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イギリス・ロマン派農民詩人とディープ・エコロジ ー

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著者 金津 和美

雑誌名 同志社大学英語英文学研究

号 91

ページ 19‑37

発行年 2013‑03

権利 同志社大学人文学会

URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000013274

(2)

金 津 和 美

1 はじめに

 現代の環境批評において,イギリスを代表する二人の農民詩人ジョン・ク レア (John Clare, 1793-1864) とジェームズ・ホッグ (James Hogg, 1770-1835) の評価は著しく異なっている。クレアについては,レイモンド・ウイリアム

ス (Raymond Williams) によって早くから環境詩人としての側面が指摘され,

1990年代以降,ジョナサン・ベイト (Jonathan Bate) やジェームズ・C・マキュー

シック (James C McKusick) といった環境批評家によって「自然現象に対する

深い感受性と環境保護の力強い主張を結びつけた・・・・英文学の伝統にお ける最初の<ディープ・エコロジー>作家」(マキューシック 116) と位置づ けられ,高く評価されている。対照的に,環境批評の立場からホッグについ て言及されることは極めて稀である (Gairn 4)。ホッグの作品は,詩,小説,

随筆に至るまで極めて多岐に及び,かつ,その主題も必ずしも自然のみを扱っ ているわけではないという事情もあるのかもしれない。しかしながら,19世 紀 初 頭 の 当 時 に 目 を 向 け て み る と,『 ブ ラ ッ ク ウ ッ ズ・ マ ガ ジ ン 』 誌

(Blackwood’s Edinburgh Magazine) の成功も手伝って,「農民詩人」として広

く認められていたのはホッグのほうである。むしろクレアは『ロンドン・マ ガジン』誌 (The London Magazine) によってホッグに続く農民詩人として世 に送り出され,晩年に至るまで,ホッグに対して強い同朋意識と敬愛の念を 抱き続けていた。こういった「農民詩人」のプロトタイプとしてホッグがク レアに与えた影響を考えると,環境批評における二人の評価の違いは,単に

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英文学史におけるホッグの周縁性によるものとしてのみ説明することはでき ない気がする。

 農民詩人クレアがディープ・エコロジストとして再評価される理由の一つ として,クレアの詩のほとんどが故郷ヘルプストン (Helpstone) の自然を描 いたものであることが挙げられるだろう。 “[T]o achieve being-at-homeness-in- the-world, you have to begin from your own dwelling place” (109-10) とベイトが 述べるように,現代の環境批評は,地球規模で深刻化する環境問題を考察す るにあたって,まず身近な自然との関わりに立ち戻って考えるローカルな視 点の必要性を強調する。故郷ヘルプストンの自然を描くことでクレアは,自 然の恵み深さに歓喜するとともに,その豊かさが失われていくことへの悲痛 を訴えた。産業革命を経て,高度資本主義経済が確立した現代,ますます急 速に疲弊し,枯渇していく自然環境に対して,クレアの詩は詩的言語を通じ て失われた自然との絆を回復する可能性を示唆するものとして,環境批評家 たちの注目を集めている(ベイト 38-40)。

 しかし一方で,こういったディープ・エコロジーの立場に立つ批評家たち の自然観が,イギリス・ロマン派に代表される超越論的自然観に重きを置き すぎているとして,見直しが求められていることも事実である。本論では,

環境批評を取り巻く昨今の知的動向に鑑み,環境詩としてイギリス・ロマン 派農民詩人の意義を再考することを目的とする。具体的には,ジョン・クレ アのみならず,イギリス・ロマン派が生んだもう一人の農民詩人ジェームズ・

ホッグに注目し,二人の詩人が手懸けた同名の作品『羊飼いの暦』(The

Shepherd’s Calendar) を比較分析することで,彼らがいかなるエコ言語を生み

出すよう努めたのか,また,現代の環境詩学にいかなる新たな視座を開きう るかを検証したい。

2 ジョン・クレアの『羊飼いの暦』

 ジョン・クレアの『羊飼いの暦』は,処女詩集『田園生活と風景を描く詩

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集』(Poems Descriptive of Rural Life, 1820) 及び『村の吟遊詩人』(The Village

Minstrel, 1821) に続く第三作目の詩集として1827年に出版された。もともと

これはクレアの出版者・編集者であるジョン・テイラー (John Taylor) とジェー ムズ・ヘッセイ (James Hessey) による企画で,エドマンド・スペンサー

(Edmund Spenser) の同題の田園詩を模して,一年を一月ごとに描いた風景詩

と物語詩からなる詩集を出版する予定であったらしい。彼らの発案に従い,

クレアは1823年ごろから作品を書き始めたが,最終的には冗長すぎるという 編集者たちの判断で,風景詩と物語詩はそれぞれ別の詩集として編纂される ことになった。その結果,一連の風景詩によって綴られた『羊飼いの暦』は,

当初想定していたようなスペンサーの田園詩に類した作品というよりは,む しろ農村に住まう人や生き物の暮らしを細やかに写し取った,いわば農耕詩 に近い作品として出版された。

 クレアの『羊飼いの暦』が田園詩というよりも,農耕詩に近いというのは,

その自然描写が農村に暮らす人々の労働に目を向け,自然の恵みよりもその 苛酷さを強調するからである。その一例として,嵐という天災に見舞われる 農村風景を描いた「11月」(“November”)の一節を引用しよう。

The hog sturts round the stye & champs the straw

& bolts about as if a dog was bye

The steer will cease its gulping cud to chew

& toss his head wi wild & startld eye

At windshook straws—the geese will noise & flye Like wild ones to the pond—wi matted mane The cart horse squeals & kicks his partner nigh While leaning oer his fork the foddering swain The uproar marks around & dreams of wind & rain

….

The shepherd happy when the day is done

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Hastes to his evening fire his cloaths to dry

& forrester crouchd down the storm to shun

Scarce hears amid the strife the proachers muttering gun

The ploughman hears the sudden storm begin

& hies for shelter from his naked toil Buttoning his doublet closer to his chin He speeds him hasty oer the elting soil While clouds above him in wild fury boil

& winds drive heavily the beating rain He turns his back to catch his breath awhile Then ekes his speed & faces it again

To seek the shepherds hut beside the rushy plain

Oft stripping cottages & barns of thack Were startled farmer garnerd up his grain

& wheat & bean & oat & barley stack Leaving them open to the beating rain The husbandman grieves oer his loss in vain

& sparrows mourn their night nests spoild & bare The thackers they resume their toils again

& stubbornly the tall red ladders bare

While to oerwight the wind they hang old harrows there

Thus wears the month along in checkerd moods

Sunshine & shadow tempests loud & calms (ll.100-37)

迫り来る嵐を前に家畜― “hog,” “steer,” “geese,” “cart horse”―は怯え騒ぎ,そ

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の様子を見て,“swain”(農夫)は嵐が来ることを察知する。一方, “the shepherd,” “forrester,” “the ploughman” などの農村労働者たちは,それぞれに 避難する場所を探し,災難が通り過ぎるのを静かに待っている。やがて嵐が

去ると “farmer” や “the husbandman” といった地主階級たちが自ら被った損失

を数えて心を痛める傍ら,“thackers”(屋根ふき)や “sparrows”(すずめ)の ような卑小なものたちは,ただ黙々と日々の仕事に戻り,壊れた棲家を建て 直し始める。「日光と影,騒々しい嵐と静けさ,このようにこの月は気まぐ れな様子で過ぎ去っていく」(“Thus wears the month along in checkerd moods / Sunshine & shadow tempests loud & calms”) というように,自然は刻々とその 表情を変え,時に穏やかで美しく豊かな恵みを与えるが,一転して,苛酷に 猛威をふるい生きとし生けるものを翻弄する。だが,この世に住まうものは 皆,それを自然の摂理と受け入れて,慎ましく日々の労働に勤しむべきであ ると,農耕詩の伝統に従った教訓を提示することでこの詩は結ばれる。

 おそらく,このような自然の猛威の前に等しくひれ伏す人や生き物の様子 を描いた風景描写において,現代の環境批評は,例えば,マキューシックが 述べるような「すべての生き物の住みかである大地を,すなわちオイコス

(oikos=家)を代弁する」(134) エコ言語の実践の一例を見いだすであろう。

自然との絆を回復する詩的言語の可能性を主張するディ―プ・エコロジーの 批評家たちは,その言語観の典拠として,「詩的に住まう」(“poetically man

dwells on this earth”) というヘルダーリンの詩文を中心にドイツ・ロマン主義

文学を論じたマルティン・ハイデガー (Martin Heidegger) の後期諸作品の思 想についてしばしば言及する (Bate 257-62)。しかし一方で,こういったディー プ・エコロジーの自然観,または後期ハイデガー思想の解釈が,ロマン派に 伝統的な超越論的自然観の中で閉じられており,人間・自然・言語をとりま く環境の問題に正しく応答しないのではないかという批判もなされている (Zimmerman 104-22)。

 環境批評におけるハイデガーの位置づけについては多くの問題点を含んで

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いるため(Clark 55-62),本論でこれ以上に考察することは論者の力量を超え ている。しかし,ここで「詩的に住まう」主体としてハイデガーが定義した

「現存在」(Dasein) なるものが「あくまで個人に過ぎなかった」こと,つま り「人間存在をただ人の存在として捕え」(4) ていると指摘した和辻哲郎の 言葉に目を向けることは意味のないことではないだろう。和辻はハイデガー の人間存在の捉え方が「個人的・社会的なる二重構造」(4) の一面しか捉ら えていないと批判し,「個であるとともにまた全であるごとき人間存在の根

本構造」(21) を捉えるものとして「風土」に着目した。ハイデガーの受容と

その乗り越えを試みた和辻の「風土」論は,それゆえに個でもあり,社会(共 同態)でもある人間を,時間性が折り重なる空間性,すなわち風土によって 規定された「主体的な身体」(21) として考察したものである。そして,和辻 の「風土」論に照らし合わせて考えてみると,クレアの『羊飼いの暦』にお いて,人間の営みが自然界の生き物の営みと等価とされ,それゆえに生態系 を支える等しく貴重な営為として描かれてはいるものの,そこには何故か,

人間共同体の基盤となるような歴史性・身体性が希薄であることに気づかさ れる。クレアの詩的世界に歴史的なるもの,身体的なるものが存在しないわ けでは決してない。ただ,和辻がハイデガーにむけた言葉を借りるならば,

クレアの自然描写において,それは空間性の強い照明の中で影を失っている ように見えるのだ。

 では,何故そうなのか。クレアが描く風景や人物に歴史的・身体的厚みが 欠けるという印象については,『羊飼いの暦』における「7月」(“July”) の草 稿に対してテイラーが述べた言葉にも見て取れる。テイラーはクレアの草稿 に詩と呼べるものがなく,ほとんどが「叙述的一覧」 (“a descriptive Catalogue in rhyming Prose of all the Occupations of the Village People”: Letters 358) にすぎ ないと批判し,草稿を送り返して,全面的に書き直すよう要求した。テイラー の主な不満は,そこに自らが求める田園詩的な風景美が構成されていないこ とにあるが,テイラーが用いた表現は,クレアが描く労働者たちの労働が,

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その肉体性を剥奪され,詩的記号に置き換えられ,“Catalogue”(一覧)とい うような平面的な風景に文書化されたものであることを端的に示している。

 しかし,テイラーの批判に対してクレアは,“I did fancy the poem I sent you one of the best I had written or I should not have sent it” (Letters 359) と,いわば この “a descriptive Catalogue” としての言語こそ,自らが考える最良の詩的言 語であると弁護し,それが受け入れられないことへの失望を表している。実 際,『田園生活と風景を描く詩集』,『村の吟遊詩人』という二つの詩集を出 版した後,次第に「農民詩人」としての名声にかげりが見え始めたクレアは,

新たな詩集を出版するに向けて独自に新しい詩的文体を獲得する必要に迫ら れていた。農民詩人として新しい文体・言葉を捜してクレアが範を求めたの は,ギルバート・ホワイト (Gilbert White) の『セルボーンの博物誌』(The Natural History of Selborne, 1786) といった科学書であり,また,地元の造園 家や好古家との会話から得る科学的知識であった。

 さらにサラ・ホートン‐ウオーカー (Sarah Houghton-Walker) は,第二詩集 出版以降のクレアの詩的発展において,ウイリアム・ペイリー (William

Paley) を始めとする自然神学が与えた影響の大きさを指摘している(140-41)。

ペイリーは18世紀イギリスにおいて,自然宗教の確立と博物学の発達に寄与 した高名な神学者である。特に彼の『自然神学』(Natural Theology)は,1820 年代までケンブリッジ大学やオックスフォード大学で教科書として用いら れ,チャールズ・ダーウィン (Charles Darwin) の進化論にも少なからず影響 を与えた。クレアも1821年に支持者の一人から『自然神学』を贈られて読ん だと考えられる。

 神の創造物である自然を精巧に設計された時計 (“pocket-watch”) に喩える 機械論的自然観に基づき,作り手 (“maker”) の意図 (“design”) の誤りなきこ と,つまり自然の合目的性を説くペイリーの自然神学は,精緻な自然観察を 通して,そこに神の理法を読み解き,受け入れるという自然に対するクレア の観想的な態度と詩学を可能にした。つまり,クレアにとって詩とは,本質

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的に個としての己と他者(=神)との対話に他ならない。実際,クレアが描 く風景詩の多くにおいては,その自然美は共同体から離れた隠れ家にあって,

孤独のうちに密かに楽しまれ,見出されるものである。そして,そのように して得られた自然美の前に身を投げ出し,己を無とする崇高感に対してこそ,

むしろ逆説的に “ecstasy” や “rapture” といった肉感的な表現が与えられてい る。

 「宗教をより理性的にするものは何であれ,それをより信じうるものとす る」(“whatever renders religion more rational, renders it more credible”: Moral and Political Philosophy, xxxii) と述べるように,ペイリーの神学的功利主義は一 般民衆に行き渡る迷信や妄信を退けて,神の神性を科学的に説明しようとす る試みであった。ペイリーが宗教と科学との融合を図ったように,クレアは 科学を入り口として詩学へと接近しようと試みた。そして,そのように考え るならば,「伝統的な文学分析の方法に加えて,科学史と環境史を包含する 学際的な手法を用いる」(マキューシック 21)環境批評の方法論は,クレア の詩において文学的エコシステムを構築する詩的言語の実践を見いだすのに 確かに適している。

  一方,科学と宗教の融合を試みたペイリーとは対照的に,神に関わる問 題を「全体が謎であり,不可解事であり,解きえない神秘である」(“The whole is a riddle, and an aenigma, an inexplicable mystery” : Natural History of

Religion, 185) として,哲学や科学といった理性による考察の対象から切り離

したのはスコットランド啓蒙主義の哲学者ディヴィッド・ヒューム (David

Hume) であった。スコットランド国境地方の民衆文化を題材としたホッグの

作品は,独特のあり方でスコットランド啓蒙主義に深く根ざし,その文化的 土壌において育まれた産物であるという点でクレアの詩作品と異なってい る。ヒュームと同じく,ホッグもまた,民衆知が土台とする民間信仰や迷信 といった超自然なものを近代知の届かぬところに見いだした。しかし,ヒュー ムとは異なり,ホッグはその民衆知を生きながらえさせる知のあり方を模索

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しようと試みた。では,いかにホッグがローカルな身体性を基点として民衆 文化を捕えることにこだわったのか,次にホッグによる『羊飼いの暦』を考 察してみたい。

3 ジェームズ・ホッグの『羊飼いの暦』

 ホッグの物語集『羊飼いの暦』は,クレアの『羊飼いの暦』の出版から二 年後の1829年3月に出版された。しかし,この物語集は 1819年以降,『ブラッ クウッズ・マガジン』誌に「羊飼いの暦」という同じ題名で不定期に連載さ れた散文をまとめ,編集したものである。また,『ブラックウッズ・マガジン』

誌初出の散文二編とあわせて五編が「羊飼いの暦」という章題のもとにまと められ,1820年にも『冬の夜話集』 (Winter Evening Tales) として出版されて いる。こういった出版経緯を背景とすれば,クレアの『羊飼いの暦』が着想 されたとき,詩人の出版者・編集者たちが「羊飼いの暦」と題されたホッグ の作品群の存在について知っていて,その先行作品としてスペンサーのみな らず,ホッグの作品を念頭に置いていたと考えても間違いはないだろう。

 クレアの『羊飼いの暦』が田園詩というよりは農耕詩に近い体裁を保って いたのと同じように,散文ではあるが,ホッグの『羊飼いの暦』も主題にお いては,農村の人々の労働や日々の暮らしを描く農耕詩に近い作品である。

ホッグがクレアと同じ主題を共有していたことは,1819年の『ブラックウッ ズ・マガジン』誌に初めて掲載され,1829年版『羊飼いの暦』の巻頭におか れた作品 「嵐」(“Storms”) において,クレアと同じく,嵐と闘う人々の様子 が描かれていることからも理解できる。しかしながら,クレアと異なるのは,

ホッグの作品が1620年以降に彼の故郷エトリック (Ettrick) を襲ったいくつか の激しい嵐の記録であり,特に被害が甚大であった1794年1月24日の大吹雪 についての好古的資料として書かれている点にある。さらに特徴的なのは,

ホッグの描写において嵐は単なる自然現象としてよりも,むしろ人々に下さ れた神による裁きと考えられ,啓示的体験としての側面が強調されることに

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ある。

 「嵐」ではホッグ自身も「エトリックの羊飼い」として登場し,同郷の羊 飼いたちがいかに日々の営みの中で,自然の造物主としての神を身近に感じ,

その怒りの表れとしての嵐を恐れているかを共感をもって描いている。

Before retiring to rest, the shepherd uniformly goes out to examine the state of the weather, and make his report to the little dependant group within—

nothing is to be seen but the conflict of the elements, nor heard but the raving of the storm—then they all kneel around him, while he recommends them to the protection of heaven, and though their little hymn of praise can scarcely be heard even by themselves as it mixes with the roar of the tempest, they never fail to rise from their devotions with their spirits cheered, and their confidence renewed, and go to sleep with an exaltation of mind of which kings and conquerors have no share. Often have I been a sharer in such scenes; and never, even in my youngest years, without having my heart deeply impressed by the circumstances. There is a sublimity in the very idea.

There we lived as it were inmates of the cloud and the storm, but we stood in a relationship to the ruler of these that neither Time nor eternity could ever cancel. Wo to him that would weaken the bonds with which true Christianity connects us with Heaven and with each other. (4)

ここで描かれているのは,羊飼いが空模様を読み,嵐の到来を告げると,人々 が彼の周りに集い,神の加護を乞うて,祈りを捧げる様子である。人々にとっ て嵐は神への恐れ (“a sort of religious awe” 1) を掻き立て,神の摂理 (“Divine

providence” 3) を伝える啓示的体験である。 「真のキリスト教信仰によって

我々が神と交わり,また互いに結びついているこのような絆を弱める者に災 いあれ」(“Wo to him that would weaken the bonds with which true Christianity connects us with Heaven and with each other”) というように,羊飼いは宗教的畏 怖の念を通じて神と交わり,人々と繋がるキリスト教的共同体の中心に位置

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している。つまりホッグが描く人間は,個としてよりも,むしろ共同体をな す集合としての人間なのだ。

 さらにホッグにとって神の啓示的瞬間は,クレアにおけるような自然の事 物への観想的態度によって獲得されるものではなく,羊飼いたちが感じる苦 痛や恐怖といった身体的な感情や情念に基づいている。嵐を恐れる村人たち の姿はヒュームが『宗教の自然史』(Natural History of Religion) において述べ るような,人間生活における様々な希望と恐怖にかき乱され,その混乱のう ちに「最初の曖昧な神の痕跡」を見るという未開人の姿に近い。

No passions, therefore, can be supposed to work upon such barbarians, but the ordinary affections of human life; the anxious concern for happiness, the dread of future misery, the terror of death, the thirst of revenge, the appetite for food and other necessaries. Agitated by hopes and fears of this nature, especially the latter, men scrutinize, with a trembling curiosity, the course of future causes, and examine the various and contrary events of human life.

And in this disordered scene, with eyes still more disordered and astonished, they see the first obscure traces of divinity. (140)

ホッグの描く羊飼いは,人間生活の幸,不幸に心煩わせ,様々な欲望に捉え られた存在である。例えば,「説話」(“General Anecdotes”) では,羊飼いたち は神に対して家庭の幸福を願い,老年の慰めや平穏を祈り,時には「最も世 俗的な恵み――つまり,腹にはパン,背中には被い,しっかりした足腰とよ く見える目」(“best warldly blessings—wi’ bread for the belly an’ theeking for the back, a lang stride an’ a clear ee-sight” 99) に恵まれることを求めている。この ように羊飼いたちは「日頃の労働を通じて全能なる神と対話」(“so much conversant with the Almighty in his work” 98) し,神の導きに従って生を営んで いる。しかし,その一方で,大きすぎる試練に直面すると,あたかも旧約聖 書のヨブのごとく,神への怒りを顕にすることも憚らない。一人息子を亡く すという不幸に見舞われた年老いた羊飼いは,老年の頼みとしていた唯一の

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支えを失い,「どのようにして老いと悲しみを乗り越えればよいのか,神は ご存知だろうが,私にはわからない」(“how I’ll climb the steep hill o’ auld age an’ sorrow without it, thou may’st ken, but I dinna.” 100) と神の裁きの不当なるこ とを恨み,奇跡をもってその悲しみを償うよう神に訴えている。「羊飼い」

の故郷において,神への畏れは宗教的教条として受け入れられているわけで はない。人間としての悲しみや苦しみ,恐怖といった情念の中から抱かれる 神の姿にこそ,ホッグは民衆の生きる知恵を見いだし,滑稽さを添えながら も,誇りと親しみを込めて描き出そうとしている。

 さらにヒュームとホッグとの類似性があるとすれば,両者の啓蒙精神の根 底にある懐疑主義が挙げられかもしれない。しかし,ヒュームの懐疑主義が 近代知とは相容れない宗教的教条にむけられているのに対して,ホッグの場 合,それはむしろ近代知そのものに内向きにむけられるものである。スコッ トランド啓蒙主義の知の伝統に対するホッグの立場は極めて複雑であり,例 えば,それは『羊飼いの暦』所収の「嵐」において『ブラックウッズ・マガ ジン』誌に向けられた辛辣な批判にも伺える。 

 1794年の激しい嵐の日,地元の文学サークルに出かける予定であった「エ トリックの羊飼い」は,嵐が近づくのを察して文学サークルに出席すること を諦めて家に引き返すことにする。ところが,その途中,道に迷って帰れな くなった羊たちを探すため,ひどい天候の中,夜通しの捜索に再び駆りださ れる羽目になる。翌朝,疲れ果てて村に戻ると,「羊飼い」が驚いたことに,

嵐が起こった訳を巡ってあらぬ噂が村人たちの間に広まっていた。「羊飼い」

たちの文学サークルが,実は魔術使いの集まりで,呪術を用いて嵐を呼び寄 せたというのである。当然,「羊飼い」は根も葉もない噂であると言下に否 定して見せる。ところが,懸命に自己弁護を試みるうちに,「羊飼い」は次 第に,ひょっとして村人たちの言う通りなのかもしれないと思うようになる (“I could say no more in defense of the society’s proceedings, for to tell the truth, though I am ashamed to acknowledge it, I suspected that the allegation might be too

(14)

true” 16)。

 そこで「羊飼い」が思い出したのは,『ブラックウッズ・マガジン』誌の 初巻に掲載された風刺文「カルデア稿本」(“The Chaldee Manuscript”) のこと である。雑誌創刊の一部始終を宗教説話のパロディーとして綴ったこの風刺 文は,エディンバラ中に騒動を巻き起こし,その醜聞の嵐は,村を襲った嵐 と同様に,いずれも「文学」という近代知を巡って引き起こされた大惨事と して連想される (“If the effects produced by the Chaldee Manuscript had not been fresh in the minds of the present generation, they could have no right conception of the rancour that prevailed against a number of individuals; but the two scenes greatly resembled each other….” 17)。ジョン・ウィルソン (John Wilson) やジョン・

ギブソン・ロックハート (John Gibson Lockhart) といった一部の知識人の文学 的悪戯に過ぎない「カルデア稿本」が,怒号と混乱しかもたらさなかったの と同じく,農村社会においていたずらに「文学」を持ち込むことは,結局は 人々に受け入れられない悪戯,あるいは魔術としてあらぬ誤解を生むに過ぎ ない。また,そればかりではない。農村には,所詮,近代知をもってしては 捉えることのできない豊かな知的世界が存在する。神や自然との身体的な交 わりを通じて,ひとつの共同体のうちに長年にわたって積み重ねられ,受け 継がれてきた民衆知の総体があり,それをむやみに犯すことは,神の怒りに 触れる禁忌に他ならないのだ。それゆえに1794年の大吹雪は,犠牲となった 羊の数の大きさによって記録的であるばかりではなく,神による近代への恐 ろしい警告として語り継がれ,記録されるべきなのである。

4 結び

 近代知では捉えられない民衆文化の知的所産があるということ。ホッグの 作品には,こういった民衆知の厚みへの信頼と愛着,そしてそれを奪い去ろ うとする近代知への不信が根底にある。このような近代文学に対する違和感 や不信感を,ホッグが文筆家を志す当初から抱き続けていたことは,『スコッ

(15)

ト逸話集』(Anecdotes of Scott) に収められたホッグとウオルター・スコット

(Walter Scott) との初めての出会いを描いた逸話にも見て取れる。スコットが

訪ねてきたと聞いて急いで家に戻ったホッグは,すでにそこに二時間も前か らいて,ホッグの母親が歌う民謡に耳を傾けている詩人と出会うのである。

彼女が歌う民謡が今までに活字になったことはあるかとたずねられた母親 は,民謡は歌うためのものであって,読むためのものではないと言い返す。

さらにスコットの『スコットランド国境地方吟遊詩人の歌』(The Minstrelsy

of the Scottish Border) の出版によって,国境地方の民謡がすっかり台無しに

なってしまったといってこの大詩人を責め,たしなめるのである。

“Ay, it is that, sir! It is an auld story! But mair nor that, excepting George Warton an’ James Stewart, there war never ane o’ my sangs prentit till ye prentit them yoursel’, an’ ye hae spoilt them awthegither. They were made for singing an’ no for reading; but ye hae broken the charm now, an’ they’ll never be sung mair. An’ the wowrst thing of a’, they’re nouther right spell’d nor right setten down.”

“Take ye that, Mr. Scott,” said Laidlaw.

Scott answered with a hearty laugh, and the quotation of a stanza from Wordsworth, on which my mother gave him a hearty rap on the knee with her open hand, and said, “Ye’ll find, however, that it is a’ true that I’m tellin’ ye.”

My mother has been too true a prophetess, for from that day to this, these songs, which were the amusement of every winter evening, have never been sung more. (Anecdotes of Scott 38)

ホッグの母親が予言するように,文学作品として世に知られると,民衆文化 としての歌謡・民謡は息絶えてしまう。文学作品は個々に読まれるもので,

人々の身体的な交わりの場を必ずしも前提とはしないからだ。

 「文学」によって失われていくものへの愛着と悲しみが,ホッグをして彼 自身が考える独自の「文学」へと向かわせる。そして,同じ喪失感と危機感

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をクレアが共有していたと想像するのは決して間違いではないだろう。クレ アの最後の詩集『真夏の花のピンクッション』 (Midsummer Cushion) について,

エリザベス・K・ヘルシンガー (Elizabeth K. Helsinger) の示唆深い指摘を引用 することで本論を締めくくろう。切り取られた芝生の上に野花を差し,家の 飾りとする村の風習から題名をとったこの詩集について,マキューシックは

「広く行きわたったロマン主義の統一的生命体の隠喩を再度字義通り表現し」

したものであり,それゆえに「周囲のエコシステムの小宇宙として,またミ ニチュアとしてつくられた」(134-35) 詩集であると,環境詩学の立場から高 く評価している。しかし,ヘルシンガーはそこに,詩集の題名となった風習 が象徴するように,クレアの詩もまた,自然を本来の土壌から切り取り,詩 的空間へと移し変える作業であったことを指摘する。そして,たとえそれが

「ロマン主義の統一的生命体」の再現であったとしても,そういった詩的世 界そのものが,クレアにとっては本質的に見知らぬ異国であったと考えるの だ (“Like even the cushions found in cottages, however, Clare’s book, though it speaks of the life of the fields, thrusts that life into alien contexts” 158)。

 『羊飼いの暦』という同じ題名の作品において,二人の農民詩人ジョン・

クレアとジェームズ・ホッグはそれぞれに自らが知る故郷の自然を描いた。

クレアは科学的に精緻な観察眼をもって自然と向き合い,自然の中に読み解 いた神の理法を詩に描こうと努めた。一方,ホッグにとって自然は神の啓示 が与えられる場所であり,神との対話を通して得られた民衆知をこそ受け継 ぐべき遺産であるとして,文学作品の中に書き留めようと模索した。「文学」

の中に失われてゆく自然を取り戻し,守り継ごうとする二人の農民詩人の試 みを考察することは,イギリス・ロマン派のエコ言語が必ずしも一様ではな いことを明らかにする。それと同時に,彼らが到底「文学」によっては取り 戻し得ないとしたものに目を向けること,言い換えれば,詩的言語と自然と の臨界点に目を向けることが,イギリス・ロマン派におけるディープ・エコ ロジーを再評価する新たな視座となるのではと予感するのだ (Gairn 162,

(17)

Morton)。

* 本論は科学研究費・基盤研究(B)22320061「文学研究の持続可能性―ロマ ン主義時代における『環境感受性』の動態と現代的意義」研究グループ研 究成果発表会(2011年3月11日 於日本大学)での発表原稿を加筆・修正 したものである。

参考文献

Bate, Jonathan. The Song of the Earth. Cambridge, Massachusetts: Harvard UP, 2000.

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(19)

Synopsis

An Ecological Reading of Two Shepherd’s Calendars:

John Clare and James Hogg

Kazumi Kanatsu

The aim of this paper is to consider James Hogg as an ecological writer with particular reference to his construction of the supernatural. The development of ecocriticism in the last few decades has shed new light on the work of eighteenth- and early nineteenth-century working-class poets.

John Clare, in particular, a long-neglected peasant poet, has been established as one of the greatest ecological poets in English. By contrast, despite Hogg being equally categorized as a peasant poet, with his work deeply rooted in the rural culture and natural beauty of his native village, Ettrick, his writings have hardly been discussed from an ecological point of view. This paper considers both why Hogg has not been acclaimed as an ecological writer, and why he should be. These questions will be approached through a comparative examination of Hogg and Clare’s ideas of nature, mainly with reference to their works of the same title, The Shepherd’s Calendar.

Reading the two Shepherd’s Calendars, Clare’s and Hogg’s, I focus in particular on their description of a storm, in other words, their different attitudes to the supernatural. An examination of the two peasant poets’ sense of the sublime reveals their affinity and response to contemporary religious thought: Clare to natural theology, notably that of William Paley, on the one hand, and Hogg to theological skepticism exemplified by David Hume on the other.

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Clare regards locality of place as essential and crucial for his identity as a peasant poet. Nevertheless, Clare’s vision of nature is hardly confined to the particular landscapes of his native village of Helpston. As he minutely describes the details of a landscape, he elevates it above the merely local, and approaches a transcendental view of nature. As a result, Clare’s poems can inspire readers to imagine a world beyond historical and cultural boundaries: a space where human beings and natural creatures coexist; that is, something similar to an ecosystem.

By contrast, Hogg’s literary works are elaborately defined by the historical and cultural contexts of eighteenth- and early-nineteenth-century Scotland. In fact, the Ettrick Shepherd, Hogg’s pseudonym, was an imaginative figure invented by Blackwood’s Edinburgh Magazine, a driving force behind the literary and cultural revival of Edinburgh after the Scottish Enlightenment. Hogg’s Shepherd’s Calendar is a collection of local anecdotes, which have been inherited from generation to generation in his village, Ettrick. Hogg’s ecological practice is to protect and preserve the heritage of local knowledge from Enlightenment empiricism. I also argue that if, as James C. Mackusick tries to persuade us, ecocriticism is one of the most promising ways to question and renovate the interrelation of mind, language and nature, Hogg stands out as an intriguing and significant case.

参照

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