ に も か か わ ら ず 、 養 護 学 校 義 務 化 を 擁 護 す る 多 く の 論 者 が 「 障 害 児 は 普 通 学 級 に そ の ま ま 放 置 さ れ て い た 」 と い う 言 説 を 支 持 し て い る 。

一 方 で 、 小 国 喜 弘 は 1960 年 代 に 特 殊 学 級 ・ 養 護 学 校 が 「 急 増 し た 」1 8と 述 べ て い る 。 つ ま り 、 論 者 の 視 点 に よ っ て 1960 年 代 の 特 殊 学 級 ・ 養 護 学 校 の 数 の 評 価 が 大 幅 に 変 わ っ て い る の で あ る 。 こ れ ら の 論 者 の 視 点 と は 、 す な わ ち 特 殊 学 級 及 び 養 護 学 校 設 置 数 の 数 値 の 目 標 が ど こ に あ る の か に よ っ て 評 価 が 分 か れ て い る の で あ る 。 障 害 児 は す べ て 特 殊 学 級

1 5 同 上 『 障 害 児 の 共 生 教 育 運 動 』1 頁

1 6 文 部 省 『 学 制 百 年 史 』1972年 、875-876 頁

1 7 荒 川 智 「「 特 別 支 援 教 育 」 の 歴 史 的 文 脈 と イ ン ク ル ー ジ ョ ン 」 日 本 特 別 ニ ー ズ 学 会(SNE 学 会)編 『 特 別 支 援 教 育 の 争 点 』 文 理 閣 、2004 年 、161 頁

1 8 前 掲 『 障 害 児 の 共 生 教 育 運 動 』20 頁

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及 び 盲 ・ 聾 ・ 養 護 学 校 に 入 っ て こ そ 「 適 切 な 教 育 が 受 け ら れ る 」 と い う 視 点 の 論 者 か ら す れ ば 、 障 害 児 者 の す べ て を 特 殊 学 級 及 び 盲 ・ 聾 ・ 養 護 学 校 に 入 れ る に は 、 そ の 設 置 数 は と て も 足 り な か っ た と い う 意 味 で 述 べ て い る の で あ る 。 反 対 に 、 小 国 た ち 養 護 学 校 義 務 化 に 反 対 す る 論 者 は 、 特 殊 学 級 及 び 盲 ・ 聾 ・ 養 護 学 校 が 障 害 児 者 の 「 適 切 な 教 育 の 場 で は な い 」 と す る 視 点 か ら 、 特 殊 学 級 及 び 盲 ・ 聾 ・ 養 護 学 校 数 は で き る だ け 少 な い 方 が 良 い の で 、1950 年 代 に 比 べ る と 1960 年 代 に 特 殊 学 級 ・ 養 護 学 校 が 「 急 増 し た 」 と い う こ と に な る の で あ る 。 こ れ ら の 問 題 に つ い て は 、1960 年 代 に 文 部 省 が 統 合 教 育 実 践 を し て い た と い う 事 実 を 検 証 し 、 そ の 方 法 な ど を 詳 ら か に し な け れ ば 判 断 で き な い 課 題 で あ る 。

特 に 、 養 護 学 校 義 務 化 後 に 山 口 薫 を 代 表 と す る 元 文 部 省 官 僚 だ っ た 研 究 者 が 養 護 学 校 義 務 化 を 擁 護 す る た め に 「 も し 、 障 害 児 を 普 通 学 級 で 教 育 す る こ と を も っ て 統 合 教 育 と す る な ら ば 、 わ が 国 で 養 護 学 校 や 特 殊 学 級 が ほ と ん ど な か っ た 時 代 や 、 養 護 学 校 や 特 殊 学 級 を こ れ か ら 作 ろ う と し て い る 開 発 途 上 国 は 統 合 教 育 が 非 常 に 進 ん で い る と い う こ と に な っ て し ま う 」1 9と い う 見 解 を 示 し 、養 護 学 校 義 務 化 以 前 の 分 け な い 教 育 を 否 定 し 、打 ち 消 し た が た め に 、 養 護 学 校 義 務 化 以 前 の 分 け な い 教 育 は 、 い ま だ 研 究 が な さ れ て な い 。 さ ら に 、 文 部 省 が 1960 年 代 に 統 合 教 育 を 実 践 し た こ と に つ い て も 、 こ れ ら 文 部 省 官 僚 及 び 元 文 部 省 官 僚 た ち に と っ て 、1973 年 以 降 に 養 護 学 校 義 務 化 政 策 を 実 施 に 向 か わ せ る 必 要 が 生 じ 、過 去 の 統 合 教 育 実 践 を 否 定 し た2 0。 そ の た め に 、 文 部 省 の 統 合 教 育 実 践 そ の も の が 忘 れ 去 ら れ 消 し 去 ら れ て し ま っ た 。

ま た 、山 口 が 述 べ て い る「 養 護 学 校 や 特 殊 学 級 を こ れ か ら 作 ろ う と し て い る 開 発 途 上 国 」 の 動 向 に つ い て 、 古 田 弘 子 に よ れ ば 、 こ れ か ら 障 害 児 教 育 に 取 り 組 も う と し て い る 発 展 途 上 国 は 、 植 民 地 時 代 の 宗 主 国 等 の 先 進 諸 国 か ら の 援 助 に よ っ て 、 直 接 的 に 先 進 諸 国 の 教 育 思 潮 を 反 映 し て お り 、 統 合 教 育 の 開 始 及 び イ ン ク ル ー シ ブ 教 育 へ の 転 換 が 行 わ れ た 国 が い く つ も あ っ た と 述 べ て い る2 1。例 え ば ス リ ラ ン カ で は 、「1968 年 の 公 教 育 に お け る 統 合 教 育 の 開 始 、1990 年 代 後 半 か ら の ス ウ ェ ー デ ン 政 府 援 助 機 関 の 意 向 を 受 け て の 特 別 な ニ ー ズ 教 育(久 米 注 、イ ン ク ル ー シ ヴ 教 育)へ の 転 換 」2 2が あ っ た と 述 べ て い る 。つ ま り「 開 発 途 上 国

1 9 山 口 薫 「 統 合 教 育 の 可 能 性 と 限 界 」『 発 達 の 遅 れ と 教 育 』341号 、 日 本 文 化 科 学 社 、1986 年 、6-7頁

2 0 大 川 原 潔 「 い わ ゆ る 統 合 教 育 に お け る 時 代 的 背 景 」『 特 殊 教 育 の 発 展 と そ の 経 緯-行 政 と の か か わ り を 背 景 に-』 第 一 法 規 、1990(平 成 2)年 、217頁(こ の 頁 で 、「 今 後 「 統 合 教 育 」 を ど の よ う に 考 え て い く か は 一 つ の 大 き な 課 題 で あ り,慎 重 な 研 究 を 要 す る と こ ろ で あ る 。 統 合 教 育 に つ い て の 研 究 は 必 要 で あ る が,そ の た め に 障 害 児 を 人 間 爆 弾 に す べ き で は な い と い う 関 係 者 の 意 見 に も 耳 を 傾 け た い 」 と 述 べ て お り 、 大 川 原 た ち が 1960 年 代 に 行 っ た 弱 視 児 の 統 合 教 育 実 践 を 否 定 し て い る 。 大 川 原 は 1969(昭 和 44)年 度 に 文 部 省 初 ・ 中 等 局 特 殊 教 育 課 教 科 調 査 官 で あ っ た 。「 編 集 ・ 執 筆 者 」 大 川 原 潔/加 藤 安 雄/北 原 一 敏/中 川 秀 夫/松 原 隆 三 /村 田 茂 『 特 殊 教 育 用 語 辞 典 』 第 一 法 規 、1969(昭 和 44)年 、 は じ め か ら 5 頁 目 に よ る)

2 1古 田 弘 子 「 ア ジ ア の 障 害 児 教 育 史(1)」 中 村 満 紀 男 ・ 荒 川 智 編 著 『 障 害 児 教 育 の 歴 史 』 明 石 書 店 、2003年 、159頁

2 2 同 上 、159 頁

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が 養 護 学 校 や 特 殊 学 級 を こ れ か ら 作 ろ う 」 と す る と い う 仮 定 が 、 非 現 実 的 な の で あ る 。 ま た 、 位 頭 義 仁 は 「 日 本 の 多 く の 障 害 児 教 育 関 係 者 が 、 統 合(交 流)教 育 に 関 す る 情 報 を 得 た の は 、1969 年 の 特 殊 教 育 総 合 研 究 調 査 協 力 者 会 議 報 告「 特 殊 教 育 の 基 本 的 な 施 策 の あ り 方 に つ い て 」(以 下「 辻 村 報 告 」)で あ っ た 」と 述 べ て い る2 3。し か し 、位 頭 は「 辻 村 報 告 」 は 統 合 教 育 の 部 分 に つ い て は 現 実 の 教 育 に 影 響 を 与 え な か っ た2 4と い う 見 解 を 述 べ て い る が 、 こ れ は 検 証 さ れ た も の で は な い 。

そ し て 、 最 近 の 傾 向 と し て 二 見 妙 子 が 筆 者 の 修 士 論 文 「 梅 根 悟 の 障 害 児 教 育 論 の 影 響 と 相 克-1970 年 代 障 害 児 教 育 義 務 制 を め ぐ っ て-」2 5を 参 照 し て 『 イ ン ク ル ー シ ブ 教 育 の 源 流 -1970 年 代 豊 中 市 に お け る 原 学 級 保 障 運 動 』2 6を 書 い て い る よ う に 、1970 年 代 の 分 け な い 教 育 の 一 つ で あ っ た 共 同 教 育 を 、 未 だ 日 本 の 教 育 実 践 と は な っ て い な い イ ン ク ル ー シ ブ 教 育 に 置 き 換 え て 書 い た 論 文 も 増 え て い る2 7

イ ン ク ル ー シ ブ 教 育 と は 中 村 が 述 べ て い る よ う に 、 単 に 障 害 児 の 問 題 だ け で は な く 例 え ば 、21 世 紀 に 海 外 か ら 新 し く 日 本 へ 来 た 親 の 子 ど も た ち の 教 育 の 問 題 な ど は 、イ ン ク ル ー シ ブ 教 育 の 範 囲 と す べ き 普 通 教 育 の 問 題 で あ る 。 こ れ ら の 教 育 課 題 は い ま だ に 対 応 さ れ て お ら ず 、 イ ン ク ル ー シ ブ 教 育 は 、 現 在 実 施 さ れ て い な い 現 状 に あ る 。 そ れ ゆ え 、 戦 前 か ら の 分 け な い 教 育 の 系 譜 を 描 出 し た と し て も 、 そ れ は す ぐ に イ ン ク ル ー シ ブ 教 育 の 系 譜 へ 結 び つ く の で は な く 、 日 本 の イ ン ク ル ー シ ブ 教 育 概 念 が 、 障 害 児 だ け で は な く 海 外 か ら の 多 様 な 民 族 の 子 ど も た ち の 問 題 な ど の 障 害 児 を 含 む 多 様 な 子 ど も た ち を 、 分 け ず に 教 育 す る こ と に な っ た 段 階 で 、 初 め て 子 ど も た ち の 多 様 性 の 一 つ と し て の 障 害 児 を 含 む 普 通 教 育 へ と つ な が る も の で あ る と 、 筆 者 は 考 え る 。 ゆ え に 現 在 の 研 究 と し て は 、 子 ど も か ら 障 害 児 を 分 け な い 教 育 の 系 譜 は 、 イ ン ク ル ー シ ブ 教 育 の 前 段 階 に 結 び つ く 系 譜 で あ る と 言 え る 。 ま た 、 日 本 で は 分 け な い 教 育 を さ す 用 語 が 、 統 合 教 育 ・ 共 同 教 育 な ど と 団 体 や 地 域 に よ っ て 異 な る 名 称 を 用 い て い る 。 そ れ ら の 言 葉 の 成 立 経 緯 と 教 育 実 践 が 開 始 さ れ た 時 期 及 び そ の 形 態 な ど が 判 然 と し て い な い 。 そ の 上 に 、 こ れ ら の 共 同 教 育 、 共 育 、 共 生 ・ 共 学 な ど の 分 け な い 教 育 が 、 養 護 学 校 義 務 化 政 令 へ の 反 対 を 発 端 と し て 開 始 さ れ た と す る 研 究 が な さ れ て き た の で あ る 。 つ ま り 分 け な い 教 育 の 発 祥 の 時 期 や 発 祥 の 経 緯 な ど の 研 究 も な さ れ て い な い 。

そ の 理 由 は 、 上 記 に 述 べ て き た よ う に 、 こ れ ま で 養 護 学 校 義 務 化 を 擁 護 す る 研 究 か 、 分

2 3位 頭 義 仁 『 知 的 障 害 児 の 統 合 教 育 ・ イ ン ク ル ー ジ ョ ン に 関 す る 研 究 』 風 間 書 房 、2007年 、 17 頁

2 4 同 上 、17-18頁

2 5 久 米 祐 子 「 梅 根 悟 の 障 害 児 教 育 論 の 影 響 と 相 克-1970年 代 障 害 児 教 育 義 務 制 を め ぐ っ て-」 九 州 大 学 大 学 院 人 間 環 境 学 府 教 育 シ ス テ ム 専 攻 2010年 度 提 出 修 士 論 文 。

2 6 二 見 妙 子 『 イ ン ク ル ー シ ブ 教 育 の 源 流-1970 年 代 豊 中 市 に お け る 原 学 級 保 障 運 動 』 現 代 書 館 、2017年 、27頁 、201頁

2 7 前 掲 の 位 頭 義 仁 の 文 献 も 同 じ 系 列 に 属 す る 。

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け な い 教 育 を 擁 護 す る か の 、 互 い に 対 立 す る 研 究 が 多 か っ た こ と に よ っ て 、 こ れ ら の 課 題 が 等 閑 視 さ れ て き た の で あ る 。 そ の た め 本 研 究 は 、 第 二 次 世 界 大 戦 後 か ら 1980 年 代 ま で の 、 学 校 教 育 に お い て 分 け な い 教 育 実 践 が 開 始 さ れ た 時 期 及 び 、 そ の 形 態 や 名 称 と そ れ に 込 め ら れ た 意 味 内 容 が 生 ま れ た 経 緯 を 明 ら か に す る こ と を 課 題 と す る 。

さ ら に 、中 村 満 紀 男 編 集『 優 生 学 と 障 害 者 』2 8は 、障 害 児 者 の 福 祉 と 教 育 に つ い て 優 生 学 の 影 響 と い う も う 一 つ の 視 点 を 提 供 し て い る 。 こ の 研 究 は 、 日 本 の 障 害 児 者 福 祉 及 び 施 設 に お け る 訓 練 教 育 や 身 辺 自 立 教 育 へ の 優 生 学 の 影 響 に つ い て も 述 べ て い る が 、1950 年 代 ま で の 論 考 と な っ て お り2 91973 年 の 養 護 学 校 義 務 化 政 令 に つ い て の 分 析 及 び 考 察 ま で 至 っ て い な い 。

そ こ で 、 本 研 究 で は 「 教 育 実 践 」 を 学 校 教 育 実 践 に 限 定 し た う え で 、 養 護 学 校 義 務 化 と は 、ど の よ う な 思 想 の も と に 政 策 化 さ れ た 教 育 制 度 な の か に つ い て も 論 考 す る 。な ぜ な ら 、 第 一 に 戦 後 の 分 け な い 学 校 教 育 実 践 の 時 期 と そ の 様 相 を 解 明 し 、 分 け な い 教 育 の 系 譜 を 掘 り 起 こ し た 上 で 、 第 二 に 1973 年 に 養 護 学 校 義 務 化 政 令 を 出 し た 当 時 の 政 府 の 優 生 思 想 と そ の 成 立 経 緯 を 論 考 す る こ と は 、こ れ ま で の 戦 後 の 障 害 児 教 育 史 及 び 普 通 教 育 史 を 吟 味 し 、 な お か つ 優 生 政 策 と 教 育 政 策 と の 関 係 を 明 ら か に す る こ と に つ な が る か ら で あ る 。

こ れ ら の 検 討 を 通 し て 、 障 害 児 を 含 ん だ 多 様 な 子 ど も た ち が 普 通 教 育 を 受 け て い た と い う 系 譜 を 掘 り 起 こ す こ と に な る 。 そ れ に よ っ て 従 来 の 養 護 学 校 義 務 化 を 軸 と し た 対 立 の 構 図 と は 、 異 な る 研 究 の 構 図 を 浮 か び 上 が ら せ る こ と が で き る の で あ る 。 ま た 、 そ れ ら の 分 け な い 教 育 と い う 普 通 教 育 の 系 譜 こ そ が 、 将 来 の イ ン ク ル ー シ ブ 教 育 の 前 段 階 に な る は ず の も の で あ る 。

第 2 節 本 研 究 の 方 法 と 視 座

障 害 児 教 育 史 の 研 究 方 法 に つ い て 、津 曲 裕 次 は 特 殊( 障 害 児 者 )教 育 史 の 研 究 は 1980 年 代 半 ば ま で 障 害 の 種 類 や 程 度 に よ る 障 害 別 の 処 遇 史 と な っ て い っ た 、 と 指 摘 し て い る3 0。 そ れ ま で 障 害 種 や 程 度 別 に 論 じ ら れ て き た 障 害 児 教 育 史 は 、 政 策 者 の 側 か ら の 処 遇 史 だ っ た も の で あ っ た の で あ り 、今 後 は「 障 害 種 別 を こ え た 社 会 と の か か わ り の 視 点 」3 1で 障 害 児 教 育 史 を と ら え な け れ ば な ら な い 、 と い う 研 究 の 基 礎 的 な 提 言 を し て い る 。 筆 者 も ま た 、 障 害 種 別 や 程 度 よ り も 社 会 と の 関 係 と い う 視 点 で 、 戦 後 の 占 領 期 か ら 1980 年 代 ま で の 子

2 8 中 村 満 紀 男 編 集 『 優 生 学 と 障 害 者 』 明 石 書 店 、2004年 。

2 9 平 田 勝 政 「 日 本 に お け る 優 生 学 の 障 害 者 教 育 ・ 福 祉 へ の 影 響 」 同 上 『 優 生 学 と 障 害 者 』 629-654 頁

3 0津 曲 裕 次 「 障 害 者 問 題 史 研 究 の 課 題 と 方 法 」 精 神 薄 弱 問 題 史 研 究 会 編 『 障 害 者 問 題 史 研 究 紀 要 』 第 3 1号 、1 9 8 8 年 4 月 、2 7 -3 1 頁

3 1同 上 「 障 害 者 問 題 史 研 究 の 課 題 と 方 法 」3 1 頁

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ど も か ら 障 害 児 を 分 け な い 教 育 を 論 じ て い く こ と と す る 。

次 に 、 筆 者 が 子 ど も か ら 障 害 児 を 分 け な い 教 育 及 び 「 普 通 学 級 ・ 学 校 」 で の 教 育 と 記 し て い る の は 、 あ く ま で も 障 害 を 持 た な い と さ れ る 子 ど も と 障 害 児 と の 人 間 関 係 構 築 を 中 心 に し た 教 育 に つ い て 述 べ よ う と い う 意 図 に よ る も の で 、 普 通 学 級 だ け で の 教 育 方 法 を さ す も の で は な い 。 特 に 日 本 の 場 合 は 、 戦 前 戦 後 を 通 じ て 児 童 ・ 生 徒 の 一 人 ひ と り に 教 育 予 算 を つ け る の で は な く 、 一 学 級 に 教 師 を 一 人 ・ 教 室 を 一 つ 配 置 す る と い う 学 級 数 に 対 し て 人 的 物 的 予 算 を つ け る 制 度 と な っ て い た 。 そ の た め 、 子 ど も か ら 障 害 児 を 分 け な い 教 育 を 実 践 す る た め に 、 特 殊 学 級 を 設 け て 教 師 や 教 室 を 確 保 す る 必 要 が あ っ た 地 域 も 多 か っ た 。 そ こ で 、 そ の た め に 特 殊 学 級 の 柔 軟 な 人 的 物 的 活 用 方 法 を も 含 め る と い う 意 味 で 用 い る の で あ る 。 ま た 、 本 研 究 は 教 育 史 に 則 っ た 研 究 で あ る か ら 、 例 え ば 後 年 か ら 見 て 批 判 さ れ る 思 想 に つ い て 、後 年 の 評 価 を 遡 及 的 に 用 い た 考 察 を 行 う こ と を 目 的 と し て い な い 。な ぜ な ら 、 例 え ば 1980 年 代 以 降 に 様 々 に 批 判 さ れ た 用 語 や 考 え 方 で あ っ て も 、1970 年 代 に そ の 思 想 が な け れ ば 1980 年 代 以 降 の 発 展 も な か っ た こ と を 鑑 み れ ば 、 当 時 の 人 々 が ど の よ う に 考 え て 分 け な い 教 育 に た ど り 着 い た の か を 知 る た め の 原 像 と し て 、 そ れ を そ の ま ま 掘 り お こ し て 分 析 す る 必 要 が あ る か ら で あ る 。 そ し て 、 子 ど も か ら 障 害 児 を 分 け な い 学 校 教 育 で 問 題 に さ れ る の は 、 障 害 児 と 障 害 が 一 見 無 い と さ れ る 子 ど も と の 人 間 関 係 で あ る こ と に 注 目 し た い 。 そ の た め の 教 育 方 法 と し て 様 々 な 工 夫 が な さ れ 、 教 育 方 法 や 教 育 目 標 が 課 題 と な っ て き た 。 そ こ で 筆 者 は 、 子 ど も か ら 障 害 児 を 分 け な い 教 育 を 実 践 す る た め に 取 り 組 ま れ た 教 育 方 法 や 教 育 目 標 の 優 先 度 な ど の 変 化 に 着 目 し て 詳 ら か に し て い く こ と に す る 。

さ ら に 、 障 害 児 者 の 処 遇 が 優 生 政 策 と の 関 係 で 左 右 さ れ て き た こ と は 、 松 原 洋 子 や 山 本 起 世 子 が つ と に 述 べ て い る こ と で あ る3 2。松 原 は 、「 福 祉 コ ス ト 削 減 の た め の 財 政 負 担 軽 減 と 障 害 児 の 発 生 予 防 を 結 び つ け る 主 張 は 戦 前 か ら 存 在 し た が 、 「 福 祉 国 家 」 の 実 現 が 具 体 的 に イ メ ー ジ さ れ る よ う に な っ た 1960 年 代 後 半 以 降 、福 祉 コ ス ト の 問 題 は 、格 段 に 現 実 味 を 帯 び て き た 。ド イ ツ で は(久 米 注 、ワ イ マ ー ル 末 期 の)1930 年 代 す で に 出 現 し て い た 福 祉 国 家 の 障 害 者 対 策 を め ぐ る 財 源 配 分 の 問 題 が 、日 本 で は こ の 時 期(久 米 注 、1960 年 代)に 実 感 さ れ る に 至 っ た と い え よ う 」3 3と 述 べ て い る 。日 本 の「 福 祉 予 算 」と は 厚 生 省 の 社 会 福 祉 予 算 と し て 算 定 さ れ て い た3 4も の ば か り で あ り 、 近 年 問 題 に な っ て い る 強 制 優 生 手 術 も 、 厚 生 省 の 社 会 福 祉 予 算 と し て 計 上 さ れ て い た 。 ま た 、 ハ ン セ ン 氏 病 の 隔 離 施 設 の 費 用 も 同 じ く 厚 生 省 の 社 会 福 祉 予 算 と し て 支 出 さ れ て い た の で あ る3 5。 こ れ ら の こ と を 合 わ せ 考 え

3 2山 本 起 世 子 「 障 害 児 福 祉 政 策 と 優 生 思 想 -1960 年 代 以 降 を 中 心 と し て-」 園 田 学 園 女 子 大 学 論 文 集 44号 、2010 年 1 月 、16 頁

3 3松 原 洋 子 「 日 本-戦 後 の 優 生 保 護 法 と い う 名 の 断 種 法 」 米 本 昌 平/松 原 洋 子/橳 島 次 郎/市 野 川 容 孝 『 優 生 学 と 人 間 社 会 』 講 談 社 、2000年 、196 頁

3 4「 厚 生 省 予 算 」 の 項 、 厚 生 省 編 『 厚 生 白 書 』 各 年 度

3 5「 社 会 福 祉 予 算 」 の 項 、 厚 生 省 編 『 厚 生 白 書 』 各 年 度

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れ ば 、 優 生 政 策 と 福 祉 政 策 は 別 の も の で は な く 、 福 祉 政 策 と し て の 優 生 政 策 で あ っ た こ と が わ か る の で あ る 。 こ の 福 祉 と 優 生 政 策 の 親 和 性 に つ い て は 山 本 起 世 子 や 森 永 佳 江3 6な ど に よ っ て 近 年 研 究 さ れ る よ う に な っ て き て い る 。山 本 は「 福 祉 国 家 と 優 生 政 策 と の 関 係 は 、 外 国 を 対 象 と し た 研 究 か ら も 明 ら か に さ れ つ つ あ る 。…(中 略)… 従 来 の 社 会 福 祉 研 究 で は 、 福 祉 国 家 が も つ 生 活 保 障 の 側 面 の み が 着 目 さ れ 、 生 命 ・ 生 存 に 国 家 や 専 門 家 な ど が 介 入 を 深 め て い く 側 面 を 明 ら か に し よ う と す る 視 点 は 欠 如 し が ち で あ っ た 。 上 述 し た よ う な 、 優 生 思 想 ( あ る い は 優 生 学 ) と 福 祉 政 策 と の 関 係 に つ い て の 研 究 は 、 決 し て 蓄 積 が 多 い と は い え な い 」3 7と 、日 本 で の 研 究 は こ れ か ら で あ る と 述 べ て い る 。そ こ で 本 研 究 で は 、福 祉 政 策 と し て の 優 生 政 策 を 一 つ の 視 座 と す る も の で あ る 。 そ れ に よ っ て 、 福 祉 政 策 と し て の 優 生 政 策 と 義 務 教 育 は 戦 後 ず っ と 別 々 の 施 策 と し て 平 行 実 施 さ れ て い た の か 、 そ れ と も あ る 時 期 に 交 差 し 、 融 合 し た の か に つ い て 分 析 す る も の と す る 。

ま た 、 本 研 究 は 学 校 に お け る 教 育 実 践 に 重 点 を 置 く も の で あ る 。 し か し 、 教 育 実 践 は そ れ が な さ れ た 当 時 の 教 育 政 策 と ま っ た く 関 係 が な い 、 と い う こ と は あ り 得 な い と 考 え る 。 な ぜ な ら 当 時 の 教 育 政 策 の 分 析 を し な け れ ば 各 時 期 に 起 き た 子 ど も か ら 障 害 児 を 分 け な い 教 育 実 践 の 意 味 及 び 意 義 も 解 明 で き な い 。 そ の 課 題 を 解 く た め に 、 一 定 は 政 策 決 定 の 経 緯 に 踏 み 込 む 必 要 が あ る と 考 え る 。

従 来 の 研 究 が そ れ を し な か っ た が た め に 、 分 け な い 教 育 実 践 と 養 護 学 校 義 務 化 実 践 が 単 に 対 立 し て い た 、 と い う 構 図 し か 描 き 出 せ て い な か っ た 。 そ こ で 本 研 究 は 政 策 の 成 立 経 緯 に 一 定 踏 み 込 む こ と で 、 教 育 実 践 の も つ 意 味 や 意 義 を 従 来 と は 異 な っ た 視 座 か ら つ か み 取 る こ と が で き る と 考 え る 。

第 3 節 本 研 究 の 地 域 設 定 と 構 成

(1) 1970 年 代 の 分 け な い 教 育 実 践 と し て と り あ げ る 地 域 の 設 定

こ こ で は 、1970 年 代 の 分 け な い 教 育 実 践 と し て 取 り 上 げ る 地 域 設 定 を 行 う 。 な ぜ な ら 、 大 阪 府 の 二 重 学 籍 制 度 を 用 い た 教 育 は 分 け な い 教 育 実 践 の 一 つ で あ る が 、 大 阪 府 だ け で も 15 都 市 が 挙 げ ら れ る3 8。し か も 大 阪 府 以 外 に も 文 部 省 が 1960 年 代 に 計 画・実 践 し た 統 合 教

3 6森 永 佳 江 「 福 祉 国 家 に お け る 優 生 政 策 の 意 義 -デ ン マ ー ク と ド イ ツ と の 比 較 に お い て-」『 久 留 米 大 学 文 学 部 紀 要 』 社 会 福 祉 学 科 編 第 12 号 、2012年 、37-38頁

3 7山 本 起 世 子 「 障 害 児 福 祉 政 策 と 優 生 思 想 」 園 田 学 園 女 子 大 学 論 文 集 第 44 号 、2010 年 1 月 、 13 頁

3 8 大 阪 15 教 職 員 組 合 連 合 会 編 『 み ん な 一 緒 に 学 校 へ 行 く ん や ― 「 普 通 」 学 級 で 学 ぶ 「 障 害 」 児 教 育 の 実 践 』 現 代 書 館 、1980 年(こ の 奥 付 に よ れ ば 、 池 田 ・ 箕 面 ・ 豊 能 ・ 吹 田 ・ 茨 城 三 島 ・ 摂 津 ・ 高 槻 ・ 枚 方 ・ 守 口 ・ 門 真 ・ 東 大 阪 ・ 八 尾 ・ 貝 塚 ・ 大 阪 の 14 市 も 豊 中 市 と 同 じ く 共 同 教 育 を 実 践 し て い た)

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育 や 、 飯 田 貞 雄 が 報 告 し た 山 梨 県3 9や 桑 原 英 夫 が 報 告 し た 福 島 県 い わ き 市4 0で も 1970 年 代 に 子 ど も か ら 障 害 児 を 分 け な い 教 育 実 践 が 開 始 さ れ て い る 。 こ の よ う に 日 本 各 地 で 子 ど も か ら 障 害 児 を 分 け な い 教 育 実 践 が 開 始 さ れ て お り 、 そ れ を 一 つ ひ と つ 取 り 上 げ る こ と は 困 難 で あ る 。

ま た 、分 け な い 教 育 に と っ て 重 要 な の は 、日 教 組 の 中 で 1970 年 代 は 共 同 教 育 と 言 わ れ 、 そ の 共 同 教 育 を 批 判 す る 形 で 1980 年 代 に 日 教 組 の 中 で 共 育 、共 生・共 学 へ と 名 称 が 変 化 し た こ と で あ る 。し か も 、共 育 の 実 践 は 1970 年 代 初 頭 に は 東 京 都 町 田 市 で す で に 開 始 さ れ て い た 。そ こ で 、東 京 都 町 田 市 の 共 育 が 、臨 床 心 理 学 者 の 篠 原 睦 治 が 中 心 に な っ て 1972 年 に 結 成 さ れ た 子 供 問 題 研 究 会 に よ っ て 提 唱 さ れ た こ と に 着 目 し 、 そ の 発 祥 を 解 明 す る 。 篠 原 と 子 供 問 題 研 究 会 は 、 東 京 都 町 田 市 小 学 校 や 保 護 者 と 相 互 に 影 響 し あ う 関 係 が あ っ た 。

そ の た め 1970 年 代 の 分 け な い 教 育 の 代 表 例 と し て 、一 つ は「 豊 中 方 式 」4 1と い う 言 葉 で 表 現 さ れ 、 共 同 教 育 と い う 分 け な い 教 育 実 践 の 代 表 的 方 法 を つ く り あ げ た 大 阪 府 豊 中 市 の 教 育 を 取 り 上 げ る 。 豊 中 市 で は 、 教 職 員 組 合 を 中 心 に 教 育 委 員 会 な ど の 行 政 を 、 い わ ば 下 か ら 上 を 動 か し て 共 同 教 育 と 呼 ぶ 分 け な い 教 育 を 実 践 し て い た 。 こ の 大 阪 府 豊 中 市 教 職 員 組 合 が 自 分 た ち の 分 け な い 教 育 の 根 拠 と し た 共 同 教 育 は 、 梅 根 悟 が 会 長 だ っ た 日 教 組 教 育 検 討 委 員 会 由 来 の 用 語 で あ っ た こ と を 検 証 し 、 そ の 展 開 の 様 相 を 明 ら か に す る 。

二 つ 目 は 、1980 年 代 に 日 教 組 の 分 け な い 教 育 の 名 称 と な っ た 東 京 都 の 子 供 問 題 研 究 会 と そ の 代 表 者 で あ る 篠 原 睦 治 の 共 育 の 考 え 方 及 び 、 子 供 問 題 研 究 会 と 相 互 に 影 響 を 受 け 合 っ た 東 京 都 町 田 市 の 共 育 の 教 育 実 践 を 取 り 上 げ る 。 町 田 市 の 共 育 が 1970 年 代 初 頭 か ら 開 始 さ れ て お り 、 そ の 後 展 開 し て い た こ と を 詳 ら か に す る 。 子 供 問 題 研 究 会 及 び 篠 原 は 、 嶺 井 や 小 国 に よ っ て 共 育 や 共 生 、「 共 生・共 学 」な ど の 用 語 を 日 本 の 障 害 児 教 育 で 初 め て 主 張 し た と 述 べ ら れ て い る4 2。ま た 、小 国 編『 障 害 児 の 共 生 教 育 運 動 』の 中 の 論 文 で あ る 田 中 圭 吾

「「 せ め ぎ 合 う 共 生 」を 求 め て 」4 3は 、子 供 問 題 研 究 会 と 代 表 の 篠 原 が 生 み 出 し た 用 語 と そ の 内 容 を 一 定 詳 ら か に し て お り 、 嶺 井 の 論 に 貢 献 し て い る も の で あ る 。 篠 原 及 び 子 供 問 題 研 究 会 は 、 知 能 検 査 の 数 値 に よ っ て 子 ど も を 振 り 分 る こ と に 不 信 を 持 っ て い た 。 そ れ ゆ え

「 振 り 分 け な い 」 こ と を 主 張 し た 。 筆 者 は こ れ ら の 用 語 に 込 め ら れ た 内 容 だ け で は な く 、

3 9飯 田 貞 雄 「 Resource−Room 方 式 に よ る 軽 度 精 神 薄 弱 児 お よ び 学 業 遅 滞 児 指 導 の 検 討 」『 特 殊 教 育 学 研 究 第 11 巻 第 3 号 』1974年 、62-75頁

4 0桑 原 英 雄 「 リ ソ ー ス ル ー ム 方 式 に よ る 特 殊 学 級 経 営 改 善 の 試 み 」『 精 神 薄 弱 児 研 究 278 号 』 1981年 、50-59頁

4 1北 村 小 夜 編 『 地 域 の 学 校 で 共 に 学 ぶ 』 現 代 書 館 、1997 年 、151頁

4 2嶺 井 正 也 『 障 害 児 と 公 教 育-共 生 共 育 へ の 架 橋 』 明 石 書 店 、1997 年 、13-15頁(な お 、 田 中 圭 吾 「「 せ め ぎ 合 う 共 生 」 を 求 め て 」 小 国 喜 弘 編 『 障 害 児 の 共 生 教 育 運 動 』95-115 頁 も 、 嶺 井 が 、 日 本 で 初 め て 「 共 育 」「 共 生 」「 せ め ぎ 合 う 共 生 」 と い う 用 語 を 子 供 問 題 研 究 会 が 使 用 し た と 述 べ て い る こ と を 基 に 、 そ れ を 詳 し く 研 究 し た も の で あ る)

4 3田 中 圭 吾 「「 せ め ぎ 合 う 共 生 」 を 求 め て 」 小 国 喜 弘 編 『 障 害 児 の 共 生 教 育 運 動 』95-115 頁

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共 育 、共 生 、「 共 生 ・ 共 学 」と 次 々 に 用 語 が 生 み 出 さ れ た 経 緯 を 明 ら か に す る 。ま た 、管 見 の 限 り 篠 原 の 分 け な い 教 育 の 考 え 方 に つ い て 篠 原 が 1960 年 代 に イ ス ラ エ ル ・ キ ブ ツ(集 団 農 場 村)で の 調 査・研 究 に 触 れ た も の は な い 。し か し 、筆 者 は 、篠 原 と 篠 原 を 代 表 と す る 子 供 問 題 研 究 会 が 、 次 々 に 用 語 を 生 み だ し た 根 底 に あ る も の は 、 児 童 ・ 生 徒 同 士 の 人 間 関 係 づ く り に 篠 原 が 着 目 し た こ と で あ り 、 そ れ に よ っ て 障 害 概 念 の 転 換 を 生 み だ し た 。 そ こ に は 、 篠 原 が イ ス ラ エ ル の キ ブ ツ に お い て 集 団 生 活 の 中 で 児 童 ・ 生 徒 相 互 の 人 間 関 係 に よ る 人 間 形 成 を 目 指 し た 集 団 教 育 を 調 査 研 究 し な が ら 体 験 し 、 共 感 し た 経 緯 が あ っ た こ と を 解 明 す る 。

以 上 の よ う に 、 本 研 究 は 戦 後 の 学 校 教 育 に お け る 分 け な い 教 育 が 、 占 領 期 の 生 活 指 導 と い う 訳 語 か ら 始 ま っ た 、 仲 間 づ く り 及 び 集 団 づ く り と い う 考 え 方 と 方 法 と を 基 盤 に し て 教 育 実 践 が 形 成 さ れ て き た こ と を 明 ら か に す る こ と を 目 的 と す る も の で も あ る 。 そ の た め 本 研 究 の 目 的 と は 直 接 関 係 し て い な い 思 想 、 例 え ば 青 い 芝 の 会 な ど の 思 想 を 取 り 扱 う こ と は 行 わ な い 。

(2) 本 研 究 の 構 成

本 研 究 は 、 次 の 3 章 に よ る 構 成 を と っ て い る 。 第 1 章 で 占 領 期 を 含 む 戦 後 の 生 活 指 導 に よ る 子 ど も か ら 障 害 児 を 分 け な い 教 育 が 成 立 し た こ と に つ い て 論 じ る 。 分 け な い 教 育 に 至 っ た 生 活 指 導 実 践 が 、実 は 占 領 期 の 民 間 情 報 教 育 局(CIE)が 開 催 し た 教 育 指 導 者 講 習 で 、ア メ リ カ 人 講 師 が 説 い た ガ イ ダ ン ス に 日 本 人 関 係 者 が 生 活 指 導 と い う 訳 語 を つ け た こ と に 端 を 発 し た も の で あ る こ と を 明 ら か に す る 。 そ の た め に ア メ リ カ の ガ イ ダ ン ス が 学 校 か ら 不 良 児 や 学 習 不 振 児 ・ 障 害 児 な ど の 不 適 応 と さ れ た 児 童 生 徒 を 、 通 学 し て い る 地 域 の 学 校 か ら 、 離 れ た 場 所 に あ る 特 別 学 級 ・ 学 校 ま た は 養 護 施 設 へ 措 置 す る 機 能 に 重 点 が あ っ た こ と を 論 じ る 。 さ ら に ガ イ ダ ン ス が 摘 出 し よ う と し た 不 適 応 児 童 は 「 問 題 児 」 と 表 現 さ れ 、 そ こ に 不 良 児 や 貧 困 に よ る 学 習 不 振 児 ・ 障 害 児 が ふ く ま れ て い た こ と を 考 察 す る 。 ア メ リ カ の ガ イ ダ ン ス が こ の よ う な 障 害 児 な ど の 摘 出 機 能 を 担 う こ と に 比 べ る と 、 日 本 語 訳 の 生 活 指 導 の 内 容 は 、 民 間 情 報 教 育 局 が 日 本 に 持 ち 込 も う と し た も の と は 大 き く 異 な っ て い た こ と を 探 求 す る 。 日 本 で は ガ イ ダ ン ス が 、 戦 前 の 生 活 指 導 を 一 部 否 定 し て 再 定 義 し た 生 活 指 導 と 訳 さ れ た こ と に よ っ て 、 生 活 指 導 と い う 戦 後 の 新 し い 教 育 方 法 に 変 化 し た こ と を 論 じ る 。 そ の 変 化 に よ っ て 、 障 害 児 を 含 む 児 童 ・ 生 徒 を 同 じ 仲 間 と し て 役 割 を 分 担 さ せ る な ど の 方 法 に よ っ て 、 学 級 へ 所 属 意 識 を も た せ る も の と な っ た こ と を 明 ら か に す る 。 つ ま り 、 日 本 語 訳 を 生 活 指 導 と す る こ と に よ っ て 、 ガ イ ダ ン ス の 内 容 が 障 害 児 を 含 む 「 問 題 児 」 を 居 住 校 区 の 学 校 か ら 別 の 場 所 へ 摘 出 す る 機 能 を 指 し て い た も の か ら 、 障 害 児 な ど の 問 題 児 が い る 学 校 及 び 学 級 で 、 不 適 応 行 動 が 起 き る 集 団 場 面 を と ら え て 指 導 す る も の と い う 教 育

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実 践 を 指 す も の と 変 更 さ れ た こ と 解 き 明 か す 。 こ の よ う に 日 本 語 訳 と し て 定 着 し た 生 活 指 導 か ら 派 生 し た 仲 間 づ く り 及 び 集 団 づ く り の も と で 、 子 ど も か ら 障 害 児 を 分 け な い 教 育 が 展 開 さ れ 実 践 さ れ た こ と を 論 証 す る 。 次 に 、 ガ イ ダ ン ス の 内 容 の 変 更 に よ っ て 、 生 活 指 導 (仲 間 づ く り 及 び 集 団 づ く り)の 教 育 実 践 と し て 分 け な い 教 育 が 展 開 さ れ 、 成 立 し て い っ た こ と を 日 本 教 職 員 組 合(以 下「 日 教 組 」と 記 す)の 教 育 研 究 全 国 集 会 報 告 書(以 下「 日 教 組 教 研 報 告 」)の 障 害 児 分 科 会 な ど か ら 検 証 す る 。

1960 年 代 に は い る と 日 本 で は 社 会 福 祉 費 用 が 膨 ら み は じ め 、そ れ を 削 減 す る た め の 方 策 が と ら れ 始 め た 。 そ の 財 政 事 情 を 背 景 と し て 1960 年 代 に 障 害 児 者 の 職 業 自 立 に よ る 福 祉 費 用 削 減 で 財 政 負 担 を 軽 減 す る こ と を 目 的 と し て 、 文 部 省 に よ る 統 合 教 育 の 政 策 及 び 実 践 が 成 立 し た こ と を 詳 ら か に す る 。第 2 章 で は そ の 経 緯 と と も に 、1973 年 の 養 護 学 校 義 務 化 政 令 に よ っ て 小 中 学 校 教 育 か ら 障 害 児 を 引 き 離 し 、 特 殊 学 級 及 び 養 護 学 校 へ の 吸 収 ・ 隔 離 を 制 度 化 し た こ と を 養 護 学 校 義 務 化 政 令 の 成 立 経 緯 か ら 分 析 す る 。

ま ず 、1960 年 代 に 文 部 省 は 、統 合 教 育 に よ っ て 障 害 児 を 職 業 自 立 さ せ て 、社 会 福 祉 費 用 の 削 減 を 企 図 し た こ と を 明 ら か に す る 。 文 部 省 特 殊 教 育 課 と 厚 生 省 が 1960 年 代 に リ ハ ビ リ テ ー シ ョ ン と し て の 特 殊 教 育 振 興 を は か り 、 そ の 特 殊 教 育 の 方 法 が 文 部 省 の 統 合 教 育 で あ り 、 そ の 結 果 と し て 辻 村 報 告 を 出 し た こ と を 検 証 す る 。 そ の た め に 、 文 部 省 特 殊 教 育 課 が 1960 年 代 の 統 合 教 育 と い う 言 葉 と 教 育 実 践 を 成 立 さ せ た こ と を 、 文 部 省 機 関 誌 及 び 実 験 学 校 の 記 録 な ど か ら 詳 ら か に す る 。 ま た 統 合 教 育 の 目 的 は 、 障 害 者 の 職 業 的 自 立 に よ る 社 会 福 祉 費 用 削 減 だ っ た こ と も 解 明 す る 。さ ら に 統 合 教 育 の 内 容 を 提 唱 し た 1969 年 の「 特 殊 教 育 の 基 本 的 な 施 策 の あ り 方 に つ い て 」(辻 村 報 告)は 、 福 祉 費 用 削 減 と い う 目 的 だ け で は な く 、 文 部 省 に よ る 分 け な い 教 育 と し て の 統 合 教 育 の 方 法 を 確 立 し た と い う 意 味 も あ っ た こ と を 検 証 す る 。

次 に 1970 年 代 に 入 る と 国 の 歳 出 を 越 え る 国 債 を 財 源 と し た 田 中 内 閣 に よ っ て 、「 重 度 障 害 児 者 の 全 員 収 容 」公 約 が 実 行 に う つ さ れ た 経 緯 を 分 析 す る 。こ の 公 約 は 1950 年 代 か ら 選 挙 地 盤 の 宮 城 県 の 優 生 政 策 「 愛 の(県 民)十 万 人 運 動 」 を 展 開 し て い た 宮 城 県 精 神 薄 弱 児 福 祉 協 会 の 役 員 で あ り 田 中 内 閣 成 立 後 に 大 蔵 大 臣 に な っ た 愛 知 揆 一 が 、 田 中 内 閣 成 立 を 支 持 す る 議 員 た ち が 代 弁 し て い た 支 持 団 体 や の 要 望 を 入 れ て 作 成 し た も の で あ る こ と を 解 明 す る 。 は じ め の 収 容 先 は 福 祉 施 設 だ け だ っ た が 、 内 閣 成 立 後 に 障 害 児 者 の 隔 離 収 容 先 が 福 祉 施 設 と 盲 ・ 聾 ・ 養 護 学 校 と な っ た 。1960 年 代 ま で は 小 中 学 校 教 育 と 、優 生 政 策 は 両 者 間 に 関 係 な く 平 行 実 施 さ れ て い た 。 こ の 平 行 し て い た 二 つ の 政 策 が 1973 年 の 養 護 学 校 義 務 化 政 令 に よ っ て 交 わ り 、一 体 化 し た こ と を 国 会 議 事 録 な ど か ら 検 証 す る 。そ れ に よ っ て 1973 年 の 養 護 学 校 義 務 化 は 、 優 生 政 策 の 一 環 で あ っ た こ と を 解 き 明 か す 。

第 3 章 で は 、1970 年 代 の 分 け な い 教 育 は 養 護 学 校 義 務 化 政 令 以 前 に 、不 就 学 児 解 消 の 取

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り 組 み か ら 開 始 さ れ て い た こ と を 明 ら か に す る 。日 教 組 の 分 け な い 教 育 は 、1970 年 代 は 共 同 教 育 と 言 わ れ 、1980 年 代 は 、共 同 教 育 を 批 判 す る か た ち で 共 育 、共 生・共 学 と 呼 ば れ た 。 そ こ で 共 同 教 育 を 批 判 し 、 共 育 、 共 生 ・ 共 学 を 日 教 組 へ 提 唱 し た 子 供 問 題 研 究 会 及 び そ の 代 表 の 篠 原 睦 治 の 言 説 に 着 目 し 、 考 え 方 を 詳 ら か に す る 。

そ こ で 、 ま ず 、 日 教 組 が 提 唱 し た 共 同 教 育 と い う 分 け な い 教 育 の 内 容 を 分 析 す る 。1970 年 代 頭 初 か ら 教 育 研 究 者 の 梅 根 悟 が 、初 め て 分 け な い 教 育 と い う 意 味 の 共 同 教 育 を 提 唱 し 、 日 教 組 教 育 制 度 検 討 委 員 会(以 下 「 検 討 委 」)の 会 長 と し て 主 張 し 始 め た 経 緯 と 、 そ の 後 の 変 化 を 検 討 委 速 記 録 な ど か ら 明 ら か に す る 。 次 に そ の 検 討 委 報 告 の 中 の 梅 根 が 主 張 し た 分 け な い 教 育 の 部 分 を 、 日 教 組 が 自 分 た ち の 分 け な い 教 育 実 践 の 拠 り 所 と し て 提 唱 し た も の で あ る と 、 受 け 取 っ た 大 阪 府 豊 中 市 教 職 員 組 合 の 分 け な い 教 育 と し て の 共 同 教 育 に つ い て 分 析 す る 。 豊 中 市 の 分 け な い 教 育 は 、 不 就 学 児 を な く す こ と か ら 開 始 さ れ 、 そ の 後 仲 間 づ く り 及 び 集 団 づ く り に よ る 児 童 ・ 生 徒 同 士 の 人 間 関 係 づ く り を 基 盤 と し て 発 展 し て い っ た こ と を 検 証 す る 。

さ ら に 、1980 年 代 に 日 教 組 教 育 研 究 集 会 で 、共 同 教 育 の ど の 部 分 が 批 判 さ れ て 、分 け な い 教 育 の 名 称 が 共 育 や 共 生 ・ 共 学 と 変 わ っ た の か を 検 討 す る 。 そ し て 、 子 供 問 題 研 究 会 の 代 表 篠 原 睦 治 の 文 献 ・ 史 料 を 分 析 す る こ と で 、1972 年 の 子 供 問 題 研 究 会 結 成 以 降 に 共 育 、 共 生 、「 共 生・共 学 」と い う 言 葉 が 生 み 出 さ れ 、そ の 根 底 に は 子 ど も 同 士 の 人 間 関 係 か ら 人 間 形 成 に い た る 集 団 生 活 に よ る 集 団 教 育 の 考 え 方 が あ っ た こ と を 論 じ る 。 最 後 に 、 子 供 問 題 研 究 会 と 相 互 に 影 響 を 受 け 合 っ て い た 東 京 都 町 田 市 が 、 市 長 及 び 教 育 委 員 会 と 教 師 と が 一 体 と な っ て 、 共 育 と い う 分 け な い 教 育 実 践 を 実 施 し た こ と を 明 ら か に し 、 そ の 教 育 内 容 を 詳 ら か に す る 。 そ れ に よ っ て 、 大 阪 府 豊 中 市 の 共 同 教 育 も 東 京 都 町 田 市 の 共 育 も 、1973 年 11 月 の 養 護 学 校 義 務 化 政 令 の 前 か ら 、就 学 猶 予・免 除 を 解 消 す る た め に 、子 ど も か ら 障 害 児 を 分 け な い 仲 間 づ く り 及 び 集 団 づ く り の 教 育 を 開 始 し た こ と を 解 明 す る 。

こ れ ら の 検 討 を 通 し て 分 け な い 教 育 の 系 譜 が 、1950 年 代 に 生 活 指 導 の 考 え 方 か ら 成 立 し 、 1960 年 代 に 文 部 省 に よ っ て 統 合 教 育 と し て 名 称 及 び 方 法 が 形 成 さ れ 、1970 年 代 に 誕 生 し た 共 同 教 育 や 共 育 と し て 継 続 さ れ た こ と を 浮 か び 上 が ら せ る こ と と す る 。

終 章 で は 、 本 研 究 の 成 果 と 今 後 の 課 題 を 論 じ る 。

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第 1 章 戦 後 の 生 活 指 導 に よ る 子 ど も か ら 障 害 児 を 分 け な い 教 育 の 成 立

戦 後 日 本 の 新 制 中 学 校 に つ い て 倉 石 一 郎 は 、戦 前 の 旧 制 中 学 校 が 上 層 及 び 中 間 層 に し か 開 か れ た も の で は な か っ た が 、 戦 後 の 新 制 中 学 校 は 完 全 義 務 制 を と る こ と で 下 層 を 含 む あ ら ゆ る 階 層 に 開 放 さ れ 、 そ れ 故 に 被 差 別 部 落 や 在 日 朝 鮮 人 の 子 ど も な ど の 社 会 的 弱 者 を 含 む 教 育 実 践 が あ っ た と 述 べ て い る1

戦 後 の 新 制 中 学 校 は 倉 石 が 述 べ る と お り で あ る が 、 戦 後 の 新 制 小 学 校 も 同 じ よ う な 状 況 が あ っ た 。な ぜ な ら 明 治 19 年 の 小 学 校 令 で「 疾 病 家 計 貧 困 ソ ノ 他 」の 児 童 を 就 学 猶 予 す る

2こ と を 定 め た の を 始 め と し て 、 疾 病 ・ 障 害 ・ 貧 困 を 理 由 と す る 就 学 猶 予 ・ 免 除 規 定3が 戦 前 の 尋 常 小 学 校 に は あ っ た か ら で あ る4。 そ れ が 、 占 領 期 に 制 定 さ れ た 1947(昭 和 22)年 の 学 校 教 育 法 で は 、 貧 困 を 理 由 と す る 就 学 猶 予 ・ 免 除 規 定 が 無 く な り 疾 病 ・ 障 害 に よ る 就 学 猶 予 ・ 免 除 規 定5も 、 戦 前 の 尋 常 小 学 校 の 規 定 に 比 べ れ ば 範 囲 が 狭 く な っ た 。 こ の よ う に 、 戦 後 の 小 学 校 も 大 量 の 貧 困 児 ・ 不 良 児 ・ 障 害 児 ・ 学 習 不 振 児 な ど の 社 会 的 弱 者 を 教 育 の 対 象 に し た の で あ る 。

そ こ で 、 戦 後 小 中 学 校 教 育 の 対 象 に 量 的 拡 大 が あ っ た と い う こ と が 出 来 る 。 そ し て 、 戦 後 の 小 中 学 校 教 育 は 、 こ れ ら の 子 ど も た ち を 学 級 ・ 学 校 に 位 置 付 け る た め の 教 育 実 践 を 模 索 し た の で あ る 。 中 学 校 に つ い て は 倉 石 が 同 論 文 で 一 部 詳 ら か に し て い る 。

そ こ で 筆 者 は 占 領 期 の 小 ・ 中 学 校 が 、 不 良 児 ・ 学 習 不 振 児 ・ 障 害 児 な ど の 社 会 的 弱 者 を 学 校 に 位 置 付 け る た め に 教 育 内 容 と 方 法 を 形 成 し て い っ た 経 緯 と そ の 教 育 実 践 に つ い て 明 ら か に す る 。 こ れ を 通 し て 、 不 良 児 ・ 学 習 不 振 児 ・ 障 害 児 な ど の 社 会 的 弱 者 を 教 育 し よ う と し た そ の 方 法 と 内 容 を 模 索 し た 戦 後 の 生 活 指 導 の 成 立 に つ い て 探 求 し 、 そ れ に よ っ て 、 占 領 期 か ら 1950 年 代 の 普 通 教 育 で 、 子 ど も か ら 障 害 児 を 分 け な い 教 育 が 成 立 し て い た こ と を 検 証 す る こ と が で き る か ら で あ る 。

戦 後 の 生 活 指 導 の は じ ま り に つ い て 城 丸 章 夫 は 、「 戦 後 の 生 活 指 導 は 、児 童 会・生 徒 会 の

1倉 石 一 郎 『 包 摂 と 排 除 の 教 育 学 』 生 活 書 院 、2009 年 、11 頁

2文 部 省 『 特 殊 教 育 百 年 史 』 東 洋 館 、1978(昭 和 53)年 、505 頁

3同 上 『 特 殊 教 育 百 年 史 』508頁(1900(明 治 33)年 の 小 学 校 令 改 正 で 第 33 条 「 瘋 癲 白 痴 又 ハ 不 具 廃 疾 ノ 為 」 に 就 学 免 除 し 、「 病 弱 又 ハ 発 育 不 完 全 ノ 為 」 就 学 猶 予 し 、「 保 護 者 貧 窮 ノ 為 」 の 場 合 は 「 前 二 項 に 準 ス 」 と し て い た)

4文 部 省 大 臣 官 房 文 書 課 編 集 ・ 発 行 『 日 本 帝 国 文 部 省 第 56 年 報 』1923(昭 和 8)年 、(486-487 頁 に よ れ ば 、1918(昭 和 3)年 開 始 の 就 学 奨 励 規 定 は 、 文 部 省 か ら 道 府 県 へ の 補 助 金 と い う 形 で あ り 、1918(昭 和 3)年 度 は 貧 困 児 童 一 人 に つ き 年 間 1.7 円 で あ っ た 。 こ れ は 現 代 の 金 額 に 直 せ ば 年 間 約 5 千 円 程 度 で 教 科 書 代 金 に も 足 り な か っ た)

5 前 掲 「 学 校 教 育 法 第 75 条 」『 特 殊 教 育 百 年 史 』524-527 頁(「 第 23条 病 弱 、 発 育 不 完 全 そ の 他 や む を 得 な い 事 由 」 に 変 更 さ れ て い る 。 ま た 、 第 75 条 で は 「 特 殊 学 級 を 置 く こ と が で き る 」 児 童 ・ 生 徒 の 対 象 者 を 「1 性 格 異 常 者 2 精 神 薄 弱 3 聾 者 及 び 難 聴 者 4盲 者 及 び 弱 視 者 5 言 語 不 自 由 者 6 そ の 他 不 具 者 7 身 体 虚 弱 者 」 と 挙 げ て い る 。 こ れ は 就 学 が 前 提 で あ り 、 特 殊 学 級 は 任 意 設 置 で あ り 強 制 で は な か っ た)

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