1 はじめに
2013 年 3 月,立正大学(熊谷キャンパス)
において日本地理学会春季大会1)が開催され,
地理教育に関連したテーマとして『地誌学と地 誌教育 (諸地域学習)』と題したシンポジウム と,『 地 理 教 育 と E S D(Education for sustainable deveropment』と題した地理教育 公開講座が行われた。本稿では新学習指導要領 に関係の深いシンポジウムについての報告と若 干の考察を行なう。
2 シンポジウムの概要
シンポジウムの開催の趣旨は
(1)新学習指導要領における地誌学習(諸地 域学習)の拡充
(2)地理学における地域研究などの衰微と再 興への方途
である。シンポジウムの開催の趣旨説明の後,
濵野 清(国立教育研究所教育課程調査官)よ り基調講演が行なわれた。要旨は次の通りであ る。
今時の新学習指導要領改訂で,「地誌学習」
を導入するに至った過程について,① 2005 年 の日本地理学会の提言,②いわゆる「宮崎県は どこにある?」問題,③教育課程実施調査等の 指摘によるとの報告があった。さらに地誌学習 について<動態地誌的>に扱うといったことが 必要とされている。以下,当日の配布資料2)
より抜粋する。
地理教育と地誌学習
勝田 厚
キーワード: 地誌学習,動態的地誌,シュペートマン,田中啓爾
<動態地誌的>という用語は中学校学習指導 要領解説の「改訂の要点」において使われてい る。高等学校用にはないが資料の中に小・中・
高を通じてとの指摘があり,中学校の地理的分
野を中核として動態地誌的に扱うように示され ている。次に高等学校での地誌の扱い方につい ては以下のような説明があった。
3 地誌学と動態地誌をめぐって
(1)地誌学とは何か
中村和郎(1998)によれば「<地誌学>は 系統地理学と並ぶ地理学の一部門である。
ヘットナーやハーツホーンは,ある領域にお ける地理的諸事象の因果的な相互関係こそ,地 域に個性を与える本質と見なし,これを追及す る地誌学を地理学の核心とした。しかし,1950 年代以降,特殊性を強調する地誌学は個性記述 的であって,説明的な実証科学にはなり得ない という批判が相次いだ。」としている。
山口幸男(2002)は「ヘットナー(1927)
は地理学史上,最大の地理学者とされ地誌学こ そ地理学の王座であるとし,<地域>を構成す る諸要素の因果関係を実証的・科学的に明らか にすることによって,地域の総合的な性格,即 ち<地域性><本質>を捉えることができる.」
と述べている。
また山口は当学会において「地誌学内容にお ける地誌的一般化の方途」として中学校の日本 地誌学習の事例を発表した。
さらに,杉山昌謙(2008)は田中啓爾につ いて,「自己の郷土に対する事情が判明すれば 一層郷里を愛するようになり,母国の日本が明 らかになれば国際的平和を愛好するようにな る。・・・地理は愛郷心・愛国心と共に国際的 平和思想を涵養するものである。」として地誌 の大切さを力説したと述べている。
(2)動態地誌学とは何か
シンポジウムにおいて参加者の関心が高かっ たのは<動態的地誌学>の提言者としてシュ ペートマン3)の名があげられたことである。
また<動態的地誌学>と<動態地誌的>4)の 違いについて質問が出された。
木内信蔵(1968)は『地域概論』の中で「シュ ペートマンの動的(ママ)地誌の主張によれば その地域を動かしている最大の要素,あるいは 一番新鮮な事象から入っていくことである。
この手法の利点は地誌が新しい時代に即し,
生々とした内容を持つことであるが,一方危険 性としては,研究者の独善になりやすいこと,
一時的な興味に終わって,数年もたつと変わっ
てしまうことである。」と述べている。
青野寿郎(1968)は<動態地誌学>につい て『地理学辞典』の中で次のように解説してい る。「動態地誌学(dynamic regional geogra- phy) と は 地 誌 の 論 述 に つ い て の ド イ ツ の H.Spethmann の 説 で, 著 書「Dynamish Länderkunde(1928)のなかで “ 地誌は,そ の地域における現在の性格を把握して,それを 中心として記述を進めなければならない。少な くとも重要な要素を真先に取り上げ,その後,
次第に他の要素に入るべきである。” と主張し ている。(中略)従来の地誌が画一的に書かれ ていたのに対し,動態的な記述の方が,地誌の 狙いとする地域的性格を鮮明に印象強く記述で きるとした。しかし,著者の主観的傾向が強く 出て,客観的に見ると問題が多く,同じ地理的 事象についての地域間の比較ができないという 批判も出てきた。」
大嶽幸彦は「H.Spethmann の<動態地誌>
について Dynamish という用語は多義的で混乱 した概念であったとしている。シュペートマン は個性的記述的地誌の方向に夢中になっていた ので<動態地誌>は模範とはなりえなかったし 地誌学の問題に何ら解決策を与えていないとの シューヴィヒの批判もある。」と述べている。
当シンポジウムで竹内淳彦5)は田中啓爾の 業績に触れ,「田中が 1920 年代から地域の動 態的把握の重要性と分析手法を明らかにしてい る。 動態的把握は田中地誌学の真骨頂でもあ る。なお,ここで,<動態>とは正確には時間 と共に変動している姿6)であり,単に現在目 立っている現象のことではない。」と発表した。
4 今後の課題
開催のテーマ(1)については,学習指導要 領に『地誌』が位置付けられたことは,地理教 育に関わる者として歓迎したい。地理学の目的 の一つに地域性の解明があり,それに至る過程 でどうしても必要なのが『地誌=地域に関する
記載』である。地誌学の定義は古くて新しい課 題である。
多くの地理学者が意見を表明しているがそれ ぞれの見解が完全に一致しているわけではな い。だからといって地誌が不要であることの理 由にはならないし,併せて比較地誌的の観点か らも地誌学の客観性は必要であると考えられ る。それが動態地誌で在るべきかどうかは,教 育方法論を含めて検討すべきことである。
また,田邉 裕7)が講演したように<地誌>
は必ずしも<地誌学>ではなく<地誌研究>で もよいのではないだろうか。
激しく変化する社会を動態(dynamics)と して捉え,その断面を静態(statistics)に記録 すること,その継続した記録による成果を学習 し,研究に役立てるということを期待したい。
テーマ(2)については,現在,社会科・地 理歴史科において専門的な地理担当教員が 不 足しているとの指摘がなされた。このことは当 然,生徒の地理的理解力に影響が在り,全体と して地理の存続につながりかねないという悪循 環が続いている,また,教員採用に係る課題な ど,全国的に深刻な状況が続いていることが明 らかにされた。
『現代社会』創設時にも社会科教員の間で誰 が担当するかを巡り,少なからず混乱があった と記憶している。教育上の理念と現実的な教員 養成・教員配置に関する政策との乖離を改善し なければ教育の向上は望めない。時宜を得たシ ンポジウムであったと言えよう。
5 おわりに
か つ て 我 が 国 で は『 日 本 の 地 理 』 全 8 巻
(1962)岩波書店や『週刊世界の地理』(日本編)
全 29 巻(1995)朝日新聞社等,優れた地誌が 出版された。また,大学用教科書『日本地誌ゼ ミナール』全 7 巻(1987)大明堂,『世界地理』
(日本編)全 2 巻(1974)朝倉書店がある。
また,専門書としては『日本地誌』全 21 巻
(1967-90)二宮書店や『日本の地形』全7巻
(2000-05)東京大学出版会があり,その質の 高さは貴重である。目まぐるしく変動する社会 や度重なる災害など国土に関係する課題も多 い。だからこそ地誌が必要であり,地誌教育重 視の今こそ新規の体系的な出版企画が望まれ る。
一方,地理好きの生徒を育てるためには,新 幹線や高速道路による旅行だけではなく,列車 やバスの車窓からゆったりと景色を見ながら旅 する体験を多く持たせたい。新たな驚きの連続 に “ 地誌的思考の芽生え ” があり,知的な興味 関心が啓発されると考えている。
本学に於いても,社会科及び地理歴史科の教 員免許取得希望者を対象にした地域調査研究に 対しての体験を持たせる野外巡検の実施が強く 望まれるところである。
註
1)2013.3.28-30
2)文字の配列や大きさについては,講演者の 意図に沿うよう出来るだけ原資料に合わせ た。
3)本学の図書館でレファレンス検索を依頼し たところ,シュペートマンの原著「Dynamish Länderkunde」(1928)は国内のいくつかの 大学・研究所に蔵書があることが判明した が,翻訳は検索されなかった。
4) 筆 者 は シ ュ ペ ー ト マ ン(1928) の 原 著
「Dynamish Länderkunde」 に よ り, < 動 態的地誌(学)>が相応しいと考えている。
5)竹内淳彦 (日本工業大学名誉教授)
6)下線は筆者
7)田邉 裕 (東京大学名誉教授)
参考文献
青野寿郎(1973)『地理学辞典』日本地誌研究 所 二宮書店 541
大嶽幸彦(2010)『地誌学に関する一考察』帝 京大学文学部教育学科紀要 77-83
木内信蔵(1968)『地域概論』東京大学出版会 219
桜井明久(1999)『地理教育学入門』古今書院 18 − 30
杉山昌謙(2008)『地理教育における方法と実 践』地理誌叢 vol.50 164-170
中村和郎(1998)『世界大百科事典』平凡社 文部科学省(2008)『中学校学習指導要領解説
社会編』 9
山口幸男(2009)『地誌学習の新しいアプロー チ』地理教育研究 NO.3 1-8