Ⅰ はじめに
Ⅱ 「観光資源」という言葉の変容:どのよう に語られたのか
1)「観光資源」の出自
2)戦後復興期(揺籃期)における「観光 資源」
Ⅲ ポストモダンの観光資源へ
Ⅳ 観光地計画へ
Ⅴ 結論
Ⅰ はじめに
2009年度に,著者は財団法人日本交通公社の 依頼を受け,東京都台東区における観光資源調査 の実施を受諾したが,調査を開始するにあたり,
素朴な疑問が頭をよぎった.観光資源とは何かと いう疑問である.
現在,観光資源という言葉を至るところで目に
するが,私たちは観光資源をどのように規定すれ ば良いのか.多様な観光的な魅力を観光資源とし て総称することは,その先に何を志向しているの か.
「観光資源」という言葉は,昭和38年の旧観 光 基 本 法 お よ び 観 光 基 本 法 が 全 部 改 正 さ れ た 2007年の観光立国推進基本法の中でもうたわれ ている通り,れっきとした「法律用語」になって いる.しかしながら,その概念については定かで ない.例えば観光立国推進基本法では第13条で 観光資源に言及しているが,その内容は,「国は,
観光資源の活用による地域の特性を生かした魅力 ある観光地の形成を図るため,史跡,名勝,天然 記念物等の文化財,歴史的風土,優れた自然の風 景地,良好な景観,温泉その他文化,産業等に関 する観光資源の保護,育成及び開発に必要な施策 を講ずるものとする」と,様々な観光資源の例示 しこそすれ,保護,育成及び開発の対象として語
pp. 58-64.
「観光資源」の概念と観光地計画における位置づけについて
The Concept of “Resources for Tourists” and its Role for Tourist Destination Planning
*佐 野 浩 祥*
Hiroyoshi SANO
Abstract: The ideal planning for tourism destination should be considered through the con- ceptual disorganization of “Resources for Tourists”. Based on the brief consideration about Modern and Postmodern Tourism, it is pointed out that the characteristics of resources for tourists are broken down into authority-element and code-element, and most resources are her- maphrodite, which are combined both elements. And the relationship between modern tourism and postmodern tourism should not be diachronic change, but synchronic solidarity. It is con- sidered that the roles of tourist destination planning are the conservation of authoritative resources and the promotion of free and diversified tourism industries.
Key words: 観光資源(resources for tourists),観光政策(Tourism Policy),未完の近代
(uncompleted modern),台東区(Taito-ku)
*立教大学観光学部・助教
られているに過ぎず,肝心の観光資源の定義は見 当たらないのである.
本稿では,著者自身が実施した観光資源調査の 位置づけを探求するために,観光資源という概念 の出自や,その意味付けの変容,そして今後の観 光地計画に適用しうる基礎概念としての有用性に ついて考察する.
Ⅱ「観光資源」という言葉の変容:どのよ うに語られたのか
1)「観光資源」の出自
一般に観光資源という言葉は,1930年,鉄道 省 の 外 局 に 国 際 観 光 局 が 設 置 さ れ た 際 ,
「resources for tourists」の訳語として用いられたこ とがはじまりとされている(香川,2007:101). ただし,戦前の観光関連文書においては観光資源 という言葉はそれほど用いられておらず,一般に 普及していくのは戦後,経済成長にともなって観 光開発が活発になっていく途上においてである.
戦前の帝国議会議事録において観光資源という言 葉は1件もなく,一方,同様に戦後の国会議事録 においては,昭和20年代が59件,昭和30年代 が112件,昭和40年代が150件,昭和50年代が 85件,昭和60年代が49件,平成一桁年代が66 件,平成10年〜21年が272件である.
戦前,すでに欧米諸国では国際間の移動が盛ん であったことから,それにともない,観光現象を 科学としてとらえようとする観光研究はすでに隆 盛期を迎えていた.戦前のわが国では,観光立国 を志向するにあたって,欧米諸国における最新の 観光研究を摂取していった.当時,観光研究の第 一人者であったマリオッティは,観光資源と同義 であると思われる「旅客吸引力」という言葉を用 いて,観光現象を科学的に解明しようと試みてい る.旅客吸引力は,「芸術的,建築学的,機構的,
衛生的利益に対する自然的要素」,「他の人工的要 素及び快適,慰安,ホテル組織その他のこれに類 す る も の の 上 部 構 造 的 要 素 」( マ リ オ ッ テ ィ , 1934:320)に分けられ,前者を「自然的吸引力」, 後者を「発生的吸引力」と名づけている.すなわ ち,マルクス経済学的な立場からこれを説明して
おり,観光資源という言葉こそ使われていない
(訳されていない)ものの,こうした観光資源に 関する基本的な考え方が当時のわが国に大きな影 響を及ぼしたことは疑いない.ここで重要なのは,
経済学的な文脈において,他の資源開発と同様に,
観光が語られているという事実である.
初代鉄道省国際観光局長新井尭爾は,「観光事 業が利用する自然の風景とか芸術とか文化とか は,涸れざる泉であり,欠きざる打出の小槌であ るから,ここからは無限の商品が生産されて行く,
この意味において観光事業の資源なり生命なりは 永久に不滅で」(新井,1931:13)あると,マリ オッティ同様に経済的源泉としての資源として,
観光資源をとらえている.当時,世界的な不況に よる経済的難局,特に国際収支改善の打開策とし て,ようやく政府が国際観光政策に着手したこと を勘案すれば,理解はたやすい.
2)戦後復興期(揺籃期)における「観光資源」
戦後間もなく,我が国の外貨獲得の手段として,
観光は再びクローズアップされた.空襲によって 大きなダメージを受けた基盤を再建しなければな らない鉱工業よりも,大きな投資を必要とせず,
我が国の風土を活かすことで外貨が獲得できる観 光産業の優位性が語られる.
旧鉄道省の役人であった井上萬壽蔵は,はやく から「観光資源」という言葉を用いた一人である.
井上は観光資源を大きく無意識的資源と意識的資 源に分類している.「たまたま観光資源になった」
古跡や風景や温泉・風俗などを無意識的資源,ク アハウスやカジノ,浅草や国立公園など人為的観 光資源をすなわち意識的資源とし,それ以下詳細 に分類している(井上,1947:57–65).観光資 源の分類としては,わが国で初出のものであろう.
経済学的視点から観光資源を,人々の観光欲望を 充たすための財,「観光財」と名づけ,一般消費 財との違いを述べている.すなわち,消費財に比 して観光財は無尽蔵であり,その価値は観光財の 周辺の消費財,宿泊,交通といった価値を含めた 総合的なものであるとしている.
では,国会ではどのように語られたのであろう か.1946年の帝国議会において,貴族院議員團
伊能は,次のように述べている.「我が國の觀光 資源に付きまして一言致しますれば,我が國の生 産資源の貧困なる上に,耕地に乏しく,此の厖大 なる人口を擁する我が國産業の前途に付きまして は,誰しも憂を一にする所と存じます,然るに,
幸にも此の美しき風光に富む國土と,温和なる氣 候が,軈て國際社會に加りたる曉に於きまして,
觀光資源として役立つことは,大いなる力と考へ なければならないことだと存じます,然るに此の 觀光資源の保護に當りまして,政府は又如何なる 御方針を採らむとして居られるのでございませう か」(帝国議会,1946)
戦後まもなくの国会においては,外客誘致にあ たり,風光明媚な自然美が日本の主要な観光資源 だと認識されていたために,観光資源は保護すべ き対象として語られるケースが多かった.こうし た傾向が変わっていくのは,観光政策と都市計画 の融合においてである.1950年から翌年にかけ て,日本有数の観光都市において,国際観光推進 のための都市整備を優先的に進めるための法律制 定が相次いだ.最初の指定都市となった別府国際 観光文化都市建設法案についての議論をみると,
鉄道省出身の衆議院議員西村英一は,「まことに 立地條件として,国際観光には持つてこいのとこ ろで有りまして,私は新しい時代にふさわしい観 光地としては,わが国にはこれ以上のところはな いと思われるのであります.これにさらにいろい ろ施設をいたしまして,国家並びに公共団体の助 成援助を得まして,法的措置を講じて,いろいろ 施設の準備をするということが必要で,しこうし て初めて別府もりつぱな国際観光都市となれるの であります.」(国会,1949)と述べている.この 後,熱海,伊東,京都,奈良,松江といった具合 に同様の法案が可決されていき,観光資源は観光 施設,観光地といった言葉と同様に語られ,開発 すべき対象として語られることが多くなる.
しかし,1960年代に入り,大都市部で工業開 発が推し進められるようになると,観光資源が都 市化の波に飲み込まれる危惧が生じてきた.観光 資源が再び保護されるべき対象として語られるの は,1963年に成立した近畿圏整備法案について の審議過程である.首都圏についても同様の法案
が1956年に成立しているが,近畿圏においては 京都や奈良を抱え,観光資源が豊富であることか ら,観光資源に対する特別な配慮がなされたので ある.国会での法案提出に先立ち,総理府総務長 官であった徳安實藏氏は次のように説明する.
「近畿圏内における跛行的発展状況を是正しつつ,
首都圏と並ぶわが国経済,文化等の中心としてふ さわしい地位を保つため,すみやかに近畿圏の建 設と秩序ある発展をはからなければなりません.
すなわち,一方では,過密区域及びその近郊区域 を整備して無秩序な膨脹を防止しつつ,産業,人 口の分散をはかるとともに,他方,開発を要する 区域は都市開発区域としてもろもろの産業基盤施 設,生活環境施設等の充実を計画的にはかり,あ わせて,当地方の特殊事情としての文化財,緑地,
観光資源等の維持保存及び開発をはかる必要があ ります.」(国会,1963)
なお,これに先立つこと1年,わが国における 開発の基本的方向を定める全国総合開発計画が成 立している.そこでは観光開発の方向という一章 が設けられ,「わが国に賦存する資源の有効利用 の観点に立つて観光資源の保護と利用の促進をは かるため,広域的な視野にたつた土地利用等にも とづいて総合的観光開発の方向を定めるものとす る.」(経済企画庁,1962:37)とあり,続いて 制定した観光基本法にも,国の施策の一として,
「観光資源の保護,育成及び開発」といった文言 が登場している.すなわち,1960年代前半にお いて観光資源という言葉が法律に摂取され,その 言葉に正当性が与えられる一方で,保護と開発の 対象として使い勝手の良い,抽象的な概念へ変容 していったことが推察されよう.
1970年以後,現在の財団法人日本ナショナル トラストの前身である財団法人観光資源保護財団 が設立され,観光資源を保護すべきものだと見な す機運は高まるものの,基本的には観光資源の概 念は発散したままである.このように,1930年 代に出自をもつ観光資源という言葉は,保護・保 全すべきもの,開発すべきものという論者の目的 に対応した対象として語られてきたのであるが,
法律用語としての抽象的な概念が与えられただけ で,現在に至っているのである.別のとらえ方を
すれば,「観光」と「資源」という,そもそも抽 象的であるこの二つの言葉の合成語としての観光 資源は,もとより抽象的であるのは当然であるの だが,抽象的な概念のまま,法律用語としての正 当性を与えられたといえよう.
Ⅲ ポストモダンの観光資源へ
ここまでは,戦後復興期,つまり観光資源とい う言葉が台頭し,法律によってオーソライズされ るまでの,いわゆる揺籃期を中心に,観光資源の 語られ方をみてきた.これまで政策サイドに限定 してきたが,一般市民の間ではどうであったのだ ろうか.朝日新聞と読売新聞の新聞記事データベ ースから,観光資源をキーワードとして記事検索 を行うと,1960年代に入るまで,ほとんど記事 は見当たらないことがわかる(朝日1件,読売 11件).また,その大半の記事は,国の観光政策 に関するものであり,民間の自発的文脈において 書かれているものはほとんど見当たらない.つま り,観光資源という言葉は政策サイドが主導して きたのであり,60年代に入り爆発的に増加,そ の後,曖昧な概念のまま,現在に至るのである.
すなわち,観光資源という言葉はあくまで観光の 政策サイドにとっての用語に過ぎず,その後,誰 もその言葉の意味するところを咀嚼しようとせ ず,自らの都合の良いように使用してきた玉虫色 の言葉になっているのである.
こうした問題に向き合い,1970年代以降,観 光研究者は観光資源に科学的な説明を加えようと 試行してきた.その嚆矢となったのが,鈴木忠義 を中心とした観光資源の評価に関する研究(日本 交通公社,1971:15)である.観光資源を特A 級からA級,B級,C級とそのスケールによって ランク付けし,整理したもので,この考えが現在 でも観光地評価手法の思想的基盤となっている.
しかしながら,この理論が射程としたのはあくま でマスツーリズムに代表される近代観光である.
観光に関する新しい流れ,ポストモダンの観光1)
という議論が台頭してきて久しい現在,今後の観 光地計画を考えるとき,観光資源という言葉を再 整理する必要があるとともに,政策サイドに偏向
した現状の観光資源が包含する意味では少し不十 分であると考えられる.
例えば東京ディズニーリゾートは,日本全国お よびアジア各国から多くの集客を誇る,日本を代 表する観光資源であることは疑いない.しかしな がら,東京ディズニーリゾートは,前述の鈴木ら による評価基準でA級レベルなのかと問えば,
一概にそうとは言えないだろう.つまり,アジア の隣国からの熱狂的なディズニーファンもいれ ば,全くディズニーリゾートに興味を持たない日 本人も少なくないのである.これは全ての観光資 源についても言えることだが,観光資源の評価基 準の一部は,個人の問題に帰するのであり,一義 的な評価はほぼ不可能である.
また,ディズニーランドを題材の一つとして,
消費について論じたボードリヤールは次のような 重要な指摘をしている.「ディズニーランドは,
錯綜したシミュラークル2)のあらゆる次元を表 す完璧なモデルだ.(中略)ディズニーランドと は,他の場所もそうだが,空想の再生空間だ」
(ボードリヤール,1984:16–18).大きな物語を 失ったこの世界で,ただ存在するのはオリジナル なき模造であるシミュラークルのみであるという 悲観的な未来の縮図として,ディズニーランドは 描かれている.想像上の,無機質で,再生可能な ディズニーランドとして.
ディズニーランドのようなシミュラークル的な 観光資源は,決して少なくない.同様のテーマパ ークの他に,最近の昭和レトロなラーメン博物館 やご当地キャラといったものも,この類であろう.
こうしたシミュラークル的な観光資源はジョン・
アーリの指摘するように消費のための場所として 位置づけられる(アーリ,2003:4).ここでポ ストモダンの観光理論を詳述することは避ける が,観光資源は無尽蔵にあり,「枯れざる泉」で あるという戦前から戦後復興期における観光資源 の一面的な認識には,少なからず修正が必要なの である.
ただし,その一方で,「枯れざる泉」としての 観光資源が消滅したのかと言えば,そうではない.
はじめに引用した観光立国推進基本法が対象とし ている観光資源である「史跡,名勝,天然記念物
等の文化財,歴史的風土,優れた自然の風景地,
良好な景観,温泉その他文化,産業等に関する観 光資源」は,ほとんど「枯れざる泉」である.な ぜならば,こうした観光資源の大半は観光(産業)
とは異なる文脈で存在意義を認められ,権力によ って守られているからである.ここで述べる権力 とは,何も近代的な国民国家のみに言及している のではない.グローバリゼーションが進展した結 果,世界遺産という権力システムもすでに用意さ れているのである.
さらに付言すると,こうした権力による観光資 源の押しつけに,私たち市民は一方的に従属して いるわけではない.各地において世界文化遺産登 録運動のような権力による資源価値の保証が求め られている一方で,誰もその権力に対して異議申 し立てを行わないのである.市民はこうした観光 資源に,ある種の秩序・権威を求めているのでは ないだろうか.
以上の考察から,観光資源は対極にある2タイ プの観光資源に区分される.一つのタイプは,デ ィズニーランドのような消費の対象となるような シミュラークル的な観光資源であり,もう一つの タイプは,権威に支えられた観光資源である.前 者を記号型観光資源,後者を権威型観光資源と名 付けることとしよう.
両者の違いは,表1のように特徴づけられよう.
Ⅳ 観光地計画へ
このように,多様な観光資源を整理してきたこ とをふまえて,観光資源の観光地計画への援用に ついて考える.
観光地計画と言っても,その内実は実に多様で あり,本来であれば,その対象となる観光地の諸
相や課題等の調査分析にしたがって,綿密な考察 を行うべきものである.こうした性格の観光地計 画を一括りにして論じようとするところが本稿の 試論たる所以である.では,今回観光資源調査を 実施した台東区における観光資源を事例に,前掲 の2種類の観光資源の賦存状況を見ていこう.
そもそも台東区は,京都や奈良には及ばないと しても,全国的には観光資源に恵まれた自治体で ある.例をあげれば,2010年1月1日現在,国宝 および重要文化財に指定されている建造物は全国
に2,359件存在し,その多くは京都・奈良周辺に
集中しているが,うち東京都内には69件が存在
(全国で8番目の多さ)する中で,台東区内には その2割にあたる14件(都内で最多)が存在し ている.国(文化財保護法)のみならず,同様に 東京都指定の文化財においても,都内809件中台 東区には89件の文化財が存在している.
さて,今回の調査では2001年2月に策定され た台東区観光ビジョン(旧ビジョン)にならい,
台東区の観光資源を把握した結果,368件が抽出 された.旧ビジョンでは327件であったが,今回 にかけて消滅したものはほとんどなく(4件のみ)
大きく増加している.
権威型観光資源については,国および東京都の 文化財指定を受けている資源が72件(全体の 20%)であった.一方,記号型観光資源はその 残り全てであるかと言うと,決してそうではない.
例えば,上野の東京国立博物館には国宝級の古文 書をはじめ多くの重要文化財が非公開のものを含 めて多数所蔵されており,きわめて権威型観光資 源に近い.また,台東区あるいは区の関係財団が 管理運営する観光施設も少なくないが,こうした 施設もまた区による品質保証を与えられていると 解釈でき,権威型観光資源的な要素を含んでいる.
表 1 対極に位置する 2 つの観光資源 権威型観光資源 記号型観光資源 価値の性質 絶対的,恒久的 相対的,時限的 価値付けの主体 法,(国家)権力 消費者(による選好)
他資源との関係 階層的,ヒエラルキー フラット 対象 保護・保存の対象 経済的源泉の対象 資源の例 文化財,史跡 商業施設,風俗
こうして見ていくと,極端な形での記号型観光資 源と断定できる資源は意外と少なく,その多くは,
その濃淡の差こそあれ,権威型と記号型両方の要 素を具備した資源である.
台東区の観光資源のほとんどは,江戸時代の為 政者が鬼門(東叡山)および結界(浅草)として 位置づけるための政治的所為としての遺産と,い わゆる庶民の生活文化にまつわるものである.前 者については,近代観光との邂逅によりいずれも 権威型観光資源としての意味を獲得し,後者につ いては,記号型から権威型もしくは権威型から記 号型への移行過程にある.例えば,生活文化とし ての江戸指物は,近代化によってもたらされた伝 統工芸というフレームにより,芸術的な聖性を付 与され,やがて保護・保存されるべき対象として 権威型観光資源としての色彩を強めていく.他方 で,浅草出身の作家である池波正太郎が一連の作 品の舞台として用意した江戸庶民の生活文化が息 づ く 「 下 町 」 は ,1984年 , 森 ま ゆ み ら の 雑 誌
「谷根千」によって観光商品化されたが,発刊当 初の10年間は1万部を超えていたものの,その 後はジリ貧となり,継続最低ラインの7,000部を 割り込んだため,2009年に惜しまれつつ廃刊と なった(仰木,2008).これはある一面で,「下町」
という記号的観光資源が消費され尽くしてしまっ たと言えよう.
観光資源に光をあて,今後の観光について考察 すれば,少なくともボードリヤールが悲観したよ うな,全てがシミュラークルで満たされるような 未来は訪れるとは考えにくい.観光の未来は,ボ ードリヤールが危惧したような近代からポストモ ダンへの移行,すなわち世界から権威型観光資源 が消滅し,記号型観光資源で覆われるような通時 的なものではなく,権威型観光資源の周縁で記号 型観光資源の出現と消滅が不断に繰り返されるよ うな共時的,カオス的なものではないだろうか.
権威型観光資源と記号型観光資源,両者の共存こ そが,観光資源の多様性を担保し,観光資源間の,
あるいは観光資源とわれわれ人間との差異を生み 出していく源泉となるのであろう.観光こそ,平 板化していく世界に抗い,奥行きを与えうる希望 であると考えたい.
Ⅴ 結 論
以上の考察を今後の観光地計画へ展開するなら ば,政策的・計画的に関与し得る観光資源は自ず と権威型観光資源に限定される.政策サイドは権 威型観光資源の厳密な選別,選別された資源の保 護・保全に注力すべきであり,記号型観光資源に ついては,その新陳代謝を促進するような自由を 保証すべきである.記号型観光資源に対して不利 益を生じさせているような規制を撤廃するなど,
積極的な不関与が必要である.
また,観光地運営主体は,観光地は消費される ものであり,それを生産によって補充する必要性 を理解すべきである.晩春,人々の目を楽しませ ている上野公園のツツジは,観光利益を還元すべ く上野観光連盟の植樹活動によって投資されたも のである.持続可能な観光地を志向するのであれ ば,記号型観光資源によって得た利潤は,次の観 光資源の生産へ向けなければならない.
注
1)ポストモダンの観光についての論考は多く,諸説ある が,たとえば須藤はポストモダニズム文化の社会的背 景を①近代のなかにすでに含まれていた「再帰性」の さらなる徹底化,②消費社会化,情報社会化等資本主 義の形態の進展,と指摘し,これらがディズニーラン ドからエコツーリズムまで現代の観光文化にも当ては まることだと論じている(安村・遠藤・寺岡,2006: 178–179).
2)シミュラークルの語源は「表象,イメージ」を意味す るラテン語シミュラークルム(simulacrum)に由来し,
歴史的には主にキリスト教からみた「異教の偶像」を 指して用いられたが,この語にまったく新しい現代的 な意味作用を与えたのはフランスの社会学者ボードリ ヤールである.彼は『象徴交換と死』L'change symbol- ique et la mort(1975)で,シミュラークルの展開を,
(1)ルネサンスから産業革命までの「模造」(オリジナ ルの価値に依存するコピー),(2)産業革命と機械制大 工業時代の「生産」(機械によって大量生産されるオリ ジナルと等価な複製),(3)生産が差異のコードによっ て支配される現段階の「シミュレーション」(差異の変 調を指示するコードにしたがって生み出されるオリジ ナル不在の記号)に分類した(Yahoo!百科事典:塚原 史/小学館『日本大百科全書』).
文 献
アーリ,ジョン著,吉原直樹・大澤善信監訳(2003):『場 所を消費する』,法政大学出版局.
新井尭爾(1931):『観光の日本と将来』,観光事業研究会.
井上萬壽蔵(1947):『観光経済の書』, 居堂書房.
尾家建生(2009):観光資源と観光アトラクション.大阪 観光大学紀要,第9号.
岡本伸之編(2001):『観光学入門』,有斐閣.
香川眞編・日本国際観光学会監修(2007):『観光学大事典』, 木楽舎.
経済企画庁(1962):『全国総合開発計画』,大蔵省印刷局.
台東区(2001):『台東区観光ビジョン─国際観光都市台東 をめざして─多彩な魅力の下町テーマパーク』,台東区 産業部観光課.
日本交通公社(1971):『観光地の評価手法』,日本交通公 社.
ハーバーマス,ユルゲン著,三島憲一訳(2000):『近代―
未完のプロジェクト』,岩波現代文庫.
ボ ー ド リ ヤ ー ル , ジ ャ ン 著 , 今 村 仁 司 ・ 塚 原 史 訳
(1982):『象徴交換と死』,筑摩書房.
ボードリヤール,ジャン著,竹原あき子訳(1984):『シミ ュラークルとシミュレーション』,法政大学出版局.
マリオッティ,アンヂェロ(1934):『観光経済学講義』,
国際観光局.
安村克己,寺岡伸悟,遠藤英樹編(2006):『観光社会文化 論講義』,くんぷる.
仰木ひろみ 地域雑誌:「谷中・根津・千駄木」インタビ ュー(インタビュー・構成:松本香織 取材:2008年5 月23日))http://www.cinra.net/interview/2008/08/01/
191000.php
国会議事録 第6回衆議院 観光事業振興方策樹立特別委員 会10号 昭和24年11月30日.
国会議事録 第43回衆議院 建設委員会13号 昭和38年05 月10日.
帝国議会議事録 第91回貴族院本会議1号 昭和21年11 月27日.
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