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出版者 法政大学図書館

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Academic year: 2021

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(1)

著者 山本 なほ子

出版者 法政大学図書館

ページ 269‑278

発行年 2006‑03

URL http://hdl.handle.net/10114/6821

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ターを夜間も維持していくことは、相当な負担となっているが、動線上、カウンターを統合する事ができないの

である。将来的展望を見据えた図書館設計がなされなかったことは、大変残念な事である。

次に、多摩図書館の所蔵資料についても方針が立てられた。研究用図書・雑誌は市ヶ谷図書館所蔵資料を分割

して配置し、学習用資料は全く新たに購入し、年間一万冊づつ増やしていく、研究用図書の分割については、各

学部から選出された教員と図書館側で協議して具体的内容を決める。それが確定するまでは、学習用資料だけで

運営するというものである。研究用図書の分割については、’九八一一一年一○月に準備会、||月二四日に第一回の「図書配置委員会」が開かれ、そこで検討された。その後、経済・経営両学部間の折衝のため、|年半の中断

があったが、’九八六年一月一七日、担当常務理事に答申が出された。それを受けて同年3月に、市ヶ谷から分

割された図書・雑誌が多摩図書館に移管された。多摩図書館開設の二年後である。

学習用図書については、開設の前年度一九八三年に、五年計画の初回にあたる一万一一一五○○冊を、市ヶ谷図書

館開架係が選書・発注を行い、市ヶ谷開架図書と同じ仕様で整理を委託し用意された。

職員については、’九八一一一年一二月に課長補佐一名、一九八四年一一月に課員一一一名が配属され、以後本格的準備 で提供したいという意向が強かった。また、当時の図書館職員には、研究用資料は後世へ伝えるべき大事な物であり、大切に守りたいという根強い意識があり、学部生には学習用資料だけを利用させ、研究用資料の利用はできる限り制限するという方針が採られたのである。そのため、研究用資料と学習用資料の配置場所を厳格に区切り、利用者の動線が全く交わらないことが念頭に置かれた。図書館職員の意識も変わり、所蔵する資料の全てをフルに学部生に活用させたいという意識が趨勢を占めてきた現在では、学習用と研究用を分離する建物構造が図書館サービスの展開の上で、かなりの障害となってきている。特に、少ない職員数で、三ヶ所に分散したカウン

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(2)目録カードのコピーを配置I手作業からの出発

一九八四年九月十七日、第一一閲覧室及び第三閲覧室において多摩図書館は本開設を行なった。開館時間は九時

~一八時三○分となった。職員は一一階第一一事務室にて業務に従事したが、無人の地下から四階までの管理も行な

う必要があった。全館の備品等が竣工時に全て揃っていたわけではなく、その後も備品の搬入や、仕切りの工事

などが行なわれ、他の階に出向くことも多く、落ち着かない状態がしばらく続いたのである。 が開始された。多摩校地移転にあたり、大学は職員の増員を一切行なわないという方針があった。配属された四人は市ヶ谷図書館に所属していたが、彼らが多摩図書館に配属されたことにより、市ヶ谷図書館は四名の減員となった。その後も、多摩図書館の機能が拡充され、人員を要するごとに、必要な人員は市ヶ谷図書館から異動が行われ、市ヶ谷図書館は減員となることが長く続いた。

’九八四年四月、多摩キャンパスが開設され、経済学部・社会学部第一部の新入生を迎え入れた。

多摩図書館も同時に開設されたが、建物が未竣工であったため、社会学部棟八階の資料室書庫と、現在の学部長

室を借用し、それぞれを事務室及び二万一五○○冊収容の書庫、五四席の閲覧室とする仮開設となった。

開室時間は九時二○分から一八時迄で、臨時職員が一一名採用され、一名は九時から一七時、もう一名は一四時か

ら一八時まで勤務し、交替で残業する専任と共に閲覧業務にあたった。

図書館・研究所棟が完成し、’九八四年八月、社会学部棟から学習用図書を二階開架閲覧室に移設、多摩校地

に開設される予定だった新設学部用図書一一万五○○○冊も二階に配架された。また、短大廃止に伴い移管される

ことになった旧短大図書約四万二○○○冊が地下一階に搬入された。

271 Hosei University Repository

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多摩図書館本開設後、近くの団地で、法政大学の図書館が開設し、近隣の住民も利用ができるという内容の回

覧が回った。それは多摩校地開発に先立つ、住民への説明会において、大学側からの、多摩校地内の施設.特に

図書館などを住民にも開放したいという説明を受けての誤解であった。その後も、近隣の住民からは利用につい

ての問い合わせが時折あり、図書館の利用に対する根強い要望があることが伺えた。

’九八六年二月~一一一月、市ヶ谷図書館から分割された研究用資料が地下一階に搬入された。内訳は和書五万一

六六○冊、洋書一一一万一一一一一一六三冊、国外政府刊行物一一万一一一八五九冊である。

’九八六年四月に一階・第一閲覧室を開室し、研究用図書のサービスを開始した。閉架図書の新規購入・整理

も開始された。そのため、職員三名が増員され、次長職も着任し、|階事務室を開室した。着任者のうち一名は

一一時一一一○分から一八時三○分まで勤務する一一部勤務者で、交替で残業する専任職員と合わせて一一名が開架・閉

架の一一つのカウンターに入り、一八時三○分までの開館時間を維持した。この体制は翌年まで続いたが、その後

二部勤務はなくなり、||名共、交替の残業者となった。研究用資料は多摩配置分、市ヶ谷配置分共に、多摩での検索手段が全くなく、最初にそれらを整備することが

急務であった。市ヶ谷図書館で、全資料の目録カーFのコピーが作成され、順次多摩図書館に送られた。多摩で

は当初、分割表に従い、送られてきた目録カードの請求記号を見て、多摩配置分を抜き出し、市ヶ谷配置と多麿

配置で分けて目録カードを編成したが、後に市ヶ谷配置分のカードに市ヶ谷と赤く表記をし、統合された。とも

かく、目録カードの量は膨大なもので、両図書館ともに大変な作業量であった。分割の対象は、図書だけではなく、雑誌と政府刊行物も対象とされた。「図書配置委員会」の答申では、政府刊行物について、国内資料は市ヶ谷、国外資料は多摩に配置するとされ、国外政府刊行物が既に市ヶ谷から移管さ

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れていたが、それらの整理のために同年十月、市ヶ谷図書館から一名の出向者が着任した。雑誌は準備が整わな いために、未だ移管されていなかったが、’九八七年三月、送付ざれ地下一一階に搬入された。和雑誌一六一一一一一タ

イトル、洋雑誌一一一○七タイトル、他に和雑誌六五一一・洋雑誌一六三タイトルのカレント雑誌、洋新聞カレント七紙である。本来なら、雑誌閲覧室・書庫として四階にそのス。ヘースが確保されているのだが、少ない人数で三カ

ウンターを維持する困難さと、既に開室している第一閲覧室の利用者数が少ない上に、もう一つの閲覧室を開室 しても、同じように利用者が少なく、効率が悪いであろうという判断により、四階ではなく地下書庫に配架され たのである。この頃は未だ、多摩の学部生は三年になったばかりで、市ヶ谷キャンパスでも経済・社会一部の講

義が行われており、大学院生は全て市ヶ谷にいて、教員はキャンパス間の往復のため多忙であった。そのため閉

架図書の利用者は非常に少なかったようである。そうして、’九八七年四月、雑誌と政府刊行物の提供を一階・ 閉架カウンターにて開始した。第一閲覧室に新着雑誌を並べる設備がないため、カレントはカウンターに近い事

務室内の書架に並べられた。市ヶ谷図書館からの出向者一名が新たに着任し、出向者は二名となり、第一事務室

’九八八年一一一月、和洋雑誌・和洋政府刊行物を地下一階から四階へ、旧短大図書を地下一階から地下二階へ移

動した。出向ではなく、正式に二名の職員が確保される見通しが立ったことと、折角用意されている四階のスペ

ースを、有効に使いたいとの館員の熱意から、多摩図書館は全面開設へ踏み切る事になった。 務室内の書架に並べられた。市ヶ谷図書館からのにおいて雑誌・国外政府刊行物の業務に携わった。

(3)閉架書庫への学生入庫を認めるl開拓者魂九八八年四月、雑誌・政府刊行物を置いた第四閲覧室を開室した。開室時間はこのフロアだけは、九時から

273 Hosei University Repository

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一九九○年四月、部長職が着任した。当時、多摩図書館の職務権限は多摩図書館長にあると規程されていたが、

実際に多摩図書館長職は設けられていないため、市ヶ谷図書館事務部長に委譲されていた。多摩図書館に着任し

た部長は、図書館付事務部長(多摩担当という名称で、多摩図書館は組織として独立した存在ではなかったので

ある。そのため、全てに渡って、市ヶ谷図書館事務部長の判断を仰ぐ必要があり、運営上、非常に支障を来して

いた。そのことについて市ヶ谷図書館と交渉を重ねた結果、’九九一年七月、多摩図書館長の職務権限は全面的

に多摩図書館事務部長に委譲され、その結果、多摩図書館が独自に予算編成・執行を行なう事が可能になった。

翌年の予算編成は多摩図書館が行ない、一九九二年度からようやく、予算執行も多摩図書館が独自に行なうよう この年、経済・社会両学部長から図書館長宛てに要望が出されたことを受け、七月、前期試験前から約一○日間、開館時間を延長し午後八時までとし、その間の休日(二曰間)も一○時から一七時まで開館した。対象とする閲覧室は第二閲覧室だけであったが、これ以後、前・後期試験とも毎年同じ措置がとられた。多摩図書館の開館時間については、その後、社会学部自治会・大学院委員会等々から、恒常的に八時まで開館するよう、何度も繰り返し要望が出され、その実現は大きな課題となった。

’九九○年七月、館員全員が参加する業務検討会議が発足した。多摩図書館の事務室は三フロアに分かれ、館

員相互のコミュニケーションが取り難い環境にあるが、全員で話し合う場がなく、問題解決が先送りになりがちであったことを解消するのが目的である。このような会議体の定期的な開催は、常に図書館の業務内容を検証し、 |六時三○分までとした。」を設け、|課二係となった。になった。 ここで組織が始めて変更され、図書係(係員六名)の他に、政刊・雑誌係(係員四名)

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貝からは上がらなかった。新しく開かれた多摩キャンパスには初期の頃からの開拓者魂のようなものが漂ってい

る。新しい場所で新しい内容の教育を始めようと決意して移転してきた、経済・社会両学部教員には、新しい事

について、何でも柔軟に受け入れ、対処していこうという意識が帳っているのではないだろうか。多摩図書館委

員会に計ったところ、賛成意見が多く、委員会の了承も得る事ができた。

’九九一一年十一一月、三・四年生に限定した閉架図書の学部学生への貸出を開始した。 た学部学生が閉架書庫への入庫ができるようにした。これまでは書名や著者名などがはっきりわかっている本であれば、リストなどで捜す事ができたが、|定のテーマで捜すことは難しかった。しかし、入庫し、分野ごとに並べられた書架に直接あたることができ、利用者は本を探しやすくなった。このように色々な改革を実施したが、閉架図書の利用者は依然として少なかった。一八時三○分までの開館時間で、館内でしか利用できないということが、その主因である。学生からの要望もあり、大部分が死蔵されているに近い、閉架図書を学部学生にも貸し出そうという気運が館員の間に沸き上がってきた。実施に向けて検討を始めた当初は、教員の反対が危倶された。しかし、学部生が閉架図書の館外貸出を受けられないという事実を知らない教員も多く、意外にも反対の声は教 不備な部分を改善していこうとする姿勢を館員の間に植え付けることに繋がった。

’九九一一年四月、図書係を開架係(係員四名)と閉架係(係員五名)に分割し一課三係となった。これまで一つ

の係に九名の係員がいて、二フロアに離れて勤務する状態が続いていたが、権限を持つ部長職不在のためもあっの係に九名の係員がいて、こう’

てか、放置されていたのである。

業務検討会議では様々な、利用者サービスに関する改革案が討議され、次々と実行に移された。

九九二年九月、第一閲覧室参考図書コーナーを学部学生にも開放し自由接架方式とした。また、手続きをし

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Hosei University Repository

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’九九一一一年四月、閉架図書の学部学生への貸出を拡大し、全学年貸出可能(三冊・一一週間)とした。

更に同年四月から、開館時間を延長し、第一・第二閲覧室ともに通常の閉館時間を午後八時とした。五月六日

からは第四閲覧室も午後八時までの開室時間とした。そのための体制として、新たに二部担当の課長補佐が着任

し(勤務時間は一三時三○分~’’○時三○分)、||名の臨時職員(一六時一○分~一一○時一○分勤務)と共に、一一階・開

架カウンターを担当。|階・閉架カウンターには、交代で時差出勤する専任職員一名と臨時職員一名。四階・政

刊雑誌カウンターには臨時職員二名が入る形態がとられた。

この年ついに、多摩図書館の長年の懸案事項であり、利用者からの最も強い要望であった二つの事柄が、相継

いで達成されたのである。

一九九五年二~一一一月、市ヶ谷図書館書庫の狭随により、市ヶ谷閉架資料約十五万冊が移管され、多摩図書館地下二階に搬入された。内訳は旧分類図書九万五一九一一一冊、内藤・戸坂などの個人文庫一万八五七九冊、大学紀要等の雑誌バックナンバー約三万冊である。この移管資料の整備・提供に人

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(4)電子図書館化と地域住民への開放

趨鰯4霧懲鐵鰯慰慰繊螺蕊蘓》識■一九九四年四月、初代多摩図書館長(経済学部・佐々木隆雄教授)

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図書館下り用のしおり

(多摩図書館)

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’九九六年一一月、多摩図書館の地域開放を開始した。内容は、八王子市・町田市・城山町・相模原市に在住.

または在勤する近隣の住民に有料でライブラリーカードを発行し、多摩図書館の全所蔵資料の館内閲覧及び、開

架図書の館外貸出(二週間三冊)を可能とするものである。同時に月二回・隔週曰曜日の開館(夏冬期休暇中を除く)

も実施した。地域開放は多摩キャンパス開設以来、近隣の住民からの強い要望があり、開館時間延長とともに多

摩図書館の長年の課題となっていた。市ヶ谷からの資料の移管も一段落し、人員・組織上の体制がようやく整っ

た事、開架図書が予定の所蔵冊数に達した事、などの理由から実施に漕ぎ付ける事ができたのである。

地域開放以外にも、多摩図書館長就任以後、途中で頓挫していた長年の懸案事項が着々と進むようになった。 員を要するために、同年四月、二名が増員となり、閉架係と政刊雑誌係に配置された。

’九九六年七月、組織の大幅な変更を行ない、二課四係体制となった。もともと多摩図書館には図書課の他に、

’九八八年から資料課が設置されており二課体制ではあったが、これは主に大学史と地方資料を担当し、本来の

図書館機能とは異質な業務を行なっていた。資料課の業務は、一九九五年四月、大学史関係が企画室へ、’九九

六年四月に地方資料関連が地域社会研究センターに移管され、大学年誌の業務だけが残り、課長一名課員一名と

いう業務量に合わない人員配置のままであった。それを是正し、情報システム課に情報管理係(係員3名)・レフ

ァレンス係(係員四名)、情報サービス課に情報サービス係(係員三名)・政刊雑誌サービス係(係員四名)を置いた。

組織再編成の主要な目的は、レファレンスサービスの確立にある。レファレンスという係を置かずに、閲覧業務

の片手間にレファレンスを行なう、従来の体制では、利用者、特に研究者へのサポートは非常に不十分なもので

あった。その上、コンピュータや通信ネットワーク、その他様々な電子的メディアの発達と電子資料の増加など

の大きな環境の変化への対応が大変難しくなっていた。

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一九九五年四月に開架図書・’九九七年四月に閉架図書の貸出がコンピュータ化された。’九九七年度から五年

計画で旧分類図書の遡一及入力州事業がスタートした。法政庁大学図書館はこれらについては、他大学に比べ非常に遅

れていたが、ここでようやく追いつくことが可能になり、その後のIT化の波に乗る基盤を作ることができたの

である。

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参照

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